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2014年3月の12件の記事

2014年3月30日 (日)

観劇感想精選(114) 浅丘ルリ子&上川隆也主演舞台「渇いた太陽」

2013年11月29日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後2時から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、浅丘ルリ子&上川隆也主演舞台「渇いた太陽」を観る。テネシー・ウィリアムズの作。
「欲望という名の電車」、「ガラスの動物園」など、重く暗い主題を題材とするテネシー・ウィリアムズであるが、この「渇いた太陽」でもそれは変わらない。「渇いた太陽」はポール・ニューマン主演で映画化されているという。

テネシー・ウィリアムズのテキストを平田綾子が日本語に翻訳した本を使用。演出:深作健太(苗字からも分かるとおり、深作欣二の息子さんである)、出演:浅丘ルリ子、上川隆也、貴城けい(たかしろ・けい)、川久保拓司、内田亜希子、俊藤光利(しゅんどう・みつとし)、井坂俊也(いさか・しゅんや)、加藤裕(かとう・ゆたか)、西村雄正(にしむら・ゆうせい)、明石鉄平、湖木信乃介(みずき・しんのすけ)、赤沼優(男優である)、藤原桂香、牧勢海(まきせ・うみ)、渡辺哲。

アメリカ南部の街、セント・クラウドが舞台である。「渇いた太陽」の初演は1959年、演出は名監督でありながら赤狩りの協力者としてハリウッドを敵に回したエリア・カザンであったという。当然ながら、公民権運動の真っ盛りであり、作品中には人種差別の問題も登場する。

かつては名女優の誉れ高かったアレクサンドラ(浅丘ルリ子)。しかし彼女も年には勝てない。長く仕事に恵まれず、久しぶりに現場に復帰しても自分の容姿の衰えにうんざりして、今はハリウッドを離れ、南部を旅している。そんなアレクサンドラがフロリダで出会ったのが、チャンス・ウェイン(上川隆也)。名前こそ「チャンス」であるが、チャンス・ウェインは長い間、ここぞという時のチャンスには恵まれていなかった。若い頃は、サンタ・ウェイン随一の男前としてもてはやされたが、チャンスは彼の友人達とは違って身分的にも財産においても恵まれた家の出ではなく、優れていたのは容姿だけであった。彼も年を取り、容姿も昔のように際立って輝かしいものではなく、抜け毛も多くていずれ豊かな髪も失うかも知れなかった。気がつけば、彼の周りは皆、人生の成功者となっている。容姿だけが取り柄のチャンスにはもう後がない。かつてはハリウッド映画にチャレンジしたこともあった。しかし、良いところまで行った時に、邪魔が入る(チャンス自身が撒いた種であることが後に分かるのであるが)。チャンスは焦っていた。フロリダでビーチボーイをし、女達にオイルマッサージをしていた時に、チャンスはアレクサンドラと出会ったのだ。チャンスはこれは千載一遇のチャンスだと確信する。アレクサンドラは大物女優である。彼女の後押しがあれば、ハリウッドデビューも夢ではない。そして、恋人であったヘブンリー(内田亜希子)をヒロイン役に推してもらえば彼女とも元の鞘に収まるのだ……。

テーマは「老い」そして「アイデンティティの危機」である。

「時の勝利」という音楽を聴いたことがある。1990年代後半、東京オペラシティコンサートホール“タケミツ・メモリアル”においてだ。サー・サイモン・ラトル指揮バーミンガム市交響楽団の来日演奏会。前半は、全て存命中の作曲家による現代音楽が3曲、後半はベートーヴェンの交響曲第5番だった。サー・サイモン・ラトルは、すでに現代屈指の名指揮者という地位を確かなものとしており、メインが人気曲であるベートーヴェンの交響曲第5番であったにも関わらず、日本人の現代音楽アレルギーはかなり強く、客席は半分ほどしか埋まっていなかった。「時の勝利」はそのコンサートで演奏された曲であり、人は老い、いつか死に、時が勝利するという内容のものであった。

