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2015年2月16日 (月)

笑いの林(31) ヒューマン中村トークライブ「ヒューバナ」

2015年2月12日 道頓堀ZAZA HOUSEにて

午後7時から、道頓堀ZAZA HOUSEで、ヒューマン中村トークライブ「ヒューバナ」を観る。ピン芸人であるヒューマン中村がネタではなく1時間のトークで楽しませるという公演。

私は先月27日に道頓堀ZAZZA HOUSEであった公演を観る前の開場待ち時間に「ヒューバナ」のことをチラシで知って、その場でチケットよしもとのスマホ用サイトでチケットを購入したのだが、その時点で整理番号18番であった。エースナンバーではあったが、再来週に本番のある公演のチケットが18枚しか売れていないということであり、集客は難しそうだと感じた。

さて、客席を見渡すと観客の数は大体50人前後である。

ヒューマン中村が現れ、まず集客のことを話し出す。マネージャーから「ヒューマンさん、手売りを含めて50枚程度しか売れていません」と言われたヒューマン中村であったが、「そう言っておいて実はサプライズで満員かも」と甘い夢を見たものの、本当に50人程度しか来ていない。ヒューマン中村は「皆さん、R-1、御覧になりましたよね?!」と聞く。ヒューマンは決勝には進めなかったものの、敗者復活戦で1位となり、決勝に進出。だが、ファイナルステージには進めなかった。
テレビに出たことで集客が見込めるかと思ったが、そうは上手くいかないようだ。

ただ、ヒューマン中村は「トークなのに来るということは皆さんガチガチのファンですね」とも言う。まあ、ヒューマン中村のことを面白いと思っていない人は間違っても来ないだろう。

「ネタの間に10分ぐらい喋るということはあるのですが、1時間ずっとトークというのは初めてです。話が続かなかったら(同じ中座くいだおれビル地下1階にある)サイゼリヤにみんなで行きましょう」というヒューマン。だが、実際は、話すことが多すぎて時間は足らなかった。

まずはR-1ぐらんぷりの裏話から。以前は芸人が同じ会場に集められて、そこで決勝進出者の名前が読み上げられるというシステムだったのだが、最近はテレビカメラとレポーターが来て決勝進出を告げられるというやり方に変わっている。決勝進出者が決まるのは1月30日で進出者に告げられるのは翌31日。つまり31日にテレビカメラがやって来ないと落選ということになるらしい。

1月31日に、ヒューマン中村はR-1王者の一人である、あべこうじに食事に誘われ、「ひょっとしてここでカメラが」と思ったそうだが、あべとは普通に別れてしまい、テレビ関係者は来なかったそうだ。ただ、2月1日に、ヒューマンは、よしもと漫才劇場で出番があるのでステージ上でサプライズが……、ということもなく、「あ! 楽屋で」と思ったが楽屋にも誰もやって来ず、帰りの自転車の上で「落ちたか」と肩を落としたそうである。ヒューマンはR-1決勝の常連で、今年のR-1準決勝でも笑いが取れていただけに決勝に進めなかったのが悔しかったようだ。

ちなみに、R-1の2回戦は梅田のHEPホールであり、大阪吉本の3回戦は、京都のよしもと祇園花月であったのだが、ヒューマンは同じ日に新宿のルミネ the よしもとで本番があったため、東京で3回戦を受けたという。3回戦は東京で2日、京都で1日あるのだが、東京の2日目にR-1の3回戦を受け、その後、三浦マイルドの単独公演が渋谷であったのでそれに出ることになったという。R-1ぐらんぷりは仕事で受けるのではなく、2000円払ってエントリーするものであり、吉本もR-1のためには交通費も宿泊料も払ってくれない。ルミネ the よしもとでの舞台は仕事なので東京までの交通費とその夜のホテルは用意されている。さて、その前日にどこで泊まるかというと、マネージャーから「三浦マイルドさん家泊まり」と指令が来たそうだ。三浦マイルドは今は他の芸人3人と中野にある家で共同生活をしているという。
渋谷での公演を終えて打ち上げは三浦マイルドの自宅で行うとなったとき、ヒューマンは「渋谷で打ち上げやったらいいのに」と思ったそうだが、三浦マイルドは全員分払うだけのお金がもうない(そういえばR-1決勝戦当日の午後にYouTubeで配信された敗者復活戦に三浦マイルドの姿はなかったが、3回戦を突破出来なかったのだろうか?)。ということで、三浦マイルド本人が鍋奉行として仕込みからやっていたそうで、仕込みに力を入れすぎて本番に遅刻するという本末転倒があったそうである(本当かどうかは知らない)。ちなみにヒューマン中村という芸名の名付け親は三浦マイルドである。

