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2016年12月20日 (火)

美術回廊(7) 京都市美術館 「バルテュス展」2014京都

2014年8月26日 京都市美術館にて

京都市美術館で「バルテュス展」を観る。

フランス人画家であるバルテュス。バルテュスというのは愛称兼芸名で、本名はバルタザール・ミシェル・クロソウスキー・ド・ローラという長いものである。スキーという英語でいうsonに当たるロシア・スラヴ圏の言葉が苗字に入っているため、スラヴ系の血を引いている。父親はポーランドの貴族階級出身。母親はロシア系ユダヤ人である。
バルテュス自身も最初の妻との間に出来た息子にスタニスラスというロシア人やポーランド人に多いファーストネームを付けている。

絵はほぼ独学であり、ルーブル美術館に足繁く通っては習作を繰り返していたという。

最初にバルテュスの才能を評価したのは詩人のリルケである。まだ少年であったバルテュスの絵を見たリルケは「この年齢でこうした絵が描けるとは驚くべきことだ」として、ストーリー仕立てとなった連作絵画にリルケ本人が序文を書いて出版している。

その後、バルテュスは、『呪われた部分』の思想家ジョルジュ・バタイユや、『ヴァン・ゴッホ』などの俳優・詩人・小説家のアルトナン・アルトー等と交友している。

バルテュスの時代はシュルレアリスムが全盛であり、バルテュスの作風は「古くさい」と見なされて、同時代の画家達からはなかなか認められなかった。そこでバルテュスは敢えて扇情的な表現を取ることで、スキャンダラスな評価を受ける。バルテュスは少女を描くことが多く、それがロリータコンプレックスであるとも見なされたが、実際にはバルテュスには少女趣味はなかったようである。バルテュスは少女を描きながら、同時に少女の未来を描いているようにも見える。

京都市美術館の「バルテュス展」のポスターに使われたのは「美しい日々」という作品。窓を背にして椅子に腰掛けた少女が手鏡を見ている様子を描いたものだが、キャンバスの右隅には暖炉に薪をくべている男も描かれている。自然光と暖炉の明かり、その中で少女は二重に照らされている。ということは、薪をくべている男は少女をより美しくする役割をしているわけで、彼はバルテュス本人なのかも知れない。

バルテュスの風景画はどことなくユトリロに似ているところがあるが、人物画の方は、少なくとも20世紀のヨーロッパでは似た作風の画家は見当たらない。ああした暗さは中南米の画家が良く採るものである。フリーダ・カーロなどがそうだ。

バルテュスは何枚も習作を描くことで、完成作を練り上げるというタイプであったという。「美しい日々」などを観ていると、斎藤茂吉の「実相観入」という言葉も浮かぶ。人物画はどれも写実的というより示唆的である。

少年時代には中国文化に惹かれたというバルテュスであるが、その後、日本のことも気に入り、最初の来日時に行われた自身の展覧会のスタッフであった出田節子を見初め、後に結婚する。節子夫人の影響もあり、『源氏物語』や『雨月物語』なども英語訳やフランス語訳版で読み、日本語の学習もしていたようである。節子夫人は結婚後は常に和服であり、バルテュスもそれに倣って和服を愛用するようになる。二人の間には男の子が生まれたが早世し、後に長女となる春美が誕生している。

パリを離れてスイスの田舎町に移り住んだバルテュスは風景画なども良く描いている。また節子夫人をモチーフに浮世絵の要素も取り入れた人物画も描いている。ちなみにこの絵では姿見の鏡が用いられており、バルテュスにとって鏡は重要なアイテムなのかも知れない。

最後の展示室には、篠山紀信撮影による晩年のバルテュスと節子夫人、娘の春美との写真が並んでいる。笑顔で見つめ合うバルテュスと節子夫人の写真は微笑ましく、写真が欲しくなるが、篠山紀信の作品であるため、ミュージアムショップで売られてはいなかった。だが、節子夫人によるバルテュスの回想録にその写真が入っていたため、それを買うことに決め、他に風景画の額画と、エミリー・ブロンテの『嵐が丘』をモチーフにした画集などを買う。

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