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2015年9月の24件の記事

2015年9月30日 (水)

コンサートの記(206) ジャン=クロード・カサドシュ指揮京都市交響楽団第594回定期演奏会

2015年9月6日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都市交響楽団第594回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はフランスの名匠、ジャン=クロード・カサドシュ。ロベール・カサドシュの甥であり、日本での知名度はそれほど高くないかも知れないが、フランス音楽が好きな人には支持されている指揮者である。パリ国立音楽院を経て、ピエール・デルヴォーとピエール・ブーレーズという二人のピエールという名の指揮者に師事。現代音楽の作曲家兼指揮者であるピエール・ブーレーズは勿論だが、ピエール・デルヴォーも現代音楽を得意としていた。そうした二人の分析的な音楽傾向はジャン=クロード・カサドシュも明らかに継承している。当然ながら現代音楽の熱心な擁護者である。「誰それに師事」というプロフィールの文言を自慢だと勘違いしている人もいるようだが、そういうことではなく、どういう音楽的背景を持つ人物なのかを明らかにする意味で書かれているのが普通である。

パリ・オペラ座とオペラ・コミック座の常任指揮者を経た後で、フランス国立ペイ・ド・ラ・ロワール管弦楽団の立ち上げに関わり、同楽団の監督補佐を務めたこともある。1976年にフランス国立リール管弦楽団を設立。以降は同楽団の音楽監督として長年に渡り活躍。今に至っている。

プレトークに登場したカサドシュは、「みなさん、こんにちは」と日本語で言って、拍手を受ける。その他にも、「おはようございます」、「こんばんは」、「おやすみなさい」、「ありがとう」というのが知っている日本語だそうである。通訳の禹朋子は複数の外国語を操れる人だが、フランス語はドイツ語ほど得意ではないのか、あるいはカサドシュの父親が純粋なフランス人ではないため訛りがきついのか、カサドシュのフランス語の単語を上手く聞き取れないということがあった。私はフランス語は学んだことはないので、カサドシュの話すフランス語がどういう種類のものなのかは全くわからない。フランス語というのは面白い言語で、実は首都で人口も一番多いパリの言葉は標準語ではない。パリの人達が話すフランス語はパリ訛りといわれている。

京都市交響楽団の第594回定期演奏会は同一演目二回公演であり、今日は二日目。
カサドシュの父親は会計士であるが、ヴァイオリンを弾き、報酬はわずかだが出る小さなコンサートにも出演していたという。当然、音楽好きで、身内に高名な音楽家がいるということもあり、10人ほどの子だくさんだったそうだが、「全員を音楽家にしよう」と思い立ち、かなりのスパルタ教育を施したそうだ。ただ、そのおかげで全員が絶対音楽を持つことが出来、全員が音楽家になれたわけではないが、俳優など全て芸術関係の仕事に就くことが出来たという。カサドシュ自身の子供も俳優や女優であり、親族には画家もいるという芸術一族だそうだ。

時折、ポディウムの側を向いて語るなど、かなり気配りの出来る人物のように映る。カサドシュは最後は「ありとうございました」と日本語で言って拍手を受けた。

曲目は、ラヴェルの組曲「マ・メール・ロワ」、ラヴェルのピアノ協奏曲(ピアノ独奏:萩原麻未)、ドビュッシーの「牧神のための前奏曲」、ストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」。

今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに渡邊穣。フルート首席奏者の清水信貴、クラリネット首席の小谷口直子は後半からの出演。前半のオーボエ奏者は女性であることはわかるのだが、後ろの演奏者の楽譜の陰になったところにいるため、髪形などで誰か確認することは出来なかった。後半はオーボエ首席の高山郁子であることが確認出来たのだが、演奏前に高山はステージ上で小谷口と挨拶を交わしていた。前半は共に出ていなかったら楽屋で挨拶をしているはずであり、前半もオーボエは高山だった可能性は高いが。

カサドシュは指揮台に上がるときに、足で踏み鳴らして大きな音を出すが、意図は不明である。定期演奏が月一日しかなかったときは毎回満員が続いていたが、二回公演で満員になるほどには甘くない。東京、大阪、京都などではそのホールを本拠地としているオーケストラのメンバーが登場したときに拍手をする習慣はないが、今日は盛大な拍手。ご新規さんが多いことが一発でわかる。フランスものの繊細な音楽が続くので「大丈夫かな?」と思っていたが、口を抑えずに咳をする人がいたくらいで、それも小さめだったため支障はなし。
ちなみに、愛知芸術劇場コンサートホールで名古屋フィルハーモニーの定期演奏会を聴いたときと、石川県立音楽堂でオーケストラ・アンサンブル金沢の定期演奏会を聴いたときにはレジデント・オーケストラのメンバー登場なのに盛大な拍手が起こっていたため、名古屋や金沢では三都とは違う習慣があるのかも知れない。国毎に違いがあるのも知っている。レジデント・オーケストラのメンバーが登場したときに拍手をしないという習慣は、定期演奏会がテレビ放送されるNHK交響楽団の習慣から自然に起こったのかも知れない。

ラヴェルの組曲「マ・メール・ロワ」。極めて洗練された演奏である。日本では知名度こそ低いがジャン=クロード・カサドシュ級の指揮者が京都市交響楽団に客演してくれるということ自体がありがたいことで、こうした演奏が聴けるというのは幸せ以外の何物でもない。

指揮姿であるがバラエティに富んでいる。小さくビートを刻んでいたかと思うと、大きく手を回してオーケストラを煽り、曲によっては極めてアグレッシブに見える指揮スタイルも行う。

演奏終了後、カサドシュはメンバーを一人ずつ立たせて、全員で起立という合図をした後でヴィオラソロを担当した小峰航一を立たせていなかったことに気付き、慌てて小峰の手を取って立ち上がらせた。

ラヴェルのピアノ協奏曲。ピアノ独奏の萩原麻未は新進気鋭のピアニスト。広島県出身。広島音楽高等学校を卒業後、文化庁海外新進芸術家派遣員としてフランスに留学。パリ国立高等音楽院を卒業後、同音楽院修士課程を首席で卒業。その後、パリ地方音楽院室内学科でも学ぶ。
2010年11月に第65回ジュネーヴ国際コンクール・ピアノ部門で日本人として初めて優勝。優れたピアニストがいなければ優勝なしとする習慣がある同コンクールにおいて8年ぶりの優勝者という快挙であった。13歳前後にパロマドーロ国際コンクールにおいて史上最年少で1位に輝いた経験もあるという。

チャーミングな容姿の持ち主である萩原だが、それ以上に腰の低さが印象的。鮮やかなターコイズブルーのドレスで登場した萩原だが、腰が低すぎて見方によっては頼りなさそうな印象を受ける。勿論、私は以前に彼女の実演に2回接しており、バリバリ弾けるピアニストであることは知っているので、ギャップが凄い。演奏自体も勿論、優れているが、藤岡幸夫や飯森範親が彼女を絶賛するのは人柄も含めてなのかも知れない。実力第一の世界であるが、音楽家も人間であるため仕事を一緒にするなら性格の良い人とやった方が気分が良いはずである。
ちなみに彼女のプロフィールには共演したオーケストラが書かれているが、NHK響、東京響、新日本フィルなど、略称ではあるがどこのオーケストラのものなのか音楽に詳しい人でなくてもわかるように記されている(普通は、N響、東響、新日フィルと略される。N響をNHK響と略されると違和感を覚えるが他のオーケストラと差別しないためであろう)。萩原がどこまでプロフィール作成に関与しているのかわからないが、気配りのきちんと出来る女性である可能性は高い。ザ・シンフォニーホールで演奏を行った時には、地元の広島市安佐南区で土砂崩れの災害が起こった直後であるため、「私に出来ることがないかと思いまして、やはり募金が一番かということで、この後、ホワイエに立ちますので、小銭でよろしいので」と途中休憩と終演後に募金箱を持って立っていた。私も募金をしたのだが、生憎、募金すると京都に帰れないという金額しか持っていなかったので、「少ないんですけれど」と断りを入れた後で、「100と前田健太の18」とおどけるサービスをして118円を募金した。

抜群のリズム感と高度なテクニックで第1楽章を弾き始めた萩原。ラヴェルを弾くには音がウエットに過ぎるように聞こえるが、カサドシュ指揮の「マ・メール・ロワ」を聴いた後なので、耳が自然にフランス音楽対応になっており、ピアノも生粋のフランス人ピアニスト達の演奏と同じようなものを求めてしまうのかも知れない。

エスプリ・クルトワの塊のような第2楽章では、萩原は甘さと切なさの微妙なグラデーションを描き分ける。伊達にフランスで学んだだけではない。

第3楽章の、「ゴジラ」テーマのモチーフともいわれる旋律などは立体感のある音で奏でる。

カサドシュが指揮する京都市交響楽団は、「フランスのオーケストラ以上にフランス的」なオーケストラへと変身する(はい、そのまんまモントリオール交響楽団の売り文句を借用しました)。ちなみにカサドシュはこの曲でも冒頭で活躍するフルート奏者を立たせるのを忘れ、一人で喝采を受けて振り向き、フルート奏者と目が合って初めて立たせていないことに気づき、慌てて立ち上がらせて自らも拍手を送った。

萩原はアンコールとして、ドビュッシーのアラベスク第1番を演奏。この曲はラヴェル以上に萩原に合っているようで、涼やかな音色を生かした繊細にしてイメージ喚起力豊かな演奏が繰り広げられる。彼女にはショパンが一番合っていると思われるが(夜想曲第2番を演奏した時には、実際は8分の6拍子であるが分かりやすく3拍子風に書くと2拍目と3拍目をアルペジオで弾くという個性的なスタイルで聴かせた)フランス音楽もなかなかである。

ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。繊細の極みのような丁寧な演奏である。これだけの演奏を生み出すことの出来る指揮者が日本で知名度が低いのは、録音点数の少なさもあるが、やはり名ピアニストであるロベール・カサドシュの親族であるため色眼鏡で見られているのかも知れない。

ストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」(1919年版)。1911年版よりも編成を小さくした1919年版を用いているが、かなりの迫力である。日本でも「精神」を示す「エスプリ」という言葉は知られていると思うが、実はエスプリには二種類あり、優美で洗練された「エスプリ・クルトワ」と野卑で豪快な「エスプリ・ゴーロワ」である。ゴール人の精神という意味の「エスプリ・ゴーロワ」はクラシックにおいては金管楽器に顕著であり、フランス人の金管奏者は思いっ切り吹くので心強いというので、フランス人金管奏者は世界中で人気である。レオポルド・ストコフスキーがフィラデルフィア管弦楽団を育てている時も、「金管楽器に向いているのはフランス人」ということでフランスから奏者を招いている。またクラシック音楽史上最も有名なトランペッター、モーリス・アンドレはフランス人である。

カサドシュもフランス人ということでエスプリ・ゴーロワは勿論持っており、管楽器や打楽器にはいつも以上に豪快な鳴りを要求する。ドラマティックにしてスリリング、音は力強いが計算はきちんとなされており、虚仮威しにはならない。

優れた演奏会。京響のメンバーもカサドシュに敬意を表して、カサドシュ一人が指揮台に上って喝采を浴びた。

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2015年9月29日 (火)

フランク・シナトラ 「Fly Me To The Moon」

「新世紀エヴァンゲリオン」(舞台は2015年という設定です)のエンディングテーマとしても知られるジャズスタンダードナンバー「Fly Me To The Moon」。フランク・シナトラのヴォーカルでどうぞ。

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2015年9月27日 (日)

