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2014年5月29日 (木)

コンサートの記(140) チョン・ミョンフン指揮フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2013大阪

2013年10月1日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、チョン・ミョンフン指揮フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団の来日公演を聴く。

チョン・ミョンフン(鄭明勲)は、1953年、韓国・ソウル生まれ、アメリカ国籍の指揮者。ピアニストとしても活動している。長姉は天才ヴァイオリニストとして有名なチョン・キョンファ(鄭京和)、次姉はそれほど有名ではないが、チェリストのチョン・ミュンファ(鄭明和)である。チョン三姉弟といわれることもあるが、実際は姉弟はもっと沢山おり、チョン・ミョンフンによると、ミョンフンのすぐ上の兄が最も才能のある人物だったそうだが、「勉強が嫌いだったため」音楽方面には進まなかったという。

私がクラシックを聴き始めた時期は、丁度、チョン・ミョンフン(当時は、チョン・ミュンフンという表記だった)が世界的な指揮活動を始める時期と一致しているため、その活躍をリアルタイムを追うことの出来ている指揮者の一人である。
まず、ピアニストとして活動を始め、1974年のチャイコフスキー国際コンクール・ピアノ部門で2位に入る。その後、DECCAレーベルにピアニストとしてチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を録音してデビューしている。この時に伴奏を務めていたのはシャルル・デュトワ指揮のロサンゼルス・フィルハーモニックであるが、その後にシャルル・デュトワとミュンフンの姉であるチョン・キョンファとは恋仲になり、結局は別れたので、デュトワとミュンフンが犬猿の仲だと囁かれたこともある。二人の仲が実際どうなのかはわからないが、日本でまずNHK交響楽団を指揮したチョン・ミョンフンは、デュトワはN響の常任指揮者になってからは客演の機会が減ってはいる(全く客演しなかったわけではない)。そして2001年には東京フィルハーモニー交響楽団のスペシャル・ミュージック・アドバイザーに就任。東京フィルハーモニー交響楽団とは放送用ライヴ音源による「ベートーヴェン交響曲全集」を作成した。13歳の時に渡米し、以後、ずっとアメリカで教育を受けていて、韓国語より英語の方が得意だというミョンフンであるが、2006年から祖国のソウル・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督も務めている。フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団には2000年に音楽監督に就任。以後、現在まで音楽監督の地位にあるが、ミュンフンは契約を更新しないことを決めており、次期音楽監督はすでに決定済み。2015年9月からは、フィンランドの若手であるミッコ・フランクが音楽監督の座に就く。

チョン・ミョンフンが最初に注目を浴びたのもパリであった。パリ・オペラ座のオペラ部門がバスティーユに移るとき(従来のパリ・オペラ座の建物はガルニエ宮としてバレエ公演を中心とする劇場に変わった)、音楽監督に内定していたダニエル・バレンボイムが突如として解任された。私がクラシックを本格的に聴き始めた1989年の出来事である。政治的な理由であったが、表向きは、「バレンボイムが虫の良いスケジュールと高額な年俸を要求したため」とされた。そのため、当時、バレンボイムが所属していたコロンビア・アーティスツ・マネージメント・インクの有名指揮者達が、バスティーユ・オペラ座に一切協力しない旨の書類を連名で送り、オペラ座は指揮者を探すのに困り、やっと見つけたのが当時まだ無名であったチョン・ミョンフンであった。チョンは、「名前は一流だが実力は二流」と言われ続けたパリ・オペラ座管弦楽団(パリ・バスティーユ管弦楽団)のレベルを瞬く間に引き上げ、大手レーベルであるドイツ・グラモフォンとも契約を結び、順風満帆であるかに思われたが、またしてもオペラ座は政争の舞台となり、チョンはある日突然に解雇されてしまう。2004年のことである。解雇理由はまたしても「虫の良いスケジュールと高額な年俸の要求」であったが、指揮者としてはまだ駆け出しで、謙虚な人柄であるチョン・ミョンフンがそんなことをするわけがないことは誰の目にも明らかであった。チョンがいつのもように車でバスティーユ・オペラ座に乗り付け。オペラ座の入り口を入ろうとした時に問答無用で追い返されたそうで、チョンはその時のことを「汚い言葉なのを承知で言いますが、私はその時、糞のような扱いを受けたのです」と後に述べている。
オペラ座側の言い分に納得しなかったチョンは裁判に訴える。鶴首した理由に同じものを二回続けて使ってしまうような頭の働きの鈍いオペラ座幹部が裁判に勝てるはずもなく、法廷では裁判官がオペラ座の幹部を「一体、どうなっているんだ?!」と一喝する場面もあったという。オペラ座は敗訴し、再び優れた指揮者に手の出ない時代になってしまう。近年になってようやく有能な若手指揮者であるフィリップ・ジョルダン(名指揮者、故アルミン・ジョルダンの息子である)を音楽監督に招くことに成功している。

