« 2015年12月 | トップページ | 2016年2月 »

2016年1月の34件の記事

2016年1月31日 (日)

コンサートの記(227) 広上淳一指揮京都市交響楽団第597回定期演奏会

2016年1月24日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から京都コンサートホールで京都市交響楽団の第597回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。2日連続同一曲も演奏会の2日目である。

曲目は、バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番(ヴァイオリン独奏:コリヤ・ブラッハー)、コープランドのバレエ組曲「アパラチアの春」、ガーシュウィンの「パリのアメリカ人」

一応、アメリカン・プログラムとされているが、実際はバルトークのヴァイオリン協奏曲第2番はバルトークがアメリカに渡る前に書かれたものである。

開演20分前から広上淳一によるプレトークがある。広上はバルトークのヴァイオリン交響曲第2番のソリストであるコリヤ・ブラッハーの紹介と、曲目の解説を行った後で、2016年度の京響の定期演奏会の紹介をする。

京都市交響楽団の定期は4月始まりだが、まず2016年度最初となる4月の定期が京都市交響楽団の記念すべき第600回定期演奏会となり、広上淳一がタクトを執る。コープランド、モーツァルト、リヒャルト・シュトラウスと、広上が得意とする作曲家の作品が並んでいる。京響初登場の指揮者としてはチェコの名匠、ラドミル・エリシュカの登場が特筆事項。お国もののスメタナとドヴォルザークを振るが、すでに大阪では数度指揮した曲なので、大阪で聴いたことのある人はオーケストラの違いを楽しむのがメイン、京響しか聴いていない人には「期待出来る指揮者」とだけ書いておく。

常任首席客演指揮者の高関健(広上は「健ちゃん」と呼んでいるようである)は、11月の定期でメシアンのトゥーランガリラ交響曲1曲勝負である。

常任客演指揮者の下野竜也が指揮するのはブルックナーの交響曲第0番(ブルックナー本人が「単なる習作」として0番としたもの)。下野は大阪フィルハーモニー交響楽団の京都演奏会で同曲を指揮したはずである。同曲のCDもリリースしている。

古楽出身の鈴木秀美は2017年2月の定期演奏会に登場。チェロ奏者である鈴木秀美はC・P・E・バッハのチェロ協奏曲で弾き振りもする予定だという。

2017年3月の定期には広上淳一が登場し、マーラーの交響曲第8番「千人の交響曲」を指揮。「千人の交響曲」は京都コンサートホールのこけら落としで上演された演目で、それを再び上演しようという試みである。

また京都市交響楽団は今年が結成60周年ということで、左京区岡崎にある「みやこめっせ」で、広上淳一、高関健、下野竜也の3人が指揮者3人を必要とするシュトックハウゼンとモーツァルトの作品を指揮するそうである。
今日のコンサートマスターは客演コンサートマスター(コンサートミストレス)の荻原尚子(おぎわら・なおこ)。ケルン放送交響楽団(WDR交響楽団)のコンサートミストレスで、コリヤ・ブラッハーの弟子ということで客演コンサートミストレスに抜擢されたようである。
渡邊穣は降り番で、フォアシュピーラーに泉原隆志。

フルート首席奏者の清水信貴、オーボエ首席の高山郁子、クラリネット首席の小谷口直子、トランペット首席のハラルド・ナエスは後半のコープランドからの登場となる。


バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番。広上淳一はプレトークで「楽章が進むにつれて、人間のダークな面が浮かび上がる」と語っていたが、第1楽章からショスタコーヴィチのような阿鼻叫喚の響きが鳴り(バルトークはショスタコーヴィチが嫌いであったが、同時代の作曲家ということもあって描くものは似てしまうようである)、第3楽章では不気味なワルツが延々と続く。

ヴァイオリン独奏のコリヤ・ブラッハーは、ベルリンの生まれ育ち。ベルリンで日本人である豊田耕児にヴァイオリンを師事。その後、ジュリアード音楽院でも研鑽を積む。ザルツブルクでは指揮者としても知られるシャンドール・ヴェーグに師事(広上によるとヴェーグは歩き方に特徴があったそうで、頭を振り回すようにして歩いていたそうだ)。クラウディオ・アバド時代のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第1コンサートマスターとして活躍後、ソリストとしての活動を始めている。

ブラッハーのヴァイオリンは音が磨き抜かれており、スケールも大きい。広上は時折、指揮棒を譜面台に置いてノンタクトで指揮もする。

今日は、第2楽章の時に、私の席のそばで急病人が発生したため、私は第2楽章は集中して聴けなかったのだが(音楽より人命が大事である)、第1楽章も第3楽章も仄暗い音色を生かしつつ、活きの良い伴奏を広上と京響は行った。

この曲は、ハープが主伴奏並みの大活躍をする他、コンサートマスターのソロも多い。ただ通常だとオーケストラの主役は第1ヴァイオリンであるが、この曲ではむしろヴィオラやチェロといった低弦部の活躍が目立つ。


コープランドの組曲「アパラチアの春」。冒頭の透明で丁寧な音のタペストリーを聴くと、京響の確かな成長と広上淳一という指揮者の凄さがよくわかる。ノスタルジックな小谷口直子のクラリネットソロに味が合って良い。弦楽の俊敏さも特筆事項で、京響は私が14年前に初めて聴いた時とは桁違いに上手いオーケストラになっている。
コープランドはもっと演奏されても良い作曲家だと思うが、やはり日本のクラシックファンの間ではヨーロッパ信仰が強いようである。


ガーシュウィンの「パリのアメリカ人」。広上のユニークかつわかりやすい指揮姿にも魅了されるが、打楽器奏者達の名人芸は流石。複数の楽器を掛け持ちする奏者がいるのだが、クラクション((この曲では実際に自動車のクラクションが鳴らされる)を鳴らし終えるとすぐにシンバルの演奏、スネアドラムとウッドブロック(木魚のような音がする)を同時進行で演奏するなど、やはりプロのオーケストラ打楽器奏者の腕は半端ではない。
広上指揮する京響は洒落っ気に富みつつ明るめの音色で、輝かしい演奏を展開する。
この曲には、テナー、アルト、バリトンの3本のサックスが登場。いずれも客演奏者である岩田瑞和子(いわた・すわこ)、岩本雄太、陣内亜紀子の3人が達者な演奏を披露した。


急病人が近くで発生するというアクシデントはあったが、今日の演奏会は全曲世界レベルで通用すると思って間違いないであろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年1月29日 (金)

コンサートの記(226) 高関健指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2015 ~こどものためのオーケストラ入門~ 「オーケストラ大発見!」第3回“主役はだぁれ?”

2015年11月8日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2015 ~こどものためのオーケストラ入門~ 「オーケストラ大発見!」第3回“主役はだぁれ?”を聴く。

~こどものためのオーケストラ入門~とあるが、曲目は本格的、というよりむしろ玄人好みとも思えるものが並ぶことが多い。「親子で楽しめるクラシックコンサートを」という意図があり、親も納得させられるような演目をセレクトしているのである。勿論、親子でなくても子供でなくても演奏を聴くことは出来る。

今日の指揮は京都市交響楽団常任首席客演指揮者の高関健。ナビゲーターはロザンの二人である。

曲目は、ヴィヴァルディの「四季」より“秋”(ヴァイオリン独奏:渡辺穣、チェンバロ:高関健)、ブラームスの交響曲第1番より第2楽章、ラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲(ピアノ独奏:児玉桃)、バルトークの「舞踏組曲」から第2舞曲、第3舞曲、第5舞曲、終曲、チャイコフスキーの交響曲第4番から第1楽章。

定期演奏会でもないのに児玉桃クラスのピアニストがソリストとして出演するというのは結構凄いことである。

まずはヴィヴァルディの「四季」より“秋”。高関は正面客席の方を見るようにしてチェンバロに向かい、開始の合図だけを左手で行って、後はチェンバロ演奏に専念する。京都市交響楽団のコンサートマスターである渡邊穣のソロであるが、渡邊は今日は「四季」より“秋”のヴァイオリン独奏を担うだけで仕事は終わりであり、コンサート全体のコンサートマスターは泉原隆志が務める。

小編成での演奏。当然ながらピリオド・アプローチは意識しているが、「頭の中にはある」といった程度で、ピリオドを前面に押し出すことはない。少なくとも数年前にイ・ムジチ合奏団が行ったような「先鋭的」とも思えるピリオドではなかった。渡邊穣の本職はあくまで「京都市交響楽団のコンサートマスター」なので、ソロ活動をしているヴァイオリニストの演奏に比べると音色面でもメカニックでも物足りないのは確かである。ただ、高関のチェンバロも含めて温かみのある演奏にはなっていた。

演奏終了後に、ロザンの二人が登場し、宇治原史規が高関と渡邊を紹介する。2曲目であるブラームスの交響曲第1番第2楽章から管楽器が加わるのであるが、首席フルート奏者の清水信貴、首席オーボエの高山郁子、首席クラリネットの小谷口直子、首席トランペットのハラルド・ナエスが今日は勢揃いする。後半の演目が大曲ではないということも関係しているのであろうか。

ロザンの二人は、京響のコンサートマスターが二人いるということを確認する。宇治原が「二人同時に演奏するということもあるんですか?」と高関に聞き、高関は「定期演奏会という一番重要な演奏会では二人並んで演奏することもあります」と答える。

高関が「今日のコンサートマスターは彼です」と泉原を指し、ロザンの二人は、「ああ、お馴染みのイケメンの」と泉原を評する。菅広文が、「イケメンだから一番前ということではないですよね?」と泉原に聞き、「そんなこと言ったら、一番後ろの人達どうすんねん?!」と宇治原に突っ込まれる。菅ちゃんは今日も泉原に「お給料はどれくらい貰っているんですか?」と聞いていた。

ヴィヴァルディの演奏スタイルが指揮なしだったことにロザンの二人は触れ、高関が「指揮者が登場するのはもっと後(の時代のこと)です」と答えた。ちなみに、ヴィヴァルディでは渡邊穣が最前列にいてリードしていたため、菅ちゃんが、渡邊に「指揮者のような気分になるんですか?」と渡邊に聞いたが、渡邊によると「そんなことは全くない」そうである。出だしを示す高関がいる上に、編成もあって室内楽の延長といった気分なのだろう。

チェンバロの紹介も行ったが、菅ちゃんはチェンバロで「ドレミの歌」の冒頭を右手で弾いて、宇治原から「よくその曲弾こうと思えたな。ここのホールでその曲弾いたの多分、お前が初めてや。心が強いわ」と言われる。

今回のタイトルが「主役はだぁれ?」ということで、ヴィヴァルディではヴァイオリン独奏が主役であったが、ブラームスの交響曲第1番第2楽章にはコンサートマスターによるヴァイオリンソロがあり、コンサートマスターが主役になる。

実は高関指揮京響の演奏によるブラームスの交響曲第1番は全曲の演奏を9月に聴いたばかりである。その時も高関はこの曲をノンタクトで指揮したが、今日も同様である。

高関の指揮であるが、拍をきっちりと刻む端正なもの。ブラームスでは完全に弦楽主体の指揮であり、管楽器のソロは出だしを示すだけで、その他はベースを築く弦楽器に丁寧に表情を付けていく。京響の管楽器奏者は名手が多いので、ある程度任せても大丈夫という思いもあるのだろう。
泉原によるヴァイオリンソロも美しかった。

続いてはピアノコンチェルト。ピアノ独奏者が主役である。ラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲ニ長調が演奏される。菅ちゃんが「右手だけならわかりますが」と言うと高関が、「ヴィトゲンシュタイン(パウル・ヴィトゲンシュタイン。著名な哲学者であるルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの実兄である。ちなみにヴィトゲンシュタイン兄弟は男ばかりの5人兄弟であったが、パウルとルートヴィヒを除く3人は全員自殺している)というピアニストが戦争で右手を負傷したため、左手だけで弾けるピアノ曲を沢山依頼して、その中の1曲がラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲」と説明する。菅ちゃんが「利き腕で有利不利があるんでしょうね」と聞くが高関は「どうなんでしょう。余りないんじゃないでしょうか。今日のソリストの児玉桃さんは右利きですが。さっき楽屋で聞いたところ、『私は右利き』と仰ってました」と利き腕による有利不利については否定気味ではあったが明言はしなかった。

人種に関わらず、人類は約9割が右利き、残りの約1割が左利きである。右利きが圧倒的に多いことと左利きの人も存在する理由については詳しいことはまだわかっていない。ただ「適者生存」であるため、ある程度は左手を利き腕とする人がいた方が不測の事態が起こったときに人類として子孫を残しやすいのではないか、とはいわれている。
「生存」などというご大層なことまで話を進めなくても、スポーツの世界、例えば野球などでは左利きの選手は必要不可欠であるし、サッカーなどでも良いレフティーの選手がいるチームは強い。

真っ赤なドレスで登場した児玉桃。お馴染みとなった結晶度の高い音色を生かしたリリカルなラヴェルを奏でていく。児玉姉妹の妹の方である児玉桃は大阪府出身であるが、1歳の時に一家で渡欧し、ドイツで初等教育を受けた後で13歳の時にフランスに行き、パリ国立音楽院に入学、16歳で卒業している。現在もパリ在住であり、フランスものは得意としている。日本国籍を持つ日本人ピアニストであるが、物心ついたときからヨーロッパにいたので、内面も日本人なのかどうかはわからない。

ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調はジャズの要素なども取り入れた明るくて分かりやすいものだが、左手のためのピアノ協奏曲ニ長調は逆にミステリアス。何かが蠢くような出だし、オリエンタルな要素を取り入れた旋律など、実験的要素が濃い。高関指揮の京響はラヴェル音楽の奥深さを緻密な演奏で描き出していく。

後半。今度は指揮者が主役の曲を演奏したいということで、変拍子だらけという、バルトークの「舞踏組曲」より第2舞曲、第3舞曲、第5舞曲、終曲が演奏される。4分の2拍子から始まって、4分の5拍子、8分の12拍子などと目まぐるしく拍子が変わる。拍子によってテンポも変化する。
バルトークが祖国であるハンガリー民謡を採集して回り、それらを題材にした曲であり、アジア系のフン族を祖とするというハンガリーの旋律はどこか東洋的な要素を宿している。高関の指揮棒は切れ味抜群である。

拍子やテンポが次々に変わるため、演奏終了後に宇治原は、「メドレーを聴いてるみたいでした」と語る。

ラストはオーケストラメンバー全員が主役になるような曲をということで、チャイコフスキーの交響曲第4番より第1楽章が演奏される。精緻なアンサンブルとパワフルなサウンドを特徴とする演奏。チャイコフスキーの焦燥感などは余り伝わってこなかったが(高関はチャイコフスキーの音楽に共感しているようだったが、チャイコフスキーの楽曲というのは共感すると逆に本質から遠ざかるような難しさがあるように思われる)、音楽的には充実した出来映えであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年1月27日 (水)

フランス・ブリュッヘン指揮ザルツブルク・モーツァルティウム管弦楽団 モーツァルト 交響曲第25番

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年1月26日 (火)

スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮ガリシア交響楽団 ブルックナー 交響曲第4番「ロマンティック」

古典配置による演奏です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

観劇感想精選(175) 第7回さざなみ演劇祭より グループ「橋」 「雲のうえの『べゑすぼおる』」

2015年12月20日 滋賀県大津市のスカイプラザ浜大津7階スタジオ1にて観劇

第7回さざなみ演劇祭。グループ「橋」という劇団の「雲のうえの『べゑすぼおる』」という作品を観る。午後2時開演。
東京巨人軍(現・読売ジャイアンツ)の投手として活躍するも、22歳の若さでフィリピン・レイテ島の戦場に散った大津出身の広瀬習一と広瀬を囲む人々の話である。

原作は上田龍の『戦火に消えた幻のエース』。ちなみに著者である上田龍は客席に招かれていた。東京からみえられたそうである。脚本は草川てつを。

広瀬習一の話であるが、主人公は追分(大津市の中でも京都市方面の山側にある町である)に住む絵描きの八軒先生である(気合いを入れるときには五郎丸ポーズをする)。

広瀬も追分の出身であり、戦前の大津市のメイン球場は追分からも近い緑が丘球場(緑が丘グラウンド、緑が丘運動場)という野球場(現存せず)だったようである。戦前には全国中等学校野球選手権(全国高等学校野球選手権の前身)の京滋大会の舞台となった他、京津戦という中等学校(現在の高等学校に相当)の野球交流戦があったそうで、京都市の平安中学(現・龍谷大平安高校)、京都商業(現・京都学園高校)、膳所中学(現・滋賀県立膳所高校)、大津商業(今も高校として存在)などが定期的に試合を行っており、またこの球場で行われた大津商業対膳所中学の試合は、「大津の早慶戦」とも言われて人気を博していたそうである。商売人の人たちは大津商業(略称は「大商(だいしょう)」。一般的に「大商」というと大阪商業大学を連想しがちだが、大津に限っては大津商業のことを指すようである)を、サラリーマン家庭は膳所中学を応援したそうである。

