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2014年5月28日 (水)

観劇感想精選(124) 「おそるべき親たち」2014

2014年3月29日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後3時から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、ジャン・コクトー作の「おそるべき親たち」を観る。

多芸多才の人、ジャン・コクトー。コクトー本人は詩人と呼ばれることを好んだそうだが、才能は文芸に留まらず、絵画などでも認められている。

コクトーの戯曲の代表作といえば、「声」と「おそるべき親たち」が両輪ともいうべき位置を占めているが、普段は上演されることは少ない。ただ、2013年がコクトー没後50年だったということもあり、昨年暮れには鈴木京香の一人芝居「声」、そして今日は「おそるべき親たち」と3ヶ月ほどの間に両方に接することが出来た。

今回の「おそるべき親たち」は、2010年に行われた上演の再演となる。翻訳・台本:木内宏昌、演出:熊林弘高は、今年1月に新国立劇場小劇場「ザ・ピット」で上演された「Tribes ~トライブス~」と同じコンビである。出演は、佐藤オリエ、中嶋朋子、満島真之介、中嶋しゅう、麻実れい。

ジャン・コクトーの作品で最も有名なのは「おそるべき子供たち(アンファン・テリブル)」であると思われるが、「おそるべき子供たち」は小説であり、戯曲「おそるべき親たち」とは特に関連はない。

上演開始前に、母親役である麻実れいが出てきて、枕を抱えたり、タロットカードと投げたりし、その後、舞台を去る。

溶暗後、暗めの照明の中、モーツァルトの「レクイエム」より“ラクリモーサ”(モーツァルト最後の作品である)のピアノ編曲版が流れ、下手から麻実れいがゆっくりと歩いて登場し、舞台中央に来たところ、丁度、モーツァルトの絶筆となった音付近で倒れる。麻実れいが演じているイヴォンヌは病気持ちである。倒れてしまったのもそのためだ。イヴォンヌの夫のジョルジュ(中嶋しゅう)は、たまたま帰宅が早く、倒れているイヴォンヌを見つけて病院に知らせたためイヴォンヌも特に大事には至らなかった。イヴォンヌの姉であるレオ(佐藤オリエ)。実は最初にジョルジュと親しくなったのはイヴォンヌではなくレオだったのだが、ジョルジュはイヴォンヌを選んだ。だが、レオもあたかも家政婦のようにジョルジュとイヴォンヌの夫妻と同居している。ちなみにイヴォンヌは部屋の片付けが苦手だが、レオは逆に家事が得意である。

ジョルジュとイヴォンヌ夫妻の家には普段は息子のミシェル(満島真之介)がいたのだが、ミシェルはこの日に限って外出していた。親しい女性の家にいたのだ。
イヴォンヌもミシェルも互いの関係を「親友」、「友達親子」と言うのだが、傍から見ていると明らかに一線を越えてしまっており、「恋人親子」である、イヴォンヌはミシェルを「ミック」、ミシェルはイヴォンヌを「ソフィー」と愛称で呼ぶ。近親相姦を匂わせるところもある。
ミシェルは22歳。徴兵検査に落ち、引きこもりのような生活を送っている。だがミシェルがそんな状態にあることはイヴォンヌにとっては好都合。イヴォンヌはミシェルを独占しようとしている。レオはミシェルが外出ないのは、イヴォンヌがそう仕向けているからだと指摘し、ミシェルを溺愛する余り、ジョルジュを見捨てたような状態になっているとも語る。

そんなミシェルが若い女性と恋に落ちた。それを知ったイヴォンヌは露骨に嫉妬する。更にややこしいことにミシェルが好きになった3歳年上の女性・マドレーヌ(中嶋朋子)は、50歳過ぎの男とも恋仲にあり、金銭的援助も受けていることをミシェルも知っているのだが、その50過ぎの男が実は父親のジョルジュであるということは知らない。マドレーヌはジョルジュがミシェルの父親だということも知っており、ジョルジュもマドレーヌとミシェルが恋仲になったことに気付いていてレオに告白する。レオは、「あなたが払った金をミシェルが回収する。合理的」などと言うが、最終的には家族全員でマドレーヌに会いに行くことを提案し、その際、ジョルジュは話が上手いので、マドレーヌと二人で話をまとめて貰おうと提案する。

マドレーヌは自宅で製本の仕事をしており、作業場にいると居間の声は全く伝わらない。

居間でマドレーヌと二人きりになったジョルジュは、「第三の男がいるということにしよう。君と同い年の」と提案したり、「50過ぎの男が私だとミシェルに打ち明けよう。私と君の関係は終わりだが、君とミシェルの関係もまた終わりだ」と、マドレーヌとミシェルの名を引き裂こうとする。マドレーヌは、「私を脅す気?」、「卑劣!」、「エゴイスト!」、「人でなし!」とジョルジュをなじるが、ジョルジュは作業場から居間に帰って来た一堂の前で、「マドレーヌにはもう一人好きな人がいる」と言って、ミシェルとマドレーヌを失望の底へとたたき落とす。

「私は自殺はしないけれど、緩慢な死に至るでしょう」と絶望を語るマドレーヌにレオはある策を授けるのだった。

人間の醜悪な部分を炙り出す劇である。特殊な家庭の話ではあるが、我々の誰もがいつ特殊な世界へと入り込んでしまってもおかしくない状態で生きているため、他人事として傍観することは余り賢明なことではないだろう。

舞台美術は比較的簡素だが(舞台美術:島次郎)、それが故にいたずらに装置に目が行かず、各個人の心理状態に神経を集中することが出来た。

笑えるシーンも多い劇なのだが、それもまた悲哀の要素を高めていたように思う。平常心が正常だというのなら笑いもまた狂気の一種なのだろう。

俳優陣のアンサンブルも見事であり、感銘深い芝居であった。

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