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2016年10月の15件の記事

2016年10月28日 (金)

上白石萌音 「366日」 Short Version

上白石萌音公式チャンネルの映像。

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2016年10月25日 (火)

これまでに観た映画より(82) 「クヒオ大佐」

DVDで映画「クヒオ大佐」を観る。吉田大八監督作品。出演:堺雅人、松雪泰子、満島ひかり、中村優子、新井浩文、安藤サクラ、内野聖陽ほか。


実在の結婚詐欺師・クヒオ大佐(映画「カタクリ家の幸福」では忌野清志郎がクヒオ大佐をモデルにしたリチャード佐川を演じている)を主人公にしているがノンフィクションではなく、湾岸戦争の起こった1990年代初頭を舞台にしたオリジナルストーリーである。

現在、大河ドラマ「真田丸」で主演を張っている堺雅人がタイトルロールであるジョナサン・エリザベス・クヒオ大佐(勿論、偽名である)を演じている。内野聖陽や新井浩文など「真田丸」に出演している俳優も脇を固めており、堺雅人(「真田丸」で真田幸村役)と内野聖陽(同じく徳川家康役)とが直接対決するシーンがこの映画にはある。もっとも、直接対決とはいえ、リアルな設定のシーンで行われるわけではないわけだが。

二部構成であるが一部はかなり短く、第二部が本編となる。第一部の主演が内野聖陽である。

実在したクヒオ大佐は生まれつき鼻が高かったかもしくは整形といわれているが、この映画ではなぜ鼻が高いのかは触れられていない。鼻だけ高い顔も変だし、いつもアメリカ海軍パイロットの制服や軍服姿というのも妙なのであるが、なぜ女達がクヒオ大佐に惹かれるのか、その心理が描かれている。彼女達は騙されていると薄々感づいており、忠告もされながら愛してくれる人を求めてクヒオ大佐に靡いてしまうのである。

妙ちきりんなクヒオ大佐と彼に心傾く女達。その姿は愚かしいが、それ故に人間というものが愛おしく感じられる作品でもある。カオスな展開もあり、生まれついての詐欺師であるクヒオ大佐の妄想のシーンなども入り込んで、登場人物のみならず映画も変な出来で特段優れた作品ではないのだが、楽しめる仕上がりにはなっている。インテリ役が似合う堺雅人が、英語が出来ないのにアメリカ人であると嘘をついて窮地に陥る間抜けな詐欺師に扮し、イケイケ系やキャリアウーマン役の多い松雪泰子が奥手の女性を演じるなど、パブリックイメージとは真逆の役に臨んでいるのも面白い。

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2016年10月23日 (日)

権威とは

「権威」とは「勘違い」の別名である。

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2016年10月22日 (土)

コンサートの記(256) 井上道義指揮大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別演奏会2016

2016年10月16日 京都コンサートホールにて

午後3時から京都コンサートホールで大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別演奏会を聴く。指揮は大フィル首席指揮者の井上道義。

井上道義はプロフィールの末尾に、「自宅でアヒルを飼っている」というツッコミ希望のどうでもいい情報を載せていたのだが、今日配られた無料パンフレットには「自宅でアヒルを飼っていた」と過去形で書かれている。アヒルさんは旅立ってしまったらしい。


曲目は、前半がガーシュウィンのキューバ序曲と「ラプソディー・イン・ブルー」(ピアノ独奏:小曽根真)、後半がチャイコフスキーの交響曲第4番。

京都コンサートホールがオープンした時の京都市交響楽団の音楽監督であった井上道義。外連が大好きな人だが、今日も前半後半ともに楽団員がステージに出てくる前に京都コンサートホールの天井の照明が3階席後方からステージに向かって流れて見えるように(見方を変えるとステージ後ろから3階席に向かっての流れにもなる)明滅させるなど、普段の京都コンサートホールの演奏会とは違った雰囲気を作る。

今日の大阪フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスターは田野倉雅秋。エキストラを多く入れた大編成での演奏である。

井上道義は全曲ノンタクトで指揮。前半は指揮台を用いず、ステージ上に直接立って指揮した。


ガーシュウィンのキューバ序曲。リズムを強調することはなかったのでノリノリの演奏とはならなかったが、この曲の重層的構造をはっきりと聴衆に示す明快さが光る。
井上は左右にステップを踏むなど、「らしい」指揮である。
演奏終了の拍を振ると同時にターンして1階席の方を向くなど、サー・ロジャー・ノリントンのような外連も見せていた。
舞台下手サイドに陣取った打楽器陣の演奏も視覚的に楽しい。


「ラプソディー・イン・ブルー」。ピアノ独奏の小曽根真は何度もこの「ラプソディー・イン・ブルー」を演奏している。ジャズ・ピアニストだけに即興を交えながらの演奏。ラグタイムを入れたり、音に装飾を施したりする。
井上の指揮する大フィルもスケールの大きな演奏を繰り広げた。

小曽根真のアンコールはキューバの作曲家であるエルネスト・レクオーナ(Ernesto LECUONA)のピアノ曲「Gitanerias(ジプシー風)」を演奏する。異国情緒溢れる曲であり、小曽根の演奏にも冴えがあった。
「ラプソディー・イン・ブルー」演奏後も自分でピアノの蓋を閉じた小曽根だが、「Gitanerias」演奏終了後も自分で蓋を閉めて「もう演奏はありません」と示して笑いを誘う。


後半、チャイコフスキーの交響曲第4番。井上は胸ポケットにしまったチーフを赤から紺に変えて登場する。
チャイコフスキーの交響曲第4番は井上がガンを乗り越えて復帰したステージで大フィルと共に演奏した曲でもあり、その際にライブ・レコーディングが行われてEXTONから発売されており、優れた仕上がりを確認することが出来る。ちなみに私は同時期にパスカル・ロフェ指揮NHK交響楽団の演奏するチャイコフスキーの交響曲第4番を京都コンサートホールで聴いたため、「重複する」と思って井上復帰の演奏は聴いていない。

ホールが異なるため、井上の演奏も当然ながら変わる。第1楽章の序奏である運命主題は豪快に鳴らすが、その後はテンポを落として孤独感を強調するなどメリハリのはっきりした演奏である。井上はチャイコフスキーの嘆きを共感を持って表現するが、チャイコフスキーのオーバー気味の呻吟に井上の外連は良く乗る。

描写力に優れた演奏で、第1楽章、第2楽章ともに緩やかな場面では、凍てついた広大な大地を一人トボトボと歩いているような寄る辺なさが胸に染みる。

第3楽章の浮かんでは消えるようなピッチカートの波の表現も巧み。アタッカで突入した第4楽章では畳みかけるような演奏で、狂気すれすれの激しさを感じさせるがラストは狂気ではなく、ゴージャスな響きを築く。
大フィルは低弦がしっかりしていて音が分厚く、彩りも豊か。この十数年間でかなり成長していることがわかる。弱点だった金管も大幅にレベルアップ。ホルンも安定するようになった。


アンコールはまずチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」第2楽章より。弦の瑞々しさが印象的な演奏である。

