« 2015年11月 | トップページ | 2016年1月 »

2015年12月の21件の記事

2015年12月31日 (木)

コンサートの記(220) 三ツ橋敬子指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団 大フィル×ザ・シンフォニーホール「ソワレ・シンフォニー」vol.6

2015年11月17日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時30分から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、大阪フィル×ザ・シンフォニーホール「ソワレ・シンフォニー」vol.6を聴く。今日の指揮者は台頭著しい若手の三ツ橋敬子。

大阪フィルハーモニー交響楽団とザ・シンフォニーホールの企画による「ソワレ・シンフォニー」は昨年始まり、最初は小品1曲と交響曲1曲、途中休憩なしの、文字通りシンフォニーをメインとしたコンサートだったのだが、今年度に入ってからは模様替えし、若手指揮者と若手ソリストによるチケット料金を抑えたコンサートとなった。「ソワレ・シンフォニー」のシンフォニーも「交響曲」から「ザ・シンフォニーホールでの」という意味に変わっている。新体制の「ソワレ・シンフォニー」は5月に垣内悠希の指揮、山本貴志のピアノ独奏で今年1回目があり、今日の演奏会が今年2回目となる。開場時間が午後6時30分、開演時間が午後7時30分と少し遅めなのも特徴。

曲目は、ロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:木嶋真優)、ストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」(1919年版)

なお、今日のコンサートマスターは垣内悠希の回と同様、ベテランの藤原浜雄が務める。指揮者が若いので、ベテランをコンサートマスターに置いて援護しようということなのかも知れない。

開演10分前から、三ツ橋敬子によるプレトークがある。三ツ橋敬子は颯爽と登場したのはいいが、途中で蹴躓いてしまい、右手で口を押さえながら照れ笑いをする。凛としたイメージの人だが、こういう仕草を見ると「可愛いな」と思う。

三ツ橋は、「皆様、こんばんは。いきなり恥ずかしい姿をさらしてしまいましたが、足元の悪い中、お越し下さってありがとうございます。今は大降りになっているそうです(私がザ・シンフォニーホールに入るまでは普通の降りであった)」と挨拶し、今日演奏する3つの曲についての解説を行う。「ロッシーニという人は、若くして作曲を止めて悠々自適の生活を送るのですが、20年間で38作のオペラを書いています。ですので、かなりの早書きの作曲家だったわけです。「ウィリアム・テル」はロッシーニが37歳の時に書いた最後のオペラです。皆さん、ステーキのロッシーニ風というフォアグラを乗せたものをご存知ですかね。そこからもわかるようにロッシーニはかなりのグルメでした。肖像画を見るとわかりますが、見事なメタボ体型です。ロッシーニが生まれたのはペーザロという海に面した街です。イタリアを長靴に例えますと、ふくらはぎの上の方にある街です(三ツ橋はイタリア在住であるため、イタリアには詳しい)。海が綺麗で、海の幸なども美味しいです。
メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、『これぞヴァイオリン協奏曲!』といえるような、非常によく知られた曲です。
ストラヴィンスキーの「火の鳥」ですが、これはディアギレフという有名なバレエ興行師の依頼を受けて差曲された者で、バレエ全編の筋書きはハッピーエンドで終わるのですが、ストラヴィンスキーがバレエ組曲として編纂した最初の版が1912年に出まして、このバレエ組曲はラストが魔王の踊りで終わるんです。その7年後の1919年に再度編纂されたバレエ組曲を今日は演奏するのですが、これはハッピーエンドに戻っています。7年間の間に第一次世界大戦が勃発しまして、ストラヴィンスキーはスイスに亡命を余儀なくされていました。そして大戦が終わってから、「火の鳥」を編纂し直したのですが、ストラヴィンスキーはラストに希望を見出したかったのではないかと思います」というようなことを語る(正確には記憶出来なかったので大雑把に再構成しました)。

ちなみに、三ツ橋敬子は身長151cmと平均的な日本人女性と比べてもかなり小柄であるため、指揮台は通常よりも高いものが用いられていた。大阪フィルの前音楽監督で現在は桂冠指揮者の大植英次も小柄で、大阪フィルではそれを補うための特注の指揮台を使っていたというから、あるいは大植用の指揮台が用いられたのかも知れない。

ロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲。三ツ橋というと、何よりも棒の巧さが際立つ指揮者であるが、今日の優れたバトンテクニックが存分に発揮される。指揮棒を持っていない左手が雄弁なのもいつもの通りである。

この曲は暗譜で指揮した三ツ橋。「朝」の詩情、「嵐」の迫力、「静寂」の抒情美、「スイス軍隊の行進」の推進力など、いずれも見事であり、彼女のイタリア音楽への共感も良く伝わってくる演奏であった。

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。ソリストを務める木嶋真優(きしま・まゆ)は、兵庫県神戸市生まれの若手ヴァイオリニスト。まだ十代の頃と二十代前半の時期に京都市交響楽団定期演奏会に出演したことがあるが、いずれも高音の美しさは光っていたものの、終始ブスッとした表情でつまらなそうに演奏していたため、「聴衆のことも考えてよ」と思ったものだが、その後は悪い癖もなくなり、ヴァイオリニストとしての腕も上げている。ケルン音楽大学ヤングコースを経て同音大を卒業。ケルン音楽大学ではソロのみならず室内楽の演奏も学んでいる。先日、ケルン音楽大学大学院を満場一致の首席で卒業し、ドイツの国家演奏家資格も取得している。

黄色のドレスで登場した木嶋。以前とは違って、今日は時折笑顔も浮かべながら演奏する。ヴァイオリンの音色は高音のみならず全ての音が美しくなっているが、基本的に陽性のヴァイオリンであるため、陰影に乏しいという印象を受けたのも事実である。スケールは雄大、メカニック面はとても優れている。

三ツ橋指揮の大フィルもややスケールは小さかったが、まとまりの良い伴奏を奏でた。

メインであるストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」(1919年版)。冒頭のコントラバスを始めとする低弦の築き方、その後の管楽器の煌びやかな活躍、スーパーフォルテシモの迫力、終盤の立体的な音楽進行など、確かな楽曲把握と造形を感じさせる演奏である。この曲も暗譜で指揮したが、棒は非常に機敏でわかりやすい。ストラヴィンスキーは棒の巧拙が演奏に直結しやすいため、三ツ橋のバトンテクニックは大きな武器となる。
ジャン=クロード・カサドシュ指揮の京都市交響楽団による9月の同曲演奏に比べると色彩面ではかなり劣勢という印象を受けたが、フランス人の名匠と日本人の若手では出来上がる演奏に違いが出るのは仕方ないことである。三ツ橋指揮大フィルの「火の鳥」もカサドシュ&京響と比べなければ十分に優れた出来であった。

「イタリア在住の指揮者だから、アンコール演奏があるとしたら、マスカーニの歌劇『カヴァレリア・ルスティカーナ』より間奏曲かな?」と思っていたら、本当にアンコールとして「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲が演奏されたのでちょっと驚く。優美にして透明度の高い佳演であった。

幸い、雨は峠を越したようで、ザ・シンフォニーホールを出たときには小降りになっていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月30日 (水)

観劇感想精選(171) 仲間由紀恵主演 「放浪記」大阪公演2015

2015年12月2日 大阪・上本町の新歌舞伎座にて観劇

午後4時30分から、大阪・上本町(うえほんまち)の新歌舞伎座で、「放浪記」を観る。仲間由紀恵が森光子からバトンを受け継いだ舞台の上演。貧困から抜け出して人気作家となるも47歳で他界した林芙美子の生涯から4つの場面を抽出して描いた作品。作:菊田一夫、潤色:三木のり平、演出:北村文典。主演:仲間由紀恵。出演:若村麻由美、永井大、窪塚俊介、福田沙紀、立石涼子、原康義、田口守、佐野圭亮(さの・けいすけ)、若杉宏二、浅野雅博、梅原妙美(うめはら・たえみ)、羽場裕一、村田雄浩ほか。


故・森光子がライフワークとしていた「放浪記」。森光子本人もバトンを受け継げるものはいないと考えていたようだが、仲間由紀恵が後を継ぐ形となった。舞台「放浪記」では、主役の林芙美子が実物通り容姿にコンプレックスがあるという設定であるため、当初、仲間由紀恵が「『放浪記』をやりたい」という話をしていると耳にした関係者は美人キャラである日夏京子を演じたいのだろうと思っていたそうだが、実際に仲間が演じたかったのは主役の林芙美子であった。おそらくであるが、仲間由紀恵の「放浪記」も彼女のライフワークになっていくのだと思われる。


「放浪記」は5幕からなる商業演劇であり、上演時間は約30分の大休憩と、約10分の小休憩2度を含めて約3時間40分という長編である。マイクを使っての上演。

まずは、林芙美子が若い頃、まだ女給をしていた時代に住んでいた、東京・本郷の下宿、大和館の一室から始まる。林芙美子(仲間由紀恵)は、新劇の俳優である伊達春彦(浅野雅博)と同棲しているのだが、伊達は日夏京子(若村麻由美)という新劇仲間の女優と恋仲であり、芙美子が留守だと思って伊達が京子を部屋に誘い込み、男と女の会話をしているのを芙美子は押し入れの中に隠れて盗み聞きしてしまう。なんだかんだで芙美子は伊達に袖にされてしまい、伊達は京子と結婚することになる。同じ大和館の住人である安岡信雄(村田雄浩)は芙美子に惚れているのだが、芙美子は相手にしない。

場面は芙美子が女給として働いているカフェー・寿楽に移る。林芙美子が安木節で踊っているのだが、芙美子を演じる仲間由紀恵は琉球舞踊の名手で師範代レベルにあるため、こうした踊りはお手の物である。
寿楽には、後に芙美子と同棲することになる福地貢(窪塚俊介)、文学青年仲間の白坂五郎(羽場裕一)、同じく上野山光晴(若杉宏二)らが出入りしており、芙美子は福地に惹かれていくことになる。白坂五郎は芙美子と京子に二人で文学同人誌を興すことを勧める。また、寿楽の後輩である悠起(福田沙紀)は、誰よりも先に芙美子の文学的素質に惚れていた。

