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2014年7月 4日 (金)

観劇感想精選(126) 劇団新派「東京物語」

2013年7月21日 京都四條南座にて観劇

午前11時から、四條南座で、新派公演(劇団新派公演)「東京物語」を観る。小津安二郎の名作映画を、現代日本を代表する映画監督である山田洋次が、脚色、台本、演出を手掛けて舞台化したもの。

小津安二郎の「東京物語」は尾道と東京が舞台だが、今回の芝居は東京のみが舞台となっている。

脚本は、山田洋次一人の手によるものではなく、松岡亮との共作である。出演は、水谷八重子、安井昌二、田口守、佐堂克実、八田昌治、石原舞子、井上恭太、瀬戸摩純、児玉真二、鈴木邦男、矢野淳子、柳田豊、英太郎、波乃久里子ほか。二代目・水谷八重子(私達の世代からすると、旧名の水谷良重の方がピンとくる)と波乃久里子だけが有名俳優である。

新派と銘打っているが、新派とは何か、新派とは何に対して新しいのかというと、歌舞伎よりも新しいという意味である。新派は歌舞伎を旧派と呼び、自分達の演劇を新派と呼んだのである。新派俳優の有名人に、川上音二郎と妻の川上貞奴がいる。歌舞伎は義太夫節の影響で、セリフに独特の節回しがつくことが多く(一番有名なのは「白浪五人男」こと「青砥稿紙花紅錦絵(あおとぞうしはなのにしきえ)」の弁天小僧菊之助の長ゼリフ「知らざあ言って聞かせやしょう」で始まるものである)、新派も同様にセリフに節をつけていた。「それでは駄目だ」と思った人々、例えば小山内薫や土方与志らが築地小劇場を設立して始めたのが、今も続く新劇というものである。
ただ、今日の公演で、セリフに節回しをつけていたのは水谷八重子だけで、他の俳優は新劇スタイルによる演技であった。

今日は3階席、通称「大向こう」での観劇。小津安二郎というと「ローアングル」で有名だが、今日は真逆のハイアングルから「東京物語」を観ることになる。

昭和28年、東京都葛飾区にある平山医院の居間が舞台である。開業医・平山幸一(田口守)の妻である文子(石原舞子)が居間の掃除をしている。幸一の両親である周吉(安井昌二)と、とみ(水谷八重子)が尾道から上京してくるのだ。舅と姑が来訪するというので文子は掃除をしているのである。幸一には弟の昌二がいたが、戦争で亡くなっており、昌二の妻であった紀子(瀬戸摩純)は今は未亡人となっている。その紀子も周吉と、とみに会いにやって来る。近所で美容院を営む長女の志げ(波乃久里子)に連れられて周吉と、とみがやって来る。医院を休診にして出迎える幸一と文子の夫妻。親族による団欒の場、周吉は、ある美人について語り、「だが、紀子さんほど美人じゃない」と紀子を褒める。紀子は照れて、持っていた団扇で顔を隠すが、幸一は「お世辞じゃない」と紀子に言う。この辺が、関東っぽい。京都はちょっと違うが、大阪だと同じ場面で、「お世辞じゃない」ではなく、「本気にしてるで、おいおい」と突っ込みになるはずである。

「東京は人が多く、土地がないので仕方ないのかも知れないが埃っぽくて家が狭い」と愚痴る周吉(このセリフには谷崎潤一郎の『細雪』の鶴子、幸子、雪子、妙子の四姉妹の東京観に重なるものがある)。更に幸一が開業医になったことにも不満があるようだ(開業医というと今では憧れの職業の一つであるが、黒澤明の映画などを観てもわかるように、昔はそれほどステータスの高い仕事ではなかった)。

翌日、昨日に引き続き、平山医院は休診。幸一と共に東京見物に出ようとする周吉と、とみ夫妻だが、近所の河村さんが平山医院を訪れ、子供の病気が改善しないので、幸一に往診に来てくれるように頼む。幸一がいないのでは観光も出来ないと外出は取りやめになる。

数日後、周吉と、とみは、紀子に連れられてSKD(松竹歌劇団)の公演を観に出かける(映画「東京物語」では、SKDの公演ではなく、二重橋を観に出かけるのであるが、南座は松竹の劇場なので、SKDに変更したのである)。帰宅後、周吉と紀子は昌二の思い出話に浸る。

翌日、幸一に呼ばれて、志げが平山医院にやって来る。医師会の仲間が平山家に泊まりに来るので、代わりに両親を志げの家に泊めてくれないかという話であった。志げは「それよりも熱海に旅行させてあげてはどうか」と提案。幸一もその提案を受けいれる。熱海に行った周吉と、とみであるが、泊まった宿の部屋がトイレの前で、しょっちゅう音がして眠れなかったということで、予定を繰り上げてすぐに平山家に帰ってきてしまう。泊まるところがないというので、周吉は今は東京に住む旧友と朝まで居酒屋で飲み明かすことにし、とみは紀子の家に泊まることに決める。
だが、酔いつぶれた周吉は旧友の沼田(柳田豊)と服部(佐堂克実)と共に警官に送り届けられる格好で平山家に戻ってきてしまう。文子は酔っ払い三人の姿を見て呆れるが、周吉達が行った飲み屋の女将・加代(英太郎。女形での出演である)まで来ていたので驚く。飲み代を払っていないのだという。支払いは文子がし、加代に帰って貰う。周吉夫妻は家の二階にある部屋で寝ていたのだが、今日は医師会の仲間が泊まっているので、周吉曰く「宿無し」の状態。仕方がないので、居間で三人で雑魚寝する(一番偉いはずの人が居場所をなくすというシチュエーションは、ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画「家族の肖像」を彷彿とさせる)。

一方、とみの方は、紀子の家で手厚いもてなしを受けたそうで、「東京に来て本当に良かった」というほどであった。

ただ東京の居心地の悪さは二人とも感じていたようで、周吉は「尾道に帰りたい」と言い、とみも「あなた、もう、尾道へ帰りましょう」と言いあうが、その直後に、とみは倒れてしまう。

幸一がすぐに駆けつけるが、自分の手には負えない状態であると判断。知り合いの名医に連絡を取る一方で、平山医院を臨時休診にし、患者にも帰って貰って応急処置を施す。

だが、治療の甲斐もなく、とみは東京で客死してしまうのであった。

淡々とした描写を積み重ねることで、取り立ててドラマティックというわけではないのに、観た後に充実感を得られるというのが特徴の小津映画。その小津映画の特徴を山田洋次は上手く舞台化していたように思う。淡々と描写を積み重ねる作風を持つ日本人映画監督というと、現役だと是枝裕和監督が代表格。また周防正行監督(私と同じスワローズファン。スワローズは弱いので判官贔屓で応援しているという理由も一緒である)は小津映画の大ファンで、デビュー作はピンク映画であったが、小津へのオマージュを捧げたという異色作である。

映画「東京物語」というと、尾道での、二人が窓をバックに座っているという冒頭の構図がラストでも繰り返されるのだが、冒頭では画面にいた、ふみがラストにはいないということで、不在の哀しみを生むという秀逸な描写が印象的。ただ、この舞台では尾道は舞台にはなっていないので出来ない。代わりに、幸一が、ふみの形見の腕時計を紀子に渡し、最後の場面で、一人舞台に残った紀子が形見の腕時計をはめて見つめるということで、不在の哀しみを表すという処理がなされていた。効果的であったように思う。

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