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2014年9月の17件の記事

2014年9月29日 (月)

音楽と数学

数学では8分の6を通分すると4分の3になりますが、音楽では8分の6を通分すると、基本的には4分の2になります。

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2014年9月28日 (日)

元田中、今出川

田中という苗字の女性が、出川さん家にお嫁に行くと、元田中で今出川になるんですよね。京都の人しかわからないかも知れないけど。

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In Memoriam for victims of NAGANO,ONTAKE Toru TAKEMITSU 「MI・YO・TA」

作曲:武満徹 作詞:谷川俊太郎

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一風堂 「すみれ September Love」

SHAZNAのカバーでも知られる「すみれ September Love」。オリジナルの一風堂バージョンです。

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2014年9月25日 (木)

ビル・エヴァンス 「ワルツ・フォー・デビー」

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2014年9月22日 (月)

笑いの林(20) よしもと祇園花月「祇園ネタ公演」2011年11月12日

2011年11月12日 よしもと祇園花月にて

午後6時から、よしもと祇園花月で、「祇園ネタ公演」を観る。出演は、天竺鼠、桜 稲垣早希、東京ダイナマイト、ロザン、テンダラー、まるむし商店、月亭八方。豪華なラインナップである。だが、例によって祇園花月の入りはそれほど良くない。

天竺鼠は、まず川原克己が変な場所で怒ったりするというネタ。その他に湯船につかると、歌が出てくるというネタで、瀬下豊が「いい湯だな」を歌うという話しをするのだが、川原は湯船につかるのではなくシャワー。その後も体を洗い始めた(リアルに演じているので時間がかかる)と思ったら、風呂掃除をはじめ、風呂の壁掃除まではじめるという始末。最後には空の湯船に入って、中島みゆきの「糸」を歌うということになる。

早希ちゃんは、紙芝居「桃太郎」。昔話「桃太郎」に「新世紀エヴァンゲリオン」のネタを混ぜてダイナミックなものに仕上げており、碇シンジのダメンズぶりが笑いの中心となる。

東京ダイナマイト。輪唱をやりたいと松田大輔が言い、相方のハチミツ次郎ががまず「静かな湖畔」を歌い出すのだが、松井大輔が途中を端折るので、松田が追いついて同時に終わったり、松田が歌詞を思いっ切り飛ばしてハチミツ次郎を抜いてしまったりする。
オレオレ詐欺ネタもやるが、電話に出た方が最初に「オレオレ」と言ってしまったり、詐欺電話に父親が出ずに別人が出たりする。

高学歴芸人・ロザン。宇治原史規が、「一気飲みをするときに、『一気』、『一気』というと犯罪になります」と語る。これは本当である。強要罪に当たる。相方の菅広文は、「でも、一気飲みをしているときに、『それなりに』、『それなりに』だと盛り上がりませんね」と返す。
続いて、自動車事故の話。人を轢くと重罪になるが、ペットを轢いても器物損壊罪にしかならないと宇治原は言う(本当である)。しかし、本来はツッコミのはずの宇治原が「ペットを轢いてもテレビを轢くのと一緒です」とボケたため、ボケの菅が「テレビを轢くってどんな状態ですか?」と逆に突っ込んだりする。
ドラえもんはどうなるのかと菅が聞くと、宇治原は、機械だからテレビを轢くのと一緒やと答える(つまり器物損壊にしかならない)。菅が「え、でも大切な友達」と菅が返すと、宇治原は「なんで、そんなに、のび太目線になっとるねん?」と突っ込む。
最後はアンパンマンはどうなるのかという話になる。顔はアンパンだから物だが、体は人間(実はアンパンマンの正体は妖精のようである)なので、轢かれる部分によって、罪が異なるというネタであった。

テンダラー。浜本広晃は例によって、早く帰ろうとする。バラエティ「田舎に泊まろう」ネタ。白川悟実が、田舎に泊まる芸人をやるのだが、村人役の浜本があっさり泊めることを許可する。それでは盛り上がらないというので、今度は、浜本が拒否するという展開に変えるが、浜本は最初は邪険にするものの、テレビだとわかると、途端にカメラを意識した演技に変えて笑わせる。犯罪ネタなどのブラックなものもある。息子を呼んで、息子(登場はしない)が白川に面白い芸を求めると、浜本は「そんなこというたらあかん! 出来んのや!」と断言してしまう。
最後は別れのシーン。涙、涙の別れのはずなのだが、浜本は笑っている。ということで、浜本は家族(これも登場はしない)に金を払って無理矢理泣かせたりする(「10万やるから泣け。あ、おばあちゃん、すぐに泣いたわ」)。最後は浜本も感動するのだが、白川が家から一歩出た途端に、玄関のドアを閉めて鍵をかけてしまって、白川に突っ込まれるというネタであった。

まるむし商店。磯部公彦は、とにかく、しりとりで、頭文字と最後の文字が同じになる言葉を考えつくのが得意である。今日は「す」であったが、「す」で始まって「す」で終わる言葉を瞬時に思いつく。凄い。

トリは月亭八方師匠。京都は海外では有名だといい(本当である)、東京と京都の次に大阪が来るかというと、そうではない、広島だという。次も大阪ではない、福島だという。その次も大阪ではない、赤穂だという。海外でやる歌舞伎の演目というと「仮名手本忠臣蔵」か「勧進帳」だという。だから赤穂は有名なのだそうだ。ここから赤穂浪士の討ち入りの話になるのだが、AKB48にかけて、AKO47としたということから、AKBと赤穂浪士の二重構造の話が展開される。それにしても月亭八方の年齢でAKBをネタに取り入れるというのは大したものである。時代を見るのに敏だということだ。AKO47が総選挙をやるということになる。中間発表での首位は大石内蔵助、2位は息子である大石主税(おおいし・ちから)である。赤穂は塩の名産地だということで、CDならぬ塩に投票権が付いているという設定である。大石内蔵助の妻で、主税の母である、りくが息子に勝たせたいというので、塩の買い占めが行われ、大石主税が逆転で勝利し、センターを獲得する(?)。主税は「私のことは嫌いになってもAKOのことは嫌いにならないで下さい」とコメント。
かくてAKO47は吉良邸に討ち入り。隠れていた吉良上野介を引きずり出し、「会いたかった、会いたかった、会いたかった、イエス、吉良に」と言う。そして吉良の首を取り、勝ち鬨を上げる。「エイ・ケイ・オー!」と。
実に巧みな現代落語であった。

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2014年9月20日 (土)

第2回京都幕末際 本日開催

第2回京都幕末祭が本日9月20日、午前10時から開催されます。

午後10時から京都市役所前広場にて開会式。その後、ゆるキャラショー、京都府(まゆまろ)、京都市、山口県、長崎県(ながさき龍馬くん)などのゆるキャラが登場し、午後1時から舞妓さんによる踊り、午後2時から殺陣の実演、午後3時から音楽ライブなどが執り行われます。

また、午後5時30分からZEST御池地下街・河原町広場で、「幕末歴史本音トーク」が行われます。上演時間は約1時間を予定しております。

皆様のご来場をお待ちしております。

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2014年9月19日 (金)

観劇感想精選(134) よしもとLaugh+Theater Project「HAPPY MAN ~さよなら竜馬~」

2014年9月12日 大阪・なんばの5upよしもとにて観劇

午後6時30分から、大阪・なんばの5upよしもとで、よしもとLaugh+Theater Project「HAPPY MAN ~さよなら竜馬~」を観る。マキノノゾミが1991年に書いた戯曲を吉本の若手芸人達が上演するという企画である。昨日と今日、5upよしもとで公演が行われ、昨日が「えーきゃすと(Aキャスト)」、今日が「びーきゃすと(Bキャスト)」による上演だという。演出:森健太郎(LEVEL_E)、殺陣:長谷川桂太、ダンス振付:Yoshie。

「びーきゃすと」の出演は、プリマ旦那・野村、カバと爆ノ介・爆ノ介、カバと爆の介・カバ、大西ユースケ、男性ブランコ・浦井、男性ブランコ・平井、マユリカ・中谷、kento fukaya、小西武蔵、マンゴース・山下、こずまとり・中村、西沢式部(男性)、前園健太、バンドワゴン・杉元、長谷川桂太、いがわゆり蚊、堀川絵美(こずまとり・中村から堀川絵美までの7人は「えーきゃすと」としても出演)、浮かれポンチ・かなこ、えなみれいこ、ロージーボブ・くさか、谷口愛祐美(エイベックス・グループ・ホールディングスからの客演。「えーきゃすと」では、セリフなしの千葉さな役とダンスシーンに出演)、三谷優依(エイベックス・グループ・ホールディングスからの客演。今日は、セリフなしの千葉さな役とダンスシーンに出演)。

マキノノゾミというと、現在ではウェルメイドな本を書く劇作家として知られているが、1991年に書かれた「HAPPY MAN ~さよなら竜馬~」は、つかこうへいからの影響が色濃く感じられ、特に「幕末純情伝」や「新・幕末純情伝」とは重なる部分が多い。マキノノゾミは同志社の学生時代は、つかこうへいの劇を専ら上演しており、彼が主宰していた劇団M.O.P.も元々はつかこうへいの戯曲を上演するために結成された劇団であった。

坂本龍馬は現在では「坂本龍馬」と表記されるが、戦後の一時期、「龍」という字が画数が多いという理由で常用漢字から外れていたことがあり、その間は「龍馬」は「竜馬」と略字で記されていた。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』はその時代に書かれたものである。

