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2015年11月の14件の記事

2015年11月30日 (月)

忌野清志郎&仲井戸チャボ麗市 「宝くじは買わない」

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2015年11月24日 (火)

大貫妙子 「彼と彼女のソネット」

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2015年11月23日 (月)

「自由の刑」

日本における自由の刑は、サルトルが語った「自由の刑」とは全く別の種類のものであるように思える。
そもそも日本にサルトルが発見したような「自由の刑」はあるのだろうか。

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2015年11月18日 (水)

ニコニコ生放送 「新生紀ドラゴゲリオンZ」WebCM

ニコニコ生放送で行われている「新生紀ドラゴゲリオンZ」のYouTube用CM。これを見て来場者が増えるとは思えないのですが、一応、載せておきます。

チャンネルURL:http://ch.nicovideo.jp/dragogelion

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2015年11月17日 (火)

楽興の時(6) 「琵琶の音楽鑑賞会~肥後座頭琵琶~」

2014年8月22日 京都市山科区の音楽サロンYOSHIKAWAにて

山科にある音楽サロンYOSHIKAWAで、「琵琶の音楽鑑賞会~肥後座頭琵琶~」を聴く。京都橘大学文化政策・現代ビジネス学部学会と弦楽ふるさとの会の主催である。演奏会のアンケートは京都橘大学大学院生の修士論文の資料としても用いられるそうだ。もう大分以前になるが、まだ関東にいた頃に渋谷のオーチャードホールで、文教大学の学生の卒業論文のためのアンケートに答えたことはあるが、学生の論文のためのアンケートに答えるのはそれ以来である。

音楽サロンYOSHIKAWAは、隠れ家的なスポットなのか、サイトを設けておらず、訪問した人が書いたブログの情報から、京都市営地下鉄東西線椥辻(なぎつじ)駅から北へ徒歩3分のところにある町屋を改造した音楽サロンということしかわからない。大通りは現在ではビルが建ち並んでいるため、「少し北上して脇道に入って少し行ったところかな?」と思い、適当に曲がったところ、町屋風の建物が見え、果たしてそこが音楽サロンYOSHIKAWAであった。

琵琶の音楽鑑賞会は、座敷を使って行われる。本当に座敷のまんまの座敷である。

肥後座頭琵琶であるが、本物の座頭による琵琶の伝統は絶えており、今日演奏する玉川教海は健常者である。師である山鹿良之が肥後座頭琵琶最後の琵琶法師だそうだ。

玉川教海は、筑前琵琶も弾き、筑前琵琶を弾くときは片山旭星を名乗り、本名はまた別にあるそうで、玉川曰く「ややこしい」そうである。

 

筑前琵琶は、明治に入ってから完成した比較的歴史の浅い琵琶である。

琵琶は雅楽の楽器として日本に入り、その後、「平家物語」など語り物の伴奏楽器として人気になるが、江戸時代になるとその座を三味線に譲り渡し、日陰の楽器的扱いになってしまう。

薩摩では健常者である武士が琵琶を趣味で奏でることが流行し、維新後に新政府の代表的立場となった鹿児島藩で流行っていた薩摩琵琶が東京でも流行し、薩摩琵琶による琵琶の再興がなされる。それを聴いた博多の商人達が始めたのが筑前琵琶なのだという。

一方、肥後では熊本城主の細川氏が、京都との縁の深い家であったため、京都から座頭琵琶法師(「盲僧」と読んだそうだ)を招いて演奏させ、それが継承されたため、琵琶法師による演奏の歴史は薩摩琵琶や筑前琵琶よりもずっと長い。

楽器も筑前琵琶は新しく(月章が二つ刻まれている)、肥後座頭琵琶は古びている(日章と月章の飾りがある)。筑前琵琶の弦は5本であるが、肥後座頭琵琶の弦は4本である。

まず、筑前琵琶による『平家物語』の冒頭、「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理を表す 奢れる者も久しからず ただ春の夜の夢の如し 猛き者もつひには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ」と、『源氏物語い』「葵上」より、六条御息所の嘆きが演奏される。

その後、肥後座頭琵琶による、「道成寺」、「四季」、「餅酒合戦」が演奏されたが、肥後座頭琵琶の音色は筑前琵琶に比べると硬質で、音がダイレクトに飛んでくる。筑前琵琶の音はもっと横に拡がる感じである。琵琶を打楽器に例えることがいいことなのかどうかはわからないが、筑前琵琶を普通のティンパニとすると、肥後座頭琵琶は最近流行のピリオド・アプローチで用いられるバロックティンパニに当たる。歴史的にも筑前琵琶の方が新しく、楽器も大きめなので、これもティンパニと共通しており、小型できつめに張ったものからは硬めの音が出るようだ。これはどちらが良くてどちらが悪いということではなく、楽器そのものが持つ性質である。どちらの音色が好みかは人それぞれだ。

「道成寺」は、様々なパターンがあるが、今回上演されるのは、道成寺に伝わる絵巻物をそのまま語りにしたものである。安珍に「道成寺に参拝したら戻るから」と言われた清姫であるが、待てど暮らせど戻って来ない。安珍に騙されたと悟った清姫は道成寺へと向かう。日高川を渡ろうとした清姫であるが、渡し守に断られる。僧侶から「十五六の娘がやって来たら絶対に渡してはいけない」と言われたことを渡し守は告げる。その僧侶が安珍だと気付いた清姫は怒りの余り「ならば泳いで渡ろう」と日高川に飛び込むが、情念の余りの強さに、額からは角が生え、体は蛇という化け物になる。道成寺の門は閉ざされていたが、清姫は松の蔦を登って侵入。僧侶達は安珍を鐘の下に隠すが、清姫の化け物は鐘の下に安珍がいることを瞬時に見抜き、鐘に七重八重に巻き付く。安珍は鐘もろとも溶けて跡形も無くなってしまうのだった。

先に上演された筑前琵琶の「葵上」同様、女の怨念を描いた作品であった。

「四季」は、竜田川の紅葉、北野天満宮の梅、吉野の桜など、四季の名所が語られた後で、いずれもすぐに散ってしまうと無常が告げられる。その後、四季折々の楽しみが語られた後で、「明日こそ知れぬ身なれども、今日の楽しさ目出たけれ」で終わる。

「餅酒合戦」は、酒が餅を哀れな存在であるとなじり、それに反発した餅は種類の多さで、酒は名所の数で合戦をするというコメディである。結局は、尾張国の大根の登場によって、餅も酒も退却を余儀なくされる。
「道成寺」などは、師匠は喜んで教えてくれたが、「餅酒合戦」などはなかなか教えてくれなかったという。理由は「やってもお金にならないから」だそうだ。ちなみに一番受けるのは、仏の種類を上げていった後に般若心経を唱えて終わるという演目だそうである。

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2015年11月15日 (日)

フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」

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2015年11月14日 (土)

観劇感想精選(169) 「喜劇 有頂天旅館」

2015年7月12日 京都四條南座にて観劇

午後3時30分から、京都四条南座で、「喜劇 有頂天旅館」を観る。北條秀司の「比叡颪し」を“現代の戯作者”といわれる齋藤雅文が演出。劇中に出てくる方言は北條が指定したものとは違い、出演者の出身地のものであり、そのため設定もわずかに違う。出演:渡辺えり、村田雄浩、徳井優、曽我廼家文童(そがのや・ぶんどう)、綾田俊樹、森本健介(京言葉方言指導兼任)、二反田真澄、椿真由美、水月舞、新納慎也(にいろ・しんや)、キムラ緑子ほか。

