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2014年10月の17件の記事

2014年10月24日 (金)

コンサートの記(159) ジェームズ・ジャッド指揮 京都市交響楽団第580回定期演奏会

2014年6月20日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第580回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はイギリスの中堅、ジェームズ・ジャッド。

曲目は、モーツァルトの交響曲第31番「パリ」、パガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番(ヴァイオリン独奏:クリストフ・バラーティ)、エルガーの変奏曲「謎(エニグマ)」(「エニグマ変奏曲」、「謎の変奏曲」)

NHK交響楽団への客演などで知られるジェームズ・ジャッド。NAXOSレーベルの看板指揮者の一人でもあり、手兵であったニュージーランド交響楽団やフロリダ・フィルハーモニー管弦楽団とのレコーディングを行っている。また、レナード・バーンスタインの弟子ではないのに、バーンスタインの書いたクラシック作品を聴いたりスコアを読んだりして、「もっと演奏されて然るべきだ」と思い、プログラムに載せることの多い指揮者としても知られる(NAXOSレーベルにレナード・バーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」などのレコーディングも行っている。現在、レナード・バーンスタインの書いたクラシック音楽を取り上げているのは、ほぼバーンスタインの直弟子に限られており、ジャッドは異色の存在である。ただ、バーンスタインの作品は見直しが盛んに行われており、将来的には「異色の存在」から「先見の明あり」と評価が変わるかも知れない)。

開演20分前から、ジェームズ・ジャッドと通訳によるプレトークがある。
ジャッドはまず、「今日はとても早起きをしなければなりませんでした。フットボールのイングランド戦があったので」と言って聴衆を笑わせる。「残念ながら、負けてしまいました。日本戦も見ましたよ。ドローでしたね」とイギリス人らしい枕を語った後で、モーツァルトとエルガーの楽曲の説明に入る。モーツァルトの交響曲第31番「パリ」は、モーツァルトがこれまでにないほどに心血を注いだ作品だとジャッドは語る。パリ宮廷への就職が掛かっており、そのためにパリ市民の心をも絶対に掴まねばならなかったからだ(初演は大成功だったが、結局、モーツァルトはどこの宮廷からも受けいれられず、史上初のフリーランスの音楽家を目指すことになる)。
エルガーの音楽についてジャッドは、「とても難しい」と語る。エルガーは外見はいかにも英国的な紳士だったが、内面は気難しい人物であった。「エニグマ」変奏曲も、タイトルの通り謎かけがあり、「演奏されない隠れた大きな主題」については今も正解がわかっていない。

モーツァルトの交響曲第31番「パリ」。ヴァイオリン両翼であるが、古典配置ではなく、ドイツ式の現代配置の第2ヴァイオリンとヴィオラを入れ替えた独自の配置である。

ジャッドがイギリス人ということもあり、イギリスで盛んなピリオド・アプローチによる演奏である。今ではすっかりモーツァルトの交響曲といえばピリオドによる演奏が主流になってしまった。

極めて端正でチャーミングが展開される。ジャッドの指揮は明確で美しく、生み出す音楽は、ヘルベルト・フォン・カラヤンが岩城宏之に語ったという、「ドライブするのではなくキャリーする」という言葉の意味がはっきりわかるアポロ芸術的なものである。
モーツァルトの交響曲第31番「パリ」の実演には、昨年、沼尻竜典指揮日本センチュリー交響楽団のものに接しているが、ホールの響き以外は全て今日のジャッドと京響の方が上である。

パガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番。
ソリストのクリストフ・バラーティは、1979年、ブダペスト生まれの若手。音楽家の両親の下に生まれ、幼少期はハンガリーではなく、ベネズエラで過ごしたという。カラカスで音楽教育を受けた後、祖国のフランツ・リスト音楽院で研鑽を積み、2010年にパガニーニ・モスクワ国際ヴァイオリンコンクールで第1位を獲得。2011年にはハンガリー政府よりリスト賞を受けている。

パガニーニのヴァイオリン協奏曲は、ヴィルトゥオーゾ向けの作品であるが、曲自体はそれほど面白いというわけではない。ただ、今日の演奏は楽しめた。

バラーティのヴァイオリンは磨き抜かれた艶やかで明るい音色が特徴。基本的に根明の音であり、イツァーク・パールマンの音楽性に通じるところがあるように思う。だが、そのため、曲が進んでいくうちに、「いくら技術重視の作品とはいえ、陰影に乏しすぎるのではないか」という疑問が浮かぶ。影を出せないのではなく出さないのだということは後にわかるが解釈には疑問である。
とはいえ、メカニックも抜群で、パガニーニのヴァイオリン協奏曲ならこうした演奏でもいいだろう。

ジャッド指揮の京響はリズム感抜群の無駄のない音楽を作っていく。

演奏終了後、聴衆からの大喝采を浴びたバラーティはアンコールを2曲演奏する。まず、J・S・バッハの「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ」より“サラバンド”。パガニーニとは打って変わった渋めの音を出す。年齢の割には深い味わいもある演奏で、バッハの真髄を聴かせた。

2曲目は、イザイのヴァイオリン・ソナタ第2番より第1楽章“オブセッション”。濁りの全くない音で「グレゴリオ聖歌」の“怒りの日”の主題による変奏が奏でられていく。イザイということで超絶技巧が要求されるが、難なくクリアしていく感じだ。

協奏曲では疑問もあったが、優れたヴァイオリニストであることに間違いはなく、また聴いてみたくなるタイプの演奏家であった。

 

メインである、エルガーの変奏曲「エニグマ(謎)」。ジャッドのお国ものだけに優れた演奏となる。京響の演奏する変奏曲「エニグマ(謎)」は、広上淳一がまだ常任指揮者になる前に指揮したものを聴いているが、広上は変奏と変奏の間にちょっとした空白を置くという独自の解釈で演奏したため、普通の、間断のない演奏を聴くのは今日が初めてである。

パイプ・オルガンも加わる曲だが(パイプ・オルガン:桑山彩子。ステージ上での演奏である)、ジャッドは京響からもパイプ・オルガンのような響きを引き出す。力みはないのに壮大で豪奢な音楽が生み出されていく様は実に見事。また、全ての楽器に神経の行き届いた丁寧な音楽作りである。強引なドライブなしに豊かな歌を紡ぎ出す技術も特筆事項である。

4月定期の指揮者であった下野竜也と5月定期の指揮者であった広上淳一も傑出した演奏を聴かせたが、ジェームズ・ジャッドの指揮した今日のコンサートはそれらを上回る出来であったと思われる。

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2014年10月22日 (水)

これまでに観た映画より(68) 「るろうに剣心」

Blu-rayで、日本映画「るろうに剣心」を観る。和月伸宏の人気マンガ「るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-」の映画化である。「龍馬伝」の大友啓史監督作品。主役の人斬り抜刀斎こと緋村剣心を演じるのは「龍馬伝」では人斬り以蔵こと岡田以蔵を演じていた佐藤健(さとう・たける)。音楽も「龍馬伝」の佐藤直紀が担当している。他の出演は、武井咲(たけい・えみ)、吉川晃司、蒼井優、青木崇高(あおき・むねたか)、綾野剛、奥田瑛二、香川照之、江口洋介ほか。「龍馬伝」の出演者も多くキャスティングされている。

幕末に人斬り抜刀斎として、佐幕派の志士達を数え切れないほど暗殺してきた、長州出身の緋村抜刀斎(佐藤健)。しかし、鳥羽・伏見の戦いの伏見の戦いで大活躍した抜刀斎は、新選組の斎藤一(江口洋介)らが見ている中で、剣を大地に突き刺し、「剣などもういらぬ」とばかりに立ち去る。それを見た斎藤一は「俺達は剣の道でしか生きられず、死ねない」と声を掛ける。

伏見の戦いで負傷した鵜堂刃衛(うどう・じんえ。演じるのは吉川晃司)は、這い上がり、抜刀斎が置いていった刀を握って、剣の道に生きることを誓う。

時は移り、10年後の1878年(明治11年)、西南戦争が終わり、平和の世が再び訪れていた。そんな中、豪商の武田観柳(香川照之。新選組五番隊組長で文学師範でもあった武田観柳斎にちなむ名前だが、武田観柳斎は鴨川に掛かる銭取橋で斎藤一によって刺殺されているため、武田観柳斎とは名前が似ているだけの別人という設定である)は、「蜘蛛の巣」と呼ばれる独自に開発された阿片を売ろうとしていた。だが、「蜘蛛の巣」の製造法は企業秘密であり、高荷恵(たかに・めぐみ。演じるのは蒼井優)を除いて、製造に関わったものは全て観柳の命令で殺される。

平民の時代となり、かつて武士だったものは禄を得ることが出来なくなり、商売を始めても「武士の商法」で失敗するものが後を絶たず、士族が没落していく時代であった。観柳はそんな旧士族を自宅の警護のために大量に雇っており、広大な自宅の庭に住まわせていた。

そして観柳は一人の強者を雇っていた。抜刀斎を名乗る男である。抜刀斎は警官の殺害などを行っていた。抜刀斎は抜刀斎の名を記した「罪奸状」を置いていったが、今は警視局抜刀隊に所属し、藤田五郎と名を改めた斎藤一は、「罪のない人間を殺したのに罪奸状を置いていくとは、手口が抜刀斎らしくない」と今の抜刀斎が幕末の抜刀斎とは別人であると見抜く。

