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2015年7月の18件の記事

2015年7月29日 (水)

観劇感想精選(157) 「地獄のオルフェウス」

2015年6月12日 大阪の森ノ宮ピロティホールにて観劇

午後6時30分から森ノ宮ピロティホールで、「地獄のオルフェウス」を観る。作:テネシー・ウィリアムズ、テキスト日本語訳:広田敦郎、演出:フィリップ・ブリーン。出演:大竹しのぶ、三浦春馬、水川あさみ、西尾まり、峯村リエ、猫背椿、吉田久美、深谷美歩、粟野史浩、チャック・ジョンソン、冨岡弘、中村彰男、真那古敬二(まなこ・けいじ)、久ヶ沢徹(くがさわ・とおる)、山本龍二、三田和代。音楽:鈴木光介。

「欲望という名の列車」、「ガラスの動物園」など、陰惨な作風で知られるテネシー・ウィリアムズ。浅丘ルリ子と上川隆也による「渇いた太陽」も悲劇的なラストを迎える劇であったが、今回の「地獄のオルフェウス」はそれを上回る暴力性と人間の愚かしさの描写、更には人種差別なども絡んで陰々滅々たる芝居となっている。元々はテネシー・ウィリアムズがプロデビュー作として書いた「天使達の闘い」を17年掛けて練り直したのが本作「地獄のオルフェウス」であるという。

途中休憩20分を含んで上演時間約3時間5分という大作である。

舞台上手はガラス張り。トーランス商店の入り口と表側である。開演前は水がガラスの表を滴り落ち、屋外が雨であることがわかる。劇が始めると雨は止むがその後の時の経過で雨になったり、青い灯りが夜を赤い光が夕暮れを表したりする。下手には二階に続く階段があり、途中に踊り場がある。背後の幕の裏は新しくオープンするお菓子屋という設定である。

レイディ・トーランス(大竹しのぶ)は、アメリカ南部のツー・リヴァー・カウンティという小さな街で、用品雑貨店「トーランス商店」を夫と二人で営んでいる。

レイディの旦那であるジェイブ(山本龍二)が病気の治療のために行っていたメンフィスから戻ってくることになる。トーランス商店にはビューラ・ビニングズ(峯村リエ)やドリー・ハンマといった知り合いや、エヴァ・テンプル(吉田久美)やシスター・テンプル(深谷美歩)というジェイブの従妹達が入り込んでレイディやジェイブのことを話している。レイディはイタリア系。彼女の父親は生粋のイタリア人(皆から「イタ公」という蔑称で呼ばれていた)で、禁酒法の時代に酒の密造や密売で一儲けしたのだが、黒人(「黒んぼ」という蔑称が用いられている)に酒を売ったために周囲の反感を買い、WASPの秘密結社に家ごと焼き払われて亡くなった。レイディはその時、18歳であり、身寄りのなくなったレイディはジェイブに「買われて」結婚したのだった。

背後の幕の裏側に隠れていた女性が笑い声を上げながら出てくる。キャロル・クートレール(水川あさみ)、WASPの名家の令嬢であるが、酒に酔っ払い、レジから盗んだ金で電話を掛け、延々と一人で喋ったりする(ハイテンションでの長ゼリフであり、楽々演じ抜いた水川あさみはやはり実力者である)。実はキャロルの兄であるデイヴィッド・クートレール(久ヶ沢徹)はレイディの元カレだったのだ。レイディとデイヴィッドの恋の話はビューラとドリーにより、背後の幕の影絵付きで説明される。今回の演出では影絵が多用されるが効果的なものと説明過多のものがある。音楽もテネシー・ウィリアムズの指定通りではあるが、多すぎるようにも感じる。

その店に若い男が一人。流しのギター弾き語り演奏家をしていたヴァル・ゼイヴィア(三浦春馬)である。ヴァルをトーランス商店に連れてきたのは、保安官をしているタルボット(真那古敬二)の妻であるヴィー・タルボット(三田和代)。ヴァルが車の故障で難儀して、街の留置所に泊めて貰い、「仕事を探している」というのでトーランス商店の店員にどうかと思ったからだ。ジェイブはいずれにせよ当分働けないのでヴァルを店員に雇うのは良い考えだとヴィーは思っている。ヴァルは蛇革のジャケットを着ているが、見た目も性格も南部の荒くれ男どもとは異なる(テネシー・ウィリアムズはエルヴィス・プレスリーをモデルにヴァルを書いたようである)。ギターを手にしており、ギターの板には有名ミュージシャンのサインがある。
キャロルがヴァルに言い寄るが、ヴァルは気に留めない。

ジェイブがトーランス商店に帰ってくる。ジェイブはメンフィスで手術を受けたのだが、医師から「治る見込みがない」と匙を投げられ、ツー・リヴァー・カウンティに帰ってきたのだ。顔色が悪く、周りの者はみな驚く。ジェイブの病状はツー・リヴァー・カウンティまで伝わっていたが、ここまで顔色が悪いとは思っていなかった。

ジェイブを迎えに行っていたレイディは、ヴァルを店員として雇うことにする。レイディは女達が噂していたとおりジェイブに「買われて」結婚したのだった。結婚して幸せだと思ったことはただの一度もない。

ヴァルはレイディに「空色の小鳥」の話をする。空色の小鳥は空の色に紛れているため、天敵には姿が見えず襲われることがない。曇りや雨の日は高く飛ぶので鷹も空色の小鳥には気付かない。ただ、空色の小鳥は足がないため小枝で休むことすら許されず、生涯羽ばたき続けなければならない。

ヴァルはこうも言う。「人間には二種類しかない。買われる人間と買う人間。いや、三種類だ。もう一種類いる。何の焼き印も押されていない人間……」

そしてヴァルは人間という存在そのものについても語る。「人はみんな囚人なんだ(中略)皮膚という殻は一生破れない!」。ギリシャ哲学に基づく考え方である。脱皮できる蛇とは違う。

ツー・リヴァー・カウンティに美青年がやって来たことから、女達の心に変化が生じる。だがここは因習に満ちた閉鎖的な南部の田舎。男達は自分達と異種類のものを排除しようとする。

トーランス商店の一室に寝泊まりして店員として働くことになったヴァル。だが、ヴァルが店の中で暮らしていくことは秘密となっている。また、レイディとヴァルが一夜の契りを交わしたことも。

だが、ヴィーもヴァルに特別な思いを抱いていることが発覚したことでヴィーの夫である保安官タルボットは激怒し……

人間の持つ暴力性を暴き出す、ある意味、露悪的な作品である。竪琴でなくギターを弾くオルフェウスであるヴァルは南部気質の犠牲となる。当時の南部は南部出身者以外には地獄のようであったのだろう。アメリカ南部は良くいうとワイルドであるが悪くいうと野蛮なエネルギーに満ちている。今はそれほどでもないが、以前はかなり男臭い場所であった。

三浦春馬のヴァルは最初のうちは小綺麗に過ぎるのではないかとも思ったが、南部的な空気から浮くには彼ほどの美男子でないと不可能なのかも知れない。ギターの弾き語りでも美声を披露した。

水川あさみは個性の強い演技であるが、それが魅力になっていた。演出家のフィリップ・ブリーンがリハーサルで水川の演技を見て拡声マイクを持つ演技を思いついたのだそうだが、彼女がやるとそうしたシーンも自然に感じる。水川が演じたキャロルは実はぱっと見の印象よりも遥かに重要な役である。

大竹しのぶの演技は流石の貫禄。三田和代も堂々とした演技で、この二人は別格級であった。

大竹、三田、水川以外の女優の演技であるが、元々そうした役ではあるのだが悪い意味で日本的で、その辺のおばさんとお嬢ちゃんにしか見えない。

男優陣は三浦以外は出番が少ないのであるが、反知性的な南部の男像を上手く演じていたと思う。

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2015年7月28日 (火)

最も大切な言葉

最も大切な言葉が一度も出てこない文章など信じられるでしょうか。

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ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 シベリウス 交響曲第4番

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2015年7月27日 (月)

「本当のことじゃなくてもいいんだ」

イメージは現実よりも強い。それ故に厄介だ。

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2015年7月26日 (日)

パブロ・ゴンザレス指揮バルセロナ交響楽団 ショスタコーヴィチ 交響曲第7番「レニングラード」

パブロ・ゴンザレスの指揮するショスタコーヴィチの交響曲第10番を生で聴いたことがあります。ゴンザレスが京都市交響楽団に客演した定期演奏会に於いてです。

バルセロナ交響楽団はかつて大植英次が首席指揮者を務め、2015年9月から大野和士が首席指揮者に就任するオーケストラです。

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2015年7月25日 (土)

平野愛子 「港が見える丘」

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2015年7月24日 (金)

ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄(ある偉大な英雄の思い出に)」第2楽章

藤崎奈美指揮なかまフィルハーモニー管弦楽団の演奏。

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2015年7月23日 (木)

