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2016年12月の20件の記事

2016年12月31日 (土)

J・S・バッハ 「ゴルトベルク変奏曲」よりアリア 武久源造(チェンバロ)

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2016年12月29日 (木)

コンサートの記(263) 京響プレミアム「岸田繁 交響曲第一番初演」

2016年12月4日 ロームシアター京都メインホールにて

午後4時から、ロームシアター京都メインホールで、京響プレミアム「岸田繁 交響曲第一番初演」を聴く。京響プレミアムはこれまで京都コンサートホールで行われて来たが、今回はロームシアターで行われる。

立命館大学出身のバンド、くるりの岸田繁がクラシックの楽曲に挑戦した演目である。岸田はかなりのクラシック通だそうだ。

指揮は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。広上はピアニカ独奏も行う。

曲目は、「Quruliの主題による狂詩曲」と、交響曲第一番。交響曲第一番のオーケストレーションは三浦秀秋によって行われている。

今日のコンサートマスターは渡邊穣。フォアシュピーラーに尾﨑平。「Quruliの主題による狂詩曲」は、室内オーケストラを少し大きくした規模で演奏され、管楽器はホルンやフルートを除いて単管編成。オーボエ:髙山郁子、クラリネット:小谷口直子、トランペット:稲垣路子、トロンボーン:岡本哲である。


今日は2階席正面での鑑賞。ロームシアター京都メインホールの2階正面席は傾斜も緩やかでステージが見やすい。弦楽器の音が直接飛んでくる角度にあるため、今日は京都市交響楽団の磨き抜かれた弦の音を堪能することが出来た。残響こそ短いが(多分、1秒もない)、音の通りは良い。


「Quruliの主題による狂詩曲」。岸田は広上と共に登場。曲のラストでは歌が入るため、ステージの中央に立つのだが、それまでは第一ヴァイオリンの最後部の後ろの席に腰掛けて演奏を聴く。
「Quruliの主題による狂詩曲は、くるりが発表したポップソングの数々をクラシックコンサート用に纏めたもので、完全な調性音楽である。古典的構築の中に現代らしさを吹き込むという、ストラヴィンスキーの「プルチネルラ」のような趣がある。「幻想曲」「名も無き作曲家の少年」「無垢な軍隊」「京都音楽博覧会のためのカヴァティーナ」の4作からなる組曲。「京都音楽博覧会のためのカヴァティーナ」に歌(「宿はなし」)が入る。歌詞は日本情緒とノスタルジアに溢れたもの。余り詳しくは言えないことだけれど、メロディーは桑田佳祐作曲のとある楽曲に少しだけ似ている。「京都音楽博覧会のためのカヴァティーナ」はまず導入部を広上がピアニカで奏でる。この歌入りの曲はアンコール2曲目としてもう一度演奏された。
ポピュラーが元とはいえ、そこはクラシック通の岸田。グリーグの「ホルベアの時代から」や、マーラーの交響曲第1番「巨人」第2楽章を思わせるような場面が出てくる。
交響曲第一番。この曲はフル編成で演奏される。管は三管編成になり、トランペットは、ハラルド・ナエス、早坂宏明、西馬健史の三人に変わる。他は人員が増えただけである。この曲も基本的には調性音楽で、響きの美しさを優先させている。
ショスタコーヴィチ、プロコフィエフ、ミニマル・ミュージック(スティーヴ・ライヒに一番近いかな?)、シャンソン、黛敏郎などの影響が感じられ、アカデミックな作風という印象を受ける。岸田がクラシック音楽にかなり精通していることがわかる。

舞台上方にデッカツリーが下がり、舞台上にもマイクが乱立、というほどではないが各所に配置されているため、ライブ収録が行われることがわかる。岸田繁の交響曲第一番は録音されてリリースされることがわかっているため、そのためのレコーディングだと思われるが、放送用、記録用の可能性があるためレセプショニストさんに確認する。「記録用」とのことだった。明後日、東京オペラシティコンサートホール“タケミツ メモリアル”でも同一演目の演奏会が行われるため、出来いかんによっては京都での録音が採用されない可能性もある。ただ今日も素晴らしい演奏が展開されたため、不採用ということはないと思われる。


演奏終了後、岸田がステージ上に呼ばれ、広上に促されて感想を述べる。「いっぱいいっぱいで感想を述べる余裕がないのですが、広上淳一先生と京都市交響楽団によって素晴らしい演奏になりました。ありがとうございます」「沢山の方にお聴き頂き、嬉しく思います」「私も小学生の頃から京都市交響楽団の演奏会を見ていたのですが、京都市の皆さん、京都市に京都市交響楽団があって本当に良かったですね」というスピーチを行った。


アンコールは2曲。2曲目は先程紹介したが、1曲目は、岸田の「管弦楽のためのシチリア風舞曲」。この曲は、岸田繁自身がオーケストレーションを行っているようである。「グリーンスリーブス」に少し似た旋律が登場するが意識したものではないと思われる。この曲は会場限定でCDが700円で発売されていた。

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2016年12月28日 (水)

「スター・ウォーズ」より“レイア姫のテーマ”

キース・ロックハート指揮BBCコンサートオーケストラの演奏。BBCプロムスでの映像です。

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観劇感想精選(196) 野村萬斎構成・演出・主演「マクベス」2016西宮

2016年6月28日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後6時30分から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、野村萬斎構成・演出・主演の「マクベス」を観る。

野村萬斎が「マクベス」の上演を行うのはこれで4回目。最初はリーディング公演に始まり、その後、地球に見立てた巨大なセットを組んだ公演を行うも、セットが大きすぎて地方公演も出来ない、ということで、木製の衝立に丸い穴を開けてそれを地球に見立てた「小さな地球」のよる公演を行っている。この公演は2014年に兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールでも行われ、私も観ている。

さて、4度目の「マクベス」。前回とは出演者も含めて少し違う。マクベスに野村萬斎、そしてマクベス夫人には新たに鈴木砂羽が起用された。役が固定されているのはマクベスとマクベス夫人だけで、3人の魔女、バンクォー、マクダフ、ダンカンなどは、寺山修司の天井桟敷やその後継の万有引力にいた高田恵篤(たかた・けいとく)、福士惠二、小林桂太という特異な出自を持つ3人に俳優が演じ分ける。
演奏は、田嶋謙一(尺八)、小山豊(津軽三味線)、田代誠(太鼓)。音楽監修:藤原道山。

有料パンフレットや、アフタートークで野村萬斎が述べていたが、「日本で魔女をやるっていると、カラーコンタクトはめいたり、特殊メイクしたり、化け物にしちゃう」ため、それを嫌った野村萬斎が、「特殊な演劇的肉体を持った俳優」をということで、アングラ時代の俳優を起用している。


舞台の上には、丸い穴の開いた衝立のようなものが一つ。舞台端には黒い背嚢のような土嚢のようなものびっしりと並んでいる。中にはゴミか何かが入っているようだ。

烏の鳴き声があちらこちらから聞こえる。

やがて嵐が到来し、溶暗。三人の魔女(といっても男だが)が現れ、「今度はいつまた会おうかな、三人で」というセリフが語られ、「綺麗は汚い、汚いは綺麗」という有名な言葉が三人によって語られ、三人は衝立の○付近への集まる。すると、その背後にある障子紙にも青色の○が浮かぶ。そしてその背後に人影、青色の○を切り裂いてマクベス(野村萬斎)が登場する。三人の魔女は床に布を敷き(のちに効果的に使われる)輪舞を行うが、そのうち一人(福士惠二)がいつの間にか衣装を変えてバンクォーになり、まずマクベスが、次いでバンクォーが魔女からの予言を受ける。
魔女の予言を半信半疑で聞いていたが、コーダの領主が謀反の罪で処刑され、予言通りマクベスがコーダの領主になったことから、マクベスの野望は膨らみ始める……。