広瀬習一も勿論登場するが、出番はそれほど多くなく、広瀬を巡る人々の人間ドラマとなっている。
広瀬は運動神経抜群で、尋常小学校時代には水泳選手としても大人を驚嘆させるほどであり、陸上競技をやらせても大津一の俊足で、大津商業に入った時には運動部の間で取り合いになったそうだが、広瀬は野球を選んでいる。
広瀬は最初はショート兼投手だったようで、春の選抜甲子園には1番・ショートとして先発出場している。試合の模様は、八軒先生の家のラジオで聴かれるという設定なのであるが、広瀬は2つもエラーをしてしまい(史実のようである)、1-3で初戦敗退。広瀬は社会人野球を経て東京巨人軍に入団することになる。

巨人軍の藤本定義監督が今日の先発投手をどうするか、飯泉春雄マネージャーと話している場面から劇は始まる。戦中であり、敵性言語である英語は用いることが出来ず、東京ジャイアンツは東京巨人軍としか名乗ることを許されなかった。巨人には戦地から復帰した沢村栄治がいたが戦場で肩を故障しており、また最近は不調が続いている。須田博(すた・ひろし)と名前を変えざるを得なかったヴィクトル・スタルヒンは肋膜炎で戦線離脱。巨人の初代背番号18のエースで左腕の中尾輝三(戦後は中尾碩志に改名)も酷使で使いづらい。そこで、藤本は大津商業出身のルーキーピッチャー広瀬習一に白羽の矢を立てる。広瀬は期待に応えてデビュー戦を散発3安打の完封で勝利。巨人のデビュー戦完封勝利投手第1号となるのだったが、戦局が悪化し、やがて広瀬も戦場へと送られることになる……。

名前だけの登場であるが、若林忠志や野口二郎の名前が出てくるなど、野球好きが相好を崩すこと必至の劇である。

アマチュアの劇団であるが、出演者の演技も楽しめる水準に達している。脚本も上手いが、ラストは演劇しすぎである。ただ、優れた実績を上げながら余り知られていない人物に光を当てるのは後世の人がやらねばならない仕事であり(広瀬習一は1942年に21勝6敗、防御率1.19の好成績で最高勝率投手に輝いている)、良い劇を観させて貰った(日本語としては余り使いたくない言い回しだが他に良い書き方がない)と思う。

演劇祭のための上演で上演時間は1時間と決まっていたのだと思われるが、広瀬習一もただ純朴な野球小僧というだけではなかったはずであり、倍の尺で広瀬についてもっと掘り下げたバージョンも観てみたいと思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年1月23日 (土)

楽興の時(8) 第4回「藤といやさかの会」

2015年11月16日 京都市・東洞院六角下ルのウィングス京都にて

午後1時30分から、六角堂の近くにあるウィングス京都のイベントホールで、第4回「藤といやさかの会」の公演に接する。日本舞踊の藤流と新内の弥栄派のコラボレーション。新内弥栄派の家元である新内枝幸太夫師匠は、私の母と同い年であるが、年の離れた友人である。

ウィングス京都は旧京都商工銀行の外壁だけを保存して使用しており(ファサード建築)、建築学的にも美しい建物である。

 

ウィングス京都イベントホールで行われる第4回「藤といやさかの会」であるが、無料公演である。その代わり、今日が初舞台という人がいてハラハラさせられたり、照明以外は身内がスタッフをしているので、上手くいかなかったり、そもそも頭数が足りていなかったりする。

舞の藤流家元の藤三智栄と、新内弥栄派の新内枝幸太夫の二人による共同主催である。

第1部では、新内枝幸太夫が歌を唄い、藤流の人達が舞を披露する。先代の家元、家元の舞が続き、優れた舞であることは一目瞭然である。動きにメリハリがあり、淀みなく体が動く。静止する時の姿も美しい。第3部では師範の称号と藤派の芸名を得ている人も登場するが、差は歴然。師範ではあっても座った状態から立ち上がる時に脚が震えていたり、一つ一つの仕草に意志や意図が感じられず、「そういう振付なので舞っています」という印象を受けてしまう。

枝幸太夫師匠は、一昨日は京都龍馬会の坂本龍馬慰霊提灯行列に参加して急な龍馬坂を上り(高台寺公園までは先頭付近にいたはずなのに、龍馬坂を上り切るころには最後列にいた。私が最後列担当で、誘導を行っていたのだが、いつの間にか最後列よりも遅れてしまっていた)、昨日は高台院のライトアップを見に行ったそうで、その前は長崎にいて弟子達に稽古を付けていてお疲れであり、高音の伸びは普段に比べるともう一つであった。

舞には高知市から、美穂川流家元の美穂川圭輔も参加して、新内枝幸太夫師匠の「龍馬ありて」の歌に乗せて達者な舞を披露した。

「寿若衆おどり」は枝幸太夫が歌ではなく、舞も披露する。

ちなみに、音源操作は、今日が初舞台となる松浦大輝(日本舞踊藤和流家元である藤和弘扇先生の甥っ子。弘扇先生と私は知り合いである)が担当したのだが、新内枝幸太夫の「新内仁義」のカラオケ用音源を流すはずが歌入りのものを流してしまい、枝幸太夫師匠が、「これじゃ口パクせなあかん」と苦笑いして、下手袖に向かって「大輝君、しっかりして」と呼びかける。その後、何故か拍子木が鳴り、枝幸太夫師匠は、「なんで拍子木鳴んねん」とまたも苦笑する。その後、やっとカラオケ用の音源が流れた。

藤流家元の藤三智栄は、第1部のトリである「蘭蝶~お宮くぜつ」で立ち方を務め、優雅な舞を舞う。弾き語りは新内枝幸太夫、上調子は新内幸翠が務めた。

新内枝幸太夫の影アナが入っての小休憩の後で第2部に入る。第2部では、松浦大輝と新内幸之介の二人が、舞台で初の主役を務める。

初舞台の松浦大輝は「福助」を謡うが、正直、調子外れのところが多く、まだまだ稽古が必要だと感じた。

初の主役となる新内幸之介は、まだ「新内」の名前を貰えず本名で活動していた頃から知っている人だが、枝幸太夫が書き下ろした「お酒とお餅(肥後座頭琵琶の語りで聴いたことのある「餅酒合戦」を題材にしたもの)」の三味線弾き語りをするが、三味線も歌の調子も合わずかなりの苦戦。ちなみにもう幕が降りる部分まで来ているはずが一向に幕が降りないので枝幸太夫が下手袖を何度も見て促し、ようやく緞帳が下りた。

その後、枝幸太夫の前弾き(舞台ではなく、客席の方に出てきて歌う)を経て、第2部のラストである新内流しとなるのだが、上調子の新内幸翠はちゃんと弾けているものの、松浦大輝と新内幸之介は苦戦。特に新内幸之介は、枝幸太夫師匠に三味線で駄目だしされながらの演奏であり、演奏に詰まると、すぐ師匠の方に目をやって客席から笑いも起こる。これでは公演というよりも公開稽古である。

5分休憩を挟んで第3部。今回は藤流の舞が主役となるが、前に書いた通り、師範の称号を得ている人でも出来は今一つ。舞の難しさや厳しさが伝わってくる。ちなみに昨年の「藤といやさかの会」では舞の出来が散々だったそうで、今年はリベンジに挑んだのだが、家元の藤三智栄は納得がいかなかったそうである。

なお、現在小学1年生の矢野友椛(やの・ゆか)ちゃんが初舞台を踏む。枝幸太夫の歌、友椛ちゃんの祖母である新井美代子の三味線による「祇園小唄」より春と夏である。
まだ、動きの意味もわかっていないはずだが、可愛らしい踊りに客席も明るい笑い声に包まれる。

友椛ちゃんの祖母である新井美代子も枝幸太夫の歌で舞うが、なかなかの出来であった。

更に、神奈川県在住という藤流の弟子の砂川常子という年配の女性も上洛して登場。舞踊であるが、筋が良いのだろう。藤流の師範を得ている人よりも達者だったりする。

全ての演目が終了した後、出演者全員が登場し、枝幸太夫師匠の持ち歌である「電蓄の鳴っていた頃」(日本コロムビアよりCD発売中)に乗せて、舞台上にいる人全員、そして藤三智栄が簡単な振付を示して、客席の人も舞う。枝幸太夫師匠であるが、お疲れのため、「電蓄の鳴っていた頃」の2番の歌詞を忘れるというハプニングもあった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年1月22日 (金)

観劇感想精選(174) ミュージカル「スコット&ゼルダ」

2015年11月7日 大阪・上本町の新歌舞伎座にて観劇

午後5時30分から、大阪・上本町(うえほんまち)の新歌舞伎座で、ミュージカル「スコット&ゼルダ」を観る。アメリカン・ロスト・ジェネレーション(失われた世代)を代表する小説家、フランシス・スコット・キー・フィッツジェラルドと妻のゼルダの悲劇的な人生を描いたミュージカルである。作曲:フランク・ワイルドホーン、脚本・作詞:ジャック・マーフィー、上演台本:蓬莱竜太(ほうらい・りゅうた)、演出:鈴木裕美(すずき・ゆみ)。

上演時間は途中休憩20分を含み約3時間5分という大作である。

主要キャストは、ウエンツ瑛士、濱田めぐみ、中河内雅貴(なかがうち・まさたか)、山西惇(やまにし・あつし)の4人で、いささか地味なためか客入りは今一つ。私の座った3階席はガラガラだった。

私は、高校1年生の時に、ヘミングウェイやフィッツジェラルドといった「失われた世代」の作家の小説を集中して読んでおり、明大在学中には「日本で『失われた世代』と名付けるに値するとしたら俺達の世代だよな」などと思っていたら、その後に朝日新聞が我々の世代を「ロスト・ジェネレーション」と何故か英語のまま名付けた。日本語で「失われた世代」とすると深刻に響きすぎるからだろうか。

『華麗なるギャッツビー(グレート・ギャッツビー)』などはロバート・レッドフォード主演の映画も含めて今一つピンと来なかったのだが、短編小説「雨の朝、巴里に死す(バビロン再訪)」「氷の宮殿」など数編は印象深い出来であり、敗残者の切なさがダイレクトに伝わって来た。村上春樹がフィッツジェラルドを評価していると知ったのはその後である。

代表作である『華麗なるギャッツビー(グレート・ギャッツビー)』は三度も映画化されているため(ギャッツビーを演じているのは1作目がロバート・レッドフォード、2作目がトビー・スティーヴンス、3作目がレオナルド・ディカプリオである)フィッツジェラルドは米国の小説家の中では知名度がある方で、他のお客さんもフィッツジェラルドの人生が知りたくて来ているのかと思っていたが、アフタートークで聞くとそうではなかったようで、普通のミュージカル好きのお客さんが来ていて、話が余りに暗いので驚かれたと濱田めぐみが語っていた。

セットは2階建て。2階の細い通路(バルコニーと書いたほうがわかりやすいだろうか)の中央に半円形にせり出した部分があり、左右から階段が下りている。オーケストラピットはなく、2階セットの後ろにバンドがいて演奏を行う。2階の壁は時折左右に開き、バンドの演奏を直接見ることの出来るシーンもある。

まずは山西惇が演じるベン・サイモンという三文作家が、スコット・フィッツジェラルドの夫人であったゼルダが入院しているノースカロライナ州の精神病院を訪れるところから始まる。山西惇演じるベンはストーリーテラー(狂言回し)であり、出ずっぱりである。最初のセリフは「雪が降っていました」というものであるが、このセリフはアフタートークでいじられることになる。

ベンはスキャンダルやゴシップを専門にしている作家。好きでそういうものを書いているわけではなく、その枠にしか入れなかったのだ。ベンは最近、スコット・フィッツジェラルド(ウエンツ瑛士)の『華麗なるギャッツビー(グレート・ギャッツビー)』が再評価されているということを語り、フィッツジェラルドは44歳の若さで亡くなったが、その妻のゼルダ(濱田めぐみ)の消息を辿ったところ、精神病院に入院していることを知り、ゴシップ記事が書けないかと、わざわざゼルダを訪ねてきたのだ。

精神病院に入院しているぐらいなのでちゃんとした話が聞けるのかどうかが最初の問題であったが、ゼルダはきちんとした服装をしてにこやかに現れ、ベンを動揺させる。他の入院患者は患者用の服を着ているのだが、ゼルダだけは落ち着いた身なりなのだ。ゼルダが統合失調症(舞台では以前に使われていた「精神分裂病」が用いられている)という不治の精神病を患っているのは確かなのだが、病状は比較的軽いようだ。ゼルダは入院している理由を「ここは静かだし、どんなに読書をしても怒られることはないから」とベンに告げる。

ゼルダは「全米初のフラッパー(日本でいう「モダンガール」=「モガ」に相当するもので、それまでとは一線を画した服装や生活スタイルを持つ女性を指す言葉。串田和美の『もっと泣いてよフラッパー』でもよく知られている)」であり、毎日のように新聞の紙面を飾っていた。18歳の頃はモテまくりであり、人目を引くために肌色の水着を着てプールに飛び込むなど、目立ちたがり屋でもあったらしい。当初は「自由を奪われる」という理由で結婚などする気もなかったのだが、ゼルダを翻意させたのがスコット・フィッツジェラルドであった。

ゼルダがスコットと出会ったのは、ゼルダの地元・モントゴメリーにおいてだった。1917年、予備将校訓練学校に入っていたスコットは仲間と共にアラバマ州モントゴメリーを訪れる。そこでゼルダを一目見て恋に落ちた。
スコット(ミドルネームであり、「スコットはミドルネームさ」というシーンもあるが、フランシス・スコット・キーというのはアメリカ国家「星条旗」の作詞をした遠縁の人物と同じであり、ごっちゃにされるのが嫌でスコットをファーストネーム代わりに使ったのかも知れない。ポール・マッカートニーと同ケースである)は作家志望であり、それも並みの作家ではなく、アメリカを代表するような作家になるのだという夢を持っていた。ゼルダに小説家としての夢を語り(ゼルダは小説家という職業について、「一人で部屋に閉じこもって世の中とやらを分析している方ね」と皮肉を言うが、スコットは「真実は書くが汗臭い部分はカットする。そういう仕事です」と誇り高く述べる)、薔薇色の未来を想像する。だが、その想像の中にゼルダはいない。それが悔しくてという妙な理由でゼルダはフィッツジェラルドのプロポーズを受けいれ、二人は婚約することになる。

ベンは、「それで二人でニューヨークに出たわけですね」と聞くがゼルダは否定する。「最初の2年は、スコットはニューヨーク、私はモントゴメリーの遠距離恋愛」であり、そうなった理由はスコットが「作家として世に出るまではゼルダをニューヨークに呼びたくない」というものであった。だが、スコットと遠距離恋愛している間もゼルダは他の男性と付き合っている(スコットも他の女性と付き合っているのでおあいこであるが)。2年後、スコットがついに作家デビュー。処女作『楽園のこちら側』は、50万部のベストセラーとなり、スコットはアメリカン・ドリームの体現者となる。

時あたかもアメリカの最盛期と呼ばれる1920年代。スコットとゼルダは豪遊する夫妻として有名になる。だが、ある日、ゼルダはスコットの書斎の机の上に自分の日記が置かれてあるのを見て不審に思う。スコットに尋ねると、「君の日記を使って書いている」と悪びれることもなく言う。書いたばかりの原稿を読むと、なんとゼルダの日記が一字一句そのままに引用してある。スコットは「小説の中で君を書く」と言ってはいた。だが、ゼルダは自分の日記をスコットが勝手に「盗用」しているとは思いも寄らなかった。しかもスコットは「君のことを書くには君が日記に書いたことをそのまま書くのが一番だし、君の日記を僕が文章へと昇華している。だから、君の日記の文章はもう僕の文章なんだ」と本気で考えており、ゼルダに悪いとすら思っていない。

ベンは、スコットがゼルダをコマーシャルに利用したのではないかと疑う。スコットとゼルダが新聞や雑誌の紙面を飾ることで、スコットの小説家としての名声も上がる。そしてそのことで妻は心を病んでいく。ベンは、これならスキャンダルになるとして、『妻殺しの男 スコット・ギャッツビー』というタイトルまで思いつく。だが、実際のスコットは無邪気な男で、妻をコマーシャルに利用しようと考えつくような知恵が回る人間ではなかった。

