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2017年1月の26件の記事

2017年1月31日 (火)

笑いの林(80) 「大(だい)どすえらいぶ」

2017年1月15日 よしもと祇園花月にて

午後7時から、よしもと祇園花月で、「大(だい)どすえらいぶ」を観る。副題は、“京都にゆかりのある芸人が仕切られる夜”であり、京都出身もしくは京都に関係のある芸人達が、京都の地名をコンビの名前としている祇園と、初代京都府住みます芸人であるタナからイケダの二組をゲストとして招いて行う公演である。これまでも各々のコンビがしきり役を行う「どすえらいぶ」というものが行われていたそうだが、今回の公演は、その集大成となる。

出演は、祇園とタナからイケダの他に、ネイビーズアフロ、コーンスターチ、ツートライブ、ミキ。

まずは祇園とタナからイケダを除いた「どすえらいぶ」組が総出演して、自己紹介を行う。中には祇園花月史上最低の入りを記録したコンビもいるそうだが、まだそれほど有名な芸人達でもないので、ソロでやっても集客がそれほど見込めないのは仕方ない。今日も入りは良いとは言えないが、雪の中で行われた公演ということを考えるとかなり健闘した方ではないだろうか。

ゲストのタナからイケダと祇園が呼ばれてのトーク。12人中10人が京都ゆかりの人ということになる。祇園の木﨑太郎は「ぎりぎり京都」と言いつつ大阪府枚方市の出身なのだが(京都市と大阪市の中間に位置する枚方市は立場的に微妙であり、大阪市民から「枚方は京都みたいなもんやろ」と言われる一方で、京都市民からは「絶対に大阪!」と拒絶されたりしている)、龍谷大学中退であるため、京都市内通学者だった時期はあったのだと思われる。タナからイケダの池田周平は大阪府堺市出身だ。
ネイビーズアフロの皆川勇気が最近テレビによく出ているという話になる。皆川は「テレビに出ても女装した役なので誰にも自分だと気づかれない」という話をしたそうだが、それが膨らんでしまったらしい。
そこで、ネイビーズアフロが「陳謝」というネタをやることになる。ネイビーズアフロは二人とも神戸大学卒のインテリコンビである。羽尻紘規(はじり・ひろき)が頭の良い女性が好きだということで、その女性と待ち合わせしている。そこへ、皆川演じる彼女がやって来たのだが、時間のことも「丑の刻(丑の刻は真夜中なので多分、午の刻のことなのだろう)」という武士口調の女性で、待ち合わせに遅れたことも、「陳謝」と言って詫びる。

実は、ネイビーズアフロの今日のネタにも「陳謝」は含まれていたので、「陳謝」を2度観ることになった。


漫才やコントの内容も書けると良かったのだが、余り良く覚えられなかったため、祇園とタナからイケダのネタのみ書き記しておきたい。

祇園は木﨑が例によってナルシストキャラとして登場。ただ木﨑は背が低いのでマイクを下げる必要がある。
木﨑は客席に、「キザキッス(投げキッス)、キザキッス、一つ飛ばさないでキザキッス」をする。誰でもウェルカムであるらしい。
そして木﨑は唐突に、「私の名前はヒロミ」と一人芝居を始め、相方の櫻井健一朗に止められる。
改めて木﨑の一人芝居。「私の名前はヒロミ。東京都内の大学に通う女子大生。大学に入ったら、ホワホワのパンケーキのような甘いキャンパスライフを送れるものだと思っていたら(櫻井に「偏差値22くらいの大学や」と言われる)、実際は友達も出来ず、家と大学を往復するだけの日々。あ、母親から電話。『もすもす(訛っている)、わたす。今? とってもハッピー』」と嘘をつく。
ヒロミの家に宅配便が届く。やたらと大きな荷物だが、木﨑は段ボールから飛び出す仕草をして、「君の彼氏、木﨑太郎だよ!」とサプライズ(?)な展開(??)。
ヒロミが目覚める。夢だったのかと思ったら、まな板を包丁で叩く音がする。木﨑がキッチンで朝食を作っていた。木﨑はヒロミに「おはよう。私のマイハニー」と言い、木﨑の一人二役のヒロミは「私のマイダーリン」と返して、櫻井に「マイは私のという意味や。重複している。偏差値低い」と言われることになる。


タナからイケダ。田邊猛徳が、「キザキッズの後はマイクが低いですね」と言ってスタンドマイクの位置を調整してから、「スマホは凄い」という話になる。会話できるアプリがあるので、池田周平がコンピューターの声を担当してやり取りをするのだが、池田が最初は訛っていたり、「名前を教えてください」と言って田邊が「タナベ・タケノリ」と答えると、「タナ/ベタケノリ」と、ぎなた読みして、「ベタケノリ様」と名前を呼んだりする。
年齢を田邊が「33歳」と言うと、池田演じるコンピューターは、「え! 嘘やん? タメや。これから敬語なしで良いですか」とコンピューターが何故か同い年になってしまったりする。
池田が例によって田邊に「パーキュットですね」と言って、「顔のパーツが真ん中にキュッと寄っている。あなたのことです」と説明する。田邊は怒って、「壊すぞ!」と言うが、コンピューターは「困るのはあなたの方です」と冷静である。池田は、「でもあなただって更新期限が切れる2年で私のこと放り出してしまうんでしょ? それからは私のことなんてどうでもよくなって忘れてしまうんでしょ?」と続けて、田邊から「そんな悲しいこと言うなよ。僕は悲しいよ」と言われる。
そういえば、大分前にOBP円形ホールで観た「プライベート・ライブズ」に同じようなセリフがあり、セリフを言っていた西川浩幸と田邊孟徳の雰囲気がどことなく似ているのに気がついた。似ているからといって別にどうということもないのだけれど。


田邊をMCとするコーナー、「ぶぶ漬けロワイヤル」。祇園花月の舞台上に池田の自宅を再現した(えらく簡素である)という設定で、各コンビが池田の家を訪問し、「ぶぶ漬け出しましょか?(京都では「お帰りください」の婉曲表現とされる。実際に言われることはまずないが、今でもたまにそういう事例はあるそうで、都市伝説とも言い切れない)」と言われた回数の多いコンビが罰ゲームを受けることになる。ただ「枷(かせ)」という条件付けがあり、くじ引きにより、「アニマル浜口キャラ」(祇園)、「ヤンキー」(ネイビーズアフロ)、「外国人」(ツートライブ)、「腕を縛られる」(コーンスターチ)、「低周波治療器」(ミキ)。コーンスターチの岡下雅典は、「こういう(縛られる)のは日常」とMキャラになって、田邊に、「きしょいわ!」と言われていた。ネイビーズアフロの二人はインテリキャラであるため、ズラとサングラスをしてもヤンキーには見えない。ミキが受け持った低周波治療器だけやたらと過酷である。
ちなみに、池田の家はマンションの4階にあるそうで、アニマル浜口を真似て威勢良く足踏みした木﨑がまず「ぶぶ漬け!」とアウトを宣告される。「3階の人に迷惑」だからだそうだ。
途中で、ロシアン辛口シュークリームや(木﨑と皆川が激辛を引いてしまう)大喜利のコーナーがあり、「新作映画『ゴジラVS○○』」というお題が出される。ただでさえ難しいお題なのに、それぞれのキャラで言わなくてはいけない。木﨑は、「浜口」「京子」とそのまま出して成功するが、他は苦戦。岡下は「女王様」とそのまま言うも微妙。ツートライブの周平魂(しゅうへいだましい)は、「シン・ゴジラ」ならぬ「Newゴジラ」と出したが、受けが今一つだったため、その後、更に説明を続けようとする。
最後はマシュマロキャッチ。キャラのままマシュマロキャッチを行う。ネイビーズアフロはヤンキーキャラという設定なので、皆川が投げたマシュマロを羽尻がはたき落として拒否するという謎の解釈を披露していた。その後は、女性客の悲鳴が上がったりする場面もあったが、書かないでおこう。

ぶぶ漬けポイントが最も多かったミキには罰ゲームがある。激辛ぶぶ漬けが用意され、ミキの二人は一口入れただけで戻したり悶絶したりしていた。


ラストのコーナーは祇園の二人の司会による、「全て木﨑の思うがまま」。①から⑩までの番号が書かれたボードの後ろに芸人10人が隠れ、櫻井が無茶ぶりの内容を、木﨑が番号のボードを引き、該当する芸人が無茶ぶりに応えるというもの。
「お婆さんの名前を絶叫」、「初恋の相手の名前を絶叫」というOKしか出ないものもあるが、「他の芸人のネタを全力で」のように上手くいかない場合はNGとなるものの方が多い。「嫌いな先輩芸人の名前」は、舞台とはいえ本音は言えないようで、その場にいる芸人の名前を出していた。私はそういうことはWeb上に絶対書かないけれど、書いてしまうお客さんもいるだろうし。
「SMAPの『青いイナズマ』の『ゲッチュー!』を格好良く」では、田邊しか決まらず(それでも微妙だったが)、それが功を奏してか、田邊が優勝者となった。

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グスターボ・ドゥダメル指揮シモン・ボリバル交響楽団 レナード・バーンスタイン 「ウエスト・サイド・ストーリー」より“マンボ”

ドイツ・グラモフォンによる公式映像

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2017年1月30日 (月)

史の流れに(1) 特別展覧会「坂本龍馬」

2016年11月9日と11月16日 京都国立博物館平成知新館にて

11月9日

京都国立博物館平成知新館で、特別展覧会「坂本龍馬」を観る。没後150年展覧会であるが、没後150年となる2017年に展示が行われるのは、長崎歴史文化博物館、江戸東京博物館と徳川慶喜家のお膝元である静岡市美術館に於いてであり、京都国立博物館での展示は今月中に終わる。

      龍馬の愛刀として知られる陸奥守吉行(坂本家の子孫が北海道に移住し、釧路にいた際に火災に遭ったために磨き直されたものである。刃こぼれがあるが、近江屋事件の時のものか正確には不明であると思われる。なお、坂本家の子孫である坂本弥太郎という元プロ野球選手と同じ名前の人が陸奥守吉行について、西郷吉之助の刀を龍馬が貰ったものだとしている。ただ、龍馬は実兄である坂本権平直方に、西郷経由で家宝の吉行を受け取ってことが書かれているので、坂本弥太郎の誤解であると思われる)や、近江屋で龍馬と中岡慎太郎が襲撃された際に血が飛び散った板倉筑前介(のちの淡海槐堂。説明書きには「板倉槐堂」とあったが、「淡海槐堂」四文字で号なので正確には誤り)の筆による掛け軸(「梅椿図」掛け軸)、同じく猫の部分に血が付着した屏風、坂本龍馬の手紙や三吉慎蔵の日記、芹沢鴨光幹(みつもと)と近藤勇昌宜(まさよし)が鴻池屋に借金した際の証文、永倉新八による「浪士文久報国記事」(芹沢鴨は、「水戸天狗党の出身」と自称していたが永倉の記述には「天狗隊隊長」と記されている)、山内容堂が「松平容堂」「山内土佐守」として出てくる「大政奉還意見書」。海援隊雄魂録(犠牲になった志士の欄に、宮部鼎蔵、橋本左内、頼三樹三郎、吉田寅次郎(松陰)などの名がある)などが展示されている。手紙には漢字書き下し文が付いているものも多く、じっくり読んでいたため、全部見るの約2時間20分を要した。

      龍馬が授けられた北辰一刀流の長刀免許目録(伝・千葉貞吉筆)もある。免許皆伝目録も実在したことは確かなようである。
      土佐上士は神田お玉が池の千葉周作の千葉道場(玄武館)で、土佐下士は千葉周作の弟、千葉貞吉による桶町千葉道場で学んだとされるが、千葉貞吉が道場を開いたのは龍馬が初めて江戸に遊学した時よりも後であり、龍馬は最初は玄武館で剣術を学んだが、千葉周作が亡くなったために千葉貞吉に師を替えたというのが真相に近いようである。
      北辰一刀流の免許目録には、最初に千葉周作の先祖である千葉常胤(平常胤、千葉介常胤)の名が記されており、その後の周作の先祖の名前も連なっている。玄武館で龍馬と同門だった清河八郎(齋藤元司のちに齋藤正明。清河八郎は偽名である)の免許皆伝目録(伝・千葉周作筆)にも同様に千葉常胤以来の千葉氏当主の名前が記されている。

      平成知新館3階は坂本龍馬が創設した亀山社中の地、長崎・亀山で制作された亀山焼きの展示であり、坂本龍馬関連の本格的な展示が行われているのは2階と1階である。亀山焼きの中には、見た目は漆器(JAPAN)だが、実際は陶器(CHINA)という手の込んだものもある。

      長府藩出身で龍馬の用心棒を務めた三吉慎蔵の日記には、寺田屋を襲撃したのは「肥後守ノ上意」を受けた者達との記述があり、松平肥後守容保の命だったという認識があったようだ。当時の伏見奉行もややこしいことに肥後守(林肥後守忠交)だったのだが、三吉慎蔵がそのことを知っていた可能性は低いと思われる。

      龍馬の師である勝海舟関連の展示もあるが、勝海舟は氏は「物部」としていたようである。坂本龍馬のように氏を「紀」としている人も珍しいが、物部氏の人はもっと珍しい。海舟の日記によると文久二年十二月二十九日に千葉重太郎(諱は一胤。因幡鳥取藩剣術指南役)と共に坂本龍馬が会いに来たことが記されている。