「綺麗は汚い、汚いは綺麗」は矛盾しているのように感じられ、視点を変えれば納得は出来ると私は考えてきた。しかし、これは矛盾でも二項対立でもないのではないか。この言葉にシェイクスピアは勿論謎かけをしただろうが、エリザベス朝の人々は案外我々よりも易々とこの言葉を受け入れていたのかも知れない。「絶対的価値」というもの自体が世間に流布したのは案外最近ではないのだろうか。整然とした町並み、着飾ったお洒落な人々、そうしたことが普通に見られるのはシェイクスピアが他界してから200年ほど経ってからのことだ。それゆえ謎は謎であるが、難解というほどでもなかったのかも知れない。

「マクベス」を考える時に、「マクベスは魔女に唆されたのか、自分の意思で国を奪ったのか」というのは常に問題になる。マクベスは魔女の言葉に従ったようにも見えるし、それとは無関係に王座に昇ったようにも見える。だが、これは今ほど「個」が前面に押し出されていなかった時代の話だということを考えた方がいいだろう。今ほど個の意識が強くはなく、行動一つとっても神のご意志を仰いだ時代。マクベスもマクベス夫人(鈴木砂羽)も自分で行動しているようで実はどこか誰かの物語に流されていないだろうか。考えて王座を奪ったのではなく、王座が目の前に来たから反応してしまったそれだけではないのか。「マクベス」からはそうした「人間の弱さ」が見て取れる。そもそも魔女達の託宣にマクベスは自分の意思では抗えない。逆らうことも出来たはずなのに。そして国王ダンカンを殺害したマクベスは動揺して殺害した短剣を持ってきてしまい、マクベス夫人に短剣を王の寝室に戻すよう促されるも拒否するというチキンぶり。仕方なく短剣を王の寝室に戻し、剣先の血を衛兵の顔に塗りたくったマクベス夫人もその後まもなく強迫神経症に陥り、「アラビア中の香料をこの手に注いでも芳しい匂いは戻ってこない」と嘆き、挙げ句、自殺してしまう。

マクベスとマクベス夫人はいうなれば、世界史上、最も弱い独裁者であるともいえる。


野村萬斎は四季を意識した演出を用いる。まずは桜の花びらが散り(前から5列目で見ていたのだが、「花が舞っているな」とは思ったが桜かどうかはわからなかった)、蝉が鳴き、バーナムの森の葉は紅葉しており、ラストは紅葉に続いて雪が舞い、マクベスは雪(に見立てられた布)に覆われて絶命する。


秋山菜津子からマクベス夫人役を受け継いだ鈴木砂羽。テレビなど映像で見るより綺麗な人である。十全というほどではないが、演技力もあり、魅力的なマクベス夫人になっていた。野村萬斎は、「マクベス夫人というと魔女の一人のようにしてしまうことが多い」と嘆いていたが、マクベス夫人が魅力的であることは「極めて」と書いていいほど重要なことなのである。
ちなみに、野村萬斎は出世作の一つでもある朝の連続テレビ小説「あぐり」(野村萬斎はヒロインの吉行あぐりの旦那である前衛小説家・吉行エイスケを演じた)で共演したことがあるそうで、その時、「この人、面白いな」と思ったことから、かなりの歳月は経ったがマクベス夫人に抜擢したという。


野村萬斎は、「明日がある。なぜなら人間だから」という言葉をテキストに足したそうである。ラストのマクダフとの一戦の時にである。ある意味、マクベスは魔女達と出会って以降、その場その場の時流に乗って明日を考えずに生きてきてしまっている。あたかも人間性の喪失のように。しかし、「明日を考える」という行為は「個」が今よりも希薄だった時代にあっても、人間しかなさない行為であり(他の動物は明日という観念を持たない)、「人間性の再発見」であるともいえる。この言葉によってマクベスが魔物側に墜ちるのを防いでいるとも取れる。



アフタートークがある。まず野村萬斎は、「前回も観に来たという方」と客席に聞く。結構な人が手を挙げる。野村萬斎は「どうしてもう一度観ようと思ったんでしょうか」と言って笑いを取る。
四季の演出や(ちなみに紅葉の花吹雪、といって良いのかわからないが、模造紅葉は1枚5円して、「お金が掛かっているので持って帰らないで下さい」とのことだった)、音楽に津軽三味線を使ったことについて、「三味線を使うとどうしても歌舞伎の様式になってしまうのです。ただ、スコットランドに行った時の情景を思い出した時に、断崖に海があって、『津軽』という言葉が浮かびまして」ということで、舞台になったスコットランドに似合う津軽三味線を選び、音楽監修の藤原道三にイメージを伝えたという。ちなみに、日本の合戦ものというと、どうしても「平家物語」が念頭に浮かび、紅葉の赤が平氏、雪の白が源氏という視覚効果も狙ったそうである。

 

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2016年12月26日 (月)

Circus 「アメリカン・フィーリング」

編曲は、無名時代の坂本龍一です。

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コンサートの記(262) 春秋座オペラ2014「椿姫」

2014年12月20日 京都芸術劇場春秋座にて

午後5時から、京都芸術劇場春秋座で歌劇「椿姫」を観る。ミラマーレ・オペラによる上演。今日明日の2回公演。Wキャストであり、今日の出演は、川越塔子(ヴィオレッタ)、清原邦仁(アルフレード)、片桐直樹(ジェルモン)、白石優子(フローラ)、井出司(ガストン)、西村昭浩(ドゥフォール)、木村孝夫(ドビニー)、土岐真弓(アンニーナ)、松山いくお(グランヴィル)、総毛創(ジュゼッペ)、和田一人(使者)、冨田敦史(召使)。合唱はミラマーレ・ヴィルトゥオーゾコーラスが担当する。

指揮は松下京介。演奏はミラマーレ室内アンサンブル。第1ヴァイオリンがヴァイオリンが2名いる(コンサートミストレス:木須すみれ)他は、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスがいずれも1名ずつで、管楽器などはエレクトーンで演奏される(エレクトーン演奏:塚瀬万起子、佐々木里奈)。エレクトーンが活躍する場面が多いため、少し違和感も感じるが、春秋座は劇場もピットも小さい上に音響設計もなされていないので室内オーケストラ編成でも音が飽和してしまうということもあり(12年前にルーマニアのトランシルバニア交響楽団という中編成のオーケストラが春秋座で演奏を行ったが、フォルテになると桟敷席の板などがゴトゴトガタガタいってしまい、オーケストラの演奏が無理であることがわかっている)オーケストラに関してはある程度目をつぶるしかない。

演出は三浦安浩。廻り舞台を使った演出に特徴がある。
プロデューサー:橘市郎。

第1幕への前奏曲が始まると舞台上手から清原邦仁演じるアルフレードが登場。ヴィオレッタの死を嘆いて倒れ込み、「椿姫」の物語が終わった後の様子がまず描かれる。こうした手法は最近では流行っているようだ。そして、紗幕に光が入り、川越塔子演じるヴィオレッタ後ろを向いているのが見える。やがて大勢の人が現れ、ヴィオレッタは皆に愛想を振りまくのだが、皆、ヴィオレッタの姿が見えないかのように通り過ぎてしまう。象徴的なシーンである。

やがて、幕が上がり、社交界の場となる。有名な「乾杯の歌」が歌われ、ヴィオレッタに恋い焦がれていたアルフレードはようやくヴィオレッタ本人にお目通りが叶い、一層ヴィオレッタの惹かれるのだったが……。

