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2016年7月の16件の記事

2016年7月31日 (日)

チャップリン 「独裁者」より演説シーン

映画「独裁者」で、独裁者に間違われた男が行う余りにも有名なスピーチシーンです。製作・公開は戦時中であり、仮にナチスドイツがアメリカを占領するような事態になればチャップリンは死を免れませんがそれを覚悟の上で作った映画であり、それまでサイレント映画にこだわってきたチャップリンが観客に向かって直接語りかけたいがためにトーキーを採用したという、チャップリンにとっても全世界にとっても転機となった映画です。

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2016年7月29日 (金)

コンサートの記(248) シルヴァン・カンブルラン指揮読売日本交響楽団第14回大阪定期演奏会

2016年6月30日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、読売日本交響楽団の第14回大阪定期演奏会を聴く。指揮は読響常任指揮者のシルヴァン・カンブルラン。

読響の大阪定期演奏会は去年まではザ・シンフォニーホールで行われていたが、今年からはフェスティバルホールで行われることになった。今日が読響初のフェスティバルホールでの定期演奏会となる。なお、例年通り、読売テレビによるライブ収録が行われ、後日放送される予定である。

午前6時開場であったが、1階ロビーまでの開場で、ホール内ではまだ最終調整が行われていた。


曲目は、リストのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:小菅優)、マーラーの交響曲第5番。

今日の読響のコンサートマスターは小森谷巧(こもりや・たくみ)。ドイツ式の現代配置での演奏である。


リストのピアノ協奏曲第2番。単一楽章のピアノ協奏曲である。切れ目なく演奏されるが、速度によって6部に分けられたり、一般的なピアノ協奏曲と同じ3部構成に見做されたり、リストのピアノ協奏曲第1番と同じ4部形式に見立てられたりして、見解の統一はない。ただ、甘美な第1主題が何度も登場して統一感を生んでいるため、素直に単一楽章のピアノ協奏曲と考えた方が自然なように思う。

日本を代表する若手ピアニストの小菅優。クラシックの女性奏者はどういうわけか才色兼備の人が多いのだが、小菅優は……、書くのは止すか。音楽性は日本人ピアニストの中でもトップを争う人である。

木管によるアンサンブルで曲は始まるのだが、余りにも粗雑な演奏に「??」となる。確かにハンガリー民謡を生かしたような素朴な音楽であるが、アンサンブルの方向がバラバラ。ここで、リハーサルが押した原因に察しが付く。読響はフェスティバルホールで演奏しなれていないので、アンサンブルを整えるのに苦戦したのである。フェスティバルホールのような空間の大きいホールは東京ではNHKホールがあるが、当然ながら読響がNHKホールで演奏したことはない。ということで、フェスティバルホールのような巨大な空間で音を整えるは初めてか、かなり久しぶりだったはずである。

それでも読響の特徴である漆塗りのような輝きを持つ弦が登場すると演奏の質もアップ。ただフェスティバルホールはステージが広く、金管は最後部に置かれたため、パワー不足になってしまっていた。ホールにはホールに合った鳴らし方があるのである。

一方の小菅優のピアノは絶好調。冒頭の繊細な音階の紡ぎ方から魅了されるが、ピアノの音色が夢を帯びたかのような妙なる響きであり、これだけで小菅優のピアニストとしての抜群の資質が窺える。
技術も抜群、曲調の描き分けも冴えまくっており、この曲はオーケストラよりも小菅優の存在感の方が圧倒的に引き立つ演奏となった。


小菅優のアンコールは、リストの超絶技巧練習曲より「鬼火」。インスピレーションにメカニック、共に秀でた演奏であった。


マーラーの交響曲第5番。
この曲はベートーヴェンの交響曲第5番冒頭の「運命動機」へのオマージュと思われる、「タタタター」というトランペットソロで始まるのだが、そのトランペットがどういうわけか明るい。この第1楽章は葬送行進曲なのである。意図的に明るい音を出したとは思えず、フェスティバルホールの構造上、金管が明るめに響いてしまっていることがわかった。勝手のわからない場所で十分な演奏を行うことは簡単ではないようだ。

指揮者のカンブルランは現代音楽のスペシャリストとして鳴らした人物であり、レナード・バーンスタインのような情念渦巻くマーラーよりも、楽曲分析を徹底して行ったマーラーの方が好みのはずである。そして、実際、マスとしてのスケールのきっちり抑制された、神経の細やかなマーラーを描く。
読響のアンサンブルはカンブルランの指向ほど精密ではなかったかも知れないが、ロンドンやアメリカの一流半のオーケストラ(BBC響、セントルイス響など)となら十分に張り合えるだけの力はある。日本のオーケストラの成長は著しい。

マーラーの交響曲第5番は5楽章からなる交響曲であるが、3つのパートに分かれるとマーラー自身が書き残しており、カンブルランは第3部にあたる第4楽章と第5楽章はアタッカで入った。調は違うが同じようなメロディーが出てくるため、マーラーの指示がなくても第4楽章と第5楽章は切れ目なく演奏した方が説得力があるのは明かなのだが。

濃厚に演奏されることも多い第4楽章アダージェットであるが、カンブルランは少し速めのテンポ採用。美しさを保ちつつ情には溺れないが、楽章の最後に向かって徐々にリタルダンドしていき、旋律の甘美さも十全に出す。

続く第5楽章は読響のパワーをカンブルランが引き出す情熱的な演奏。オーケストラがホールの音響に慣れていないため、必至に演奏している割りには音が届かずバランスが悪かったりもしたが、慣れないホールでの乗り打ち(昨夜は東京・赤坂のサントリーホールで同一プログラムを演奏している)で完璧な演奏が出来たらそちらの方が凄い。
ということで、パーフェクトとはいかなかったが、カンブルランと読響のコンビの充実を味わうことは出来た。

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2016年7月26日 (火)

多くは語りたくないのだが

 例えば優生学などは時代と共に形を変えて存在するものであり、一定の「正しい」という支持を得やすいという性質を持つのも確かである。ナチスが「生きるに値しない命」という「正義感」のもとにかつて行ったことの亡霊が急に現れたようにも思われるのだが、福祉大国として知られる北欧諸国が知的障害者の女性に対する避妊手術の強要(断種法)を「良いこと」として比較的最近まで行ってきたことはその変奏であり、しかも「常に存在し続け、これからも更なる変遷を経て『あり続ける』だろう」という心が暗くなるような想像が、自分自身の罪のような強迫感とともに繰り返されている。
 そして今は「起こってしまった」という事実に対し、翼をなくした鳥のように呆然とたたずむことしか出来ないでいる

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2016年7月24日 (日)

島谷ひとみ 「長い間」

島谷ひとみがカバーしたkiroroの「長い間」。avexの公式映像です。

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2016年7月18日 (月)

美術回廊(3) 国立西洋美術館世界文化遺産登録決定記念 「ボルドー展 ―美と陶酔の都へ―」

2016年7月17日 東京・上野の国立西洋美術館にて

国立西洋美術館へ。国立西洋美術館の建物も世界文化遺産への申請を行っているようである。企画展示である「ボルドー展 ―美と陶酔の都へ―」を観る。

フランスのボルドーというと、今ではワインの街として知られているが、かつては海上交通の要衝として港町として栄えていた。ガロンヌ河沿いに三日月形に発展したことから「月の港」とも呼ばれていたという。

展示はボルドーのあるアキテーヌ地方の古代の石器や石に刻まれた素朴な人物像から始まり、中世の装飾品や日用品、モンテーニュの『エセー(随想録)』と「法の精神のためのノート」、近世・近代の絵画、ボルドーワインのラベルなどが並ぶ。

ルーベンス、ゴヤ、ドラクロワ、ルドン、トゥールーズ=ロートレック、モネなどの有名画家の作品も並ぶが、私が最も気に入ったのは、ジャン=ポール・アローという画家の「フロワラックから見たボルドーの眺め」という画。ボルドーの街が希望に輝いて見えるのが良い。だが、「フロワラックから見たボルドーの眺め」はミュージアムショップで扱っておらず、残念であった。ミュージアムショップではドラクロワの「ライオン狩り」という作品(上の部分は焼失してしまっている)がメインの画として様々なグッズが売られている。確かに迫力のある画であるが、頻繁に眺めたい画ではないように思える。

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2016年7月15日 (金)

笑いの林(69) 「女芸人大祭り」2016年6月14日

2016年6月14日 道頓堀ZAZA HOUSEにて

午後7時30分から、大阪の道頓堀ZAZA HOUSEで、「女芸人大祭り」を観る。ハイヒール・リンゴの司会による大阪女芸人のイベントで、東京・渋谷のヨシモト∞ホールで「夜討ち」と称して2度ほど行われたが、このたび、ご当地である大阪でも2度目の公演が行われることとなった。

司会:ハイヒール・リンゴ、ゲスト:アインシュタイン。出演:桜 稲垣早希、尼神インター、もみちゃんズ、ゆりやんレトリィバァ、堀川絵美、美たんさん、ガンバレルーヤ、人妻ニャンコ、ブランチ、ももかんラッシー、茜チーフ他。