観劇感想精選(156) 手塚治虫原作「アドルフに告ぐ」

2015年6月27日 京都芸術劇場春秋座にて観劇

午後2時から京都芸術劇場春秋座で、「アドルフに告ぐ」を観る。手塚治虫の漫画の舞台化。脚本:木内宏昌、演出:栗山民也。音楽:久米大作。出演:成河(ソン・ハ)、松下洸平、髙橋洋、朝海ひかる、前田亜季、大貫勇輔、谷田歩、市川しんぺー、斉藤直樹、田中茂弘、安藤一夫、小此木まり、吉川亜紀子、小野真那美、林田航平、今井聡、北澤小枝子、梶原航、西井裕美、薄平広樹、彩吹真央、石井愃一、鶴見辰吾。楽器演奏&楽士役:朴勝哲(ピアノ)、有働皆美(ヴィオラ)

第1幕上演時間約75分、途中休憩15分、第2幕上演時間約95分という大作。今日は上手桟敷席での観劇。桟敷席というと良さそうであるが要は見切れ席である。

アドルフという名を持つ三人の男の話である。一人はドイツ第三帝国の総統、アドルフ・ヒトラー(原作漫画では「ヒットラー」表記であるが劇では「ヒトラー」を採用。演じるのは髙橋洋)。後の二人は架空の人物であるアドルフ・カウフマン(成河)とアドルフ・カミル(松下洸平)。アドルフ・カウフマンはドイツ人の父と日本人の母(由季江。演じるのは朝海ひかる)の間に生まれたハーフであり、アドルフ・カミルはドイツ国籍の在日ユダヤ人である。アドルフ・カウフマンとアドルフ・カミルは神戸に生まれ育った幼なじみである。

エピローグとしてアップライトピアノの壁になっている部分が打ち鳴らされ、それにヴィオラのピッチカートも加わり、その音に合わせて少女(小此木まり)が軍隊式の腕と足をゆっくり高く上げる歩き方で舞台袖から中央に進み、歌い始める。幕が上がり、キャストが総出演しての合唱。歌は「私は正義のために人間を捨てた」で終わる。

峠草平役の鶴見辰吾が「これはまだ私が生きていた頃の話」として語り始める。三人のアドルフと彼らがどのような最期を迎えたかということが語られる。

話の発端は、1936年のベルリンである。「ヒトラーのオリンピック」と呼ばれたベルリン・オリンピックが開催され、日本の新聞社の特派員としてベルリン五輪を取材していた峠草平は、ベルリンに留学中であった弟をゲシュタポに殺される。草平の弟はある秘密を知り機密文書を持ち出そうとしていたのだ。その機密文書の内容は「ヒトラーはユダヤ人の血を引いている」というものだった(現在ではヒトラーユダヤ人説はほぼ完全に否定されている)。

日本に帰った草平は機密文書を知り合いの小城先生(岡野真那美)に託す。だが、特高の手が伸びており、草平は新聞社をクビになり、新しい職を探すも妨害され、路上を彷徨う身となる。特高の赤羽(あかばね)警部(市川しんぺー)は草平を追い詰め、秘密を吐かせようとする。赤羽警部に襲われた草平は左手が不自由になり更に職探しが難しくなる。

これらのシーンはほぼ全て鶴見辰吾の一人語りによって告げられ、鶴見辰吾は日本におけるストーリーテラーも兼ねる(原作漫画でもこの舞台でも草平ははっきりと「狂言回しだ」と名乗っている)。ドイツでのストーリーテラーはアドルフ・カウフマン役の成河が務める。

のたれ死にそうになっていた草平は神戸警察に連行されるが、仁川(にがわ。インチョンではない)という刑事(安藤一夫)に情けを掛けられ、仁川の娘である三重子(北澤小枝子)と三人で暮らすことを許される。仁川は朝鮮人の女性と結婚したのだが、関東大震災の時のデマにより妻は殺されてしまったという。そのため情に厚い人物になったのだ。
しかしその直後、仁川刑事は暗殺されてしまう。銃弾はドイツ製のものであったが、真相は闇に葬られる。

1938年、神戸。アドルフ・カウフマンの父親であるヴォルフガング(谷田歩)が亡くなろうとしていた。死の床でヴォルフガングはアドルフに「お前にはドイツの赤い血と鉄の意志が流れている」と語り、鉄血宰相ビスマルクのような英雄を生んだドイツの血を引くことを誇りに思うよう告げる。アドルフ・カウフマンは「ユダヤ人を嫌いになりたくない」という理由でアドルフ・ヒトラー・シューレへに入ることを拒否していた。アドルフ・カウフマンとアドルフ・カミルは親友だった。アドルフ・カミルは「ヒトラーはユダヤ人だ」という張り紙を破ったりもした。だが、「ヒトラーはユダヤの血を引いている」という機密文書が担任教師である小城先生に渡っていたことから、アドルフ・カミルは噂が本当だということを知っていまい、そのことはアドルフ・カウフマンも知ることとなる。

結局、アセチレン・ランプの命により、アドルフ・カウフマンはドイツに渡ってアドルフ・ヒトラー・シューレへに入ることになる。

ドイツでユダヤ人が迫害されているということを知った、アドルフ・カミルの父親でパン屋を営むイザーク・カミル(石井愃一)は、リトアニア経由でユダヤ人を日本に逃がす計画を立てる。イザークの妻であるマルテは「これ以上日本にユダヤ人が増えるのは困る」と言うが、イザークは危険を冒してリトアニアに向かう。

アドルフ・カウフマンは日独のハーフであり、純粋なドイツ人以上にドイツへの忠誠心を見せねばならないというので、ユダヤ人の捕虜を射殺するよう命じられる。ところがそのユダヤ人捕虜というのがイザーク・カミルであった。イザークはリトアニアで逮捕されていたのだ。「パン屋のカミルおじさん!」と驚くアドルフ・カウフマンであったが、命令に従わねば自分が殺されるということでイザークを射殺する。一発では仕留められず三発を要したカウフマンであったが、人を殺したというショックで嘔吐してしまう。しかし上官は「最初はみんなそんなもんだ。1年も経たない内に慣れる」と冷静に語るのであった。

そんなアドルフ・カウフマンにも愛する人がいた。エリザ・ゲルトハイマーという若い女性(前田亜季)である。しかしエリザはユダヤ人。そこでカウフマンはエリザを亡命させることにする。エリザの家を訪れると玄関のドアにはユダヤを表す六芒星のイタズラ書きが。危機が近いことがわかる。エリザに逃げるよう諭すカウフマンであったが、エリザは家族を置いて逃げるわけにはいかないとカウフマンに告げる。カウフマンはまずエリザに一人でスイスに亡命し、ジュネーブの日本大使館に逃げ込んで、そこからアドルフ・カミルという男を頼って日本の神戸に行くよう勧める。家族は後で日本に必ず送ると約束して。

1941年12月8日、日米開戦。アドルフ・カウフマンの母親である由季江は草平と出会い、二人は結婚し、共にドイツ料理店「ズッペ」を始めることになる。ヴィオラの有働皆美とピアノの朴勝哲も料理店の楽士役として短いセリフを与えられて演奏する。そんな中、反ナチス勢力であるラムゼイ機関に属する本多芳男という青年(大貫勇輔)が、草平と由季江、三重子を訪ねてくる。ラムゼイ機関については詳しくはいえないが反ナチスの信頼出来る組織であり、機密文書を自分に託して欲しいというのだ。草平は本多に文書を渡すことに決める。本多芳男は実は大阪の本多大佐(谷田歩。二役)の息子なのだが、自分が反ナチスの諜報組織に属していることは秘密にしていた。そして本多は三重子に一目惚れし、二人は付き合うことになる。しかし、物事は上手く運ばなかった。ラムゼイことリヒャルト・ゾルゲが東京で逮捕され、本多大佐の屋敷にも特高が押しかける。本多大佐は息子にスパイ・ゾルゲの一味だったのかどうかを聞き質し、芳男は本当だと告白。捕まらずに死ぬことを選んだ芳男の思いを汲んだ本多大佐は息子を射殺。自殺ということで片付ける。三重子は芳男が自殺するはずはないと思うが、他殺だったとしても芳男が帰ってくるわけでもなく、悲しみの余り出奔してしまう。

ドイツでは、カウフマンが有能さを認められ、ヒトラー・ユーゲントでも一目置かれるようになっていた。カウフマンはヒトラーの秘書見習いへの昇格する。

ヒトラーも自分がユダヤ人の血を引いていることに悩んでいた。自分が貧しい画家志望の青年だった頃、ユダヤ人達は金持ちで肥え太っていた。それが許せなかった。そのために「ユダヤ人と共産主義をこの世から排除するのが正義」と確信したのだが、そのユダヤの血が自分にも流れている。ヒトラーは愛人のエヴァ・ブラウン(彩吹真央)にだけは悩みを打ち明けるのだった(なお、ヒトラーの登場シーンでは、ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲とベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」より第3楽章が流れる)。

