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2015年10月の19件の記事

2015年10月31日 (土)

これまでに観た映画より(77) 「スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐」

DVDでアメリカ映画「スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐」を観る。ジョージ・ルーカス脚本&監督作品。

当初9部作の予定で、まず第4作、第5作、第6作の三部作が作られた「スター・ウォーズ」であったが、映像の特殊技術が上がったということで、第1作と第2作が作られ、本作が第4作へと繋がる最後の作品となる。

出演:ユアン・マクレガー、ヘイデン・クリステンセン、ナタリー・ポートマン、イアン・マクダーミド、サミュエル・L・ジャクソン、フランク・オズ(ヨーダの声役)、クリストファー・リー、カイル・ローリング、マシュー・ウッドほか。

遠い昔、はるかな銀河系での話。

共和国のパルパティーン議長(イアン・マクダーミド)が独立星系連合軍に誘拐されるという時間が起こる。パルパティーン議長救出に向かったジェダイは二人、オビ=ワン・ケノービ(ユアン・マクレガー)とアナキン・スカイウォーカー(ヘイデン・クリステンセン)であった。苦戦はしたもののパルパティーン議長救出に成功した二人。しかしこのパルパティーンは怪しい人物として元老院からマークされていた。コンサルトに戻ったアナキンは、かつてナブーのアミダラ女王であったパドメ(ナタリー・ポートマン)と極秘に結婚しており、パドメの体には新たな命が宿っていた。
功績を挙げたアナキンは評議員に推されるが、ジェダイ・マスターへの昇格は認められなかった。そのことにアナキンは不満を抱く。
そしてアナキンはたびたび悪夢にうなされる。パドメが出産で命を落とすという夢で会った。アナキンの母親が亡くなった時もアナキンは予知夢にうなされた。アナキンは今度も正夢になるのではないかと怖れる。そんな折、パルパティーン議長がアナキンに「自分は死から人を救うことが出来る」と説く。アナキンを味方に付けるためであった。

オビ=ワンはパルパティーン議長を誘拐したグリーバス将軍(アクション:カイル・ローリング、声:マシュー・ウッド)を追い詰め、殺害に成功する。これで共和国は勝利したかに思われたのだが……

一方、パルパティーン議長こそがシスの暗黒卿、ダース・シディアスであることが判明。だが、妻であるパルマの命を救いたいという一心でアナキンはシディアス卿に傾倒。「ジェダイは古い組織であり、代わりになる新しい軍隊が必要」との言葉に共鳴したアナキンは、ジェダイを滅ぼすことを決意。ダース・シディアス卿から、「ダース・ベイダー」の名を贈られる。

かくてダース・ベイダー卿となったアナキンは、ジェダイ聖堂に行き、まだ子供のジェダイをも容赦なく惨殺するようになったのだった。

CGなどの特殊効果が効果的に用いられている。ライトセーバーでのチャンバラがやや長いという気もするが、ストーリーの底流にあるものは、我々全人類が抱えているものである。ダース・ベイダーことアナキン・スカイウォーカーは新たな平和と正義と善と安全のために銀河帝国を創設しようとする。しかし彼が夢見る「平和と正義と善と安全」は誰のためのものなのであろうか?

己のことさえ満足に把握出来ず、思考は噛み合わない。そんな悲しい人間の性を描いた映画としてこの映画を観るのも良いかも知れない。

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2015年10月29日 (木)

薩長同盟と浄土真宗

幕末の薩摩と長州が犬猿の仲であり、両藩が同盟を結ぶなどとは坂本龍馬や中岡慎太郎など数名しか思いつかなかった奇策として知られています。

薩摩と長州は西国の雄藩として元々中が良好とは言えませんでした。長州藩の祖である毛利輝元が関ヶ原の合戦の事実上の大将(大坂城内に謀反人がいるというので大坂から出られず、合戦には間に合いませんでしたが)であったため、中国地方一円120万石から防長二州36万石(当初は33万石)に減封されたのに対し、薩摩の島津義弘は当初は東軍に味方する予定が手違いから、成り行きで西軍に加わり、しかも「正面突破」という荒技で東軍からも喝采を浴びて本領安堵とされ、徳川将軍家からの信頼度も違いました(島津家から徳川将軍家に輿入れした姫は天璋院篤姫だけではなく、何人もいます)。

政治的にも長州が尊皇攘夷の急先鋒だったのに対して、薩摩の島津久光は尊皇ながら公武合体派。皇女和宮降嫁も推し進めており、思想が合いません。

ただ、それ以上に両者の間を隔てていたのは実は宗教問題だったのではないかと思われます。

毛利氏は、戦国時代に石山本願寺と同盟を結んで織田信長に対抗。海戦では毛利水軍の活躍で、毛利・本願寺連合軍が織田方を破っています。
そのため、毛利氏と本願寺の関係は良好となり、当時の毛利氏の居城があった広島近辺の安芸国は浄土真宗の一大布教拠点となり、彼らは「安芸門徒」と呼ばれました。今でも広島県は右も左も上も下も浄土真宗本願寺派の門徒ということで、広島県は「真宗王国」と呼ばれています。関ヶ原の戦いに敗れ、広島から萩に移された毛利氏ですが長州もやはり浄土真宗本願寺派(西本願寺)の布教拠点となり、山口県人にも門徒は数多くいます(村田蔵六こと大村益次郎も熱心な門徒です。ただ毛利氏自身は浄土真宗ではなく曹洞宗の家です)。

一方の薩摩はといえば、実は浄土真宗は禁教でした。浄土真宗の一派である一向宗が戦国時代に一向一揆を起こして大名の多くが対策に苦慮したため、島津氏は思いきって「念仏を唱えたものは死罪」と明言し、それでも浄土真宗を始めとする浄土系宗教を信じたい人々は、「隠れキリシタン」ならぬ「隠れ念仏」として秘密裏に信仰を続けていました。

昨今でも、宗教問題は戦争の火種の一つです。日本でも室町時代からその末期である戦国時代にかけては各宗派が戦を仕掛けて相争い、信仰の違いは大きな障壁となっていました。

親浄土真宗の毛利家と反浄土真宗の島津家が同盟を結ぶなど、普通に考えればあり得ないことです。アメリカとISが同盟を結ぶようなものなのですから。

実際、薩摩は当初は一桑会(将軍後見職:一橋慶喜、桑名藩主で京都所司代の松平定敬、会津藩主で京都守護職の松平容保。松平容保と松平定敬は実の兄弟である。ちなみに会津松平氏は仏教ではなく神道を家の宗派とする唯一の大名)に味方し、禁門の変では一桑会と共に長州を打ち破っています。

そんな薩摩が宗教観を曲げてまで長州と手を結んだのは(実際には薩長同盟は倒幕のための同盟ではなく、どちらかが幕府に攻められたらもう片方は徳川方と戦うという程度の受け身の同盟でしたが)、徳川将軍家に見切りを付け、新しい世を開くためには距離的に最も近い雄藩である長州と手を結ぶのが得策と思ったからでしょう。

また一向一揆の時代から多くの歳月が流れ、薩摩・大隅両国内での浄土真宗は風前の灯であり、宗教問題などもう取るに足らなくなったということもあるのかも知れません。
実際、軍事同盟とはいっても受け身のもので、一緒に徳川を倒すというわけでは当初はなく、門徒と反門徒が手を組んで戦うという類のものでもありませんでした。また戊辰の役の際には薩摩と長州のみではなく、土佐や肥前、真っ先に薩長方につくことを表明した安芸、更には寝返った彦根、津、尾張などが西軍として参加しているため、浄土真宗の宗教戦争という色彩はほとんどなく、薩摩の志士達も長州藩士の思想に影響されることなく戦に専念出来たと思われます。

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これまでに観た映画より(76) 「スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃」

DVDで、映画「スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃」を観る。ジョージ・ルーカス監督作品。出演:ユアン・マクレガー、ナタリー・ポートマン、ヘイデン・クリステンセン、イアン・マクダーミド、ペルニラ・アウグスト、クリストファー・リーほか。

「エピソード1/ファントム・メナス」の10年後。銀河共和国から離脱する星が後を絶たない。かつてナブーの女王であったアミダラ(ナタリー・ポートマン)は任期を終えて元老院の議員となり、銀河共和国内でも強い発言権を得ていた。そんなアミダラがテロに襲撃される。アミダラは常に影武者を用意しており、アミダラ自身は無事であったが、アミダラを演じていた女性は死亡する。

アミダラの命を狙った女テロリストをジェダイのオビ=ワン・ケノービ(ユアン・マクレガー)と青年に成長したアナキン・スカイウォーカー(ヘイデン・クリステンセン)は捕らえるが、女テロリストが口を割る前に毒矢が彼女を襲う。女テロリストは「賞金稼ぎの……」という言葉を残して絶命する。

ケノービは毒矢が、カミーノというこの銀河系には存在しないはずの星で製造されたものであることを突き止める。カミーノという星の存在は何者かによってマップから削除されていたのだ。公文書館の資料をいじることが許されているのはジェダイだけである。

ケノービはカミーノという星に向かう。カミーノではクローンが大量に生産されている。そしてカミーノに「賞金稼ぎの」という枕詞を持った男、ジャンゴ・フェットが滞在していることを突き止める。

一方、アナキンはアミダラの護衛を任されていた。アナキンは10年前からずっと1日も欠かすことなくアミダラのことを思い続けていた。史上最高のジェダイになる資質の持ち主と見做されているアナキンであったが、「オビ=ワンが自分の才能を妬んでいつまで経っても独り立ちさせてくれない」という不満を抱いていた。元老院の面々はアナキンの才能を認めながら、「それ故に傲慢なところが見受けられる」と残念がっている。

