« ありふれた存在 | トップページ | ムソルグスキー 「蚤の歌」 »

2015年9月 1日 (火)

コンサートの記(202) 演奏会「音楽百鬼夜行絵巻」

2015年8月7日 京都芸術センター講堂にて

午後7時から、京都芸術センター講堂で、演奏会「音楽百鬼夜行絵巻」を聴く。怪談にちなむ器楽曲や声楽曲を演奏するという試み。

演奏に先立って、午後6時からレクチャー兼プレトークがある。今日は出演者やスタッフが妖怪のコスプレをしているのだが、レクチャーでは作曲家の清水慶彦が「ゲゲゲの鬼太郎」の鬼太郎の格好をして登場。今日演奏されるのは全て「現代音楽」に分類されるのだが、そもそも「現代音楽」とは何かということから、E-Musik、U-Musikという言葉を使って説明が行われる。日本では坂本龍一や久石譲などクラシックとポピュラーのボーダーラインで活躍している作曲家がいるが、欧米ではクラシック音楽系列とポピュラー音楽とはより明快に分けられているという。

その後、フルートの永野伶実や、ピアノの河合珠江が登場して、フルートの重音奏法、ピアノのクラスターなどの現代奏法が披露される。その後、司会が作曲家の増田真結にバトンタッチされ、箏に関する現代音楽の奏法がなど紹介される。十七絃箏の中川佳代子が登場し、野球でスライダーを投げる時のように人差し指と中指で横から弦を引っ掻くという擦り爪などの特殊奏法が奏でられる。左手でのピッチカートの演奏も行われるが、一本の絃をバチンと弾くというバルトーク・ピッチカートなるものがあるそうで、間違いなくバルトークが発案したものであるが、それ以外は一見、現代音楽的奏法に見えても実際は伝統的に行われている演奏法の方が多いそうだ。

まずはサルバトーレ・シャリーノの「感謝の歌」。フルートのための現代曲であるが、トレモロから徐々に音程がずれていったり、半音ずつ音が上がっていき、そこから発展していったりする。現代的な響きの中から時折、美しいメロディーが現れる。

フルートの永野伶実は、砂かけ婆の格好で登場。地味な着物に白髪のウィッグである。永野は京都市立芸術大学卒、同大学院修士課程修了。ドイツに留学してブレーメン芸術大学大学院修士課程も修了している。ブレーメン芸術大学大学院在学中から現代音楽集団Atelier Neue Musikのメンバーとして活動。現在は現代音楽と古楽の演奏を中心に活動しているという。

なお、後ろに10本の蝋燭が、バーにあるような覆いを付けた形で並んでおり、演奏者や作曲者が1曲終えるごとに、蝋燭に点った灯りを一つずつ消していく。

続いて、ペール・ヘンリック・ノルドグレンの「小泉八雲の怪談によるバラード」より“耳なし芳一”。
本日のプログラムの中で最も知名度の高い作曲家であるノルドグレン(1944-2008)。フィンランドの作曲家であるが、1970年から1973年まで東京藝術大学に留学しており、この時に小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の「怪談」を知ったという。その後、フィンランド在住のピアニストである舘野泉から「小泉八雲の怪談によるバラード」というピアノ曲集作曲の依頼を受け、「お貞」、「雪女」、「ろくろ首」など10曲を作曲。楽譜は全音楽譜出版社から出ている。

ピアノ独奏の河合珠江(猫娘の格好をして登場)は、京都市立芸術大学卒業、同大学院博士課程修了。同校器楽領域での初の博士号取得者となったという。現在は日本の他にチェコなどでも活動しており、チェコの作曲者であるドゥシークの研究も行っているという。
本人とは何の関係もないが、今日使われるグランドピアノは河合楽器のものである。

“耳なし芳一”であるが、クラスターやグリッサンドのあるおどろおどろしい部分と抒情的な部分の対比が特徴的。河合のピアノはリリカルな部分の演奏が特に良かった。

3曲目は小林千尋の作曲による電子音楽「あそびはじめのうた」。この企画のために作曲された新曲の初演である。様々な人の言う「あそぼー」という言葉がサンプリングされ、逆回しにされたり、旋律のように続いたりする。
小林千尋は豆腐小僧(江戸時代に大人気になったが急速に人気が薄れたという妖怪。特徴は豆腐を食べるということで、市川染五郎に「それ妖怪じゃなくてただのおやじだろう」と突っ込まれたこともある。ちなみに茂山千五郎家が京極夏彦の作による新作狂言「豆腐小僧」を上演しているが残念ながら成功作とはいえなかった)の格好をしていた。

小林は徳島県出身。大分大学教育福祉科学部学校教育課程教科教育コース音楽専修を卒業。現在は同大学大学院の教育学研究科教科教育専攻に在学し、清水慶彦に師事している。

幕間の邦楽演奏があり、山口敦子が篳篥を演奏した。

4曲目は猪本隆作曲の「きつねがだまされた話」。ソプラノの丸山晃子が白装束で登場し、河合珠江のピアノ伴奏に乗せて、歌と語りを行う。きつねが若い女に化けるのを目撃したおじいさんが、狐が化けた若い女に向かって「しっぽが出ているぞ」と嘘の指摘をして「まだまだ修行が足りないの」と言ったため、きつねがおじいさんもまたきつねなのだと騙されるという話である。わかりやすい作風の歌であった。