スコットとゼルダの薔薇の日々も長くは続かなかった。ベンは、「1920年代には、パラマウントやコロンビア映画社が盛んに映画を作成し、ベースボールではニューヨーク・ヤンキースのベーブ・ルースのプレーに人々は熱狂した。時代の主役は次々に変わる。スコット・フィッツジェラルドも4~5年で世間から忘れ去られてしまった」というようなことを語る。

ゼルダはベンに、「スコットはお金持ちのフリを続けていた。でもフリだけ。実際は借金だらけだった」と語る。

スコットの小説は大衆から「酷い出来」と酷評されるようになる。

ベンはゼルダに、『華麗なるギャッツビー』執筆の時の話を聞く。
リヴィエラに療養に来ていたフィッツジェラルド夫妻。ゼルダはパイロットのジョーゼン(中河内雅貴)と恋仲であり、スコットにも愛人がいる(舞台に登場はしない)。ジョーゼンとの出会いでスコットとの生活に疑問を抱いたゼルダは、ある日、スコットに離婚したいと申し出る。スコットは離婚に猛反対。ゼルダを屋敷の一室に閉じ込めてしまう。しかし、その時、スコットの脳裏に一つの物語が浮かぶ。「金持ちの色男がある女性に恋をする。男は高価なドレスを女性にプレゼントするなどして女性を靡かせようとするが、女性は男の正体がわからないため不安である。それでも男は女をものにするがそれが悲劇を呼び……」。物語が浮かぶなり、タイプライターを走らせるスコット。閉じ込められた部屋の中で絶え間なく続くタイプ音を聞きながらゼルダは「一生この人といることになるのだ」と悟るのだった。

その『華麗なるギャッツビー』であるが、同業者からは高く評価されたものの、売れ行きはさっぱりで、スコットに追い風は吹かない。

一方のゼルダはスコットの夫人だけに収まるのは本意ではなく、絵画、バレエ、小説執筆などを始める。特にバレエは1日8時間の猛稽古をするが、幼少の頃からバレエを始めるのが常識という世界にあって、27歳のゼルダがいくら頑張ろうが、無謀だと笑われるのがオチであった。絵画もものにならず、バレエも駄目。自伝的小説を発表するが、売れたのはわずか1396部。自費出版本の売り上げ以下という惨憺たるものであり、ゼルダは精神を病んでしまう。精神分裂病と診断された。

スコットは生活費と妻の入院費を稼ぐためにハリウッドに向かう。だが、スコットはハリウッドでは名前すら忘れられており、「フィッツジョン君だっけ?」などと言われる始末。おまけにスコットに回された仕事は、大衆向けのちんけなドンパチものや安手の恋愛ものの脚本。「芸術などいらない!」と言われたスコットは意に染まない仕事を続けていく。

そんな中、あるテーマを書いた小説をどちらが書くがで、スコットとゼルダは言い争いにある。ゼルダの主治医(中河内雅貴)を間に、スコットは「長編小説でしか書けない題材で、長編小説が書けるのは僕だけだ」と主張するが、すでの小説を書いているゼルダは「8年間、長編小説をただの1編も書いていないのはどこの誰かしら?」と当てこする。

結局、スコットがゼルダの原稿を破り捨てるまで喧嘩は続くが、スコットはゼルダに、「ゼルダ、文章を書くというのは文字を羅列することではないんだ。文体は命。人が歩き、腰掛ける、ただそれを描写するだけで世界が変わっていく。文章は生き物なんだ」と語る。

ハリウッドと東海岸、スコットとゼルダは離れて暮らし続ける。スコットが最後に訪ねてきた時のことをゼルダはベンに語る。ゼルダの容色が色褪せてしまったのは自分のせいだとスコットは自責の念を口に出す。だが同時に本当に愛したのはゼルダだけだと伝える。スコットがアルコール依存症が引き起こした心臓麻痺により44歳で早世するのはその数ヶ月後だった。

スコットがゼルダに送った最後の手紙には、「医師はアルコール依存症でありながら、この年まで心臓発作を起こさなかったのは奇跡だと語った。だが、療養することで心臓も良くなってきている」と書かれていた。だが、心臓は良くなっておらず、スコットは帰らぬ人となる。

その話を終えた後で、ゼルダはベンに、「ところであなた、自信はあるの?」と聞く。ベンは、「自信も何も、私は生活のために文章書いているような作家でして」と告白し、ゼルダに「じゃあ、自信も誇りもなく作家をやっているのね」と怒気を含んだ口調で迫られた時に、「金のために仕方なく作家をやっている人間もいるんです」と自己弁護する。ゼルダは怒り、「生きている意味がない!」などと叫ぶ(実は、台本にはゼルダが怒るところまでのセリフしか書かれておらず、その後のセリフは濱田めぐみに任されていたそうだ。そのことはアフタートークで語られたが、当の濱田は、「え? あたし、そんなこと言った?」と覚えておらず、ゼルダが乗り移ったまま無意識に口を突いて出た言葉であることがわかった)。

ゼルダは医師や看護師達によって、強制的に隔離される。

ベンは、精神病院を後にしようとするが、思い返して、再びゼルダの病室を訪ねる。ゼルダはスコットの小説について、「なんとしてもしがみついてやろうという強い精神力、我々アメリカ人が多くは諦めてしまったものを彼は持ち続けていた。彼の小説には輝くような生命力と強靱なスタミナがある」と評する。フィッツジェラルドの遺作『ラスト・タイクーン』は未完に終わったが、ゼルダはフィッツジェラルドの不屈の魂が宿っているとして、知り合いのいる出版社に掛け合って出版して貰ったのだという。そして、ゼルダも諦めることなく今も小説を書き続けている(数年後、精神病院は火事になり、ゼルダは巻き込まれて自身の小説と共に48年の短い人生を散らした)。スコットとゼルダの逞しさに打たれたベン・サイモンはフィッツジェラルド夫妻のことを記事にするのは止めた。だが、この不思議な夫妻の魅力、その一挙手一投足、「二人だけが見ることの出来た風景」などに惹かれ、本格的な文学作品を書いた。そのタイトルは「スコット&ゼルダ」である。

ミュージカル「ラ・マンチャの男」に似たメッセージを持つ作品であった。特に目新しいものではないが、観る者に勇気を与えてくれるメッセージである。「諦めるな、諦めるな、絶対に諦めるな」。これはウィンストン・チャーチルのモットーであったそうだが、これは励ましであると同時に、安易に諦め、惰性で生きようとする我々への戒めでもあるように思う。確かに栄光は短く空虚かも知れない。だが、目指すのは栄光でなくても良い。己を曲げないことも大切なのだ。

私は合理的にものを考えるのが好きなので、一度、客におもねるような解釈に自作を変えようとして、「それはやらない方が良い」と言われたことがあるが、確かに、何をするかは自分が決めることで相手に合わせることではない。その時の私は己を曲げてしまっていたわけで、フィッツジェラルドのタフさの対極にいたわけである。そして今、思い返すと、解釈を変えないで良かったとも思う。私ももっとタフであるべきなのだろう。

主要キャスト4人を始め、出演者は端役に至るまで、歌、ダンス共にレベルが高く、日本ミュージカル界の底力を知る思いである。演奏も充実。フランク・ワイルドホーンの音楽も分かりやすいが、その分、圭角がないため記憶には残りにくい。

スコット役のウエンツ瑛士は優れた歌唱を披露したが、彼はタレントでミュージカルが本職ではないため、バリバリのミュージカル歌手である濱田めぐみに比べると声が浅いところから出ており、ファルセットもやや不安定ではある。だが、ここまで歌えれば十分だとも思う。

佐々木蔵之介が実力を認めたことで知られる蓬莱竜太の手掛けた台本もなかなかのもの。蓬莱本人の作で私が「これは優れている」と思ったものは残念ながらまだないのだが、「スコット&ゼルダ」では良い仕事をした。

鈴木裕美の演出も優れていたように思う。

終演後、ウエンツ瑛士、濱田めぐみ、中河内雅貴、山西惇の4人によるアフタートークがある。

ウエンツ瑛士が、「みんな(他の3人)は、大阪、慣れてるでしょ」と言ったので、何のことかと思ったが、実はウエンツ瑛士が大阪で舞台を演じるのは今日が初めてなのだという。知名度のある人なのでとっくの昔に大阪での舞台を踏んでいるものだと思っていただけにかなり意外であった。ウエンツは、「山西さん(京都市生まれ京都大学卒。劇団そとばこまち出身)から、『大阪のお客さんは違うよ』と聞かされていたので、不安でしたが、確かに違いました。ですが今日は背中を押される思いでした」と語る。
大阪のお客さんはとにかく盛り上がるので、演じる方としてはやりやすいと思う。東京のお客さんは結構冷たいので。

司会の女性が出演者に、「一番記憶に残ったセリフ」を挙げるよう促す。4人はセリフを思い出すために頭を抱える。中河内は、「最初の山西さんのセリフで、『雪が降っていました』」とボケると、ウエンツも「雪が降っていました」と同じことを言う。ウエンツが本当に記憶に残ったセリフはゼルダの「婚約って行動する権利を束縛するものなの?」というもの。スコットと婚約中のゼルダが男遊びを見とがめられて放ったセリフであり、ウエンツは袖で着替えながらゼルダのセリフを聞いているのだが、このセリフが出てきた時だけ、着替えの腕がピクッと止まってしまうという。

山西は、やはりゼルダのセリフで「男の人が私に恋するのには慣れているから」というもの。普通は「男の人に恋するのには慣れているから」と来そうなものだが、実際は逆なのである。ゼルダという女の不思議さが浮かび上がるセリフである。

濱田は、「文章は文字の羅列じゃないんだ。生き物なんだ」というセリフに考えさせられるものがあったそうで、「文章を不正確に扱ってはいけない」ということで、ずっと台本を読み、今では台本はボロボロ状態だそうである。

濱田は、「ゼルダという、この不思議な人、どこに行っちゃうんだろう?」と言う。「ずっと一緒にいて、体に馴染んだのに、明日の公演でさよなら。それからゼルダはどこに行っちゃうんだろう?」
ウエンツが「新幹線に乗って一緒に品川で降りるんだ」と言うが、濱田は「私、新横浜、神奈川県(在住)だから」と別の話になっていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

笑いの林(59) 「このメンバーがZAZAに集まったんだから面白いに違いないライブ」2014年9月25日

2014年9月25日 道頓堀ZAZA HOUSEにて

午後7時から、道頓堀ZAZA HOUSEで、道頓堀ZAZAよしもとライブ「このメンバーがZAZAに集まったんだから面白いに違いないライブ」を観る。上演時間約1時間と短いが、その分チケット料金はかなり安めに設定されている。

道頓堀ZAZAは、かつては道頓堀五座の中心にあった中座の跡に建つ中座くいだおれビルの地下1階にある多目的スペースである。HOUSEとPOCKETの二つのスペースがあり、HOUSEの方が一回り大きい。いずれも演劇・演芸専用の小屋ではないのだが、吉本興業や近畿大学と提携しており、お笑いライブや小演劇の上演も行われている。

今日の出演メンバーは、学天即、桜 稲垣早希、アキナ、天竺鼠、福本愛菜(吉本新喜劇。元NMB48メンバー。NMB48を卒業したメンバーの中で今も芸能界にいるのは現時点では彼女だけのようである)。

まず、出演者全員が登場して挨拶する。早希ちゃんは浅倉南の格好をしているが、本来は私服でオープニングに登場した後で衣装に着替えるはずが、間違えて先に衣装に着替えたまま出てきてしまったというが、持ち時間が1組につき4分と短いこともあり、2番目に出てくる早希ちゃんはオープニングを終えてから着替えていたのでは間が開きすぎてしまうため、早めに着替えることにしたのかも知れない。天竺鼠・川原は、ライブのタイトルが長いこととライブの最初に出演者全員が揃うという設定が腑に落ちなかったようで、「このタイトルと企画考えた人、多分、アホだと思いますよ」と言って、相方の瀬下に「企画した人、聞いてるかも知れんやろ」と制せられるが、「いや、逆に聞いてて欲しいねん」と更に批判を重ねる。確かに1時間という尺で、ネタとコーナーをやってネタの持ち時間4分では、良いものが作れるとは思えない。そもそも4分以内に収まるネタを持っていない。ということで、おそらく全組が、短時間で作ったネタを披露せざるを得ず、完成度は高くなかった。「おそらく」と書いたのは早希ちゃんと天竺鼠以外の出演者についてはネタをよく知らないので断定は不可能なためだ。

本当に面白いものを作りたかったらもっと人数を絞るか、上演時間を長くする必要があるのだが、その計算が出来ていないため、川原は怒ったのだと思う。

福本愛菜であるが、彼女は吉本新喜劇の座員であって、お笑い芸人ではない。ということで、今回は司会ということなのだが、司会はアキナの秋山が担当するため、今日は単なる劇場の華扱いである。この事も含めて今日は、やっつけ公演の感が否めない。

売れっ子漫才師の学天即であるが、今日は本来のネタが出来なかったためか牽強付会と思われるやりとりが多く、早希ちゃんは「上杉達也と勝也は似ているけど違う」という設定のフリップ漫才で、ラストと中間は上手くいっていたが、その間を繋ぐネタは咄嗟には思いつかなかったようで、一つ一つで出来不出来の差が激しい。アキナはペットの鳥が怪我をしたので、二人で行きたかった海外ミュージシャンのライブに行けなくなったという設定で行うコント。出来としてはまずまずだったように思う。天竺鼠は、「持ち時間が4分しかないので、ショートコントしか出来ません」と言いつつ、押しまくる。おそらくささやかな抵抗なのであろう。

出演者7人によるコーナーの時間。早希ちゃんだけが私服にチェンジ。青と黒の市松模様のワンピース。腰まであった髪を徐々に短くして、この間、思い切って「肩まで切った」とブログに書いていたが、今日はツインテールにしているためか、「短くなったなあ」という感じはしない。
アキナの秋山が司会を担当し、まずは「連想ニョキニョキゲーム」。お題から連想される言葉を挙げていき、間違ったり、かぶったりしたらアウトというもの。
最初の題は「将棋の駒」である。まず、早希ちゃんが「飛車」と挙げるが、福本愛菜が「王手」と言ったため、全員が「おいおい」ということになる。まさか早希ちゃん以上のボケ役がいたとは。
福本愛菜は、本気で「王手」という駒があると思っていたようで、みんなが「王の付く駒はある」と言った後でも、「王将」という正解を出すことが出来なかった。罰ゲームとして、福本は小太りの吉本のスタッフから、プラスティック製のバットで、尻バットを食らう。天竺鼠の二人が、そのまま退場した吉本のスタッフを見ながら、「今の誰?」と秋山に聞く。

「『て』で始まる可愛いものといえば?」。多分「天使」は出るだろうと予想していたが、天使を挙げる人は一人もおらず、天竺鼠・瀬下が「てふてふ」を挙げる。厳密にいうと「てふてふ」と書いて「ちょうちょう」と読むので、「て」という文字で始まっているが読みは違う。だが、まあいいだろう。アキナ・山名は「天ぷら君」と言って、秋山から「それ何?」と聞かれるも「わからん」ということで尻バットを食らう。

最後は「ファーストキスをした場所は?」という設定で、勿論、観客が聞きたいのは早希ちゃんと福本愛菜のファーストキスのシチュエーションのはずである。イケメン芸人は今日は出演していない。だが、男性芸人が徹底して邪魔に入る。相手が出るのを待ってから被せて言う人もいたりする。ちなみに早希ちゃんは「コンビニの前」、福本愛菜は「自宅の前」だそうである。アキナの山名は「ゲームセンター」だそうだが、ゲームセンターのどこでそういうことになるのかはよくわからない。

次は、「バラバラなぞなぞゲーム」。謎々の文章を6分割し、それぞれが被ったヘルメットの前方に貼り、残った5つの文章の断片を見て謎々に正解すればクリアというもの。ちなみに謎々自体も難しく、客席で見ている人でもわかった人の方が少なかった。「『かって』『もらった』『のに』『お金を』『払う』『場所は?』」という謎々。順番はバラバラに貼られているので、類推して頭の中で文章を組み立てる必要がある。「かって」が漢字ではないことから、これが「買って」ではなく他の漢字を用いるものであることはわかるのだが、私は「飼って」しか思い浮かばず、それでは意味が通じない。最後は秋山が問題を全部読み上げるが、それでも福本が「ペットショップ」、早希ちゃんが「闇金」と誤答。正解は出なかった。正解は客席に向かっては途中で発表されたが、「かって」は「刈って」であり、「刈ってもらったのにお金を払う場所は?」で、正解は「美容院」であった。ただ、私は美容院には髪を切りに行っているので、髪を刈るという言葉自体を使ったことはない。後ろの毛は刈るので、刈って貰っているのも確かなのであるが。