そして「渇いた太陽」でも時は勝利する。

アレクサンドラにもチャンスにもかつては輝いた日々があった。でもそれはもう戻ってこないのである。暴力的で残酷な結末に、時の神・クロノスは非情だとも思えてくる。しかし同時に、人間はクロノスが見放すほど愚かだということもわかる。

「時に勝てた者など一人もいない」

演技であるが、浅丘ルリ子は、アレクサンドラと、アレクサンドラが普通の老婆に扮装して出てきた時の演じ分けが巧みである。

上川隆也の演技であるが、やはり良い。上川隆也は俳優になるために生まれてきたような男であり、天才であるが、思うままに演じて役が出来てしまう正真正銘の天才でも、役になりきる憑依型でもない。彼はセリフを覚えるのが早く、余りに早いので「サイボーグ」というあだ名が付いた程だが、残った時間で、登場人物の心理を掘り下げ、頭でシミュレーションを重ねて演技する。理知的であり、そのため、俳優を目指す人に取っては、大変ためになる演技をしてくれるというありがたい存在である。

チャンスは、南部出身の男性にありがちなワイルドなところを持った男である。劇中に「チンピラ」と称される場面もある。ただ、適当にワイルドに演じたのでは何の意味もない。ということで、上川は堅木ではない南部の男をどう演じたか。まず佇まいに工夫がある。幕が開くと、薄暗がりの中、ベッドにチャンスが腰掛けてうなだれている。だが、それが上川隆也であっても上川隆也に見えない。薄明の中で男が歩き出してもまだ上川隆也に見えない。セリフを発してようやくそれがやはり上川隆也だと分かるのである。こう感じたのは私だけではないようで、客席から「え? 上川さん?」という女性の声が聞こえた。上川隆也は敢えて上川隆也らしくない動きをしていた。上川隆也は自身のパブリックイメージを知っており、それとは違う動きをすることで、彼であるのに観客からは彼に見えないという方法を用いたのだと思われる。ただ、このシーンでの上川は非常に色気があり、これは真似できないものであろう。明るくなり、上川が役のために髪を薄く染めているのがわかる。

チャンスは、ワイシャツのボタンを上まで留めず、胸元を出している。ここまでは誰でも思いつく方法である。

チャンスの性格を表す演技で、私が「巧い!」と思ったものは、チャンスが酒を飲む場面に登場する。ボトルを持ち上げて、コップに注ぐというシーン。普通はボトルを持ち上げて、コップに注ぐというそれだけなのだが、上川は、ボトルをポンと軽く上に放り投げて、空中でボトルをキャッチしてそのままコップに酒を注いだのである。チャンスのキザで荒っぽい内面ををこうしたさりげない動きで表現するのである。

チャンスが背広を着ている場面では、今度は歩き方を工夫する。踊りのようなステップを踏むことで(よく見ていないとわからない)、普通とは少し違う男であることを表現するのである。全編を通して細かい演技は続き、さりげなく抜け毛が多い髪の毛を気にしたり、薬でちょっとおかしくなっていく過程や体の震えなど、一々感心させられる。上川が歌うシーンもあるのだが、音程も正確で、表現力もあり、非常に上手い。上川隆也は普段から語彙が豊かで、同じく演劇集団キャラメルボックスのメンバーであった近江谷太郎から、「上川の頭には『広辞苑』が入っている」と言われた程だが、演技に関していうなら上川隆也こそは、動く広辞苑ならぬ動く「俳優辞典」である。
上川隆也の出る芝居一本を観ることで得られるものは、三人の演出家から演技指導を受けた時よりも多い。

他の俳優陣で、テレビで見かけるのは渡辺哲ぐらいだが、彼も含めて他の俳優陣も皆、良い演技をしていた。見応えのある舞台である。

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2014年3月26日 (水)