今の抜刀斎は神谷活心流を名乗っていたが、神谷活心流の現在の道場主である神谷薫(武井咲)には覚えがなく、勝手に自分の流派を名乗られて、門下生がいなくなってしまったことに憤りを感じている。

そんなある日、薫は、剣心を名としたかつての抜刀斎である緋村剣心を見て、現在の抜刀斎だと勘違い。木刀で斬りかかる。ただ、剣心は刃が峰のほうにある逆刃刀を差しており、「これでは人は斬れぬ」と言われて納得する。剣心は今は流浪の身である。

身の危険を感じていた高荷恵は、武田観柳の豪邸から脱出。警視局第四署に助けを求める。ところがそこに抜刀斎が現れ、次々と警官を殺害。恵は何とか逃げ出すが、抜刀斎が立ち去る時に出くわした薫は木刀で抜刀斎に勝負を挑む。勿論、敵うはずがなかったが、そこに剣心が現れて薫を救う。

神谷道場の居候となった剣心。しかし、阿片を運び出す港を作りたい観柳は、海に近く、適当な地にある神谷道場を乗っ取るために、雇っていた旧士族を大勢送り込む。乱暴を働く旧士族達。しかし、そこに現れた剣心は柔術や逆刃刀で、狼藉者を次々と気絶させていく。

刀を持っていたために逮捕された剣心は、牢屋を訪れてきた藤田五郎こと斎藤一と再会。斎藤は剣心を牢から連れ出し、かつて剣心に暗殺を行うよう命じていた山県有朋(奥田瑛二)と対面させる。山県は剣心に「抜刀斎を倒すために力を貸して欲しい」と頼まれる…

なかなか良く出来た映画であり、大友啓史の演出も巧みで、殺陣やアクションシーンにおける迫力は抜群である。人間ドラマとしてもまずまずで楽しむのに不満はない。

ロケ地として、京都や近江八幡が出てくる。警官が勢揃いするシーンで使われるのは京都にある龍谷大学大宮学舎であるし、堀端のシーンの多くは近江八幡の八幡堀がロケ地だ。

飄飄とした剣心を佐藤健は実に上手く演じている。演技では良い評判を聞かない武井咲も着実に役をこなしており、大きな不満はない。妖しげな恵を演じる蒼井優は、白石加代子、大竹しのぶ、中谷美紀と受け継がれてきた憑依派の女優であるが、この手の役を演じさせると若手では右に出る者がいないほどに嵌まる。

メッセージはそれほど深くないが(観る人の立場に寄ってメッセージの深浅は変わるタイプの映画である)、エンターテインメントとしては優れた一作だ。

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2014年10月17日 (金)

観劇感想精選(137) 「昔の日々」

2014年6月19日 大阪・茶屋町の梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後7時から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、「昔の日々」を観る。作:ハロルド・ピンター、テキスト日本語訳:谷賢一、演出:デヴィッド・ルヴォー。出演:堀部圭亮(ほりべ・けいすけ)、若村麻由美、麻実れい。

ノーベル文学賞作家であるイギリスの劇作家、ハロルド・ピンターの戯曲を、東京に拠点を持つイギリス人演出家のデヴィッド・ルヴォーが演出するという意欲的な舞台。

ハロルド・ピンターは現代の劇作家であるため、観て理解するにはメタレベルでの思考能力が必要とされる。有料パンフレットも販売されていたが、チラシの入ったビニール袋の中に、「『昔の日々』をご観劇されたお客様へ」という宛て書きの、デヴィッド・ルヴォーが「昔の日々」のテキストに対して行った解釈が書かれた紙が入っており、内容を十全に理解したい人は事前に意図がわかるようになっている。読まないでもいいのだが、読まないと普通の劇だと思っている人は何が起こっているのかわけがわからないだろう。

登場人物は、ディーリィ(堀部圭亮)、ケイト(若村麻由美)、アンナの3人であるが、ルヴォーは、ケイトとアンナは実は同一人物だという解釈をしている。おそらくこれがハロルド・ピンターの意図に最も近いものだと思われる。ケイトとアンナを別人と見る方が不自然なところが多いからである。

舞台奥には、暖炉があり、灯が点っている。その他にグランドピアノ、蓄音機などが見えるが、みな灰色をしている。

舞台は奥行きの長い長方形のものを通常のシアター・ドラマシティの舞台からせり出すように作ってあり、前方の席は除けられていて、中央列は4列目が最前列。上手と下手は、舞台袖が見切れないようにするためと、端の観客の視界を妨げないように4列目と5列目には黒い布が掛けられており、6列目が最前列となる。今日は、私は下手側の6列目での観劇。下手側としては最前列となる。普通の6列目での観劇だと思い込んでいたのでちょっと驚く。張り出しステージには赤い絨毯が敷きつめられており、3つあるソファーも全て深紅だ。

クセナキスの作品に似た曲が鳴り、舞台下手から役者3人が登場、同時に暗転し、窓のある壁が左右から出てきて真ん中で閉じられ、それまで見えていた暖炉やピアノなどは見えなくなる。張り出し舞台の縁がライトであり白く光る。

照明が差す。舞台は、イギリスの海岸近くにある田舎の家。ディーリィと妻のケイトはこの家に二人で暮らしている。二人は、ケイトの唯一の友人で、今はイタリアのシチリア島に住んでいるアンナがこの家を訪ねてくることになったので、アンナがどんな女性なのかを話している。ケイトとアンナはかつてルームメイトだったのだが、何分、昔のことなので、ケイトはアンナのことを良く覚えていないという。よく思い出せない事柄を話すときにはケイトは煙草を吸ったり、手に持って煙の出るままにしていたり、灰皿に入れてもちゃんと火を消さずに放置していたりする。記憶が霞んで思い出せないことを表現しているのだと思われる。この時、すでにアンナ役の麻実れいは、二人の後ろに背中を向けて立っている。そして、唐突に振り向いて、アンナがディーリィとケイトの家に訪れる場面となる。

ディーリィは黒の背広。ネクタイも黒なので喪服にも見える。ケイトも地味なグレーの服だが、アンナは鮮やかな赤い上着を羽織っている。

アンナが語るのは、自分とケイトが若かった頃の話だ。久しぶりの来訪なので、若い頃の話になるのは当たり前といえば当たり前なのであるが、二人は若い頃はロンドンで、映画、美術、音楽などあらゆる芸術を堪能する暮らしをしていた。アンナの話の内容は実に輝かしい。俳優や芸術家の通うカフェに通い、ケイトは夢見がちな少女で、内気で友達もアンナしかいなかったが、それを忘れるほど人生を楽しんでいた。一方、今のケイトの話す過去は少し暗めである(ケイトの性格は、「ブロンテ」に例えられる。ブロンテは三姉妹であるが、生涯一人の友人も持たず男も知らなかったエミリー・ブロンテのことだと思われる)。

ディーリィとケイト、アンナの話は時に食い違い、時に他人とは思えないほど合致する。普通に考えるとおかしな場面もある。ディーリィとアンナは初対面のはずなのに、ディーリィはアンナを知っていると言い、確かにアンナも同じ記憶を共有している。ディーリィとケイトの馴れ初めは、田舎の映画館で、ロバート・ニュートンの出ている映画「邪魔な奴は皆殺し(邪魔者は殺せ)」を観た二人だけの観客だったからなのだが、アンナもロンドンで「邪魔な奴は皆殺し」をケイトと観ていた。

上演時間約1時間20分という比較的短めの劇であるが、暗転があり、その後、ケイト役の若村麻由美が灰色の布を引きずりながら下手から出てきて、張り出し舞台の前を回り、上手へと退場していく。普通なら「過去を引きずっている」と思わせる場面だが、布の色がグレーであることから、引きずっているのは過去ではなく現在なのではないかと推測出来る。思えば、ケイトの人生は今の方が地味であり、過去の方が輝いていた。だが、ケイトは過去に戻りたいと考えているわけではないようだ。そのため、現在を引きずるという妙ないい方よりも現在を受け止めていると書いた方が適切なのかも知れない。そしてケイトは過去を断ち切るのである。

我々は皆、過去と過去の夢を殺し、且つそれらに殺されながら生きている。若しくは生きなければならない。過去、あの、現在より鮮明で濃密なるもの。

「誰が見ても美人」という女優の代表格である若村麻由美は、無名塾出身ということもあってか、極めて丁寧で繊細な演技を見せる。謎めいた女、アンナを演じた麻実れいの熟した演技も見事だ(アンナとケイトが親子に見える場面もあるので適切なキャスティングであるが、私が演出家だったら麻実れいではなく、若村麻由美と同世代の女優を使うかも知れない)。堀部圭亮の演技も安定感があった。

セリフの解釈を変えた方が良いと思われる場面もないではなかったが、全体としては完成度の高い舞台だったと思う。

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2014年10月16日 (木)

コンサートの記(158) 久石譲×京都市交響楽団

2014年9月3日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、「久石譲×京都市交響楽団」という演奏会を聴く。

スタジオ・ジブリの映画音楽などで知られている久石譲。久石譲というのは芸名であり、クインシー・ジョーンズがその由来である(クインシー=くいし=久石、ジョーンズ→譲)。最近では指揮者としての活動も活発化させており、今回の演奏では、全曲で指揮を担当するが、自作自演は前半のみであり、メインはチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」である。

曲目は、久石譲の室内オーケストラのための《シンフォニア》、久石譲のオーケストラのための《シンフォニック・ヴァリエーション「メリーゴーランド」》(映画「ハウルの動く城」より)、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」