ケノービはカミーノから逃げ出したジャンゴとその息子を追跡、ジオノーシスという星にジャンゴ親子が逃げ込んだことを確認する。ジオノーシスには共和国と対立している通商連合の船が集まっている。

ケノービは元老院のあるコルサントに通信を試みるが電池が足りず、上手く交信出来ない。そこでアナキンを介して交信しようとするのだが、アナキンは悪夢を見て、母に危機が迫っていると悟り、アミダラと共に生まれ故郷であるタトゥイーンにおり、乱暴な種族にさらわれた母を探すために戦闘機を離れていた。そのため交信が遅れ、ケノービはその間に襲撃され、捕虜となってしまう。

ケノービは元ジェダイであるドゥークー伯爵(クリストファー・リー)と対面する。ドゥークー伯爵は共和国がシスに乗ってられており、正義はむしろ通商連合にあるとして、自分達と共に戦うことをケノービに勧めるが、ケノービはこれを拒否した。

ケノービがピンチにあることを知ったアミダラは、ケノービ救出のためにジオノーシスに向かうようアナキンに命じる。

ジョージ・ルーカスの想像力に舌を巻く作品であるが、純粋なエンターテインメントであり、真面目に考えると「で?」という作品であるとも言える。真剣に観ない方が賢明な映画である。

先日亡くなったクリストファー・リーが、悪役・ドゥーク伯爵として存在感のある演技を行っている。

他の俳優も演技は良いが、アクションシーンが多く、観る側もどうしても運動神経を重視してしまいがちになるため、文芸的意味での演技評価は難しい映画であるともいえる。

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2015年10月27日 (火)

これまでに観た映画より(75) 「リバー・ランズ・スルー・イット」

DVDで映画「リバー・ランズ・スルー・イット」を観る。ブラッド・ピットの出世作としてよく知られている作品である。ノーマン・マクリーンの自伝的小説をロバート・レッドフォードが監督して映画化した作品。今から23年前の作品であり、ブラッド・ピットもまだ「小綺麗な青年」というだけで、表情に奥行きがない。まあ、若かったということだろう。

20世紀初頭のアメリカ・モンタナ州ミズーラが舞台。釣りを趣味とするスコットランド系牧師の父の下に生まれたノーマン(クレイグ・シェイファー)とポール(ブラッド・ピット)のマクリーン兄弟は、釣りを神聖視する父の影響を受けて育つ。フライフィッシングは祈りや冥想に似たものとして捉えられている。ノーマンはやがて、弟のポールが持つ芸術的なフィッシングセンスに気が付く。父親からはフライフィッシングを四拍子で行うように教えられた。それ以外のフィッシングは邪道だと。だが、ノーマンはポールが父親の教えを超えたものをすでに身につけていることに気が付く。

やがて成長したノーマンは、アイビーリーグのダートマス大学に入学。英米文学を専攻する。一方、ポールは地元モンタナ州の大学を卒業後、モンタナ州の新聞記者となる。
ノーマンが7年離れていた故郷に戻ってくる。両親、そしてポールと再会したノーマン。ノーマンはまず父親に大学の教員になる夢を告げる。そして実際にいくつかの大学に教員志望届けを出していることも。そしてポールとは再び川釣りに出向く。すっかり腕の落ちてしまったノーマンであったが、ポールのアドバイスですぐに勘を取り戻す。

そしてある日、パーティーに出掛けたノーマンはジェシー・バーンズという美しい女性(エミリー・ロイド)と出会い、恋心を抱くようになる。一方、ポールは差別対象であるインディアン(今ではネイティブアメリカンという方がポリティカリーコレクトだとされている)の女性、メイベル(ニコール・バーデット)と恋仲であり、また、釣りの腕と共にギャンブル癖や暴力沙汰の数々でもまた地元では有名な新聞記者となっていたのだった……

ストーリー的に目新しいものはほとんどなく、恋心の発火が象徴的に描かれている程度である。しかし、作品を通じて流れているのは、映画に描かれたストーリー以降にシカゴ大学の英米文学の教授となり、若くして亡くなった弟のことをフライフィッシングをしながら常に考えているノーマンの姿勢である。それは映画という枠を超え、「何故」という問いを映画が終わった後も観る者に問い掛ける。無論、答えなど出ない問いだ。だが、生きるということは答えのない問いに答えようとする姿勢のことであり、「それそのもの」の姿勢は宗教観を超えて観る側に訴えてくるものがある。

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2015年10月26日 (月)

コンサートの記(211) シベリウス生誕150年 藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団 「関西フィルハーモニー管弦楽団 Meet the Classic vol.31」 シベリウス 交響曲第1番ほか

2015年8月11日 大阪・京橋のいずみホールにて

午後7時から、大阪・京橋のいずみホールで、「関西フィルハーモニー管弦楽団 Meet the Classic vol.31」を聴く。今日の指揮者は関西フィル首席指揮者の藤岡幸夫。「Meet the Clsassic」はそもそも藤岡が立ち上げた企画だそうである。

曲目は、ルロイ・アンダーソンの「舞踏会の美女」、菅野祐悟の「永遠の土」(世界初演)、菅野祐悟の箏と尺八と管弦楽のための協奏曲~Revive~(関西初演。箏独奏:遠藤千晶、尺八独奏:藤原道山)、シベリウスの交響曲第1番。

「軍師官兵衛」、「ガリレオ」、「花咲舞が黙ってない」などの音楽で知られる菅野祐悟の新作が2作含まれているのが特徴である。また生誕150年を記念して東京では3つ、広島で1つ行われるシベリウス交響曲チクルスは関西ではゼロではあるが、藤岡と関西フィルは1年に1曲ペースによる「シベリウス交響曲全曲演奏」を行っている最中であり、定期演奏会で取り上げられる交響曲第6番の他に、今日は交響曲第1番、そして今月末に京都府城陽市で交響曲第2番の演奏が行われる予定であり、シベリウスの祝祭年に合わせた曲目を入れている。

「Meet the Classic」は藤岡によるトークを交えてのコンサートであるが、藤岡本人は「話すのは余り得意ではない」そうで、日本語に訳すと「クラシックとの出会い」というタイトルのコンサートであり、わかりやすさを心がけているためトークを入れているようである。

いずみホールは基本的に室内楽、器楽、室内オーケストラのためのホールであり、フル編成のオーケストラが演奏すると音が飽和しやすいのだが、そこは藤岡も勿論心得ていて、スケールを拡げすぎずにまとめるという演奏を目指していたように思われる。

ルロイ・アンダーソンの「舞踏会の美女」。藤岡はルロイ・アンダーソンの作品を気に入っており、ことある毎に演奏しているが、今日も華麗な音色を駆使した優美な音楽作りを行う。「舞踏会の美女」はワルツであるが、藤岡は3つ振らずに、1拍目だけを指揮棒の上げ下げで示すため、指揮姿だけだと二拍子で振っているように見える。

菅野祐悟の「永遠の土」。菅野は会場に来ており(開演直前に客席に入ってきた。自分の席に間違えて座っているお客さんがいたようで、共に苦笑いを浮かべていた)、藤岡から招かれてステージに上がり、「永遠の土」についてのちょっとした解説を行う。
「永遠の土」というのは聖書の用語だそうで、元の言葉を記すと「人間は土に命を吹き込まれて造られた」。つまり「永遠の土」とは人間のことである。人間は土から生まれて土に帰るというのがキリスト教の発想のようである。
菅野は、キリスト教系の幼稚園に通っていたそうで、聖書を読む授業のようなものがあり、その時にこの言葉に触れたという。菅野はキリスト教徒ではないので、他の言葉は忘れてしまい、今は聖書に接する機会もないそうだが、この言葉のことはよく覚えており、インスピレーションを受けたそうである。

ちなみに、菅野は「子供の頃から自分の理想とする音楽が頭の中で響いていたのですが、ありとあらゆる場所を探してもそんな音楽はない。ということは自分で作るしかない」ということで作曲家になったそうである。

「永遠の土」は、弦楽とビブラフォン、マリンバという変わった編成による楽曲。しっとりとした音楽で始まり、やがて哀感が増していく。ビブラフォンは普通に演奏されたりもするが、鍵をヴァイオリンの弓で擦るという特殊奏法も用いられる。藤岡はこの曲だけはノンタクトで指揮した。

菅野祐悟の箏と尺八と管弦楽のための協奏曲~Revive~。シアトル交響楽団の委嘱によって作曲された作品であり、まず藤岡幸夫指揮日本フィルハーモニー交響楽団による世界初演が東京で行われた後で、シアトルでの初演が行われ、シアトルでは演奏終了後にオールスタンディングオベーションとなった曲であるという。箏と尺八の世界初演、シアトル初演の奏者は今日と同じ。シアトル交響楽団を指揮したのは残念ながら藤岡ではないという。

ソリストである遠藤千晶と藤原道山が登場し、藤岡と菅野を交えての4人でプレトークが行われる。藤原道山は「なんで俳優にならなかったのだろう?」と思わせるほどの男前であり、イケメン指揮者といわれている藤岡でさえも「(藤原は)格好いいから(横に並ぶの)嫌になっちゃう」と発言していた。藤原道山のような顔立ちこそイケメンではなく正真正銘の「男前」というのであろう。写真映りは余り良くない方だと思われるが、実物は谷原章介と西島秀俊の顔を足して二で割ったとうな顔立ちで、谷原や西島よりも男前である。