福地と一緒になった芙美子であるが、福地が浮気を重ねる上に肺結核で稼ぎもないということで、尾道の実家に一時帰る。初恋の相手である香取恭助(佐野圭亮)と再会する芙美子だったが、香取には妻子がおり、もうどうにもならない。


再び東京に戻った芙美子。白坂と白坂の妻になった京子の二人が福地と芙美子の家を訪ねてくる。家は留守。その間に、芙美子の隣人でかつては白坂の文学仲間であった村野やす子(梅原妙美)が、京子に小説を文芸誌「女性芸術」に送るよう告げる。芙美子の小説もしくは京子の小説のどちらかが「女性芸術」に掲載され、作家デビューが決まるという話で、やす子は芙美子にはもう話を伝えてあるという。      

芙美子が帰って来る。「浅草に化粧品を買いに行った」と言うのだが、それは嘘で「女性芸術」の編集部を訪ねていたのだった。続いて福地も帰ってくる。来客があると悟った福地はしばらく家の奥に潜んでおり、頃合いを見計らって出て行く。福地は芙美子の外出中に大手文学誌「改造」編集部から手紙が届いていたことを告げる。「改造」からの知らせは芙美子の小説が不採用となったというものだった。芙美子は「改造」や「新潮」といった大手文芸誌に投稿してはボツになるを繰り返していたのだ。

安岡がやってくる。芙美子が安岡に金銭的援助を頼んだためだ。安岡の面前で福地と口論になった芙美子は安岡について「この人なんて大嫌いよ。でも生きるためには」とはっきり言ってしまう。それでも安岡はめげることはない。それどころか、京子の原稿を編集部に渡さなければ芙美子の小説が確実に採用されると入れ知恵までする。

そうして、芙美子の小説『放浪記』は「女性芸術」に採用され、芙美子は見事デビューを果たすのだが……

芙美子の作家としての最盛期は描かれず、最後の場では、晩年の芙美子の疲れた様子が描かれる。東京・下落合の芙美子宅を訪れた京子は芙美子としばらく語った後で、机に突っ伏して眠りに入った芙美子を見て、「あなた、今も幸せじゃないのね」と言って舞台は終わる。


森光子版「放浪記」は、まず森光子ありきという感じのものであったが、仲間由紀恵版の「放浪記」はアンサンブルで見せる芝居になっている。仲間由紀恵にはまだ森光子ほどの存在感は出せないので当然そうなるわけであるが、ストーリーを味わうという点においては仲間由紀恵版の「放浪記」もなかなかの出来である。

仲間由紀恵は基本的に陽性の演技をする人であり、だからこそ「トリック」の山田奈緒子のような女性を演じていても痛くはならないのだが、影の部分を演じる際に力んでしまうところがあり、今日も肩に力が入りすぎるきらいがある。生まれながらのコメディエンヌの資質を生かして笑える部分の演技は流石であったため、もっと力を抜いた演技も今後は必要となってくるだろう。

デビューが決まって喜びを表す場面で、森光子はでんぐり返しをしていたが(私が旧フェスティバルホールで森光子の「放浪記」を観た時には医師のアドバイスもあってでんぐり返しは封印していた)、仲間由紀恵は側転をして喜びを表現。まだ若い仲間由紀恵だからこそ出来る演出であり、客席から盛んな拍手が起こった。

笑いといえば、コミックリリーフ的な安岡を演じた村田雄浩の演技は秀逸。とても楽しい演技を見せてもらった。

いかにも文学青年然とした福地を演じきった窪塚俊介も大変優れた出来。繊細にして理知的かつ破滅的な福地像を浮かび上がらせる。これまでは兄である窪塚洋介にばかり光が当たっていたが、弟の窪塚俊介の方が俳優としての才能は上なのではないかと思う。

日夏京子を演じた若村麻由美の演技も安定感抜群。安定感に関しては今日の出演者の中で最高だったのではないだろうか。仲間由紀恵が食われてしまう場面もあった。

晩年の芙美子のパートナー役であった永井大(この人、スキャンダルが多いですよね)の演技はまあまあであったが、福田沙紀は存在感が今ひとつ。華にも欠けており、不調から抜け出せていないことがわかる(事務所絡みの問題で演技をする機会が減っているのも影響しているだろう)。羽場裕一は派手さはないが、育ちが良くて飄々としたところのある白坂五郎を丁寧に演じていた。

仲間由紀恵の「放浪記」は「これで万全」という域にまでは達していなかったが、芸能がもっと評価されている国だったら人間国宝級の女優であった森光子が比較の対象であり、「『放浪記』といえば森光子ではなく仲間由紀恵」と言われるようになるまでやり続けて欲しいと思う。

ラストは仲間由紀恵一人がカーテンコールに応えた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月29日 (火)

maricoband 「あなたの海になりたい」

「火曜サスペンス劇場」(通称:「火サス」)のエンディングテーマであった真璃子(リリース時は本名に由来する「真理子」名義)の「あなたの海になりたい」。山口岩男(現在はIWAO名義で活動中)の作詞・作曲です。おそらく「火サス」の主題歌をという依頼を受けて作詞・作曲されたもので、詞はサスペンスに相応しいもの、曲調もどことなくミステリアスです。

真璃子さんは、現在は出身地である福岡のローカルタレントとして活動中。映像も2015年4月25日という、最近のものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月28日 (月)

コンサートの記(219) 上岡敏之指揮 読売日本交響楽団第13回大阪定期演奏会「第九」公演

2015年12月26日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後5時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで読売日本交響楽団第13回大阪定期演奏会「第九」公演を聴く。指揮は上岡敏之。

大阪公演を重視し、年3回の大阪定期演奏会を行うようになった読売日本交響楽団。来年度の大阪定期の指揮者と曲目もすでに決まっている。


録音の世界ではすでに有名になっている上岡敏之。指揮者としてデビューした後で、ピアニストとしてもCDデビューしているという異色の存在である(ピアニストが指揮者になるという逆のパターンは良くある)。
1960年、神奈川県生まれ。県下随一の進学校である湘南高校に進学。一学年上に大野和士がいた(同じ1960年生まれだが、大野は早生まれ)。ただ、上岡の入学当時すでに大野は校内のヒーロー的存在であり、湘南高校内では勉強が出来る方ではなかった上岡は引け目を感じたという。一方で、大野の方は上岡のピアノの腕を高く買っていたようで、合唱を指揮する際のピアニストに上岡を指名していたという。湘南高校卒業後は先輩である大野と同じく東京芸術大学の指揮科に入学するが、芸大時代の教師からの評判は散々だったようで、芸大の大学院進学を目指すも不合格。教授に紹介されて帝国ホテルのフロントとして1年間働く。

帝国ホテル勤務時代も音楽家への夢を諦めたわけではなく、深夜勤務の時間帯などには紙の鍵盤でピアノの練習をしていたことが確認されている。

1年の社会人生活を経た後でドイツ留学のための試験に合格し、渡独。ここから上岡の快進撃が始まる。ハンブルク音楽大学入った上岡は学生有志を集めてオーケストラを結成。その他にも、ちょっとした休み時間があった場合は知り合いの学生を誘ってアンサンブルの指揮。ピアノでも高く評価され、芸大時代の劣等生が一躍ハンブルク音楽大学のヒーローになる。その後、ドイツ各地の歌劇場でコレペティトール(オペラの伴奏ピアニスト)を務め、キール歌劇場ではソロ・コレペティトールとなり、同時にオペラ指揮者としての活動も開始。エッセンやヴィースバーデンの歌劇場の指揮者として働いた他、北西ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に指名され、コンサート指揮者としてのキャリアもスタート。

2004年にヴッパータール歌劇場音楽監督およびヴッパータール交響楽団の首席指揮者となりヴッパータール市全体の音楽監督にもなる。この時代に上岡の名は日本でも知られるようになり、ヴッパータール交響楽団とはCD録音や来日演奏会を行っている。現在はザールランド州立歌劇場の音楽監督を務め、2016年9月からは新日本フィルハーモニー交響楽団の音楽監督に就任する予定である。

捲土重来の見本のような指揮者であるが、作り出す音楽はかなり個性が強く、賛否両論気味である。第九の演奏もヴッパータール交響楽団を指揮したものがライブ録音され、CDで出ているが、とにかくテンポの速い演奏で、音楽評論家や音楽ファンを戸惑わせている。全4楽章からなる第九を単一楽章の交響曲のように一気呵成に演奏している異色の演奏だ。


今日の読売日本交響楽団のコンサートミストレスは日下沙矢子(読売日本交響楽団にはコンサートマスターが日下も含めて4人いる)。合唱は新国立劇場合唱団。独唱者はイリーデ・マルティネス(ソプラノ)、清水華澄(アルト)、吉田浩之(テノール)、オラファ・シグルザルソン(バリトン)。


今日はステージ上手上方の2階席、RC席という、わかる人には「私らしい名前の席」と思われる席での鑑賞である。


読売日本交響楽団の月間無料パンフレットである「月刊オーケストラ12月号」に上岡敏之のインタビューが載っており(コンサートミストレスの日下沙矢子へのインタビューも載っている)、上岡はヴッパータール交響楽団と録音した第九について、「今ではあの解釈は良くなかったと思います」「全体的にはもう少しテンポを落とすでしょう」と書いているが、実際は今日も快速テンポの演奏であった。予定演奏時間は65分となっていたが、それより2~3分は短い。

ベーレンライター版の楽譜を使用(そのため第4楽章ではピッコロの大活躍が聴き取れる)。ドイツ式の現代配置での演奏だがピリオド・アプローチを採用。弦のビブラートは全般を通してみると、それほど抑えているというわけではなかったが、部分部分で徹底したノンビブラート奏法を用いることでメリハリを付けている。

冒頭から快速進行。「無調」といわれる部分が終わり、短調に変わる場面は余りドラマティックにしないが、全般を等して緊張感のある演奏である。音楽は「緊張」と「弛緩」からなっているのだが、上岡指揮の第九には「弛緩」する場所がない。そのため、一筆書きのような独特の第九を生む。弛緩する場面がないからといって一本調子かというとそんなことは全くない。
ピリオド・アプローチであるため弦は薄くなっているが、第1楽章では緊張に次ぐ緊張の連続であるため音楽が怒濤のように押し寄せ、聴く者を押し流さんばかりになる。