今日の京都市交響楽団のコンサートマスターは泉原隆志(いずはら・たかし)。フォアシュピーラーは尾﨑平。フルート首席は前後半とも清水信貴。オーボエは前半はフロラン・シャレールが首席の位置に座り、後半は首席奏者の高山郁子に交代する。ティンパニは中山航平が務める。コンサートマスターの渡邊譲と首席クラリネット奏者の小谷口直子は今日は降り番である。

久石譲の自作自演による室内オーケストラのための《シンフォニア》は、かなり若い頃に書いたミニマル・ミュージックを発展させたものである。ジブリ・メロディーを期待している人は曲想に戸惑うかも知れないが、これもまた久石の顔である。3つの楽章からなるが、次第に高揚して明るく終わるのが特徴。第3楽章ではチャイコフスキーの「悲愴」交響曲第3楽章に似た音の進行があり、「悲愴」をプログラミングした理由もわかったような気がする。

今日は3階席で聴くので音響に問題はない。「3階席で聴くので音響に問題はない」などという文章は京都コンサートホールでしか生まれないと思うが。

久石譲であるが、指揮者としてはプロではないだけに、拍をきちんと刻むスタイルであり、見た目は個性ある指揮姿ではない。

久石本人と指揮とピアノによる、久石譲のオーケストラのための《シンフォニック・ヴァリエーション「メリーゴーランド」》。「ハウルの動く城」のメリーゴーランドのテーマによる変奏曲であり、完全な調性音楽である。誰が聴いても分かり易いし、親しみやすい。

久石は、ノンタクトで指揮を開始して、その後、ピアノを弾き、指揮台に戻ってしばらくしてから指揮棒を取り出して指揮をするということを二度ほど繰り返す。ピアノは蓋を完全に取り外したものであり、ステージ上、指揮台より客席側に置かれた。この曲ではもう一台のピアノがステージ上手奥に置かれており、それほど長い時間ではないが活躍する。

アンコールは、久石のピアノ弾き振り、京響のストリングスによる「One Summer's Day(あの夏の日へ)」。叙情味溢れる曲と演奏であった。

チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。

久石は少し速めのテンポでスタート。余り踏み込んだ文学的解釈はしない、良く言うと中庸を行く演奏である。

第2楽章は、4分の5拍子という変則的なワルツであるが、久石は4拍目と5拍目を指揮棒を持たない左手で示し、わかりやすくしていた。

第3楽章はノリが良く、京響の鳴りも良い。

最終楽章は徒に嘆き節を露わにしない演奏であるが、安定はしていたものの、目新しさはなかったように思う。

後半のアンコールは、チャイコフスキーのバレエ音楽「眠れる森の美女」より“ワルツ”。雅やかな演奏であった。

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2014年10月13日 (月)

コンサートの記(157) 京響プレミアム 菅野祐悟×広上淳一×京都市交響楽団

2014年8月24日 京都コンサートホールにて

午後3時から、京都コンサートホールで、「京響プレミアム 菅野祐悟×広上淳一×京都市交響楽団」というコンサートを聴く。「京響プレミアム」は、クラシックでない音楽をオーケストラで本格的に演奏しようという試みで、今日の演奏が第1回となる。

菅野祐悟(かんの・ゆうご)は1977年生まれの作曲家。映画音楽やドラマ音楽などの劇伴音楽を主に作曲しており、今年の大河ドラマ「軍師官兵衛」の音楽も担当している。そうした人の作曲した音楽を、それも作曲者の演奏付き聴けるというのは正にプレミアムだが、チケット料金自体は定期演奏会などに比べると安い。

菅野祐悟は有名な映画やドラマの音楽を次々に書いている、今最も旬な日本人劇伴作曲家の一人である。代表作は「軍師官兵衛」の他に、ドラマでは「ガリレオ」、「新参者」、「花咲舞が黙ってない」、「ダブルフェイス」、「MOZU」、「安堂ロイド」、「外交官・黒田康作」、「不毛地帯」、「ホタルノヒカリ」、「SP 警視庁警備部警護課第四係」、映画では「アンダルシア 女神の報復」、「アマルフィ 女神の報酬」、「容疑者Xの献身」、「真夏の方程式」、「踊る大捜査線 THE FINAL」、「麒麟の翼~劇場版・新参者~」、「カイジ 人生逆転ゲーム」、アニメに「ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセイダーズ」、「PSYCHO-PASS サイコパス」など、話題作が目白押しである。
また、東京音楽大学卒であり、今日の指揮者である広上淳一の後輩に当たる。ということで、「京響プレミアム」の第1回の作曲者として招かれたのであろう。

東京音楽大学は日本最古の私立音楽大学であるが(創設時の名称は東洋音楽学校)、桐朋学園大学や国立音楽大学、武蔵野音楽大学などに押され、長い間、東京の音大の中でも下位に甘んじてきた。広上淳一も「俺は二浪して三流大学だから」と言っていたり、「海外で出身校を答えるといい顔をされない」と書いているほどである。しかし、近年になって急速に成長し、次々と優れた人材が輩出している。声楽の分野は昔から強かったが、広上淳一が指揮科の教授になってからは、川瀬賢太郎や船橋洋介のように、「広上さんに教わりたい」という理由で東京音楽大学に入学した指揮者が頭角を現し始めている。作曲の分野もクラシックではさほどではないが、劇伴の分野では菅野祐悟の他に、大河ドラマ「龍馬伝」や映画「ALWAYS 三丁目の夕日」などの作曲を手掛けた佐藤直紀も活躍がめざましい。

演目は、“新参者”より「新参者-MAIN THEME-」、“ホタルノヒカリ”より「ホタルノヒカリ-OPENING TITLE-」、“ガリレオ”より「探偵ガリレオ」、“PSYCHO-PASS サイコパス”より「PSYCHO-PASS Symphony」、“踊る大捜査線 THE FINAL”より「LIFE」&「湾岸の要塞」、“花咲舞が黙ってない”より「花咲舞が黙ってない」、“MOZU”より「MOZU~String~」、“ダブルフェイス”より「ダブルフェイス」、“軍師官兵衛”より「軍師官兵衛 メインテーマ」「天才官兵衛」「官兵衛走る」「軍監官兵衛」。

京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一の指揮。菅野祐悟は全曲でピアノを弾く。ちなみに今日のピアノは蓋を完全に取り払い、マイクが入っていて、ピアノの下に置かれたスピーカーからも音が出るという仕組みである。

今日の京都市交響楽団のコンサートマスターは泉原隆志。渡邊穣は今日は降り番であり、フォアシュピーラーにはアシスタント・コンサートマスターの尾﨑平が入る。

管楽器は今日は前の方の席だったので確認が難しかったが、首席奏者は余りいなかったように思える。ティンパニには打楽器首席奏者の中山航介が入るが、今日は打楽器が大活躍する曲もあるため、客演奏者を3人招いている。

菅野祐悟は、スーツの前部分が赤い独特の衣装で登場。広上淳一は、前半は濃い茶色にアラベスクのような模様の入った独特の上着である。広上は後半は黒いジャケットに着替えて出てきた。

1曲ごとに菅野と広上によるトークが入る。菅野はコンサートではいつもトークを入れているそうだが、菅野曰く「良い音楽とグダグダのトークのギャップを楽しんでいただくため」だそうである。

ちなみに、菅野は本人曰く「嵐を呼ぶ男と言われている」そうで、今年は東京で40年ぶりの大雪のあった日にコンサートが当たってしまったという。栃木に行ったら今度は台風が来たそうだ。菅野は広島の大雨が大災害を招いているのをテレビで知り、「京都は大丈夫だよね?」と聞いたそうだが、やはり嵐を呼ぶ男なのか今日の京都は大雨である。大雨・落雷警報も出た。

菅野はまず、「皆様、本日はどうもおこしやす」と挨拶。「合ってるんですかね?」と呟く。それから、「昨夜は京都の良い場所で、あれ? 地名をど忘れした。どこでしたっけ?」と聞くが本人しか知らないので誰も答えられない。京都には良い場所は沢山あるのである。ただ祇園の可能性が高いとは思ったが、やはり祇園であり、菅野が思い出して、「祇園の素敵な料亭で食事をしてはんなりしました」と言って、広上に「はんなりで良いですかね?」と聞く。広上は「はんなりは難しいから使わない方が良い」と答えていた。菅野は「どうしても京都弁を使ってみたかった」と言う。

フルサイズのオーケストラで演奏出来るように菅野が編曲したスコアでの演奏。ルロイ・アンダーソン風編曲だったり、ジョン・ウィリアムズ風編曲だったりする。やはり映画音楽などはアメリカ人の作曲家に実力者が多いため、アメリカ風の編曲になるようだ。

菅野祐悟は作曲家としては優れているが、一般人に比べると少し抜けたところがあるようで、祇園をど忘れしたということもあるが、「花咲舞が黙ってない」を「花咲舞が黙っていない」だと思い込んでいたり、西島秀俊のことを、「西島ひでとしさん、あれ? としひでさんでしたっけ?」と主演俳優の名前を記憶していなかったり、次に演奏する曲が何なのか忘れてしまったりする。菅野は「マイペースでやって良いと言われているので」と言い訳するが、広上は泉原と顔を見合わせて「マイペースにも程がある」といった風に笑っている。優れた才能のある人は他の部分が欠落しているというのはよくあることである。