滋賀県大津市の琵琶湖沿いにある老舗料理旅館、魚吉楼(うおよしろう)が舞台である。巡査・溝呂木を演じる徳井優が口上役と狂言回しを務める。溝呂木は魚吉楼で事件が起こり、その容疑者を紹介するという形で主要キャストが花道から出てきて横一列に並び、自己紹介をして劇は始まる。

魚吉楼の主である直三郎(村田雄浩)は、東京の大学を出て実家の魚吉楼を継いだが、自らが「髪結いの亭主」と名乗るとおり、旅館の運営は妻で女将のおかつ(渡辺えり)に任せっきりであり、女遊びに現を抜かしていた。おかつは山形の芸者だったが(渡辺えりが山形県出身なので設定を変えてある)、山形に出張に来た直三郎に見初められ、恋仲となる。直三郎には妻がいたが、病気で入院しており、余命幾ばくもないということで、直三郎が妻と籍を抜く前におかつは直三郎と一緒になってしまい、大津に出てきて魚吉楼を任されたのだ。

おかつは遣り手の女将であるが、欠点は新宗教に溺れていること。いかがわしい宗教の教祖を盲信しており、何をするにも教祖が決めた暦通りにしたり、教祖・光尊(椿真由美)の神託を真に受けたりしている。

魚吉楼はおかつと、女中頭の信代(キムラ緑子)が両輪となって動いている。信代は「~だす」という独特の語尾表現をするが、これはキムラ緑子の出身地である淡路島の方言であるようだ。

実は女好きの直三郎は信代とも男と女の仲である。

魚吉楼の板前が、三井寺の階段から転げ落ちて足を痛め、魚吉楼に通えなくなってしまう。そこで新たな板前、島吉(新納慎也)が呼ばれる。島吉は女形のような身なりと言葉遣い、というのは見せかけで、事件を起こして追われている犯罪者だった。そして島吉の女房が他ならぬ信代であった。信代は魚吉楼の乗っ取りを企んでいたのである。時あたかも東京オリンピック前夜、名神高速道が魚吉楼の敷地内を通る計画があり、信代は高額が予想される立ち退き料をもせしめる魂胆であった。

魚吉楼の従業員であるが、ギャンブル狂いの男衆・国松(綾田俊樹)、好色な番頭・善助(曽我廼家文福)、手癖の悪い飯炊き・おたき(森本健介)、不器用な下女の千代(水月舞)など、頼りない面々が並んでいる。千代は直三郎から特別に小遣いを貰うなど可愛がられており、信代は直三郎と千代の関係を疑うが、直三郎は千代は実は自分の実の娘と打ち明ける。

教祖・光尊がおかつにお告げを下す。「そちはこの家に縁薄き女」といわれたおかつは、直三郎が気に入りそうな下女を全員追い出し、芸者も入れないことに決める。だが実は光尊と信代はグルであり、逆に信代がおかつを追い出しやすくするよう仕向けていたのだった。信代は千代と直三郎の間が怪しいとして千代も追い出すことに成功。

だが、隣の家に空き巣が忍び込み、魚吉楼の人間全員に疑いが掛かる。隣家で事件があった日は、おかつが「日が悪い」として全員に魚吉楼から出ないように命じ、自分は逢坂山の光尊の家で託宣を授かり、その後、京都の円山公園にある連れ込み旅館で千代が働いているという情報を受け、千代の身を引き受けに出向いていた。

魚吉楼から出てはいけないはずであったが、直三郎は「山科に行く」と言って出ていき、島吉は「石山にいる親戚の容態が急変」と嘘を付いて魚吉楼を出る。信代もまた出掛け、男衆の国松は集金のために店まで出向く。直三郎や信代から口止め料を貰った番頭の善助も出掛けてしまう。つまり、アリバイがない人が大勢いたのだ。アリバイを洗っていくうちに事実が明らかになる……

誰が観ても分かりやすいように、少し開かれた形の上演となっている。登場人物の性格も表と裏の二つだけであり、重層的に入り組んでいるわけではない。ただ、そのままでも十分に分かりやすい戯曲であるため、音楽や照明が説明的に過ぎるのはやはり気になった。

日本を代表する舞台女優である渡辺えりとキムラ緑子であるが、意外にも二人とも南座の舞台を踏むのは初めてだという。キムラ緑子は同志社女子大学出身で、京都で活動を始めた劇団M.O.P.の看板女優であっただけに余計に意外という印象を受ける。ちなみにキムラは渡辺が主宰していた劇団3○○(さんじゅうまる)の大ファンだったそうである。

渡辺えりは自身の持ち味を前面に押し出した演技。対するキムラ緑子は二つ(数え方によっては三つ)の顔を持つため、硬軟自在の演技を披露する。村田雄浩は時折かなり面白い演技をする俳優であるが、今日は正攻法であった。

主要キャストはそれほど多くないが、幾つもの役を掛け持つ端役は新劇の台本の常として大勢いる。名前を挙げた人を除いて全17名の大所帯である。多い人は一人で六役を演じ分ける。

ラストが浪花節なのが好悪を分かちそうだが、謎解きも含めた楽しさに関しては万全の仕上がりである。

なお、大津が舞台ということで、南座の1階売店横には近江牛や近江米を始めとする滋賀県の名産品発売ブースが設けられていた。

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2015年11月11日 (水)

楽興の時(5) テルミンレクチャーコンサート「音楽と革命」

2015年11月6日 京都市左京区の恵文社一乗寺店にて

恵文社一乗寺店で、テルミンレクチャーコンサート「音楽と革命」という催しがあると、Facebook上でお知らせが来たため、出掛けてみる。テルミンという楽器には興味があり、映像などを通しては音色なども知っていたのだが、本格的なテルミンを生で聴いた経験は……と思い返すと実はないことに気付く。雑誌の付録に付いているテルミンminiなら生で聴いたことはあるのだが。

20世紀に入ってから開発された楽器としては比較的ポピュラーな存在であるテルミン。楽器名は開発者であるレフ・テルミン博士の名前にちなむ。テルミン博士は1896年生まれ。長寿であり、1993年に他界しているが、97歳と、ロシア人男性の平均寿命を30年近く上回っている。

レフ・テルミンは、日本テレビ系列の番組「知ってるつもり」で紹介されたほか、彼の生涯を描いた「テルミン」という映画もよく知られている。

テルミンレクチャーコンサート「音楽と革命」は、日本のテルミン演奏の第一人者である竹内正実が主催するイベントであり、テルミンの実演と、パソコンを使って映像を投影したレクチャーからなる。演奏は竹内正実のソロと、彼と彼の関西における弟子(全員女性で年齢にも幅がある。左利きの人もいた)による合奏が主となる。ちなみに弟子の人達が持っているマトリョーシカ型のテルミンはマトリョミンと呼ばれるもので竹内が開発した小型テルミンのようだ。

ますは竹内が、いわゆる「テルミン」と聞いて思い浮かべるようなテルミンを用いて、「モスクワ郊外の夕べ」を演奏する。テルミンの音色は想像通りではあったが、思ったよりも細かな表情付けが可能なようである。