第2楽章は緻密なアンサンブルで森羅万象の鳴動を聴かせる。上岡の指揮(暗譜での指揮である)はビート幅は基本的に小さいが、ここぞというところで両腕を大きく使う。また上体の動きは機敏で、第1ヴァイオリンに指示していたかと思うとサッと180度回転してヴィオラを指揮する。この楽章ではヴィオラが突然それまでとは違う音色で鳴ったことに驚いた。他の弦楽器の音色は変えることがなかったのでヴィオラだけが浮かび上がる形になるが、一つの楽器だけ音色を変えるという発想がこちらにはなかったため、ハッとさせられる。
第2楽章のラストはピアノ(楽器ではなく音の強弱の方)で終わる。川瀬健太郎指揮大阪交響楽団の年末の第九演奏でもやはり第2楽章の締めを小さくしていたが、ベーレンライターにそうした指示があるのかも知れない(上岡と川瀬以外にピアノで終わった演奏は聴いたことがないが)。

第3楽章はノンビブラートの弦楽器が美しく鳴る。管楽器も好調で、テンポはかなり速めであったが、せわしない感じは受けない。また、第1楽章、第2楽章も含めて、反復記号を全て繰り返していたが、テンポが速いため、それでも繰り返しをカットしたモダンスタイルの演奏よりは楽章ごとの演奏時間は短い。「冗長」ともいわれる第3楽章であるが、上岡の指揮では「長い」とは少しも感じなかった。

第4楽章に入る前に独唱者や打楽器奏者、ピッコロ奏者がステージ上に現れるが、聴衆は上岡の意図を把握しており、拍手が起こることはなかった。

その第4楽章も快速テンポ。「歓喜の歌」のメロディーをチェロとコントラバスの低弦群が歌う前に間を開けるのが慣例であるが、上岡は間髪を入れずに歌わせる。逆にバリトンが歌い出すまでは間を置き、バリトンのシグルザルソンも慣れていないような仕草を見せていた。なお、西洋の歌手は第九を歌うことに慣れていないため、楽譜を手に歌うのが必要であるが、上岡のインタビューからリハーサルが徹底して行われたことが察せられ、また東京と横浜で数公演を行ってから大阪入りして今日が楽日ということもあってか、シグルザルソンもソプラノのマルティネスも暗唱であった。

テンポが速いことばかりを書いているが、インテンポではなく、緩急自在で即興的に聞こえるところがある。また強弱も自在だが、ちょっと神経質に思える箇所もあった。フェルマータを短くするのも特徴である。

新国立歌劇場合唱団も独唱者達も好調。読響の演奏も見事で、ラストの超快速テンポを見事に弾ききる。


インタビューで「僕が一番嫌いなのは、「定番」と言われるような演奏です」と答えている上岡。確かに感動させるような第九ではなく、聴く者を圧倒するような第九であり、これまで聴いてきた中で最も衝撃的な第九の演奏だった。深みがある演奏ではないかも知れないが、音の情報量が多く、濃密であり、鮮烈な印象を受ける。音楽は生き物であるということがヒシヒシと感じられた。第九に関しては、年末だけでなく、年がら年中CDで聴いており、よく分かっているつもりになっていたが、「つもり」に過ぎなかったことを思い知らされる。余りにもインパクトの強い演奏を聴いたため、終演後、梅田に向かって歩いている間は茫然自失の体であった。クラシックを聴いたのに未来の音楽に接したかのような不思議な気持ちで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月27日 (日)

笑いの林(57) 「よしもと漫才ライブ」2015年6月13日

2015年6月13日 大阪・なんばのよしもと漫才劇場にて

午後3時30分から、よしもと漫才劇場で「よしもと漫才ライブ」を観る。よしもと漫才劇場は旧5upよしもと、旧々ワッハ上方ワッハホールである。若手専用の漫才劇場としてリニューアルオープンしたが、今のところ日和見的な運営が続いている。

出演は、十手リンジン、黒帯、ラフ次元、8.6秒バズーカー、タナからイケダ、吉本極(きわみ)新喜劇を挟んで、桜 稲垣早希、銀シャリ、辻本茂雄スペシャル(吉本新喜劇ショートバージョン)、海原やすよ・ともこ。

今日は満員で立ち見客もいた。

私の席は最前列の真ん真ん中。良い席であるが、芸人さんに失礼のないよう気を遣う必要がある。

十手リンジンは、西手隼人がジャンケンに強く、今年に入ってから負けたことがないというので、お客さんとジャンケンをすることになるが、二列目の女性客とジャンケンをした西手はあっさり負ける。

十田卓は大学まで陸上をやっていたので、箱根駅伝を見て感動するという(大阪の大学だったので箱根駅伝には参加出来ない)。大学の陸上の場合、レギュラーとして走れるかどうかの発表が緊張するというので、十田が「これから駅伝のメンバーを発表する!」といかにも監督風の振る舞いをするが、実は監督は西手だったという話になる。今度は十田が監督になるのだが、西手がパイナイナという留学生選手だということに勝手に決めてしまったりする。

黒帯は、余り笑える要素がないので書かないでおく。今後に期待。

ラフ次元。梅村が帰国子女で英語が喋れるということで、空(そら。本名である)がホームステイをしたいので梅村相手に予行演習をすることにする。梅村の話す英語が早いので聴き取れない空。梅村が「そういう時は、“more slowly”と言えばいい」とアドバイス。だが、空は英語だけではなく、梅村が日本語を話しても「more slowly」と言ってしまう。その後、空は言葉の壁以前にマナーに問題があるという展開になる。

8.6秒バズーカー。今日は、はまやねんが、田中シングルのことを「サウジアラビアとインドのハーフで名前がラッスンゴレライ」とするなど、様々な不条理な要素を入れたロングバージョン。ラストは、はまやねんが、「もう飽きたのでこれでお終い」で終えた。

タナからイケダ。田邊孟德が、「ラッスンゴレライがあそこまで進化していたとは」と素直に驚いていた。田邊が高校時代野球部であり、野球部のマネージャーと恋愛関係にはなかったのだが、今振り返るとそういう恋をしてみたかったということで、池田周平が女子マネージャーという設定でやることにする。ちなみに池田は「以前、女子マネージャーをやったことがある」と謎の主張をする。

田邊がグラウンドに忘れ物をして、池田がそれを届けるという設定。池田は「先輩、忘れ物だぞ」という言い方をして、田邊に「だぞ、って何? そういう子好きじゃない」「普通に『忘れ物です』で良い」ということで、やり直すが、池田は「忘れ物でっすーぅ」というこれまた変な語尾。三度目で普通の言い方になるのだが、忘れたものが「バックネット」で、田邊に「それ俺のちゃう!」と言われる。田邊が「タオルとかで良い」と言うので、池田はタオルを渡すフリをするのだが、汚いものでもつまむような手つき。

自転車に二人乗りで帰ろうとするのだが、池田が運転してしまったり、二人で漕ぐスポーツタイプの自転車になってしまったりする。田邊が手を握りながら歩こうとするが、池田は手は握らず田邊と同じポーズを取って歩こうとするという妙な展開になった。

吉本極新喜劇。場面転換の間にコーンスターチの二人が前説を行う。出演は、吉田裕、今別府直之、金原早苗、モンスーン。そしてコーンスターチの二人も参加する。
花月うどんが舞台。花月うどんの大将である吉田裕は、早苗(金原早苗)と婚約中。そんなある日、花月うどんにコーンスターチ・岡下が面接に来る。遅刻してきたのだが、電車の窓から見える風景が綺麗なので、ぶらり旅をしなければならないと思って途中下車してしまったのだという。岡下はぶらり旅のナレーションの真似をする。ちなみに岡下は顔がCOWCOWの多田に似ていると言われるそうだが、おかっぱのカツラをかぶると森安バンバンビガロにも似ている。変ではあるが、岡下は採用になる。

早苗は吉本商事の社長令嬢。そんな早苗が母親と共に花月うどんに来る。早苗の母親を演じるのは何故か今別府直之。今別府と吉田は互いに自分の持ちネタを披露する。今別府は吉田が早苗の相手として釣り合わないということで結婚に反対する。そこへ吉本組の二人(モンスーン)がやってくる。二人は地上げの話をする。
吉田の弟である匡平(コーンスターチ・松本匡平)が帰ってくる。お化け屋敷に行ってきて面白かったので、お化けの衣装を買ってきたという。岡下はお化けに変装して吉本組の二人を追い出そうと提案するのだが……

後説はモンスーンの二人が務める。

桜 稲垣早希。アスカのコスプレで登場。まずは「ATフィールド!」と言って早希ちゃんファンが「全開!」と答える。シンクロ率を上げようというので、早希ちゃんが「あんた」と言って、お客さんが「バカ~ぁ?!」と返すことになる。「別にMなわけではないですよ」と早希ちゃん。お客さんの声を聞いて、「おー! ちゃんと語尾の疑問形をやってくれる人がいました」というようなことを言っていた(早希ちゃんは「疑問形」という言葉を思い浮かべることが出来なかったので、こちらで補足した)。

「遠くから来た方」と聞くと、「新潟」という人と「札幌」という人がいた。

中央の通路より前の人が「エヴァン」、後ろの席の人が「ゲリ」、立ち見のお客さんが「オン」と言うことになるが、早希ちゃんから「札幌からわざわざ来て「ゲリ」と言わされるのはどういう気分なんでしょうか?」と言われる。

「関西弁でアニメ」をやるが、今日はラストに「関西弁でエヴァンゲリオン」も付いていて、シンジ「逃げたらあきまへん、逃げたらあきまへん、逃げたらあきまへん」、レイ「あんさんは死なへんわ、あたいが守るさかいに」、アスカ「自分、アホ~ぉ?!」と変わる。

ラストは「残酷な天使のテーゼ」の替え歌、「残酷な天王寺のロース」。京都在住の私にはよくわからないのだが、串カツのソース二度漬けは禁止だそうで(私はそもそも串カツ自体を食べないので二度漬けがよくわからない。多分、ソースを付けて口にしてからもう一度ソースを付けることだと思うが、それは不衛生であろう)、中年になってもそれをやってしまう人は店への出入り禁止になるようである。