遠藤が演奏する箏は、十三絃といわれる最も一般的な箏であり、オーケストラと共演するには音の数が少ないが、これを箏柱を動かして調弦を変えることで多彩な音を生み出すという特殊奏法が行われる。

尺八は藤原道山によると、「尺八とは思えないほどノリノリ」であり、そのため藤原は今日は和服ではなく洋装で来たという。

遠藤も藤原も東京芸術大学音楽学部および同大学院出身であり、同窓である(パンフレットに書かれたプロフィールでは、遠藤は「東京藝術大学」という表記を採用し、藤原は「東京芸術大学」という新字体を用いている)。

オーソドックスな3楽章を採用した協奏曲。各楽章には英語によるタイトルが付けられており、第1楽章には「Sunrise」、第2楽章には「Pray」、第3楽章には「Future」とある。

第1楽章は箏の独奏から始まる。いかにも「和」といった風の凛として華やかな感じだが、曲調は徐々にドラマティックになっていく。

第2楽章は、尺八が民謡のような懐かしさを感じさせるメロディーを吹く。この旋律はラストにも戻ってくる。

第3楽章は、管楽器奏者がほぼ全編に渡って手拍子を行うという個性的なもので、ノリはラテンである。藤原道山も手拍子を行う場面が一箇所だけあり、オーケストラメンバーとの掛け合いとなる。

調性音楽であり、わかりやすく楽しい音楽であった。

 

後半、シベリウスの交響曲第1番。藤岡と関西フィルは2009年にこの曲を演奏しており、私もその演奏会を聴いている。その時の藤岡の解釈はややスポーティーな印象を受けたが、今日は良い意味で自然体の音楽を奏でることが出来ていたように思う。

関西フィルは関西のプロオーケストラの中では非力な部類に入ると思うが、シベリウスの演奏にはパワフルさはさほど重要ではない。メカニックは管も弦も安定しており、ライブ演奏としてはなかなかの完成度に達していた。

アンコール演奏は、エルガーの「夕べの歌」。藤岡のアンコールの定番だそうだが、私は聴くのは初めてである。抑制の程よく効いたノーブルな演奏であった。

関西フィルは今後も音楽監督であるオーギュスタン・デュメイや首席指揮者である藤岡の指揮による意欲的な演奏会が続く。プログラムだけを比較すれば関西で一番面白いかも知れない。

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2015年10月25日 (日)

コンサートの記(210) シベリウス生誕150年 シベリウス 交響曲第2番ほか 藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団第5回城陽定期演奏会

2015年8月23日 京都府城陽市の文化パルク城陽プラムホールにて

午後2時から、京都府城陽市の文化パルク城陽プラムホールで、関西フィルハーモニー管弦楽団の第5回城陽定期演奏会を聴く。今日の指揮は関西フィル首席指揮者の藤岡幸夫。コンサートマスターは岩谷祐之。

曲目は、吉松隆の「三つの水墨画」、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:金子三勇士)、シベリウスの交響曲第2番。関西ではシベリウスの交響曲チクルスは行われないが、関西フィルは毎年1曲ペースで進めているシベリウス交響曲全曲演奏(今年は秋に交響曲第6番が演奏される予定)に加え、先日、いずみホールで交響曲第1番が演奏され、今日は交響曲第2番が演奏される。
 

午後1時20分開場であり、午後1時40分から藤岡幸夫によるプレトークがある。
藤岡はまず、慶應義塾高校と慶應義塾大学の先輩である作曲家・吉松隆の「三つの水墨画」について説明。2013年に作曲されたばかりの曲であり、吉松が2012年に大河ドラマ「平清盛」の音楽を手掛けたのを機に京都という街に対する視点が変わり、その直後に京都府物産協会50周年記念曲作曲の依頼を受けて書かれたものだという。ちなみに吉松の先祖の一人は国学者で京都で私塾を開いていた大国隆正なる人物だという。大国隆正の門下には「岩倉具視の右腕」として知られる玉松操がいるそうである。

「六波羅」、「孤月(こげつ)」、「京童(きょうわらべ)」の3曲からなり、初演は2013年6月7日にJR京都駅特設ステージにおいて藤岡指揮の関西フィルの演奏で行われているが、音響の良い場所ではない上に室内オーケストラ編成での演奏だったので、今日のようにフル編成で演奏してどう聞こえるのかは藤岡にもわからないということだった。

「六波羅」は平家の栄華を描いたもので、繊細で雅やかな曲調が特徴である。「孤月」はチェロ独奏が渋い旋律を奏で、曲全体も落ち着いた趣がある。「京童」は「京の童歌」(歌詞は「まるたけえびすにおしおいけ」という京都の東西に延びる通りの頭文字を挙げていくもの)を題材にしたもので、弦と管がフーガのように「京の童歌」の旋律を歌い交わす。リズミカルで楽しい音楽である。

フルオーケストラによる演奏でも何の問題もなかったように思う。なお、この曲だけは藤岡はノンタクトで指揮した。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。ピアノ独奏の金子三勇士(かねこ・みゅうじ)は、日洪のハーフ。1989年、日本に生まれ、6歳の時に母親の祖国であるハンガリーに一人で渡る。バルトーク音楽小学校でチェ・ナジュ・タマーシュネーにピアノを師事。2001年にハンガリー全国ピアノコンクール・9歳~11歳の部で優勝。その後、飛び級で国立リスト音楽大学に入学。2005年から2006年にかけて3つのピアノコンクールで優勝後、日本に帰り、東京音楽大学附属高校に編入学。東京音楽大学卒業、東京音楽大学大学院修了後、再び渡洪。現在は国立リスト音楽大学大学院博士課程に在籍中である。2008年にバルトーク国際ピアノコンクールで優勝。
三勇士という名前は「ミュージック」に掛けたもので、「爆弾三勇士」とはおそらく何の関係もないと思われる。

以前から日本でも精力的にピアニストとしての活動を続けた金子三勇士。藤岡はプレトークで金子のピアノを「男性的」と評していた。
 

藤岡は故・園田高弘(日本音楽史上に残る名ピアニスト)から、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番のレクチャーを受けたことがあり、園田は「藤岡君、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は遠くで鐘が鳴るようにして始まる。そしてネヴァ川――ロシアの曲なのでロシアの川です――ネヴァ川の流れのように滔々と進む」と語ったそうだ。

金子のピアノを一言で言い表すと「ダイナミック」。スケールが大きく、良い意味で細かなことにとらわれない。高音の強打は痛烈だが、基本的には温かな音色で弾くピアニストである。第3楽章ではペダルを踏んでいない左足でステージを何度も蹴るなど情熱的な演奏を展開した。

文化パルク城陽プラムホールは多目的ホールであるため残響がほとんどないが、多目的ホールにしてはよく聞こえる方である。ただ、残響がないため音が美しく変わるということはない。京都コンサートホールなどは響きが良くないが、それはクラシック専用ホールにしては良くないということであり、何だかんだで音響設計のされていない多目的ホールよりはずっと良い音がする。
不利な状況でのオーケストラ伴奏であるが、関西フィルは力強い演奏を展開した。

ピアノアンコール。金子は、「こういう曲(ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番)の後でアンコールを弾くのは難しいのですが、落ち着いた雰囲気をということで、ショパンの夜想曲遺作を」と言って、ショパンの夜想曲第20番嬰ハ短調(遺作)を演奏する。冒頭をかなり弱く弾き、トリルを伸ばすという独特の演奏であった。

シベリウスの交響曲第2番。プレトークで藤岡はこの曲について、「ロシア圧制下に書かれて発表された曲で、フィンランドでは祖国の勝利を切望する愛国的な作品として熱狂的に支持されたが、実はこの曲を書く前にシベリウスは娘を幼くして亡くし、気分転換のために家族でイタリアに旅行に出るも、『ローマに行く』という置き手紙をして一人で家族から離れてしまうなど精神的に不安定な状況にあった」と語る。第4楽章は煽るような凱歌であるが、熱狂的な旋律の他にもう一つ、憂鬱な印象を受ける主題も存在する。高揚感のある主題が強烈であるためついメランコリーなメロディーの存在を忘れがちになってしまうのだが、一般に第4楽章に対して行われる「熱狂的な凱歌」という解釈が的確なものなのかに関しては再考の余地があるように思う。

藤岡の造形は見事で、彼のシベリウス指揮者としての確かな成長が感じられる。ただ、第2楽章のコントラバスとチェロのピッチカート、木管の旋律の後でヴァイオリンが加わるときの加速が余りに急激であり、これほど赤裸々な苦悩という表現で良いのかという疑問も浮かぶ。

それ以外は優れた解釈であったが、関西フィルは第4楽章に入って最初の金管の合奏が思いっ切り散らかるなど、技術面での弱さはまだ感じられる。それでも総体としては優れたシベリウス演奏であったように思う。

藤岡はプレトークで「今日はアンコールがあります」「クラシックの曲ではありません」と言っていたが、アンコール曲は「ダニー・ボーイ(ロンドンデリーの歌)」。先月聴いた広上淳一指揮京都市交響楽団の「ダニー・ボーイ」には及ばなかったが、整った美しい演奏ではあった。

 

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2015年10月24日 (土)

コンサートの記(209) 吉田裕史指揮ボローニャ歌劇場フィルハーモニー レオンカヴァッロ 歌劇「道化師」

2015年9月13日 京都国立博物館中庭特設会場にて

京都コンサートホールの最寄り駅である北山駅から京都市営地下鉄に乗り、京都駅まで出て、JRに乗り換え。更に東福寺駅でJRから京阪に乗り換えて、七条にある京都国立博物館明治古都館前中庭特設ステージで行われる、2015 日伊オペラ国際共同制作「道化師」を観る。午後6時開演。今回の上演は、今日まず京都国立博物館での上演が行われ、今月の17日と19日には姫路城での野外上演が予定されている。