2問目でラストの問題は、「『たくさん』『こぼしても』『ちっとも』『減らない』『ものは』『何?』」。これは私は瞬時にわかった。液体は減る。涙であっても量は減っているので正解は物質ではない。物質でないもので、「こぼす」という表現されるものは「愚痴」しかないのである。

秋山が、「流石にもうわかったという方はいらっしゃいませんよね?」と客席に聞くが、私を含めて何人かが手を挙げたので、問題の難度は1問目より低いのであろう。
まず、天竺鼠・瀬下が正解。それから時間は掛かったが、早希ちゃんが正解して、ここでタイムアップ。最初に正解した瀬下がチャンピオン(わずか2問だが)になった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年1月19日 (火)

観劇感想精選(173) 「熱海殺人事件」2015-2016

2016年1月9日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後4時から西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「熱海殺人事件」を観る。つかこうへいの出世作にしてアンダーグラウンド演劇第二世代の代表的戯曲の上演である。

「熱海殺人事件」はバージョンを変えながら上演を重ねてきたが、演出も兼ねていたつかこうへいが逝去したということもあり、今回は最初の版での上演となる。
作:つかこうへい、演出:いのうえひでのり。出演は、風間杜夫、平田満、愛原実花(つかこうへいの実子)、中尾明慶。

つかこうへいに育てられた俳優といっても過言でもない風間杜夫と平田満の揃い踏みという豪華な顔合わせである。平田満は1975年に初めて熊田留吉新任刑事役で「熱海殺人事件」に出演。風間杜夫は1980年に初めて木村伝兵衛部長刑事役で「熱海殺人事件」の舞台を踏んでおり、この時の熊田新任刑事役は平田満であった。風間杜夫の木村伝兵衛部長刑事、平田満の熊田留吉刑事による上演は、1981年、1982年にも行われ、この黄金コンビは映画「蒲田行進曲」へと繋がっていく。だが、風間と平田による「熱海殺人事件」の上演は実に33年ぶり(昨年12月から公演は始まっている)となる。34年前には中尾明慶は勿論、愛原実花もまだ生まれていない。

つかこうへいの演劇は丁度私の両親やその少し下の世代を魅了した。高度経済成長が終わり、さまざまな軋みが出始める日本という国を描いているのが特徴である。在日韓国人二世であったつかこうへいは、結局、帰化することなく韓国人としてその生涯を終えている。対象を少し突き放したような作風はそのことと無縁ではないように思える。

「熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン」ではスポーツ界の元ヒロイン達の悲哀を、「熱海殺人事件 売春捜査官」では売春でしか生きられない女の哀感を描いたつかこうへいであるが、初期の「熱海殺人事件」で描かれているのはもっと素朴で、それ故により普遍性を持った物語である。

かつて「東洋のナポリ」と呼ばれ新婚旅行のメッカであった熱海の斜陽化が始まる1970年代初頭、熱海の海岸で殺人事件が起こる。被害者は女工の山口アイ子。
しかし、アイ子の写真を見た木村伝兵衛部長刑事(風間杜夫)は激怒する。アイ子は醜女であり、殺人事件として絵にならないのだ。伝兵衛は部下の片桐ハナ子婦人警官(愛原実花)に、モデルでも何でもいいからもっと綺麗な写真を使えと文句を言っている。そこに訪ねてきたのは富山県警からやってきた熊田留吉新任刑事(平田満)。熊田は木村に熱海の殺人事件について語るが、木村はやはりもっと華のある事件にするよう求める。遺体の発見者は消防士の山田太郎であるが、名前が冴えないので木村は文句を言う。「山田なんてのは牛や馬が進化したような苗字」とケチョンケチョンである(ちなみにつかこうへいは福岡県立山田高校の出身である)。第一発見者であるならその辺にいそうな冴えない消防士ではなく、元放火魔で死姦をするよう猟奇的人物でないとと木村。

犯人である大山金太郎(中尾明慶)が上手客席から歌って踊りながら現れる。「アイちゃんは『海が見たい』と言ったのさ」と言う大山。しかし、熊田は「ブスの女工風情で『海が見たい』だと!」と激怒。更に大山とアイ子が新宿の「マイアミ」という喫茶店で待ち合わせとしていたことを知ると、木村も熊田も場所を強引に喫茶店からバーに変えようとする。大山の見た目は熊田曰く「磯野カツオ」なのだが、理想とする犯人像はクラーク・ゲーブルのような男。ピグマリオンが始まる……

「イメージが優先する時代の作品」などと評される「熱海殺人事件」。確かに、木村伝兵衛や熊田留吉の求めるものは「格好いい」大事件である。熱海事件の実像は彼らにとっては取るに足らない殺人事件であった。事実が矮小なものならイメージで壮大に。

だが、どうだろう。大山金太郎の姿は木村伝兵衛や熊田留吉が求める最低限のイメージよりも更に下なのである。大山は醜女であるアイ子にさえフラれたのだ。
東京に出る前。九州・長崎五島列島の田舎町で金太郎は相撲のヒーローだった。しかし東京でありつけたのはしがない職工。アイ子をデートに誘っても行けるのは熱海がせいぜい。
光を求めて東京に出た大山は都会の陰でささやかに暮らすしかない。都会と田舎の背中合わせの光と影。
木村伝兵衛、熊田留吉、片桐ハナ子が描いていた最低ラインよりも更に下の世界で生きている人々の哀感。登場人物が全員エキセントリックなだけに却ってその憂いがよりリアルに伝わってくる。
そしての感嘆は熱海という街、二分化が進む都会と田舎にまで通ずると捉えても決して大袈裟ではないように感じる。否、熱海ブランドの凋落、都市の農村の格差、貧富の二極化などは、つかが「熱海殺人事件」を書いた1970年代よりも更に進んでおり、2016年現在の方が70年代よりも作品の主題がリアルに響くところがある。

木村伝兵衛部長刑事(自称40歳)を演じる風間杜夫は流石に年を取った感じで、声の威力が減退し、滑舌も十分とはいえなかったが(意識に体が追いつかないのだ)、存在感はまだまだ健在である。忌野清志郎のようなメイクも似合っている。
映像に主舞台を移した風間と違って舞台に出続けている平田満は流石の安定感。「顔がどう見ても菊池寛」という木村伝兵衛の台詞はおそらく以前に平田に合わせて書かれたもの(つまり以前に行われた当て書き)だろうと思われる。
元宝塚の愛原実花も演技スタイルは風間や平田と異なるがなかなか良い味を出している。
大山金太郎役の中尾明慶は軽すぎる気もするが、健闘したとも思える。

劇団☆新感線の旗揚げ公演が「熱海殺人事件」だったといういのうえひでのりの演出であるが、照明や映像の使い方はやはり上手である。いのうえ歌舞伎と呼ばれる独特の演出で知られるいのうえであるが、この「熱海殺人事件」では、実際に歌舞伎の調子で演じられるシーンを作るなど、持ち味である外連を発揮していた。ちなみ演劇界のみならずどこでも流行っている五郎丸ポーズはこの劇でも採用されていた。

会場には30年以上前の風間の木村伝兵衛、平田の熊田留吉を観たことのある客層もおそらくいたはずで、終演後、客席は大いに盛り上がった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年1月18日 (月)

「土曜日のタマネギ」 斉藤由貴バージョン&谷山浩子バージョン

「土曜日のタマネギ」斉藤由貴バージョンはバックコーラスの一人として無名時代の久保田利伸が参加していることで有名です。
 
「まっくら森の歌」、「恋するニワトリ」などで知られる谷山浩子は「土曜日のタマネギ」の作詞者です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年1月17日 (日)

ブルース・スプリングスティーン 「グローリィ・デイス」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年1月16日 (土)

world's end girlfriend(featuring湯川潮音) 「君をのせて/ナウシカ・レクイエム」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

コンサートの記(225) 飯森範親指揮 山形交響楽団特別演奏会 さくらんぼコンサート2015大阪公演

2015年6月26日 大阪・京橋のいずみホールにて

午後7時から、大阪・京橋のいずみホールで、山形交響楽団特別演奏会 さくらんぼコンサート2015大阪公演を聴く。指揮は山形交響楽団音楽監督の飯森範親。

4年連続4回目となる山形交響楽団のさくらんぼコンサート大阪公演。最初の2回はザ・シンフォニーホールで行われたが、前回からは会場をいずみホールに移している。

曲目は、モーツァルトの交響曲第1番、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番(ピアノ独奏:上原彩子)、モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」

開演15分ほど前から、山形交響楽協会専務理事・事務局長の西濱秀樹、指揮者の飯森範親、トランペット奏者の井上直樹、ホルン奏者の八木健史によるプレトークがある。

西濱秀樹は、今年の3月までは関西フィルハーモニーの事務局長であり、関西フィルのプレトークでユーモアたっぷりの話術を披露していたが、4月からは山形交響楽団の母体である公益社団法山形交響楽協会に移籍した。今日も関西フィルの時と同様、ユーモアの効いた話を聞かせる。山形交響楽団の大阪公演のプレトークはこれまで飯森の司会でやっていたが、西濱の話が面白いので司会に登用されたようである。

山形交響楽団(山響)が行ってきた、モーツァルトの――番号のないものも含めて――交響曲全50曲演奏達成を記念してのモーツァルトプログラムによる演奏会。モーツァルトの交響曲は全曲レコ―ディンされており、CDとしてのリリース計画もあるようだが、いつリリースするかなど細かいことはまだ決まっていないらしい。

飯森と山響のモーツァルト演奏の特徴は全面的にピリオド奏法を取り入れていることで、弦はビブラートを極力排し、弦自体をガット弦に張り替える奏者もいる。管は、ナチュラル・トランペットとナチュラル・ホルンを採用。フルートも木製のものが用いられる。ティンパニはバロック・ティンパニと呼ばれる旧式のものを採用。

現在のトランペットはバルブが付いているが、ナチュラル・トランペットは押すものが何もなく、口だけで音程を変える。ナチュラル・ホルンもバルブがなく、口と右腕で音程を変化させる。ちなみに、ナチュラル・ホルンは管1本だけでは出せる音が限定されているため、欲しい音がその管にない場合はその音が出せる別の管に変えて演奏するのだという。

ナチュラル・トランペットとナチュラル・ホルンの紹介は昨年と同じであったが、ピストン付きの現代のトランペットはナチュラル・トランペットに比べて遥かに音が大きいため、そのままモーツァルトを演奏すると弦と管のバランスを破ってしまうので、モダン楽器のモーツァルト演奏では常に弱音で吹くよう指揮者に指示され、結果、トランペットの音がほとんど聴き取れないという状況が発生しているという。ナチュラル・トランペットの場合は思いっ切り吹いても音が弱いので全体の中で上手くバランスが取れ、モーツァルトの演奏でトランペットを良く聴き取るにはむしろナチュラル・トランペットでの演奏を選んだ方が良いそうである。
ちなみに今日、ナチュラル・トランペットを吹く井上直樹はスイスのバーゼルで本格的にナチュラル・トランペットの奏法を学んだことがあり、またそれほど年ではないが、ナチュラル・トランペットの日本における権威的存在であるという。

古典配置による演奏。今日のコンサートマスターは山響ソロコンサートマスターの髙橋和貴(たかはし・かずたか)、フォアシュピーラーは犬伏亜里(いぬぶし・あり)。第2ヴァイオリンの首席奏者は舘野泉の息子である日芬ハーフの舘野ヤンネである。

飯森範親はモーツァルトの交響曲は2曲とも譜面台を置かず暗譜で指揮する。

モーツァルトの交響曲第1番。モーツァルトが書いた最初の交響曲ということで、モーツァルトの初期交響曲の中ではずば抜けて演奏頻度の高い曲である。

モーツァルトがわずか8歳の時の作品であり、「子供の書いた曲だから」とチャーミングに演奏されることが多いが、飯森は「天才に年齢は関係ない」とばかりにスケールの大きな演奏を展開する。流石はモーツァルトの曲であり、子供の頃に書いた作品でありながら大人にこうした真っ向勝負の演奏で挑まれても曲の内容が負けたり未熟さが露見したりということはない。

山響の弦楽はガット弦の人もいるということで、明るく澄んだ音色を出す。ナチュラル・ホルンは苦戦気味だが、改良された現代のホルンですら「キークス(音外し)」の代名詞なので、慣れないナチュラル・ホルンを楽々操るということは困難だと思われる。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番。ソリストの上原彩子は、1980年、香川県高松市生まれ、岐阜県各務原市育ちのピアニスト。3歳からピアノを始め、ヤマハの音楽教室に通う。1990年にヤマハマスタークラスに入会。その後もずっとヤマハのマスタークラスで学んでおり、音楽高校にも音楽大学にも行ったことがないという異色の経歴を持つ。
2002年に第12回チャイコフスキー国際コンクール・ピアノ部門に日本人としてまた女性としても初の第1位を獲得する。だが、当時のチャイコフスキー国際コンクールにヤマハが大口のスポンサーとして付いていたため、「不正があったのでは」という声もあった。

上原のピアノは高貴さとスケールの雄大さを兼ね備えたものである。どちらかというと典雅に傾いた演奏であるが力強さにも欠けてはいない。
一方で、第1楽章のカデンツァでは音の濁りが少し気になる。私は今日はステージ下手上方の2階席で聴いており、私の位置からはペダルが見えなかったのだが、おそらくペダリングに問題があるのだと思われる。

飯森指揮の山響は力強い伴奏を聞かせる。上原との息もピタリと合っている。

上原はアンコールとして自身がピアノ編曲した、チャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」より“あし笛の踊り”を演奏。最近のソフトバンクのCMで使われている曲である。愛らしい演奏であった。

モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」。モーツァルトは最初に書いた交響曲第1番の第2楽章に「ハー二ーヘーホ」で始まる主題を用いており、これが「ジュピター」交響曲の第4楽章で「ジュピター」主題として登場している。おそらくモーツァルトが子供の頃に好んだ音型を振り返って交響曲第41番を書いたのだと思われ、偶然同じ音型になったわけではないと思われる。ただモーツァルト本人も交響曲第41番が自身の最後の交響曲となり、最初と最後の交響曲が同じ主題によって繋がるとは想像していなかったであろうが。

飯森と山響による「ジュピター」はスケールが大きく、力強い。情熱的であり、モーツァルトではなくベートーヴェンの交響曲に挑むかのようなアプローチであるが、「モーツァルトらしさ」というものは固定されているものでなく、ただ何となく漠然と共有されているものなので、そこから少し外れていても構わないのである。
それにしても力強い演奏であり、こうした演奏を聴くと最高神「ジュピター」よりも最強神「ハーキュリーズ」の名前が浮かぶ(「ジュピター」というタイトルを付けたのはモーツァルトではない。誰が付けたのかはわかっていない)。

ピリオドの効果が最も良く出たのは第2楽章。弦楽器の深い音はモダン・アプローチでは出せないものである。

1階席で聴いていると残響を余り感じないいずみホールであるが、ステージ真横の2階席で聴いていると残響が長いのがわかる。反響板のないホールなので席が上にある方が残響が良く聞こえるのだ。しかし、京都コンサートホールにしろ、フェスティバルホールにしろ、いずみホールにしろ1階席の音響が今一つというのはいただけない。高い料金を払って音の悪い席を買う羽目になるのだから。

飯森の指揮は分かりやすく、山形交響楽団を存分にドライブする。

演奏終了後、喝采を浴びた飯森と山形交響楽団。飯森が「山形交響楽団の演奏会はアンコールを行わないんです。本番で全力を出すので疲れてフラフラになるので」と語りかけ、「是非、一度山形へ」というアピールも忘れなかった。

なお、入場者全員に、東根市のサクランボ「佐藤錦」が数個入りのパックでプレゼントされた。更に抽選で山形県産サクランボのプレゼントもあったが私は外れた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年1月15日 (金)

追悼・桂春団治 「襲名50周年記念 桂春團治落語会」2009年5月

2009年5月6日 大阪・なんばのワッハ上方ワッハホール(現・よしもと漫才劇場)にて

午後2時から、大阪・なんばのワッハ上方ワッハホールで、「襲名50周年記念 桂春團治落語会」に接する。

出演は、登場順に、桂福矢、桂小春團治、桂春之輔、桂さこば、笑福亭松喬、桂春團治。客席は満員で当日券なしの盛況である。

優れた落語家は、声から芳香を発するのがよくわかる。それぞれ香りは違うが、年齢を重ねれば重ねるほどに香ばしさを増す、まるでウィスキーのような(と書きつつ、私はウィスキーは呑めないのだが)声である。

演目は、桂福矢が「動物園」、桂小春團治が「豊竹屋」、桂春之輔が「牛の丸薬」、桂ざこばが「子は鎹」、笑福亭松喬が「お文さん」、そして桂春團治は、有名な「代書屋」をやった。

