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2016年9月22日 (木)

コンサートの記(253) 「大阪クラシック」2016第81公演 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 マーラー 交響曲第1番「巨人」ほか

2016年9月17日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時15分から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、「大阪クラシック」2016第81公演を聴く。「大阪クラシック」2016の最終公演で、大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団によるマーラーの交響曲第1番が演奏される。

毎年、大阪市内のあらゆる場所でクラシックの演奏が行われる「大阪クラシック」。大植英次の企画・プロデュース・音楽監督で始まり、今回で11回目になる。室内楽の演奏が最も多いのだが、トリはやはりオーケストラの演奏で締められる。

午後7時から大植英次によるプレトークがある。
大植英次は滑舌が極端に悪いので、アナウンス用のスピーカーしかないザ・シンフォニーホールでマイクを握って喋っても何を言っているのかほとんどわからないないのだが、フェスティバルホールはポピュラー音楽対応なので立派なスピーカーがあり、大植の話の内容を聞き取ることが出来る。

まず、「大阪クラシック」2016の他の会場で、「大植さん、ちょっと腹出たんちゃう?」と言われたという話から入る。白いジャケットを着た大植は、今は腹はへっこんでいるとポーズで示す。大阪クラシックの準備をしている時に、東欧のオーケストラから「指揮してくれ」と緊急の仕事が入り、飛行機で向かった時の機内食で食あたりを起こしてしまい、だが指揮はしなければいけないので腹に直接注射を打ち、その影響で腹が膨らんでしまったのだと語る。大植は「ということにしておいて下さい」と言うが「いや、本当です」とも続ける。簡単に思い浮かぶような話ではないのでおそらく本当なのだろう。
ただ大植さんも昨年に比べると少し太ったように思える。1956年生まれなので今年で還暦。広島交響楽団に客演した時には赤いちゃんちゃんこの代わりに広島東洋カープのキャップとビジターユニフォームをプレゼントされたことがわかっている。ただ指揮は還暦の人が行うにはかなりの重労働なので減量ばかりしていては体力が追いつかないだろう。

昨年は10周年ということで10年間を振り返った大植だが、今年はもう一度振り返っても意味がないので、マーラーの交響曲第1番「巨人」の楽曲解説を行う。ただ大植は説明を行うのが余り得意ではないようで結構脱線する。
マーラーの交響曲第1番「巨人」は当初は2部からなる交響詩として書かれたのだが(ここでリストが交響詩というものを作り、第1作は「前奏曲(レ・プレリュード)」という説明が入る)、その後何度かの校訂を経て楽譜を出版しようとしたところ、「『花の章』を抜いて、4楽章の交響曲ということにしてなら出版しても良いよ」と出版社の人間から冷たく言われたため、激怒して「花の章」を弟子にあげてしまい、結果としてオリジナルの譜面が行方不明になってしまう(その後、アメリカ・コネチカット州でオリジナルのスコアが見つかり、当時、ニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督だったレナード・バーンスタインが「何が何でも手に入れろ」と指示。結果的にはニューヨーク州が買い上げという形になったという。この説明が必要だったのかどうかは意見が分かれそうである)。
ジャン・パウルの小説「巨人」(原題は「TITAN」で、実際は大きな人ではなく、巨大神のことである。大植は「オーシャンズ12」という言い方をし、「映画のことだと思われるでしょうが元々はギリシャ神話に出てくる神々のこと」と語る)にインスパイアされたマーラーが交響曲第1番第1楽章で描いたのは実は天地創造だと説明する。冒頭の弦楽の音程を大植は歌い、クラリネットとフルートが出す音は実は「アーメン」と言っているのだそうである。その後の沸き上がるような音楽が天地創造で、やがてアルプスの豊かな自然の描写になり、エーデルワイスの花が咲く姿が描写されているそうである。そう言われて聴くとそんな感じがする。「アーメン」はそう聞こえなかったけれど。
マーラーの交響曲第1番の第1楽章と第2楽章は自然の描写であるが、第3楽章と第4楽章は人間ドラマ。第3楽章は狩人の亡骸を入れた棺を獣たちが担いでいるという戯画にインスピレーションを得て書かれたもので、人間の「死」が直視されているという。第4楽章は一転して「生」を描く。リストの交響詩「前奏曲」は「生とは死の前奏曲に過ぎない」という言葉を音楽化したものであるが、それだけに「生」が愛おしく感じる。「生」の素晴らしさが感じられる(実際に、交響詩「前奏曲」には凱歌の部分がある)。マーラーの交響曲第1番の第4楽章は「個人的な勝利」と解釈されることが多いが、本当はそうではなく、全人類への賛歌が込められていると大植は語る。
今日のコンサートマスターは田野倉雅秋。ドイツ式の原題配置での演奏である。ホルンは8人であるが、そのうち女性奏者が5人と過半数を占める。最近は良い女性ホルン奏者が増えているという話を聞いたことがあるが本当のようである。