舞台上方に、田の字の形をしたディスプレーがあり、そこにパリのシャンゼリゼ通りを描いた絵、椿の花などが移る。第2幕第2場で用いられた絵はおそらくドガの作品であると思われるが、他の場面の絵の作者はわからなかった。ただ、ディスプレーによる演出はなくても良かったような気がする。余程の初心者でも無い限り絵は自然と想像出来るからである。

当然ながら字幕付きの上演であり、春秋座の場合、字幕スーパーはプロセニアムの上に出るので、2階席の方が鑑賞しやすく、それを見越して敢えて安いチケットを買ったのだが、実際の席は下手桟敷席の前側。まずまずの席である。

ヴィオレッタを歌う川越塔子は、春秋座でのオペラではお馴染みの存在。東京大学法学部を卒業、武蔵野音楽大学大学院修了という異色の経歴を持つソプラノ歌手である。

バリバリのキャリアウーマン的学歴とは対照的に、儚げな女性を演じることを得意としている川越。声の伸びも良く、細やかな演技も見事である。

アルフレード役の清原邦仁は、外見が池田成志に少し似ている。甘い声の持ち主であり、中々格好いい。

キャストであるが、大阪音楽大学出身者がかなりの割合を占めており、自前でもオペラハウスを持っている大阪音大の声楽科の関西での強さが今回も証明されている。

指揮の松下京介であるが、指揮棒の振り幅がオペラ指揮者としてはかなり大きめ。繊細さなどは十分とはいえないかも知れないがしっかりした音楽作りではある。

今回の演出では、ヴィオレッタとアルフレードが離れた状態で幕となるのだが、これは一長一短であるように思う。ヴィオレッタがかつて自分が中心であった社交界の夢の中で息絶えるのは幻想的ではあるが、悲しみは一歩後退した格好になる。例によって廻り舞台を使うのだが、男性歌手が一人、足を取られて転んでしまったのはご愛敬である。

万全の出来とはいえないかも知れないが、見応えのあるオペラではあった。

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2016年12月25日 (日)

観劇感想精選(195) 朗読劇「芽吹きの雨」

2016年12月18日 河原町通今出川下ルのP-actにて観劇

午後3時から、河原町通今出川下ルにある、小空間「P-act」で、イストワールhistoire第5話 朗読劇「芽吹きの雨」を観る。飛鳥井かゞりと得田晃子の二人による軽い動きを付けた朗読劇である。元々はラジオドラマのために書かれた作品の舞台上演。原作は、Grace      N Fletcher作の「The Bridge of Love」を平松隆円が監訳した「メレル・ヴォーリズと一柳満喜子 愛が架ける橋」。作・演出:高橋恵、企画制作:虚空旅団、協力:P-act。音楽&キーボード演奏:三木万侑加。
「『イストワール』は、後世に語り継がれる力のある作品づくりを目指し、関西に実在した人物や実際に起こった事件などを題材とするシリーズ」であるという。

建築家、実業家として知られる、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(日本名:一柳米来留)の夫人、一柳満喜子(ひとつやなぎ・まきこ)を主人公とした朗読劇。

近江八幡が舞台。ヴォーリズと結婚した一柳満喜子(ヴォーリズ満喜子。飛鳥井かゞり)は、華族出身ということもあり、近江八幡の人々から敬意の眼差しを向けられているのだが、クリスチャンであり、「皆平等」という価値観を持つ満喜子はそれが不満だった。満喜子は、近江八幡の農家の出である、たま子(得田晃子)に、近江ミッション(のちの近江兄弟社)の土地に「Play Ground」を作りたいと語る。子供達が自由に遊べて学べる場所だ。たま子もそれに賛成するが、満喜子が「向こうの長屋の子達も通わせたい」というと強く反対する。向こうの長屋に住むのは売春婦とその子供達だ。しかし満喜子は、「富める者も貧しき者も、聖職者でも売春婦の子でも、皆平等に、Play Groundに集えるのが理想」だと語る。Play Groundの創設は近江ミッションから「黙認」という形で認められる。

かくして発足した学び舎。しかし、乱暴な子供もいて、たま子は手を焼く。障子は全て破られてしまうそうで、「紙を貼らずに格子戸にしたどうか」などと提案する。ある14歳の男の子などは体格も良くて、たま子も恐怖を感じて叱るに叱れない。「聖書には、『右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ』とあるけれど、それは難しい」と嘆くたま子。だが、満喜子は「左の頬を差し出しましょう」と提案。男の子20人全員は無理だけど、15人なら自宅に呼べると言って、招待することにする。15人の男の子達は、満喜子の自宅に来ると、案の定、暴れまくり、家具を壊すなどしたが、満喜子が根気強く子供達に話しかけ続けた結果、男の子達は大人しくなり、満喜子の言うことを聞くことになった。実は満喜子も本当に成功するのかどうか不安であったのだが上手くいった。
ここまでが実は最初の小さな主題であり、これが後に変奏されていくというパターンの台本である。


満喜子の母親は、満喜子が9歳の時に亡くなった。敬虔なクリスチャンであり、「汝の敵を愛せ」という言葉を信念としていた。満喜子の父親は大名家の出身(城持ちではなく、陣屋を政庁とする小大名である)であったが、江戸時代の大名さながら、妾を沢山こしらえ、侍女にまで手を出したそうで、満喜子と満喜子の母親は妾やその子供達と共に暮らさなければならないという境遇に耐えてきたという。封建制の時代ならともかく、新しい世では正妻にとってそんな生活は苦辱でしかなかった。母にとっては満喜子とキリスト教だけが心の支え。満喜子は母親の心を受け継ぎ、キリスト教精神に基づく愛のある平等な学び舎を築こうとしていたのだ。

ヴォーリズは、英語教師と赴任していた滋賀県立商業学校(現・滋賀県立八幡商業高校。野球部が強いことで知られ、有名OBに東北楽天ゴールデンイーグルスのエースである則本昂大がいる)で聖書研究のサークルを作ったことが問題視され、学校を馘首されていた。当時、ヴォーリズは初設計建築となる近江八幡のYMCA(現在はYMCAではないが、建物自体は外面が改修されているものの現存する)の落成を目の前にしていた頃だった。その後、ヴォーリズは建築に本格的に取り組む。朝の連続テレビ小説「あさが来た」の主人公のモデルとなった広岡浅子は、一柳満喜子の兄である恵三を娘婿に迎えており、ヴォーリズと満喜子は広岡浅子を通して知り合ったようである。広岡浅子のことはこの朗読劇には出てこない。

のちに清友園(現・ヴォーリズ学園。昨年、近江兄弟社学園から名称変更したようである)となる学びの場に、マサコとハマコという姉妹が入ってくる。マサコは下肢障害があり、ハマコは聴覚障害者である。たま子は二人の扱いに困ると言うが、満喜子は、アメリカ留学時代に聴覚障害のあるフローレンスという子と同室だったという話をする。フローレンスは生まれつき耳が聞こえず、話すのにも不自由していたが、その分、甘やかされており、髪をとかすのも人にやって貰って当然という態度であった。満喜子はフローレンスの面倒を見るのを拒否してフローレンスからなじられるが、後にフローレンスから、「一人で生きていけるようにしてくれてありがとう」とお礼の手紙を受け取ったそうである。障害者であってもこの世界で十分に生きていけるように育てる。それが満喜子の目標となった。
寄付金を受けて、ヴォーリズは清友園のための学舎(現・ハイド記念館)を設計。光を多く取り込めるように窓は大きく、音楽が学べるようパイプオルガンも着いていた。

