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2014年5月 1日 (木)

コンサートの記(133) 牧村邦彦音楽総監督 マスカーニ 歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」&プッチーニ 歌劇「ジャンニ・スキッキ」

2013年7月28日 河内長野市立文化会館ラブリーホールにて

午後2時から、大阪府河内長野市にあるラブリーホール(河内長野市立文化会館)で、マスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」と、プッチーニの歌劇「ジャンニ・スキッキ」の二本立てを観る。共に、上演時間1時間前後の短編オペラである。「カヴァレリア・ルスティカーナ」はレオンカヴァッロの歌劇「道化師」と共に、「ジャンニ・スキッキ」はプッチーニの三部作とされるものの一つなので、他の二編である「外套」、「修道女アンジェリカ」と共に上演されることが多いのだが、今日は珍しい組み合わせによる公演である。「カヴァレリア・ルスティカーナ」は悲劇、「ジャンニ・スキッキ」は喜劇である。マスカーニとプッチーニは友人であり、ライバルでもあった。

音楽総監督は、先日、京都劇術劇場春秋座で「蝶々夫人」を振った牧村邦彦(プロデューサー的役割で、今日は指揮は一切しなかった)、指揮は井村誠貴(いむら・まさき)、演出は岩田達宗(いわた・たつじ)。岩田達宗先生とは親しくさせていただいているので、河内長野まで観に出かけたのである。先にDVDを観ていたのは予習のためである。オーケストラは大阪交響楽団。大阪交響楽団は河内長野市の西隣にある堺市を本拠地としている(コンサートの主会場は大阪市北区のザ・シンフォニーホールである)。
河内長野市は、大阪府の南東隅にある。東の山は楠木正成が籠城戦を行ったことで有名な千早城と赤阪城のあった千早赤阪村。その先は奈良県である。河内長野市も南東隅の一部で奈良県と接している。南はもう和歌山県で高野山へ続く道となる。高野山参道の入り口として栄えたという歴史のある街であり、河内長野駅(南海と近鉄が隣接している)西口には、それを示した碑も建っている。
洛北から河内長野までは、片道2時間近くかかる。まず京阪で終点の淀屋橋まで行き、そこから大阪市営地下鉄御堂筋線で「なんば」まで南下して、南海のターミナルである難波駅から南海高野線に乗って行くのが最短ルートである。洛北から「なんば」まで出るのも結構大変だが、そこから更に30分近く南海電車に揺られることになる。

ラブリーホールはかなり新しいホールで、内装も豪華である。そしてトイレが驚くほど広い。その一方で、開演前に飲食物の販売を施設内で行わないなど、公演慣れしていない印象も受けた(水飲み場もなし。夏の街を歩いて来たので喉が渇いていた。仕方がないので、一端、外に出て自販機で「デカビタC」を買って飲んだ)。

開演前に、岩田先生がいらっしゃったので、まずは挨拶。そして「カヴァレリア・ルスティカーナ」について少し話す。

歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」は、マスカーニのオペラデビュー作。「間奏曲」が特に有名で、歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」よりも、「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲の方が有名だったりする。

出演者は、松本薫平(関西二期会)、田中友輝子(関西歌劇団)、高谷みのり(東京二期会)、井上美和(関西二期会)、東平聞(あずま・としひこ。関西二期会)、合唱としての出演者は河内長野マイタウンオペラ合唱団。

シチリア島を舞台にした作品で、ストーリーは単純なものが多いオペラの台本の中でもかなり単純な部類に入る。一言で言ってしまうと「決闘の話」である(原作はジョヴァンニ・ヴェルガの小説)。その他にも男女関係や母子(イタリアは母親と息子の絆が大変強いという特徴がある。日本では「マザコン」と思われることもイタリアでは普通に行われている)の心理なども描かれているが、特に傑出したものではない。同じラテン系ヨーロッパ人である、スペインのガルシア・ロルカが書いた戯曲「血の婚礼」に似ているところがあるが、「血の婚礼」の「血」はダブルミーニングで、決闘で流される「血」と、血統の「血」の二つが掛け合わされている。そのために「血の婚礼」は決闘に到るまでの横線と、主人公の父親も決闘で死んでおり、父親の血が息子に受け継がれたという縦線とが絡まり、主人公の母親の煩悶などもあって、優れた作品になっている。「カヴァレリア・ルスティカーナ」の血は単に決闘で流されるだけなので、ロルカの作品に比べると数段劣る。ロルカを知っている人は多くても、ヴェルガを知っている人はほとんどいないので、もうそれだけでも勝負あったというべきか。
「血統」を描いた戯曲で有名なものに、イプセンの「幽霊」があるが、これをある演劇人が内容を全く読めておらず、頓珍漢なことを書いていて驚いたことがある。