コンサートの記(130) 沼尻竜典オペラコレクション コルンゴルト 歌劇「死の都」オペラ形式上演日本初演

2014年3月8日 びわ湖ホール大ホールにて

午後2時から、滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール大ホールで、沼尻竜典オペラセレクション、コルンゴルトの歌劇「死の都」を観る。舞台上でのオペラ形式での上演としては日本初演になる。

びわ湖ホールの垂れ幕には、アカデミー作曲賞二度受賞、コルンゴルトの歌劇「死の都」とあったが、エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトは現在のブルノ(チェコのモラヴィア地方の中心都市)に生まれ、幼くしてウィーンで作曲家として成功し、そのミドルネームも関係してか、「モーツァルトの再来」と言われるほどの神童ぶりを発揮。マーラーからも「天才だ!」と激賞された。歌劇「死の都」はコルンゴルトが23歳の時に書かれもので、ハンブルクとケルンで同じ初演され(ケルン歌劇場の指揮台に上がったのは若きオットー・クレンペラーだったという)、どちらでも絶賛された。その後も上演を重ねた「死の都」は1920年代に世界で最も多く上演されたオペラだったという。順調に思えたコルンゴルトの作曲家人生であったが、ナチスの台頭と共に暗転する。ユダヤ系であったコルンゴルトはアメリカに亡命を余儀なくされ、生活のためハリウッドで映画音楽として活躍する。アカデミー賞映画音楽部門で二度の受賞を果たしたコルンゴルトであったが、クラシックの作品は次第に忘れられていく。戦後、ウィーンに二度戻ったコルンゴルトであるが、ウィーン楽派の音楽が隆盛の時代にあって穏健なコルンゴルトの作風は「時代遅れ」、「過去の作曲家」と見なされ、いずれも失意のうちに帰国。アメリカでも酷評を覆すことは出来ないままに亡くなっている。1970年代にコルンゴルトの次男であるジョージがコルンゴルトの映画音楽に光を当て、その後、歌劇「死の都」が傑作として再評価されるようになる。交響曲やヴァイオリン協奏曲なども録音はなされているが、現時点では傑作と認められているコルンゴルト作品は歌劇「死の都」のみである。

指揮は沼尻竜典オペラセレクションとあることから分かる通り、沼尻竜典。京都市交響楽団の演奏(コンサートマスター:泉原隆志)。ちなみに演奏会形式で歌劇「死の都」を初演したのは京都市交響楽団だという(1996年、井上道義指揮)。今日、明日と公演があり、出演者は異なる。今日の出演者は、鈴木准、砂川涼子、小森輝彦、加納悦子、九嶋香奈枝、森季子(もり・ときこ)、岡田尚之、迎肇聡(むかい・ただとし)、高野二郎、与儀巧(与儀のみ今日、明日共に出演)。
演出は栗山昌良。演出補として岩田達宗の名前があり、新国立劇場でオペラ「みすゞ」を観た時に、「『死の都』の演出補って何ですか?」と岩田先生本人に伺ったところ、「(栗山昌良先生は)お年なので、お供をする」とのことだった。岩田達宗の師でもある栗山昌良は1926年生まれ。大ベテランであり、舞台の師はあの千田是也、オペラの師は何と藤原義江だという。高齢のためか、栗山はカーテンコールにも姿を見せなかった。

装置はスペクタクルな部分もあるが、見せ方としてはオーソドックスな演出である。ただ、歌手が棒立ちになって歌うところが多く、そこだけは気になった。

第一幕は主人公であるパウル(鈴木准)の部屋とその外であるが、思ったよりもシンプルな装置である。つい先日亡くなったパウルの妻、マリーの大きな肖像画が掛けられている。パウルは今はこの家で、女中のブリギッタ(加納悦子)と暮らしている。マリーの思い出の詰まった部屋は「過ぎし日の教会」としてマリーの写真や遺髪などが収められている(この演出では遺髪と肖像画が目立つ程度である)。
友人のフランク(小森輝彦)がやって来る。亡き妻の思い出にとらわれたままのパウルを気遣うフランク。だが、パウルは先日、マリーを見かけたという。「マリーは生きている」とまで断言してしまう。パウルは彼女を家に招いていた。彼女の正体は踊り子のマリエッタ(砂川涼子)。マリーそっくりのマリエッタの中にマリーを見出すパウルであったが、マリエッタもパウロが自分を通して別の誰かを見ていることに気付き、箍の関係は破綻へと向かい始める…

