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2016年10月 7日 (金)

観劇感想精選(192) 「DISGRACED ディスグレイスト 恥辱」

2016年9月30日 西宮北口の兵庫芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後7時から西宮北口にある兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「ディスグレイスト 恥辱」を観る。1970年、アメリカ生まれの劇作家・脚本家であるアヤド・アフタルのピューリッツァー賞戯曲賞受賞作の舞台化。ニューヨークの高級アパートメントの一室を舞台に、宗教や人種差別などを主題とした硬派な演劇が展開される。このような硬派な作品はもっと体調の良いときに観たかったのだが仕方ない。こちらとしても全力を尽くすだけである。

作:アヤド・アフタル、テキスト日本語訳:小田島恒志&小田島則子、演出:栗山民也。出演:小日向文世、秋山菜津子、安田顕、小島聖、平埜生成(ひらの・きなり)。

作者のアヤド・アフタルはパキスタン系アメリカ人であり、イスラムの視点を取り入れて書かれている。
 

弁護士のアミール(小日向文世)をモデルに妻のエミリー(秋山菜津子)がベラスケスの「ファン・デ・パレーハ」をモチーフにした絵を描いている。ベラスケスが描いたファン・デ・パレーハはムーア人(アフリカ系ムスリム)である。エミリーは「ムーア人」と形容するものの、アミールは「奴隷だよ!」と楯突く。
アミールはパキスタン生まれなのであるが、現在では苗字も変え「英領インド出身」ということにしている。実際、アミールが生まれた時にはその場所は英領インドだったのだが、アミールが生まれた翌年にはイスラム教圏であるとしてインドより分離独立している。アミール自身も青年時代まではイスラム教の信徒として過ごしていたのだが、今は棄教している(ムスリムにとっては本来はイスラム棄教は「死に値すること」である)。

アミールは優秀な弁護士であるがユダヤ人弁護士二人が連名で運営する弁護士事務所の雇われであり、人種差別もあってうだつは上がらない。そこで同じ弁護士事務所に所属するジョリー(小島聖)と共に今の弁護士事務所から独立しようと考えている。

アミールの甥であるエイブ(平埜生成)がアミールのアパートメントを訪ねてくる。エイブは現役のイスラム教徒であり、彼が入れあげているイスラム教尊師がテロリストの容疑で逮捕されたのでアミールに弁護してくれるよう頼む。エイブは「おじさんこそが誰よりも尊師の立場を理解してくれる」というのだが、アミールは弁護をする気はない(結局は裁判には弁護士ではなく傍聴者の立場で出て、つい「イスラムだから」という理由を否定する発言を行ったための、イスラム側の弁護士と誤解されることになるのだが)。
ちなみにエイブは元の名をフセインといったのだが、サダム・フセインと重なるために改名している。ただアミールは「フセイン」と呼び続けている。

エミリーはWASPで、主婦業の傍ら画家としても活動している。知り合いでホイットニー美術館のキュレーターをしているユダヤ人のアイザック(安田顕。クラシック音楽に詳しい人はご存じだと思われるが「アイザック」というのはユダヤ人が好んで付けるファーストネームである)に作品を観て貰い、自作をホイットニー美術館に展示して貰うのが夢だ。
エミリーの作品はイスラム風の唐草模様(アラベスク)を効果的に取り入れたものである。エミリー自身はキリスト教徒であるが夫が元イスラム教徒ということもあり、イスラム教は信じないがイスラム芸術には興味があり、詳しい。そして「コーラン」に一番共鳴しているのも実はイスラム棄教のアミールではなくエミリーだ。

実はアイザックとジョリーは夫妻である。ある夜、夕食を共にしようとした4人は宗教観のことで揉め始める……。
私は宗教に関しては多少なりとも知識があるから良いが、基本的に無宗教の人が多い日本人にはピンとくるような題材ではない。ただ「異国の話だから」と放っておけるほど遠くの物語ではない。