丸山晃子は京都市立芸術大学卒業、同大学院修士課程修了。ブレーメン芸術大学に留学後、京都市立芸術大学大学院博士課程修了。音楽博士である。バロックや古典を主なレパートリーにしている。

10分間の休憩を挟み、後半。

清水慶彦の「百鬼夜行絵巻」より“童子丸随忠行習道語”。今回の企画のための新作初演である。レクチャーを鬼太郎の格好で行った清水慶彦。京都市立芸術大学作曲専攻卒業、同大学院修士課程修了。その後、ブレーメン芸術大学に留学し、帰国後に京都市立芸術大学大学院博士課程修了。黛敏郎に関する論文で博士号を取得している。現在、京都市立芸術大学非常勤講師、同志社女子大学嘱託講師、大分大学教育福祉科学部専任講師も務めている。

陰陽師の賀茂忠行が百鬼夜行の行列に出くわし、それを誰よりも早く察知した少年こそ、後の安倍晴明であったという語り付き作品である。

永井伶実がフルートを演奏し、永野歌織が女声を担当。女声という大雑把な括りであるが、語りの他にコロラトゥーラを含んだ歌なども唄う。

永野歌織は永野伶実と姉妹である。「リング」の貞子役ということで、黒髪で顔を隠し、床を這いながら上手から登場する。
永野歌織は京都市立音楽高校(現・京都市立京都堀川音楽高校)卒業後、京都市立芸術大学卒業。オペラでも活躍しているという。

わかりやすい内容の曲であり、永野歌織の語りと歌も良かった。

幕間の邦楽演奏として、齊藤尚が龍笛を演奏した。

永野伶実による、J・S・バッハ/ゲイリー・ショッカーの「パルティータ イ短調BWV1013とパルティータのゴースト」。永野伶実が録音したJ・S・バッハの演奏に永野伶実自身がゲイリー・ショッカーが書いた対位法的旋律を生演奏で挟んでいくという趣向の曲である。

増田真結の「異類婚姻譚」。増田真結は信太の狐(葛葉狐。安倍晴明の母)のコスプレをしている。十七絃箏演奏家である中川佳代子による弾き語り。とある街の怪奇譚を基にした曲。夏になると神隠しに遭う人が多く出る街。失踪者は、その直前に「かごめかごめ」を歌っており、ある目撃者の証言によると「何かに食べられた」のだという。そこで、その街では特に夏には「かごめかごめ」を歌ってはいけないという言い伝えがあるという。

箏に様々な現代的な演奏が加わる中、中川佳代子(雪女の服装だそうだが、そうは見えない)は、「君を食べる、食べた」、「君を今も食べている」と呟いたり歌ったりする。箏には「かごめかごめ」の旋律が登場する。

増田真結は京都市立芸術大学卒業、同大学大学院修士課程修了。ブレーメン芸術大学に留学。京都市立芸術大学大学院博士課程修了。箏曲の作曲に関する論文で博士号を取得している。室内楽や歌曲の作曲コンクールで上位入賞を果たしているようだ。

中川佳代子は、高崎芸術短期大学卒業後、NHK邦楽技能者育成会に入り、卒業している。海外でのソロコンサートを行った経験もあるという。

幕間の邦楽演奏として山口敦子が、笙を演奏する。

ラストの曲目、猪本隆の「ゆうれい屋敷」。ソプラノの丸山晃子は今度は白い紙烏帽子して登場。ピアノの河合珠江は裸足で演奏する。

「きつねがだまされた話」同様、ユーモラスな内容である。舞台は江戸時代の江戸・深川。大きな屋敷があったのだが、幽霊屋敷という噂があり、誰も近づこうとしなかった。しかし、それを聞いたある若い侍が、「勿体ない話だ。そういう家ならきっと読書が捗るに相違ない」ということで、幽霊屋敷を購入する。幽霊など信じていなかった侍であるが、初日から目のない幽霊に遭遇する。だが、結構素直で可愛げのある幽霊であり、侍は色々尽くしてくれるお礼にということで、ある夜、眠っていた幽霊の顔に墨で美しい目を書いてやる。ところが、目覚めた幽霊は鏡を見るなり、「キャー! お化けー!」と叫んで家から出て行ってしまい、その後、戻ってくることはなかったという、幽霊本人が自分のことを幽霊と気付いていなかったというオチで終わる話であった。

丸山の語りと歌、河合のピアノいずれも優れていた。

|

« ありふれた存在 | トップページ | ムソルグスキー 「蚤の歌」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/40048/62197978

この記事へのトラックバック一覧です: コンサートの記(202) 演奏会「音楽百鬼夜行絵巻」:

« ありふれた存在 | トップページ | ムソルグスキー 「蚤の歌」 »