銀シャリ。鰻和弘の鰻という苗字が珍しいという話になり、「全国に6人しかいないが、うちの家族(鰻の家族)で4人占めています」という。調べると鰻という苗字を持つ人は名族のようではある。

鰻はことわざを勉強しているのだが、「一万去ってまた一万」、「早起きは三秒の得」、「三度目の掃除機」などと間違って覚えていて、相方の橋本直から、「なんや、そのパチンコの負けるパターンみたいなの」、「寝るわ、三秒だけなら」、「掃除機それだけ買ってたら今、ダイソンぐらいになってるわ」と突っ込まれる。

辻本茂雄スペシャル。新人作家の伊賀健二は小説が書けず、旅館の部屋に缶詰になっているのだが、その部屋に辻本茂茂雄演じる老年の男(茂造ではない)とその妻が相部屋で泊まることになる。
アドリブだらけであり、特に往復ビンタは拍子木入りで何度も行われる。

海原やすよ・ともこ。大阪に観光客が増えているという話になるが、ともこが「大阪が観光都市のフリをしている」と言う。やすよは「大阪は観光都市やろ」と言うが、ともこは「大阪の観光スポットは(グリコの看板のポーズをして)ここしかない」と断言する。

やすよは「東京の人は、大阪のことを怖い、ガラの悪い街と思っている」と言うが、ともこは「その通り、大阪の人、みんなそうだとうっすら気付いてる」と認めてしまう。

ともこは、東京の人が上品に見えるのは声が小さいからだとも言い、「『今日暑いよね』『超あつーい』。何か可愛らしい」と思うそうである。大阪人は声が大きく、「いいから聞いて!」と大声で言うが、ともこに言わせると、「大阪に聞くべきことは何もない」そうで、「いいから聞いて! 雨」と例を挙げていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

笑いの林(56) 「ダイナマイト関西2015 ~東西対抗団体戦~」

2015年12月20日 なんばグランド花月(NGK)にて

午後7時45分から、なんばグランド花月(NGK)で「ダイナマイト関西2015 ~東西対抗団体戦~」を観る。大喜利のイベント。先に書いておくが早希ちゃんが出るわけではない。R藤本がニコニコ生放送「新生紀ドラゴゲリオンZ」で告知していたのでイベントを知ったのだが、R藤本一人だけを見に来たのではなく、出演するメンバーが魅力的なので観ると決めたのである。ただ、開演時間が遅い上に上演時間も長いので、大阪での公演ではあるが、終演時間には京都行きの京阪終電はとっくに出てしまっている。というわけで大阪に泊まる必要がある。京都に住んでいるのに大阪に泊まるというのも馬鹿らしいが、泊まる機会が滅多にない大阪のホテルがどんなものか見ておきたいという気持ちも常にある(書くまでもないことだが、京都にはどんなホテルがあるのかにも興味はある)。幸い、なんばから地下鉄で一駅の浪速区(なにわく)桜川に安めのホテルが見つかったので、そこに予約を入れておいた。

「ダイナマイト関西2015 ~東西対抗団体戦~」であるが、東西というのは東日本と西日本ではなく、東京吉本所属か大阪吉本所属かでもなく、NGKよりも東で生まれた人は東軍に、西側出身の人は西軍になるという、余り聞かない種類のもの。というわけで大阪府内でも東西に分かれ、大阪府高槻市出身のシャンプーハット・こいでは東軍に入る。大喜利の出演者で最も東で生まれた人でも、滋賀県出身のダイアン・西澤止まりで関西出身者になるため、「東西」と聞いて普通に連想する「東西」にしてしまうと「東」の人がいなくなり、対抗戦自体が成り立たない。

ちなみに、西軍は玄武チーム(玄武コーナー)、東軍は白虎チーム(白虎コーナー)という別名を持っているが、玄武は北の守護神、白虎は西の守護神でチーム名と方角は一致していない。何故なのかは不明。

大喜利の団体戦であり、東軍、西軍ともに5人ずつで戦う。武道と同じで、先鋒、次鋒、中堅、副将、大将を決めて戦うが、1対1ではなく、勝ち抜き戦であり、先鋒が5連勝すれば一人だけで自軍を料理に導くということも可能である。出演者(「選手」と呼ばれる)には予め5ポイントが与えられ、大喜利の出来が良いと判定されると相手から1ポイント奪うことが出来るという減点方式。判定は3人の審判によって行われる(具体的に誰が審判しているのかは不明)。まずい大喜利をしてしまうと自身のポイントを1つ失うという自爆方式も採用されている。


東軍出演者は、先鋒が麒麟・川島明、次鋒がシャンプーハット・こいで、中堅がダイアン・西澤裕介、副将は笑い飯・西田幸治、大将がバッファロー吾郎・竹若元博である。
選手達は、客席の通路を通って舞台に上がる。私はイベントを知ったのが遅かったため今日は2階席で観ていたのだが、麒麟・川島などは観客とのハイタッチに気軽に応じているのが見えた。

西軍は、ケンドーコバヤシだけが登場。他の出演者が断りのビデオレターを送ってきたので、それが流されて、ケンドーコバヤシが先鋒としてたった一人で戦うという、必要のない小芝居の後で、他の芸人が登場する。今日はこうした下手な小芝居や演出が多いため、終演が遅いということもあって付き合いきれずに席を立つお客さんも結構いた。終演時間が遅いため、18歳未満入場お断りのイベントであり、いくら「お笑いの公演だから」と割り切っていても子供騙しに付き合う必要はないとも感じられる。私は大阪のホテルに予約を入れていたので、最後まで観た方が得になるため中座することはなかったが。
西軍は、先鋒がケンドーコバヤシ、次鋒がR藤本、中堅はヤナギブソン、副将に次長課長・井上聡、大将がお~い!久馬である。

司会は浅越ゴエ、プロデューサーはバッファロー吾郎・Aである。

大喜利の試合時間は8分であるが、考えている間は場が持たないため、他の出演者が影アナ(影トークと書いた方が適当であろうか)を行う。


本格的な大喜利を観るのは2度目になると思うが、前回観たのは2011年の秋のはずであり、久しぶりに接する大喜利公演となる。
やはり大喜利というのは難しいもので、大笑い出来るものはなかなか出ない。笑えるのだけれど意味不明の回答があったり、出来はいいのだけれど笑いに繋がらない答えもあったりする。基本的には直球勝負では笑いにならないので変化球パターンか進化型か裏読みの3種類に分かれるわけだが、バリエーションは無限のように見えて実はそれほど多くはないというのも難しいところである。

「この言葉が今年の流行語だったら嫌だな」というお題に麒麟・川島は、「こんばんは」と直球勝負に出たが笑いには繋がらなかった。シャンプーハット・こいでのように最初から自爆狙いの人もいる(自爆覚悟の回答をして本当に自爆した後で、「松田聖子のディナーショーなのにおそろしくつまらなかった。その理由は?」というお題に「隣で志茂田景樹がずっと踊っていた」と答えて、相手のポイントを一つ奪う)。

笑い飯・西田が回答者となった時には、「友達がおらず、寝たふりにも飽きた高校生が休み時間にやることは?」というお題が出て、高校時代は根暗だったことで知られる麒麟・川島が影アナで、「これは僕と西田さんのためにある問題ですね」「回答ではなく告白ですね」と語る。ちなみに笑い飯・西田は奈良女子大学付属高校の出身であるため、今日も西田は出身校を笑いのネタにされていたが、奈良女子大学(かつての国立大学、現在の国立大学法人である)附属高校は共学の進学校であり、有名OBには八嶋智人、松村武、森見登美彦らがいる。ちなみに京都造形芸術大学時代に授業公演で共演した子に奈良女子大学付属出身の人がいたが女の子であった。出身高校を聞いて、「ああ、八嶋智人の後輩なんだ」と言ったら「よく知ってますね」と言われたけれど。
西田は、「眼力で机の表面が削れるかどうか実験する」、「机の引き出しに手を入れて、左手と右手の指一本ずつのバトル」と回答して、相手のポイントを奪うことに成功する。麒麟・川島は「実話ですね」「ドキュメントを見ました」とコメント。ちなみにヤナギブソンは「教室にDJを呼ぶ」と回答して退けられたが、川島は「発想が友達たくさんいる人のものですね」「友達がいない人の気持ちがわからないんちゃいます」とコメントする。

次長課長・井上は学力が今ひとつだそうで、麒麟・川島の影アナによると「『好き』という漢字が書けず、思い出したと思ったら『汝』という字だった」そうである。川島は、「『僕は君のことが汝』じゃ意味分からないですよね」と続けた。

ちなみに、お~い!久馬は今日は体調が悪かったそうだが、「北島三郎が電話の相手に激怒。さて、なんと言った?」というお題に、「郎は朗らかな方じゃないって!」、「Hey!      Hey! Hoo!(ヘイヘイホー)」、「男子100m走の記録が急に出にくくなった。その理由は?」に「12秒3(ジャスト)で走らなければならない」といった面白い回答をしていた。

試合は大将同士の戦いまで続き(演出上そうなる、というよりならないとお客さんが納得しないわけだが)、最終的には東軍が勝利した。


本編で終われば京都まで帰れる時間であったのだが、その後にエキシビションマッチがあり、玄武側としてバッファロー吾郎・A、野性爆弾・ロッシー、モンスターエンジン・大林健二、藤崎マーケット・トキ、ヒューマン中村の5人が、白虎側としてモンスターエンジン・西森洋一、かまいたち・山内健司、藤崎マーケット・田崎祐一、野性爆弾・くっきー(川島から改名)、蛙亭・岩倉(岩倉美里)の5人が出演して、大喜利の団体戦を行う。

かまいたち・山内が最初に「これオールナイトイベントなんですか?」と聞き、浅越ゴエは「いえ、しかるべき時間に終わります」と答える。

ちなみに、玄武側は藤崎マーケット・トキがチーム名を「チラシ」と命名。各々がチラシにちなんだ自己紹介をするが、ヒューマン中村は、「この5人でバンドを組んだら僕はキーボードですね」と言って司会の浅越ゴエに「確かにそんな感じですが(本当にそんな感じである)チラシと何の関係もありません」と突っ込まれていた。