それにしても襲名50周年というのは凄い。春團治が語りの枕で、初代春團治が57歳で亡くなり、二代目春團治(今の春團治の父親)が58歳で亡くなっているので、自分は……、ということで襲名するのを躊躇したと語って客席の笑いを誘ったが、三代目は29歳で春團治を襲名し、長生きをしている(後記:桂春団治は享年85歳であった)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ネーメ・ヤルヴィ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 グリーグ 「ペール・ギュント」より“山の魔王の宮殿にて”

| | コメント (0) | トラックバック (0)

これまでに観た映画より(79) 「スター・ウォーズ(エピソード4/新たなる希望)」

DVDでハリウッド映画「スター・ウォーズ(エピソード4/新たなる希望)」を観る。「スター・ウォーズ」シリーズの初制作作品。1977年の公開。ジョージ・ルーカスの脚本・監督作品である。

「スター・ウォーズ」シリーズは9部作として構想されたが、まず第4作目になる当作品が制作され、第5作「帝国の逆襲」、第6作「ジェダイの復讐」(その後、「ジェダイの帰還」に改題)が続けて制作された。しかしその後、長期に渡って技術的問題を理由に新作の制作は凍結され、第1作「ファントム・メナス」が公開されたのはようやく1999年になってからであった。第2作「クローンの攻撃」、第3作「シスの復讐」が立て続けに制作、公開された後再び「スター・ウォーズ」は休眠に入り、ついこの間、ようやく第7作目「フォースの覚醒」が完成、公開されたが、原作者のジョージ・ルーカスは手を引いており、ディズニーが制作した全く新しい「スター・ウォーズ」シリーズとなっている。

最初に作られた「スター・ウォーズ」は、「ファントム・メナス」公開時に1977年当時は困難だったCG処理などが新たに施され、「スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望」として再びスクリーンで上映されている。

出演:マーク・ハミル、ハリソン・フォード、キャリー・フィッシャー、アレック・ギネス、ピーター・カッシングほか。ハリソン・フォード以外は「スター・ウォーズ」のイメージしかない人が多いが、名作映画に出演した俳優というのは得てしてそういう傾向があるのは否めない(作品のイメージが強すぎて、何を演じても「スター・ウォーズ」の誰それがやっているように見えてしまうのである)。

スピード狂で知られ、ハイスクール時代には激突事故を起こして瀕死の重傷を負ったこともあるジョージ・ルーカス(ただ、この事故がなかったら学業不振を理由にハイスクールを退学になっていた可能性も高い)らしい、スピード感溢れる爽快な物語に仕上がっている。哲学的深さなどはほぼないがこの映画はそうした要素のいらない作品でもある(ただ、「己の感覚を信じろ」というのは、ジョージ・ルーカスの体験から生まれたと思われる重要なメッセージである)。

アンドロイドのC3-P0とR2-D2の使い方が上手く、作品が単調になるのを防いでいるが、これら2台のアンドロイドやダース・ベイダーの扮装などは黒澤映画の影響を受けたものとされている。

とにかく楽しいというタイプの映画なので、難しいことは一切語らなくても大丈夫である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

これまでに観た映画より(78) 「未来世紀ブラジル」

DVDでイギリス&アメリカ合作映画「未来世紀ブラジル」を観る。映画も有名だが、主題歌の「ブラジル」の方がもっと有名だ。
1985年の作品。近未来ではあるが、20世紀のとある場所という設定である。1985年当時の未来予想像が窺えるのも興味深い。コンピューターはあるが、タイプライターがまだ積極的に活用されており、携帯電話も大型で、インターネットはなく、エアシューターが活躍している。

ある国のある都市。徹底された情報化社会と情報統制に反発を強める一団が爆弾テロを繰り返している。情報省に勤めるサムは夢の中に出て来た女性にそっくりのジルに惹かれ、情報剥奪局への昇任を利用し、ジルの情報を引き出そうとするのだが……。

夢と現実がたびたび入れ替わったり、何故かサムの幻想の中に日本の鎧武者が出て来たり、子供達が拷問遊びをしていたりと、キッチュな味わいに溢れている。

ラストは非常にブラックであり、救いがない。このシーンに陽気なメロディーを持つ主題歌「ブラジル」が対比されることで暗さが更に増す。「ブラジル」は憧れでしかないのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年1月14日 (木)

楽興の時(7) 「テラの音」vol.12 “New Year JAZZ Night”

2016年1月8日 京都市中京区御幸町通竹屋町下ル真宗大谷派浄慶寺にて

午後7時から、中京区御幸町通竹屋町下ルにある真宗大谷派浄慶寺で、「テラの音」vol.12 “New Year JAZZ Night”を聴く。
寺院で音楽を聴くという企画である「テラの音」。これまでも何回かFacebookを通してお誘いがあったのだが、いずれも先約があって行けなかった。そのため、「テラの音」を聴くのは今回が初めてになる。無料コンサートであるが、志納はある。

クラシックの演奏が多い「テラの音」だが、今回はジャズのコンサート。秦乃里子のヴォーカルと鷲尾一夫のアコースティックギターによるデュオである。

浄慶寺に行くのは初めてなので、早めに家を出るが、例によって開演よりも1時間以上早く着いてしまったために、周囲を散歩して回る。京都御苑の南側に当たる場所であり、町割りが碁盤の目(正確に書くとこの辺りは豊臣秀吉による京都改造が行われており、縦の通りが増えたため短冊状の町割りになっている)になっているが、観光名所になりそうなところは革堂ぐらいしかないため、どこにもよらずにただひたすら散歩する。京都の中心部は町を歩いているだけでも楽しい。

門が開いているのを確認したので、一番乗りで入るが、念珠を手にしていたため、住職から「ひょっとしてお寺さんですか?(お坊さんですか? という意味)」と聞かれる(浄土真宗の僧侶は有髪といって、一般人と変わらない髪型をしているため、一目見て僧侶なのかそうでないのかはわからない。浄慶寺のご住職は剃髪されていたが)。

浄慶寺の本堂でコンサートは行われる。なお、「テラの音」の主催者の一人である牧野貴佐栄(まきの・きさえ。ヤマハ音楽教室講師)がオープニングの挨拶を行い、「ダニー・ボーイ」と「You raize me up」ではヴァイオリン演奏として加わった。
曲目は、「私の青空」、「リンゴの木の下で」、「On the Sunny side of the Street」、「ステラ・バイ・スターライト(星影のステラ)」(鷲尾一夫によるギターソロ)、「サマー・サンバ」、「But Beautiful」、「ダニー・ボーイ」、「You raise me up」、「I Can't Give You Anythihg But Love,Baby」ほか。アンコールとして「テネシーワルツ」が歌われた。

秦乃里子は、普段はピアノの弾き語りをしているようだが、お寺にはピアノがないため今日はヴォーカルとマラカスのみを担当する。

ジャズは良く聴いてはいるが、クラシックほどには詳しくないため、判断したり発見したりすることは難しいのだが、しっかりした歌とギターであったように思う。ヴァイオリンはやはり残響のある場所でないとかさついて聞こえるようだ。


二部構成であり、一部と二部の間に、浄慶寺の中島住職による法話がある。住職はテレビ番組「ぶっちゃけ寺」の初期の頃に出演したことがあるそうで、「ぶっちゃけ寺」が深夜放送であった頃は、テレビ局側もまだ僧侶の話を良く聞いて放送してくれたそうだが、ゴールデン枠に移ってからはバラエティ色重視で肝心の仏教的内容は受けの良いところしか放送してくれなくなったそうである。
また「愛」について語り、仏教では「愛」は「貪愛(とんあい)」といって余り良いものとはされておらず(このことは私がアトリエ劇研で上演した「生まれ変わるとしたら」にも出てくる。仏教の初歩的な知識として知られていることである)、執着心として見なされるのだが、釈迦が愛を持っていなかったかというとそういうわけでもないという。
 
仏教というと葬式仏教のイメージが現代では強いのだが、インドでは葬式を行うのはそれ専門の職の人であり、僧侶が葬式に携わることはないという。インドにおける輪廻転生は人間は死んだらすぐ別のものに生まれ変わるのだそうで、仏陀はそういう輪廻転生から逃れるための浄土をお作りになったのだが、仏陀自身は浄土が死後の世界のことだとは語っていないそうで、死んだらすぐ生まれ変わるという思想の強いインドで仏教が廃れた理由は浄土といわれても上手くイメージ出来なかったかららしい。一方で、日本では浄土の思想は日本人の考え方にマッチしたため、よく広まり、死への旅立ちが仏教と繋がって、葬式といえば仏教というようになっていったようである。ただ仏教の本質は「死」ではなく「どうすれば良く生きられるのか」を問うことにある。
 
仏教には自力と他力があり、密教系が自力、念仏系が他力である。往生するよう努力するのが自力であるが、みんながイチローのような名選手になれるわけではない。プロ野球には入れたがそれだけの人、プロ野球に入ることが出来なかった人、野球自体が得意でなかった人もいる。そういう人は自力では救われないが、他力という考えがあってちゃんと救われるのだという。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

幸せ

ある人 「神様、幸せって何でしょう?」
 
神 「何も知らないことだよ」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年1月13日 (水)

コンサートの記(224) 神奈川県民ホール40周年記念公演 黛敏郎 オペラ「金閣寺」2日目(楽日)

2015年12月6日 横浜市中区山下町の神奈川県民ホールにて

午後3時から、横浜市中区山下町にある神奈川県民ホールで、黛敏郎のオペラ「金閣寺」を観る。今日は溝口という男の特異な心理をほぼ完全に把握することが出来た。

原作:三島由紀夫、台本:クラウス・H・ヘンネベルク、演出:田尾下哲。今日の溝口役は宮本益光。下野竜也指揮神奈川フィルハーモニー管弦楽団、東京オペラシンガーズの演奏。出演は、宮本のほかに、出演は小森の他に、黒田博、飯田みち代、高田正人(たかだ・まさと)、三戸大久(さんのへ・ひろひさ)、与那城敬(よなしろ・けい)、吉原圭子、鈴木准、谷口睦美、嘉目真木子ほか。舞台装置:幹子・S・マックスアダム。衣装:半田悦子。

ストーリーは、溝口が今まさに金閣寺に放火しようとしている場面から始まる。そして話は溝口の過去の回想へと拡がっていく。右手が不自由な障害者(三島の原作では吃音の持ち主ということになっているが、オペラで吃音は難しいので設定を変えている)として生まれた溝口にとってこの世は修羅の場であり、己は修羅であった。そんな修羅の世にあって浄土のように超然と美しい金閣に溝口は憧れると同時に違和感を覚えていく。

最初に金閣寺を見たときの印象は「思ったほどには美しくない」であったが、この世の穢れ、生臭坊主や足の障害を売りに生きている同級生の柏木などと接しているうちに、相対的に金閣寺の美しさは輝きを増していくのだった。

そんな金閣寺の美しさは溝口の初恋の相手である有為子(意味深な名前である。演じるのは嘉目真木子)のイメージと分かちがたく結びついている。若くして亡くなった有為子は溝口にとって聖女であり、南禅寺の三門の上から見た有為に似たところのある天授庵の女(吉原圭子)に溝口は神聖なるものを感じる。後に、柏木の華道の先生であるこの女性と会った溝口ははっきりと「神聖な」という言葉を口にしている。溝口は女とことを起こそうとするが、女性を神聖視する余り不能に終わる。今ではもう女性に聖なるものを求める男性は余りいないと思うが、バブルより前にはそうした男性は相当数存在したのである。

後に溝口は遊郭に出入りするようになるのだが(今回の上演では、通常はカットされる「京都遊郭のだんまりの場」が上演される)、そうした穢れた三千世界にあって、聖なる有為子と一体になった聖なる美しい金閣寺は生きていく上で邪魔なものでしかなく、乗り越えるためにはこの世に存在してはならないのだと溝口は考えるようになるのだった……


特異といえばかなり特異な心理劇であるため、じっくりストーリーを追わないと内容が理解出来ない。「難解」とされ、上演の機会が余りないのもそのせいである。また溝口の独特のの倫理観は今後、いっそう特殊化が進むことが予想されるため、黛のオペラ「金閣寺」の上演機会が増える可能性も残念ながら低いだろう。黛敏郎の力強い音楽自体はとても優れたものなのだが、ストーリーは時の流れに抗えない。

今回、上演された「京都遊郭のだんまりの場」であるが、黛は「祇園小唄」の旋律を採用。ユニークな音楽に仕上げている。

田尾下の演出であるが、金閣寺の模型をずっと舞台上に建てておくというプランには大賛成だが、死者達に白化粧をして登場させるという演出は舞台効果を弱めているように思う。これはあくまで現世における懊悩の話なのである。死者は出来るなら出さない方がいいだろう(台本上に「死者が出る」と指定されている場面は除く)。出さない方が観客のイメージも膨らむ。

色々とあったが、上演としては大成功であったと思う。歌手達も、東京オペラシンガーズによる合唱も優れていた。そして何よりも下野竜也指揮の神奈川フィルハーモニー管弦楽団の響きが充実していた。
      

| | コメント (0) | トラックバック (0)

コンサートの記(223) 神奈川県民ホール開館40周年記念公演 黛敏郎 オペラ「金閣寺」初日

2015年12月5日 横浜市中区山下町の神奈川県民ホールにて

横浜へ。山下公園のそばにある神奈川県民ホールで、黛敏郎のオペラ「金閣寺」を聴くためである。
三島由紀夫の同名小説が原作。舞台は京都であるが、作曲家である黛の生地である横浜で、16年ぶりとなる上演が行われる。

三島由紀夫の「金閣寺」は、私が「日本近代文学の最高峰」と認めている作品であるが、心理劇であるため、舞台作品には不向きという点がある。黛もその点は考えていたようで、当初は「金閣寺」をオペラにすることをためらったといわれているが、クラウス・H・ヘンネベルクの台本による、「三島作品とは別の心理劇『金閣寺』」とすることで折り合いをつけている。
なお、黛にオペラの作曲を依頼したのはベルリン・ドイツ・オペラであり、ドイツ語によるオペラ作品となっている。ベルリン・ドイツ・オペラの総監督であるグスタフ・ルドルフ・ゼルナーが二度行われたベルリン・ドイル・オペラの来日公演の後で、「日本人作曲家の手による日本の作品をオペラ化したい」と申し出、歌舞伎などでお馴染みの「寺子屋」か「金閣寺」を台本に選んだ。依頼を受けた黛は「金閣寺」を選んでいる。
これには伏線があったようで、実は黛は三島由紀夫が台本を手がけたオペラ「美濃子」の作曲をする予定であり、実際に作曲を進めていたのだが、締め切りに間に合わせることが出来ず、三島は激怒。黛から作曲権を取り上げた上で、黛に絶縁状を叩きつけたという。黛は三島との復縁を図って「金閣寺」のオペラ化に挑んだと思われるのだが(黛が「金閣寺」のオペラ化の許諾を求めに訪れたところ、三島は歓喜したという)、オペラ「金閣寺」が初演される前に三島は市ヶ谷で割腹自殺を遂げており、黛の夢が実現することはなかった。

オペラ「金閣寺」は、1976年6月23日、ベルリン・ドイツ・オペラで初演。日本初演は演奏会形式であり、1982年10月18日に東京文化会館で岩城宏之の指揮により、抜粋という形で演奏されている。

録音は、フォンテックがライブ録音した岩城宏之指揮のものが出ていたが、現在は廃盤。期間限定でタワーレコードが復活販売をして会場でも売られていたが、それも終了している。私は、明大生時代に「金閣寺」のCDを購入しており、「これは日本音楽史上の最高傑作だ」という衝撃を受けた。「金閣寺」が日本音楽市場最高傑作という思いは今も変わっていない。

黛はその後、これもやはりドイツ語によるオペラ「古事記」を書いているが、出来としては「金閣寺」の方が上であるように思う。


午後3時から、横浜市中区山下町にある神奈川県民ホールで、黛敏郎のオペラ「金閣寺」を観る。原作:三島由紀夫、台本:クラウス・H・ヘンネベルク、演出:田尾下哲(たおした・てつ)。主演:小森輝彦。下野竜也指揮神奈川フィルハーモニー管弦楽団、東京オペラシンガーズの演奏。出演は小森の他に、黒田博、飯田みち代、高田正人(たかだ・まさと)、三戸大久(さんのへ・ひろひさ)、与那城敬(よなしろ・けい)、吉原圭子、鈴木准、谷口睦美、嘉目真木子ほか。

オペラ「金閣寺」は、主役である溝口役の男性歌手(バリトン)のみが出ずっぱりであり、アリアを歌っている時間も飛び抜けて長いという特色を持つ。そのため、溝口だけはダブルキャストであり、明日の公演では、小森輝彦に代わり、宮本益光が溝口を歌う。

