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2014年10月17日 (金)

観劇感想精選(137) 「昔の日々」

2014年6月19日 大阪・茶屋町の梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後7時から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、「昔の日々」を観る。作:ハロルド・ピンター、テキスト日本語訳:谷賢一、演出:デヴィッド・ルヴォー。出演:堀部圭亮(ほりべ・けいすけ)、若村麻由美、麻実れい。

ノーベル文学賞作家であるイギリスの劇作家、ハロルド・ピンターの戯曲を、東京に拠点を持つイギリス人演出家のデヴィッド・ルヴォーが演出するという意欲的な舞台。

ハロルド・ピンターは現代の劇作家であるため、観て理解するにはメタレベルでの思考能力が必要とされる。有料パンフレットも販売されていたが、チラシの入ったビニール袋の中に、「『昔の日々』をご観劇されたお客様へ」という宛て書きの、デヴィッド・ルヴォーが「昔の日々」のテキストに対して行った解釈が書かれた紙が入っており、内容を十全に理解したい人は事前に意図がわかるようになっている。読まないでもいいのだが、読まないと普通の劇だと思っている人は何が起こっているのかわけがわからないだろう。

登場人物は、ディーリィ(堀部圭亮)、ケイト(若村麻由美)、アンナの3人であるが、ルヴォーは、ケイトとアンナは実は同一人物だという解釈をしている。おそらくこれがハロルド・ピンターの意図に最も近いものだと思われる。ケイトとアンナを別人と見る方が不自然なところが多いからである。

舞台奥には、暖炉があり、灯が点っている。その他にグランドピアノ、蓄音機などが見えるが、みな灰色をしている。

舞台は奥行きの長い長方形のものを通常のシアター・ドラマシティの舞台からせり出すように作ってあり、前方の席は除けられていて、中央列は4列目が最前列。上手と下手は、舞台袖が見切れないようにするためと、端の観客の視界を妨げないように4列目と5列目には黒い布が掛けられており、6列目が最前列となる。今日は、私は下手側の6列目での観劇。下手側としては最前列となる。普通の6列目での観劇だと思い込んでいたのでちょっと驚く。張り出しステージには赤い絨毯が敷きつめられており、3つあるソファーも全て深紅だ。

クセナキスの作品に似た曲が鳴り、舞台下手から役者3人が登場、同時に暗転し、窓のある壁が左右から出てきて真ん中で閉じられ、それまで見えていた暖炉やピアノなどは見えなくなる。張り出し舞台の縁がライトであり白く光る。

照明が差す。舞台は、イギリスの海岸近くにある田舎の家。ディーリィと妻のケイトはこの家に二人で暮らしている。二人は、ケイトの唯一の友人で、今はイタリアのシチリア島に住んでいるアンナがこの家を訪ねてくることになったので、アンナがどんな女性なのかを話している。ケイトとアンナはかつてルームメイトだったのだが、何分、昔のことなので、ケイトはアンナのことを良く覚えていないという。よく思い出せない事柄を話すときにはケイトは煙草を吸ったり、手に持って煙の出るままにしていたり、灰皿に入れてもちゃんと火を消さずに放置していたりする。記憶が霞んで思い出せないことを表現しているのだと思われる。この時、すでにアンナ役の麻実れいは、二人の後ろに背中を向けて立っている。そして、唐突に振り向いて、アンナがディーリィとケイトの家に訪れる場面となる。

ディーリィは黒の背広。ネクタイも黒なので喪服にも見える。ケイトも地味なグレーの服だが、アンナは鮮やかな赤い上着を羽織っている。

アンナが語るのは、自分とケイトが若かった頃の話だ。久しぶりの来訪なので、若い頃の話になるのは当たり前といえば当たり前なのであるが、二人は若い頃はロンドンで、映画、美術、音楽などあらゆる芸術を堪能する暮らしをしていた。アンナの話の内容は実に輝かしい。俳優や芸術家の通うカフェに通い、ケイトは夢見がちな少女で、内気で友達もアンナしかいなかったが、それを忘れるほど人生を楽しんでいた。一方、今のケイトの話す過去は少し暗めである(ケイトの性格は、「ブロンテ」に例えられる。ブロンテは三姉妹であるが、生涯一人の友人も持たず男も知らなかったエミリー・ブロンテのことだと思われる)。

ディーリィとケイト、アンナの話は時に食い違い、時に他人とは思えないほど合致する。普通に考えるとおかしな場面もある。ディーリィとアンナは初対面のはずなのに、ディーリィはアンナを知っていると言い、確かにアンナも同じ記憶を共有している。ディーリィとケイトの馴れ初めは、田舎の映画館で、ロバート・ニュートンの出ている映画「邪魔な奴は皆殺し(邪魔者は殺せ)」を観た二人だけの観客だったからなのだが、アンナもロンドンで「邪魔な奴は皆殺し」をケイトと観ていた。

上演時間約1時間20分という比較的短めの劇であるが、暗転があり、その後、ケイト役の若村麻由美が灰色の布を引きずりながら下手から出てきて、張り出し舞台の前を回り、上手へと退場していく。普通なら「過去を引きずっている」と思わせる場面だが、布の色がグレーであることから、引きずっているのは過去ではなく現在なのではないかと推測出来る。思えば、ケイトの人生は今の方が地味であり、過去の方が輝いていた。だが、ケイトは過去に戻りたいと考えているわけではないようだ。そのため、現在を引きずるという妙ないい方よりも現在を受け止めていると書いた方が適切なのかも知れない。そしてケイトは過去を断ち切るのである。

我々は皆、過去と過去の夢を殺し、且つそれらに殺されながら生きている。若しくは生きなければならない。過去、あの、現在より鮮明で濃密なるもの。

「誰が見ても美人」という女優の代表格である若村麻由美は、無名塾出身ということもあってか、極めて丁寧で繊細な演技を見せる。謎めいた女、アンナを演じた麻実れいの熟した演技も見事だ(アンナとケイトが親子に見える場面もあるので適切なキャスティングであるが、私が演出家だったら麻実れいではなく、若村麻由美と同世代の女優を使うかも知れない)。堀部圭亮の演技も安定感があった。

セリフの解釈を変えた方が良いと思われる場面もないではなかったが、全体としては完成度の高い舞台だったと思う。

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