ラストはルロイ・アンダーソンの「プリンク・プレンク・プランク」。井上は「アンダーソン!」と歌ったり、コントラバスの方を向いて禿頭を右手でなでながら指揮する(この時、コントラバス奏者は楽器を一回転させる)。頭をツルンとやる仕草に大フィルのコントラバス奏者は本気で笑っていた。

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2016年10月17日 (月)

これまでに観た映画より(81) 「おと・な・り」

レンタルDVDで日本映画「おと・な・り」を観る。2009年の作品。熊澤尚人監督作品。ジャニーズ事務所が制作に協力しており、エグゼクティブ・プロデューサーとしてSMAP解散騒動で有名になった藤島ジュリーK.の名がクレジットされている。出演:岡田准一、麻生久美子、谷村美月、岡田義徳、池内博之、市川実日子、郭智博、とよた真帆、森本レオ、平田満ほか。

物音や声、音楽などの聴覚による繋がりを描いた大人のためのファンタジーである。現実的には「絶対に」と断言しても良いほどあり得ない設定で描かれているのだが、深層やメタレベルで感じると微笑ましく思える秀作である。麻生久美子演じる登川七緒はシベリウスを聴き、物語の鍵となるはっぴいえんどの「風をあつめて」を歌詞を完全に記憶して歌えるなど、女性としては極度にスタイリッシュ、更にいうと「実在感が乏しい」のであるが、これは意図的に浮き世離れしたキャラクター造形がなされたものだと思われる。実際に劇中に「リアリティ」について問われる場面がある。

東京にある瀟洒だが古くて壁の薄いアパートが舞台。ファッション誌担当のカメラマンをしている野島聡(岡田准一)と花屋で働く登川七緒は隣人である。聡はフランス語の独習をしている七緒の声に、七緒は聡がコーヒー豆を挽く音に惹かれているのだが、二人とも手痛い失恋の経験があり、異性に対しては奥手で、お隣さんで且つ惹かれるものがあるのに顔を合わせようとはしない。また七緒は「風をあつめて」を好んで歌っており、聡の撮影事務所の同僚である平川由加里(市川実日子)から「鼻歌お姉さん」と呼ばれている。

聡はカリスマモデルで俳優のSHINGO(池内博之)のソロ写真集のカメラマンを務めたことで業界内で名を挙げるが、内心では風景写真家として成功することを望んでおり、ファッションモデルの撮影は意に染まぬ仕事で、カナダに渡って風景写真家としての足がかりを作る計画を立てていた。そんな折り、SHINGOが失踪する。SHINGOの彼女である関西弁の上田茜(谷村美月)はSHINGOがいると思って聡の部屋を訪ね、SHINGOがいないとわかっても「SHINGOを待つ」と言って聡の部屋に住み着いてしまう。

七緒は花屋で働きながらフラワーデザインの資格を取るべく勉強しており、また近くフランスに留学する予定でフランスの独習を続けている。基本的には善良な性格なのだが、プロ意識や美意識はかなり高い。
七緒がよく立ち寄るコンビニの店員、氷室(岡田義徳)が七緒に接近する。だが、氷室には恋心とは別の意図があった。

「音」に焦点を当ててリアルを逆照射する映画であり、現実的な意味での蓋然性に関しては意図的に下げられている。そのためファンタジーと捉えられるのであるが、夢だらけの物語ではなく、シリアスな要素も数多く取り入れられている。「音」に代表される間接描写が多く、使い方もお洒落且つ上手い。
設定に関してはリアリズムの手法は採られていないが、心の動きに描き方に関しては説得力があり、見応えのある映画であった。

1日に最低2本は映画を観るなど勉強家でストイックな岡田准一と、天才肌の女優である麻生久美子の組み合わせも実に良い。

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2016年10月16日 (日)

聴いたことはあるけれど、タイトルは知らないクラシック曲(3) ゴセック 「ガボット」

全音楽譜出版によるピアノバージョンの映像です。

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笑いの林(74) 「祇園ネタ」&吉本新喜劇「茂造のシークレット・オペレーション」2016年4月10日

2016年4月10日 よしもと祇園花月にて

午後3時30分から、よしもと祇園花月で、「祇園ネタ」と吉本新喜劇「茂造のシークレット・オペレーション」を観る。


開演まで時間が合ったので、八坂神社、円山公園、大谷祖廟を散歩して回る。花見のピークは過ぎたが、それでも円山公園内には「今が盛り」と咲き誇っている桜も何本かある。


「祇園ネタ」の出演者は、銀シャリ、桜 稲垣早希、ウーマンラッシュアワー、ファミリーレストラン、オール阪神巨人(登場順)

銀シャリは鰻和宏の「鰻」という苗字が珍しいという話に始まり、「重子」という女性と鰻は付き合っていたが、「将来を考えると無理」と結婚を拒否されたこと(鰻重子になるため)。橋本が最近太ってきたのでスポーツをやりたいというと、鰻がゴルフのスイングをしながら「テニス」と言葉を発したりする。鰻が錦織圭のことを「ニシコリコリ選手」と「歯ごたえのありそうな」(橋本談)名前に変えてしまう。それから鰻が諺を間違って覚えているというので、「一万去ってまた一万」、「壁にニス貼り障子にメリハリ」、「三度目の掃除機」、「仏の顔も三秒まで」と言って、それぞれ「パチンコ2万負けた」、「大工か? 職人か?」、「そんだけ買い換えてたら今ダイソンぐらいになってるわ」、「めっちゃキレてるやん!」と突っ込まれる。
 

桜 稲垣早希。今日もアスカのコスプレで「あんたバカぁ~?!」をやる。先週の朝日劇場の公演では16人しかお客がいなかったが、今日は花見のピークも過ぎたということもあって祇園花月は客の入りは良い。
「あたし、キムタクとか福山(雅治)とか無理やねん」、「あんたバカぁ~?! 向こうはもっと無理よ!」
「算数の問題でも、『ヒトシ君は時速75mで家を出ました(えらく歩くのが遅いな)。10分後、弟のタダシ君が時速100mで忘れ物を届けに出発しました』。あんたバカぁ~?! 兄弟なら二人仲良く出掛けなさいよ! 弟に何かあっただどう責任とるのよ!」
「あたしエヴァンゲリオン知ってるから→「当たりが出ると『残酷な天使のテーゼ』が流れるやつでしょ!」「あんたバカぁ~?! それはパチンコエヴァンゲリオンよ。アスカとレイの水泳対決なんてアニメ本編には出てきませんから」
ボンバーマンが四方爆弾に囲まれて「あんたバカぁ~?!」。絵だけで続くLINEにも「あんたバカぁ~?!」、「ちゃんと言葉を交わしなさい」と早希ちゃん。
「海外旅行にいった女子がお土産に買ってくるもの」は「大体、ロクシタンのハンドクリーム」だそうで、「あんたバカぁ~?! そんなに手ばかり荒れないわよ」
「自分探しのためにインドに出掛けた旅行者」→「(いかにもバックパッカー風の絵が出てきて)みんなおんなじ格好になってるじゃないのよ。自分探しのためにインドまで行ったんじゃないの? あんたバカぁ~?! それからお風呂にはちゃんと入りなさい」
ちなみに旅館のシャンプーは全て馬油シャンプーだそうである。私が泊まったホテルで馬油シャンプーを見たことはないが、旅館とホテルなので違うのだろう。
ぶりっ子のバカ。「キャー、虫背中、取って取ってキャー」、「前髪切り過ぎちゃった」、「前髪2cmも切ったんだよ気づかないの?」、「あのバンドメジャーになってからなんかちゃうなー」、「へくちょん(クシャミ)」、「レモン搾っちゃいますね」、「野菜取り分けちゃいますね」、「わー、こういうパスタ食べたかったんだー。(写メでパシャパシャと写真を撮って)、ってこれ全部私じゃないのよー。私バカぁ~?!」で終わる。


