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2016年3月の14件の記事

2016年3月27日 (日)

コンサートの記(233) 上岡敏之指揮新日本フィルハーモニー交響楽団大阪特別公演2016

2016年3月18日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで新日本フィルハーモニー交響楽団の大阪特別公演2016を聴く。指揮は昨年4月から新日フィルのアーティスティック・アドバイザーを務め、今年の9月には同楽団の音楽監督に就任予定の上岡敏之。

シューベルトの交響曲第1番とマーラーの交響曲第1番「巨人」という、有名作曲家の交響曲処女作を並べるという意欲的なプログラム。マーラーの「巨人」は演奏会の定番曲目となっているが、シューベルトの交響曲第1番は習作に近いということもあって演奏会で取り上げられることはほとんどなく、私も生で聴くのは初めてである。

    
新日本フィルハーモニー交響楽団の実演に接するのはおそらく三度目。指揮者は朝比奈隆、小澤征爾、そして今日の上岡敏之である。上岡敏之の実演は昨年暮れに同じくザ・シンフォニーホールで行われた読売日本交響楽団の第九演奏を聴いている。

今日の新日フィルのコンサートマスターはソロ・コンサートマスターの崔文珠。崔文珠は様々な楽団と契約しているため、大阪でも姿を見ることは多い。先日も大阪フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスターを務めたばかりである。
ドイツ式の現代配置での演奏。

今日は下手側3階席の補助席。ということで視覚面は悪く、ステージの下手側半分が見えない。その代わり天井には近いので残響の長さはよくわかる。

シューベルトの交響曲第1番。
独特の解釈で知られる上岡だが指揮姿も個性的。背面のポールに手を置いて軽く振っていたかと思うと、突然身振りが大きくなったり、体の向きを急速に180度変えたりする。ジャンプも飛び出す。全て暗譜で譜面台を置いていないため、前方に大きく振る仕草も可能で、左手でポールを握り、指揮棒を握った右手を前方に突き出して前のめりになり、フェンシングような姿勢を立て続けに繰り出したりする。

シューベルトの交響曲第1番は、シューベルトが15~16歳の時に書かれたものであり、若書きである。シューベルトというのも不思議な人で、歌曲の短い作品が多いということもあるが、31年の短い人生で800を超える作品を書いている。尋常でない多作家だったわけだ。それでいて音楽家として大成功していたというわけでもなく、寄宿制学校時代の友人達がシューベルトの作曲家としての才能に惚れ込み、色々と便宜を図ってくれ、ついには友人の家で暮らすようになり(シューベルトは晩年まで自分で家を買ったり借りたりして住んでいたわけではなかった)、結局死ぬまで友人の援助で暮らした。その友人には音楽家も含まれており、高く評価してくれる人もいたが、生前は楽譜の出版も思うようには出来ない作曲家だったのである。「未完成」交響曲や「ザ・グレイト」は彼の死後に発見された作品であり、生前のシューベルトはそれらの交響曲が演奏されるのを実際に聴いたことすらなかったのである。

上岡の指揮するシューベルトの交響曲第1番を聴いて驚いたのは、特に第1楽章においてだが、影、毒、不吉さなどがすでの楽曲に盛り込まれていることである。普通の作曲家ならそれらの存在にすら気づいていない年頃に書かれた曲にである。作品自体はそれこそ若書きで、聴いている間は「十代の作曲家の作品にしてはなかなかだ」と思えるものの、次の楽章になると「あれ? 前の楽章、どんな音楽だったっけ?」と忘れてしまうほど没個性で(シューベルトの作曲の師はアントニオ・サリエリであるが、サリエリも個性の欠如については指摘していたようだ)、インパクトにも欠けるのだが、人間の闇の部分をこの歳で描けていることには驚いてしまう。シューベルトの交響曲第1番は録音では何種類か聴いたことがあるが、仄暗さを感じたことはないので、そうした要素を炙り出してくれた上岡はありがたい存在である。
ノンビブラートを意識した演奏ではあったが、ピリオドを前面に押し出した演奏ではなかった。


マーラーの交響曲第1番「巨人」。「巨人」というタイトルは実はマーラーは最終的には撤回しているのだが、日本でも他の国のいくつかでもタイトルとして定着している。ジャン・パウルの小説『巨人』という長編小説(90年代に神田すずらん通りの東京堂書店で売られているのを見たが、読む気をなくすほどの分厚い小説であった。私も未読)に想を得て作曲されたのだが、何度も校訂を繰り返すうちに小説の内容とは無関係になったとしてマーラーはタイトルを削除したのである。ただ、日本ではジャン・パウルの『巨人』を読んだことのある人はほとんどいないため、小説の内容も知られておらず、タイトルに振り回される可能性は極めて低いため、タイトルがあったとしても解釈は変わらず、罪のないタイトルではある。

上岡は指揮台に上がり、聴衆に向かって一例して振り向くともう音楽が始まっている。これほどさりげない出だしをする指揮者も珍しい。
明るめの音色による演奏であるが、これは新日フィルが前身である日本フィルハーモニー交響楽団(現在のものとは微妙に異なる。詳しくは「日フィル争議」で検索して下さい)時代からアメリカのオーケストラを模範とした音楽作りを目指していたためである可能性が高く(上岡はオーケストラの音色を自在に帰られるので断言は出来ないが、朝比奈隆指揮や小澤征爾指揮で聴いた時も新日フィルの音は明るかった)、上岡が新日フィルの個性を生かしたのであろう。
上岡らしい強弱をはっきりと付け、テヌートとスタッカートの対比を生かすなど、個性的な演奏である。音のバランスも独特だ。
だが、驚いたのは、第1楽章でチェロがグリッサンドを用いたこと。これまでグリッサンドを用いた「巨人」の演奏など聴いたことがない。上岡が音符や指示を足した可能性もあるが、先日、マーラーの交響曲第6番「悲劇的」が演奏された京都市交響楽団の定期演奏会で、指揮者の高関健が「新しい楽譜が出た(当日用いられたのは2010年に出版された楽譜)」と話していたたため、マーラーが何度か校訂した「巨人」の中にグリッサンドの指示が書かれたスコアがあったのかも知れない。マーラーの指揮者としての弟子で、マーラーの交響曲普及に貢献したウィレム・メンゲルベルクやブルーノ・ワルターはポルタメントを頻用していたため、師であるマーラーの指揮も同スタイルで、自作の中にポルタメントを予めグリッサンドとして指示していた可能性もある。

第2楽章は輝かしくスマートな演奏であったが、これは第3楽章への伏線である。第3楽章は出だしのティンパニの音が極めて小さく、コントラバスのソロも意図的に稚拙に演奏される。コントラバスのソロは前例があるので上岡独自のものではないが、上岡は主題が管楽器に移っても意図的に野暮ったい歌わせ方をしていた。この楽章はもともと猟師の遺体を獣たちが運ぶ場面を描いた葬送行進曲であり、獣たちの洗練されていない足取りをこうした手段で表したのだろう。

間は取ったが指揮棒は下ろさずに突入した第4楽章。新日フィルの明るい音色も手伝い、爽快な演奏となる。青春の痛手は薄まったかも知れないが、ラストの「勝利の確信」の輝きは痛快の一言である。
奇妙ではあるが面白いマーラーであった。シューベルトも奇妙で面白い人だが、別に関係はないだろう。

上岡は演奏終了後も舞台下手でオーケストラメンバーに立つよう指示し(私の席からは上岡の姿は見えなかった)、最後はステージ中央へと進んでオーケストラと共に一礼したが、指揮台に上がることはなかった。そういう習慣なのだろう。

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2016年3月26日 (土)

コンサートの記(232) 高関健指揮京都市交響楽団第599回定期演奏会

2016年3月13日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第599回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任首席客演指揮者の高関健。