維新後、大坂の「坂」は、「土に反る」と書くので縁起が悪いとして、大阪という漢字に変えられたのだが、それに倣って「坂」を「阪」と改めることが流行った。そのため、当時に作られた坂本龍馬関連の石碑には「阪本龍馬」と刻まれているものもある。ただ、「坂」を「阪」に変えるというのは一時的な流行だったようで、現在では坂本龍馬を阪本龍馬と書く人はまずいない。三重県の松阪市は、蒲生氏郷が、大坂から坂の字を貰い、それに縁起の良い松の字を付けて松坂と名付けたものであり、大坂が大阪へと変わったので、それに倣って松阪に表記を改め、今もそのままである。

マキノノゾミの本であるが、初演時とは違う史実が明らかになったところが幾つもあり、そこはより史実に近いよう変更されている。

文久二年三月の竜馬脱藩のシーンで劇は始まる。坂本竜馬(プリマ旦那・野村)は、中岡慎太郎(大西ユースケ)、武市半平太、岡田以蔵らを高知の桂浜に呼び、アメリカではプレジデント(大統領)に頭を下げることもなく、跪くこともなく、普通に挨拶を交わすのだと語り、そうした平等な世界を作りたいとの夢を語る。アメリカの習慣は河田小龍(この劇では「かわだ・しょうりゅう」と読む)から聞いたことだ。しかし、竜馬の友人達は理解を示さない。中岡は上様や天皇陛下を否定する行為だと激昂し、武市からは土佐勤王党から除名処分とすると告げられる。この劇では武市半平太と岡田以蔵はちょい役である。
理解が得られなかったことで、土佐脱藩を決意する竜馬であったが、姉の乙女(えなみれいこ)から「家族を捨てるのか」となじられる。竜馬と乙女は何度も相撲を取っており、通算成績は397勝397敗の互角。乙女は竜馬に相撲を挑み、乙女が3連勝して、竜馬の397勝400敗となる。竜馬の脱藩を思いとどまらせようとする乙女であったが、竜馬の志を聞いて胸を打たれ、家宝である陸奥守吉行を竜馬に与える。かくして竜馬は脱藩、一浪士となった。

慶応二年三月の京都に舞台は飛ぶ。長州藩士・桂小五郎(維新後の木戸孝允。演じるのは小西武蔵)が伊藤俊輔(維新後の伊藤博文。演じるのはマユリカ・中谷)に、「坂本竜馬という男が気に入らない」という話をしている。桂は江戸での武者修行中に神道無念流の斎藤弥九郎の道場(練兵館)の塾頭を務めていたのだが、小千葉道場の主である千葉定吉の娘、さな(三谷優依)に懸想したのだという。ところが、さなは桂には見向きもせず、坂本竜馬が小千葉道場に入門するやいなや竜馬に夢中になってしまったそうだ。さなを奪った竜馬を桂は憎んでいた。

二人が話しているところへ、沢田研二の「勝手にしやがれ」を歌う土方歳三(マンゴーズ・山下)率いる新選組が現れ、桂、伊藤と対峙する。斬り合いになるが、土方は桂に「あなたを斬ることは決してない。なぜなら池田屋で詮議があることを密告してくれたのはあなただからだ」と告げる。桂は「京を火の海にする」という宮部鼎蔵や吉田稔麿の案に納得出来ず、敢えて新選組に池田屋に討ち入らせることで、京の街を救ったはずであった。しかし、長州は京へと出陣。禁門の変で御所に発砲したため、賊軍となり、京の街は延焼で焼け野原となり、桂の怖れていたことは現実となってしまった。

長州と薩摩は同盟の可能性を模索していたが、水と油の両藩が結びつくことなどないと土方は高をくくっていた(なお、新選組局長である近藤勇は、土方のセリフに「勝ちゃん」という渾名が出てくるだけであり、登場もしなければ「近藤勇」という名前が語られることすらない。「勝ちゃん」という渾名は近藤の二つの幼名である「勝五郎(近藤の実家は苗字を名乗ることは許されていなかったが、密かに宮川という姓を持っていた)」もしくは「勝太(嶋崎勝太)」に由来する)。

桂は薩摩の西郷隆盛(カバと爆ノ介・カバ)の動向を探らせるが、大久保一蔵(維新後の大久保利通。演じるのは男性ブランコ・平井)によると、西郷は最近流行っている「ええじゃないか」のステップに嵌まっていて政治を省みないという。その「ええじゃないか」とは、ということで、ジャニーズWESTの「ええじゃないか」が流れ、西郷が登場し、多くの芸人と共にダンスを披露する。

西郷であるが、口を開くと「飯!」であり、食欲旺盛なようである。

そこへ、中岡慎太郎が怒りながら出てくる。薩長同盟は自分の案なのに竜馬が自分が考えたことにしているのが許せないという(坂本龍馬と中岡慎太郎というと「盟友」という関係だと思われがちだが、実際に龍馬と仲良くしていたのは、近藤長次郎(饅頭屋長次郎、上杉宋次郎)、望月亀弥太、池内蔵太ら行動を共にしていた者達である。いずれも龍馬より先に亡くなっている。龍馬と中岡はそこそこ仲良しという程度の間柄である)。

だが、桂も大久保も薩長同盟は難しいと語る。

いよいよ竜馬が京の街に登場。ザ・ブルーハーツの「終わらない歌」を唄いながらの登場であったが、突然、音楽が止まり、ライトが客席通路を照らす。新選組一番隊隊長・沖田総司(読みは史実に近い「おきた・そうじ」。つかこうへいは沖田総司が当たり役だった島田順司演じる「おきた・そうし」と読むフィクション版を採用している。演じるのはkento fukaya)の登場である。女達はキャーキャー言いながら舞台を下りて、沖田の下に駆けつけ、ハグをして貰う。この劇での沖田は超ナルシスト。労咳の咳も女を落とすためのテクニックである。女は悲劇のヒーローに弱いので咳をするとコロリと落ちるという。

沖田は竜馬を斬ろうとするが、竜馬は刀を差していない。竜馬はスミスアンドウェッソン製のピストルを沖田に突きつける。一歩も動けない沖田だったが、竜馬は「フレンドになった証じゃ」と言って、ピストルを沖田に渡してしまう。「長州の高杉晋作から貰ったものじゃ」と竜馬は説明する。沖田は竜馬を撃とうとするが、竜馬は「おまんのような優しい男にはわしは撃てん」と言い残し、去って行く。沖田は天に向かって引き金を引くが弾は入っていなかった。

舞台は3年前に戻る。文久三年、佐々木唯三郎(「佐々木只三郎」と表記されることの方が多い。演じるのはカバと爆ノ介・爆ノ介)は、江戸で旗本として働いている。そんな唯三郎が、恋人の八重(谷口愛祐美)の家に賊が押し入ったと聞いて駆けつける。だが、賊が押し入ったというのは八重がついた嘘であった。八重は暇なので唯三郎を呼んだのである。八重は唯三郎にプロポーズし、唯三郎もそれを受けるが、「今度、京都に行くことになった。旗本で結成する京都見廻り組の組頭を仰せつかったのだ」と八重に告げる。遠距離恋愛となった。

京都に来た唯三郎は新選組に追われている女を助けるが、実はその女は直心影流の使い手、あやめ(堀川絵美)であった。あやめは竜馬に振られたことがあり、憎んでいるという。また、あやめの兄が唯三郎の兄(会津藩出身の手代木勝任。実は佐々木只三郎は会津の人なのである)の家臣であったという。

竜馬と出会った佐々木唯三郎は、竜馬を斬ろうとするが、竜馬が丸腰なので、斬ることは武士道に反するとして刀を収める。竜馬は懐からピストルを取り出し、たつもりが実は出てきたのは鰹節。「ああ、そうだ、ピストルは沖田君にあげてしまったのじゃった」と思い出した竜馬。唯三郎は竜馬のふざけた態度に怒り、斬りかかるが竜馬は唯三郎の刀をことごとく交わす。「俺を憎んでるものに俺は斬れん。斬れるのは俺を愛している奴だけじゃ。愛している奴は怖い」と語って竜馬は去る。

伏見の寺田屋では、女将のお登勢(いがわゆり蚊)が竜馬に惚れている。しかし竜馬が好きなのはお登勢ではなく、おりょう(浮かれポンチ・かなこ)の方であった。お登勢はおりょうに、「あなたが私より優っているところなど一つもない」と噛みつくが、おりょうは、「お登勢さん、私の方が若いです」と答えたため、「それだけは言わない約束でしょう!」と激昂する。

いがわゆり蚊は、アゴが尖っており、日頃から顔面凶器をネタにしているが、今回もアゴが突き刺さりそうというネタは用いられる。

慶応二年一月二十一日、薩摩藩家老・小松帯刀の京屋敷に薩摩の西郷と大久保、長州の桂と伊藤が集まり、薩長同盟が結ばれようとしていた。しかしどちらも頑なであり、話が纏まりそうにない。そこに現れた竜馬は、「こんまいことに気を取られすぎてる」と呆れ、薩摩は西郷が一度頭を下げたというので、桂に頭を下げるように言う。不承不承頭を下げようとした桂であるが、西郷がより深く頭を下げたため、ここに薩長同盟は締結された。「祝杯じゃ、みんなで寺田屋に飲みに行こう」と言う竜馬。なお、伊藤は桂から「俺が頭を下げているのを見られたくない」と言われたため、後ろを向いて目を閉じたままじっとしており、気がつくと置いてきぼりを食らっていた。