冬の終わりから春の初めにかけて降る雨を近江八幡では、「芽吹きの雨」というのだと、たま子は満喜子に語る。満喜子は、「神は草木が育つのも助けてくれるのだ」と解釈する。

90人もの生徒を抱えるまでに成長した清友園。だが、ヴォーリズと満喜子の間には子供がいない。ヴォーリズは建築家としての仕事と実業家との仕事の他に、寄付金などを集めるために世界中を飛び回る必要があり、家を空けることが多かったのだが、大正12年9月1日に関東大震災が発生し、その際、ヴォーリズが設計した建物は崩れ落ちなかったということで建築家としての仕事が殺到し、夫婦の時間を過ごすことが難しくなっていた。ヴォーリズと満喜子は結婚1周年の日(紙婚式)も別々に過ごしており、満喜子は「多忙な夫だから仕方がない」と受け入れていた。だが、夫にも父のように他の女がもしいたら、と不安になる。

1941年12月8日、日米開戦。アメリカ人であるヴォーリズは敵国の人間として留置される可能性も出てきた(ロシア出身のヴィクトル・スタルヒンも敵性外国人として、軽井沢での拘留生活を送っている)。そこで、ヴォーリズが日本に帰化し、ヴォーリズと満喜子は一時的に離婚して、ヴォーリズが一柳家の戸主となり、名を一柳米来留(ひとつやなぎ・めれる)と改め、満喜子と再婚するという離れ業を使うことになる(満喜子は、ヴォーリズ満喜子から元の名である一柳満喜子に戻る)。米来留という漢字には、「米国から来て日本に留まる」という意思が込められていた。それでもヴォーリズと満喜子を見る近江八幡の人の視線に満喜子は冷たいものを感じる。そんな折、米来留が心臓発作を起こして倒れる。近江兄弟社の結核療養所(現・ヴォーリズ記念病院)が軍に接収され、結核の患者は家に戻るよう命令が下されたということもあり、夫妻は軽井沢の山荘(ヴォーリズ山荘。現・浮田山荘)で療養することに決める。その後、米来留は東京帝国大学の職を得ることが出来たが、健康状態が不安定なため、満喜子は心配する。
近江兄弟社は軍により、全ての部屋に神社の写真と裕仁天皇の写真を飾るよう強要される。

困窮生活の中、満喜子は一緒に来て欲しいと頼んだたま子に、軽井沢でも学園を生み出したいという希望を語り、それは成功する。

米来留が自伝を著す。タイトルは『失敗者の自叙伝』。理想が高いため、思う通りに行かない自分を失敗者と見做すという屈折した本である。だが、満喜子は、『失敗者の自叙伝』に書かれた新婚時代の米来留の心境を知り、安心を得るのだった。
そして満喜子は米来留の心境を思う。満喜子も米国留学の際、レストランで店員に「ホットドッグ」を勧められるも、本当に「温めた犬」のことだと勘違いして、「そんなものいりません!」と言ってしまい、そのため空腹のまま列車に乗る羽目になり、途中の駅で降りて何か食べようと思ったものの焦っていたために英語が出てこなくなり、日本語でしか話せなくなってしまう。モタモタしているうちに列車は発車してしまって満喜子はパニックに……、実は発車してしまったというのは満喜子の勘違いで、向きを変えるために一時的にホームを離れただけだったのだが、そうした異国での孤独を思い出し、夫もまたそうだったのだろうと気づく。

軽井沢での芽吹きの雨の季節。たま子は満喜子に、「戦争もまた芽吹きの雨なのか」と問いかける。この戦争は神が望んだものなのかと。満喜子は、「神は人間に自由意志を与え給うた。だから自由になった人間は他人を愛さなくてはいけない」と語る。人間が神の意志に背いたと見るのだ。

米来留は、元首相である近衛文麿公爵に手紙を送り、その後、帝国ホテルでの近衛とマッカーサーによる会談を仲介し、裕仁天皇に有利な条件で話を進めることに成功する。実は後の研究により、ヴォーリズは幼少時にマッカーサーとニアミスしていたらしいことがわかっているのだが、本人同士も知らなかったことのようなので、そのこととは別に関係がないと思われる。

チフスで倒れた満喜子だったが、近江八幡の人達が満喜子に卵などの食料を送ってくれる。近江八幡の人々は二人を敬遠していたわけではなかったのだ。

舞台は再び近江八幡。琵琶湖に面した場所で、満喜子とたま子が語る。満喜子は近江八幡を初めて訪れた時はこの街が好きになれなかったと言う。満喜子は留学したアメリカのスタイルが性に合っていると感じ、本当は帰国したくなかったのだが、横浜に帰港する際に見えた富士の頂に、日本人としての誇りを感じたのだ。ヴォーリズが書いた近江兄弟社の「湖畔の声」発刊の辞を朗読することで劇は終わる。


ウィリアム・メレル・ヴォーリズ本人は登場しないが、建築や日本近現代史が好きな人にはとても楽しめる朗読劇である。また、「主題と変奏」による劇作法にも惹かれる。
ヴォーリズは音楽好きで、作詞作曲なども手掛けていたため、音楽を入れるのも良い。オリジナル曲の他に、賛美歌「いつくしみ深き(「星の世界」というタイトルでも知られる)」も演奏された。

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2016年12月21日 (水)

霧島昇 「胸の振り子」

お洒落な曲に思えますが、作曲の服部良一によると、日本歌謡の王道を狙った曲とのことです。

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2016年12月20日 (火)

美術回廊(7) 京都市美術館 「バルテュス展」2014京都

2014年8月26日 京都市美術館にて

京都市美術館で「バルテュス展」を観る。

フランス人画家であるバルテュス。バルテュスというのは愛称兼芸名で、本名はバルタザール・ミシェル・クロソウスキー・ド・ローラという長いものである。スキーという英語でいうsonに当たるロシア・スラヴ圏の言葉が苗字に入っているため、スラヴ系の血を引いている。父親はポーランドの貴族階級出身。母親はロシア系ユダヤ人である。
バルテュス自身も最初の妻との間に出来た息子にスタニスラスというロシア人やポーランド人に多いファーストネームを付けている。

絵はほぼ独学であり、ルーブル美術館に足繁く通っては習作を繰り返していたという。

最初にバルテュスの才能を評価したのは詩人のリルケである。まだ少年であったバルテュスの絵を見たリルケは「この年齢でこうした絵が描けるとは驚くべきことだ」として、ストーリー仕立てとなった連作絵画にリルケ本人が序文を書いて出版している。

その後、バルテュスは、『呪われた部分』の思想家ジョルジュ・バタイユや、『ヴァン・ゴッホ』などの俳優・詩人・小説家のアルトナン・アルトー等と交友している。

バルテュスの時代はシュルレアリスムが全盛であり、バルテュスの作風は「古くさい」と見なされて、同時代の画家達からはなかなか認められなかった。そこでバルテュスは敢えて扇情的な表現を取ることで、スキャンダラスな評価を受ける。バルテュスは少女を描くことが多く、それがロリータコンプレックスであるとも見なされたが、実際にはバルテュスには少女趣味はなかったようである。バルテュスは少女を描きながら、同時に少女の未来を描いているようにも見える。

京都市美術館の「バルテュス展」のポスターに使われたのは「美しい日々」という作品。窓を背にして椅子に腰掛けた少女が手鏡を見ている様子を描いたものだが、キャンバスの右隅には暖炉に薪をくべている男も描かれている。自然光と暖炉の明かり、その中で少女は二重に照らされている。ということは、薪をくべている男は少女をより美しくする役割をしているわけで、彼はバルテュス本人なのかも知れない。