その後、パソコンで壁面に投影した映像を用いてレフ・テルミンの生涯が紹介される。ペトログラード大学(現:サンクト・ペテルブルク大学)で物理学と天文学を専攻したテルミンであるが、それ以前からペトログラード音楽院でチェロを学んでいたそうで、そうした音楽的背景がテルミンという楽器を生み出すのに大きな役割を果たしたと竹内正実は語る。

1920年にテルミンを開発。1922年にはレーニンの前で御前演奏も行っている。1930年代には渡米し、ニューヨークを拠点に研究と演奏を行っており、この頃には世界的な著名人とも交流していて、チャーリー・チャップリンがテルミンを購入したり(ただし、チャップリンがテルミンを演奏出来るようになったのかどうかは不明)、アルバート・アインシュタインの弾くヴァイオリンとテルミン博士がデュオをしたということもあるという。

1938年に失踪。ソ連に帰国したことはわかっているのだが、経緯は不明である。テルミン博士自身は「拉致された」とも語っているそうだが、根拠はないそうで、「覚悟の帰国だったのではないか」と竹内正実は推理している。当時、アメリカにいたロシア人でスパイ活動をしていない人はいなかったそうで、テルミン博士もアメリカの工学の技術を盗んだりしていたそうである。
帰国後、8年のシベリアでの強制労働に従事させられることが決まるのだが、テルミン博士は理化学の知識を買われて、肉体労働は数ヶ月で終わり、強制的な科学研究に途中で切り替わったそうである。ソ連のために研究を強いられた時期には、画期的な盗聴器を発明したりしている。なんでも、会話によって起こる振動を捉えるものだそうで、会話よって発生する窓の微細な揺れをマイクロ波で拾うものだそうである。
刑期終了後に子孫を残すために結婚をしたいという意思を示し、許されるが、「KGB関係の女性から妻を選ぶこと」という条件が出て、つまり妻が監視係となる。その後、モスクワ音楽院に音楽音響研究所というものを設けて貰い、そこで研究に従事する。

スターリン政権下で帰国命令を受けた人物はことごとく殺害されていたため、西側では「テルミン博士はすでに他界した」と思われていたのだが、テルミン博士が帰国した時期は、スターリンによる大量殺戮(約2000万人が殺害されたという。実際はその倍と推測する研究者もいる。ちなみにヒトラーによる虐殺の犠牲者は900万人から1100万にといわれており、スターリンの方が残酷である)が行きすぎて十分な人員を確保出来ないということで、殺害の嵐は峠を越しており、テルミン博士は何とか生き延びることが出来た。1967年、テルミン博士の無事が西側にスクープされ、テルミン博士はモスクワ音楽院での仕事を失うが、今度は秘密裏にモスクワ大学で音楽研究と楽器開発の仕事を得て、この時期に後進のテルミン演奏家も育てている。

1989年のペレストロイカにより、テルミン博士は西側でも評価されるようになり、米スタンフォード大学では講演や演奏なども行っている。1993年に他界。ちなみに晩年は不老のための研究も行っていたそうで、老化を早める仕組みの仮説を立てたりもしているという。長生き出来たことと研究の成果との因果関係はわからないそうだが。

2曲目はグリンカの「ひばり」を竹内と竹内の弟子全員で演奏する。3曲目は、竹内と年長の女性奏者とのデュオでカッチーニの「アヴェ・マリア」の演奏。ちなみに、年長の女性奏者の使っている、一見すると医療機器のようなテルミンも竹内が開発したもののようである。

レクチャーの時間が長くなったため、演奏の時間は短くなったが、竹内のテルミンと弟子達のマトリョミンでロシア民謡「黒い瞳」の後で、最後は、竹内と竹内の弟子全員がマトリョミンを手にしてロシア民謡3曲を演奏する。3曲目が「カチューシャ」であることはわかったのだが、1曲目と2曲目は耳にしたことのない曲であった。

ちなみに、映画に出てくるテルミンの音も紹介されており、ヒッチコック映画の「白い恐怖」、ハリウッド史上最低とされる映画監督を描いた「エド・ウッド」、そして邦画「のだめカンタービレ」(原作マンガにも映画にもパリ国立音楽院に籍を置く引きこもりの天才作曲家が登場し、主にテルミンを弾いているのである)のテルミンの部分が流れる。ちなみに「のだめカンタービレ」でテルミンの吹き替えを行っているのは竹内正実だそうで、「ブログには書かないで欲しい」ということも話される。その部分は私も書かないが、パブリックイメージとは異なり、「上野樹里さんはとっても良い人」だったそうである。確かに上野樹里は「性格に問題がある」というよりも「ちょっとずれてる」という書き方をされることの方が多いが。

本格的なテルミンの音を生で聴けて満足である。電子楽器であるが、思っていたよりも音色は温かであった。

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2015年11月10日 (火)

ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン) パガニーニ 「24のカプリース」より第24番(ロベルト・シューマン編曲のピアノ伴奏付き版)

ラフマニノフを始めとする多くの作曲家がメロディーを引用したことで知られるパガニーニの「24のカプリース」より第24番。元々は無伴奏ヴァイオリンのための曲ですが、ここではロベルト・シューマンの編曲によるピアノ伴奏付きバージョンで演奏されています(ピアノ:エマニュエル・ベイ)。

ヴァイオリンを奏でるのは「20世紀最高の技巧派ヴァイオリニスト」と評価されているヤッシャ・ハイフェッツです。

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2015年11月 7日 (土)

観劇感想精選(168) 「GS近松商店」

2015年10月7日 大阪・上本町の新歌舞伎座にて観劇

午後6時30分から、大阪・上本町(うえほんまち)の大阪新歌舞伎座で、新歌舞伎座新開場五周年記念「GS近松商店」を観る。大阪の新歌舞伎座というと、なんば駅前にある純和風の荘厳な外観のものが有名であったが、老朽化のために、現在は上本町に移っている。外観も普通のビルである。洗練されたともいえるが、和の趣は後退した。ちなみになんばにあった新歌舞伎座は外観は今も残っている。

仲間由紀恵主演の「琉球ロマネスク テンペスト」を観て以来となる大阪新歌舞伎座。今回の「GS近松商店」はタイトルからも分かるように近松門左衛門が書いた文楽床本『女殺油地獄』と『曽根崎心中』を基に、舞台を現代に置き換えた悲恋劇として鄭義信(チョン・ウィシン)が練り上げたものである。近松の作品はそのほとんどが大坂を舞台に描かれており、近松関連の作品を観るにはやはり浪花が一番であろう。というわけで、この芝居でもセリフは関西弁が用いられている(方言指導:一木美貴子)。

作・演出:鄭義信。出演:観月ありさ、渡部豪太、小島聖、姜暢雄(きょう・のぶお)、朴璐美(ぱく・ろみ)、みのすけ、星田英利(ほっしゃん。)、山崎銀之丞、今井咲貴(いまい・さき)、平田敦子、チョウヨンホ、荒谷清水(あらたに・きよみ)、山村涼子、升毅、石田えり他。

途中休憩時間20分を含めて上演時間約3時間25分の大作であり、そのため開演時間が早めに設定されている。

GS近松商店は「ガソリンスタンド近松商店」の略であり、大阪に近い片田舎にあるガソリンスタンドと、同じ街にある寂れた劇場「寿楽座」の二箇所が主舞台となる。

新歌舞伎座ということで、開演前には定式幕が降りている。まず口上役(舞台上では旅回りの役者一座の座長)である山崎銀之丞が前口上を述べる。ちなみに、1階席の前から2列目までに座った人には、事前にビニールシートが席に置かれているが、山崎は「舞台上からあるものが飛んで来ます」と予告する。そのためビニールシートを使ってよける練習というものを行う。

