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2014年6月17日 (火)

コンサートの記(143) 下野竜也指揮 京都市交響楽団第578回定期演奏会

2014年4月25日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第578回定期演奏会を聴く。指揮は、この4月から京都市交響楽団の常任客演指揮者という変わったポストに就任した下野竜也。

曲目は、ドヴォルザークの序曲三部作「自然と人生と愛」(序曲「自然の王国で」、序曲「謝肉祭」、序曲「オセロ」)、マルティヌーのオーボエ協奏曲(オーボエ独奏:セリーヌ・モワネ)、ヤナーチェクのシンフォニエッタ。コンサートの王道演目は1曲もない。

京都コンサートホールのチケット売り場の当日券販売には長蛇の列が出来ており、制服を着た高校生など若い人が目立つ。ポピュラーな演目がないため、前売り券の売れが悪いのである。

開演20分前から、下野竜也によるプレトークがある。結局チケットは完売せず、京都市交響楽団が続けてきた定期演奏会チケット完売記録は今日で途絶えたそうで、下野は「チケットの完売記録が途切れたのは僕のせいです」と語る。ただ下野は、「今後も珍しい曲を取り上げたい」と抱負を語る。「『なんだ、こんな曲知れねえよ!』と言われたとしてもやります」と決意は固い。

続いて、常任客演指揮者というポスト名だが、「常任指揮者に広上淳一先生がいて、首席常任客演指揮者に高関健先生がいて、一つのオーケストラに常任という指揮者が三人もいて、私(下野)も変だなと思って、(広上淳一に)言ってみたんです」。すると広上は、「指揮台に立っていない時でも京都市交響楽団と一緒に音楽をしている気持ちでいること」が大切なので常任という言葉を使ったとのことで下野は感心してしまったという。

ドヴォルザークの序曲3曲は、当初は3部作として一緒に出版される予定だったのだが、最終的には別の作品として世に出た。ただ、3部作であった名残はあり、同じ旋律が使われていたりする。

今日は、ドヴォルザークの当初の構想通り3曲で1曲という解釈で演奏される。ちなみには下野が好きなドヴォルザークのエピソードは自作のチェロ協奏曲を聴きながら、「なんて良い曲なんだ」と涙を流したという、エゴイストぎりぎりの純粋さを感じさせるものだという。

ドヴォルザークの序曲3部作。下野は京響からクッキリとした音を弾き出し、抒情的で美しく優しげな旋律を持つ「自然の王国で」の理想的な演奏を聴かせる。

プレトークで「3曲で1曲」と下野は語っていたので、「拍手はどうするのだろう?」と思っていたら、「自然の王国で」の演奏終了後、パラパラと中途半端な拍手が起こる。そこで下野は振り返って、一礼し、大きな拍手が起こった。

序曲「謝肉祭」はコンサートでも良く取り上げられる曲だが、下野と京響は立体的な音響で、情熱的な演奏を展開する。

序曲「オセロ」では、たおやかな旋律と凶暴で暗いメロディーが何度も繰り返される。デズデモーナの主題とオセロの主題という風に分けられているわけではないのだ、そういう風に取っても問題がないほど、クッキリとした対比がある。盛り上がりを見せた後、ラストは急に終わるが、これはおそらくオセロのデズデモーナ殺害を描いているだろう。

3曲を通して、京響のオーケストラとしての力と下野の表現力に感心する出来であった。下野の指揮であるが、シャープで非常にわかりやすい。下野も若い頃は厳しい顔つきで指揮していたものだが、キャリアを重ねて余裕が出たのか、今日は何度も笑顔を浮かべながらの指揮である。

マルティヌーのオーボエ協奏曲。マルティヌーもチェコの作曲家だが、プラハ音楽院は学業そっちのけのオペラに通い、退学になってしまう。その後、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の第2ヴァイオリン奏者をしていた時にフランスの作曲家であるルーセルの曲に感心し、作曲はパリで学んでいる。その後、ナチスドイツの台頭により、マルティヌーはアメリカに渡っている。戦後であるが、チェコはスロヴァキアと合併して東側になったため、祖国には帰らずスイスなどで作曲活動を行い。結局、生涯チェコに戻ることはなかった。
交響曲は比較的人気があり、レコーディングも多いが、演奏会でマルティヌー作品に接する機会はほとんどない。

交響曲でも風変わりな作風を特徴とするマルティヌーであるが、今日演奏されるオーボエ協奏曲もユニーク。ピアノが大活躍し、ほぼ、オーボエ・ソナタ+オーケストラという曲である。

オーボエ独奏は、フランスの女流、セリーヌ・モワネ。実は京都市交響楽団のフランス人オーボエ奏者であるフロラン・シャレールとパリ音楽院の同級生だったという。マルティヌーのオーボエ協奏曲のオーケストラ伴奏はオーボエなしの編成なので、残念ながらかつての同級生の共演は叶わなかった。
モワネはパリ音楽院卒業後、クラウディオ・アバドが指導するグスタフ・マーラー・ユースオーケストラに入団。その後、ベルリン・ドイツ交響楽団、北ドイツ放送交響楽団、ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団、フランクフルト歌劇場管弦楽団、シュトゥットガルト放送交響楽団の首席客演奏者に招かれ、2006年から2008年までマンハイム国立劇場管弦楽団首席オーボエ奏者。2008年から、名門・ドレスデン国立歌劇場管弦楽団(ザクセン州立歌劇場管弦楽団、シュターツカペレ・ドレスデン)の首席奏者を務めている。

指揮者の真っ正面に蓋を取り払ったグランドピアノ(ピアノ演奏:佐竹裕介)が来るという変わった配置での演奏。

パリで作曲を学んだというだけあって、ルーセルやフランス六人組の作風を連想させる洗練された曲である。

モワネのオーボエはフランスの奏者らしく色彩が濃く、歌い回しも洒落ている。

チェコ出身の作曲家の作品でありながら、エスプリ・クルトワに富んだ秀作。室内オーケストラ編成で挑んだ京響と下野の伴奏も鮮やかな出来であった。

モワネはアンコールとして、J・S・バッハの無伴奏フルート・パルティータを演奏。バッハの作品だけに気高さの感じられる曲と演奏であった。

ヤナーチェクのシンフォニエッタ。村上春樹の小説「1Q84」に出てきたことで飛躍的に知名度を上げた作品である。ただ、だからといって演奏会で取り上げられる回数が増えたわけではない。実は編成が特殊で取り上げたくてもなかなか出来ないという事情がある。トランペット9本、テノール・チューバ2本、バス・トランペット2本という編成で、これだけの金管奏者を集めるのは容易ではない。今日はトランペットに客演8名、バストランペットに同1名、テノール・チューバは二人とも客演である。
シンフォニエッタとは小交響曲という意味なのだが、編成はフル編成以上、5楽章からなる曲の長さも短くはない。ちなみに一大金管群であるが、ほとんどの奏者は第1楽章と最終楽章にしか登場しない。
なお、オーボエ首席の高山郁子、フルート首席の清水信貴、クラリネット首席の小谷口直子は今日はこの曲だけの演奏であった。

下野は冒頭からスケール雄大な演奏を展開。オーケストラ捌きも巧みである。弦にも管にも血が通っており、かといって泥臭くもない。

「ゴージャス」という言葉が一番ピッタリくる名演奏であった。聴いている間、非常に贅沢な時間を過ごさせて貰った。

カーテンコールで登場した下野は最後に、「京響をこれからもよろしくお願いします!」と挨拶し、コンサートは幕となった。

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