      備後・鞆の浦付近で起こった「いろは丸事件」(大洲藩の船を海援隊が借り上げて、「いろは丸」と名付けた船舶に紀州の明光丸が追突、いろは丸が沈没した事件)に関しては、龍馬は紀州藩をなじる記述をしており、「二三回挨拶に来て、頭を下げられたがそれでは済まぬ」「(紀州の対応は)女のいゝぬけのよふ」と怒り心頭に発している。

      龍馬は署名に、「坂本龍馬」、「龍馬」、「坂本龍」、「龍」、「りよふ」、「才谷梅太郎」、「才谷」、「梅」、「坂本直陰」、「直陰」、「坂本直柔(なおなり)」、「直柔」、「大濱涛次郎」、「取巻の抜六」、「自然堂(じねんどう)」など様々な名を使い分けている。「才谷」は坂本家の本家筋の商家・才谷家から取ったものであり、「大濱」は龍馬の先祖が名乗った苗字である。「自然堂」は下関における土佐の定宿で本陣を運営していた豪商・伊藤助太夫(伊藤九三)家の一室から採った、龍馬の号である。

      坂本龍馬は、後藤象二郎のことを一貫して「後藤庄次郎」と記しているが、一通だけ、「藤藤庄次郎」と誤記した手紙がある。また新選組に関しては、近藤勇が龍馬と懇意にしていた永井玄蕃頭尚志と共に広島に行ったということを記した手紙の中で、近藤の名は出さすに「みぶ浪人」という記述を一回だけしている。

11月16日

再び、京都国立博物館で行われている特別展覧会「坂本龍馬」を観る。2度目なので、読み飛ばしたところもあるのだが、それでも必要な展示を見て回るのに、約2時間10分かかった。

      坂本龍馬の先祖についてだが、郷氏となり、坂本を名乗ったのは龍馬の曾祖父である坂本八平直海である。それ以前の記述には、山城国出身で戦火を免れて土佐の才谷村に移り住み、才谷村の字である大濱から大濱姓を名乗ったとある。才谷も大濱も地名なのだが、坂本という苗字がどこから来たのかは不明である。大濱を名乗ったのも偽名として大濱涛次郎を名乗った龍馬だけになっているが、先祖も坂本姓だったかのような細工が行われたためのようである。近江坂本に居城を構えた明智光秀の家臣・明智左馬助秀満(明智光秀の親族である可能性は低いそうだ)の流れというのも先祖の誰かが言い出したことで、まず関係ないとされる。

      展示で気になったのは、「べきである」とされている解釈のある、龍馬の手紙である。龍馬が姪の春猪に宛てた悪口満載の手紙なのであるが、男というのは年下の異性親族にこうした手紙は普通に書くと思われるのだが(逆に年下の異性親族宛以外には書かない内容である)。
      おどけた調子がわかり、字面だけ追ったのとは異なる内容であると思われる。

      武市半平太が、山本琢磨(のちの沢辺琢磨)が時計を盗んだとされる事件について書いた文章もあるのだが、皆、「山本覚馬じゃないのか」という反応である。実は山本琢磨は大河ドラマ「龍馬伝」に出てくるのだが、もう忘れられているようだ(山本琢磨は龍馬の従兄弟であり、のちに函館の聖ハリストス正教会司祭となった人物で、「龍馬伝」では、坂本龍馬が山本琢磨を逃がすシーンがあり、番組の最後の「龍馬紀行」では山本琢磨が紹介された)。

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2017年1月29日 (日)

モーツァルト ピアノ・ソナタ第16番(旧15番)K.545 第3楽章

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コンサートの記(269) 高関健指揮京都市交響楽団第607回定期演奏会

2016年11月26日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第607回定期演奏会を聴く。今日の指揮は京都市交響楽団常任首席客演指揮者の高関健。


メシアンのトゥーランガリラ交響曲1曲勝負である。
オンド・マルトノが用いられるということで、開演前にステージに近寄って、オンド・マルトノを物珍しげに眺めているお客さんも多い。

開演20分ほど前から高関健によるプレトーク。楽曲解説を行う。

メシアンのトゥーランガリラ交響曲は20世紀に書かれたの作品の中では演奏会プログラムに載ることが比較的多いが、分かり易い作品とはいえないと思う。

高関は、まずメシアンが京都賞の第1回の受賞者であると述べる。メシアンは1985年に京都賞を受賞しており、授賞式出席のために来日して、秋の京都を楽しんだそう。
メシアンはティンパニが余り好きでなく、今日のような大編成の曲でもティンパニは入っていないと語る(メシアンに影響を受けた武満徹もティンパニという楽器が好きではなかった)。更にハープも好きではなかったそうで、今日の編成にも入っていない。
トゥーランガリラ交響曲の日本初演は、1962年7月に小澤征爾指揮のNHK交響楽団によって行われている。小澤・N響事件が起こる半年ほど前のことだ。メシアンは日本初演のために来日し、作曲者兼監修としてリハーサルにも立ち会ってアドバイスを送ったという。
「今日も、これなんだろう? と珍しそうに見ている方がいらっしゃったようですが」と、オンド・マルトノについて語り始める。オンド・マルトノは電子楽器である。この楽器が使われている最も有名な曲が、このトゥーランガリラ交響曲なのだが、他に有名曲は思い浮かばない。高関は、「シンセサイザーの元のようなもの」と語り始め、「スピーカーの中にシンバルのようなものが入っている」、「鍵盤のようなものを弾いたり、弦を伸ばして引っ張る」といったような解説を行う。

更に今日はずらりと並ぶ鍵盤楽器群についても触れる。ピアノ、チェレスタ、ジュ・ドゥ・タンブル、そして打楽器になるがヴィブラフォン。
ピアノについては、「主役のような役割」「ピアノ協奏曲と取ることも出来る」と語り、チェレスタ、ジュ・ドゥ・タンブル(鍵盤式グロッケンシュピール)、ヴィブラフォンについては、「メシアンは、『ガムラン楽器群』と呼んでいた」と語り、ガムランからの影響を受けていたことを述べる。ガムランに関してはよく知られているように、初めて影響を受けた西洋の作曲家はドビュッシーである。ドビュッシーは、1900年のパリ万国博覧会において、本場のガムランの演奏を聴き、西洋音楽が絶対ではないことを知って衝撃を受けている。メシアンは音楽的にはドビュッシー直系の作曲家である。

高関は、チェレスタを弾きながら、無料パンフレットに記された「移調の限られた旋律」について説明する。まずハ調のドレミファソラシドを奏でた後で、別の調のドレミ音型を奏で、半音も含めた十二音の音型も奏でる。調の変化により、同じような音型でも違うことはわかる。この複数の音型が同じ時間に奏でられるために不協和音になるのだが、「最初の頃は違和感があるかも知れませんが、すぐに耳が慣れます」と語る。
その後、主要なテーマである「彫刻の主題」(金管。高関は、「偉そうに吹くのですぐわかる」と解説)と「花の主題」(主にクラリネット)をチェレスタで奏で、「愛の主題」も弾こうとするが、やはり二本の腕では難しいようで、「ゆっくり歌われるのでわかると思います」と述べた。
それから、独特のリズムについても語り、ある特徴的なリズムの後に譜面を逆さまにして眺めたようなリズム音型が来るという。丁度、真ん中に鏡を置いたような形であり、J・S・バッハがフーガで行ったことをメシアンはリズムで行ったと語る。リズムは主にウッドブロックによって明確に示される。

高関は以前はこの曲の良さが全くわからず、メシアンについても「山師なんじゃないか」と疑っていたそうだが、楽曲の緻密さに気づくことで大好きになったそうである。


ピアノ独奏:児玉桃、オンド・マルトノ独奏はこの楽器の第一人者として知られる原田節(はらだ・たかし)。
今日のコンサートマスターは渡邊穣、フォアシュピーラーに尾﨑平。普段はティンパニを叩くことが多い中山航介は大太鼓を担当する。今日のヴィオラ首席には店村眞積が入る。


同じ、児玉桃のピアノ独奏、原田節のオンド・マルトノ独奏による井上道義指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の実演を聴いたことがあり、エモーショナルな演奏であったと記憶しているが、高関の音楽はきちんと組み立てた音楽の隙間から喜びが溢れ出てくるような趣のある演奏である。この曲の数学的一面も巧みに表出されていた。

京都市交響楽団の音は輝かしく、金管の威力、木管の浮遊感、弦の艶、打楽器群の迫力などいずれも申し分ない出来である。京都コンサートホールの残響も長く、美しい響きを十分に堪能することが出来た。

 

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2017年1月27日 (金)

美術回廊(9) あべのハルカス美術館 「デュフィ展」2014

2014年9月15日 大阪・天王寺のあべのハルカス美術館にて

大阪の、あべのハルカス美術館で、「デュフィ展」を観る。

あべのハルカスは外から眺めたことはあるが、中に入るのは初めてである。16階にある、あべのハルカス美術館までは直通エレベーターがあり、利用者はそれで美術館まで向かうことになる。便利なのであるが、あべのハルカスの展望台に行くには2階でチケットを買う必要があり、展望台にも行きたい人にはちょっと不便である。また、帰りも16階から1階まで直通で向かうため、ありがたいのだが、15階より下にある近鉄百貨店あべのハルカス店のシャワー効果には結びつかず、ここが近鉄あべのハルカス店の失敗だと言われている。実際、売り上げは苦戦しているようだ。

今回、画を見るラウル・デュフィはフランスの野獣派に属する画家。当初は写実的な画を描いていたが、アンリ・マティスの絵画を観て驚き、それ以降は、写実よりも印象を大切にする作風へと変化していく。原色を多用するのが特徴であり、エスプリ・クルトワを最もダイレクトに伝えてくる画家の一人である。

音楽を好んだため、音楽関連の絵画も多い。指揮者のシャルル・ミュンシュとは交流があり、オーケストラを題材にした画を何枚も描いており、今回も絵画や下絵が展示されている。興味深いのはオーケストラの配置で、1930年代から40年代に描かれたものは全て現在では古典配置と呼ばれるものであるが、1950年に描かれたオーケストラの画は、現代配置になっている。レオポルド・ストコフスキーがフィラデルフィア管弦楽団の常任指揮者だった時代に始めたという現代配置が、1940年代末にフランスでも普及したことがわかる。

デュフィは元々は右利きである。若い頃は右手に絵筆を握っていたのだが、「右手でだと余りにも自由に描けてしまう」という理由で、敢えて左手で描くということを始め、以降は晩年まで絵画に関してはサウスポーで通した。

1877年生まれであり、1953年に亡くなっているが、臨終の際に、イーゼルに掛けてあったという絵画も原物が飾られている。

明るくて温かみのある画だが、例えば、J・S・バッハや、モーツァルト、ドビュッシーらをモチーフにした画を観て、それがどんな音楽をイメージして描かれたのかと考えると、意外に暗めの曲調のものが思い浮かぶ(「モーツァルト」という絵画があり、今回は展示されていないが、楽譜の表紙には“Symphony No.40”と書かれているように見え、だとしたら流れているのは悲壮感に溢れたものということになる)。
「バッハへのオマージュ」もヴァイオリンが一挺画かれているだけだが、このヴァイオリンでバッハのどんな曲が弾かれたのであろうか。「無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ」の中の曲である可能性が高いが、仮に「シャコンヌ」だったとしたらイメージも変わってきてしまう。

また最も好んだ色は青だというから、デュフィは絵画から感じられるほど能天気な人間ではおそらくなかったであろうと思われる。

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2017年1月23日 (月)

コンサートの記(268) 堺シティオペラ第29回定期公演 歌劇「黄金の国」

2014年11月29日 ソフィア・堺 ホールにて

堺へ。南海高野線の車窓からは紅葉した大仙古墳(大山古墳。伝仁徳天皇陵)が見える。
 

午後2時から大阪府堺市にあるソフィア・堺(正式名称:堺市教育文化センター)のホールで、堺シティオペラ第29回定期公演「黄金の国」を観る。原作戯曲:遠藤周作、作曲・テキスト・指揮:青島広志、演出:岩田達宗(いわた・たつじ)。演奏:ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団(室内楽編成での演奏。さほど大きくない多目的ホールでの演奏なので室内楽編成でも音が飽和状態になることがあった)、合唱:神戸市混声合唱団、ピアノ:關口康佑。今日明日と公演があり、ダブルキャストであるが、今日の出演は、萩原寛明、田邉織恵、井上美和、桝貴志、菊田隼平(きくた・じゅんぺい)、松原友(まつばら・とも)、水谷雅男、鳥山浩詩、片桐直樹、松澤政也、森寿美(もり・としみ。男性)、橋本恵史(はしもと・けいし)ほか。ほぼ全員、関西にある芸大や音大、音楽学部や音楽コース、高校の音楽科などの出身者である。出身は関西でない人もいるが、関西と一切関係のない人はキャストに含まれていない。

テレビなどでもお馴染みの青島広志は1955年、東京生まれ。東京藝術大学音楽学部を首席で卒業後、同大学大学院修士課程も首席で修了。今日上演される歌劇「黄金の国」は、大学院の修了制作として作曲されたものであるという。
見た目だけだとそうは思えないが、実は青島は坂本龍一の後輩なのである。

原作戯曲である遠藤周作の「黄金の国」は遠藤周作の処女戯曲であり、誰でも一度は読んだことがあるであろう有名小説『沈黙』と共に姉妹作をなすものである。内容的には「黄金の国」の方が「沈黙」よりも一歩踏み込んでいるのであるが、その部分は青島は採用していない。
戯曲「黄金の国」は上演すると約3時間を要する大作であるが、それをそのままオペラにすると最低でも上演時間6時間ぐらいの超大作になってしまう。ということで、青島は、遠藤周作のセリフはほとんど変えることなく大幅にカットしたり順番を入れ替えたりして上演時間1時間半、2幕のコンパクトなオペラにまとめた。