ゆりやんは最初の全員集合の時に、「調子に乗っちゃって」とすべり芸をいきなり披露。すべったとしても、これぐらい前に出る姿勢がないと芸人として駄目なのかも知れない。早希ちゃんはせっかく全国ネットの女芸人番組に出して貰ったのにほとんど何も出来ずに終わっている。

とにかく出演者が多いので、ネタの時間は2~3分ほどに纏められている。新ネタも多いようだ。


全ての女芸人の芸について書いていくと途轍もなく時間が掛かるので、先に挙げた女芸人(道頓堀ZAZA HOUSEの案内に書かれた順番である)の芸について書いていく。

まず早希ちゃんであるが、堀川絵美と組んで、「稲垣早希&堀川絵美」というまさかのコンビ芸を披露。
宝塚歌劇のような、あるいはもっと拡げてミュージカルナンバーのような歌を早希ちゃんが唄いながら登場。アスカのコスプレ姿である。全て生歌なのかは不明だが(ただ地声も聞こえてきたので完全な口パクではないようだ)怖ろしく歌が上手い。振り付けもあるのだが、「ドラゴゲリオンZ」のダメダメぶりがウソだったかのようにちゃんとした動きになっている(Web情報によるとプロのボイストレーナーとダンスインストラクターに付いて特訓したようである)。歌詞の内容であるがアニメの恋い焦がれた女性の心を歌い上げている。そこへ堀川絵美が綾波レイのカツラを被り、プラグスーツ(といってもボロボロのもの)を着て登場。早希ちゃんの歌った内容を否定するような歌を唄うのだが、これまた結構な歌唱力である(その間、早希ちゃんは堀川絵美を睨み付けている)。その後、早希ちゃんと堀川絵美のデュエットとなり、最後は堀川絵美が腰をかがめ、早希ちゃんが後ろからその上に跨がるという組み体操のようなポーズを取って終わりとなった。
笑えるというより、単純に「唄うまいなあ」と感心してしまった。


尼神(あまこう)インター。誠子が高校の野球部のマネージャーに憧れているというので、渚が高校球児役となり、二人で演じてみることになる。渚の役名は上杉鉄平だそうである。
誠子は思いっきりぶりっ子で現れるが、渚に「ブスが来たぞ」とはっきり言われてしまう(誠子はブスキャラである)。誠子の役名は「のぞみ」であるが、内容はあだち充の「タッチ」そのもので、のぞみは浅倉南、上杉達也は上杉鉄平となっていてピッチャーではなく強打者だが、双子で、弟の名は上杉和也とそのまんまである。
のぞみが無理ばかりいって鉄平が小突くという内容であるが、鉄平が「上杉鉄平は佐々木希(のぞみの本名は「佐々木希」だったようだ)を永遠に愛します」とプロポーズ。ところがそこに上杉和也が現れ(実際には現れず、客に想像させる)、抜け駆けを指摘して……。


美形電波芸人のもみちゃんズ。「ズ」と付くがピン芸人である。今日はフリップを使って「あさりぼうや」の話をする。あさりのあさりぼうやは引っ越し屋でアルバイトをするのだが、汁が出てソファーに付着してしまう。引っ越し主に怒られるかと思いきや、女性の引っ越し主は「いい匂い」と大喜び(?)。謎の展開である。
あさりぼうやは引っ越し屋仲間から「サボっただろう」と言われ、サボっていないと主張したものの認められず涙を流す。しかし、あさりぼうやの触覚に豆が付いていた。その豆はコメダ珈琲店で売られているもので、あさりぼうやは本当にサボっていたのだった。アルバイトで稼いだ金であさりぼうやはジーンズを買ったのだが、足が短いのでジーンズの先が思いっきり余ってしまっている。
何しろ電波系の芸なので、ここに書いても面白さは多分伝わらないと思う。もみちゃんズの話し方が独特なので面白さが出るのである。


ゆりやんレトリィバァ。黒い縮れ毛のロングのウィッグを被ってゆりやん登場。OLという設定。仕事仲間のOLが佐々木という男性社員と食事をしたことを知ったゆりやんは、「つきあっちゃえば」と言う。だがそのOLが本当は藤田という男性社員のことが好きなのを知ると、「藤田君好きなんだ。つきあっちゃえば」とまたもや付き合うことを勧める。ここで、ゆりやんは見たい番組の録画を忘れたことを思い出す。ゆりやんは実家暮らしという設定なので、母親に番組の録画を頼むのだが、「8チャンネル、8時からつきあっといて」と、なんにでも「つきあう」という表現をする。
退場の時に、「つきあってられんわ」というのが一応、オチとなっている。


美たんさん。「いらっとすること」について、福井麻奈美は、「自分は予告編しか観てない映画のあらすじを全部語られた時」と語るが、光美(みつみ)は、「くしゅん」というぶりっ子のクシャミにいらっとするという(早希ちゃんがネタでやるようなクシャミである)。普通の「ハクション!」というクシャミで飛ばされる時の息は、160キロから350キロにもなるそうで、大谷翔平のストレート(光美は別の表現をしていたがこちらの方がわかりやすいので置き換える)から新幹線なみのスピードが出るというが、「くしゅん」だと30キロぐらいしか出ていないと指摘。「だからなんだ」と言ったらそこで終わってしまうネタなのだが、ネタなので深く突っ込むだけ野暮である。


ガンバレルーヤ。よしこが母親、まひるが息子に扮して、USJに遊びに来たという設定。よしこはUSJの年間パスを持っていて、毎週のように遊びに来ているという。息子のまひるは「ハリー・ポッター」に夢中で、すぐに呪文を使いたがる。最後はよしこが実はハーマイオニーだったという、「う~ん」という設定で終わる。


官能芸人、人妻ニャンコ。様々な有名女性芸能人のキスの真似をするという芸。「拒みながらも受け入れる石原さとみ」、「キスした後でも喜びに浸り続ける中谷美紀」、「キスをしながら他の男も狙うアンジェリーナ・ジョリー」、「昭和のキスをする松坂慶子」を演じる。鞄から発泡スチロールで出来た、人間の頭部の像を取り出してキスの相手とする。石原さとみはそれっぽかったし、松坂慶子も「松坂慶子一人というよりも昭和の女優がよくやるパターン」という意味では良い仕上がりだったが、中谷美紀とアンジョリーナ・ジョリーは微妙。


ブランチ。蔵留(蔵留もブスキャラで売っている)は合コンに嵌まっており、いつも胸元の開いた服を着て挑発するのが定番なのだそうだ。いつも男性が「寒いでしょ」と自分の上着を脱いで羽織らせてくれると自慢する蔵留だったが、相方の松木に「見たくないからちゃうん?」と言われてしまう。蔵留は「いつも終電を気にして貰える」とも言うが、松木に「早く帰れいうことやろ」と正鵠を射た(得た)発言をされてしまう。
ちなみに蔵留は周囲からモンスターエンジン・西森に顔が似ていると言われているそうなのだが、ZAZA HOUSEの隣にあるZAZA POCKET'Sでたまたま「女芸人大祭り」と同じ時間にモンスター・エンジン西森が単独ライブを行っており、蔵留は西森に挨拶に行って「顔が似ていると言われる」と話したところ、西森に激怒されたらしい。ただ西森は「俺は男だからいいんじゃ、ボケ!」と言っていたそうなので、顔が似ているということは認めているのかも知れない。


ももかんラッシー。
津田真紗美が、「彼氏が出来た」というのだが、31歳ながら大学生。何でも八浪して今は休学中なのだそうである。津田は彼氏のことを「イケメン」というが、相方のみっちょん。に
「芸能人でいうと誰に似てる?」と聞かれて、「古田新太」と答え、二人の間に微妙な空気が漂う。ちなみに彼氏の売りは「チェリーボーイであること」だそうなのだが、みっちょん。に「いいことなのかわからん」と言われて終わる。
 
茜チーフ。自らの生い立ちを語る。まず3歳の時に「JAの表紙を飾る」。家族と撮った写真がJAの表紙になったそうである。20歳の時にはビールのコマーシャルに出る。高知弁で喋っていたため高知県限定CMなのかも知れない。ちなみにそのCMの茜チーフの後任は広末涼子、茜チーフの前任は島崎和歌子である。全員、高知県出身である。
更に23歳の時にはまさかの「再びJAの表紙を飾る」ことになったそうだ。



前半後半に別れており、前半の出演者は、「衝撃体験の告白」を行い、後半の出演者はゲームに参加する。

前半の出演者による「衝撃体験の告白」。まずは堀川絵美。題は「大物俳優」。梅田芸術劇場(メインホールなのかシアター・ドラマシティなのかは不明)で観劇をした堀川だが、開演前に堀川の隣に座ったおばちゃんが堀川を見て、横の仲間のおばちゃんに、「ねえねえ! 横」というのが聞こえたという。堀川が「何だろう?」と耳を澄ますと、隣のおばちゃんは、「横にいるの古田新太よ」と堀川のことを古田新太だと勘違いしたらしい。「そもそも性別が違うし」と堀川。