R-1の敗者復活戦は銀座の時事通信社のホールで行われたそうで、ヒューマン中村は初の銀座だったため、それだけでウキウキしてしまったそうだ。

敗者復活戦は全員が演目を終えた後、バスに乗り込み、お台場のフジテレビまで移動。誰が敗者復活するかは本当にその場でわかるそうで、それまではバスを楽屋代わりとして暖を取り、カメラが敗者復活に掛ける芸人を映す直前に全員がバスから出て整列を3回繰り返したそうである。バスにはモニターがあったが、解像度が悪いもので、とにかく明るい安村が映っている時は本当に何も穿いていないように見えたそうである。

テレビの本番で「五七五」ネタをやったことについては、「それまで余字熟語(四字熟語に余計な漢字を足して別の意味にしてしまうというネタ)を1年がかりでやっていて、準決勝で落ちて、余字熟語のネタはこれで終わってしまった」と思ったそうである。一方で「余字熟語をテレビで披露出来なかったのは残念」とも語る。

ちなみに、決勝で敗退した後、ヒューマン中村は自分でも知らず知らずのうちに悔しそうな顔をしていたそうだが、それを見たあばれる君が、「ヒューマンさん、悔しいですか? 僕も悔しいです。なのでせめてこの(紙吹雪の)花びらだけ持って帰りましょう」と言ってきたそうである。ちなみに昨年の決勝でも小森園ひろしが同じ事をヒューマンに言ったそうで、「体育会系の芸人は花びらを持って帰るのが好きらしい」と中村は言う。おそらく高校野球の「甲子園の砂」の影響であろう。

ここで音楽が鳴る。フリートーク終了の合図である。

次は、「ヒューマン中村のショートトーク」。舞台下手のせり出し(簡易花道としても使用出来るスペース)に腰掛けた中村が、フリップに書かれたお題でトークを行う。
まずは「母親からのメール」。ヒューマン中村はバイク川崎バイクと親しいのだが、母親もそれを知っており、バイク川崎バイクがテレビに出ているのを見て、「バイク川崎バイクさんがテレビ出てるじゃないあなたも頑張りなさい。バイクでブンブンなら、ヒューマンだからヒューヒュー」というメールをくれたそうである。

そして「ウーイェイよしたか」。よしたかは見たとおりの天然ボケだそうで、「ヒューマンさん、今度一緒にピン芸やりましょう」と言うべきところを「ヒューマンさん、今度一緒にピンク芸やりましょう」と言ったそうである。

3つめは、「ヒューマン中村の人生グラフ」。ホワイトボードに出生から小学校、中学校、高校、NSC入所、R-1にいたるまでの横棒と曲線のグラフが描かれている。グラフは下に行くほどマイナス、上に行くほどプラスなのだが、マイナスに行っている時代の方が長い。

石川県生まれのヒューマン中村は、出生時5000gの大きな子だったという。その当時の写真を見せた中村は「微妙でしょう」と言う。生まれつきの怖がりだったそうで、出生後すぐにグラフは下に傾いている。家族旅行の時も「行きたくない」と言ったそうで、「死にたくないから」という理由を聞いた両親は呆れたという。