そんな菅野祐悟であるが、バラエティに富んだ作風を誇り、雄大なものからドラマティックなもの、神秘的な音楽から愛らしいものまで巧みに書き分けている。コンサートマスターが活躍する場面が多く見られ、それが一つの特徴となっている。

菅野祐悟は、これまで様々なヴァイオリン奏者と共演してきたが、泉原隆志の音色は好きだそうで、泉原の演奏を特等席で聴けるのが嬉しいそうだ。菅野は泉原のことを「向井理似のイケメン」と評する。京響の楽団員の中で泉原が一番のイケメンであることに異論を唱える人はいないであろう。

今日は前から6列目であり、京都コンサートホールは前の方の席は響きが良くないのであるが、京都コンサートホールの音響を把握している広上の指揮だけに、今日は良い響きで楽しむことが出来た。

面白い曲が並んでいたが、一番の聞きものは何といっても大河ドラマ「軍師官兵衛」の音楽。テレビから流れてくる「軍師官兵衛」のメインテーマの指揮者が他ならぬ広上淳一なのである。ちなみに菅野によると、「2分40秒ジャストというかなり厳密な規定がありまして、『良い演奏が出来たな』と思ったら、『2分42秒、やり直し』という指示が来て、『えー、2秒ぐらいいいじゃん。音楽を優先させてよ』」とも思ったそうだが、2分40秒ジャストになるまで収録を繰り返したそうである。
広上淳一は、2004年の大河ドラマ「新選組!」、2010年の大河ドラマ「龍馬伝」の指揮を担当しているが、「父親が某国営放送局、まあ、NHKですね、に勤めていたものですから、大河ドラマは幼い頃から見ていて、大河フェチ。歴史の成績の方は余り良くなかったのですが、歴史劇は好きで、黒田官兵衛は好きな武将なのでやれて良かった」と語るが、「去年も綾瀬はるかさんに会えるというので本当はやりたかったのですが」などと相変わらずのミーハーぶりも発揮する。

京都コンサートホールの1階席は音が横に飛びやすいのだが、今日はそれが程よい拡がりとなって、テレビやオーディオで聴くよりもスケールの大きな演奏を楽しむことが出来た。

菅野祐悟は、「皆様、本日は最後までお聴き頂きまして本当におおきに」と関西弁を交えたお礼を述べ、アンコールとして、今日の演奏会のために作曲してきたというピアノソロ曲「約束」を演奏する。しっとりとした曲である。その後、菅野に広上指揮の京響も加わり、“軍師官兵衛”から、「天下人秀吉」が演奏された。

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2014年10月11日 (土)

忌野清志郎&仲井戸“CHABO”麗市 「Don't Let Me Down」

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2014年10月10日 (金)

コンサートの記(156) ドミトリー・リス指揮 京都市交響楽団第583回定期演奏会

2014年9月27日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から京都市交響楽団の第583回定期演奏会を聴く。奇妙なコンサートであった。
今日の指揮者はドミトリー・リス。元々は別の指揮者だったのだが、来日不可能となったため、ドミトリー・リスが代役として登場したのである。だが、本来は指揮するはずだった指揮者よりもドミトリー・リスの方が有名なのである。ここからすでに変なのだが、ドミトリー・リスが何故有名かというと、山田耕筰の書いた戦意高揚のための管弦楽曲集をなぜかレコーディングしているのである。ドミトリー・リスはファーストネームからわかる通り、ロシア人指揮者である。どういう経緯で山田耕筰の、それも今では封印しておいた方が良いような作品を録音しているのか謎である。リスという苗字も日本語で考えると変だが、そんなことが変だとは思わないくらい妙な出来事が次々に起こる。

曲目はブラームスの悲劇的序曲、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:川久保賜紀)、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」(1911年版)。

ドミトリー・リスのプレトークはストラヴィンスキーに関するもので、「ペトルーシュカ」の他に、「火の鳥」や「春の祭典」という、合わせて3大バレエと呼ばれるものにも触れていた。

今日の京響のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーは渡邊穣。オーボエ首席奏者の高山郁子、フルート首席の清水信貴、クラリネット首席の小谷口直子は後半のみの登場である。

ブラームスの悲劇的序曲。フェドセーエフにしろゲルギエフにしろロシア人指揮者はピリオド・アプローチには否定的なようだが、リスはピリオド・アプローチを行う。弦はビブラートを抑えめにして、流線型のブラームスを築く。ただ、リスがピリオド・アプローチ若しくはブラームスあるいは両方を消化し切れていないのか、金管、特にトランペットが安っぽい音を出すなど、スポーティな演奏になってしまっていた。リスは手の振りがかなり大きいが指揮そのものはわかりやすい。ただ、旋律を「ウンウン」と唄ったり、唸り声を上げたりするのが少し気になる。

チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。ソリストの川久保賜紀は、2002年のチャイコフスキー国際コンクール・ヴァイオリン部門で1位なしの2位(最高位)となり、日本人ヴァイオリニストとしては諏訪内晶子以来で二人目となるチャイコフスキー国際コンクール最高位受賞者となったことで注目を浴びている(諏訪内晶子は第1位を獲得している)。

私が聴いたことのある日本人女性ヴァイオリニストの中で、川久保賜紀は、五嶋みどり(MIDORI)、諏訪内晶子、神尾真由子と共に別格に位置する名手である。

青いドレスで登場した川久保賜紀は、遅めのテンポを採用。じっくりと歌う。音色は磨き抜かれており、スケールも大きい。ただ、高音が金属音のように響く時があり、謎だったのだが、その理由は後に判明する。
リス指揮の京都市交響楽団が急激なアッチェレランドをしたので、おそらく川久保も速めのテンポに移行するはずだったと思うのだが、そこに至る前に、何と川久保の弾いていたヴァイオリンの弦が切れてしまうというアクシデント発生。ヴァイオリン独奏の弦が切れるというのは珍しくはないとされているが、私がコンサートでヴァイオリニストの弦が切れたという場面を実際に目にしたのはこれがおそらく初めてである。独奏者が強く弾く場面ではあったが、力を入れすぎたから切れたのではなく、川久保が登場した時点で弦がもうくたびれており、そのためにちょっと力を入れただけで切れてしまったのだと思われる。金属音のような響きは切れることの予兆であったのだ。

ヴァイオリン独奏者が弦を切ってしまった場合の対処法は確立されており、川久保は定石通りコンサートマスターの泉原隆志のヴァイオリンを借りて弾き続け、泉原は川久保のヴァイオリンを受け取って真後ろにいた尾﨑平に渡して尾﨑のヴァイオリンを受け取って弾き、尾﨑はその後ろの奏者に川久保のヴァイオリンを渡してその奏者のヴァイオリンで弾きといったように、川久保のヴァイオリンをリレーして、最後列の第1ヴァイオリン奏者が、川久保のヴァイオリンを持って退場した。

川久保は、アクシデントのため本来の力は発揮出来なかったようだが、それでも果敢に引き続け、途中でヴァイオリン交代のために音が出なかった場面はあったが、何とか第1楽章を最後まで弾ききる。

ドミトリー・リスはそのまま第2楽章に入ろうとしたが、川久保のヴァイオリンの弦の張り直しが終わっていないため、川久保はリスに途中休止を申し出る。

川久保は「弦が切れてしまったので、いったん、退場します」と客席に告げて、リスと共に退場する。二人が退場している間に、京響の奏者のヴァイオリンが元の持ち主に返される。

弦の張り直しに少し時間が掛かったが再び出てきた川久保は、第2楽章と第3楽章(切れ目なく演奏される。第3楽章ではかなり激しく弾く必要があり、川久保も泉原のヴァイオリンの弦を切ってしまっては申し訳がないので、張り替えを選択したのであろう)でも見事な演奏を展開したが、ヴァイオリンの弦を急遽張り替えたのか或いは京響が所有する他のヴァイオリンを使用したのかはわからないものの、第1楽章に比べると音色に濁りが生じており、彼女本来の出来ではなかった。強い音を出すピッチカートなどにも臆することなく挑んだが、スケールなどはどうしても小さくなってしまう。仕方がないことではあるが。

演奏を終えた川久保とリスの指揮する京響は喝采を浴びるが、退場してから拍手に応えて再登場してきた時に、リスが何かにけつまずいて体勢を大きく崩すというアクシデント発生。なんなんだ、このアクシデントの連続は。

川久保はアンコールとして、J・S・バッハの無伴奏パルティータ第3番より「ブーレ」を弾く。美しく端正な演奏であった。

バッハを弾いたヴァイオリンがチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の第2楽章と第3楽章と同じものなのかはやはりわからない。

メインであるストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」(1911年版)。オーケストラの中に入ったピアノを弾くのは野田清隆。黒田清隆のような名前だが、一字違うので別人である。黒田清隆が生きていたら驚きであるが。バレエ音楽「ペトルーシュカ」は1947年版で演奏されることが多いのだが、1911年版も基本的には同じ曲である。管の編成や、スネアドラム奏者がステージ上でではなく、舞台袖で演奏するといった違いがある。1911年版の方が大規模編成である。

ブラームスもそうだが、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の伴奏でも「外面的」という印象を受けたリスの指揮であるが(リスは合わせものは苦手なようにも感じた)、ストラヴィンスキーでは見事な演奏を聴かせる。リスは現代音楽に強い指揮者であるようだ。

演奏自体は「素晴らしい」といえるもので(ホルンがやや不調ではあったが)リスと京響は喝采を浴びたが、拍手の音の大きさ故に、演奏終了後に握手を求めたリスにコンサートマスターの泉原が客席の方を向いていたということも重なって気付かず、リスが困るというアクシデントが発生。「何て日だ!」

