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2014年3月21日 (金)

コンサートの記(129) マックス・ポンマー指揮 京都市交響楽団第572回定期演奏会

2013年9月6日 京都コンサートホールにて

午後7時から京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第572回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はドイツの名匠、マックス・ポンマー。懐かしい名前である。クラシックファンの間では知られた名前だが、実演を聴いたことのある人は少ないのではないかと思う。

オール・ドイツもので、メンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番(ピアノ独奏:小菅優)、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」というプログラムである。

マックス・ポンマーは、シャルル・デュトワやエリアフ・インバルと同じ1936年生まれだが、デュトワやエリアフのように日本に拠点を持っているわけでもなく、演奏活動の情報が聞こえてこないので、ピークは過ぎたのではないかと思われている指揮者である。
ライプツィッヒの生まれ、ライプツィッヒ音楽院でピアノと指揮を学び、ライプツィッヒ大学で音楽学を教わる。その後、ライプツィッヒ大学合唱団の音楽監督となり、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のメンバーとライプツィッヒ新バッハ合奏団を結成。更にライプツィッヒ放送交響楽団(MDR交響楽団)の首席指揮者に就任と、ずっとライプツィッヒという街で育ってきた指揮者だ。
ライプツィッヒは東ドイツの街になったので、西側では録音を通してしかポンマーの演奏を知ることは出来なかったのだが、ドイツが東西統合した直後に、ポンマーも一瞬ではあるが脚光を浴びている。

開演20分前から、マックス・ポンマーによるプレトークがある。ドイツ語通訳を務めるのは菅野ボッセ美智子。ボッセという文字からわかるとおり、昨年逝去した指揮者でヴァイオリニストのゲルハルト・ボッセの奥さんだった人だ。奥さんが日本人だったため、ボッセは晩年は大阪府高槻市に住んでいた。

まず、マックス・ポンマーはゲルハルト・ボッセについて語る。ポンマーとボッセとは友人だったそうで共演したこともあるという。ボッセはライプツィッヒ・ゲバントハウス管弦楽団のヴァイオリン奏者を経て、ライプツィヒ放送交響楽団のコンサートマスター、そしてライプツィッヒ・ゲヴァントハウスのコンサートマスターとなり、非常に優秀なヴァイオリニストだったとポンマーは語る。丁度、ポンマーがライプツィッヒ音楽院の学生だった頃に、ボッセはライプツィッヒ音楽院の管弦楽科の教授だったので、そこから付き合いが始まったのだろう。

今日、最初に演奏するメンデルスゾーンもライプツィッヒの音楽家。ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者(他の楽団とは違い、○○指揮者ではなく、楽長、カペルマイスターと呼ばれる)を務めたこともあり(ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団は1743年創設で民営のオーケストラとしては世界最古の歴史を持つ。公営の最古のオーケストラはドレスデン国立歌劇場管弦楽団で、1548年創設。フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を布教に来る前年である。王室が持つオーケストラには更に長い歴史を持つデンマーク王立管弦楽団があり、1448年創設である。応仁の乱が始まる前から存在している)、ライプツィッヒで、J・S・バッハの「マタイ受難曲」の復活上演を行い、それまではプロだけが知る埋もれていた作曲家だったJ・S・バッハはこれにより世界的に有名になる。バッハもまたライプツィッヒで活躍した音楽家で、ライプツィッヒ市全体の音楽監督をしていた。
メンデルスゾーンの悩みは自身がユダヤ人であったことで、ライプツィッヒ生まれのリヒャルト・ワーグナーはユダヤ人嫌いであり、メンデルスゾーンのことを憎んでいたという(実はワーグナーにもユダヤ人の血が流れていた可能性はある。本人が知っていたのかどうかは定かでない。ワーグナーがユダヤ人の憎んだのは、自らは作曲家として売れない期間が長く、貧困で苦労したのに、ユダヤ人は金持ちでずるいという単純な理由である)。ただ、ワーグナーが唯一評価したメンデルスゾーンの作品が今日演奏する序曲「フィンガルの洞窟」だという。