歌劇「死の都」は、詩人であるジョルジュ・ローデンバッックの小説「死都ブリュージュ」。台本はパウル・ショットとなっているが、これは後に、実はコルンゴルト本人と父親のユリウスによる共作のペンネームであったことがわかる。このことが明かされたのはコルンゴルトの死後18年目のことであった。
原作の「死都ブリュージュ」は悲劇であるが、コルンゴルトは悲劇になるのを抑え、ショッキングな場面もあるが、内省的な展開に留めている。この辺が彼の作曲家の資質とも一致しているのかも知れない。
詩人が書いた小説が基だけに、幻想的な美しさをどれほど出せるのかも勝負だが、今日もこれもそこそこ。第2幕で、パウルの部屋がせり上がり、下から三段になった坂(手前から、上手より下手に向かって上り、一つ奥に下手より上手に向かって上り、一番奥にフラットに近い坂である)が現れ、これは効果的であったが、これもまた夢幻の世界でのことなので、強調する手法がこれほど手の込んだことをせずとも良かったように思う。

ちなみにドイツなどではラストでパウルが自殺するという演出も存在するそうだが、パウルが「生と死は分かたれた」と歌っていることから、自殺するという演出を採用することはあってはならないと思う。このオペラで描かれていることは一文で書いてしまうと「喪の仕事」である。自分がいかにマリーにとらわれていたかをパウルは最後にはっきりと自覚している。この目覚めこそが肝であり、それを自殺で強引に悲劇にするのは少なくとも賢いやり方ではない。
今回も、パウルの自殺はなしである。

沼尻竜典はキレのあるリズム感に優れたものであったが、「沼尻ならこんな感じかな」という想像の範疇であり、安心して聴ける一方で、ライヴならではの凄みには欠ける。とはいえ、京都市交響楽団のアンサンブルも高精度で、舞台上演日本初演に相応しい演奏であった。

「死の都」がこれまでオペラ形式で上演されなかった理由であるが、パウル役が第3幕でかなり高い音の発声を長時間強いられるというところにあると思う。今日、パウル役を演じた鈴木准も「出てはいたが、苦しさを全く感じなかったかといえば嘘になる」という出来。端役なら高い声を出し続けていても何とかなるのであるが、パウルは出ずっぱりであり、声を休ませる暇も、声を整える時間もないままに高音のアリアを続けなければならない。体格ではどうしても白人に及ばない日本人にとってはちょっと苦しいだろう。

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2014年3月21日 (金)

コンサートの記(129) マックス・ポンマー指揮 京都市交響楽団第572回定期演奏会

2013年9月6日 京都コンサートホールにて

午後7時から京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第572回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はドイツの名匠、マックス・ポンマー。懐かしい名前である。クラシックファンの間では知られた名前だが、実演を聴いたことのある人は少ないのではないかと思う。

オール・ドイツもので、メンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番(ピアノ独奏:小菅優)、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」というプログラムである。

マックス・ポンマーは、シャルル・デュトワやエリアフ・インバルと同じ1936年生まれだが、デュトワやエリアフのように日本に拠点を持っているわけでもなく、演奏活動の情報が聞こえてこないので、ピークは過ぎたのではないかと思われている指揮者である。
ライプツィッヒの生まれ、ライプツィッヒ音楽院でピアノと指揮を学び、ライプツィッヒ大学で音楽学を教わる。その後、ライプツィッヒ大学合唱団の音楽監督となり、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のメンバーとライプツィッヒ新バッハ合奏団を結成。更にライプツィッヒ放送交響楽団(MDR交響楽団)の首席指揮者に就任と、ずっとライプツィッヒという街で育ってきた指揮者だ。
ライプツィッヒは東ドイツの街になったので、西側では録音を通してしかポンマーの演奏を知ることは出来なかったのだが、ドイツが東西統合した直後に、ポンマーも一瞬ではあるが脚光を浴びている。