嘘のようなハプニングの連続に泉原も苦笑していたが、本当にもう笑うしかないコンサートであった。

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2014年10月 9日 (木)

ファジル・サイ 「ブラック・アース」

ファジル・サイの自作自演によるピアノ曲「ブラック・アース」。左手でピアノの弦を抑えて右手で鍵盤を弾くという特殊奏法を用いた曲です。

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観劇感想精選(136) 「茂山狂言会」秋公演2014

2014年9月7日 京都烏丸一条の金剛能楽堂にて観劇

午後4時から、京都御苑の西にある金剛能楽堂で「茂山狂言会」秋公演を観る。茂山千五郎家による公演である。今日は午前11時からと午後4時からの2回公演であり、午前の部では茂山正邦の三男である鳳仁君、今回の午後の部では茂山逸平の長男である慶和君が共に「靱猿」で初舞台を踏む。そのため、鳳仁・慶和「靱猿」競演というサブタイトルが付いている。

演目は、「靱猿」、小舞「吉の葉」、小舞「雪山」、「右近左近」、「寝音曲」、「仁王」

「靱猿」。出演は、茂山七五三、茂山宗彦、茂山慶和、茂山逸平。後見や地謠まで入れると書き切れないので割愛する。

大名が京に戻る途中で遊行(狩りのこと)をすることにする。そこへ、猿使いと猿がやって来たので、その猿の皮を靱(矢を入れる筒状の道具)の外巻きに使おうと思い立つ。大名の家臣である太郎冠者が猿使いにその旨を申し出るが、猿使いは戯れだと思って気にしない.ところが大名が本気であることを知って驚き、「それだけは受けるわけにはいかない」と突っぱねる。大名は憤り、猿使いと猿を共に矢で射てその後で、猿の皮を靱に使おうとする。矢を構えられた猿使いは、仕方なく自分で猿を討つことにするのだが……

前半はシリアスな場面が続き、後半に笑いが連続する。

まだ幼い茂山慶和は猿を演じ、父親の茂山逸平が猿使い役で親子共演となる。茂山慶和はまだ烏帽子が重たそうな年齢であるが、無事に役目を果たし終えた。

小舞「吉の葉」と小舞「雪山」は、共に子供である茂山竜正と茂山虎真の舞。「吉の葉」を茂山竜正が、「雪山」を茂山虎真が舞う。茂山虎真の方が年長である。茂山千五郎家は中興の祖である九代目千五郎の諱が正虎であったが、茂山家自体がそれとは無関係に熱心なタイガースファンのようなので、あるいは虎真はタイガースが前回優勝した2005年生まれなのかも知れない。いずれにせよ二人ともまだ迫力ある舞が出来る年齢ではない。

「右近左近」。出演は、茂山茂、茂山童司。後見:山下守之。

右近は「うこん」はなく、「おこ」と読む。「おこ」というと「おこの沙汰」という言葉からわかる通り、愚か者という意味である。左近は「さこ」と読む。それ自体に特に意味はないが、「さ」で始まる「聡い」、「賢しい(さかしい)」などの意味掛けがあり、切れ者という設定である。右近も左近も百姓であるが、左近の馬が、実った右近の田を蹴散らし、稲を食い漁るという事件があった。
右近(茂山茂)は、そのことで、女房(茂山童司)に相談をする。この事を公事(事件)にして地頭へ訴え出ようというのである。だが女房は、左近は裕福で地頭への年始の礼も欠かさないのに、右近はといえば貧しい上に地頭へ挨拶に出向いたこともない。それでは地頭は左近に味方するから公事にするだけ無駄だと言う。

それでも、地頭に訴え出て勝つための稽古をしようということになり、女房が地頭に扮するが、右近は今でいうイメージトレーニングに嵌まりすぎて、余計なことばかりした上に、地頭の前に出ると緊張の余り、「左近の田を馬が荒らしました」、「左近が馬を食べました」、「左近が右近を食べました」と支離滅裂なことを言ってしまう。
実は女房には秘密があるのだが、右近もそれを知っていて……

やはり茂山茂、茂山童司クラスになると二人とも張りのある声が心地良く、メリハリのある動きにも静かな迫力が漲っている。

ちなみに、茂山童司は、この演目でセリフを間違えたそうで、「仁王」ではそのことをネタにしていた。

「寝音曲」。出演は、茂山宗彦、茂山正邦。後見:井口竜也。

主が友人の家を訪ねた後の帰り道で、家来の太郎冠者が能の謡いをしているのを聴く。上手いというので、家に帰った後、太郎冠者を呼んで謡をさせようとするが、太郎冠者は後々面倒なことになりそうなので、謡を拒む。だが、「酒を飲まないと謡が出来ない」と太郎が無理を言い、大きな杯で三杯も開ける。普段は酒など飲める身分ではないので、ここで思う存分飲んでやろうという魂胆だったのだが酔ってしまい……

太郎冠者を演じた茂山宗彦の謡が見事である。

「仁王」。出演は、茂山あきら、茂山千三郎、茂山逸平、茂山童司、網谷正美、丸石やすし、松本薫、茂山千五郎。後見:増田浩紀、鈴木実。

すっぱ(盗人、詐欺師、犯罪者などという意味。「忍者」という意味もあり「すっぱ抜く」のすっぱは忍者の方である)をして家から追い出された男が、知り合いを頼り、知り合いが山の上に仁王像が現れたということにしよう、そうすれば居ながらにして貢ぎ物を受け取ることが出来てそれで不自由なく生活出来ると提案する。すっぱは仁王像に扮することにする。

知り合いは麓まで行って、村人達を呼んでくる。村人達は、供え物をして「南無仁王像」と唱えた後で、お願いをするのだが、ここは全て出演者のアドリブに任せられている。

茂山逸平は、「最近、父親が涙もろくなってきて困る」と言い、茂山童司は「先程、セリフを間違えてしまいました」と打ち明ける。自分のことよりも阪神タイガースや広島東洋カープの勝利を願う人もいる。皆、受け狙いであり、客席からは爆笑が起こる。

茂山千五郎は、昨年、観世会館の階段から転げ落ちて怪我をし、今も歩行に難があるのだが、そのことも笑いのネタに変えており、狂言師の心意気を感じさせた。

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2014年10月 7日 (火)

観劇感想精選(135) 「壽三升景清」

2014年9月5日 京都四條南座にて観劇

午前11時から、京都四條南座で、九月花形歌舞伎・通し狂言「壽三升景清(ことほいでみますかげきよ)」を観る。十一代目・市川海老蔵の発案による新作歌舞伎である。歌舞伎の「景清もの」と呼ばれるものをまとめて通し狂言としたもの。脚本:川崎哲男&松岡亮、振付&演出:藤間勘十郎。音楽:上妻宏光、杵屋巳太郎&田中傳次郎。出演:市川海老蔵、坂東亀三郎、大谷廣松、市川道行、片岡市蔵、大谷友右衛門、市川右之助、市村家橘、片岡孝太郎、中村翫雀、市川左団次ほか。

今年1月に東京の新橋演舞場で初演され、この9月に舞台となっている京都での上演が行われることとなった。一ヶ所、中国の三国時代に場面と時が移るところがあるが、それ以外は基本的に京都府内が舞台となっている。

発案者である市川海老蔵が景清役。セット上の上手の柱に「壽三升景清」、下手の柱に「十一代目・市川海老蔵 相勤め申候」という看板が打ち付けられており、文字通りの看板公演である。

題に「三升」と入っており、これはいくつかの意味掛けが考えられるが、基本的には市川團十郎家(屋号:成田屋)の三升の定紋に由来する。劇中、小道具によって三升の紋が形作られる場面もある。市川海老蔵の発案ということで、「成田屋の定番とする」という意味も込められているだろう。

プライベートでは何かとお騒がせの海老蔵であるが、今日はベストの演技とは呼べないものの、私がこれまでに生で観た海老蔵の舞台の中でも上の部類と見て間違いないだろう。

作曲の上妻宏光が舞台上で演奏する場面があるなど、新しい試みに溢れている。また、阿古屋(片岡孝太郎)が花魁の姿に変身する間の繋ぎの前では、傾城達が、「ダメよ~、ダメダメ」、「どやさ!」、「ありのー、ままのー」など、流行語や今くるよ(京都市出身)の持ちネタなどを用いて受け狙いに行っていた。

巨大な海老の像を造るなどセットも凝っており(舞台美術:前田剛)、外連味を大いに見せる舞台となった。

歌舞伎であるが、新作ということでカーテンコールがあり、主要キャストは何度も拍手に応えてお辞儀を行い、最後は片岡孝太郎、中村翫雀、市川海老蔵が一人ずつ礼をした。

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2014年10月 5日 (日)

この世の中に

どうでもいいことなどほとんどない。

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2014年10月 4日 (土)

コンサートの記(155) 「京都の秋 音楽祭」2014 開会記念コンサート

2014年9月14日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、「京都の秋 音楽祭」開会記念コンサートを聴く。毎年、秋に京都市内の様々な会場で行われる音楽祭の開会を祝うコンサートである。大阪に「大阪クラシック」があるように、京都には「京都の秋 音楽祭」がある。違うのは、「大阪クラシック」は、音響設計のなされていない場所でも演奏を行うが、「京都の秋 音楽祭」は全て京都コンサートホールで演奏会を行うということと、「京都の秋 音楽祭」は毎年、京都市長が開会の挨拶を行うが、大阪市長はクラシックに理解を示さないという点である。