バルテュスの風景画はどことなくユトリロに似ているところがあるが、人物画の方は、少なくとも20世紀のヨーロッパでは似た作風の画家は見当たらない。ああした暗さは中南米の画家が良く採るものである。フリーダ・カーロなどがそうだ。

バルテュスは何枚も習作を描くことで、完成作を練り上げるというタイプであったという。「美しい日々」などを観ていると、斎藤茂吉の「実相観入」という言葉も浮かぶ。人物画はどれも写実的というより示唆的である。

少年時代には中国文化に惹かれたというバルテュスであるが、その後、日本のことも気に入り、最初の来日時に行われた自身の展覧会のスタッフであった出田節子を見初め、後に結婚する。節子夫人の影響もあり、『源氏物語』や『雨月物語』なども英語訳やフランス語訳版で読み、日本語の学習もしていたようである。節子夫人は結婚後は常に和服であり、バルテュスもそれに倣って和服を愛用するようになる。二人の間には男の子が生まれたが早世し、後に長女となる春美が誕生している。

パリを離れてスイスの田舎町に移り住んだバルテュスは風景画なども良く描いている。また節子夫人をモチーフに浮世絵の要素も取り入れた人物画も描いている。ちなみにこの絵では姿見の鏡が用いられており、バルテュスにとって鏡は重要なアイテムなのかも知れない。

最後の展示室には、篠山紀信撮影による晩年のバルテュスと節子夫人、娘の春美との写真が並んでいる。笑顔で見つめ合うバルテュスと節子夫人の写真は微笑ましく、写真が欲しくなるが、篠山紀信の作品であるため、ミュージアムショップで売られてはいなかった。だが、節子夫人によるバルテュスの回想録にその写真が入っていたため、それを買うことに決め、他に風景画の額画と、エミリー・ブロンテの『嵐が丘』をモチーフにした画集などを買う。

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2016年12月19日 (月)

好きな短歌(36)

行き暮れて木の下陰を宿とせば花や今宵のあるじならまし

平薩摩守忠度(ただのり)

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パーヴォ・ヤルヴィ指揮hr交響楽団(フランクフルト放送交響楽団) ニールセン 交響曲第4番「不滅」

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2016年12月18日 (日)

死を美化なんてしてやらないから

「死ぬなよ」

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2016年12月16日 (金)

放課後ティータイム(HTT) 「Don't say lazy」

アニメ「けいおん!」シリーズの声優達によるガールズバンド「放課後ティータイム」(劇中バンドと同じ名称)の演奏・歌唱による「Don't say lazy」

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2016年12月15日 (木)

武満徹 「乱」より

武満徹作曲による黒澤明監督作品「乱」の映画音楽。「乱」はシェイクスピアの「リア王」の翻案です。黒澤明は、予めラッシュフィルムにクラシック音楽をつけておき、「これによく似た音楽を書いてくれ」と注文することが多かったのですが、これもそのケースです。この映像には出て来ませんが、マーラーの交響曲第1番「巨人」第3楽章ほぼそのままの葬送行進曲が出てきたりします。そのことで武満は不満だったのですが、黒澤は武満が好きではなかったティンパニの多用を要求。出来上がった音楽をスタジオで試聴している際に薄笑みを浮かべている黒澤を見た武満は激昂。「あなたのような人とはもう二度と仕事はしない!」と言ってスタジオを飛び出し、関係は破綻しました。

話は変わりますが、「乱」のラストシーンに出てくる少年は、若き日の野村萬斎(野村武司)です。

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2016年12月13日 (火)

楽興の時(12) 「京都市交響楽団の指揮者による音楽ワークショップ 指揮者のお仕事!ハーモニーって?」

2016年12月1日 北大路の京都市北文化会館にて

午後6時から、京都市北文化会館で、「京都市交響楽団の指揮者による音楽ワークショップ 指揮者のお仕事!ハーモニーって?」を見学する。事前予約不要、無料である。先日行われた京都市交響楽団の第607回定期演奏会で配られた公演宣伝用チラシの中に、今回のワークショップのチラシが含まれていたために知ったのだ。

演奏は、立命館大学交響楽団。指導は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーで、東京音楽大学指揮科教授、京都市立芸術大学指揮科客員教授でもある広上淳一が行う。立命館大学交響楽団は、再来週に第116回定期演奏会を行うのだが、指揮を担当するのは広上ではなく阪哲朗であり、広上は今回の催しのために特別に指揮することになる。

リハーサル形式ではなく、学生指揮者のY君が指揮をして、広上が駄目出しをするという授業形式のワークショップである。ワークショップのタイトルにある「ハーモニー」というのは、「和音」や「和声」ではなく、「調和」という程度の意味であるようだ。

立命館大学交響楽団のメンバーは、みな私服であるが、お揃いの黒のパーカーを羽織っている。パーカーの背中の部分には、立命館交響楽団の略称である「立響」という文字が白抜きで入っている。

ワークショップは、広上による学生指揮者のY君への指導と、Y君とコンサートミストレスであるKさんへのインタビューを軸に行われる(音楽家志望でない大学生であるため、名前はイニシャルのみの表記とさせて頂く)。


進行役はマスダさんという女性。広上は彼女のことを「アナウンサー」と紹介していたが、私は寡聞にして知らないため、漢字表記まではわからない(「増田」、「枡田」、「益田」など、同じ「マスダ」さんでも色々な表記がある)。

マスダさんは、挨拶を終えた後で、「ヒロガミ淳一先生にご登場頂きましょう」と言うが、出てきた広上に、「あなた、口調が堅い」と言われ、更に「私はヒロガミじゃなくて、ヒロカミなんですが」と駄目出しされる。マスダさんは、ワークショップ終了後にも、「広上先生、ありがとうございました」とお堅い挨拶をして、広上に「面白かったとかそういうこと言えばいいのに」と言われていた。

広上は、黒の長袖の上にサーモンピンクの半袖シャツという出で立ちである。ピアニカを片手に登場し、少しだけだが演奏も行った。

まずは、Y君の指揮で、ビゼーの「カルメン」より第1幕の前奏曲の前半(通称「闘牛士」の前奏曲)が演奏される。Y君の指揮は基本的にビートを刻むだけであり、どのような音楽を創りたいのかは皆目わからないという状態である。広上は「闘牛士」の主題に合わせてピアニカを演奏した。

まず、広上は立命館大学の学食について、「ドキュメンタリーで見たのですが、とても立派で、100円朝食があるそうで」という話をする。学生は朝食を抜くことが多く、それでは健康に悪いというので、安くてボリュームのある朝食を立命館大学の学食は提供するようになったとのこと。広上は、「あれを見て、うちの大学(東京音楽大学)の学食がいかに貧弱か知りました」と述べる。「是非、一度(学食に)お伺いしたい」と広上。

それから広上はY君に学部を聞き、Y君が「生命科学部」と答えると、「何を勉強しているの?」と聞くがY君が返答に詰まったため、「え? 勉強してないの?」と言う。「どうして人間に雄と雌があるのかとか、どうしてゲスな不倫ばっかりしちゃうのとか研究してないの?」

広上は続いて、「この曲は誰が作曲したか知っている?」とY君に聞き、Y君が「ビゼーです」と返すと、「ビゼーってどんな人?」と更に聞く。Y君が「真面目な人」と答えると、「え? 会ったことあるの?」と突っ込む。「ビゼーは、モーツァルトもそうですが、余り真面目な人じゃなかった。不真面目な人だった」「真面目で不真面目な人だった」という風に広上は続ける。作曲家というのは基本的にボヘミアン気質である。
オペラ史上最大のヒット作である「カルメン」の作曲者であるジョルジュ・ビゼーは、実は生前は音楽的な成功に浴することがなかった人である。歌劇「カルメン」の初演は歴史的大失敗であった。ビゼーは失意のうちに亡くなるのだが、皮肉なことにビゼーが没した直後に「カルメン」は大当たりを取り、今に至るまで「傑作」の評価を確たるものにしている。