屋外なので天候が心配であったが、今日はすっきり晴れた。ちなみに雨天の場合は、他の会場での上演が予定されており、更に振り替え上演の可能性もあったとのこと。

吉田裕史(よしだ・ひろふみ)指揮ボローニャ歌劇場フィルハーモニーの演奏。吉田はボローニャ歌劇場首席客演指揮者に就任したばかりであり、昨年からはボローニャ歌劇場フィルハーモニーの芸術監督の地位にもある。東京音楽大学指揮科および同研究科修了。広上淳一の弟子の一人である。ウィーン国立音楽大学に留学し、指揮のマスターコースでディプロマを獲得。以後、ヨーロッパの歌劇場を中心に活躍し、特にイタリアでの活躍が目立つ。

演出は、ボローニャで劇作家、演出家、俳優として活躍しているガブリエーレ・マルケジーニが担当。人海戦術を得意とするようで、今日も仮設舞台の上に出演者が溢れんばかりに繰り出している。これだけ出演者が多いと楽屋の確保が難しくなるのだが、京都国立博物館には、明治古都館(展示の予定はしばらくないとのこと)と平成知新館の二つの大規模施設があり、それを楽屋に転用することが可能だったと思われる。

歌劇「道化師」が始まると、ステージ上にはバレリーナ達が現れて、バレエを舞う。そして、京都国立博物館の平成知新館に行く道が通路として空けられており、そこをキャストが歩いて出てくる。先頭のピエロはタッパの高い一輪車に乗っており、他のピエロ達もジャグリングなどを披露している。この場面などにいるのが主要キャストになり変わって演技だけをするカバーキャストと呼ばれる人だと思われる。ただ、ブロードウェイのアンダースタディーのように、主要キャストに事故発生の時は代役も務められるよう、歌唱力も兼ね備えた人が選ばれているのかも知れない。

吉田裕史指揮のボローニャ歌劇場フィルハーモニーであるが、野外というハンデもあって音は小さめである。ただ、カンタービレは見事であり、流石はイタリアのオーケストラである。

主要キャストは、フランチェスカ・ブルーニ(ネッダ/コロンビーナ。ソプラノ)、ニコラ・シモーネ・ムニャイーニ(カニオ/パリアッチョ。テノール)、ドメニコ・バルツァーニ(トニオ/タッデオ。バリトン)、武井基治(たけい・もとはる。ペッペ/アルレッキーノ。テノール)、フェデリコ・ロンギ(シルヴィオ。バリトン)。総出演者は数えたわけではないが、200名近くになるのではないだろうか。とにかくステージ上に人が多い。

名アリアとして名高い「衣装を纏え(衣装をつけろ)」は、前奏曲にまずそのメロディーが登場し、ラストもオーケストラだけが「衣装を纏え」のメロディーを奏でて終わる。「衣装を纏え」は映画「アンタッチャブル」で、ロバート・デ・ニーロ演じるアル・カポネが歌劇場のボックス席でこのアリアを聴いて涙を流し、直後に手下から「殺害成功」の報告を受けてニヤリと笑うという、カポネの二面性を表す場面に使われていることでも知られている。

レオンカヴァッロの代表作にして唯一の有名曲である歌劇「道化師」。「ヴェリズモ(現実)」と呼ばれた、人間の残酷な本質を描こうとするオペラ音楽運動を代表する作品である。上演時間が短いので、マスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」と組で上演されることも多いのだが、今回は屋外上演で、座椅子もプラスチック製のものということで、「道化師」のみの上演、更に第1幕と第2幕の間に20分間の休憩があり、間奏曲は第2幕の前奏曲的に演奏される。

主要キャストの歌唱はいずれも充実しており、舞台裏に階段を設けて上から俯瞰で舞台を見ているキャストがいるという演出も効果的である。

ストーリー自体は、それほど洗練されておらず、巧みでもないのだが、こうしてオペラとなったものを観ると、やはり心動かされる。

屋外で幕がないため、最後は吉田裕史が終演の挨拶を行い、お開きとなった。

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2015年10月22日 (木)

観劇感想精選(165) 「夜への長い旅路」

2015年9月26日 梅田芸術劇場シアタードラマシティ・にて観劇

午後3時から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、「夜への長い旅路」を観る。ノーベル文学賞作家で、ピューリッツァー賞を4度受賞しているユージン・オニールの戯曲を、木内宏昌の台本・翻訳、熊林弘高の演出で上演。出演は、麻実れい、田中圭、満島真之介、益岡徹の4人。

「夜への長い旅路」は、激動の人生を歩んだユージン・オニールが自身とその親族をモデルに書いた戯曲であり、親族に累が及ばぬよう、ランダムハウス社の金庫に原稿を入れて鍵を掛け、「自分が死んでから25年経つまでは、出版も上演も許可しない」という遺言を残した。上演に関しては「一切許可しない」と書いていたほどである。その後、オニールの長男は自殺、3度目の妻であるカルロッタは麻薬中毒で法的トラブルを起こしている。

オニールの遺言は守られず、オニールの死から2年が経った1955年に、3度目の妻であり、唯一の遺産相続人であったカルロッタ(オニールは次男と長女とは絶縁している)が出版を許可し、戯曲はイェール大学出版部から出され、翌1956年にスウェーデンのストックホルムで初演が行われている。アメリカで初演が行われなかったのはオニールの親族に遠慮したためだろうか。ちなみにカルロッタは、4人の登場人物うちの一人であるメアリー・タイロン(演じるのは麻実れい)のモデルになっている。

作品は、エドマンド(満島真之介)が、愛する人に手紙を読み上げるというシーンから始まる。といっても、手紙を読み上げる声は録音されたものであり、上手端の客席通路から舞台に上がった満島真之介は、舞台上手にいくつか作られた砂山の一つから砂をすくっては、指の間からこぼすという仕草をしているだけである。手紙の内容は、エドマンドが育ったタイロン家の人々について。やがて、舞台中央奥にある引き戸式の扉が開き、タイロン家の人々が姿を見せる。エドマンドの父・ジェイムズ(益岡徹)、兄・ジェイムズ・ジュニア(愛称のジェイミーで呼ばれる。田中圭)、そして母・メアリーである。4人で抱き合うタイロン家の人々、だが、その実態は……。

アイルランド系移民のジェイムズ・タイロンは一財産を築いた舞台俳優だったが、ヒットしたのは下層階級向けの下らない劇であり、彼が目指していたシェイクスピア俳優になることは出来なかった。若い頃は、「全米で五本の指に入る期待のシェイクスピア俳優」と評されたこともあったのだが、彼が主役を張れたのは三流の芝居だけだった。そのことに不満があるのか、ジェイムズは社会的成功を収めたにもかかわらず、成した財産を土地を買うことにばかり使っており、他のことに関しては徹底した吝嗇家を通していた。医療費をけちったのが元で、エドマンドを産んでから体を悪くしたメアリーの主治医に治療費が安いことだけが取り柄の藪医者を紹介し、藪医者は痛みを止めるには一番安直な方法であるモルヒネを用いたため、メアリーは今もモルヒネ中毒のままである。しかし、ジェイムズはそれにも懲りず、現在の主治医もその知り合いである治療費の安い藪医者である。

長男のジェイミーは、かつては成績優秀で「希望の星」と讃えられた(これがラストに繋がる伏線になっている)が、素行不良で大学を自主退学し(これはオニール自身の姿と重なる)、今は売れない舞台俳優と庭師を兼任している。ジェイムズは「私の血を引いているんだから、一生懸命やれば演技もものになる」というようなことを言うが、ジェイミーは「自分から俳優になりたかったわけじゃない。そちらが勝手に舞台に上げたんじゃないか」と俳優業には乗り気でないようである。ジェイミー本人は物書きになることを夢見ていたのだが、弟のエドマンドが地方の三流紙ではあったが新聞記者になったので、文筆方面はエドマンドに任せることにしたようである。ジェイミーはエドマンドの才能については部分的にではあるが買っている。

舞台は、タイロン家のある一日。朝から夜に至るまでを描いている。

タイロン家(元々は夏の別荘)に、エドマンドが帰ってくる。病気になったのだ。症状からみて結核で間違いないのだが、エドマンド自身は「風邪だ」と言い張り、ジェイムズは「マラリアだ」と断言する。実はメアリーの父親は結核で亡くなっており、皆、メアリーを心配させまいとして気を遣っているのだ。医師の診断が届き、やはりエドマンドは結核であることがわかる(オニール自身も結核を患った過去がある)。

一方、メアリーのモルヒネ中毒も酷くなっており、メアリーは「霧笛で眠れなかった」と語るが、症状は明らかに薬物中毒のそれである。なお、結核で亡くなったメアリーの父親はアルコール中毒でもあり、メアリーは「酒は毒だ」と主張して、ウイスキーを飲もうとしたエドマンドを咎めたりする。

メアリーは、かつて旅回りの一座を率いていたジェイムズ・タイロンに夢中になり、結婚に漕ぎ着けたのであるが、夏に別荘に帰る他はずっと旅回りというジェイムズを次第に疎ましく思うようになる。ちなみに、ジェイミーとエドマンドの間にもう一人、ユージーンという名の男の子を産んだが、幼くして亡くなっており、メアリーはジェイミーがユージーンを殺したのではないかと疑っている(ユージーンもユージンも日本語表記の仕方が違うだけで同じ名前である。ユージン・オニールは、死んだ子供に自身の名前を付けたのだ。ちなみにユージン・オニールの実兄2人はジェイムズとエドマンドだそうである。エドマンドは2歳で亡くなったそうだが、家族の実名を劇に取り入れていることになる)。

