« maricoband 「あなたの海になりたい」 | トップページ | コンサートの記(220) 三ツ橋敬子指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団 大フィル×ザ・シンフォニーホール「ソワレ・シンフォニー」vol.6 »

2015年12月30日 (水)

観劇感想精選(171) 仲間由紀恵主演 「放浪記」大阪公演2015

2015年12月2日 大阪・上本町の新歌舞伎座にて観劇

午後4時30分から、大阪・上本町(うえほんまち)の新歌舞伎座で、「放浪記」を観る。仲間由紀恵が森光子からバトンを受け継いだ舞台の上演。貧困から抜け出して人気作家となるも47歳で他界した林芙美子の生涯から4つの場面を抽出して描いた作品。作:菊田一夫、潤色:三木のり平、演出:北村文典。主演:仲間由紀恵。出演:若村麻由美、永井大、窪塚俊介、福田沙紀、立石涼子、原康義、田口守、佐野圭亮(さの・けいすけ)、若杉宏二、浅野雅博、梅原妙美(うめはら・たえみ)、羽場裕一、村田雄浩ほか。


故・森光子がライフワークとしていた「放浪記」。森光子本人もバトンを受け継げるものはいないと考えていたようだが、仲間由紀恵が後を継ぐ形となった。舞台「放浪記」では、主役の林芙美子が実物通り容姿にコンプレックスがあるという設定であるため、当初、仲間由紀恵が「『放浪記』をやりたい」という話をしていると耳にした関係者は美人キャラである日夏京子を演じたいのだろうと思っていたそうだが、実際に仲間が演じたかったのは主役の林芙美子であった。おそらくであるが、仲間由紀恵の「放浪記」も彼女のライフワークになっていくのだと思われる。


「放浪記」は5幕からなる商業演劇であり、上演時間は約30分の大休憩と、約10分の小休憩2度を含めて約3時間40分という長編である。マイクを使っての上演。

まずは、林芙美子が若い頃、まだ女給をしていた時代に住んでいた、東京・本郷の下宿、大和館の一室から始まる。林芙美子(仲間由紀恵)は、新劇の俳優である伊達春彦(浅野雅博)と同棲しているのだが、伊達は日夏京子(若村麻由美)という新劇仲間の女優と恋仲であり、芙美子が留守だと思って伊達が京子を部屋に誘い込み、男と女の会話をしているのを芙美子は押し入れの中に隠れて盗み聞きしてしまう。なんだかんだで芙美子は伊達に袖にされてしまい、伊達は京子と結婚することになる。同じ大和館の住人である安岡信雄(村田雄浩)は芙美子に惚れているのだが、芙美子は相手にしない。

場面は芙美子が女給として働いているカフェー・寿楽に移る。林芙美子が安木節で踊っているのだが、芙美子を演じる仲間由紀恵は琉球舞踊の名手で師範代レベルにあるため、こうした踊りはお手の物である。
寿楽には、後に芙美子と同棲することになる福地貢(窪塚俊介)、文学青年仲間の白坂五郎(羽場裕一)、同じく上野山光晴(若杉宏二)らが出入りしており、芙美子は福地に惹かれていくことになる。白坂五郎は芙美子と京子に二人で文学同人誌を興すことを勧める。また、寿楽の後輩である悠起(福田沙紀)は、誰よりも先に芙美子の文学的素質に惚れていた。

福地と一緒になった芙美子であるが、福地が浮気を重ねる上に肺結核で稼ぎもないということで、尾道の実家に一時帰る。初恋の相手である香取恭助(佐野圭亮)と再会する芙美子だったが、香取には妻子がおり、もうどうにもならない。


再び東京に戻った芙美子。白坂と白坂の妻になった京子の二人が福地と芙美子の家を訪ねてくる。家は留守。その間に、芙美子の隣人でかつては白坂の文学仲間であった村野やす子(梅原妙美)が、京子に小説を文芸誌「女性芸術」に送るよう告げる。芙美子の小説もしくは京子の小説のどちらかが「女性芸術」に掲載され、作家デビューが決まるという話で、やす子は芙美子にはもう話を伝えてあるという。      