ビゼーは、「音楽は素晴らしいものだが、それを職業にしようというのは怖ろしいことである」という言葉を残しているが、それを踏まえたのか、広上は、「指揮者は棒を振るでしょ。それで、『人生を棒に振る』と我々は言う」と語る。

広上は、コンサートミストレスのKさんに、「彼の指揮を見て演奏してどうでした?」と聞き、Kさんは「もっと盛り上げるところは盛り上げて欲しい」と答えた。

広上はY君に、「指揮者になりたくて指揮やってるの? それとも誰かに勧めれて?」と聞く。Y君は元々はヴァイオリンを弾いていたそうだが、「みんなで話し合って、じゃあ僕がやろうと」「格好いいので」と答える。広上は、「自分からやりたいと言った割りには見ていて全然楽しそうじゃない」と言う。「楽しいことなんかないの? 彼氏、じゃなかった、彼女はいるの?」、「彼氏はいません」「(彼女も)いないです」というやり取りの後に、チェロ奏者の女子学生にも話を聞いて、やはり「彼氏はいない」ということで、まあ、ということではないわけだが、恋愛をしている時のような笑顔を作って指揮するように指導する。Y君を客席の方に向かせて、思いっきりの笑顔を見せるように言ったのだが、Y君は、「恥ずかしいです」
そこで、広上はKさんに、「ねえ、あなた。今から一人で水着になってというのは恥ずかしいだろうけれど、全員水着になって演奏したら大丈夫なんじゃない?」と聞く。Kさんは、「夏なら」と答えるが、広上は、「冬でもいいでしょ。この間、うちの学生に同じ質問したら、『最低!』と言われた」と語って、客席から笑いが起こる。
「恥ずかしいという気持ちは誰にでもある。だだ状況に寄るんです」と広上はいう。指揮者というのは、100人ほどの楽団員の前に立って様々な仕草をするため、恥ずかしさを抱えたままだと出来ない。

広上は鉄道が好きで、小さい頃は運転手になりたかったと語り、「朝比奈隆という先生が、京都の大学(京都帝国大学法学部)を出て、阪急に入って、車掌と運転手をして、それから阪急で偉くなった(厳密にいうと偉くなったのではなく阪急百貨店に出向したのである。朝比奈は偉くなる前に阪急を辞めて、京大文学部に再入学している)。朝比奈先生に聞いたら、『鉄道好きなのは俺と秋山(和慶)だけだよ』と仰ってましたが」
命館大学交響楽団楽団員の中にも鉄道好きが一人いるそうだが、そうした鉄道好きが本当に運転手になった時のようにウキウキとした気分で指揮するのが重要ということである。


広上はY君に、「さっき、ビゼーが真面目だって言ったけど、真面目ってどういうこと?」と聞く。Y君が「成績がいい」と答えると、広上は「嫌なこというね。私は成績悪かったんです。あなたは成績いいの?」と聞く。Y君が「悪いです」と答えると、「じゃあ仲間だ」と握手して、「将来、指揮者になれるかも知れないよ」と続ける。

再度、「カルメン」の第1幕の前奏曲前半。広上はY君に、左手でシンバルに指示を送るように指導する。


今度は、「カルメン」の第1幕の前奏曲後半。悲劇的な曲調である。Y君が棒を振って、弦楽が音を刻み始めるが、広上はすぐに止めて、見ていて意図がわからないというようなことを言う。「悲劇とは何か」をY君とヴィオラ首席の位置に座った男子学生にも聞く。ヴィオラの学生は、「辛いとか、出来れば避けたいこと」と答える。
広上はY君に、「失恋したことある?」と聞き、Y君が「あります。三、四回」と答えると、「三、四回? まだまだ修行が足りない。私は十二回ある。それも大人になってから失恋した。『絶対に無理!』と言われて。『絶対に無理!』って言われたんだよ」
Y君に失恋したときの痛手を思い出して貰うべく、頭を抱えてうずくまって貰う。それからそのままのポーズで指揮するよう言ったのだが、上手くいかない。そこで、広上は背後からY君の右手を取って、傀儡師の要領で指揮をする。広上が振り付けた指揮は、拍を刻むのではなく、音型を示すエモーショナルなものである。
広上は、「指揮者は楽団員を鼓舞する。鼓舞するってわかる?」とY君に、聞き、Y君が「盛り上げるとかそういう」と答えると、「流石、立命館の学生。頭が良い。うちの学生は、『鼓舞するってわかる?』と聞くと、『昆布ですか?』と返ってくる。漢字から教え直さないといけない」

広上は、Y君に、「卒業後どうするの?」と聞き、「東京音大か京都市立芸大に来ない?」とスカウトする。Y君は進路について「サラリーマン」と答え、「安定してるから」と述べるが、広上は「この間会ったお役所の人、公務員の人もそう言ってた。安定してるから。大した仕事しなくても威張れるからって」
広上はKさんにも進路を聞き、Kさんはやはり「サラリーマン」と答える。理由は、「ヴァイオリンを続けるのは大変」だからだそうだが、広上は「OLだって大変だよ。電通の子、『苦しいよお』って自殺しちゃった」「大変じゃない、楽な仕事なんてないんだよ」
広上は、会社員になっても音楽を続けて欲しいとも語る。

更に広上は、自身で前奏曲後半冒頭部分を指揮する。音の密度が大きく違うのがわかる。

悲劇的な曲調の音楽であり、広上は、「これを書く人は大変。ビゼーも31歳で亡くなった」と述べる。「ただ、音楽は苦しいときに必ず助けてくれます」と断言し、「ねたみだとかやっかみだとか誰にでもあるんです」「バカリズム、升野さんといったかな? 『アイドリング!!』の司会をしていた。彼は売れてない頃、自分よりも実力のない芸人がテレビで活躍しているのを見て、『バカ! バカ!』とやっかんでいたそうです」と語り、「ただ、そのマイナスの気持ちをプラスの方に振り向けたところ途端に売れるようになった」と言って、マイナスをプラスに持って行くのが表現者には重要だと述べる。
「どうすれば上手くプラスに持って行けるのかよく考えて、あんまり考えすぎると自殺しちゃうので、適度によく考えて」音楽を作るよう諭す。

音楽教育というのは本来は楽しいものであり、ポピュラー音楽(福山雅治、SMAP、広上が好きな桜田淳子の名前も挙げていた。広上の娘さんはユーミンが好きだそうである)もクラシック音楽のイディオムを踏襲して作られているのだが、「(クラシック音楽の)楽しさを知らない音楽教師に教わると大変なことになる。隣の市長さん(前大阪市長の橋×さん)も多分、間違った音楽教育を受けてクラシック音楽が嫌になってしまったんでしょう」

