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2017年3月の35件の記事

2017年3月31日 (金)

観劇感想精選(206) 人形浄瑠璃文楽京都公演2017「妹背山婦女庭訓」四段目

2017年3月17日 京都府立文化芸術会館にて観劇

午後6時から、京都府立文化芸術会館で、人形浄瑠璃文楽京都公演「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」を観る。

    
「妹背山婦女庭訓」は上演時間が10時間を超える大作であるため、今日は四段目のみの上演が行われる(全作の一挙上演の方が珍しい。近年では昨年4月に通し上演が行われたという)。「杉酒屋の段」「道行恋苧環(みちゆきこいのおだまき)」「姫戻りの段」「金殿(きんでん)の段」の4つ。

「妹背山婦女庭訓」は、近松半二らによる合作。飛鳥時代を舞台とする、文楽の中でも時代設定が古い作品である。『古事記』に出てくる苧環伝説なども上手くアレンジされている。


まず午後6時から、豊竹靖太夫による作品解説がある。「妹背山婦女庭訓」の登場人物がまず紹介される。酒屋の娘で身分の低いお三輪、烏帽子折(烏帽子職人)を名乗る求馬(もとめ)、そして謎のお姫様である。
豊竹靖太夫は舞台上の作りも紹介。まず上手花道に床が作られていることを説明し、下手花道舞台寄りに立つ字幕を映し出す機械の名前が「G・マーク」という駄洒落由来のものであることを説明し、G・マークとやり取りをする。

床の出演は、豊竹咲太夫、鶴澤燕三(つるさわ・えんざ)、豊竹睦太夫(とよたけ・むつみだゆう)、豊竹靖太夫、豊竹咲寿太夫(さくじゅだゆう)、野澤錦糸、鶴澤清馗(せいき)、鶴澤清丈、野澤錦吾、鶴澤清志郎(せいしろう)、竹本津駒太夫、竹澤宗助。人形遣いは、吉田玉勢(よしだ・たませ)、吉田文昇(ぶんしょう)、吉田和生(かずお)、豊松清十郎、吉田清五郎、吉田蓑二郎、吉田玉也ほか。


飛鳥時代。三種の神器の一つ、十握(とつか)の御剣を盗み出した蘇我入鹿が権勢をほしいままにしている。眼病に伏す天智天皇と、入鹿によって宮中から追われた藤原鎌足、藤原淡海(ふじわらのあわうみ)親子らは蘇我入鹿追討を図る。
蘇我入鹿の父親である蘇我蝦夷(劇中では読みは同じだが「蘇我蝦夷子」表記)は、子が授からないことを案じ、妻に白い牝鹿の生き血を飲ませた。こうして生まれたのが蘇我入鹿。鹿の血が入っているので入鹿である。獣の血が入っているために剛毅比類なき蘇我入鹿であるが、それが弱点でもある。爪黒の牝鹿の生き血と疑着の相のある女の生き血を注ぎかけた笛を吹けば入鹿は正体を失ってしまうのだ。藤原親子は千頭に一頭しかいない爪黒の鹿の血を手に入れることに成功、というところで本日上演される段が始まる。

大和国三輪の里(現在の奈良県桜井市三輪)。最初の段は杉酒屋という酒屋が舞台である。酒屋の娘であるお三輪は寺子屋に行っている。お三輪の母親も留守だ。ということで、杉酒屋には丁稚の子太郎(こたろう)しかいない。子太郎は、向かいに住む烏帽子職員の求馬の家に、輝かしい服装をした娘が入っていくのを目撃する。どこかの姫に違いない。求馬はお三輪と恋仲。寺子屋から帰ったお三輪(「手習草紙」という冊子を手にしている。「婦女庭訓」というのは寺子屋で用いられる女の身だしなみについての教科書のことで、横恋慕してきた姫は婦女庭訓に背くことになる)にその事実を告げる。子太郎に求馬を呼び出すように言うお三輪。やって来た求馬をお三輪は問いただすが、求馬は「ただの女中だ」としらばっくれる。今日は七夕。お三輪は寺子屋で習ったという、苧環(おだまき。手持ち式の糸巻き車)を使った縁結びの手法を求馬に伝える。求馬に赤糸の苧環を持たせ、自身は白糸の苧環を持つ。苧環が鵲(西洋の星座でいうはくちょう座に当たる。牽牛と織姫の間を取り持つ役目を担う)になるよう願いを込める三輪。
そこへ姫が杉酒屋に入ってきてしまう。この姫というのがお嬢さん育ちで、少し無神経なところがあり、お三輪を本人の目の前で「端女(はしため)」などと形容してしまう。激怒するお三輪。というわけで言い争いが始まる。そこに求馬の正体を知ったお三輪の母親が帰って来て……。

続く、「道行恋苧環」。浅葱幕が垂れており、「天岩戸」伝説に掛けた謡が始まる。やがて浅葱幕が落ちると、背後に大神神社への参道が見える。姫の後を追って来た求馬。姫の正体を知りたいのだが、姫が頑として答えない。そこへお三輪もやって来てまたも口喧嘩になるのだが、同じことが続いても退屈ということで、ここでは人形三体による舞が行われる。
そして、姫の振り袖に苧環の赤い糸を刺すことに成功した求馬は姫の後を追う。お三輪も同じアイデアを思いつい、求馬の袖に白い糸をつけるのだが、糸は途切れてしまい、追跡することが出来ない。

姫が帰ったのは、三笠山の上に建つ蘇我入鹿の御殿。ということで、求馬は、姫の正体が蘇我入鹿の妹である橘姫であることを知る。実は求馬の正体は藤原鎌足の長男である藤原淡海。蘇我氏とは仇敵なのだった。橘姫は、正体が藤原淡海であることを知った上で求馬に恋したのだが、正体がばれたら淡海と別れなければならない。それが嫌で蘇我入鹿の娘であることを隠していたのだった。
下女の一人が、橘姫の袖に赤い糸が刺してあるのに気づく。そして糸をたぐり寄せると求馬が現れる。求馬は嘘をつくが、下女達は求馬が橘姫の恋人であるということには気づいており、「庭へもろくに下りない姫君に男が出来た」ということで、逆に歓迎されてしまう。求馬こと藤原淡海に正体が知られたことを悟った橘姫は、淡海に刺されて死ぬことを「本望」とするが、淡海は橘姫に、「夫婦になりたくば一つの功を立てられよ」と言って、入鹿が宮中から盗んだ十握の剣を奪い返すよう命じる。橘姫は、「親よりも兄よりも恋人よりも、天子のためを思うのが第一」として、天智天皇と藤原氏のために手柄を立てることを決意する。

遅れてやって来たお三輪。やって来た下女に、求馬と姫が華燭の典を挙げると知り、「人の男を盗むくさって」と激怒。正体を偽って、内祝言の場に近づこうとするが、官女達に正体を見破られ、嬲り者にされてしまう。恥辱に震えるお三輪。そこに男が現れる。その男、鱶七(ふかしち)の正体は藤原鎌足の忠臣・金輪五郎である。金輪五郎は、お三輪が疑着の相をしていることに気づいた……。


人形の愛らしさ、大和言葉の美しさ、苧環を回転させることで糸がないのに糸があるかのように見せるという演出。今日もまた、昔の日本人の頭の良さに感心することになる。
男女の間の心遣いの細やかさという日本人の長所と、弱い者に対する陰湿ないじめが好きという短所の両方が描かれており、作品に奥行きを与えている。

「文楽」「伝統芸能」「世界無形遺産」と聞くと、いかにも高尚なようで身構えてしまう人もいるかも知れないが。元々は町人のための娯楽ということで、ユーモラスな場面もふんだんに用意されており、笑って楽しむことも出来る。

人形遣い達の人形捌きは実に巧み。ちょっとしたサーカスのように見える部分もあり、これほどの技術が必要となると、「一人前になるには二十年から三十年掛かる」のも当然だと思えてくる。

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コンサートの記(288) 高関健指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2016(年度)「オーケストラ・ミステリー」第4回“大作曲家の秘密~音楽家の真実”

2017年3月12日 京都コンサートホールにて

午後2時から京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2016(年度)「オーケストラ・ミステリー」第4回“大作曲家の秘密~音楽家の真実~”を聴く。
今日の指揮者は京都市交響楽団常任首席客演指揮者の高関健。ナビゲーターはロザンの二人。

京都市交響楽団のポストは現在は3人体制で、常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一、常任首席客演指揮者の高関健、常任客演指揮者の下野竜也(来月から常任首席客演指揮者に昇格の予定)であるが、どういうわけか全員小柄である。高関健も公称162cmの菅弘文と同じぐらいの身長しかない。


曲目は、ストラヴィンスキーの「サーカス・ポルカ」、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」より第1楽章、ジョゼフ・ジョンゲンのオルガンと管弦楽のための協奏交響曲第3楽章と第4楽章(オルガン:福本茉莉)、スメタナの連作交響詩「わが祖国」より「モルダウ」、ショスタコーヴィチの交響曲第5番第4楽章。
ストラヴィンスキーとジョンゲンの作品を聴くのは初めて。ジョンゲンに至っては名前すら知らなかった。


今日のコンサートマスターは渡邊穣、フォアシュピーラーは尾﨑平。フルートは上野博昭が首席奏者に就任し、前半、後半共に登場した。オーボエ首席奏者の髙山郁子も全編に渡って出演したが、年度末ということもあって教職などに就いている人は忙しいようで、他の管楽器パートの首席奏者はいずれも顔を見せなかった。
第2ヴァイオリンの客演首席奏者は上敷領藍子。ヴィオラの客演に灘儀育子という奏者が入っているが、なだぎ武と関係があるのかは不明である。調べてみると灘儀氏は全国に30名から40名ほどしかいない珍しい姓のようである。
ドイツ式の現代配置による演奏であるが、指揮者の正面はティンパニの中山航介ではなく、スネアやトライアングルを演奏する福山直子で、ティンパニはその下手隣という陣立てである。


まずはストラヴィンスキーの「サーカス・ポルカ」。アメリカ時代の作品である。1942年に、50頭のゾウと50人のダンサーによって、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行われたサーカス公演のために書かれた曲である。「ペトルーシュカ」や「春の祭典」のような変拍子と鮮烈にしてカオスな感覚は残しつつ、寄り洗練された音楽に仕上げた作品。ラストにはシューベルトの「軍隊行進曲」のパロディーがあり、ゾウがそれに合わせてのんびり動いたであろうことが想像される。

演奏終了後、高関がマイクを手に挨拶を行い、早速、ナビゲーターのロザンの二人を呼んで、トークを始める。高関は「この曲はゾウには不評だったようです。どう聞こえていたのかはわかりませんが」と話す。

高関は「サーカス・ポルカ」の変拍子の話をするが、菅ちゃんは、「変拍子は難しいです」と知ったかぶりをする。

高関は、「春の祭典」の話をし、「初演時は、バレエの上演だったのですが、大不評でして、ステージのトマトが投げ込まれたという話もあります」と説明する。宇治原史規が「なんでトマトを持ってきてたんでしょうね?」と言い、菅ちゃんも「投げるために持ってきていたとしか思えない」と続ける。

続く、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」であるが高関は、「これも初演の時に『春の祭典』と同じ目に遭っている」と語る。高関は、「当時は長すぎたし、全体では三拍子なのですが、変拍子の部分もあって、聴衆には難しいと感じられた」と説く。菅ちゃんは、「変拍子だけは(僕には)出来ない」と言って、宇治原に、「変拍子だけって(変拍子だけちゃうやろ)」と突っ込まれる。

「英雄」というタイトルについては、高関は「表紙だけ残っていて、そこに『ボナパルトに捧ぐ』と書かれていて、ナポレオンだったのは間違いない。ただ、その上に思いっきり書き殴って消してある」と話した。


そのベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」より第1楽章。ピリオド・アプローチによる演奏。弦楽奏者はビブラートを抑えめにして右手のボウイングがかなり多い。テンポも速めである。
高関はこの曲はノンタクトで指揮。細部を丁寧に整えた演奏であった。クライマックスのトランペットは当然ながら途中で消え、木管がそれを受け継いだ。