メアリーは、「結婚して家族になったのではなく、家族を捨てた」と意味深なことを言う。メアリーの学生時代の友人はメアリーが舞台俳優と結婚すると知った時に哀れみのような表情を浮かべたという。学生時代のメアリーはピアニストか修道女になりたいという夢を持っていたが、ジェイムズに言わせると「プロのピアニストになれるのは100万人に一人(実際はもっとシビアな数である)」「修道女になりたいと言ってはいたが、彼女は美人で自分が美人であることも知っていた。男もとっかえひっかえで」と、メアリーの夢が所詮夢に過ぎないと見抜いていた(メアリーが修道女を目指していたということもラストに向けての伏線となっている)。ちなみにオニールは若い頃に自殺未遂をしたことがあるが、メアリーもまた自殺未遂の過去があるという設定である。

メアリーには現在、友達は一人もおらず、また病状から家に人を招くことも出来ず、家族という檻に幽閉されたも同然の生活を送っている。ジェイムズ、ジェイミー、エドマンドは外出するが、メアリーはこの劇を通して家に閉じこもったままである。男三人はメアリーの症状を心配してメアリーを見張ってはいるのだが、メアリーはそれも「監視されている」と感じていた。

ジェイムズが、シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」のセリフを言い、更にエドマンドが「マクベス」の有名なセリフ、「消えろ消えろ束の間の幻影。人生は影法師、あわれな役者だ」を諳んじる。これを機に、話はシェイクスピア作品の換骨奪胎へと傾いて……。

ラストには、「ハムレット」の形を借りた展開が待っている。ジェイミーがエドマンドに向かって発するセリフや、エドマンドに対する態度は「デンマークの希望の星」と言われたハムレットが、オフィーリア対するときのものをなぞっている。そしてジェイミーはエドマンドに「尼寺へ行け!」ではなく、「療養所へ行け!」と言う(結局、ジェイムズは療養費を惜しみ、貧民のための結核療養所しか用意してやらなかったのである)。

そして、ジェイムズ、ジェイミー、エドマンドが揃ったところで、奥の入り口から狂女となったメアリーが登場する。メアリーはウエディングドレスを引きずっており(伏線としてウエディングドレスに関する話が劇中にあった)、オフィーリアそのものである。またメアリーは「修道女になるために修道院(つまり「尼寺」である)に入らないと」と、自分がまだ若いと錯覚してうわごとを言う。

溶暗し、エドマンドがタイロン家から去って行くのが確認出来たところで芝居は終わる。結末ははっきりとは示されないが、「ハムレット」のラストがどういうものか知っている人には簡単に察しは付く。

人生の最後で、「シェイクスピアに帰った」ユージン・オニールの姿が見て取れるが、実に悲劇的な、救いのない終幕であった。

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2015年10月16日 (金)

岩佐美咲 「恋するフォーチュンクッキー」(演歌バージョン。福山市久松通商店街編)

AKB48の演歌担当、岩佐美咲(愛称:わさみん)が歌う演歌版(音頭版といった方が適当かも知れませんが)「恋するフォーチュンクッキー」。PVとは別に、シングル「鞆の浦慕情」がオリコン初登場1位を記録したのを記念して、鞆の浦のある広島県福山市の久松通商店街の皆様と共に撮影した映像です。AKB公式チャンネルの映像。

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笑いの林(54) 「EVEMON TKF!」2015年9月7日

2015年9月7日 大阪・南船場のコラントッテホールにて

午後7時から、コラントッテホールで「EVEMON TKF!」を観る。

出演は、ザ・キーポイント、チャモロ、ダークニンゲン、ヒューマン中村、ラフ次元(以上、持ち時間5分)、ダブルヒガシ、トロピカルマーチ、ジョニーレオポン、ぶるぼん、アキラ(以上、持ち時間2分)、グイグイ大脇(持ち時間、2・5分)、ミキ、セルライトスパ、ラニーノーズ、てんしとあくま、女と男(以上、持ち時間5分)、ゲスト:シャンプーハット(持ち時間10分)。

今日は体調が悪いので全力勝負出来ず、全ては覚えられなかった。印象に残ったものだけを書く。

チャモロは、ブサイクな女の部屋にコンパで知り合った男が休憩に来るというネタを行う。チャモロは男性漫才師なので、トランスフォーム福田が女役になる。女(トランスフォーム福田)の部屋に休憩に来た男(ハリー)だが、女の顔が良くないため女として見ておらず、ソファーで眠りに入ろうとする。女の方は「あわよくば彼氏に」と当然思っていたはずなのだが、男が予想に反した行動に出たため、「すっぴんって名の略か知ってる? 『素顔でも別嬪』の略なんだって。厚化粧でケバいのにブスな私は何なの? ケバブ?」と興味を惹こうとするが、男は女と話す気はない。女が「襲うのが礼儀でしょう!」とキレるも、男は女の理屈に怒って女に近寄るが、女がして貰いたいと思っていることをすることは一切ない。男は結局、呆れて女の部屋から出て帰ってしまい。女は男友達を部屋に呼ぼうとするが一言で断られ……

演目が終わってからの拍手は少なかったが、出来が悪かったからではない。余りにもリアルすぎたのだ。私も笑うというより切なくなった。喜劇と悲劇は表裏一体だと知ってはいたのだが。

ヒューマン中村。お馴染みのフリップ芸である。「一石二鳥」という言葉に対して思うことは、「一羽、鈍くさすぎ」である。次に「一石二鳥」という言葉の漢字を他のものに変えていく。「一石二蝶」→「そんなことしてはいけない」。綺麗なものに石を投げてはいけない。「一咳二聴」→「一度の咳で二度聴診器当てられること」→「かなり、やばい」。
「一石二鳥」という同じ漢字でも意味が「一位、石川県。二位、鳥取県」という意味になると「ろくなランキングじゃない」(ヒューマン中村は石川県出身である)そうである。一と二を使った四字熟語を作るが、「一席二貫」→「大食いチャンピオンの寿司早食い大会」で客席が無反応だったため、ヒューマン中村は「あれ?」と口にする。お客さんが何のことかわかていない、私もテレビの大食い大会は見たことがないので、説明されて、「へー、そういうことをやってるんだ」と知った。ヒューマンさんは絶対受けると思って作ったのに、これまでで一番受けが悪かったので、「???」となったようである。お客さんはお客さんで「???」で、謎の塊が衝突してしまった状態であった。

ダブルヒガシ。東良介が、「警察の職務質問がめっちゃ腹立つ」と言うのだが、「この前、裸で国道、早歩きしとったらな」と続けて、相方の大東翔生(おおひがし・しょうい)に、「ちょっと待て、そりゃ職務質問されるよ!」と突っ込まれる。東良介はナガシマスパーランド(三重県桑名市長島にある巨大プールをメインとした施設)まで大阪から歩いていこうと思い、どうせプールでは裸なのだからとプールにリックサックという格好で歩いていたのだが、国道で警官に止められたという。だが、その場所が奈良県と三重県の県境付近だそうで、大東に「めっちゃ歩いてるやん!」と驚かれる。

グイグイ大脇は、2・5分に時間が延び、お客さんに都道府県の名前を挙げて貰い、それにちなんだギャグをやるというネタ。愛知県などは「愛知、名古屋、尾張」の三つの言葉を掛けて出来が良かったが、秋田県では、なまはげを演じて無反応。なまはげのセリフを言うのだが、私は東日本の人間なので何をやっているかはわかる。ただ、西日本の人の立場で考えると秋田県はかなり遠いので、よく知らない。なまはげのビジュアルは知っていても、なまはげセリフ「泣く子はいねーが、悪い子はいねーが」を聞いただけで、それがなまはげのことだと瞬時にわかるのか疑問である。

どんどん続けたグイグイであるが、たむけんが袖から現れて、「もう、えーやろ!」と止められる。「『EVEMON』からR-1チャンピオン出すのが夢なのに、お前、一生無理やん!」ときつい駄目出しをされるが、グイグイは終演後のハイタッチでトリにいるので、たむけんさんも期待しているのだろう。

セルライトスパ。ボクシングジムが舞台である。肥後がグローブをはめてシャドーボクシングをしている。その横で、ボクシング監督の大須賀が、椅子に座り、丸テーブルの上に袋を置いてパンを食べている。大須賀はピエロのような化粧をしている。大須賀が「シャドーボクシングばかりしていても飽きるだろう。本当に打ってみろ。俺の腹を。みぞおちは駄目だぞ。俺でも」ということで、肥後は大須賀の腹を打つが、大須賀はそのまま倒れてしまう。大須賀は「冗談だ」と冗談ではなさそうに立ち上がる。肥後が「監督、そのメイクはなんですか? さっきから気になっていたんですが」と聞くと、大須賀は「ハロウィン」と答える。大須賀は「一番気に入らない奴のことを思い浮かべてみろ。そいつの顔を打つつもりで(シャドーボクシング)をやれ」と命じるが、肥後が思い浮かべたのは何故か「山下達郎」で、それもボコボコに打ち据えたため、大須賀は、「お前、なんで山下達郎嫌いなの? クリスマスに何聴いてんの?」と聞く。肥後が「ジョン・レノン(の『Happy Christmas』)」と答えると、大須賀は納得したように「いいね!」と言う。
肥後が、「あれ、あなた本当に監督ですか?」と聞く。大須賀は「監督だよ」と答えるが、挙動不審。そこで肥後が、「監督じゃない! 監督はパンチしただけで倒れたりしないし。お前誰だ!?」と大須賀を追い回し、追い出すが、しばらくしてから大須賀は戻ってきて、「冗談、冗談、乗っただけ」と言う。肥後は「じゃあ、監督の好きなグラビアアイドルの名前を言ってみろ!」と疑いは解けていない。しかし、大須賀が「グラビアアイドル? 山田まりや」と答えたため、肥後は「あ、監督だ」と気付く(今はもう山田まりやがグラビアアイドルだと思っている人はほとんどいないため、確実に当てられるのは本人だけ)。