ブランチ・蔵留は、「どう言うこと?」という題で、彼氏にフラれた話をする。彼氏に「俺にとってお前は生ゴミか死んだカナブン」と言われたそうで、「どう言うこと?」と聞くと「目に入るだけで不快」と吐き捨てられたそうである。実はそのセリフを言われたのはほんの2週間ほど前のことだという。
アインシュタイン・河合が、「女芸人だから、特に関西の男は自分よりも彼女の方が面白いとプライドが傷つく」とフォローするも、早希ちゃんが「でもそういう問題ちゃうんちゃう?」と蔵留の容姿に問題ありと突っ込んだため、蔵留はフリップを持って早希ちゃんに殴りかかり、早希ちゃんは立ち上がって逃げるということになる。

もみちゃんズは、NSC組ではなく、パンチみつおに弟子入りしたという昔ながらの弟子入り組なのだが、家を引っ越した際にパンチみつおに「転居しました」という届けを出さなかったため、破門されそうになったという。普通は転居届は出さないものだがパンチみつおは、「転居したら知らせろ」「メールじゃ失礼だからちゃんと電話せえ」という独自の価値観を持っているようである。ちなみにもみちゃんズはパンチみつおに電話して泣きながら詫びたために許されたそうである。
ここで早希ちゃんが「でも可愛いね。電話で許すとかみつお師匠」と言う。早希ちゃんはゆりやんレトリィバァを推しているが負けず嫌いな性格なので、ゆりやんに負けじと発言を増やそうとしているのかも知れない。

茜チーフは、「Peach最終選考」。茜チーフは格安航空機のPeach・Aviationのフライト・アテンダント(マスコミではキャビン・アテンダント=CAが主に用いられる)の試験を受け、書類選考、英語テストなどを経て、最終選考まで残ったという。茜チーフは美人キャラではないため、ハイヒール・リンゴは「Peach、センスないなあ」と言う。
最終選考残ったのは4人では、茜チーフの他のメンバーは「ミス○○」などの肩書きを持った女性ばかりだったという。面接で、最初の人は「これまでで一番嬉しかったことは?」と聞かれ、二番目の人には「これまでで一番楽しかったことは?」という質問がなされ、3番目の人には「これまでで一番嬉しかったことは?」と質問が元に戻ったため、茜チーフは「交代で来るんだ。楽しかったこと何話そうか」と考えたものの、実際になされた質問は、「一番好きな食べ物は?」で、茜チーフは「本当に採る気ある?」と思ったそうだが、「ほうれん草のキッシュ」となるべく上品そうなものを選んだという。結果は不合格だったが、Peachはまた客室乗務員を募集しているそうで、茜チーフが履歴書や職務経歴書を送ったところ、書類審査を通過したのでまた試験を受けに行くという。ハイヒール・リンゴは、「Peach懲りへんなあ」と呆れたように言う。


早希ちゃんは、「キャー」というタイトル。早希ちゃんがヤナギブソンとシャンプーハット・こいでと3人で番組のロケに行った時のこと。東京・小金井でアイドル(実際は元地下アイドルをやっていた地下シンガーソングライターである)が襲撃された事件を受けて、ロケバスの中で3人で、「怖いねー」と話していた。以前にここでも何度か書いたが、早希ちゃんの住むマンションの部屋の前にアスカのフィギュアが置かれていたことがあったそうである。そこでヤナギブソンが、ロケバスの運転手に、「運転手さん、どう思います?」と聞いたところ、運転手は徐に振り向いて、「実は私、早希さんのファンなんです」と言ったそうで、早希ちゃんは心の中で「キャー」と思ったそうだ。
ちなみにロケが終わってからは、ロケバスの運転手が帰りのタクシーの手配をしてくれるのだが、運転手は早希ちゃんが住所を言う前に、「早希さんは、そこここですよね」と住所を知っており、「なんで知ってるの?」と再び怖くなったそうである。
どこまで本当なのかわからないが、ゾッとする話ではある。


ももかんラッシー。・津田は、「名曲残してないよね」。津田は「自称:石原さとみ似」なのだが、基本的にブスキャラなので、男芸人から「山下達郎に似てるよね」と言われてショックだったという。
ハイヒールリンゴは、「まず竹内まりやに謝れ」と発言する。


美たんさん・光美は、コマンダンテ・石井と初めて会ったときに、「お前の顔、キン○マに似てるな」と言われたそうで、「初対面でどういうこと?」と思ったそうだが、いつの間にかその話が広まってしまい、今では「キ○タマ姉さん」と呼ばれているという。


一番面白い発言をした人をハイヒール・リンゴが選び、ご褒美として、アインシュタイン・河合が後ろから抱きしめてくれるという。
優勝したのは、美たんさん・光美。だが、後ろから抱きついたのは実は不細工芸人として知られるアインシュタイン・稲田。光美以外は全員が稲田が後ろから抱きついているのを知っている中、光美は心地よさそうにしていたが、抱きしめているのが稲田とわかった瞬間に仰天。下手袖に駆け込もうとして椅子を倒すという慌てぶりだった。

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2016年7月13日 (水)

美術回廊(2) 姫路市立美術館 「アンドリュー・ワイエス素描画展」

2004年5月21日 姫路市立美術館にて

姫路に行く。

今回は姫路城に来たのではなく、姫路市立美術館で開催されている、「アンドリュー・ワイエス素描画展」を見に来たのだ。絵を見る前に美術館の入り口脇にある軽喫茶でレモンケーキとレモンティーを注文する。レモンは私の誕生花である(11月12日の花)。

今回の「アンドリュー・ワイエス素描画展」は彼が関わりを持ったオルソン家をテーマに描いた素描画の特集である。最初の画から早くも不吉な印象を受ける。オルソン家の外観を描いた美しい画なのだが、病的な青が施されている。廃墟となった病院が佇んでいるように見える。ほとんどの画に描かれているのは圧倒的な孤独感、絶望感である。

「幽霊」という画がある。いつもは閉まっている部屋のドアの鍵が開いていた。ワイエスはドアを開けて中に入った。中には一人の痩身の男がいた。ワイエスは驚く。実はこれは姿見に映った彼自身の姿だったのだが、ワイエスはこれを幽霊に例えて描写した。不吉な青がここかしこに塗られている。有名な「クリスティーナの世界」の習作が飾られている。クリスティーナは足が不自由だったそれでも懸命に生きようとする意志が伝わってくる。這って帰ろうとする。だが家が遠い。
「カモメの案山子」。オルソン家ではブルーベリーを栽培していた。それを海カモメが狙いに来る。そこで一羽の海カモメの死骸を柱からつるし、見せしめとして海カモメを遠ざけようとした。残酷なまでにリアリスティクな筆致でワイエスはこの画を描ききっている。

今回展示されたワイエスの画には複数の人物が描かれていることは少ない。描かれていてもそのうちの一人だけくっきりとしていて後の人物は輪郭がぼやけていたりする。無人の部屋や建物を描いた画も多い。全体的に画のトーンが暗いが、その中で青だけが死神の流した血のように鮮やかである。クリスティーナが亡くなる。ワイエスはクリスティーナの墓標を描く。荒涼とした平野に小さくポツンとクリスティーナの墓碑が建っている。身も凍るような寂寞感。最後の画、「オルソン家の終焉」はオルソン家の煙突を描いた画だ。かってオルソン家の人々の声がこの煙突から木霊した。今は静寂があるだけ。

アンドリュー・ワイエスは予言者ではない。全ての人間はいずれ死を迎える。人間の死亡率は100%である。だからいずれ来る死をワイエスが描いたとしてもそれはおかしなことではない。

生きることの悲しさが激しく胸に突き刺さる。背筋の震えが止まらない。人は必ず死ぬ、でも生きて行かなくてはならない。展示会場を一周する。出口と入り口は一緒だ。出口を出たらもうお終いではない。そこでもう一周する。驚くほど素晴らしい画の数々。最後まで行き着く。今度は逆走する。本当はこんなことをしてはいけません。ただ今回は遡行する意味があるのだ。不幸な結末。圧倒的な死のイメージから幸福だった時代へと。
最初から2枚目の画、「小舟のそばの二人」だけがこの上ない幸福感に包まれているように見える。この画には、この画だけには救いがある。最後にこの画を見て会場を後にする。ワイエスは絵筆の詩人だ。世界史上最高の画の詩人だ。リアリスティクで象徴主義の残酷で優しい天才詩人だ。

アンドリュー・ワイエス。1917年、ペンシルバニア州に生まれる。小学校に入学するも虚弱体質と神経衰弱(この歳で!)のため半年で退学。以後16歳まで家庭教師につく。経歴には書かれていないが相当孤独な少年時代を送ったことは間違いない。19歳で本格的にデビュー。第二次世界大戦の徴兵検査を受けるが身体虚弱のため不合格。当時、徴兵検査に落ちることは屈辱以外の何ものでもなかった。体の弱い彼であるが、長寿の運命にあり、86歳になる現在も創作意欲は衰えていない(2004年当時。その後、2009年に逝去)。私は中学校の美術の教科書で初めて彼の絵を見た。「遠雷」と「1946年の冬」。画からほとばしるような霊感に圧倒されたのを昨日のことのように憶えている。彼は私に取って永遠に特別な画家であり続けることだろう。

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2016年7月12日 (火)

