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2016年11月29日 (火)

コンサートの記(261) 井上道義指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第472回定期演奏会

2013年9月19日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第471回定期演奏会を聴く。今日の指揮は大阪フィルの定期演奏会へは久しぶりの登場だという井上道義。ただ、井上は大フィルのマチネーコンサートは指揮しているし、またすぐに大阪フィルとバルトークの歌劇「青ひげ公の城」を演奏会形式で上演する予定があり、大フィルと疎遠だったわけではない。今年の大フィルの年末の第九も井上が指揮する予定である(その後、井上道義は大阪フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者に就任した)。

メシアンの大作、トゥランガリラ交響曲1曲のみで勝負するというプログラムである。

フランスの現代音楽の大家、オリヴィエ・メシアンの代表作の一つであるトゥランガリラ交響曲。交響曲というが全10楽章からなり、ドイツの作曲家による交響曲とは質が異なる音楽ではある。ただ、フランス作曲家による交響曲というのは、そもそもドイツの作曲家によるものとは異なるものが多い。ベルリオーズ然り、フランク然り、ショーソン然りである。またドビュッシーの交響詩「海」は交響曲と呼んでも構わない構造をしているが、作曲家自身は交響曲と名付けず、三つの交響的素描と記している。トゥランガリラ交響曲が、交響曲であるのか、交響詩であるのか、単なる管弦楽曲であるのかと問われれば、フランクの交響曲やショーソンの交響曲同様、フランスの交響曲の特徴である循環形式を持っているため、交響曲であると応えるのが適当だと思われる。

トゥランガリラ交響曲の初演は、1949年。レナード・バーンスタイン指揮のニューヨーク・フィルハーモニックによって行われている。バーンスタインの弟子となった小澤征爾は世界初演から10年ちょっとという時点で、NHK交響楽団を指揮してこの曲の日本初演を行っており、大反響を呼ぶも、N響の慣例を無視して若い指揮者が現代音楽をプログラムに取り上げたことがN響側の勘に障ったようで、直後の小澤・N響事件の伏線になった可能性が指摘されている。真相は今もわからない。

現在では、トゥランガリラ交響曲は現代音楽の古典的扱いであり、比較的良く演奏される現代音楽である。一時期、今はもう放送されていない「N響アワー」のオープニングの音楽としてトゥランガリラ交響曲の第5楽章が使われていた。

現代音楽の古典的扱いとはいえ、現代音楽であることには違いなく、今日の演奏会は、1階席と2階席はほぼ埋まったが、3階席には空席が目立った。日本人の現代音楽アレルギーが払拭されるにはまだ時間が掛かりそうである。ちなみに大阪フィルがトゥランガリラ交響曲を初めて演奏したのは1980年で、1983年にも演奏されているが、それから今まで20年もの間、一度もプログラムに載ることはなく、実に20年ぶりの演奏となるという。

この曲には、ピアノとオンド・マルトノの独奏者が加わるが、ピアノは児玉姉妹の妹である児玉桃が、オンド・マルトノは「オンド・マルトノといえばこの人」という存在である原田節(はらだ・たかし)が演奏する。

「トゥランガリラ」はサンスクリット語であり、「破壊と創造」、「愛」などといった複数の意味がある。

今日のオーケストラ配置は通常とは異なる。蓋を完全に開けたピアノと、オンド・マルトノが指揮者の左右に陣取り、弦はいつものドイツ風現代配置であるが、中央に寄せられており、チェロは第1列には並ばず、ヴィオラの後ろに第2列目から並ぶ。コントラバスは最後列に横一列という配置である。管楽器は木管、金管ともにステージ上手側、弦楽器の横と後ろに舞台奥から手前まで二列から三列で並び、舞台下手はピアノの背後にチェレスタ二台、その後ろはヴィブラフォンで、その他のパーカッションもステージ奥から手前までを占める。下手側壁沿いに大太鼓、シンバルなど。

井上道義は、言動はエキセントリックだが、指揮姿は極めてオーソドックスなもので、拍を刻んだり、音を出す楽器の方へ手を差し伸べたりする。今日は指揮棒を取って振り始めたが、エモーショナルな楽章ではノンタクトで、リズミカルな楽章では指揮棒を手にしてと、楽章によって指揮の仕方を分けていた。楽譜を譜面台に置いてめくりながらの指揮であったが、総譜は分厚く、この曲がいかに大曲かが実感出来る。
井上は大フィルから時に妖しげな、時に光彩陸離というのが最も相応しい音を引き出し、優れた演奏となった。スケールも大きく、パワフルである。金管に思い切り吹かせる場面もあるが、井上のバランス感覚が優れているため、決して「うるさい」とは感じない。

児玉桃のピアノも澄んだ音色が印象的で、メシアンの曲を演奏するのに相応しく、原田節のオンド・マルトノは最早文句の付けようがない水準にまで達している。

熱演を示した、井上と大フィル。3階席にはスタンディングオベーションを行っている聴衆も何人かおり、井上はそれを見つける度に手を振ったり、ポーズを決めたりしていた。

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