出てきた菅ちゃんは、変拍子について「ちゃんと出来てました」と述べる。


ジョンゲンのオルガンと管弦楽のための協奏交響曲。ジョゼフ・ジョンゲン(1873-1953)は、ベルギー出身のオルガニスト兼作曲家で、この曲はアメリカ・フィラデルフィアのデパートに設置された巨大パイプオルガンのために作曲されたものだという。ただ、オーケストラがなかなかデパートに行く機会がなく、デパートで初演されたのはジョンゲンの死から半世紀以上が経過した2006年になってからだそうで、地元の名門オーケストラであるフィラデルフィア管弦楽団を招いて演奏が行われたという。

パイプオルガン奏者の福本茉莉が紹介される。今日はポディウム席は真ん中は前2列だけ、上手下手は前3列だけを残して取り払われている。
福本茉莉は1987年生まれのオルガニスト。まだ二十代の若い演奏家である。東京都出身。東京藝術大学卒、同大学院修了。2011年に渡独し、ハンブルク音楽演劇大学でヴォルフガング・ツェーラーに師事し、翌2012年には武蔵野市国際オルガンコンクールに日本人として初めて優勝。昨年、オルガンのドイツ国家演奏家資格を栄誉付き最高点にて取得したばかりである。NAXOSからCDをリリース。予告のチラシではNAXOSのCDジャケットに使われた厚化粧のものが使われたが、やはりそれではまずいのか、今回の無料パンフレットには一転して可愛い系の写真が用いられている。
福本は東京生まれの東京育ちだが、性格はトークから受けた印象による限りは、「大阪のよくいそうな姉ちゃん」である。
文化庁新進芸術家海外派遣研修員として現在もハンブルク在住。

宇治原が福本に、「どこで練習してはるんですか?」と聞き、菅ちゃんが「夜中に(ホールに)忍び込んで?」とボケる。福本も「(練習は)しません」とボケ返した後で、「クラーヴィアというものがあって、それで練習します。後はドイツなので教会が一杯あるので、鍵を借りて練習したり」と答える。「オールナイトで練習することもある」そうだが、「あんまりうるさいと警察が来ちゃうので」と思いっきり演奏することは出来ないということも語る。

パイプオルガンの説明。福本は、「リコーダーはご存じだと思いますが、あれが何本も立っているような感じ」「全部で7155本」と語る。高関が「リコーダーは穴を指でふさいで演奏するけれど、オルガンだとふさげる人がいないので」と補足する。福本は「音を組み合わせることで、7155よりも多い音を生み出すことが出来ます」と語った。

ジョンゲンのオルガンと管弦楽のための協奏交響曲。第3楽章は雅やかな旋律をオーケストラが奏で、フランス音楽のように響きの美しさを優先させた神秘的な音楽がパイプオルガンと管弦楽によって演奏される。
第4番は、一転して映画音楽のようなど派手な音楽。オーケストラもパイプオルガンも盛大に鳴り響いて、爽快な演奏となった。
休憩を挟んで後半。スメタナの「モルダウ」。
高関がロザンの二人に、「スメタナはチェコで初めてオーケストラ曲を書いたと言ってもいい人物なのですが、『モルダウ』は知ってますよね」と聞き、宇治原は「それはもう」と答え、菅ちゃんは第一主題を鼻歌で歌い、「モルダウよ」と合唱版での歌詞も歌う。宇治原が「音楽の教科書にも載ってる」と補う。
高関は、「『モルダウ』と言いますが、チェコでは実際は、ヴァルタヴァなんです」と言って、総譜の表紙を見せる。宇治原が「本当だ。ヴァルタヴァと書いてあります。vltava」と答える。
高関は、「小さな流れが、二つに合わさるのですが大きくなって、お祭りで結婚式が行われて、夜になって妖精が出てきたりして、流れて、ずっと流れてるんですが激しい流れになって、プラハのお城これは『わが祖国』の第1曲に主題が出てくるのですが、お城が見えて、プラハの街を過ぎ去って、チャンチャンで終わる」と解説する。
「わが祖国」については高関は、「全部で6曲からなっていて、一晩のコンサートがそれで終わるぐらいなのですが、その2曲目が『モルダウ』です」と言って、宇治原が「全曲やるわけではないということで」と聞くと、「別に全曲やってもいいんですよ」と答える。宇治原は「オーケストラの方達、イヤイヤしてます」と言う。
スメタナについて、宇治原が「聴力を亡くした」と台本にあることを聞き、高関が、「耳鳴りが酷かったそうです。『モルダウ』を書いた頃には、もう何も聞こえないぐらいに」。スメタナはその後、精神を病み、精神病院にて60歳の生涯を閉じた。

「モルダウ」。精緻なアンサンブルを京響は聴かせる。音色は明るく、高関の指揮も見通しが良い。

演奏終了後、菅ちゃんは、あの「ティララティラララというところが好きなんです」と冒頭のフルートの旋律を口ずさんだ。
宇治原が、「最後の曲となりました」と言うと、菅ちゃんは「『モルダウ』ですか?」とボケて、宇治原に「後で聴け。家帰って聴け。録音で」と突っ込まれる。


最後の曲であるショスタコーヴィチの交響曲第5番より第4楽章。
高関は、「ショスタコーヴィチは天才少年だったわけです。作曲だけではなく、ピアニストとしても優れていて、自作自演の録音が残っていて優れたピアニストだったということがわかるわけですが、若い頃はやんちゃな曲も書いていたそうです」、宇治原「やんちゃというと?」、高関「わざと汚い和音を出してみたり、とんがった音を出したり。交響曲第4番という曲を書いたのですが、それは引っ込めまして20年以上経ってから初演された。彼が10歳の時にロシア革命が起きまして、ソ連の不自由な社会がやってきたわけです」、宇治原「スターリンの音楽家にとっては良くない時代」、高関「はい。変なこと出来ない」、宇治原「したら捕まると」、高関「告げ口されますので(ソ連では密告が奨励されていた)」、菅「じゃあわからないように『ソ連アホ』と」

実は、ショスタコーヴィチはこの曲でも反抗を行っているのだが、高関は「言えない」と語る。

通常のテンポで演奏がスタートするが、その後加速する。高関は猛々しい部分には余り気を配らず、悲しみに溢れた場面は丁寧に演奏することで凱歌には聞こえないよう工夫する。

演奏終了後、菅ちゃんは前回同様、やはり自分が演奏の立役者でもあるかのように右手を挙げ、宇治原に制される。
菅ちゃんは、「格好いい曲ですね!」と絶賛した後で、「わかりました。シンバルです。叩く間に『ソ連アホ』とつぶやく」と言う。高関は左手の人差し指を左右に振って、「NO」と告げていた。


アンコールはショスタコーヴィチの「タヒチ・トロット(二人でお茶を)」。高関は、「天才少年ショスタコーヴィチに、『君、そんなに天才少年だっていうんなら40分あげるから曲を書きなさい』と言う人がいて、本当に40分で書いた曲」だと説明する。既成のジャズ曲をアレンジしたもの。高関は「二人でお茶を」の旋律を口ずさむが、宇治原から「小さくて聞こえない」、菅ちゃんから「後ろめたいことでもあるんですか?」と言われてしまう。
ソ連風とは一線を画した洒落た演奏。京響の明るめの音色もプラスに作用した。

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2017年3月29日 (水)

ユッカ=ペッカ・サラステ指揮WDR交響楽団 ウェーベルン 「夏風の中で」

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グラハム・フィットキン 「Hook」

ポップな現代音楽の旗手であるイギリスの作曲家、グラハム・フィットキンの代表作である4人の打楽器奏者のための「Hook」。フィットキンはユニクロのCMにも楽曲を提供しています。

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2017年3月28日 (火)

コンサートの記(287) 小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトXV 歌劇「カルメン」京都

2017年3月22日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後6時30分から、左京区岡崎にあるロームシアター京都メインホールで、小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトXV 歌劇「カルメン」を観る。作曲:ジョルジュ・ビゼー、アルコア版での上演。指揮は小澤征爾と村上寿昭(むらかみ・としあき)の二人による振り分け。演奏は小澤征爾音楽塾オーケストラ。演出:デイヴィッド・ニース。出演は、サンドラ・ピクス・エディ(カルメン)、チャド・シェルトン(ドン・ホセ)、ケイトリン・リンチ(ミカエラ)、ボアズ・ダニエル(エスカミーリョ)、サシャ・ディハニアン(フラスキータ)、アレクサンドラ・ロドリック(メルセデス)、河野鉄平(こうの・てっぺい。ズニガ)、タイラー・ダンカン(モラレス)、町英和(ダンカイロ)、大槻孝志(レメンダード)ほか。合唱:小澤征爾音楽塾合唱団(合唱指揮:松下京介)、児童合唱:京都市少年合唱団、振付:サラ・エルデ。
シカゴ・リリック・オペラのプロジェクトによる上演である。

約8年ぶりに接することとなる小澤征爾指揮の実演。その間に小澤は癌を患い、克服したものの、一晩を通したプログラムを演奏する体力がどうしても戻らないため、今回も村上寿昭との二人体制での指揮となった。
なお今年の夏に松本市で行われるセイジ・オザワ松本フェスティバルの公式プログラムが発表になったが、小澤が指揮するのはベートーヴェンのレオノーレ序曲第3番とピアノ協奏曲第3番(ピアノ:内田光子)のみであり、他のプログラムはファビオ・ルイージ、ナタリー・シュトゥッツマン、デリック・イノウエが指揮する。

小澤征爾音楽塾が京都で行われるのは今回が2回目。昨年の第1回はヨハン・シュトラウスⅡ世の喜歌劇「こうもり」が上演され、今年は「カルメン」である。日本はプログラムが重複する傾向があり、京都でも昨年の暮れに京都芸術劇場春秋座で室内オペラスタイルの「カルメン」が上演されたばかり。更に今年に入ってから山田和樹指揮日本フィルハーモニー交響楽団ほかによる藤原歌劇団の「カルメン」も東京と名古屋で上演されたが、小澤征爾音楽塾による「カルメン」も今後、東京と名古屋で上演される予定である。


ロームシアター京都メインホールでオペラを観るのは今日で3回目。過去2回ともオペラハウスとしての優秀な音響に感心したが、今回も同様で、音に限れば日本最高のオペラハウスであると断言出来る。
今日は2階下手側のバルコニー席2列目での鑑賞。例によって、足置きの着いた、高い位置にある席であったが、今日はなんとか体力が持った。

今日の席からは、オーケストラピット内も指揮者もよく見えるし、舞台も比較的見やすい。また字幕を表示する機械(G・マークというらしい)も上手のものが真正面で、見やすかった。
また、トランペットによる舞台裏でのバンダ演奏があるのだが、私の席から調光室を見ると、指揮者を正面から捉えたカメラ映像が見えたため、モニターを見てバンダ演奏をしていることがわかった(音を外したりタイミングが合わなかったりと、今日のバンダ演奏は不調であったが)。

譜面台と総譜が2つ並んで用意されており、上手のものを小澤が、下手のものを村上が使用する。二人ともノンタクトでの指揮。小澤は近年はノンタクトでの指揮が基本だが、村上に関しては不明である。一人が指揮棒を使い、もう一人が使わないではオーケストラも歌手もやりにくいだろし、すぐ横に小澤がいるのに指揮棒を使うのは危険でもある。


小澤征爾についての説明は不要だと思うが、一応しておくと、1935年に旧満州国の奉天(現在の中国遼寧省瀋陽)生まれの指揮者。成城学園高校を中退して桐朋女子高校音楽科(共学)に第1期生として入学。桐朋学園短期大学で齊藤秀雄に指揮を師事した後、船に乗って渡欧。たまたま知ったブザンソン国際指揮者コンクールで優勝して名を挙げ、ヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮セミナーを受講後、レナード・バーンスタインに指揮を師事。20世紀後半を代表する二大指揮者に師事するという幸運に恵まれたが、そのため「ヘルベルト・バーンスタイン」などとからかわれることもあったそうである。タングルウッド音楽祭ではオーディションを勝ち抜いてシャルル・ミュンシュに師事している。レナード・バーンスタインの下でニューヨーク・フィルハーモニックの副指揮者を務め、日本に凱旋帰国も果たした。
日本では1961年にNHK交響楽団の指揮者に任命されるが、N響事件によって指揮台を追われ、国外に活動の場を求めるようになる(日本ではその後も「日フィル争議」に巻き込まれ、新日本フィルハーモニー交響楽団を設立している)。まずトロント交響楽団の首席指揮者を務め、その後、サンフランシスコ交響楽団の音楽監督に転身。そしてかつてシャルル・ミュンシュが黄金時代を築き、レナード・バーンスタインがタングルウッドで指揮していたボストン交響楽団の音楽監督を29年の長きに渡って務めて「世界のオザワ」の名声を確固たるものにする。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とも共演多数。指揮者として小澤よりも先にデビューしていた岩城宏之は、小澤のあまりの出世ぶりに、「小澤を殺してやりたくなった」と自著で告白している。
2002年からはウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めた。