ライプツィッヒの話はここで終わり、ピアノソリストの小菅優の話になる。小菅優は1983年に日本で生まれ、10歳からドイツで育ち、以後、ずっとドイツで音楽教育を受けてきたというピアニストである。彼女がドイツのピアノコンクールで優勝したとき、ハンブルク・カメラータを指揮して、コンクールの協奏曲演奏の指揮者をしていたのが実はポンマーだったという。それ以来の共演となり、成長した姿を見ることが出来てとても嬉しいとのこと。小菅優の公式プロフィールにはコンクール歴はなしとなっているはずだが、有名コンクールに参加したことはないだけで、腕試しに受けた小さなコンクールでは優勝した経験があるのかも知れない。

メンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」。スケールは余り大きくないが、テンポを自在に変化させるなど、ドラマティックな演奏である。中間付近でテンポをグッと落とすが、その後加速し、激しさを増す。描写力やイメージ喚起力はそれほど高くないかも知れないがオーケストラを操縦する技術は見事だ。

小菅優をソリストに迎えての、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番。京響は編成を小さくして伴奏に臨む。京響の出す音が最初は小さすぎるように感じたのだが、そのうちに慣れる。
小菅優であるが、見事なピアノである。透明感ある音色で、泉のように音楽がピアノから湧き出してくる。これほど技術の優れたピアニストはそうそういるものではない。第1楽章のカデンツァは実に鮮やかで、あたかも魔術を見ているかのようだった。
第2楽章のリリシズムも見事であり、第3楽章は冒頭からバリバリ弾き出すが、凡百のピアニストと違うところは決してうるさくはならないということだ。そもそも平凡なピアニストはバリバリ弾くことすら出来ないわけだが。
ポンマーの指揮する京響もナチュラルな感じの伴奏で聴かせる。

小菅優はアンコールとして、ロベルト・シューマンの「子供の情景」から“詩人は語る”を弾く。重めの演奏だが、重苦しくはならなかった。

メインであるベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」。京響の演奏で前回聴いたのはモーシェ・アツモンが指揮した時だと思うが、アツモン指揮の「英雄」はスローテンポの弛緩しきったものだったので、今回の「英雄」は名演を期待したところだ。

出だしから快調である。京響の弦は透明であり、力感にも溢れている。京響のヴァイオリニストは女性奏者が大半なのだが、女性中心だからヴァイオリンが弱いということはない。そもそもヴァイオリンの音の強さと腕力とにはそれほど相関性はない。力尽くで弾いたら弦が切れてしまう。オーディションもカーテン越しに番号のみの性別年齢不明で行われたものだろうし(「のだめカンタービレ」に、奏者を目の前で見ながらオーディションを行う場面があるが、ああしたオーディションは現代ではかなり異色であり、フィクションの世界での話だと思った方がいい)、男性奏者が勝ち残れなかっただけであろう。

ポンマーの指揮姿であるが、要所要所では腕を大きく開くものの、拍を刻むときは指揮棒を小さく、「チョイ、チョイ、チョイ」と動かすだけである。無駄のない、わかりやすい指揮だ。

ポンマーの世代の指揮者だと、クライマックスで吹かれるトランペットは編曲して最後まで吹かせるのだろう思っていたが、そこはバッハを得意とするポンマー。トランペットの吹奏も楽譜通り途中で止め、主題を行方不明にした。

第2楽章も力感溢れる演奏。ドラマ性も高い。

第3楽章ではホルンが大健闘。好調が続く。

最終楽章。平均的テンポで入るが、弦のピッチカートの部分はかなり速めに演奏する。その後もポンマーの見事なオーケストラドライブは続き、名演となった。

午後9時を大きく回っていたので、さっさと帰る人も多かったが、残った聴衆は大いに盛り上がる。ポンマーは楽団員を立たせようとしたが、楽団員も拍手を送って立とうとしない。ポンマーが一人、指揮台に上がって喝采を受ける。ポンマーは楽譜を掲げて「『英雄』交響曲は素晴らしい」というパフォーマンスをやってみせた。聴衆の拍手が収まりそうにないので、ポンマーは最後は指揮棒と楽譜を持って退場。客席の笑いを誘う。今日のコンサートマスターである泉原隆志がお辞儀をしてコンサートは幕となった。

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