哲学の話になり、哲学専攻の女子学生が第2ヴァイオリンにいたので、「哲学者は誰が好き?」と広上は聞き、女子学生は迷ったものの「ヘーゲルとカント」と答え、カントの思想について、「規律正しく生きるのが重要」と説明するが、広上は、「そんなこと出来るわけないだろ!」。ちなみに、私が学生の頃はまだ、デカルト、カント、ショーペンハウエルのいわゆる「デカンショ」という言葉はまだ生きていて、少なくとも文学部の学生の間では、「デカンショぐらい読んでおかないと」という気風があったのだが、今の学生もそうなのかは不明である。
Kさんは、日本史専攻だそうで、真田信繁(幸村)も好きで(前の日曜日の「真田丸」に広上の弟子である下野竜也が出ていたという話をし、広上はやはりというか「私も出たかった」と語った)「義を貫くところが良い」そうだ。広上は、「でも、死んじゃうよ」、Kさん「死んで名を残すところが格好いい」、広上「嫌な女だね! 私は死にたくないです」。更に、「義という考えは、儒教に基づくものなのですが、真田信繁が生きていた時代にはなかった考え方でして、真田信繁のお父さん、草刈正雄さんが演じていましたが、真田昌幸は真田家を守るために考えをコロコロ変えた。義というのは、江戸時代に広まったものです。だから『忠臣蔵』とか」と解説する。儒教は古くから日本に入って来ていたが、本格的に広まるのは徳川家康のブレーンの一人、林羅山の時代からである。儒教を広めるのに一役買ったのは、赤穂浪士の討ち入りがあった時代の将軍、徳川綱吉である。徳川綱吉というと、「生類憐れみの令を作った馬鹿殿」というイメージだが、こと学問に関しては徳川十五代将軍の中でトップクラスであり、儒学の大家で、当代一流の儒学者に自ら儒学を教授していたほどのインテリであった。
Kさんは、近現代史を専攻しており、古関裕而の研究をしているそうである。Y君は古関裕而を知らなかったそうだが、Kさんは「東京オリンピックの」と語る。広上は、「古関裕而という人は、東京オリンピック(1964年夏季五輪)のファンファーレを作曲した人です。それからNHKのスポーツ番組のテーマ(なお、こんな曲あんな曲の作曲者でもある。こちらの曲もかなり有名)。ちなみに、日本テレビ、こちらでは読売テレビのスポーツ番組のテーマを作曲したのは誰かご存じ?」とKさんに聞く。Kさんは知らなかったが、広上は「黛敏郎という人」と答えを教える。黛敏郎が日テレのスポーツテーマの作曲者だということは、我々の世代は、黛が司会を務めた「題名のない音楽会」で何度か取り上げられたので知っているのだが、考えてみれば今の学生は黛司会の「題名のない音楽会」をリアルタイムでは知らないのである。日テレのスポーツテーマのことも知らなくて当然といえば当然である。
これらの話は直接には音楽には関係がないのだが、音楽は「(好きなことを)ベートーヴェンの第九に出てくるように、みんなで手を取り合って一緒に作ることが重要」であると広上は語る。


広上の指揮による、「カルメン」第1幕の前奏曲(「闘牛士」)の演奏。広上はノンタクトでの指揮である。メリハリが学生指揮者とは桁違いだが、一番違うのはシンバルの響きである。シンバルはただ打ち合わせるだけの楽器なのだが、これほど響きが異なるということは、指揮者の安定感と同時に、他の楽器の音の密度が濃くなるため、心に開放感が生まれて良い音を出せるようになったのだと推測する。指揮者は棒のテクニックも重要だが、楽団員の心理面の掌握も重要なようだ。


指揮者が「格好いいから」「何の楽器も演奏していないのに偉そうに出来るから」(広上曰く「大したことない人ほど威張る」そうである。もっとも、誰しも一人は、そうした人は頭に浮かぶでしょう)という理由で東京音大の指揮科に入ってくる学生もいるそうだが、指揮者は楽器こそ演奏しないが、奏者達に演奏するよう仕向けなければならないし、そのためには先読みして振る必要があるし、体で伝達する技術が必要。山のように勉強しなくてはならないと広上は語る。「実は(指揮者が)いなくても今のオーケストラは演奏出来るのですが」とも言うが、それは単に「演奏は出来る」だけであって面白い音楽を生むことは出来ないだろう。そして良いオーケストラを育てるには、また良い指揮者になるには時間が掛かるということを強調する。「『京都市交響楽団は良いオーケストラですね』と言われますが、そうなるのに9年ほど掛かった」


広上さんは今度、シュトックハウゼンの曲を指揮する。シュトックハウゼンというのは変わり者で、広上もシュトックハウゼンについては、「×××い(放送禁止用語です。ジャン・リュック・ゴダール監督の映画タイトルに使われています)」と語っている。
カールハインツ・シュトックハウゼン(1928-2007)は、20世紀のドイツを代表する作曲家なのだが、自身のレーベルを立ち上げて、法外な高値で自作のCDを発売するなど、とにかく変わった人であった。彼の作品の中では、私は「ヘリコプター弦楽四重奏曲」というのが好きである。音楽的にはとても優れた弦楽四重奏なのだが、実は一人一台ずつヘリコプターに乗り、四台のヘリコプターを使って演奏される曲である。ストリングカルテットのメンバーはヘッドホンを付けて他の奏者の音を聴く。わけがわからん。


行きはバスで来たが帰りは歩いて帰る。家から京都市北文化会館までは、京都コンサートホールよりはちょっと遠いという程度である。

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2016年12月12日 (月)

これまでに観た映画より(84) 「大鹿村騒動記」

DVDで日本映画「大鹿村騒動記」を観る。阪本順治監督作品。原案:延江浩。出演:原田芳雄、大楠道代、岸部一徳、松たか子、佐藤浩市、三國連太郎、冨浦智嗣(とみうら・さとし)、瑛太、小野武彦、でんでん、石橋蓮司ほか。主題歌:忌野清志郎「太陽の当たる場所」

原田芳雄の遺作となった映画である。

長野県にある実在の村、下伊那郡大鹿村が舞台である。大鹿村では、300年の伝統を誇る村歌舞伎が行われているのだが、出演者達が村人に扮して、歌舞伎の景清もの(「六千両後日文章」)を演じる。

長年に渡って景清を演じてきた風祭善(原田芳雄)。18年前、妻の貴子(大楠道代)と友人の治(岸部一徳)が駆け落ちして村から出て行って以来、善は一人者を貫いている。かつては鹿牧場を経営した善だが、今は「ディア・イーター」という、店名そのままの鹿料理の店を一人で営んでいる。そこに、雷音(らいおん)というキラキラネームの青年(冨浦智嗣)がアルバイトの面接にやって来て即日採用される。雷音が声が高くて華奢だが、実は性同一障害を抱えており、姿形は男だが、内面は女だ。

治と貴子が大鹿村に18年ぶりに帰ってくる。実は貴子は前頭葉が萎縮するという、アルツハイマーとは別の認知症になり、治は自分では支えきれないとして、夫である善に貴子を帰しに来たのだ。

大鹿村にはリニア新幹線が通る計画があり、村民達は推進派と賛成派に分かれて意見が衝突、景清ものの上演が危うくなる。

実は戦中には、男達が出征したため、景清ものは女歌舞伎として上演されており、貴子は畠山重忠の妻の道柴を演じていた。記憶に障害のある貴子だが、道柴のセリフは覚えている。

そんな中、台風23号の上陸による土砂崩れにより、女形として道柴を演じていたバス運転手の一平(佐藤浩市)が負傷。舞台に出られなくなる。そこで、村役場の総務課に勤める織井美江(松たか子)が貴子に道柴を演じさせれば、昔のことも思い出せるのではないかと提案し……。