白虎側は何故か蛙亭・岩倉がキャプテンということになり、自軍を家族に例えるが、チーム名は家族とは何の関係もない「コロッセオの風」と命名し、会場大爆笑(蛙亭・岩倉は不思議ちゃんキャラである。今は知名度は高くないが、今後売れそうな予感はある)。「コロッセオの風」で自己紹介する羽目になったモンスターエンジン・西森は、「事前に言っといて!」と岩倉に言ってから何とか自己紹介。藤崎マーケット・田崎は考えながらの自己紹介となり、たどたどしくなってしまう。

「紅白歌合戦の視聴率が3.5%になってしまった。その理由は?」というのが最初のお題。「前に見たことがあるものだった(再放送だったという意味)」「4チャンネル(関西では毎日放送)と6チャンネル(関西ではABC放送)でもやっていた」という裏読み系の答えが多い。野性爆弾・ロッシーが「テニス」と答えてポイントを奪うが、モンスターエンジン・西森はそれを真似た「卓球」という回答をして自爆する。
「西川きよしが覚醒してスーパーきよしに。放った渾身の一言とは?」というお題にはきよしの家族ネタを答える芸人が多かった。
10ポイントを先に奪った「チラシ」が勝利。「コロッセオの風」のモンスターエンジン・西森は敗因を「僕の『卓球』」と答える。若手には大喜利は難しいようで、ヒューマン中村は西川きよしネタでは活躍するも紅白ネタでは不発。蛙亭・岩倉は本編では笑いを取ることが出来なかった。

最後は出演者全員での大喜利。2003年にタイムスリップしたという設定で、大喜利を行う。余計な演出があったが、書いても面白くないのでカットする。

まずは「朝青龍に一言」。その後、引退に追い込まれることになる朝青龍への忠告ネタである。麒麟・川島は「相撲だけ頑張れ。サッカーには手を出すな(怪我で休場し、治療のために帰国したはずなのに祖国モンゴルでサッカーの試合に出場していたことが判明して批判されたことを題材にしたもの)」、R藤本は「『品格』という言葉を壁に貼っておくがいい(朝青龍に対して「横綱としての品格」が問われたことを指している)」と記憶を辿る系統の答えをする。ケンドーコバヤシは「悪魔の顔をした人はメイクだよ(デーモン小暮閣下のこと)」と答えたが余り受けなかった。

最後のお題は「2003年の自分に一言」。麒麟・川島は「あの田村(裕)が2年後に2億稼ぐ。優しくしておけ」、ヤナギブソンは「(今はザ・プラン9から脱退した)なだぎを説得しておけ」、R藤本は「アムロをやる芸人(若井おさむのこと)が出てくるからその前にベジータネタをやっておけ」、モンスターエンジン・西森は「おいでやす小田と組むのは時間の無駄だやめておけ」と回答する。へー、モンスターエンジン・西森は最初はおいでやす小田とコンビだったのか。バッファロー吾郎・Aは「違う! 本当の嫁はそいつじゃない!」と離婚をネタにした回答を行った。
ちなみに、本当の意味での若手(お笑いの世界は40歳でも若手に入る)は2003年の時点では芸人ではなく、NSCに在籍すらしてなかったので面白い回答をすることは出来なかった。することはおそらく不可能である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月25日 (金)

コンサートの記(218) 広上淳一指揮京都市交響楽団ほか 「ベートーヴェン 第九交響曲の夕べ」大阪公演2015

2015年12月9日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、広上淳一指揮京都市交響楽団、大阪新音フロイデ合唱団ほかによる「ベートーヴェン 第九交響曲の夕べ」を聴く。
広上と京都市交響楽団による第九は京都でも公演があるが、その日はスケジュールが空いていないため、大阪で聴くことにした。京都コンサートホールよりザ・シンフォニーホールの方が響きが良いということもある。

独唱者は、石橋栄実(いしばし・えみ。ソプラノ)、福原寿美枝(メゾ・ソプラノ)、秋本靖仁(テノール)、三原剛(バリトン)。

第九の演奏の前に、ベートーヴェンの「アテネの廃墟」序曲の演奏がある。
今日の京都市交響楽団のコンサートマスターは泉原隆志、渡邊穣は降り番でフォアシュピーラーにはアシスタント・コンサートマスターの肩書きを持つ尾﨑平。
フルート首席奏者の清水信貴、オーボエ首席の高山郁子、クラリネット首席の小谷口直子はいずれも降り番である。


「アテネの廃墟」序曲。広上と京響はかなり徹底したピリオド・アプローチによる演奏を展開。弦楽はビブラートを抑え、ボウイングもモダン・スタイルの演奏時とは異なる。      

京響の響きに勢いがあり、溌剌とした演奏に仕上がった。


メインの交響曲第9番「合唱付き」。この曲でも「アテネの廃墟」序曲ほどではないが、ピリオド・アプローチを前面に出した演奏が行われる。音に立体感があり、弦も管も活きが良い。
テンポは平均的は演奏よりも速めであったが、繰り返し記号を忠実に履行したため、演奏時間は比較的長めとなった。

第1楽章のスケールの大きさ、第2楽章のあたかも宇宙を音楽で描いたかのような緻密にして奥の深さ、第3楽章の完熟した美しさなどを広上と京響は詳らかにしていく。
広上の指揮は今日も明快。広上の指揮スタイルは年を経るごとにオーソドックスなものへと近づきつつあるが、今日も第2楽章のティンパニ強打の場面で右手を高々と掲げてみたり、第4楽章ではジャンプを繰り返すなど、外連味も健在で見ていて楽しい。

第4楽章はオーケストラも雄弁であり、新音フロイデ合唱団も威力十分である。
今日はステージ下手横2階席で聴いていたので、合唱が強く聞こえすぎたが。広上の合唱指揮は拍や音型を指示するのではなく、音の強弱の指定が主となる。強弱自在であり、やはり広上は現役日本人の中では最高のベートーヴェン指揮者であろう(広上本人はベートーヴェンよりモーツァルトの方が好きなようだが)。

残念だったのはテノールの秋本靖仁。調子が悪かったのだと思うが声が小さく、他の独唱者に負け気味であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月22日 (火)

藤山一郎 「影を慕いて」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月16日 (水)

第九あれこれ2015 アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団ほか ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱付き」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

笑いの林(55) 「EVEMON TKF!」2015年8月10日

2015年8月10日 大阪・南船場のコラントッテホールにて

午後7時から、大阪・南船場のコラントッテホールで、「EVEMON(エブマン) TKF!」を観る。なお、今日のMCはシャンプーハットの二人の予定であったが、テレビの仕事が入ったため、たむらけんじがMCを務める。たむらけんじによると芸人には売れる仕事を優先させたいので、テレビなどの仕事が入ったらそちらに行かせるという方針なのだそうである。

出演は、鱒之介(たむけんは何故か「たらのすけ」と読んだが)、エンペラー、デルマパンゲ、桜 稲垣早希、吉田たち(以上、持ち時間5分)、G&G、バウワウ、ガンバレルーヤ、ガゼル西口、アキラ(以上、持ち時間2分)、インディアンス、モンスーン、カバと爆ノ介、シンクロック、ヒューマン中村(以上、持ち時間5分)、モンスターエンジン(持ち時間10分)

鱒之介は名前だけだとピン芸人を連想するが実際は三人組である。「雷爺さん」と呼ばれるような怖いお爺さんが最近はいなくなったというので、野球で遊んでいてボールが家の窓ガラスを割ってしまい、お爺さんに怒られるという設定で、話を進める(そもそも、最近は公園では野球どころかキャッチボールも出来ないところが多いが)。しかし、老人の家のガラスには金網が入っているので割れず、何故か子供達をお茶に誘ったりする。そっちの「怖い」爺さんである。その後はカオスの展開となる。

エンペラー。リアクション芸をやることにするのだが、本当に怒ったり、大袈裟なリアクションをし過ぎになる。

デルマパンゲ。迫田が、「散歩をしている時にオリジナルのメロディーが降りてきた」というので、口で歌うが、「ジャージャジャー、ジャージャジャー」というメロディーに、広木は「それ、ベートーヴェンの『運命』やろ」と難癖と付ける。更に「仁義なき戦い」のテーマにも似ていると指摘する。迫田も最後はベートーヴェンと「仁義なき戦い」の中間と認めてしまっていた。

珍しく前半に登場の、桜 稲垣早希。出囃子が岩崎良美の「タッチ」であり、今日は浅倉南の格好をして、新しい漫談をやる。

「ねえ、たっちゃん、なんで南と目を合わせてくれないの? 確かに南、たっちゃんのケータイ覗いたよ。お風呂入っている時と、寝ているときと野球してる時」
「確かに浮気したのは南の方が先だよ」
「綺麗な顔してるでしょ? だって私、マドンナだもん」
「隣りにブスがいると私が少しでも綺麗に見えるからブスが好きなんだ」
「かっちゃんのこと? 背中を押しただけだよ。保険金欲しかったんだもん」
「(右手に刺青が入っているのを見せて)確かにヤクザの人と付き合ってたよ」
「パチンコに嵌まっちゃって抜けられないんだ」

という男が最も嫌がるタイプの女を演じ、そのダメダメぶりで笑わせるというネタである。「闇金ウシジマくん」が好きという早希ちゃんらしいブラックなネタであるが、このネタは案外、男性よりも女性の方に受けが良いかも知れない。

