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2015年7月23日 (木)

観劇感想精選(156) 手塚治虫原作「アドルフに告ぐ」

2015年6月27日 京都芸術劇場春秋座にて観劇

午後2時から京都芸術劇場春秋座で、「アドルフに告ぐ」を観る。手塚治虫の漫画の舞台化。脚本:木内宏昌、演出:栗山民也。音楽:久米大作。出演:成河(ソン・ハ)、松下洸平、髙橋洋、朝海ひかる、前田亜季、大貫勇輔、谷田歩、市川しんぺー、斉藤直樹、田中茂弘、安藤一夫、小此木まり、吉川亜紀子、小野真那美、林田航平、今井聡、北澤小枝子、梶原航、西井裕美、薄平広樹、彩吹真央、石井愃一、鶴見辰吾。楽器演奏&楽士役:朴勝哲(ピアノ)、有働皆美(ヴィオラ)

第1幕上演時間約75分、途中休憩15分、第2幕上演時間約95分という大作。今日は上手桟敷席での観劇。桟敷席というと良さそうであるが要は見切れ席である。

アドルフという名を持つ三人の男の話である。一人はドイツ第三帝国の総統、アドルフ・ヒトラー(原作漫画では「ヒットラー」表記であるが劇では「ヒトラー」を採用。演じるのは髙橋洋)。後の二人は架空の人物であるアドルフ・カウフマン(成河)とアドルフ・カミル(松下洸平)。アドルフ・カウフマンはドイツ人の父と日本人の母(由季江。演じるのは朝海ひかる)の間に生まれたハーフであり、アドルフ・カミルはドイツ国籍の在日ユダヤ人である。アドルフ・カウフマンとアドルフ・カミルは神戸に生まれ育った幼なじみである。

エピローグとしてアップライトピアノの壁になっている部分が打ち鳴らされ、それにヴィオラのピッチカートも加わり、その音に合わせて少女(小此木まり)が軍隊式の腕と足をゆっくり高く上げる歩き方で舞台袖から中央に進み、歌い始める。幕が上がり、キャストが総出演しての合唱。歌は「私は正義のために人間を捨てた」で終わる。

峠草平役の鶴見辰吾が「これはまだ私が生きていた頃の話」として語り始める。三人のアドルフと彼らがどのような最期を迎えたかということが語られる。

話の発端は、1936年のベルリンである。「ヒトラーのオリンピック」と呼ばれたベルリン・オリンピックが開催され、日本の新聞社の特派員としてベルリン五輪を取材していた峠草平は、ベルリンに留学中であった弟をゲシュタポに殺される。草平の弟はある秘密を知り機密文書を持ち出そうとしていたのだ。その機密文書の内容は「ヒトラーはユダヤ人の血を引いている」というものだった(現在ではヒトラーユダヤ人説はほぼ完全に否定されている)。

日本に帰った草平は機密文書を知り合いの小城先生(岡野真那美)に託す。だが、特高の手が伸びており、草平は新聞社をクビになり、新しい職を探すも妨害され、路上を彷徨う身となる。特高の赤羽(あかばね)警部(市川しんぺー)は草平を追い詰め、秘密を吐かせようとする。赤羽警部に襲われた草平は左手が不自由になり更に職探しが難しくなる。

これらのシーンはほぼ全て鶴見辰吾の一人語りによって告げられ、鶴見辰吾は日本におけるストーリーテラーも兼ねる(原作漫画でもこの舞台でも草平ははっきりと「狂言回しだ」と名乗っている)。ドイツでのストーリーテラーはアドルフ・カウフマン役の成河が務める。

のたれ死にそうになっていた草平は神戸警察に連行されるが、仁川(にがわ。インチョンではない)という刑事(安藤一夫)に情けを掛けられ、仁川の娘である三重子(北澤小枝子)と三人で暮らすことを許される。仁川は朝鮮人の女性と結婚したのだが、関東大震災の時のデマにより妻は殺されてしまったという。そのため情に厚い人物になったのだ。
しかしその直後、仁川刑事は暗殺されてしまう。銃弾はドイツ製のものであったが、真相は闇に葬られる。