薩長同盟は、長く、京都の薩摩藩二本松藩邸(現在の同志社大学今出川校地)で結ばれたとされてきたが、最近の研究により、一条戻り橋の近くにあった小松帯刀の京屋敷で締結されていたことがわかり、大河ドラマ「龍馬伝」でも小松邸説が採られている。今回の劇でも舞台は小松帯刀の京屋敷に直されていた。

寺田屋で、竜馬はプロポーズをすることにしたのだが、皆はお登勢にプロポーズするのだと勘違いしている。当然ながら竜馬はおりょうにプロポーズするのである。しかし、そこへ幕府の取り方がやって来て、竜馬は逃げることになる。寺田屋を襲撃したのは伏見奉行所の役人達であるが、おりょうの回想録では「新選組」と間違った記憶がなされている。あるいは夜の出来事だったので、討ち入ったのが何者だったのかおりょうは把握していなかったのかも知れない。
無事、逃げ延び、再開した竜馬とおりょうは鹿児島にハネムーンに出掛ける。

慶応三年三月。将軍後見役であった一橋慶喜(男性ブランコ・浦井)が、鍼師に身をやつし、お忍びで竜馬のいる寺田屋にやって来る。慶喜は、自作の恋文を読み上げるが、竜馬からありきたりだと言われる。竜馬は「あなたと逢ったその日から恋の奴隷になりました。あなたの膝にからみつく子犬のように」と、なかにし礼が書いた「恋の奴隷」の歌詞そのままの恋文を提案する。
慶喜公が鍼師の姿をしているのは、実際に鍼を打っていたからである。先の将軍、徳川家茂公は病弱であったため、鍼灸を勉強したのだという。そんな慶喜が恋をした。相手は目の見えない町娘・まりな(ロージーボブ・くさか)。鍼を打てば目が見えるようになると嘘を言って鍼を打ったのだが、たまたま目が見えるつぼにヒットしてしまったようで、まりなは今では目が見えるそうである。そんなまりなを一人にはしておけないため、慶喜は将軍になることをためらっているのだった。
竜馬は、大政奉還が成功すれば、近い将来、身分のないフリーな時代がやって来ると慶喜を励ます。元将軍であっても町娘と恋が出来る自由な時代が。

そこへ、中岡慎太郎がやって来る。鍼師の格好をしているのが慶喜だと気がつかない中岡は、「大政奉還など許せぬ! 一橋慶喜を叩き切る!」と叫んで、慶喜を仰天させる。目の前にいるのが当の一橋慶喜だと気付かない中岡はそれを見て不思議そうである。

竜馬は、「薩長と徳川が今戦ったら、日本はイギリスやフランスの植民地になる」と主張する。竜馬は血の流れない革命を望んでいた。古来から革命といえば多くの血が流れたが、今回は無血革命を成し遂げてみたい。遠い未来に、「人がみな優しくて、戦いを好まず、革命を成し遂げた国があった」と言われるような革命。革命で国が滅びることもあるが、それでも血が流れないなら由としたいと竜馬は語った。

慶応三年十月十四日、徳川慶喜による大政奉還が行われ、翌十五日に認められた。徳川慶喜はそのことを竜馬に伝えに来る。竜馬は「おはようございます、プレジデント慶喜」と言い、慶喜は「おはようございます、ミスター竜馬」と返す。二人とも対等の立場での挨拶である。慶喜は新しい時代の挨拶として、「おはようございます」の頭文字「お」と結尾の文字である「す」を取って、「おす!」という言葉を提案する。

再び、西郷らによる「ええじゃないか」のダンス。今度は「マツケンええじゃないか」である。桂は「ええじゃないか」が流行っている場所が、西郷が狙っている東征ルートであることに気付く。西郷は意図的に「ええじゃないか」を流行らせて、薩摩への親しみをその地の住民に抱かせ、戦を起こして東征ルートを速やかに進撃する際の足掛かりとしているのだ。桂は西郷の意図を見抜いた。何が何でも戦をして幕府を滅ぼしたい薩摩にとって平和裏にことを収めたい竜馬は邪魔な存在であった。伊藤は「幕府はもう存在しないのに倒幕なんておかしいじゃないですか」と言うが、桂は西郷とは戦を好む男だとして、竜馬にこのことを知らせるために近江屋に向かう。

西郷と大久保は竜馬の暗殺を狙っていた(薩摩黒幕説である。実際は薩摩藩が黒幕である可能性はほぼゼロである)。あやめも大久保が金で雇った刺客であり、竜馬のことをことさら悪く言って、佐々木唯三郎が竜馬を討つよう仕向けたのである。あやめは唯三郎に言っていた。「この世には二種類の人間がいる。夢を見て良い人間といけない人間。夢を見て良いのは日本で二人か三人だけ。兄は坂本竜馬に憧れていた。竜馬のような男になりたいと。だが、兄は惨めにも斬られて死んだ。夢を見てはいけない人間が夢見た結末だった」。夢を見て良い人間である坂本竜馬は他人を不幸にすると思い込ませたのである。

運命の、慶応三年十一月十五日、京都河原町蛸薬師下がるの近江屋二階。中岡が竜馬に「用心が足らん、なんで土蔵に隠れとらん?」と聞くが、竜馬は「あんなところのいたらカビが生える」として中岡の忠告を聞き入れない。
おりょうが下関から京都に向かってくるはずだったが、風邪を引いたとのことで、下関から動いていないという。竜馬は「手紙で風邪も移してきよった」と言う。竜馬も風邪を引いていた。実は竜馬は、おりょうに今日、ウエディングドレスを贈るつもりだったのだ。

そこに、慶喜とまりながやって来る。二人は静岡(実際は静岡が都市名になるのは維新後であり、当時はまだ駿河府中、略して駿府である)で店を始めるつもりだと語るが、中岡がこっそりとウエディングドレスに着替えているのに気付き、見てはいけないものでも見てしまったかのように去って行く。

続いて、桂と伊藤がやって来て、薩摩が竜馬の命を狙っていると告げる。竜馬は本気にしない。

振り返った竜馬は、中岡がウエディングドレスを来ているのに驚くが、西洋の結婚式のやり方を中岡に教える。メンデルスゾーンの「結婚行進曲」が流れ、バージンロードを竜馬と中岡は歩く。指輪の代わりに竹輪を食いちぎったものを左手の薬指にはめる。中岡は竜馬にキスを迫るが、竜馬は「それをやると一線を越えてしまう」と拒む。しかし、どうしてもとせがむ中岡とキスをしよう……かと思っていたときに佐々木唯三郎が花束を持ってやって来る。竜馬は「今日はにぎやかじゃのう」と歓迎するが……

演出家もマキノノゾミがつかこうへいの影響を強く受けていることは当然ながら見抜いており、セリフの発し方に、つか演劇特有のがなり立てるようなものを要求していた。出演者達は芸人であり、舞台俳優ではないため、セリフが単なる力みになってしまうところもあったが、まだそれほど売れていないとはいえ、一応、NSCは勝ち抜いた面々だけに筋は良く、一定の水準はクリアしていたように思う。殺陣はきちんとやらないと危険なのだが、専門家の指導を受けて迫力あるものに仕上がっていた。

少し気になったのは若くて可愛らしい女優陣。AKB48のメンバーであってもおかしくない人達だが、逆に言うと皆がいかにもAKB風なのである。声も甘すぎて、若い男性なら良いと思うのかも知れないが、私のような初老の男が見ると作り物的表現が気になってしまう。もうちょっと凛としたところのある人もキャスティングされていれば良かったのだが、全員同じようなタイプ。これが今求められている舞台女優像なのだろうか。

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2014年9月17日 (水)

コンサートの記(153) 「大阪クラシック」2014 第61公演

2014年9月12日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、「大阪クラシック」2014の第61公演を聴く。この公演は、指揮者で「大阪クラシック」のプロデューサーである大植英次が指揮ではなく、ピアノ演奏メインで行う演奏会である。チケットは1000円と、かなり安い。

曲目は、レナード・バーンスタインの「キャンディード」組曲より(編曲・ピアノ演奏:甲斐史郎)とベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」より第1楽章、第3楽章、第4楽章(大植英次の指揮とピアノ、甲斐史郎と尾崎有飛のピアノ、ソプラノ独唱:西田真由子、アルト独唱:福島あかね、テノール独唱:松原友、バリトン独唱:大谷圭介、合唱:大阪フィルハーモニー合唱団)

大植英次は、少しクラシカルな上着で登場。実は、この上着は1820年に描かれたベートーヴェンの肖像画でベートーヴェンが着ている上着と同じものであり、特注で作らせたのだという。

大植がマイク片手にトークを行うが、大植英次という人は早口の上にちょっと異様に感じるほど滑舌の悪い人であり、想像力をフル回転させてこちら側で言葉を補わないと何を言っているのか全くわからないということになってしまう。「この音とこの音の間はおそらくこう言っているのだろう」と推測する必要がある。