大傑作というわけにはいかないが愛すべき映画である。
歌舞伎というと、男が女を演じるという倒錯があるのだが、性同一性障害を抱える雷音が郵便配達夫の寛治(瑛太)に恋をして、一応受け入れられたりという歌舞伎的要素が持ち込まれている。高麗屋のお嬢さんである松たか子は村歌舞伎に出演せず、大楠道代が舞台に上がるのだが、大楠道代の役名は字こそ違えど「たかこ」であり(松たか子の「たか子」は漢字で書くと「隆子」である)、転倒が見られる。松たか子の役名は美江だが愛称は「みっちゃん」で、やはり大楠道代と逆転している。
歌舞伎の手法はこのほかでも用いられている。

三國連太郎と佐藤浩市の親子が出ているが、同じシーンには出演していない。三國連太郎も佐藤浩市も出演している場面はさほど多くないのだが、共に重要な役割を担っている。

原田芳雄の見事な歌舞伎役者ぶりと、大楠道代の「可愛らしいおばあちゃん」ぶりも見事である。

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2016年12月 9日 (金)

美術回廊(6) 「イラストレーター 安西水丸展」京都2016

2016年7月8日 美術館「えき」KYOTOにて

ジェイアール京都伊勢丹7階に隣接した美術館「えき」KYOTOで、「イラストレーター 安西水丸展」を観る。

千葉県千倉町(現・千葉県南房総市千倉)出身で、イラストレーター、画家、小説家、エッセイストなど幅広い分野で活躍した安西水丸(本名:渡辺昇。1942-2014))の展覧会である。

村上春樹とのコラボレーションでも知られた安西水丸。二年前に訃報を聞いたときには驚いたが、村上春樹とのやり取りの内容から若いイメージがあったものの、1942年生まれと予想よりもお年だったのである。

千倉のイメージが強いが、生まれは東京で、3歳の時に小児喘息の療養のために母方の実家である千倉に移り住んでいる。千倉は千葉県内でも海が美しいことで知られる街だ(と書きながら実は千倉には行ったことがない。千葉県出身ではあるが千葉市民は千葉県の南の方には余り行かないのである)。

日大豊山高校を経て日大藝術学部美術学科造形コース卒。生家が代々建築の仕事をしていたため、建築についても学ぶ必要があり、いわゆるダブルスクールで建築の専門学校の夜間コースにも通っている。村上春樹との対談によると、夫人とはこの専門学校で出会ったそうである。

日大藝術学部卒業後、電通に入社、その後、平凡社にも勤める。村上春樹のエッセイによるとかなり楽しいサラリーマン時代を送ったそうだが、にわかには信じられないほどパラダイス状態であるため、かなり脚色されているのかも知れない。

本名は渡辺昇(京都・一乗寺の名家の方や坂本龍馬のお友達と同性同名である)で、村上春樹の短編小説集『パン屋再襲撃』には全編に渡ってワタナベノボルという名前で登場する。


安西水丸本人が「大人になっても小学生の絵を描いている大人」と称しているように、一種のヘタウマ的な持ち味のある人である。千倉時代の絵もあって、普通に上手いのだが、そこから次第にタッチがシンプルになっていく。

いくつものイラストをじっくり見て気がつくのは余白の多さである。対象物と比較すると余白の部分がかなり多い。ただ、ぱっと見ではそうしたことには気がつかない。描かれた対象物の持つパワーと、絶妙なバランスが、余白を見えない力で埋めているのだろう。

またシンプルではあってもお洒落である。原色を用いた配分の妙がそうした世界を生んでいるのだと思われる。

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2016年12月 6日 (火)

これまでに観た映画より(83) 「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」

DVDで、アニメ映画「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」を観る。総監督:庵野秀明。実写(声優達が登場)なども挿入した凝った造りである。

神の子・イエスを殺したことで罪を負い、「行き詰まった」人類の歴史を終わらせ、新たなる人類(ニーチェがいうところの超人であろうか)の再生に賭けるゼーレにより、人類は終焉に至ろうとする。

終焉はLCL溶液のような、集合的無意識の海へと帰って行くことであり、自我を溶解させて「居心地の良い」胎内のようなものへの回帰である。そこでは、自分と他人は融合しており、全ては溶け合っていて、他者を傷つけることも他者から傷つけられることもない。

ただ、そうした「死」にもに似た甘い心境は否定される。「真心」=「真の心」でもって、人間は現状であっても想像力を持っていれば自己を否定することなく世界を再生させることが出来る。現実は「居心地が悪い」=「気持ち悪い」ものだが、そう感じられるということもまた生きているということの証なのである。死者は「気持ち悪い」と感じることすら出来ないのであるから。

結果的に、人類は肯定されており、人生は賛美される。「生きる」勇気を奮い立たせてくれるような、優れた映画であった。

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2016年12月 3日 (土)

美術回廊(5) 「メアリー・カサット展」京都

2016年11月27日 左京区岡崎の京都国立近代美術館にて
 

左京区岡崎の京都国立近代美術館で、「メアリー・カサット展」を観る。

メアリー・カサット(1844-1926)はアメリカに生まれ、祖国とフランスで活躍した女流画家。学生時代は古典美術を描いていたが、渡仏後に印象派に作風を変え、その後、独自の画風を生み出してアメリカ画壇の先駆者となっている。
現在の米ペンシルバニア州ピッツバーグの生まれ。現在は斜陽都市として知られるピッツバーグだが当時はまだ景気が良く、父親は成功した株式仲買人、母親は銀行家の娘で、金銭的には恵まれた幼少期を過ごした。
フィラデルフィアの絵画アカデミーで絵を学んだメアリーは、プロの画家を目指すために渡仏。普仏戦争により一時帰国するも再びヨーロッパに渡り、パリでカミーユ・ピサロに師事した。その後、ドガの描いた絵に激しく惹かれ、ドガと対面。ドガの勧めもあって印象派の作品を発表するようになる。

まず「画家としての出発」という、学生時代の作品の展示から始まる。「フェルメール」という言葉が説明に用いられているが、影響は一目見ればわかる。顔を分厚く塗って立体感を持たせた油彩画であり、構図もいかにもフェルメール的である。

渡仏後には作風をガラリと変え、柔らかで淡い感触の絵が並ぶ。絵画なので当然ながら静止しているのだが、カンヴァスの向こうから光が差し込んでいるように感じられたり、描かれた対象が今にも「揺れ」そうなイメージ喚起力を持っている。
「浜辺で遊ぶ子どもたち」からは、潮騒が聞こえてきそうだ。

メアリーは観劇を好んだそうで、劇場に集う婦人達の絵画を発表している。好んで観劇をする女性は、当時、時代の先端を行く新たな女性像でもあった。女性達が家庭から自由になりつつあったのである。

印象派の画家であるため、「ジャポニズム」の影響も受けており、浮世絵にインスパイアされた「化粧台の前のデニス」など、合わせ鏡の絵を描いている。
個人的にはこの「化粧台の前のデニス」が最も気に入ったのだが、絵葉書などにはこの絵は採用されていなかった。

その後の絵画は、タッチよりも内容重視であり、何かを求める赤子の姿を通して、「新たなる生命を求める存在」を描くようになる(作品としては、「母の愛撫」、「果実をとろうとする子ども」など)。内容重視と行っても絵画の技術をなおざりにしたわけではなく、三角形を二つ合わせた構図(北条氏の家紋を思い浮かべるとわかりやすい)を用いて安定感を出している。ドライポイントで描かれた「地図」(「レッスン」とも呼ばれるそうである。二人で何かを熱心に読んでいる子供の姿である)という絵にも惹かれた。

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2016年12月 2日 (金)

不如意

我々は自分の心さえも思うようには動かすことが出来ない。考えたくないことを考え、思い出したくもないことを思い出してしまう。やる気をだそうとしても出ず、「つまらない」とわかっていることを続けてしまう。
だから人生や、他人を思うとおりにしたいというのは奢りだと心得るべきである。

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