午後2時20分開場であり、午後2時30分から、演出の田尾下哲と舞台装置担当の幹子・S・マックスアダムスによるプレトークがある。今回の「金閣寺」では、舞台上にミニチュアの金閣寺を実際に作り(幹子・S・マックスアダムスが設計を担当した)、冒頭から終幕まで、金閣寺は同じ位置に立ち続ける。途中、幕などで隠れることはあるが、金閣寺のセットが舞台上から消えることはない。溝口の心の中心には常に金閣寺があるということを表すための演出で、表現としてはとても良いと思う(仮に私が演出を担当したとしても同じ手法を取るだろう)。


朝に、京都を出発し、昼過ぎに横浜に到着して、横浜開港記念資料館、山下公園などを回って神奈川県民ホールに入ったのだが、眠気が解消されないという状態があり、ドイツ語歌唱で日本語字幕スーパー付きの上演ということもあって、ちょっと集中力を欠いている間に話が進んでしまっていて、溝口の心理を十全に追えないという結果になった。黛の音楽、下野指揮神奈川フィルの演奏、歌手陣などは充実していただけに、悔しい結果となった。明日の公演では全力を尽くすことを誓い、神奈川県民ホールを後にする。

神奈川県民ホールに来るのは初めて。東京・渋谷のNHKホール(関西の人はNHK大阪ホールのことを「NHKホール」と呼んでしまうためややこしいことになっている)をモデルに設計されたというホールであり、NHKホールに遅れること2年の1975年に竣工している。そのため、今年は開館40周年となる。渋谷のNHKホールは音響の悪さで有名だが、神奈川県民ホールはNHKホールよりは小型ということもあって、音の通りはまずまずである。下野竜也は豪快な音楽作りをするため、音が飽和したミシミシという音もしていたが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年1月11日 (月)

R.I.P. David BOWIE

坂本龍一 「Last Regrets」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

笑いの林(58) 「2016年 道頓堀ZAZA新春寄席」

2016年1月1日 道頓堀ZAZA HOUSEにて

大阪へ。道頓堀ZAZA HOUSEで、「2016年 道頓堀ZAZA新春寄席」を観るためである。
「2016年 道頓堀ZAZA新春寄席」は、午後1時、午後3時、午後5時から毎回上演時間約1時間の3回公演であるが、京都から道頓堀まで来たので全部観ていくことにする。

出演は、桜 稲垣早希、スマイル、銀シャリ、夫婦円満、グイグイ大脇、笑い飯(午後1時開演の登場順。笑い飯は午後1時開演と午後3時開演の公演ではトリを務めたが、午後5時開演の公演ではトップバッターであった)。

元日ということで、舞台後方には金屏風が立てられている。


桜 稲垣早希。今日は毎回、浅倉南を演じるということで、出囃子も「残酷な天使のテーゼ」ではなく「タッチ」を用いていた。

早希ちゃんは出てきてまず、「明けまして」と言って耳に手をやり、観客がそれぞれ「おめでとう」「おめでとうございます」と口にする。それから早希ちゃんが「タッ」と言うので観客が「チ」と応える、早希ちゃんが「こうしえ」でお客が「ん」と言う掛け合い(になってるのかな?)をやる。

午後1時開演の回と午後5時開演の回では「病み系アサクラさん」をやるが、客席の反応は今一つ。「病み系アサクラさん」は早希ちゃんのネタの中でも出来が良い方だと思うが、今日は演技に迫力があるため(決して演技が上手いわけではないのだが、淀みなく進むためお笑いよりも演劇的要素が勝っていた)、今日は笑うよりも演技を見てしまった。常連でない方達からはそれなりに笑いが取れていたのだが。お笑いとはやはり難しいものである。

午後3時開演の回では、「『一回目も観たよ』という人」と早希ちゃんが客席に聞き、結構多くの人が手を挙げたので、お得意の「あんたバカぁ~?!」を披露する。そして「1回目と完全に同じことをするわよ」と宣言しておきながら、この回だけは「病み系アサクラさん」はやらず、早希ちゃんの手による浅倉南のサインや自身のサインを入れたお餅など(貰っても扱いに困りそうだが)をプレゼントする回になっていた。この午後3時開演の回では、「前座」と言い張り(後記:2016年1月10日放送の「新生紀ドラゴゲリオンZ」での早希ちゃんの発言によるとスタッフさんから「前座をやっていいよ」と言われたとのこと)、「次の芸人さんのために場を暖めてやりやすくする」と述べたのだが、この回にはやたらと饒舌なお爺さん(早希ちゃんにプレゼントを貰ったが、「近くで見るとえらい別嬪やな」と褒めていた)が来ており、そのお爺さんと対応した後では「次の芸人さんがやりにくく」と今現在の自分の本音をもらしてしまい、口に手を当てて苦笑い。

ちなみにそのお爺さんは、グイグイ大脇の出番でも「滑った」と断言して、グイグイに「誰ですか? 今『滑った』って言ったの」と突っ込まれていた。
プレゼントの時間を長めに取ったため、持ち時間が後1分になってしまい、早希ちゃんは「じゃあ、私が金屏風の前を歩きます」と言って、言葉通りに金屏風の前を上手から下手に向かってゆっくりと歩く。意味はよく分からないのだが、シュールすぎて笑える。笑いはやはりわからない。


スマイル。瀬戸洋祐が福山雅治の「桜坂」の話をするが、ウーイェイよしたかは、「桜坂」を知らないという。そこで瀬戸が「桜坂」を歌うのだが、「君をずっと幸せに風にそっと誓うよ」まで来たところで、よしたかが「ウーイェイ」と持ちネタを入れる。その後、瀬戸は尾崎豊の「I Love You」を歌うが、「I Love You 今だけは悲しい歌」まで来たところで、よしたかが「聞きたくないよ!」と言って中止させる。「音痴なんだもん」とよしたか。よしたかは「早見優、あびる優、山田優、みんなI Love You」と言って瀬戸に頭をはたかれるが「だってみんな好きなんだもん」と譲らない。

午後3時開演の回では、男の青春期の妄想についてのネタをやったのだが、瀬戸はよしたかに可愛い女の子を演じるよう要求したものの、実際によしたかが演じたのはキックボクシングの達人というタイ人の女の子で、キャッチボールをするとアンダースローで全力投球。ボールが逸れて瀬戸が拾いに行っている間によしたかがヤンキーの集団に絡まれ、瀬戸が助けるという設定にしたものの、よしたかはキックボクシングでヤンキー数人を倒してしまい、「次はあなたよ」と瀬戸をけしかけたりする。
 
午後5時の回には、駆け出しだった頃のエピソードを語り、最初に作ったネタが酷かったというので、よしたかが再現。刑事もので、よしたかが容疑者、瀬戸が刑事役だったのだが、瀬戸の「早く吐け」という台詞によしたかは嘔吐の方の吐くを演じたという。その時の瀬戸の突っ込みをよしたかが再現したのだが、異様にたどたどしく、瀬戸から「俺そんなだった?」と聞かれる。更に「はく」は「はく」でも掃く方の掃除をよしたかは始めたのだが、その時の瀬戸の突っ込みもよしたかが再現したものではガチガチに緊張したもので、瀬戸は「ほんま俺そんなだった?」と訝しむ。
瀬戸は子供の頃は「刑事になりたい」という夢を持っていたそうだが、よしたかによると「父親が刑事だったから」ということで出掛ける時の「パトロール行ってきます」をという父親の真似をするも、瀬戸はよしたかの滑舌が悪く、頭の働きが悪そうに聞こえるので、「お前、お父さんもアホやった?」と聞く。よしたかは、「お父さんのことを悪く言うのは構わないが自分のことを悪く言うのは許さない」と言って、瀬戸に「普通逆やろ!」と突っ込まれていた。


銀シャリ。鰻和弘の苗字が珍しいという話から入る。苗字のせいで結婚出来なかったという鰻。以前、結婚を考えた女性がいたのだが、「重子」という名前だったため、結婚すると「鰻重子」通称「鰻重」になってしまうため、「将来のことを考えると無理」と言われて別れたという。そんな鰻だが、昨年7月に目出度く入籍。「鰻」姓の人は全国で6人しかおらず、そのうち4人は鰻和弘の家族だが、結婚したことで7人目の鰻さんが現れたことになる。

鰻は頭の良い人物に見られたいので諺を覚えているとして、「一万去ってまた一万」、「壁にニス塗り障子にメリハリ」、「早起きは三秒の得」、「三度目の掃除機」と言って、相方の橋本直から「パチンコか」、「大工やそれは」、「寝るわ。それだけだったら」、「そんなに掃除機買わんわ。買ったらダイソンぐらいになってるわ」と突っ込む。

午後3時の回では、鰻が「スポーツをしよう。テニス」と言ってゴルフのスイングをし、橋本に「どっち信じていいのかわからん」と言われる。結局、テニスをすることになったのだが、鰻は錦織圭のことを「ニシコリコリ選手」と言って、橋本に「なんやその歯ごたえありそうな名前」と言われる。
「思い切って20万円の買い物をした」という鰻。しかし、買ったものは「ドライヤー」であり、橋本に「めっちゃ怪しい」と言われる。20万円のドライヤーは「ベッグ・キャメラー」というビックカメラの名前をパクった個人商店(橋本に「中国(でよくあるバッタもん)の匂いがするわ」と突っ込まれる)で買ったもので、回転したり二人で使えたり親子三人でも使えたりと不要な機能ばかりが付いている。

午後5時の回では、鰻が甥っ子に歌を唄うと笑われるという話をする。「チューリップ」を唄うと笑われるというのだが、出だしが「たいた、たいた」で、橋本から「炊いたじゃ炊きあがってもいない。せめて炊きあがってから唄え」と突っ込まれ、「『た』じゃなくて『さ』だ」と訂正されるも、鰻は「さいさ、さいさ」、「たいさ、たいさ」と唄って、「大佐二人出てきたわ。大佐が二人もいたらその軍隊めっちゃ強なるわ」と突っ込まれる。
更に「ボギー大佐(クワイ河マーチ)」の子供がやる替え歌「猿、ゴリラ、チンパンジー」を、「チンパンジー、ゴリラ、猿」と逆にしてメロディーが崩壊する。
最後は「大きな古時計」を唄うのだが、鰻はまず平井堅のプロモーションビデオのポーズをして、橋本に「誰も覚えてへん」と突っ込まれる。まずメロディーが違う(「大きな栗の木の下で」になっている)。その後、メロディーは合うのだが、「大きなノッポ系」という意味不明のものになったり、「100年いつも」のところが「2年いつも」に大幅短縮。「ご自慢の時計」が「50万の時計」になり、橋本に「50万出して2年しか動かん時計だったら詐欺だろう」と言われる。
「日本昔話」の主題歌を歌うことになるのだが、鰻は何故か2番から歌い出してしまう。

鰻は「睡眠が大事」という話もする。だが「人生の二分の一は寝ている時間」と言って、「寝過ぎや。三分の一や」と橋本に突っ込まれる。鰻は「よく寝るためにはスイミンググッズが大事」と言って、橋本に「なんで泳ぐねん!?」と返される。鰻は睡眠グッズの例としてウォーターベッドを挙げるのだが、橋本は「鰻だけにウォーター」と言う。鰻は「スイマーが襲ってきたとき」と再び泳ぎの方の話になってしまった。


夫婦円満。夫婦によるパフォーマンスである。まずはバルーンアート。啓太がその場でバルーンアートを作るのであるが、リサが予め作っておいたバルーンアートの方が遙かに出来が良いので、啓太の作業が徒労に終わるという内容である。ちなみに音楽はビートルズの「オブラディ・オブラダ」を二人がメロディーを口ずさむことで間に合わせる。
啓太はバルーンを呑み込み、そのバルーンがお尻から出てきたということで、バルーンと万国旗が現れる。その後、リサが風船を串刺しにする芸を披露する。

最後は巨大バルーンをお客さんに弓矢で射て割って貰うのだが、午後1時開演の公演では一発で成功したものの、午後3時開演と午後5時開演の公演では成功ならず。
午後3時開演の公演では矢が金屏風の裏に行ってしまって取れないため、リサが使った串を用いて風船を破裂させた。


グイグイ大脇。今日は吉本らしい無茶苦茶なスケジュールだそうで、守口市内のホテルで行われているビンゴ大会の司会とZAZA HOUSEでの出番を交互にこなしているという。勿論、吉本なので、電車移動であり、地下鉄御堂筋線に乗って淀屋橋で京阪に乗り換えて守口市駅まで、そしてまたその逆を繰り返し、勘定したところ、18回電車の乗り換えを行っていたという。

まず唯一の持ちネタである「グイグイ」をやってから、息子の話をするのだが、息子が先頭で、円形の椅子を転がしながら「タイーヤマルゼン、タイーヤマルゼン。ホイールマルゼン、ホイールマルゼン」(関西では良く流れているCM)を歌っていたという話が一番受けていた。
それから英検の準一級を持っているということで、「役に立たない英語」。
「屁こいて寝な」、「頭かちわって脳みそ吸い出したろかい」という関西人がよく使う言葉を英語にしたものである。ただ笑いではなく、「へー」という反応が多く、グイグイも「ネタに入ってから滑り気味なので」と自虐発言をしていた。

グイグイ大脇、性格的にはかなり良い奴だと思われ、応援したくなるタイプなのだが。


笑い飯。今日もダブルボケが展開される。
午後1時開演の公演では、割り込みをする人へのボケと突っ込み。西田に割り込まれた哲夫が前の人に「後ろに割り込まれましたよ」と言ったり、哲夫が西田と顔を見合わせる形になって割り込んだり、西田が割り込むかと思ったら通過したり、哲夫に「どけ! このチビ」(西田の方が小柄である)「君、中学生?」「女の子?」とボケたりする。哲夫が「お前の方がチビや」「中学生にしてはきちんとしすぎやろ。どういう見積もり?」「女の子の要素どこにあんねん?」という言うたびに西田は「その言葉は学校で流行っているのか?」とボケる。

午後3時開演の公演では、タクシーを止めようとしたら割り込まれた人に関するボケと突っ込み。タクシーを止めようとして割り込まれたと思ったら割り込んだのは運転交代する運転手だったり、割り込まれたと思ったら横断歩道を渡るために手を挙げた人だったりする。
美容整形ネタもやる。だが、要求が「あごをシャープにテレビを東芝にしたい」だったり「耳を目の上に付けて欲しい」だったり、「額を狭くしたという」要望に「頭の皮膚を前にずらします。頭の後ろの方はツルツルになりますけれど」という施術法が変だったりする。

午後5時開演の公演は蠅に関する話。哲夫が「昔話には蠅が沢山出てくる」という話をし、「姥捨て山」を語る。しかし、年老いた母親を姥捨て山に捨てた男が後悔して山に戻るも、「蠅にお婆さんがたかっていた」と逆の話になり男は哀れになって蠅を連れて帰ってしまう。
西田は「鶴の恩返し」の話をするのだが、男が鶴を見つけた時には鶴はもう死んでおり、蠅がたかっていた。「そこで男は、『ああ、もっと早く助けていれば鶴が恩返ししてくれたかも知れないのになあ』と思いました」と飛躍した妄想の話にしてしまう。

その後、「のっぺらぼう」や「浦島太郎」の話になるのだが、顔が蠅だらけで目も鼻も口も見えない男が「のっぺらぼう」になったり(本物ののっぺらぼうが登場した時には「(さっき見たのっぺらぼうの顔は)もっと蠅が多かった」といちゃもんをつける)、蠅のたかった亀に乗った蠅のたかった浦島太郎が、蠅のたかった竜宮城に行き、蠅のたかった乙姫様と出会い、開けると蠅が大量に飛び出す玉手箱を貰うという妙な話になる。

今度は西洋版の昔話ということで「シンデレラ」が取り上げられるのだが、哲夫「昔、ミハエルという蠅のような名前の王子様がいました」という設定を受けて、西田が「ミハエルという蠅のような名前の王子様は蠅が死んでいるのを見て家来に言いました。『そこに蠅がシンデレラ』」とただの駄洒落にしてしまい、哲夫に突っ込まれる。

そして昔話といえば「桃太郎」ということで「桃太郎の歌」を唄うことになるのだが、哲夫が「すし太郎さん、すし太郎さん、目出度い日にはちらし寿司」という歌詞で唄って、「すし太郎」を題材にした歌詞の歌になってしまう。西田は「ちらし寿司なら、ちょいとすし太郎」と「すし太郎」のCMソングをそのまま唄ってしまった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

チョン・ミョンフン指揮フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団 ラヴェル 「ラ・ヴァルス」

フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団のオフィシャルFacebookにアップされたものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年1月10日 (日)