カウフマンは更に重要な役目を任せられるようになる。裏切り者を見つけ出しては次から次へと殺害していくという役目だ。だが誰も信頼していないヒトラーはカウフマンも疑っており、ハインリッヒ・ヒムラー(劇中には登場せず)にカウフマンを監視するよう命令していた。そんな中、ヒトラー暗殺未遂事件が起こり、「砂漠の狐」の名で知られる名将・ロンメル元帥殺害計画を知ったカウフマンは「彼のような英雄を殺害するなんて!」と、ロンメルに電話を掛けようとするが繋がらず、その後、ロンメルの死を知る。ヒムラーに見張られていたカウフマンは東方へと左遷させられる。

ワルシャワに着いたカウフマンはアイヒマン(斉藤直樹)から、強制収容所前歩いて向かわされるユダヤ人の監視と誘導を命じられる。「歩けない者は殺して良い」とアイヒマンに言われたカウフマンは歩けなくなったユダヤ人を「天国に送ってやる」と言って射殺する。

カウフマンに更なる左遷が待ち受けていた。今度は日本での任務である。「日本の制海権、制空権はアメリカが握っている」というカウフマンであったが、潜水艦Uボートでキールから出航し、北極海を経て北海道へ、そこから東京、更に神戸へと向かうことになる。Uボートの中で幻影を見るなど発狂しそうになるカウフマン。

神戸。由季江は「美しい神戸の街をアメリカが空襲するはずがない」と思っていたが、戦争は非情であり神戸の街も空襲を受ける。ユダヤ人の塹壕の中にドイツ人が一人。アドルフ・カウフマンである。カウフマンはアドルフ・カミルと再会。二人とも懐かしがるがカミルがエリザと婚約中だと知ったカウフマンの顔色が変わる。「預かってくれとは言ったが、婚約してくれとは言っていなかったぞ!」とカウフマン。エリザがやって来る。カウフマンはエリザに愛情を示そうとするが、エリザは自分の家族を救わず約束を果たさなかったカウフマンをなじる。更にカウフマンは母親の由季江が草平と再婚し、国籍をドイツから日本に変えたことを知る……

第二次世界大戦を経て中東戦争まで話は続く。ラストはキャスト全員が揃い、「記せ正義の嘘を」の歌詞を歌い終えた後で、「アイン(1)、ツヴァイ(2)、ザ、ザ、ザ」と何かが迫り来るような言葉で終わる。

ヒトラーはアーリア民族の正義を信じ、「ユダヤ人全員の抹殺と共産主義の撲滅」が神の御心に叶うものだと信じている。カウフマンはドイツの血を正義として、日本を「二流国」、ユダヤ人を「下等な寄生虫」などと蔑み、ヒトラーを守ることが正義だと信じているのだが、結果的に自分の行いが全てピエロのそれだと知る。カミルはエリザと結婚し、イスラエル建国と共にカナンの地に渡るが、その後は戦士として、中東戦争でパレスチナ人虐殺に加わる。パレスチナ人からイスラエルを守ることが彼の正義なのだった。

ヒトラーも精神を病み、赤羽刑事も最期は狂人として暴れまくるのであるが、そうした狂的なものを「正義」は強く持っているのだというメッセージが伝わってくる。そして正義の度合いが強ければ強いほど狂気のうねりは更に高鳴るのだ。

「自信」、「信念」などを持つことが美徳とされる世の中であるが、それらは同時に排他的な側面を持つものであり、過度にあることは危険なのである。

俳優陣であるが、由季江役の朝海ひかる、エリザ・ゲルトハイマー役の前田亜季といった女優陣の方が男優陣よりも迫力のある演技をしていた。男優陣にもアクションなど激しいシーンはあるのだが、朝海や前田の憑かれたような力強さはなかったように思う。エヴァ・ブラウン役の彩吹真央も良い演技を行っていた。
男優陣の中では鶴見辰吾が一番味のある演技をしていたように思う。髙橋洋のヒトラーは存在感がもう一つだったが、ヒトラーという歴史上の化け物を演じること自体が困難なのでこれは仕方ないかも知れない。

終演後、客席はオールスタンディングとなり、俳優陣を讃えた。

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東アジアじゃないんだよ

「アラブだよ」

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2015年7月21日 (火)

「ある」孤独

この世に生を受けた時から共にある孤独は私の一番の親友だ。

なぜ人が孤独から逃れようとするのかわからない。己と最も長い時を過ごした孤独を厭うことは己を厭うことと同じだというのに。

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2015年7月17日 (金)

笑いの林(48) 「祇園ネタ」&吉本新喜劇「プロポーズは突然に!」2012年4月1日

2012年4月1日 よしもと祇園花月にて

午後3時30分から、よしもと祇園花月で、「祇園ネタ」と吉本新喜劇「プロポーズは突然に!」を観る。

「祇園ネタ」の出演者は、タナからイケダ、はんにゃ、ザ・プラン9、テンダラー、トミーズ。

タナからイケダ。タナからイケダは吉本の地域住みます芸人として京都府に移住している(2012年4月当時)。田邊孟德が「京都出身です」と言うと池田周平は「京都ちゃうやろ」と言う。田邊は「亀岡だ」と反論するが池田は「亀岡は京都じゃない」と断言する。池田が京都にもプロ野球球団が欲しいと言い、田邊が「女子プロ野球があるがな」と言うが、池田は「男子のプロ野球チームが欲しい」と言って、「京都は私鉄が多い。だから北近畿タンゴ鉄道に親会社になって貰って」というが、田邊は「なんで北近畿やねん」と答える。池田は「あそこは日本一やねんぞ! 赤字が」と言って、田邊から「あかんがな。京阪とかあるがな」と突っ込まれる。池田は「球場は西京極にある。あれをプロ野球風に派手にして」と続けるが、田邊は京都は景観で派手なのは駄目だ」と返し、池田は「金閣寺があるから大丈夫だ。あれは派手を超越している」と答える。
田邊は「選手はどうするの?」と聞くと、池田は「京都は高校野球が強い。そこからスカウトすればいい」と答える。それで田邊は高校野球選手を、池田がスカウトをやるが、池田は、「田邊君だよね。京都女子の」と言って、田邊に「なんで女子高やねん」と突っ込まれる。池田は「君のような選手を探していたんだ。君のように顔のパーツが真ん中に集まった」といつものお約束をやった後で、「君のように打つのと打撃とバッティングに優れた選手が」と言って、「打撃だけやがな」と田邊に突っ込まれる。田邊は「三拍子揃った選手とか」と言うが、池田は「中国の料理に合うお酒」と言って、「それは紹興酒」と田邊に突っ込まれる。池田は「走攻守の三三七拍子揃った選手」と言って、田邊に「三拍子やろ。十拍子多い」とまた突っ込まれた。

はんにゃ。コント「テレビに映りたい人」として、川島がテレビレポーターを、金田がテレビに映りたい一般人をやる。金田は川島の後ろで目立とうとするが、川島にインタビューされると、突然無口になり、緊張で足が震えてしまう。次いでコント「野球」。金田がピッチャーを、川島がキャッチャーをやるが、金田がピッチングフォームに入って結局投球出来ないという変なネタであった。

コント「コンビニのバイトで気まずい時」。新入りのコンビニ店員川島に、先輩店員の金田が文句を言うが、川島が愛知県田原市の田原中学校の出身であり、金田と同じ中学で、川島の方が3つ先輩だったという内容であった。

ザ・プラン9。浅越ゴエが牛肉偽装事件を起こした会社の社長、なだぎ武がその母親、記者をヤナギブソン、音響を、お~い!九馬を演じる。
浅越ゴエが牛肉偽装事件を起こした社長、水木ひろしとして記者会見に臨んでいる。偽装事件は副社長の弟の水木せましと一緒に起こし、三田(さんだ)の会社に発注していたのだが、注文に生産が追いつかないので九州の会社にも依頼するようになったという。記者のヤナギブソンが「今どういう気持ちですか?」と聞くと、水木ひろしの母親役のなだぎ武が「金玉」と言う。「金玉の膨らむ思い」と言って、浅越ゴエもそのままそれを繰り返す。ヤナギブソンは何で母親が同席しているのかといぶかり、母親のマイクの感度を落とすように言うが、音響のお~い!九馬は本職は水球のコーチで、友人の音響担当者が急用が出来たので入ってくれといわれたので、特別に音響をやっているという。それで母親のマイクを落とすと社長のマイクの感度も落ちてしまう。ヤナギブソンは両方落として社長の声を生で聞くからいいと言うが、社長の声は余りに小さく、マイクなしでは何を言っているのか全く聞こえない。マイクの感度を上げると、「食べれば一緒だろう!」と社長が激高していることがわかる。

社長の母親はそのまま退席。タクシーから飛行機に乗るが、マイクはオンで音が入ってくる。母親は飛行機内で「スチュワーデスさん。あ、今はスチュワーデスさんって言わないんだ。ええと、ケビン・アンダーソンさん(キャビン・アテンダントのこと)、オロナミンCある? ないの? デカビタCある? それもないの? ドデカミンは?」と、どんどん馴染みのない飲料に変えていくが、ドデカミンはなぜかあった。

その後、母親の乗った飛行機は墜落してしまうのだが、その直後に音響のお~い!九馬の携帯に着信がある。飛行機事故絡みかと思いきや、水球のルールが来年から変わるという連絡であった。
その後、母親の、「悪いことは何もしておりません。閻魔様、どうか天国へ」という声が聞こえ、ヤナギブソンが「どこまでマイクの感度ええねん?!」と突っ込んで終わりとなった。