吉田たち。こうへい、ゆうへいの一卵性双生児による漫才コンビであり、出てきてまず「どうも私達が上杉達也と和也です」と嘘の自己紹介をして笑わせる。

タイムマシンがあったら、過去に行きたいか未来に行きたいで、意見が分かれる。ゆうへいは「未来に行きたい」「どんな家族を築いているのか見てみたい」と言うが、「もし結婚してないってわかったら悲惨やぞ」と言われてしまう。こうへいは、「結婚式の再現ビデオに俺がお前役で出演せなあかんなるやんか」「葬式で、俺がお前の遺影持ってたら爆笑される。『え? 死んでる? 死んでない?』って」とマイナスのことばかり言う。こうへいは過去に行きたいそうだが、ゆうへいに言わせると「これまでの繰り返しを確認するだけやないか」と反対される。こうへいは、「5歳の時のお前蹴飛ばしてやるわ」と言い、ゆうへいは「71歳のお前の杖蹴飛ばしてやるわ」と反撃するが、こうへいが「71歳の爺さんの杖蹴飛ばしたら死ぬ。ニュースになる。被害者と加害者の顔が一緒だったら日本中で爆笑されるやないか」と締めた。

G&G。堂島は学生時代野球部だったが、作田は帰宅部でバイトやデートなどに励んでいたという。堂島が必要以上に作田のことを酷く言うというネタであった。

バウワウ。ボケのゴメスは、メキシコ人と日本人のハーフだそうで、日本語の諺をメキシコ風に置き換えることになるのだが、「五十歩百歩」「月とすっぽん」「縁の下の力持ち」などは全て「エルナンデスとフェルナンデス」になるという。

ガンバレルーヤ。よしこが待ち合わせをしている。現れたのは坂本(まひる)。だが、よしこは手を振って坂本に近づくが、いきなり坂本の腹をナイフで刺す。よしこは恋人を坂本に奪われ、恨みを抱いていた。恋人だけではない、坂本はよしこから色々なものを取っていったが、最後はまひるが立ち上がり、ナイフを腹から取り、血糊も取りを繰り返すという、取るの方向がわからなくなってしまっていた。

ガゼル西口。茂木健一郎に扮し、脳科学に基づく呼吸法というのをやるのだが、勿論出鱈目な上に、何がやりたいのか結局最後までわからなかった。

アキラ。今日も「アキラの挑戦!」として、10秒間の間に課題を成し遂げることが出来るのかチャレンジする。まずは剣玉の「世界一周」であるが、皿2つ乗せただけで終了。続いて、「お客さんに謎々を本から選らんで出して貰い、10秒以内に正解する」をやるがお客さんが問題を選ぶ前に10秒経過で失敗。最後も「剣玉」。制限時間なしで、一発で剣に穴を通せば成功だが、入らずに「しゅーりょー!」となった。

インディアンス。木村が「怪談は廃屋の話が一番怖い」というが、田渕は「ガソリンの(ハイオク)?」と聞く。「ガソリンが怖いわけないやろ! オンボロの家や」と木村。木村が怪談を進めていくのだが、木村「窓から半分顔を覗かせているのが見えた」、田渕「ドラえもんの」。木村「子供が現れて、『お兄ちゃん遊ぼう』と言う」、田渕「違うよ(自分を指して)お姉ちゃんだよ」といった調子で、怪談になることはない。

モンスーン。t@tsuが、「t@tsuだ!」と自己紹介して、正義の味方になろうとするのだが、何故かドラえもんとt@tsuの合いの子のキャラクターを生みだそうとしたりする。

カバと爆ノ介。爆ノ介がケータイで電話しているところに、カバが紙袋を持って通りかかる。しかし、紙袋を振り上げた拍子に、中の仕事用の資料がバラバラになって散らばってしまう。「今日誕生日なのに」「星座占い最高位だったのに」と愚痴を言うカバ。カバは爆ノ介にも資料を拾うよう命じるが、爆ノ介はそれには応じない。実は爆ノ介は今朝、刑務所から出たばかりの元ヤクザであり、右肩には彫り物がある。怖じ気づいたカバであるが、実はカバの正体は保護司。しかも爆ノ介の担当だったのだ。だが、話はカバの描いたシナリオ通りには行かず……

シンクロック。木尾が吉田結衣に「吉田には年下の彼氏が似合うんじゃないかな」というが、吉田は好きな男性芸能人として西島秀俊や竹野内豊というかなり年上の人物を挙げる。そこで、木尾が年下の彼を演じることになるのだが、どれもこれもチャラいキャラで……

ヒューマン中村。余字熟語をやる。フリップのタイトルのページは何故か豪華になっている。「完全無欠席」→「皆勤賞」、「起死回生死」→「生き返るかと思ったらやはり駄目だった」、「十一人十色」→「二人被っている」、「門外不出男」→「ニート」、「百戦錬磨呂」→「異人です」、「切磋琢磨呂」→「異人です」、「東西南北斎」→「異人です」、「意気揚々々」→「ラッパーです」と続く。

続けて、アルファベットに漢字の部首を足して漢字っぽくするというネタ。Aの下に心が付いて「念」に近い字になったり、馬の右にRで、「駅」に見えるような漢字が作られる。

モンスターエンジン。現代の日本の科学をもってするれば、ガンダムと同程度の戦闘用ロボットを作ることはすでに可能なのだと西森は言う。作られていない理由は「需要がない」からだそうで、戦う相手がいないとただのゴミだという。

だが、ロボットネタをやってみようということで、西森が巨大ロボット、大林がそのパイロットを演じるのだが、大林がコックピットに入る前に、西森は大林を地上へと落とそうとするし、乗ったら乗ったで、一歩踏み出すのにやたらと時間が掛かる。戦闘のための銃も、どこかから突然投げ渡されたり、必殺技のチェーンが巨大な机の引き出しに入っていたりする。そして兵器が役に立たないとわかると、西森はそれを投げ捨ててしまう仕草。大林が「街、一つ壊れた!」と突っ込む。

コーナー。連想ゲームで、同じ連想した人が多いチームの方が勝ちとなる。青組の出場者は、鱒之介、桜 稲垣早希、吉田たち、モンスターエンジン・西森。赤組の出演者は、アキラ、インディアンス、カバと爆ノ介、ヒューマン中村、モンスターエンジン・大林。

最初のお題は「海ですることといえば?」。赤組は、なるべくリーダーに合わせようという戦術で、リーダーのモンスターエンジン・大林が書きそうなことを想像するのだが、当の大林の答えは「飲む」という一番危険な類のものである。カバと爆ノ介・爆ノ介とインディアンス・田渕が「神々の遊び」という大林絡みの答えを出して、1問合致。
青組は、3人組である鱒之介のメンバーのうち二人が「スイカ割り」と書いて1問合致。モンスターエンジン・西森も「すいか割り」と書いて、これで2問合致という結果になる。早希ちゃんは「キッス」と書くが、たむけんから「よしもとに入ってからキスしたことないとか言ってるくせに」と言われる。早希ちゃんは最近、猫をペットとして飼い始めたのだが、「30越えた女が猫飼いだしたら終わりやて(結婚出来ないという意味)」とたむけんに指摘される。

続くお題は「吉本興業といえば?」。ちなみに、吉本興業は会社の再編を行い、この9月より中小企業として再スタートすることになった。
赤チームからは「ギャラ安い」「R-1効果薄い」などが挙げられる。
青チーム。早希ちゃんは、「コーナーの時間は写真を撮っていいから撮ったらツイッターに上げて宣伝」というたむらけんじの言葉を受けて、「一番おせわになっててすばらしい会社! 私の人生ささげます!!!!(ママ)」と好感度アップを狙った良い子発言(勿論、逆にいじられる結果になることを予想して書いたものである)。
鱒之介が3人組というチームワークを生かして、「新喜劇」という答えを出し、1問合致。
結果として青チームの勝ちとなるのだが、吉本の闇を明かしたともいえる怖い答えを書いた人もいた。

負けた赤チームを代表して、インディアンス・木村がたむけんから臀部へのハリセンを受けた。

お見送りのハイタッチ。これまでは毎回左手でハイタッチを行っていた早希ちゃんだが、今日は初めて右手でのハイタッチを行っていた。
若手の無名芸人はスルーされることもあるようで、苦笑いしながら「めっちゃ傷つく」と話している芸人もいた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月14日 (月)

観劇感想精選(170) 「敦 山月記・名人伝」再々演

2015年7月8日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後6時30分から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「敦 山月記・名人伝」を観る。33歳で夭逝した天才作家、中島敦の小説の中から野村萬斎が言葉を選び、構成・演出・主演の舞台として上演するというもの。2005年に東京・三軒茶屋の世田谷パブリックシアターにて初演が行われ、野村萬斎は朝日舞台芸術賞・舞台芸術賞と紀伊國屋演劇賞・個人賞を受賞。翌2006年に東京のみならず日本各地で再演が行われ、私も兵庫県立芸術文化センターのまだ阪急はネーミングライツを得ていなかった頃の中ホールで観劇し、強い感銘を受けている。伝統芸能と現代劇の両方で活躍する野村萬斎らではの天才っぷりが味わえる名舞台であった。今回は再々演となるが、再演から早いもので9年が経過している。9年前には中島敦より年下であった私も今は中島敦が手の届かなかった四十代である。

なお、「敦 山月記・名人伝」の初演時は収録が行われてDVDとして発売されており、私も持っているが、現在は廃盤中のようである。演劇のDVDほど売れないものはない。

今回は、注釈付きの台本を収めたパンフレットを1000円で発売するというサービス付き。公共の劇場である世田谷パブリックシアター(野村萬斎が芸術監督を務めている)の制作だからこそ値段を抑えられたのだと思う。

主演の野村萬斎、萬斎の父の野村万作を始め、出演者は全員、狂言方である。今日出演する役者の誰よりも男前だと思われる藤原道山の尺八と、太鼓の亀井広忠が鳴り物を務める。重要な役割を果たす映像プログラミングは真鍋大度と登木悠介が受け持つ。

舞台正面には中島敦の写真が映されている。その前の馬蹄形の細長い台(後半には回転する橋がかりとして活躍)の上には棺と中島敦の位牌が置かれている。

モーツァルトの「レクイエム」より“ラクリモーサ”が流れる中、野村萬斎の影アナ(録音されたもの)があり、中島敦の人生が手短に語られる。続いて藤原道山の尺八と亀井広忠の太鼓が鳴り、中島敦の扮装(七三分けに丸眼鏡)をした野村萬斎が馬蹄形の台の上に現れ、語りを行うのだが、その背後からやはり中島敦に扮した深田博治、高野和憲、月崎晴夫が現れ、それぞれの中島敦が他の中島敦に問いかけを行う。中島敦というとまず思い浮かぶのが「自意識」とういう言葉だが、自意識の葛藤を複数の俳優を使って表現しているのである。あたかも合わせ鏡の手法のように。