マーラーの交響曲第6番「悲劇的」、1曲勝負である。

開演20分前から高関健によるプレトークがある。高関は、「マーラーの交響曲第6番は、交響曲の中でおそらく最長だと思われます。マーラーの交響曲第3番は100分でこれよりも長いですが、こちらは6楽章からなる交響曲でして、伝統的な4楽章の交響曲としては6番が最も長いものだと思われます」とまず「悲劇的」交響曲の長さについて触れる。さらに「今日はステージの上に110人編成。私が111人目になりますが」と編成の大きさにも触れる。更に今日は2010年出版クビーク新校訂板の楽譜を使うのだが、高関が自身の判断で筆を加えた楽譜を用いるという。音符を動かしたり足したりということではなく、バランス面に関して手を加えたという。今日もP席で聴いたのだが、打楽器奏者や管楽器奏者の楽譜に、【高関版】と印刷されているのが目に入った。
マーラーの交響曲第6番「悲劇的」は、第2楽章と第3楽章の順番が入れ替わることがある。第2楽章にスケルツォ、第3楽章にアンダンテが来る場合が多いのだが、マーラーはエッセンでの初演の際は第2楽章アンダンテ、第3楽章スケルツォで演奏している。実はマーラー自身も第2楽章と第3楽章の順番でかなり悩んだそうで、当時、マーラーのアシスタントをしていたプリングスハイム(のちに東京音楽学校の作曲科教員となり、日本におけるマーラー作品の伝道師的立場となる)にも何度も相談したそうだ。書き始めたのはスケルツォの方が早いことはわかっているのだが、実際に書き上げてみると、「アンダンテが先の方が良いのではないか」とも思ったようである。初演のリハーサルでは第2楽章スケルツォ、第3楽章アンダンテであったが、演奏会では順番が入れ替わったという。高関によると交響曲第6番「悲劇的」の初演は客席の大半を音楽関係者が占めるという特別な演奏会だったということもあり、すでに楽譜が印刷されて、批評家に配られたり、聴衆に販売されている中での初演だったそうである。そしてパンフレットには第2楽章と第3楽章が入れ替わる旨が書かれた紙が挿入されていたという。ちなみに客席には著名な作曲家もいたが、リヒャルト・シュトラウスなどはこの曲の良さがわからなかったそうである。

マーラーは「悲劇的」を3回指揮しており、2度目のミュンヘンでの演奏でも第2楽章アンダンテ、第3楽章スケルツォであったが、3度目、自らの本拠地であるウィーンでは、第2楽章スケルツォ、第3楽章アンダンテにした、と思われていたが、実際に調べてみるとウィーンでも第2楽章アンダンテ、第3楽章スケルツォであったことがわかったという。
マーラーの未亡人であるアルマ・マーラーは第2楽章スケルツォ、第3楽章アンダンテで演奏するよう指揮者に求め、マーラー協会が1962年に第2楽章スケルツォ、第3楽章アンダンテで楽譜を出版。以後はこれが定番になってきたが、2003年にマーラー協会は第2楽章アンダンテ、第3楽章スケルツォが正しかったと発表。以後、出版された楽譜は2003年のマーラー協会の見解に従っている。今回の演奏会でも第2楽章はアンダンテ、第3楽章がスケルツォである。

マーラーの交響曲第6番「悲劇的」は、大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏会で2度聴いたことがあるが、いずれも第2楽章スケルツォ、第3楽章アンダンテ版だったので、逆になった演奏を生で聴くのは初めてになる。
今日のコンサートマスターは客演コンサートマスターの荒井英治。2月のセンチュリー響に続き、京響にも登場である。渡邊穣は降り番で、フォアシュピーラーに泉原隆志。
ヴァイオリン両翼の古典配置による演奏。ステージが楽器と楽団員で一杯のため、高関は一度ステージから降りて客席最前列の前を通り、階段を昇ってからステージと指揮台に上がる。
チェレスタは今岡淑子と佐竹裕介が1台ずつ弾く。高関によるとマーラーは「何台でも良い。多ければ多いほど良い」と書いているそうだが、バランスを考えて2台が良いと高関は考えたようだ。

京都市交響楽団の音の輝きと力強さが印象的である。高関の音楽作りは流れよりもブロックごとに分けて積み上げていくような構造重視のもの。バランス感覚に優れ、過不足のない演奏が展開される。

第2楽章と第3楽章の交替であるが、個人的には第2楽章スケルツォ、第3楽章アンダンテの方がピッタリくるように思われるが、それはそういう演奏に慣れているためかも知れず、一度きりの演奏会体験でどちらが良いか即断出来るものではない。

パワフルにして密度の濃い演奏で、高関の実力を堪能することが出来たが、好みでいうと大植英次の「悲劇的」の方が私は好きである。大植さんの演奏はよりエモーショナルだ。

その大植英次と大学時代からの友人、高関健とは高校時代からの友人だという京響フルート首席奏者の清水信貴が今回の演奏会をもって京都市交響楽団から卒団となる。京響入団は1986年、それ以前には読売日本交響楽団に8年在籍しており、40年近くのオーケストラ生活となったという。大植英次と同い年のはずなので、定年退職ということになる。今後はソロや室内楽での活動、後身の育成、そして指揮者としての活動にも力を入れる予定だという。

卒団者がもう一人。2011年に入ったばかりの副主席ホルン奏者の水無瀬一成である。ステップアップのための退団であるという。

清水と水無瀬は高関に指揮台付近に呼ばれ、同じパートのメンバーから花束を受け取る。フルートパート3人は全員女性であるが、みな清水との別れに涙を流していた。

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2016年3月24日 (木)

笑いの林(65) 「テンダラーNGKライブ vol.8」

2016年3月13日 なんばグランド花月(NGK)にて

午後7時30分から、なんばグランド花月(NGK)で、「テンダラーNGKライブ vol.8」を観る。

まずは能舞台を意識した松の描かれた背景がキャットウォークから降りてきて漫才。白川悟実が「年を取った母親と二人で暮らすのもいいんじゃないか」というと、浜本広晃は、「ついに結婚諦めたん?」と聞く。「良い家がある」という浜本だったが、「上海駅から徒歩5分」だったり「岐阜羽島から歩いて45分」だったりとロケーションが滅茶苦茶である。浜本は「お年寄りなのでセキュリティが大事」ということで、防犯対策バッチリの物件を紹介するのだが、「玄関まで800段の階段がある。強盗も家に着く前に疲れる」家だったり、「暗証番号が128万桁ある」という滅茶苦茶なセキュリティーロックの家だったりする。
最後に浜本は「俺のマンションの上の階に家に住まへんか?」という。何でも上の階の隣の部屋には小学校で音楽を教えている奥さんがおり、旦那さんは単身赴任中であるという。そこで浜本が引っ越しの挨拶で隣の部屋を訪ね、そこから始まるロマンスの演技をする。浜本が「これ、つまらないものですが」と言って「からあげ君」を渡し、「本当につまらないものやん!」と白川に突っ込まれたりする。奥さんは今、学校で「グリーングリーン」を教えており、ピアノ弾き語りをしてくれるのだが、、浜本がくさいやり方でくどき始め、二人の出会いを喜ぶ替え歌にしてしまったため、「グリーングリーン」の歌詞が「不倫、不倫」になってしまったりする。

白川がCDデビューしたいという話になる。今回、白川が選んだのはJ-WALKの「JUST BECAUSE」。サビのループのところをやりたいそうなのだが、浜本はユニゾンで歌ってしまったり、出が遅れたり早すぎたりする。