幕が開く。GS近松商店。近松家の長男である幸一(升毅)は、今は酒屋である中村家の養子となり、中村酒店の主となっている。その幸一がトラックを運転してGS近松商店の前に乗り付ける(本物の自動車を運転している。この舞台では他にオートバイも実物を運転するなど外連が多い)。幸一は継母である美也子(石田えり)と不仲になり、近松家を飛び出して中村家の養子に入ったのだった。GS近松商店ももう過去の遺物。客が訪れる方が珍しいという有り様で、幸一の妹の近松百合子(小島聖)と菊子(観月ありさ)の二人が経営を行っているが、赤字が解消される見込みはない。菊子の夫である太一(姜暢雄)は店を売った後の算段しか考えていない。ちなみに菊子と太一の夫婦関係は冷え切っており、夫婦としての営みは三年に渡って行われていない。更に太一は浮気をしている。
菊子は右足が悪く、いつも足を引きずっている(「びっこ」という放送禁止用語も舞台なので使われる)。

菊子の姉である百合子が、GS近松商店に歩いて帰ってくる。百合子は元カレである写真館経営の奥寺(みのすけ)の結婚式に出席するために出掛けたのだが、途中で参列するのが馬鹿馬鹿しくなってしまい、パチンコに行って帰ってきたのだという。百合子と奥寺は深い仲になったのだが、結局、奥村は陽子(平田敦子)という太った女を結婚相手に選んだ。しかし、これが後に失敗であったことがわかり、奥村は百合子に復縁を求めるようになる。百合子は奥村の申し出を頑なに拒否し続けている。

新歌舞伎座の花道を使って、賑やかな一団がやってくる。男達は野球のユニフォームを着ており、女達はチアリーダーの格好をしている。この村の青年団達だ(全員、大阪の地名を苗字としている)。リーダーは天王寺(星田英利)。そこへ、金属バットを持った男が殴り込んでくる。寿楽座の跡取りである片岡光(渡部豪太)である。光は酷い吃音の持ち主(「どもり」という放送禁止用語も舞台なので普通に用いられる)。チアリーダーの一人である愛美(山村涼子)にフラれたため、復讐しに来たのだった。返り討ちに遭う光だったが、菊子の仲裁で何とかことは収まる(ここで観月ありさが放水シャワーで水を撒き、客席まで水が飛んでいく)。光は菊子の姿に惹かれる。その後、毎日のようにGS近松商店にやってくるようになる光。

一方、寿楽座では、夏祭りのための「仮名手本忠臣蔵」の稽古が行われていた。旅回りの役者・沢村雪之丞(山崎銀之丞)が、演出を行うのだが、演じるのが演技はど素人の村の青年団ということもあり、上手くいかない。寿楽座の主は片岡善三(荒谷清水)であるが、善三は先代の主の妻であった米子(石田えり。二役)と再婚したのであり、光と妹の千夏(今井咲貴)にとっては義父となる。米子は、「GS近松商店の美也子さんにそっくり」と言われるが、「私の方が美人」と言い張る。だが、そんな米子も光が吃音になったのは、善三と再婚してからであり、自身の再婚が息子に悪い影響を与えてしまったのではないかと気に病んでいた。

中村酒店の主となった幸一も問題を抱えていた。叔父の進(チョウヨンホ)が借金まみれであり、それを解決するために幸一の縁談を勝手に進めてしまっていたのだ。相手は大手旅館・満月屋の令嬢。これで金銭面は解決するのだが、幸一には愛する人がいた。中国人パブ「シルクロード」で働く玲玉(リン・イー。朴璐美)である。二人は結婚を誓い合っていたが、玲玉は日本への渡航費などで「シルクロード」に借金がある。このままでは金銭面で行き詰まることは目に見えている幸一であるが、人の良さから天王寺に金を貸してしまい、その天王寺の店が不渡りを出し、自責の念から天王寺は自殺してしまい、借金は更に膨らんでしまうのだった。

身体や精神に障害を抱えていたり、マイノリティーに含まれる人物が登場したりするが、鄭義信の彼らに対する眼差しは温かいものの、結果に関してはシリアスな姿勢を貫き通す。ノーマライゼーションが完遂されない限り、彼らの存在は憐憫の情で見られ、それは取りも直さず見下されているということに他ならず、人間として好ましいものではないと知っているからだろう。

「女殺油地獄」と「曽根崎心中」がベースになっているが、一人の人物に二つの物語を背負わすのは流石に酷であり、菊子と光が「女殺油地獄」を(ガソリンスタンドが舞台なのはそのためである)、幸一と玲玉のカップルが「曽根崎心中」の部分を受け持ち、二組の男女の悲劇が同日に行われる。もし、片方の悲劇が起こらなかったら、もう片方は起こらなかったはずだが、たまたま日が悪く、田舎特有の地元意識や自身が持つ障害、将来への不安などが重なった悲劇は起こる。

祭り囃子が鳴り響き、「仮名手本忠臣蔵」が下手ながらも演じられ、花火の音が聞こえるなど、ハレの気配満載であり、笑いの場も多く盛り込まれているのだが(一人二役を演じている石田えりの早替えの場が何度もある)、強く感じるのは人生というものの不安定感である。我々はかくも不安定な世界に何とかしがみついて生きている。二組の死はこの世界で毎日繰り返されている「死」の1ケースに過ぎない。それほどまでに世界というのは残酷なものであり、人間はただでさえ厳しい世界というものを自らの意思により一層峻険なものに変えてしまう愚かな生き物なのである。

近松の時代も今も、男と女、そして人間と人間社会の本質は変わっていないのだろう。

出演者達は、二度カーテンコールに応え、最後は座長の観月ありさが、「本日はお越し下さりまして、まことにありがとうございました」と挨拶して幕となった。

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2015年11月 6日 (金)

コンサートの記(213) シベリウス生誕150年 藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団第269回定期演奏会

2015年10月30日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、関西フィルハーモニー管弦楽団の第269回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は関西フィル首席指揮者の藤岡幸夫。

曲目は、シベリウスの交響曲第6番(シベリウス生誕150年記念)、吉松隆の「ドーリアン」(関西初演)とサイバーバード協奏曲(サクソフォン独奏:須川展也、ピアノ独奏:小柳美奈子、パーカッション独奏:山口多嘉子)

藤岡幸夫と関西フィルハーモニー管弦楽団は、1年1曲のペースでシベリウス交響曲全曲演奏を進めており、今回が4年目。交響曲第7番、交響曲第3番、交響曲第4番に次いで、今年は交響曲第6番を取り上げる。なお、来年は交響曲第2番を演奏することがすでに決まっている。

2015年7月14日付けで、打楽器奏者の細江真弓が入団。吉松の曲では打楽器が効果的に用いられているため、早速の大活躍となった。「ドーリアン」では小太鼓で熱演。「サイバーバード」ではシンバルやタンバリンで活躍した。