開演20分前から、マックス・ポンマーによるプレトークがある。ドイツ語通訳を務めるのは菅野ボッセ美智子。ボッセという文字からわかるとおり、昨年逝去した指揮者でヴァイオリニストのゲルハルト・ボッセの奥さんだった人だ。奥さんが日本人だったため、ボッセは晩年は大阪府高槻市に住んでいた。

まず、マックス・ポンマーはゲルハルト・ボッセについて語る。ポンマーとボッセとは友人だったそうで共演したこともあるという。ボッセはライプツィッヒ・ゲバントハウス管弦楽団のヴァイオリン奏者を経て、ライプツィヒ放送交響楽団のコンサートマスター、そしてライプツィッヒ・ゲヴァントハウスのコンサートマスターとなり、非常に優秀なヴァイオリニストだったとポンマーは語る。丁度、ポンマーがライプツィッヒ音楽院の学生だった頃に、ボッセはライプツィッヒ音楽院の管弦楽科の教授だったので、そこから付き合いが始まったのだろう。

今日、最初に演奏するメンデルスゾーンもライプツィッヒの音楽家。ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者(他の楽団とは違い、○○指揮者ではなく、楽長、カペルマイスターと呼ばれる)を務めたこともあり(ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団は1743年創設で民営のオーケストラとしては世界最古の歴史を持つ。公営の最古のオーケストラはドレスデン国立歌劇場管弦楽団で、1548年創設。フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を布教に来る前年である。王室が持つオーケストラには更に長い歴史を持つデンマーク王立管弦楽団があり、1448年創設である。応仁の乱が始まる前から存在している)、ライプツィッヒで、J・S・バッハの「マタイ受難曲」の復活上演を行い、それまではプロだけが知る埋もれていた作曲家だったJ・S・バッハはこれにより世界的に有名になる。バッハもまたライプツィッヒで活躍した音楽家で、ライプツィッヒ市全体の音楽監督をしていた。
メンデルスゾーンの悩みは自身がユダヤ人であったことで、ライプツィッヒ生まれのリヒャルト・ワーグナーはユダヤ人嫌いであり、メンデルスゾーンのことを憎んでいたという(実はワーグナーにもユダヤ人の血が流れていた可能性はある。本人が知っていたのかどうかは定かでない。ワーグナーがユダヤ人の憎んだのは、自らは作曲家として売れない期間が長く、貧困で苦労したのに、ユダヤ人は金持ちでずるいという単純な理由である)。ただ、ワーグナーが唯一評価したメンデルスゾーンの作品が今日演奏する序曲「フィンガルの洞窟」だという。

ライプツィッヒの話はここで終わり、ピアノソリストの小菅優の話になる。小菅優は1983年に日本で生まれ、10歳からドイツで育ち、以後、ずっとドイツで音楽教育を受けてきたというピアニストである。彼女がドイツのピアノコンクールで優勝したとき、ハンブルク・カメラータを指揮して、コンクールの協奏曲演奏の指揮者をしていたのが実はポンマーだったという。それ以来の共演となり、成長した姿を見ることが出来てとても嬉しいとのこと。小菅優の公式プロフィールにはコンクール歴はなしとなっているはずだが、有名コンクールに参加したことはないだけで、腕試しに受けた小さなコンクールでは優勝した経験があるのかも知れない。

メンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」。スケールは余り大きくないが、テンポを自在に変化させるなど、ドラマティックな演奏である。中間付近でテンポをグッと落とすが、その後加速し、激しさを増す。描写力やイメージ喚起力はそれほど高くないかも知れないがオーケストラを操縦する技術は見事だ。