今度は結婚式のネタ。地味婚も流行だが、白川は結婚するとしたら式は派手にやりたいという。そこで浜本が披露宴の司会者という設定でやってみるのだが、「白川家とシルク家」の披露宴になってしまう。白川が「相手は綾瀬はるかが良い」というので、白川と綾瀬はるかの結婚式になるのだが、新郎新婦の入場にゲスの極み乙女。の「私以外私じゃないの」が掛かってしまったり、ケーキ入刀がシートを外さないまま行ったので上手くいかなかったり(ケーキは不二家で買ったという滅茶苦茶な設定)、写真撮影の時間になっても誰も白川には近づかなかったりする。
そして、浜本は白川に「永遠にともに」のピアノ弾き語りを勧めたりする(コブクロの「永遠にともに」は陣内智則が藤原紀香との結婚式で弾き語りした曲である)。

「謝罪会見」。白川が不祥事を起こしたので浜本と二人で謝罪会見を行うというネタなのだが、まず浜本が説明を始めた時には浜本自身の口によるシャッター音がしきりに起こるのだが、白川の謝罪会見になると、「カシャ……、カシャ……、……ピロリン」とシャッター音もまばらで、最後は写メの撮影音になってしまう。ちなみに白川の罪状は「万引き常習、窃盗、ブルセラショップ立ち上げ、フィリピンパブ経営、殺人、強盗、放火」で、極悪人にされてしまうが、白川は「フィリピンパブ経営は別にええやん」と突っ込む。
タクシー代の初乗り料金で揉めたという内容に変更するが、白川がやたらと暴力的な人物にされてしまう。最後は普通の謝罪会見になるのだが、「タクシーの初乗り料金が何じゃ!」、「殺すぞ!」、「謝って済むか、オラ!」と浜本が発する記者からの野次のガラがやたらと悪い。そこで浜本がどこの記者か聞くのだが、「HOT PEPPER」、「an・an」、「センテンススプリング(文春)」の記者達であった。

その後、お馴染みになった「コラおじさん」のネタと「暴れん坊将軍」のネタがある。


田原俊彦の「ジャングルジャングル」のプロモーションビデオが流れた後で、続いては、白川が東京ディズニーリゾートのジャングルクルーズに遊びに来たという設定で行われるコント。
ジャングルクルーズにやって来たのは良いのだが、客は白川の一人のみ。そこへ浜本扮するガイドがやって来て、二人だけでクルーズがスタートする。浜本扮するガイドをおっさんだと思っていた白川だったが、実際は女性であった。途中で「サイ」に掛けた早口言葉があり、それがWEST SIDE(吉本の男芸人によるアイドルユニット)の曲になったりする。
今度は人間がジャングルの神の怒りに触れたという設定。神は「お前ら先進国の人間はジャングルを踏みにじった」と怒り、浜本扮するガイドが「我々はジャングルを愛していて、ジャングルへの関心を皆に広めていこうと思っているのです」と言うも神に「うるさい!」と一蹴される。だが、神は先程と同じ言葉を繰り返し、浜本も前回と一緒の言葉を返すという無限ループに陥ってしまう。
最後は浜本が「ジャングルジャングル」に合わせて踊る。吉本新喜劇のダンスが得意なメンバーもバックダンサーとして加わり、延々とダンスの時間になる。
今度は白川が高校の教師に扮したコント「LINE」。校内はスマホ禁止だというのに、みんなスマホを持ち込んでいる。そこでスマホを回収した教師(白川)であるが、スマホに次々とLINEのメッセージが入る。浜本はLINEで報告された人物を演じる。
「しょっちゅうナンパしてくる変な男」で浜本は仕草だけでナンパする男を演じ。「カンニングバレなかったよな」というLINEの時には、鉢巻きをしてテストに取り組む、かと思いきや頭に巻いているのは実はバンドで裏に書き込みがしてあり、伸ばしてカンニング出来るようになっている。
「上の階の人が叫んでうるさい。勉強できない」では、勉強している浜本の横にサバンナ・八木真澄が現れ、「ブラジルの人聞こえますかー?!」と叫ぶ。
「卒論出した?」「まだ」では、浜本が茶髪のかつらを被り、「私以外私じゃないの」が流れる中、ゲスの極み乙女。の川谷絵音に扮する。


今度は白川が温泉町を訪れる。しかし、今日宿泊する旅館の「桜の間」には浴衣が置かれていない。そこでフロントに電話する白川だったが、相手は「担当の仲居に連絡しますので」と言って保留音になる。それが何故かBOOYや布袋寅泰の曲である。
実は担当の仲居はすぐ横の部屋にいた。富士山の写真の入った額が壁に掛かっているのだが、実はそこが「仲居の窓」でありスライドさせて浜本が顔を見せる。
テレビを見ようとした白川だったが、テレビが付かない。そこで仲居を呼ぶと「地デジに対応していない」とのこと。仕方がないのでラジオを聞こうとした白川だが、仲居の部屋から「探偵ナイトスクープ」のテーマが聞こえる。実は仲居の部屋ではデジアナでテレビが見られるのだそうだ。ちなみに仲居の妹は東京ディズニーランドでジャングルクルーズのクルーをしているそうである。
浜本が、「芸人を呼んでいるのでお楽しみ下さい」と言うが、やって来たのは吉本新喜劇の今別府直之。矢野・兵動の兵動大樹、金正男の物真似(見た目が似ているだけだが)をした後で、例の「ピュ」というネタしかやらない。
その後、照明が暗くなり、「ハッピーバースデー」を歌いながら旅館の従業員が現れる。誰の誕生日なのかと思いきや浜本扮する仲居の誕生日だったという、白川には一切関係のない展開である。しかも清水啓之がバラの花束を手にして現れ、浜本にプロポーズ。だがあっさりフラれる。
ここでもまたダンスシーンとなるのだが、「ジャングルジャングル」でも踊っていた吉本新喜劇の松浦恵子はクラシックバレエのコンクールで日本一になったことがあるという。


続いて、浜本が実況、清水啓之と今別府直之が解説に扮した「ギャグリンピック」リオデジャネイロ大会。出場者は白川悟実、サバンナ・八木真澄、スマイル・ウーイェイよしたか、土肥ポン太。
「ものぼけ」対決である。八木は猫のぬいぐるみの上にヘルメットをかぶせて、「どこ行ったー? どこ行ったー? (ヘルメットの下に猫を見つけて)ここにおったん」と言い、浜本から「何がしたかったんでしょうね?」と言われる。
ウーイェイよしたかは、テニスラケットを振り、「こんばんは、錦織圭です」とやって笑いを取る。錦織圭似の顔であるよしたかであるが、浜本は「実際に錦織圭の横に立ったら全然似てないでしょうね」と言う。
土肥ポン太は、サングラスを掛け、右手に日本刀、左手に鈴のついた紐を持ち、「ドラえもん、殺ってきたぜ」と言って大受けを取るが、浜本らは「お子さん方、本気にしないで下さい。ドラえもん生きてます」とフォローする。


最後の演目は漫才「鬼から電話」。「鬼から電話」なるスマホのアプリがあるそうで、それをやってみる。白川が泣きわめく子供、浜本がその母親と「鬼から電話」の声の主を演じるのだが、「オニオニ。角が折れたので300万円振り込んでくれんかな」というオニオニ詐欺だったり、途中で割り込み電話が入って「今、鬼からバイト」などと言ってしまったりする。更には「ミナミの鬼や。利息はトイチ」と「ミナミの帝王」の萬田銀次郎からの電話になってしまう。
今度は役割交代して浜本が子供を演じる。浜本が泣いている理由は「学校でいじめられているから」なのだが、いじめられている理由が「テンダラーの白川が面白い」と言ったからだそうで、クラスメート全員、他校の児童、教師、保護者の方々、通りすがり人など全員がいじめてくるのだという。そこで白川が面白いということを証明するために一発芸をやるのだが、白川は「剣道。面、胴、小手、鼓笛隊」とやって全く受けなかった。

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2016年3月21日 (月)

Date Of Birth 「思い出の瞳」

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2016年3月19日 (土)

北村透谷 「我牢獄」

作品紹介です。青空文庫でお読み下さい。

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2016年3月18日 (金)