最初の曲であるバーンスタインの「キャンディード」組曲であるが、ピアノ編曲と演奏を行う甲斐史郎は今年でようやく16歳という少年だという。甲斐が14歳だった2年前に甲斐と大植は出会っており、その時、大植は「キャンディード」組曲を指揮したのであるが、それを聴いた甲斐が一発で頭に入れて瞬時にピアノ編曲してしまったのだという。後日、甲斐の演奏する「キャンディード」組曲のピアノ編曲版を収めたCDが大植の下に送られてきたのだが、それを聴いた大植は「モーツァルト並みの大天才だ」と驚いたという。モーツァルトが14歳の頃にシスティーナ礼拝堂(バチカン市国)でアレグリの「ミゼレーレ」を一回聴いただけで全て覚えてしまい、譜面で再現してみせたという話からの連想であろう。
「キャンディード」というのは大変難しい曲であり、大植は楽譜があってもピアノで十分に弾きこなせないのに(大植のピアノの腕前は世界の全指揮者の中でもトップクラスである)、頭の中で再現して弾いてしまう甲斐の才能に恐れ入ったようである。その後、話を聞きつけた人から、甲斐のデビュー話が大植に持ちかけられたのだが、大植はそれらを全て断り、今日の演奏会で甲斐をデビューさせることに決めたのだという。

「キャンディード」の作曲者であるレナード・バーンスタイン(愛称:レニー)は大植英次の指揮の師であるが、1989年に「キャンディード」が上演された時にレニーが大植に赤いチーフをプレゼントしてくれたという。それは「キャンディード」が初演されたのが1956年であり、大植がそれと同じ1956年生まれだからという理由であった(大植の生年については、1957年とするものと1956年とするものがごっちゃになっている状態だったのだが、本人が1956年生まれだというので、そちらが正しいのであろう)。今回は、大植が甲斐に赤いチーフをプレゼントするのだが、大植は冗談で「演奏を間違えたらなしにする」と言って笑いを取る。大植はステージ後方の台に座って甲斐の演奏を聴く。

甲斐のピアノ演奏であるが、蓋を完全に取り払ったピアノを弾く。そのため、蓋がある状態のピアノより柔らかい音が生まれる。メカニックはかなり高度であり、曲調の描き分けもしっかりしている。やはりこれは天才クラスと思って間違いないだろう。

甲斐が演奏を終えると、大植は感極まって泣き出してしまう(レニーもこういう癖があったが、こうした感情をオープンにすることに関しては賛否両論ある)。

後半、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」より第1楽章、第3楽章、第4楽章。

大植は「耳の聞こえなくなったベートーヴェンがピアノの出す振動を頼りとしながら第九を作曲していく姿をイメージして欲しい」ということで、なんと平台を積み重ねた形の台をピアノの手前に置き、そこに大植が俯せで横になりながらピアノを弾くという。横になりながらステージ上でピアノを弾いた人は世界史上でも大植が初めてなのではないだろうか。なお、今日の3台のピアノのための第九はベートーヴェンの自筆譜によるものであり、取り寄せた自筆譜を大植は拡げてみせる。ただ、大植自身はベートーヴェンの自筆はピアノの上に置いてしまって使用はせず、全て暗譜で弾く。

ステージ後方の台の上にはグランドピアノが2台向き合う格好で置かれているが、1台を甲斐史郎が弾き、もう1台は尾崎有飛が演奏する。若手ピアニストである尾崎有飛は、ドイツ在住なのだが、この演奏会のためだけに来阪したという。

基本的に大植のピアノが一番低いパートを担当し、他の2台が高い主旋律を奏でることになるのだが、例えば第4楽章の冒頭など低い音が主旋律を奏でるときは大植のピアノがメインになる。

ピアノという楽器は寝ながら弾くことを想定して作られてはいないので、大植は弾きにくそうではあるが、自分の発案で始めたことなので、状態を高くして弾きやすくするというようなことは行わない。指揮は、大植が要所要所を左手で行う。

ちぐはぐになる場面も皆無ではなかったが、3人ともピアノの名手であるだけに、整然とした見事な演奏が展開される。独唱者と合唱団は第4楽章が始まった頃にステージ後方のP席(パイプオルガン席若しくはポディウム席の頭文字に由来するとされるがどちらなのかは不明。ただ京都コンサートホールはポディウム席という名称発売されることもあり、京都コンサートホールのP席に関してはポディウムの頭文字である)に現れ、そこで歌う。今日はP席とステージ横の席、3階席は発売されていないが、P席が発売されないのはそこに歌手達が集うからである。

合唱を十分に整える必要があるときは、大植はピアノを離れて両手で指揮をする。ラストのピアノだけの演奏、急激にアッチェレランドする場面では大植がピアノを弾きながらリードした。

これで1000円とは思えないほどの素晴らしい演奏会であった。大植はベートーヴェンの自筆譜を何度も拡げて、作曲者への敬意を示した。

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2014年9月16日 (火)

好きな短歌(35)

をのづから相あふときもわかれても ひとりはいつもひとりなりけり 一遍上人

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2014年9月15日 (月)

ペーター・コンヴィチュニー×平田オリザ×沼尻竜典 「オペラと演劇、その協働の可能性と未来への展望」

2014年8月1日 滋賀県・大津市の、びわ湖ホール小ホールにて

午後7時から、びわ湖ホール小ホールで、ペーター・コンヴィチュニー×平田オリザ×沼尻竜典の3人による公開ディスカッション「オペラと演劇、その協働の可能性と未来への展望」を拝聴する。入場無料、事前予約不要である。司会は中央大学准教授の森岡美穂。コンヴィチュニーの通訳は蔵原順子が担当する。

びわ湖ホールの大ホールや中ホールにはしょっちゅ来ているが、小ホールに入ったことはあったかな? と考えていたが、小ホールの内装を見てすぐに思い出す。幸田浩子のソプラノ・リサイタルを聴いたのがここだった。もう大分前、幸田がまだイタリアを本拠地にしていた頃である。

ペーター・コンヴィチュニーは東独出身の世界的なオペラ演出家、というよりライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスターとして知られたフランツ・コンヴィチュニーの息子と書いた方が通りが良いだろう。びわ湖ホールでのオペラ演出も何度か行っているほか、びわ湖ホールのオペラ演出・歌唱ワークショップも2009年からほぼ毎年行っており、今日もワークショップを終えてのディスカッション参加となる。

平田オリザは、いわずと知れた劇作家・演出家、こまばアゴラ劇場の支配人であるが、今度、大阪大学を離れて、東京芸術大学の特任教授に就任したという。

沼尻竜典は、びわ湖ホールの芸術監督で、ドイツのリューベック歌劇場の音楽総監督も兼任している。今年の3月までは日本センチュリー交響楽団の首席客演指揮者も務めていた。

まずはフランツ・コンヴィチュニーが、びわ湖ホールのワークショップスタッフの優秀さを讃える。ドイツにはオペラ演出家になるためのコースを持つ大学が5つほどあり、コンヴィチュニーもベルリン(当時は東ベルリン)の大学のオペラ演出家養成課程出身だそうである。5年制の大学であるが、残念ながら教育のシステムに欠陥があり(コンヴィチュニーは「現場で実力を発揮出来なかった人が教えているので」と言って笑いを取った。現場で実力を発揮した人は売れっ子演出家になっていて、教えている暇はないということである。また声楽の教師とも意見が合わず、「彼らは動きながら歌うことが歌手にとってマイナスになると今なお思い込んでいるのです。そしてマフィアのようにネットワークを張り巡らせ、スマホやメールを使ってそうした教えを広めていきます」とうんざりした口調で述べた)、卒業後の保証が全くなく、実力よりもコネがものをいう社会で、足の引っ張り合いなどもあり、「醜い」道のりだとコンヴィチュニーは語った。

平田オリザは、細川俊夫の新作オペラの演出を担当したことがあり、今度は平田オリザの書き下ろし台本によるオペラも制作が進んでいるという。平田は、日本では演出家になるための教育はほとんど行われておらず、学生劇団で生き残った人、「貧乏に強くて、根気があって、風呂に一週間入らなくても平気」という人が演出家になると語る。
平田オリザはフランスでも毎年仕事をしているが、フランスではコンセルヴァトワールの演技クラスの一番頭の良い奴が自然に演出家なったり、またフランスのエリート養成校であるグランゼコールの文系校の中では、希望進路第1位が舞台演出家であり、フランスでは舞台演出家になれなかった奴が官僚や政治家になるということで、いけ好かないエリート主義がまかり通っているけれど、それで文化の優位が保たれているところがあるそうだ。

沼尻竜典が問題にしたのは、日本の村社会的体質。例えば、東京二期会に入ると、人数が多いのでなかなかオペラの舞台に立てない。だからといって地方の二期会に入るともう東京からはお呼びが掛からないそうで、その地方でのトップにしかなれないという。思っていたよりもかなり閉鎖的な世界である。沼尻はそれを解消するため、びわ湖ホールでは色々な地方から歌手を招いたオペラ公演を行っているという。本当なら、新国立劇場が東京だけでなく、各地方の中心都市に一つずつぐらいはないとオペラ文化は日本には根付かないのだが、日本はそれとは程遠い状況にある。

司会の森岡美穂は、留学したこともあるイギリスの歌劇場を例に挙げる。英国では各地方にある5つぐらいのカンパニーが巡回公演を行っているそうで、地方都市であってもかなりの数の作品が楽しめるという。東京や大阪でもそうはいかない日本とは大違いである。