観劇感想精選(162) 佐々木蔵之介主演「マクベス」

2015年8月13日 大阪の森ノ宮ピロティホールにて観劇

午後7時から、大阪の森ノ宮ピロティホールで、パルコ・プロデュース公演「マクベス」を観る。ウィリアム・シェイクスピアの「マクベス」の登場人物(全20役)を佐々木蔵之介が一人で演じるという、ほぼ一人芝居版「マクベス」である。俳優は他に出番は少ないものの大西多摩恵と由利昌也が出演するため厳密な一人芝居ではないが、大西と由利が重要なセリフを話すシーンは数えるほどしかない。

パルコ・プロデュース公演「マクベス」

作:ウィリアム・シェイクスピア、テキスト日本語訳:松岡和子。演出:アンドリュー・ゴールドバーグ。

精神病院が舞台という設定。不協和音が響いて溶暗し、照明が着くと、舞台の上には男と女医と男性看護師がいる。男(佐々木蔵之介)は閉鎖病棟に入院することになった。ノイジーな音楽が鳴り続けており、女医(大西多摩恵)や看護師(由利昌也)が男に話しかける事務的と思われる言葉は聞き取ることが出来ない。黒のスーツを抜いて入院用の衣装に着替えた男は、部屋から出ていこうとする女医と看護師に向かって、「またいつ会おう、三人で」と魔女のセリフを語りかける。

アンビエント系のミュージックが流れ、舞台奥に引っ込んで怯えていた男だったが、やがて魔女のセリフを語り始め、マクベスとバンクォーの一人二役を演じる。バンクォーを演じるときの男は林檎を手にしておどけた感じである。ストーリー自体は原作とほぼ変わりがないが、最も有名なシーンの一つである「門番の場」はカットされている。
監視カメラが三つあり、舞台上方にモニターが三つあって、そこに時折、佐々木蔵之介の映像がリアルタイムで映り、特に三人の魔女を演じるときは効果的に用いられる。

舞台上には、鏡と手洗い場、車椅子、ベッド、机などの他に、水を張ったバスタブが置かれており、佐々木蔵之介が全裸でバスタブに入るシーンもある。

女優の場合だと、一人何役も演じる演技に底知れぬ迫力を感じる場合が多いのだが、男優が一人で何役も演じると逆に技術が前面に出過ぎてしまうきらいがあるように感じる。男優が女優のように演じるのはおそらく無理なので、仕方ないといえば仕方ないことであるが。

シェイクスピアの四大悲劇の中で最も短い「マクベス」。特に後半の拙速はよく指摘されており、シェイクスピアが初演に間に合わせるために筆を進めすぎた結果ではないかという説もある。

一人芝居であるため、マクベスとマクダフの戦の場面はないのだが、佐々木蔵之介がバスタブの中で寝転んだまま長いこと動かないというシーンがあり、それがマクベスととマクダフと我慢比べで、更に役者と観客の間に共有されるスリルでもある。

「綺麗は汚い、汚いは綺麗」は、『マクベス』の中に出てくる最も有名なセリフだが、別々のものがアマルガムのように一体になっているというのもまた人間である。勇猛で有能な武将であるはずのマクベスはスコットランド王ダンカンを殺害したことで気が動転して剣を持ってきてしまい、マクベス夫人に王の寝所に剣を返しに行くよう言われるも怖いので断るというチキンぶりである。悪女であるマクベス夫人も罪の意識から強迫神経症にかかり、手を洗わないではいられなくなってしまう。彼女も根っからの悪女や烈女ではなく、弱い人間である。

男が精神病院の閉鎖病棟に入院することになった理由ははっきりとは明かされない。ただ、男が紙袋を手放さない(中には子供服が入っていることが後にわかる)ことや、人形が登場すること。またマクベスには子供がいないのに、バンクォーは息子のフリーアンスがスコットランド王になる運命にあり、またその家系がずっとスコットランド王朝を継ぐということから、男には子供がいない、それもおそらく最近、事故か病気で亡くし、そのショックが尾を引いて精神病院に入ることになったのだろうという推測される。そういう点では男性版「隅田川」のような「マクベス」である。

大西多摩恵と由利昌也が登場するシーンや、ラストに冒頭の魔女のセリフを佐々木蔵之介が再び口にすることから察するに、おそらく人間存在それ自体が狂気じみたものという解釈も含まれていると思う。女医や男性看護師が自身と同類だと思ったために男は魔女のセリフを発したと思われるからである。

1994年4月。私は東京・新宿の紀伊國屋ホールで、東京サンシャインボーイズの「ショー・マスト・ゴー・オン」を観ている。三谷幸喜作・演出のバックステージものであったが、舞台になっていたのは一人芝居「マクベス」(「萬マクベス」というタイトルであった)が上演されている劇場の下手袖。ということで、その時には観られなかった(マクベス、マクベス夫人、マクダフの三人を一人で演じる老俳優役を佐藤B作が演じていた)一人芝居版「マクベス」に今日初めて接することが出来たことになる。

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2015年9月23日 (水)

アンドリス・ネルソンス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 ストラヴィンスキー バレエ音楽「ペトルーシュカ」

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2015年9月22日 (火)

レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニック ショスタコーヴィチ 交響曲第5番より第4楽章

1979年、東京文化会館での伝説のライブです。当日はソニーによるライブレコーディングが行われており、現在でもCDを入手することが可能です。

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2015年9月21日 (月)

笑いの林(53) 「今くるよグランド花月~VIVA女芸人~」

2015年8月31日 なんばグランド花月にて

午後7時から、なんばグランド花月(NGK)で、「今くるよグランド花月~VIVA女芸人~」を観る。出演:今くるよ、なるみ、尼神(あまこう)インター、Dr.ハインリッヒ、桜 稲垣早希、青空、ニッチェ(マセキ芸能社)、アジアン、小泉エリ、日本エレキテル連合(タイタン)、ハリセンボン(以上、登場順)。そして今くるよ新喜劇「昨日の味方は今日の敵?」が上演され、酒井藍、宇都宮まき、金原早苗、いがわゆり蚊、森田まりこ、小寺真理、岡田直子、すっちー、松浦慎也、信濃岳夫が出演した(NGKサイトでの告知と異動あり)。

今くるよが相方の死を悲しんでばかりもいられないということで、女芸人を集めて華やかに行おうということで企画されたもので、漫才やコント、マジックには女芸人ばかりが起用されているが、新喜劇には男性俳優も出演する。女芸人のコーナーには吉本以外からも、マセキ芸能社のニッチェとタイタンの日本エレキテル連合も招かれている。

まず今くるよが登場。客席から拍手喝采である。なるみが司会として登場し、くるよについて、「皆さん、落ち込んでいるんじゃないかとご心配かも知れませんが、ちょっとうるさくて迷惑と思うくらい元気です」と冗談を交えて語る。今くるよは今日出演する女芸人達にあだ名を付けたそうで、なるみは白雪姫と名付けられたという。なるみが「では二人でお送りして」と言ったところで、くるよが「二人じゃなくて三人でしょ」と、なるみの妊娠ネタにも触れる。なるみは妊娠6ヶ月だそうだが、お腹の膨らみからいうと、くるよは妊娠13ヶ月くらいなどとギャグを言う。

ちなみになるみの発表によるとこの8月のNGKの来場者は11万人を超え、NGKの月間来場者最多記録を更新したという。今日も満員ではないが、1階席はほぼ全て埋まり、2階席も半分以上入っている。吉本は基本的に女性のファンが多いので(今日もNGK前のラジオ放送ブースに祇園の木﨑太郎さんがゲストとして出演されていたが、大勢の女性がブースを取り囲んでいた)女芸人しか出ない企画でこれだけ入るということはかなりの入りと考えて良いだろう。

トップバッターは、尼神インター。くるよが付けたあだ名は「二人観月ありさ」という謎のもの。
誠子が、「私、可愛い女の子が言いそうなこと言うことが出来る」と自慢するが、渚に「(可愛くもない)その顔で?」と言われる。誠子は基本的にブスキャラである(ただ思いっ切りブサイクというわけではなく、人並みといえば人並みである)。
誠子はまず、「私、あなたに出会ってキムタクって大したことないんだってわかったの」と言い、続いて「もっと攻めてきてもいいのよ」と大人のネタの方向に行こうとするが、3つ目は何故か「好きじゃなくて愛おしい」と意味がよく分からないことを言って(本当のことを書くと、私は違いはわかりますが、「愛おしい」などと言われたら引きます)渚に頭をはたかれる。

渚は今も元ヤン風の格好をしているが、そこで誠子は渚に不良の男の子を演じてもらい、自分は生徒会長の女生徒をやる。まず渚の髪形や衣装を注意し、「服装の乱れは心の乱れ」と言う誠子だったが、誠子自身も髪はボサボサ風で、ズボンもぴちぴちのものを履いているため、渚に突っ込まれる。その後、実は誠子は渚演じる不良男子が実は好きで、ぶりっこで誘ったりしたのだが、度が過ぎていたので、やはり渚に頭をはたかれて終わった。

残念なのは渚の演技力が異様に低いこと。他の芸人がそれなりに上手いので余計に目立った。

Dr.ハインリッヒ。双子の漫才コンビであるため、ザ・ピーナッツというあだ名が付く。

幸(みゆき)が、「現代美術について言いたいことがある」という出だし。幸は美術館に行くのが好きなのだが、ある現代美術の展覧会に行ったときに、前面黒塗りのカンヴァスの下の方に小さく爪の形のような白い絵の具が付いているだけという現代アートを観て、「これのどこがアートなのだ?」と頭に来たそうだが、その作者が美術展の会場に来ていたという。そこで本人に「どういう意図があるのか?」と聞いたところ、「僕はもう完成したものについては受け手に全て任せることにしているんだ」というようなことを言われたとのこと。幸はそうした態度を取る人は最近は良くいるが気に入らないという。そこで彩が「その作品は何を描いたものだと思ったわけ?」と聞くと。「前面真っ暗で闇のよう。世界がこの闇のように感じられることもあるかも知れない。でもよく見ると爪ほど大きさしかないかも知れないけれど希望がそこから差し込んでくるんじゃないかと」と自身の解釈を語って、彩に「あんたそれ正解ちゃうの?」と言われる。それでも幸は「いや違う」と言い張る。

同じ会場で今度は、白いカンヴァスに立方体が浮き出ている絵を観たという。ただよく観察してみるとカンヴァスに立方体を貼り付けただけのもの。やはり作者が会場にいたので、幸が意図を聞いたところ先程の作品の作者と同じようなことを言ったためカチンときたという。ただ彩に自身の解釈を聞かれた幸は、「カンヴァスに絵を描くだけが絵画じゃない。カンヴァスに何かを貼り付けるという発想をするということ自体がアートだ」と言って、再び彩に「それ正解ちゃうん?」と言われる。

最後は彩の、「それよりもみんなが気になっているのはあんたがキャンバスのことをカンヴァスということや」というセリフで終わる。

おそらくであるが、解釈の仕方や言葉の選び方、カンヴァスという言葉を敢えて用いているという点から、幸は実際、現代アートにはかなり詳しいのだと思われる。

桜 稲垣早希。あだ名は「安室ちゃん」であるが、なぜ安室ちゃんなのかは不明。安室奈美恵と早希ちゃんの共通点って何かあったかな?(その後、早希ちゃんはブログでくるよ師匠から「吉本の安室奈美恵」と命名されたことを明らかにしているが、理由はやはり不明である。ただ、吉本の女芸人でリリースしたCDが売れているのは早希ちゃんだけなので、そうした理由からかも知れない)。