小菅優をソリストに迎えての、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番。京響は編成を小さくして伴奏に臨む。京響の出す音が最初は小さすぎるように感じたのだが、そのうちに慣れる。
小菅優であるが、見事なピアノである。透明感ある音色で、泉のように音楽がピアノから湧き出してくる。これほど技術の優れたピアニストはそうそういるものではない。第1楽章のカデンツァは実に鮮やかで、あたかも魔術を見ているかのようだった。
第2楽章のリリシズムも見事であり、第3楽章は冒頭からバリバリ弾き出すが、凡百のピアニストと違うところは決してうるさくはならないということだ。そもそも平凡なピアニストはバリバリ弾くことすら出来ないわけだが。
ポンマーの指揮する京響もナチュラルな感じの伴奏で聴かせる。

小菅優はアンコールとして、ロベルト・シューマンの「子供の情景」から“詩人は語る”を弾く。重めの演奏だが、重苦しくはならなかった。

メインであるベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」。京響の演奏で前回聴いたのはモーシェ・アツモンが指揮した時だと思うが、アツモン指揮の「英雄」はスローテンポの弛緩しきったものだったので、今回の「英雄」は名演を期待したところだ。

出だしから快調である。京響の弦は透明であり、力感にも溢れている。京響のヴァイオリニストは女性奏者が大半なのだが、女性中心だからヴァイオリンが弱いということはない。そもそもヴァイオリンの音の強さと腕力とにはそれほど相関性はない。力尽くで弾いたら弦が切れてしまう。オーディションもカーテン越しに番号のみの性別年齢不明で行われたものだろうし(「のだめカンタービレ」に、奏者を目の前で見ながらオーディションを行う場面があるが、ああしたオーディションは現代ではかなり異色であり、フィクションの世界での話だと思った方がいい)、男性奏者が勝ち残れなかっただけであろう。

ポンマーの指揮姿であるが、要所要所では腕を大きく開くものの、拍を刻むときは指揮棒を小さく、「チョイ、チョイ、チョイ」と動かすだけである。無駄のない、わかりやすい指揮だ。

ポンマーの世代の指揮者だと、クライマックスで吹かれるトランペットは編曲して最後まで吹かせるのだろう思っていたが、そこはバッハを得意とするポンマー。トランペットの吹奏も楽譜通り途中で止め、主題を行方不明にした。

第2楽章も力感溢れる演奏。ドラマ性も高い。

第3楽章ではホルンが大健闘。好調が続く。

最終楽章。平均的テンポで入るが、弦のピッチカートの部分はかなり速めに演奏する。その後もポンマーの見事なオーケストラドライブは続き、名演となった。

午後9時を大きく回っていたので、さっさと帰る人も多かったが、残った聴衆は大いに盛り上がる。ポンマーは楽団員を立たせようとしたが、楽団員も拍手を送って立とうとしない。ポンマーが一人、指揮台に上がって喝采を受ける。ポンマーは楽譜を掲げて「『英雄』交響曲は素晴らしい」というパフォーマンスをやってみせた。聴衆の拍手が収まりそうにないので、ポンマーは最後は指揮棒と楽譜を持って退場。客席の笑いを誘う。今日のコンサートマスターである泉原隆志がお辞儀をしてコンサートは幕となった。

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2014年3月20日 (木)

TOMODACHIプロジェクト“音楽の力” 「花は咲く」

ニューヨークで開催された、TOMODACHIプロジェクト。東日本大震災復興のための催しです。
ラストに行われたのが、東京フィルハーモニー交響楽団の若手メンバー5人とニューヨークの神童達が通うスペシャル・ミュージック・スクールの生徒13人。そして被災地である福島大学の5人の学生達からなる室内オーケストラによる東日本大震災復興ソング「花は咲く」の演奏。指揮は大植英次です。

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2014年3月19日 (水)