「カヴァレリア・ルスティカーナ」は、幕が上がる前に幕の後ろ、または幕が降りた状態の時に舞台袖で主人公のトゥリッドゥが「シチリアーナ」を歌い、姿なき歌で始まるという、発表当時としては斬新な手法が用いられている。マスカーニは、オペラ作曲コンクールに「カヴァレリア・ルスティカーナ」でエントリーする際には「シチリアーナ」は斬新過ぎて受けいれられないと考え、当初は「シチリアーナ」をカットした楽譜を提出したというから当時としては例のないスタイルだったのであろう。「カヴァレリア・ルスティカーナ」はコンクールで1位を獲得、人気作となる。

今日も幕を降ろしたままで「シチリアーナ」が袖で歌われたが、実に困ったことにラブリーホールの緞帳は紫禁城の画なのである。そんな状態で「シチリアーナ」を歌われても、シチリア島の雰囲気など出ない。それどころか、「これじゃ、トゥリッドゥじゃなくて『トゥーランドット』だろう」というギャグになって笑いそうになる。岩田先生も緞帳を見て、「あちゃー」と思ったそうである。
私なら、幕を上げて、無人の舞台を見せ、舞台袖に隠れた形でトゥリッドゥに「シチリアーナ」を歌わせたと思う。人間のいないままの舞台空間が続くという手法は、平田オリザを代表とする「静かな演劇」ではよく使われるお馴染みの手法であるが、演劇を見慣れていない人は、「おや?」と注意を引かれるかも知れない。また、ローラ(高谷みのり)が舞台袖で歌うというシーンもあり、こことも呼応する。

「カヴァレリア・ルスティカーナ」は、村人が多く登場するのだが、彼らは全員、黒服である。キリストの復活祭の日なので、礼服なのであるが、喪服にも見える。照明は登場人物の心理の変化や時刻によって色を徐々に変えていたが、私が演出家だったら、黒服を用いたのなら、照明は白色系一本で行くと思う。白と黒のコントラストである。心理描写の力は弱まるかも知れないが、そもそもこの台本の心理描写はかなり甘いので、それを丁寧に描くよりも視覚的効果を優先させただろう。「カヴァレリア・ルスティカーナ」は間奏曲を挟んで、前半、後半共に、陽気に始まって悲しみで終わるというコントラストが付けられており、これにも通じる。
合唱団は、歌い終わった後、両手を挙げるが、私には宝塚歌劇に見えてしまうのでこれも避けると思う。

「シチリアーナ」が終わった後で、トゥリッドゥ(松本薫平)が下手袖から、ローラが上手袖から姿を現し、互いに手を伸ばそうとする描写がある。暗示的シーンであるが、昼ドラっぽいので好悪を分かつと思う。

井村誠貴は、オペラやミュージカルを活動の拠点にしている指揮者。大阪音楽大学の出身だが、同大学には指揮科はないので、在学中はコントラバスを専攻。指揮は学生時代に独学で行っていたが、その後、プロの指揮者の指導を受けるようになり、京都市交響楽団常任指揮者である広上淳一の弟子でもある。
オペラは数多く振っているというだけに安定した音楽作りが特徴である。

歌手陣は充実した歌を聴かせ、アマチュアであると思われる河内長野マイタウンオペラ合唱団も予想以上の水準に達していた。なかなかの上演だったと思う。

 