コンサートの記(222) 大野和士指揮 第53回大阪国際フェスティバル2015提携公演・東京都交響楽団創立50周年記念大阪特別公演

2015年4月19日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後2時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、第53回大阪国際フェスティバル2015提携公演・東京都交響楽団創立50周年記念大阪特別公演を聴く。指揮は東京都交響楽団音楽監督に就任したばかりの大野和士。

都響の略称で親しまれている東京都交響楽団。東京オリンピックをきっかけに、五輪の翌年の1965年に日本で二番目の公営オーケストラ(日本初は京都市交響楽団)として結成されたが、当時は読売日本交響楽団が生まれたばかりで、東京交響楽団が破産するなど、東京のオーケストラ勢力図が変わる時期であり、「公的な団体を作って民間を圧迫するよりも、民間に補助金を出すべきだ、という話は出てくるわけです」(東京都交響楽団元事務局員・河内健次氏の証言)という世相を反映してか、第1回の演奏会である創立記念演奏会は酷評に終わっている。もっとも都響の第1回演奏会でタクトを執ったハインツ・ホフマンは、ある程度楽団員に任せるタイプの指揮者だったが、当時の都響の楽団員は演奏のプロでも合奏の経験がほとんどないという人達だったため、アンサンブルが上手くいかなかったのも当然といえば当然であった。その後、都響は都民音楽会とスクールコンクール(子供達のための学校回りの音楽鑑賞教室)の二本柱で活動して来たが、京都市交響楽団の常任指揮者であった森正の任期が切れる(この頃の京都市交響楽団は今とは違い、2~3年おきのペースで常任指揮者をコロコロ変えていた)というので、森を音楽監督・常任指揮者という称号で迎え、森が都響の初代音楽監督となる。森は「オーケストラが定期演奏会をやらないというのはナンセンス」ということで普通のオーケストラのように定期演奏を柱とする楽団へと都響を変える。

50年の歴史の中で、音楽監督は5人しかいないわけだが、それは相当の信頼を持った人しか音楽監督に置かないというスタイルを取っているためで、第2代の渡邉暁雄、第3代の若杉弘、第4代のガリー・ベルティーニ、そして大野和士と、音楽監督は大物揃いである。その他に音楽監督とまではいかなかったものの、重要なポジションにあった指揮者としては、ペーター・マーク(常任客演指揮者)、ジャン・フルネ(常任客演指揮者、名誉指揮者、没後に永久名誉指揮者)、小泉和裕(首席指揮者、終身名誉指揮者)、エリアフ・インバル(特別客演指揮者、プリンシパル・コンダクター、桂冠指揮者)、ジェームズ・デプリースト(常任指揮者)らが挙げられる。ペーター・マークやジャン・フルネは玄人好みの名指揮者として大評判であり(二人とも理由は異なるがスター街道を自分から降りてしまった指揮者である)、ジェームズ・デプリーストはマンガ「のだめカンタービレ」に登場。ドラマ版では出演もした。
エリアフ・インバルとのコンビは大人気であり、特にマーラーやブルックナー、ショスタコーヴィチの演奏は世界レベルと讃えられた。また、現在の首席客演指揮者は、1981年生まれと若く、世界的評価をすでに受けているヤクブ・フルシャであり、フルシャとの成長もまた楽しみである。

公営(一応、財団法人の運営ではある)ということで、都知事からの介入を受けやすく、青島幸男、石原慎太郎という共に同じ「文化人」の範疇にある人からも容喙されており、特に石原慎太郎は小澤征爾の友人で、N響事件以来、「オーケストラ憎し」の思いがあるのか、様々な無理難題を押しつけてきた。

そうした中にあって、都響の日本での評価は、「N響に次ぐ東京ナンバー2、日本でもナンバー2」と高く、マーラーに関しては、若杉弘、ガリー・ベルティーニ、エリアフ・インバルなどマーラーのスペシャリストと共に演奏を行ってきたため、「日本一」と評されてもおかしくないほどの充実ぶりである。

今日の都響のコンサートマスターは矢部達哉。日本のオーケストラのコンサートマスターの中でも一、二を争う程有名な人である。

前後半共にロシアもので、前半がラフマニノフのピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:小山実稚恵)、後半はチャイコフスキーの交響曲第4番。

都響の5代目音楽監督に就任した大野和士は、1960年、東京生まれ。神奈川県随一の進学校である神奈川県立湘南高校を卒業(1学年下に、指揮者兼ピアニストの上岡敏之がいる)後、東京芸術大学指揮科に進学。2歳年上で友人にしてライバルである広上淳一は芸大指揮科に入るために二浪しても果たせなかったが、大野は学業優秀だったこともあり現役で合格している。そもそも芸大の指揮科の定員は2人程度でかなり狭き門である。
その後、ヨーロッパに渡り、様々な歌劇場での下積みを経て、1987年にアルトゥーロ・トスカニーニ国際指揮者コンクールで優勝。コンサート指揮者としての活動も始まり、翌88年に当時はまだユーゴスラビアの都市だったザグレブのフィルハーモニー管弦楽団の常任監督に就任。クロアチア独立後も音楽監督としてザグレブ・フィルとの活動を続けた。

ザグレブ・フィルとの活動と並行して、ヨーロッパ各地のオペラハウスで指揮を行っており、様々な指揮者に師事している。バイエルン州立歌劇場では、ウォルフガング・サヴァリッシュにも師事した。

1990年から92年まで、都響の指揮者としても活動。1992年から99年まで東京フィルハーモニー交響楽団の常任指揮者を務めている。

海外では、1996年から2002年までバーデン州立歌劇場音楽総監督、そして「オオノ」の名を世界に轟かせることになったベルギー王立歌劇場(モネ劇場)音楽監督としての活動を経て(2002-2008)、現在はフランスのリヨン国立歌劇場の首席指揮者の座にある。現在、アルトゥーロ・トスカニーニ・フィルハーモニー管弦楽団首席客演指揮者を兼ねているほか、今年の9月からはパブロ・ゴンザレスの後任としてバルセロナ交響楽団音楽監督に就任予定である。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番。ピアノ独奏の小山実稚恵は、実は大野和士よりも年上である。東京芸術大学卒業後、同大学院を修了。留学の経験はない。チャイコフスキー国際コンクール・ピアノ部門とショパン国際コンクールの2つのコンクールで共に入賞を果たしている、現時点では唯一の日本人ピアニストである。ピアニストとしての活動は今年で30周年を迎えた。

情熱的なピアノを弾く人であり、芸歴20年記念の時には、広上淳一を指揮者に迎えて、一晩のコンサートで幾つものピアノ協奏曲を弾くという荒技を行ったが(京都公演もあり、私は聴いている)、芸歴30年目に当たる今年も、秋にやはり広上淳一の指揮で同じようなコンサートを行うようである。今日は深紅のドレスで登場。

小山実稚恵というと、先に書いたように何よりも「情熱」という言葉が浮かぶが、ラフマニフのピアノ協奏曲第3番では、以前とは違った個性的な演奏を聴かせる。まず冒頭であるが、かなり弱めに演奏する。この曲の冒頭をこれほど弱く弾く演奏は初めて聴く。その後も、情熱よりもリリシズムを優先させた演奏が続くが、第3楽章ではいよいよ持ち前の情熱を爆発させる。小山のピアノの特徴として打鍵の強さが挙げられるのだが、強い音を出せるよう鍛えているのだと思われるが、二の腕が太い。マルタ・アルゲリッチや河村尚子などの女流名ピアニストに共通しているのが、この二の腕の太さで、二の腕が太いと腕にも共鳴して力強い音が奏でられるのである。ピアニスト・エッセイストの中村紘子は日本人女性ピアニストの弱点として「二の腕の細さ」を挙げているが、最近の女性ピアニストは二の腕の太い人が多い。二の腕が太いことは女性の容姿としてはマイナスポイントになりがちなのであるが、プロのピアニストなのだから見た目を気にしている場合ではないのだろう。

大野指揮の都響は管楽器の鳴りが良いが、弦はどうしたわけか薄め。輝きはあるのだが、大阪フィルと比較した場合、弦に厚みがない。ただ、フェスティバルホールを本拠地としている大フィルと去年に続いて2度目でしかない都響では、当然ながらホールの鳴らし方も異なってくるであろう。

喝采を浴びた小山は、アンコールとしてラフマニノフの前奏曲作品32の5を弾く。煌びやかな音色による好演であった。

チャイコフスキーの交響曲第4番。暗譜での指揮である。大野は冒頭の運命の主題を奏でた後でヴァイオリンが受け持つ主題をスローテンポにするなど個性的な表現をする。都響の技術は高く、金管、特にトランペットが優秀。弦楽もやはり少し薄くはあるが、チェロは威力があり雄弁である。

知的アプローチを売りにしている大野であるが、チャイコフスキーの交響曲の場合、作曲者が必要以上に嘆いている嫌いがあるため、ある程度突き放した解釈の方が逆にチャイコフスキーの苦悩がダイレクトに聴衆に伝わるのかも知れない。大野は分析し、作曲者に同調しすぎるため、「そこまでやると大袈裟なのではないか」という印象を受けてしまうのだ。

第3楽章と第4楽章の間にほとんど間を置かずに続けるというスタイルは納得がいく。ただ、大野の場合、細部までオーケストラを操るため、ラストにおけるチャコフスキーの狂気が逆に感じられないということにはなった。優れた演奏であったが、優れたチャイコフスキー解釈かとなると意見が分かれそうである。

拍手を受けた大野は、両手で輪を描いて拍手を鎮め、「最後にドヴォルザークのスラヴ・ダンスの8番を」と言って、ドヴォルザークのスラヴ舞曲第8番が演奏される。スラヴ人の国であるユーゴスラヴィア(その後、クロアチア)でポストを持っていた指揮者だけに、スラヴ的な曲調をよく捉えた演奏であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年1月 8日 (金)

松たか子 「500マイル」

松たか子による「500マイル」。松たか子は英語のオリジナル詞による「500マイル」もリリースしていますが、ここで歌われているのは忌野清志郎による日本語訳詞バージョンです。
松たか子と忌野清志郎は大阪城ホールで共演したことがあり、松たか子の父親である九代目松本幸四郎が六代目市川染五郎時代に自身の作詞・作曲でリリースした「野バラ咲く道」を一緒に歌っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年1月 7日 (木)

風のない場所

いかに最新鋭の風車であっても風がなければ回らない。風以外の要素で回ったとしたならそれはもう「風車」ではない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年1月 6日 (水)

Adieu, ブーレーズ

フランスの作曲家で指揮者としても活躍したピエール・ブーレーズが死去。90歳だった。

「主のいない鎚(ル・マルトー・サン・メートル)」など、厳格なセリー手法を用いた作品を多く残し、高い評価を得たが、わかりやすい作風ではなかったということもあり、一般には指揮者としての活躍で知られている。

1950年代から指揮活動を開始し、60年代後半にはアメリカのクリーヴランド管弦楽団の首席客演指揮者として活躍。クリーヴランド管弦楽団の音楽監督であったジョージ・セルとも親しくしていた。クリーヴランド管弦楽団とはその後も信頼関係が続く。

またニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督を務めたこともある。好評だったとはいえないようだが。

指揮はノンタクトで行うのが常であり、指揮棒の必要性については完全に否定している(『指揮棒は魔法の杖』でのインタビューより)。また抜群の記憶力を誇ったが暗譜に関しても「無意味」としている。

1970年代に第一次のレコーディング活動期に入り、自作やドビュッシーなどをCBSソニー(現:ソニー・クラシカル)に録音。現代音楽の作曲家でもあり、ジョージ・セルの影響を受けたということもあって、即物主義に近い演奏を行っていたが、作曲と研究、後進の育成に励んだ80年代を経て90年代に指揮台に復帰した際にはよりロマンティックな音楽づくりに変わっていた。90年代から始まる第二次レコーディング活動期にはドビュッシー、ラヴェルといったフランスものだけでなく新ウィーン学派やマーラーの交響曲全集も録音。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮したマーラーの交響曲第6番「悲劇的」(ドイツ・グラモフォン)は特に高い評価を得た。実に格好いいマーラーであり、印象に強く残っている。
一方で古典的な楽曲の指揮には熱心とはいえず、1970年代に超スローテンポで演奏したベートーヴェンの交響曲第5番は物議を醸した。

日本ではNHK 交響楽団に何度か客演しており、95年にN響を指揮したラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」ではN響コンサートマスターの堀正文が「いつも(のN響)とは別のオーケストラだ」と驚嘆したという話が伝わる。

その時の演奏は私もBSで視聴しており、なぜか印象を詩にまとめている(音楽を詩の題材にすることは余りなかったのであるが)。



「ピエール・ブーレーズ」

しなやかな指の先から


音が確実に伸びてゆく

寸断された音符が

一つの曲線で繋がっていく

白衣を着けない医学者の

細やかな心の内で

くっきりとした輪郭を持つ時の流れが

静謐のまま過ぎてゆく

一点の混じり気もない

輝かしい最強音によって

新しい時代が拓かれてゆく


美しいなどと

陳腐な言葉を使ってはならない

私達は音の中に美しさを超えた

新たなるものを見出すだろう

目前の未来から流れ来る

冷たく鮮度の高い言葉の数々を

全ての感覚器を用いて

読み解かなくてはならない


豊かなエネルギーが

高度の見識の下に

数学的に整理されてゆく

その隙間をぬって

千年もの生命を有する

目に見えぬほど微細な

霊達が飛び散ってゆく


曲は今

急激な展開を見せつつある

チェロは有機的なうなりを上げ

フルートはすました鼻声で歌い

ヴァイオリンは輝きと透明度の高さをもって

存在を無に与え続ける

切り刻まれた音楽の背後から

再生する新たな響きを

私は感じる


1995年7月1日

 

 

 

詩の出来としてはABC評価のC+程度で余り良くないが、ブーレーズがいた日々の思い出に、この詩を敢えてここに残しておく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

石川さゆり 「ちゃんと言わなきゃ愛さない」宣伝用映像

「ルパン三世」テレビアニメシリーズのエンディングテーマである石川さゆりの「ちゃんと言わなきゃ愛さない」。話題になった1曲です。大野雄二の作曲、作詞はつんくが手掛けています。
宣伝用の映像なので1番しか聴くことは出来ませんが、石川さゆりのソウルに魅了されます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年1月 5日 (火)

サーカス 「風のメルヘン」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年1月 4日 (月)

RCサクセション 「言論の自由」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年1月 3日 (日)

コンサートの記(221) 大阪音楽大学創立100周年記念特別公演 ヴェルディ 歌劇「ファルスタッフ」

2015年11月1日 大阪府豊中市の大阪音楽大学ザ・カレッジ・オペラハウスにて

午後2時から、大阪府豊中市庄内にある大阪音楽大学 ザ・カレッジ・オペラハウスで、ヴェルディの歌劇「ファルスタッフ」(大阪音楽大学創立100周年記念特別公演)を観る。シェイクスピアの『ウィンザーの陽気な女房たち』を作曲家でもあるアッリーゴ・ボーイトがリライトした台本を用いた、ヴェルディ最後のオペラである。オペラ界の巨星・ヴェルディは生涯に26の歌劇を書いたが、その大半は悲劇で、喜劇は2作品だけであり、有名な作品は「ファルスタッフ」だけである。当時は悲劇オペラ全盛の時代であり、イタリアの作曲家が得意とした喜劇オペラ(オペラ・ブッファ)は衰退の一途を辿っていた。ヴェルディが「ファルスタッフ」を書いたのはそうした状況を憂いてのことだったともいわれている。

指揮は下野竜也。演出は岩田達宗(いわた・たつじ)。ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団の演奏。出演は、田中勉、晴雅彦(はれ・まさひこ)、松田昌恵、石橋栄実(いしばし・えみ)、清水徹太郎、荒田祐子(あらた・ゆうこ)、並河寿美(なみかわ・ひさみ)、清原邦仁、小林峻、松森治、山川大樹(やまかわ・ひろき)、森本絢子ほか。人会戦術を用いており、ザ・カレッジ・オペラハウス合唱団のメンバーが数多く登場する。かなり若い人も加わっているが、あるいは大阪音大の学生も含まれているのかも知れない。演出の岩田達宗は今年の4月から大阪音楽大学の客員教授に就任している。