チョンに話を戻すと、1997年にローマ・サンタチェチーリア音楽院管弦楽団の首席指揮者に就任、2005年まで務めている。2001年から2010年まで東京フィルハーモニー交響楽団のスペシャル・ミュージック・アドバイザー、現在は同オーケストラの桂冠名誉指揮者である。1997年には東京国際フォーラムを本拠地とするアジア・フィルハーモニー管弦楽団を結成。アジア各国からの演奏家を集めたオーケストラであったが、日中関係、日韓関係ともに冷え切った昨今は活動を休止している。2000年にフランス国立フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任して、2015年8月まで継続する予定。そして2006年からはソウル・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督である。

フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団は、元はフランス国立放送の第二オーケストラ(第一オーケストラはフランス国立放送管弦楽団、現在のフランス国立管弦楽団である)として発足したが、1984年にマレク・ヤノフスキが音楽監督に就任するや、練習嫌いで知られたフランス人音楽家の意識改革にいち早く着手。徹底した訓練で、オーケストラのレベルを瞬く間にグラードアップすることに成功し、「力があるから」と練習をサボりがちだった、パリ管弦楽団や、本来は上のオーケストラであるはずのフランス国立管弦楽団を抜き去るほどの名声を獲得する。これに慌てたパリのオーケストラは、自楽団の指揮者として期待の若手や名うてのオーケストラビルダーを起用。パリ管弦楽団は当時、期待の若手だったセミヨン・ビシュコフを音楽監督に招き、フランス国立管弦楽団は世界的オーケストラビルダーであり、フランス音楽の権威であるシャルル・デュトワを音楽監督に据えた。現在のパリ管弦楽団の音楽監督は世界トップランクに位置するパーヴォ・ヤルヴィ。フランス国立管弦楽団の音楽監督は若い頃から注目を浴びていたダニエレ・ガッティである。

「フランスには優秀なオーケストラはいくつもあるが、響きの良いコンサートホールは一つもない」と言われてきたが、パリ管弦楽団の音楽監督に就任したパーヴォ・ヤルヴィがこれを問題視して進言。現在、フランス初となるクラシック音楽専用ホール(フィルハーモニー・フランス、もしくはフランス・フィルハーモニー)が建設中である。フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団も完成後にフィルハーモニー・フランスに本拠地を移す予定である。

曲目は、ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」、ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調(ピアノ独奏:アリス=紗良・オット)、ベルリオーズの幻想交響曲。オール・フランスものである。

これまでチョン・ミョンフン指揮のコンサートに行く機会は何度かあったのだが、観劇の予定を優先させたり、病気が重くなったりで結局行けず、チョン指揮の実演に接するのは今日が初めてである。

アメリカ型の現代配置での演奏。

ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」。
徒に盛り上げずに、ナチュラルな感じで入ったが、徐々にギアを入れ、興奮度が増してくるという巧みな設計による音楽作り。フランスのオーケストラだけに音の彩りがやはり豊かである。

ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調。ソリストのアリス=紗良・オットは「美人過ぎるピアニスト」として話題になった人である。1988年生まれと、まだ大変に若いピアニストである。ピアニストのモナ=飛鳥・オットは実妹。ドイツと日本のハーフであり、生まれ育ちはドイツであるが、日本語も流暢に喋る。多くのピアノコンクールで優勝し、オーストリアのザルツブルク・モーツァルティウム音楽院(モーツァルティウム音楽大学)を卒業後、本格的なソリストとしての活動を開始。ドイツ・グラモフォン・レーベルへの録音も頻繁に行っている。私がアリス=紗良・オットの実演に接するのはおそらくこれが3回目。最初が広上淳一指揮京都市交響楽団の定期演奏会のソリストとして、2度目が名古屋の愛知芸術劇場コンサートホールでのパーヴォ・ヤルヴィ指揮フランクフルト放送交響楽団(hr交響楽団)来日公演のソリストとしてである。名古屋ではCDにサインも貰っている。