村上寿昭は、私と同じ1974年生まれの指揮者である。東京生まれ。桐朋学園大学卒業後、ベルリンとウィーンに留学し、オーストリアのリンツ州立歌劇場やドイツのハノーファー国立歌劇場の常任指揮者として活躍したほか、長年に渡って小澤征爾のオペラ公演のアシスタントを務めており、今回の小澤征爾音楽塾でも小澤と二人での振り分けを担うことになった。

小澤征爾音楽塾は今年で15回目を迎える音楽アカデミーで、メンバーは日本を含むアジア各国からオーディションを勝ち抜いた優秀な若者によって構成されている。毎年のようにオペラ公演を行っているが、時折、オーケストラ演奏のみの年もある。

小澤征爾は、ジェシー・ノーマンのカルメンで、歌劇「カルメン」全曲をフィリップスにレコーディングしているが、私は未聴。EMIにフランス国立管弦楽団を指揮した「カルメン」組曲もレコーディングしているが、こちらは歴代屈指の出来といっても過言ではなく、小澤のフランス音楽への適性を示している。

前奏曲であるが、フランス国立管とレコーディングしたものに比べるとグッとテンポが遅くなっており、強弱の付け方もそれほど頻繁ではない。指揮者は高齢になるに従ってテンポが遅くなるのが恒例だが、小澤の場合もそうなのかどうかはよくわからない。コンサート用とオペラ用の演奏が異なるのは当然であるし、会場にも左右される。

「闘牛士」の前奏曲が終わり、前奏曲の後半が始まると幕が上がり、壁を背にドン・ホセが立っているのがわかる。ライフルを担いだ憲兵が数名現れ、ドン・ホセを取り囲む。ドン・ホセの処刑のシーンであることがわかる。佐渡裕が指揮した兵庫県立芸術文化センター大ホールでの「カルメン」でも、ドン・ホセ処刑のシーンがあり(その時は電気椅子での処刑だった)、ドン・ホセのラストを描く演出が流行であるようだ。

小澤は、煙草工場の休憩時間に入るところまでを指揮して村上にバトンタッチ。同じオーケストラを指揮しているのであるが、小澤と村上とではやはり個性が違う。小澤の生み出す音楽が輝きを特徴にしているのに対して、村上の音楽は渋めでタイトだ。同じ製菓会社のミルクチョコレートとビターチョコレートのような関係というべきか。
小澤はフルートやピッコロを浮かび上がらせる術に長けており、前奏曲や間奏曲ではフルートの浮遊感や旋律美が光っていた。第4幕に出てくるオーケストラによる「闘牛士」は村上が指揮したのだが、小澤とは違い、フルートやピッコロを際立たせることはなかった。
ミカエラが去った後からは小澤が再び指揮を行った。

舞台は、第1幕、第2幕、第4幕では背後にコロシアムの壁が立っており、上部にも人が現れて効果的に用いられる。
第1幕では煙草工場は下手に設けられたバルコニーの袖にあるという設定であり、カルメンはバルコニーに現れて下に降りてくる。
「降りる」というのが一つのキーになっており、エスカミーリョはコロシアムの壁の上に現れて、階段を伝って下に降りてくるし、刑期を終えたドン・ホセもコロシアムの壁の上から素舞台へと階段で降りてくる。どうも、下にあるのは「醜い世界」であり、人々はそこに降りてくるようだ。

ミカエラというと、カルメンとは対照的な清楚な女性というイメージなのだが、今回のミカエラは、ステップを踏みつつ迫ってくるズニガに同じステップでやり返すなど、強気な面もある女性として描かれている。確かに強気な面がなければ、一人で盗賊団の群れに乗り込もうとは思うまい。ミカエラ役のケイトリン・リンチは少し太めの体型だが、そのために弱々しさが表に出ないという利点もある。

ドン・ホセがミカエラとキスするのをカルメンはテラスの上から見ている。ということで、今回の演出ではカルメンがホセに近づくために意図的に暴力事件を起こしたという解釈が取られていることがわかるようになっている。
カルメンが逃げるときも、ジプシーの盗賊団仲間がズニガに拳銃を向けて動けないようにするという演出が施されている。

第2幕では、まず村上が指揮。舞台左手には小さなステージが設けられ、フラメンコダンサーが踊っている。ギター奏者役の男性も二人いるがギター演奏はしておらず、ハープの音に合わせて弾く真似だけをしている。
エスカミーリョが去るまで村上が指揮して小澤にバトンタッチ。小澤はドン・ホセが再び現れるところまで指揮して、後は2幕の終わりまで村上に指揮を託した。

小澤征爾音楽塾オーケストラであるが、臨時編成であるため、統率力という意味では常設のプロ団体には及ばないが、音色は美しく、腕も立つ。

カルメン役のサンドラ・ピクス・エディは、第2幕ではフラメンコダンサー達に混じって自身もフラメンコを舞うなど、妖艶な雰囲気を醸し出している。その姿は、恋に生きる女そのものだ。ある意味、文学的解釈を廃した、純粋な「本能としての女」を炙り出しているようにも見える。

第3幕は小澤の指揮でスタートし、歌のナンバーごとに指揮を交代するというスタイルを取る。第3幕のみコロシアムの壁は登場せず、巨大な岩のオブジェが配されて、岩山が表現されていた。

装置転換のために幕を下ろした状態で少し待ってから第4幕がスタート。前半を村上が指揮し、カルメンとホセの二人だけの場面になってからラストまでは小澤が指揮した。
大合唱による場面はほぼ全て村上に任せられており、オペラ指揮者としての村上の腕を小澤が買ったものと推測される。ロームシアター京都メインホールは残響は長くないため、合唱が大音量で歌っても壁がギシギシいうということはほとんどない。

袖で聞こえる合唱の声がカルメンには希望に、ホセには絶望に聞こえるという場面。カルメン役のサンドラ・ピクス・エディもドン・ホセ役のチャド・シェルトンも演技が上手く、心の葛藤を上手く描き出す。エディ演じるカルメンはホセを臆病者だと信じ切っており、「刺せるものなら刺してみなさい」と仕草で挑発する。そのことが実際に刺されたときの驚きの表情をより効果的なものとしている。

ホセが、「俺を殺せ!」と歌うと、ライフルを担いだ憲兵達が現れ、前奏曲後半の場面が繰り返される。銃声の轟きが全編の幕となった。

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無明の日々(14) 「ぶっちゃけ・問答 『あなたの故郷とは』」

2017年2月15日 京都市上京区の真宗大谷派 長徳寺にて

午後7時30分から、京都御苑の西にある真宗大谷派 長徳寺で、第173回「ぶっちゃけ・問答 『あなたの故郷とは』」に参加する。よくあることなのだが、ここでもまた私は最年少となってしまう。42歳で最年少はきついぜ。
 
午後7時30分から午後11時近くまで、「あなたの故郷とは」というお題から逸れつつも話は進む。関東出身者は私ともう一人(東京都中央区日本橋出身。江戸っ子中の江戸っ子である)。自分の生まれ故郷が「ふるさと」だと感じている人は実はほとんどいない。京都人で京都が故郷だと思っている人は皆無である。私自身も千葉市郊外の住宅地の出身なのだが、住宅地で育ってしまうと、自分の家のある場所が「ふるさと」とはどうしても思えない。それは皆に共通したことのようだった。母方の実家は田舎にあるのだが、田舎に家があったとしたらおそらく実家の付近が「ふるさと」と思えるはずである。「故郷」というと「兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川」という童謡に出てくるような風景が目に浮かぶ。千葉市の実家付近にはそうした場所はない。

京都人は京都タワーが嫌いだそうだが、旅行などで京都を離れて帰ってきた時に京都タワーが見えると「京都に帰ってきたと実感する」そうである。これは私もそうで、京阪電車で大阪からの帰りに京都タワーが見えるとホッとするし、長距離バスで高知から帰ってきた時、京都タワーが見えた瞬間、「やった。京都に着いた」と心躍った。

そのように「帰ってきた」と思える場所は東京にもある。JR総武線の両国駅と浅草橋駅の間に車窓から見える隅田川である。両国付近の隅田川を見ると「東京だ」としみじみ思う。残念ながら千葉市にはそうした場所はない。千葉市というのは本当に人口が多いだけで特に何もない場所である。歴史だけは東京の倍以上あるのだが近世においてさほど栄えていなかったのが痛い。


千葉県出身ということで、私は日蓮聖人の話をしたのだが、日蓮聖人が今の千葉県出身だということは知られていないようである。日蓮聖人は安房国小湊で漁師の子として生まれている。日蓮聖人の誕生を祝って鯛が集ってきて踊ったという伝承があり、今でも小湊にある鯛の浦という場所は鯛の群生地となっており、特別天然記念物に指定されている。またそれに因んで、鯛は「千葉県の魚」となった。

日蓮宗と浄土系宗教は反対方向を向いているという話になったのだが、日蓮聖人は『立正安国論』において、今の世が乱れているのは「法然坊源空のせいだ」と名指しで批判しており、「浄土宗への布施を止める」ことを提案している。
ただ現在では立正大学(東京にある日蓮宗の大学)と大正大学(東京にある浄土宗、真言宗豊山派、天台宗の総合仏教大学)は協定を結んでおり、因縁はないと思われる。
また日蓮聖人の強気な面が強調されていることについては、井上ひさしの「イーハトーボの劇列車」で宮沢賢治の口を借りて語られた言葉がそのまま役に立った。


不思議なことなのだが、私の場合、「故郷」と思えるのはまだ行ったことのない場所なのだ。石川県松任市、今は合併により白山市となっている場所である。私の先祖がそこにいたのだ。一応、遡れる最も確実な先祖が住んでいた場所である。私に至るまでの起源となる場所である。
ほぼ先祖と考えて間違いない人も更に古い時代におり、他の場所にいたのだが、確定ではないため保留としておく。
私が訪れて「ただいま」と言いたくなる場所は、実は千葉でも東京でも京都でもなくて、数えるほどしか行ったことのない金沢市である。金沢城石川門、近江町市場、尾山神社、更には石川県立音楽堂や泉鏡花記念館など、一度しか訪れたことのない場所でも「私の場所」のように思えた。私の「観念上の故郷」は石川県にあるようだ。

来るときには気がつかなかったが、帰りに長徳寺の門前に石碑が建っていることに気がつく。「会津藩洋学所跡地」の碑。のちに京都府顧問となる山本覚馬が元治元年(1864)に会津藩洋学所を開いて講義を行ったのが、ここ長徳寺だったという。

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2017年3月27日 (月)

おそらく千葉県内の校歌の中で最も個性的 柏市立柏高等学校校歌

吹奏楽の強豪として知られる柏市立柏高等学校(市立柏高校)。その校歌はとてもユニークです。
天台球場の通称で知られる千葉県野球場で行われた全国高等学校野球選手権大会千葉県大会で市立柏が勝利した際の校歌がアップされていましたので紹介します。
ラスト付近で、背後に千葉市名物モノレールが走っている姿を確認することが出来ます。
 
ちなみに市立柏高校野球部は甲子園に出場したことがあるのですが、初戦で敗退し、校歌を歌うことは出来ませんでした。

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しんらん交流館大谷ホール 山城地区同朋大会 節談説教「親鸞聖人御一代記」より