ウーマンラッシュアワー。嫌われ芸人として定着した村本大輔がとにかく喋る。NSC出身だが、NSCは全員が卒業できるわけではなく(実は早希ちゃんも女性タレントコースではあるが増田倫子さんと組んで首席で出ている)、厳しい。卒業できた人の中でも全員がお笑いの仕事をやれるわけではない。様々なコンクールにノミネートして勝ち上ある必要がある。だが、全員が勝ち上がれるわけではない。決勝戦まで勝ち残っても優勝出来るわけではない。だが、優勝経験のある漫才コンビが今ここにいます。とさりげなく自慢。
台詞の大半は村本が書いて喋っているため、中川パラダイスはほとんど話すことがない。そこで、村本は「仕事は9対1で僕がやってますが、ギャラは二人とも同じだけ貰えます。紹介します(中川の肩に手をやって)吉本の佐村河内です」と勝手に中川を紹介してしまう。

ちなみに村本は福井県立小浜水産高校(現在は統廃合により廃校)中退であるが、今日は「水産高校あるある」をやる。「足し算も引き算も掛け算も割り算も出来ないが、魚編の漢字は山ほど書ける生徒達」、「修学旅行は船に乗って沖に出るだけ」だそうである。


滋賀県住みます芸人でもあるファミリーレストラン。
下林が、「滋賀県にもUSJみたいな施設が欲しいね」と言うと、原田が「あるで、KNM」と答える。KNMは「甲賀忍術村」(余談だが私は行ったことがある)の略だそうで、下林に「そんな略し方あるか!」と突っ込まれる。原田は更に「NSCもある」というが、「南郷水産センター」の略であった。
戦隊ものをやることになり、下林が怪獣を演じ、原田が琵琶湖5という正義の戦隊を一人で演じるのだが、戦士の名前が「赤こんにゃくレッド」だったり、「守山メロングリーン」だったり、「近江米ホワイト」だったり一々滋賀県の名産品の名前に掛かっている。「信楽焼の狸ブラウン」、「鮒寿司ホワイト」(ホワイト被り)、最後は「バスブラック(下林にブラックバスやろと突っ込まれる)」や「ブルーギル」という外来有害魚まで現れてしまう。ファイブと言いながらそれ以上出てくる。
ただ代表して戦うのは何故か「ひこにゃん」である。

滋賀県には「武将と言えば三成」がありますのでね。


オール阪神巨人。お爺ちゃんお婆ちゃんの前で漫才をすることがあるのだが、見ていてみんな震えているのか笑っているのかわからないそうである。後で確認したところ、「震えながら笑っていた」そうである。お年寄りは冗談をすぐに本気にするそうで、巨人は「阪神の身長は1mありません」と冗談をいうと、「ほんまか?」「そうは見えんな?」とギャグだと思って貰えず笑いが取れないそうだ。巨人が阪神のことを「息子です」と冗談で紹介したところ、「立派なお子さんで」と真顔で返されたこともあるという。
中盤に差し掛かったところで、阪神が「これから先もうネタないぜえ。ワイルドだろう」と言い、スギちゃんのネタまんまだというので、「煙草はキャビンだぜ、マイルドだろう」と言うが、巨人は「お前はワイルドでもマイルドでもないチャイルドだ」と言い放ち、阪神は、「この間、小学5年生とケンカしたぜえ、負けたぜえ、チャイルドだろう」というネタをやった。
その後、阪神が巨人の物真似で、「阪神君、最後のネタいまいちだったな、ハッハー!」とやったため、巨人が阪神に「お前一人で巨人阪神出来るんちゃうかと言い、阪神が一人二役で巨人阪神をやるが日常会話しかしないため、「受けんやないか!」と怒る。
阪神は何度も結婚と離婚を繰り返しているが、子供がようやく出来たという。巨人も休日に阪神の子供と遊ぶのだが、阪神の子供は巨人によくなついているそうで、巨人は「子供ながらによくわかってるんやなあ。本当の父親が誰か」と言って阪神に怒られる。



吉本新喜劇「茂造のシークレット・オペレーション」。出演:辻本茂雄(座長)、桑原和男、伊賀健二、平山昌雄、タックルながい。、森田展義、新名徹郎、ヒロト、石橋洋貴(いしばし・ひろき)、もりすけ、島田珠代、たかおみゆき、五十嵐サキ、鮫島幸恵(さめじま・ゆきえ)、松村恵美、松浦景子。

「旅館ぎをん」が舞台。旅館の主である森田展義と女将のサキ。茂造が新たにアルバイト従業員として勤務している。
漁に出たまま行方不明になっていた伊賀健二が14年ぶりに発見され、「旅館ぎをん」を訪れることになった。実は14年前にはサキは健二と恋仲であり、本来なら健二とサキが結婚するたずだったのだが、健二が行方不明になってしまったため、健二の親友であった展義がサキを引き取ることになったのだ。そうした事情を健二は知らない。健二は例によって「横顔、新幹線やん!」といじられる。

桑原物産の社長を名乗る桑原和子(桑原和男)、そしてその手下のチンピラ、平山昌雄が旅館ぎをんに乗り込んでくる。だが、漁師をやっていて肉体が頑健な健二は撃退に成功する。

そして、展義とサキの一人娘である景子の父親が実は展義ではなく健二らしいということも判明して……。

一方、景子の親友である幸恵が両親の離婚問題に苦しんでいた。父親のもりすけはロマンスグレーの髪をしているが実はそれはカツラでハゲ、母親のみゆきは「トリカブトが語源の言葉」であり、茂造に、「こんなハ○とブ○から、どうしてこんな可愛い子(幸恵)が生まれるんだろう」と言うが、実は今日はハゲのカツラを被って登場した珠代が幸恵の姉であるとわかり、「悪いとこ(珠代が)全部持って行ってくれた」と納得する。

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2016年10月12日 (水)

コンサートの記(255) マリインスキー・オペラ「エフゲニー・オネーギン」2016京都

2016年10月8日 ロームシアター京都メインホールにて

午後2時からロームシアター京都メインホールで、マリインスキー・オペラ「エフゲニー・オネーギン」を観る。作曲&台本:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー、台本:チャイコフスキー&コンスタンチン・シロフスキー。

サンクトペテルブルク・マリインスキー劇場(マリインスキー歌劇場、マリインスキー・オペラ)の引っ越し公演である。ロームシアター京都に海外のオペラ上演団体が来るのはこれが初めてとなる。
指揮はマリインスキー劇場芸術総監督のワレリー・ゲルギエフ。オーケストラはサンクトペテルブルク・マリインスキー歌劇場管弦楽団。演出はアレクセイ・ステパニュクが2014年にマリインスキー劇場と中国国家大劇院との共同制作時に行った演出プランを踏襲する。ロシア語歌唱・日本語字幕付き上演。