以前、「浅倉南の漫談」の新作として概要を書いたことのある演目を少し長くしたものをやるが、NGKなので動きも大きく、早希ちゃんが語るのも全てセリフで(ストーリー性のない一人芝居を演じるようなもの)話術そのもので笑わせる芸ではないためコントに分類した方が良いかも知れない。タイトルは、おそらくヒントになったと思われる「闇金ウシジマくん」に掛けて「病み系アサクラさん」が良いかな。

出囃子も岩崎良美の「タッチ」にして浅倉南の格好をして出てきた早希ちゃん。「たっちゃん、なんで口利いてくれないの? かっちゃんが事故で亡くなって、かっちゃんの夢をたっちゃんと南が受け継いで甲子園に行ったのにどうして南に冷たくするの?」と悲劇のヒロインのふりをするが、「確かに、南、たっちゃんのケータイ覗いたよ。たっちゃんがお風呂入ってる時、トイレに行っている時、野球している時」と打ち明けて、実はとんでもない駄目女だということが次々に明らかになる。「確かに、南の方が先に浮気したよ。でも誘ったのはたっちゃんのお友達の孝太郎君の方よ」、「そりゃ、たっちゃんの財布からお金引いたよ。パチンコがやめられないの」。そして右腕に刺青にあるのがバレて、「昔、ヤクザと付き合ってたの。だから別れるのにお金いるんだ」。「違う! 疑ってるの? 違うよ! かっちゃんは車の前に飛び出した子供を助けようとして、南はその背中を押しただけで……、保険金かけて……、お金が必要だったんだもん」と最低レベルの女を演じる。パチンコ依存症ということで最後は、「たっちゃん、南をマルハンに連れてって」というセリフで終わった。
こういうキャラをやった時に書いて良いのかわからないが、演技はかなり様になっている。

青空。あだ名は「かんぱいちゃん」。今くるよ新喜劇の前説も二人が務めたのだが、今いくよ・くるよが毎年ひな祭りの日に行っていた女芸人の集まりで乾杯の音頭を取っていたのが二人だそうで、それで「かんぱいちゃん」になったのではないかということであった。ちなみに最初にひな祭りの集まりの乾杯の音頭を取っていたのはアジアンだそうだが、アジアンの東京進出で別のコンビに代わるも、そのコンビが解散してしまったため、ここ10年ほどはずっと青空の二人が乾杯の音頭を取っていたそうだ。

二人ともブサイクキャラなのだが、岡友美の方は結婚していて子供も二人いるという。ただ子供の顔は岡にそっくりだそうで、相方の須藤理恵に、「あんたの子供がこっち来ると、あんたがこっち来るようでどつきたくなる」そうである。須藤は元々、子供が余り好きではないらしい。ちなみに「二人とも37歳で」と自己紹介したが客席からの反応が薄く、「やっぱり興味ないようですね」で終わった。

ちなみに今くるよ新喜劇の前説によると、須藤は社会人野球の大ファンで、好きなチームはJR東海だという(須藤は京都市の生まれ育ちでJR東海とは縁もゆかりもない)。そして社会人野球好きが高じて、今は関西メディカルスポーツ学院硬式野球部という社会人野球チーム(専門学校生のチームであるが社会人野球に参加も出来る)のマネージャーも芸人との兼任で務めているのだそうだ。関西メディカルスポーツ学院硬式野球部は阪神タイガースの二軍の本拠地である鳴尾浜球場も使わせて貰っていて、全て二軍ではあるが阪神タイガースやオリックス・バファローズ、千葉ロッテマリーンズとも対戦したことがあるという。

一方の岡は、アイドルグループの追っかけ、それも女子アイドルグループの追っかけに夢中だそうで、世間ではよく知られていないアイドルグループに詳しいらしい。

マセキ芸能社から参加のニッチェ。あだなは金魚ちゃん。江上敬子(えのうえ・けいこ)が婚約したということで、客席から「おめでとう」の声が掛かる。江上敬子の見た目が金魚っぽいので付けたと、後でくるよが説明していた。

近藤くみこが、「二人とも元々太っていたわけではないんです。芸人になってから太り始めたんです。若い頃は今より20キロ痩せていて、上戸彩に似ているとよくいわれました」と語るが、「上戸彩に似ていた」は言い過ぎなので(勿論、敢えて盛っているのである)客席は無反応。江上が「そんなこと言っても通じないって」と突っ込む。

江上も昔は今より30キロ痩せていたらしいが、「その頃はよく小錦に似ているといわれました」と言って、近藤から「元から褒められてない」と突っ込まれるも、「今は更に似てるといわれます」とめげない。

近藤によると、「テレビに出ている人が細すぎるのがいけない。男も女もガリガリばっか」ということで、「ポッチャリチャンネル」というのを作りたいと語る。ポッチャリチャンネルでは「東京ラブストーリー」ならぬ「東京デブストーリー」が放送されていて、江上によると「カンチ、セックスしよう」というセリフが「ランチ、ガッツリいこう」に置き換わるらしい。「101回目のプロポーズ」ならぬ「101本目のマヨネーズ」では、「僕は死にましぇん」というセリフ(近藤が言うが素のままだったため江上に「せめて物真似してよ。普通に言う人初めて見た」と呆れられる)が、江上により、「僕は痩せません」という謎の主張(?)にチェンジする。

今度は「田舎に泊まろう」に近藤が出演するという設定で、江上が村人役になって畑を耕しているが、実は上半身裸で農作業をしているおばちゃんだったり、「一昨日、おじいちゃんの部屋空いたから、そこ泊まり」と謎めいたことを言われる。おじいちゃんが一昨日亡くなったこととその原因が明らかになっていって……

ここで芸人コーナーの前半が終了し、今くるよとなるみがトークを行う。くるよが何組かの命名の理由を話す。が、よくわかったのは「金魚ちゃん」だけで、なるみに「『二人観月ありさ』とありましたが、尼神インターの二人の顔、見たことあります?」と聞かれたりする。

なるみによると、「後半のメンバーのあだ名を考えている時にはもう疲れていたようで、かなり手を抜いたものになっております」とのことだった。

後半の先頭、アジアン。あだ名は「マスコットガール」。隅田美保は、出てくるときに後方の巨大ディスプレーに目をやって自分達のあだ名を確認する。舞台上に出るまであだ名を知らされていなかったようである。馬場園は「誰にでも当て嵌まるマスコットガール」と笑いながらではあったが、やや不満そうにも言っていた。

隅田美保は、よしもとぶちゃいくランキングで、3年連続1位になって殿堂入り、一方の馬場園梓はよしもとべっぴんランキングで3年連続1位になって堂々の殿堂入りと明暗が分かれたコンビである。ただ、馬場園も美人キャラではないため、よしもとべっぴんランキングは「世界一当てにならないランキング」と断言されてしまった。今も続いているが細々とであって話題になることはない。

馬場園は、隅田美保の名前について、「隅田保(すみだ・たもつ)でええやん。『美』はいらない」などとくさす(隅田美保はブサイクで有名であるが、日本の平均的な女性の顔の範囲には実は入ると思われる。少なくとも……、ここから先は書かないでおくか)。

強盗に遭ったとき、悲鳴を上げられないということがあるので、悲鳴の練習をする。隅田が「キャー」と悲鳴を上げる。澄んでいて高い良い声である。馬場園は「100点」と褒める。ただ、いざという時に悲鳴を上げられないと仕方ないというので、馬場園がひったくり犯に扮し、後ろから襲って、隅田が上手く悲鳴を上げられるかどうか試す。隅田は上手く悲鳴を上げることが出来た。

馬場園は「かたつむり」を演歌的に歌うことが出来るという特技があるというのでやってみる。メロディーはいわゆる童謡「かたつむり」のものではなく「ズンドコ節」から拝借している。最後は馬場園がエロネタを言って終わる。

小泉エリ。あだ名は「堀北真希」。エリさんは堀北真希に似てはいないのだが、今くるよとしては話題になっている女優さんなので誰かに付けたかったのだろう。

助手の女性二人がダンスをした後で、檻を引いて出てくる。助手が檻に赤い布を被せてからそれを引きずり下ろすと、エリさんが中に入っている。檻の後ろ側が思い切り前後に揺れているのだが、見えなかったということにしておく。

今日も輪を使った手品がメインである。その他、思い浮かべた数に掛け算、足し算、割り算、引き算をして数が必ず同じになる(数式を解くと簡単なものであることはわかるのだが)という芸を披露する。ただ、数が違うという人がいて、それは「計算違いです」ということになる(数学上、同じ数しか出ないはずなので、計算間違いであることは確かである)。

タイタン所属の日本エレキテル連合。あだ名は「レインボーガールズ」。由来はくるよになると「吉本と他の事務所間の美しい架け橋になって貰いたいから」だそうである。今日は朱美ちゃんではなく、中野聡子(なかの・そうこ)がエロじじい畑田さんに、橋本小雪が若い女性・小春に扮するコントである。エロネタを前面に出したものなのだが、これ、失敗作なのではないだろうか。まず演技力がない(より正確に書くと演技のバラエティーに乏しい)のが致命的だが、ありがちな展開とにオチになっていないオチで、これでは人気が長続きしない、少なくともテレビに出られなくなったのもむべなるかなである。

ハリセンボン。あだ名は「二人篠原涼子」であるが最早意味不明でハリセンボンの二人も苦笑いである。「『アンフェア』(篠原涼子の代表作)だからでしょうか」と近藤春菜が言う。近藤が観客から「角野卓造!」と呼ばれて、「角野卓造じゃねーよ!」と返すというお約束でスタート。

ハリセンボンは東京吉本の芸人なので、大阪で見る機会は余りない。ということで、まず自己紹介をするのだが、近藤は「近藤春菜といいます。『はる』は季節の春に、松嶋菜々子さんの『菜』」と言って、当然ながら客席から笑いが起こったので、「何が可笑しいんでしょうか。取りあえず、今笑った人の顔は覚えておきました」と続ける。

箕輪はるかは、「箕輪はるかといいます。私は良く『死神』に似ていると言われます。他に骸骨とか河童とか、全て実在しないもの」と言って笑いを取り、「私のこと、見えますか? 見えた人は今日無事に帰れるんでしょうか? なんばから出ることが出来るのか?」と不吉キャラになり切る。ちなみに箕輪は歯を白くすることに成功したそうである。

今くるよ新喜劇「昨日の友は今日の敵?」。一昨日、よしもと祇園花月で見たばかりのすっちー、金原早苗、信濃岳夫が今日も出ている(一昨日と同じ演目は今日が楽日で、終わってからすぐにNGKに駆けつけたらしい。また信濃岳夫は当初は出演の予定はなかったようである)。
吉本お得意の無茶なスケジュールが祟ったのかどうかはわからないが、今日は吉本新喜劇の俳優陣は間が今一つ。吉本新喜劇は元々稽古期間がかなり短いが、一昨日別の演目に出ていた役者が今日もいるということは稽古がほとんど出来なかった可能性もある。

「ロケみつ」の冒頭の自己紹介で、「吉本新喜劇の宇都宮まきです」と言っていた宇都宮まきであるが、私はイベントでは彼女の舞台はよく観ているものの、吉本新喜劇の女優としての宇都宮まきを観るのは初めてである。宇都宮まきは吉本新喜劇のヒロイン役であるが、出ているのはNGKのみで、おそらく祇園花月での吉本新喜劇に出たことはないはずである。大阪の朝の生放送のテレビ番組で、月-金で司会をしていたため、番組が終わってから京都に向かっても12時30分開演の公演にはまず間に合わないということも影響していたであろう。