成熟

成熟した社会が成熟した人間を生み出すとは限らない。

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2016年3月17日 (木)

灰田勝彦 「森の小径」

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2016年3月13日 (日)

ジョージ・ガーシュウィン作&ピアノ演奏 「I Got Rhythm」

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2016年3月12日 (土)

エルガー 「エニグマ変奏曲」より“ニムロッド” サー・サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

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2016年3月11日 (金)

観劇感想精選(178) 二兎社 「書く女」2016

2016年2月11日 滋賀県大津市のびわ湖ホール中ホールにて観劇

午後2時から、びわ湖ホール中ホールで二兎社の公演「書く女」を観る。作・演出:永井愛。二兎社は永井愛と大石静という卯年生まれの同い年の演劇人二人が結成した劇団で、当初は一人で何役も演じる二人芝居というスタイルを取っていたが、大石静が映像の脚本に取り組むようになり、その後、大石は病気を患ったということもあって演劇界から手を引き、テレビや映画の脚本家に転身。二兎社は正式な劇団員のいない、永井愛の個人演劇プロデュースユニットとして存続している。

「書く女」は、樋口一葉を主人公にした芝居で、2006年に寺島しのぶの樋口一葉で初演。私は初演をシアター・ドラマシティで観ている。今回は10年ぶりの再演となり、樋口一葉役には若手の黒木華(くろき・はる)が起用されている。出演は黒木華の他に、平岳大(ひら・たけひろ)、朝倉あき、清水葉月、森岡光、早瀬英里奈、長尾純子、橋本淳(はしもと・あつし)、兼崎健太郎、山崎彬、古河耕史、木野花。
作曲とピアノ演奏は林正樹。

映画「小さいおうち」で第64回ベルリン国際映画祭最優秀女優賞(銀熊賞)を受賞して注目された黒木華(ただし、「小さいおうち」の主演女優はあくまでも松たか子である)。1990年大阪府生まれ。京都造形芸術大学の後輩でもある。現在は大河ドラマ「真田丸」にも出演中。


2006年の上演では、書くことに取り憑かれた巫女のような樋口一葉像を寺島しのぶは炙り出していたが、黒木華が演じる樋口一葉はエネルギッシュな革新家的一面が前面に出ているような気がする。そのため台本は変わっていないにも関わらず(かなりカットはしたとのこと。残念ながら、前回、一番笑えたセリフもカットされていた。もっともそのセリフは寺島しのぶのアドリブであった可能性もあるのだが)別の劇を観たような印象を受けた。

今回の上演では舞台中央にそれほど高くはないが白い階段が設けられており、これが効果的に用いられる。

まずは雨の日のだんまりの場。皆、傘を差しているので顔は見えないのだが、赤い傘を差した女が通行人とぶつかり赤い傘が上に上がる。赤い傘を差していたのは樋口一葉(黒木華)。一葉はある男の顔を見てハッとする。その男はだんまりの場の最後まで顔を見せないのだが、どうやら正体は半井桃水(平岳大)のようだ。

話は樋口一葉が歌塾「萩の舎(はぎのや)」に通っている時代から始まる。樋口一葉こと樋口奈津(樋口夏、樋口夏子)は、小学校高等科第4学級を首席で卒業したが、母の意向で学業を断念。しかし家計が苦しくなったため、文学で身を立てようと志す。一葉は半井桃水に弟子入りを志願する。


何よりも寺島しのぶの演技が魅力だった「書く女」であるが、黒木華の演技も思った以上に作品に嵌まっている。寺島しのぶとは大きく異なり、時にはただ純粋な少女になっているところもあるが(その後の川上眉山の自殺を言い当てる場面など。あの場では年上である川上眉山をたしなめるような台詞回しが必要だったように思う)、書くことで時代を切り開き、先取りする、これまでの封建制度の中に閉じ込められていた「女」を再定義し再創造する進取の気質に富んだ才女として再現することに成功しているように思う。「書く女」はそれほど単純に「女」の再定義や再創造に収斂できるほど単純な作品ではないが、「書く」=「エクリチュール」ということにおいて、そうしたエートスが最も重要であることも確かだと思える。

初演時には筒井道隆が演じて「小説家としては三流だが根っからの善人」という印象を受けた半井桃水であるが、平岳大が演じると、当然ながら違った一面が見える。根っからの善人であることは確かなのだが、ちょっとした屈折も仄見えるようだ(ちなみに平岳大は大河ドラマ「真田丸」で武田勝頼を演じていたため、観客から「生勝頼」などと言われているそうだが、永井愛は「真田丸」を見ていないので最初は意味がわからなかったそうである)。

一葉の妹である樋口くにを演じた朝倉あきは、最初のうちは「え?!」と思うほど役に馴染んでいないように見えたが、それもほんの僅かの間で、健気な妹を懸命に演じていて好感が持てる。

木野花の安定感は今更書くまでもない。


終演後に「書く女」の作・演出を手掛けた永井愛によるアフタートークがホワイエで行われる。永井愛が「書く女」を執筆するに至った経緯だが、永井は「自主的にだと良かったんですけれど」と前置きを入れつつ、依頼されて書かれたものだということを明かした。永井によると樋口一葉の処女作である「闇桜」は酷い出来だそうで、「もし今、樋口一葉が目の前に現れて、『闇桜』の原稿を見せられたとしても、『あなた、残念だけど小説家には向いていないんじゃない』と言ってしまうと思う」そうである。ただ同時期に書かれた樋口一葉の日記は優れた出来だそうで、「『闇桜』を書いた頃の一葉は人間を見ていなかった」ために小説の出来が芳しくなかったのだと結論づけた。
樋口一葉が次々と傑作を繰り出す「奇跡の14ヶ月」はそれから僅か3年半後のことであるが、永井は一葉の小説が長足の進歩を遂げたことについて、「周りに色々な人が現れたこと。それまでは萩の舎に学ぶ蝶よ花よのお嬢ちゃんだったのが、吉原の近くで荒物屋を始めるなど、世の中のことを深く知るようになった。また人に薦められて井原西鶴や、ドストエフスキーの『罪と罰』を読むようになったのも大きい」と言う。実は今回は古河耕史が演じた斎藤緑雨(こちらは私の明治大学の先輩である)が見抜いた一葉の才能や、一葉のそれに対する反応などは、実際に文芸誌や一葉の日記などから引用したものだそうで、永井が緑雨を慧眼の持ち主として創造したわけではないそうである。

緑雨が一葉を評した「冷笑的」という言葉は一概に批判したものとはいえず、ブレヒトの「異化効果」に似たものだったと永井は分析している。


黒木華の一葉は寺島しのぶの一葉に比べると心理描写の面で甘さがあったのは確かである。だが、「書く」ことで「創造」していく、当時としては最先端の、そしてこれからの時代にも必要とされる女性像を体現していたのもまた事実である。

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2016年3月 7日 (月)

コンサートの記(231) 飯森範親指揮日本センチュリー交響楽団いずみ定期演奏会 No.30

2016年2月26日 大阪・京橋のいずみホールにて

午後7時から、いずみホールで日本センチュリー交響楽団いずみ定期演奏会 No.30を聴く。今日の指揮者は日本センチュリー響首席指揮者の飯森範親。

昨年6月にスタートした「ハイドン・マラソン」の4回目となる演奏会。「ハイドン・マラソン」のファーストシーズンが今日で終わる。

曲目は、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:郷古廉)、ハイドンの交響曲第18番、ハイドンの交響曲第96番「奇蹟」

今日のコンサートマスターは日本センチュリー響客演コンサートマスターの荒井英治。松浦奈々がフォアシュピーラーに回る。
古典配置での演奏であり、ハイドンの時はパブロ・エスカンデが指揮者の飯森と向かい合う形で通奏低音のチェンバロを弾いた。