出演:スヴェトラーナ・フォルコヴァ(ラーリナ夫人)、マリア・バヤンキナ(タチヤーナ)、エカテリーナ・セルゲイコワ(オルガ)、エレーナ・ヴィトマン(フィリーピエヴナ)、アレクセイ・マルコフ(エフゲニー・オネーギン)、エフゲニー・アフメドフ(レンスキー)、エドワルド・ツァンガ(グレーミン公爵)、ユーリー・ブラソフ(中隊長)、アレクサンドル・ゲラシモフ(ザレツキー)、アレクサンドル・トロフィモフ(トリケ)。オール・ラッシャー・キャストである。

合唱はマリインスキー歌劇場合唱団。


プーシキンの韻文小説をチャイコフスキー自身とコンスタンチン・シロフスキーによって台本化した歌劇の上演。出てくる男達はかなり女々しい部分を持っているのだが、チャイコフスキーが台本を手掛けたことと関係があるのかどうかは不明。

今日は4階席での鑑賞となったが、音は予想よりもずっと良い。4階ということもあってオーケストラは管が勝って聞こえるが、歌手達の声はとても良く通る。オペラ劇場としては音響設計が優秀であることは間違いないだろう。
一方で、ロームシアター京都メインホールの使い勝手の悪さも実感する。敷地面積の狭いところに建てたため、ホワイエも階段も狭い。特に階段は他人とすれ違うのがやっとという狭さ。終演後は階段を2列で降りるしかない。4階にはホワイエはなく、4階席は左右1本ずつの階段(鍵の手に曲がっているため、4階ホール内では左右といってもほぼ隣接状態)で3階ホワイエと通じているだけ。エレベーターで登れるのは3階までである。
飲み物・軽食販売所は2階と3階にあるが大混雑。今日は使わなかったからいいけれど。ホワイエが狭いため、受付の場所が確保出来なかったということはある。自動販売機は劇場内にはないので、一度ホールを出て、ロームシアター京都1階にある自販機コーナーに行く必要がある。大した手間ではないので「取り敢えず何か飲めれば」という人は何分も待つより自販機で買った方が精神的にも良いだろう。

音は合格点だが、ハレの場として相応しいかというと答えは必ずしもイエスではないと思う。


ロシアの片田舎で暮らす地主のラーリナ夫人と夫人の二人の娘(タチヤーナとオルガ)の下に、オルガの恋人であるレンスキーがエフゲニー・オネーギンという青年を連れてきたことから起こる恋愛ドラマである。
出来れば事前に映像で予習したかったのだが、注文した日本語字幕付きのDVDは輸入盤ということもあって今に至るまで届いていない。そこでいきなり本番勝負ということになる。ただストーリーは比較的単純であるため、内容把握にはなんら問題はなかった。

ゲルギエフの指揮するサンクトペテルブルク・マリインスキー歌劇場管弦楽団は立体感のある音楽を生み出す。ゲルギエフの神経は細部に渡るまで行き届いており、音はまろやかでしなやか。
昨日、京都市交響楽団の名演を聴いたばかりだが、マリインスキー歌劇場管弦楽団のようなまろやかでしなやかな音は残念ながら日本のオーケストラにはまだ出せないものだと思う。
サンクトペテルブルク・マリインスキー歌劇場管弦楽団も他のオペラハウス座付きのオーケストラ同様、以前は腕の立つ楽団ではなかったのだが、30年近くにわたってゲルギエフに鍛えられて演奏能力を大幅に向上させることに成功している。

アレクセイ・ステパニュクの演出は映像にインスパイアされたもの。特にエフゲニー・オネーギンが闇へと引き込まれるラストシーンはかなり映画的である。また第2幕や第3幕の導入部にストップモーションの効果(出演者の全員ないし数人が動きを止めている)や第3幕で延々と下手から上手へと移動し続ける舞踏会のカップル達の列、コケティッシュな人形のような動きを続ける女性陣などが、あたかも夢幻世界へと迷い込んでしまったかのような不思議な味わいを生んでいる。
アンドレイ・トロフィモフ演じるフランス人家庭教師・トリケは映画「アマデウス」に登場するようなモーツァルトのような格好で登場。カツラも付けている。異質なものの混入によるコミックリリーフの役割を受け持っていた。

音楽が始まってしばらくするとマリア・バヤンキナ演じるタチヤーナが喪服のようなものを着て現れ、黒い幕の前を下手から上手にゆっくり歩き、上手の窓の下に置かれた林檎(だと思われる遠いので判然とはしなかった。第1幕の舞台は林檎荘園という設定なのでその可能性は高い)を手にしてから上手に退場する。このタチヤーナの下手から上手への移動はその後何度も繰り返される。
「エフゲニー・オネーギン」は、最初は見下していた相手が自分を凌ぐようになるという展開があり、チェーホフの戯曲に通じるところある。あたかも辺境の国と馬鹿にされていたロシアがその後、世界有数の大国となる様が重ねられているかのようだ。


総合して考えると、日本のオペラで一番遅れているのは実は演出なのではないかという答えが出る。オペラの場合、演出家一人いれば何とかなるというものではなく、総合力が鍵になってくるからである。西洋のオペラは突飛な演出も多いが、小手先の演出力で勝負しているわけではなく国の文化水準を反映したものになる可能性が高い。

マリインスキー・オペラ「エフゲニー・オネーギン」

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2016年10月11日 (火)

コンサートの記(254) ラドミル・エリシュカ指揮 京都市交響楽団第606回定期演奏会

2016年10月7日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第606回定期演奏会を聴く。今日の指揮はチェコの名匠、ラドミル・エリシュカ。


1931年、チェコ生まれのエリシュカは、ブルノ音楽大学を卒業後、チェコ・ユースオーケストラなどの指揮者を経て、カルロヴィ・ヴァリ管弦楽団の音楽監督として1968年から1990年の長きに渡って活動するが、1978年からプラハ音楽大学の指揮科教授を務め、指揮者としてよりも指揮法伝授の教育者として名を挙げた。2001年から2013年まではチェコ・ドヴォルザーク協会の会長も務めている。
活動がチェコ国内、それも教育者としてのものがメインだったため、今でもエリシュカの名前は、チェコと日本でしか知られていない。

2004年に初来日。2006年に札幌交響楽団に客演したのがきっかけで日本で評判になる。日本国内では札幌交響楽団の首席客演指揮者に就任したのを始め、大阪センチュリー交響楽団(現・日本センチュリー交響楽団)、NHK交響楽団、読売日本交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団に客演。大阪フィルハーモニー交響楽団に4度客演しており、私は4度とも聴いている。関西では読売日本交響楽団を指揮した演奏会も大阪のザ・シンフォニーホールで聴いているがいずれも絶賛を博している。堅固な造形が特徴。


今日の演目は、スメタナの連作交響詩「我が祖国」より“モルダウ”、ドヴォルザークの交響的変奏曲、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」