ラニーノーズ。四人組のバンド、ラニーノイズメンバーのうち、二人だけがラーニーノーズ名義で音楽とお笑い兼任という珍しい形のお笑い芸人である。バンドをやっているというだけあって二人とも男前である。
今日も音楽ネタ、と思っていたら違った。二人は楽器を手にしていないし、ステージ上のどこにも楽器は置かれていない。普通のコントもやるようだ。

二人は学生服(夏服)を着ていて高校生という設定であることがわかる。二人でこっくりさんをやることになる。「たった10円」で出来ると安いことを主張する。須崎貴郁(すざき・たかふみ)。山田健人と共にこっくりさんを始め、こっくりさんが降りてきたという状態(トランス状態である)で、まず二人の名前を50音順の表の上で10円玉を走らせる。
須崎は「これからの政治を良くしていくにはどうしたらいいですが?」と聞くと、10円玉は「か→く→め→い」と走って、山田は「おい、随分過激やな!」と突っ込む。
その後、色々あるのだが、山田の好きな人を聞いたときに「ど→い→あ→き→こ」と走って正解で、今度は須崎が好きな人を聞いたときに、「や→ま→だ」と来たため、山田健人は「……ああ、隣のクラスの山田リノな。可愛いもんな」と言うが、その後、「け→ん→と」と来たため気まずい雰囲気になるというところで突然灯りが消え、再点灯すると、須崎が山田にキスしようと迫っており、客席から若い女性の悲鳴が上がる(「噂の男」という舞台で、堺雅人がダンディだが実はゲイという設定の役を演じた時も、堺雅人が相手の男の下へと走り寄って唇を奪おうとする場面で女性の悲鳴が上がっていた。そういうものらしい)何とか須崎を落ち着かせた山田。須崎は気絶し、山田はこっくりさんに終了を告げる。目覚めた須崎はまだ山田が好きだが、須崎を殴って気絶させ、もう一度起こすと須崎は、「ああ、何も覚えてない。『かくめい』の後から全然覚えていない」と言って、山田に「大分前から覚えてないやん!」と突っ込まれる。

てんしとあくま。新しいiPhoneの発売日にiPhoneを手に入れるために、二人のどちらかが並ぶことに決め、ジャンケンで負けた方が並ぶということにするのだが、グーで相子が続いた後で、今度はパーで相子になる。回数を二人ともカウントしていたか、どちらかが客に気付かれないように合図を出していたはずだが、「100%決める」には結構長く稽古する必要があると思う。途中にインターバルがあり、そこでキューの切り替えか、カウントを仕切り直したと思われるのだが、余り深く詮索しない方が良いだろう。その方が楽しめる。

女と男。和田ちゃんが、「たまにイケメンとブサイクな女のカップルがいるけど、あれなんなん?」と市川くんに聞く。この漫才では基本的に市川くんが唐突にすべり芸を行い、和田ちゃんがそれを無視して喋り続けるというスタイルである。何度も繰り返される。和田ちゃんは、市川くんを平手打ちしたり、グーで頭を殴ったりする。市川くんは「頭はあかん。頭、グーで叩いたら脳細胞50万個ぐらい死ぬ」と言う。
こんな長い文章を読んでいるという方の中にお子さんはいらっしゃらないと思いますが、頭は本当に危険なのでやめましょうね。
その後も漫才は続くが、和田ちゃんが市川くんに、「あんた作ったとこ、一個も受けてないやん」と言う。すべり芸以外にも本当に決めきた話があったらしいのだが、どこかわからなかった。

シャンプーハット。てつじが、「自分がいかに男らしいか」自慢する。「俺はコーヒーはブラックで飲みます」と男らしさを誇るてつじ。こいではそれに対抗して、「僕はカルピスをホワイトで飲みます」と言って、てつじに「それ普通やん」と言われるも「原液で」と続ける。予想通り。まあ、これは前振りなので当たって当たり前ではある。
「俺は、今日、家のドアの鍵をかけずにここに来てます」とてつじがワイルドさ(でいいのかな?)を主張すると、こいでは「うちの家、ドアがありません。屋根もありません。でもSECOMしています」と言って、てつじに、「無茶苦茶やん! 何の意味?(でSECOMに入ってるの?)」と突っ込まれる。

シャンプーハットは有名な漫才師なので芸をご存知の方も多いと思われるが、ここから先は初めて観る人と観たことがない人とでは受ける印象が異なるはずなので書かないでおく。

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2015年10月15日 (木)

大植英次指揮RAI国立交響楽団 ラフマニノフ 交響曲第2番ほか

大植英次がイタリアのトリノを本拠地とするRAI国立交響楽団に客演した際の映像。大植英次後援会の推薦映像です。
ブラームスの悲劇的序曲、バルトークのピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:ベアトリス・ラナ)、ラフマニノフの交響曲第2番が演奏されています。

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2015年10月14日 (水)

経験しか語れぬ人々よりも

経験しか語れぬ人々よりも先人の言葉を信じよう。歳月という試練を潜り抜けた至言を。生きている人は嘘を付くが、亡き人が残した言葉が揺らぐことはない。

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2015年10月12日 (月)

コンサートの記(208) パーヴォ・ヤルヴィ指揮NHK交響楽団第1817回定期演奏会~パーヴォ・ヤルヴィ首席指揮者就任記念~

2015年10月3日 東京・渋谷のNHKホールにて

午後6時から、東京・渋谷区神南のNHKホールで、NHK交響楽団の第1817回定期演奏会を聴く。この9月からN響首席指揮者に就任したパーヴォ・ヤルヴィの事実上の就任披露コンサートである。今日はN響の10月定期Aプログラムの初日。N響は月3回、同一演目2回の定期演奏会を行っており、定期演奏会の数も日本では断トツである。

曲目はマーラーの交響曲第2番「復活」。セレモニカルな場面で取り上げられることの増えている曲で、今日がまさにパーヴォ・ヤルヴィとNHK交響楽団のコンビの船出となる。

現在のNHKホールは1973年竣工。それ以前は愛宕山にNHKホールがあったのだが、手狭であるため閉館。NHKの本庁舎の横に今のNHKホールが建てられている。

基本的に放送収録用のホールであるため、残響はほぼ0。収容人数は約4000人で、日本で定期的にクラシックの演奏会が行われているホールの中では最もキャパが大きい。そのため音の悪さでも有名である。NHKホールの中でも3階席左右の前の方と、2階席前方は比較的音が良いのであるが、今日の私の席は2階席中央の後ろの方。上には3階席の屋根があり、良い音は望めない。残念だが仕方がない。NHKホールは私がまだ二十代で、NHK交響楽団の定期会員だった時に毎月訪れていたホールである。内装は少し変わり、特にトイレは綺麗になった。

地下のクロークでリュックを預け、身軽になる。

NHK交響楽団の月刊誌(兼プログラム)「Philharmony」は一時、有料での提供となったが(その代わり無料の簡易プログラムを配布)、今は来客者には無料で提供、ホールに来られなかった方には300円で販売という制度に戻ったようである。

合唱は東京音楽大学、アルト独唱はリリ・パーシキヴィ、ソプラノ独唱はエリン・ウォール。今日のコンサートマスターは「マロ」こと篠崎史紀。

ヴァイオリン両翼による古典配置での演奏である。私が知っているN響の楽団員は、フルートの神田寛明、第2ヴァイオリンの大林修子、今日はイングリッシュホルンを吹く池田昭子ぐらいであろうか。

まず東京音楽大学の合唱団が上手から登場し、その後、N響のメンバーが出てくる。チューニングを終えてしばらくしてから、パーヴォが下手袖から出てきて指揮台に上がり、拍手を受ける、今日は譜面台と総譜を置いての演奏である。

先に書いた通り、私の座席はすぐ上に3階席が天井のようになっている場所にあり、天井から音が降り注ぐということはない。そのため、音が小さく聞こえるという欠点があるが、それでも音の密度の濃さは伝わってくる。N響の低弦部の力強さは流石であり、これだけでも日本ナンバーワンオーケストラの名に恥じない。

パーヴォの弦楽と管楽の音をブレンドさせる力は天才的であるが、今日もNHKホールでの演奏というハンデがあるにも関わらず、楽器の音の溶け合った美しい演奏が展開される。場面によっては「夢のように」とか「天国的に」という言葉を添えたくなるほどだ。パーヴォの指揮姿も無駄がなく、実に美しい。

第1楽章終了後は、普通に間を取ったパーヴォだが(マーラー自身は、「5分以上休憩を取るように」と指示していたがそれは守ることはなかった)、第2楽章と第3楽章の間はほぼアタッカで入る。第2楽章終了後に咳をするお客さんが多かったのだが、それには構わずティンパニを鳴らして第3楽章に突入した。第2楽章と第3楽章で1つの楽章という解釈なのだと思われる。

