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2014年4月 9日 (水)

観劇感想精選(115) 山本耕史主演舞台 音楽劇「ヴォイツェク」

2013年10月25日 大阪・京橋のシアターBRAVA!にて観劇

午後7時から、シアターBRAVA!で、山本耕史主演舞台、音楽劇「ヴォイツェク」を観る。原作:ゲオルク・ビューヒナー、脚本:赤堀雅秋、演出:白井晃、音楽:三宅純。TBSの制作であり、東京公演はTBSが持つ赤坂ACTシアター(二代目)で行われている(シアターBRAVA!も元々はTBS系列のMBSの劇場である。ちなみに系列局ではあるが、TBSとMBSは仲が悪いといわれている)。

今年は、23歳で夭逝した小説家で劇作家で自然科学者のゲオルク・ビューヒナーの生誕200年、「ヴォイツェク(ヴォイツェック)」初演100年(初演時は「ヴォツェック」というタイトルであった)に当たるため、日本でも各地で「ヴォイツェク」は上演されている。

「ヴォイツェク」はゲオルク・ビューヒナーの未完の戯曲であり、ビューヒナーの急死により、ページ番号もわからない断片だけが残され、長らく放置されてきたが、実在の殺人犯を主人公にした内容は魅力的であり、ビューヒナーの死後38年目に戯曲として出版され、同死後76年目に初演された。

現在の「ヴォイツェク」は、カール・エーミール・フランツォースが編纂した順番に基づいて上演されることが多い。今回、脚本を担当した赤堀雅秋もシーンの順番はフランツォースが編纂したものを踏襲している。フランツォース編纂の「ヴォイツェク」を日本語訳で読んだことがあるが、ラストと思われるシーンが数種類存在するなど(それらは本編ではなく、断片として個別に掲載されている)編纂に苦労したであろうことは想像に難くない。

さて、「ヴォイツェク」であるが、ストレートプレーとしてよりも、新ウィーン楽派を代表する作曲であるアルバン・ベルクの最高傑作にして、20世紀に作曲された最高の音楽作品の最右翼に位置すると思われる歌劇「ヴォツェック」の原作として有名である。ベルクの歌劇のタイトルが「ヴォツェック」なのは、ビューヒナーの書字が余りきれいなものではなかったため、「Woyzeck」という綴りが長い間「Wozzeck」だと誤解されていたためである。この作品が実在の殺人犯、ヨハン・クリスティアン・ヴォイツェクをモデルにしたものであることが判明し、タイトルも「ヴォツェック」ではなく、「ヴォイツェク」であることがわかった。本当のタイトルが判明したのはベルクが「ヴォツェック」を作曲している間であったが、ベルク自身が初めてこの舞台を観た時にはタイトルはまだ「ヴォツェック」とされており、オペラ用の台本も「Wozzeck」というタイトルで綴られていたため、ベルクはそのまま「ヴォツェック」というタイトルで作曲、世に出した。その直後に、ベルクは本当のタイトルが「ヴォイツェク」であったと知り、オペラのタイトルを「ヴォイツェク」に改めることも考えたが、「歌劇『ヴォツェック』は、舞台『ヴォイツェク』とは最早別物」と判断し、タイトルを変更することはなかった。

「ヴォイツェク」は、無神論的な色彩を持つ、ビューヒナーが生きた時代を考えれば革新的な作品であり、また虚無的ともいえる内容は初演が行われた1913年(第一次世界大戦が勃発する前年である)という時代の雰囲気にもマッチして人気作となり、その後、何度も映画化されている。

出演は、山本耕史の他に、マイコ、石黒英雄、良知真次(らち・しんじ)、池下重大(いけした・じゅうだい)、青山草太、駒木根隆介、加藤貴彦、半海一晃(はんかい・かずあき)、春海四方(はるみ・しほう)、真行寺君枝、今村ねずみ、団時朗(だん・じろう)。
音楽劇として、マイクを使っての上演であり、主要キャストが歌う際には耳の横から出すタイプの小型マイクがオンになる(歌のシーンがなく、小型マイクをつけていない俳優もおり、声の大きさを合わせるため、セリフのみのシーンではマイクはオフとなっている)。

三宅純の音楽には、意識的にではないだろうが、「三文オペラ」のクルト・ワイル的な要素がある。

舞台は二段になっている。通常用いられる舞台の前面に一段低い、奥行き一間ほどの小型舞台が設置されている。階段がついており、客席の通路を俳優が通って舞台に上がるという演出も多用される。