そして、話は「山月記」へと移っていく。地の文も語る語り物であり、演劇公演というより朗読公演の延長に近いが、今回は李徴も演じる野村萬斎が狂言方であることを生かした能舞などを行うため、「朗読」と聞いて思い浮かべるものよりはずっと派手でアクロバティックである。

「山月記」には中島敦を語る上でのキーワードである「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」という言葉が登場する。中島敦は東京帝国大学在学中に英才を讃えられた人物であるが、自身が志した小説家としては生前には評価されることはなかった。中島敦の名声が高まるのは彼の死後である。生前も『宝島』『ジキル博士とハイド氏』のスティーヴンソンを主人公にした南国情緒溢れる「光と風と夢」が芥川賞(今とは違ってそれほど権威ある賞ではなかったが)候補になるも受賞はならず。「中島敦」という名が世間に知れ渡ることにはならなかった。ただ芥川賞選考委員の川端康成は「光と風と夢」に対して、「なぜ受賞に値しないのかわからない」と高い評価を与えている。

秀才の李徴に中島敦は自身を投影させているのは間違いないが、李徴というのは秀才ながらセンシティブな人間であり、「お前には才能がない」と言われるのが怖くて、高名な詩人に師事したり、詩友と語り合ったりすることを避けてきた人物である。詩人になりたいと望みつつなれなかった李徴の詩は一編だけ作中に登場するが、自己憐憫に終始し、視野狭窄が感じられる。李徴は己の名を詩人として後世に残すことを第一に生きてきた。「虎は死して皮を残す」というが、そうした名声を求めつつ己を高めきれなかった李徴の業が虎への変身として表れている。

李徴が化けた虎を野村萬斎は白虎の扮装と能舞で表現。高くジャンプするなど迫力がある。

李徴は「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」の間で何も出来なくなってしまう人間であるが、何も出来なくなるという点においては、「名人伝」の紀昌(きしょう。演じるのは前半が野村萬斎、後半が野村万作)もまた、結局は「無為」へと帰してしまう人物である。飛衛(演じるのは石田幸雄)に師事したあの修練は何のためだったのか? 「名人伝」はコメディであるがある種のニヒリズムを宿している。ハムレット型の李徴に対して紀昌は行動力抜群のドン・キホーテ型だが、転石の転び付いた先が「無」なのである

「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」のようなものは多くの人が抱えている問題であり(「尊大な自尊心」や「臆病な羞恥心」のみの人も中にはいるだろうが)、中島敦の名が死後に急速に高まった理由はそこにあると思う。絶対などあり得ないとわかっている世界で絶対を求めて人は傷ついていく。それでも求めざるを得ない。

「人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すに余りに短い」。その「何事」とは何なのか、人間は各個がそれを、その答えを求めて、ある意味全員が史上初の哲学者として生きるべきであるのかも知れない。だが、それがある程度可能になった今でも多くの人間は「何事」をも為さないことを選ぶ、あるいは選ばざるを得なくなる。ただ、どんな形になろうと人は重層化した自我の中で生きていくことになる。それだけは間違いがないことのような気がする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月12日 (土)

尊敬と狂気

尊敬は度が過ぎると狂気に変わる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

格言の言い換え

人生は欠落に気づいた時から始まる。もし欠落に気づかぬまま死を迎えるのだとしたら、それがいかに華やかなものであったとしても人生とは呼べない。それは消費だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月11日 (金)

コンサートの記(217) オッコ・カム指揮フィンランド・ラハティ交響楽団「シベリウス交響曲サイクル(チクルス)」最終日

2015年11月29日 東京・初台の東京オペラシティコンサートホール“タケミツ メモリアル”にて

オッコ・カム指揮フィンランド・ラハティ交響楽団による「シベリウス交響曲サイクル(チクルス)」最終日。今日は交響曲第5番、交響曲第6番、交響曲第7番が一挙に演奏される。東京・初台の東京オペラシティコンサートホール“タケミツ メモリアル”にて午後3時開演。

東京オペラシティコンサートホール“タケミツ メモリアル”の三角屋根の正面には明かり取りの窓があるのだが、開演直前に下の方から三角形の蓋がせり出してきて、窓は閉じられ、外からの光も入ってこなくなった。

交響曲第5番。冒頭の管が揃わないなど、いささか雑然としたスタート。尻上がりに調子を上げるかと思っていたが、アンサンブルの雑さは結局全曲を通して改善されることはなかった。弦楽器は比較的好調であるが、管楽器は音が濁るなど十全とはいえない。この曲の演奏に関しては残念ながら合格点は与えられないであろう。

交響曲第6番は、一転して超名演が展開される。藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団の演奏を聴いたばかりだが、出来は流石にカムとラハティ交響楽団の方がずっと上だ。神秘的で温かさにも溢れた弦の音色がノスタルジアを呼び起こし、管の響きが心の傷を癒やしてくれる。
これだけの演奏が可能なのに交響曲第5番で失速したのは不思議だが、やはり曲によって向き不向きがあるのであろう。

交響曲第7番もスケールが適度に保たれ、響きが洗練された優れた演奏。カムは強弱の付け方が独特である。
      単一楽章でありながら、4つの表情を持ち、実質的な交響曲となっているシベリウスの交響曲第7番。カムとラハティは楽曲の把握がしやすい演奏を行った。


今日もアンコールは3曲である。まずはシベリウス生誕150年に相応しい「アンダンテ・フェスティーヴォ」。ラハティ交響楽団の聴いてきて胸が痛くなるほどヒンヤリとした透明な響きが印象的な佳演である。

続いて、「ある情景のための音楽」。悲劇的な曲調で始まるが、ラストに向けて明るくなっていく。カムの指揮は盛り上げ方が上手い。

ラストは勿論、といっていいのかどうかはわからないが交響詩「フィンランディア」。ラハティ響のブラスの威力が今ひとつであったが、全般的には整った演奏である。フィンランド第2の国歌と言われる部分の歌い方はやはり堂に入っていた。

今日は満員となった客席からはカムとラハティ響を讃える拍手が鳴り止むことがなかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月10日 (木)

コンサートの記(216) シベリウス生誕150年 オッコ・カム指揮フィンランド・ラハティ交響楽団「シベリウス交響曲サイクル(チクルス)」第2夜

2015年11月27日 東京・初台の東京オペラシティコンサートホール“タケミツ メモリアル”にて

午後7時から、東京・初台の東京オペラシティコンサートホール“タケミツ メモリアル”で、オッコ・カム指揮フィンランド・ラハティ交響楽団の「シベリウス交響曲サイクル」第2夜を聴く。今日は、交響曲第3番、ヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:ペッテリ・イーヴォネン)、交響曲第4番の3曲が演奏される。

交響曲第3番。冒頭の民族舞踊曲のような旋律は、力強く弾かせる指揮者と音を抑えて弾かせる指揮者の2タイプがいるのだが、カムは強く弾かせる。
ラハティ交響楽団の弦のバリエーションは多彩。弱音が特に美しく、ヒンヤリとした音の奏で方なども上手い。東京オペラシティコンサートホールは残響が長いため第1楽章のラストである「アーメン」なども音が上へと伸びていき、少し留まってから消える。「神秘的」と呼んでも良いような体験である。

ヴァイオリン協奏曲。ソリストのペッテリ・イーヴォネンはフィンランドのヴァイオリニスト。1987年、ヘルシンキ生まれ。9歳でシベリウス・アカデミーに入学し、2005年にフィンランド・クオピオ・ヴァイオリン・コンクールにおいて史上最年少で優勝。2010年にはシベリウス国際ヴァイオリン・コンクールで第2位および特別賞を受賞している。
長身のヴァイオリニストであるが、フィンランド人は基本的に背が高いため(オッコ・カムは比較的小柄だが)ラハティ交響楽団の男性楽団員と身長はさほど変わらず、実際に何センチあるのかは不明である。

冒頭、オーケストラの弦の刻みの弱音が冷たく、異世界のような響きを出す。ラハティ交響楽団はメカニックそのものは日本のオーケストラと互角程度であるが、やはりシベリウスの演奏に関しては本家だけに説得力がある。
イーヴォネンのソロの磨き抜かれた美しい音を奏で、自然の美しさや人間の孤独感などを詳らかにしていく。

アンコールとしてイーヴォネンはイザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番よりバラードを弾く。ヴィルトゥオーゾタイプではないだけに、技巧面では物足りないものがあったが、語り上手なヴァイオリンではあった。


交響曲第4番。私が「20世紀最高の交響曲」と評価している曲である。
カムとラハティ今日は丁寧な演奏でシベリウスの憂鬱を描き出していく。
カムは第1楽章と第2楽章の間と第3楽章と第4楽章の間をアタッカで開始、前半と後半という解釈であるとも思われる。
ラハティ響はやはり弦楽の魅力の方が管楽のそれより上だが、この曲では金管を強く吹きすぎて弦楽が聴き取れなくなるというバランス上の問題があった。
それでも「秀演」と呼ぶに相応しい演奏が展開された。
第4楽章ではグロッケンシュピールを採用。愛らしくも深遠な音楽が奏でられていく。

アンコールは3曲。まずは「悲しきワルツ」。模範的な演奏である。ピッチカートの場面ではかなり音を小さくしたが、パーヴォ・ヤルヴィ指揮のそれと比べるとずっと大きく、常識的な範囲での演奏であった。

続いて「ミュゼット」。クラリネット奏者が湧き上がる泉のような鮮烈なソロを奏でた。

ラストは「鶴のいる風景」。叙情味溢れる優れた演奏であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月 4日 (金)

コンサートの記(215) シベリウス生誕150年 オッコ・カム指揮フィンランド・ラハティ交響楽団「シベリウス交響曲サイクル(チクルス)」初日

2015年11月26日 東京・初台の東京オペラシティコンサートホール“タケミツ メモリアル”にて

午後7時から、初台にある東京オペラシティコンサートホール“タケミツ メモリアル”で、オッコ・カム指揮フィンランド・ラハティ交響楽団による「生誕150年 シベリウス交響曲サイクル(チクルス)」の第1夜を聴く。