今日は渡邊穣、泉原隆志ともに降り番で、元NHK交響楽団コンサートマスターの山口裕之が客演コンサートマスターを務める。フォアシュピーラーは尾﨑平。
山口裕之の演奏を聴くのは久しぶり。1990年代後半にNHK交響楽団の学生定期会員をしていた頃には良く聴いていた。当たり前だが、山口さんもすっかり老けた。

フルートには今日も客演首席として上野博昭が入る。管楽器の首席奏者はいずれも「新世界より」からの登場。


開演20分前からエリシュカによるプレトークがある(チェコ語通訳:プロハースカ尚子)。エリシュカは京都の街を「美しい」「真珠のようだ」と讃え、「私の住むプラハと京都が姉妹都市であることを誇りに思います」と続ける。「残念ながら私は日本語は喋ることが出来ませんので、ナオコに通訳して貰います」「この美しい真珠のような京都、その街には京都に匹敵するような美しい存在があります。京都市交響楽団です」「京都の街のオーケストラの指揮台に立てるというので、私はこの話を頂いた時に一も二もなく了承しました」「チェコの音楽にも二つの真珠があります(真珠に例えるのが好きなようである。もっとも元々の言葉が指すものは日本語の「真珠」ではない可能性もあるのだが)ドヴォルザークとスメタナです」

エリシュカが高齢かつプレトークに慣れていないということもあるのか、10分ほどで終了したが、エリシュカが下手袖に入ろうとする時に、京都市交響楽団のメンバーによるエリシュカを讃える拍手と歓声が聞こえる。京響の楽団員も、エリシュカのことがすっかり気に入ってしまったらしい。


スメタナの交響詩「モルダウ」。テンポは変えてくるが、基本的には少し速めの速度を採る。時折、不安定になることがあるが、語り上手な演奏である。
エリシュカは年齢もあって、指揮姿は俊敏ではないが、意図がはっきりとわかる指揮姿。拍を刻むよりも音型を示すことが多い。
「モルダウ」では京響が最強音を発したときに音がステージから散ってしまい、バランスにやや問題ありと言えそうだ。
京響の音は輝かしいが、エリシュカのスタイルにはやはり重厚な響きのある大阪フィルの方が合っているとも思う。


ドヴォルザークの交響的変奏曲。
エリシュカは京響から愛らしい音色を引き出す。ドヴォルザークのメロディには日本の童謡を思わせるようなものもあり、分かりやすい。エリシュカの本質を素手で捉えた強健な構成力を味わうことも出来た。


ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」
エリシュカ入魂の指揮と京響の機能美に唸らされる出来であった。
第1楽章は「まあまあ」というレベルであったが、第2楽章の仕上がりが殊の外良い。音色はガラス細工のように透明で繊細。エリシュカの歌も朗らか且つノスタルジックであり、遠くに残した青春の影を愛でるかのような印象を強く受ける。こういう演奏であれば、第4楽章に第2楽章メロディ(「家路」「遠き山に日は落ちて」などのタイトルでも知られる)が出てくる理由もよくわかるような気がする。「若き日」よりも「今」と思える様な気がするのだ。
第3楽章。テンポを動かすロマンティックな解釈。各楽器が痛切な音を響かせる。スケールは大きく、弦楽器も管楽器も思いっきり演奏しているがバランスは常に最上である。比較的オーケストラに任せることが多いエリシュカだが、トロンボーンの演奏には口に指を当てて「もっと抑えて」と何度も指示する。
第4楽章は光輝に満ちあふれた圧倒的な出来。各楽器もレベルが高く。クラリネット首席の小谷口直子はディミヌエンドがはっきりわかるようクッキリとした音色で吹く。ティンパニの中山航介の技術も見事であった。

終演後、割れんばかりの拍手にエリシュカは感慨深げ。そのせいもあってか各パートごとに奏者を立たせたのだが、ティンパニの中山航介と打楽器の宅間斉を立たせるのを忘れてしまい、二人には仕方がないのでトロンボーン奏者達が代わりに拍手を送った。
京響の奏者達も満面の笑みでエリシュカを讃える。良いコンサートであった。

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2016年10月10日 (月)

アントン・カラス(ツィター) 映画「第三の男」ハイライト

史上屈指の名画「第三の男」のハイライト映像。音楽はオーストリアの民族楽器ツィターの演奏家にして作曲家であるアントン・カラスによる「第三の男のテーマ(ハリー・ライムのテーマ)」。日本ではヱビスビールの音楽として知られています。

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2016年10月 7日 (金)

観劇感想精選(192) 「DISGRACED ディスグレイスト 恥辱」

2016年9月30日 西宮北口の兵庫芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後7時から西宮北口にある兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「ディスグレイスト 恥辱」を観る。1970年、アメリカ生まれの劇作家・脚本家であるアヤド・アフタルのピューリッツァー賞戯曲賞受賞作の舞台化。ニューヨークの高級アパートメントの一室を舞台に、宗教や人種差別などを主題とした硬派な演劇が展開される。このような硬派な作品はもっと体調の良いときに観たかったのだが仕方ない。こちらとしても全力を尽くすだけである。

作:アヤド・アフタル、テキスト日本語訳:小田島恒志&小田島則子、演出:栗山民也。出演:小日向文世、秋山菜津子、安田顕、小島聖、平埜生成(ひらの・きなり)。

作者のアヤド・アフタルはパキスタン系アメリカ人であり、イスラムの視点を取り入れて書かれている。
 

弁護士のアミール(小日向文世)をモデルに妻のエミリー(秋山菜津子)がベラスケスの「ファン・デ・パレーハ」をモチーフにした絵を描いている。ベラスケスが描いたファン・デ・パレーハはムーア人(アフリカ系ムスリム)である。エミリーは「ムーア人」と形容するものの、アミールは「奴隷だよ!」と楯突く。
アミールはパキスタン生まれなのであるが、現在では苗字も変え「英領インド出身」ということにしている。実際、アミールが生まれた時にはその場所は英領インドだったのだが、アミールが生まれた翌年にはイスラム教圏であるとしてインドより分離独立している。アミール自身も青年時代まではイスラム教の信徒として過ごしていたのだが、今は棄教している(ムスリムにとっては本来はイスラム棄教は「死に値すること」である)。

アミールは優秀な弁護士であるがユダヤ人弁護士二人が連名で運営する弁護士事務所の雇われであり、人種差別もあってうだつは上がらない。そこで同じ弁護士事務所に所属するジョリー(小島聖)と共に今の弁護士事務所から独立しようと考えている。

アミールの甥であるエイブ(平埜生成)がアミールのアパートメントを訪ねてくる。エイブは現役のイスラム教徒であり、彼が入れあげているイスラム教尊師がテロリストの容疑で逮捕されたのでアミールに弁護してくれるよう頼む。エイブは「おじさんこそが誰よりも尊師の立場を理解してくれる」というのだが、アミールは弁護をする気はない(結局は裁判には弁護士ではなく傍聴者の立場で出て、つい「イスラムだから」という理由を否定する発言を行ったための、イスラム側の弁護士と誤解されることになるのだが)。
ちなみにエイブは元の名をフセインといったのだが、サダム・フセインと重なるために改名している。ただアミールは「フセイン」と呼び続けている。