1938年、神戸。アドルフ・カウフマンの父親であるヴォルフガング(谷田歩)が亡くなろうとしていた。死の床でヴォルフガングはアドルフに「お前にはドイツの赤い血と鉄の意志が流れている」と語り、鉄血宰相ビスマルクのような英雄を生んだドイツの血を引くことを誇りに思うよう告げる。アドルフ・カウフマンは「ユダヤ人を嫌いになりたくない」という理由でアドルフ・ヒトラー・シューレへに入ることを拒否していた。アドルフ・カウフマンとアドルフ・カミルは親友だった。アドルフ・カミルは「ヒトラーはユダヤ人だ」という張り紙を破ったりもした。だが、「ヒトラーはユダヤの血を引いている」という機密文書が担任教師である小城先生に渡っていたことから、アドルフ・カミルは噂が本当だということを知っていまい、そのことはアドルフ・カウフマンも知ることとなる。

結局、アセチレン・ランプの命により、アドルフ・カウフマンはドイツに渡ってアドルフ・ヒトラー・シューレへに入ることになる。

ドイツでユダヤ人が迫害されているということを知った、アドルフ・カミルの父親でパン屋を営むイザーク・カミル(石井愃一)は、リトアニア経由でユダヤ人を日本に逃がす計画を立てる。イザークの妻であるマルテは「これ以上日本にユダヤ人が増えるのは困る」と言うが、イザークは危険を冒してリトアニアに向かう。

アドルフ・カウフマンは日独のハーフであり、純粋なドイツ人以上にドイツへの忠誠心を見せねばならないというので、ユダヤ人の捕虜を射殺するよう命じられる。ところがそのユダヤ人捕虜というのがイザーク・カミルであった。イザークはリトアニアで逮捕されていたのだ。「パン屋のカミルおじさん!」と驚くアドルフ・カウフマンであったが、命令に従わねば自分が殺されるということでイザークを射殺する。一発では仕留められず三発を要したカウフマンであったが、人を殺したというショックで嘔吐してしまう。しかし上官は「最初はみんなそんなもんだ。1年も経たない内に慣れる」と冷静に語るのであった。

そんなアドルフ・カウフマンにも愛する人がいた。エリザ・ゲルトハイマーという若い女性(前田亜季)である。しかしエリザはユダヤ人。そこでカウフマンはエリザを亡命させることにする。エリザの家を訪れると玄関のドアにはユダヤを表す六芒星のイタズラ書きが。危機が近いことがわかる。エリザに逃げるよう諭すカウフマンであったが、エリザは家族を置いて逃げるわけにはいかないとカウフマンに告げる。カウフマンはまずエリザに一人でスイスに亡命し、ジュネーブの日本大使館に逃げ込んで、そこからアドルフ・カミルという男を頼って日本の神戸に行くよう勧める。家族は後で日本に必ず送ると約束して。

1941年12月8日、日米開戦。アドルフ・カウフマンの母親である由季江は草平と出会い、二人は結婚し、共にドイツ料理店「ズッペ」を始めることになる。ヴィオラの有働皆美とピアノの朴勝哲も料理店の楽士役として短いセリフを与えられて演奏する。そんな中、反ナチス勢力であるラムゼイ機関に属する本多芳男という青年(大貫勇輔)が、草平と由季江、三重子を訪ねてくる。ラムゼイ機関については詳しくはいえないが反ナチスの信頼出来る組織であり、機密文書を自分に託して欲しいというのだ。草平は本多に文書を渡すことに決める。本多芳男は実は大阪の本多大佐(谷田歩。二役)の息子なのだが、自分が反ナチスの諜報組織に属していることは秘密にしていた。そして本多は三重子に一目惚れし、二人は付き合うことになる。しかし、物事は上手く運ばなかった。ラムゼイことリヒャルト・ゾルゲが東京で逮捕され、本多大佐の屋敷にも特高が押しかける。本多大佐は息子にスパイ・ゾルゲの一味だったのかどうかを聞き質し、芳男は本当だと告白。捕まらずに死ぬことを選んだ芳男の思いを汲んだ本多大佐は息子を射殺。自殺ということで片付ける。三重子は芳男が自殺するはずはないと思うが、他殺だったとしても芳男が帰ってくるわけでもなく、悲しみの余り出奔してしまう。

ドイツでは、カウフマンが有能さを認められ、ヒトラー・ユーゲントでも一目置かれるようになっていた。カウフマンはヒトラーの秘書見習いへの昇格する。

ヒトラーも自分がユダヤ人の血を引いていることに悩んでいた。自分が貧しい画家志望の青年だった頃、ユダヤ人達は金持ちで肥え太っていた。それが許せなかった。そのために「ユダヤ人と共産主義をこの世から排除するのが正義」と確信したのだが、そのユダヤの血が自分にも流れている。ヒトラーは愛人のエヴァ・ブラウン(彩吹真央)にだけは悩みを打ち明けるのだった(なお、ヒトラーの登場シーンでは、ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲とベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」より第3楽章が流れる)。