ヴァイオリン両翼配置であるためわかったが、マーラーの曲は第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの役割を完全に分けて書いてある部分が多い。普通は第2ヴァイオリンは第1ヴァイオリンの補助的役割をすることが多く、「影の主役」「名脇役」などと形容されることも多いのだが、マーラーの「復活」では第2ヴァイオリンも表の主役扱いである。

第4楽章のリリ・パーシキヴィのアルトソロも美しく、パーヴォ指揮のN響も立体的な伴奏を奏でる。この立体感は生で聴かないと絶対に味わえない種類のものである。

第5楽章では、冒頭と、更にもう一度ある一斉合奏のパワーが凄まじく、また3階席に陣取っていたと思われるバンダとのやり取りも絶妙である(バンダ達は、全曲が終わる直前にステージに戻った)。パーヴォのリズム感も抜群だ。
視覚的な演出があり、ソプラノ独唱のエリン・ウォールはまず椅子に座ったまま歌い始める。東京音楽大学の合唱団の一員のように聞こえる。そして聴かせ所で立ち上がり、その後に再び座って、アルトのリリ・パーシキヴィの歌が入るところで、二人同時に起立する。ラストではパイプオルガンも加わり、威力満点である。

東京音楽大学の合唱団も良くトレーニングされており、ハレの日を飾るのにふさわしい演奏会となった。

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2015年10月10日 (土)

コンサートの記(207) ミヒャエル・ザンデルリンク指揮ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団来日演奏会大阪2015

2015年7月4日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールでドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団の来日演奏会を聴く。指揮はドレスデン・フィル首席指揮者のミヒャエル・ザンデルリンク。

オール・ベートーヴェン・プログラムで、歌劇「フィデリオ」序曲、交響曲第5番、交響曲第7番が演奏される。

ドレスデンというと、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団(ドレスデン国立管弦楽団、ザクセン州立ドレスデン歌劇場管弦楽団、シュターツカペレ・ドレスデンなど日本語名は複数ある)が有名で世界的なオーケストラであるが、ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団はドイツでも日本でも一流とは見なされていない楽団である。

ドレスデン・フィルが日本で有名になったのは、ピストル自殺という異常な最期を遂げたヘルベルト・ケーゲルが同フィルを振って残した録音によってである。シャープで正統派の「ベートーヴェン交響曲全集」も安値で再発されて好評だったが、異様とも思える演奏を録音しており、ケーゲルは没後に狂気の天才指揮者としてブレイクする。生前は評価が高くなかったのに死後に大評判になる人というのは何人かいるが、ケーゲルはその一人であった。
ケーゲルは生前は表現者というよりも自他共に認める「優秀なオーケストラトレーナー」であった。ただ徹底してオーケストラを鍛え上げたため、他の演奏では聴かれないような音が生まれており、それが再評価に繋がった。

ドレスデン・フィルはドイツのオーケストラでありながら、フランスの名匠であるミシェル・プラッソンを首席指揮者に招いたことでも話題になったが、もう前世紀の話のことなので、今回のドレスデン・フィルの日本ツアー有料パンフレットにはケーゲルの名もプラッソンという文字も印刷されていない(ということで有料パンフレットは500円と安かったが買わなかった)。

1967年生まれのミヒャエル・ザンデルリンクはファミリーネームからもわかる通り、東独出身の名指揮者であった故クルト・ザンデルリンクの息子である。異母兄のトーマスと同母兄のシュテファンも指揮者であり、音楽一家に生を受けた。
トーマス・ザンデルリンクは1992年から2000年まで大阪シンフォニカー(現・大阪交響楽団)の音楽監督・常任指揮者を務めたことがあり、シュテファン・ザンデルリンクも大阪シンフォニカー交響楽団時代の大阪交響楽団に客演してベートーヴェンの交響曲第7番などを指揮している(そのコンサートを私はザ・シンフォニーホールで聴いている)。

ミヒャエル・ザンデルリンクは始めから指揮者志望だった兄達とは違い、最初はチェリストとしてキャリアをスタートさせた。ベルリン・ハンス・アイスラー音楽学校でチェロを学び、1987年にバルセロナで行われたマリア・カナルス国際コンクール・チェロ部門で優勝。その後、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団やベルリン放送交響楽団の首席チェロ奏者として活躍。指揮者としてデビューしたのは今世紀に入ってからで、指揮法を誰に学んだのかは明確ではない。ドイツ国内の室内オーケストラの首席指揮者をいくつか務めた後、2011年にドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任している。
チェリストとしても活動中であり、フランクフルト高等音楽学校のチェロ科教授も務めている。

ドレスデン・フィルと指揮者歴の浅いミヒャエル・ザンデルリンクによる公演ということで、席が埋まるのか心配されたが半分以上は入っており、両者の知名度を考えるとまずまずである。今日は安い席、3階上手のステージ横、パイプオルガンに近い方、ミヒャエルの指揮を正面斜め上から見る席で聴く。正規の席の裏に設けられた補助席であり、ミヒャエルの指揮姿はよく見えるが、ステージの上手半分は死角となっている。ザ・シンフォニーホールなので、こういう席であっても音は良い。

ミヒャエルとドレスデン・フィルは、かなり積極的なピリオド・アプローチを行う。古典配置、弦楽は完全ノンビブラート、歌劇「フィデリオ」序曲ではナチュラル・トランペットが採用された(交響曲では普通のモダン・トランペットを使用)。

ミヒャエルは黒一色の衣装で登場。指揮はしっかりと拍を取るタイプで、管楽器への指示は指揮棒を持たない左手で行うことが多い。端正な指揮だが、時折どういう意図でなされたのかわからない腕の振り方をする(リハーサルを重ねているのでドレスデン・フィルのメンバーには何の問題もないと思うが)。

歌劇「フィデリオ」序曲。途中までは今一つ焦点の定まらない演奏であったが、ラストに向けては情熱の奔流のようなエネルギッシュな展開となり、帳尻合わせとなった。

交響曲第5番と第7番は、いずれも造形重視の演奏。

交響曲第5番。「運命動機」は特別視せずに軽く奏で、フェルマータも短めという最近流行りのスタイルを取り入れている。第1楽章は比較的客観的な演奏であったが、それだけに却ってベートーヴェンの苦悩が自然に伝わってくるような趣がある。なお、第1楽章を終えてからほとんど間を置かずに第2楽章に入り、二つの楽章で一つの音楽という解釈を行ったようである。
ドレスデン・フィルの完全ノンビブラートの弦は、鄙びたような味わいがあるが音自体は洗練された現代スタイルとはまた別の美しさがある。各奏者の技術も高い。

ピリオド・アプローチということで、ベーレンライター版の譜面を用いたと思うが、第4楽章でのピッコロの浮かび上がりは採用していなかった。

取り分けて凄いということはないが、何度聴いても飽きが来ないタイプの演奏だと思われる。

交響曲第7番。ミヒャエルの演出の巧さが光るディオニソス的な演奏となった。序奏から第1主題登場に至るまでの音楽設計が緻密であり、音の祝祭となってからの盛り上げ方も上手い。
やはり間を置かずに突入した第2楽章では、完全ノンビブラートの弦の音が曲調に合っている。第3楽章と第4楽章は共にダイナミックな演奏で、音も立体的であり、見通しも良い。第4楽章で長めのゲネラル・パウゼを置いたのが個性的であった。

ベートーヴェンの交響曲第7番は先に書いた通りミヒャエルの兄であるシュテファン・ザンデルリンクの指揮でも聴いたことがあるのだが、シュテファンの方が正統派、ミヒャエルの方が挑戦的という印象を受けた。ただ、ミヒャエルは結構徹底したピリオド・アプローチを行っていたので、挑戦的に聞こえるのは当たり前といえば当たり前である。

アンコールはロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲より“スイス軍の行進”。ミヒャエルがまだ指揮台に上がる前から合図を受けた金管が自主的にファンファーレをスタート。その後、ミヒャエルが指揮をする。ドイツの楽団だからだと思うが、重めのロッシーニである。音も渋く、イタリア音楽的ではない。ロッシーニはベートーヴェンの同時代人ということで、この曲でも弦はノンビブラートを貫いた。

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2015年10月 6日 (火)

東京ヤクルトスワローズ 2015 セントラル・リーグ優勝 2015/10/2 ハイライト

私も当日、神宮球場の内野一塁側席にいました。延長11回裏、雄平が打ったサヨナラの打球が一塁線を破るのを目の前で目撃しています。

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イチロー MLB&プロ公式戦初登板全投球

イチロー念願のプロ公式戦初登板(NPBではオールスター戦で余興で投げたのみ)全球の映像です。イチローも今年で42歳。高めのストレートには伸びがありますが、低めのストレートは残念ながら死んでおり、打たれています。
変化球も交えてのピッチングで稀代のエンターテイナーでもあるイチローの真骨頂が発揮されています。

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2015年10月 5日 (月)

ライオネル・ブランギエ指揮hr交響楽団(フランクフルト放送交響楽団) デュカス 交響詩「魔法使いの弟子」

チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団の首席指揮者就任が決まっているライオネル・ブランギエの指揮です。

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2015年10月 4日 (日)

観劇感想精選(164) 「伝統芸能の今 2015」

2015年9月1日 京都芸術劇場春秋座にて観劇

午後5時から、京都芸術劇場春秋座で「伝統芸能の今 2015」を観る。春秋座の芸術監督である市川猿之助主催の公演。ゴールドリボン+世界の子どもにワクチンをチャリティー企画であり、チケット料は出演者の懐には入らず、全て小児癌のワクチンを発展途上国に送る活動をしている団体に寄付される。また開演前に出演者がホワイエに出て、募金を呼びかけたりしている。