観劇感想精選(188) 劇団そとばこまち 「五右衛門」

2016年7月1日 大阪・天王寺の近鉄アート館にて観劇

午後7時から、大阪あべのハルカス8階にある近鉄アート館で、劇団そとばこまちの「五右衛門」を観る。盗賊・石川五右衛門を主人公にした歴史活劇。

劇団名はとにかく有名なそとばこまち。辰巳琢郎、上海太郎、生瀬勝久らが座長を務め、関西の名物劇団とも呼べる存在になっている。元々は京都大学の演劇サークルとしてスタートし、京大生と京大OB・OGによる劇団となるが、同志社大学出身の生瀬勝久が座長になったことからもわかる通り次第に京大色を薄めていき、現在は本拠地も大阪である。
現在では、劇団員からなる女性アイドルグループをプロディースしていたり、俳優養成所を併設するなど活動は多岐にわたる。

「五右衛門」は劇団そとばこまちの実に第114回目の公演演目。作・演出は現在のそとばこまち座長の坂田大地。出演は、竹村晋太朗(劇団 壱劇屋)、田中尚樹、新谷佳士、南園みちな、佐藤美月、土井隆、くぼたゆういち、岡崎裕樹、井本涼太、坂本真菜、石原正一(石原正一ショー)、オオサワシンヤ、川内信弥(劇団レトルト内閣)、酒井高陽、白木三保、中道裕子、福山俊朗(は・ひ・ふ・の・か/syubiro      theater)、後藤啓太ほか。客演の俳優も多い。ゲスト出演:桜 稲垣早希。


石川五右衛門は義賊という伝説そのものの設定。ある日、五右衛門(竹村晋太朗)は、阿漕な豪商・大和屋(後藤啓太)の家に忍び込み、金庫を開けていくつかの宝を盗む。しかし、その中に実は重要な文書が含まれていた。
 
この劇では、五右衛門は伊賀忍者の息子ということになっている。親が誰なのかはわからなかったが、天正伊賀の乱で伊賀忍者勢が壊滅しそうになった時に、当時の伊賀忍者の総領であった百地丹波(オオサワシンヤ)から、実は自分と妾の間の子供が五右衛門なのだと告げられる。そして丹波の娘である理久(南園みちな)とは義兄妹であるということも。織田信長の勢いは凄まじく、このままでは伊賀忍者自体が滅んでしまう。そこで丹波は理久に記憶喪失の術を施し、五右衛門と共に伊賀から脱出させる。記憶をなくした理久はお凛という名を与えられ、茶店である伊勢屋の看板娘になる。「父上と共に討ち死にしたい」と申し出るほど勇ましい女性だった理久は忍術によって可愛らしい性格へと変えられていた。五右衛門も五郎と名を変え、伊勢屋で働くことになる。
 
五奉行の一人で京の治安を任されていた前田玄以は元々五右衛門一味には手を焼いていた。しかし、大和屋の一件以来、言動がせわしなくなる。同じく五奉行の一人である石田三成(田中直樹)は実は以前に五右衛門と出会った頃とがあり、顔馴染みでもある。しかし今は敵同士であり複雑な関係である。
豊臣秀吉(酒井高陽)が関白を退いて太閤と呼ばれるようになり、秀吉の甥である豊臣秀次(土井隆)が関白を継ぐ。秀次の家臣である木村重茲(きむら・しげこれ。福山俊朗)は師である千利休が切腹に追い込まれたことを今も恨みに思っており、秀吉の首を密かに狙っていた。

大坂城内ではまだ正式に秀吉の側室とはなっていない茶々(木村真菜)が物思いに沈んでいる。秀吉は茶々の父親である浅井長政と母親のお市の方を共に死へと追い込んだ憎き敵。とてもではないが秀吉の側室になる気分になどなれない。
茶々が落ち込んでいるというので、日の本一の芸人として桜 稲垣早希が呼ばれる(この公演では毎回、吉本のお笑い芸人が呼ばれる)。「笑えなかったら切腹だ」と茶々は言う。
アスカのコスプレで登場した早希ちゃんは、「私が誰のコスプレをしているかわかりますか?」と茶々に聞き、顔の前で手を振りながら「わからない」というポーズをされると、「あんたバカぁ~?!」とお馴染みのセリフを繰り出す。
今回の演目はフリップ芸「関西弁でアニメ」。吉本の劇場ではよくやられている演目である。早希ちゃんのネタの中では特に良い方というわけでもないのだが、今日の会場は大受け。お笑いを見慣れていない人にはかなり面白く映るネタのようだ。
「残酷な天使のテーゼ」の替え歌である「残酷な天王寺のロース」は歌い出しから終わるまで客席の笑いが止まらず、早希ちゃんも上機嫌であった。
茶々(演じる坂本真菜は最初から最後まで大笑いしていた)から、「そなたは声が可愛すぎるので切腹じゃ!」と言われる早希ちゃんであったが、「なにが切腹よ! あんたバカぁ~?!」と言って帰ってしまう。

ちなみに女性は切腹はしません。自刃です。


木村重茲は、たまたま五右衛門が盗んだ宝の中にある連名状が入っているのを発見する。それは秀吉の朝鮮出兵反対の連名状で、筆頭に名が記されているのは千利休。二番目に記された名前は前田玄以だった。前田玄以は連名状に名を連ねたことが露見した場合、利休同様切腹に追い込まれる可能性が極めて高いことから連名状を取り返そうとしていたのだ。連名状には徳川家康や前田利家らの名前もあった。重茲は連名状を秀次に見せ、秀吉を殺害して秀次が天下を取ることを皆が望んでいると唆す。重茲は天正伊賀の乱で伊賀忍者でありながら甲賀の忍者として伊賀忍者討伐に動いた多羅尾光俊(井本涼太)を配下とし、秀吉暗殺へと動き始める。

一方、播磨時代(姫路時代)の秀吉に滅ぼされた播磨石川氏の末裔である案山子(石原正一)と蜻蛉(くぼたゆういち)の兄弟も石川五右衛門を名乗り、洛中で金子を撒いているのだが、その量は本物の石川五右衛門に比べるとお話にならないほど少額で、京の民を呆れさせる。

そんな中、伊勢屋が襲撃される。お凛は逃げることが出来たが、佐吉(今中美里)らが人質に取られる。石川五右衛門は佐吉の命を救いたければ秀吉の首を取るよう命じられ、やむなく大坂城に向かう。

一方、記憶を取り戻した理久も伊賀を殲滅した織田信長の後継者である豊臣秀吉殺害を計画、大坂城へと向かっていた。

混乱する大坂城。重茲は、「混乱に乗じて援軍に来たと偽り、中から大坂城を落とすのです」と秀次に提案。秀次もそれに乗るのだったが……。


殺陣をふんだんに取り入れたアクション時代劇。石川五右衛門が伊賀のしのびの末裔であるという設定が面白く、理久がラストで「狸」という言葉を使って徳川家康の世となることを暗示するなど(服部半蔵が家康に仕えていたため、服部半蔵系の伊賀忍者は天正伊賀の乱を免れている)上手く繋がっていく。
ポルトガル人宣教師が、実は堺の商人と組んで日本人を奴隷として売りさばいていたという史実を千利休切腹に結びつけるのも巧みだ。


基本的にストーリーで見せる劇であるが、ダンスなども存分に取り入れられ、華やかな舞台となっている。
ただ、日本の場合、小劇場の観客層は若い人が中心となるということもあり、話もそれに合わせた軽めのものになっている。人物造形が薄っぺらいのは避けられないのかも知れない。
私は大人が楽しめる舞台を観てみたいと京都に来たときから思っていたし、欧米の劇作家の本による公演は大人の鑑賞に堪えうる。
 
小劇場の方向性がこのままで良いのか悪いのかはわからない。同じそとばこまちでも小原延之の本は重めであったし(ただ酷い出来であった)、そとばこまちがいつも今回のような作風であるとは限らないが、今日観たそとばこまちの劇がある意味、関西の小劇団のメインストリームであるということはいえると思う。そして「関西の小劇場のメインストリーム」などと纏めることが可能なのも問題ありなのではないかと思う。

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2016年7月11日 (月)

美術回廊(1) 名古屋市美術館 「藤田嗣治展」

2016年6月16日 名古屋市美術館にて

名古屋へ。愛知県芸術劇場コンサートホールに向かう前に。JR名古屋駅から歩いて白川公園内にある名古屋市美術館に向かう。名古屋市美術館では今、「藤田嗣治展」をやっている。

もう大分前に京都でも藤田嗣治(ふじた・つぐはる。仏名および洗礼名はレオナール・フジタ)の展覧会が行われ、私はそれも観ているが、正直、藤田嗣治の作風は好きになれなかった。ただ気になる存在ではあり、彼の作品を目にしない期間が長くなると、「やっぱり観てみたいなあ」という思いが強いことに気づいた。
実は、愛知県芸術劇場コンサートホールに向かう前には大抵、名古屋市美術館を訪れているので、例え今やっているのは「藤田嗣治展」でなくても名古屋市美術館には出向いていたと思うが。
藤田嗣治はやはり人気があるためか、一般的な展覧会に比べると入場料は高めである。
藤田嗣治を主人公にした映画「FOUJITA」が昨年公開され、藤田嗣治を演じたオダギリジョーが音声ガイドを担当している(私は音声ガイドは使わなかった)。