弦の編成であるが、ベートーヴェンと「奇蹟」では第1第2ヴァイオリン共に8人、ハイドンの交響曲第18番では各6名と一回り小さくなる。


べートーヴァンのヴァイオリン協奏曲。ソリストを務める郷古廉(ごうこ・すなお。男性)は、宮城県多賀城市生まれの若手。2013年8月にティボール・ヴァルガシオン国際ヴァイオリン・コンクールで優勝並びに聴衆賞・現代曲賞を獲得して注目されている。2006年には第11回ユーディ・メニューイン青少年国際ヴァイオリンコンクールジュニア部門で第1位に輝いていた。
現在はウィーン私立音楽大学(変わった校名だがそういう名なので仕方がない)在学中である。

登場した郷古は、顔写真よりもほんの少しワイルドな印象を受ける。ヴァイオリンであるが、ベートーヴェンを奏でるには少し音の線が細い気がするが、高度なメカニックと磨き抜かれた音色、そして何よりも勢いがある。おそらく現時点ではベートーヴェンよりもモーツァルトの方が合うのではないであろうか。

飯森指揮のセンチュリー響がガッシリとした伴奏を披露。そのため郷古の音の細さが強調されてしまったところもある。
基本的にピリオド・アプローチであるが、徹底したものではなく、弦楽奏者もビブラートを思いっきり掛ける人、そこそこの人、徹底したノンビブラートの人とバラバラである。おそらくベートーヴェンの時代の音楽家もビブラートに関してはバラバラであったはずで、解釈としても説得力はある。

郷古はアンコールとして、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番より“サラバンド”を弾く。高貴にしてスケール豊かな文句なしのバッハであった。


ハイドンの交響曲第18番と第96番「奇蹟」では、センチュリー響の弦楽は徹底したノンビブラート奏法を貫く。飯森もハイドンではノンタクトで指揮。

交響曲第18番は、ハイドンがまだボヘミアのモルツィン伯爵に仕えていた頃の作品。この時代のハイドンについては史料も不足しており、よくわかっていないという。ハイドンというとハンガリーの片田舎に居を構えるニコラウス・エステルハージ候の下で宮廷楽長をしていた時代がよく知られているが、交響曲第18番はその時代よりも前に書かれたものである。
3楽章からなる交響曲であり、第3楽章はメヌエット。第3楽章がメヌエットの場合、普通はその後に第4楽章が来るのだが、この曲では第4楽章は置かれていない。
当時の貴族の趣味に合わせた作品であり、第2楽章で少し影が差す場面はあるが基本的に陽性の楽曲である。飯森の音楽作りは「しなやか」の一言だ。


交響曲第96番「奇蹟」。ハイドンがこの曲を指揮した時、余りの熱狂に聴衆がステージの押しかけたのだが、そのお陰で落ちてきたシャンデリアの下敷きになるのをほとんどの人が免れたという話からタイトルが付いたとされているが(似たようなバリエーションもいくつかある)、ハイドン自身は「そんな話は知らない」と明言しており、少なくともハイドンが演奏を行っていた会場ではそんな事件は起こっていないようである。ただ同時代の新聞記事に、ハイドン自身が関わっていない演奏会でハイドンの別の交響曲を演奏中にシャンデリアが落下するという事故があったと書かれたものがあるそうで、話がごっちゃになった可能性がある。
「奇蹟」は、ロンドンの興行師、ペーター・ザロモンの依頼を受けて書かれたものであり、田舎の貴族ではなく大都会であるロンドンの民衆に受ける必要があったため、ハイドンも持てる力をフルに生かした曲作りをしている(それまでの曲が手抜きだったというわけではないが)。
スケール豊かであり、時に金管のパートが華やかに書かれており、センチュリー響のブラス群も力強い響きで飯森の指揮に応える。
全体を通して集中力の高い、情熱溢れる演奏であり、格調も高い。優れた出来映えである。


演奏終了後に飯森のスピーチ。センチュリー響の「ハイドン・マラソン」の第2回に当たる「いずみ的演奏会 №28」が平成27年度大阪文化祭賞奨励賞を受賞したこと。またセンチュリー響首席トランペット奏者の小曲俊之が音楽クリティック・クラブ奨励賞を受賞したことを伝えた。

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2016年3月 3日 (木)

笑いの林(64) 「Asahi Girls Geinin Collection 朝日ガールズ芸人コレクション」

2016年2月27日 大阪・新世界の朝日劇場にて

この2月から吉本の劇場になった朝日劇場へ。朝日劇場には花道があり、これも公演の一部で使われる。

午後6時30分から大阪・新世界の朝日劇場で行われる「Asahi Girls Geinin Collection 朝日ガールズ芸人コレクション」を観る。出演者は、シンクロック・吉田(MC)、茜チーフ(MC。登場の時に「フジテレビアナウンサーのショーパンこと生野陽子です」とボケていた)、紅しょうが、フライハイト、よしだまなミ、エトセトラ、おいらがくさか、ももかんラッシー、オダウエダ、バターぬりえ、ガンバレルーヤ、桂ぽんぽ娘(かつら・ぽんぽこ)、シュークリーム、美たんさん、もみちゃんズ、人妻ニャンコ、中上亜耶(なかがみ・あや)、ゆりやんレトリィバァ、ブランチ、桜      稲垣早希、Dr.ハインリッヒ。

かなりの大所帯である。そのためネタ時間も短く、紅しょうがから桂ぽんぽ娘までは持ち時間2分、シュークリームからDr.ハインリッヒでも持ち時間3分しかない。

人を笑わせるにはキャリアがいるので、NSCを出たての子の芸は寒くて笑うに笑えない。面白い芸人さんがいかに凄いかが逆によくわかる。

おいらがくさかというピン芸人は広島東洋カープのレプリカキャップ(ただしオフィシャルショップで売られているミズノのものではなく、NewERAのものでつばの裏側も緑色である)とレプリカユニフォームを着て登場(背番号14の大瀬良大地のものと、背番号56の辻空の2種類を持ってきていた)。本物のカープ女子だそうだが、カープ女子にも2種類あって、本当の野球好きのカープ女子と流行に乗っているだけのインチキカープ女子がいるそうだ。インチキカープ女子の特徴は「美形」だそうで、本物のカープ女子は「中の中以下の容姿」だそうである。ちなみにおいらがくさかは吉本の女芸人にしては可愛い方だが、「私程度が本物のカープ女子の上限」だそうである。インチキカープ女子は堂林翔太などのイケメン選手や九里亜蓮などのチャラい系選手を好きになるが、本当のカープ女子は黒田博樹などのベテランや渋めの選手を選ぶ傾向があるようだ。
 
これはジャイアンツの往年の選手の話になるが、宮沢りえが川相昌弘のファンだったり松たか子が村田真一のファンだったりしたことがあるため、野球好きの女子は燻し銀系の選手を好きになる傾向はあるようである。燻し銀の選手は「ザ・プロ」っていう感じがするからね。

よしだまなミは、外見は男なのだが女芸人である。しかもオナベではない(プリマ旦那・野村に初対面で「オナベ?」と言われたそうである)。男っぽい外見なので女子トイレに入るときに二度見されたり、女性専用車両に入るのを避けたりするそうである。


シュークリームは、しよりが「売名行為をしたい」と言いだし、「今、不倫が話題になってるから、不倫をすれば名前が売れる」と続けるが、吉岡久美子に「不倫なんてするべきじゃないよ」と言われる。しよりは「するベッキーじゃない?」と返し、更に「ゲスで行こう」などと言い出してしまう。ところが不倫に反対した吉岡久美子がなぜか妙に不倫について詳しく……という展開になった。前回見たときより腕上げてるなあ。


人妻ニャンコは今日もエロ替え歌。Perfumeの曲の替え歌を歌ったが、流行っても困るので元のタイトルは伏せておく。歌唱力は今一つだったがPerfumeの曲は歌唱自体が難しいということもある。そもそも歌詞が過激すぎたので、歌唱力にまで気を配る人も余りいないだろう。


マジシャンの中上亜耶のステージであるが、手品のアシスタントとして何故か私が選ばれてしまい、朝日劇場のステージに上がることになる。中上が「お名前を教えて下さい」と言ったので、「ほんぼと申します」と本名を名乗ったのだが、中上は「本部さん」と聞き違え(警視庁かよ!)、私が「本保です」と訂正を入れる。その後も中上は「本部さん」と間違え、更には「ほん……」と詰まったので、「ちょっと! わざとやってるでしょ?!」と突っ込んだのだが、わざとではなく本当に覚えられなかったようである。結局4度目も「ほん~、さん」と誤魔化して客席から笑いが漏れる。確かに「ホンボ」なんて苗字を聞くのは初めてだろうし、新潟県の粟島にでも行かない限り、もう二度と「ホンボ」という苗字の人と会うことはないと思うけれど、これほど人の名前を覚えるのが苦手な人、初めて見た。やっぱり吉本ってこんな子ばっかりなの?

