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2015年8月16日 (日)

観劇感想精選(160) 市川海老蔵特別舞踊公演「道行初音旅」&「身替座禅」

2015年4月24日 京都四條南座にて観劇

午後6時から、京都四条南座で、市川海老蔵 特別舞踊公演「道行初音旅(みちゆきはつねのたび)」&「身替座禅」を観る。四代目・市川九團次(変換したら「一渇く男児」と出た)の襲名披露を兼ねた公演である。四代目市川九團次は、坂東竹三郎の芸養子となり、四代目坂東薪車を襲名したが、その後に市川海老蔵門下となって市川道行を名乗り、このたび、市川九團次を名乗ることになった。市川海老蔵門下であるが、九團次は市川左團次系の名跡であるため、屋号は成田屋ではなく高島屋となる。

本当は観に行く予定はなかったのであるが、九團次が知り合いの知り合いであったため、観に行くことになった。今日は先程とは別の知り合いとも南座の1階売店前で幕間にたまたま出会う。南座で行われる海老蔵の公演なので、知り合いに出会ったとしても何の不思議もない。

今日も大向うに座る。考えてみれば歌舞伎で大向う以外に座ったことはないような気がする。歌舞伎がそれほど好きというわけではないからかも知れないが。

「道行初音旅」。『義経千本桜』の四段目、ラストの「四の切り」で知られる段であるが、その口に当たるのが「道行初音旅」である。「吉野山」の通称でも知られる。市川九團次は元・市川道行であり、本名も道行であるため、知り合いが「名前が道行やから、こんなん選ばれたんちゃうん?」と聞いたそうだが、九團次によるとたまたまだそうである。九團次の知らないところで、掛詞でこの演目が選ばれた可能性もあるが。

出演は、市川九團次(屋号:高島屋。狐忠信)と上村吉弥(かみむら・きちや。屋号:三吉屋。静御前)

初音の鼓を抱えて吉野山を行く静御前。同行していた佐藤忠信の姿が見えないので、鼓を鳴らす。鼓を鳴らすと忠信はどこからともなく現れるのである。実は現れた佐藤忠信は本物ではなく、初音の鼓の皮にされた狐の子供が化けて出たものだったのだ。

舞が中心の演目である。市川九團次は、初役ということもあり、舞はダイナミックだが手足の振りが大きすぎるという難点もある。狐歩きも例えば市川猿之助(先代及び当代)に比べると様になっていない様子である(家が違うと演じ方も異なるので単純に比較は出来ないのだが)。

20分の休憩の後で、四代目市川九團次襲名を兼ねた口上。出演は、市川海老蔵、市川九團次、片岡市蔵(屋号:松島屋)。海老蔵や市蔵はユーモアを交えて楽しそうに口上を述べるが、九團次はやはり緊張しているようである。ただ、襲名の口上なので、少し緊張しているくらいの方が良いかも知れない。

25分の休憩を挟んで、狂言「身替座禅」。原作は狂言「花子(はなご)」を歌舞伎の演目にしたもので、歌舞伎俳優も狂言師のように自分の身分を説明してから演技に入る。

市川海老蔵扮する山蔭右京が、「洛外に住まいいたす者でござる」と自分のことを語るが、「洛外」に住んでいると述べる役は狂言には少ないようで、ここから洛外・修学院離宮に隠棲している後水尾上皇が山蔭右京のモデルと推察され、そのため狂言「花子」は秘曲扱いになっているようである。

右京は東国へ下った際、美濃国で、花子(はなご)という女性と出会い、逢瀬を交わす。その後、洛外に戻った右京であるが、花子がやはり洛外の北白川(現在の京都市左京区北白川。修学院離宮からは歩いて30分ほどである)に移り住み、右京に文を送ってきたため、右京は会いに行きたいところなのだが、右京の山の神(奥さん)である玉の井(片岡市蔵)というのが夫を束縛するタイプで、花子にすんなり会いに行けそうにない。そこで、右京は「夢見が悪いので仏参に出掛けたい」と言い、「1年ほど」と申し出るのだが、そんなことを玉の井が許すはずもなく、結局、邸の持仏堂の中で一晩座禅をするだけにされてしまう。そこで、右京は太郎冠者(九團次)を呼び、持仏堂の中で衾(ふすま。大きめの頭巾)を被らせて、あたかも右京が座禅をしているように見せかけ、その間に邸を抜けて、北白川の花子の下へと向かう。だが、玉の井はお節介な奥さんであり、衾を被って座禅をしている人物に菓子や茶を勧める。座禅をしている人物が衾を取らないため、侍女の千枝(大谷廣松。屋号:明石屋)と小枝(中村京蔵)に衾をはぎ取るよう命じる。衾の下から現れたのはもちろん太郎冠者。太郎冠者は右京が花子に会いに出掛けたことを白状してしまう。「花子に会いに行きたいと正直に仰ったなら、一晩ぐらいなら許したものを」という玉の井であるが、仕返しをするため、今度は自分が衾をかぶり、帰ってきた右京に自分のことを太郎冠者だと思い込ませ、探ろうとする。

酔っ払って帰ってきた右京は、玉の井の目論見通り衾を被っているのが太郎冠者だと思い込み、花子とのあれやこれやを語り始める。遂には玉の井の悪口まで語り始めてしまうのだが、玉の井が衾の下から姿を現し……

海老蔵も市蔵も遊び心に溢れた演技で、観る者の笑いを誘う。ただ、他の歌舞伎俳優達による「身替座禅」より優れていたかというとそれは別の話である。

なお、鳴り物であるが、邦楽器の他に、グロッケンシュピール(鉄琴)の響きが混じっていた。海老蔵のアイデアなのかどうかはわからないが、新鮮に感じたことは確かである。

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