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2017年1月15日 (日)

眠りによるハイジャックあるいは逢魔が時の私

 眠りに体を一時的にハイジャックされる。それは私の奥に抑圧された何かが表に出ることでもなく、私の潜在意識に眠る私が表の私に変わって目を覚ますことでもない。
 黄昏時に、あるいは彼は誰時に、光と闇の移り変わる逢魔が時に、多くのものが溶けて一体になるのと同様、「私の制御する私」以外の私が渾然とした形で現れるということである。
 ハイジャックされた私は抑制力を持たず、一貫した記憶も保持しないが、それは私が私でなくなるということとは著しく違う。さなぎとしての個体と脱皮して蝶となった個体とが同一であるように、個としての私自体は存在する。
 そしてハイジャックされた個体が私と連続性を持つことで恐怖が生まれる。
 「私が私と思っている私は本当に私であるのか」
 デカルト的思惟はもう否定された。私の根源自体が私でない可能性がある。それは私でありながら私でない、「逢魔が時の私」だ。
 それを私は何と名付けよう。フランソワーズ・サガン的な戸惑いの中にある私を。

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