演出の岩田達宗先生とは知り合いなので、上演前に挨拶をし、握手を交わす。岩田先生によると、遠藤周作の原作とは別物になっているそうで、パンフレットに全テキストが載っているので買うように勧められる。ということでパンフレットも買う。

傍らでは作曲者の青島広志が著作販売とサイン会を行っている。

テキストについてであるが、遠藤周作が一番力を込めたであろうメッセージは抜け落ち、恋愛ドラマが多少色濃くなっている。第1幕と第2幕の間はかなりバッサリとカットされており、「想像すればわかる」と観客に委ねてしまっている。

開演前に青島広志がマイクを持って登場し、「指揮だけをするという公演は今回が初めてなんです。いつもはピアノを弾いたり、歌ったり踊ったりしながらやるのですが、今日は指揮だけ。それだけだとちょっとというので、こうしてお話ししているわけです。堺シティオペラには20年ほど前にお世話になったことがございまして、その時は髪がまだあったんですが、今は完全になくなってしまいまいした。私は来年還暦を迎えます。体の一部分はもう還暦を過ぎてしまっていますが。それから、静岡県の方でオペラを指揮しましたときに、ピットが浅かったものでしたから、お辞儀をした途端に、子どもから『あ、ハゲ!』と言われたことがありまして、事前にハゲだとお見せしている具合でございます。このオペラはもう40年近く前に書かれたものでして、当時の作曲界は難しく、『ドミソ』で音楽を書いてはいけなかったんです(前衛音楽真っ盛りの時期である)。「○★※△~」というような難しい音楽を書かないと駄目だったんです。私の先生、宍戸睦郎といいますが、もう亡くなっておりますので名前も出していいと思います。宍戸先生も「○★※△~」というような曲でないと良い点をくれなかったんです。私は、良い点を取らなくてもいいからもっとわかりやすいものが書きたかったんですが、宍戸先生が教え子の成績が悪いと立場上困るというわけで、私も「○★※△~」という曲を書いてしまいました。当時は演奏が難しくて演奏者が上手く弾けないということも多かったのですが、演奏技術の向上は目を見張るものがありまして、今日の、大阪音楽大学ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団の皆さん、スラスラ演奏してしまいます。編成も小さいですが、あの方がコンサートミストレス(赤松由夏)でヴァイオリンが一番上手いんです。皆さんご存知の通り、ヴァイオリンは指揮者に近い人が一番上手くて後ろに行くほど下手になるのよね(実はそうとも限らないのだが)。管楽器も一番奏者、二番奏者、三番奏者とだいたい三人いるんですけれど、今日は全員、一番の方です(ここで観客に拍手を求める)。それから、岩田達宗先生が演出して下さっていて、岩田先生のお顔御覧になりましたか? プログラムには写真が載っていると思いますが、俳優であってもおかしくないような、おかしいっちゃおかしいんですが、男前でとても嬉しいです。私は顔だけでいいんです。他はどうでもいいんです」などと前説を行った。それにしてもテレビで音楽の解説をする人にはどうしておねえ口調の人が多いのだろう?

音楽であるが、確かに前衛の香りはするものの、今聴くとメロディアスで美しいものである。歌唱も半音ずつ下がっていくような難しいものだが、歌手達は満点とはいえないものの上手く歌っていた。

江戸時代の長崎が舞台であるが、岩田達宗の演出は、納屋の壁、掛け軸、カーテンを上から降ろすだけで、あとは三面とも西洋風の白いカーテンを使っていた。これは少なくとも私にとっては効果的であった。私は「黄金の国」の原作戯曲を読んでいるため、青島版「黄金の国」ではセットが西洋風でないと不可思議に見えてしまうのだ。

青島のオペラ「黄金の国」では、デウスはただ黙っているのではなく、自分に寄り添っているのだという解釈で終わる。だが、実は遠藤周作の原作戯曲にはそれを射貫くセリフがあるのだ。パーデレ・フェレイラのそのような解釈を聞いた長崎奉行所の井上筑後守は、「それは切支丹のものとは思えぬ(中略)日本にもある弥陀の慈悲。あれと、切支丹のデウスの慈悲と、どうにもならぬ己の弱さから、衆生がすがる弥陀の慈悲。これを救いと日本では教えておる。だが、あの折り、パーデレははっきりと申した。切支丹のデウスの慈悲はそれとは違うとな」と語るのである。
そう、青島がカットした部分にフェレイラがクリスチャンでありながら浄土真宗的発想をしてしまったことを指摘するセリフがあったのである(その指摘を受けて落胆するフェレイラに希望の光が差すようにして劇は終わる)。

ということで、日本家屋的セットであったら、私には切支丹の劇ではなく、浄土真宗礼賛物語の亜種に見えてしまったことだろう。

歌手の演技についてもやはり解釈が異なり、私はパーデレ・フェレイラ役にはもっと素朴で繊細な演技を求めたと思う。人々に温かく接したことさえも傲慢と思い返すような内省的で、狂気を孕むかのような線の細い人物。今日、フェレイラを歌った桝貴志は、ミュージカルで山口祐一郎がよく行うような演技をしていた。

さて、青島は、切支丹への刑を、水刑(溺れ死に)から火刑(焼け死に)変えているが、その理由はよく分からない。火刑にしてしまうと後に来るのセリフと上手く繋がらないように思えるのだが。逆に水刑にすると希望と救いが増すはずである。あるいは初演時の演出上の都合だろうか。

遠藤周作の原作と比べなければ、良いオペラだったと思う。

岩田先生には色々伺いたいこともあったのだが、お忙しそうだったので握手して別れる。

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2017年1月22日 (日)

サミュエル・バーバー 「アニュス・デイ(「弦楽のためのアダージョ」より)」

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2017年1月21日 (土)

多分

文化大革命と同じ構図なんだろうな。え? 文革を知らない? それはいくらなんでも不勉強でしょう。

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2017年1月20日 (金)

一番危険なのは

「疑おうとしないこと」だ。

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忌野清志郎 「JUMP」

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2017年1月19日 (木)

イドにて

 何も貞子の話をしようというのではない。イドというのは井戸というよりもフロイトが提唱した自我としてのイドに近いものだ。

 ただし、ここでは物語を援用する。村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』だ。
 井戸の底に潜った主人公は激しい怒りを覚える。かつて経験した怒り、呑み込んでしまって発散できなかったトゲの数々。それがどこかで現実と繋がり、社会を動かし、何かを揺さぶる。

 私も激しい怒りをイドのそこに抑えてきた。誰だってそうだ。この世が自分のものでない以上、誰もが理不尽な経験をする。いわれのない咎をかぶせられ、こちらの想像を超えた壮大な勘違いに押し流される。

 今までは私はそれをこらえてきた。超自我というリミッターによって。
 だが、そうまでして耐え続ける必要があるのか。

 忘れられるなら忘れてしまった方が良い。こちらは生々しく記憶していても「加害者」である彼らはもう何も覚えていないだろう。それならこちらも記憶しているだけ無駄だということになる。

 「それはもう中空にある」

 だが無意識から現れた「幽霊のような私」が、私の自制を激しくなじるのだ。「臆病だ」と、「もっと表に出せ」と。
 イドの底で目をこらして、私は私にとって最も有効な水脈を見いだしたい。私が「幽霊の私」に取って代わられてしまう前に。

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2017年1月18日 (水)

遠くへ来た

遠くへ来た「はずだ」。おそらく誰よりも。
幼き頃の私と今の私は連続性さえ見られないほどに断絶されている。
般若心経に云う。「色即是空 空即是色」。一切は空であり、瞬間瞬間の幻だと。
遠くへ来たのかあるいは元々遠く隔たれていたのか。

だが、それとはまた別の記憶が私に宿っている。私の中にかつての子供がいる。
子供の私は戸惑い、社会との間にある透明にして越えがたい膜を感じている。その被膜の中で、私はどこにも行けないまま今もうずくまり続けている。私は遠くへなど行けずにそのままなのだ。

遠くへ来た私と行けなかった私。二つの隔絶された私が混濁し、私そのものの像を私から遠ざけている。

写真の中の私に今の私は何を語ろうか。「来られた」と云うべきか「行けなかったよ」と告げるべきか。

私の片方の目は昔を彷徨い、片方の目は今にある。ある部分は若い頃のまま止まり、別の部分は未来に達している。そうした継ぎ接ぎだらけのセルフポートレートを前に、「本当の私はどの部分に宿るのか」と私は戸惑っている。あるいは全てが「本当の私」なのかも知れないのに。

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2017年1月16日 (月)

コンサートの記(267) オリジナルオペラ「鑑真東渡」

2016年12月28日 ロームシアター京都メインホールにて

午後6時30分から、ロームシアター京都メインホールで、オリジナルオペラ「鑑真東渡」を観る。南京を本拠地とする江蘇省演芸集団有限公司による上演。
作曲:唐建平、演出(監督、導演):邢時苗、脚本:憑柏銘&憑必烈。程嘩(「嘩」は正確には「日偏に華」)指揮江蘇省演芸集団交響楽団による演奏。日本箏演奏:松村エリナ。
出演は、田浩江(ニューヨークのメトロポリタン歌劇場所属)、駱洋、柯緑娃、劉雨東、殷桂蘭ほか。合唱:江蘇省演芸集団歌劇舞芸院合唱団。特別ゲスト:仁如法師(中国・大明寺監院)。
主催:日中友好協会ほか。協力:毎日新聞社ほか、後援:外務省、文化庁、中華人民共和国日本大使館、奈良市、奈良県、京都市。

日本に戒律を授けるため、何度も渡海に失敗しながら来日し、唐招提寺を建てて日本で亡くなった鑑真和上の物語である。



天平の世。日本に仏教が渡ってからすでに200年余りが経った。しかし、仏教はすでに乱れており、兵役を逃れるためや権力欲しさにエセ出家するものが後を絶たないという状態だった。仏教による鎮護国家成立にはきちんとした仏教の戒律が必要なのだが、当時の日本には正式な戒壇も戒律もない。そこで、唐の国の高僧を招くことに決める。その際、唐に渡って高僧を招くために尽力した日本の僧侶が栄叡(ようえい)と普照の二人なのだが、今回は栄叡一人に纏められている。

史実では、鑑真の弟子を招こうとするも、日本に渡ってもいいという高僧は一人もいなかったため、鑑真自らが渡ることを決めるのだが、その辺のことはややこしいので、まず鑑真が日本に渡るということは鑑真本人がすでに決めており、弟子達がそれに反対するという展開を取る。

まず、オーケストラピットの下手端に高僧の座る椅子が設けられており、ここに仁如法師が陣取って読経を行い、スタートする。
江蘇省演芸集団歌劇舞芸合唱団のメンバーは木魚を手にしており、その木魚の音で音楽が始まる。唐建平の音楽は調整音楽ではないものの、わかりやすい。新ウィーン学派の音楽、オペラということもあって、就中、アルバン・ベルクの音楽を東洋風にしたものというと通じやすいかも知れない。

今日は3階席の5列目(一番安い席)に陣取ったのだが、開始前にレセプショニストさんから、「もっと前の席に移って頂いても結構です」と言われる。実は3階席の前の方は招待客向けの席だったのだが、招待客がほぼ一人も来なかったという惨状のようだ。私の他にも前に行くよう勧められた人は二人いて、共に3階席の最前列に移ったのだが、私は「取り敢えず見にくかったり、音が悪かったりしたら移ろう」ということで保留。実際に見てみると、3階席の5列目でもよく見えたし、音の通りは素晴らしく、不満はなかった。ということで頑として動かず。思いっきり日本人してしまったぜ。
日本のクラシック界はブランド志向であるため、日本ゆかりの人物のオペラとはいえ、中国の現代作品を観ようという人は、よっぽどのオペラ好きか仏教好き、もの好きに限られる。ちなみに私は全てに該当する。

ロームシアター京都メインホールでオペラを観るのは二度目だが、ここはオペラを聴くには本当に適しているようで、歌手や合唱団の声、オーケストラの音色などがクッキリと聞こえる。オペラ劇場としての音響は最上級。まだ遠い方の席でしか聴いたことはないが、これまでにオペラを聴いたことのあるどのホールよりも音が良いと断言できる。それだけに使い勝手の悪さが残念でもある。
今日はサイド席(バルコニー席)はほとんど使われていなかった。

日本箏の松村エリナを除いて、オール・チャイニーズによる演奏(江蘇省演芸集団交響楽団のメンバーには白人も含まれているようである。また漢民族以外の名前も持つ人もいる)。
私が若い頃は、世界で最も有名なアジア人作曲家は武満徹であったが、武満の死からすでに20年が経過。現役のアジア人作曲家として最も有名なのは中国出身の譚盾であると思われる。中国作曲界のレベルは映画音楽を聴いてもわかる通りかなり高い。