2017年3月11日 真宗大谷派東本願寺(真宗本廟) しんらん交流館大谷ホールにて

午後2時から、しんらん交流館にある大谷ホールで、節談(ふしだん)説教「親鸞聖人御一代記」よりを拝聴。大徳寺の東にある唯明寺の住職で、真宗大谷派山城第2組組長、元立命館常務理事である亀田晃巖(こうがん)による節談説教が行われる。節談説教は落語のルーツといわれ、江戸時代から昭和初期に掛けては積極的に行われたようだが、現在、真宗大谷派で行っているのは亀田晃巖のみであるようだ。山城地区同朋大会の中で行われるため、ポスターには「一般来聴歓迎」と書かれている。入場無料である。
以前、岡崎別院で亀田晃巖の節談説教を聞いたことがあり、内容はその時と同じである。

まず、真宗宗歌を皆で歌うのであるが、一応、真宗の歌はCDで買って聴いてはいるものの、伴奏が安っぽいので繰り返しては聴いていない。ということで歌えない。ただ音の進行は大概の楽曲においては決まっているので、適当に誤魔化すことも可能であり、そうした。

まず、関係者による挨拶があった後で、亀田晃巖による講義となるが、亀田は「講義なんてそんなものはしません」と言って、話を始める。今日はしんらん交流館に来る前に、以前に学校法人立命館の常務理事だったことから、立命館宇治高校に行ってきて挨拶もしたそうだが、その時とは「見える風景が違う」という話から始まる。若い人達は「前途洋々」「未来はこの手の中に」といった風で生き生きしているが、しんらん交流館大谷ホールにいる面々は、年を召した方が中心で、「老病死」の苦を十分に味わった人ばかりである。ただそういう方々も若者に「そう上手くはいかんよ」と教える必要があると亀田は語る。
東本願寺(現在の正式名称は真宗本廟)は、江戸時代に大火で4度も焼失している。徳川将軍家の保護を受けていたため、3度までは徳川将軍家が再建のための費用を負担してくれたが、4度目の大火は幕末の禁門の変による「どんどん焼け」によるもので、再建に取りかかろうとした時には徳川幕府の時代は終わっており、徳川将軍家そのものが亡くなっていた。ということで、門徒の協力によって再建された。亀田は「今、そんなことやろうと思っても出来ませんよ」と言う。今は熱心な門徒が減ってしまっている。

その後、節談説教についての説明。落語は新京極六角にある浄土宗西山深草派総本山誓願寺の安楽庵策伝が「醒睡笑」を表したのが始まりといわれ、安楽庵策伝という人はとにかく話の巧い人だったそうで、しかも話の最後に必ず落ちをつける(落ちをつけるので落語である)人だったそうだ。こうして落語の元となる節付説教と呼ばれるものが生まれ、真宗においては節談説教と呼ばれるようになる。ここから落語の他にも講談、説教浄瑠璃、説教節などが派生していく。
亀田晃巖の祖父である亀田千巖という人が節談説教の名人であり、元日と正月2日以外は説教師として日本中を飛び回っていて、追っかけがいるほどの大人気だったそうだ。
そして節談説教のために唯明寺が場所を移して再興され(東本願寺の近くにあったが、禁門の変で全焼。明治、大正を通して存在せず、昭和になって再興)、評判を聞きつけた小沢昭一や永六輔らが唯明寺にやって来て、小沢昭一は「節談説教」を覚えて録音し、レコードを残しているという。


休憩を挟んで、節談説教「親鸞聖人御一代記」より。亀田晃巖は高座に上がって語る。
まず「やむこをば預けて帰る旅の空 心はここに残しこそすれ」という和歌で入る。
京都へ帰ることを決めた親鸞。だが、親鸞を慕う関東の人達が京へと向かう親鸞の後をずっと付いてくる。次の村まで、次の村までと思うのだが、思い切れず、結局、箱根山まで付いてしまう。ここから先は関東ではない。ということで、親鸞も人々とお別れを言う。箱根山を下りたところで人々は「今生の別れ」とむせび泣く。そこで、親鸞は一番弟子の性信(しょうしん。性信坊という名で登場する)に関東に留まるよう告げる。親鸞は性信坊に道中仏を託し、「あの同行(どうぎょう。門徒のこと)の中から鬼の下に走る者が出ないよう、教えを貫くよう性信坊に伝える。涙ながらに関東に戻った性信は、関東での布教に励む。だが、その30年後、本尊である阿弥陀如来の顔が汗まみれになっているのを見て驚く。考えてみれば師の親鸞も齢すでに90。親鸞の身に何かあったに違いないと悟った性信は慌てて京に上るのだった。


最後は、「恩徳讃Ⅱ」を皆で歌って閉会となる。

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2017年3月26日 (日)

コンサートの記(286) ザ・カレッジ・オペラハウス ブリテン 歌劇「ねじの回転」2011楽日

2011年10月16日 大阪府・豊中市のザ・カレッジ・オペラハウスにて

午後2時から、大阪音楽大学ザ・カレッジ・オペラハウスでベンジャミン・ブリテンの歌劇「ねじの回転」を再度観る。

ベンジャミン・ブリテンの歌劇「ねじの回転」。私はある理由で2階上手通路席を選択した。事前に掛けた電話ではチケットが取れるかどうかわからないとのことだったが、行ってみると、ちゃんとその席は確保されていた。

「ねじの回転」は一昨日も観たので、キャストや筋書きなどは割愛させて頂く。

一つ、前回は気づかなかったが、今日はわかったことがある。マイルズが歌う歌詞の中に「リンゴの木」というものが出てくる。前回は気に留めなかったのだが、今日は、「ああ、これはエデンの園、つまりアダムとイヴの物語だ」ということに気がつく。なぜ前回気がつくことが出来なかったかというと「アダムとイヴが食べたのはリンゴというのは間違いで実はイチジクである」という知識があったからである。知識は邪魔にならないというのは嘘である。知識が邪魔して見えるはずのものが見えなくなることもあるのだ。しかし、今日気づけたのもやはり「以前はリンゴとされていた」という知識があったからで、やはりこれも知識のお陰である。知識は役立つことも邪魔になることもある両刃の剣(もろはのつるぎ)である。

これがわかってしまうと、実はほとんどの謎が解ける。女家庭教師が「私は無垢を汚してしまった」と語るのは教育を施したという意味であり、なぜグロース夫人が亡霊を見ることが出来ないかというと、グロース夫人は教育を受けていないので、教養がある人なら見えていることが見えていないのである。

「リンゴの木」がエデンの園のことだとわかれば、この物語の主題が見えてくるが、その知識がなければ、主題は絶対に見えない。

主題は知性である。悪より悪なものは「知性」である。知性は人を利口にするが、狡猾にもさせる。荀子は性悪説をとなえ、教育によって善に向かうとしているがそれは本当だろうか? 話は変わるが、日本が日清戦争に勝利して台湾を領土にしたとき、台湾の住民に教育を与えるかどうかで、政府の意見は二分している。その時、「教育は両刃の剣」という言葉が使われたこともわかっている。

マイルズは実に頭の良い子供で、女家庭教師が秘密にしていたことも見抜いていて、鎌を掛けてくる。おそらく学校で悪さをしたことは本当で、それが退学処分に値するものであるということも、幼いのに分かっているのだろう。

女家庭教師にはそれまで亡霊が見えていたのにラストで急に亡霊の姿を見失うのは、マイルズへの「愛は盲目」状態になったからだろう。ただ、マイルズを救おうという知性は働いており、これがマイルズの思考を引き裂き、死に追いやったという可能性も考えられる。

頭の良い人は成功しやすいが、不幸にもなりやすいことがわかっている。「知らぬが仏」という諺もある。

ここで、発せられてはいないメッセージが私に届く。「さて、わかってしまったあなた、あなたはそれでいいのですか?」という言葉である。確かに知的に分析して面白いオペラではあるが、主題が分からずに「難解だけど怖かったね」という感想を持った方が遥かに楽しいはずである。

ただ、知性や教育の怖さは知ってはいる。現在では、勤勉であること真面目であることは当然ながら「善」とされている。何の疑問も持つ必要がないかのように思われるが、実は勤勉や真面目が「善」とされたのは産業革命以降のことで、教育によって民衆に教え込まれたことである。実は民衆を労働力として使うために洗脳する必要があったために生まれた価値観なのだ。
江戸時代には日本は世界に冠たる文化大国であり、浮世絵などがフランス絵画に影響を与えた(ラ・ジャポニズム)。しかし、明治以降は一気に文化後進国になってしまった。「富国強兵」が国策になったからである。江戸時代は商人に仕える丁稚でも「あそこの店の丁稚はろくな教養がない」と言われるのを主が嫌い、業務中であっても、当時の教養であった「笛や太鼓の稽古に行け」と主が丁稚に命じたほど文化が重視されたことがわかっており、歌舞伎の大向こうに陣取るのは仕事よりも歌舞伎を優先させる商家の主が多かったことが確認されている。

それが一気に変わる。文化よりも経済や軍事が優先。それが「当たり前のこと」と教育により洗脳される。戦後も、「まず経済を建て直そう」と文化は等閑視され、経済を建て直すための優秀なサラリーマンを増やすのが良いため、「良い高校から良い大学に行って、良い会社に入ること」が善いことだとされ、実際、そういう風に生きるのが一番楽である。そういう社会にしたのだから当然なのであるが、実はこれは落とし穴なのではないのか? 頭が良いことは本当に善いことなのか? それが「当たり前」と思うのは洗脳されたからではないのか? 重要なのは頭が良かったり高学歴であったり高収入であることではなく、幸せは本来は自分で見つけるべきものであることなのに、あたかも絶対的な「幸せ」があるように思い込まされて、思考を停止させていないか? 日本は経済大国であっても文化三流国なので実は先進国とは本当は見なされていないという話も聞く。

そうした考えが「ねじの回転」のように螺旋状にグルグル回りながら頭に突き刺さる。

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2017年3月25日 (土)

コンサートの記(285) ザ・カレッジ・オペラハウス ブリテン 歌劇「ねじの回転」2011初日

2011年10月14日 大阪府豊中市のザ・カレッジ・オペラハウスにて

午後6時30分より、大阪府豊中市にある大阪音楽大学ザ・カレッジオペラハウスで、ベンジャミン・ブリテンの歌劇「ねじの回転」を観る。原作:ヘンリー・ジェイムズ、指揮:十束尚宏(とつか・なおひろ)、演出:岩田達宗(いわた・たつじ)、出演:井岡潤子(女家庭教師・主役)、植田加奈子(マイルズ)、高山景子(フローラ)、小西潤子(グロース夫人)、中川正崇(なかがわ・まさたか。クイント)、藤原未佳子(ミス・ジェスル)、柏原保典(かしわばら・やすのり。プロローグ語り手)。

昨日、ダニエル・ハーディング指揮の「ねじの回転」を観ているので、予習はばっちりである。

一番の注目は、ウィーンでのオペラ修行のため、長い間、日本楽壇から遠ざかっていた十束尚宏がどれだけ成長しているかであろう。

「ねじの回転」はホラー心理劇オペラである。

幕が開くと、紗幕があり、その前で語り手(柏原保典)が「これが奇妙な物語であること」「何十年も前に書かれた手記に基づくものであること」などを告げ、不気味さが増す。この手法はイギリスではよく取られるやり方で、例えばジュリエット・ビノシュ主演のイギリス映画「嵐が丘」(エミリー・ブロンテ原作。音楽は坂本龍一である)でもエミリー・ブロンテが廃屋を訪れ、廃屋についての感想を語り(ナレーション形式のモノローグで画面上のエミリーが喋るわけではない)「嵐が丘」の着想を得るというシーンがプロローグ的に加えられている。小説「嵐が丘」を読んだことがない人にもこれからまがまがしい物語が始まることを知らせ、恐怖心を植え付ける工夫である。

ブリテンの音楽はDVDて聴いた時も優れていると思ったが、生で聴くと人間の心理の暗い部分をえぐり出すような不気味さが増し、明らかに天才作曲家のなせる技だとわかる。それを指揮する十束尚宏が生み出す演奏はシャープでエッジがキリリと立っている。伊達にウィーンで修行して来たわけではないことが確認出来た。