マジックはビニール袋の中に入れられた、4つ折りの紙切れの中から私が適当に一枚引き、その紙切れに書かれた数字を自分だけ記憶する。中上はその間に縦4枡横4枡に区切られた紙に数字を入れていく。中上は私が選んだ数を「54ですね」と当て、16枡の内、横の列、縦の列、斜めの列に書かれた数字を足すといずれも「54」になるという魔方陣のマジックであった(「魔方陣ですね」と言おうと思ったが、中上が「魔方陣」という言葉を知らない可能性があるのでやめておいた)。トリックはよくわからないけれど(いずれにせよ「54」になることは決まっていたのだろう)まあまあ面白かったので良かった。

緊張はしなかったが、気分が高揚したので、次のゆりやんレトリィバァの演目はあんまり頭に入らなかった。

ゆりやんレトリィバァの演目は以前も見たことがあるもので、「朝起きたら世界に誰もいなかったらどうしよう」→「とにかく探せ! どっかにはいる!」とアジテーションしていくものであった。


桜 稲垣早希。「アンパンマン」のバタコさんの帽子を被っているが、鮮やかな青紫のミニドレスを着ている。なんでもジャムおじさんのパン工場が食中毒事件を起こして閉鎖になり、バタコさんはホステスに転身したのだという。今日はバタコさん初出勤の日であるため、念のためファブリーズをして出掛けたのだが、最初の客はなんとジャムおじさん。ジャムおじさんの話によるとアンパンマンはジャムおじさんが頭を作れなくなったため、胴体だけ漫画専門古書店に飾られているのだという。
そこへばいきんまんの攻撃がある。アンパンマンがいない今、ばいきんまんと戦えるのはバタコさんしかいない。バタコさんには武器がないが、手近にあったファブリーズをばいきんまんに向かって噴射。するとばいきんまんはあっさりやられてしまう。バタコさんは「え? これで良いの?」と一言。
これはかなり面白い。オチもちゃんと付いているし、早希ちゃんが行ってきた演目の中で一番面白いかも知れない。


Dr.ハインリッヒ。幸(みゆき)が、道端に空き缶が投げ捨てられているのを見掛けたというのだが、「ここで今、一人の人間の渇きが潤されたという痕跡を見た」という幸に、彩は、「あんたの今の言葉、釈迦とイッセーミヤケを足して二で割ったような言葉やな。悟りがありお洒落でもあり」とコメントする。
幸は「この間、マクドに入ったらJK(女子高生)4人が入ってきてな」という話をする。そしてそれを「若くして家のために子供を産むべくしつけられ、一家の期待を押しつけられた少女は今の時代にはもういなくなったんだ」と少女の自由宣言に変えてしまう。
最後は、幸が黒ひげ危機一発に負けて青汁を飲む罰ゲームを受けた時の話になるのだが、幸は「おじさんを解放してあげた」と言うも、彩に「ただ負けただけちゃうん?」と突っ込まれて終わる。
ちなみに黒ひげ危機一発は、黒ひげをジャンプさせた人が実は勝者です。


コーナー。「ブスチーム」と「可愛いチーム」に分かれての対決。誰が「ブスチーム」で誰が「可愛いチーム」かはだいたい察しが付く。「可愛いチーム」のメンバーは花道から登場。ただなぜか「可愛いチーム」のしんがりに桂ぽんぽ娘がいる。

ブスチームのメンバーは、MCの吉田や茜チーフもブスだろうと文句を言うが、吉田は「そんなブスにブスと認定されたブス」と言って落とす。

最初は「ものぼけ」。可愛いチームのテーブルに置かれたものはどことなくお洒落、一方、ブスチームのテーブルに置かれたものは貧相である。

まずブスチームのももかんラッシー・みっちょんが時代劇の娘のかつらを床に置き、「おかーさーん! 間に合わなくてごめんなさい。こんなに灰になってしまって」とやるがアウト。しかし、可愛いチームの早希ちゃんが金髪のウィッグを床に置き、「おかーさーん!」と同じボケをやるとセーフで、ブスチームから苦情が出る。

最後は可愛いチームのDr.ハインリッヒ・山内幸が全ての道具を使ったボケをする。「あー、お金持ち過ぎちゃった」と幸。OKとなった。

続いて、「本格相撲」。ブスチーム先鋒のよしだまなミが対戦相手に「桜 稲垣早希!」と指名し、MCのシンクロック・吉田らが「いきなり!」とざわめくが、早希ちゃんによると「今日が初対面」だそうである。さて、相撲であるが早希ちゃんがぶつかってすぐに自分から後ろに倒れて「か弱いぶりっこ」を演出。可愛いチームもよしだにブーイングを浴びせる。
その後も本気の対決とはならなかったが、4戦を終えて、3勝1敗で可愛いチームが勝ち越し。そこで5戦目でブスチームが勝利すればブスチームの総合優勝にルールチェンジとなる。

結びの一戦は、ブランチ・蔵留と桂ぽんぽ娘の対戦となる。桂ぽんぽ娘が有利だったのだが、先にぽんぽ娘が手を付いたため、蔵留の勝利。総合でもブスチームの勝利となった。

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2016年3月 2日 (水)

コンサートの記(230) パーヴォ・ヤルヴィ指揮NHK交響楽団演奏会大阪公演2016

2016年2月20日 大阪・谷町のNHK大阪ホールにて

午後4時から、谷町4丁目にあるNHK大阪ホールで、NHK交響楽団演奏会大阪公演を聴く。指揮はNHK交響楽団首席指揮者のパーヴォ・ヤルヴィ。
ちなみにNHK大阪ホールはNHK大阪支局の中(NHK大阪ホールと本庁舎とは建物内で分かれている)にあるのだが、本庁舎の方では午後3時から朝の連続テレビ小説「あさが来た」の収録があり、上の階から観覧出来るというのでかなりの人が並んでいた。

響きが今一つのNHK大阪ホール。一昨年の11月に2階席の真ん中で聴いた時にはとても良い音で聴くことが出来たのだが、他の席で聴くと残響不足。今日は前から3列目であったが、残響は1秒にも届かない。
曲目は、リヒャルト・シュトラウスの「変容(メタモルフォーゼ)」、シューマンのピアノ協奏曲イ短調(ピアノ独奏:カティア・ブニアティシュヴィリ)、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはこう語った(ツァラトゥストラはかく語りき)」

今日はゲスト・コンサートマスターとしてヴィスコ・エシュケナージ(ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団コンサートマスター)を招いての演奏である。