父親は欄間の飾りを作る職人で、母親も絵が上手だったそうだが、ヒューマンは特に手が器用ではないという。
「カブトガニ事件」というのがあったそうだ。小学校2年生の夏休みの宿題で工作をしなければいけなくなった中村は当時好きだったカブトガニの模型を作ろうとした。ただ、9割は父親の手によって完成したカブトガニの模型は同級生から「架空の化け物」と言われてしまったそうである。他の児童はカブトガニの存在を知らなかったのだ。
ちなみに、私は学研の「科学と学習」を両親が取っていたので、カブトガニのことは小学校2年生でも知っていた。「科学と学習」は更に進んでいてカブトガニならぬカブトエビを育ててみようというキットも付いていた。育ててみてそれなりに面白かったことを覚えている。カブトエビはすぐに死んでしまったと思うが。

その後、小学校高学年の時にボーイスカウトに無理矢理入れさせられたという。7歳上に兄がいて兄もボーイスカウトに入っていたので、ヒューマンもということになったようだ。それまでインドア派であったヒューマンもアウトドア生活をすることになったわけだ。

ちなみにボーイスカウトというのは宗派によって分かれていたそうで、ヒューマン所属した組は浄土真宗のお坊さんがトップだったそうだが、石川県を含む北陸地方は「真宗王国」と呼ばれており、右も左も上も下も浄土真宗という場所である。真宗王国は広島県(山口県を含む場合もある)にもあるわけだが、北陸の真宗王国の特徴は、真宗大谷派(本山:京都東本願寺)の布教拠点である他に、真宗十派の内の4つの派が北陸に本山を置いているということである(真宗出雲路派、真宗誠照寺派、真宗三門徒派、真宗山元派)。他のグループのトップもお坊さんだったというから、真宗の派毎に分かれていた可能性もある。

ボーイスカウトには、優れた役割を務めている人にはワッペンが貰えるという制度があったそうで、ロープの結び方を沢山知っている人にはロープの絵が描かれたワッペン、料理が得意な人にはフライパンの絵のワッペン、探索が得意な人には足跡の描かれたワッペンが贈られたそうだが、ヒューマンに与えられたのはコンピューターの情報解析ワッペンだそうで、アウトドアなのに結局インドアのワッペンを貰ったというオチになる。

ヒューマンの中学時代の写真。目つきが鋭い。ヒューマンは「これ、なんか(薬)やっちゃってますね」と言う。その後、「目つきが鋭いので眼鏡を掛けた」と話していたので、あるいは今掛けているのは伊達眼鏡なのかも知れない。

中学の時は「弱小サッカー部」。田舎の学校だったので部活動は、野球部、サッカー部、バスケットボール部、卓球部しかなく、野球部は全員坊主の上、学校で一番厳しい教師が指導に当たるというので嫌だ、バスケットボール部は体力的にきつそうだ。卓球部は暗そうな先輩が多いというので、消去法でサッカー部に入ったそうである。とにかく弱小な上に人数が少なく、試合をするのに8人しか集まらなかったそうで、残りの人数を相手チームの補欠から借りたりしていたそうである。

最後は、客席に置かれた赤と青の紙をホチキスで留めたものを使って、「あり」か「なし」かを決める。赤をヒューマンに向けると「あり」、「青」をヒューマンに見せると「なし」である。

「彼女に電話して緊張してしまい無言電話」は、赤の「あり」が多かった(私は青だったが)。

「自己啓発本の上から目線」。青の「なし」が多かった(私も青。中谷彰宏なんて○○○だろう)。ヒューマンは、『人見知りを治す本』を手にしたところ、最初の章に書かれていた方法が「人に喧嘩を売る」だったそうである。

「ネタをTwitterに上げる」は半々(私は赤の「あり」)。ヒューマンは余字熟語を発表出来なかったことを悔やんでいるそうで、余字熟語ネタをTwitterに上げたそうである。ちなみに芸人と呼ばれる人は全国で1万人ほどいるそうだが、全員が年に3つから4つのネタを作るため、1年に出来るネタの総数は4万ほどにもなるという。そうなると重なるネタも出てくるわけで、四字熟語に漢字一つ加えて余字熟語というネタは自分が最初にやったという証拠を作るためにもネタをアップしたのだという。

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