「ねじの回転」は、語り手によるプロローグの後で、女家庭教師(歌うのは井岡潤子。役名なし。原作が一人称で書かれたものだからだが、オペラ化に当たって役名が付けられることはなかった。ミュージカル「レベッカ」と同様である)がある若い紳士の依頼を受けて、ロンドン郊外のブライという田舎町に向かうところから始まる。紗幕に光が当たり、幕が透けて、列車に乗った女家庭教師の姿が見える。ここでのモノローグで、女家庭教師が依頼主に惹かれていることがわかる。

ブライの屋敷には家政婦のグロース夫人(小西潤子)と、二人の子供、つまりマイルズ(植田加奈子)とフローラ(高山景子)がいる。二人とも天使のような可愛らしさであり、マイルズは学校に通っていて学業優秀なのだが、ある日、学校から退学処分の手紙が届く。女家庭教師もグロース夫人も何かの間違いだろうと不問に付すのだが、これが実は鍵であることがわかる。この翻訳で女家庭教師は「無垢」という言葉を使い、二人の子供達を無垢だと信じ込んでおり、無垢こそが尊いと考えている節がある。だがこの上演ではマイルズが歌う歌詞の冒頭「ロト、ロト」に敢えて「悪、悪」という訳詞を入れて、どうやらマイルズが無垢な天使のようだというのは見せかけで、実は邪悪な人物なのではないかということがわかる。悪魔は元は天使が堕落した堕天使ということもある。学業優秀で退学処分になるということは実際はかなりのワルだと思われる。

このオペラには、クイント(中川正崇)とミス・ジュエル(藤原未加子)という邪悪な亡霊が現れて、一見すると、この二人の亡霊が子供達二人を悪の道へと引き込もうとしているかのように見える。が、実は逆なのではないだろうか。子供二人、特にマイルズの方が邪悪であるため、同類の亡霊を引き寄せたとも考えられる(第2幕冒頭で、二人とも「無垢なるものを手に入れたい」と歌うが、自分達がなぜここにいるのかは実はわかっていないようにも見える)。

舞台には不吉な感じのする赤い糸が垂れており、これが徐々に増えていくのだが、これはどうやら邪悪さを表しているのではないかと思われる。ラストでは主人公である女家庭教師の腰からも赤い糸は垂れる。太宰治は小説『斜陽』で「不良でない人間などいるだろうか」と書いているが、それに倣えば「邪悪でない人間などいるだろうか」ということになる。

ラストは、マイルズがクイントに「この悪魔」と言って事切れるのだが、これは悪魔に去れと言った場合、同類である自分も去らねばならないからだと思われる。いわば、自分の胸に向かって矢を射るようなもので、自殺行為である。荀子の性悪説などと言ってしまうと簡単だが、それよりも一段深く、「悪とは何か」を問いかけてくる佳作である。本も優れているが、ベンジャミン・ブリテンの音楽も人間心理を巧みに描写していて見事である。私は芸術の中では音楽が一番偉大だと思っている。他の芸術は心理を描く場合、何らかの媒体を必要とするが、音楽は心そのものを描くことが出来るからである。音楽は言葉と並ぶ人類の二大発明の一つだと私は思っている。

岩田達宗の演出で一番巧みだったのは亡霊であるミス・ジュエルの登場のさせ方。実はこれは予見出来た。というのも、劇場でレセプショニストが床にものを置いている観客に注意を促す場合は、必ず、役者がそこを通るからである。役者の足が引っかかって転倒事故が起きるのを防ぐためだ。劇場に何度も足を運んでいるとこれはわかる。
しかし、わかっていても実際に幽霊であるミス・ジュエルが目の前に現れるとゾクゾクする。本当に亡霊がいるように見えるからだ。
実はやはりイギリスの演劇でこの手法を用いた演出による舞台がある。種は明かせないので何という舞台かは書けないが、これはかなり効果的であった。私はその舞台を3度観たことがある(何だかやはり太宰治の『人間失格』の書き出しのようであるが)と書くと何という舞台かわかる人はいるかも知れない。

とまれかくまれ「ねじの回転」はデモーニッシュなオペラであり、指揮も演出も歌手達もよくそれを体現していたように思う。

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2017年3月24日 (金)

観劇感想精選(205) ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」2017大阪

2017年3月1日 梅田芸術劇場メインホールにて観劇

午後6時30分から、梅田芸術劇場メインホールで、ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」を観る。シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」をフランス人のジェラール・プレスギュルヴィックがミュージカル化したもの。潤色・演出は宝塚歌劇団の小池修一郎。宝塚歌劇でも上演されたことがあるようだが、今回は新演出での上演である。音楽監督は太田健。
出演は主役クラスはWキャストで、今日の出演は、古川雄大、生田絵梨花(乃木坂46)、馬場徹、小野賢章(おの・けんしょう)、渡辺大輔、大貫勇輔。レギュラー出演者は、香寿たつき、シルビア・グラブ、坂元健児、阿部裕(あべ・ゆたか)、秋園美緒、川久保拓司、岸祐二、岡幸二郎ほか。ダンサーが多数出演し、華やかな舞台となる。

このミュージカルは、「死」と名付けられたバレエダンサー(大貫勇輔)の舞踏で始まる。背後の紗幕には爆撃機と爆撃される街の映像が投影される。
「死」は常にというわけではないが、舞台上にいて出演者達に目を配っている。ロミオ(古川雄大)が失望する場面が合計3度あるのだが、その時はロミオと一緒になって踊る。ロミオに毒薬を手渡すのも「死」の役目だ。
今日は出演しない「死」役のもう一人のバレエダンサーは、連続ドラマ「IQ246」にも出演して知名度を上げた宮尾俊太郎で、宮尾が舞う日のチケットは全て完売である。

イタリア・ヴェローナ。時代は現代に置き換えられており、登場人物達はスマートフォン(セリフではケータイと呼ばれる)や動画サイトを使っている。舞台は観念上のヴェローナのようで、実際のヴェローナにはない摩天楼が建ち並び、BOXを三段に重ねたセットが用いられる。
ヴェローナを二分するモンタギュー家とキャピュレット家。モンタギュー家は青地に龍の旗をはためかせ、モンタギューの一党も青系の衣装で統一されている。一方、赤字にライオンの旗をトレードマークとするキャピュレットの一族は赤系の服装だ。
モンタギューとキャピュレットの間では争いが絶えない。特にキャピュレット家のティボルト(渡辺大輔)と、モンタギュー家のマーキューシオ(小野賢章)は不倶戴天の敵という間柄である。
ヴェローナ大公(岸祐二)が両家の仲裁に入り、「今度争った場合は刑に処す」と宣言する。

キャピュレット卿(岡幸二郎)とキャピュレット夫人(香寿たつき)は、娘のジュリエット(生田絵梨花)をパリス伯爵(川久保拓司)に嫁がせようとしていた。ロミオにいわせるとパリスは「いけ好かない成金」であるが、キャピュレット卿は借金があり、ジュリエットと結婚したあかつきには借金を肩代わりしてもいいとパリスは言っていた。
ジュリエットはこの物語では16歳という設定。本当の愛というものを知らないうちに親が決めた相手と結婚することに疑問を感じている。だが、キャピュレット夫人は、「自分は結婚に愛というものを感じたことなど一度もない」と断言する。キャピュレット夫人も親の言いなりでキャピュレット卿と結婚したのだが、夫に魅力は感じず、夫も女遊びに励んでいたので負けじと浮気を繰り返していた。
そしてキャピュレット夫人は、ジュリエットが不義の子だということを本人に告げる(このミュージカルオリジナルの設定である)。のちにキャピュレット卿は、ジュリエットが自分の子供ではないと気づき、3歳のジュリエットの首を絞めて殺そうとしたのだが、余りに可愛い、実の娘以上に可愛いので果たせなかったというモノローグを行う。

キャピュレット夫人(くわえ煙草の時が多い)は、甥のティボルトになぜ戦うのか聞く。ティボルトは、「人類はこれまでの歴史で、どこかでいつも戦ってきた」と人間の本能が戦いにあるのだという考えを示す。キャピュレット夫人は愛の方が重要だと主張するがティボルトは受け入れない。

一方、ヴェローナ1のモテ男であるロミオは、数多くの女を泣かせてきたが、今度こそ本当の恋人に会いたいと願っている。マーキューシオやベンヴォーリオに誘われて、キャピュレット家で行われた仮面舞踏会にロミオは忍び込む。パリス伯爵に絡まれていたジュリエットだが、ロミオと出会い、互いに一目惚れで恋に落ちる。だが、ロミオの正体がばれ、パリス伯爵との結婚が急かされるという結果になってしまう。

バルコニーでジュリエットが、「ロミオあなたはなんでそんな名前なの?」という有名なセリフを語る。ロミオがバルコニーに上ってきて、二人は再会を喜び、「薔薇は名前が違ってもその香りに変わりはない」というセリフを二人で語り上げる。

ティボルトもまた従妹であるジュリエットに恋していた。ティボルトも15歳で女を知り、それ以降は女に不自由していないというモテ男だったのだが、本命はジュリエットだった。日本の法律では従兄妹同士は結婚可能なのだが、キャピュレット家には従兄妹同士は結婚出来ないという決まりがあるらしい。
ティボルトはこれまで親の言うとおり生きてきたのだが、それに不満を持つようになってきている。ただ、自由に生きることにも抵抗を覚えていた。

一方、モンタギュー家のロミオ、ベンヴォーリオ、マーキューシオも大人達の言うがままにならない「自由」を求めており、自分達が主役の社会が到来することを願っていた。いつの時代にもある若者達の「既成の世界を変えたい」という希望も伝わってくる。

バルコニーでの別れの場。ジュリエットは父親から「18歳になるまではケータイを持ってはならない」と命令されており、ロミオと連絡を取る手段がない。ジュリエットはロミオに薔薇を手渡す。「明日になっても気が変わらなければ、この花を乳母(ジルビア・グラブ)に渡して」と言うジュリエット。ロミオは勿論心変わりをすることなく、訪ねてきた乳母に薔薇の花を返す。かくして二人はロレンス神父(坂元健児)の教会で結婚式を挙げる。フレンチ・ミュージカルであるため、フランス語で「愛」を意味する「Aimer(エメ)」という言葉がロミオとジュリエットが歌う歌詞に何度も出てくる。

二人の結婚の噂が流れ、街では、「綺麗は汚い、汚いは綺麗」という「マクベス」のセリフを借りた歌が流れる。「顔は綺麗と思った女性でも」という意味である。

再びモンタギューとキャピュレットの諍いが起こる。マーキューシオがティボルトとの戦いに敗れて死に、その腹いせでロミオはティボルトを刺し殺してしまう。ヴェローナ大公はロミオにヴェローナからの永久追放を宣言するのだった。


常に人々を見下してきた「死」が、ラストになって敗れる。ロレンス神父がジュリエットに死んだようになる薬を手渡したことをロミオにメールするのだが、ロミオはケータイをなくしてしまっており、事実を知らないまま「死」から手にした毒薬で自殺し、それを知ったジュリエットも短剣で胸を突き刺して後を追う。ここまでは「死」のシナリオ通りだったのだが、ロミオとジュリエットの愛に心打たれたモンタギュー卿(阿部裕)がキャピュレット卿と和解。ロミオとジュリエットの名は後世まで残るものと讃えられる。ロミオとジュリエットの死が愛を生んだのだ。「死」は息絶える仕草をし、ここにおいて愛が死に勝ったのである。


楽曲はロック風やクラブミュージック調など、ノリの良いナンバーが比較的多く採用されている。拍子自体は4分の4拍子や4分の3拍子が多く、リズムが難しいということはない。
ベンヴォーリオがのぼせ上がったモンタギュー一族をなだめる場面があり(「ロミオとジュリエット」を翻案した「ウエスト・サイド・ストーリー」における“クール”の場面のようである)、これまたベンヴォーリオがマントヴァ(この劇では売春街という設定になっている)に追放されたロミオを思って一人語りをしたり伝令も兼ねたりと、ベンヴォーリオは原作以上に重要な役割を与えられている。