旅館花月と向かいのみやげもの屋が舞台。旅館花月の売りは露天風呂で、「戦国時代に武将がこの湯で傷を癒した」という言い伝えがあるという。いがわゆり蚊と岡田直子が旅館花月に泊まりに来て、従業員の宇都宮岳夫(信濃岳夫)が応対し、露天風呂の宣伝をするのだが、岳夫は岡田のことをいがわのペットだと勘違いする。なお、普通は冒頭に出てきた人が後にも出てくるのだが、いがわゆり蚊と岡田直子の二人はその後のストーリーには全く絡まず、出番も最初の5分程度だけであった。

岳夫が失礼なことを言ったので岡田は怒るが、女将の宇都宮まきが出てきて何とかなだめる。その後、太めの女優で、今日は座長の立場にもある酒井藍が登場してお決まりのギャグをやることになったのだが、まきさんがセリフを間違えたため、言い直したがギャグが冴えないという結果になってしまった(まきさんが本当は「あんたなんかただのブタよ」と言って酒井がブタの真似をするというギャグだったのだが、「あんたなんかただのデブよ」と言ってしまい、「あんたなんかただのブタよ」と言い直してから酒井のギャグになったため間延びしてしまった)。

向かいのみやげ物の主人である金原早苗と宇都宮まきは高校のソフトボール部のチームメイトであったが、高校最後の試合でエラーをしたため、会えば喧嘩という仲になってしまっている。ちなみに双方ともエラーをしたのは相手だと思い込んでいる。

旅館の女将とみやげもの屋の主が喧嘩中ということもあり、岳夫と早苗の妹である金原真理(小寺真理)は実は恋仲なのだが、二人の関係を誰にも打ち明けられないでいる。一方、旅館花月に野菜を運送している森田まりこ(まきと早苗の後輩で同じソフトボール部に所属していたという設定)は岳夫に一方的に恋している。岳夫に告白するまりこだったがあっさり振られる。

そこへ、吉本融資の社員であるすち子(すっちー)と松浦真也が来る。二人は「邪魔するで」と言い、岳夫に「邪魔するなら帰って下さい」と言われて「あいよ」と答えるも踵を返さず、舞台下手から出てきて舞台を横切り、上手袖にはけていく。岳夫が「え? そのパターン?」と驚く。二人は今度は上手から出てきて下手に向かって歩いていく。

岳夫に「何しにきたんですか?」と言われたすち子は「すち子飴を投げにきた」と言って、客席に飴をばらまくが、早苗の父親が1000万の借金をしていたのでそれを取り立てにきたという。すち子は「夜までに用意しておけ」と言うが、すち子によると、昼は午後4時10分までで、午後4時11分からは夜と細かく決まっているそうである。

1000万円という高額な金を短時間で集められる当てはない。酒井が旅館の浴槽改良のためのお金を使えないかと提案するが、まきは当然ながら断る。

再び、すち子と松浦がやって来る。更に吉本融資の社長である今くるよも登場。くるよはサングラスをして出てきたのだが、すち子に「整形し立てのマイケル・ジャクソンですやん」と言われ、松浦のギターに合わせてマイケル・ジャクソンのダンスの真似をするも、ムーンウォークがただの後ずさりになったり、その他の場面もマイケル・ジャクソンの踊りを把握していなかったりする。

今くるよは、早苗と真理を見て、「浅田舞と浅田真央」と勝手にあだ名をつけてしまう。すち子が早苗に「3回転ジャンプやれ」と無茶振りし、早苗もそれに乗るが、1回転ジャンプを3回繰り返しただけでどうにも冴えない。すち子は真理には「リンク上の花拾う女の子のスケーターやれ」と振るが、真理も特に面白いことはやらず、場が繋げない。

最後は、まき、早苗、まりこの元ソフトボール部のチームメイトの友情にいくよがほだされて話は丸く収まるのだが、ご存知のように今いくよ・くるよは高校時代共にソフトボール部でチームメイトであり、ソフトボール部の友情の話ということで、脚本自体は不出来の部類に入るにも関わらず、今いくよの顔が自然に浮かび、様々な感情や記憶が入り交じりすぎて名前を付けることは不可能だが、悪くはないカオスの気分になった。

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2015年9月20日 (日)

コンサートの記(205) 「京都の秋音楽祭」開会記念コンサート 2015

2015年9月12日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、第19回京都の秋音楽祭 開会記念コンサートを聴く。指揮者は京都市交響楽団の首席常任客演指揮者の高関健(無料パンフレットに書かれている首席客演指揮者という肩書きは厳密にいうと誤り)。

例年だと、京響の常任指揮者である広上淳一が指揮する京都の秋音楽祭 開会記念コンサートであるが、今年は高関がタクトを執る。

曲目は、デュカスの舞踏詩「ラ・ペリ」よりファンファーレ、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番(ヴァイオリン独奏:山根一仁)、ブラームスの交響曲第1番。

ブラームスの交響曲第1番は昨日も聴いたばかりで、二日続けて聴くには重い曲だが、「大阪クラシック」の方は正式な演目が決まる前にチケットを購入したため、こうした珍しいスケジュールになった。

ヴァイオリン両翼の古典配置による演奏。今日のコンサートマスターは渡邊穣。もう一人のコンサートマスターである泉原隆志とアシスタント・コンサートマスターである尾﨑平は共に降り番である。フルート首席奏者の清水信貴、クラリネット首席の小谷口直子は全編に出演。オーボエ首席の高山郁子はブラームスのみの出演である。

今日は前から4列目。京都コンサートホールは構造上、一階席の前の方は余り良い音がしないのであるが、今日はオーケストラは良い音で鳴った。

演奏に先立って、門川大作京都市長による開会の挨拶がある。門川市長は、京都市交響楽団が今年の6月にヨーロッパツアーを行った大好評を得たこと、また京都が文化・芸術都市を名乗っているため、文化庁の京都移転の話が進んでいることについても語った。

デュカスの舞踏詩「ラ・ペリ」よりファンファーレ。

交響詩「魔法使いの弟子」で知られるポール・デュカスであるが、寡作の作曲家である。とにかく自分に厳しい人で、作品が完成しても納得出来ないとすぐ反故にしてしまうという性格の人だった。「ラ・ペリ」もボツにしようと考えていたが、この曲のスコアを見た作曲家の友人(名前は伝わっていないようである)に、「こんな良い曲をボツにしてはいけない」と言われ、発表して好評を得ている。だからといって自分に厳しいという姿勢に変化があったわけではないようだが。

「ラ・ペリ」のファンファーレは、数あるファンファーレの中でも最も優れた作品の一つに数えられる逸品である。京響の金管群は力強く、輝かしい音色を奏でる。

ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番。ヴァイオリン独奏の山根一仁(やまね・かずひと)は、今年でやっと二十歳という若いヴァイオリニスト。桐朋学園大学ソリストディプロマコースに特待生として在学中である。中学校3年生の時に第79回日本音楽コンクール・ヴァイオリン部門第1位となり、同コンクールの様々な賞を受けたほか、全部門で最も印象的な演奏・作品に贈られる増沢賞も受賞している。ちなみに中学生が日本音楽コンクールで1位になるのは26年ぶりの快挙だという。

今日は前の方の席なの、山根が弾き始まる前の緊張感も直に伝わってくる。だが、弾き始めると美しい音色と抜群のメカニックを生かした快演が展開される。

ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番は全編を通して暗い曲調なのであるが、その由縁をも明らかにしていくような優れたヴァイオリンである。

高関は、第3楽章だけノンタクトで指揮。ソリストの山根との息もピッタリ合っている。京響も複雑なだまし絵のようなショスタコーヴィチの伴奏を丁寧且つ力強く演奏する。

山根は、アンコールとして、パガニーニの「24のカプリース」より第24番を弾く。ラフマニノフを始め、多くの後世の作曲家が自作に取り入れたメロディーである。鮮やかなポルタメントでまず聴かせる。様々な超絶技巧が盛り込まれた曲なのだが、山根はあたかの自分のために書かれた作品を弾いているかのように、嬉々として難局を乗り越えてしまう。

メインであるブラームスの交響曲第1番。この曲は、高関は全編ノンタクトで指揮した。

造形重視の演奏。第1楽章序奏も、フォルム優先の演奏であり、大植指揮の演奏で聴かれた哀感のようなものはほとんど感じられない。ただ、前半で徹底して端正な演奏を繰り広げたため、徐々にブラームスの感情が溢れ、狂気のようなものが割れ目から噴出するのが感じられる。高関の解釈も優れたものであると思う。

オーケストラとしての力であるが、現在では京都市交響楽団が大阪フィルハーモニー交響楽団より少し上にいるように思う。以前は逆であったが、広上の常任指揮者就任で京響が大きく力を伸ばした。大フィルも大植英次の下で急成長したが、オーケストラビルダーとしては先に頭角を現した広上の方が上であるように思う。

折り目正しい演奏であるため、個性に欠けている点は否めないが、立派な演奏であることには間違いない。

アンコールとして、高関と京響はブラームスの「ハンガリー舞曲」第1番を演奏。知的コントロールの行き届いた演奏であった。

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ネーネーズ 「平和の琉歌」

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クラウディオ・アバド指揮ルツェルン祝祭管弦楽団 ブルックナー 交響曲第7番より第2楽章

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2015年9月17日 (木)

ジョン・ケージ 「4分33秒」(オーケストラ・バージョン)

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観劇感想精選(161) ミュージカル「レ・ミゼラブル」2015

2015年8月26日 梅田芸術劇場メインホールにて観劇

午後6時から梅田芸術劇場メインホールで、ミュージカル「レ・ミゼラブル」を観る。ミュージカルの定番である「レ・ミゼラブル」であるが私は観るのは初めて。ミュージカル「レ・ミゼラブル」の日本初演は1987年であり、以後、毎年のように上演されてきた。ただ大阪でミュージカル「レ・ミゼラブル」が上演されるのは9年ぶりになるという。2012年の映画化を経て、2013年に演出などを一新した新演出版の日本初演が行われた。今回の上演は新演出版「レ・ミゼラブル」の大阪初演である。なお、オーケストラピットを使っての生演奏での上演であったが、今日の指揮者は珍しく指揮棒を左手に持つ人であった。

原作:ヴィクトル・ユゴー(ユーゴー)、脚本:アラン・ブーブリル&クロード=ミッシェル・シェーンベルク。音楽:クロード=ミッシェル・シェーンベルク。作詞:ハーバート・クレッツマー。演出:ローレンス・コナー&ジェームズ・パウエル。テキスト日本語訳:酒井洋子、訳詞:岩谷時子。

主要キャストはトリプルキャストであり、それも組み合わせはイレギュラーで、何パターンの上演キャストがあるのかは把握出来ないほどである。

今回の主要キャストは、吉原光夫(ジャン・バルジャン)、川口竜也(ジャベール)、里アンナ(ファンテーヌ)、平野綾(エポニーヌ)、原田優一(マリウス)、清水彩花(コゼット)、KENTARO(テナルディエ)、浦嶋りんこ(マダム・テナルディエ)、野島直人(アンジョルラス)、子役はガブローシュに松永涼真、リトル・コゼット(「レ・ミゼラブル」の絵で最も有名なものはリトル・コゼットを描いたもので、本公演でもポスターに使われている)に黒川胡桃、リトル・エポニーヌに新井夢乃。アンサンブルは他にも大勢おり、更には主要キャストもアンサンブルとして掛け持ちで出演している。
今回のキャストの中では声優としても活躍している平野綾が一番知名度があると思われるが、元劇団四季の吉原光夫も2011年に歴代日本キャストの中では最年少となる32歳でジャン・バルジャン役を勝ち取っているなど、顔ぶれは充実している。「レ・ミゼラブル」は完全オーディション制を取っており、有名な人でもオーディションを通らなければ出演することは出来ないそうである。