フランツ・コンヴィチュニーはオペラの演出と演劇の演出は別物だと語り、そのためディスカッションのタイトルにも「協働」という言葉が選ばれたのだろう。

沼尻が平田に、「演劇の演出家から見て、オペラって変に思わないですか?」と聞くと、平田は「思う。何で歌うの? って」と正直に答える。コンヴィチュニーは演劇の演出の経験もあるそうだが、両親が音楽家で、母親は歌手であり、「今日は3時に帰るわね」と歌いながら出ていくような人だったので、オペラに違和感は感じなかったという。ただ、「正直に言うと、オペラを観るよりも演劇を観る方が好きです」と打ち明けて、客席の笑いを誘う。

沼尻は、「オペラを観に来る人でも、日本のオペラ公演だけ観る人と、来日のオペラ公演だけ観る人に分かれる。オペラを観る人で演劇も観るという人は余りいない」と文化の分散を問題にするが、コンヴィチュニーによるとドイツでも状況は同じか、もっと細分化されていて、「オペラも演劇も映画も観る人、更にコンサートを聴く人、その上で美術館や博物館に通う習慣のある人、更に小説まで読む人というのは極めて稀だ」と述べる。そうか、俺ってそんなに稀少な生き物だったのか。
コンヴィチュニーは、「スペシャリストは増えたけれど、全体を見通せる人が少なくなった。これが現代の文化における病理だ」と分析した。「オペラでも現代美術の専門家が舞台美術を手掛けていて、彼らは舞台上に大量の血糊を流させる。冗談じゃない、そんな見せ方をする人にオペラがわかっているとは到底思えない」とも語る。

平田オリザは、映画などはメディアの発達によって取って代わられる可能性があるが、生身の人間が目の前で表現を行うというスタイルは生き残るだろうとした上で、「ドイツの前衛演劇は行き着くところまで行き着いてしまった感じで、この間、ドイツで観た演劇は、本当にナイフで皮膚を切り裂いて血を流し、彼はエイズだったという内容。ここまで来るともう後はその場で本当に人殺すぐらいしか残ってないだろう。こんなことじゃ20年持たない」とも述べる。更にドイツの演劇を観て「なんでみんなすぐに脱ぐの?」とも思ったそうだ。コンヴィチュニーは、マスコミにも責任があると指摘する。ドイツのマスコミはセンセーショナルなもの、ショッキングなものばかり取り上げるので、そうでないものは上演されているということすら知らされないという。

1970年代には、西ドイツの4分の1の劇場が潰された。お金がないという理由だったが、お金はあった。どこにお金を使うべきかという選択の中でアメリカ式の新自由主義理論が台頭し、「アメリカには全国で6つしかオペラハウスがないのに、ドイツには西側だけで400もある。不経済だ」という理由で切り捨てられたのだという。コンヴィチュニーのいた東ドイツでは「文化こそ国の威力を示すもの」という考えがあり、文化のための計画経済が組まれ、逆に文化は興隆していったそうだが、東西ドイツ統合によりアメリカ主導型の市場経済に呑み込まれつつあるそうだ。ドイツでは、チケット収入でまかなえるのは収益の約2割で後は国の補助金が頼りなのだが、日本の政府はドイツとは比べものならないほど酷いと怒りを露わにする。

平田オリザは、東京芸術大学に演出家養成のための課程を作りたい、学部には無理だけれど、大学院には作る予定があると述べる。先進国で唯一、国立大学に演劇専攻がないという日本の恥を雪ぎたいという希望を語るが、大阪大学を離れるのは、「大阪市長が嫌いだから」と本音を語って会場の爆笑を呼ぶ。沼尻も「その大阪市長に真っ先に切り捨てられた日本センチュリー交響楽団の演奏会が、びわ湖ホールであります。私が指揮します。全員、裸で演奏すればお客さんが入るんでしょうか」と嫌みを込めつつ宣伝した。

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2014年9月14日 (日)

笑いの林(19) 「京橋ドドーンとネタまつり」2011年10月15日

2011年10月15日 大阪の京橋花月にて

午後7時から、京橋花月で、「京橋ドドーンとネタまつり」を観る。出演:タナからイケダ、女と男、もりやすバンバンビガロ、りあるキッズ、天津、土肥ポン太、桜 稲垣早希、ダイアン、テンダラー。

タナからイケダは、まず田邊孟徳(たなべ・たけのり)が熱血中学教師をやってみたいというので、池田周平にいじわるな教師役をやってもらうのだが、池田の方が熱血タイプの先生になってしまったり、池田が問題児の伊藤について、「段ボール箱の中に蜜柑が沢山ある。その中に腐った蜜柑が一個。どうなるか」と問いかけて、田邊が「伊藤は腐った蜜柑なんかじゃありません」と言うと、「私が伊藤を例えたのは段ボールだ」と言って、「伊藤のことを腐った蜜柑だと思っているのか?」と逆襲されたりする。田邊が「伊藤は花壇に毎日水をやる優しい生徒なんです」と言うと、池田は「私も毎日、花壇に水をやっている」と返し、「だから花が成長しないのか。水をやりすぎ」と二人で納得する。教室で起こった事件の犯人当てで、池田が「やった者は一人だけ手を挙げるように」と言った後、池田も目を閉じて、「見えない見えない」とやって、「それじゃわからんがな」と田邊に突っ込まれたりする。
そして、前も見たことのある、宇宙人との遭遇の予行練習で、宇宙人役の池田が田邊に、「お前は何中出身だ?」と聞き、田邊が出身中学の名前をいうと、池田が「俺は宇宙だ」と言うというネタであった。

女と男、男の方の市川義一(通称:市川くん)が、最近結婚したことをネタとして取り上げる。女の方の和田美枝(通称:和田ちゃん)が「私気付いてないけど、うちら結婚した?」とボケてみせる。市川くんが、和田ちゃんの髪をつかむと、「やめといて、うち、そういうのに一番弱いねん。惚れてまうやん」とやって笑いを誘う。
最後はプエルトリコの話になる。和田ちゃんがプエルトリコを知らないという設定で、市川くんが、「プエルトリコ、知らないでしょ?」というと「いつも学校の帰りに寄ってたわ」と言って「そんな簡単に行けるとこちゃう」、「石田純一の奥さんでしょ」と言って「それは東尾理子」と市川くんに突っ込まれるというネタであった。

もりやすバンバンビガロは、大道芸と手品。林檎をジャグリングしながら食べるといういつものつかみをやった後で、「これを林檎ジュースにします」と言ってミキサーにかけ、林檎ジュースにしてコップに入れ、トレイに乗せて、「まず、顎の上でバランスを取ります」とトレイを棒の上に乗せ、棒を顎に付けて、バランスを取るが、トレイは客席の方へ、しかしコップの中はいつの間にか紙細工のみに変わっているという手品である。
そして、ナイフ3本を高い一輪車をこぎながらジャグリングするという危険度の高い大道芸を披露する。最後は、客席から、輪を3本投げて、もりやすバンバンビガロが首でキャッチするというもの。下手、中央、上手の三方向から投げて貰うのだが、下手(しもて)のお客さんが輪を投げるのが下手(へた)で、もりやすバンバンビガロ苦戦。それでも何とか三本とも首に通して、成功させる。

りあるキッズ。りあるキッズ・安田善紀はカミングアウトしたバイセクシャルであるが、彼女が欲しいといい、相方の長田融季に眼鏡が悪いのではないかと言われるが、「眼鏡取ったら、ハリセンボンの箕輪はるかになるわ」と眼鏡を取ると本当に箕輪はるかに似ている。
次いで、CMに出ようという話にあり、早希ちゃんがサンガリアのチューハイのCMに出ていることに触れ、自分達もCMに出ようというのだが、余りいいものが出来ない。そこで恐竜映画に出ようということになって、長田が恐竜の役をするのだが、おそらくわざと下手にやって、安田のOKが出ない。最後は、恐竜に出会って驚く人の役だったはずの安田も恐竜になってしまうというネタであった。
最後に、子供と大学生の比較になり、長田は「子供は可愛い」というのだが、安田は「大学生の方が可愛い」という。長田は「そりゃ女子大生は可愛いでしょう」というが、安田は「男やがな」と男子大学生を恋愛対象として見ているというネタで終わる。

天津。天津・向清太朗が「テレビに出てます。『相棒』の鑑識官役をやっています」というと、相方の天津・木村卓寛は、「それは六角精児さんやがな、お前と顔が似てるだけや」と突っ込む。向はウェディングドレスデザイナーの桂由美にも似ているという話をし、それを木村に否定されると、「じゃ、僕は何なんですか? ガリガリガリクソンですか?」と問いかけ、「もとは一体であったものが僕とガリガリガリクソンに分かれたと思うですよ」と言って笑わせる。
次は向が電車が好きな女性、つまり鉄子をやり、木村がその彼氏を演じるのだが、向は日本初の女性車掌という設定で、車掌室で二人がやり取りをするという場面になり、向が何でもかんでも鉄道に引っかけようとするので、木村がそれに突っ込む。だが、JR難波駅に動く歩道があるのを、木村は「歩く歩道」と言い間違え(大阪では実は動く歩道のことを歩く歩道と言ったりもする)、向はそれをすかさず拾って、「歩く歩道? 歩く歩道??! 歩く歩道???!!」 と逆に突っ込む。やはり芸人は細かいところまで拾う技術があるようだ。
最後は、向が木村に「オチがつけられないんでしょ?」と言い、木村がエロ詩吟を披露して終わる。

