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2017年1月14日 (土)

コンサートの記(266) 宮本亜門演出 東京二期会オペラ劇場「魔笛」

2015年7月16日 東京文化会館にて

午後6時30分から、東京文化会館で、東京二期会オペラ劇場・モーツァルトの歌劇「魔笛」を観る。様々な作曲家が数多く作曲したオペラの中でも人気ということに関してはトップランクに来るモーツァルトの「魔笛」。音楽之友社が数年前に行ったアンケートでは好きなオペラ1位であった。とにかく音楽がチャーミングであり、おとぎ話のようなストーリーも観るものを惹きつける。
ストーリーに関しては、「一貫性がない」という批判を受けるが、台本を書いたシカネーダーとモーツァルトが共にフリーメイソンの会員であり、フリーメイソンが「男尊女卑」の思想を持つことを考えると案外、首尾一貫した話という印象も受ける。

演出は宮本亜門。今回は、「魔笛」がRPGの中の話という設定で、全編CGが用いられる。具体的な装置はたまにしか登場しない。今の時代なら十分に可能ではあるがかなり思い切った演出である。

指揮は、デニス・ラッセル・デイヴィス。古楽から現代音楽まで幅広いレパートリーを誇るアメリカ出身の指揮者である。全曲モダン楽器によるピリオド・アプローチを採用した「ハイドン交響曲全集」を完成させており高い評価を得た。オーケストラは読売日本交響楽団。デニス・ラッセル・デイヴィスの指揮なので当然ながらピリオド・アプローチによる演奏である。

なお、今回の魔笛はオーストリアのリンツ州立劇場との共同制作であり、東京に先駆けてリンツで世界初演が行われたようである。

舞台は八百屋になった菱形。菱形の上辺の二つのライン上にパネル型のスクリーンが立っており、丁度本を開いて舞台の上に置いたような形に見える。このスクリーンにCGが投影され、更に部分部分が開閉することで、場面転換がスムーズに行く。CGは途中で映像が乱れたりもしたが、これだけ徹底してやられると不思議と説得力を持って見える。

出演は、妻屋秀和(ザラストロ)、鈴木准(タミーノ)、加賀清孝(弁士)、髙橋裕樹(僧侶Ⅰ)、栗原剛(僧侶Ⅱ)、森谷真理(もりや・まり。夜の女王)、幸田浩子(パミーナ)、日比野幸(ひびの・みゆき。侍女Ⅰ)、磯地美樹(いそち・みき。侍女Ⅱ)、石井藍(侍女Ⅲ)
小野颯介、福田建、髙井麻飛(たかい・あさひ)、以上3人は「三人の童子役を務める子役である。全員、TOKYO FM少年合唱団に所属)
九嶋香奈枝(くしま・かなえ。パパゲーナ)、黒田博(パパゲーノ)、高橋淳(モノスタトス)、成田勝美(武士Ⅰ)、加藤宏隆(武士Ⅱ)
ダブルキャストであり、16日と19日がこのキャスト、18日と20日は別のキャストが演じる。東京二期会の公演であるため、子役を除く全員が(東京)二期会に所属する歌手達である。

合唱は二期会合唱団。この公演には歌うことはないダンサーが男女3人ずつの6名が出演する。鈴木裕香(すずき・ゆか)、津吉麻致子(つよし・まちこ)、泉真由の女性陣は、娼婦風の女性3人の他にチンパンジーの着ぐるみを着ても出演。栗林昌輝、藤岡義樹、竹中勇貴の男性キャストはチンパンジーやゴリラを主に演じる(振付担当は新海絵理子)。

なお、今回はiPhoneやiPad使用者向けの巨大なQRコードが開演前と途中休憩時間に降りているスクリーンに投影され、アップル・ユーザーはQRコードを読み取ることで、RPG「魔笛」をディスプレー上で楽しめるという(私はAndroidユーザーなので関係なかったが)。

