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2016年10月11日 (火)

コンサートの記(254) ラドミル・エリシュカ指揮 京都市交響楽団第606回定期演奏会

2016年10月7日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第606回定期演奏会を聴く。今日の指揮はチェコの名匠、ラドミル・エリシュカ。


1931年、チェコ生まれのエリシュカは、ブルノ音楽大学を卒業後、チェコ・ユースオーケストラなどの指揮者を経て、カルロヴィ・ヴァリ管弦楽団の音楽監督として1968年から1990年の長きに渡って活動するが、1978年からプラハ音楽大学の指揮科教授を務め、指揮者としてよりも指揮法伝授の教育者として名を挙げた。2001年から2013年まではチェコ・ドヴォルザーク協会の会長も務めている。
活動がチェコ国内、それも教育者としてのものがメインだったため、今でもエリシュカの名前は、チェコと日本でしか知られていない。

2004年に初来日。2006年に札幌交響楽団に客演したのがきっかけで日本で評判になる。日本国内では札幌交響楽団の首席客演指揮者に就任したのを始め、大阪センチュリー交響楽団(現・日本センチュリー交響楽団)、NHK交響楽団、読売日本交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団に客演。大阪フィルハーモニー交響楽団に4度客演しており、私は4度とも聴いている。関西では読売日本交響楽団を指揮した演奏会も大阪のザ・シンフォニーホールで聴いているがいずれも絶賛を博している。堅固な造形が特徴。


今日の演目は、スメタナの連作交響詩「我が祖国」より“モルダウ”、ドヴォルザークの交響的変奏曲、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」


今日は渡邊穣、泉原隆志ともに降り番で、元NHK交響楽団コンサートマスターの山口裕之が客演コンサートマスターを務める。フォアシュピーラーは尾﨑平。
山口裕之の演奏を聴くのは久しぶり。1990年代後半にNHK交響楽団の学生定期会員をしていた頃には良く聴いていた。当たり前だが、山口さんもすっかり老けた。

フルートには今日も客演首席として上野博昭が入る。管楽器の首席奏者はいずれも「新世界より」からの登場。


開演20分前からエリシュカによるプレトークがある(チェコ語通訳:プロハースカ尚子)。エリシュカは京都の街を「美しい」「真珠のようだ」と讃え、「私の住むプラハと京都が姉妹都市であることを誇りに思います」と続ける。「残念ながら私は日本語は喋ることが出来ませんので、ナオコに通訳して貰います」「この美しい真珠のような京都、その街には京都に匹敵するような美しい存在があります。京都市交響楽団です」「京都の街のオーケストラの指揮台に立てるというので、私はこの話を頂いた時に一も二もなく了承しました」「チェコの音楽にも二つの真珠があります(真珠に例えるのが好きなようである。もっとも元々の言葉が指すものは日本語の「真珠」ではない可能性もあるのだが)ドヴォルザークとスメタナです」

エリシュカが高齢かつプレトークに慣れていないということもあるのか、10分ほどで終了したが、エリシュカが下手袖に入ろうとする時に、京都市交響楽団のメンバーによるエリシュカを讃える拍手と歓声が聞こえる。京響の楽団員も、エリシュカのことがすっかり気に入ってしまったらしい。


スメタナの交響詩「モルダウ」。テンポは変えてくるが、基本的には少し速めの速度を採る。時折、不安定になることがあるが、語り上手な演奏である。
エリシュカは年齢もあって、指揮姿は俊敏ではないが、意図がはっきりとわかる指揮姿。拍を刻むよりも音型を示すことが多い。
「モルダウ」では京響が最強音を発したときに音がステージから散ってしまい、バランスにやや問題ありと言えそうだ。
京響の音は輝かしいが、エリシュカのスタイルにはやはり重厚な響きのある大阪フィルの方が合っているとも思う。


ドヴォルザークの交響的変奏曲。
エリシュカは京響から愛らしい音色を引き出す。ドヴォルザークのメロディには日本の童謡を思わせるようなものもあり、分かりやすい。エリシュカの本質を素手で捉えた強健な構成力を味わうことも出来た。


ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」
エリシュカ入魂の指揮と京響の機能美に唸らされる出来であった。
第1楽章は「まあまあ」というレベルであったが、第2楽章の仕上がりが殊の外良い。音色はガラス細工のように透明で繊細。エリシュカの歌も朗らか且つノスタルジックであり、遠くに残した青春の影を愛でるかのような印象を強く受ける。こういう演奏であれば、第4楽章に第2楽章メロディ(「家路」「遠き山に日は落ちて」などのタイトルでも知られる)が出てくる理由もよくわかるような気がする。「若き日」よりも「今」と思える様な気がするのだ。
第3楽章。テンポを動かすロマンティックな解釈。各楽器が痛切な音を響かせる。スケールは大きく、弦楽器も管楽器も思いっきり演奏しているがバランスは常に最上である。比較的オーケストラに任せることが多いエリシュカだが、トロンボーンの演奏には口に指を当てて「もっと抑えて」と何度も指示する。
第4楽章は光輝に満ちあふれた圧倒的な出来。各楽器もレベルが高く。クラリネット首席の小谷口直子はディミヌエンドがはっきりわかるようクッキリとした音色で吹く。ティンパニの中山航介の技術も見事であった。

終演後、割れんばかりの拍手にエリシュカは感慨深げ。そのせいもあってか各パートごとに奏者を立たせたのだが、ティンパニの中山航介と打楽器の宅間斉を立たせるのを忘れてしまい、二人には仕方がないのでトロンボーン奏者達が代わりに拍手を送った。
京響の奏者達も満面の笑みでエリシュカを讃える。良いコンサートであった。

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