開場時間の午後1時ちょっと過ぎにザ・カレッジ・オペラハウスに入場する。ホワイエに岩田先生がいらしたのでまず挨拶。「ファルスタッフ」の原作である「ウィンザーの陽気な女房たち」はシェイクスピアの作品の中でも一二を争うほどの駄作という評価が定着しており(シェイクスピアの名を借りた偽作説もあるそうだ)、それを基にした「ファルスタッフ」の台本もラストなどは上手く出来ているものの全体としてはそう大したものではないと感じていたが、岩田先生にいわせると「大傑作」だそうである。「ファルスタッフ」はヴェルディのオペラの中でも人気の高い演目であるが、ある意味、ヴェルディの生涯の総決算ともいうべき部分があり、それが人々の心を惹きつけるのかも知れない。
ちなみに、岩田先生は東京外国語大学卒ということもあり、語学が得意で、語学力を生かして若い頃はヨーロッパを転々としていたそうで、ロンドンにいた頃はコヴェント・ガーデンでチャールズ・マッケラス指揮のオペラ公演も観ているという。故チャールズ・マッケラスは私の大好きな指揮者であったが、生で聴くことは叶わなかった。生で楽しめた岩田先生が羨ましくなる。

廻り舞台を採用。サー・ジョン・ファルスタッフの住む居酒屋ガーター邸の裏にフォード家のセットなどがあるのだが、ガーター亭は地下でその上に十字架があり、舞台が廻転すると、フォード家はその上にあるという見立てがなされており、中央の十字架以外にも複数の十字架があることから、ガーター亭は地下墓地であると暗示されている。

ハロウィンの時期ということもあり、定番の魔女の格好をしたキャストがいたり、ジャック・オー・ランタンが用いられたりと、楽しい演出がなされているが、単に愉快なだけの喜劇というわけではないこともわかる。

字幕は工夫されており(字幕原稿:唐谷裕子)、医師カイウス(清原邦仁が演じている)のセリフの語尾が「ザマス」になっていたり、「だめよだめだめ」という昨年の流行語が用いられていたり(日本エレキテル連合がテレビから消えたということもあり、余り受けなかったが)、バルドルフォ(演じるのは小林峻)のセリフがラッパー調で語尾に「yo!」が用いられていたりと面白い。

貴族でサー(卿)の称号も得ているジョン・ファルスタッフ(田中勉)であるが、左党であり、金のほぼ全てを飲み代に費やしてしまって今はすっからかんである。医師のカイウスがガーター亭の乗り込んできて、ファルスタッフの従者であるバルドルフォ(小林峻)とピスト―ラ(松森治)が「金をくすねた」と怒りをぶつけるのだが、ファルスタッフは適当にあしらう。カイウスは怒ったまま帰ってしまう。
住んでいるガーター亭の主から一週間分の勘定書きを渡されたファルスタッフであるが、持っている金は雀の涙。だが、更に酒を要求する。
ファルスタッフはウィンザーに住む二人の富豪夫人、アリーチェ・フォードとマルガリータ・ペイジ(愛称はメグ)という二人の女性に恋心を抱いており、二人をものにすることで金もいただこうという一挙両得の悪巧みを考えている。

そして、アリーチェとメグに書いた恋文をバルドルフォとピスト―ラに届けるように命じるのだが、バルドルフォもピスト―ラも「名誉のためにそれは出来ない」と断る。ファルスタッフが「名誉が何になる。名誉などただの言葉に過ぎない。名誉で腹が膨れるか」とある意味理性を批判するような歌を唄う。ファルスタッフは従者達をクビにし、恋文を小姓のロビンに託す。ちなみにロビンは少年という設定でありながら女性の森本絢子が演じているが、森本は大阪音楽大学の短期大学部ミュージカルコース卒であり、在学中はダンス、演技、歌を習い、現在はミュージックスクールの主催者ということで、セリフはないロビンの役をバレエを含む巧みなダンスで魅力的に演じている。

なお、医師カイウスは金ピカの衣装で俗物ぶりを発揮しており、バルドルフォとピスト―ラはハリウッド映画に出てくる怪物のようなメイクと格好(しっぽがあったりする)をしており二人ともまともな人物ではないことが示されている。

第1幕第2場で登場する女性陣(ウィンザーの陽気な女房たち)は、全員白を基調としたきちんとした衣装であり、女というものがファルスタッフが見下すような愚かな存在ではないことがわかる。

アリア―チェ(松田昌恵)とメグ(並河寿美)は、共に恋文を受け取ったことで心躍らせているが、恋文を交換して読んでビックリ。二通ともファルスタッフからのもので、宛名が違うほかは文章は一字一句違わぬそのままのものであり、ファルスタッフの署名も印鑑も一緒である。完全に見下した態度である。肥満体(「メタボ」という訳語が用いられている)の老人が今も昔のままの色男気取りでいることに呆れたアリア―チェとメグはファルスタッフを懲らしめる計画を立てる。

一方、ファルスタッフの従者であったバルドルフォとピスト―ラは主を裏切り、アリア―チェの夫であるフォード(晴雅彦)にファルスタッフが妻を寝取ろうと企んでいることを告げる。フォードはアリア―チェの浮気を疑い、フォンターナ(日本語訳された「泉」と表示される)という偽名を用いて、ガーター亭を訪れることにする。隠れて男達の会話を聞いていたアリア―チェは夫の嫉妬を警戒する。

アリア―チェとフォードの娘であるナンネッタ(石橋栄実)は、フェントン(清水徹太郎)という若者と愛し合っている。だが、フェントンは今は好青年風であるが、かつてはチンピラであり、フォードからは嫌われていた。一人になったフェルトンは愛の不変を歌うが、一方のナンネッタは人間は日々姿を変える月のように変化していくものと歌っている。二律背反のように思えるが実際はこれは両立可能なことである。

第2幕。ウィンザーの陽気な女房たちの一人であるクイックリー(荒田祐子)が、ガーター亭を訪れ、ファルスタッフに、「アリア―チェもメグもあなたを恋い慕っている」と嘘の報告をする。そして、フォードが毎日午後2時から3時までの間は外出しているとアリア―チェが語ったと告げる。アリア―チェが靡いたと思い込んだファルスタッフは早速、午後2時過ぎにフォード邸を訪れることにする。勿論、クイックリーがファルスタッフに告げたことはウィンザーの陽気な女房たちがファルスタッフを陥れるために練ったものである。

クイックリーと入れ替わるように、泉(フォンターナ)という偽名を用いたフォードがファルスタッフを訪れてくる。泉はアリア―チェを恋い慕っているのだが、アリア―チェは泉を愛を示さない。そこで、ファルスタッフにアリア―チェと恋仲になってもらうよう提案する。ファルスタッフにアリア―チェが落とせるなら自分とアリア―チェの間に恋が芽生えるというのもあり得ない話ではないというのだ。ファルスタッフを見下した奇妙な話であるが、ファルスタッフは深くは考えず安請け合いしてしまう。
そうこうしているうちに午後2時が迫り、ファルスタッフはアリア―チェに会いに行くことを告げる。「2時から3時までは毎日自分が外出している」ということをファルスタッフが知っていることで、妻の浮気を確信するフォード。実はフォードの勘違いなのであるが、そのまま話は進む。

クイックリーはガーター亭での作戦が成功したことをウィンザーの陽気な女房たちに聞かせ、アリーチェやメグは喜ぶが、ナンネッタだけは上の空。話を聞くと、父親のフォードから医師カイウスと結婚するよう厳命されたとのこと。アリーチェ、メグ、クイックリーは、「あんなゲスと?」、「ザマス男と?」、「だめよだめだめ」とフォードが進める縁談に反対する。

フォード邸にファルスタッフがやって来る。ファルスタッフはアリーチェのことをベタホメする一方で、メグに関しては「あんなあばずれ女」などと評して、隠れて話を聞いていたメグを怒らせる。クイックリーはメグを何とかなだめる。アリア―チェはファルスタッフの話に簡単には乗らない。そこへ、クイックリーとメグが登場し、「フォードが帰ってきた」と告げる。実はこれは嘘なのであるが、ファルスタッフは屏風の後ろに隠れる。だが、ウィンザーの陽気な女房たちはフォードが泉(フォンテーヌ)の偽名を使ってファルスタッフを訪れていたことは知らない。嘘を付いて洗濯籠の中にファルスタッフを入れ、その後、二階の窓からファルスタッフを川に突き落とす作戦だったのだが、フォードが大勢の仲間を連れて本当に帰ってきてしまったため、ファルスタッフを取り敢えず屏風の裏に隠しておくことにする。フォードは間男を探すよう、仲間や手下に命令する。男達が、邸の隅々を探すために散ったところで、女房たちはファルスタッフを洗濯籠の中に入れることに成功する。

騒ぎをよそに、ナンネッタとフェントンがフォード邸で密会。屏風の裏に隠れて、愛を語らう。屏風の裏に人がいることに気付いたフォード達は、それがファルスタッフとアリーチェだと思い込み、襲撃するも、実際に現れたのは若い二人。娘とフェントンが一緒にいることでフォードが激怒する。そして、男達がファルスタッフを見つけようと、また散ったたのを見計らい、女房たちは下男達に命じて洗濯籠の中のものを川に落とすように命令。かくしてファルスタッフは川に突き落とされて恥を掻くことになる。

第3幕では、ウィンザーの女房の行いに腹を立てているファルスタッフであるが、クイックリーがやって来て、アリーチェからの手紙を渡され、それが逢瀬の誘いだと知ると、またもコロリと騙されてしまう。ウィンザーの女房たちとフォード、カイウスらはガーター亭の上の部分でクリックリーとファルスタッフのやり取りを聞いているという演出がなされているのだが、ファルスタッフの単純さに皆呆れる。

アリーチェの手紙には、「真夜中に王立公園のハーンの樫の木のところで待っているので、黒い狩人に扮して来て下さい」と書かれていた。黒い狩人はハーンの樫の木で首を吊って自殺しており、往生出来ずに幽霊となった付近を彷徨っているという話がある。ハロウィンの霊と同じである。

王立公園には、みなが精霊や妖精に扮装して出掛けることになり、ナンネッタが白いヴェールを着けた妖精の女王に扮することを知ったフォードはカイウスとナンネッタを無理矢理結婚させるチャンスだと考えるが、女達の方が利口であった。

第3幕第2場、ウィンザーの公演の場では、ザ・カレッジ・オペラハウス合唱団の団員が木々に化けるという演出が施されている。ちなみにハーンの樫の木はファルスタッフの戯画が用いられており、神秘性よりも諧謔性重視の演出である。ジャック・オー・ランタンを模したオレンジ色の灯りが登場し、視覚的にはハロウィンそのものである。

最後の歌「世の中はみな冗談」が歌われ、人々はみな騙し合い、最後に笑う者が最も良く笑うと告げられる。そして、最後は「全部、冗談でしたー!」と言って、最初のガーター亭の場面に戻り、ファルスタッフが勘定書きに署名するシーンで終わる。「ファルスタッフ」そのものが夢幻の冗談のようなものであり、同時にファルスタッフが署名することで、聴衆のみなさんから受け取ったお代の分はこうしてお返ししましたよというメッセージも込められているかのようだ。

下野竜也の指揮は瞬発力と爆発力に優れており、それほど編成が大きいとはいえないザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団からキビキビとした力強い音色を引き出す。ザ・カレッジ・オペラハウスは比較的空間が狭いので、大音量の場面では音が飽和してしまうが、ヴェルディが書いた分厚い音を再現するにはこうした思い切った演奏も必要なのだと思える。

歌手達のコミカルな動きを多用してユーモラスな演出を行った岩田達宗。その他にも、第3幕第2場では、ナンネッタ役の石橋栄実を1階席の下手入場口から登場させ、そのまま2階サイド席への階段を途中まで上らせて歌わせ、舞台上で歌うフェントンとの立体的音響を作り出すなど面白い仕掛けが色々ある。

コメディを得意とする晴雅彦がダンディー(だが俗物)なフォードを見事に演じていたり、ナンネッタ役の石橋栄実は声も容姿も可憐だったりと、歌手陣も充実していた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年1月 2日 (土)

観劇感想精選(172) 「オレアナ」2015

2015年12月13日 大阪の森ノ宮ピロティホールにて観劇

午後1時から、大阪の森ノ宮ピロティホールで、パルコ・プロデュース公演「オレアナ」を観る。作:デイヴィッド・マメット、テキスト日本語訳:小田島恒志(おだしま・こうし)、演出:栗山民也。
田中哲司と志田未来(しだ・みらい)による二人芝居である。東京、豊橋、北九州、広島公演を経て、昨日から大阪公演が始まり、今日が全体の楽日となる。

「オレアナ」は、1992年にアメリカのケンブリッジ(ハーバード大学のある街である)で初演、同年にオフ・ブロードフェイ作品としてニューヨーク初演されている。日本では1994年に長塚京三と若村麻由美のコンビにより初演され、更に1999年にも長塚京三と今度は永作博美のコンビで再演されており、今回はキャストを全面に変えての3度目の上演となる。ちなみに長塚京三の「オレアナ」はいずれも酒井洋子の日本語訳テキストで上演されたのだが、今回は小田島恒志の新訳による上演である。


アメリカのとある名門大学の研究室が舞台。大学教員のジョン(田中哲司)と、女学生のキャロル(志田未来)のやりとりのみによる劇である。

貧しい階級から苦労して名門大学に進学したキャロルだったが、ジョンの授業内容に付いていけない。このままでは単位を落としてしまうため、ジョンに詳しく教えて欲しいと頼むキャロル。しかし、キャロルが書いてきたレポートは表面をなぞっただけで内容に踏み込むことがまるで出来ておらず、このままでは単位を取るのは難しい。ジョンはキャロルに「君は聡明な学生だ」と励まし、「自分が出来ない学生だと考えると本当に出来なくなってしまう」という経験に基づく話をし、個人授業をすることを持ちかける。そして、キャロルの肩に手を置く。

上演開始から40分程度で休憩に入るのだが、第2部に入ると状況は一変している。キャロルがジョンをセクハラで大学当局に訴えたのだ。キャロルはジョンが卑猥な例え話をし(「セックスをする回数は貧乏人の方が多いが、ことをするときに脱ぐ服の枚数は金持ちの方が多い」というたわいのないもの)、自分の肩に手を置き、腕を回して(腕を回すシーンはなかったのだが)性的要求を行ったと告発書に書いていた。劇が始まった時はオドオドした感じだったキャロルだが、第2部に入ると一転して、モンスターフェミニストのような人格に変わっている。
モンスターと化したキャロルにジョンは戸惑う。ジョンには妻子があり、今まさに大学の終身教員のポストに手が届きそうなところだったのだ。ジョンは新たな家を買うことを計画しており、ジョンとキャロルの話が佳境に入ろうという時には必ずといって良いほど新居関連の電話が入って邪魔をし、登場人物と観客をイライラさせる。
第2部ラストでは、研究室を去ろうとしたキャロルを引き留めるために彼女の手を掴んだジョンの行動にキャロルは過剰反応する。

第3部では、ジョンは大学から追われることになり、その原因を作ることになったキャロルを研究室に呼び出す。キャロルは相変わらずのモンスターぶりだが、激昂したジョンはつい女性蔑視発言とキャロルに対して最初から見下していたことを口にしてしまい、自分も自分を誤魔化しているだけのモンスターだと気づいて呆然とする。「そう、そうです」というキャロルの台詞で芝居は終わる。


舞台経験の豊富な田中哲司は、ソルボンヌ大学卒の長塚京三とは違い知的な雰囲気満点というわけにはいかなかったが、間の取り方などが抜群であり、巧みな演技を見せる。      

プライベートでも話題になっている志田未来はこれが初舞台。幕が開いてからしばらくの間はテンションが高すぎ、演技をしすぎのように思えたが、田中哲司演じるジョンが徐々に雄弁になるにつれてキャロルの精神状態に近づいてくるため、第1部終盤以降は気にならなくなる。第2部、第3部における憎らしいまでのモンスターぶりはキャロルという人格と完全に一体化しており、演技力の高さが感じられる。

キャロルの一見不可思議と思えるモンスターぶりであるが、キャロルは貧しい階層の出身であり、そこから抜け出るために名門大学に何とか入ったのだが、ジョンは上流階級の出で、大学教育には批判的でもある。大学が教養の場ではなく、「学習する習慣を身につける場、技術を磨くところ、経済的な糧を得るための手段」と就職予備校になっていることに軽蔑心を抱いている。ジョンの高踏的な考え方はキャロルが抱いている立身出世の敵なのだ。
生きている世界が違うといえばそれまでなのだが、世代の違いも伴って二人の間に渡ることの出来ない裂け目があることは感じられる。

カーテンコールに応えた田中哲司と志田未来は一緒に「どうもありがとうございました」と言うはずが息が合わず、田中哲司だけが挨拶をしていまい、二人は顔を見合わせて照れ笑い。再度挨拶をし、今度は二人一緒に「どうもありがとうございました」とお礼を言うことが出来た。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年1月 1日 (金)

あけましておめでとうございます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年12月 | トップページ | 2016年2月 »