原作であるヴィクトル・ユゴーの小説は岩波文庫の分厚い版で全4巻という大河小説であり、全てを劇に置き換えることは出来ない。私も12歳の時にダイジェスト版を読んで、19歳の時に岩波文庫全巻を読破しているが、フランス・ロマン派の代表作家(というより晩年は唯一の仏ロマン派の作家になってしまったわけだが)の小説だけあって、途中に長編詩が挿入されているなど、個性的な作品である。そうした味わいを劇に生かすのは無理であり、ジャン・バルジャンとジャベールの対立、マリウスとコゼットとエポニーヌの三角関係(正確にはマリウスとコゼットは相思相愛で、エポニーヌはマリウスに思いを寄せているだけ。つまり片想いである)、バリケードでの戦いなどが中心に描かれている。楽曲と構成は映画版とほぼ同じだが、映像と舞台ではやはり違った印象を受ける。

心理劇的な部分もあり、内容も感動的というようよりも声楽の威力で観る者を興奮へと誘うものである。勿論、エポニーヌやガブローシュらの死は悲しみを誘う。

舞台装置は大掛かりなものを使う。開演前は紗幕が掛かっており、ヴィクトル・ユゴーの名前がアルファベット(Victor Hugo)が白抜きで右下に記されている。その後は巨大な舞台装置が移動するほか、映像もそう多くはないが使われる。

最も有名なナンバーは、スーザン・ボイルのデビューに一役買った「夢破れて」であるが、この曲の変奏や部分的なメロディー、コード進行はその後何度も登場し、メインテーマのような役割を果たしている。今回の公演で「夢破れて」を歌ったファンテーヌ役の里アンナの歌唱は私の解釈とは異なるが、声の良く通った美しいものだったと思う。

出演者の中で私が最も良いと思ったのはエポニーヌ役の平野綾。平野綾の舞台に関してはこれまで余り評価してこなかったが、「レ・ミゼラブル」はほぼ全編が歌という構成であるため、彼女の歌唱力の高さが存分に生かされている。エポニーヌが失恋の思いを歌うナンバー(「オン・マイ・オウン」)はおそらくこのミュージカルの中で最も難しい曲だったと思うが、平野は見事に歌い上げていた。声優だけに声のコントロールも抜群だ。

ジャン・バルジャン役の吉原光夫は時に威厳があり時にジェントル、コゼット役の清水綾花は可憐、ジャベール役の川口竜也も堂々としており、マリウス役の原田優一にも華がありと、出演者の演技と存在感と個性、歌唱力はいずれも高いものがある。また人海戦術を生かし、大勢でユニゾンするナンバーの迫力は圧倒的だ。

良く出来たミュージカルであるが、これがヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』なのだと思うのはやはり早とちり。ミュージカル「レ・ミゼラブル」と小説「レ・ミゼラブル」は別物であり、小説の方はミュージカルなどでは描かれなかった部分に味があったりする。

とはいえ、ミュージカル、そしてエンターテインメントとしては一級の作品である。

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2015年9月15日 (火)

「笑いの林」(52) 「よしもと漫才ライブ」 2015年7月25日

2015年7月25日 大阪・なんばの、よしもと漫才劇場にて

午後3時30分から、大阪・なんばのよしもと漫才劇場で「よしもと漫才ライブ」を観る。漫才、ピンネタ、吉本新喜劇の総合ライブ。

まずは持ち時間5分のネタ。出演は、十手(じって)リンジン、デルマパンゲ、ゆりやんレトリィバァ、吉田たち、アインシュタイン。
続いて「吉本極(きわみ)新喜劇」。出演は、安井まさじ、信濃岳夫、松浦真也、清水啓之、木下鮎美、マッスルブラザーズ。
最後は持ち時間10分のネタ。出演は、瀧川一紀(たきがわ・かずのり。マジック)、桜 稲垣早希、シンクタンク、矢野・兵動。

満席で立ち見も出る盛況である。

トップバッターの十手リンジン。前回観た「よしもと漫才ライブ」と完全に同じネタをやる。西手がジャンケンに強く、今年は負けたことがないので(「え? 前回負けたじゃん」と思うが勿論口にしたりはしない)お客さんとジャンケン勝負をする。手を挙げたのは後ろの方にいた女性。西手はジャンケンをして勝つが、西手が負けるまでやるネタらしいので、十田(じった)がなぜか私をジャンケンの相手に選び(今日は最前列であった)、私がジャンケンをする羽目に、じゃなかった、することになる。私がグー、西手はチョキで私の勝ち。グーで勝ったことを後ろの方までわかるよう、グーにしたまま手を高く掲げたが、あれで良かったかな?

本編のネタも前回と同様で、十田が大学(高橋尚子の母校である大阪学院大学)の駅伝部出身で箱根駅伝に憧れるという、駅伝ネタである。ネタをやる前に「リアルですねえ」を独特の口調で言うが毎回スベる。それもネタにする。

まずメンバー発表であるが、十田が監督のように振る舞うが実は監督は別にいたり、西手がパイナイナという謎の留学生選手になったりする。

デルマパンゲ。ラッキーについて語るのだが、話が飛躍しすぎてあんまり面白くないのでカット。

ゆりやんレトリィバァ。修道士のような格好をしているが、実は後半にやるネタの衣装を下に着ており、それを隠すためのものである。「男か女かどちらかわからなかったかも知れませんが女です」と自己紹介。
ニューヨークに3ヶ月間留学したので、アメリカ人がそのシチュエーションでいかにもやりそうな仕草のネタをやる。留学前にもやっていたネタではあるのだが。コラントッテホールで観たときは面白かったのだが、大きな劇場でやると仕草が細かすぎるということもあって、いまいち板に付いた感じがしない。小劇場向けのネタなのであろう。

後半は、ニューヨークで「あなた、クレヨンしんちゃんに似ている」というので、修道士のマントのようなものを脱いで、クレヨンしんちゃんの衣装になり、アニメの主題歌を唄う。唄も上手いし、声真似も似ている。

吉田たち。一卵性双生児の漫才師であり、出囃子も岩崎良美の「タッチ」である。ゆうへいとこうへいの二人だが、こうへいは「僕が27、相方が28」といって、ゆうへいに「双子だから同い年やろ。なんで俺だけ年取らすねん」と突っ込まれる。

ゆうへいは、子供も双子、それも女の子の双子が欲しいと言い、こうへいが双子の娘二人を一人二役でやるのだが、片方の声がだみ声だったり、二人ともお父さんのゆうへいと将来結婚したいという子供らしい設定なのに、片方が「将来お父さんと結婚したい」と言うと、もう片方は「じゃあ、あたしはこうへいおじさんと結婚する」と言ってゆうへいから「おかしいやろ」と言われる。ゆうへいの妻(また結婚していないが)もこうへいが演じて、「じゃあ私もこうへいさんと」と言い、「それは変やろ!」とゆうへいに突っ込まれる。

アインシュタイン。稲田が「双子が続きますが」と言って、河合に「双子違うやろ!」と言われる。稲田は「二卵性なので」とあくまで双子に拘ろうとする。
稲田が恋人がいないというので、デートネタ。稲田が女で河合が男を演じるのだが、女役であるはずの稲田がバイクの二人乗りで運転をしようとする。変だということで、稲田が男、河合が女にチェンジする。稲田はずっと後ろに座った河合を振り向きながら話し続け、「前見て運転せい!」と河合に突っ込まれる。
レストランで食事をすることになったのだが、ドアを引いても引いても開かない。押して開けるドアだったという大概の人に読まれているので余り意味がないギャグをやった後で、レストランの照明が落ち、再び点くと女性の薬指に指輪が嵌まっているというサプライズを行うという設定のはずが、女性役の河合でなく稲田が自分で自分の薬指に指輪を嵌めただけというオチで終わった。

「吉本極新喜劇」。舞台転換の間をつなぐ中説としてマッスルブラザーズの二人が登場。二人とも力士のような体格であるが、二人合わせた体重が吉本所属のコンビの中でナンバーワンであり、270キロあるそうである。もっち一人で160キロあるそうで、もっちは「白鵬関が150キロ」と説明。横綱よりも重量級である。身長もジャンボ門田が190cm、もっちも180cmある。体格が良いが、吉本のプロフィールを見ると、もっちの趣味の一つとしてスポーツが挙げられているだけであり、武道や格闘技などをしていた経験があるわけではないようだ。

今日も「花月うどん」が舞台であり、お化けの格好をするなど、ネタの使い回しがある。信濃岳夫が花月うどんの大将、木下鮎美がその妹という設定である。信濃と鮎美は両親を事故で亡くし、信濃がまだ高校生の鮎美のためにうどん屋を継いだのである。花月うどんのバイトの面接に安井けんじが来るのだが、安井は信濃に対して「ぼろいうどん屋」などと言ってしまう。最後は安井が一人二役をやって勝手に採用ということにしてしまう。信濃は妹の鮎美が暴走族のメンバー(マッスルブラザーズの二人が演じている)と付き合っているのを不安に思っている。そこで年下の従兄弟である警官の清水啓之を花月うどんに呼んで相談する。清水の顔を見た安井は「立派になられて。警官になられたんですね」と言い、信濃は清水に「知り合い?」と聞くが清水は首を横に振る。清水は「誰と勘違いしてるんですか?」と安井に聞くが、「勘違いじゃないですよ。バカボンさんでしょ?」と言われて「清水です」と否定する。安井は「今はシミズボンっていうんだ」とボケ続ける。

マッスルブラーズの二人が演じる暴走族のメンバーが花月うどんにやって来る。鮎美に会うためであった。帰ってきた鮎美を信濃は呼び止めるが、鮎美は「こんなお化けが出そうなうどん屋、嫌」と不満を言って、暴走族の二人と出掛けてしまう。信濃と清水も後を追って出掛ける。

店に安井一人が残ったところに、松浦真也がやって来る。松浦は商店街の催しで歌うことになっている歌手である。松浦は安井を励ます曲を作り、二人で感動しているところに鮎美を説得出来なかった信濃と清水が帰ってくる。

安井は鮎美が「こんなお化けが出そうなうどん屋」と言っていたのを思い出し、信濃と鮎美の両親がお化けとして出て鮎美を説得すれば理解を得やすいのではと提案。清水は信濃の従兄弟なので信濃の父親と顔が似ている。安井もなぜか信濃の母親と顔が似ているので、二人が幽霊として鮎美を説得することに決める。松浦はギター演奏担当で、信濃に「怖い音楽を」と注文され、リハーサルを行うことにするが、松浦は「仁義なき戦い」のテーマを奏でて、「人間の怖さじゃなくて」と信濃に駄目だしされる。リハーサル二回目、松浦は「JAWS」の音楽を弾いて、「魚の怖さじゃない」と信濃に言われる。「お化けの音楽」という信濃の注文を受けた松浦は「ようかい体操」を弾いて、安井と清水が歌いながら踊る。「普通の怖い音楽」ということで、なんとなくおどろおどろしい音楽を松浦は演奏。それで良いということになる。だが、肝心の説得は失敗に終わる。
一度うどん屋から怒って出て行ってしまった鮎美だが、しばらくして顔色を変えて戻ってくる。暴走族の二人から鞄を預かったのだが中には白い粉の入った袋があり……

