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2014年7月24日 (木)

観劇感想精選(127) 世謡の春「忠度」

2014年7月10日 京都芸術センター大広間にて観劇

京都芸術センターで世謡(せいよう)の春第2回「忠度」の解説付き謡を行うというので、観に行くことにする。忠度といえば、平薩摩守忠度のことで、「ただのり」と読むことから「ただのり=只乗り=無賃乗車」と来て「薩摩守」という隠語の語源となった人物である。解説を務めた田茂井廣道によると、「薩摩守」は室町時代にはすでに使われていたことが確認されている駄洒落であるそうだ。「忠度」という演目なので、勿論、薩摩守のことは知っている人が観に来ているのだと思っていたが、田茂井の解説を聞いて、「あー、そうなの」という声が上がったので、意外に知られていないのかも知れない。

今は電車に乗るにもSuicaやICOCA、PASMOなど電子パスを使う人も多いので、「薩摩守」という言葉自体が死語になっている可能性もある。

というわけで、午後7時から京都芸術センター大広間で、世謡の春第2回「忠度」を観る。世謡というのは造語だそうだ。京都芸術センター大広間には二階の講堂から入る(大広間に直接上がるルートもあるが一般人は立ち入り禁止になっている)。講堂では、「忠度」に関するビデオ上映が行われていた。音声なし、字幕での上映である。

田茂井廣道(観世流)による「忠度」の解説の後で、素謡(謠のみ)による能「忠度」が上演される。出演:深野貴彦(地謠)、田茂井廣道(地謠)、片山伸吾(地謠、シテ)、橋本光史(地謠、ワキ)、橋本忠樹(地謠、ワキツレ)。全員観世流である。橋本光史と橋本忠樹は従兄弟だという。

「忠度」は元々は「薩摩守」という題名で、世阿弥の真作であることが確実視されている作品である。能の大成者は、観阿弥、世阿弥の観世親子であるが、その後、世阿弥の弟の系統が台頭し、世阿弥は息子の観世雅清と共に足利氏から弾圧を受けて血統は絶えてしまったため、今の観世家は観阿弥の子孫ではあっても世阿弥の子孫ではない。ということで、世阿弥の名前だけ借りた贋作がはびこることになったのである。子孫がいないので訴えられることもないためだ。

「忠度」こと「薩摩守」は世阿弥自身が自画自賛しているそうで、真作であると共に自信作であることが窺える。

薩摩守忠度というと、例の無賃乗車の隠語の由来と、平清盛の息子で一ノ谷の戦いで戦死したということが知られる程度で、他の平氏の武将に比べると武勇伝などは残っていないが、和歌の才を発揮した人だそうで、師は藤原俊成(ふじわらのとしなり/しゅんぜい。能「忠度」では「としなり」と読まれる)。そのため、藤原俊成と息子の定家(さだいえ/ていか。俊成とは対照的に能「忠度」では「ていか」と有職読みされている)の名前も出てくる。

関西が舞台であるため、関西に住む人にとっては馴染みのある地名が出てくる。城南宮(現在は神社として残る城南宮ではなく、鳥羽離宮のこと。能「忠度」では、「じょうなん」ではなく「せいなん」と読まれる)、山崎(京都府乙訓郡大山崎町。羽柴秀吉と明智光秀の戦である山崎の戦いの舞台として全国的に知られている場所である)、芥川(大阪府高槻市付近。芸人やスポーツ選手が輩出した大阪府立芥川高校が知られる)、猪名(兵庫県。猪名川という川がある)、有馬山(兵庫県神戸市。有馬温泉で有名)、難波(作中では「なんば」ではなく「なにわ」と読む。四天王寺のことだという)、鳴尾(兵庫県西宮市。阪神タイガーズの二軍の本拠地である鳴尾浜球場で有名)、そして主舞台となる須磨(兵庫県神戸市)である。関東人である私が仮に関東在住のままだったとしたら、地名を読んでもピンとこなかったであろう。全国的に知られているのは山崎、有馬、須磨ぐらいだと思われる。

あらすじであるが、この世を憂いて出家した京の僧侶が、まだ西国に行ったことがないので、西国行脚の度に出る。須磨まで来たときに、一人の老人と出会う。僧が「あなたは木こりですか?」と聞くと、老人は「いや、海士(あま。海女、漁師、塩職人など、海関係の仕事の総称だという)だ」と答える。僧が「山に近いところにいるのになぜ海士なのですか」と不審がると、僧は「塩を作るのに薪がいるだろう」と述べ、その後、老人が塩職人であることが問答によってわかる。
僧が今晩の宿を請うと、老人は「この桜の木陰を宿とするのが一番」という意味のよくわからないことを言う。そして老人は「『行き暮れて木の下蔭を宿とせば花や今宵の主ならまし』と詠んだ人がこの木の苔の下に眠っている。私のような海士でもそれを知って弔っているのに、僧侶のあなたがそれをご存じないとは」と呆れる。僧は「行き暮れて木の下蔭を宿とせば花や今宵の主ならまし」という歌と読み手を知っていた。平薩摩守忠度である。僧は藤原俊成の身内であったため、この歌は俊成の和歌の弟子であった平忠度のものであるとわかったのだ。藤原俊成は勅撰和歌集である『千載和歌集』を編み、忠度のこの和歌も入れたのだが、当時、平氏は賊軍であったため、平忠度と名前を入れることは出来ず、「読み人知らず」とするしかなかった。