午後6時40分頃から、指揮者の藤岡幸夫によるプレトークがある。慶應義塾高校と慶應義塾大学の先輩である吉松隆の才能に藤岡は惚れ込んでおり(吉松隆は厳密にいうと慶應義塾大学中退である)、シベリウスの交響曲第6番は、高校1年生だった吉松が初めてLPで聴いて涙を流すほど感動した曲で、この曲を聴いて吉松は作曲家になることを志したということから、藤岡はシベリウスの交響曲第6番を演奏する時には、吉松の作品を一緒に演奏しようと決めていたという。

その後、吉松隆がステージ上に呼ばれ、シベリウスの交響曲第6番は吉松の大好きな宮澤賢治の作品に相通じるものを感じたと語る。ミステリアスで純度の高いところは両者の作品に共通している。「ドーリアン」は、シベリウスを聴いて作曲家になろうと志した人が書いたとは思えないほど賑やかな曲だが、吉松としては現代音楽の殻を破りたいと思って作曲したとのこと。シベリウスの交響曲第6番は「ドーリア旋法」を用いて書かれているのだが、吉松の「ドーリアン」もタイトルからわかる通り、ドーリア旋法が用いられている。

吉松は小綺麗な演奏が嫌いだそうで、藤岡が吉松作品のレコーディングを終えて、袖に戻ってくると、「演奏が整い過ぎている。お前、ちょっと行ってぶっ壊してこい」と言ったり、今回のリハーサルでもサキソフォンの須川展也に、「音が綺麗すぎる。もうちょっと汚い音を出せないのか」と注文を付けていたそうである。

今日のコンサートマスターは岩谷祐之。アメリカ式の現代配置による演奏である。なお、NHK-FMによるライブ録音が行われ、後日放送されるとのこと。

シベリウスの交響曲第6番。冒頭、第2ヴァイオリンが澄んだ美しい響きを奏で、ヴィオラが加わって立体的になり、更に第1ヴァイオリンが繊細この上ない旋律を奏でる。この曲は元々ヴァイオリン協奏曲として書かれたということもあり、チェロやコントラバスよりも明らかに第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラの3パートを重視して書かれている。

関西フィルはあっさりとした音色を持つオーケストラだが、そのことが透明感のあるシベリウスの交響曲第6番にはプラスに作用している。

藤岡は今日は全曲譜面台の上に総譜を置き、めくりながら指揮。指揮姿は端正で、大きな音が欲しい楽器の方を向いてその通りの音を弾き出すなど、オーソドックスなものである。

全4楽章を通して繊細且つ優美、聴いていて耳が洗われるような清澄な音楽を藤岡と関西フィルは生み出していた。

吉松隆の「ドーリアン」。大編成の打楽器が特徴である。シベリウスというよりもストラヴィンスキーの作品のようなリズム重視の曲。この曲は吉松が27歳の時に初演されているが、同時期に初演され、吉松のデビュー曲として認知されている「朱鷺に捧げる哀歌」の方がずっと有名である。

新しい作品を生んでやろうという意欲に満ちた曲であり、変拍子など現代音楽的な要素もあるが、響き自体は美しく、特に弦楽は漆のような独特の光沢の音色を奏でる。吉松は無調音楽には反対であり、無調音楽のアンチテーゼとしてこの曲を生んだそうだ。難解な部分もあるが全体を通してみるとなかなか楽しい音楽である。

吉松隆のサイバーバード協奏曲。一応、サキソフォン協奏曲となっているが、ピアノやパーカッションのソリストも大活躍する。

日本人クラシックサキソフォンの第一人者である須川展也(すがわ・のぶや)は光沢のある美しい音色を奏でる。ピアノの小柳美奈子とパーカッションの山口多嘉子は共にソリストとしてよりもアンサンブルの奏者として活躍している人だが、それだけに須川とのやり取りは万全である。パーカッションの山口はドラムセットの他に、小さめの銅鑼2つ、更には様々な鈴を奏でる。

藤岡指揮の関西フィルも堂々たる演奏。第1楽章「彩の鳥」はジャズの影響の強い曲だが、終盤に弦楽とピアノがシベリウスの交響曲第4番の冒頭を意図的に真似る箇所がある。須川は普通のサキソフォン曲では使わないような高い音も出す。

第2楽章「悲の鳥」はエレジー。この曲を作曲している時に、吉松は実妹の晴子を亡くしており、悲しみの気持ちをこの楽章に込めた。ピアノとサックスがノスタルジアにも似た懐かしい響きを奏でる。

最終楽章「風の鳥」では、再びジャジーな要素が戻ってくるが、今度は洗練された現代のジャズである。第1楽章がジョン・コルトレーンだとすると、最終楽章は楽器こそ違えどウイントン・マルサリスだ。

須川展也、小柳美奈子、山口多嘉子の3人はアンコール演奏を行う。吉松隆の「融けてゆく夢」。ピアノが雪の上を歩くかのように、左手、右手が交互に冷たい音色の和音を奏で、サキソフォンが煌びやかだが、哀感に満ちた旋律を歌う。パーカッションの山口は後半になると風鈴で合いの手を入れる。サキソフォンの音が上昇すると、突然、断ち切られるようにして音楽は終わる。夢を題材にした楽曲としては効果的なラストだったように思う。

今日は指揮者、オーケストラ、ソリストのいずれもが充実した、満点に近い演奏会であった。

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2015年11月 4日 (水)

観劇感想精選(167) 新作歌舞伎「あらしのよるに」

2015年9月24日 京都四條南座にて観劇

午後4時から、京都四条南座で、新作歌舞伎「あらしのよるに」を観る。実は観る予定のなかった劇なのであるが、真宗大谷派東本願寺(真宗本廟)に礼拝に行った時、ブックストアで戸次公正の『親鸞の詩(うた)が聞こえる エッセンス・正信解』(東本願寺出版部)という本を買い、その本の最初の章に絵本『あらしのよるに』の話が出ているのだ。「『あらしのよるに』は、今、南座でやってるじゃないか!」ということで、チケットを取って観に行くことに決めたのである。偶然なのか回向なのか。それはおくとして、「あらしのよるに」は、歌舞伎としても現代劇としても面白い出来であった。

原作:きむらゆういち、脚本:今井豊茂、演出・振付:藤間勘十郎。出演:中村獅童、尾上松也、中村梅枝、中村萬太郎、市川橘太郎、市川竹松、市川月乃助、尾上徳松、片岡千壽、河原崎権十郎、市川萬次郎ほか。

狼たちと山羊たちの世界の話である。

まず狼たちの兄貴分である“ぎろ”(市川月乃助)らが山羊の群れを襲う計画を立てている。狼“ばりい”を演じる片岡千壽は何故かセリフが関西弁である。
狼たちの踊りは荒々しい荒事で、益荒男ぶりを見せつける。

今度は山羊たちの群れ。“おじじ”(市川橘太郎)、みい姫(市川梅枝)、“たぷ”(市川萬太郎)、“はく”(市川竹松)らが群れに加わり、舞が始まる。こちらは和事で、手弱女ぶりを発揮、と書きたいところなのだが、後ろの方の人達は明らかに稽古不足で、踊りがバラバラであり、優雅さが出ていない。セリフのほとんどないアンサンブルキャストが多いということもあるのだろうが、まがりなりにも歌舞伎俳優を名乗っているのだから舞はせめて見せられるものにして貰わないと。