2013年のミュージカル「ロミオ&ジュリエット」でもロミオを演じた古川雄大は安定した歌と演技を披露する。
ジュリエットを演じた乃木坂46の生田絵梨花はミュージカル初挑戦であるが、実力はあるようで、すでにオーディションを突破しなければキャスティングされないミュージカル「レ・ミゼラブル」にコゼット役での出演が決定している。生田絵梨花はピアノが得意で日本クラシック音楽コンクール・ピアノ部門での入賞歴があり、現在は音楽大学に在学中。ということでソニー・クラシカルのベスト・クラシック100イメージキャラクターも務めていたりする。演技はやや過剰になる時もあるが、歌は上手いし、筋は良い。
ティボルト役の渡辺大輔とマーキューシオ役の小野賢章も存在感があって良かった。

カーテンコールは3度。最後は大貫勇輔が客席に向かって投げキッスを送りまくり、笑いが起こっていた。

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2017年3月23日 (木)

コンサートの記(284) 下野竜也指揮読売日本交響楽団大阪定期演奏会2017・3月

2017年3月9日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、読売日本交響楽団の大阪定期演奏会を聴く。指揮は今月いっぱいをもって読響の首席客演指揮者を離任する下野竜也。下野は来月から広島交響楽団の音楽総監督に就任する予定である。

曲目は、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番(ヴァイオリン独奏:アレクサンドラ・スム)、ブルックナーの交響曲第7番(ハース版)。

今日の読売日本交響楽団のコンサートマスターは、元大阪フィルハーモニー交響楽団コンサートマスターの長原幸太。ドイツ式現代配置での演奏である。


モーツァルトは室内オーケストラ編成、ピリオド・アプローチでの伴奏。今日は一番高い席と一番安い席がソールドアウトであったが、私は一番安い3階6列目の下手端席。この席からだと室内管弦楽団編成によるピリオドの伴奏はかなり小さく聞こえる。
下野はこの曲はノンタクトで指揮した。

真っ赤なドレスで登場したアレクサンドラ・スム。ロシア出身。ウィーンに学び、現在はパリ在住のヴァイオリニストである。京都市交響楽団の定期演奏会に客演したときには、「これは凄いヴァイオリニストが現れた」と喫驚したものだ。2013年1月に創設された、ベネズエラ発音楽教育のフランス版「エル・システマ・フランス」で後進の育成にも当たっているという。
1989年生まれとまだ二十代の若い奏者であり、ウィーンで学んでいるため、当然ながら古楽奏法も学んでいると思われ(ロシア国内では古楽奏法教育が進められているという話は聞かない)、彼女もまた、ロマン派以降を弾くときとは違うスタイルのようだ。
ということで、最初は音が小さく聞こえ、「今日はあんまり楽しめないのかな」と思ったが、次第にこちらの耳も慣れる。音の情報量が豊かであり、琥珀の輝きを思わせるような美音だ。
第1楽章のカデンツァはおそらくイザイのものを使用。第2楽章のカデンツァでは溢れんばかりの音楽性を披露する。

アンコール。スムは、「こんばんは」と日本語で挨拶し、「ありがとうございました」と日本語で続けた後、「イザイ(実際には欧州での発音に近い発音だった)ソナタ第2番(少し日本語を思い出しながら)第4楽章」と全て日本語で言って演奏開始。モーツァルト演奏時とは一転して情熱的でスケール豊かな演奏だが、それ以上に特筆されるのが弱音の美しさ。イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタは彼女の十八番だというが、一度、全曲聴いてみたいものである。


ブルックナーの交響曲第7番。ハース版の楽譜を使用しているが、無料パンフレットに「指揮者の判断により(打楽器が)採用される」と書かれており、ティンパニ奏者の他に打楽器奏者が二人座っているのが見えたので、シンバルとトライアングルも鳴らされるのだと予想できる。ハース版では基本的にはクライマックスでの打楽器演奏は行われないが、ハース版でも打楽器を絶対に用いてはいけないということはないようである。ブルックナーの交響曲第7番は初演が自身初の大成功となり、ブルックナーも歓喜したというが、第2楽章のクライマックスに関しては「うるさすぎる! 恥を知れ!」という批判もあったそうで、打楽器の使用が「無効」とされた譜面が存在。ハースはブルックナー自身が「無効とした」として打楽器不採用。ノヴァークは「無効の筆跡がブルックナーではなく第三者のもの」として、打楽器を入れるよう校訂している。

読売日本交響楽団は弦楽器が全体的に美しく、特にヴァイオリンの音は輝きがあって心地よいが、管楽器はミスが目立ったり、合奏が微妙にズレたりと調子は今ひとつ。読響はフェスティバルホールのような巨大な空間(ステージも広く、今日もフル編成なのに下手も上手もスペースにかなり余裕あり)で演奏する機会は少ないので、そのことも影響しているのかも知れない。読響は2016年度から大阪定期演奏会の会場をザ・シンフォニーホールからフェスティバルホールに移したが、モーツァルトも含めて今日のような演奏なら、フェスティバルホールではなくザ・シンフォニーホールの方が合っているようにも思う。今日は少なくとも「フェスティバルホールを鳴り響かせた」とはいえない演奏であった。
 
下野はしっかりとしたフォルムを築き上げていたが、もう少しスケールを拡げることも彼なら可能であるような気もした。

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2017年3月22日 (水)

楽興の時(15) 「小澤征爾音楽塾オーケストラメンバーによるロビーコンサート」2017年3月18日

2017年3月18日 左京区岡崎のロームシアター京都2階共通ロビーにて
午前11時から、左京区岡崎にあるロームシアター京都の2階共通ロビーで、「小澤征爾音楽塾オーケストラメンバーによるロビーコンサート」を聴く。無料である。

演奏されるのは、サラサーテの「ナヴァラ」、ヘンデルの「パッサカリア」(ハルヴォルセン編曲)、久石譲の「いのちのなまえ」(映画「千と千尋の神隠し」より)、ガルデルの「ポル・ウナ・カベーサ」、簫泰然の「望春風」、ボロディンの弦楽四重奏曲第2番より第1楽章。

サラサーテの「ナヴァラ」は大藪英子(おおやぶ・えいこ)と尼﨑有実子(あまさき・ゆみこ)という日本人女性ヴァイオリン奏者二人、ヘンデルの「パッサカリア」は韓国人女性二人(ヴァイオリンのソン・アインとチェロのイ・セイン)、久石譲とガルデルと簫泰然は台湾出身の弦楽四重奏(1stVn:黄鈺婷、sndVn:李盼盼、Va:蔡孟珊、Vc:劉宛瑜)、ボロディンは京都市立芸大学在学中の女学生(のカルテット(1stVn:櫃本樹音、2ndVn:髙田春花、Va:江川菜緒、Vc:櫃本瑠音)による演奏である。韓国人や台湾人は名前の表記を見ても男性か女性か分からないのだが、今日は全員女性で、男性奏者は一人も参加していなかった。
若い人達のみによるコンサートであるが、オーディションを勝ち抜いた人達ばかりということもあり、実力者揃いである。楽器も良いものを使っているのだと思われるが、とにかく音が美しい。艶と張りがあり、並みの演奏家のそれとは段違いである。メカニックに関しても問題は一切ない。

小澤征爾音楽塾は今年はビゼーの歌劇「カルメン」を上演。「カルメン」の舞台はスペインで、サラサーテはスペイン人。ということで「ナヴァラ」が選ばれたと大藪英子が語る。「ツィゴイネルワイゼン」は午前中から演奏するには重いというので避けたようである。「ナヴァラ」は軽快で美しい曲だ。


ヘンデルの「パッサカリア」。イ・セインが「アンニョンハセヨ」と韓国語で挨拶をした後で英語でスピーチ。「日本語は喋れないのですがトライしてみたいと思います」と英語で言い、ソン・アインが紙を手に日本語で挨拶と楽曲紹介を行った。


台湾人のカルテットは、黄鈺婷が「おはようございます」と日本語で挨拶をした後で、英語でスピーチ。その後を受けて、蔡孟珊も英語でスピーチを行った。

ガルデルの「ポル・ウナ・カベーサ」は、ハバネラのリズムの曲であり、そのために選ばれたようである。


ボロディンの弦楽四重奏曲第2番第1楽章は「伊右衛門」のCMで使われて有名になった曲。第1ヴァイオリンとチェロは共に櫃本(ひつもと)という珍しい苗字であり、実の姉妹だと思われる。樹音(じゅね)と瑠音(るね)というフランス風の名前なので、ご両親がフランス好きなのだろう。


日韓関係は悪化しているし、中国と台湾の両岸問題も進展していないが、音楽に国境はないことが感じられて嬉しかった。

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2017年3月21日 (火)

連続テレビドラマ「カルテット」のためのメモ集成

2017年1月30日
録画してまだ見ていなかったTBS系連続ドラマ「カルテット」第1話を見てみる。坂元裕二の脚本だけあって安定感がある。出演は、松たか子、松田龍平、高橋一生、満島ひかり、イッセー尾形、八木亜希子、吉岡里帆、菊池亜希子、もたいまさこ他。

小さな声で話すヴァイオリニストの巻真紀(まき・まきという洒落のような名前。演じるのは松たか子)を巡るミステリー仕立ての作品である。私も小さな声でしか話せないのだが、理由は色々ある。そのことが鍵になるのかどうかは第1話ではまだわからない。

音楽家達の話だが、状況はシビアだ。プロとしての演奏経験があるのは真紀だけ。後は、おそらく縁故で入った会社員、美容院のバイトリーダー(美容師免許なし)、フリーの売れない音楽家など、夢からは遠い状況にある人ばかりである。
松田龍平演じる別府司の祖父が偉大な指揮者ということで、軽井沢にある別府家の別荘で話は進むのだが、ハイソな環境で現実は中和されているものの苦しさは皆自覚している。
 

2017年2月1日
録画しておいた連続ドラマ「カルテット」の第2話を見てみる。言葉の綾や行動の背景を探る心理劇である。面白く見ることが出来るのだが、そもそも心理劇というものはある程度の知的レベルがないと楽しめないものである。子供や精神が子供の人が面白いと思うのかどうかはわからない。
 

2017年2月10日
録画しておいた連続ドラマ「カルテット」の第3話を見てみる。世吹(旧姓:綿来)すずめ(満島ひかり)の父親(作家で明治学院大学教授の高橋源一郎が演じている)の死が迫っている。父親が入院しているのは千葉市立青葉病院(実在する)。すずめの過去の傷が明らかになっていく。
今のところ、ほぼ全員が丁寧語で会話をしており、心の垣根の高さが感じられる。悪女と思われる人が何人も出てくるのだが、吉岡里帆演じる有朱(子供の頃のあだ名は「淀君」だったという)が一番の悪女のようでもある。
 

2017年2月17日
録画しておいた連続ドラマ「カルテット」の第4話と第5話を見る。夢見る負け組達の話路線。世相を反映していてリアルだ。ただ、登場人物達の微妙なズレが笑いをも生んでいる。
第4話のラストで吉岡里帆演じる有朱(ありす)が本格的に悪女の本性を露わにし始める。子供の頃から女王様気質で、元地下アイドルながら今は料理店の店員というストレスがたまりそうな設定が伏線としてちゃんと張られている。吉岡里帆は好演だが、女優としては駆け出しだけに、「目が笑ってない」といわれる女性を演じるのに十分かというと、現時点ではそうではないだろう。目の表情に関しては松たか子の方がずっと上手い。なんといっても松たか子は歴史に残る女優だろうし。
松たか子演じる巻真紀の失踪した夫について、真樹から有朱が聞き出そうとする場面。吉岡里帆は良い演技を見せたが、それを上回ったのが綿来すずめを演じる満島ひかり。満島の演技はそう簡単に出来る種類のものではないと思う。
 

2017年2月21日
「カルテット」第6話を見る。真紀(松たか子)の夫である巻幹生(宮藤官九郎)が本格的に登場。これまで真紀の夫に関する情報は伏せられていたため、前回、それを演じるのが宮藤官九郎だと分かったときは、「絶妙のキャスティング!」などと話題になった。巻と真紀の結婚生活の回想が今回のメインとなる。仕事を通して真紀と知り合った巻は、巻について、音楽をやっていて上品で今まで会ったことのないタイプだと思ったのだが、いざ結婚してみるとヴァイオリンは止めてしまい、映画には疎く、自分がプレゼントした詩集にはなんの興味も示さないことで「彼女も普通の人だったんだ」と失望を深めていく。一方で真紀は平凡な主婦になれたことに喜びを見いだしていた。完全なすれ違いによる破局パターンである。真紀ははなぜ別れることになったのかについての自覚はないが、巻は「愛しているけど好きじゃない」「もう好きじゃなくなった」と人にハッキリと語ることが出来る。巻は元カノに「よっぽど価値観が合うか器が大きくないと結婚なんて出来ないでしょ」と言われる。