セットとして7つの扉がある壁。7という数字はキリスト教の「七つの大罪」に由来しており、実際、「七つの大罪」という言葉も劇中に登場する。

舞台上手が、演奏者達が陣取るバンドスペースになっており、まず、演奏者達が舞台下手から登場し、舞台を横切って、バンドスペースに向かう。少し遅れて掃除夫が登場し、舞台上をモップで拭き始める。客席の通路を通って、掃除夫達が何人も舞台に上がる。やがて、掃除夫の一人が四拍子のリズムで足踏みを始め、第1拍目にはモップを舞台床に打ち付ける。知的障害を持つカール(良知真次)が現れ、足踏みをしている掃除夫に何故そんなことをしているのか問いかける。掃除夫はいつ戦争が起きるかも知れず、行進の練習をしているのだと答える。すると、カールは猟銃を取り出して、掃除夫に与える。掃除夫はモップではなく猟銃を片手に足踏みを始める。それはあたかも迫り来る軍靴のようだ。やがて他の掃除夫達も軍服に着替え、軍人によるリズムが奏でられ始める。その中に、理髪師から徴兵され、現在は軍隊に所属しているフランツ・ヴォイツェク(山本耕史)の姿もあった。今村ねずみが演じる口上役が「紳士、淑女の方々」で始まる前口上を述べる。口上役はこの世の醜さを語り、「舞台の上では綺麗な世界、だが一歩劇場の外に出れば醜悪な現実が待っている」と語る。

以後は、ベルクの歌劇「ヴォツェック」の筋書きをほぼなぞっているが、歌劇「ヴォツェック」のテーマである無神論やニヒリズムから更に踏み込んだ矛盾に満ちた奥深さを今回の舞台は描いている。

殺人とそれに到るまでの心理劇であるが、ヴォイツェクに対して生体実験を行っている医師(半海一晃)などに見られる非人道性、軍隊の鼓手長(池下重大)が示す傲岸さなど、人間の汚らしい面が炙り出されていく(「グロテスク」という言葉が何度も用いられる)。

ヴォイツェクにはマリーという美しい内縁の妻(マイコ)がいるが、ヴォイツェクが貧しいために赤子(名前はクリスティアン)までいながら、籍を入れられないでいる。ヴォイツェクが生体実験を受けいれているのも、それによって報酬を受け取れるからであった。しかし、そのためにヴォイツェクは精神を病んでいく。ヴォイツェクが心を蝕まれていく過程は、まず最初に山本耕史以外の出演者が「ヴォイツェク」と何度も名前を呼び、それがヴォイツェクの幻聴であるとわからせることに始まり、歌劇「ヴォツェック」でも有名な枝を刈るシーンでの幻視(赤い空、世界の終末のイメージ)を経て、医師とヴォイツェクが最初に対面するシーンではヴォイツェクはすでに手が震えるようになっており、その後、震えは全身へと拡がる(この演技を自然に行うのはかなり難しいと思われるが、そこは山本耕史。巧みに演じていた)。元々朴訥な性格であったヴォイツェクであったが、生体実験を受けることにより、体だけでなく精神年齢も次第に退化していく。

入籍するために金を貯めているヴォイツェクであるが、マリーは軍楽隊の鼓手長の誘惑を受けいれ、不貞の行為に及ぶ(マリーを演じるマイコはバレエを習っていたようで、バレエダンスを披露する。よく見ると穿いているのはトゥシューズであった)。鼓手長は口の軽い男のようであり、二人の情事は上司である大尉(団時朗)の耳に届き、大尉はマリーが不倫をしたようだとヴォイツェクに教えてしまう。
マリーへの疑惑に苦しむヴォイツェクであったが、祭りの日に居酒屋でマリーが鼓手長と戯れ、扇情的に踊っているところに偶然出くわし、疑いは確信へと変わる。ヴォイツェクは、「(マリーを)刺し殺せ」という幻聴を聞く。

ヴォイツェクによるマリー殺害のシーンでは、壁が上方に引き上げられ、奥にあるスクリーンに赤い月が浮かぶ。舞台は池のほとりである。ヴォイツェクがナイフを取り出し、マリーが逃げるシーンでマリーを演じるマイコは舞台奥へと駆け、水飛沫が上がる。本水を使った演出であることがわかる。
マリーは、赤ん坊を「本来は汚らしいもの」、「赤い血に染まって生まれてくる」とその前のシーンで述べており(カールも同席していて、「カインとアベル」の話をし、無神論やこれから殺人が行われることをさりげなく告げている)、またマリーがこの場面では赤いドレスを着ていることから、池は羊水に、マリーや精神年齢の退化したヴォイツェクは赤子になぞらえられたものらしいと察しが付く。つまり胎内回帰の願望と葛藤がメタファーとして浮かび上がるのだが、胎内回帰は不可能であるし、希望することも否定することも危険だ(マリーは殺され、ヴォイツェクは溺死する)ということも示される。だが、口上役は、月も太陽も星も近づいてみれば汚かったという話をして、この世にもあの世にも幸せなどないのだと、歌劇「ヴォツェック」以上に厭世的なテーマを語る。

口上役は最後に再度この世と人間の醜悪さについて語り、何の救いもないまま劇は終わる。

虚無的な話であるが、それだけに無理な期待をせず、あるがままに生きろというメッセージも受け取ることが出来る。

出演者達の演技はいずれも優れており、白井晃の演出も秀逸であった。「ヴォイツェク」という作品が持つ新たな側面と、その魅力、そして同時に怖ろしさを発見した舞台でもあった。

終演後、客席は総立ちとなり、出演者を讃えた。

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