エミリーはWASPで、主婦業の傍ら画家としても活動している。知り合いでホイットニー美術館のキュレーターをしているユダヤ人のアイザック(安田顕。クラシック音楽に詳しい人はご存じだと思われるが「アイザック」というのはユダヤ人が好んで付けるファーストネームである)に作品を観て貰い、自作をホイットニー美術館に展示して貰うのが夢だ。
エミリーの作品はイスラム風の唐草模様(アラベスク)を効果的に取り入れたものである。エミリー自身はキリスト教徒であるが夫が元イスラム教徒ということもあり、イスラム教は信じないがイスラム芸術には興味があり、詳しい。そして「コーラン」に一番共鳴しているのも実はイスラム棄教のアミールではなくエミリーだ。

実はアイザックとジョリーは夫妻である。ある夜、夕食を共にしようとした4人は宗教観のことで揉め始める……。
私は宗教に関しては多少なりとも知識があるから良いが、基本的に無宗教の人が多い日本人にはピンとくるような題材ではない。ただ「異国の話だから」と放っておけるほど遠くの物語ではない。

*イスラム教(天使ガブリエルがムハンマドに命じて暗唱させた「コーラン」を聖典とする他、天使ガブリエルが登場するからも分かる通り、キリスト教の聖書も神聖視する。最初からキリスト教補完を目指した宗教である。唯一無二の神(アラー)を信じ、アラー以外の神を信じることは邪教として排するという性質を持つ。かつてはスペインとポルトガルを支配下に治めていたことがある。偶像崇拝は厳禁)

*キリスト教(神の子イエスを通じて神を信じる教え。ユダヤ教より派生。最初はユダヤ教を易化した民衆のための宗教として広まったが独自に発展。一神教とされるが、マザー・テレサが聖人に叙されたことから分かる通り聖人崇拝を行っており、一神教という捉え方は実際とは異なる。フランスのように聖母マリアを信仰の主対象とする国もある)

*ユダヤ教(厳格な戒律があり、それを行わなければならない。行為が上手くいかない時は再三再四に渡って検討を行う。当初はキリスト教を邪教として排除するも現在は異教徒に寛容)
などの宗教観が入り乱れ、潜在化された宗教的思想が表に出てしまって当事者がハッとするシーンもある。
      
ちなみにアメリカ・ユタ州を事実上支配下に入れているモルモン教(モルモン教こそが正統派のキリスト教だと自称するもカルト扱いではある。一夫多妻容認時代があるなどキリスト教のイメージからは離れたしきたりを有する)の話も出てくる。
2001年9月11日の同時多発テロ、フランスでのISのテロの話などが登場し、内容自体がホットである。
アイザックはシオニズムには反対であり、イスラエルを認めていないが、アミールの「『イスラエルなんて地中海に沈んでしまえ!』と言ったらどうする?」という発言に激怒する。
ジョリーは実は黒人であるが、小島聖は頭をカーリーヘアーのショートにして、化粧を濃くしているだけで黒人らしくはしていない。シェイクスピアのオセロ(ムーア人である)のように黒塗りにしたら却って変ではあるが。小島聖の演技は舞台に馴染んでいないように感じたが、黒人ということで意図的に浮くような演技をした可能性も高い。ジョリーは黒人であるためか、宗教に関する発言はするが(「フランスのテロリストを一方的になじることは出来ないがテロは支持しない」「コーランを憲法のように扱うのはおかしい」「ブルカは女性差別」など)他の人々に比べると信仰熱心な感じはしない。このジョリーの登場によりアミールは結果として道化師的立場に追い込まれることになる。

コーランには「絵と犬のいる家には幸いはやってこない」という文句がある。絵に関しては「偶像崇拝に繋がる」という理由が明確であるが、なぜ犬が駄目なのかは不明のようだ。宗教なので合理性はない。エミリーの作品についてアイザックはイスラムからの影響を指摘するが、エミリーはアラベスクに関しては「アルハンブラ宮殿にだってあるわ。それよりずっと前にも」とイスラムだけが特別であることを否定する。

イスラム棄教後もイスラムの精神からは完全に抜け出ていないアミールは9.11事件の際、WTCに聖戦を挑んだイスラムの若者を誇りに思ったと告白する。作者のアフタルの深層心理とも受け取れる。

その後も、コーランにある「妻が従わなかったら殴れ」というものが伏線になった出来事などが起こるのだが、最終的にアミールを押しつぶすのは資本主義である。対イスラムの構図は宗教同士ではなく、イスラム教対資本主義という捻れたものである。エイブは「アメリカ人達は世界を占領した。これは我々に取って恥辱だ!」と叫ぶが、アメリカ人が世界征服に動いたのはプロテスタントのためではなく資本的理由からである。そしてこれも資本的理由からなのだがアルカイダを結果としては生むことになってしまう。
アミールは自分が奴隷のムーア人と同じだということを受け入れざるを得ない。

出演者は全員日本人であるが、外見によって解釈が歪むということがないため却って作者の意図が通じやすいという結果になっている。

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2016年10月 5日 (水)

観劇感想精選(191) 井上芳雄による「夜と霧」~苦しみの果て、それでも人生に然りと云う~

2016年9月7日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて観劇

午後3時から、左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールで、井上芳雄による「夜と霧」~苦しみの果て、それでも人生に然りと云う~を観る。ミュージカルのトップスター、井上芳雄による朗読劇。ラストに歌のシーンも用意されている。音楽:宮川彬良、ヴァイオリン演奏:廣川抄子、アコーディオン演奏:大田智美。
アウシュビッツ強制収容所から帰還した精神科医・心理学者ヴィクトール・E・フランクルの体験記で、ロングベストセラーとしても知られる『夜と霧』のテキストを再構成してリーディングの公演を行う。上演台本&演出:笹部博司。
新潟市にある劇場・りゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)の制作。


井上芳雄は数年前にロームシアター京都のすぐそばにある黒谷こと金戒光明寺で朗読劇「沖田総司」を上演しているが、その時は殺陣なども入る活劇であった。今回はシリアスな心理劇である。


舞台後方の幕に映像が投影される他は、井上が台本を置く証言台のような装置があるだけでセットらしいセットは組まれていない。

今日は上手バルコニー席での観劇。ヴァイオリンとアコーディオンは舞台上手端で演奏するため、上手バルコニー席からだと姿が見えない。音楽の演奏が始まってしばらくすると、真正面の下手バルコニー席に井上芳雄が現れ、ホール内にある階段を下りて客席内をゆっくり歩いた後、ステージに上る。井上芳雄は無表情で虚ろな雰囲気をたたえている。
証言台に立ち、自分について話し始めるのだが、あたかも他人事のように淡々とした語り口である。ここから徐々に感情を高めていくことになる。