鑑真の渡海の場面からオペラは始まる。上手、下手、奥に白くて細い布が何本も下がっていて、通過可能な壁のようになっており、これが効果的に用いられる。セットは中央に円形のものがあり、これが後に月になったりもするのだが、基本的にセットはシンプルである。細い布はキャットウォークからも何本も下りてくる。
荒れ狂う海(東シナ海であるが、中国人キャストに遠慮して「東中国海」という字幕表示になっている。その代わり、日本を指す差別語の「東夷」は別の表記が用いられている)。波は今にも鑑真らの乗る船を飲む混もうとする。しかし、仏の加護により、波は静まる(ただし日本には行けない)。時系列的には、栄叡が鑑真に渡海するようお願いする場面は、この渡海の後に出てくる。舞台は揚州の大明寺。日本からの留学僧・栄叡(駱洋)が、鑑真(田浩江)に扶桑(日本の別名)に渡り、律宗の戒律を伝えるよう頼む。鑑真の弟子の静空(劉雨東)、尼僧の静海(鑑真の弟子に尼僧はおらず、架空の人物である。柯緑娃)らは渡海は危険だとして鑑真を止めるが、鑑真は海を渡ることこそ最大の修行であり、日本に渡らなければ自分は成仏出来ないとして、渡海を決定する。鑑真は、鳩摩羅什や玄奘(三蔵法師として日本でも有名)の姿を己に照らし合わせていた。
しかし、鑑真の身内に密告者がおり、海賊と通じているとして鑑真一向は捕らえられてしまい、渡海は失敗。密告者は静海であることが発覚。静海は自殺して詫びようとするが、鑑真に仏の道を歩むことこそが贖罪と諭されて思いとどまる。

栄叡の独唱の場面では、舞台上手から着物を着た松村エリナが台車に乗って現れ、箏で伴奏を奏でる。唐関連の人物の場面では、下手から中国箏演奏家の劉星延(女性である)がやはり台車に乗って現れるのだが、共にモーター音が響くため、ちょっと気になった。

江蘇省演芸集団歌劇舞芸院合唱団とダンサー陣の人海戦術も効果的であり、リアルな場面と幻想的なシークエンスの両方で存在感を示していた。


鑑真は渡海失敗を繰り返し、一度などは、南方の異境(振州=現在の海南島とされている)に船が流されてしまい、島の主の憑夫人(殷桂蘭)は、配下の祈祷師による「この島で疫病が流行っているのは、この僧侶達が原因」との言葉を信じ込み、鑑真を柴草で焼き殺そうとするが、鑑真に諭されて思いとどまる。鑑真は部下達に薬草を調合した薬を作らせ、島の疫病を鎮める。憑夫人は己の無知を恥じるが、鑑真に励まされ、島に菩提心を広めることを約束する。

海を渡ることが叶わぬまま、栄叡が唐の地で客死する。この時、鑑真は度々の艱難辛苦のためにすでに失明しており、栄叡の姿を見ることが出来ず、探し回る(字幕では、「栄叡どうしたのだ」とあったが、実際は、「栄叡在[口那]里(栄叡どこにいるのだ)」と歌っており、文字制限による意訳のために日本語では少しわかりにくくなっていた)。栄叡は故郷の難波津を思い出しながら息絶える。
弟子の静空もまた、「西方に浄土がある。私は東に渡るのではなく、西行します」と言って去って行った。
失意の鑑真であったが、「長明燈は常在不滅」という言葉を信じ、再び日本への渡海を試みる。

こうして苦難の末に、天平勝宝4年(754)に鑑真は日本に渡来し、奈良の都に戒律を伝え、東大寺に戒壇を気づき、唐招提寺を建立した後に当寺に於いて入滅するのだった。


東アジアにおける西洋音楽の受容というと、日本が最先端ということはこれまでは当たり前だったし、これからも当分は同じ状況が続くと思われるのだが、日本の国公立で音楽学部を持つ大学は東京芸術大学、愛知県立芸術大学、京都市立芸術大学、沖縄県立芸術大学など数えるほど。演劇や映画の学部は皆無という中にあって、中国は国共内戦後に中央音楽学院、中央戯劇学院、北京電影学院など、北京に国立の音楽大学、演劇大学、映画大学を創設。文化大革命による危機はあったものの、北京だけでなく、上海を始め各所に国立の芸術大学を設置して、国ぐるみで文化を後押ししている。

中国のクラシック音楽事情には私も通じているわけではなかったのだが、劇場付きのオーケストラが存在するというのは衝撃であった(日本では、ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団が歌劇場付きの団体であるが、母体である大阪音楽大学のオーケストラという位置づけであり、編成も大きくない。ポピュラーでは宝塚歌劇団のオーケストラが座付きである。新国立劇場創設時に座付き国営オーケストラ設置案も挙がったが実現しなかった)。

以前の中国では、芸術家は国家認定システムであり、国立の芸術大学を卒業していないとプロの芸術家に認定されず、活動も出来なかったのだが、今はどうなっているのかよくわからない。ただ、国を挙げての文化発揚形式は今も力強いものがあるということは、この公演を観てもわかる。


北京語歌詞、日本語字幕による上演であるが、一部、日本語による合唱が行われる場面がある。また、般若心経や「南無阿弥陀仏」が唱えられるのだが、仁如教師は、2005年から2007年に掛けて岐阜県にある正眼短期大学に留学しており、帰国後に鑑真仏教学院で日本語基礎教育に関わったほか、2015年から今年の3月まで和歌山県の高野山専修学院で唐の密教に関する研究を行っており、日本語による読経が可能であり、般若心経が日本語読みで朗唱される場面もあった。
「ギャテイギャテイ ハーラーギャテイ ハーラーソウギャテイ ボダジソワカ」、「色即是空 空即是色」という般若心経のお馴染みの言葉も登場する。

江蘇省演芸集団交響楽団も予想を遙かに上回る優秀なオーケストラであり、仏教好きでなくても十分に楽しめる現代歌劇となっていた。

カーテンコールでは、作曲家の唐建平や脚本家の憑必烈らも登場。出演者達もオーケストラピットの楽団員も嬉々として拍手を送っていた。ロシアのマリインスキー・オペラによる「エフゲニー・オネーギン」を観た時もそうだったが、お国ものということで皆が誇りを持って演奏し、歌い、演じていた。日本ではオペラがまだ「お高くとまったもの」と認識されているためか、こうした光景は余り見られない。日中関係は悪化の一途を辿っているが、自国が生んだ芸術を純粋に愛する心も持つ隣国の人々が羨ましくなった。日本人は西洋音楽に対するコンプレックスが強すぎるようにも思う。

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桜 稲垣早希メイク術

桜 稲垣早希公式チャンネル「早希TUBE」からの映像。早希ちゃんのボケにご注目。

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2017年1月15日 (日)

眠りによるハイジャックあるいは逢魔が時の私

 眠りに体を一時的にハイジャックされる。それは私の奥に抑圧された何かが表に出ることでもなく、私の潜在意識に眠る私が表の私に変わって目を覚ますことでもない。
 黄昏時に、あるいは彼は誰時に、光と闇の移り変わる逢魔が時に、多くのものが溶けて一体になるのと同様、「私の制御する私」以外の私が渾然とした形で現れるということである。
 ハイジャックされた私は抑制力を持たず、一貫した記憶も保持しないが、それは私が私でなくなるということとは著しく違う。さなぎとしての個体と脱皮して蝶となった個体とが同一であるように、個としての私自体は存在する。
 そしてハイジャックされた個体が私と連続性を持つことで恐怖が生まれる。
 「私が私と思っている私は本当に私であるのか」
 デカルト的思惟はもう否定された。私の根源自体が私でない可能性がある。それは私でありながら私でない、「逢魔が時の私」だ。
 それを私は何と名付けよう。フランソワーズ・サガン的な戸惑いの中にある私を。

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2017年1月14日 (土)

コンサートの記(266) 宮本亜門演出 東京二期会オペラ劇場「魔笛」

2015年7月16日 東京文化会館にて

午後6時30分から、東京文化会館で、東京二期会オペラ劇場・モーツァルトの歌劇「魔笛」を観る。様々な作曲家が数多く作曲したオペラの中でも人気ということに関してはトップランクに来るモーツァルトの「魔笛」。音楽之友社が数年前に行ったアンケートでは好きなオペラ1位であった。とにかく音楽がチャーミングであり、おとぎ話のようなストーリーも観るものを惹きつける。
ストーリーに関しては、「一貫性がない」という批判を受けるが、台本を書いたシカネーダーとモーツァルトが共にフリーメイソンの会員であり、フリーメイソンが「男尊女卑」の思想を持つことを考えると案外、首尾一貫した話という印象も受ける。

演出は宮本亜門。今回は、「魔笛」がRPGの中の話という設定で、全編CGが用いられる。具体的な装置はたまにしか登場しない。今の時代なら十分に可能ではあるがかなり思い切った演出である。

指揮は、デニス・ラッセル・デイヴィス。古楽から現代音楽まで幅広いレパートリーを誇るアメリカ出身の指揮者である。全曲モダン楽器によるピリオド・アプローチを採用した「ハイドン交響曲全集」を完成させており高い評価を得た。オーケストラは読売日本交響楽団。デニス・ラッセル・デイヴィスの指揮なので当然ながらピリオド・アプローチによる演奏である。

なお、今回の魔笛はオーストリアのリンツ州立劇場との共同制作であり、東京に先駆けてリンツで世界初演が行われたようである。

舞台は八百屋になった菱形。菱形の上辺の二つのライン上にパネル型のスクリーンが立っており、丁度本を開いて舞台の上に置いたような形に見える。このスクリーンにCGが投影され、更に部分部分が開閉することで、場面転換がスムーズに行く。CGは途中で映像が乱れたりもしたが、これだけ徹底してやられると不思議と説得力を持って見える。

出演は、妻屋秀和(ザラストロ)、鈴木准(タミーノ)、加賀清孝(弁士)、髙橋裕樹(僧侶Ⅰ)、栗原剛(僧侶Ⅱ)、森谷真理(もりや・まり。夜の女王)、幸田浩子(パミーナ)、日比野幸(ひびの・みゆき。侍女Ⅰ)、磯地美樹(いそち・みき。侍女Ⅱ)、石井藍(侍女Ⅲ)
小野颯介、福田建、髙井麻飛(たかい・あさひ)、以上3人は「三人の童子役を務める子役である。全員、TOKYO FM少年合唱団に所属)
九嶋香奈枝(くしま・かなえ。パパゲーナ)、黒田博(パパゲーノ)、高橋淳(モノスタトス)、成田勝美(武士Ⅰ)、加藤宏隆(武士Ⅱ)
ダブルキャストであり、16日と19日がこのキャスト、18日と20日は別のキャストが演じる。東京二期会の公演であるため、子役を除く全員が(東京)二期会に所属する歌手達である。

合唱は二期会合唱団。この公演には歌うことはないダンサーが男女3人ずつの6名が出演する。鈴木裕香(すずき・ゆか)、津吉麻致子(つよし・まちこ)、泉真由の女性陣は、娼婦風の女性3人の他にチンパンジーの着ぐるみを着ても出演。栗林昌輝、藤岡義樹、竹中勇貴の男性キャストはチンパンジーやゴリラを主に演じる(振付担当は新海絵理子)。

なお、今回はiPhoneやiPad使用者向けの巨大なQRコードが開演前と途中休憩時間に降りているスクリーンに投影され、アップル・ユーザーはQRコードを読み取ることで、RPG「魔笛」をディスプレー上で楽しめるという(私はAndroidユーザーなので関係なかったが)。

デニス・ラッセル・デイヴィスが登場し、「魔笛」序曲を演奏。シャープにしてクリア、且つ豊潤な音楽が奏でられる。「魔笛」序曲演奏中に舞台上ではプロローグが演じられる。舞台は意外にもとある家庭の一室。「魔笛」序曲の3つの音をノックとでも聴いたように、奥の扉を開けて、おじいちゃん(加賀清孝)が登場。おじいちゃんはプレゼントの箱を手にしている。その後、3人の子供(三人の童子を務める子達)が入って来る。3人はおじいちゃんの孫のようだ。おじいちゃんが孫にプレゼントしたのはコンピューターゲーム。ソフトは「君もヒーローになれる」というRPGが内蔵されており、ディスプレーにメッセージが浮かぶ。そこに、サラリーマンの格好をした父親(鈴木准)が部屋に帰ってくる。父親は会社でトラブルを起こしたようで、辞めるかクビになるかしたようだ。そこへ母親(幸田浩子)が帰ってくる。夫婦喧嘩が始まり、遂には母親が父親に愛想を尽かしてキャリーバッグを引いて家を出てしまう。やけっぱちになった父親は「ヒーローになりたい」との思いからRPGの画面の中に飛び込む。ディスプレーが割れる映像が浮かび、キャストが退場、セットも退けられて、背後のスクリーンのみの無機質な舞台になる。スクリーンに白蛇が現れ、縦横無尽に動き回る。タミーノとなった父親は白い大蛇から逃れようとして気絶。ここで侍女3人が表れ、タミーノのことをイケメンだと褒めそやし(タミーノ役の鈴木准は実際に結構な男前である)、タミーノに衣装を与える。

今回のタミーノはサラリーマンがRPGの世界に迷い込んだという設定であり、彼は王子でも貴族でもない(侍女の3人が明かす場面がある)。

その後に表れる黒田博演じるパパゲーノは、道化風というか、ちょび髭なしのチャップリンのような出で立ちである。鳥刺し男という設定は変わっていないのだが、鳥刺し男には見えない。
黒田のパパゲーノは演技は達者だが、声がやや重めである。

夜の女王役は本当は幸田浩子が良かったのだが、今回の夜の女王は格好が色物風だったので、幸田の良さを生かすならパミーナということになったのだろう。夜の女王役の森谷真理のコロラトゥーラは見事であった。

幸田浩子のパミーナは予想通り愛らしい感じであったが、もう少し演技を付けた方が良かったかも知れない。歌は素晴らしい。彼女の高く伸びる歌声はやはり聴いていて心地良い。
なお、今日は入場者全員に幸田浩子のサンプルCDがプレゼントされた。