彼がまだパリに向かう前、東京美術学校を卒業するも成績はパッとせず、理解者もほとんどいなかった頃の絵から展示されている。彼が白い絵の具を分厚く塗った独特作風でパリ芸術界の人気者となる前の藤田の作風は色使いも構成もかなり陰鬱な印象を受ける。
そうした絵を観た後で、藤田の代名詞ともいうべき「白塗り」の絵を観ると、輝きの中にどこか孤独が宿っているような印象を受ける。藤田がそうしたものを意図的に取り入れた作品も存在するが、無意識に出てしまったのはないかと思われるものも多い。

第二次世界大戦が始まり、藤田は日本に帰国。戦意高揚の絵を描くことになったのだが、そうした作品の中に返ってフランスの絵画からの影響を強く受けていることがわかる作品がいくつかある。戦場などを描いた絵は構図がかなり西洋的である。ドラクロワの作だと言われれば信じてしまいそうだ。

戦後、画家としての戦争責任と問われることになった藤田は「無理矢理協力させておいてなんだ」とばかりに激怒。再び渡仏し、フランス国籍を取得。洗礼を受け、レオナール・フジタを本名とする。日本を捨てたのだ。そして二度と日本に戻ることはなかった。
フランス時代のフジタの作品からは、以前には感じられた影のようなものは感じられず、平明で無邪気ともいえる明るさが感じられる。

フランス帰化後の作品が人気のようだが、私は初期の暗めの作風による風景画の方が気に入った。藤田の心の底からの感情が仄かに滲み出ているのが良い。後期のフジタはどこか仮面を被っているような気がする。

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呪われた部分

我々は「呪われた部分」を隠し持っている。気づかないかい?

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2016年7月10日 (日)

グスターボ・ドゥダメル指揮ロサンゼルス・フィルハーモニック マーラー 交響曲第1番「巨人」より第3楽章

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コンサートの記(247) 京都市交響楽団みんなのコンサート2016「夏だ祭りだ! ワクワク・クラシック」

2016年7月3日 京都市伏見区丹波橋駅前の京都市呉竹文化センターにて

午後2時から、丹波橋にある京都市呉竹文化センターで、京都市交響楽団みんなのコンサート2016「夏だ祭りだ! ワクワク・クラシック」を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。
京都市内各所にある文化施設で京都市交響楽団が演奏会を行う「みんなのコンサート」。年に3度あり、今回は2度目。同一演目2回公演で、昨日は右京ふれあい文化会館で演奏会が行われ、今日は伏見区の呉竹文化センターでの公演となる。

曲目は、前半が、ファリアの「恋は魔術師」から“火祭りの踊り”、ドヴォルザークの序曲「謝肉祭」、ヨハン・シュトラウスⅡ世のポルカ「花祭り」、オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」から“カンカン”、サティの「2つのジムノペディ」から第3番(ピアノ版第1番。ドビュッシー編曲)、ブラームスのハンガリー舞曲第1番。
後半は全てチャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」からで、「行進曲」、「こんぺい糖の踊り」、「ロシアの踊り(トレパック)」、「中国の踊り」、「あし笛の踊り」、「花のワルツ」

今日の京都市交響楽団のメンバーは全員、創設60周年記念Tシャツの白バージョンを来て登場。広上淳一も同じTシャツを着て指揮をした。京響のスタッフは創立60周年で人間に例えると還暦であるため、赤に背番号60の白抜きのあるもう一つのバージョンのTシャツを着ている。

今日は16列目だったため、後ろの方の席かと思ったが、呉竹文化センターは後ろの方の番号が若いため、実際は前から2列目であった。

今日のコンサートマスターは渡邊穣、泉原隆志は降り番でフォアシュピーラーには尾﨑平。ドイツ式の現代配置での演奏。チャイコフスキーではコンサートマスターとヴィオラソロの掛け合いがあるため、コンサートマスターとヴィオラソロが向かい合うドイツ式現代配置の方が効果的である。


京都市呉竹文化センターに来るのは3度目。前2回はいずれも観劇であったため、コンサートを聴くのは初めてである。

呉竹文化センターは平成2年竣工と比較的新しいが、音響設計はされておらず、残響はほぼゼロ。ということで、クラシックの演奏会を聴くには余り適していない。
今日は前から2列目であったため、音量は十分であったが、直接音が間近から聞こえるので、鈍重な印象を受けてしまうが仕方ない。なお、ステージが狭いため、フルオーケストラが配置された場合にグランドピアノを置くスペースがないようでキーボードで代用されていた。

指揮台のそばにマイクが置かれ、広上が演奏の合間にスピーチを挟みながらのコンサート。ライブラリアンがスコアと共にファーバーグラス製の指揮棒を広上の譜面台の上に置いたが、広上は木製の指揮棒を持って登場。最初のうちは木製の指揮棒で指揮していたが、オッフェンバック以降はファイバーグラス製の指揮棒に持ち替えて指揮を行っていた。

今日は前の方の席だったため、管楽器奏者の顔はほとんど見えず、誰が吹いているのかはわからない。オーボエ首席奏者の髙山郁子は前半から吹いており、クラリネット首席の小谷口直子は後半には登場していたのは確認出来た。トランペットとして出演していたのは早坂宏明と稲垣路子、西馬健史で、首席奏者のハラルド・ナエスは降り番のようだった。
首席フルートは男性の客演奏者だったが誰だったのかは不明。


ファリアの「恋は魔術師」から“火祭りの踊り”。ホールの音響が良くないため、色彩は今一つだったが、それでも怪しげな雰囲気は十分に伝わってくる。
演奏終了後、広上はマイクを手に、曲の紹介をするが、“火祭りの踊り”の日本語名を忘れてしまい、手元に用意してあったパンフレットを確認して曲名を読み上げた。

その後、ドヴォルザークが大鉄道好きで、汽車の煙を見たり、列車の走る音を聴きながら作曲をするのが好きだったということを広上は紹介し、序曲「謝肉祭」を聴いて「ああ、なるほどと思われるかも知れません」と語った(推進力のあるところは鉄道的かも知れない)。謝肉祭は「カーニバル」のことだが、キリスト教の行事で、悪霊払いをしたり、自然や農作物の恵みに感謝する祭りであったという。

京都市交響楽団によるドヴォルザークの序曲「謝肉祭」は、京都コンサートホールでの演奏を何度も聴いているのだが、音響設計のされていないホールで聴くと立体感に欠ける。音響の評判が良くない京都コンサートホールであるが、こうして聞き比べると普段はかなりのアドヴァンテージを得ていることがわかる。
ただ、音の迫力自体は流石。弦の厚み、管の輝き共に十分である。

ヨハン・シュトラウスⅡ世のポルカ「花祭り」。ウィーンの市民庭園には有名なバラ園があるそうで、そこで行われた祭りを描いた曲だそうである。余り演奏されることはないが、広上は「ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートでは指揮者によっては必ず取り上げられる曲です」とも語る。
この曲では身を縮めるような仕草で指揮をした広上。今日もジャンプをしたり、指揮台の上でステップを踏んだりと楽しい指揮姿を見せる。
チャーミングな曲と演奏である。


ここで、京都市交響楽団のインスペクター(パーソナル・マネージャー)である森本芙紗慧が呼ばれる。広上はインスペクターについて、「学校で例えるなら学級委員長。いや、風紀委員。日直、は違うな。やっぱり学級委員かな。リハーサルが始まる前に、オーケストラメンバーに開始時間を教えたり、指揮者にそろそろ出番ですよと教えに来たりする人です」というように紹介。

森本は、今日のコンサートのサブタイトルや前半の曲が祭りにまつわっていることに触れるのだが、「お祭りというと屋台が好きなのですが、広上さんは子供のころ何の屋台が好きでしたか?」と音楽に余り関係のない質問。広上は、「私は焼きそばが好きでした。それから綿飴も必ず買ってました。金魚すくいが大好きでしたね。いつも失敗してましたが」と応える。ちなみに、森本は金魚すくいで獲得した金魚を一年間生き延びさせることに成功したそうである。
ここで森本は、屋台の中で体に良いものの話をする。イカが良いそうである。広上が「イカすって言いますからね」と言ってすべるがお客さんは優しいので拍手を貰う。
イカには疲労回復に効くタウリンが多く含まれており、更にダイエットにも良いらしい。広上は高血圧で悩んでいるそうだが、高血圧にも効果的なようだ。
更に綿飴であるが、一見すると砂糖の塊のようで健康に悪そうだが、ほとんどは空気なので、カロリーはかなり低いらしい。
ちなみに次の曲目は、「天国と地獄」なのだが、森本によると「私にとっては今の時間が地獄です」とのことで笑いを取った。

その「天国と地獄」より“カンカン”。演奏も小粋だが、広上の首を振りながらの指揮姿も面白い。ちなみに広上は右利きのはずだが何故か右手に腕時計をはめている。何故なのかは不明。