テンダラー。浜本が「今日は休日なので遠くから来られた方もおられると思います。午後1時30分からの回では鹿児島からとか北海道からという方がいらっしゃいました」と言うが、今回の客には何も聞かずに進めてしまい、相方の白川に突っ込まれる。

白川が昔、悪かったという話をし、中学の入学式に、髪型を不良風にして太いズボンで出席し、職員室に呼ばれて教師から「ズボンを履き替えろ」と言われて3時間ほど胸ぐらを掴み合っての喧嘩となったという話をする。浜本も「俺も髪をビシッとしてな、職員室に呼び出されて、お前、ズボンを履け」と言われたという話になる。

それから男女の出会いの話になり、ドラマなどでは書店で同じ本に手を伸ばして手を触れた時に男女の出会いになるということで、やってみるが、どちらが男でどちらが女か決めていなかったので、ただの譲り合いになってしまう。互いに犬を飼っていて、散歩で出会った際に、挨拶してそこから関係が始まるというものもやるが、白川が「可愛い子犬ですね」と言うと、浜本は「キャリーバッグです。これが犬に見えるんですか? 頭おかしいんちゃいます」とやる。

それから子供の学力低下で、あいうえおが全部覚えられない子がいるという話になる。浜本は「アルファベットは『ABCの歌』があるから覚えられる。あいうえおにも節をつけたらどうか。福山雅治の『桜坂』がピッタリくる」といって、「あいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもや」と「や」で終わってしまい、白川に語呂が悪いと突っ込まれる。

都道府県の覚え方の話になり、浜本がドリフターズの「チャチャツチャチャ、チャチャツチャチャ、チャチャツチャチャラチャラチャー」が合うと言って、近畿地方を「大阪、京都、奈良、兵庫、三重、兵庫、和歌山」とやる。白川が四国編をやるが「愛媛、徳島、香川、高知」と変になってしまい、「自分でもこんな下手だとは思わなかった」と苦笑する。浜本は「蜜柑の愛媛に、香川うどん、スダチの徳島、土佐鰹」とやってみせる。
浜本は、その後、白川が一人で居酒屋に入って行ったときの真似をするが、わざと下手に真似した上に、「こうち~」と先程、白川がとちったネタをそのまま使い続けていた。

トミーズ。トミーズ雅が、「二人でトミーズといいますが、一人一人名前がありまして、私がトミーズのイ・ビョンホンです」と言って、健に「どこがや、文庫本みたいな顔して」と突っ込まれるが、「文庫本みたいな顔ってどんな顔や」とやり返される。
雅は「ブームには必ず終わりがありまして、AKBもそろそろ下火。これからはAKO47です」と言い、健に「なんやそれ「?」と問われて「赤穂四十七士や」と答える。
雅は「韓流ブームはまだ終わっていない。これに火を付けたのが、ゴさま、ロク様ではなく、ヨン様です。ヨンジュンというのはいい名前ですが、よりによって苗字が『ペ』です」と言う。健はヨン様になれるなら「ペ」でも良いというが、「お前、ペ・ケンやで。病院で『ペ・ケン様』とか呼ばれるねんで」と突っ込む。
雅は東方神起のことを「TOTO便器」と言い、KARAのことを「K・A・R・A。ケロ」と続けて、「客にケツ向けて踊るねんで、なんやお前ら、可愛い」とやる。

最後は理髪店での話。雅が「おまかせコースというのがあります」と言い、健は「それでいい」と言うが、雅は櫛と鋏を用意して自分でやれという。その後、もみ上げは何センチ切りますかという雅の問いに健が「5センチほど」と言うと、「それじゃ頭蓋骨が見えますね」「奥やない、上や。掘ってどうする」、「耳は」「揃えて下さい」に雅が健の耳に自分の耳を揃えたり、「頭のてっぺんは?」「すいて下さい」に「好き」と言ってみたりするが、健は「おたく変なこという割には腕はいいですね」という言葉に、雅は「賞を取っております。上方(かみがた)漫才大賞」と言って締めた。

 

吉本新喜劇「プロポーズは突然に!」。出演:内場勝則(座長)、Mr.オクレ、吉田ヒロ、安田信乃助、森田展義、信濃岳夫、井上安世、安井まさじ、島田一の助。

「町屋カフェぎおん」を営む安田信乃助と井上安世の兄妹。ある日、吉本物産社長の吉田ヒロと、祇園物産社長・島田一の助の息子である今年23歳の(?)信行ことMr.オクレが安世に一目惚れしたとして相前後してプロポーズにやって来る。

吉本物産の社長・吉田ヒロは見るからに変人で、安田信乃助は祇園物産の社長の息子である信行に安世との結婚の約束をしてしまう。しかし、安世はMr.オクレがとても23歳には見えないというので態度を保留。

そんな時、隣町のラーメン屋で強盗が起こったという知らせが入る。

島田一の助とMr.オクレは部下の安井まさじを使って強盗事件の狂言を行おうと計画。まず安井正次が井上安世に包丁を突きつけて(包丁は町屋カフェぎおんの向かいでうどん屋を営む内場勝則の店から頂戴する)「強盗だ。金を出さないとこの女を殺すぞ」と脅し、Mr.オクレが臆さずに強盗役の安井まさじは「お前の愛の力に負けたぜ」と倒れることになる。しかし、吉田ヒロと部下の信濃岳夫も同じ計画を立てていた。強盗役がいないが、たまたま通りかかった森田展義が強盗役を引き受ける。しかし、吉田ヒロも森田展義も覚えが悪く、信濃岳夫(ニキビ面を弄ばれていた)の説明が全く伝わらず、吉田ヒロは「ウーパールーパー」や「中京大中京」とギャグをやり、森田展義も「ウーパールーパーや中京大中京はどこに入るのか」と聞いてくる始末。この当たりは皆、アドリブしまくりである。

そして強盗役二人が同時に井上安世を人質に取り、同時に吉田ヒロとMr.オクレに殴られることになる。

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2015年7月16日 (木)

コンサートの記(197) ラドミル・エリシュカ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第472回定期演奏会

2013年10月21日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第472回定期演奏会を聴く。今日の指揮はチェコの名匠、ラドミル・エリシュカ。オール・ドヴォルザーク・プログラムである。

ヤナーチェクの「グレゴル・ミサ」とスメタナの連作交響詩「わが祖国」全曲で、驚異的ともいえる名演を示したエリシュカと大阪フィルの3度目の共演。前回と前々回の出来、またお国もののドヴォルザークということもあって名演は約束されたも同然であり、こちらの想像をどれだけ上回れるかが注目である。

大阪フィルでは、開演前の指揮者によるプレトークは行っておらず、代わりに大阪フィルハーモニー交響楽団事務局次長の福山修氏がホワイエで午後6時半過ぎからプレトークを行う。私はほぼ毎回聞いていて、質問も結構するのだが(そのために福山氏に顔を覚えられている)、今日は私より先に、「井上道義が首席指揮者に就任するが音楽監督とはどう違うのか」という、私が聞きたかった質問をされた方がいたので、私は質問はしなかった。福山氏によると、大阪フィルでは音楽監督はオーケストラに関する音楽全般、自分が指揮する演奏会だけではなく、他の定期演奏会やオーケストラの運営面でも権利や責任を持つ人のことを指し(ただ肩書きはオーケストラによって違う。広上淳一の京都市交響楽団における肩書きは常任指揮者であるが、彼が持つ権利は他の日本のオーケストラの音楽監督より上かも知れない)、首席指揮者はオーケストラのリーダーという意味で使っているとのこと。井上道義はオーケストラ・アンサンブル金沢の音楽監督でもあるので、音楽監督二つ兼任は大変であり、よって首席指揮者という肩書きを選んだという。

序曲「謝肉祭」、交響詩「野ばと」、交響曲第9番「新世界より」という演目。

エリシュカが初めて大阪フィルハーモニー管弦楽団を指揮した時は、足を引きずりながら登場し、スツールに腰掛けて指揮していたため、1931年生まれという高齢を感じさせたのだが、この時はたまたま足を怪我していたようで、前回の「わが祖国」全曲を指揮した時には、かくしゃくとした足取りで指揮台に上がり、若々しい指揮姿を披露している。

今日もエリシュカは背筋を伸ばして、しっかりとした足取りで登場。勿論、立って指揮する。無駄はないが、鋭さのある指揮である。

今日のコンサートマスターは田野倉雅秋。フォアシュピーラーは渡辺美穂である。

序曲「謝肉祭」。こちらの想像を遙かに上回る、華やかでパワフルな演奏が繰り広げられる。弦楽は透明な音を奏で、管楽器は彩り豊かである。エリシュカのリズム感も優れたものだ。各所に「これぞスラヴ!」という音型が登場するのだが、その処理も堂に入っている。