ザラストロが率いる一派は理知的に過ぎる嫌いがあるのだが、宮本亜門はそれを思いっ切り外面に表れるよう演出。ザラストロ達は脳味噌の形をした被り物をしている。見たままズバリ頭でっかちという印象である。

男性達は理知的に過ぎ、女性達は情に溺れるというのが「魔笛」の基本的なラインである。タミーノが3つのイニシエーションを経て、パミーナとの「真の愛」を掴み取るのだが、儀式から脱落したパパゲーノがパパゲーナを得て、有名な「パパパの二重唱」を歌うのを聴くと、「真の愛」と思われている愛が本当の愛なのかどうか曖昧に思えてくる。

今回の「魔笛」は、タミーノとパミーナの大団円、パパゲーノとパパゲーナの大団円の後に、タミーノから一人の男に戻ったサラリーマンが仕事を成功させ、妻と復縁するという三つ目の大団円が用意されており、かなり祝祭的な印象を受ける。

ラストでは、二期会合唱団の面々がドレスアップして客席の上手端通路と下手端通路に並んで喜びの歌を唄うなど、視覚的、音響的効果にも優れていた。

三人の童子は成人女性のソプラノ歌手が歌うことも多く、ソプラノの方がボーイソプラノよりも歌唱も安定しているし、演技も達者なのだが、今回の解釈だと男性の中に女性が子供として交じっているということになり、異物混入に見えるため、ボーイソプラノの方が説得力があるだろう。

デニス・ラッセル・デイヴィス指揮の読売日本交響楽団は全編を通してフレッシュな演奏を展開。聴き応えのある「魔笛」であった。

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2017年1月13日 (金)

コンサートの記(265) 春秋座オペラ2016「カルメン」

2016年12月17日 京都芸術劇場春秋座にて
 

午後2時から、京都芸術劇場春秋座で、歌劇「カルメン」を観る。NPO法人ミラマーレ・オペラの企画制作。牧村邦彦指揮ミラマーレ室内合奏団(弦楽2、木管4、金管2、打楽器1の室内楽+エレクトーンという編成)、ミラマーレ・オペラ合唱団、ひまわり児童合唱団の演奏。今日の出演は、藤井泰子、谷口耕平、和田しほり、折江忠道、松山いくお、松浦藍、畠中海央、望月光貴、木村孝夫、竹内利樹(田中洋貴が体調不良で降板したための代役)、生駒里奈(アイドルの方と同姓同名、漢字も一緒ですが別人です)、田中啓介。公演プロデューサー:橘市郎、公演監督:松山郁雄(松山いくおと同一人物)、演出:三浦安浩。

春秋座オペラ7年目の上演である。それ以前にも歌劇「椿姫」などは上演されており、私も京都造形芸術大学在学中に観ている(主要キャストのみプロで、他は京都市立芸術大学及び大学院の学生であった)。


「カルメン」というと、カルメンというジプシーの悪女にドン・ホセがたぶらかされる物語というイメージがあるのだが、今回の三浦安浩の演出は、カルメンとドン・ホセの立場の違いに重点を置いているようである。


春秋座は歌舞伎のための劇場であり、回り舞台や花道がある。今回もその回り舞台と花道を使った演出が施される。


第1幕への前奏曲前半が終わろうとする頃に、舞台下手からカルメン(藤井泰子)が現れる。まだ幕は開いておらず、カルメンはしばし幕の前で佇む。前奏曲後半が始まると、花道の入り口に一人の女性(生駒里奈)が現れる。カルメンと女性は歩み寄り、すれ違う。この謎の女性、ラスト間際まではカルメンにしかその姿は見えない。彼女の正体は、「運命」なのか「死神」なのか。ラストではこの女性の姿は「死」そのものなのだが、ここではそれら全てを包括した「影」ということにしておく。影の女性は、もう一つの影である士官姿の男性(田中啓介)とダンスを踊る。影の女性は花道の入り口若しくは花道のセリから登場する。セリで花道に上がり、そのままセリで消えることもある。

今回は照明の思い切った切り替えがあるのだが、劇画調になるため、好悪を分かつかも知れない。


ジプシー(劇中では「ボヘミアン」と呼ばれる)であるカルメンは自由を求める。愛の束縛すら彼女は求めない。自由を失うぐらいなら死を選ぶのがカルメンだ。
一方のドン・ホセは貴族階級出身であり、下士官というお堅い職業に就いて、伍長という肩書きも持っている。今後、士官への出世の可能性もあり、ミカエラ(和田しほり)という恋人がいるにも関わらず、カルメンに揺動されてあっさりと恋に落ちてしまうという愚かな男である。

カルメンとドン・ホセは本来なら恋に落ちるはずのない二人なのである。それがカルメンにたぶらかされた結果、身に過ぎた行動をドン・ホセはとってしまうのである。彼は、「ラ・トラヴィアータ」ならぬ「ラ・トラヴィアート」である。

ドン・ホセは身分を捨て、カルメンのいるジプシーの盗賊集団に加わる。本来なら、ドン・ホセの気質からいって、こんなことをしても上手くいくはずがないのである。水と油のカルメンとドン・ホセ。本来なら堅気の職業を続け、母親との絆を強く保ち、ミカエラの愛の紐帯も受け入れる、それがドン・ホセだったはずだ。そうとしか生きられない男。ところがカルメンのために横車を押して、実る当てもない恋路を選んでしまった。ドン・ホセは自分というものをわかっていなかった。カルメンよりもドン・ホセの方がより一層、悲劇的に映る。

ラストでドン・ホセにも影の女の姿が見えるようになる。ドン・ホセは影の女を止めようとするが、影の女はドン・ホセの横を通過する。もはやカルメンを殺すことは避けられない。そしてドン・ホセは行動に及ぶ。


牧村邦彦の指揮は身振り手振りが大きい。今日は下手側桟敷席での鑑賞で、舞台も牧村の指揮も両方よく見える位置だったので仔細に観察した。編成が小さいので迫力には欠けるが、リズム感の良いきっちりとした音楽作りである。牧村は時折、指揮棒を譜面台に置いてノンタクトでも指揮をした。


今日、タイトルロールを歌った藤井泰子は、イタリア在住の歌手である。慶應義塾大学卒業後、日本オペラ振興会オペラ歌手育成部を修了。イタリア政府給付金を得てイタリアに渡り、ボローニャ音楽院で学ぶ。イタリアでは、Yasuko名義での活動もしているそうだ。カルメンの雰囲気に合った演技と歌唱を聴かせてくれる。才能豊かなようである。
2017年2月には、イタリアで「ナポリの娘」の主演を張る予定。

ミカエラ役の和田しほり(京都市立音楽高校出身)の可憐な歌声と演技も良い。今日のキャストは男声歌手よりも女声歌手の方が総じて上だったように思う。

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2017年1月11日 (水)

美術回廊(8) 名古屋市美術館 「画家たちと戦争:展 彼らはいかにして生きぬいたのか」

2015年7月30日 名古屋市美術館にて

名古屋市美術館へ。名古屋市美術館では現在、「画家たちと戦争:展 彼らはいかにして生きぬいたのか」展をやっている。横山大観、藤田嗣治、恩地孝四郎、北川民次、岡鹿之助、福沢一郎、北脇昇、吉原治良、宮本三郎、山口薫、松本竣介らの第二次大戦前後の絵画が並んでいる。福沢一郎のようにシュールレアリスムの画風を見とがめられ、作風転向をせざるを得なかった画家もいる。

 

フランスで活躍していた藤田嗣治(ふじた・つぐはる。レオナール・フジタ。オダギリジョーが藤田嗣治を演じた映画が制作された)は、ずっとフランスで活動しており、ヨーロッパの戦況が不穏だというので(実際、後にパリは陥落する)日本に戻っていたのだが、日本の戦争のために画を描いた。これに戦後になって「戦争鼓舞の責任」などと言いがかりをつけられた藤田は激怒。再びパリに渡りフランスに帰化。本名もレオナール・フジタとして終生日本に帰ることはなかった。

全聾の画家、松本竣介は上京後画家となるが、戦争協力の要請には応えずに仄めかしに留まる画を描いている。今回の「画家たちと戦争」展のポスターに使われているのは松本の「立てる像」だ。松本本人の自画像だという。

北川民次の画を観た第一印象は「メキシコの画家の絵みたい」であったが、実は北川民次はメキシコでも絵を習った経験があるそうで、メキシコの画家の作風に似ているのは当たり前なのだった。名古屋市美術館はメキシコ人画家の絵を多数所有しており、常設展示もしているので比較も可能である。

最も有名だと思われる横山大観は戦争に荷担した側である。直接戦争に関与したわけではないが、彼の画いた富士山の絵の数々は戦費捻出に利用されたという。

恩地孝四郎が描いた「あるヴァイオリニストの印象」に描かれているのは諏訪根自子(すわ・ねじこ)だそうである。

個人的には山口薫の、「銃」という画が最も印象深かった。赤茶けた背景の中で、機関銃が三脚のように立てかけられている。三脚の機関銃の束は少なくとも三つはある。今丁度戦いの最中なのか、戦を待つ機関銃なのか、一戦終わった後の機関銃なのか。それはわからないが、何とも言えない禍々しさが画から伝わってくる。

 

常設展では、モディリアーニの「おさげ髪の少女」や、ユトリロの「ノルヴァン通り」を観ることが出来た。

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笑いの林(79) 「祇園ネタ」&吉本新喜劇「茂造のみんな集まれお正月」2017年1月2日

2017年1月2日 よしもと祇園花月にて

午後3時30分から、よしもと祇園花月で、「祇園ネタ」と吉本新喜劇「茂造のお正月」を観る。「茂造のみんな集まれお正月」を観るのは二度目である。

「祇園ネタ」の出演者は、銀シャリ、桜 稲垣早希、ザ・プラン9、矢野・兵動、西川のりお・上方よしお(登場順)。


銀シャリ。昨年のM-1チャンピオンであり、客席から「優勝おめでとう!」という声援が響く。根がボケの鰻和宏と鋭いツッコミを武器とする橋本直のコンビである。
鰻和弘の鰻という苗字が珍しいという話から入る。鰻姓は全国で6人しかいないが、うち4人は鰻和弘の家族だそうで、橋本に「凄いシェア率やな。逆に2人がなんで他人なのか知りたいわ」と言われる。鰻氏は薩摩国由来の苗字で、藤原氏後裔肥後菊池氏系の名族のようである。

橋本直が、「最近太りだした」というので、鰻が、「一緒にスポーツをやろう! (ゴルフのスイングをしながら)テニス!」と提案して、「(仕草と言葉の)どっちを信用していいのかわからん!」と返される。
鰻が、錦織圭のことを「ニシコリコリ選手」と言い、橋本に「誰? 歯ごたえ良さそうな名前だけど、お前もウナギナギって言われたら嫌やろ」と突っ込まれる。
テニスをやることになり、橋本が、「テニスは声を出すのがいいね」と言うが、鰻はサーブをする際にボールを上げてから、「俺は負けない! 絶対に勝つ! この凄いサーブを受けてみろ!」と言って、橋本に「もうツーバウンドぐらいしてる!」と突っ込まれる。橋本に「アッ! やろ」と促されるも、鰻はボールを上げる際に「アッ!」と言ってしまう。

鰻は最近、諺を覚えているという。「頭良く見られたいから」だそうだが、「頭良さそうに見られたい時点で頭良くない」と橋本に言われる。
鰻は、「一万去ってまた一万」、「壁にニス塗り障子にメリハリ」、「早起きは三秒の得」、「三度目の掃除機」、「仏の顔も三秒まで」と挙げるも、
それぞれ、「パチンコ負けたんか」、「大工やね」、「寝とくわ三秒だけなら」、「知らんけど三度目ぐらいだったらもうダイソンになってるわ」、「めっちゃ短気やん! 仏じゃなくて鬼やわ!」と橋本に返される。

「ブタもおだてりゃ木に登る」は合っているが、橋本から意味はわかるかと聞かれた鰻は、「おだてるとかそういう」と言って、「代表取締やくさーん! 代表取締やくさーん!」と続けて、「そこは、『社長さん! 社長さん!』でええやろ!」と橋本に突っ込まれる。
「月とすっぽんぽん」。橋本「ぽん一ついらん! なんやその月夜のヌードは?!」


桜 稲垣早希。「キスから始めよう」をやる。内容は昨日散々書いたからもういいでしょう。コミックアニメのキャラでもキスする時はイケメン劇画風になる。
最初に、「みなさん、『エヴァンゲリオン』知ってますか?」と聞くも、「知らん!」と答えるおじさんが一人。ということで、「あんたバカぁ~?!」と言った後で、「今の変わったおじさん以外は知っているということで」と続けるも、子供から「知らん!」と言われる。

「『あんたバカぁ~?!』と一人で言える人」と聞き、小さな女の子が「あんたバカぁ~?!」と言う。早希ちゃんはお礼にバルーンアートを作ろうとして、青い風船を小型ポンプで膨らませながら「何がいい?」と女の子に聞くが、「キリン」と言われたため手が止まる。黄色い風船に変えて簡単なキリンのバルーンアートを作ってプレゼントし、青の風船も第5の使徒ラミエルとして同じ女の子にプレゼントする。
今日は、ゲームキャラが言う「世界は全て俺のもの」が増え、「世界の半分は俺のもの、だが半分は」ということでキスを迫っていた。


