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2017年1月16日 (月)

コンサートの記(267) オリジナルオペラ「鑑真東渡」

2016年12月28日 ロームシアター京都メインホールにて

午後6時30分から、ロームシアター京都メインホールで、オリジナルオペラ「鑑真東渡」を観る。南京を本拠地とする江蘇省演芸集団有限公司による上演。
作曲:唐建平、演出(監督、導演):邢時苗、脚本:憑柏銘&憑必烈。程嘩(「嘩」は正確には「日偏に華」)指揮江蘇省演芸集団交響楽団による演奏。日本箏演奏:松村エリナ。
出演は、田浩江(ニューヨークのメトロポリタン歌劇場所属)、駱洋、柯緑娃、劉雨東、殷桂蘭ほか。合唱:江蘇省演芸集団歌劇舞芸院合唱団。特別ゲスト:仁如法師(中国・大明寺監院)。
主催:日中友好協会ほか。協力:毎日新聞社ほか、後援:外務省、文化庁、中華人民共和国日本大使館、奈良市、奈良県、京都市。

日本に戒律を授けるため、何度も渡海に失敗しながら来日し、唐招提寺を建てて日本で亡くなった鑑真和上の物語である。



天平の世。日本に仏教が渡ってからすでに200年余りが経った。しかし、仏教はすでに乱れており、兵役を逃れるためや権力欲しさにエセ出家するものが後を絶たないという状態だった。仏教による鎮護国家成立にはきちんとした仏教の戒律が必要なのだが、当時の日本には正式な戒壇も戒律もない。そこで、唐の国の高僧を招くことに決める。その際、唐に渡って高僧を招くために尽力した日本の僧侶が栄叡(ようえい)と普照の二人なのだが、今回は栄叡一人に纏められている。

史実では、鑑真の弟子を招こうとするも、日本に渡ってもいいという高僧は一人もいなかったため、鑑真自らが渡ることを決めるのだが、その辺のことはややこしいので、まず鑑真が日本に渡るということは鑑真本人がすでに決めており、弟子達がそれに反対するという展開を取る。

まず、オーケストラピットの下手端に高僧の座る椅子が設けられており、ここに仁如法師が陣取って読経を行い、スタートする。
江蘇省演芸集団歌劇舞芸合唱団のメンバーは木魚を手にしており、その木魚の音で音楽が始まる。唐建平の音楽は調整音楽ではないものの、わかりやすい。新ウィーン学派の音楽、オペラということもあって、就中、アルバン・ベルクの音楽を東洋風にしたものというと通じやすいかも知れない。

今日は3階席の5列目(一番安い席)に陣取ったのだが、開始前にレセプショニストさんから、「もっと前の席に移って頂いても結構です」と言われる。実は3階席の前の方は招待客向けの席だったのだが、招待客がほぼ一人も来なかったという惨状のようだ。私の他にも前に行くよう勧められた人は二人いて、共に3階席の最前列に移ったのだが、私は「取り敢えず見にくかったり、音が悪かったりしたら移ろう」ということで保留。実際に見てみると、3階席の5列目でもよく見えたし、音の通りは素晴らしく、不満はなかった。ということで頑として動かず。思いっきり日本人してしまったぜ。
日本のクラシック界はブランド志向であるため、日本ゆかりの人物のオペラとはいえ、中国の現代作品を観ようという人は、よっぽどのオペラ好きか仏教好き、もの好きに限られる。ちなみに私は全てに該当する。

ロームシアター京都メインホールでオペラを観るのは二度目だが、ここはオペラを聴くには本当に適しているようで、歌手や合唱団の声、オーケストラの音色などがクッキリと聞こえる。オペラ劇場としての音響は最上級。まだ遠い方の席でしか聴いたことはないが、これまでにオペラを聴いたことのあるどのホールよりも音が良いと断言できる。それだけに使い勝手の悪さが残念でもある。
今日はサイド席(バルコニー席)はほとんど使われていなかった。

日本箏の松村エリナを除いて、オール・チャイニーズによる演奏(江蘇省演芸集団交響楽団のメンバーには白人も含まれているようである。また漢民族以外の名前も持つ人もいる)。
私が若い頃は、世界で最も有名なアジア人作曲家は武満徹であったが、武満の死からすでに20年が経過。現役のアジア人作曲家として最も有名なのは中国出身の譚盾であると思われる。中国作曲界のレベルは映画音楽を聴いてもわかる通りかなり高い。


鑑真の渡海の場面からオペラは始まる。上手、下手、奥に白くて細い布が何本も下がっていて、通過可能な壁のようになっており、これが効果的に用いられる。セットは中央に円形のものがあり、これが後に月になったりもするのだが、基本的にセットはシンプルである。細い布はキャットウォークからも何本も下りてくる。
荒れ狂う海(東シナ海であるが、中国人キャストに遠慮して「東中国海」という字幕表示になっている。その代わり、日本を指す差別語の「東夷」は別の表記が用いられている)。波は今にも鑑真らの乗る船を飲む混もうとする。しかし、仏の加護により、波は静まる(ただし日本には行けない)。時系列的には、栄叡が鑑真に渡海するようお願いする場面は、この渡海の後に出てくる。舞台は揚州の大明寺。日本からの留学僧・栄叡(駱洋)が、鑑真(田浩江)に扶桑(日本の別名)に渡り、律宗の戒律を伝えるよう頼む。鑑真の弟子の静空(劉雨東)、尼僧の静海(鑑真の弟子に尼僧はおらず、架空の人物である。柯緑娃)らは渡海は危険だとして鑑真を止めるが、鑑真は海を渡ることこそ最大の修行であり、日本に渡らなければ自分は成仏出来ないとして、渡海を決定する。鑑真は、鳩摩羅什や玄奘(三蔵法師として日本でも有名)の姿を己に照らし合わせていた。
しかし、鑑真の身内に密告者がおり、海賊と通じているとして鑑真一向は捕らえられてしまい、渡海は失敗。密告者は静海であることが発覚。静海は自殺して詫びようとするが、鑑真に仏の道を歩むことこそが贖罪と諭されて思いとどまる。