交響詩「野ばと」。チェコの詩人、カレル・ヤロミール・エルベンの同名の詩を音楽化した交響詩である。
まず第1ヴァイオリンに哀感に満ちた「葬送の主題」が現れ、これが様々な楽器に受け継がれていく。エリシュカは指揮棒を持って指揮を開始したが、程なく指揮棒を譜面台の上に置いてノンタクトで指揮する。その後、リズミカルな部分になると再び指揮棒を取る。抒情的な部分はノンタクトで、リズムや迫力重視の場面ではタクトありで指揮するのが今日のエリシュカのスタイルである。亡くなったのは男。妻があり、夫の死を嘆いている。そこへ軽快な音楽が入り、未亡人に新たな恋が生まれたことがわかる。交際は順調で華々しい結婚式の音楽が奏でられるのだが、音楽は突如として短調へと変わる。警告のシンバルが打ち鳴らされ、管楽器がおどろおどろしい旋律を歌い始める。実は先の夫は妻が毒殺していたのだ。妻はそれを暴かれ、絶望の余り入水自殺する。「葬送の主題」が再び現れ、何度も繰り返される。やがて音楽は民謡調(チェコ民謡調であり、日本でいう民謡調とは異なる)となり、これはあくまで詩の中の出来事でそれほど怖れることはないという風に安定した終わり方をする。

エリシュカの指揮する交響詩「野ばと」は極めてドラマティック。「葬送の主題」の深々とした歌も印象的であるし、警告のシンバルから曲調をガラリと変える手際も鮮やかだ。スメタナの連作交響詩「わが祖国」全曲でもそうであったが、エリシュカの指揮は文学的内容を含んだ交響詩に真骨頂が発揮されているように思う。文学のセンスも高いのだろう。ということは、最も文学的な音楽を書いたベートーヴェンの交響曲なども聴いてみたくなる。

メインの交響曲第9番「新世界より」。
大阪フィルは弦も管も絶好調。弦はガラス細工のような繊細且つ透明な音を出し、管楽器はパワフルで技術も高い。速めのテンポで開始したエリシュカであるが、やがてテンポを落とし、じっくりと第1楽章を味わわせてくれる。強弱の付け方も他の指揮者より細かい。

第2楽章の、「家路」のメロディーもノスタルジックで家庭的な味わいがある。エリシュカはベテランらしく他の指揮者よりも深々と歌い、温かさを生み出している。

第3楽章では、エリシュカのリズム感が光る。また、他の指揮者による「新世界より」とは違ったリズムの処理をする。

最終楽章は迫力満点。それも虚仮威しでなく、バランスも最高で、音としてでなく音楽として迫力がある。エリシュカは他の指揮者が全てフォルテで吹かせている音型を、ピアノ、メゾフォルテ、フォルテ、フォルテシモとクレッシェンドで吹かせて、独特の解釈と強烈な個性を見せつける。エリシュカでなくては作れない唯一無二の音楽だ。

演奏終了後、客席からの「ブラボー!」と喝采を浴びたエリシュカ。大した指揮者である。

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2015年7月15日 (水)

アメリカ合衆国国歌「星条旗」

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アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団ほか ヴェルディ 「レクイエム」

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2015年7月 9日 (木)

観劇感想精選(155) 「敦 山月記・名人伝」(再演)

2006年9月22日 兵庫県立芸術文化センター中ホールにて観劇

午後2時から、阪急西宮北口駅南口にある兵庫県立芸術文化センター中ホールで、「敦 山月記・名人伝」を観る。中島敦の小説を、野村萬斎が舞台に仕立てた作品。野村萬斎が世田谷パブリックシアターの芸術監督就任後、初めて担当した演出作品である。初演は1年前の2005年9月。大好評を得たため、僅か1年後の再演となった。今回は世田谷パブリックシアターの他に、兵庫県立芸術文化センター中ホール、そして北九州芸術劇場中劇場の3箇所で上演される。

中島敦は私が大好きな作家の一人。明治大学文学部入学後、まず研究に取り組んだ作家でもある。ちくま文庫から出ている3巻組の全集を明大1年の時に、夢中になって読んだものだ。
というわけで、思い入れの強い作家であり、中島敦作品の舞台化ということで自然と私の目も厳しくなる。
が、野村萬斎は私の予想を遥かに上回る舞台作品を作った。

基本的に、中島敦の書いたテキストを地の文も含めて、全文を読み上げるというスタイルである。狂言界のプリンスである野村萬斎だけに、尺八と太鼓の生演奏を採り入れており、演劇と狂言の折衷形式の作品に仕上げた。

2階席での観劇。まず、舞台に中島敦の巨大な写真がつり下げられているのが見える。
舞台は中央が円形の回転舞台になっているのがわかる。奥の方が三日月状に高くなっている。回転舞台は漆黒だが、三日月状の部分は本当に三日月の表面のような色をしている。「盈虚(えいきょ)」という中島敦の小説のタイトルが浮かぶ。回転舞台の中央、やや奥よりに棺桶が横たえられ。その上に位牌が載っているのが見える。

野村萬斎のナレーションによる、中島敦の説明が始まり、劇がスタートする。使われる音楽はモーツァルトの「レクイエム」。野村萬斎が中島敦について良く勉強していることがここで明らかになる。中島敦というと、中国を舞台にした作品が多いことで知られ、今日演じられる「山月記」も「名人伝」も中国が舞台にした話だ。そのため、中島敦の小説を舞台化するなら、音楽は中国風のものが相応しいと考える演出家もいるかも知れない。しかし、中島敦は、クラシック音楽に造形の深い人であり、好きが高じて、管弦楽曲のスコアを独学で勉強してたちまちのうちに読みこなせるようになったという逸話を持つ。野村萬斎はそうした知識を得た上で、モーツァルトの音楽を選んだのだろう。これがいかに卓越したアイデアであるかは後に書くことにする。

「山月記」ではまず、野村萬斎が、中島敦のテキストを高度なレベルできちんと読めていることに驚かされる。登場人物の心理、そして中島敦の心理と、サブテキストが完璧に読めている。そんなの当たり前じゃないか、と思う向きもあるかと思うが、実は本がちゃんと読めている演出家は意外に少ない。完璧に読めている人は更に少ない。だが野村萬斎は完璧だった。

野村萬斎自身は中島敦を主に演じ、他に語り部や登場人物の一人を演じたりする。野村萬斎扮する中島敦が、棺桶の奥から立ち上がり、敦の生涯のテーマであった「自意識」について語る。照明は客席方向からは当てず、舞台横からのみ光が当てられているため、野村萬斎の後ろは闇だ。と、その闇の中、野村萬斎の真後ろから一人の男が上手に向かって飛び出す。何と中島敦だ。その直後、やはり一人の男が下手に向かって飛び出す。これも中島敦の格好をしている。結局、野村萬斎を含め、舞台上に四人の中島敦(野村萬斎、深田博治、高野和憲、月崎春夫。全員、野村万作の弟子である)が登場する。自意識の葛藤を描くためには、一人の人物の中にいる幾つもの自分を出すのが一番良いやり方だ。ここでまず感心してしまう。

「山月記」が語られ始める。主人公の李徴を演じるのは野村萬斎の実父にして師である野村万作。今年で74歳とは思えないほどの若々しい演技を見せる。

俊才の誉れも高き李徴。官吏として将来の成功は約束されたも同然だったが、生涯を官吏として終えることをよしとせず、詩人として100年後まで名を残そうという欲望を抱き、官を辞して、詩人としての生活を始める。が、なかなか認められず、結局再仕官することになる。しかし能力においては李徴より遥かに下だったかっての同僚が今は出世して上官となっている。己の才がわかりながら、それが認められない境遇に耐えられなくなった李徴は公務で出張に出ていたある夜、発狂し、宿を飛び出してそのまま帰ってこなかった。

中島敦のテキストを読んでいて感じるのは、「この人は正直な人だな」ということ。太宰治や三島由紀夫のようにテキスト上で演技をするということが全くと言っていいほどない。だから、読み解くのは比較的簡単である。李徴に敦が自分を重ねていることは誰にでもわかる。
しかし、野村萬斎の読みの深さは、「臆病な自尊心」という言葉で表される心理状態を完璧なまでに見抜き、その本質と変化をこれ以上は出来ないというほど巧みに舞台化して見せる。凄いとしか言いようがない。
なぜ李徴は才能は第一級でありながら、詩人としては一流になれないのか。野村萬斎は完全な答えを用意していた。
そして、虎が示すもの、李徴の語る矛盾した言葉が全て本心から出たものであることを萬斎は文学者も顔負けの読解力で見抜いていく。

そして、虎の嘆きの声を他の動物は威嚇としか捉えないという下り。虎の声は、愉悦感の裏に悲しみを湛えたモーツァルトの音楽を連想させる。モーツァルトは悲しみを正直に表さず、音の背後に託した。悲しみを悲しみと表現するベートーヴェンとはそこが違う。野村萬斎がモーツァルトの音楽を用いた理由がここでわかった。人を遠ざけて一人ひたすら思索に没頭するという李徴の姿勢に私はベートーヴェンの姿を連想したが、萬斎は李徴の心理からモーツァルトを起用した。そして、モーツァルトを選んだ方が遙かに効果的なのだ。私は姿勢を主に見たが、萬斎は心理状態に着目していた。これは敵わない。