精神科医によるアウシュビッツの回想ということになるのだが、アウシュビッツでは医師らしい仕事は最後の数週間を除いてしていないので、医師ではなくただの一個人のアウシュビッツでの体験談として聞いて欲しいと井上芳雄演じるフランクルはまず語りかける。アウシュビッツに着くと持っているものは全て取り上げられ、名前も失い、番号で呼ばれるようになるという。
ユダヤ人80名を2両にギチギチに詰め込んだ列車がアウシュビッツの駅に着くところから話は始まる。彼らはアウシュビッツの名を知っていた。そこから連想される言葉は「ガス室」、「虐殺」など。
ゲートを潜ると、ハンサムな突撃隊高級将校が待ち構えている。彼の前を通る時に、人々は彼の人差し指によって左もしくは右を指される。フランクルはのちに知るのだが、これが最初の関門であった。フランクルと反対方向を示された友人の行方を人に訪ねたところ、空を指さされた。煙突から煙が出ている。友人はすでに殺されていたのだ。
寒いアウシュビッツ。苦役で凍傷になるものも出るが、凍傷になった足の指をピンセントで引っこ抜くという非人間的行為が行われている。
フランクルも最初のうちは、強制労働で働かされている仲間を見て心が痛んだが、次第に何も感じなくなってしまう。そのことに恐れを抱くフランクル。

だが、フランクルはどんな厳しい環境にあっても妻の顔を思い出すと、夢の境地に浸ることが出来た。多くの詩人が書いた「愛の至福」を実感出来たのだ。
収容所に入って二日目、フランクルはヴァイオリンが奏でるもの悲しいタンゴの旋律を耳にする。そのタンゴは妻と重なり、フランクルの頭の中で鳴り続ける。

強制収容所で出会った一人の少女は、「運命に感謝しています。だって私をこんな酷い目に遭わせてくれたんですもの」と言う。「悲しみを知ることが出来たから。何不自由のない時は私は甘えてばっかりの子で自分と向き合ったりはしなかった」
その少女は、「あの木だけが私の友達」と窓の外と木を指さす。そのマロニエの木には永遠の命が宿っていると少女は語るのだった。

一方で、心を殺し、廃人同然になってしまうユダヤ人もいた。フランクルは、今の自分がなぜこの状況下にいるのかということに答えも求めるのではなく、この状況に対して自分はどういう意味を持つのかを問うよう精神科医として意見し、状況が求めるものに正解すれば生きる意味があると説く。そしてこれまで築き上げてきた過去を思い出せ、そこには意味があるだろうと鼓舞する。

解放の日。歓喜はなかった。彼らは虚ろであり、喜びの感情を忘れてしまったかのようだった。やがてあるものは激しい食欲にかられ、感情失禁のような状態になる。

現実は残酷だった。フランクルの妻はすでに死んでいた。家に帰って呼び鈴を鳴らしても迎えてくれる人はもういない。苦しみに耐えた代償はなく、代わりに与えられたのは喜びではなく失意だった。そんな中でフランクルは「狭いところより広いところの神」にどうすれば良いのか聞く。頭の中に響いた神の答えは「全て然れ」であった。


極限化に置かれた人間が書き残したテキストを朗読する語り物である。やはり極限化に置かれた人間を描いた一人芝居「審判」のような、「知られざる人間の一面」が露わになる場面もあるが、「夜と霧」は「審判」のような露悪的なものではなく、最悪の状況にあって人間は何を求め、どう生きれば良いのかが追求される。

結局のところ、ほぼ全てを失った状態で、人間が希望を見いだすには過去の記憶や思い出にすがるしかないのであるが、その中にあるいは極限化でしか気づけない「永遠の命」というべきものを探し出すことは決して困難ではないということも示される。そして自分が生きている限り永遠の命もまた生き続けるのである。


人間というのは時代の流れに振り回されるものである。望ましい時代に生まれてくることが出来なかったという時点で歴史に左右されるのであるが、時には「生まれた人種」などという自分に何の責任もない理由で抹殺の対象になることもある。そこでは生きるも地獄、死ぬも地獄。だが生き残ったとしたらそこにあるのは……。神や時代、出会った人や愛した人の記憶と共に残りの人生を生きていくことは決して地獄ではない。ささやかながら希望はあり、光は差している。


井上芳雄の感情の表出は巧みであり、発声も良い。9割以上、証言台で語っている芝居なので、観客もイメージを膨らませる必要があり、情感豊かな明晰な声であることはなによりもありがたい。

ヴァイオリンの廣川抄子とアコーディオンの大田智美の生演奏も良く、宮川彬良の哀感に満ちた音楽も優れていた。

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KAN 「まゆみ」

KANというと「愛は勝つ」が有名ですが、KANファンの間で最も支持されている曲はこの「まゆみ」だとされているようです。

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2016年10月 3日 (月)

聴いたことはあるけれど、タイトルは知らないクラシック曲(2) 「操り人形の葬送行進曲」

「ヒッチコック劇場」のテーマやauのCMで流れている曲。コミカルな印象を受けるので映画音楽のように聞こえますが、実はクラシックの曲です。グノーが書いた作品でタイトルは「操り人形の葬送行進曲」。葬送行進曲なのにユーモラスなのはグノー一流の皮肉でしょう。
以前に、MIDI版を「鴨東記」で紹介したことがありますが、今回は実演版の紹介です。
NAXOS Japanの公式Youtubeチャンネルの演奏です。スウェーデン王立空軍軍楽隊の演奏。

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2016年10月 1日 (土)

笑いの林(73) 「祇園ネタ」&吉本新喜劇「愛する人が待つ、向こう側へ」2016年5月15日

2016年5月15日 よしもと祇園花月にて

午後3時30分から、よしもと祇園花月で「祇園ネタ」と吉本新喜劇「愛する人が待つ、向こう側へ」を観る。


「祇園ネタ」の出演者は、ウーマンラッシュアワー、桜 稲垣早希、レイザーラモン、桂三風、Wヤング。


ウーマンラッシュアワー。Twitterが炎上することでお馴染みの村本大輔が、自分を少しでも良く見せようと早口で喋り倒すというネタ。
相方の中川パラダイスに、「美人で性格悪い女性と、ブスで性格良い女性、どっち選ぶ?」と聞き、中川パラダイスが「それはブスで性格良い女性」と答えると、村本は「僕は女性に優劣を付けるのはいかがなものかと思うんですよね」と全ての女性擁護に(形だけは)出る。
村本が中川に「見栄張ってるでしょ?」と言って、中川が「見栄なんてどうでもいい」と答えると、村本は「どうですか? 三重県の皆さん。三重なんてどうでもいいといってますよ」と「ミエ」違いにしてしまう。
村本が中川に、「初詣に行くとしたら、京都の八坂神社と三重県の伊勢神宮、どっちに行く?」と聞き、中川が「それは伊勢神宮」と答えると、村本は「僕はどっちにも行かないんですよね。僕にとってはお客様が神様だから」と三波春夫節が入ってしまう。
更にネタは全て村本が作っており、喋りも9割が村本。でも給料は折半ということに村本は文句を言ったりする。


桜 稲垣早希。実は吉本のサイトに今日早希ちゃんが祇園花月に出ると発表されたのは昨日であった。ただ早希ちゃんがMCを務めている「桜 稲垣早希の歌バッカ アニメ・アイドルばっか」で、ある女性アイドルグループから、「5月15日に大阪でライブをやるので聴きに来て下さい」というメッセージを受けた早希ちゃんは、5月15日のスケジュールを確認し、朝はロケ、祇園花月での本番が2回あって夜は東京で「ドラゴゲリオン」と話していたため、おそらく15日に出るのだろうとこちらもチケットを取った。本当に出るのかどうか不安だったが、実際に出演した。