マーラーを十八番としている大植だが、大阪フィルの音楽監督をしていた時もマーラーの交響曲全曲を取り上げているわけではなく、私が聴いたことがあるのは、交響曲第4番、交響曲第5番、交響曲第6番「悲劇的」(2度)、交響曲「大地の歌」、交響曲第9番の5曲。大植指揮と大フィルは交響曲第2番「復活」と交響曲第3番も演奏しているはずである(私は演奏会に参加せず)。「巨人」は大フィルとやったことがあるのかどうかは把握していない。


テンポ・ルバートを多用しているマーラーであるが、大植の指揮する「巨人」は緩急のメリハリを思いっきりつけた演奏である。急に溜めたり、極端にテンポを遅くしたり、かと思えばこれでもかとばかりに加速したりと、無手勝流に聞こえるが、おそらく譜面の指示から大きくはみ出した解釈ではないようである。
第1楽章ではチェロがポルタメントを掛ける。ザ・シンフォニーホールで聴いた上岡敏之指揮新日本フィルハーモニー交響楽団の「巨人」第1楽章でも同様の処理が行われており、おそらくそういう指示のある楽譜が存在するのだと思われる。上岡さんも大植さんもマーラーが指示していないことを勝手にやっているわけではないようだ。

第3楽章では、葬送行進曲(民謡「マルティン兄弟」のメロディーを転用。「マルティン兄弟」は日本では「グーチョキパーの歌」として知られている。ただ「グーチョキパーの歌」は長調であるが、第3楽章の葬送行進曲は短調なので印象はかなり異なる)を終えた後でテンポをぐっと落として哀感を強調。その後も緩急自在であり、「溜めるかな?」というところで流したり、突然に加速したりと先が読めない。

第3楽章が終わってから余り間を開けずにスタートした第4楽章ではラストに意外性がある。マーラーはラスト近くに「ホルン奏者全員立ち上がれ!」と書き込んでおり、視覚的なオーケストレーションが行われるのだが、今日はトランペット奏者一人も立ち上がる。そしてホルン奏者の一人はホルンではなくトロンボーンに持ち替えての起立演奏を行っている。初めて見る光景である。大植英次が勝手にスコアに手を加えたとは思えないので、そういう指示のなされた楽譜も存在するのだろう。

大阪フィルは技術が完璧とはいかないパートもあったが、白熱したマーラーを聴かせてくれる。ティンパニの超絶技巧も見事であった。

アンコール演奏。大植は指揮をコンサートマスターの田野倉雅秋に任せ、ステージを降りて、1階席、2階席、3階席の通路を歩いて回る。田野倉指揮の大阪フィルが奏でるのは去年と同様、山本直純の編曲による「日本の歌メドレー」(「夕焼け小焼け」、「七つの子」、「故郷」)、なお田野倉は「夕焼け小焼け」で指揮台を降りてしまい、指揮棒をフォアシュピーラーの男性(メンバー表がないため名前はわからない)に譲る。大植が客席に歌うよう促すのも去年と一緒である。私は歌ったが、今年のお客さんは去年のお客さんよりノリが悪いようで歌わない人も多く、歌声は去年ほど大きくはない。

ラストも去年同様、外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」より“八木節”。大植は背中に大阪市章である澪つくしの入った法被を着て指揮したり客席に手拍子を促したりしていた。

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