「山月記」の上演が終了するやいなや、野村萬斎の才能に感動した私は、走って(比喩ではなく本当に走った)1階ロビーに行き、公演パンフレットを買い求める。

休憩を挟んで上演された「名人伝」も素晴らしい出来であった。ユーモラスで教訓的な話である原作であるが、野村萬斎はテキストを冷静に読み込み、抱腹絶倒のコメディーとして仕上げた。中島敦の作品に思い入れがありすぎても出来ないし、そこそこ好きでも余り興味がなくても出来ない。適度な思い入れがあるからこそ生み出すことの出来たアイデアだ。

「名人伝」では野村萬斎は主人公である紀昌を演じる。演技スタイルは小劇場で良く見られるものを採用。シンプルだが実に効果的なスタイルだ。小道具を多用せず、機織り機の動きなどは、萬斎を始めとする数人の俳優がマイムで表現する。

更に、「虱」、「雁」、「矢」などは漢字をそのまま用いたアニメーションで表現する。まるで天野天街のようだ。更に前半と同じ回転舞台がこの作品ではいよいよ回る。そしてその使い方は、野田秀樹が「研辰の討たれ」で用いたものとほぼ同様だ。野村萬斎が各人の舞台を目にして採り入れたのか、はたまた独自に似たアイデアを生み出したのか。いずれにしても並みの才能で出来ることではない。
紀昌の妻と、紀昌の師である飛衛は石田幸雄が一人二役で演じるのだが、飛衛の時は長いあごひげだったものが、紀昌の妻になる時は長髪になる。飛衛が紀昌の妻に一瞬にして化ける様を見て、観客は爆笑する。

ラストも教訓というよりブラックユーモアとして描いて見せた萬斎。これぞまさに「現代狂言」だ。見ているこちらはただただその才能に惚れるのみである。

最後に、再び現れた中島敦の写真に向かって、萬斎は「どうです。中島敦って凄い作家でしょう」という風に手で示す。
野村萬斎もまた凄い男である。

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2015年7月 7日 (火)

第22回京都五花街合同公演「都の賑い」

2015年6月28日 京都四条南座にて

午後2時30分から京都四條南座で第22回京都五花街合同公演「都の賑い」を観る。京都にある五つの花街(祇園甲部、祇園東、宮川町、先斗町、上七軒)の芸妓と舞妓が合同で行う公演。以前は京都会館で行われていたが、京都会館のリニューアルに伴い、3年前から南座で行われるようになっている。「都の賑い」は今後も南座を会場に行われる予定だが、来年1月に京都会館の後継劇場となるロームシアター京都の杮落とし公演として、京都の五花街に加えて東京の新橋、金沢の三茶屋街、博多の券番の三つの花街から芸者を招いて「八花絢爛」という公演が開催されることになっている。

まずはお膝元である祇園甲部の公演、常磐津「常磐の老松」。立方は、そ乃美、孝鶴。地方は、浄瑠璃が豆千代、芳豆、小桃。三味線が恵美二、小恵美、君鶴。

菅原道真伝説を題材にしたものであるが、菅原道真自身は出てこず、文殊菩薩の浄土が仄めかされ、連獅子を使った舞が行われる。祇園甲部の舞は京舞の代表格である井上流であり、オーソドックスな舞である。

続いて、こちらも南座のすぐそばの宮川町の公演。長唄「菊の泉」。立方は、ふく紘、富美苑、ふく愛、ふく恵、君綾。地方は、唄が、ふく葉、富美祐、ちづる、弥千穂。三味線が敏祐、千賀福、小扇。上調子が、ふく佳。

五花街の中で最も多くの舞妓・芸妓を抱えるという宮川町。京おどりは五花街の踊りの中で最も華やかなことで知られる。
愛らしい踊りが特徴。なお、今日は下手3階サイド席に座ったのだが、この席からは芸妓達が花道の上に出てきて行う舞を観ることは出来ない。

南座の向かい側にある祇園東。元々は祇園乙部と名付けられたのだが、祇園甲部より劣るという扱いが嫌であるため祇園東に改名している。実際は祇園の北にあるのだが、北だと敗北に繋がるので東を採用したのだろうか。五花街の中では一番苦戦している花街である。立方は、つね有、満彩美、雛菊、美晴。地方は唄が美弥子、つね和、まりこ。三味線は豊壽、つね桃、上調子は弘子。
演目は清元「六玉川(むたまがわ)」。日本国内に6つある玉川を読み込んだ清元である。六玉川のうち、山城・井出の玉川、紀伊・高野の玉川、近江・野路の玉川、攝津・玉川、そして多摩川の表記でも有名な武蔵・玉川の五つが出てくる。武蔵の玉川は『万葉集』の東歌に出てくる「多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだ愛しき(かなしき)」という有名な歌が取り入れられ、武蔵・調布(東京都調布市)が歌詞にも出てくる。
着物の色は地味だが、囃子に鈴の音を取り入れるなど、音も踊りも美しい。

上七軒の長唄「座敷舞道成寺」。京都の花街のうち4つは鴨川のそばにあるご近所さんだが、上七軒だけが遠く離れた北野にある。
立方は尚子(なおこ)一人で、他の花街とはスタイルが違う。地方は唄が、尚ひろ、梅智賀、市桃、玉幸。三味線は尚鈴、勝也、尚そめ、里の助。男みたいな名前の人もいるが全員女性である。
舞うのが一人だけということもあり、他の花街とは違ったスター性に富んだ舞となる。
歌詞には、日本全国の花街が登場する。江戸の吉原、京の嶋原、伏見の墨染(現存せず)と撞木町(大石内蔵助が遊んだことで知られるが現存せず)、大坂の難波四筋(新町、堀江、南地、北新地。いずれも往時の面影なし)、奈良の木辻(今は廃れている)、長崎の円山(丸山。ここは今でも栄えている)などである。

ラストは先斗町。演目は常磐津「扇獅子」。五台山の文殊菩薩の浄土に向かう途中にあるとされる「石橋(しゃっきょう)」を踏まえた内容となっている。立方は、朋ゆき、光菜、もみ壽。地方は語りが久ろく、豆千佳、市穂、市真芽。三味線がミヨ作、かず美、もみ蝶、市菊。
ラストでは牡丹の花飾りが用いられる。視覚的効果も十分な華やかな舞である。また、この舞でも鈴の音が使われる。

花街の謡であるが、写真帳に歌詞が載っていたからよくわかったものの、節回しが独特な上に選ばれる言葉も古典調なので、慣れないとなかなかすんなりとは耳に入らない。歌詞もそれほど内容重視ではないので、意味が分からなくても舞自体を楽しむことは可能であるが。

舞であるがどの花街も舞がきちんと揃っているのは当然として、動きに無駄が全くない。流石は舞のプロ達である。

続いて「舞妓の賑い」として、五花街合同による舞妓の演舞がある。ステージの中央に宮川町、上手手前に祇園甲部、上手奥に先斗町、下手手前に上七軒、下手奥に祇園東の舞妓各4名ずつが陣取り、「京を慕いて」に合わせて踊る。ただ、五花街は踊りの流儀は全て異なり、宮川町が若柳流、祇園甲部が井上流、先斗町が尾上流、上七軒は花柳流、祇園東が藤間流である。そのため振付はバラバラであり、それぞれに個性がある。祇園甲部は写実的な舞があり、祇園東は「舞扇」という言葉が歌詞に出てきたときに実際に扇子を懐から取り出して舞う。「京を慕いて」は1番から4番まであるのだが、1つ番が終わる毎に舞妓達が時計回りにポジショニングを変更する。今回は上七軒だけがセンターポジションに来ることがなかった。
各番の終わりは「京の月」で終わるのだが、ここだけはどの花街も振付が一緒である。4番が終わるとステージ上にいる全員が同じ振付で舞い、ラストとなる。
なお、地方は今回は先斗町が担当した。

最後は「祇園小唄」に合わせて出演者の勢揃い。袖から順次出てきて、舞台中央奥で二人一組となり、一緒に前に出てきてポーズを決め、拍手を貰った。

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2015年7月 5日 (日)

笑いの林(47) 「テンダラー上方漫才大賞受賞記念ライブ」

2015年6月18日 なんばグランド花月(NGK)にて

午後7時30分から、なんばグランド花月(NGK)で、「テンダラー上方漫才大賞受賞記念ライブ」を観る。タイトルの通り、第50回の上方漫才大賞をテンダラーが受賞したのを記念してのライブ。テンダラーの他に、中川家と博多華丸・大吉も出演する。

開演時間が午後7時30分なのは、NGKでは朝の部、昼の部、夜の部の三回公演を行っているためで、入れ替えなどのために夜の部の開演時間が一般的な公演より遅めになるのである。

開演前にTUBEの「シーズン・イン・ザ・サン」が流れており、客席の一部から笑いが起こる。テンダラーが行っているJAPAN TOUR公演で白川悟美が「シーズン・イン・ザ・サン」を歌い、浜本広晃に「振付がダサい」と駄目出されるシーンがあったのである。