京都市交響楽団の演奏。指揮は京響常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。

今日のコンサートマスターは渡邊穣。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーは尾﨑平。オーボエ首席の高山郁子は降り番で、フロラン・シャレールが前後半ともオーボエ首席の位置に座る。フルート首席の清水信貴とクラリネット首席の小谷口直子は今日は前後半共に出演する。

広上が得意とするベートーヴェン・プログラムであり、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」(ピアノ独奏:佐藤彦大)と交響曲第5番という、5・5コンビが演奏される。ちなみに広上淳一は5月5日生まれであるが、そのこととプログラムとは余り関係がないと思われる。

ピアノ協奏曲第5番の「皇帝」というタイトルはベートーヴェンが名付けたものではないにも関わらず普及しているが、交響曲第5番のニックネーム「運命」は、弟子のシントラーが勝手に呼んだものとして、採用されないことが多い。ただ、シントラーが名付けた、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第17番のタイトルである「テンペスト」は今でも普通に使われているのだからネーミングとは思ったよりもいい加減なものらしい。「運命」というタイトルにしてしまうと、それ以外の要素を聞き漏らしてしまう可能性があるため、私は「運命」というタイトルは用いないが、「運命との闘い」というストーリーがこの曲を理解するのには最も易しいものであるとも感じている。

まず、門川大作京都市長の挨拶。京都市が、アメリカが誇る世界最高峰の旅行雑誌「トラベル+レジャー」2014で、1位を獲得したことに触れ、京都が1位を獲得出来た理由は歴史あるものと新しいものが見事に融合した都市であるからと言われたことを告げ、京都市交響楽団は、まさに歴史あるものと現代を結びつけるものであり、文化・芸術都市の顔に相応しいものであると結んだ。

ただ、私見を述べると、京都にある芸術団体の中で、能・狂言といった日本の伝統芸能を除けば、世界レベルで通用するのは京都市交響楽団ただ一つである。京都市の他の芸術団体が世界で通用するとはとても思えない。

ピアノ協奏曲第5番「皇帝」。ピアノ独奏の佐藤彦大(さとう・ひろお)は、岩手県出身の若手ピアニスト。東京音楽大学大学院修了であり、広上の弟子の一人だそうである。大学院を修了後にドイツに渡り、ベルリン芸術大学で更に研鑽を積んだ。現在は、モスクワ音楽院で学んでいるという。2007年の第76回日本音楽コンクールで第1位を獲得、2011年にはイタリアの第5回サン・ニコラ・ディ・バーリ国際ピアノコンクールでも1位に輝いている。

伴奏で、広上は弦のビブラートを抑えるなど、ピリオドをかなり意識したアプローチを行う。ただ、今日は私の席は前から4列目の下手から2番目という端の席であり、この席はピアノもオーケストラも余り良い音で聞こえないのは残念であった。ピアノの音は反対側の上手の席で聴く方が音が良く、前の方の席ではオーケストラの弦の響きが生々しく聞こえすぎる。

佐藤彦大であるが、優れたメカニックも持つピアニストである。歌い崩すタイプではなく、常に楷書の旋律を奏でる。ただ、それが個性不足にも繋がっており、まだ若いということもあるが「再創造」の域には達していないように思えた。

この曲の第1楽章は、比較的穏やかに終わるのだが、それでもパラパラと拍手が起こり、すぐに止む。広上は佐藤の方を見て、「ああ、中途半端な拍手起こっちゃったね」という風に微笑む。

広上指揮する京都市交響楽団は、徒にスケールを拡げることなく、あたかも室内オーケストラで伴奏しているかのようなしなやかな音楽を奏でていた。こういったやり方が「再創造」と呼べるものである。

「皇帝」は大曲、難曲であり、佐藤は疲れたのか、アンコールの拍手には何度も応えたが、演奏をすることはなく、最後は、ピアノの上に置いていたタオルを持って退場し、「もう演奏はしませんよ」と示して、客席の笑いを誘っていた。

交響曲第5番。広上はこの曲を特に好んでいるようで、京都市交響楽団を指揮して第5の演奏を行うのは今日で3度目である。第九は2回あるが、年末恒例のもので広上の意志による選曲ではない。広上が京都市交響楽団と演奏している他のベートーヴェンの交響曲は、第4番と第7番が1回ずつのはずである。

俗に「運命動機」と呼ばれる主題は、威圧的でなく、されど雄々しく奏でられ、フェルマータも長く伸ばす。最近はフェルマータを余り伸ばさない演奏のほうが流行りである。ドラマティックな演奏であるが、頭を振り乱しているような狂気に満ちたものではなく、無手勝流に聞こえるが実は計算しつくされた音楽作りである。照準を第4楽章に合わせ、そこに至るまでの過程を逆計算して音楽を築いていく。

弦楽器のビブラートはやはりモダンスタイルに比べると抑えめであるが、「これぞピリオド」という演奏ではない。折衷タイプと言えば言えるが、その言葉から連想されるような、どっちつかずのものではなく、細部に至るまで広上の個性が行き届いた唯一無二の演奏である。楽聖ベートーヴェンではなく、人間ベートーヴェンの音楽だ。

格好いいベートーヴェン演奏であるが、外面だけ整えた静物的なものでなく、血の通った生命的な音楽がホールを満たす。

演奏終了後、広上はコンサートマスターの渡邊穣に立つよう促すが、渡邊は拍手をして広上を讃える。広上が客席に向かってお辞儀をして、もう一度、渡邊に立つよう命じるがやはり渡邊は遠慮した。広上が指揮台に上がり、喝采を浴びる。その後、渡邊もようやく応じて、京都市交響楽団の楽団員も立ち上がって拍手を受ける。

広上は客席に向かい、マイクは使わずに、「今日はチケット完売御礼ということで大変嬉しく思っております。今回、京都の秋音楽祭では、世界中の優れたオーケストラが、ここ京都コンサートホールで演奏を行います。バイエルン放送交響楽団、このオーケストラは私も指揮したことがあるのですが、非常に優れたオーケストラです。ローマ聖チェチーリア管弦楽団、ここもイタリアを代表する名門オーケストラであります。モントリオール交響楽団は、ちょっと異なりまして、元々は小さなオーケストラだったのですが、モントリオール市が力を入れまして、20年ほど掛けて名門オーケストラとなりました。京都市交響楽団と同じような道を辿ってきたオーケストラです。京都市交響楽団が世界的なレベルに達している事は私が保証致しますので、京都市交響楽団と海外のオーケストラを聞き比べてお楽しみ下さい。オーケストラというものはレストランと同じでありまして、良いお客さんが来ないとすぐに潰れてしまいます。私どもはこれからも一生懸命成長していきますので、援助をお願い致します」というようなことを述べた。広上は背が低い人の特徴ともいえるが声が甲高いので良く通るのである。

アンコールとして、ボロディン作曲の弦楽四重奏曲第1番第3楽章をリムスキー=コルサコフが弦楽オーケストラのために編曲してものが演奏される。リリカルな秀演であった。

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コンサートの記(154) グレン・ミラー・オーケストラ2014大阪公演

2014年9月22日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後6時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、グレン・ミラー・オーケストラの来日演奏会を聴く。グレン・ミラー・オーケストラ初来日から50年目に当たることを記念しての日本ツアーの大阪公演である。今回の日本ツアーはかなり大規模なもので、グレン・ミラー・オーケストラのメンバーは約1ヶ月に渡って日本に滞在する。

ジャズのビッグバンドというのは、リーダーが引退したり死去したりすると解散となるのが普通だが、グレン・ミラー・オーケストラは、グレン・ミラーの死去から半世紀以上が過ぎたのに、今なお世界最高のジャズ・ビッグバンドとして活動を続いているという稀有な例である。過去の在籍者に映画音楽作曲の大家であるヘンリー・マンシーニもいる。

グレン・ミラー・オーケストラの代表曲には有名なものが多く、「ムーンライト・セレナーデ」や「イン・ザ・ムード」、「茶色の小瓶」などのメロディーは日本人なら耳にしたことのない人はいないと断言してもいいほど有名である。映画やテレビなどで盛んに使われている上に、飲食店や病院のBGMなどとしてありとあらゆるところで流れているため、避けて通ることの方が困難だとも言える。

ジャズの場合は、「テイクファイブ」などの例外はあるが、基本的に合わせやすいように4拍子で作られているため、多少編成が大きくても指揮者は必要ないのだが、ミュージックディレクターのニック・フィルシャーが指揮者を務める。フィルシャーはメインヴォーカルと司会も担当する。フィルシャーはピアノが専門で、音楽学部でピアノの音楽学士号も得ているが、弾き振りではなく、専門のピアニストを置いての演奏である。

グレン・ミラー・オーケストラの演奏曲目はチラシの束の中の1枚として無料で配布されており、お金を出さなくても何が演奏されるのか事前にわかるようになっている。グレン・ミラー・オーケストラが好きな人のために有料パンフレットも作られているが、500円という良心的な価格である。