山羊たちの群れを狼たちが襲う。逃げ遅れた雌山羊の“まつ”(尾上徳松)は、ぎろと一騎打ち。当然、敵うはずはないが、まつは不意を突いてぎろ右耳を食いちぎり、一矢報いて倒れる。右耳を失ったぎろは怒り心頭に発するが、そこの狼たちの長(おさ。お頭とも呼ばれる。澤村大蔵)が戦況を見舞いに来る。長と二人きりになったぎろは千載一遇のチャンスと思いつき、長を槍で突いて殺し、駆けつけた狼たちには、「長は山羊に殺された」と嘘を付く。そして、自身失われた右耳を山羊に襲われた証拠としてしまうのである。しかし、長の遺体のそばに落ちていた槍の穂先がぎろのものであることに気付いた“がい”(河原崎権十郎)は、ぎろに疑いの目を向け……。ここまでが「発端」とされる部分である。

主役である狼の“がぶ”(中村獅童)が登場するのは「発端」から長い月日が経ってからのことである。がぶはぎりに殺された狼の長の息子なのだが、出来が悪く、狼のみんなから馬鹿にされていた。父親は、がぶに「己を信じ、自分らしく生きていれば、必ず自分を信じて認めてくれる友達が出来る」と言い聞かせてきた。だが、今もがぶははぐれ狼である。

山羊の“めい”(尾上松也)が、嵐の夜に、風雨と雷を避け、粗末な小屋に閉じこもっている。めいは山羊たちが襲われる悪夢を見て、バッと跳ね起きる。夢だと気付いて一息ついたところで、やはり嵐を避けて小屋に飛び込んできた者がいる。狼のがぶなのであるが、小屋の中は真っ暗闇、がぶもめいも風邪を引いていて嗅覚ゼロ、ということでめいは相手が同じ山羊だと思っているし、がぶも先客は狼だと思い込んでいる。めいが「さわさわ山に住んでいる」と言うと、がぶは「あそこは良い食べ物が一杯あるでやんす」(語尾を「~でやんす」とするのが、がぶの口調の特徴である)と答える。めいは食べ物が「草」だと思っており、がぶは「山羊」のつもりで言ったのであるが、相手の正体がわからないため、誤解を誤解と気づけないまま話は進む。そして共に「風の歌」という歌が好きだということがわかり、意気投合。明日また会おうということになる。この小屋の前で、合言葉は「あらしのよるに」

暗闇の中で物事が進行する様子を見て、私は夏樹静子の傑作ミステリー小説『第三の女』を連想した。

翌日、小屋の前へとやって来ためい。台風一過で青空が広がっている。めいは相手へのプレゼントにするための四つ葉の幸福草(クローバー)を探しに行く。その直後にがぶが小屋の前にやって来る。相手への贈り物としてやはり四つ葉の幸福草を手にしている。しかし、「あらしのよるに」の合言葉で顔を合わせた二人は吃驚仰天。まさか相手が敵であるとは思いもしていなかったのだ。

がぶは山羊を食べるのが大好きなのであるが、めいとの昨日のやり取りを思い出し、「山羊は食べたことがない」と嘘を付いて、言葉を交わす。ちなみにめいはがぶの手土産である四つ葉の幸福草を食べてしまう(草食であるため)。その後、豊かな草場へとめいを案内したがぶは、めいを食べたいという気持ちを持ちつつもそれを抑えて、友達と接する。

なお、がぶの内面の声は謡(浄瑠璃:竹本蔵太夫、竹本司太夫)が担当するのだが、謡が「食べたい、食べたい」と繰り返すところで、獅童が「うるせーよ! いい加減にしろ!」と毒づき、謡は謡で獅童をおちょくるというシーンがある(今日は簾はなく、相手の姿がはっきりと見えるようになっている。ここは役者の入り口としても使われる)。歌舞伎というものを相対化してみせる面白いやり方である。

「発端」でも、狼や山羊が一階の客席通路が使って舞台に上がったが、がぶの中村獅童とめいの尾上松也も1階客席に降り、通路を使い、その後、おそらく通路ではなく客席と客席の間(南座は古い劇場なのでかなり狭い)を通って花道に戻る。私は今日も三階席に座っていたので、一階で何が起こっていたのかは正確にはわからないのだが、尾上松也が中村獅童に「迷惑なんじゃないですか」と言っていたため、客席と客席の間を通り抜けたと予想される。

ちなみに、中村獅童はたまにであるが、感情を切り替える場面などで、野田秀樹のような喋り方をする。おそらく意図的に野田の演技スタイルを参考にしているのだと思われる。

その後、話は暴君となった狼の新首領ぎろと、羊たちとの戦いへと発展していく。舞台奥の幕は細長い幕を縦に吊したものだが、これが狼たちが奥へと退場する時にくるりと回り、戸板返しの代わりになっている。その他にも、囃子方が上手と下手に分かれ、下手からは邦楽器だけではなく、シンバルなども盛大に鳴らされている。

山羊たちの集会の場面では散開の場面で、囃子方が「メリーさんの羊」を演奏し、「僕ら羊じゃなくて山羊なんですけど」と博学の山羊であるはくに突っ込まれる。

立場が違い、生まれ落ちた時点で天敵という「宿命」をどう乗り越えていくかという「人間」の物語でもある。中村獅童がバリバリにアドリブを入れるなど、コメディー的な要素が満載であり、重くなりすぎないよう、最後までファルスの精神は貫かれているが、テーマ自体は重いものである。

個々のあり方から国家間のスケールまで、我々は「わかり合えない」という業をほとんど生まれながらにして背負っている。もし異質でわかり合えないはずのもの同士が手に手を取って笑顔になれる日が来るとするのなら、そのために最も必要なのは……、存在というものを認めて一対一で対応していくしかないのかも知れない。一対組織、個対集団になってしまった場合、我々は永遠の誤解を繰り返すことになるであろうから。

演出としては、吹雪や雪崩に巨大な白幕を何枚も使うなど、迫力を出す事に成功していた。また役者がポールを伝って降りてくるという場面があり、古典歌舞伎にはまずないことなので、視覚的に面白かった。外連も多いが、歌舞伎とはそもそも外連を競うものであり、そこにはリアリズムを超えた「確固たるもの」が存在していた。

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2015年11月 3日 (火)

コンサートの記(212) シベリウス生誕150年 小林研一郎指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第492回定期演奏会 シベリウス 交響曲第2番ほか

2015年10月14日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第492回定期演奏会を聴く。今日の指揮は「炎のコバケン」こと小林研一郎。熱烈なファンと強烈なアンチを持つという一人AKBのような指揮者である。ヘルベルト・フォン・カラヤンもファンとアンチに二分されるタイプだが、カラヤンの場合は耽美的な傾向と「傲岸」といわれた性格が災いしていたのに対し、コバケンさんの場合は性格的には腰の低い人で、濃厚な演奏スタイルが好悪を分かつようである。

曲目は、小林研一郎の「四季への憧憬(パッカサリアより)の自作自演、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」(ヴァイオリン独奏:南紫音)、シベリウスの交響曲第2番(作曲者生誕150年記念)。

今日のコンサートマスターは田野倉雅秋。なお、10月1日付けで、井野邉大輔がヴィオラ・トップ奏者に就任、同じく久貝ひかりがヴァイオリン奏者として入団している(久貝は第2ヴァイオリン奏者としてスタート。「ヴァイオリン奏者として入団」としか書かれていないため、このまま第2で行くのか第1に回るのかは不明だと思われる)。