実は早希ちゃんは、本番のネタをやる前にお客さんとやり取りをするのである。なので客席に常連さんがいるかどうか確認してからやり取りも始めるのだが、今日は常連さんが少ないため、普段は早希ちゃんが「A.T.フィールド」と言って、常連さんが「全開!」と返すのがお約束なのだが、今日は早希ちゃんが「A.T.フィールド全開!」と一人で全て言っていた。

その後、早希ちゃんがやっているアスカ(惣流・アスカ・ラングレー)の話になり、「以前、この格好で麻薬撲滅キャンペーンガールをやらせて貰ったのですが、それからすぐにASKAが麻薬で逮捕されました。昔、清原さんも麻薬撲滅キャンペーンやってたみたいですね。何か因縁がありそうな」と語る。

まずは「あんたバカぁ~?!」と一人で行ってくれた人にバルーンアートのプレゼント。エヴァンゲリオン弐号機の肩の部分という感想の書きにくいバルーンアートである。

今回もフリップネタ「あんたバカぁ~?!」。「私、キムタクとか福山(雅治)とか無理やねん」『あんたバカぁ~?! 向こうはもっと無理よ!』
「(ショップ店員)お包み致しますので、店内をゆっくりご覧になっていて下さい」『あんたバカぁ~?! 散々店内を見て回ったからここにいるんじゃないのよ!』
「“あたし最近、太っちゃって~” “えー、それで太ってるなら私どうなるのよ?”」『あんたバカぁ~?! どうにもならない!』
「“私もう25歳だからおばさんだし~” “えー、あなたがおばさんなら私どうなるのよ”」『あんたバカぁ~?! どうにもならない』
「私、『エヴァンゲリオン知ってる』→『当たると《残酷なテーゼ》が流れる奴でしょう』」『それはアニメじゃなくてパチンコの方!』
「(自分探しにインドに旅行に行った男子)あんたバカぁ~?! 自分探しに行ったのにみんなおんなじ格好になってるじゃないのよ!」

実は全て記憶しているのだが、ネタを全部書くとまずいので後はラストのみ記す。
「ぶりっ子の『あんたバカぁ~?!』」
「キャー、虫、虫背中着いた取って取って、キャー」、「前髪切り過ぎちゃった」、「前髪2cmも切ったんだよ。なんで気づかないの?」、「へっくちん(クシャミ)」、「車道側歩いてくれるんだ。優しー」、「野菜取り分けますね」、「レモン搾っちゃいますね」、「こういうパスタ食べたかったんだ(写メを取りまくり最後は自撮りまでする)」「ってこれ全部私じゃない。私バカぁ~?!」で終わる。


レイザーラモン。RGはニュースキャスター、それも英語もペラペラのニュースキャスターになりたいという夢を持っているのだが、実際にニュースキャスターになった場合をシミュレーションしてみると、「ヒラリー・クリント・イズ・ボーイ・オア・ガール?」、「ドナルド・トランプ・イズ・マクドナルド・オア・モスバーガー?」という滅茶苦茶なカタカタ英語で喋り、トランプに関しては、「オー、ロッテリア!」となってしまう。
HGはモデルがいいというので、モデルウォークをやってみせるのだが、RGが口三味線で担当するBGMが、なぜがスコットランドのバグパイプによる行進曲だったり、葉加瀬太郎の「情熱大陸」だったり(HGは何故か左手で弓を操るポーズをする。左手で弓を操るヴァイオリニストは皆無ではないがかなり珍しい。立ち位置上、左手で弓を引く必要があったわけでもない)、やったちゃんとした音楽が掛かったと思ったら実はそれは前奏で本編は渡辺美里の「マイ・レボリューション」だったりとグチャグチャである。


桂三風。大阪から京阪電車で祇園花月まで通っているという話をし、京阪電車の特急は淀屋橋に着くと、いったん車内整理で立ち入り禁止となり、椅子が電動で反対側を向く、と続ける。しかし、中には立ち入り禁止を守らないお客さんがいる。よく聞いていると中国人だったそうで、「尖閣諸島だの南シナ海だのに乗り込んで来る人達なので、電車に勝手に乗り込むなんざ朝飯前」と語る。

新大阪から東京に向かう新幹線の中での出来事。三風は東京に着くまでの2時間半、仮眠を取るつもりであったが、後ろの席に座った子供が、椅子からテーブルが降りてくるというシステムが面白いらしく、三風の後ろの席で何度もガチャコンガチャコンやっていて眠れない。「子供を睨むのは拙いし、親を睨んでみよう」と三風は思い、怖い顔を作って振り向いたところ、母親は子供に「前のおじさんに殺されるわよ!」と言ったそうである。

東京は上品だそうで、子供が「お母さん、この電車なんでこんなに混んでるの?」と聞くと母親は「会社や学校に向かう人がまだ大勢いるんでしょう」と答えたそうだ。
大阪の場合は、子供「なあ、おかん、なんでこの電車こないに混んどるん?」、母親「知るか! アホ!」となるそうである。
ただ子供というのはよく質問するもので、賢い子に育てるためには答えを教えるのではなく自分で考えさせる方が良いため、大阪の方が理に適ってる(???)そうである。


Wヤング。名前にヤングとは付くが、ボケの平川幸男は1941年(昭和16)生まれの75歳。吉本最年長芸人ともいわれている。「へんなの」というのがギャグなのであるが結局、一度も受けない。「アホちゃうか」というギャグもあり、これは観客とも一緒に行う。
その他は小ネタの連続で、二人でビールを飲む場面で、平川が相方の佐藤武史のビールを飲んでしまい、「こっち(自分のグラスに入ったビール)飲んだら減るやん」と訳のわからない理屈を言ったり、ジェットコースターに乗ったがいつの間にか向かい合わせになってキスまでしてしまうという展開になった。

吉本新喜劇「愛する人が待つ、向こう側へ」。出演は、川畑泰史、諸見里大介、いちじまだいき、森田まり子、廉林優(かどばやし・ゆう)、レイチェル、井上安世、清水啓之、もりすけ、若井みどり、今別府直之、金原早苗(きんばら・さなえ)、チャーリー浜。

祇園にある喫茶店「フラワームーン」が舞台である。喫茶店のマスターである川畑泰史は今なお未婚。川畑の妹である優(廉林優。初めて見るが綺麗な人である)にはレイ(レイチェル)という恋人がいるが、結婚は「兄が済ませてから」というポリシーがあり、川畑に結婚の当てのない今はまだ優とレイの関係は進行を阻まれている状態である。
「フラワームーン」のアルバイトで滑舌の悪い諸見里大介であるが、実は恋人がいた。恋人である井上安世を紹介する諸見里。何でも二人は互いの顔を見ずに行うお見合いパーティーで一緒になったのだという。そこで、喫茶店の常連であるいちじまだいきや森田まり子も手伝って、川畑のために相手の姿を見ずに質問だけで行うお見合いを企画するのだが……。

今回は脚本がちょっと今一つだったかな。ワンパターンの吉本新喜劇だけに、今一つの作品も紛れ込んでしまうのは仕方ないだろう。

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