プログラムは、オープニングテーマ「ムーンライト・セレナーデ」、「アメリカン・パトロール」、「真珠の首飾り」、「セレナーデ・イン・ブルー」、「タキシード・ジャンクション」、「キング・ポーター・ストンプ」、「ザ・レディー・イズ・ア・トランプ」、「ジャスト・イマジン」、「ペンシルバニア6-5000」、「ビギン・ザ・ビギン」、「グレン・アイランド・スペシャル」、「バークリー・スクエアのナイチンゲール」、「サムシング・ガッタ・ギヴ」、「林檎の木の下で」、「チャタヌーガ・チュー・チュー」、約10分という異様に短い休憩を挟んで、「ナイト・トレイン」、「茶色の小瓶」、「アット・ラスト」、「ワン・オクロック・ジャンプ」、「ペニーズ・フロム・ヘブン」、「アイ・ウォント・ダンス」、「スターダスト」、「カラマズーの娘」、「レッツ・バブ・アナザー・カップ・オブ・コーヒー」、「イン・ザ・ムード」、クロージングテーマ「ムーンライト・セレナーデ」。「ムーンライト・セレナーデ」はグレン・ミラー・オーケストラのテーマ曲ではあるが、2回演奏される上に、メンバーが合唱としてステージ前方に出てきて歌う際はヴォーカル・グループ「ムーンライト・セレネーダーズ」を名乗るなど、グレン・ミラー自身の作曲による「ムーンライト・セレナーデ」への入れ込みはかなり強い。日本では「イン・ザ・ムード」の方を耳にする機会の方が多いかも知れないが。

「ムーンライト・セレナーデ」は、ジャズの曲の中でもかなり洗練された楽曲であるが、これはグレン・ミラーが白人だったことと無関係ではないだろう。黒人が始めた音楽であるジャズはソウルを大事にするが、「ムーンライト・セレナーデ」からはソウルのようなものはほとんど聴き取ることが出来ない。

グレン・ミラーは白人ジャズプレーヤーとして有名になれたが、その代償として、白人からも黒人からも差別されるというほろ苦い人生を歩んでいる。黒人からは「俺達の音楽に白人がしゃしゃり出てくるな」と思われたであろうし、白人からは「なんで白人がジャズなんて演奏しているんだ? プライドはないのか?」と白眼視された。
第二次世界大戦が勃発すると「音楽もまた戦争」ということで、ヨーロッパ各国で慰問演奏を行うが、フランスに向かうためにイギリスから飛行機で離陸後に消息を絶つという、サン=テグジュペリのような最期を遂げている。

男声メインヴォーカルは指揮者のニック・フィルシャーが務めるが、女声ヴォーカルは楽団専属歌手であるナタリー・アングストが受け持つ。

フェスティバルホールは音響設計がなされているが、多目的ホールであり、幕を使ったり、カラフルなライトを用いるなどの演出が可能である。午後6時開演と日本でのコンサートとしては早めの開始であるが、上演時間は約2時間と平均的なものであった。そのため、午後8時過ぎには終了となる。おそらく、幕を始めとした舞台装置を外して今日中には移動を行うために早めにスタートして早めに終わったのであろう。

ニック・フィルシャーは、「大阪の皆さん、毎度」「日本に来ることが出来てとても嬉しいです」と日本語で挨拶し、その後は英語でのトークを行う。音楽の場合、語られる内容のパターンはどんなジャンルであってもほぼ同じであり、使われる英単語も限られているため、英語であっても大体の意味は把握することが可能である。

トランペットがミュートの時に帽子のようなものを朝顔の前にかざしたり(3階席で聴いていたので、何をかざしているのかまではわからなかった)、トロンボーンが左右に体を揺すりながら吹いたりと、ビッグバンドではお馴染みの光景が続く。お馴染みではあるが、やはり見ていて楽しい。

クラシックの演奏会で見掛ける類の木管楽器専門の奏者はおらず、一応、木管楽器であるサックスの奏者がクラリネット演奏も兼任している。

演奏としての完成度よりもショーとしての見せ方が上手いと感じるコンサート。やはりアメリカはショーの本場であるため、エンターテインメントの作り方が並みではない。日本ではサービスと取られることがアメリカでは普通なのであろう。ただ、日本人が彼らの真似をしても様になるとは思えないので、日本人ならではの楽しませ方というのを生み出してみるのも面白そうだ。難産になりそうではあるが。

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2014年10月 2日 (木)

笑いの林(22) 「タナからイケダから学天即」2014年9月28日

2014年9月28日 よしもと祇園花月にて

よしもと祇園花月に「タナからイケダから学天即」を観に出かける。午後7時開演。コントとトークのよる公演である。「タナからイケダから学天即」の公演がよしもと祇園花月で行われるのは2度目。

知らない人には、どこで切れば良いのかわからないタイトルであるが、タナからイケダという漫才コンビと、学天即という漫才コンビによる公演である。

タナからイケダは元・京都住みます芸人であり、現在もKBS京都で番組を持っている。田邊孟德と池田周平のコンビなので、タナからイケダという名前にしたのである。田邊孟德は、「ロケみつ フライデー」にたびたび出演しており(相方の池田周平も以前、「ロケみつ」に出演したことがある)、知名度は上がってきているはずである。二人とも社会人経験者というコンビでもある。

学天即は若手実力派で、二人とも関西出身であるが、東京での方が人気があるというコンビである。

というわけで、学天即・奥田は、「我々はパリーグですね」と言う。学天即は野球に関するネタを持っているので、プロ野球で例えようとするのである。そして、「最近、セリーグの奴ら(人気芸人)、バスツアー行ってない?」と聞く。実際、人気のある吉本の芸人はファン達とバスツアーをやっている。コンビで行う場合が多いが、早希ちゃんは小泉エリさんとコンビを組んでバスツアーを行っていた。「芸人と仲良しになっちゃ駄目でしょ。真剣勝負出来ないじゃない」と私は考えているので、参加の検討すらしなかったが。

ちなみに今日もセリーグのある人達がバスツアーを組んだいたのだが、申込者が少なすぎたため中止になったらしい。

タナからイケダは京都住みます芸人をやっていたため、よしもと祇園花月は一応ホームの一つではある(本当のホームグランドは5upよしもとであった)が、学天即の場合は完全アウェイ(野球でいうとビジター)であり、奥田は「俺らスーパーパリーグ」という。ただ、パリーグも地域密着型の戦略を取り、これまで野球人気は高いもののプロ野球団がなかった北海道や東北に球団が出来たため、人気は上昇中であり、今は「人気のセ、実力のパ」という状態ではない。
大阪はほぼ阪神帝国であり、本拠地は兵庫県西宮市にある阪神タイガースの方が大阪市内に本拠地を持つオリックス・バファローズの100倍ぐらい人気があって、京セラドーム大阪に試合を見に行ってもスタンドはガラガラであるが、先日、QVCマリンフィールド(千葉マリンスタジアム)にマリーンズ対ライオンズの試合を見に行った時は、結構入っており、地域密着型というコンセプトが功を奏していうように思える。
私が子供の頃のパリーグは在京3球団、在阪3球団で、これでは誰が見ても面白くなかった。球場もオンボロであり、「あんなところで見たくない」という状態であったが、今のパリーグの球場はみな綺麗である。QVCマリンフィールドもQVCがお金を出してくれたのだと思うが、90年代よりも綺麗な球場になっている。

タナからイケダ・田邊は妻帯者であり、子供が3人(うち2人は双子)いるが、最近、奥さんにツイッターを乗っ取られているのだという。池田は、篠原涼子主演のドラマにその状況を例えた(筆者注:池田はタイトルを言っていたが、私はドラマを見ていない人のためにネタバレは避け、タイトルはここには書かない)。

漫才師としてであるが、人気はともかくとして、実力は、小川泰弘が投げている時の東京ヤクルトスワローズにはなれそうである。

タナからイケダはシュールなネタを得意としており。「彼女と手を繋いでいる時に敵が攻めてきてもいいように利き手である右手は開けておく」と池田が話すのであるが、前からも後ろからも敵が来た状態などと言って、「34歳の男に前後から敵が攻めてくるって、そんなことある?」と田邊に突っ込まれていた。

社交ダンスの時に、手を繋いだままだと池田が言うので、ダンスをするのだがソーシャルダンスをしたことがないので、ステップが滅茶苦茶である(池田はワルトトイフェルの「スケーターズ・ワルツ」を口ずさんでいたが、ステップはワルツになっていなかった)。

二つ目のネタは、池田がパンに、田邊がハムという設定でサンドウィッチの話を進める。当然ながら、なのかどうかは知らないがサンドウィッチ伯爵(サンドウィッチの提唱者。イギリスの海軍卿であり、ハワイは一時期、彼に由来するサンドウィッチ諸島という名で呼ばれていた)の話も出る。

学天即のネタは、知識量のギャップを題材にしたものだが、笑うために来ているから何とか笑えるが、その辺でしていたら普通のおっさんの立ち話である。

お客さんの事前アンケートに答えるという、トークコーナー。余り公に出来ないことも多く語られる。「耳かき」、「オムライス」、「バリ島」、「二度寝」、「桃」などについて語られる。やはり芸人さんというのは頭の回転が良いようである。

「二度寝」に繋がる夢については、学天即・奥田が、ホメオスターシス(ホメオスタシス)について語っていたし、「オムライス」については学天即・四条(よじょう)が、野球でいう釣り玉を投げておいてフォークで落とすというフォークピッチャーの基本をお笑いに応用したようなことをやっていた。

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Kitaro 「Reimei」

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2014年10月 1日 (水)

天一の日

天一の日

10月1日は、ten1ということで天一こと天下一品の日です。天下一品の各店舗では、ラーメンを食べると「ラーメン(並)一杯無料券」がプレゼントされます。
また10月1日から13日までは「天下一品祭り」として、抽選でオリジナルグッズが当たります。

