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2016年7月29日 (金)

コンサートの記(248) シルヴァン・カンブルラン指揮読売日本交響楽団第14回大阪定期演奏会

2016年6月30日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、読売日本交響楽団の第14回大阪定期演奏会を聴く。指揮は読響常任指揮者のシルヴァン・カンブルラン。

読響の大阪定期演奏会は去年まではザ・シンフォニーホールで行われていたが、今年からはフェスティバルホールで行われることになった。今日が読響初のフェスティバルホールでの定期演奏会となる。なお、例年通り、読売テレビによるライブ収録が行われ、後日放送される予定である。

午前6時開場であったが、1階ロビーまでの開場で、ホール内ではまだ最終調整が行われていた。


曲目は、リストのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:小菅優)、マーラーの交響曲第5番。

今日の読響のコンサートマスターは小森谷巧(こもりや・たくみ)。ドイツ式の現代配置での演奏である。


リストのピアノ協奏曲第2番。単一楽章のピアノ協奏曲である。切れ目なく演奏されるが、速度によって6部に分けられたり、一般的なピアノ協奏曲と同じ3部構成に見做されたり、リストのピアノ協奏曲第1番と同じ4部形式に見立てられたりして、見解の統一はない。ただ、甘美な第1主題が何度も登場して統一感を生んでいるため、素直に単一楽章のピアノ協奏曲と考えた方が自然なように思う。

日本を代表する若手ピアニストの小菅優。クラシックの女性奏者はどういうわけか才色兼備の人が多いのだが、小菅優は……、書くのは止すか。音楽性は日本人ピアニストの中でもトップを争う人である。

木管によるアンサンブルで曲は始まるのだが、余りにも粗雑な演奏に「??」となる。確かにハンガリー民謡を生かしたような素朴な音楽であるが、アンサンブルの方向がバラバラ。ここで、リハーサルが押した原因に察しが付く。読響はフェスティバルホールで演奏しなれていないので、アンサンブルを整えるのに苦戦したのである。フェスティバルホールのような空間の大きいホールは東京ではNHKホールがあるが、当然ながら読響がNHKホールで演奏したことはない。ということで、フェスティバルホールのような巨大な空間で音を整えるは初めてか、かなり久しぶりだったはずである。

それでも読響の特徴である漆塗りのような輝きを持つ弦が登場すると演奏の質もアップ。ただフェスティバルホールはステージが広く、金管は最後部に置かれたため、パワー不足になってしまっていた。ホールにはホールに合った鳴らし方があるのである。

一方の小菅優のピアノは絶好調。冒頭の繊細な音階の紡ぎ方から魅了されるが、ピアノの音色が夢を帯びたかのような妙なる響きであり、これだけで小菅優のピアニストとしての抜群の資質が窺える。
技術も抜群、曲調の描き分けも冴えまくっており、この曲はオーケストラよりも小菅優の存在感の方が圧倒的に引き立つ演奏となった。


小菅優のアンコールは、リストの超絶技巧練習曲より「鬼火」。インスピレーションにメカニック、共に秀でた演奏であった。


マーラーの交響曲第5番。
この曲はベートーヴェンの交響曲第5番冒頭の「運命動機」へのオマージュと思われる、「タタタター」というトランペットソロで始まるのだが、そのトランペットがどういうわけか明るい。この第1楽章は葬送行進曲なのである。意図的に明るい音を出したとは思えず、フェスティバルホールの構造上、金管が明るめに響いてしまっていることがわかった。勝手のわからない場所で十分な演奏を行うことは簡単ではないようだ。

指揮者のカンブルランは現代音楽のスペシャリストとして鳴らした人物であり、レナード・バーンスタインのような情念渦巻くマーラーよりも、楽曲分析を徹底して行ったマーラーの方が好みのはずである。そして、実際、マスとしてのスケールのきっちり抑制された、神経の細やかなマーラーを描く。
読響のアンサンブルはカンブルランの指向ほど精密ではなかったかも知れないが、ロンドンやアメリカの一流半のオーケストラ(BBC響、セントルイス響など)となら十分に張り合えるだけの力はある。日本のオーケストラの成長は著しい。

マーラーの交響曲第5番は5楽章からなる交響曲であるが、3つのパートに分かれるとマーラー自身が書き残しており、カンブルランは第3部にあたる第4楽章と第5楽章はアタッカで入った。調は違うが同じようなメロディーが出てくるため、マーラーの指示がなくても第4楽章と第5楽章は切れ目なく演奏した方が説得力があるのは明かなのだが。

濃厚に演奏されることも多い第4楽章アダージェットであるが、カンブルランは少し速めのテンポ採用。美しさを保ちつつ情には溺れないが、楽章の最後に向かって徐々にリタルダンドしていき、旋律の甘美さも十全に出す。

続く第5楽章は読響のパワーをカンブルランが引き出す情熱的な演奏。オーケストラがホールの音響に慣れていないため、必至に演奏している割りには音が届かずバランスが悪かったりもしたが、慣れないホールでの乗り打ち(昨夜は東京・赤坂のサントリーホールで同一プログラムを演奏している)で完璧な演奏が出来たらそちらの方が凄い。
ということで、パーフェクトとはいかなかったが、カンブルランと読響のコンビの充実を味わうことは出来た。

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