芙美子が帰って来る。「浅草に化粧品を買いに行った」と言うのだが、それは嘘で「女性芸術」の編集部を訪ねていたのだった。続いて福地も帰ってくる。来客があると悟った福地はしばらく家の奥に潜んでおり、頃合いを見計らって出て行く。福地は芙美子の外出中に大手文学誌「改造」編集部から手紙が届いていたことを告げる。「改造」からの知らせは芙美子の小説が不採用となったというものだった。芙美子は「改造」や「新潮」といった大手文芸誌に投稿してはボツになるを繰り返していたのだ。

安岡がやってくる。芙美子が安岡に金銭的援助を頼んだためだ。安岡の面前で福地と口論になった芙美子は安岡について「この人なんて大嫌いよ。でも生きるためには」とはっきり言ってしまう。それでも安岡はめげることはない。それどころか、京子の原稿を編集部に渡さなければ芙美子の小説が確実に採用されると入れ知恵までする。

そうして、芙美子の小説『放浪記』は「女性芸術」に採用され、芙美子は見事デビューを果たすのだが……

芙美子の作家としての最盛期は描かれず、最後の場では、晩年の芙美子の疲れた様子が描かれる。東京・下落合の芙美子宅を訪れた京子は芙美子としばらく語った後で、机に突っ伏して眠りに入った芙美子を見て、「あなた、今も幸せじゃないのね」と言って舞台は終わる。


森光子版「放浪記」は、まず森光子ありきという感じのものであったが、仲間由紀恵版の「放浪記」はアンサンブルで見せる芝居になっている。仲間由紀恵にはまだ森光子ほどの存在感は出せないので当然そうなるわけであるが、ストーリーを味わうという点においては仲間由紀恵版の「放浪記」もなかなかの出来である。

仲間由紀恵は基本的に陽性の演技をする人であり、だからこそ「トリック」の山田奈緒子のような女性を演じていても痛くはならないのだが、影の部分を演じる際に力んでしまうところがあり、今日も肩に力が入りすぎるきらいがある。生まれながらのコメディエンヌの資質を生かして笑える部分の演技は流石であったため、もっと力を抜いた演技も今後は必要となってくるだろう。

デビューが決まって喜びを表す場面で、森光子はでんぐり返しをしていたが(私が旧フェスティバルホールで森光子の「放浪記」を観た時には医師のアドバイスもあってでんぐり返しは封印していた)、仲間由紀恵は側転をして喜びを表現。まだ若い仲間由紀恵だからこそ出来る演出であり、客席から盛んな拍手が起こった。

笑いといえば、コミックリリーフ的な安岡を演じた村田雄浩の演技は秀逸。とても楽しい演技を見せてもらった。

いかにも文学青年然とした福地を演じきった窪塚俊介も大変優れた出来。繊細にして理知的かつ破滅的な福地像を浮かび上がらせる。これまでは兄である窪塚洋介にばかり光が当たっていたが、弟の窪塚俊介の方が俳優としての才能は上なのではないかと思う。

日夏京子を演じた若村麻由美の演技も安定感抜群。安定感に関しては今日の出演者の中で最高だったのではないだろうか。仲間由紀恵が食われてしまう場面もあった。

晩年の芙美子のパートナー役であった永井大(この人、スキャンダルが多いですよね)の演技はまあまあであったが、福田沙紀は存在感が今ひとつ。華にも欠けており、不調から抜け出せていないことがわかる(事務所絡みの問題で演技をする機会が減っているのも影響しているだろう)。羽場裕一は派手さはないが、育ちが良くて飄々としたところのある白坂五郎を丁寧に演じていた。

仲間由紀恵の「放浪記」は「これで万全」という域にまでは達していなかったが、芸能がもっと評価されている国だったら人間国宝級の女優であった森光子が比較の対象であり、「『放浪記』といえば森光子ではなく仲間由紀恵」と言われるようになるまでやり続けて欲しいと思う。

ラストは仲間由紀恵一人がカーテンコールに応えた。

|

« maricoband 「あなたの海になりたい」 | トップページ | コンサートの記(220) 三ツ橋敬子指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団 大フィル×ザ・シンフォニーホール「ソワレ・シンフォニー」vol.6 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/40048/62968200

この記事へのトラックバック一覧です: 観劇感想精選(171) 仲間由紀恵主演 「放浪記」大阪公演2015:

« maricoband 「あなたの海になりたい」 | トップページ | コンサートの記(220) 三ツ橋敬子指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団 大フィル×ザ・シンフォニーホール「ソワレ・シンフォニー」vol.6 »