カウフマンは更に重要な役目を任せられるようになる。裏切り者を見つけ出しては次から次へと殺害していくという役目だ。だが誰も信頼していないヒトラーはカウフマンも疑っており、ハインリッヒ・ヒムラー(劇中には登場せず)にカウフマンを監視するよう命令していた。そんな中、ヒトラー暗殺未遂事件が起こり、「砂漠の狐」の名で知られる名将・ロンメル元帥殺害計画を知ったカウフマンは「彼のような英雄を殺害するなんて!」と、ロンメルに電話を掛けようとするが繋がらず、その後、ロンメルの死を知る。ヒムラーに見張られていたカウフマンは東方へと左遷させられる。

ワルシャワに着いたカウフマンはアイヒマン(斉藤直樹)から、強制収容所前歩いて向かわされるユダヤ人の監視と誘導を命じられる。「歩けない者は殺して良い」とアイヒマンに言われたカウフマンは歩けなくなったユダヤ人を「天国に送ってやる」と言って射殺する。

カウフマンに更なる左遷が待ち受けていた。今度は日本での任務である。「日本の制海権、制空権はアメリカが握っている」というカウフマンであったが、潜水艦Uボートでキールから出航し、北極海を経て北海道へ、そこから東京、更に神戸へと向かうことになる。Uボートの中で幻影を見るなど発狂しそうになるカウフマン。

神戸。由季江は「美しい神戸の街をアメリカが空襲するはずがない」と思っていたが、戦争は非情であり神戸の街も空襲を受ける。ユダヤ人の塹壕の中にドイツ人が一人。アドルフ・カウフマンである。カウフマンはアドルフ・カミルと再会。二人とも懐かしがるがカミルがエリザと婚約中だと知ったカウフマンの顔色が変わる。「預かってくれとは言ったが、婚約してくれとは言っていなかったぞ!」とカウフマン。エリザがやって来る。カウフマンはエリザに愛情を示そうとするが、エリザは自分の家族を救わず約束を果たさなかったカウフマンをなじる。更にカウフマンは母親の由季江が草平と再婚し、国籍をドイツから日本に変えたことを知る……

第二次世界大戦を経て中東戦争まで話は続く。ラストはキャスト全員が揃い、「記せ正義の嘘を」の歌詞を歌い終えた後で、「アイン(1)、ツヴァイ(2)、ザ、ザ、ザ」と何かが迫り来るような言葉で終わる。

ヒトラーはアーリア民族の正義を信じ、「ユダヤ人全員の抹殺と共産主義の撲滅」が神の御心に叶うものだと信じている。カウフマンはドイツの血を正義として、日本を「二流国」、ユダヤ人を「下等な寄生虫」などと蔑み、ヒトラーを守ることが正義だと信じているのだが、結果的に自分の行いが全てピエロのそれだと知る。カミルはエリザと結婚し、イスラエル建国と共にカナンの地に渡るが、その後は戦士として、中東戦争でパレスチナ人虐殺に加わる。パレスチナ人からイスラエルを守ることが彼の正義なのだった。

ヒトラーも精神を病み、赤羽刑事も最期は狂人として暴れまくるのであるが、そうした狂的なものを「正義」は強く持っているのだというメッセージが伝わってくる。そして正義の度合いが強ければ強いほど狂気のうねりは更に高鳴るのだ。

「自信」、「信念」などを持つことが美徳とされる世の中であるが、それらは同時に排他的な側面を持つものであり、過度にあることは危険なのである。

俳優陣であるが、由季江役の朝海ひかる、エリザ・ゲルトハイマー役の前田亜季といった女優陣の方が男優陣よりも迫力のある演技をしていた。男優陣にもアクションなど激しいシーンはあるのだが、朝海や前田の憑かれたような力強さはなかったように思う。エヴァ・ブラウン役の彩吹真央も良い演技を行っていた。
男優陣の中では鶴見辰吾が一番味のある演技をしていたように思う。髙橋洋のヒトラーは存在感がもう一つだったが、ヒトラーという歴史上の化け物を演じること自体が困難なのでこれは仕方ないかも知れない。

終演後、客席はオールスタンディングとなり、俳優陣を讃えた。

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