奥田民生と井上陽水の「ありがとう」が流れる中、巨大スクリーンにテンダラーの映像が映された後で、上から能舞台をイメージした松の絵の書き割りが降りてきて、テンダラーの二人が登場。白川が黒の、浜本が茶色の背広姿である。

テンダラーの二人はNSC組ではなく(白川はNSCに通っていたことがあるが中退である)、オーディションを受けて吉本に入ったという事務所直入組であるが、「オーディションを受けるのではなくスカウトされてみたかった」とも白川は語る。そこで、浜本がスカウトマンを演じ、白川がスカウトされることになるのだが、浜本が白川に年齢、職業、住所を聞き、白川が「44歳、何もやってない、実家」と答えると、浜本に「お兄さん、働いたらどうですか?」と言われてしまう。白川が18歳というかなり無理のある設定で再開。しかし浜本は、「今、甲子園球場で二死満塁なんでどう?」「鳥谷返すだけでいい」と代打のスカウトをしてしまう。今度は浜本がジャニーズのスカウトマンになるのだが、「私、ジャニーズの富田林支部の者です」と言って、白川に「どこに支部あんの?」と返されるが、浜本は「お兄さんはバヤシ組で」とトンダバヤシというグループの一員にスカウトされてしまう。
ようやくお笑いのスカウトになるのだが、白川のツッコミを浜本もやるのでツッコミが変になってしまう。

JAPAN TOUR in NGKで披露された演目もある。白川が「ぶらり旅」の番組に出たいというのだが、浜本がキャスティングしたのは、「小栗旬、向井理、テンダラー・白川の三人」で、白川から「キャスティングおかしいやろ!」と言われる。その後、「鈴木福、芦田愛菜、テンダラー・白川」となり、更に「居酒屋の大将、ホームレスのおばちゃん、テンダラー・白川」と誰が見るのかわからないキャスティングになってしまう。

いたずら番組の、「こら!おじさん」をやろうということになり、白川が田原俊彦役をやるのだが、「I wonna do!」と歌って右手を回しながら下手から上手に歩いて、浜本に呆れられる。

もう一度やることになるが、浜本が二人が歩き始めてすぐ「コラ!」と言ってしまい、白川に「早すぎる!」と駄目出しされる。

こんどは浜本がオドオドしてなかなか白川に近づかない。浜本は白川の隙を見て近づくのだが、白川に気付かれるとまた下がってしまう。

スペシャルゲストのコンビを呼ぶことになるのだが、浜本が呼んだのが何故か「大塚家具の社長とお父様親子です」(勿論、本当に出てきたりはしない)。

白川はディナーショーに出たいという夢を持っているのだが、浜本がセッティングしたのは何故かビックカメライベントスペース。白川は「そうじゃなくて!」というが、今度の舞台は東横インの一室。最後はリーガロイヤルホテルでやるという設定になるのだが、ここで白川が「シーズン・イン・ザ・サン」を歌い、“心潤してくれ”のところの振り(右手を心臓の前で上下されるもの)がダサいと浜本に指摘される。歌だけでは駄目なのでダンスもすることになるのだが、浜本もダンスを始めてしまい、浜本の方がずっと上手いので、白川の存在感がなくなってしまう。

ゲストの中川家と博多華丸・大吉による漫才。浜本は「ギャロップとスーパーマラドーナ」と最初はわざと間違えて紹介。その後、実際の出演者をコールする。

中川家。まず剛が「どうも、我々がスーパーマラドーナです」とボケる。礼二(礼二は東京ではまず俳優として注目を浴びており、私も芸人・中川家礼二よりも俳優・中川家礼二のイメージが今も強い)が今も車掌になりたいという夢を持っているというので、大阪市営地下鉄や京阪電車の車掌のアナウンスの物真似をやってみせる。大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線の話になり、「大正は全部埋め立て地の区で、おじいちゃんおばあちゃんしかいない。工場の音がうるさい(剛が口で機械の騒音の真似をする)」、北のターミナルである門真南駅では何故が発着音の後で人の声によるメロディーが入るそうである。
また、吹き込んだ声をコンピューターがセレクトして行う自動放送と実際の駅員のアナウンスが被る様子も礼二は演じる。

博多華丸・大吉。テンダラーもリズム芸の芸人だというので、博多華丸・大吉もリズム芸を行うことにするのだが、華丸がやったのは「焼酎もう一杯、焼酎もう一杯、焼酎もう一杯、焼酎もう一杯説明してね」という8.6秒バズーカーの「ラッスンゴレライ」のパクリ。華丸によると「焼酎五杯」でラストオーダーになるとのこと。大吉によると、「これNGKでやるネタちゃう。100人ぐらいのとこでやらんと。さっき楽屋で作ったネタだけどおもろない」と出番寸前に思いついてやったネタだと明らかにしていた。

博多華丸・大吉は1970年生まれであり、子供が最も多かった時期に少年時代を過ごしている。華丸・大吉は自分達のことを「第二次ベビーブーマー」と呼んでいたが、実際の第二次ベビーブーマーは、出生数が200万を超えた、1971年生まれから1974年生まれまでである。ただ、1970年生まれも出生数は200万には達しなかったものの多く、華丸は「見渡す限りみんな同級生」と言っていた。第一次及び第二次ベビーブームは大戦の影響によるものであり、戦争の爪痕の一つと見ることも出来る。
華丸の行っていた高校(野球で有名な福岡大大濠高校)は、1クラス50人で20クラスまであり、しかも男子校であった(2012年に共学化)。修学旅行先は、福井県の東尋坊に富山の黒部ダムという、何故か共に「自殺の名所」といわれるところだったという。

今は少子化で子供が少ないが、子供の体力が衰えているという。睡眠不足の影響も大きいという。一人に一台テレビ、パソコンにスマホ。これではなかなか眠れない。
ということで、大吉が眠れない子供を演じ、華丸が寝かしつける親をやる。まず華丸が絵本を読むことになり、「三匹の子ブタ」の概要を説明するのだが、三匹目のブタの煉瓦の家を何故か博多弁のおじさんの指揮で建設会社が建てることになる。華丸は「ブタに煉瓦の家を建てることは無理」と断言する。
今度は「浦島太郎」の話をするのだが、竜宮城では浦島太郎の出迎えをするためにパートの佐々木さん(誰?)らが宴会の準備をしている。大吉が「(竜宮城でお手伝いをするなら)鯛とかヒラメとかがやればいいやろ」と言うが、「そんなん、出てきた瞬間に捌かれるばい」と主張する。

最後は、羊を数えることになるのだが、羊ではなく山羊やカバが混ざっていて華丸に注意され、大吉は眠ることが出来ない。

その後、テンダラー、中川家、博多華丸・大吉によるトーク。10分だけであったが、結婚していないのがテンダラー・白川だけという話になる。博多華丸のお嬢さんはもう高校生であり、娘と二人で出掛ける時は恋人気分になるとのこと。
博多華丸は大学生達を見ても、娘と同世代で照れくさくなるため、今では博多華丸・大吉は学園祭には出ないことにしているのだという。

中川家剛の双子の子も小六であり、小柄である剛にもうちょっとで追いつきそうだという。
ちなみに、テンダラー・浜本は1974年の早生まれであるが、「自分が一番年下の公演は久しぶり」だという。

「ポリープ対策漫才」。喉にポリープが出来るのは四十代が圧倒的に多いというので、41歳の浜本が一切話すことなく音響効果のみで漫才をやる。
夫婦関係については郷ひろみの「ゴールドフィンガー99」の「アチチアチ」、新居を探しているのだが、候補地が「北京、ベルリン、ダブリン、リベリア」と「アジアの純真」の歌い出しが流れる。白川は「ダブリンってどこ?」と言う(ダブリンはアイルランドの首都である)。更に山崎まさよしの「急行待ちの 踏切あたり」(「One more time,one more chance」)という抽象的な候補地になる。
白川がピン芸「阪神タイガースファンが喜ぶシャッターの押し方」をやる。「ハイチーズ」ではなく「オ・スンファン(呉昇桓)」と言ってスベるのだが、「少しも寒くないわ」(松たか子「Let it Go ありのままで」)というフォローが入る。
最後は白川の「これからの俺らどうなる?」との問いに、「ゆっくりゆっくり下ってく」(ゆずの「夏色」より)と歌が答えてしまう。

最後は、漫才&コント。時代劇シリーズということで、まず「水戸黄門」。浜本が「こちらにおわす方をどなたと心得られる畏れ多くも先の副将軍」と言った後で名前を忘れてしまい、適当に誤魔化す。

最後は「必殺仕事人」。白川が悪代官を、浜本が町娘と必殺仕事人を演じる。まず浜本が「おやめ下さい悪代官様」と言って、白川が「悪代官って言うな!」と怒るのだが、浜本は「シーズン・イン・ザ・サン」の“心潤してくれ”のフリ真似を延々とやる。その後、必殺仕事人・中村主水として登場するのだが、刀を忘れてきたり、卑怯な手を使ったり、やたらと弱かったり、もう一人必殺仕事人が来たり、刀を8本ほど持ってきていたりする。