続く土肥ポン太は「伝説のネタ」をやると溶暗した中で言い、照明がインした後で、台本を手にして登場。出や動線を確認する。一見すると俳優の演技の打ち合わせのように思えるのだが、実は土井ポン太はカメラマンで、ミラーボールが回る中、郷ひろみのプロモーションビデオを作る役割であった。郷ひろみの曲に合わせてダンスを披露する。

早希ちゃんのネタはおなじみになった「ピーチ姫の結婚相談所」。結婚相談所で「スーパーマリオシリーズ」のピーチ姫に扮した早希ちゃんが、紹介されたマリオとのデートで酷い目に遭ったと相談員の山中さんに文句を言い、「もっと良い人、紹介して下さい」と訴えるという内容である。今日はソニックを紹介され、「ソニック? それSEGAのじゃないですか。うちは京都の人間なんでSEGAは駄目なんです」と、「スーパーマリオシリーズ」の製造・販売を行い、京都に本社がある任天堂を立てるというセリフが追加されていた。京都在住の人間としてはこれは嬉しい。

ダイアンは、前回もやったファーストフードのドライブスルーネタ。ダイアン・津田篤宏がドライブスルーを利用する客を演じるのだが、相方の西澤裕介がまだ、走っている津田の車の車線変更ランプが左になった時点でファーストフードに引き込んでしまうというネタからスタート。西澤は「正社員です」と強調したり、津田の車が軽自動車であることを馬鹿にしたりする。津田はオレンジジュースを注文するのだが、西澤は「オレンジは、肥後、」と言うが、「寺門、上島とあります」と続けてダチョウ倶楽部のメンバーに変えてしまう。
その他、西澤が自身の卒業アルバムを津田に見せるが、ミスでクラス全員の顔が西澤のものになっているといい、津田に驚かれたりするのだが、その時、すでに津田が注文したチーズバーガーセットは出来ていて、やはり軽自動車に乗っていることで津田が見下されているのがわかったりする。

トリはテンダラー。テンダラー・浜本広晃は例によって早く終えようとして相方の白川悟実に止められる。今日やるのは飛行機ネタ。浜本が関空発、富田林(とんだばやし。PL教団や、甲子園でお馴染みのPL学園高校がある所として知られる)経由ハワイ行きの飛行機のCA役をやり(白川に「なんで富田林経由するねん」と突っ込まれる)、白川が乗客をやるのだが、白川が予約したエコノミークラスの椅子が固定されていないパイプ椅子で、300席のうち299席はファーストクラスで、エコノミーに座っているのが白川だけだったりする。浜本は声音や言い方を変えて、CAの他に、機長や食堂係の人などを演じ分ける。最後に、唯一のエコノミークラスの客である白川にスピーチを求める。浜本は「白川様は吉本の芸人だそうです。売れてたらエコノミーには乗らないでしょうけど」とあざ笑い、白川に「大丈夫ですか? 面白いこと言えますか?」と聞き、白川は「大丈夫だ」と言って、「ハワイのことはワイにキキ」とやる。わざと滑りを狙ったギャグのはずだが、客席の一人だけが大受けしたので、二人は「笑いのツボが違うんですね」などと言い合う。
最後は、ハイジャック犯が現れた場合の予行演習をするのだが、浜本はCA、機長、副操縦士、犯人を一人で声音も変えずに演じ分け、何が何だかわからなくなり、最後は犯人が実は…、というところで終わる。

今日は全員面白く、当たりの回だったと思う。

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2014年9月12日 (金)

観劇感想精選(133) 「酒と涙とジキルとハイド」

2014年5月22日 大阪・京橋のシアターBRAVA!にて観劇

午後7時から、大阪・京橋のイオン化粧品シアターBRAVA!で「酒と涙とジキルとハイド」を観る。三谷幸喜:作・演出。ホリプロ企画制作、松竹協力の作品で、大阪公演は梅田芸術劇場と読売テレビの主催であるが、公演は梅田芸術劇場ではなく、毎日放送系列のシアターBRAVA!で行われる(読売テレビは京橋に本社があるため、最寄りの劇場ではある)。出演:片岡愛之助、優香、藤井隆、迫田孝也。チラシには有名俳優3人の名前が大きく書かれており、迫田だけが文字が小さいが、迫田は狂言回しとしてほぼ出ずっぱりであり、ある意味一番重要な役をこなす。

スティーヴンソンの「ジキル博士とハイド氏」を基にしているが、この舞台は換骨奪胎がなされており、全くの別物といって良い内容になっている。

上演時間約1時間45分。休憩なしの1幕もの。場面転換なし、同時系列という、三谷幸喜の原典ともいえるスタイルで書かれたコメディである。

舞台中央に階段があり、それが表玄関へと続いている。主舞台となるのはジキル博士の地下にある研究室だ。屋上の部分はフラットになっていて、そこで二人の音楽家が演奏を行い、また街路に見立てられていて、出演者がそこを通る。

舞台が始める。優香演じるイブが客席に向かって語りかけているが、背後が明るくなると、優香は客席に語りかけているのではなく、プール(迫田孝也)に向かって話しているのがわかる。恋ってとっても不思議、好きな人の前では緊張して自分が出せないのに、特に好きではない人といるとリラックスして自分の良いところが出せる。ということは好きな人には自分の一番魅力的なところを見せることが出来ないということになる。イブがプールに話しているのはそうした内容だ。イブはジキル博士(片岡愛之助)のフィアンセであるが、政略結婚であり、ジキル博士に関してイブはリラックス出来るので余り好きではないようだと言う。ジキル博士は、話がつまらないし、細かすぎる性格が難点のようだ。いつも懐中時計を二つ持ち歩いており、二つを見比べて正確な時間を計ったりするするそうで、イブは「時計は一個で十分、いいえ、時計を持たないようなワイルドな男に惹かれる」のだそうだ。プールはジキル博士の助手。博士と共に性格を変える薬の研究をしている。

街路を通って、ジキル博士が入って来る。ジキル博士は、「とんでも八分、歩いて五分」、「やったぜベイビー」など使う言葉が古くさい。ジキル博士が、善と悪について語るが、キリスト教の思想も取り入れた難解なもので、イブは聞いている間に退屈して寝てしまう。ジキル博士が善と悪を分ける薬を開発したということだけは何とかわかる。

イブが帰った後で、プールはジキル博士に、「取り敢えず、やったぜベイビーはまずかったと思います」と駄目出しする。ジキル博士は精神医学の博士であるが、人の心を読むのが実は苦手である。

イブは持ってきた本をジキル博士の研究室に置き忘れてしまう。一見おしとやかなイブであるが、読んでいるのはどぎつい内容の官能小説である。ジキル博士はイブの外見から愛読しているのはハイネの詩集あたりだろうと予想していたので驚く。

ジキル博士が出掛けたところで、ビクター(藤井隆)という青年がジキル博士の研究室を訪れる。ビクターはジキル博士から午後1時半に研究室に来るよう言われたのだという。
ビクターは劇団所属の俳優。売れてはおらず、「ヘンリー五世」の伝令役で、セリフは一つしかないという。ジキル博士は昨日、「ヘンリー五世」を観に来ており、終演後に声を掛けられたのだという。

プールがビクターの素性を聞く狂言回しの役を終えたところで、ジキル博士が帰ってくる。ジキル博士であるが、人間が持つ善の部分と悪の部分を分かち、悪の部分(博士はこれを「ハイド」と名付ける)のみを引き出す薬の開発に成功したので、明日、学会で発表を行うのだという。だが、実は薬の開発に成功したというのは嘘っぱちで、見栄で成功したと触れ回ってしまい、後に引けなくなったジキルは、ビクターにハイドの役を演じるよう頼む。ビクターが選ばれたのは、ジキル博士と背格好が似ていたというただそれだけの理由だった。

イブがジキル博士の研究室に戻ってくる。ビクターはイブに見つかるとまずいので裏のドアから部屋を出ることになる。イブは帰る途中に真っ赤なショールを売っているのを見て、ジキル博士がこれを背広の胸ポケットに差したら似合うだろうということで、買って戻ってきたのだという。
実際はイブが帰ってきたのは、官能小説を置き忘れたので取りに戻ったためであり、不自然に思われないように適当な理由を拵えたのである。イブは博士が自分の持ってきた本のページを開いていないか確認し、自分が持っているのはディケンズの『オリバー・ツイスト』だと嘘をつく。
ジキル博士は、イブが戻って来た理由を彼女の言うままに信じるが、プールは真相を述べ、「小学生でもわかることです」とあきれ顔である。

だが、イブはまた間違えていた。イブは今度は自分が持ってきた官能小説だと勘違いして、博士の研究ノートを持って帰ってしまったのだ。

ビクターは博士と同じ格好をさせられ、真っ赤なショールもプールが二つに引き裂いてビクターの胸ポケットにも入れる。そして、博士が薬を飲んだ作用に苦しみ、後ろの衝立に向かって右側から隠れた後、一呼吸おいてビクターがハイド氏として衝立の左側から出るという仕掛けを説明される。ビクターは悪役をやろうとするが上手くはいかない。