日本人作曲家として最も知名度の高い武満徹の名をメモリアルとして掲げている東京オペラシティコンサートホール。海外のアーチストからは「タケミツホール」という愛称で親しまれている。合掌造りのような三角形の高い屋根を持つことが特徴である。ただ、ステージ上に反響板はあるので、京都コンサートホールのように「音が高いところに留まって降りてこない」というようなことはない。
東京の中でも好きなコンサートホールだったのだが、京都に移ってからは来る機会自体がなくなってしまった。


午後6時20分と、東京の常設オーケストラの演奏会に比べると遅めの開場である。


フィンランドを代表する指揮者の一人であるオッコ・カムは、ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団、フィンランド国立歌劇場の音楽監督としての活躍を経て、2011年秋にシベリウス演奏で世界的な評価を受けているラハティ交響楽団の首席指揮者と、ラハティ交響楽団が主役となるラハティのシベリウス音楽祭の芸術監督に就任している。これまで京都市交響楽団に2度客演、いずれもシベリウスの作品を指揮しているほか、以前は日本フィルハーモニー交響楽団にもポストを持っており、よく指揮していた。池袋にある東京芸術劇場コンサートホールで行われた、日本フィルハーモニー交響楽団のサンデーコンサートを指揮したことがあり、メインのプログラムであるシベリウスの交響曲第2番の演奏が、私が本当の意味でのシベリウスの醍醐味を知った初めての経験となった。ということで、カムは私がシベリウスに開眼するきっかけを作ってくれた恩人でもある。
1982年に当時手兵であったヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団と共に来日し、シベリウス交響曲全曲演奏の企画を行っているが、交響曲第1番と第4番、第7番の3曲は日本におけるシベリウスの泰斗であった渡邊暁雄に指揮を譲っており、カム一人による日本におけるシベリウス交響曲チクルスは今回が初めてになると思われる。

今回のシベリウス交響曲チクルスは交響曲の番号通りの演奏される。ということで、今日は交響曲第1番と第2番が演奏される。
オッコ・カム指揮フィンランド・ラハティ交響楽団のシベリウス交響曲チクルスは、生誕150年を迎えたシベリウスメモリアルイヤーの日本における白眉であり、日本各地から聴衆が集まってきていると思われる。白人の聴衆も多い。

アメリカ式の現代配置による演奏。コンサートミストレスはMaaria LEINO。クラリネット奏者の女性はオレンジ色の髪、ファゴットを吹く女性は赤毛で共に目立つ。染めているのではなく、地毛が明るい色なのであろう。

交響曲第1番。カムは今回の演奏会では全曲椅子に座って指揮した。
冒頭、ティンパニが鳴る中でクラリネットが孤独な感じのソロを奏でる。途中でティンパニが音を止め、クラリネットの一人語りになるのだが、一人語りの場面ではカムは指揮するのを止めて、オレンジ色の髪のクラリネット奏者に全てを任せた。
ラハティ交響楽団は、輝きと仄暗さを併せ持つ弦の音色が出色のオーケストラである。管も弦ほどではないが優れている。

    カムの指揮は基本的には右手と左手がシンメトリーに動く端正なものだが、時折、指揮棒を持つ右手とは別の動きをする左手の操作が抜群。音型を操作し、音色やニュアンスを変える。ゲネラルパウゼを長く取るのも特徴である。
冴え冴えとした優れたシベリウスであった。

交響曲第2番。
この曲は、オスモ・ヴァンスカに率いられたラハティ交響楽団が、西宮北口の兵庫芸術文化センター大ホールで「理想的」といってもいい超名演を行っており、それとの比較にもなる。なお、カムはシベリウスの交響曲第2番を計3度レコーディングしており得意曲目である。
ヴァンスカに比べると個性的な演奏である。カム指揮によるシベリウスの交響曲第2番の実演はこれまでにも東京と京都で一度ずつ聴いているが、それに比べても個性の度は強い。細部まで丁寧に仕上げた演奏であるが、第2楽章は勿論、第4楽章でもシベリウスの苦悩がヴィヴィッドに伝わってくる。第4楽章もカムは単純な凱歌にすることはなかった。

アンコールは3曲。3回に分けられて行われたカムとラハティの「シベリウス交響曲サイクル」であるが3回ともアンコールは3曲であった。

「ミランダ」(組曲「テンペスト」第2判より)、「行列」、「間奏曲」(「ペレアスとメリザンド」より)の3曲が演奏されたが、いずれも生命力に満ちた快活な音楽が奏でられた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月 3日 (木)

エフゲニー・キーシン(ピアノ) プロコフィエフ 「ロメオとジュリエット」より“モンタギュー家とキャピュレット家”ピアノ・バージョン

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月 2日 (水)

リディア・カヴィナ(テルミン) ラフマニノフ 「ヴォカリーズ」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月 1日 (火)

個室美女・第4回 あんたバカァ?の女

LIGinc.のサイト「個室美女・第4回」に、桜 稲垣早希さんが登場。カラオケや「エヴァンゲリオン」、コスプレについてのインタビューに答えています。R藤本さんも何故か乱入していますが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

コンサートの記(214) 内田光子ピアノリサイタル in 名古屋2015

2015年11月13日 名古屋・栄の愛知県芸術劇場コンサートホールにて

午後6時45分から、名古屋市栄の愛知芸術劇場コンサートホールで、内田光子ピアノリサイタルを聴く。

「日本人最高のピアニスト」という名声を確固たるものにした感のある内田光子。「日本人ピアニストとしては別格」と評価される一方で、熱海生まれであるが外交官の娘で12歳の時からずっとヨーロッパで育ち、今もロンドン在住ということで、「生まれも国籍も日本だけれど、中身はヨーロッパ人」といわれたりもした。実際、「素っ頓狂に上手い」などという変な日本語を使う人でもある。21世紀に入ってからは国籍をイギリスに変更し、名実共にヨーロッパ人にもなったわけだが、内田本人は「日本が二重国籍を認めないので英国籍に変えただけで、私は日本人」と語っている。日本国籍のままだとヨーロッパで演奏旅行を行うのに煩瑣な手続きが必要となるため、国籍をイギリスに変更したのだという。
2009年にエリザベスⅡ世女王からデイムの称号(男性の「サー」に相当)を贈られ、デイム・ミツコを名乗ることも許されている。一方で、日本の文化功労者にも選出されている。

曲目は、シューベルトの「4つの即興曲」作品142とベートーヴェンの「ディアベッリのワルツの主題による33の変奏曲」。先日行われた東京のサントリーホールでのリサイタルでは皇后陛下が臨席され、御前演奏会となったものと同一プログラムである。

シューベルトは「4つの即興曲」を2つ書いている。作品90と作品142の2つだが、作品90に比べると作品142の方は「4楽章のピアノ・ソナタ」と考えられるほど4つの曲の関連度が高くなっている。

今日はピアノ付近以外の照明を絞っての演奏であるが、非常口誘導灯は消灯しないままでの演奏であった。

内田は黒の上下の衣装に黄色のシースルーのジャケットを纏って登場。世界的ピアニストの貫禄十分である。残念ながら、今日は3階ステージ上手寄りの席であり、演奏中の内田の顔はピアノの蓋の陰になって表情を見ることは出来なかった。

シューベルトの「4つの即興曲」作品142。内田のピアノは確固たる造形美、極めて高いメカニック、説得力のある表情付け、硬軟自在の音色、明と暗の対比など、いずれもトップクラスのシューベルトを奏でる。暗い旋律を奏でているときは、本当に地獄からの響きのような音がする。

内田は他のピアニストとは調弦の違うピアノを用いているそうで、それが仄暗い音を出すのに効果的だそうだが、当然ながらそれを生かす表現力は必要となるわけで、調弦さえ違えば良い演奏が出来るというわけではない。

第2曲の詩情の豊かさと、奥行きが特に印象的である。

ベートーヴェンの「ディアベッリのワルツの主題による33の変奏曲」。この曲は、アントン・ディアベッリという楽譜出版で一儲けした富豪にして作曲家という人物が、自身が書いた短いワルツを主題とした変奏曲を書くことを複数の作曲家に依頼。ベートーヴェンにも依頼が舞い込んで書かれたものである。他に作曲を委嘱された作曲家には、教則本でお馴染みのツェルニー(ベートーヴェンの弟子)、フランツ・クサヴァー・モーツァルト(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの四男(成人した者だけで考えると次男)で、「モーツァルトⅡ世」を名乗って活動したが、名声を得られぬまま早世している。そもそもモーツァルトの実子ではないという説もある)、カール・マリア・フォン・ウェーバー、フランツ・リストなどがいる。

ディアベッリとしては本気で自作を売り込もうと思ったのではないはずで、ベートーヴェンが33もの変奏からなる本格的な楽曲を生み出したことに一番驚いたのはディアベッリ本人なのではないだろうか。

ディアベッリの比較的簡素なワルツが奏でられた後に、ベートーヴェンの変奏が登場するわけだが第1の変奏が出た時点で、ディアベッリが作曲したものとは比べものにならないスケール雄大にして力強い音楽が奏でられる。

内田の演奏は、全曲を通してベートーヴェンの精神的な気高さが窺えるもので、変奏毎の巧みな表情の弾き分け、堂々たるスケール、難しいパッセージも楽々と弾きこなす技術、心底からのエレガンス、抜群のリリシズムなど、美点を挙げていったら切りがない。

内田光子は女性であるが、とても男前な演奏をするピアニストである。格好良かった。

アンコールなしでお開きとなったが、聴き応えのあるピアノリサイタルであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

三橋美智也 「星屑の町」

冒頭の「両手をまわして帰ろう揺れながら」という表現は何のことなのか分かりにくいと思いますが、実は子供の頃によくやったように「シュッシュッポッポ」という汽車の真似をしながら歩くことだということが、作詞者の東條寿三郎の証言によって判明しています。子供の頃の夢に溢れた時代へのノスタルジアを唄った歌だということです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年11月 | トップページ | 2016年1月 »