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2014年10月10日 (金)

コンサートの記(156) ドミトリー・リス指揮 京都市交響楽団第583回定期演奏会

2014年9月27日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から京都市交響楽団の第583回定期演奏会を聴く。奇妙なコンサートであった。
今日の指揮者はドミトリー・リス。元々は別の指揮者だったのだが、来日不可能となったため、ドミトリー・リスが代役として登場したのである。だが、本来は指揮するはずだった指揮者よりもドミトリー・リスの方が有名なのである。ここからすでに変なのだが、ドミトリー・リスが何故有名かというと、山田耕筰の書いた戦意高揚のための管弦楽曲集をなぜかレコーディングしているのである。ドミトリー・リスはファーストネームからわかる通り、ロシア人指揮者である。どういう経緯で山田耕筰の、それも今では封印しておいた方が良いような作品を録音しているのか謎である。リスという苗字も日本語で考えると変だが、そんなことが変だとは思わないくらい妙な出来事が次々に起こる。

曲目はブラームスの悲劇的序曲、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:川久保賜紀)、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」(1911年版)。

ドミトリー・リスのプレトークはストラヴィンスキーに関するもので、「ペトルーシュカ」の他に、「火の鳥」や「春の祭典」という、合わせて3大バレエと呼ばれるものにも触れていた。

今日の京響のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーは渡邊穣。オーボエ首席奏者の高山郁子、フルート首席の清水信貴、クラリネット首席の小谷口直子は後半のみの登場である。

ブラームスの悲劇的序曲。フェドセーエフにしろゲルギエフにしろロシア人指揮者はピリオド・アプローチには否定的なようだが、リスはピリオド・アプローチを行う。弦はビブラートを抑えめにして、流線型のブラームスを築く。ただ、リスがピリオド・アプローチ若しくはブラームスあるいは両方を消化し切れていないのか、金管、特にトランペットが安っぽい音を出すなど、スポーティな演奏になってしまっていた。リスは手の振りがかなり大きいが指揮そのものはわかりやすい。ただ、旋律を「ウンウン」と唄ったり、唸り声を上げたりするのが少し気になる。

チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。ソリストの川久保賜紀は、2002年のチャイコフスキー国際コンクール・ヴァイオリン部門で1位なしの2位(最高位)となり、日本人ヴァイオリニストとしては諏訪内晶子以来で二人目となるチャイコフスキー国際コンクール最高位受賞者となったことで注目を浴びている(諏訪内晶子は第1位を獲得している)。

私が聴いたことのある日本人女性ヴァイオリニストの中で、川久保賜紀は、五嶋みどり(MIDORI)、諏訪内晶子、神尾真由子と共に別格に位置する名手である。

青いドレスで登場した川久保賜紀は、遅めのテンポを採用。じっくりと歌う。音色は磨き抜かれており、スケールも大きい。ただ、高音が金属音のように響く時があり、謎だったのだが、その理由は後に判明する。
リス指揮の京都市交響楽団が急激なアッチェレランドをしたので、おそらく川久保も速めのテンポに移行するはずだったと思うのだが、そこに至る前に、何と川久保の弾いていたヴァイオリンの弦が切れてしまうというアクシデント発生。ヴァイオリン独奏の弦が切れるというのは珍しくはないとされているが、私がコンサートでヴァイオリニストの弦が切れたという場面を実際に目にしたのはこれがおそらく初めてである。独奏者が強く弾く場面ではあったが、力を入れすぎたから切れたのではなく、川久保が登場した時点で弦がもうくたびれており、そのためにちょっと力を入れただけで切れてしまったのだと思われる。金属音のような響きは切れることの予兆であったのだ。

ヴァイオリン独奏者が弦を切ってしまった場合の対処法は確立されており、川久保は定石通りコンサートマスターの泉原隆志のヴァイオリンを借りて弾き続け、泉原は川久保のヴァイオリンを受け取って真後ろにいた尾﨑平に渡して尾﨑のヴァイオリンを受け取って弾き、尾﨑はその後ろの奏者に川久保のヴァイオリンを渡してその奏者のヴァイオリンで弾きといったように、川久保のヴァイオリンをリレーして、最後列の第1ヴァイオリン奏者が、川久保のヴァイオリンを持って退場した。

川久保は、アクシデントのため本来の力は発揮出来なかったようだが、それでも果敢に引き続け、途中でヴァイオリン交代のために音が出なかった場面はあったが、何とか第1楽章を最後まで弾ききる。

ドミトリー・リスはそのまま第2楽章に入ろうとしたが、川久保のヴァイオリンの弦の張り直しが終わっていないため、川久保はリスに途中休止を申し出る。

川久保は「弦が切れてしまったので、いったん、退場します」と客席に告げて、リスと共に退場する。二人が退場している間に、京響の奏者のヴァイオリンが元の持ち主に返される。

弦の張り直しに少し時間が掛かったが再び出てきた川久保は、第2楽章と第3楽章(切れ目なく演奏される。第3楽章ではかなり激しく弾く必要があり、川久保も泉原のヴァイオリンの弦を切ってしまっては申し訳がないので、張り替えを選択したのであろう)でも見事な演奏を展開したが、ヴァイオリンの弦を急遽張り替えたのか或いは京響が所有する他のヴァイオリンを使用したのかはわからないものの、第1楽章に比べると音色に濁りが生じており、彼女本来の出来ではなかった。強い音を出すピッチカートなどにも臆することなく挑んだが、スケールなどはどうしても小さくなってしまう。仕方がないことではあるが。

演奏を終えた川久保とリスの指揮する京響は喝采を浴びるが、退場してから拍手に応えて再登場してきた時に、リスが何かにけつまずいて体勢を大きく崩すというアクシデント発生。なんなんだ、このアクシデントの連続は。

川久保はアンコールとして、J・S・バッハの無伴奏パルティータ第3番より「ブーレ」を弾く。美しく端正な演奏であった。

バッハを弾いたヴァイオリンがチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の第2楽章と第3楽章と同じものなのかはやはりわからない。

メインであるストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」(1911年版)。オーケストラの中に入ったピアノを弾くのは野田清隆。黒田清隆のような名前だが、一字違うので別人である。黒田清隆が生きていたら驚きであるが。バレエ音楽「ペトルーシュカ」は1947年版で演奏されることが多いのだが、1911年版も基本的には同じ曲である。管の編成や、スネアドラム奏者がステージ上でではなく、舞台袖で演奏するといった違いがある。1911年版の方が大規模編成である。

ブラームスもそうだが、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の伴奏でも「外面的」という印象を受けたリスの指揮であるが(リスは合わせものは苦手なようにも感じた)、ストラヴィンスキーでは見事な演奏を聴かせる。リスは現代音楽に強い指揮者であるようだ。

演奏自体は「素晴らしい」といえるもので(ホルンがやや不調ではあったが)リスと京響は喝采を浴びたが、拍手の音の大きさ故に、演奏終了後に握手を求めたリスにコンサートマスターの泉原が客席の方を向いていたということも重なって気付かず、リスが困るというアクシデントが発生。「何て日だ!」

嘘のようなハプニングの連続に泉原も苦笑していたが、本当にもう笑うしかないコンサートであった。

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