ジキル博士は、イブが間違えて自分の研究ノートを持って帰ったことに気付く。ノートにはジキル博士が研究したこと全てが書き記されており、人手に渡ったら大変なことになる。ジキル博士はイブの後を追う。プールも奥に退場し、ビクター一人が残される。ビクターはイブの官能小説を読んで、「うわ、えぐい」と呟く。そこへ、博士とは入れ違いにイブが研究室に戻ってくる。イブは博士と同じ格好をしたビクターの後ろ姿を見て、ジキル博士だと勘違いしたまま話を進めるが、ビクターの顔を見て、「誰?!」となる。しかし、ビクターの胸ポケットに博士と同じ真っ赤なショールが差してあったため、「ひょっとして(実験成功)?」となる。イブの声を聞いて戻って来たプールも、ビクターも「ハイドだ」というので、イブは信じてしまう。ビクターが演じるハイドは、イブを「売女!」などと罵るが、イブにはマゾの気があるらしく、恍惚の表情を浮かべる。そして、「ハイド氏に惚れた」とプールに告げる。しかし、イブにはどうしても越えられない一線があった。

イブは自分の殻を破るために、薬を飲む。効くはずもないのだが、イブは思い込みの激しい性格なので、今度はサディスティックな女性へと変貌する……

三谷が得意とする「シチュエーション・コメディ」という触れ込みであり、確かにシチュエーションも面白いし、よく計算されているのだが、それよりも俳優のオーバーアクションで笑いを取っており、どちらかというと「スラプスティック・コメディ」に分類されるような内容である。三谷幸喜の戯曲は全て当て書きであり、稽古前に台本が仕上がっていることは余りないので、稽古をしているうちに、徐々にスラプスティックな方へと変わっていったのだと思われる。藤井隆は吉本所属でスラプスティックはお手の物であり、本作が初舞台となる優香もバラエティ経験豊富で笑いを取るのは得意だ(舞台慣れしていないのに東京ロングランに挑んだ後で大阪入りしたためか、喉が少しやられているように感じる場面があった)。

片岡愛之助といえば、昨年、連続ドラマ「半沢直樹」で、オネエ口調のエリート官僚を演じて話題になったが、サービスとして、オネエシーンも用意されている。「半沢直樹」のテーマ音楽付きである(「半沢直樹」の音楽担当は、「三谷幸喜座付き作曲家」といわれたこともある服部隆之であり、三谷が「使いたい」といえば二つ返事でOKだろう)。

三谷幸喜の舞台は、もともと演技スタイルが新劇のそれに近いが、今回もイギリスが舞台ということで、優香などはかなり西洋人を意識した身のこなしである。

音楽は、説明的に使いすぎるきらいがあるが、勿論、効果的な場面もある。

役者陣も充実していて、笑えて楽しめる舞台であったが、これでも三谷演劇としては中くらいか中より少し下といったところ。そのため却って三谷演劇がいかに高水準かがわかる。

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2014年9月 4日 (木)

観劇感想精選(132) 「熱海殺人事件」オリジナル・ヴァージョン2013

2013年7月26日 京都四條南座にて観劇

午後6時から、四條南座で、「熱海殺人事件」オリジナル・ヴァージョンを観る。主演の木村伝兵衛部長刑事(変な肩書きだがそう書いてあるので仕方がない)を演じるのは演出も兼ねる錦織一清。出演は、他に、黒谷友香、戸塚祥太(A.B.C-Z)、逆木圭一郎(劇団☆新感線)。京都オリジナルキャストとして、他に3人が出演する。

アングラことアンダーグラウンド演劇の第二世代を代表する、つかこうへい。その、つかの代表作が「熱海殺人事件」である。これまで、様々なバリエーションを生み、私は阿部寛が木村伝兵衛を演じた「熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン」をシアター・ドラマシティで、黒谷友香が女・木村伝兵衛を演じた黒谷友香エンドレス「売春捜査官 女子アナ残酷物語(当初の黒谷友香エンドレス「熱海殺人事件 売春捜査官」より改題)」を、ワッハ上方ワッハホール(現・5upよしもと)で観ている。ただ、オリジナルに近い形の「熱海殺人事件」を観るのは今回が初めてである。

つかこうへいの演出方法は、口立てと呼ばれる特殊なもので、戯曲はすでに出来上がっていて、役者も覚えてくるのだが、つかが稽古場でセリフを読み上げながら変更していき、役者もそれを一発で覚えてついていかなければならないという過酷なものであった。覚えられないと、セリフがどんどん削られていったと内田有紀(「熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン」に出演)は述懐している。
また、役者に隙があると見ると、本番でセリフを変えることもあったという。阿部寛が「熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン」を演じていた時に、突然、相手の男優がアドリブを仕掛けてきた。阿部もアドリブで返したが、更にアドリブの応酬。つかの指示によるものだった。結局、アドリブのシーンが30分以上続いたという。即興性が最大限に求められたのだ。
阿部寛は、初めて、つかのオーディションに参加した際に、セリフの強さに半端でないものを求められたので、一日で声が潰れたと書いている。

つかこうへいの演劇は、つか自身と一体になっており、つかが故人となった今ではもう、本当の意味での「つか演劇」を観ることは出来なくなった。ただ戯曲自体は残っているため、つかの書いたものの上演は可能である。

つか演劇の特徴は長ゼリフと、早口で怒鳴るような強さで発せられる声にある。ということで、主演の錦織一清は完全に喉をやられており、ガラガラ声であった。普通なら発声すら苦しい中での演技である。ただそのセリフを聴く方も、細部が聴き取れなくて、ちょっと辛いものがある。ちなみに熊田刑事を演じた逆木圭一郎は、錦織の潰れた喉に突っ込みを入れていた。

「熱海殺人事件」は、リアリズムへの対抗意識と、社会的弱者の描き方が特徴である。これは、つか自身が在日韓国人であり、終生、日本に帰化することがなかったことと無関係ではないだろう。ただ、だからといって、社会的弱者を温かい目で見つめるというものではない。そうした行いが逆差別に繋がることを、つか自身もわかっていただろう。劇中で国家権力に関する話が出てくるが、つかはこの国家権力というものも大嫌いであった。

錦織一清は、自身と戸塚がジャニーズ事務所所属なのを逆手にとった演出をして、「近藤真彦先生のレーサーとしての素晴らしさ」などを戸塚に語らせたり(ご存じの通り、マッチはレーサーでもあるが実績は上げていない)、戸塚演じる大山が煙草を吸うシーンで、「君の事務所は煙草と女は駄目だって聞いたよ」という逆木のセリフを入れるなど、ジャニーズネタで笑わせる。また、南座の花道を使いたいがために、3人の俳優を起用するという贅沢なことをしていた。

役者の演技であるが、錦織一清の調子が万全でなかったのはやはり残念。舞台は生ものなので、役者の体調も勿論、演技に影響する。

つかに鍛えられた黒谷友香は、長身でスレンダーな体躯を生かした、凛とした水野婦人警官(これまた変な肩書きだが、そう書いてあるのだから仕方がない)を演じて見せる。スーツ姿もドレスアップも様になっていた。また声が澄んでいて、通りが非常に良い。

逆木圭一郎も安定感のある演技を見せていた。

戸塚祥太は、犯人の大山金太郎役という重要な役を与えられており、熱演であったが、演技そのものは及第点といったところ。ただ小さくまとまってはいないので、これから大いに伸びる可能性はある。

木村伝兵衛の突飛なキャラクターよりも、犯人の大山金太郎と被害者の山口アイコとの関係と、殺人にいたるまでの心理描写に重点が置かれた演出。社会的弱者のルサンチマンが浮かび上がり、ささやかな誇りが崩壊していく過程が丁寧に描かれる。つかの演出を受けている黒谷友香がキャスティングされていることは、大いにプラスに作用した。

セリフの間合いなど、錦織がプロの演出家でないがために起こる、ちょっと不自然なところも散見されたが、「熱海殺人事件」の再現としては悪くなく、メッセージ性も豊かだった。

ジャニーズ二人が出演するということで、大半が女性客。カーテンコールでは1階席の観客がスタンディングオベーションで出演者を讃えた。

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2014年9月 3日 (水)

あなたは……ない

あなたは世界ではない

あなたは社会でもない

あなたは代表する声でもなければ

良識でもない

あなたは全てではない

あなたはあなた

それだけでしかない

私が私でしかないように

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2014年9月 2日 (火)

コンサートの記(152) スイス・ロマンド弦楽四重奏団来日演奏会・京都2014

2014年7月19日 京都・上桂の青山音楽記念館バロックザールにて

午後5時から、上桂にある青山音楽記念館バロックザールで、スイス・ロマンド弦楽四重奏団の来日演奏会を聴く。

スイス・ロマンド弦楽四重奏団はその名からも分かる通り、ジュネーヴを本拠とするスイス・ロマンド管弦楽団のメンバーからなるストリング・カルテットである。メンバーは、第1ヴァイオリン=粟野祐美子、第2ヴァイオリン=イネス・ラーデヴィッグ・オット、ヴィオラ=ヴェレーナ・シュヴァイツァー、チェロ=ヒルマー・シュヴァイツァー。チェロのヒルマー・シュヴァイツァーだけが男性で、他の三人は女性である。ヴェレーナ・シュヴァイツァーとヒルマー・シュヴァイツァーの関係であるが、同じデトモルト音楽大学を卒業し、共にクラウディオ・アバド指揮のグスタフ・マーラー・ユーゲントオーケストラを経て、二人ともデトモルト室内管弦楽団に所属。現在はスイス・ロマンド管弦楽団の同僚である。夫婦か兄妹だと思うが、実際は不明。女性奏者の常として、ヴェレーナ・シュヴァイツァーの生年は不明であるため、どちらが年上なのかもわからない。