新喜劇終了後にも場面転換の間を繋ぐために、マッスルブラザーズによる後説がある。ジャンボ門田は、吉本新喜劇の定番ギャグである「邪魔するで」「邪魔するんなら帰って下さい」「あいよ」というセリフを自分も言えるのが嬉しかったそうで、YouTubeでその場面の映像を1000回繰り返し見て研究したそうである。

持ち時間10分のネタ。

先頭の瀧川一紀。「今でしょ」の林修に少し顔が似たマジシャンである。ハンカチと輪っかを使った手品という吉本所属マジシャンの定番ネタをやる。合間に、ハンカチの手品をやっている最中に子供から「ピンク(のハンカチ)出してピンク」と言われて、やる前に言ってくれないと無理と思ったことなどを話す。

桜 稲垣早希。まずアスカの口癖である「あんたバカ~?!」をお客さんに言って貰うことにしたのだが、「桜!」とフライングした人がいて、「?? 異端児がいます」と言って笑いを取る。フライングしたのは島根県から来たお客さんだそうで、桜 稲垣早希なので「桜、バカ~?!」と言いたかったそうである。早希ちゃんは「おじさんは『桜、バカ~?!』でいいですよ」と言って、観客に「あんたバカ~?!」と言って貰う。

「関西弁でアニメ」をやるのだが、持ち時間10分ということで、その前に関西弁キャラクターの扱いを紹介。
「パーマン」のパーやん。東大阪のお寺の息子で、将来の夢は「パーやん運送」という会社を経営することだそうが、早希ちゃんに言わせると「ヒーローなのに太っている時点で駄目」だそうである。
「ヤッターマン」のトンズラー(スタコラ・トンズラー)はコテコテの関西弁を使うのになぜか岩手県出身で、身長が138cmしかないそうである。
「名探偵コナン」の遠山和葉。声優はアスカの宮村優子で、そのため早希ちゃんは遠山和葉の声真似も出来るのだが、「まず映画とスペシャルにしか出てきません。そして出てきたと思ったらすぐ捕まって足を引っ張る」

今日も「北斗の拳」やら、「ドラえもん」やらのセリフを関西弁に変えて、別の状況を作っていく。

最後は「残酷な天使のテーゼ」の替え歌「残酷な天王寺のロース」を歌う。「残酷な天王寺のロース 刺してから揚げて串カツ 決められた秘伝ソースの 二度漬けを裏切るなら そのうずらを置いて出ていけ 中年よ出禁になれ」という歌詞。大阪のことが歌われているが、ここには関西弁は出てこない。
ちなみに関西では近距離にある大都市でもそれぞれが完全に異なる文化を持っており、大阪は串カツ屋だらけだが、京都では串カツはそれほど流行っていない。

シンクタンク。タンクは肥満であり、「夏は暑くて嫌だ」という。ちなみに肥満の人にとっては2月から12月までが夏だそうである。シンクが「1月は?」と聞くとタンクは「初夏」と答えて、「それも夏でええやろ!」と突っ込まれる。肥満なので汗っかきであり、地下道を歩いていると、汗びっしょりのタンクを見た人が、「え? 外、雨ですか?」と聞いてくるという(伊集院光も同じようなことを話していた)。タンクは「雨です」と答えたそうで、シンクに「あかんよ!」と言われるが、タンクによると「表に出て、『あ、晴れてる』と思ってくれた方が良い」そうである。

タンクは「USJはデブに失礼」というが、それはタンクが太っているため乗り物に乗れなかったり、水を使ったアトラクションでレインコートが必要なのだがタンクが着ると破けてしまうからだそうである。ちなみにタンクはUSJの入場料を知らないそうだが、それは「年間パス持ってるから」だそうで、シンクに「思いっ切りはまっとるやんけ!」と突っ込まれる。

矢野・兵動。兵動によると大阪の酔っ払いのおっさんはわけがわからないそうで、ある酔っ払いがふらつきながら、「任せとけ!」と威勢良く言っていたという。だがその後に続いて出た言葉が「俺がオバマと話付けてくる」だそうで、どんな身分のつもりなのかよくわからない。しかも、その後、溝に落ちたそうで、とても米国大統領と懇意の人がやることとは思えなかったそうである。
あとは、酔っ払って知り合いと歩いていて、こけた方がこけてない方に向かって「大丈夫?」と聞くのが謎だそうである。

スマホでイヤホン設定にしながら話していたおじさんもいたそうで、パッと見は電話の向こうではなく、自分に話しかけているように見えるという。おじさんは兵動の顔を見ながら「どこいくん?」などと言ったりしたそうだ。更に「今から10分でそっち着く」と言ったそうで、兵動は「せめて二歩で来い」と思ったそうである。

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2015年9月14日 (月)

コンサートの記(204) 「大阪クラシック」2015 第81公演 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団演奏会

2015年9月12日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時15分から、フェスティバルホールで、「大阪クラシック」第81公演を聴く。大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏会。今年の「大阪クラシック」のトリ公演である。「大阪クラシック」の大植指揮大フィルによるトリ公演はこれまで、ザ・シンフォニーホールを舞台にしてきたが、今年、初めてフェスティバルホールがメインとなった。やはり勘違いした人がいたようで、後ろの方の席から「シンフォニーだと思って行ったら誰もいなくて、チケット見て、え! と思って」という女性の話し声が聞こえてくる。ただ、フェスティバルホールとザ・シンフォニーホールの間は歩いても通えるほど近いので、仮に気付くのがかなり遅れたとしてもタクシーを飛ばせば余裕で開演時間には間に合う。

曲目は、シベリウスの交響詩「フィンランディア」(作曲者生誕150年記念)とブラームスの交響曲第1番。途中休憩なしの比較的短いコンサートである。今日のコンサートマスターは田野倉雅秋。田野倉はコンサート本編終了後に大事な役割を任されることになる。

午後7時から、大植によるプレトークがあり、大植は今年が「大阪クラシック」10年目だというので、これまでの「大阪クラシック」を振り返ろうとする。大植は滑舌がかなり悪い上に言葉をつっかえる癖があって、何を言っているのかわからないことが多かったのだが、フェスティバルホールのスピーカーはかなり優秀なようで(ポピュラー音楽対応でもあるため)、何を言っているのかわかる。 ちなみに登場してすぐに、「第81公演なので、やっ(8)いー(1)な」と駄洒落を言ったが、大阪人が相手なので受けず、「やっぱり駄目ですかね」と言ってすぐに別の話を始めた。

最初の年に、チャイコフスキーの交響曲第4番を指揮し、抑えた指揮で「格好いい!」と言われたのだが、実は指揮中にズボンのお尻の部分が破けてしまい、大袈裟に指揮するとみっともないのでそうするしかなかったと明かされる。
2年目の2006年には、斎藤祐樹が「ハンカチ王子」として人気になり、当時、大阪市長であった關淳一氏から、「君が大阪のハンカチ王子だ!」と言われてハンカチをプレゼントされ、今も大切にしているそうで、今日は原物を取り出して見せた。ただ、その年、大植は太ってしまったため、「大阪クラシック」は普段はクラシックを演奏しない場所で行われることが多いのだが、仮設ステージを多くの人が取り囲んでいたため、大植はそこまで辿り付くのに難儀し、「大植です、通して下さい」と言ったものの、「あんた大植さんじゃない、大植さんはもっと格好いい」と言われて信じて貰えず、結局、本来自分がいるべき場所に辿り付くのに10分以上掛かってしまったという。その後、大植は再びスリムに戻るのだが、「日本で『草食男子』というのが流行っているらしい」と聞いた大植が(大植はドイツ在住である)、「そうかベジタリアンがブームなんだ。僕も野菜を沢山食べて痩せよう」という、流行語を勘違いしたがための怪我の功名だったという。

メインがショスタコーヴィチの交響曲第5番だった年は、演目がチャイコフスキーの交響曲第5番だと勘違いしてしまったまま指揮台に立ち、振ってもオーケストラが音を出さない。「あれ?」と思ってもう一度振るが音はない。そこで楽団員から「大植さん、ショスタコーヴィチです」と言われて間違いに気付いた大植は(大植は声楽を伴う曲以外は完全暗譜で指揮を行うため譜面台も総譜も用意しておらず、スコアを見て間違いに気付くということは出来ない。同じザ・シンフォニーホールで曲目を間違えたまま指揮したことが事件となったヘルベルト・フォン・カラヤンも完全暗譜であり、大植と同様のケースであった)軽く振ったところ、大阪フィルは凄い音で鳴ったそうで、「なんだ、僕がいなくても演奏出来るオーケストラになったんじゃないか」とユーモアを交える。
が、ここで、開演5分前を告げる鳥の鳴き声が響き、大植は「?」となる。その後、女声アナウンスが入り、今日は全員黄色のTシャツを着た大阪フィルのスタッフが時間がないと告げに来る。仕方なく、大植は、女声アナウンスを自分が言っている振りを始める。「本公演では演出の都合上、誘導灯を消灯致します。予め誘導口の場所をご確認下さい」というアナウンスの時は、一階席左右の誘導灯を指すなどして笑いを取る。 その後もマイペースで語る大植であるが、最前列の前で、大フィルのスタッフが「巻きでお願いします」とジェスチャーで伝える。だが、そんなことで考えを曲げる大植ではない。結局、内容をほぼ変えることなく、開演時間からそう遅れずに、全ての年の出来事を語ってみせた。

シベリウスの交響詩「フィンランディア」。ちなみに大植さんはプレトークで「今年はシベリウスの生誕100年」と思いっ切り間違えていたが、まあ、それで演奏スタイルが変わるでなし、いいだろう。 スッキリとした音による見通しのよいシベリウスである。通常はカットされる繰り返しも演奏されたようだ。

ブラームスの交響曲第1番。大植英次と大阪フィルハーモニー交響楽団はライブ録音による「ブラームス交響曲全集」を完成させており(フォンテック・レーベル)、そこに収められたブラームスの交響曲第1番はかなり個性的な演奏だったのだが、今日は録音ほどではないがやはり個性的な演奏が展開される。なお、ブラームスの交響曲第1番を選んだ理由について大植は、「ブラームスの交響曲第1番はベートーヴェンの交響曲第10番と呼ばれることがあり、『大阪クラシック』10年に相応しい」と語っていた。

序奏は、哀感を前面に出したものであり、シャルル・ミュンシュ指揮パリ管弦楽団の情熱の奔流や、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の音の威力で聴かせるものとは完全に異なる。 そして第1楽章では、レコーディングで聴けるのと同様の極端な減速が2回ある。意図はよくわからないのだが、細部までよく聞こえるため、内容を深く掘り下げて聴かせようといういう思いがあるのかも知れない。

田野倉雅秋が美しいヴァイオリンソロを奏でる第2楽章(最初に田野倉のヴァイオリンソロがあった時には大植はほとんど指揮をせず、楽団員に任せていた)、瑞々しさの光る第3楽章が続く。ホルンの出が合わない時が何度があったのが玉に瑕。大フィルのホルン群は急速にレベルアップしたが、それでも完全というわけにはいかないらしい。ホルンが元々難しい楽器ということもある。