サティとブラームスが演奏される前に、今度は京都市交響楽団ヴィオラ奏者の多井千洋(たい・ちひろ。男性)が呼ばれ、ヴィオラという楽器の紹介をする。広上によるとヴァイオリンとヴィオラは兄弟関係にあるのだが方向性がちょっと違うそうで、「おすぎとピーコのような」という例えをして笑いを誘う。多井はヴィオラの魅力について語り、要約してしまうが「名脇役」のようなところが魅力的だそうだ。多井はサティについても語り、「自分は(音楽家としては)余りピアノが弾けないのですが、サティの曲には弾けるものが多くて親しみが持てます」と語る。またブラームスはヴィオラを愛しており、美味しい旋律をヴィオラに与えたりするのだが、そのためブラームスという作曲家自体が好きだそうである。多井は「ブラームスが好きでないとヴィオラ奏者になれない」と言われていると紹介する。確かにブラームスは作品自体がヴィオラの音域によく合うような作品が多い。程良い渋さが魅力である。

サティ作曲、ドビュッシー編曲の「ジムノペディ第3番」(ピアノ版1番)。サティはジムノペディという小品3つ書いたが、そのうちの第1番と第3番をドビュッシーがオーケストラ用に編曲している(ドビュッシーの意思により番号は入れ替えられている)。
フランスのオンフルールに生まれたエリック・サティは、13歳でパリ音楽院に入学するなど早熟であったがアカデミズムを嫌い、軍隊に入り、その後復学するが、結局音楽院を中退し、バーのピアノ弾きになったり、信者が一人だけ(つまりサティだけ)の新宗教の教祖になったり、何故か中年になってからパリ音楽院のライバル校であるスコラ・カントルムに入学して優秀な成績で卒業したりと、様々な変わったことをしながら過ごした。ドビュッシーの才能に惚れ込み、「同性愛?」とも受け取られかねない手紙を残していたりする(そういう関係ではなかったらしいが)。その後、反ドビュッシーを掲げるフランス六人組の頭目に担がれたりするが、サティのドビュッシーに対する友情は生涯変わらなかった。

ホールの残響がないということもあってか、少し速めのテンポ設定。直接音が強いため、洗練されたタイプのフランス音楽を聴くにはこのホールのこの席では厳しいようだ。
弦は情感が出ていなかったが、管の洗練された歌い方は十分に伝わってくる。


前半最後となるブラームスの「ハンガリー舞曲第1番」。広上は「最初はそれほど売れるとは思わず、ピアノ連弾用の楽譜で出したところ大ヒット」と語る。「大ヒット、今でいうと乃木坂46ですとか」と広上は語る。広上さん、相変わらずアイドル大好きのようである。ただブラームス本人による管弦楽曲編曲がなされたのは第1番含めて数曲だけで他の曲は別の作曲家により様々な編曲が施されている。ブラームスの「ハンガリー舞曲」というと以前は第5番が圧倒的に有名であったが、90年代以降は作曲者によって編曲がなされている第1番の方が人気となっている。
スウィング感がなかなかの演奏。広上の上半身を揺らせながら行う指揮も見ていて楽しい。


後半、チャイコフスキーの「くるみ割り人形より」。この手の音楽は広上の十八番である。叙情味、ロマンティシズム、愛らしさ、華麗さ、躍動感、ユーモアなど、全てが高い次元で統合されたチャーミングな演奏である。


アンコールとして演奏したのは、和田薫の「土俗的舞曲」。伊福部明の高弟である和田薫。先日、ロームシアター京都で行われた伊福部明のゴジラコンサートの指揮も手掛けている(チケットを入手しながら行けなかったが)。和田と広上は同じ東京音楽大学出身ということもあって若い頃からの友人だそうで、広上は和田の作品をスウェーデンのマルメ交響楽団とレコーディングしているそうだ。

「土俗的舞曲」は元々は吹奏楽のために書かれた作品のオーケストラ用編曲。一聴しただけで、和田が伊福部の弟子だとわかる面白い作品である。

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2016年7月 8日 (金)

笠井叡×山田せつ子 新作ダンス公演「燃え上がる耳」

2016年7月2日 京都芸術劇場春秋座にて

午後3時から、京都芸術劇場春秋座内特設劇場(ステージは春秋座のものを生かし、客席はstudio21にある階段状客席を移設して、ステージの広い小劇場という独特の空間を作ったもの)で、笠井叡×山田せつ子 新作ダンス公演「燃え上がる耳」を観る。出演は、笠井と山田の他に、佐伯有佳、野田まどか、福岡まな実、松尾恵美。

大野一雄に師事し、天使館を設立。日本におけるモダンダンスの代表格的存在の笠井叡(かさい・あきら)と、天使館で笠井に師事し、日本の女性コンテンポラリーダンスの先駆となった山田せつ子の二人と、若い女性ダンサー四人によるダンス公演である。

今回は笠井叡の特異なダンスに「若い友人女性ダンサーに挑戦して貰おう」という山田せつ子の提案によって始まったものであるという。

コンテンポラリーダンスは、物語から遠ざかり、「それそのもので成り立つ」ことが出来るという特性を持つ。同じダンスでもストーリー性豊かなバレエなどとはそこが違うところである。


まず、女性ダンサー四人が登場。薄い肌色の衣装である。いくつかの文字を形作るような動きをした後で退場。そして舞台下手から山田せつ子が、舞台上手から笠井叡が現れ、舞台中央付近で様々な動きを展開する。
そして突然、ブラームスの交響曲第1番第1楽章が大音量で流れ始める。最初は音楽に敢えて合わせないようなダンスをしていた二人だが、やがて体の動きは音楽に溶けていく。ブラームスの交響曲第1番第1楽章は全編が流れ、音楽の力もあって、迫力あるダンスとなる。

笠井と山田が退場して、今度は若手四人のダンス。ベートーヴェンの交響曲第7番第2楽章が流れる。音質から察して古い録音であり、咳などが聞こえることからライブ録音であることがわかる。音楽は途中でフェードアウトするのだが、舞台上手から笠井が現れ、舞台中央付近で、横よりも縦の動きを強調したダンスを繰り広げる。音楽は再びベートーヴェンの交響曲第7番第2楽章。笠井と若手ダンサーによる計五人のダンス。笠井の舞踏スタイルはコンテンポラリーだが、若手のダンサーはそれほど記号的ではない。今度も音楽は最後まで続くことはなくフェードアウトする。

笠井一人が舞台上に残り、舞台手前まで進み出て、「ご覧なさい。神の池。神聖なる。神の魚」とセリフを発し、回転の多いダンスを舞いながら舞台中央までゆっくりと戻っていく。そして笠井は「神の魚になり損なった」と言い、「エラ呼吸を止めて、丘に登ろう」と舞台中央へと歩み寄る。溶暗。

若手ダンサー四人がバレエスタイルなどを取り入れたダンスを舞って退場した後で、白いカツラを被り、白のワンピースを着た山田が登場。舞台上手奥から、舞台下手手前に進み出る形で、ダンスを繰り広げる。背後のスクリーンには公演のタイトルそのままに火の付いた耳の映像が映る。耳が燃えるというのはどういうことなのか。情報の断絶なのか遮断なのかあるいは逆に感知能力活性化なのか。もっと単純に燃え上がる生命の暗喩なのか。燃える映像の前で山田は踊り続ける。音楽は左手が同じ音を出し続ける現代音楽系のピアノミュージックだ。

笠井は無料プログラムに「ある日、海の中を泳いでいる魚が、海面で空気を呼吸し、「なあんだ、空気なんて海中の溶存酸素を取らなくたって、空中に無限にあるのだ、陸へ行こう!!」と決意し、悲劇的な身体形成への努力が始まる」と記しており、身体表現の文法からの脱出への試みと共にその困難さが感じられる。破壊と創造。言葉ではなく身体を通してのパラダイムの把握と転換。「燃え上がる耳」は転換の意思へのメタファーなのか。あるいはそうした言葉からの触手は間違いなのだろうか。

今度は笠井のソロダンス。音楽はワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」より“愛の死”。これも古い録音によるものである。楽曲のタイトルから内容を受け取って良いものなのかどうかわからないが、何かしらの「終着」を感じ取ることは許されるのかも知れない。言葉がネット上で暴力的に飛び交う現代のアンチテーゼとして。

四人の若いダンサーだけによるテクノミュージックによるダンスを経て、宗教曲が流れ、四人のダンサーと山田せつ子が踊る。再び「燃え上がる耳」の映像が浮かび(4つ)、悲劇的なのかどうかはわからないが(ラストは悲劇的に映る)、山田から四人のダンサーへの何らかの身体的技術の伝達を表しているようでもある。とにかく全部で五人の女性が燃えている。

ラストは笠井と山田による短いデュオ。パイプオルガンの音楽が鳴り響く中で、舞いがあり、終わる。


頭や言葉で理解しようと思っても上手くいくとは思えない。そんな言語体系とは別の感覚的資質でダンスで捉えたとしたらどうだろうか。昨今過激化する言葉ではなく、それ以前にある肉体の法則に則るものを。あるいは目ではなく耳で感じるかのような新たな感性でもって。

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2016年7月 6日 (水)

コンサートの記(246) 山田和樹指揮 バーミンガム市交響楽団来日公演2016大阪

2016年6月26日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後2時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、山田和樹指揮バーミンガム市交響楽団の来日演奏会を聴く。