大阪フィルでは毎年夏の「三大交響曲」演奏会のタクトを1991年から任されている小林研一郎だが、大フィルの定期演奏会に登場するのは久しぶりとなる。

早足で登場した小林は、指揮台に上がる前に、「皆様、今晩はようこそお越し下さいました」と挨拶。だが、私も含めて聴衆は「え? どういうこと?」と戸惑い、無反応だったため、「何とか反応を下さい(ママ)」と続けて聴衆が拍手を送った。

小林は1曲目に自作を指揮するので、曲目の説明をするためにトークを入れたのだった。「指揮者が演奏の前に語るというのは不遜な気がします」と言った後で、「自分の作品を1曲目として、しかもモーツァルトやシベリウスという大作曲家の前に演奏するなど、言語道断、という気がします。不遜とも思いますが、大フィルの首席指揮者の井上道義さんがどうしてもやって欲しいというので、やることにしました」と語り、秋に始まって夏に終わる「四季への憧憬」で描かれているものを説明する。

小林研一郎は、東京芸術大学音楽学部を二度出ている。二度目の入学は3年時編入学ではなく、一から受験勉強しての再受験である。もっとも、学士入学が流行り出すのは1980年代以降であるため、小林の時代には3年時編入学というものがなかった可能性も高いのだが。最初は作曲科を卒業し、その後に指揮科に入学、卒業している。作曲科も指揮科も優秀な成績で卒業しているが、指揮者としての活動が活発化したため、作曲に割く時間がなかなか取れなかった。「パッカサリア」は、小林が2000年に作曲し、自身でも取り上げている唯一といってもいい作品。日本初演の評判は「時代遅れ、時代錯誤」と散々だったらしいが、何だかんだで知名度はある。ただ「パッカサリア」の演奏時間は約30分を要するため、今回の大フィル定期のために小林が全10部中4部を抜き出して編曲し、「四季への憧憬」として纏めものを演奏することになったという。

曲はフルートが奏でる寂しげな「秋」で始まる。フルート独奏、フルート合奏が主で、クラリネット、ピアノ、ハープが合いの手を入れる。小林はフルートの旋律を尺八の音を念頭に作曲したそうで、極めて日本的な作品である。「冬」はシベリウスの交響曲第4番の冒頭に少し似た入り方をする。弦楽が凍えた音を出すが中途半端な印象は否めない。「春」になると淡い彩りによる雅やかな音楽が始まるが、一部二部に分かれており、第二部に入ると「春」にしては賑やか過ぎるような気もする。「夏」は夏祭りの音楽で、賑やかであるが(打楽器は「インプロ(Improvisation。即興という意味)」という指示だそうだ)、小林の性格が真面目すぎるためか、今一つ弾けた感じがしない。もっと盛大にやってもいいと思われるのだが。

モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」。室内オーケストラ編成での伴奏。小林はノンタクトで指揮。指揮台の前に譜面台とその上に総譜が置かれたが、小林は結局、一度も総譜をめくるどころか触れることすらせず、暗譜による指揮であった。

ヴァイオリンの独奏の南紫音(みなみ・しおん)は、先日、ハノーファー国際ヴァイオリン・コンクールで第2位を獲得したばかり。コンクール終了後初の仕事が、この大フィル定期でのヴァイオリンソロだという。

関西でも聴く機会の多い南紫音。1989年、福岡県北九州市生まれのヴァイオリン奏者である。そのため、2005年には北九州市民文化奨励賞を、翌2006年には福岡県文化賞を受賞している。
2005年にロン=ティボー国際音楽コンクールで第2位に入り、注目を浴びる。その前年である2004年にはアルベルト・クルチ国際ヴァイオリンコンクールで優勝している。西南学院高等部を経て、桐朋学園大学を卒業。現在はドイツのハノーファー在住である。一般には知名度の低いハノーファーという街だが、ハノーファー国立音楽演劇大学出身の日本人演奏家が多く、また大植英次が同校の終身教授を務めているためクラシックファンにはよく知られている。プロフィールには、「現在、ハノーファーににてクシシトフ・ヴェグジンに師事」としか書かれていないが、南紫音もおそらくハノーファー国立音楽演劇大学で学んでいるのだと思われる。

自身の名前に掛けたのかどうかわからないが、紫のドレスで登場した南。磨き抜かれた美しい音を聴かせる。

南の実演にはこれまでも何度か接しており、「スケールが小さいな」という印象を抱いていた。ハノーファー国際ヴァイオリン・コンクールで2位になったことで変化することを期待していたが、そう簡単に成長するということはないようで、今日もやや一本調子気味。音色は美しいのだが曲調の描き分けが十分とはいえず、変化に乏しい。

小林指揮の大阪フィルは時にデモーニッシュな響きも奏でるのだが、南のヴァイオリンは陰影が十分とはいえないように思う。左手のメカニックは抜群なのだが、表現においては壁に当たっているような印象を受ける。ハノーファー国際ヴァイオリン・コンクールも南が「今回で最後」という思いで受けたコンクールで、2位という結果には納得したそうだが、優勝できなかったのは「技術に偏りがち」と取られた可能性を否めない。

シベリウスの交響曲第2番。

「炎のコバケン」の愛称通り、小林研一郎というと、熱い演奏を思い浮かべがちなのだが、実際の小林はかなり器用な指揮者であり、このシベリウスでも演奏にふさわしいヒンヤリとした響きを大阪フィルから引き出す。

比較的ゆっくりとしたテンポでスタート。各楽器をよく歌わせるが、歌い方が悪く書くと演歌調になりがちなのが小林のクラシック指揮者としての弱点である。小林研一郎は美空ひばりが大好きだそうで、結果として日本的な歌い方を採り、それが日本的に噛み砕かれたクラシックを好む人には指示され、ヨーロッパ至上主義の人からは「異端」と見なされるのかも知れない。

第4楽章の入りでテンポをグッと落とすところなどは実に日本的である。

シベリウスの交響曲第2番というと、金管の威力、特にホルンの腕が試されるのだが、今日の大フィルのホルン陣は好調。完璧とまではいかなかったが、先月の大植英次指揮のブラームスでの不調が嘘のように達者な演奏を披露する。金管の中でもむしろトランペットが能天気な軽い音を出しており、シベリウスには不似合いであった。無料パンフレットを執筆した片山杜秀が、最終楽章について、「ドイツ的高潮」「フィンランド的高潮」として、完全に凱歌という解釈をしており、小林もそうした解釈をしていることがわかる。間に挟まれた不穏な部分については片山は「準備運動のような経過」とのみ書いており、その暗さには触れていない。小林も暗さを強調することはなかった。

私自身が、「第4楽章は凱歌」という解釈には疑問を抱いている。そう考えるのは勿論私だけではないようで、例えば大植英次などは、暗い部分を強調して単純な凱歌としない解釈で聴かせている。

演奏終了後、小林は指揮棒を指揮台の上に置き、弦楽器奏者達と握手、第1ヴァイオリン奏者とは全員と握手する。いったん退場してから再登場した小林はホルン奏者達の下へと歩み寄り、台の上へと登って握手。その後、ティンパニ、オーボエと握手をして回り、フルート、クラリネットを立たせて拍手を送った。