老人は、桜の木が一ノ谷の戦いで戦死した忠度の墓標として植えられたものであることを告げ、僧が弔いに来たことに喜びの表情を見せると、どこへともなく消えてしまう。どうやら老人の正体は仙人で、僧は無意識の内にここに呼び寄せられたらしい。僧は、「(俊成はもう亡くなったので伝えられないが)定家にこのことを告げるため、都に帰ろう」と決意する。そして眠りに落ちる。

僧の夢の中に、忠度の霊が現れる。忠度は、「ただでさえ、この世への未練(妄執という言葉で表現される)は多いのだが、その第一は『千載和歌集』に自分の歌が取り上げられたのに、賊軍故に読み人知らずとされてしまったこと。俊成はもう亡くなったのでどうしようもないが、息子である定家には自分の名を書くよう告げて欲しい」と僧に頼む。そして自身の最後(岡部六弥太忠澄の郎党に討たれた)を告げ、岡部六弥太が討ち取った武者の箙(えびら。弓入れ)に短冊が付けられており、そこに「行き暮れて木の下蔭を宿とせば花や今宵の主ならまし 忠度」と書かれていたため、相手が平忠度とわかったという話をする。

俊成が知っていた歌と、忠度が語った歌が一致するため、夢に現れたのが忠度だと僧に納得させて、忠度が消えることで能「忠度」は終わる。

能形式で上演するときは、更に僧侶が須磨の住人から話を聞く段が加わるのだが、素謠の時は、この場面は省かれるのだという。

能の発声は慣れないと良く聞き取れないのだが、今日は「忠度」詞章の全文が無料パンフレットに書かれていたので分かり易かった。

「忠度」の上演に続いて、仕舞が行われる。田茂井廣道の解説があり、仕舞についてと、今日は観世流だけではなく金剛流の能楽師も参加することを紹介する。仕舞というのは部分上演であり、今日は、「敦盛」、「八島(観世流では「屋島」と書くそうだ。金剛流での上演)」、「井筒」、「玉之段」、「忠度」が上演される。「八島」と「玉之段」は金剛流での上演であり、宇高竜成と豊島晃嗣(てしま・こうじ)の二人の金剛流能楽師が舞と地謠を行う。

観世流と金剛流では、刀に見立てた扇の使い方が違うそうで、特に「八島」では開いた扇を左手でかざしたまま腰に差したもう一本の扇子を取り出してそれを刀に見立てるため、観世流からは「二刀流」などと言われるそうである。

「敦盛」は、平敦盛と熊谷直実の能である。織田信長が好んだ「人間五十年」の下りは能「敦盛」ではなく幸若舞「敦盛」の一説であるため、出てくることはない。

「八島」は源平三大合戦の一つである屋島の戦いを描いたものである。源義経とライバルである平能登守教経が壇ノ浦で戦ったという思い出から入り、屋島の戦いの様子が描かれる。屋島の戦いというと、戦自体よりも那須与一の弓の話が有名であるが、那須与一は出てこない。

「井筒」は、在原業平とその妻である紀有常の女が主人公。「筒井筒井筒にかけしまろが丈過ぎにけらしな妹(いも)見ざるまに」という有名な歌が「筒井筒井筒にかけしまろが丈生いにけらしな妹見ざるまに」と形を変えて登場する。舞台は廃寺にある筒井筒。筒井筒は現在の奈良県天理市にあったとされ、在原神社の境内に現存している。「井筒」では夜の筒井筒が出てくるのだが、私もたまたま夜の在原神社に行ったことがあり、暗闇の中の筒井筒を実際に見たことがある。

「玉之段」は、奪われて今は竜宮にある玉を海女が取り返しに行くという話。舞台は瀬戸内海の海中である。海女と竜宮の守護神のバトル、そして海女の夫と子への思いが綴られる。

「忠度」は先程、素謠で上演されたものの仕舞での表現である。
能というのは全ての作品においてなのかどうかはわからないが、基本的に幽霊が出てくる筋立てになっており、今日演じられた全ての演目の主人公は霊として現れている。

「敦盛」を舞うのは深野貴彦(観世流)、以下「八島」は宇高竜成(金剛流)、「井筒」は片山伸吾(観世流)、「玉之段」は豊島晃嗣(金剛流)、「忠度」は橋本光史が舞を務める。能の舞からは、やはり他の芸能にはない独特の迫力が感じられる。動きに無駄がなく、メリハリが付いていることが、迫力を生むのであろう。

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