最後は、白川が中村主水になるのだが、「必殺仕事人」のテーマを上手く歌えなかった。

ラストの白川のピン芸。「阪神タイガースファンが喜ぶシャッターの押し方2」で、今度は「林威助(リン・ウェイツー)」と言ったのだが全く受けず(そもそも林威助のことをもう覚えていない人の方が多いと思われる)、松たか子の「少しも寒くないわ」という声がフォローした。

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2015年7月 1日 (水)

コンサートの記(196) 井上道義指揮、野田秀樹演出 モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚 ~庭師は見た!~ 新演出」

2015年6月7日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールにて

午後2時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、歌劇「フィガロの結婚 ~庭師は見た!~ 新演出」を観る。指揮・総監督:井上道義、演出・テキスト日本語翻案:野田秀樹。演奏:兵庫芸術文化センター管弦楽団。出演:ナターレ・カロリス(アルマヴィーヴァ伯爵)、テオドラ・ゲオルギュー(アルマヴィーヴァ伯爵夫人ロジーナ)、小林沙羅(スザ女)、大山大輔(フィガ郎)、マルテン・エンゲルチェズ(ケルビーノ)、森山京子(マルチェ里奈)、森雅史(バルト郎)、牧川修一(走り男)、三浦大喜(狂っちゃ男)、コロン・えりか(バルバ里奈)、廣川三憲(庭師アントニ男)。声楽アンサンブル:新国立歌劇場合唱団メンバー、合唱:新国立歌劇場合唱団。演劇アンサンブル:川原田樹、菊沢将憲、河内大和、近藤彩香、佐々木富貴子、長尾純子、永田恵実、野口卓磨。衣装:ひびのこづえ。

日本演劇界の旗手の一人である野田秀樹によるオペラ演出プロジェクト。野田に演出を依頼したのは井上道義だそうで、野田は井上からの直筆の手紙をポストから取り出したのだが、「長年の経験で字を見て頭が大丈夫な人かどうかわかるようになった」という野田は、井上の字を見て瞬時に「おかしな人から」と思い、差出人の名前も見ずにしばらく放っておいたのだという。その後、何かの拍子にその手紙を手にして裏返してみると、差出人の名が「井上道義」とある。「井上道義って、あの井上道義さん?」と野田は思ったそうだが、本当に井上道義からの手紙で、オペラ演出の依頼であったという。ということで、日本を代表する外連派アーティストの共演が実現した。

「カルメン」などと共に世界で最も有名なオペラの一つに数えられる「フィガロの結婚」。モーツァルトの三大オペラの中の一つでもある。野田は演出するにあたり、時代と場所を黒船がやって来る時代の長崎に置き換え、アルマヴィーヴァ伯爵とその夫人、ケルビーノ以外は日本人という「蝶々夫人」のような設定にし、フィガロをフィガ郎、スザンナをスザ女(すざおんな。オペラの中ではスザンナと呼ばれることが多い)、バジリオを走り男、クルツィオを狂っちゃ男と日本風の(少し無理があるが)名前に変更している。日本人同士が語り合うときは日本語が用いられ、日本語訳の歌も唄われる(テキストは野田が翻訳しており、彼お得意の言葉遊びが散りばめられている)。有名な「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」や「恋とはどんなものかしら」などの有名アリアはイタリア語で歌われることが多い。

庭師のアントニオがアントニ男という名で、語り部役に変更。アントニ男を演じる廣川三憲(ひろかわ・みつのり)は歌手ではなく、ナイロン100℃出身の俳優である。

ケルビーノは女声歌手が男装し、男装した女声歌手が女装し、とわけのわからないことになるのだが、今日はカウンター・テナーである男性歌手、マルテン・エンゲルチェズがケルビーノに扮するので男女反転はなしである。

八百屋になった舞台の上に木製のロッカーが三つ。いずれも蒔絵のような絵が施されており、和のテイストを醸し出している。舞台前方に竹がクロスする形で立っている。これが幕の代わりであり、俳優アンサンブルのメンバーが取り外したり付け直したりする。本来の幕が降りたり上がったりすることは一度もない。
オーケストラピットは浅め。

開演10分前に、庭師アントニ男が竹の棒二本を持って登場。竹の棒を顔の前で打ち鳴らし、庭木の剪定に擬している。竹の棒はこの後も歌舞伎のツケの代わりに用いられたり、カメラの三脚に見立てられたりする。指揮者の井上が登場し、客席に向かって一礼した後で、アントニ男が客席に向かって語り始める。長崎が舞台であること、黒船でやって来たアルマヴィーヴァ伯爵夫妻が長崎に豪邸を建てたこと。伯爵の召使いであるフィガ郎と小間使いのスザ女の結婚が決まったことなどを告げる。初夜権に関する説明はなかったが、クラシックが好きな人で初夜権を知らない人は余りいない。いても劇中で仄めかされるのでオペラに詳しくなくても何とか分かると思われる。「日本語なので何を言っているのかわかります。わからない場合は」という時に幕が降りてきて、字幕がそこに映されるようになる。スクリーンには映像も投影される。

なお、アントニ男が結婚式のご祝儀の相場を井上道義に聞き、井上が「片手じゃ駄目! 両手!」と返す場面があった。アントニ男は主であるアルマヴィーヴァ伯爵から「アントニ男とハサミは使いよう」と評されるような男である。

最初のフィガロがベッドの採寸をするシーンでは演劇アンサンブルのメンバーが横になってベッドを表す。ベッドの高さを測る時には、膝から上を挙げているメンバーの脚を測る。単位も尺貫法である。演劇アンサンブルのメンバーは天平時代の肖像のような髪形をしており、服装も合わせて、黒船がやって来た時代の人というより古代人を想起させる。フィガ郎の衣服も古代系。スザ女は着物姿である。外国人キャストは全員洋装。

井上道義は、序曲をノンタクトで振る。今日の兵庫芸術文化センター管弦楽団は、オーケストラ・アンサンブル金沢のコンサートミストレスであるアビゲイル・ヤングをゲスト・コンサートミストレスとして招いている。井上が音楽監督を務めるオーケストラ・アンサンブル金沢は古典派以前はピリオド・アプローチが基本であり、ヤングはピリオドの演奏に長けているため、今回の公演に呼ばれたのだと思われる。当然、今日はピリオド・アプローチによる演奏。井上は上演中は基本的には指揮棒を振るが、ゆっくりしたテンポのアリアや歌手のアンサンブルの時はノンタクトでの指揮も行う。また指揮棒を逆に持って握り手のコルクの部分を左右に揺らして指揮したりもしていた。兵庫芸術文化センター管弦楽団は元々非力な上にピリオドで演奏を行ったため、音の威力は今一つである。

ロッカーの中からは人が出てきたり、ロッカーの上から人が顔を覗かせたりする。

野田秀樹は、故・十八代目中村勘三郎と組んで歌舞伎の演出も行っていたが、今日のオペラでもツケの音や布の使い方に歌舞伎からの影響が見受けられる。また、オペラで歌舞伎の人形振りを行うという大胆な手法も取り入れていた。

ケルビーノが隠れるのは虎の皮の敷物の下。余り現実的ではないが、笑える設定である。また、ケルビーノが窓から飛び降りるシーンでは上手のロッカーの扉を破って中に入るという演出が施されていた(上手のロッカーの扉は休憩中に修復された)。また伯爵が持ってくるのは斧ではなくチェーンソー。また剣も何本か持ってきており、スザンナの隠れているロッカーに剣を何本も突き刺すというマジックでよく見ることをして笑いを取っていた。

このように野田の演出は面白さ満載なのであるが、観客に想像させた方が良いと思われるところまで俳優を使ってパフォーマンスで説明してしまうため演出過剰となりがちである。オペラの台本は基本的にバカみたいな話が多く、ある意味、そうした現実離れした荒唐無稽さが楽しみの一つなのであるが、バカみたいな話を丁寧に表現されてしまうと、オペラが現実に近づいて楽しめなくなるというところもある。

フィガ郎ことフィガロを歌う大山大輔は太めの体型であるが、野田が翻案したセリフの中に体型をからかうものがある。少し生真面目に過ぎるフィガロであるが、歌は立派である。

スザ女ことスザンナを歌う小林沙羅は、声も見た目も可憐である。

アルマヴィーヴァ伯爵のナターレ・デ・カロリスは堂々とした歌いっぷり。「法律など解釈でどうにでもなる」という傲慢な役だが、最後には態度を一気に豹変させて笑いを取った。アルマヴィーヴァ伯爵夫人のテオドラ・ゲオルギュー(アンジェラ・ゲオルギューとは血縁関係にないようである)は声はやや細めだが音程の安定した歌唱を披露した。

ケルビーノを演じたマルテン・エンゲルチェズであるが、悪くはないものの、ケルビーノはやはり女性歌手のための役という印象も強くなった。トリックスターではあるが、男がやると本当にどぎついキャラに見えてしまう。

終演後、カーテンコールで舞台に立った井上は独楽のようにターンしたり、最後は中央のロッカーを開けて中を通過して退場というショーマンシップを発揮していた。

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