再び指揮台のそばへと歩み寄った小林は、「実に雄渾な演奏だったと思います。皆様達と同じように私も大フィルのファンでございます。このような素晴らしい演奏を聴いた後ではもう何もお聴きにならない方が良いと思います」とユーモアを交えて語り、楽団員全員と共に二度頭を下げ、コンサートはお開きとなった。

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2015年11月 1日 (日)

観劇感想精選(166) 上賀茂神社奉納劇「降臨」

2015年10月24日 上賀茂神社特設野外ステージにて観劇

午後5時から、上賀茂神社(賀茂別雷神社)特設野外ステージで、奉納劇「降臨」を観る。作・演出:宮本亜門、脚本:齋藤雅文、音楽:福岡ユタカ、美術:松井るみ。

出演:小雪(語り部)、尾上紫(おのえ・ゆかり。玉依姫=玉依日賣)、藤間信乃輔(玉依日子)、団時朗(だん・じろう。賀茂建角身命)。竹笛・能管:澄川武史(すみがわ・たけし)、パーカッション:澤田聡(さわだ・さとる)

『山城国風土記』(一部を残してほぼ散逸)の、賀茂神社(上賀茂神社と下鴨神社)創建と至るまでの物語を、小雪の語りと、主要キャスト三名、その他にも多くの出演者を使って狭い場所にしては結構な人海戦術が採られている。

上演時間約50分の中編であるが、午後5時過ぎに、演出家である宮本亜門が登場し、次いで門川大作京都市長が呼ばれてプレトークがある。宮本亜門は、「神道ではご神体は像や鏡やお札やそういうものではないということで、どう表現するかに苦労した」という。また、『山城国風土記』で現存しているのは十数行だけであり、そこから話を膨らますのも簡単ではなかったそうである。
なお、来場者には賀茂神社の社紋である双葉葵が描かれた紙の額縁に特殊フィルムが挟まれたものが配られており、小雪が「皆様、双葉葵の額を御覧下さい」と言ったら、特殊フィルムを通して舞台を見ることになるのだという。

門川市長は、子供の頃から上賀茂神社には良く訪れており、小学生時代の写生会なども上賀茂神社で行われたという。今回、上賀茂神社の田中宮司に「あの頃と全然変わっていないですね」と言ったところ、宮司は「市長、ここは千年間全く変わっていないんですよ」と返されたという。
更に、賀茂川を越えて上賀茂神社に至る橋が老朽化した上に、幅が狭くて混雑するという苦情が来ているので、近く、幅が広くて趣のある外観の橋に架け替える計画があると述べる。

細殿、橋殿、土舎が主舞台となるほか、橋殿から続く花道が作られており、そこでも演技が行われる。

天気が悪いと趣は今一つとなってしまうのだが、今日は快晴。月も出て、良い雰囲気である。

上演に先立って、神主が、舞台と観客のお祓いを行う。

まず細殿から、語り部である小雪が登場。元々色気のある女優のイメージであるが、実際に生で見てみると、匂い立つような妖艶さを持っていることがわかる。

小雪は、賀茂建角身命(団時朗)が八咫烏となって、神武東征に貢献したこと、その後、山城国に赴き、葛野川(現在の高野川)と賀茂川の合うところ(現在の下鴨神社付近。賀茂神社の社紋の双葉葵は二つの川が相合うことが由来になったと思われる)に赴き、賀茂川を「石川の瀬見の小川」と名付け、その地より北上して北山に居を置いたという。賀茂建角身命は、丹波国の神伊可古夜日女(かむいかこやひめ。かぐや姫に似た名前だが偶然だろうか?)と契りを結び、玉依日子(藤間信乃輔)と玉依姫(尾上紫)を生んだことを語る。

その後、小雪の語りに合わせて、玉依姫が登場する。太古、神々は荒れていた、自分が一番強いということを示したいという、ただそれだけのために互いに諍い合っていたのだ。

賀茂建角身命は病身であり、玉依姫を守るのは兄の玉依日子しかいない。神々は大勢登場し、音楽に合わせて踊り、玉依姫に襲いかかる。玉依日子が何とか玉依姫と賀茂建角身命を逃す。

玉依姫は、神々が戦いに明け暮れる世を嘆き、石川の瀬見の小川(鴨川)で禊ぎを行う。すると、大きな丹塗りの矢が姿を現す(その直前に照明が明滅し、丹塗りの矢の登場を悟らせないよう工夫されている)。そして、「丹塗りに矢を枕元に立てて眠れ」と神のお告げがある。

その後、玉依姫は身籠もるが、父親が誰なのか自身にも分からない。玉依姫は、息子に父親の名前を聞くが、答えようとはしない。そもそも処女懐胎であるため答えられないのである。賀茂建角身命は八尋の家を作り(切り株の形をした楽器が賑やかなリズムを刻む。土舎が八尋の家に見立てられる)、神々を酒宴に招いて誰が玉依姫の父親なのか問いただすが、神々は皆が皆、「自分が玉依姫の子の父親である」と名乗って、玉依姫を自分のものにしようとする。逃げ惑う玉依姫。そして玉依姫の子供は、「我が父は天津神なり」と言い残して姿を消してしまう。この間は結構、アクロバティックな演技も用いられている。

数年が経ち、苦悩し続ける玉依姫であったが、その時、女神(小雪。この時は台本から離れてセリフを発する)が現れ、玉依姫に「石川の瀬見の小川で沐浴した時のことを思い出しなさい」と言い、共に舞う。尾上紫は苗字からも分かるとおり日本舞踊尾上流の血を引く舞の名手であるが、小雪の舞もなかなか堂に入ったものである。また、小雪には歌うイメージは全くないが、いざ歌わせると驚くほど上手い。余り好きなタイプの女優ではないのだが、やはり実力者なのだろう。

石川の瀬見の小川で、再び禊ぎをする玉依姫。すると、橋殿から布に覆われた神が姿を現す。ここで双葉葵の縁に入った特殊フィルムを通して幕陣の中を見ると、青い人影が動いているのが見える。ただ、特殊フィルムを外すと、陣幕の光しか見えない。こうすることで神格を保つという演出を行ったのである。なお、特殊フィルムは持ち帰っても意味がないので、帰る際に返却となる。

玉依姫の子供の正体は賀茂別雷神(雷をも引き裂く強力な神)。雷神の子供であった。賀茂別雷命は、「我を祀れば、国はとこしえに安寧となる」と告げる。かくして上賀茂神社(賀茂別雷神社)が建てられ、今に至るまで日本は続いているのである。

賀茂別雷神は上賀茂神社の祭神、賀茂建角身命と玉依姫は下鴨神社(賀茂御祖神社)の祭神である。

宮本亜門は、実際の馬(上賀茂神社は馬ゆかりの社であり、実際に白馬が飼われている)、矛に錦の直垂などを用いて、外連にも溢れた演出を行い、奉納劇ではるが、舞台上演の面白さを存分に楽しませてくれた。

小雪の安定した朗読、尾上紫の可憐な演技や舞(尾上紫は私と同い年なので、実は小雪よりも年上である)なども見所聴き所。総体的に男優陣は弱くなるが、そういう展開の劇なのでこれは仕方ないだろう。

今日は前から2列目、と思っていたら、1列目があるのは花道に近い位置だけで、実際は最前列であった。「こんな近くで良いのかな」とも思ったが、存分に楽しませ貰った。三柱の神に感謝したい。

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