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2016年3月11日 (金)

観劇感想精選(178) 二兎社 「書く女」2016

2016年2月11日 滋賀県大津市のびわ湖ホール中ホールにて観劇

午後2時から、びわ湖ホール中ホールで二兎社の公演「書く女」を観る。作・演出:永井愛。二兎社は永井愛と大石静という卯年生まれの同い年の演劇人二人が結成した劇団で、当初は一人で何役も演じる二人芝居というスタイルを取っていたが、大石静が映像の脚本に取り組むようになり、その後、大石は病気を患ったということもあって演劇界から手を引き、テレビや映画の脚本家に転身。二兎社は正式な劇団員のいない、永井愛の個人演劇プロデュースユニットとして存続している。

「書く女」は、樋口一葉を主人公にした芝居で、2006年に寺島しのぶの樋口一葉で初演。私は初演をシアター・ドラマシティで観ている。今回は10年ぶりの再演となり、樋口一葉役には若手の黒木華(くろき・はる)が起用されている。出演は黒木華の他に、平岳大(ひら・たけひろ)、朝倉あき、清水葉月、森岡光、早瀬英里奈、長尾純子、橋本淳(はしもと・あつし)、兼崎健太郎、山崎彬、古河耕史、木野花。
作曲とピアノ演奏は林正樹。

映画「小さいおうち」で第64回ベルリン国際映画祭最優秀女優賞(銀熊賞)を受賞して注目された黒木華(ただし、「小さいおうち」の主演女優はあくまでも松たか子である)。1990年大阪府生まれ。京都造形芸術大学の後輩でもある。現在は大河ドラマ「真田丸」にも出演中。


2006年の上演では、書くことに取り憑かれた巫女のような樋口一葉像を寺島しのぶは炙り出していたが、黒木華が演じる樋口一葉はエネルギッシュな革新家的一面が前面に出ているような気がする。そのため台本は変わっていないにも関わらず(かなりカットはしたとのこと。残念ながら、前回、一番笑えたセリフもカットされていた。もっともそのセリフは寺島しのぶのアドリブであった可能性もあるのだが)別の劇を観たような印象を受けた。

今回の上演では舞台中央にそれほど高くはないが白い階段が設けられており、これが効果的に用いられる。

まずは雨の日のだんまりの場。皆、傘を差しているので顔は見えないのだが、赤い傘を差した女が通行人とぶつかり赤い傘が上に上がる。赤い傘を差していたのは樋口一葉(黒木華)。一葉はある男の顔を見てハッとする。その男はだんまりの場の最後まで顔を見せないのだが、どうやら正体は半井桃水(平岳大)のようだ。

話は樋口一葉が歌塾「萩の舎(はぎのや)」に通っている時代から始まる。樋口一葉こと樋口奈津(樋口夏、樋口夏子)は、小学校高等科第4学級を首席で卒業したが、母の意向で学業を断念。しかし家計が苦しくなったため、文学で身を立てようと志す。一葉は半井桃水に弟子入りを志願する。


何よりも寺島しのぶの演技が魅力だった「書く女」であるが、黒木華の演技も思った以上に作品に嵌まっている。寺島しのぶとは大きく異なり、時にはただ純粋な少女になっているところもあるが(その後の川上眉山の自殺を言い当てる場面など。あの場では年上である川上眉山をたしなめるような台詞回しが必要だったように思う)、書くことで時代を切り開き、先取りする、これまでの封建制度の中に閉じ込められていた「女」を再定義し再創造する進取の気質に富んだ才女として再現することに成功しているように思う。「書く女」はそれほど単純に「女」の再定義や再創造に収斂できるほど単純な作品ではないが、「書く」=「エクリチュール」ということにおいて、そうしたエートスが最も重要であることも確かだと思える。

初演時には筒井道隆が演じて「小説家としては三流だが根っからの善人」という印象を受けた半井桃水であるが、平岳大が演じると、当然ながら違った一面が見える。根っからの善人であることは確かなのだが、ちょっとした屈折も仄見えるようだ(ちなみに平岳大は大河ドラマ「真田丸」で武田勝頼を演じていたため、観客から「生勝頼」などと言われているそうだが、永井愛は「真田丸」を見ていないので最初は意味がわからなかったそうである)。

一葉の妹である樋口くにを演じた朝倉あきは、最初のうちは「え?!」と思うほど役に馴染んでいないように見えたが、それもほんの僅かの間で、健気な妹を懸命に演じていて好感が持てる。

木野花の安定感は今更書くまでもない。


終演後に「書く女」の作・演出を手掛けた永井愛によるアフタートークがホワイエで行われる。永井愛が「書く女」を執筆するに至った経緯だが、永井は「自主的にだと良かったんですけれど」と前置きを入れつつ、依頼されて書かれたものだということを明かした。永井によると樋口一葉の処女作である「闇桜」は酷い出来だそうで、「もし今、樋口一葉が目の前に現れて、『闇桜』の原稿を見せられたとしても、『あなた、残念だけど小説家には向いていないんじゃない』と言ってしまうと思う」そうである。ただ同時期に書かれた樋口一葉の日記は優れた出来だそうで、「『闇桜』を書いた頃の一葉は人間を見ていなかった」ために小説の出来が芳しくなかったのだと結論づけた。
樋口一葉が次々と傑作を繰り出す「奇跡の14ヶ月」はそれから僅か3年半後のことであるが、永井は一葉の小説が長足の進歩を遂げたことについて、「周りに色々な人が現れたこと。それまでは萩の舎に学ぶ蝶よ花よのお嬢ちゃんだったのが、吉原の近くで荒物屋を始めるなど、世の中のことを深く知るようになった。また人に薦められて井原西鶴や、ドストエフスキーの『罪と罰』を読むようになったのも大きい」と言う。実は今回は古河耕史が演じた斎藤緑雨(こちらは私の明治大学の先輩である)が見抜いた一葉の才能や、一葉のそれに対する反応などは、実際に文芸誌や一葉の日記などから引用したものだそうで、永井が緑雨を慧眼の持ち主として創造したわけではないそうである。

緑雨が一葉を評した「冷笑的」という言葉は一概に批判したものとはいえず、ブレヒトの「異化効果」に似たものだったと永井は分析している。


黒木華の一葉は寺島しのぶの一葉に比べると心理描写の面で甘さがあったのは確かである。だが、「書く」ことで「創造」していく、当時としては最先端の、そしてこれからの時代にも必要とされる女性像を体現していたのもまた事実である。

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