最終楽章は緩急自在で、かなりロマンティックにして個性的な演奏となる。録音では凱歌とされる旋律を、「歌うというよりは音を置く」ような演奏をしていた大植であるが、今日は普通に歌う。コントラバスなど低音部に対する配慮などは、いかにもドイツを本拠地としている大植らしい。 演奏終了後に喝采を浴びた大植。しかし、その後のアンコール演奏で、またも大植らしい外連が発揮される。指揮を何とコンサートマスターの田野倉雅秋に任せ、「皆さん、歌って下さい」と言って、大植自身は1階席は勿論、2階席、3階席まで回るというファンサービスを行う。その間、田野倉指揮の大フィルは、山本直純のオーケストレーションによる、「夕焼け小焼け」、「七つの子」、「故郷」を立て続けに演奏し、聴衆が歌う。聴衆が歌うといっても、本当に歌ってくれるのは大阪人ぐらいのもので、東京でも京都でも、また自身の経験から岡山でもこうしたことは不可能である。大阪の人はノリがいいので歌ってくれるのである。私も千葉県出身だが歌う。

ホールを一周して戻って来た大植は田野倉の手を取り、「新しい音楽監督の誕生です」と紹介。大植らしいパフォーマンスである。 アンコール2曲目、今度は外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」よりラストの“八木節”。背中に大阪市章である澪つくしの入った法被を着て登場した大植はほとんど指揮をせず、客席に拍手を求める。私も拍手していたが、面倒くさいので左手を主とした指揮に変えてしまう。ステージからは見えたかな? 見えたとしても私はこの曲はよく記憶しているので指示は合っているはずで、邪魔にはならなかった、と思う。自信がなかったら指揮はしない。

アンコール終了後も、最前列のお客さんと握手するなどファンサービスに努めた大植。下手袖でマネージャーが「巻きでお願いします」というようなことが書かれていると思われる紙を掲げるが、それでも大植は聴衆最優先という姿勢を変えることはなかった。

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2015年9月13日 (日)

夏川りみ&古謝美佐子 「童神(わらびがみ)」

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2015年9月11日 (金)

ファームでですが由規投手勝利

宮城県の方々、ファームでではありますが、由規投手、勝ち投手になりましたよ。

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コンサートの記(203) 「musics2015」

2015年9月5日 京都・木屋町三条下ルの元・立誠小学校講堂にて

木屋町通を下がったところにある元・立誠小学校に向かう。「musics2015」という音楽イベントを聴くためである。

遅れるのがいやなので(開場時間に間に合わない場合は特殊な事情がある場合以外は行かないか、向かっている途中なら帰る)早めに着いたのだが、着くのが早すぎた。スマートフォンでインストール出来る電子チケットを買って(「そんなものがあるのか」と感心した)、そこには15時と表記されていたため、当然、15時開演だと思い、会場である元・立誠小学校の講堂前に来たのだが、誰もいないし、リハーサルの真っ最中で音が漏れてくる。ということで、出演する湯川潮音のオフィシャルサイトで確認したところ、15時は開演時間ではなく開場時間で開演は16時であった。便利なものに頼りすぎると良くないようだ。ということで、しばらく時間を潰す。チケットは席番号が振られているものではなく、到着順の入場で自由席であるが、小さな会場であることはわかっているので前過ぎない方が良い。ということで、15時ちょっと前に元・立誠小学校に戻る。

今回の「musics2015」の目玉は、鈴木慶一率いるControversial Sparkと、久々に京都でのライブを行う湯川潮音。それにキツネの嫁入りというバンドと、本来は武川雅寬が加わるはずだったのだが、武川は急病に倒れ、しかも手術をしたというほど重く、大事を取って降板となった。武川の代わりに女性シンガーのpocopenが参加する。

鈴木慶一というと、私にとっては「ポピュラー音楽の神様」の一人である。YMOの三人(細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏)や山下達郎などと同クラスである。元・立誠小学校の講堂は楽屋がないため、今日は聴衆が会場前に開場前に並んでいる列の横の元工作室が楽屋代わりになる。ということで、鈴木慶一が私達の横を何度も通過したり、私の目の前にある元工作室に入ったりする。神様が近づいて来る度にこちらは自然と直立不動になってしまう。若い女性(といってもアラサーであろうが)が興奮しながら、「慶一さん! 慶一さん! 握手して下さい!」と鈴木慶一に駆け寄るのは見ていて微笑ましい。

「musics2015」は実は大々的に宣伝されてはいなかった。私同様、鈴木慶一のことを神様クラスだと思っている人は大勢いるため、大々的にコマーシャルを打つと、元・立誠小学校の講堂には入りきれないほどの人が押し寄せる可能性があるから、かどうかは知らないが、鈴木慶一が京都に来るという告知が通常のライブ並みにあったら、今日来た人数では収まらないだろう。

元・立誠小学校講堂はその名の通り立誠小学校の講堂兼体育館をほぼそのままに再利用しているもので、高くなった舞台も勿論あるのだが、今回はそれは使わず、上手奥のコーナーを客席と同じ高さのステージとし、客席となる横長の座椅子を斜めに置いて、ステージ(に見立てられた部分)が上から見ると三角形になるような使い方をしている。

トップバッターはキツネの嫁入り。男性4名、女性2名からなるバンドである。女性メンバーである、ひさよが育休中との断り書きがあるがどうやら復帰したようである。もう一人の女性メンバーである松原明音(まつばら・あかね)はトランペットとフリューゲルホルンという楽器を吹く。フリューゲルホルンは大型のコルネットであるが、コルネットも珍しい楽器なのにフリューゲルホルンとなると更に珍しい。今日はフリューゲルホルンの方が出番が多かった。女性メンバー二人はコーラスも担当する。

かなり複雑な音楽をやるバンドである。4拍子→5拍子→4拍子→5拍子、4拍子→3拍子→4拍子→3拍子などの変拍子を繰り返す楽曲が立て続けに演奏される。拍子をちゃんとカウントしていたため、肝心の歌詞が頭に入ってこなかったりする。その他にも5拍子の曲、ヴォーカルは5拍子で途中で女性メンバー二人が6拍子で加わって複合拍子となり、ヴォーカルも共に6拍子になった後で5拍子になり、ラストはヴォーカルとコーラスが6拍子になるという曲がある。ラストの「死にたくない」という曲だけが4分の4拍子で音楽はわかりやすいが歌詞は皮肉が利いている。

サラリーマンがメンバーにいて、転勤になったのでしばらく一緒に演奏出来ない状態だったとヴォーカル&ギターのマドナシが言っていたので、全員が社会人なのかどうかはわからないが、余り売れたいと思ってやってはいないはずである。一般人は単純なものを好む。複雑な音楽を面白いと思うのは、かなりの音楽好きだけである。

今月の14日に、京都の磔磔(たくたく)でライヴを行うそうなので、音楽がどれだけ複雑か知りたい方は是非行かれたし。

Controversial Spark。鈴木慶一率いるバンドである。ポップな音楽を演奏するが、こちらも、4分の4拍子→8分の3拍子→8分の4拍子と変わる変拍子の楽曲があり、普段余り音楽を聴かない人が接すると、「え? え? 何?」ということになるかも知れない。

他人がどう思うかはわからないが、私としては「いやあ、凄いなあ。流石は鈴木慶一だなあ」と感心しきりである。

pokopen。普段は女性デュオsakanaのメンバーとして活動しており、ソロとしても活動しているが、最近出したセカンドソロアルバムはソロとして22年ぶりのリリースになるそうで、あくまでメインはデュオらしい。声域はアルト。音楽性はブルースに一番近い。歌詞の内容はコミカルなものから切ないものまで幅広い。それにしても今日のイベントの出演者の音楽性は音楽マニアクラスでないと付いて行けないほどに広範である。出演者の知名度に比べて聴衆の数が少ないのは、世の中には音楽好きではあってもマニアまではいかないというある意味健全な人が多いからだと思われる。

トリを務めるのは湯川潮音。アメリカに2年ほど語学留学に行っており、音楽活動をしばらく休止した後で復帰した湯川であるが、今度は活動の拠点をニューヨークに移すそうである。

声の結晶度に関しては日本の現役女性シンガーの中で最高と断言出来るほどの美声と圧倒的な歌唱力を持つ湯川潮音。うじきつよしが率いていた子供ばんどの元メンバー、湯川トーベンのお嬢さんである。作風であるが、メルヘン調、寓喩などを用いた歌詞というより歌詩のような言葉選びと、聴いている分には心地良いが、歌うにはかなり難度が高いと思われる旋律が特徴である。ファルセットの美しさは天下一品だ。

最新アルバム『セロファンの空』からの楽曲が多いが、「逆上がりの国」など定番の曲も歌われる。マイクなどの音響に問題があり、調整のためにステージにスタッフが入ったところ爆音がしたり、「キーン」というノイズが入る曲があったりと、万全の状態で聴けなかったのは残念であるが、やはり湯川潮音は良い。コンサートに行き慣れているため、滅多なことでは「怖ろしいほど美しい」という感情を覚えることはない私であるが、湯川の美声には久々に怖ろしさを感じて、背筋がゾクッときた。

トークの時間が長かったのは音響の調整のための場つなぎの意味もあったと思われる。ライブなので何が起こるのかは誰にも分からず、聴衆に事故発生を悟られないようにする技術は大抵のミュージシャンは持っている。

なお、湯川はこの後、東京でソロコンサートを行った後で、なぜかペルーでの単独ライブが決まっているそうで、「しかも1500人ぐらい入るところで、誰がチケット買うんだろうと思っていましたが、お陰様で完売」だそうである。湯川の歌声をちょっとでも耳にしたことがあるなら「ライブで聴いてみたい」と思う人は世界中にいると思われる。

「Wikipediaによると私の肩書きが女優になっているんですけれど、映画に出たことがあって、セリフ二つぐらいだけの役」と自嘲的に語った湯川であるが、その映画「リンダ リンダ リンダ」での湯川の役どころは、「信じられないほど歌の上手い女子高生」であり、「The Water is Wide」や「風来坊」を歌った湯川は、本当に観客が驚くほどの歌声を披露している。私が湯川の存在を知ったのも「リンダ リンダ リンダ」を観てである。

「リンダ リンダ リンダ」に出て、共演した香椎由宇や松山ケンイチの演技を見た湯川は「俳優さんって、本当に凄いなあ」と思ったそうである。最新アルバムである『セロファンの空』に入っている「役者」という曲はその時の経験と、妻夫木聡が出演している未来へ行くエレベーターが出てくるビールのCMを見て思いついたそうである。「役者」は湯川としては分かりやすい歌詞を持つ曲であるが、聴いているとラビリンスに迷い込んだ末に突然の救済が訪れたかのような趣がある。

実はアンコールは用意されていなかったのだが、湯川は聴衆の鳴り止まない拍手に応え、他の出演者の方々に向けても拍手をといった後で、「ルビー」をギターで弾き語りする。「ルビー」は私も大好きな曲である。

約4時間という長丁場の音楽イベント。湯川潮音の歌声を聴いた後は、誰も会いたくなく、どこにも寄りたくなく、余韻に浸るため真っ直ぐ自宅へと帰った。こうした疲労感とこの手の孤独感は実に心地良い。

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2015年9月 6日 (日)

「俺の愛した日本」

俺の愛した日本は一体どこに行ってしまったんだ。

それとも最初から俺の片思いだったのかい。

「そんなことない」と誰でもいいから言ってくれよ。

嘘で十分だからさ。

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湯川潮音 「裸の王様」

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レスピーギ 交響詩「ローマの祭」

エリザベト音楽大学の創立65周年記念演奏会の模様。指揮は山下一史(やました・かずふみ)です。

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最短詩

こんなにも世界は美しいのにね。

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2015年9月 5日 (土)

ヘンリク・グレツキ 交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」第2楽章

ヘンリク・グレツキの交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」第2楽章。歌詞はアウシュビッツ収容所の壁に残された少女の書き込みから取られたものです。ラスト付近にゾッとする言葉があります。英語字幕でお分かりになるはずです。