栄叡の独唱の場面では、舞台上手から着物を着た松村エリナが台車に乗って現れ、箏で伴奏を奏でる。唐関連の人物の場面では、下手から中国箏演奏家の劉星延(女性である)がやはり台車に乗って現れるのだが、共にモーター音が響くため、ちょっと気になった。

江蘇省演芸集団歌劇舞芸院合唱団とダンサー陣の人海戦術も効果的であり、リアルな場面と幻想的なシークエンスの両方で存在感を示していた。


鑑真は渡海失敗を繰り返し、一度などは、南方の異境(振州=現在の海南島とされている)に船が流されてしまい、島の主の憑夫人(殷桂蘭)は、配下の祈祷師による「この島で疫病が流行っているのは、この僧侶達が原因」との言葉を信じ込み、鑑真を柴草で焼き殺そうとするが、鑑真に諭されて思いとどまる。鑑真は部下達に薬草を調合した薬を作らせ、島の疫病を鎮める。憑夫人は己の無知を恥じるが、鑑真に励まされ、島に菩提心を広めることを約束する。

海を渡ることが叶わぬまま、栄叡が唐の地で客死する。この時、鑑真は度々の艱難辛苦のためにすでに失明しており、栄叡の姿を見ることが出来ず、探し回る(字幕では、「栄叡どうしたのだ」とあったが、実際は、「栄叡在[口那]里(栄叡どこにいるのだ)」と歌っており、文字制限による意訳のために日本語では少しわかりにくくなっていた)。栄叡は故郷の難波津を思い出しながら息絶える。
弟子の静空もまた、「西方に浄土がある。私は東に渡るのではなく、西行します」と言って去って行った。
失意の鑑真であったが、「長明燈は常在不滅」という言葉を信じ、再び日本への渡海を試みる。

こうして苦難の末に、天平勝宝4年(754)に鑑真は日本に渡来し、奈良の都に戒律を伝え、東大寺に戒壇を気づき、唐招提寺を建立した後に当寺に於いて入滅するのだった。


東アジアにおける西洋音楽の受容というと、日本が最先端ということはこれまでは当たり前だったし、これからも当分は同じ状況が続くと思われるのだが、日本の国公立で音楽学部を持つ大学は東京芸術大学、愛知県立芸術大学、京都市立芸術大学、沖縄県立芸術大学など数えるほど。演劇や映画の学部は皆無という中にあって、中国は国共内戦後に中央音楽学院、中央戯劇学院、北京電影学院など、北京に国立の音楽大学、演劇大学、映画大学を創設。文化大革命による危機はあったものの、北京だけでなく、上海を始め各所に国立の芸術大学を設置して、国ぐるみで文化を後押ししている。

中国のクラシック音楽事情には私も通じているわけではなかったのだが、劇場付きのオーケストラが存在するというのは衝撃であった(日本では、ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団が歌劇場付きの団体であるが、母体である大阪音楽大学のオーケストラという位置づけであり、編成も大きくない。ポピュラーでは宝塚歌劇団のオーケストラが座付きである。新国立劇場創設時に座付き国営オーケストラ設置案も挙がったが実現しなかった)。

以前の中国では、芸術家は国家認定システムであり、国立の芸術大学を卒業していないとプロの芸術家に認定されず、活動も出来なかったのだが、今はどうなっているのかよくわからない。ただ、国を挙げての文化発揚形式は今も力強いものがあるということは、この公演を観てもわかる。


北京語歌詞、日本語字幕による上演であるが、一部、日本語による合唱が行われる場面がある。また、般若心経や「南無阿弥陀仏」が唱えられるのだが、仁如教師は、2005年から2007年に掛けて岐阜県にある正眼短期大学に留学しており、帰国後に鑑真仏教学院で日本語基礎教育に関わったほか、2015年から今年の3月まで和歌山県の高野山専修学院で唐の密教に関する研究を行っており、日本語による読経が可能であり、般若心経が日本語読みで朗唱される場面もあった。
「ギャテイギャテイ ハーラーギャテイ ハーラーソウギャテイ ボダジソワカ」、「色即是空 空即是色」という般若心経のお馴染みの言葉も登場する。

江蘇省演芸集団交響楽団も予想を遙かに上回る優秀なオーケストラであり、仏教好きでなくても十分に楽しめる現代歌劇となっていた。

カーテンコールでは、作曲家の唐建平や脚本家の憑必烈らも登場。出演者達もオーケストラピットの楽団員も嬉々として拍手を送っていた。ロシアのマリインスキー・オペラによる「エフゲニー・オネーギン」を観た時もそうだったが、お国ものということで皆が誇りを持って演奏し、歌い、演じていた。日本ではオペラがまだ「お高くとまったもの」と認識されているためか、こうした光景は余り見られない。日中関係は悪化の一途を辿っているが、自国が生んだ芸術を純粋に愛する心も持つ隣国の人々が羨ましくなった。日本人は西洋音楽に対するコンプレックスが強すぎるようにも思う。

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