イギリスのEU離脱の中で行われる来日公演。時期がたまたま重なってしまった。

バーミンガム市交響楽団(City of Birmingham Symphony Orchestra。略称はCBSO)の来日演奏会を聴くのは通算で3度目。最初は1990年代後半に、東京・初台の東京オペラシティコンサートホール“タケミツ メモリアル”で、サー・サイモン・ラトル指揮の演奏会を聴いた。ラトルはすでにベルリン・フィルハーモニー管弦楽団芸術監督への就任が決まっていたはずだが、前半に現代音楽が並んだということもあり、当日のタケミツホールは半分も入っていないというガラガラ状態。聴衆の現代音楽アレルギーを目の当たりにした格好だった。後半のベートーヴェン交響曲第5番の演奏は刺激的でとても面白かったが、それが「ピリオド・アプローチ」なるものによって演奏されたものだと知るのは少し経ってからのことである。

2度目は、2002年、京都コンサートホールにおいて。私が京都コンサートに初めて足を踏み入れたのがバーミンガム市交響楽団の来日演奏会だったのだ。指揮者は当時、CBSOの音楽監督を務めていたサカリ・オラモ。メインで演奏されたシベリウスの交響曲第2番が清心な出来映えであった。

ただ、前回聴いたのが2002年ということで、実に14年ぶりのバーミンガム市交響楽団体験となる。メンバーも大幅に変わったはずで、ファゴットの女性奏者はクラシックではまだ珍しい黒人である。

曲目は、ウェーバーの歌劇「オベロン」序曲、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:河村尚子)、ベートーヴェンの交響曲第7番。

日本人若手指揮者界のトップランナーともいうべき山田和樹は、1979年生まれ。東京芸術大学在学中にオーケストラ(トマト・フィルハーモニー管弦楽団。現:横浜シンフォニエッタ)を立ち上げ、2009年には第51回ブザンソン国際コンクールで優勝という経歴から、「リアル千秋真一」と呼ばれたこともある。今年の秋からは先日来日もしたモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者兼芸術監督に就任することが決定している。その他に、スイス・ロマンド管弦楽団の首席客演指揮者、日本フィルハーモニー交響楽団の正指揮者、仙台フィルハーモニー管弦楽団とオーケストラ・アンサンブル金沢のミュージックパートナー、横浜シンフォニエッタの音楽監督など多くのポストを牽引している。現在はベルリン在住。

ウェーバーの歌劇「オベロン」序曲。今日のメインはベートーヴェンの交響曲第7番だが、その初演を聴いて、「ベートーヴェンもついに気が狂ったか」と日記に記しているのが他ならぬウェーバーである。

アメリカ式現代配置での演奏。バーミンガム市交響楽団はラトルの時代から仄暗い響きを特徴としていたが、それは今も守られているようである。
弦はビブラートを抑えたピリオド奏法だが、盛り上がりを見せるようになるとビブラートを盛大に掛けるため折衷様式の演奏である。ティンパニが堅めの音出しているのが古楽風だ。
山田のオーケストラ統率力は極めて高い。

 

ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番。フェスティバルホールはステージが広いので、予めオーケストラを奥寄りに配置し、ピアノを下手奥から正面へと移動させることで、楽団員が退場しなくても場面転換が可能になっている。

真っ赤なドレスで登場した河村尚子(かわむら・ひさこ)。今、最も注目に値するピアニストの一人である。1981年、兵庫県西宮市生まれ、5歳の時の一家で渡独。ドイツで普通教育と音楽教育を受け、現在もドイツ在住である。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番は、超絶技巧が必要なことで知られており、「弾き終わったら気が狂う」といわれるほど難しい。そのため、技巧を見せびらかすためにバリバリと弾くピアニストも多いのだが、河村尚子のスタートは慎重である。何かを探しながらためらいつつ進むという趣。技巧よりもラフマニノフの内面に光を当てたピアノである。
河村の特長であるヒンヤリとした音色を持つエッジの効いたピアノはラフマニノフにピッタリである。山田が指揮するバーミンガム市響も立体的な伴奏を奏でる。山田はスケールの的確さというものを理解しており、徒にスケールを拡げすぎることがない。

第2楽章を煌めきと不安とで彩った河村。その河村が第3楽章に入ると技巧を前面に出して、熱烈な凱歌を奏でる。ベートーヴェン的解釈と読んで良いのかはわからないが、第1楽章や第2楽章での憂鬱が圧倒的な音の波に呑み込まれていく。ラフマニノフの勝利を河村は鍵盤に刻みつける。決して、情熱をまき散らす様な演奏ではなく、今この時に刻印する。ただの「お祭り」に陥らない音楽を河村は創造する。本当に優れたピアニストだ。

山田指揮するバーミンガム市交響楽団の迫力も虚仮威しでなく、良かった。

河村のアンコール曲は、ラフマニノフの前奏曲変ト長調作品23の10。
音楽が底から沸き上がってくるような、不思議な曲であり、演奏であった。

ベートーヴェンの交響曲第7番。山田は以前、大阪フィルハーモニー交響楽団を指揮して同曲を演奏している。
アメリカ式の現代配置ではあるが、ティンパニは指揮者の正面でははく、上手奥に位置する。しかも古楽用のバロックティンパニでの演奏である。

ということで、このベートーヴェンでは徹底したピリオド・アプローチによる演奏が展開された。弦楽器がビブラートを用いることはほとんどない。ホルンはモダン楽器を使用していたが、トランペットは通常のものとはやや違うように見えた。ピストンが着いているようには見えないのである。ナチュラルトランペットにも見えないが、過渡期的な楽器を使ったのだろうか。

ピリオドによって様式は異なるが、演奏の出来不出来に影響はしない。山田の楽曲構造把握は抜群で、マスとしてのスケールをきちんと把握して演奏している。そのため、決して大言壮語のベートーヴェンにはならない。

ベーレンライター版の楽譜を用いてるため、通常とは異なるところがいくつかあったが、特に気にする必要はないだろう。第3楽章のティンパニとトランペットの強奏は意図が余り伝わってこなかったが。

第1楽章と第2楽章で一つの音楽、第3楽章と第4楽章でもう一つの音楽という昨今流行のスタイルでの演奏。
少し軽い気もしたが、爽快な演奏ではある。第3楽章と第4楽章ではジャンプも飛び出すなど、指揮姿も躍動感に溢れていた山田。金管の強奏、ティンパニの強打も効果的で迫力ある第7を生み出した。ただノリが良すぎてベートーヴェン的要素が後退してしまったのはマイナスかも知れない。

アンコール。まず山田のスピーチ。「イギリスではシェイクスピア没後400年ということで、コンサートでシェイクスピアにまつわる様々な楽曲が毎回のように演奏されています。それではウォルトンという作曲家による『ヘンリー五世』より“彼女の唇に触れて別れなん”」。山田がオーケストラの方に向き直って演奏スタート。弦楽合奏のための曲である。映画音楽だそうだが、気高い曲調で、演奏もエレガントであった。

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2016年7月 5日 (火)

観劇感想精選(187) 「とりあえず、お父さん」

2016年1月22日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

大阪へ。梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで午後6時30分から「とりあえず、お父さん」を観る。イギリスの劇作家であるアラン・エイクボーンの手によるシチュエーションコメディの上演。
作:アラン・エイクボーン、上演台本:藤井清美、演出:綾田俊樹。藤原竜也、本仮屋ユイカ、浅野ゆう子、柄本明による四人芝居である。

最初の場はロンドンにあるジニィ(本仮屋ユイカ)のアパートの一室である。ジニィは保険のセールスマンであるグレッグ(正式な名前はグレゴリー。藤原竜也)と同棲している。

ある朝、ジニィは午前8時24分初の電車に乗るためにシャワーを浴び、急いで支度している。ベッドでまだ寝ていたグレッグ(裸だったので情事があったのかも知れない)は電話の音に起こされる。グレッグは電話に出るが誰が掛けたのかわからないまま切れる。
 
ジニィがバスルームから出てきて身支度を始めるが、グレッグは入れ替わりにバスルームに自分がジニィにプレゼントした花を生けようとする。が、バスルームにはグレッグが送った花束以外にも5つほどの花束がすでに生けられていた。ジニィは角の花屋さんがサービスでくれたというのだが怪しい。更に鏡台の引き出しからは大量のチョコレートが出てくる。ジニィは女友達がダイエットを始めたので不必要になったチョコレートを全て自分にくれたのだと語るが、ジニィもまた「ダイエット中」だとグレッグに語ったことがあり、辻褄が合わない。
 
グレッグには気になることがあった。ベッドから起き上がる時にベッドの下に足を入れる癖がグレッグにはあるのだが、その時、足に引っかかったのはLサイズのスリッパ。グレッグは大柄ではなく、スリッパはMサイズである。昨日起きた時はLサイズのスリッパはベッドの下にはなかった。ということは、グレッグが留守にしている間にジニィが他の男を連れ込んだ可能性がある。ちなみにジニィの前の彼の情報はジニィから得ており、ジニィとは親子ほども年の離れた男だったという。それ以前にもジニィは4、5人の男と付き合っていたことがあるようで、恋多き女である。恋多き女をものにするには先手必勝とばかりにグレッグはジニィにプロポーズ。二人は出会って1ヶ月前後しか経っていないのでスピード結婚である。だが、ジニィは喜ぶものの今すぐの結婚に関しては保留であり、両親にもまだグレッグは会わせられないという。
ちなみに最初にアプローチしてきたのはジニィの方だそうで、清楚な外見とは裏腹に肉食系女子であることがわかる。

