« 名など | トップページ | 「夢二」のテーマ 「花様年華」より »

2016年6月22日 (水)

コンサートの記(244) 広上淳一指揮京都市交響楽団第7回名古屋公演(2016)

2016年6月16日 名古屋・栄の愛知県芸術劇場コンサートホールにて
 

午後6時45分から、名古屋・栄の愛知県芸術劇場コンサートホールで、京都市交響楽団の第7回名古屋公演を聴く。指揮は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。
京響の名古屋公演は、京都では演奏されない演目を取り上げるため、興味深いプログラムで聴いてみたい場合は名古屋まで出向く必要がある。
なお、名古屋では開場から開演までの時間が大体45分ほど。6時開場なので、開演は6時45分になる。中途半端な時間に始まるような気がするがこれが名古屋流である。

曲目は、サン=サーンスのピアノ協奏曲第5番「エジプト風」(ピアノ独奏:萩原麻未)、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。


ドイツ式の現代配置での演奏。サン=サーンスの伴奏は「悲愴」交響曲の演奏よりも弦楽が一回り小さいサイズで行われた。
今日のコンサートマスターは渡邊穣、フォアシュピーラーに泉原隆志。オーボエ首席奏者の髙山郁子、クラリネット首席の小谷口直子は全編に登場(サン=サーンスでオーボエやクラリネットはかなり活躍する)。一方、サン=サーンスの伴奏では金管は出番が比較的少ないため、トランペット首席のハラルド・ナエス、トロンボーン首席の岡本哲、ホルン首席の垣本昌芳などはチャイコフスキーのみの参加となった。


サン=サーンスのピアノ協奏曲第5番「エジプト風」。
関西で聴く機会も多い若手ピアニストの萩原麻未。容姿もチャーミングで人気上昇中である。ピアノを弾いている時と入退場の時の姿にかなりのギャップのある人でもある。
白いドレスを着た萩原は今日も「おずおず」といった感じて登場。弾き終えて袖に下がる時も腰は低めである。だが、弾いている時は高度なメカニックを生かしてバリバリ弾く。

萩原の奏でるピアノの音色は透明感に溢れ、良い意味で繊細。音色の転換も自在である。そして盛り上げるべき場所に来ると、情熱を鍵盤に向かってぶつけるような激しい演奏スタイルを採り、それに見合った高揚感のある音楽を生む。
時折、トイピアノやプリペアド・ピアノような音を出していたが、あの音はどうやったら生まれるのだろう? 見ていてもわからなかった。

今日は蝶ネクタイを結んで登場した広上淳一。京都市交響楽団から予想を遙かに上回る洒落た音色を引き出したことにまず驚かされる。音の細部までエスプリ・クルトワが宿っている。日本人指揮者と日本のオーケストラでここまでフランス的な演奏が出来るとは思いもしなかった。

サン=サーンスのピアノ協奏曲第5番「エジプト風」はタイトルこそ「エジプト風」であるが、実際はエジプトの国の音楽的要素も取り入れたアマルガム的音楽である。明らかにアジアを意識した旋律も聴かれる。


萩原麻未のアンコール演奏は、ドビュッシーの前奏曲集より「亜麻色の髪の乙女」。サン=サーンスも見事であったが、ドビュッシーはきめ細やかで更に良い出来。まだ若いピアニストだが、彼女の弾くドビュッシーは「絶品」と評してもおかしくない出来。以前も「アラベスク第1番」を演奏したことがあるがドビュッシーの真髄を突いた演奏だった。おそらくドビュッシーに向いているのだろう。



後半、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。今年の1月に広上は京都市ジュニアオーケストラを指揮してチャイコフスキーの交響曲第5番を演奏しているが、最終楽章を凱歌と解釈しない演奏であった。ということで、「悲愴」交響曲も「甘い悲しみ」などという従来の耽美的傾向とは一線を画した演奏になると予想されたが、果たしてその通りだった。

第1楽章ではゼネラルパウゼを長く取り、敢えて分断することでチャイコフスキーの揺れる心理を強調する。第2主題が登場する前にも比較的長い間を置く。特徴的だったのはテンポの変化。フォルムが崩れる直前まで行くほどの激しい加速を敢行したりする。第1楽章から苦悩との激しい戦いの音楽だ。

第2楽章。広上は指揮棒を逆手に持って指揮することも多い。優美な演奏であるが、ラストの孤独さが引き立つように計算されている。

第3楽章はテンポを上げることで敢えて皮相に聞こえるようにしている。京響自慢の金管軍が燦々と輝く音色で鳴り渡るが、それは行く手を何度も遮る「ジャジャジャジャン」というベートーヴェンの「運命動機」でもある。今日の演奏では「ジャジャジャジャン」の運命動機が各所で鳴っているのを聞き取ることが出来る。
ティンパニの強打も今日の「悲愴」の演奏の特徴であるが、第3楽章のラストであるティンパニの「ジャジャジャジャン」は空気をかき分けるのが見えるかのように強く響いた。
なお、この楽章ではシンバルが4回鳴るのだが、2回目と4回目はジャストだったものの、テンポが速かったということもあって1回目と3回目はちょっとずれたように聞こえた。

そして第4楽章。広上は唸り声を上げながらチャイコフスキーの苦悩を「これでもか」とばかりに暴き出してみせる。第1ヴァイオリンの歌に溜を作るのも効果的。綺麗事でない「悲愴」が聴く者の心を揺さぶる。広上が全身全霊を捧げた「悲愴」である。終演後、客席からは大きな拍手が広上と京響に送られた。


広上は「ありがとうございました。また大好きな名古屋に来ることが出来ました」と言い、愛知県芸術劇場コンサートホールの音響を褒めたのだが、「日本のホールの中でベスト10に入る」という微妙な数字。確かにトップ3や「五本の指に入る」とまではいかないので素直な表現ではある。
広上が、「重い曲でしたので、軽やかな曲を」と言って、チャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」(弦楽四重奏曲第1番第2楽章の弦楽合奏編曲版)がアンコール曲として演奏される。「麗しい」という言葉が最も似合う演奏であった。

|

« 名など | トップページ | 「夢二」のテーマ 「花様年華」より »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/40048/63815892

この記事へのトラックバック一覧です: コンサートの記(244) 広上淳一指揮京都市交響楽団第7回名古屋公演(2016):

« 名など | トップページ | 「夢二」のテーマ 「花様年華」より »