ただこの巻、予想以上の食わせ物であったことから、ストーリーが大きく変わっていきそうである。

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笑いの林(85) 「宮村優子×桜 稲垣早希プレゼンツ in 大阪!」

2017年3月4日 大阪・弁天町の世界館にて

JR弁天町駅から北へ。安治川沿いにある世界館という劇場で、「宮村優子×桜 稲垣早希プレゼンツ in 大阪!」の2回公演を観る。一帯は工業地帯で、それ以外のものはほとんどない。世界館も元々は倉庫だったものを改修し、入り口付近のファサードをお洒落にして、2004年に劇場としてオープンしている。プロレスの会場になってりしているようだ。
「宮村優子×桜 稲垣早希プレゼンツ」公演は今回が3回目。初回は昨年初めに、二人の出身地である神戸で行われ、2回目は東京で開催された。神戸公演では、みやみーこと宮村優子は旦那の悪口ばかり言っていたが、その後、離婚している。

第1部は正午開演の公演で、「みやむー&さきの部屋~お昼は楽しくおしゃべりの回」でトークショー。第2部が午後5時開演の公演で、「みやむー&さきの部屋~夜はわいわいゲームの回~」でゲームコーナーである。

第1部は、二人とも私服で登場。まずは早希ちゃんが、「3回目ですが、全部来ているという人」と聞く。結構いる。次いで、「今日が初めての人」と聞くとこれもまあまあいる。宮村優子が、「どうも宮村優子です」と自己紹介をし、早希ちゃんが、「それはみんな知ってます。知らないで来ている人がいたら頭おかしい」と突っ込む。

アスカのコスプレで来ている、早希ちゃん公演常連の女の子がいるのだが、早希ちゃんと宮村優子に発見して貰い、声を掛けられたので嬉し泣きしていた。

まずは「ババ抜きトーク」。二人とも相手に話して欲しい話題を5つ用意して紙に一枚ずつ書き、ババ抜きの要領で引いて、トークを行うというもの。
早希ちゃんが先攻で引く。お題は「ハマっているもの」。早希ちゃんはYouTubeにハマっているそうで、自身も公式YouTubeチャンネルを立ち上げて、有名YouTuberのHIKAKINさんを真似したサキキンというキャラクターを演じている。サキキンは極端なぶりっこ&ナルシストキャラなのだが、早希ちゃんを知らない視聴者から叩かれまくっているそうで、「ボケ、ブス、シネ!」と早希ちゃん曰く「覚えやすい」暴言で罵られているそうだ。アスカの子だと知っている人でも、「アスカじゃない時はこういう子なんだ」と思い込んで、「ぶりっこは嫌われますのでやめた方がいいですよ」と心配してメッセージを書き込んでいるという。
宮村優子は、いつも下に小さい文字で「本当に聞きたい質問」を書いており、「早希ちゃんの属性はSですか? Mですか?」と聞いている。宮村優子はずっと「自分はMだ」と思って生きてきたのだが、最近になって「あれ? Sじゃない?」と気づいたそうである。「早希ちゃんは、いじめるのが好き? いじめられるのが好き?」と聞かれた早希ちゃんは、「その言葉にゾクゾクしているのでMです」と言うも、「Mの女の方がモテる」とも言って、「一応M」ということにしておく。宮村優子は、「男性はMの方が多いらしい」と言っていたのが、そうなのか?
宮村優子が引いたのは、「最近、日本の焼きそばがおかしいので食べてみて」。カップ焼きそばの味が妙なことになっているそうで、昨年のクリスマスには「ショートケーキ味」、今年のバレンタインデーには「チョコレート味」、そして今は「納豆味」が出ているそうである。「ショートケーキ味」と「チョコレート味」は今は手に入りにくいそうで、わざわざ取り寄せたそうだ。
スタッフが、裏でカップ焼きそばを作っている間に、早希ちゃんに二つ目の質問、「何フェチですか?」。早希ちゃんは「首フェチ」だそうで、うなじを見るのが好きだそうである。男性が物を落として拾おうとして屈んだときに見える首の裏側をガン見するそうだ。女性のうなじが素敵なのはわかるのだが、男のうなじについてはよくわからん。「ホクロがあるとなおいい」と言っていたが、こちらはなんとなくわかる。南野陽子もホクロがなかったら魅力半減だろうし。泣きぼくろがチャームポイントという女性も多い。ついでに、「お風呂に入ったとき体のどこから洗いますか?」とも小さい字で聞いていた。
宮村優子は長風呂で1時間ぐらい入っており、体は洗わないそうである。彼女は現在もオーストラリア在住なのだが、オーストラリアのバスタブは浅くてすぐに冷めるのでずっとお湯を入れ続ける必要があるそうだ。子供二人も入れるので長くなるという。早希ちゃんが、「人妻」と言いかけて止め、宮村優子は「シングルマザー」と言った。

できあがったカップ焼きそばの試食。劇マズで、早希ちゃんは一口食べるのが精一杯だったが、みやむーは「まずくはない」と言って、全て一口以上食べていた。宮村優子は自分で、「バラエティーではおいしくないタイプ?」と言い、早希ちゃんも「ちょっとおかしいです」と言っていた。

宮村優子への質問2つ目は、「ハマっているもの」でかぶってしまう。みやみーはマンガが好きなのだが、オーストラリアでも買える電子書籍版は、以前は紙の書籍に比べると半年遅れで刊行されていたそうで、「ONE      PIECE」などは早く続きが読みたくなるため、日本に帰った際にまとめ買いしていたのだが、重いしかさばるので苦労していたという。だが、今は単行本と電子書籍がほぼリアルタイムで出るようになったそうだ。ちなみに宮村優子はアニメは見ないそうである。アニメを見ていると、声優さんがスタジオで今どんな作業をしているのか、スタッフがどう工夫しているのかがわかって映像が浮かんでしまうため、集中できないそうである。一種の職業病である。
なお、宮村優子が遠山和葉役で出演している「名探偵コナン」の最新映画が来月公開されるそうである。

早希ちゃんへの3つ目の質問。「他の芸人との関係」。後輩芸人の堀川絵美が「エヴァンゲリオン」もろくに見たこともないのに、綾波レイならぬデブ波レイをネタでやっているのだが、「知れ渡る前にやめさせます」と言う。吉本の女芸人は毎年ひな祭りの日に、今いくよ・くるよ師匠が開催するひな祭り会を開いているそうで、いくよ師匠が他界してからは、くるよ師匠一人が主催しているという。そこで、シルク師匠から、「癌にならない食事法」を伝授されたそうで、3つのものを避けると良いと言われたのだが、宮村優子が3つとも当ててしまったため(よく知られている種類のものである)「あれ? 私だけ知らんかったんかな? 結構みんな、『おー!』て言ってたのに」と訝しむ。まあ、フードファディズムになりかねないので信じるかどうかは自分で決めるしかない。
川絵美はまだ芸歴が浅いので、まだくるよ師匠に存在を知られておらず、ひな祭り会に呼ばれたことはないそうである。早希ちゃんは「(「くるよ師匠に)知られる前に(レイを)やめさせます」とも言う。

USJのエヴァンゲリオンに行ったことがあるかどうかという質問もある。みやみーは昨日、USJに行ってエヴァを体験してきたそうだ。早希ちゃんもみやみーに「一緒に行こう」と誘われたのだが、営業の仕事が1本入っていて行けなかったという。やはり職業病が出て、アスカのセリフが聞こえるとアスカモードになってしまい、ついセリフを口にしてしまうそうで、隣のお客さんは双方向からアスカの声がするため、「???」状態になっていたという。ちなみに、USJでは宮村優子本人だとは気がつかれなかったそうで、エヴァグッズを3つ買ったのだが、「『エヴァンゲリオン』、お好きなんですね」と笑顔で言われたとのこと。まさか本物の声優が目の前にいるとは誰も思うまい。

ここで、ラスト。「好きなタイプは?」を無理矢理「好きなたこ焼きのタイプは?」に変えて、舞台上にたこ焼き器が置かれ、タコではない具を入れたたこ焼き作りが始まる。宮村優子が「音楽はないのかな?」と言ったためBGMがかかるが、音源を用意していなかったため、たこ焼き作りには不似合いなビーチボーイズの「サーフィンU・S・A」が流れていた。
「よっちゃんイカ」、「サクランボ」、「グミ」(以上、みやむー持ち込み)、「ミニトマト」、「フリスク」、「グミ」(以上、早希ちゃん持ち込み)を入れたたこ焼き。当然、美味しくなるはずはないのだが、宮村優子は「まずいけど平気」だそうである。
ラストと言いつつ焼いている間に、宮村優子が質問に答えることになった。「これまでで一番笑ったことは?」。宮村優子はお笑い好きだそうで、和牛や銀シャリがお気に入りだという。大阪吉本と東京吉本の芸人についてであるが、テレビを見ていても東京の芸人なのか大阪の芸人なのかは意識せず、大阪で見ていた芸人が東京のお笑い番組で見ないのに気づいて、「ああ、大阪の芸人さんだったんだ」と思う程度だそうだ。
ちなみにアニメ芸人は大半が東京在住で、大阪にいるのは早希ちゃんと南斗水鳥拳のレイ(がっき~)だけだそうである。「レイ違い」だそうだ。なお、二人とも苗字は稲垣である。


第2部までの間、時間を潰さねばならないのだが、弁天町というのは本当にオーク200しか行く場所がない。取り敢えずオーク200にあるカフェで昼食を食べ(カサブランカという店名なのに、ギリシャのミコノス島の絵が飾ってあるという、コンセプトのよくわからない店であった)、書店やら映画のポスターが飾ってあるコーナーやらを見て回る。弁天町付近も少し歩いてみたのだが、「危険」という感じはしないものの、「夜はまずそうだ」という雰囲気がある。よく似た雰囲気の他の場所は思いつかないが、敢えて挙げるなら西池袋に少しだけ近いかも知れない。

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2017年3月20日 (月)

観劇感想精選(204) 「お気に召すまま」

2017年2月7日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後6時30分から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、「お気に召すまま」を観る。「人生は舞台、人はみな役者に過ぎぬ(今回の公演では、「この世界はすべてこれ一つの舞台、人間は男女を問わずすべてこれ役者にすぎぬ」という訳であった)」というセリフで有名な作品である。昨年が没後400年に当たったウィリアム・シェイクスピア。今年は様々なシェイクスピア作品が上演される。
白水社から出ている小田島雄志翻訳のテキストを使用。演出:マイケル・メイヤー。出演:柚希礼音(ゆずき・れおん)、橋本さとし、ジュリアン、横田栄司、伊礼彼方(いれい・かなた)、芋洗坂係長、平野良、平田薫、入絵加奈子、古畑新之(ふるはた・にいの)、武田幸三、新井将人、俵木藤汰(たわらぎ・とうた)、青山達三、マイコ、小野武彦ほか。音楽:トム・キット。

舞台を1967年のアメリカに移しての上演である。ということで、オーランドー(ジュリアン)やオリヴァー(横田栄司)、フレデリック(小野武彦)、アダム(青山達三)などは背広を着て登場する。ロザリンド(柚木礼音)やシーリア(マイコ)も、最初はフラッパーのような格好で登場する。

元宝塚歌劇団男役トップの柚木礼音の主演ということで、客席には宝塚ファンの女性が多い。

セットは、パルテノン宮殿を思わせるエンタシスの柱数本に三角形の屋根。アメリカの首都ワシントンD.C.という設定だという。アーデンの森はヒッピー達の祭典サンフランシスコのヘイトアシュベリーを起点に起こったムーブメント「サマー・オブ・ラブ」に置き換えられており、ママス&パパスの「夢のカリフォルニア(カリフォルニア・ドリーミン)」が流れて、セットがサイケデリックなものに変わる。ギター、エレキベース、キーボード、チェロの生演奏があり、アミアンズ役の伊礼彼方はギターの弾き語りを行う。