ジニィが朝の汽車に乗って向かおうとしているのはバッキンガムシャーにあるロウアー・ペントンという場所。そこに両親が住んでおり、里帰りするのだという。ジニィとの結婚を急ぎたいグレッグは両親に会いたいというが、ジニィに拒まれる。だが、グレッグはベッドの棚の上に「バッキンガムシャー、ロウアー・ペントン1 柳が目印」とメモされた煙草の箱を発見していた。ジニィにそれが両親の住所だと確認したグレッグは、ジニィが出掛けた後で、自分も午前8時24分発の電車に乗るためにタクシーを飛ばす。無事、午前8時24分発の電車の乗り込むことが出来たグレッグはバッキンガムシャー、ロウアー・ペントン1を目指す(グレッグの旅の行程はキャットウォークから降りてきたスクリーンに投影された映像で描かれる)。両親に挨拶することでジニィとの結婚を一気呵成に進めようと図ったのだ。だが、実はジニィは午前8時24分の電車には乗り遅れており、グレッグはジニィより先にフィリップ(柄本明)とシーラ(浅野ゆう子)の夫婦に会うことになる。


「間違いの喜劇」の手法を用いたファルスである。一つの勘違いが更なる勘違いを呼ぶという勘違いの連鎖で笑いは進む。この手の作品は日本人の現役劇作家としては三谷幸喜や宅間孝行が得意としているが、イギリスのコメディは日本のそれよりも毒が強い。ウェルメイドではあるのだが、ハッピーエンドなのかどうかは見方によって変わりそうである。

仕掛けに次ぐ仕掛けがあり、ここにストーリーを書いてしまうとネタバレになってしまって、これから観る人が楽しめなくなってしまうため、その後の内容に関しては伏せておく。ちなみに最後まで勘違いしている人が一番幸せなようである。


浅野ゆう子はまさに嵌まり役。シーラのキャラクターに最も合った日本人女優は浅野ゆう子だと断言しても間違いないだろう。

本仮屋ユイカは細部までコントロールの行き届いた演技が魅力的。また仕草の一つ一つがとてもチャーミングである。

藤原竜也は個性の強い演技であるが存在感は十分であり、ここぞという時の演技にはやはり説得力がある。

柄本明は喜劇を得意としているが、今日は調子はそれほど良くなかったようである。綾田俊樹が演出ということで劇団東京乾電池色が強く出てしまったのかも知れない。

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2016年7月 2日 (土)

観劇感想精選(186) 「猟銃」(再演)京都公演

2016年5月7日 京都市左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて観劇

午後6時から、左京区岡崎にあるロームシアター京都サウスホールで舞台「猟銃」を観る。2011年に初演された中谷美紀主演舞台の再演。
原作:井上靖、翻案:セルジュ・ラモット、日本語台本監修:鴨下信一、演出:フランソワ・ジラール。出演:中谷美紀、ロドリーグ・プロトー。

初演時の京都公演は京都芸術劇場春秋座で行われ、それが全国ツアーの千秋楽であったが、今回の京都公演は出来たばかりのロームシアター京都サウスホールで、「ロームシアター京都オープニングシリーズ」の一つとして上演される。

「レッドバイオリン」などの映画監督として知られるカナダ人のフランソワ・ジラールが演出を手掛けた舞台。初演時にはまずモントリオールで上演され、客席をオールスタンディングにしてから、日本ツアーを行い、絶賛された。
ジラールの演出も優れているが、それ以上に凄いのが中谷美紀の演技。ロドリーグ・プロトーのとの二人芝居であるが、プロトーはマイムの演技だけで、中谷美紀が1時間40分セリフを話し続ける、しかも三人の女性を演じ分けるという高度な演技を披露し、観る者を圧倒した。

さて、5年ぶりに再演となる「猟銃」。クオリティは前回と変わらない。劇場の関係で、冒頭のナレーション(池田成志が担当)が多少聞き取りにくいところがあったが、こちらの耳もすぐ対応出来て問題なく観ることが出来た。

出てくる女性は3人。三杉譲介という男の妻であるみどり、三杉と不倫している彩子(さいこ)、彩子の娘の薔子(しょうこ)である。

中谷美紀は、薔子、みどり、彩子の順に演じるのだが、役が切り替わる時には驚くほどの速さと見事なまでの鮮やかさを見せる。

彩子の娘である薔子は二十歳。眼鏡をかけており、ちょっと気弱で潔癖なところがある。
三杉譲介の妻であるみどりは、情念の塊で妖女のような一面を持つ。
三杉の愛人にして薔子の母親である彩子は「大和撫子」という言葉がよく似合う女性だ(中谷美紀は彩子を着物姿で演じる)。

作品はまず作者(井上靖本人なのかどうかはわからないがおそらく違う)が、ある手紙を受け取ったことから始まる。作者は伊豆・天城で前を行く猟師の猟銃に魅せられ、ハンターのための雑誌に「猟銃」という詩を投稿する。詩「猟銃」は世間からは黙殺もしくは無視されるが、三杉譲介という男から作者に手紙が届く。三杉は「あなたが書いた猟師は私のことではありませんか」と書き、三人の女性の手紙を同封していた。手紙は彩子、みどり、薔子という3人の女性が書いたもので、いずれも三杉宛に書かれたものだった。舞台は3人の手紙を中谷美紀が演じながら読み上げるというスタイルで進む。一種の語りものである。

薔子は彩子の娘。父親の門田は他の女性と不倫をし、薔子が5歳の時に彩子と離婚して、今は兵庫で病院を経営している。彩子が自殺する前に、彩子から日記を手渡され、焼却するよう命令される。しかし、薔子は彩子の日記をこっそり読み、彩子がおじである三杉と不倫していたことを知ってしまう。薔子は線香を火を付けて立てては、「おじさま、譲介おじさま」と語りかけ、彩子が三杉との不倫に死にたいほど苦しんでいたことが日記に綴られていたことを告げる。

三杉譲介の妻であるみどりは、昭和9年2月に三杉と熱海に行ったとき、ホテルの窓から熱海の海岸を三杉と散歩する御納戸色で結城紬、紫の薊の刺繍が入った着物の女性を見てしまう。彩子だった。みどりは三杉と彩子が不倫の関係にあると瞬時に気づく。だが、全ての面において彩子に劣ると感じているみどりは耐えるしかなかった。
そして我慢すること13年、みどりは彩子に「三杉との不倫に気づいていた」と告げる。

しかし、薔子もみどりも勘違いしていた。最後の彩子の遺書でそれは知らされる。彩子の自殺の理由は三杉との不倫とは全く関係ないものだった。
自分ですら知らない自分。彩子がした仕草は薔子やみどりが勘違いしたのみならず、彩子にとっても意外なものであった。彩子の日記もエクリチュールと感情(愛されているという実感)との差違は真逆といっても良いものだったのだ。みどり本人は最後通牒を突きつけたと思っていた行為も、彩子は「解放」や「陶酔感」としか受け取っていなかった。

ラスト近くで、彩子は女学校時代の思い出を語る。ActiveとPassiveを問う英語のテストの時間であった。いたずらな同級生が、「愛したい 愛されたい」と書かれた紙を回してきたのだ。同級生のほぼ全ては「愛されたい」に丸をしていた。彩子も「愛されたい」に丸をつけたのだが、紙を回した子が「愛したい」に丸を入れるのを目にする。そして彩子は今、自分が自分でも意識していないところで愛することにも愛されることにも敗れたのを知ったのだった。

薔子とみどりの勘違いが彩子によって明かされる心理劇である。関西が主な舞台になっており、芦屋、明石、宝塚、三宮(いずれも兵庫県)、八瀬(京都市左京区。比叡山の麓である)や天王山と麓の妙喜庵(京都府大山崎町)など京都府内の地名も登場する。そのため、関西の人は地理的な把握がしやすいと思う。

5年前に35歳で初舞台と、舞台女優としては遅めのスタートとなった中谷美紀だが、これまで見てきた数多くの舞台俳優の中でやはりナンバーワンである。若い頃の大竹しのぶや白石加代子、田中裕子も中谷美紀には敵わないだろう。大竹しのぶや田中裕子は15歳前後の女の子を本当にそう見えるように演技出来るのだが、それほどの女優であっても中谷美紀ほどのレベルでの演技は不可能であろう。男優に関しても中谷美紀に匹敵しうるほどの舞台俳優は存在しないと思われる。

薔子、みどり、彩子の3人を演じ分けているわけだが、感覚としては「薔子、みどり、彩子の3人になる」と書いた方が的確に思える。架空の人物その人になってしまうのだ。怖ろしいほどの才能を持った女優である。

ロドリーグ・プロトーはカナダ・モントリオールの出身、オタワ大学でコミュニケーション学を学んでおり、日本語の読み書きは出来ないが、中谷美紀のセリフに合わせた動きをしており、日本語の訓練を相当積んだことが窺える。

終演後、今回はスタンディングオベーションをする人が多くいた。私も「ブラーヴァ、ブラーヴォ、ブラーヴィー」の三段活用で二人を讃えた。

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