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2015年3月19日 (木)

コンサートの記(176) 広上淳一指揮京都市交響楽団第586回定期演奏会

2015年1月22日 京都コンサートホールにて

午後7時から京都コンサートホールで京都市交響楽団の第586回定期演奏会を聴く。今日の指揮は京都市交響楽団の常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。

曲目は、バーンスタインの「オン・ザ・タウン」から3つのダンス・エピソード、ラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲(ピアノ独奏:舘野泉)、プロコフィエフの交響曲第5番。

広上が自他ともに認める雨男ということもあってか、行きは小雨がぱらついた。

午後6時40分頃からのプレトーク。広上淳一は昨年の大河ドラマ「軍師官兵衛」のテーマ音楽を指揮したからか、黒字に赤い藤巴の入った官兵衛Tシャツを着て、眼鏡を掛けて登場。

ラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲のソリストである舘野泉にも出てきて貰い、話に加わって貰う。

2002年、コンサートで演奏中に脳内出血を起こし(脳に異常が起こったことはわかったが何とか曲を弾き終えたところで倒れたという)、命は助かったものの右手が不自由となり、2004年から左手のピアニストとして活動を再開した舘野泉。元から左手のためのピアノ曲は多かったが、吉松隆などに依頼して多くの曲を書いて貰い、左手作品を充実させ、更に「舘野泉の左手文庫(募金)」を設立している。
舘野は、両手が自由だった頃からラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲を弾きたいと思っていたが、話が纏まらず、40年ほどが過ぎてしまったが、左手のピアニストとなった途端に依頼が殺到したという話を笑いながら語る。
舘野泉は日本シベリウス協会の前会長であり(現会長は新田ユリ)、今年はシベリウス生誕150周年であるため、シベリウスの音楽普及のための活動も増えるかも知れない。なお、今もフィンランドのヘルシンキ在住であり、フィンランド人と結婚していて、息子はヴァイオリニストのヤンネ舘野(札幌交響楽団団員)である。

広上はNHKアーカイブスで、舘野泉が左手のピアニストとして再起するまでのドキュメンタリーを見て感銘を受けたという。なお、広上と舘野は初共演だということだ(昨日聴いたCDの中に舘野と広上の名前は入っているが、舘野は大友直人と共演しており、広上が共演しているのは徳永二男である)。

今日のコンサートマスターは渡邊穣。フォアシュピーラーに泉原隆志。首席クラリネット奏者の小谷口直子はラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲から参加。首席フルートの清水信貴と首席オーボエの高山郁子はプロコフィエフ作品のみの参加である。

レナード・バーンスタインの「オン・ザ・タウン」から3つのダンス・エピソード。広上淳一もバーンスタインの弟子である。「オン・ザ・タウン」は映画「踊る大紐育」(「踊る大捜査線」はこれをもじったものである)の原作ミュージカルとして知られている作品である(映画音楽界にはもう一人、エルマー・バーンスタインという同姓の作曲家がいるのでややこしい)。ただ、映画「踊る大紐育」に採用されたのは「ニューヨーク・ニューヨーク」(同名異曲多数)など数曲であるという。
「ザ・グレイト・ラヴァー」、「ロンリー・タウン」、「タイムズ・スクエア」の3曲からなるが、いずれも変拍子だらけであり、指揮も演奏も難しそうである。

広上は普段から長めの指揮棒を用いているが、今日は一段と長い指揮棒を使用。広上が小柄ということも相俟ってかなり長く見える。ただ長い分、演奏する方は見やすくもある。ということで、広上は見事なオーケストラ捌きを披露。正統派ではないのだが、ユニーク且つ巧みな指揮である。京都市交響楽団は輝かしい音で広上の棒に応える。

ラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲。ウィーン生まれのピアニスト、パウル・ヴィトゲンシュタイン(哲学者のルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの実兄。ちなみに男ばかりの5人兄弟であったがパウルとルートヴィヒ以外の3人は自殺している)のために書かれたものである。パウル・ヴィトゲンシュタインは、第一次世界大戦で右手を失い、以後は左手のピアニストとして活動することを決意、ラヴェルにも作曲を依頼したのである。

ラヴェルのピアノ協奏曲はジャズなどの要素も取り入れた明快な作風であるが、左手のためのピアノ協奏曲はどことなく謎めいている。

広上指揮の京都市交響楽団は徒に種明かしをするのではなく、ミステリアスな作風をそのままに提示する手法。ピアノの舘野であるが、特にカデンツァなどは左手だけで演奏しているとは思えないほど華麗なテクニックで聴かせる。

左手のためのピアノ協奏曲を実演で聴く機会は余りないのだが、今日の演奏は優れた出来だった。

アンコールとして舘野はシュールホフの「左手のための第三組曲」から“アリア”を弾く。リリカルな曲と演奏だった。

メインであるプロコフィエフの交響曲第5番。交響曲第5番というのはベートーヴェンの作曲による世界で最も知られた交響曲が持つ番号であり、それとの比較は避けられないため、多くの作曲家がベートーヴェンの交響曲第5番と同じ路線や、オマージュのような形で作品を書いている。ベートーヴェンの交響曲第5番と同じ路線で最も有名なものはショスタコーヴィチの交響曲第5番であるが、実はショスタコーヴィチとプロコフィエフは犬猿の仲であり、二人の友人であったロストロポーヴィチによると「ショスタコーヴィチの前では“プロコフィエフ”という名前を挙げることすらタブーでした。逆のケースでも同様でした」と語っている。二人の間に特に仲違いするような出来事はなかったはずで、互いの実力を認め合ったがためのライバル視が原因だと思われる。ソビエト最高の作曲家の座を譲りたくはなかったのだ。

プロコフィエフの交響曲第5番もベートーヴェン路線だが、それほど単純にストーリー展開をなぞってはおらず、まず第1楽章で英雄の登場を思わせるような高雅で雄々しい旋律が登場し、それが「運命動機」の開始と共に打ち倒されるような展開となる。第2楽章ではスケルツォ(冗談)に相当する音楽が展開される。第3楽章ではリリシズムに溢れる音楽とそれが破滅へと向かい、最終楽章はバレエ音楽的。クラリネットの吹く軽妙な主題が徐々に凱歌へと変わっていく。
マーラーの交響曲第5番(マーラーも勿論、ベートーヴェンの交響曲第5番は意識している)に近いかも知れない。

京響は弦が透明ではあるが冷たくはない響きを出す。シルクのようなという表現が一番近いであろう。今日の京響は弦の美しさに定評のあるイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団のようだ。

関西のオーケストラで一番だと思われる金管の威力も素晴らしく、他の楽器も大健闘する。世界中のどこに出しても恥ずかしくない第一級の演奏である。

1月ということで、お年玉的なアンコール演奏がある。まず広上が「あけましておめでとうございます」と言った後で、「女性のタクシードライバーから京都駅から京都コンサートホールに向かう東京のお客さんが増えた」という話をして、東京からも京響を聴きに来るお客さんがいることを喜んだ。そして、4月からは隔月ではあるが、同一曲目二回演奏になるので、同じ曲目が二度味わえるということもアピールした。

アンコール曲はラフマニノフの前奏曲「鐘」の管弦楽曲版。編曲者は不明である。ダイナミックな演奏であった。

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