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2016年7月 8日 (金)

笠井叡×山田せつ子 新作ダンス公演「燃え上がる耳」

2016年7月2日 京都芸術劇場春秋座にて

午後3時から、京都芸術劇場春秋座内特設劇場(ステージは春秋座のものを生かし、客席はstudio21にある階段状客席を移設して、ステージの広い小劇場という独特の空間を作ったもの)で、笠井叡×山田せつ子 新作ダンス公演「燃え上がる耳」を観る。出演は、笠井と山田の他に、佐伯有佳、野田まどか、福岡まな実、松尾恵美。

大野一雄に師事し、天使館を設立。日本におけるモダンダンスの代表格的存在の笠井叡(かさい・あきら)と、天使館で笠井に師事し、日本の女性コンテンポラリーダンスの先駆となった山田せつ子の二人と、若い女性ダンサー四人によるダンス公演である。

今回は笠井叡の特異なダンスに「若い友人女性ダンサーに挑戦して貰おう」という山田せつ子の提案によって始まったものであるという。

コンテンポラリーダンスは、物語から遠ざかり、「それそのもので成り立つ」ことが出来るという特性を持つ。同じダンスでもストーリー性豊かなバレエなどとはそこが違うところである。


まず、女性ダンサー四人が登場。薄い肌色の衣装である。いくつかの文字を形作るような動きをした後で退場。そして舞台下手から山田せつ子が、舞台上手から笠井叡が現れ、舞台中央付近で様々な動きを展開する。
そして突然、ブラームスの交響曲第1番第1楽章が大音量で流れ始める。最初は音楽に敢えて合わせないようなダンスをしていた二人だが、やがて体の動きは音楽に溶けていく。ブラームスの交響曲第1番第1楽章は全編が流れ、音楽の力もあって、迫力あるダンスとなる。

笠井と山田が退場して、今度は若手四人のダンス。ベートーヴェンの交響曲第7番第2楽章が流れる。音質から察して古い録音であり、咳などが聞こえることからライブ録音であることがわかる。音楽は途中でフェードアウトするのだが、舞台上手から笠井が現れ、舞台中央付近で、横よりも縦の動きを強調したダンスを繰り広げる。音楽は再びベートーヴェンの交響曲第7番第2楽章。笠井と若手ダンサーによる計五人のダンス。笠井の舞踏スタイルはコンテンポラリーだが、若手のダンサーはそれほど記号的ではない。今度も音楽は最後まで続くことはなくフェードアウトする。

笠井一人が舞台上に残り、舞台手前まで進み出て、「ご覧なさい。神の池。神聖なる。神の魚」とセリフを発し、回転の多いダンスを舞いながら舞台中央までゆっくりと戻っていく。そして笠井は「神の魚になり損なった」と言い、「エラ呼吸を止めて、丘に登ろう」と舞台中央へと歩み寄る。溶暗。

若手ダンサー四人がバレエスタイルなどを取り入れたダンスを舞って退場した後で、白いカツラを被り、白のワンピースを着た山田が登場。舞台上手奥から、舞台下手手前に進み出る形で、ダンスを繰り広げる。背後のスクリーンには公演のタイトルそのままに火の付いた耳の映像が映る。耳が燃えるというのはどういうことなのか。情報の断絶なのか遮断なのかあるいは逆に感知能力活性化なのか。もっと単純に燃え上がる生命の暗喩なのか。燃える映像の前で山田は踊り続ける。音楽は左手が同じ音を出し続ける現代音楽系のピアノミュージックだ。

笠井は無料プログラムに「ある日、海の中を泳いでいる魚が、海面で空気を呼吸し、「なあんだ、空気なんて海中の溶存酸素を取らなくたって、空中に無限にあるのだ、陸へ行こう!!」と決意し、悲劇的な身体形成への努力が始まる」と記しており、身体表現の文法からの脱出への試みと共にその困難さが感じられる。破壊と創造。言葉ではなく身体を通してのパラダイムの把握と転換。「燃え上がる耳」は転換の意思へのメタファーなのか。あるいはそうした言葉からの触手は間違いなのだろうか。

今度は笠井のソロダンス。音楽はワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」より“愛の死”。これも古い録音によるものである。楽曲のタイトルから内容を受け取って良いものなのかどうかわからないが、何かしらの「終着」を感じ取ることは許されるのかも知れない。言葉がネット上で暴力的に飛び交う現代のアンチテーゼとして。

四人の若いダンサーだけによるテクノミュージックによるダンスを経て、宗教曲が流れ、四人のダンサーと山田せつ子が踊る。再び「燃え上がる耳」の映像が浮かび(4つ)、悲劇的なのかどうかはわからないが(ラストは悲劇的に映る)、山田から四人のダンサーへの何らかの身体的技術の伝達を表しているようでもある。とにかく全部で五人の女性が燃えている。

ラストは笠井と山田による短いデュオ。パイプオルガンの音楽が鳴り響く中で、舞いがあり、終わる。


頭や言葉で理解しようと思っても上手くいくとは思えない。そんな言語体系とは別の感覚的資質でダンスで捉えたとしたらどうだろうか。昨今過激化する言葉ではなく、それ以前にある肉体の法則に則るものを。あるいは目ではなく耳で感じるかのような新たな感性でもって。

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