プッチーニの歌劇「ジャンニ・スキッキ」。プッチーニが作曲した唯一の喜劇である。これは脚本が実に上手く出来ている。作者はジョヴァッキーノ・フォルツァーノ。医師免許を持ち、プロのバリトン歌手となり、法曹資格も獲得したというスーパーマンであるが、このフォルツァーノの筆が冴えに冴えている。私がDVDで見たのは、ロシア出身の気鋭の指揮者、ウラディーミル・ユロフスキの指揮によるものであり、特典映像で、ユロフスキは、「この作品にはフェデリコ・フェリーニなどのイタリア映画に通じるものがある」と述べていて、確かにそれは私も感じたのであるが、それ以上にアメリカ風のシチュエーションコメディとして高水準の台本であると見ている。また、この脚本は、普遍性、汎用性共に優れたもので、どこの国が舞台でも、いつの時代に設定がなされても上演が可能なのである(ユロフスキ指揮の「ジャンニ・スキッキ」は時代設定を同作の初演された1918年に変更していたが、違和感全くなしである)。やろうと思えば日本を舞台にすることだって出来るのだ。

富豪のブオーゾが亡くなり、彼の遺産を受け取ろうとする親族が、ブオーゾの残した遺言に振り回され、最後は、頭の切れる男、ジャンニ・スキッキが全てに勝利するという話である。

遺族が、ブオーゾが亡くなったのに、遺産が手に入るということで、悲しんでるんだか笑っているんだかという冒頭の演出を見て、私は芥川龍之介の「枯野抄」を思い起こした。全体を通してみると、視覚的効果が有効な見事な演出であったが、医師と公証人を同じ人物が演じ、共にアホっぽいキャラクターにしたのは逆効果だったと思う。会場では笑いも起きていたが、シチュエーションコメディは、役者が本気でやっているからこそ、こちらも心から笑えるのである。日本におけるシチュエーションコメディの大家である井上ひさしや三谷幸喜の本も、登場人物は大抵、真面目である。あくまでも「それなりに」ではあるが賢い人が騙されるから面白いのに、アホが騙されたらそのまんまである。この手の遊び心は夾雑物だと感じる。

出演は、松澤雅弥(関西歌劇団)、稲森慈恵(いなもり・よしえ)、清原邦仁(関西歌劇団)、児玉祐子(関西二期会)、島袋羊太(関西二期会)、柴山愛(関西歌劇団)、喜多ゆり、片桐直樹(関西二期会)、菊田隼平(関西二期会)、藤原未佳子、中野嘉章(名古屋二期会)、竹内直紀(関西二期会)、田中勉(関西歌劇団)、山内雅博(関西二期会)。以前もステージで見た歌手も多い。

舞台は1299年のフィレンツェで、今回も時代設定は変わらないのだが、リヌッチョ(清原邦仁)はジーンズを穿いているし、ラウレッタ(稲森慈恵)はワンピース姿と現代的である。

日本に舞台を置き換えることも勿論、可能で、京都会館が再建され、オペラが上演されるようになったら、是非、日本様式の「ジャンニ・スキッキ」もやって貰いたいところだ。ちなみにフィレンツェ市は京都市の姉妹都市である。京都を舞台にしても良い。フィレンツェに美しい丘があるように、京都には東山がある。船岡山も、吉田山や双ヶ丘(ならびがおか。双岡、双ヶ岡という表記をすることもある)もある。鴨川もある。三条大橋から飛び降りられないのなら、それこそ清水の舞台から飛び降りると言ってみるのも一興である。
ダンテの代わりに恵心僧都源信がいる。「神曲」の代わりに「往生要集」で地獄と極楽を描いている。
人間性も…、あ、これはなかったことにして下さい。

歌手陣の歌唱力は高い。一番の名アリアである「ねえ、私のお父さん(この公演では「愛するお父様」)」を歌ったラウレッタ役の稲森慈恵の歌も絶賛するほどではないが、良かった。演技力は総じて型にはまった感じで、もう一つだが、オペラでシチュエーションコメディというものはほとんどないので(オペラ・ブッファはシチュエーションコメディの一種ともとらえられるが、笑いが現代に通じるものではないのがほとんどである)、慣れていないということもあるだろう。

井村の指揮する大阪交響楽団も軽快な音楽を奏でていた。

終演後に、岩田先生とお話させて頂き、勉強になった。解釈などでは相違点も見られたが、それは当然のことである。岩田先生は私の師の一人といっても過言ではない方だが、同時にライバルでもあるのだから。
それに、何の違和感も感じないのだとしたら、こちらが頭を使って舞台を観ていなかったということになる。

ともあれ、河内長野まで観に来た甲斐のある上演であった。

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