今日は弦の配置が1曲ごとに変わる。「変容」ではドイツ式の現代配置だが、弦楽のための作品であり、管楽器奏者がいないので、コントラバスは弦楽奏者の最後列に横一列に並ぶという独特の配置。
シューマンのピアノ協奏曲ではコントラバスが上手に移動してドイツ式の現代配置になる。
「ツァラトゥストラはこう語った」では一転してヴァイオリン両翼、コントラバスは下手端の古典配置での演奏になる。


NHK交響楽団の有名奏者として、オーボエ首席奏者の茂木大輔、フルート首席の神田寛明、チェロ首席の向山佳絵子(元々はチェリストとして個人で活躍していた。旦那はNHK交響楽団首席指揮者の藤森亮一)らが出演。なお、ソロ・コンサートマスターであった堀正文の肩書きが名誉コンサートマスターに変わっているが、これがどういう位置づけのポジションなのかは不明。

おそらくであるが、NHK交響楽団は日本プロオーケストラの中で最も男性楽団員の率が高いと思われる。


リヒャルト・シュトラウスの「変容」。弦楽のための作品であるが、普通の弦楽5部ではなく、全ての楽器を23のパートに分けて演奏される。そのために、例えば第1ヴァイオリンでも演奏をしている奏者と休んでいる人に分かれていたりする。
ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」の第2楽章である葬送行進曲の主題が顔を覗かせ、他の主題とともに変容していく。
仄暗い響きが、どっしりとして分厚いN響の弦楽には良く合っているが、時折、光が差すような明るい音色への変化も見事である。
パーヴォはゲネラル・パウゼも長めの取るが、NHK大阪ホールは弦楽だけだと残響ゼロであり、間が開いた感じになってしまう。


シューマンのピアノ協奏曲イ短調。ピアノ独奏のカティア・ブニアティシュヴィリはジョージア(旧名グルジア。しかし「ジョージア」と「グルジア」では印象が180度異なるな)のトビリシ生まれの若手女性ピアニスト。ウィーン国立音楽大学に学び、2003年にホロヴィッツ記念国際ピアノ・コンクールで特別賞受賞。2008年のルービンシュタイン国際ピアノ・コンクールで3位に入賞している。
パーヴォ・ヤルヴィとはショパンのピアノ協奏曲第2番のCDで共演している。

Youtubeなどでは何故かセクシーな衣装で演奏している映像があったりするが、今日の背中の部分がシースルーになっている黒いドレスで登場する。

出だしが印象的なシューマンのピアノ協奏曲であるが、ブニアティシュヴィリの最初に奏でる音が小さすぎ、「あれ?」と思う。極めて繊細にしてクリアな音色で勝負するピアニストなのであるが、NHK大阪ホールの音響は彼女に味方しなかったようだ。ただガラス細工のように精緻な美音と、鋼のようなタッチで、アンビバレントにして文学的なシューマン演奏を聴かせる。
パーヴォ指揮のN響も憂いを帯びた表情の出し方に旨味がある。

ブニアティシュヴィリのアンコール演奏は、ヘンデル作曲、ヴィルヘルム・ケンプ編曲による「メヌエット ト短調」。極めて精巧で優美な演奏であった。


リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」。映画「2001年宇宙の旅」でも使われた、冒頭の序奏「日の出」の部分がかなり有名な曲である。
下手な演奏だと、冒頭だけが印象に残って本編が吹き飛んでしまうということになるのだが、パーヴォとN響は語り上手。全編を通して集中力の高い演奏となる。
構築感抜群にして語り上手なパーヴォの棒と、圧倒的な音の威力を誇るN響のサウンドが上手くマッチし、文句なしの名演となる。
フリードリヒ・ニーチェが書いた『ツァラトゥストラ』は「超人」を説くゾロアスター(ツァラトゥストラ)教開祖による一種のエリート主義を描く難解な小説(のようなもの)なのであるが、リヒャルト・シュトラウスはこの物語の本質を上手く音楽にしており、パーヴォの指揮もあたかもニーチェの本を読んだ気になるような(あくまで「気になるような」であるが)想像喚起力豊かな演奏をN響と共に行っていたように思う。

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2016年3月 1日 (火)

観劇感想精選(177) 「Honganji」

2016年1月20日 大阪・上本町の新歌舞伎座にて観劇

午後6時から大阪・上本町(うえほんまち)の新歌舞伎座で「Honganji」を観る。本願寺石山合戦を描いた舞台。石山本願寺のあった大阪で今日初日を迎え、今後全国での公演が予定されている。

原作:保志忠彦、脚本:斎藤栄作、演出:ウォーリー木下。題字:紫舟(代表作:大河ドラマ「龍馬伝」ほか)。衣装:小篠ゆま(コシノヒロコの次女)。
出演:陣内孝則、水夏希(みず・なつき。元宝塚雪組トップ。私と同じ千葉市出身である)、諸星和己、姜暢雄(きょう・のぶお。代表作は「トリック」)、ウダタカキ、瀬下尚人、板倉チヒロ(男性)、植本潤、倉持明日香(元AKB48。父親は元プロ野球選手の倉持明)、岸祐二、ルウト(男装読者モデルとしても活躍する女優・女性モデル)、奥村佳恵、大橋吾郎、滝口幸広、渡辺大輔、佐野和真、蒼乃夕妃、尾花貴絵(父親は元プロ野球選手で現・読売ジャイアンツ投手コーチの尾花高夫)、押田瑞穂、木下政治、市川九團治ほか。

本願寺石山戦争の話で、知り合いの知り合いである市川九團治が出て、ウォーリー木下が演出を務めるという情報だけを手に入れて新歌舞伎座に向かったため、姜暢雄や倉持明日香などが出演するということは、新歌舞伎座の入り口前に飾られたお花の宛先で知った。

本願寺の話ということで、受付には「宗務関係者」という普通の舞台公演ではまず見受けられない部署も設けられていた。

夏目雅子が「西遊記」で三蔵法師を演じて以来、何故が僧侶には女優が扮するという習慣らしきものが出来てしまい、今回の舞台でも本願寺十一世・顕如光佐と本願寺十二世で東本願寺一世の教如は女優が演じている。なお、教如の弟で西本願寺一世(こちらもまた本願寺十二世を名乗っている)の准如は舞台には登場しない。

舞台後方には屏風上の壁。舞台中央には小さな坂があり、開演前からその上に作り物の生首が乗っている。

開演10分前当たりから後方の壁に石山本願寺寺内町の絵が投影される。今回の公演は、映像が徹底的に駆使された場面転換が行われる。

開演すると「かごめかごめ」の歌が流れてくる。やがて歌声が歪むと同時に溶暗。照明が舞台に当たると、生首は市川九團治演じる平将門のものに変わっており客席に向かって語りかける、やがて九團治は前身を現し、歌舞伎の見得を切る(新歌舞伎座という劇場名であるにも関わらず基本的に歌舞伎の公演は行われないという変わった劇場なので、「高島屋!」という声は掛からなかった)。
九團治演じる平将門は「Honganji」の狂言回し(ストーリーテラー)の役割も担う。

平将門は関東一円を支配し、新皇として独立を図るも、下野守藤原秀郷に敗れて戦死。首は京の七条河原にさらされるも東国目指して飛んで行き、下総岩井を目指すも江戸で墜落。将門の霊は怨念を持ったまま現世を彷徨っている。そして16世紀、再び日の本の国に乱世を起こすべく、将門の霊は凶暴化した。
その将門に斬りかかる少年が一人。三郎という名の少年こそ後の織田三郎信長であった。将門に「欲しいものは何か?」と問われ、「天下だ」と答えた三郎に将門は「情というものを掛けず鬼に徹するならそなたを天下人にしてやろう。ただし、ただ一度でも情を掛けたなら全ては水の泡となるだろう」と告げる。実はこの時の三郎信長の天下像は「この世を極楽浄土に変える」という日蓮宗的発想なのだが、それに関しては深く掘り下げられてはいない。
成人した信長(陣内孝則)は仏を信じぬ「第六天魔王」と称してして将門の力を受けながら天下人への道を突き進む。