アリス=紗良・オットは紫のロングドレスで登場。これまではロングヘアであったが、今日はボブカットにしていた。裸足で弾くことの多いアリス=紗良・オットであるが、今日も裸足で登場する。

フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団は、サイズを刈り込み、室内オーケストラ編成で伴奏を務める。

アリス=紗良・オットのピアノは芯のあるしっかりとしたもので、ラヴェルを弾くにはやや音が重たい印象もあるが、第1楽章の多彩さ、第2楽章におけるリリシズム、最終楽章における快活さなどを巧みに奏でてみせる。

チョン指揮のフランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団は、音色の濃い伴奏で、室内オーケストラ編成にしたハンデを感じさせない。そもそも、室内オーケストラでもしっかりと響く音楽を築く自信があり、風通しを良くするために敢えて室内オーケストラ編成を選んだのだから、彼らとしてはハンデですらないのだろう。

アリス=紗良・オットはアンコールとして、リストの「パガニーニによる超絶技巧練習曲」より第5番「狩り」を弾く。非常に明るい音色による演奏で、彼女の音のパレットの多さを感じさせる。だが、これほど明るい音を出せるのに、ラヴェルでは重めの音を選んだのは不思議に思える。

後半、ベルリオーズの幻想交響曲。

チョンは、パリ・バスティーユ管弦楽団と、ドイツ・グラモフォンに幻想交響曲を録音しており、これは同曲の代表的名盤と認められている。機能はパリ・バスティーユ管弦楽団(パリ・オペラ座管弦楽団)より上であるフランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団との演奏であるだけに、期待も高まる。

ゆったりとしたテンポでスタート。弦楽器が妖しい音色を発する。やはり音のパレットは日本のオーケストラよりも欧米のオケの方が多彩であるようだ。

第2楽章の華やかさもまずますであるし、第3楽章の平原での寂寥感もよく出ている。コールアングレ(コーラングレ)の呼びかけに応えるオーボエはステージ上でない場所で吹くのが慣例であるが、下手側の入り口が開かれていたので、オーボエ奏者が下手袖で吹いていることがわかる。役目を終えたオーボエ奏者は演奏途中に、下手側でなく、オーボエの位置に近い上手側からステージに入る。ラストの近くでもティンパニを叩く奏者が上手側からステージに入った。

第4楽章は、パワフルではあったものの、ブラスがバランスを超えて咆吼する。フランス人というと粋で繊細な「エスプリ・クルトワ」で有名で、普通「エスプリ」というとこの「エスプリ・クルトワ」を指すのであるが、同時に、豪快な「エスプリ・ゴーロワ」も持ち合わせており、演奏家が楽器を思いっ切り演奏をすることでも知られている。ブラスが暴走とまでは行かないが、勇み足のようにも聞こえる。

最終楽章は、安定感を重視した演奏で安心して聴くことが出来るが、終結に近くなると第4楽章とは異なり、今度は一転して大人しくなってしまう。演奏会というのは本当に生もの、水ものだと思う。

鐘であるが、舞台上にはなく、他の場所で演奏されていると思われるのだが、下手側も上手側も入り口は閉ざされており、そこから音が入ってきているとは思えない。それに妙にクリアで上の方から音がする。というので目を上にやると、そこにスピーカーがある。音はどうもスピーカーから発せられているように聞こえる。クラシック音楽専用ホールにもアナウンス用のスピーカーはあるが、フェスティバルホールは、ポップスやミュージカルなどにも対応しているため、本格的なスピーカーが付いている。それを生かそうとしたのか、あるいは袖で演奏するよりもスピーカーで鳴らした方がクリアな音がするという計算からか、とにかくスピーカーを用いるという独特のものであった。

アンコールは、ビゼーの歌劇「カルメン」より“前奏曲”。快速テンポによる演奏である。途中で「闘牛士の歌」のメロディーが現れるのだが、チョンとフランス国立放送フィルの旋律の歌わせ方は「これでもか」とばかりに徹底してお洒落であり、フランスのオーケストラと、長年パリで活躍してきた指揮者の美的感覚がよくわかる演奏会であった。

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