パーヴォ・ヤルヴィ指揮フランクフルト放送交響楽団(hr交響楽団) ブルックナー 交響曲第3番「ワーグナー」

出来にムラのあるパーヴォ・ヤルヴィ指揮のブルックナーですが、この交響曲第3番は名演だと思います。

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2014年3月18日 (火)

レナード・バーンスタイン弾き振りニューヨーク・フィルハーモニック ラヴェル ピアノ協奏曲より第2楽章

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2014年3月17日 (月)

マイケル・ナイマン作曲 「楽しみを希う心」

マイケル・ナイマンが映画「ピアノ・レッスン」のテーマ曲として作曲した「楽しみを希う心」。ヴァレンティーナ・リシッツァのピアノ演奏です。

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2014年3月16日 (日)

柴田淳 「Jun Shibata Billboard Live 2013」

柴田淳がBillboard Liveで行ったライヴを収録したCDを紹介します。このCDはLPサイズの特別ジャケットですので、写真でジャケットを紹介します。

デビューから数年はライブハウスなどでも歌っていた柴田淳ですが、本格的なコンサートツアーを開始してからは大きな会場で歌うことが当たり前となっていました。
そんな柴田淳がBillboard Liveという小規模スペースで行ったライヴの音源です。
録音は極めて優秀であり、会場の空気まで伝わってくるかのような臨場感溢れるものとなっています。
また、死者が歌っているという設定があり不吉なためか、これまでライヴでは歌われていなかった「あなたの名前」、しばじゅんが活動休止に追い込まれそうになった時の心境を歌ったものと解釈出来るため生で聴く機会はないだろうと思われた「ひとり歩き」など、ライヴ初披露の曲が収められているのは貴重です。
柴田淳の中の楽曲の中で一二を争う人気ナンバーでありながらライヴでは一度しか歌われていない「今夜、君の声が聞きたい」が収録されているのもセールスポイントです。

Jun Shibata Billboad Live 2013(初回限定盤LP仕様ジャケット)タワーレコード

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2014年3月15日 (土)

ヒラリー・ハーン独奏、ロリン・マゼール指揮バイエルン放送交響楽団 シベリウス ヴァイオリン協奏曲

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2014年3月10日 (月)

江口洋介と織田信長 「生きていた信長」

現在、大河ドラマ「軍師官兵衛」で、江口洋介が織田信長を演じていますが、江口洋介演じる信長というと、岩井俊二監督の中編映画「四月物語」の映画中映画として出てくる「生きていた信長」が真っ先に思い浮かびます。

「四月物語」は松たか子の初主演映画ですが、松たか子演じる楡野卯月が映画館で観たB級映画として「生きていた信長」は出てきます。場面は天王山の戦いに敗れた明智光秀(カールスモーキー石井=石井竜也)が、「秀吉は所詮一代限りの成り上がり者。天下を取るのは松平家康」と言ったところで、江口洋介演じる織田信長が現れて、「本能寺で死んだ者、あれは家康よ」と告げ、安土桃山時代の後には徳川時代が来るので自分が徳川家康として天下を取るというわけのわからない理屈を言い、光秀に斬ってかかるというものでした。

あれから20年近く経ちましたが、ようやく大河で江口信長が実現したことになります。

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2014年3月 5日 (水)

ジョーン・バエズ&エンリオ・モリコーネ 映画『死刑台のメロディ』より「勝利への讃歌(Here's to you)」

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2014年3月 4日 (火)

コンサートの記(128) アレクサンダー・マルコヴィッチ指揮チェコ国立ブルノ・フィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2014大阪

2011年9月25日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、ザ・シンフォニーホールで、アレクサンダー・マルコヴィッチ指揮チェコ国立ブルノ・フィルハーモニー管弦楽団の来日演奏会に接する。