一方、後に足利第十五代将軍となる足利義昭(木下政治)は朝倉氏を頼って越前にいたが、そこで十三代将軍・義輝(塚原卜伝に師事した剣豪将軍として知られる)が討ち死にしたことを知らされる。十四代将軍に就いたのは三好三人衆の傀儡・義栄。このままでは足利将軍家の威光は地に落ちると考えている義昭だが朝倉では頼りになりそうにない。そこで明智光秀(ウダタカキ)を通じて、織田を後ろ盾にしようと目論む。義昭の下にやって来た信長は横柄な態度ではあったが、義昭を将軍の座に押し上げることを約束する。
大坂の「天下一の要害の地」に建つ石山本願寺では、東の京にいる三好三人衆(三好長逸、三好政康、岩成友通)、その更に東にいる足利義昭を擁した織田信長が共に西に寄せてくる気配を感じ、石山本願寺も危ないのではないかとの声が上がる。しかし、門主である顕如(水夏希)は徹底した「非戦」を説いていた。だが、顕如の息子である教如(ルウト)、紀伊の雑賀(鈴木)孫一(諸星和己)率いる雑賀衆に戦いを挑むなど好戦的。教如は勝手に本願寺寺内町の門徒らに信長への宣戦布告を行ってしまい、顕如も戦いを選ばざるを得なくなる。顕如は雑賀衆の頭領である雑賀孫一が真宗門徒であるため本願寺の味方になってくれるよう頼む。かつては織田信長に雇われたこともあったため様子見であった孫一だったが、雑賀衆数人が信長の配下で活躍する伴長信(板倉チヒロ)らに殺害されたことを知り、本願寺方に付くことに決める。

平将門の怨念が渦巻く中で、いよいよ信長の近畿における戦いが始まる。足利義昭を担いで上洛し(ただ、輿に乗っているのは信長で、どう見ても義昭ではなく信長の上洛である)。京を追われた三好三人衆は野田城や福島城(「野田」「福島」共に現在も駅名として残っており、大阪によく来る人ならどの辺に城があったすぐにわかる)を築城し信長の侵攻に備える。野田や福島と石山本願寺とは目と鼻の先である。三好三人衆と組んだ本願寺は信長との和議を結ぶ。

明智光秀が信長の使者としてやって来る。織田と本願寺の和睦の条件として5000貫を要求するのだが、顕如は門徒から寄付された金を信長のために払うつもりはないと拒否する。光秀は、本願寺の侍女である光(みつ。奥村佳恵)に何故か惹かれるものを感じるのだが、実は光は光秀の実の娘であることが後に判明する。
その光が慕っているのは教如。だが、教如は「自分は僧侶ではなく武将として生まれてくるべきだった」と今の境遇を嘆いている。
浅井・朝倉連合軍に味方したということで信長は比叡山延暦寺を焼き討ち(比叡山の焼き討ちの規模に関しては諸説あり、実態は不明である)。この劇では通説とは違い、明智光秀が延暦寺に容赦ない攻撃を仕掛け、羽柴秀吉は最初は比叡山に籠もる人達に同情的である。
石山本願寺も比叡山の二の舞になる可能性が高いことを悟った顕如はいよいよ信長との戦を決意する。ただそれは信長のような「攻め、奪うための戦い」ではく、あくまで石山や全国の門徒を「守るための戦い」と説くだが……。

平将門と本願寺の両方に繋がる武将には徳川家康がいるのだが、この劇では家康は一切登場しない(セリフにすら出てこない)。またその後、幕末に至るまで密接な関係にあった毛利氏の当時の当主である毛利輝元も声のみの出演に留まっている。毛利水軍は出てくるのだが、乗り組み員として登場するのは雑賀衆達である。

一方、架空の人物は数多く登場し、雑賀衆はほぼ全員架空の人物であり、雑賀孫一に父親を殺され、恨みを抱いている織田方の女鉄砲打ち橋本雷(はしもと・らい。演じるのは倉持明日香)も架空の人物である(織田信長の鉄砲指南役を務めた橋本一巴という実在の人物の娘という設定ではあるが、橋本一巴を殺したのは雑賀孫一ではない)。

本願寺石山合戦は正親町天皇の勅命により和睦となるのだが、これも実は五摂家筆頭・近衛氏とのパイプを持つ伴長信の策略によるものという設定になっている。

実在の人物の描き方に特徴があり、森蘭丸(姜暢雄)は無邪気にして残忍な性格(劇中で羽柴秀吉が「森蘭丸は浄土真宗の門徒」と語るシーンがあるがこれは史実である)、羽柴秀吉(瀬下尚人)は日和見主義者、明智光秀は知に優れているが一本気な性格が災いしている。
ルイス・フロイスは「キリスト教の布教を足がかりとして日本を植民地にすることを狙っている」奸計の人として描かれている。

また、平将門の桔梗姫伝説というものが登場し、明智光秀の家紋が桔梗であることはよく知られているため一応伏線にはなっているのだが、信長が光秀の謀反を事前に察知するということはない。
浄土真宗的な考えが展開されるということもないが、「戦いとは何か」と問いは強く打ち出されており、基本的には「良き戦いなどない」という結論で終わることになる。

ただ、平将門の怨霊は成仏することなく、次なる戦乱の時代を求めて、時代を下っていくことにはなる。将門の不気味な笑いで劇は終わる。


ウォーリー木下が演出する舞台を観るのは久しぶりであるが、ジャグリングなどを行うパフォーマンスのメンバーを多く入れるなど(ラストではちょっとした仕掛けがある)賑やかな演出を行っている。また映像を使うことで場面転換を一瞬に行う技術は興味深いが映画的であるということもいえる。それが良いことなのか悪いことなのかは保留としておくが。

ルイス・フロイスが「かごめかごめ」の歌詞はヘブライ語であると唱える場面がある。日ユ同祖論というものでよく取り上げられるものである。私自身は日ユ道祖論には懐疑的、というよりほぼ否定しているが、そういったものがあるということだけは紹介しておく。

初日ということで、演技の方は万全とまではいかなかったが、きちんとした仕上がりにはなっていた。比較的知名度の低いキャストが並んでいるが、殺陣を始めとするアクションシーンが多いため、運動神経の発達した俳優を優先して起用した結果だと思われる。
ただ、確かにお金が掛かった演出ではあるが、チケット料金はもう少し抑えても良いのではないだろうか。私は門徒だから行ったけれども、他の宗教若しくは無宗教だったら「高いので観に行かない」となったはずである。


終演後、カーテンコールに応えた陣内孝則は「トレンディ俳優の陣内孝則です」と冗談を込めた挨拶を行う。「本日はお足元のしっかりした中(大阪では雪も雨も降らなかったようだ)お越し下さいまして誠にありがというございます。本日はシリアスな劇でしたので、最後は和んで頂くためにパントマイムを行います。ご当地、後藤ひろひと氏から伝授された『カブトムシで脱臼』」と言って、左腕に乗せたカブトムシを上へと這わせる様を見ているうちに無理な姿勢になって脱臼するというパフォーマンスを行った。
その後、陣内は諸星和己に、「SMAPについてコメントを」と無茶ぶり。諸星はジャニーズ事務所の光GENJI出身であるがジャニーズを離れて20年以上経つということもあって、「「『カブトムシで脱臼』から『SMAPが号泣』」とボケた後で、「知ったこちゃない!」と言う。その後、「みなさん一人一人の幸せな人生、幸せになれる道を見つけて下さい」と言った諸星は「締めに良いこというなあ」と自画自賛するが、陣内孝則が、「明日はまた別のストーリーとなっております。別のお話を楽しむために明日も」とどう考えても出鱈目を言い始めてしまったため、銃を差し向けて「いい加減にしろ!」と止めていた。

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