出演は、市川猿之助(歌舞伎、舞踊)、藤原道山(尺八)、上妻宏光(三味線)、亀井忠広(能楽師太鼓方)、田中傳次郎(歌舞伎囃子方)、村治佳織(特別出演。クラシックギター)。

村治佳織は病気のために休養していたが、今回の公演が本格的な舞台復帰となる。ギターを弾けない期間は辛かったと思うが、結婚をするというお目出度い出来事もあった。以前、バラエティー番組で結婚しない理由について、「ギターと男性とをどうしても比べてしまう。ギターと男性どちらを取るかとなるといつもギターになってしまって、ギターを超える男性と出会えていない」という趣旨のことを語っていたが、一時的にギターと離れたことで男性とじっくり向かい合うことが出来るようになったのかも知れない。
昨年の今頃はまだ静養中で時間に余裕があったので、祇園を散歩していたところ、「伝統芸能の今 2014」のポスターを見て、「へえ、こんなのあるんだ」と思ったそうだが、翌年に出演することになるとは思ってもいなかったという。

まず出演者全員が揃ってのトークの時間が設けられており、小児癌ワクチンの話がある。一番男前だからか、最初の説明係は藤原道山に振られる。藤原道山は田中傳次郎から「藤原さんは、美しすぎる尺八奏者といわれているそうですが」と言われた時に「イヤイヤ」と手を横に振ってその話題には乗らない。そもそも「美しすぎる」という形容がなされるのは女性限定だし、藤原本人も尺八ではなく容姿のことを言われるのは好まないのだと思われる。

ちなみに2年前には片岡愛之助が猿之助と共演したが、「(愛之助は)現在、プライベートが忙しいため今回は出演出来ませんでした」と説明される(これは嘘で、愛之助は現在、他の舞台に出演中である)。

その後、楽器奏者による「組曲百花」という演目が行われる。それぞれの楽器を使い(太鼓方と囃子方は謡も行う)、華麗な演奏が披露される。尺八の藤原道山は歌も伸びやかだが、弱音が繊細で美しい。これほど美しい弱音を生み出すことの出来る邦楽奏者は稀であろう。

唯一、ゲストとして伝統芸能以外からの参加となった村治佳織は、坂本龍一の「戦場のメリークリスマス」のギター編曲版を弾き、共演した藤原道山も合いの手の旋律を奏でたり、主旋律の一部を吹いたりする。「戦場のメリークリスマス」は、そう激しく弾く必要はなく、藤原道山のサポートもあって美しい仕上がりになっていた。ただ、まだ本調子ではないようだ。

2曲目は、映画「ふしぎな岬の物語」の音楽。安川午郞が作曲した楽曲全般を村治が演奏しているが、その中から「望郷~ふしぎな岬の物語」を演奏する。愛らしい旋律に寄り添うような演奏であった。

上妻宏光が演奏するのは「津軽じょんがら節」。エッジのキリリと立った津軽三味線である。その後、上妻と藤原、亀井らによるセッションがあったが、尺八の音は他の楽器に比べると小さいので、クライマックスでは、藤原の尺八が他の楽器により埋もれてしまっていた。

市川猿之助による舞踊「葵上」。箏曲の伴奏と謡による舞である。箏を演奏する二人はいずれも女性である。

「葵上」というタイトルであるが、主人公は「生き霊」の代名詞的存在である六条御息所。「うらめし、うらめし」という謡が印象的である。猿之助の舞は静かな動きによるものであるが実に優雅。ちょっとした動きに品がある。どうしてあそこまで雅やかに舞えるのだろうと不思議に思うが、やはり「子供の時分からやっているから」としか思えない。

休憩時間には、出演者総出で募金を呼びかけ、長蛇の列が出来る。クラシックギターを弾くとなると「着物で」というわけにはいかないので、前半は白の上着と赤のロングスカートで出演した村治佳織であるが、休憩時間だけは着物姿で登場した。

ラストの演目、出演者勢揃いによる朗読「鉄輪(かなわ)」。貴船(きぶね)にある貴船神社(きふねじんじゃ。地名と社名が一致しないのは京都ではよくあることである)に七日に渡って丑の刻参りを行い、元夫と、夫を奪って後妻となった女に復讐を誓う若い女性の物語である。鉄輪を逆さに被り、鬼の形相となった女性が男を殺そうとし、それを安倍晴明が助けるという話で、能、謡曲など日本の伝統芸能の多くで取り上げられている話である。また、安倍晴明を主人公にした夢枕獏の小説『陰陽師』にも「鉄輪」の話は採用されており、野村萬斎主演で映画化された「陰陽師」では、夏川結衣が鉄輪の狂女を演じている。なので、自然と夏川結衣に似た女性の顔が頭に浮かんでしまった。

市川猿之助が朗読を行い、他の演奏家が入れ替わり立ち替わり演奏する。合奏する場面は少ないが、鼓を二人で打つときは邦楽のマナーとして絶対に相手と同時に音を出さない。阿吽の呼吸でずらすのである。

市川猿之助の朗読であるが実に上手い。声音の使い分け、心理描写などいうことなしである。大河ドラマ「風林火山」の頃はまだ下手だったが、今や押しも押されもせぬ名優へと成長した。

ラストは鬼と化した狂女の舞。予想以上の迫力は残念ながらなかったが、それでも納得のいく出来ではある。激しい場面でも動きは高雅さを失わない。若手歌舞伎俳優の中で、実力では猿之助がトップかも知れない。

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2015年10月 1日 (木)

観劇感想精選(163) 加藤健一事務所「滝沢家の内乱」

2015年8月22日 京都府立府民ホールALTIにて観劇

午後3時から、京都府立府民ホールALTIで、加藤健一事務所の第94回公演「滝沢家の内乱」を観る。優れた海外演劇の翻訳劇公演を行っている加藤健一事務所であるが、今回は和物。主人公は滝沢(曲亭)馬琴である。作:吉永仁郎(よしなが・じろう)、演出:髙瀬久男(逝去により加藤健一が演出代行)。

加藤健一と加藤忍(同姓であるが血縁関係はない)による二人芝居であるが、声のみの出演として風間杜夫(友情出演)と高畑淳子(友情出演)が参加する。もう一人、子供の声担当として五味川友樹の名がクレジットされている。

曲亭馬琴こと滝沢解(たきざわ・とく。加藤健一)と、馬琴の息子である宗伯(風間杜夫)の妻となったお路(加藤忍)の二人が主人公。話の流れから考えると主役は馬琴ではなくお路であるとも考えられる。

「南総里見八犬伝」がヒット中の馬琴であるが、武家に戻るための御家人株を買おうと画策しており(滝沢家は馬琴の父までは武士であったが、馬琴の兄が貧窮のため家督を馬琴に譲るも馬琴も放蕩者であったため家は傾き、今は町人同然であった)、そのためには戯作の収入では足りないようで、庭に植えた梅や薬草、薬などを売って生活の足しにしている。そして若い頃とは異なり、質素倹約を旨としている。なお、戯作者同士は仲が悪いようで、馬琴は為永春水や柳亭種彦を見下した発言をする。味方であるはずの版元も誤字だらけの本を刷って「南総里見八犬伝」の評判を落としており、馬琴は「孤立無援」と感じているようである。

馬琴の息子の宗伯は生来の病弱。そのため馬琴は宗伯を子供の頃から外に出さずに育てたのだが、宗伯はそのために人嫌いになってしまう。馬琴は「育て方を誤った」と後悔している。何とか医師にはなれた宗伯であるが、自分の病気も治せない医師とあっては信用を得ることは出来ない。特に胃腸が悪く、しょっちゅう厠に駆け込んでいる。ちなみに宗伯は田原藩家老・渡辺崋山と交遊しているのだが、それが後に問題になりそうになる。馬琴の妻であるお百(高畑淳子)も癇性で病弱であり、しょっちゅう怒鳴っている。病弱のため二人とも奥に引きこもっており、声のみの出演となっている。
滝沢家には何人か女中がいるが、使いに出たまま逐電するなど、余り頼りにはならない。馬琴は「この世の中ろくでなしばかり。それでも世界が回っているのはまともな人間が後始末をしているからだ」と言い、お路を「まとも」と見なして味方に引き入れようとする。

滝沢家に嫁いだばかりのお路はおつむが足りない感じだが、徐々に凛とした知的な女性へと成長し、馬琴の右腕となっていく。

馬琴は自宅の屋根に上ってものお思いにふけるのが趣味であるが、一度、屋根の上で寝ぼけてお路に誘惑される夢を見てしまい、馬琴は日記に「悪夢だ」と記す。ちなみに夢の中でお路に引退後の趣味について聞かれる場面もあったのだが、お路に「芝居は?」と聞かれた馬琴は「馬鹿馬鹿しい」と答えている。

冒頭での加藤忍の演技は、江戸時代の女性にしては表情が豊かすぎるような気がして少し気になったが、後半のお路(馬琴から「琴童(きんどう)」という雅号を送られる)と対比させるための手法とみるなら悪くない。「滝沢家の内乱」はお路の成長を描く芝居のようなところがあるが、演技の引き出しから次々と最適な声音や表情、仕草などを繰り出す加藤忍はやはり良い女優である。

加藤健一演じる老馬琴であるが、予想以上ということはなかったが、安定した演技で楽しませてくれた。馬琴はまず右目が悪くなり、その後に両目とも失明するのだが、「見えているけど見えてない」演技の上手さは流石である。

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