指揮者のアレクサンダー・マルコヴィッチは、ブルノ・フィルの首席指揮者でまだ若い。ユーゴスラビア時代のベオグラードの生まれで、ウィーン音楽大学で名教師、レオポルド・ハーガーに指揮を学び、ジャンルイジ・ジェルメッティ(実力派だが、録音嫌いで知られる人である)、ローター・ツァグロゼクにも師事。2003年にポーランドのフェティルベルク国際指揮者コンクールで優勝し、プラハ、ザルツブルク、ベオグラードの歌劇場の指揮者として活躍。2008年11月にブルノ・フィルと共演し、直後に首席指揮者に迎えられたという。サー・サイモン・ラトルのようなカーリーヘアーの持ち主である。今日は全曲ノンタクトで振った。

曲目は、スメタナの連作交響詩「わが祖国」より“ボヘミアの森と草原から”、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:フリデリーケ・サイス)、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」

さして有名でない指揮者とオーケストラの公演なので、さほど期待していなかったのだが、聴いてビックリ、第一級の指揮者とアンサンブルであった。

ブルノ・フィルは弦も管もとにかく音が美しい。それもイノセントな響きである。マルコヴィッチの強弱のつけ方も大変細やかである。

“ボヘミアの森と草原より”は「わが祖国」の中で“モルダウ”の次に有名な曲だが、美しさと力強さを兼ね備えた見事な演奏によって音符が音に変わっていく。

チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。ソリストのフリデリーケ・サイスは1979年、オランダ生まれの若手女流ヴァイオリニストだが、最初のうちは音が汚くて、どうなることかと思った。だが、尻上がりに調子を上げ、第1楽章の中盤からは見事な美演を披露する。第1楽章の終わりに拍手が起こるが、来日オーケストラの公演ではこれは珍しいことではない。
第2楽章は、ブルノ・フィルによる冒頭の管楽器のハーモニーが立体的で見事。サイスのソロも美しかった。第2楽章はヒンヤリした音色で奏でられると効果的なのだが、ブルノ・フィルの音は一貫して温か。しかし、これはこれで個性的と言えるだろう。
だが、第3楽章が始まるとサイスの音はまた濁ってしまう。どうも熱演型の奏者のようで、力強い場面では力んで音が汚くなる癖があるようだ。それでも技術は確かであり、技術だけなら優れたチャイコフスキーになっていたと思う。

アンコールで登場したサイスは客席に向かって、「ヨハン・セバスチャン・バッハ、“アンダンテ”」と言い、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番より第3楽章“アンダンテ”を奏でる。この曲は力強い場面がないので、音色は常に美しい。また、ビブラートを抑え気味にして古楽器風の音色を出したりする。オランダはイギリスと並び、古楽器演奏の盛んな国だが、それが影響しているのかも知れない。

メインのドヴォルザーク交響曲第9番「新世界より」。ゆったりとしたテンポで演奏を開始したマルコヴィッチは主部に入るとテンポを上げ、若々しい演奏が繰り広げられる。ブルノ・フィルは弦も管も洗練の極みである。

第2楽章冒頭の管楽器のハーモニーはチャイコフスキーとは異なりほんのわずかにずれたが、その後は好調。「家路(遠き山に日は落ちて)」で知られるメロディーを吹くイングリッシュホルン(コールアングレまたはコーラングレとも言う。ホルンとつくがオーボエの仲間である)も上手い。

堂々とした第3楽章の演奏を経て、最終楽章へ。マルコヴィッチが手を上げるたびに、オーケストラの音量が大きくなる。トレーニングとリハーサルの賜物だろうが、まるで魔法を見ているかのようだ。美しくも迫力満点の演奏。悔しいが、日本のオーケストラでここまでの水準に達している団体は存在しない。世界には知名度は高くなくても優れた指揮者やオーケストラが存在することを改めて思い知らされた。

アンコールの1曲目は、ドヴォルザークの「スラヴ舞曲」第2集より第7番。一流のスケート選手の走る姿が思い浮かぶような滑らかな演奏。ラストではアッチェレランドをかけて大いに盛り上げる。

アンコール2曲目は、モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」序曲。モーツァルトを演奏するにはもう少しふっくらした音を出させた方がいいと思うが、タイトな響きのモーツァルトも個性的である。

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