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2015年9月 4日 (金)

武藤貴也氏の本当の問題

武藤貴也氏のWeb上での発言が問題視されていますが、何が本当に問題なのかは余り伝わっていないと思われます。なぜ自民党内からも武藤氏への批判が起きたのでしょうか。彼は「戦争に行きたくない」とはっきりと書いて、そうした考えが我が儘だとの趣旨のことを述べました。これは自民党からしてみれば論外の失言です。安保法案に賛成している人は「極東有事」のことを念頭に置いていると思われるのですが、その場合は日本領土および領海、領空が危機に晒される可能性があるのに、デモをしている人たちがお国のために「戦争をしたくない」と思っているのがけしからんと書くべきです。しかし武藤氏は「戦争に行きたくない」と書いてしまった。デモをしている人達は「戦争をしたくなくて震える」のように「戦争をしたくない」という言い方を主に用いているのに、武藤氏は「戦争に行きたくない」と書いてしまいました。口を滑らせたのです。「戦争に行く」という趣旨の言葉は他国に出向いて戦争を行うということを想定していなければ出てきません。これは自民党が自衛隊の海外派兵、それも支援などではなく戦闘を前提としていることをばらしてしまったことになり、党としては看過できない大失言です。あまつさえ安保法案には「領土」や「領空」「領海」という絶対に書かれていなければいけない言葉が一度も出てきません。そうした単語を出さずにアメリカに接近(どうせアメリカが起こして泥沼化している戦争の後始末を押しつけられたり、アメリカが起こす戦争の片棒を担がされる可能性が高いと思われますが)しようとしていました。ところが武藤氏の発言は背後から味方に弾を飛ばすようなもので、自民党としては怒り心頭に発すあってはならない失言です。これが武藤貴也氏の失言の最大の問題点なのです。

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2015年9月 2日 (水)

ムソルグスキー 「蚤の歌」

シャリアピン・ステーキにもその名を残す名バス歌手、フョードル・シャリアピンの歌唱です。

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2015年9月 1日 (火)

コンサートの記(202) 演奏会「音楽百鬼夜行絵巻」

2015年8月7日 京都芸術センター講堂にて

午後7時から、京都芸術センター講堂で、演奏会「音楽百鬼夜行絵巻」を聴く。怪談にちなむ器楽曲や声楽曲を演奏するという試み。

演奏に先立って、午後6時からレクチャー兼プレトークがある。今日は出演者やスタッフが妖怪のコスプレをしているのだが、レクチャーでは作曲家の清水慶彦が「ゲゲゲの鬼太郎」の鬼太郎の格好をして登場。今日演奏されるのは全て「現代音楽」に分類されるのだが、そもそも「現代音楽」とは何かということから、E-Musik、U-Musikという言葉を使って説明が行われる。日本では坂本龍一や久石譲などクラシックとポピュラーのボーダーラインで活躍している作曲家がいるが、欧米ではクラシック音楽系列とポピュラー音楽とはより明快に分けられているという。

その後、フルートの永野伶実や、ピアノの河合珠江が登場して、フルートの重音奏法、ピアノのクラスターなどの現代奏法が披露される。その後、司会が作曲家の増田真結にバトンタッチされ、箏に関する現代音楽の奏法がなど紹介される。十七絃箏の中川佳代子が登場し、野球でスライダーを投げる時のように人差し指と中指で横から弦を引っ掻くという擦り爪などの特殊奏法が奏でられる。左手でのピッチカートの演奏も行われるが、一本の絃をバチンと弾くというバルトーク・ピッチカートなるものがあるそうで、間違いなくバルトークが発案したものであるが、それ以外は一見、現代音楽的奏法に見えても実際は伝統的に行われている演奏法の方が多いそうだ。

まずはサルバトーレ・シャリーノの「感謝の歌」。フルートのための現代曲であるが、トレモロから徐々に音程がずれていったり、半音ずつ音が上がっていき、そこから発展していったりする。現代的な響きの中から時折、美しいメロディーが現れる。

フルートの永野伶実は、砂かけ婆の格好で登場。地味な着物に白髪のウィッグである。永野は京都市立芸術大学卒、同大学院修士課程修了。ドイツに留学してブレーメン芸術大学大学院修士課程も修了している。ブレーメン芸術大学大学院在学中から現代音楽集団Atelier Neue Musikのメンバーとして活動。現在は現代音楽と古楽の演奏を中心に活動しているという。

なお、後ろに10本の蝋燭が、バーにあるような覆いを付けた形で並んでおり、演奏者や作曲者が1曲終えるごとに、蝋燭に点った灯りを一つずつ消していく。

続いて、ペール・ヘンリック・ノルドグレンの「小泉八雲の怪談によるバラード」より“耳なし芳一”。
本日のプログラムの中で最も知名度の高い作曲家であるノルドグレン(1944-2008)。フィンランドの作曲家であるが、1970年から1973年まで東京藝術大学に留学しており、この時に小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の「怪談」を知ったという。その後、フィンランド在住のピアニストである舘野泉から「小泉八雲の怪談によるバラード」というピアノ曲集作曲の依頼を受け、「お貞」、「雪女」、「ろくろ首」など10曲を作曲。楽譜は全音楽譜出版社から出ている。

ピアノ独奏の河合珠江(猫娘の格好をして登場)は、京都市立芸術大学卒業、同大学院博士課程修了。同校器楽領域での初の博士号取得者となったという。現在は日本の他にチェコなどでも活動しており、チェコの作曲者であるドゥシークの研究も行っているという。
本人とは何の関係もないが、今日使われるグランドピアノは河合楽器のものである。

“耳なし芳一”であるが、クラスターやグリッサンドのあるおどろおどろしい部分と抒情的な部分の対比が特徴的。河合のピアノはリリカルな部分の演奏が特に良かった。

3曲目は小林千尋の作曲による電子音楽「あそびはじめのうた」。この企画のために作曲された新曲の初演である。様々な人の言う「あそぼー」という言葉がサンプリングされ、逆回しにされたり、旋律のように続いたりする。
小林千尋は豆腐小僧(江戸時代に大人気になったが急速に人気が薄れたという妖怪。特徴は豆腐を食べるということで、市川染五郎に「それ妖怪じゃなくてただのおやじだろう」と突っ込まれたこともある。ちなみに茂山千五郎家が京極夏彦の作による新作狂言「豆腐小僧」を上演しているが残念ながら成功作とはいえなかった)の格好をしていた。

小林は徳島県出身。大分大学教育福祉科学部学校教育課程教科教育コース音楽専修を卒業。現在は同大学大学院の教育学研究科教科教育専攻に在学し、清水慶彦に師事している。

幕間の邦楽演奏があり、山口敦子が篳篥を演奏した。

4曲目は猪本隆作曲の「きつねがだまされた話」。ソプラノの丸山晃子が白装束で登場し、河合珠江のピアノ伴奏に乗せて、歌と語りを行う。きつねが若い女に化けるのを目撃したおじいさんが、狐が化けた若い女に向かって「しっぽが出ているぞ」と嘘の指摘をして「まだまだ修行が足りないの」と言ったため、きつねがおじいさんもまたきつねなのだと騙されるという話である。わかりやすい作風の歌であった。

丸山晃子は京都市立芸術大学卒業、同大学院修士課程修了。ブレーメン芸術大学に留学後、京都市立芸術大学大学院博士課程修了。音楽博士である。バロックや古典を主なレパートリーにしている。

10分間の休憩を挟み、後半。

清水慶彦の「百鬼夜行絵巻」より“童子丸随忠行習道語”。今回の企画のための新作初演である。レクチャーを鬼太郎の格好で行った清水慶彦。京都市立芸術大学作曲専攻卒業、同大学院修士課程修了。その後、ブレーメン芸術大学に留学し、帰国後に京都市立芸術大学大学院博士課程修了。黛敏郎に関する論文で博士号を取得している。現在、京都市立芸術大学非常勤講師、同志社女子大学嘱託講師、大分大学教育福祉科学部専任講師も務めている。

陰陽師の賀茂忠行が百鬼夜行の行列に出くわし、それを誰よりも早く察知した少年こそ、後の安倍晴明であったという語り付き作品である。

永井伶実がフルートを演奏し、永野歌織が女声を担当。女声という大雑把な括りであるが、語りの他にコロラトゥーラを含んだ歌なども唄う。

永野歌織は永野伶実と姉妹である。「リング」の貞子役ということで、黒髪で顔を隠し、床を這いながら上手から登場する。
永野歌織は京都市立音楽高校(現・京都市立京都堀川音楽高校)卒業後、京都市立芸術大学卒業。オペラでも活躍しているという。

わかりやすい内容の曲であり、永野歌織の語りと歌も良かった。

幕間の邦楽演奏として、齊藤尚が龍笛を演奏した。

永野伶実による、J・S・バッハ/ゲイリー・ショッカーの「パルティータ イ短調BWV1013とパルティータのゴースト」。永野伶実が録音したJ・S・バッハの演奏に永野伶実自身がゲイリー・ショッカーが書いた対位法的旋律を生演奏で挟んでいくという趣向の曲である。

増田真結の「異類婚姻譚」。増田真結は信太の狐(葛葉狐。安倍晴明の母)のコスプレをしている。十七絃箏演奏家である中川佳代子による弾き語り。とある街の怪奇譚を基にした曲。夏になると神隠しに遭う人が多く出る街。失踪者は、その直前に「かごめかごめ」を歌っており、ある目撃者の証言によると「何かに食べられた」のだという。そこで、その街では特に夏には「かごめかごめ」を歌ってはいけないという言い伝えがあるという。

箏に様々な現代的な演奏が加わる中、中川佳代子(雪女の服装だそうだが、そうは見えない)は、「君を食べる、食べた」、「君を今も食べている」と呟いたり歌ったりする。箏には「かごめかごめ」の旋律が登場する。

増田真結は京都市立芸術大学卒業、同大学大学院修士課程修了。ブレーメン芸術大学に留学。京都市立芸術大学大学院博士課程修了。箏曲の作曲に関する論文で博士号を取得している。室内楽や歌曲の作曲コンクールで上位入賞を果たしているようだ。

中川佳代子は、高崎芸術短期大学卒業後、NHK邦楽技能者育成会に入り、卒業している。海外でのソロコンサートを行った経験もあるという。

幕間の邦楽演奏として山口敦子が、笙を演奏する。

ラストの曲目、猪本隆の「ゆうれい屋敷」。ソプラノの丸山晃子は今度は白い紙烏帽子して登場。ピアノの河合珠江は裸足で演奏する。

「きつねがだまされた話」同様、ユーモラスな内容である。舞台は江戸時代の江戸・深川。大きな屋敷があったのだが、幽霊屋敷という噂があり、誰も近づこうとしなかった。しかし、それを聞いたある若い侍が、「勿体ない話だ。そういう家ならきっと読書が捗るに相違ない」ということで、幽霊屋敷を購入する。幽霊など信じていなかった侍であるが、初日から目のない幽霊に遭遇する。だが、結構素直で可愛げのある幽霊であり、侍は色々尽くしてくれるお礼にということで、ある夜、眠っていた幽霊の顔に墨で美しい目を書いてやる。ところが、目覚めた幽霊は鏡を見るなり、「キャー! お化けー!」と叫んで家から出て行ってしまい、その後、戻ってくることはなかったという、幽霊本人が自分のことを幽霊と気付いていなかったというオチで終わる話であった。

丸山の語りと歌、河合のピアノいずれも優れていた。

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