*イスラム教(天使ガブリエルがムハンマドに命じて暗唱させた「コーラン」を聖典とする他、天使ガブリエルが登場するからも分かる通り、キリスト教の聖書も神聖視する。最初からキリスト教補完を目指した宗教である。唯一無二の神(アラー)を信じ、アラー以外の神を信じることは邪教として排するという性質を持つ。かつてはスペインとポルトガルを支配下に治めていたことがある。偶像崇拝は厳禁)

*キリスト教(神の子イエスを通じて神を信じる教え。ユダヤ教より派生。最初はユダヤ教を易化した民衆のための宗教として広まったが独自に発展。一神教とされるが、マザー・テレサが聖人に叙されたことから分かる通り聖人崇拝を行っており、一神教という捉え方は実際とは異なる。フランスのように聖母マリアを信仰の主対象とする国もある)

*ユダヤ教(厳格な戒律があり、それを行わなければならない。行為が上手くいかない時は再三再四に渡って検討を行う。当初はキリスト教を邪教として排除するも現在は異教徒に寛容)
などの宗教観が入り乱れ、潜在化された宗教的思想が表に出てしまって当事者がハッとするシーンもある。
      
ちなみにアメリカ・ユタ州を事実上支配下に入れているモルモン教(モルモン教こそが正統派のキリスト教だと自称するもカルト扱いではある。一夫多妻容認時代があるなどキリスト教のイメージからは離れたしきたりを有する)の話も出てくる。
2001年9月11日の同時多発テロ、フランスでのISのテロの話などが登場し、内容自体がホットである。
アイザックはシオニズムには反対であり、イスラエルを認めていないが、アミールの「『イスラエルなんて地中海に沈んでしまえ!』と言ったらどうする?」という発言に激怒する。
ジョリーは実は黒人であるが、小島聖は頭をカーリーヘアーのショートにして、化粧を濃くしているだけで黒人らしくはしていない。シェイクスピアのオセロ(ムーア人である)のように黒塗りにしたら却って変ではあるが。小島聖の演技は舞台に馴染んでいないように感じたが、黒人ということで意図的に浮くような演技をした可能性も高い。ジョリーは黒人であるためか、宗教に関する発言はするが(「フランスのテロリストを一方的になじることは出来ないがテロは支持しない」「コーランを憲法のように扱うのはおかしい」「ブルカは女性差別」など)他の人々に比べると信仰熱心な感じはしない。このジョリーの登場によりアミールは結果として道化師的立場に追い込まれることになる。

コーランには「絵と犬のいる家には幸いはやってこない」という文句がある。絵に関しては「偶像崇拝に繋がる」という理由が明確であるが、なぜ犬が駄目なのかは不明のようだ。宗教なので合理性はない。エミリーの作品についてアイザックはイスラムからの影響を指摘するが、エミリーはアラベスクに関しては「アルハンブラ宮殿にだってあるわ。それよりずっと前にも」とイスラムだけが特別であることを否定する。

イスラム棄教後もイスラムの精神からは完全に抜け出ていないアミールは9.11事件の際、WTCに聖戦を挑んだイスラムの若者を誇りに思ったと告白する。作者のアフタルの深層心理とも受け取れる。

その後も、コーランにある「妻が従わなかったら殴れ」というものが伏線になった出来事などが起こるのだが、最終的にアミールを押しつぶすのは資本主義である。対イスラムの構図は宗教同士ではなく、イスラム教対資本主義という捻れたものである。エイブは「アメリカ人達は世界を占領した。これは我々に取って恥辱だ!」と叫ぶが、アメリカ人が世界征服に動いたのはプロテスタントのためではなく資本的理由からである。そしてこれも資本的理由からなのだがアルカイダを結果としては生むことになってしまう。
アミールは自分が奴隷のムーア人と同じだということを受け入れざるを得ない。

出演者は全員日本人であるが、外見によって解釈が歪むということがないため却って作者の意図が通じやすいという結果になっている。

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