粟野祐美子が京都生まれで、京都市立音楽高等学校(現・京都市立堀川音楽高等学校)卒であるため(大学は東京芸術大学に進んでいる)京都でも公演が行われるのだと思われる。スイス・ロマンドSQは、今後、米沢と東京で公演を行う。

全員、スイス・ロマンド管弦楽団のメンバーではあるが、スイス人なのはイネス・ラーデヴィッグ・オットだけである。しかし、オットという苗字から分かるとおり、ドイツ語圏のバーゼル出身でスイス・ロマンド(スイス・フランス語圏のこと)ではない。シュヴァイツァーという苗字の二人はドイツ人だ。

曲目は、メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲第1番、リヒャルト・シュトラウスの弦楽四重奏曲イ長調、ブロッホの「山にて」(“たそがれ”&“田舎の踊り”)、ドヴォルザークの弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」。

実は、スイス・ロマンドSQに関する事前の知識は、「多分、スイス・ロマンド管弦楽団のメンバーによるSQだろう」というかなり大雑把なものしかなく、男女構成すら把握していなかった。ドヴォルザークの弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」が聴けるというのでチケットを購入したのである。

青山音楽記念館バロックザールに来るのは初めて。室内楽&器楽専用の音楽ホールであり、以前もチケットを取ったことがあったのだが、持病が良くない状態だったため、見送っている。

無料パンフレットには、スイス・ロマンド管弦楽団の現在の音楽監督であるネーメ・ヤルヴィと首席客演指揮者を務めている山田和樹によるスイス・ロマンド弦楽四重奏団への賛辞が記されている。

スイス・ロマンド弦楽四重奏団のメンバーは、カラフルな衣装で登場。粟野祐美子がオレンジ、イネス・ラーデヴィッグ・オットが紫、ヴェレーナ・シュヴァイツァーがターコイズブルーのドレス。ヒルマー・シュヴァイツァーは上下共に黒である。

メンデルスゾーンは、「真夏の夜の夢」などの明るい曲も魅力的だが、ヴァイオリン協奏曲や序曲「フィンガルの洞窟」、交響曲第3番「スコットランド」のような短調の曲の方が名曲が多い。
この弦楽四重奏曲第1番も仄暗い曲調が特徴である(一応、全体を通しては長調の曲ではある)。
定石を絶妙に外していく旋律がメンデルスゾーンの才気を感じさせる。

スイス・ロマンドSQのメンバーは全員、音に張りと艶があり、優れたストリング・カルテットだ。

今年が生誕150年となるリヒャルト・シュトラウスの弦楽四重奏曲。現代音楽が次々に発表される時代も生きているが、作風を変えることはなく、「私がこの時代にいるのはたまたま長生きしただけだ」とシュトラウス本人も語っている。作風もドイツ後期ロマン派最後の巨匠という言葉そのままのものである。ただ小洒落ているのがR・シュトラウスらしい。
第1楽章は快活な感じでスタート。その後の旋律も美しい。
第3楽章には、現在はドイツ連邦共和国の国歌「ドイツの歌」の旋律となっているハイドンの弦楽四重奏曲第77番「皇帝」第2楽章の旋律を想起される箇所がある。
弦楽四重奏は、「ヴィオラが要」と言われることがあるが、この曲では特にヴィオラが活躍する。

ブロッホは、ユダヤ教の音楽を数多く作曲していることで知られるが、ジュネーヴ生まれであり、ジュネーヴを本拠地とするスイス・ロマンド管弦楽団ゆかりの作曲家である。
「山にて」は、“たそがれ”と“田舎の踊り”からなるが、“たそがれ”は今日演奏された曲の中で最も現代音楽寄りである。不協和音の移り変わりが黄昏の光景を描き出していく。
“田舎の踊り”は、その名の通り、一転して賑やかな音楽となる。

ドヴォルザークの弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」。今日演奏される曲の中で飛び抜けて有名な作品である。個性が強く、弦楽四重奏曲というジャンルの中でも一二を争うほどの人気曲である。
ヴィオラが歌い出し、第1ヴァイオリンへと引き継がれていく主題を二人とも伸びやかに奏で、第2ヴァイオリンも必要な渋さを発揮し、チェロのリズム感も秀でている。

スイス・ロマンド弦楽四重奏団は、世界的に見ても有名なストリング・カルテットではないが、実力は高い。

第1ヴァイオリンの粟野祐美子は笑顔を浮かべるなど終始楽しそう。第2ヴァイオリンのイネス・ラーデヴィッグ・オットは眉間に皺を寄せての演奏で、各奏者で演奏スタイルは異なる。

室内楽というと、「聴くよりも弾いて楽しむもの」というところがあり、仮に私が作曲家だとしても交響曲、交響詩、協奏曲、独奏曲などは聴衆のために書くが、室内楽だけは演奏家が弾いて楽しめるようなものを生むと思う。ただ今日のスイス・ロマンドSQの演奏会は、音も素晴らしかったし、音の受け渡しを視覚で確認出来るのも面白かった。

アンコールは、ドヴォルザークの「ユーモレスク」(弦楽四重奏版)。第1ヴァイオリンの粟野祐美子が伸びやかなヴァイオリンを奏でる。

アンコールをもう1曲。粟野が、「東日本大震災の時に、スイスのラジオで流れていた曲です。題名は敢えて言いません」と語った後で、童謡(文部省唱歌)「故郷」の弦楽四重奏版が演奏された。

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2014年9月 1日 (月)

観劇感想精選(131) 加藤健一事務所 「請願」~核なき世界~

2014年6月21日 京都府立府民ホールALTIにて観劇

午後3時から、京都府立府民ホールALTIで、加藤健一事務所の公演「請願」~核なき世界~を観る。加藤健一と三田和代による二人芝居。作:ブライアン・クラーク、テキスト日本語訳:吉原豊司、演出:髙瀨久男。

京都で大手の劇団が公演を行うことは少なく、また京都側も呼ぼうとしないのだが、カトケン事務所こと加藤健一事務所は毎年のように京都で公演を行ってくれているありがたい劇団である。ほとんどが京都府立府民ホールALTIでの公演だが、京都芸術劇場春秋座でも公演を行ったことがあり、京都市民にとって貴重な存在だ。

舞台はロンドン。ハイドパークに隣接する高級住宅地に住む、エドムンド・ミルン(加藤健一)と妻のエリザベスの夫妻による会話劇である。一度、溶暗により時間の停止を現す場面があるが、それ以外はほぼリアルタイムで劇が進んでいく。

エドムンドは退役軍人。勿論、思想は右寄りで、保守党を支持している。主治医から「酒は1日1回昼食の前だけ」と言われているが、やはりアルコールが恋しいようで、本来、食前酒代わりの一杯のはずが、昼食前だからという理由で午前10時にウィスキーをあおってしまったりする。

妻のエリザベスは子宮癌を患い闘病中である。ここ2年ほどは治療に専念するため自宅から一歩も外に出ていない。

エドムンドは、朝刊を見ていて怒りを覚える。1ページが丸々、全面核兵器反対運動の請願広告で埋められていたのだ。エドムンドは「核は抑止力になる」と考えており、核兵器反対は馬鹿者の唱えることだと思っている。しかも、請願の署名の筆頭にいるのが、かつての軍人仲間で、陸軍元帥のジェレミー・フィリップス(愛称:ジェリー)だということに呆れてしまう。エドムンドには軍人が核兵器に反対するとは正気の沙汰とは思えなかった。

しかし、署名の欄を読んでいるうちに、「レディー・エリザベス・ミルン」という名前を発見する。他ならぬ妻の名前だった。エドムンドは誰かに勧められて署名したか、名前を貸しただけなのだろうと思ったが、エリザベスは自ら進んで署名しており、更にジェリーに署名するよう求めたのもエリザベスだという。またエリザベスは夫に内緒で、選挙では毎回、労働党に投票していたのだった。

エドムンドは石頭で、中道左派である労働党も「赤(共産主義者)」だと決めつけるほどガチガチの保守主義者であり、軍人としての立場から、祖国を侵略しようとする者がいたら徹底的の立ち向かうべきであり、核兵器を使うべきではないが、核兵器に反対するのは根本的に間違っていると思っている。だが、エリザベスは、ヒトラーのような人物が現れて、核を使用したとしたら、大殺戮が行われるのは勿論、後遺症で体が不自由な状態で生まれてくる子供が大勢出ると訴える。抑止力についても、マジノ要塞はナチス・ドイツへの抑止力へはならなかったと語るが、エドムンドは、「あれは抑止力にならなかったんじゃない。向こうが迂回して来たんだ」と主張する(ナチス・ドイツ軍は仏独国境のマジノ要塞を避けて、中立の立場であったベルギーに攻め入り、そのまま北方から攻め、フランスが天然の要害であると思い込んで満足な守備を置いていなかったアルデンヌの山脈地帯を突破してなだれ込み、フランスの北半分を征服した)。

このまま政治談義が続いたり、どちらかが妥協したりすれば、陳腐で退屈な政治劇となってしまうのだが、作者は勿論、政治的意図だけでこの話を書いたのではない。夫妻がそれぞれに抱えていた秘密や、イギリスの国情などが描かれ、人間ドラマとして見事な成立を見せている。

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