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2014年8月16日 (土)

観劇感想精選(130) 「春秋座 能と狂言」2014

2014年2月2日 京都芸術劇場春秋座にて観劇

午後2時30分から、京都芸術劇場春秋座で、「春秋座 能と狂言」という公演を観る。春秋座では毎年、能と狂言の公演を行っているが、今回は能が「船弁慶」、狂言が「棒縛」という、芝居好きなら100%知っていると断言しても過言ではない有名作二本立てである上に、「船弁慶」には観世銕之丞にアイとして狂言方の野村万作、「棒縛」には野村萬斎が出演するとあって、芝居好き伝統芸能好きには垂涎の的ともいうべき演目である。当然ながらチケットは完売御礼であった。

まず京都造形芸術大学舞台芸術研究センター所長の渡邊守章と、東京大学大学院教授で能楽研究家の松岡心平によるプレトークがある。内容自体は興味深いのだが、二人とも学者で演じ手ではないので、滑舌が良くなくて何を言っているのか聴き取りにくかったり、「その種明かしはしないで欲しかった」ということまで話してしまったりする。
プレトーク自体は意義があると思うが、まっさらな状態で演目を観たいという人もいると思うので、開場前に、春秋座内ではなくギャリル・オーブ(美術展示などにも使われる巨大空間)を使って聞きたい人だけが聞くというスタイルにした方がベターだと思える。

まずは狂言「棒縛」の上演。シテ・太郎冠者・野村萬斎、アド・主・高野和憲、小アド・次郎冠者・石田幸雄。
主が山一つ隔てたあなたへ行くことになったのだが、留守の間に家来が酒を盗み飲みしていることに気付いた主は酒を飲まれないよう、太郎冠者を棒縛りに、次郎冠者を後ろ手に縛って出かける。
太郎冠者は棒術を習っているため、カタを見せよと命じ、太郎冠者が背後からの攻撃に備えて両手を大きく拡げて棒を横に担ぐようにした時に主と次郎冠者は太郎冠者の両手首を結わえてしまう。その後、主は次郎冠者を縛って出かける。

しかし、太郎冠者は賢い。結局、酒蔵の扉を開け、次郎冠者と協力して酒を盗む飲むことに成功する。帰宅した主は酔って歌い踊っている二人を見てカンカン。太郎冠者は盆に映った主の姿を幻影と勘違いして怯え、次郎冠者も驚く。盆に移ったのが幻影ではなく主本人だと気付いて、次郎冠者と太郎冠者が逃げていくところで話は終わる。

狂言は何度も観ているが、やはり能楽堂サイズで観るのが一番しっくりくる。狂言はセットがないので、演者の説明とセリフと見る側の想像力で成り立つのであるが、想像力を適度に働かせるには、やはり能楽堂サイズの箱の方が、臨場感も相まってしっくりくる。今日は春秋座の2階席だったので、狂言を存分に味わうにはややライブ感が不足していた。

野村萬斎は、声も深々としており、棒縛りになったまま舞う角張った踊りにも滑稽味があってとても良い。

 

能「船弁慶」。タイトルは聞いたことのある人も多いと思う。治承・治永の乱の後、兄・源頼朝から絶縁されて、鎮西(九州)へ落ち延びようと、尼崎の大物の浦から船出した源義経一行が、突如現れた平家の亡霊達が巻き起こす嵐によって阻まれ、遭難するという「大物の浦」を描いた作品である。

義経を演じるのは子方(字の通り子供が演じる)の片山清愛、前シテ・静御前と後シテ平知盛ノ怨霊を九世観世銕之丞、ワキ・武蔵坊弁慶に宝生欣哉、ワキツレ・義経ノ従者に大日方寛と宝生朝哉。アイには普段は狂言方である野村万作。太鼓・亀井広忠、前川光範、小鼓:大倉源次郎、笛:藤田六郎兵衛。地唄は全員の名前を書くとかなり時間が掛かるで全8名とのみ記す。

無料パンフレットにセリフが載っており、わかりやすい(謡うので何と言っているのかを聴き取るのが難しいのである)。

能は私は余り好きではないが、「船弁慶」はわかりやすい。能楽堂で能の舞などを観ていると、演者の気がこちらに「ビュン!」と激しく飛んでくるのがわかるのだが、春秋座のような大きな箱だと、平知盛ノ亡霊の舞の時にある程度、殺気に似た気が飛んでくるのを感じられる程度で、やはり能も能楽堂で観た方が迫力も魅力も断然上という気はする。ただ、能楽堂だと客席数も少ないし、それでは能方も狂言方の収入も少なくなってしまうので、ある程度大きな会場でやらなければいけないこともある。魅力も収入もと両方追うのは難しいのである。

今回は、花道を使っての演出であったのだが、ちょっとしたハプニングがあった。前シテとして静御前を演じていた観世銕之丞が、義経一行から離れようとするも未練から振り返り、座り込むというシーンで、銕之丞が花道の上手端の、ライトがあるので一段低くなった場所に誤って足を踏み入れてしまって転倒し、あわや花道から転落かという場面があって客席からも声が上がった。幸い、転落は免れ、公演は滞りなく終わったのであるが、シテで能面をつけての演技であったため、どうしても視野が狭くなり、事故が起こる可能性が高いということがわかった。市川染五郎の転落事故からも分かるとおり、舞台上というのは危険な場所なのである。

能の橋掛かりには必ず欄干があるが、これは能面をつけているため足元が良く見えず、転落の危険があるため設けられたのだと思われる。能面をつけた状態で歌舞伎の時と同じ状態の花道を歩く演出はもうよした方がいいだろう。

「船弁慶」の出来であるが、「能楽堂で観たらもっとずっと良かっただろう」とは思ったものの、銕之丞の舞の迫力もあって、なかなかの仕上がりであったと思う。

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