ザ・プラン9。ヤナギブソンが「今日は浅越ゴエの出身地である岡山から団体客が来ている」というのだが、客席に聞いても岡山から来た団体客なるものはいない。何かの勘違いか手違いだったらしい。「岡山から来た人」もおらず、「岡山に行ったことがある人」まで基準が下げられた。

ヤナギブソンが、「三人で出来るもの、輪唱をしよう」と提案して、「かえるの合唱」を歌うのだが、一人で全て歌い終えることになってしまう。ヤナギブソンが歌い終わってから浅越ゴエが歌い出すのだが、「遅い!」とヤナギブソンに突っ込まれる。もう一度、ヤナギブソンから歌い出すのだが、今度は入るのが下手。そこで、お~い!久馬から歌い始めるのだが、久馬が歌い出したのは聞いたこともない謎の歌。だが浅越ゴエも輪唱で歌い始める。実は、お~い!久馬の母校である岸和田市立の小学校の校歌であった。ヤナギブソンは浅越に「岡山なのになんで歌えんねん!」と突っ込む。

今度は「あるあるゲーム」。「赤いもの」を挙げていくのだが、「トマト」「ポスト」というようなちゃんとした赤いもの(変な言い方だが)を挙げるのはヤナギブソンだけで、他の二人は、「赤い靴」「赤いハンカチ」「赤い靴下」と「赤い」を付けただけのその辺にあるものである。最後は久馬が、「赤井英和」と赤くはないものを挙げてしまう。
「数」。簡単だが、ヤナギブソンが「1」、久馬が「2」と来て、浅越は「あー、もうないわ!」
アフリカ大陸にある国。「モロッコ」「エジプト」「ナイジェリア」「モーリタニア」「中央アフリカ」「コートジボワール」「セネガル」など、異様にアフリカ大陸にある国名に詳しい。ヤナギブソンが「リビア」と言うも、先に久馬がリビアを言っていたとして重複アウトになる。「なんで3を知らなくてアフリカの国に滅茶苦茶くわしいねん?!」とヤナギブソン。

最後は、AIという言葉が浸透しつつあり、10年後にはロボットが生活の中に取り入れられているかも、ということで、ヤナギブソンがロボットを買いに来た人、久馬が店員となる。浅越は「30%オフです」とにこやかに語り、店員かと思いきや浅越がロボットであることが久馬から紹介される。ロボットだと紹介された途端に浅越の動きがぎこちなくなる。
ジャンプをさせるには、コントローラーの「j」のボタンを押すと久馬が説明するのだが、ロボットの浅越は両足の踵を蹴り上げるだけのジャンプで、ヤナギブソンに「低!」と呆れられる。小文字の「j」を押したから低かったのだがとして、久馬が大文字の「J」のボタンを押すも、体の動きは大きくなったがジャンプはさっきと一緒。
「B」のボタンを押すと「Back」し始めるそうだが、浅越ロボットはやたらと後ろを気にし、少し大きく踏み出して落ちずに「セーフ」とやってチキンゲームのようになってしまっている。
なぜかこのロボットは便器にもなるという。久馬が「リビングにいて、『そういえばこの家、便器ないな』と思うことがあると思いますが」と言って、ヤナギブソンに「ないわ!」と速攻で返される。
久馬は、「便器なのでBのボタン」というが、Backして先程と同じ動きをする。久馬「間違えました。便器のボタンは、T、O、T、O」、ヤナギブソン「TOTOやん!」というわけで、浅越ロボットが両手を輪にしてしゃがみ、洋式便座らしくなる。「すみずみまで洗ってくれる」そうだが、結果としてやたらと肛門周辺をいじったり息を吹きかけたりするロボットになってしまう。


矢野・兵動。東京と大阪の違いネタ。東京では兵動を見かけたシュッとした女性が、「兵動大樹さんですよね。『すべらない話』見てます。また出演出来るといいですね」と上品に語りかけてくるそうだが、大阪では自転車に乗ったおばさんが30メートルぐらい先から、「ひょーどー!!」と叫んでくるそうで、そのまま目の間を自転車で通り過ぎていったという。
大阪のおじさんは変だそうで、おじさん二人が並んで歩いていて、蹴躓いた方が普通に歩き続けている方に寄りかかって、「大丈夫か?」と聞くそうである。歩行者信号を待っていたところ、隣にいたおじさんが、後ろから来た自転車に脚を突っ込まれるという事故を目撃したのだが、おじさんは、「そうだと思った」とつぶやいたそうで、事前に予想していたらしい(?)。
通天閣のある新世界は濃いおっちゃんが多いそうで(新世界は某有名地区に隣接している)、頭から血を流している男性を兵動は見かけたそうなのだが、男性は血を流しながらキョロキョロしており、兵動を見ると、「おう、なにしとん?」と兵動に言ったそうである。
コンビニに入ると、兵動の番なのに店員が後ろの方を気にしている。振り返ると、コンビニおでんの牛すじをパックに入れずに串を手にして待っているおじさんがいたそうで、皆の視線に気づいたおじさんは、慌てて牛すじを食べてしまったそうである。だが、代金は払っていないので、ただの串を持って列で待っていたとのこと。
東京・新宿にあるルミネTHEよしもとの出番の合間のこと。マクドナルドで列に並んで待っていると、隣の列にロン毛の兄ちゃん二人が話していたという。そして兵動が注文しようとした時に、ロン毛の兄ちゃん二人が、「この近くに吉本の劇場があるんだって」「俺、大阪嫌いだし」と話し始めた。ここで大阪弁で、「すんまへん、チキンテリヤキバーガー一つ」と言ったらまずいと思った兵動は、標準語に直して言おうとしたのだが、47歳で頭の回転が鈍ってきているため、「OH! TERIYAKI-BURGER!」と英語のアクセントになってしまったそうだ。


西川のりお・上方よしお。西川のりおが、「私が正真正銘の津川雅彦です」と嘘の紹介をし、よしおのことを「借りてきた猿です」と言う。「ポケモンGOです」と言い直すが、よしおが「誰がポケットモンキーや!」と誤った反論。のりおが「ポケットモンスターや」と正しい名称を語る。
お笑いを観に来る女性も最近は綺麗な人が多いと言い、昔は漫才師より面白い顔の人ばかりだったと続ける。男芸人も、のりおの世代では宮川大輔など顔の大きい人が多いが、今の若手芸人は男前が多い。例えばとして、「ピースの綾部」を挙げるが、のりおは「相方が藤田紀子」と言ってしまう。「相方は」と言い直すも、「茶川(ちゃがわ)賞を取ったマタキチ」と言ってしまう。
2020年の東京オリンピックに掛けて、「お・か・ね・な・し」、「な・か・っ・た・よ 豊洲の地下の土」、「ろ・く・で・な・し ベッキーと不倫したゲ×の極みの川×」、「む・だ・づ・か・い 舛添要一」と続けて、記者会見になるも、「STAP細胞はあります!」になったり(同じ雑誌の同じ記者が何度も「STAP細胞はあった」という捏造記事を載せているが、あれはなんなんだ?)、「本当は耳聞こえます。ピアノは弾けません」になったり、号泣議員なったりする。
「テロ」のことを「エロ」と言い、「同時多発エロ」とのりおが言うが、よしおが「同時多発エロってなんなん?」と突っ込む。
ウサマ・ビンラディンのことを、ウサマ・ビンラピーと言って、「I have apen.I have a apple.Oh,I applepe」とピコ太郎のネタになる。
北方領土返還問題(半永久的に返還されないようだが)にも触れるが、4島が、淡路島、佐渡島、奄美大島、対馬と別々の4つの島になってしまう。


吉本新喜劇「茂造のみんな集まれお正月」。3日前にも観ているが、平谷昌雄は今日は間違えずに、「レジャーランドのような24時間営業の施設は近隣の子供達にも悪影響を及ぼすので」とセリフを言うことが出来た。が、アドリブには弱く、アキが振ったアドリブに上手く答えられず、茂造に怒られる。
アキが、「いいよー」と言うと、会場大爆笑、拍手大喝采になる。
森田展義は、10人が「一千万!」と言った後のボケのセリフを「(合わせて)億以外で(ボケを)やれ!」と茂造に命令されたが、松田聖子の「抱いて」を歌うという意味不明なものとなった。
吉本新喜劇のマドンナ役(他の劇ではヒロインに当たる)だった五十嵐サキも四十代ということで、体型がふっくらしている。それを茂造にいじられていた。

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笑いの林(78) 「祇園ネタ」&吉本新喜劇「茂造のみんな集まれお正月」2016年12月30日

2016年12月30日 よしもと祇園花月にて

12時30分から、よしもと祇園花月で、「祇園ネタ」と吉本新喜劇「茂造のみんな集まれお正月」を観る。チケットを買うのが遅れたので、今日は上手側桟敷席(上手G席)で観ることになる。

「祇園ネタ」の出演は、バンビーノ、タナからイケダ、ガリガリガリクソン、千鳥、オール阪神・巨人(登場順)。


バンビーノ。石山大輔が、「こう見えてブラジルにサッカー留学をしたことがあります」と言って、それなりに良い感触を得る。石山は相方の藤田裕樹(ふじた・ゆうき)を紹介するが、「動物です」とダンソンの時のネタで紹介する。石山は、「落語の桂きん枝師匠の甥っ子です」と藤田を紹介し直すが、「お笑い界のサラブレッド。やっぱり動物」とネタに繋げる。

「ダンソン」をやる前にショートコント。ちなみに今日のお客さんはバンビーノを生で見るのは初めてという方が大半のようだ。
ショートコント「ですよね」。石山と藤田が出会ってハイタッチなどを繰り返すが、石山が「はじめまして」と挨拶し、藤田が「(はじめまして)ですよね」と返す。文字だけだと面白さは伝わらないと思うが、お笑いっていうのは、文字に起こしても笑いは伝わらないものである。だから、ここに書くのも記録用であり、「楽しみたかったら劇場へ」と書くしかない。

続いてのショートコントは「喧嘩」。石山が上手から下手へ、藤田が下手から上手に歩き、途中で肩がぶつかる。石山が喧嘩を売り、藤田が殴りかかるが、石山がターンして迎え撃つ(?)という謎の仕草を見せる。

ショートコント「距離感のおかしい喫茶店」。客の石山と喫茶店店員の藤田が顔を目の前に近づけながら案内や注文を行うというコントである。

ショートコント「喧嘩Ⅱ」。石山が藤田の頭を殴ると、藤田が舌を鳴らして「コン!」という音を出すという内容。

「ダンソン」ダンスを行い、その後、手を挙げた小学校6年生の男にも「ダンソン」と「ニーブラ」体験をして貰う。


タナからイケダ。まず池田周平が、「パーキュットですね」と言って、客席が「???」となる。田邊猛徳の顔は「パーツが中央にキューッと集まっている(童顔のこと)」ので「パーキュット」なのだそうだ。
今日も高校球児と女子マネージャーのコント。
田邊は高校時代野球部で、女子マネージャーとの恋の憧れたというので、再現してみる。池田は女子マネージャーについて「やったことあるので」と自信を見せる(?)。
練習後、先輩部員に女子マネージャーが忘れ物を届けるという設定なのだが、池田は、「忘れ物だぞ!」、「忘れ物ですー↗」という言い方をして田邊に嫌われるキャラの女子を演じてしまう。
このネタは何度も書いているので、途中は端折って、恋人がいるかどうか聞く場面から続ける。
池田が田邊に恋人がいるか聞く場面。田邊は、「言いにくそうに」と指示するが、池田は、「お前はお父さんの子じゃないんだ」と別の言いにくいことを言ってしまう。
田邊は、「世話好きでお節介焼き」が好きだというが、池田は、「私やん!」と言って田邊の背中を叩くという大阪のおばちゃん風の女子を演じてしまう。気づかないという設定に変えるが、池田は、「ひょっとして……食堂のおばちゃん?」とボケる。
手を繋いで帰ろうとするも、立ち位置向かって左の田邊が左手を出すと、立ち位置同じく右の池田も左手を出してしまう。田邊に「こんな格好で並走している人、見たことある?」と突っ込まれる。その後も池田が反転して左手同士で手を繋ごうとするなど、無茶苦茶なことをした後にようやく手を繋ぐ(今日は池田が、「こう見えても36なんです」と言う。池田は田邊より3つ年上である)。が、池田は手を繋いだままタクシーを呼ぼうとしてしまう。
 

 

ガリガリガリクソン。「噂のヘンケンショー」というフリップネタをやる。ガリガリガリクソンの独断と偏見に基づくネタである。
「チワワなどのペットを飼っている人」→「アホ」
「ハンチング帽をかぶっている男性」→「ホモ」
「Mr.Childrenが好きな人」→「真ん中の桜井(和寿)さんしか知らない」(今日手を挙げた男性は「メンバーは一人も知らない」とのことだった。お義理で挙手したのかも知れないが)
「EXILEが好きな人」→「パッパラパー」
「TOKIOが好きな人」→「そんな人いない」
「メールで、「ぁ ぃ ぅ ぇ ぉ」などの小さな文字を使ったり、「まじ」をわざと「まぢ」と書いたりする人」→「就職ない」
「カップルや  で見に来ている人」(空欄には「夫婦」という言葉が入るのだが、漢字が書けなかったという)→「100%別れる」(上手くいっていても、「死が二人を分かつ」時は来るので当たっているといえば当たっている)

その前に、ちびっ子に好きな芸人を聞いたのだが、一人目は「バンビーノ」と答え、「もう終わっちゃいました」。二人目は「千鳥」と答えたので、「僕、早めに終わりましょうか」。三人目は「ガリガリガリクソン」と答えたのだが、「嘘やね」と瞬殺であった。