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笑いの林(21) 「爆ハリ!」 桜 稲垣早希&R藤本

2014年9月10日 よしもと幕張イオンモール劇場にて

午後5時から、よしもと幕張イオンモール劇場で、「爆ハリ! 桜 稲垣早希&R藤本」を観る。

幕張メッセやQVCマリンフィールド(千葉マリンスタジアム)があることでお馴染みの幕張新都心は、千葉市の北西隅にあるのだが、その更に北西、ほとんど習志野市という場所にイオンモール幕張新都心がオープンし、よしもとの劇場が入ることになった。ちなみにイオンの本社は幕張にあり(住所は千葉市美浜区中瀬1-5-1)、JR海浜幕張からイオンモール幕張新都心に向かう間に、超高層ビルであるイオンの本社の前を通ることになる。

アクセスであるが、JR海浜幕張駅から徒歩20分ほどで、「陸の孤島」などと呼ばれる場所にあり、公共の交通機関を使った場合は少し不便な場所にある。イオンモール幕張新都心から北西に20分ほど歩くとJR新習志野駅があるのだが、新習志野には快速は停まらない。

イオンモール幕張新都心のグランドモール3階北隅に、よしもと幕張イオンモール劇場はある。隣はシネマコンプレックスであるが、よしもと幕張イオンモール劇場の内観も映画館使用であり、すぐにでも映画館に転用できるようになっている。

一応、対等の立場でのトークショーなのだが、看板には早希ちゃんの写真だけが大きく出ていて、R藤本はおまけ扱いである。

なお、早希ちゃんは、昨夜のブログで、16年間、家族のように可愛がり続けてきた愛犬のイヴが亡くなったと報告していたが、本番ではそういった悲しみを出すことは一切なかった。

早希ちゃんが司会で、R藤本がゲストという形になるようだ。R藤本はドラゴンボール芸人で、いつもベジータであるという設定なので、早希ちゃんから「R藤本さんです」と紹介されても、「ベジータだ!」と突っぱねる。

よしもと幕張イオンモール劇場はやはり関西からだと遠いようで、早希ちゃんは、「お昼の12時に大阪を出たのにやっと着いた」と語っていた。

客入りは良くないが、後ろの席に座っていた女性達が、「今日は女性トイレ混んでたね。いつもはガラガラなのに。やっぱり早希ちゃん出るからだよね」と話していたので、これでも入りは良い方らしい。

ちなみに、早希ちゃんが「私のことを知っている人」といって挙手を求めたところ、ほぼ全員が手を挙げたが、R藤本を知っている人は全体の3分の1ほどであった。

芸人さんは基本的に目ざとい人が多いが、早希ちゃんもやはりそのようで、「あの人、2回とも手を挙げていない。何しに来たんでしょうね?」などと言う。

上演時間1時間のトーク。短いが、その分、料金も安く抑えられている。

失恋がネタのトーク。まずメールや事前アンケートに書かれた失恋話が紹介される。「自分は本命だと思い込んでいたのだが、実はスペアだった」、「会社の同僚である女性と社内恋愛をしていたが別れ、その直後に彼女が同僚の男と結婚した」、「女性に告白したら、実は彼女はレズビアンだった」、「彼女になってと頼んだら『いいよ』と言われたので付き合っていたが、プロポーズしたら実は人妻だった」などというケースが紹介される。

早希ちゃんの失恋話であるが、二十歳ぐらいの時に恋をして告白したのだが、相手が「自分の容姿に自信がないから」ということで断られたという。有名人に例えると温水洋一のような見た目の人だったそうだが、優しくて、良い男だったという。その人から、「半年経ってからまだ好きだったらもう一度告白してくれ」と言われた早希ちゃんは、毎日カレンダーの日付をバッテンで埋め、丁度半年後に再度告白したところ、もう彼にはすでに別の彼女がいたという。見てくれは良くはないが、モテる人だったようである。

R藤本は、大学生の時に、いつも下宿に遊びに来る女の子がいて、料理や洗濯などなんでもやってくれるので、「もう彼女だろう」と思い込んでいたところ、「そんなんじゃない」と相手から言われたという。その時は芸人でも何でもなく、一般人だったR藤本であるが、彼女は「ファンとして(藤本のことを)好きだった」のだという。

ここで、好きな芸能人の話。R藤本は、「相武紗季」と答えて、早希ちゃんから「リアルですね」と感心される。R藤本は「相武紗季のブログが面白い。しょっちゅう海外に行っている」と言うが、「私もしょっちゅう海外に行っていたサキです」と早希ちゃんは自分の方に話を引きつけてしまい、「相武紗季も稲垣早希もほぼ一緒です。ア行で始まる」とこじつけも始めてしまう(早希ちゃんと相武紗季は映画で共演しており、知り合いである)。

早希ちゃんは、「好きな芸能人は色々いるんですが、市川海老蔵さんって、ちょっと強面というか、危険な感じ、するじゃないですか。でも最近、海老蔵さんの良さがわかったような気がする」と、語り始める。「この間、海老蔵さんの家が、自動車に追突されたんですよ。怪我はなかったんですけども。で、自宅の前でマスコミが待ち伏せしてたんですよ。そして海老蔵さんが帰ってきたんですけど、感想を聞かれて、『事故あったみたいね』と飄飄と言ってはって。器が大きいなと」

次いで不倫の話になるが、早希ちゃんは、「30歳を超えると年下の男の子に目覚めるらしい」として、「20代の頃はチヤホヤされるのが当たり前だったが、30になった途端に手の平を返したようにみんな冷たくなる。でも、25歳ぐらいの男の子から告白されると、『私にもまだ女としての価値がある』と思い込む」のだという。ちなみに出典だが「『女帝』(マンガ)にそう書いてありました」とのこと。「だからジャニーズに嵌まったりするらしいです」と早希ちゃんは続ける。多分、ホスト狂いなどもそうなのだろう。

早希ちゃんは、更に、「楽屋なんかで結婚してはる男性芸人さんが、自分がいかにモテるか、不倫自慢してはるんですよ。まあ、仕方ないかなと思うんですけど、『彼女が不倫してたら許します?』と聞くと『あり得ない。許さない』となるんです。男女で対等じゃない」ともいう。R藤本は、「男はなんだかんだで妻のところに戻ってくるけど、女の場合は不倫相手が本命に変わるから」と男女の違いを語っていた。

ちなみに、全米オープンテニスで準優勝した錦織圭の話も出たのだが、早希ちゃんは「にしきおりけい」と読んで、R藤本から、「それ、今、一番読み間違えちゃいけない名前だろう」と突っ込まれていた。

そして、今度は、お題を読んで同じ答えを出せば正解というゲーム。答えはスケッチブックにマジックで書き込んで出す。

事前アンケートなどで用意されたアニメネタでは二人ともアニメの知識がありすぎるので不一致が続く。そこで、観客からお題を貰って答えることにする。

まず、12歳の男の子から、「『きのこの山』と『たけのこの里』、どちらが好きですか?」という質問が出る。早希ちゃんは「きのこの里」と間違えて書いてしまい、「きのこの山」に書き直す。R藤本の回答は「たけのこの里」で、不一致。早希ちゃんは、「『きのこの山』のクッキー地はチョコレートなしでも美味しい。『たけのこの里』のビスケット地はチョコレートなしだと『きのこの山』に劣る」と言うが、R藤本は「まずチョコレートありきだろう」と反論する。

「好きなジャンクフードは?」という質問に、R藤本は「フライドポテト」、早希ちゃんは「マクドのポテト」と書いて、ほぼ同じということで一致。R藤本は早希ちゃんに「マクドと書くのは関西だけだ。福岡もベジータ星の福岡という場所でも『マック』と言う」と告げ、「朝のマクドナルドのメニューを何という?」と早希ちゃんに聞くが、早希ちゃんが「朝……マクド……」と答えたので、「嘘をつけ! CMでも朝マックと言っている」と続ける。実際、関西ではマクドナルドのことをマクドと略すが、朝マックは朝マックである。朝マクドとはいわない。メニューに「朝マック」と書いてあるためである。

早希ちゃんが客席に、「マクドって言う人?」と聞き、3人ほどが手を上げたが、2人は兵庫県人、1人は大阪人で、全員、関西人であった。ちなみに、であるが、フランス語ではマックというと売春婦を斡旋する「女衒(ぜげん)」のスラングと似た発音になるため、フランス人はマクドナルドをマクドと略す。アメリカのドキュメンタリー映画「スパーサイズ・ミー」のフランスロケでもフランス人女性がマクドナルドのことを「マクド」と略しているのが確認出来る。

早希ちゃんは書き込む前に、「本当に好きなのは今問題になっているので」と呟いたので、おそらくチキンナゲットが一番の好物なのであろう。

早希ちゃんが客席に、「まだ聞いてみたいというモウジャいますか?」と語りかけて、R藤本から「それモウジャじゃなくて猛者だろう。モウジャっていったら金の亡者とかそっちの方だ」と突っ込まれる。

最後の質問は、「自分に似合うと思う下着の色は?」。これは二人ともアニメに合わせて「赤」と答えて一致。赤は早希ちゃんがコスプレをしているアスカの乗るエヴァンゲリオン弐号機の色である。早希ちゃんは「赤もあったらいいな」と言っていたので、実際には赤い下着は持っていないのだと思われる。

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