デニス・ラッセル・デイヴィスが登場し、「魔笛」序曲を演奏。シャープにしてクリア、且つ豊潤な音楽が奏でられる。「魔笛」序曲演奏中に舞台上ではプロローグが演じられる。舞台は意外にもとある家庭の一室。「魔笛」序曲の3つの音をノックとでも聴いたように、奥の扉を開けて、おじいちゃん(加賀清孝)が登場。おじいちゃんはプレゼントの箱を手にしている。その後、3人の子供(三人の童子を務める子達)が入って来る。3人はおじいちゃんの孫のようだ。おじいちゃんが孫にプレゼントしたのはコンピューターゲーム。ソフトは「君もヒーローになれる」というRPGが内蔵されており、ディスプレーにメッセージが浮かぶ。そこに、サラリーマンの格好をした父親(鈴木准)が部屋に帰ってくる。父親は会社でトラブルを起こしたようで、辞めるかクビになるかしたようだ。そこへ母親(幸田浩子)が帰ってくる。夫婦喧嘩が始まり、遂には母親が父親に愛想を尽かしてキャリーバッグを引いて家を出てしまう。やけっぱちになった父親は「ヒーローになりたい」との思いからRPGの画面の中に飛び込む。ディスプレーが割れる映像が浮かび、キャストが退場、セットも退けられて、背後のスクリーンのみの無機質な舞台になる。スクリーンに白蛇が現れ、縦横無尽に動き回る。タミーノとなった父親は白い大蛇から逃れようとして気絶。ここで侍女3人が表れ、タミーノのことをイケメンだと褒めそやし(タミーノ役の鈴木准は実際に結構な男前である)、タミーノに衣装を与える。

今回のタミーノはサラリーマンがRPGの世界に迷い込んだという設定であり、彼は王子でも貴族でもない(侍女の3人が明かす場面がある)。

その後に表れる黒田博演じるパパゲーノは、道化風というか、ちょび髭なしのチャップリンのような出で立ちである。鳥刺し男という設定は変わっていないのだが、鳥刺し男には見えない。
黒田のパパゲーノは演技は達者だが、声がやや重めである。

夜の女王役は本当は幸田浩子が良かったのだが、今回の夜の女王は格好が色物風だったので、幸田の良さを生かすならパミーナということになったのだろう。夜の女王役の森谷真理のコロラトゥーラは見事であった。

幸田浩子のパミーナは予想通り愛らしい感じであったが、もう少し演技を付けた方が良かったかも知れない。歌は素晴らしい。彼女の高く伸びる歌声はやはり聴いていて心地良い。
なお、今日は入場者全員に幸田浩子のサンプルCDがプレゼントされた。

ザラストロが率いる一派は理知的に過ぎる嫌いがあるのだが、宮本亜門はそれを思いっ切り外面に表れるよう演出。ザラストロ達は脳味噌の形をした被り物をしている。見たままズバリ頭でっかちという印象である。

男性達は理知的に過ぎ、女性達は情に溺れるというのが「魔笛」の基本的なラインである。タミーノが3つのイニシエーションを経て、パミーナとの「真の愛」を掴み取るのだが、儀式から脱落したパパゲーノがパパゲーナを得て、有名な「パパパの二重唱」を歌うのを聴くと、「真の愛」と思われている愛が本当の愛なのかどうか曖昧に思えてくる。

今回の「魔笛」は、タミーノとパミーナの大団円、パパゲーノとパパゲーナの大団円の後に、タミーノから一人の男に戻ったサラリーマンが仕事を成功させ、妻と復縁するという三つ目の大団円が用意されており、かなり祝祭的な印象を受ける。

ラストでは、二期会合唱団の面々がドレスアップして客席の上手端通路と下手端通路に並んで喜びの歌を唄うなど、視覚的、音響的効果にも優れていた。

三人の童子は成人女性のソプラノ歌手が歌うことも多く、ソプラノの方がボーイソプラノよりも歌唱も安定しているし、演技も達者なのだが、今回の解釈だと男性の中に女性が子供として交じっているということになり、異物混入に見えるため、ボーイソプラノの方が説得力があるだろう。

デニス・ラッセル・デイヴィス指揮の読売日本交響楽団は全編を通してフレッシュな演奏を展開。聴き応えのある「魔笛」であった。

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