千鳥。大悟は岡山県の離島の出身であり、小学校時代は1クラス6人のみで、「サッカーをやるときは3対3。キーパーをやる人がいると2対2」で、「ロングパスばかりしていました」と語る。
大悟は、子供の頃はお笑い芸人ではなく、小学校の教師になりたいという夢を持っていたそうである。
ということで、大悟が小学校の教師となり、ノブが児童に扮して、「学校の給食費が盗まれたが、犯人を他の児童に知られずに見つけ出し、職員室に呼ぶ」という場面を演じてみる。
大悟は、「目を閉じて」と言い、「給食費を盗んだ者、手を挙げなさい」と言う。ノブが手を挙げるのだが、大悟は「ノブ」と犯人の名前を言ってしまう。
二度目は、名前を呼ぶことはなかったのだが、「今日はみんなに覚えて貰いたい言葉があるんだ」と言って、黒板に「ノブ」と書く仕草をする。
大悟は犯人の児童を職員室に呼ぶことに関して、「凍り付いた子供の心を溶かしてあげたい」というようなことをたどたどしく言って、ノブに「覚醒剤やってます」と言われる。
大悟は犯人の児童に、「味噌汁を飲ませたい」というようなことも語るのだが、職員室を訪れたノブに、「お前んち貧乏じゃけ、お前だってわかっちょったわ」と言ってしまう。


オール阪神・巨人。ちなみに巨人師匠は自分のコンビを「オール巨人・阪神」と呼ぶそうで、若手芸人は間違えないよう気を遣うという。
まず巨人が、「今日のお客さんはとても良いと聞いております。何を言っても笑ってくれる。(頭)おかしいんちゃう?」と切り出す。
地方公演に行くと、自由席の場合が多いので前に子供ばかり集まってしまい、阪神に、「おい、漫才師。お前、漫才師やろ。肥えたんちゃう? 顔色悪いな肝臓か腎臓悪いんちゃう?」などと喋る掛けるそうだ。
年齢層が固まっているところ、例えば老人ホーム。オール阪神・巨人は、毎年、敬老の日に老人ホームで訪問公演を行うのだが、おじいちゃんおばあちゃんは笑ってるのか震えているのかわからない。後で聞いたら、「笑いながら震えている」ということだったそうだ。
阪神の母親は、59歳で亡くなったのだが、泉大津市に務める婦人警官(今は女性警官と呼ぶようだ)で、日本の婦人警官の第一期生だったそうだ。阪神の両親は職場結婚だったそうだが、巨人が、「お父さん、泥棒」と嘘をつく。
巨人の母親は95歳での大往生だったというが、ボケることはなかったそうである。川柳を作るのが趣味で、「墓参り 行けないけれど 入れます」というような自虐川柳を作っていたらしい(本当かどうかはわからない)。
年を取ったので、尿漏れなどもあったらしいが、巨人は、「上品にいわなあかん。『お小水を放尿なさいました』」とアナウンス口調で言い、それを阪神が、デパートのアナウンス、パチンコ屋の呼び込み風に変えていく。
そして阪神が、「昔々、ある村に小便を漏らす婆さんがおったそうな。一足歩けば小便ちょろり、二足歩けばジョンジョロリ。じゃが、小便漏らしたところから芽が出たそうな。そこで取れた野菜を、『これ、もろうてええんかいの?』、『誰のものでもないからええんじゃ』」と続けていくが、巨人に、「どんどんネタが面白くなくなっていってる」と指摘された。
阪神が巨人の物真似で、「阪神君、最後のネタあかんかったな。ハッハー!」とやり、巨人に「お前、巨人・阪神一人で出来るんちゃうか?」と言われた阪神が一人で阪神・巨人をやるもさっぱり受けない。
阪神が、「ワイルドだろう。ここからネタないぜえ」、「煙草はセブンスターだぜえ。マイルドだろう」と、スギちゃんの物真似をやるが、巨人に「お前はワイルドでもマイルドでもない。チャイルドだ」と言われ、「この間、小学校5年生と喧嘩したぜえ。負けだぜえ。チャイルドだろう」
巨人によると、「阪神は結婚して子供が出来た。いや、結婚して離婚して結婚して子供が出来た」ということで、巨人が阪神の家に遊びに行くとよくなつくのだが、巨人は「本当の父親が誰かようわかっとるな」


吉本新喜劇「茂造のみんな集まれお正月」。年またぎの公演である。出演:辻本茂雄(座長)、桜井雅斗、平山昌雄、伊賀健二、大島和久、鮫島幸恵(さめじま・ゆきえ)、もりすけ、たかおかみゆき、前田真希、島田珠代、若井みどり、森田展義、五十嵐サキ、玉置洋行、松浦景子、アキ。

旅館ぎをんが舞台。花月グループの五十嵐サキが地上げの話を持ち込む。サキはチンピラのアキを連れてきていた。オーナーの平山昌雄の長女、幸恵が彼氏のもりすけを連れてくる。しかしもりすけはハゲなので、父親でもない茂造が怒る。昌雄の次男である和久も彼女のみゆきを連れてくるのだが、茂造に「めっちゃ不細工やないか!」と言われる。
昌雄はサキの「駅前レジャーランド開発に反対されていますよね?」という問いに、「その……レジャーランド……」と詰まり、茂造に頭をはたかれる。更にもりすけのセリフのタイミングも悪く、大島和久が「接客業」と言おうとして、「せっきゃ、ゴホゴホ」と咳き込んだため、茂造は半ば本気で「今日はもう帰る!」と言う。

その後、長男の「横顔新幹線」の健二が現れ、出演者が横一列になって健二が前を通り過ぎる際に、「新神戸」「新大阪」「京都」「名古屋」「新横浜」「品川」「東京」と新幹線の停車駅を言い、戻りには、「よ」「こ」「が」「お」「新」「幹」「線」と言うのだが、みゆきがセリフをとちったために茂造に怒られる。

健二もまた婚約者を連れてきていた。茂造は、「ハゲにブス。これでハゲのブスだったら最高」と言うのだが、健二が連れてきたのは前田真希で、「めちゃめちゃ可愛いやないか!」と健二と真希の頭をはたき棒ではたく。だがそこに、ハゲずらをかぶった島田珠代が健二のストーカーとして登場。茂造は、「神様ありがとう!」と感謝する。

島田珠代はスベリ芸で盛大に滑るのだが、演技が今一つの平山昌雄、もりすけ、たかおかみゆきも罰ゲームとして島田珠代と同じ芸をやらされる。

真希は消費者金融に1000万の借金をしていた。若井みどりが、チンピラの森田展義を伴って取り立てにやってくる。例によって「1000万!」という言葉を何人も繰り返し、「合わせて9000万」になるのだが、茂造は森田展義に、「1億円でボケろ」と要求。森田は旅館の店員という設定で、「あ、お客様。一(人)、奥へ」とやって大滑り。若井みどりも挑戦したが、「私は今72歳。もうすぐ使うよ、ムーニーマン」と言って笑いを取った。
森田には再度笑いを取るチャンスが与えられたのだが、「はぁい」と繰り返すもので、客席から「はぁい」のフライングがあったり、観客が合わせて「はぁい」と言うため、茂造に「宗教みたいになっとるやないか!」と突っ込まれたりする。

五十嵐サキ、アキ、前田真希らが実はグルだったという、普段の吉本新喜劇に比べると一捻りある展開であった。

ちなみに、アキが机の上に乗り、平山昌雄、伊賀健二、大島和久、もりすけが机を持ち上げ、円広志の「夢想花」に合わせて、机を揺らして持ち上げて、というシーンがあったのだが、茂造が止めずに延々とやったため、4人から「もう手首が限界です」と言われたらしいのだが、「俺、わからないんだよ。手首のこと詳しくないからさあ」と言い、茂造に「すんません」と言われ、「いいよお」とやっていた。

吉本には、「なんてこったパンナコッタ」という駄洒落があり、今日も茂造が、「『なんてこった』と言うので、後はわかりますね」と客席との掛け合いを行ったのだが、この駄洒落は東京では吉本由来と認識されていないため、なんだかややこしいことになっているようである。

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2017年1月10日 (火)

パーヴォ・ヤルヴィ指揮hr交響楽団(フランクフルト放送交響楽団) モーツァルト 交響曲第41番「ジュピター」

ナチュラルトランペット使用です。

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笑いの林(77) 「新春よしもと寄席」2017年1月1日

2017年1月1日 道頓堀ZAZA HOUSEにて

道頓堀ZAZA HOUSEで「新春よしもと寄席」を観る。

「新春よしもと寄席」の元日の出演者は、霜降り明星、桜 稲垣早希、夫婦円満、ガリガリガリクソン、アキナ、スーパーマラドーナ、平和ラッパ・梅乃パッパ(初回登場順)

3回公演だが三度とも観る。

霜降り明星。せいやがまず物真似を披露する。「ヤッターマン」のドクロベエの声真似。そっくりである。その後、武田鉄矢演じる金八先生の物真似をやって似ていたのだが、金八先生が、まち針やボビンの扱いについて怒り、何故か家庭科の教師という設定になってしまっている(常識だとは思うが補足すると金八先生は国語教師である)。桑田佳祐の歌真似もやったのだが、知名度の低い曲をやって、「そもそも曲がわからない」という状態になる。2回目の公演では武田鉄矢も歌真似で行ったのだが、やはり「エキストラ」という知名度の低い曲で、桑田佳祐の歌真似と同じ状態になっていた。

1回目と2回目の公演では、「アンパンマン」ネタをやったのだが、アンパンマンが到着するのが遅れてバタコさんがやられていたり、バタコさんが弱肩で、アンパンマンの顔をワンバウンドでしか投げられなかったり、投げ方がハンドボールのそれになっていたりする。ばいきんまんも、最初は「はひふへほ~」と言うのだが、途中で「ハ行」と端折られる。カレーパンマンは言うことが辛口である。
カバオ君も登場するのだが、カバ色(というのか?)が濃すぎる。
せいやの相方である粗品(そしな。という芸名である)は、せいやによると、ずっと「スプーンに映った小栗旬の顔真似」をしているらしい。
3回目の公演では、粗品が「ジャンケンに強い」という話をして、せいやとジャンケンをするのだが、あいこになる度にせいやは、「BoAでしょ、安室奈美恵でしょ、宇多田ヒカルでしょ」と言って、粗品に「aikoやがな。女性シンガー違い」と突っ込まれる。


桜 稲垣早希。1回目と3回目は「キスから始めよう」をやる。アスカのコスプレ姿で登場したが、3回目に登場した時は、首回りの赤いリボンを付け忘れた上に挨拶が「桜 稲垣しゃきです」と崩れまくりであり、「年末ということで、酔っ払ったりはしていませんが」と続けるが、年末でもないし酔っ払ってるだろう!

フリップ芸「キスから始めよう」は、少年マンガやバトルアニメを少女マンガ風の味付けにするにはどうすれば良いかという提案から始まり、アスカの「バカシンジ! あんたなんか大嫌い!」の後で、シンジが例のように「ゴ、ゴメン」ではなく、いきなりアスカにキスをして、アスカが顔を赤らめながら、「あんた……バカ……」とバカの意味を変える。
「ドラゴンボール」は、孫悟空が妻のチチといきなりキスをするも、孫悟空が「チチ、今、俺以外の男のこと考えてただろ?」と聞き、チチが否定するも、悟空は「クリリンのことか!」と憤る。
「アンパンマン」では、アンパンマンが「顔が濡れて動けないよ」と言ったところで、バタコさんとキスをする。バタコさんは泣いているので、アンパンマンは涙にも濡れるようになる。
「ドラえもん」。ジャイアンの「お前のものは俺のもの 俺のものも俺のもの」というセリフで、ジャイアンが静香ちゃん相手に壁ドンをして、「俺のものは俺のもの、お前のものは?」と疑問形で聞いて、静香ちゃんが、「あんたのもの……」とおずおずと答えるという展開になる。
「タッチ」。上杉勝也が亡くなった後の病院で、浅倉南が「かっちゃん……、いやー!!」と絶句している。上杉達也が、「きれいな顔してるだろう。死んでるんだぜ、それで(早希ちゃんは、「それ」と言っていたが、これは明確に誤りである)」いう有名なセリフを言うのだが、南は自分の顔を褒められたと勘違いし、「いい子だそ!」と達也にキスをする。
アムロ・レイの「アムロ行きます!」、ケンシロウの「お前はもう死んでいる」、フリーザの「殺しますよ!」、がキスする時の殺し文句になり、ピカチュウはそのまま「ピカチュウ」でチュウの意味が変化、「スラムダンク」の安斎先生は、「左手は添えるだけ」になる。

2回目は、「関西弁でアニメ」。「ルパン三世」の銭形警部の名前を今日もなぜか銭形平次と混同していた。銭形警部の本名は銭形幸一である。


夫婦円満。バルーンアートとマジックを行う。小米良啓太(こめら・けいた)が1回目と3日目はネズミのバルーンアートをその場で作るも、くもんリサが本格的なミッキーマウスのバルーンアートを作って来ていて、それが観客にプレゼントされる。2回目の公演では犬のバルーンアートであったが、啓太がその場で作った後で、やはりリサがリアルなスヌーピーのバルーンアートを作って来ていてそれがプレゼントされる。2回目と3回目の公演では啓太が剣のバルーンアートを作るも、リサが予め作って来ていた豪華な龍のバルーンアート(3回目はキャラクターのバルーンアート)の一部に剣がなってしまう。


ガリガリガリクソン。一昨日も見た、「秘密のヘンケンショー」をやる。「一重で眼鏡の人」は、「爆弾が作れる」らしい(ちなみ私は二重で眼鏡である。二重で得をしたことは多分ない)。
へそにマジックペンを差して、アンパンマンやドラえもんを描くという芸も行う。客席からのリクエストも受けたが、「自分の思うとおりになると思ったら大間違いだよ。僕も本当は東芝に行きたかったんだけど、大学に行けなかったので芸人やってます(ガリガリガリクソンの場合は、「行けなかった」より「行かなかった」だが)」。ただ3枚ある色紙のラストにはリクエストにも応えて、2回目は「ピカチュウ」を3回目は「きょうりゅう」を絵ではなく文字で書いただけであった。


アキナ。山名が「世界一顔を小さく横に振る」という芸を行う。顔を少し動かすだけである。
1回目は「結婚式での両親への感謝の言葉」を山名が語る。「お父さんお母さん今までありがとう。あなたの子供に生まれてきて良かったです」で始まるのだが、小学4年生の時に、大谷さんという同級生の女の子のリコーダーを舐めた疑惑、小学校5年生の時には、大谷さんのブルマを穿いた疑惑(山名は「穿いてはいません」と言って秋山から「なんかはあったな」と突っ込まれる)、小学校6年生の時には大谷さんの水着を着た疑惑(両親が相談をしていたらしい)、そして中学校1年生で彼女が出来るのだが、相手は大谷さんで、秋山から「大分取り戻したな!」と言われる。
だが、中学校2年生の時、両親の前で大谷さんに無理矢理キスをして、両親が大谷さんの家に菓子折を持って行き、そこで別れたらしい。

2回目は、野球部を退部しようとする秋山を野球部キャプテンの山名が止めるというネタ。秋山が「肘がもう壊れたんで」と野球部を辞めると言うのだが、山名は「だったらいらなくなったグローブちょうだい」と願い出て秋山に「あかんやろ!」と突っ込まれる。

3回目は、山名が彼女との結婚の許しを得るために彼女の父親役の秋山を訪れるというネタ。山名が「お父さん」と呼びかけ、秋山が「お前にお父さんと呼ばれる筋合いはない」とお決まりの展開を作るのだが、山名は、「賢太!」と秋山の下の名前で呼んでしまう。「芸人に娘はやれん!」と突っぱねる秋山だったが、山名が「仏壇に線香をあげたい」というのは許す。だが、山名は「土足で(結構ですか?)」と言って秋山に「そんなわけないやろ!」と突っ込まれる。その後、山名が外に出て謎の文言を発したり、仏壇の前で十字架を切ったり、手を合わせるときも左手は平手だが、右手は拳骨にするなどのマナー違反を犯す。
秋山が山名に、「ピザって10回言ってみて」と言い、山名が10回言った後で自身の肘を指して、「ここなんて言う?」と聞く。山名は「ZAZA」と答えて、客席から拍手を貰う。
秋山は山名に再び、「みりんって10回言ってみて」と言い、山名は「みりん、みりん、みりん、みりん、キリン」と先に答えを言ってしまう。秋山が「鼻の長い動物は?」と聞くと、山名は「天狗」と答える(合ってはいる)。今度は山名が秋山に、「シャンデリアって10回言ってみて」と促し、秋山が10回言った後で、「毒林檎を食べたのは?」と聞く。「白雪姫」と秋山。だが山名は、「ブー、シンデレラでした」と嘘の正解を告げた。


スーパーマラドーナ。3回とも違うネタを行う。
田中が武智に頭をはたかれるも、はたかれた後で避ける仕草をして「危なかった」という反射神経遅れネタをやる。その後、武智がVシネマに憧れる、特に「ミナミの帝王」が好きだという。田中が「ミナミの帝王」の萬田銀治郎を演じるのだが、自分で自分のことを「ミナミの帝王や!」と言ってしまったり、借金取りに行って、ドアを蹴破るも、跳ね返ってきたドアに頭をぶつけたりと余計な動作を加える。今度は武智が借金取りに扮すると、踏み込まれる側の田中は平謝りに土下座で、武智に「お前、上手いな」と言われる。

2回目は、業界用語ネタ。田中が言葉を反転させるのだが、スピッツ(ピッツス)の歌を「爺の高熱」と歌い出してしまう。「空も飛べるはず」の出だし、「幼い微熱」の反対が「爺の高熱」になるらしい。武智が「爺の高熱だったら病院行かんと危ないよ」と突っ込む。
樹木希林は、キリンなので反転させて「ぞぞぞ像」になる(?)らしい(??)。
ウルフルズは「ウル」が「売る」と解釈されて「買うフルズ」になる。歌うのは、「ガッツだぜ!!」ではなく「具志堅だぜ!!」。ガッツ石松と具志堅用高は利き腕が反対なのでそうなるらしい。
松任谷由実は「待たない任谷由実」になるのだが、「卒業写真」の歌詞「あなたは時々遠くで叱って」を反転させると、「私はいつも近くで笑って」になり、武智は「逆にしても良い歌詞になる! 流石、ユーミン」と褒める(?)。
ちなみにスーパーマラドーナを反転させると「ちょびっとダルビッシュ」になるらしい。

3回目は、武智が、「見た目のせいか、スポーツ万能と思われるのだがそんなことはない」という語りに始まり、田中が提案して様々なスポーツを行うのだが、ゴルフでは一打でインさせれば優勝という場面で武智がパットを決めるも実況担当の田中がテンションの低いまま「優勝です」と言って武智に怒られる。卓球をやると田中が上手くて止まらない。ボクシングをやると、二人とも「すんでの所で交わし」状態が続くため、武智が「俺ら天才か? 上手すぎるやないか」と言う。武智のパンチが田中の頬に決まるという設定になるのだが、その間、田中は「ちくしょー、あんなに努力したのにここで決められて終わるんか」という風に語り続け、武智に「語るの長いな!」と突っ込まれる。
田中が「血まみれの落ち武者」の話をすることになるのだが、「アヤじゃなかったユリ(名前を間違えた)」という女性の部屋へ田中が上がった時の話が延々と続く。ユリによると田中は向井理に似ているそうで(武智に「どこがや!」と突っ込まれる)、田中によるとユリは香川照之に似ているらしい。実はユリには彼氏がおり、折悪しく彼氏がユリの部屋を訪れ、田中は隠れようとするのだが、場所がない。押し入れを開けたら「ここも満杯でござる!」と言われ、口調で武智は「今、(血まみれの落ち武者)出た」と気づくも、話は血まみれの落ち武者をスルーして続いてしまう。


平和ラッパ・梅乃パッパ。ギターの弾き語りネタである。二人とも普通にギター演奏が上手いので聞き惚れてしまう。三代目平和ラッパは、ギターを頭の後ろに担いで「一月一日」の演奏を行う。
梅乃パッパは、1回目と3回目はベンチャーズの「ダイヤモンドヘッド」を、2回目は寺内タケシがアレンジした「津軽じょんがら節」の演奏を行う。
平和ラッパが、「日本のクラシック」として「さくらさくら」を演奏(「一月一日」も十分クラシックだが)。ただ、梅乃パッパが相の手を入れて歌うため、「うるさいな!」となる。今度は梅乃パッパが「さくらさくら」のロック風アレンジを演奏する。だが途中で演奏を止める。パッパは、「指が痛い。お客さん、拍手するの遅い」と言う。再度演奏するが、今度はお客さんの拍手が早い。パッパは、「せめて8小節ぐらい弾いてからにせんと」と語る。私はカウントしていたのだが、大体5小節ぐらいで拍手が来る。拍手が欲しいときにはパッパが足を上げるということにする。演奏して止め、「みんなギターじゃなくて足ばかり見てる」となるが、再度演奏。1回目は12小節目、2回目と3回目は16小節目で足を上げた。ラッパも同様に拍手が欲しい時に足を上げるという設定で演奏したのだが、3回とも12小節目で足を上げていた。

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コンサートの記(264) 小山実稚恵ピアノリサイタル@ロームシアター京都サウスホール2016

2016年11月27日 ロームシアター京都サウスホールにて

午後2時から、ロームシアター京都サウスホールで、「小山実稚恵ピアノリサイタル」を聴く。京都ミューズ(旧・京都労音)主催公演。

日本で生まれ育った女性ピアニストというと、どうしてもあっさりとしたピアノを弾く人が多く、それゆえ現状では、日本人ではあるがヨーロッパで育った女性ピアニスト、例えば内田光子や児玉姉妹、河村尚子などが優勢ではある。そんな中で小山実稚恵は一貫して日本で音楽教育を受け、海外への留学経験がないにも関わらず骨太の演奏を成し遂げることが可能な人である。1990年代に技巧派ピアニストとして注目を浴び、2000年の大河ドラマ「葵~徳川三代」では、シャルル・デュトワ指揮NHK交響楽団と共にオープニングテーマを奏でている。


ロームシアター京都サウスホールでピアノリサイタルを聴くのは初めてである。旧京都会館第2ホールを内部改装したロームシアター京都サウスホールであるが、以前よりステージを広くし、結果、客席は面積が減ったため、2階席を急勾配にするなどして客席数をなるべく多くする工夫がなされている。今日はその2階席の最後列、いわゆる天井桟敷での鑑賞である。
2階席はステージを真上から見下ろすような形になるため、2階席後方から自分の席のある列まで降りていく人は口々に「怖い」「あー、こわ」「高所恐怖症にはきつい」などと言う。
      
2階席後方に向かう階段は狭く、人とすれ違うことが出来ない。これだけでも使い勝手の悪さは想像して頂けると思うが、開演時間に遅れた人は、ホワイエではなく2階席後方で1曲目が終わるまで待機することになる。ホワイエから席に向かうと時間が掛かるためである。ということで、2階席最後列に座っていると、遅れて来たお客さんが後ろで袋をゴソゴソやっているのが聞こえたりして、余り気分が良くない。
ホールの音響が出来上がるのには10年ほど掛かるとされるため、響きを断言することは出来ないのだが、アコースティックはまずまずである。ただ抜群にいい音がするというわけでもないので、使い勝手を考えれば、京都コンサートホール小ホール「アンサンブルホール・ムラタ」やALTIの方がリサイタル会場としては向いているように思われる。
ロームシアター京都は「前川國男が設計した京都会館の外観を生かす」という制約があるため、自由にデザイン出来ないのである。


曲目は、ブラームスの6つの小品から第2曲「間奏曲」、第3曲「バラード」、第4曲「間奏曲」、シューベルトの4つの即興曲作品90、ショパンのノクターン第20番(遺作)、ワルツ第7番、ワルツ第6番「小犬」、ワルツ第2番「華麗なる円舞曲」、ショパンの「アンダンテ・スピアーナと華麗なる大ポロネーズ」、ショパンのピアノ協奏曲第2番より第2楽章「ラルゲット」(ピアノ独奏版)、ショパンのポロネーズ第6番「英雄」

小山実稚恵は、薄紅色のドレスで登場。私の座った席からは鍵盤と手の動きがよく見える。


ブラームスの6つの小品からの3曲は、いずれも拡がりのある美演である。

シューベルトの4つの即興曲作品90。
シューベルトの作品は独特の毒を持っているのだが、小山はそうした不吉な気配を表には出さず、端正なシューベルトを奏でている。設計のきちんとなされたピアノである。
後半の第1曲であるショパンのノクターン第20番(遺作)。映画「戦場のピアニスト」で知名度を上げた曲である。
小山のピアノであるが、この曲では情感は今一つ。哀感が上手く出ず、旋律がサラサラ流れてしまう。小山はウエットな曲目は余り得意でないようだ。

一方で、ショパンのワルツでは優れたメカニックとスケールの大きさを発揮して、ゴージャスな演奏に仕上げた。

小山というと、情熱を鍵盤に叩きつけるようなスタイルが特徴であるが、「アンダンテスピアーナと華麗なる大ポロネーズ」でも、前半のリリックなアンダンテより後半の堂々としたポロネーズ演奏の方が優れている。

ショパンのピアノ協奏曲第2番第2楽章「ラルゲット」。オーケストラ伴奏もピアノ独奏で奏でるように編曲したものである。青春の夢の羽ばたきを華麗に描き出し、未来への不安も顔を覗かせているが、仄かに香る哀愁は控えめ。小山はメランコリーを表に出すのは余り好きではないように思える。

ラストのポロネーズ第6番「英雄」。
日本人女性ピアニストとしてはトップレベルのメカニックを持つ小山だが、この曲では指が思うように動かず、前半に2度ほど「グシャリ」と潰れた和音が出ていたが、その後は立て直して、壮大にして情熱的な英雄ポロネーズの演奏となる。


アンコールは4曲あり、2曲目が終わって、「もう終了かな?」と思ったら、小山がピアノに向かって弾き出す。「今度こそ終わりかな?」と思ったらもう1曲という感じで弾かれた。

アンコール演奏であるが、終演後の掲示がなく、レセプショニストさんにアンコール曲目が書かれた紙を見せて貰ったが、発表すると問題になる可能性があるので公表は控える。4曲とも素晴らしい出来だったので残念なのだけれど。
曲目は明かさないが、1曲目のアンコール演奏は、生まれたばかりの風を思いっきり吸い込んだ時のような爽快感に溢れる演奏であった。

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2017年1月 9日 (月)

好きな短歌(37)

みいくさにこよひ誰が死ぬ寂しみと髪吹く風の行方見守る 

石上露子(ゆふちどり)

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2017年1月 1日 (日)

あけまして

おめでとうございます。

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