「お気に召すまま」は、長兄のオリヴァーから冷遇され、ろくに教育も受けることが出来なかった末弟のオーランドー。フレデリックから追放された前公爵など、抑圧された存在が登場するのだが、なぜか皆、瞬く間に仲直りという、不思議な展開を見せる。

今回の舞台では、オーランドーとチャールズ(武田幸三)が戦うのは相撲やレスリングではなく、総合格闘技となっている。

父の追放を悲しんでいるロザリンド。親友でフレデリックの娘であるシーリアはロザリンドに従妹としてまた友人としての絶対的な愛を語り、慰める。格闘技の試合に勝ったオーランドーを見たロザリンドは一目で恋に落ち、銀のブレスレットをプレゼントする。オーランドーもロザリンドに惚れていた。

だが、オリヴァーの不興を買ったオーランドーは、今回はヘイトアシュベリーということになっているアーデンの森に執事のアダムと共に逃げ込む。アーデンの森にはロザリンドの父親である前公爵(小野武彦二役)もいた。フレデリックから追放を宣告されたロザリンドは自らもシーリアと共に森に行くことにする。ロザリンドは「女同士では危険。だが私は普通の娘としては背が高い方だから、男装しようと思う」としてギャニミードという男性名を名乗り、シーリアはギャニミードの妹であるアリーナということにして、道化のタッチストーン(芋洗坂係長)とを連れて森に向かう。

オーランドーは空腹で倒れたアダムのために、公爵が率いるヒッピーの一団を襲うが、彼らの落ち着いた態度に己の行為を恥じ、ヒッピー達と行動を共にするようになる。またオーランドーは森の木という木に、七五調と韻を駆使した恋文を紙に書いて張っていく。

森の別の場所では老いた羊飼いのコリン(俵木藤汰)が、若き羊飼いであるシルヴィアス(平野良)の女羊飼いフィービーへの思いを感じているのだが、フィービーはシルヴィアスを相手にしない。コリン達とシルヴィアスの姿を見たギャニミードとシーリア。ギャニミードは更にオーランドーの恋文も発見する。韻を踏んでいることに感心するギャニミードであったが、タッチストーンは「簡単だ」と言って、韻文を作ってみせる。
オーランドーが現れる。ギャニミードは男装していたので自分の正体が女のロザリンドだと知らせることはなく、「女の心に通じた男」としてオーランドーに女の口説き方をアドバイスし、「自分をロザリンドだと思って接して欲しい」と言って、シミュレーションをたっぷり味わう。だが、フィービーもギャニミードに恋してしまい……。

実は、オーランドーとロザリンドが妙なやり取りをしている一方で、アリーナに扮したシーリアとオリヴァーは一目で恋に落ち、タッチストーンはオードリーというおつむの少し弱い女(入絵加奈子)を見つけて恋仲になろうとしているのである。オーランドーとロザリンドの恋だけが回り道をしていることになる。恋について語る役割でもあるといえるのだが(オーランドーが「恋のために死にたい」というと、ロザリンドに扮したギャニミード正体はロザリンドというややこしい人物が、「人類の歴史は6000年あるが、これまで恋で命を落とした男はいない」と答えるなど)。

「この世界はすべてこれ一つの舞台、人間は男女を問わずすべてこれ役者にすぎぬ」というセリフを語るのは、オーランドーの次兄・ジェークイズ(橋本さとし)である。オーランドーから「憂鬱病」と称される彼は、「お気に召すまま」の登場人物の中でかなり異色の存在である。恋の物語になぜ厭世家が紛れ込んでいるのか。ジェークイズを見ていると、「お気に召すまま」が単なる喜劇には見えなくなる。
時について語られる場面がいくつかある。オーランドーやギャニミードのセリフに出てくる。だが、時について最も語られるのがジェークイズの「この世界はすべてこれ」で始まるセリフの後半である。人間には7つの時代があるとされる。「赤ん坊」「子供」「恋する若者」「軍人」「裁判官」「老人」「そして再び赤ん坊。忘却へと帰る」。いずれも良いイメージでは語られない。これは何を意味するのか。
恋する人達の中で厭世家のジェークイズが滑稽に浮かぶ上がるという説もあるが、少なくとも今回の上演ではそうは思えない。ジェークイズは精神的に老いた男で恋する若者達を俯瞰で見ているのか。あるいはジェークイズは未来の視点からヒッピー達を見ているのか。
1967年のアメリカに設定が変わっていることを考えれば、その後のアメリカ史と重ねているという解釈も出来る。1969年のウッドストックで、音楽のムーブメントは変わり(イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」ではそのことが暗示されているとされる)、ベトナム戦争は1975年にアメリカ建国以来初の負け戦として終わる。

マイケル・メイヤーの演出は、俳優にかなり細かな演技をつけたもので、「カッチリした」という言葉が一番ピッタリくる。日本人がやっているとお堅く見えるレベルだ。
また音楽を多用して賑やかな舞台にしており、政治都市ワシントンD.C.から離れた理想郷(一種のカウンターカルチャー)を企図しているように思う。

ラスト(エピローグ)のロザリンドの口上は、柚木礼音が歌を加えて披露した。

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2017年3月19日 (日)

笑いの林(84) 「EVEMON TKF!」2015年9月28日

2015年9月28日 大阪・南船場のコラントッテホールにて

コラントッテホールで午後7時から「EVEMON TKF!」を観る。MCは、たむらけんじ。出演は、ヘンダーソン、kento fukaya、ムニムニヤエバ、モンブラン、ヒューマン中村(以上、持ち時間5分)、マッスルブラザーズ、カベポスター、ゲラゲラ星人、バターぬりえ、ガンバレルーヤ、ストライク佐竹(以上、持ち時間2分)、数学AB、カバと爆ノ介、ゆりやんレトリィバァ、桜 稲垣早希、もう中学生(以上、持ち時間5分)、藤崎マーケット(持ち時間10分)

福山雅治と吹石一恵結婚の号外が出たということもあり、たむけんは「千原ジュニア結婚の話題、一瞬で飛んでしもた」と言っていた。たむけんが、「吹石一恵って、兎の子?」と聞くが誰も知らない。後でたむけんが調べたところによると吹石一恵は福山の家を訪ねるのに兎を連れていって「恋愛ではない」ということにしていたそうである。ちなみに福山と噂になった女優(小西真奈美、柴咲コウ、白石美帆など)をスマホで調べながら挙げて、「えげつないな」と一言。福山雅治は結婚しないため、ホモ説もあったそうだが、あんなエロ話好きな人がホモのわけがない。

ヘンダーソン。中村が自己紹介をした後で、相方の子安のことを「氷川清のバッチモン(偽物)です」と紹介する。子安が「夏祭りを楽しまないで夏を終えてしまった」と後悔しているということなので、中村が夏祭りの音頭を歌い、子安が踊ることにする。しかし、中村が歌うのは「気にしない音頭」で、夏なのに「こたつの電源抜くのを忘れちゃったけど気にしない」「今日こたつが届くので気にしない」とこたつのことばかり歌う。今度は「大丈夫音頭」であるが、「自転車に轢かれたけど大丈夫、バイクに轢かれたけど大丈夫、車にはねられたけど大丈夫、バスにもはねられたけど大丈夫」とどこまでダイハードなのかわからない妙な歌となっていた。

kento fukaya。フリップ漫談。英語と日本語を織り交ぜて、子供がよくやりそうなことを描写していくというネタである。kento fukayaは金髪で縮れ毛のカツラをかぶり、付け鼻をしている。
“for example(例えば)”として、「小学生にジャポニカ学習帳を与えると」→「やたら複雑な迷路を作る」という風になる。

モンブラン。大道芸をこなす芸人であるが、今日は手品といっても、タネがバレバレのもので、それで笑いを取るというネタである。

ヒューマン中村。知能犯的な風貌を生かしたサイコパスネタ。男が女子高に侵入して、教師を薬で眠らせ、教室をジャックするという猟奇的展開。ヒューマン中村演じる男は理系のようで、数式を使って、1と0.99999999……が近似値であることを説明する。そして、「自分は女子高のそばに住んでいるのでほとんど女子高生だ」とわけのわからないことを言う。ちなみにJK(女子高生)とHN(引きこもりニート)を平行線で書いて、そこの補助線を引いて角度を作り、JKH(女子高入ります)とKHN(籠もって八年目)は同じだという。最後は、警備員に連れ出されるのだが、「お前、文系だろ!」と文系を見下す発言をする。

2分組、マッスルブラザーズ。「よしもと漫才ライブ」の、「吉本極(きわみ)新喜劇」で前説と出演をしていたコンビである。二人合わせて280キロという巨漢である。というわけで体型をいじるネタなのであるが、今一つピンと来ない。会場の中で巨漢なのは二人だけなので、それが本当のことなのかどうかわからないということもある。

今日の2分組は、今一つで、バターぬりえのネタも「これ笑っていいのだろうか?」だったし、ガンバレルーヤのネタも「二人とも亀梨和也のファンで、亀梨は脇毛は伸ばしているので、二人も脇毛を伸ばしている」というなんだかなあの設定。ストライク佐竹は、フリップネタをやり、いかつい男のセリフを女版に変えるというものだったのだが、「タマ取ってこいや」が「すっぴんで出向け」とイコールになっているとは思えない変化をしていて笑いは取れず、たむらけんじとヒューマン中村から駄目出しされる。

数学AB。モデルネタをやるのだが、余り笑いは取れないと思われる。

カバと爆ノ介。自動車に乗ったカバと、自転車に乗った爆ノ介が事故を起こしそうになり、互いに相手が悪いと罵っている。だが、自動車から降りたカバは人が変わったように大人しくなってしまう。実は自動車から降りた時のカバが地であり、ハンドルを握ると性格が変わってしまうのだという。爆ノ介もスタジャンを着ていると凶暴になるが、脱ぐと大人しくなり、これが素の性格だといういう。ということで、互いに慰め合うが、爆ノ介がスタジャンを着て、カバがハンドルを握ると再び怒号が飛び交うというところで溶暗となった。

ゆりやんレトリィバァ。ピンクのカツラをかぶり、グレーのレオタードという奇抜な衣装で登場したゆりやんは、8ビートのリズムに乗って、ラップで質問に答えるという芸を行う。「靴下履かずに靴履いて出掛けた。靴脱いで上がるお座敷の店に入ることになったどうしよう? コンビニで買え!」、「この世から自分以外の人がいなくなったらどうすればいいの? 探せ、すぐに探せ、どっかそのへんに絶対(誰か)いる」といった調子で、当たり前のことしか言っていないのだが、スタイルが奇抜なため、アイデアに勝った出来となっている。

桜 稲垣早希。「ゆりやんの後でやるのは嫌です!」と宣言して笑いを取ると、まず「それではみなさん、エヴァンゲリオン!」と言った後で、お客さんの一人が「発進!」と返したので、「そこまで言えとは言っていません」と言って笑いを取る。その他、早希ちゃんに向かって「あんたバカぁ~?!」と言った人には早希ちゃんが作ったバルーンアートをプレゼントする。子供や女性が優先なので、早希ちゃんのファンは手を挙げない。

今日は「シンクロ率」をやる。持ち時間が5分であるため後に続く「関西弁でアニメ」は今日はやらない。「カレーライス」と「福神漬け」はシンクロ率80%、「仔犬」と「段ボール」は89%、「おじさん」と「段ボール」は92%、「草彅剛」と「冨永愛」は85%、「浜田ブリトニー」と「倖田來未」は100%、「カイジ」と「ハイジ」は僅かに2%、「加藤愛」と「阿藤快」は97%、「カジキマグロ」と「松方弘樹」はシンクロ率79%で、「松方弘樹の本業は今は俳優ではなく漁師です」と断言する。

もう中学生。段ボールネタをやるのだが、まず何故か客席に向かって土下座。「バスケットボール」ネタをやることにしたのだが、太ももを痛めて少し休憩。午後9時に起きるはずが午前10時に起き、取りあえず体育館に行くというところで、背景の段ボールが裏返って地図になるが、すぐに着いて終わり。……これでいいのか?

次は、農村ネタであるが、やはり、「……落ちは?」と思っているうちにネタは終わってしまう。ちなみに、もう中学生はこの後も仕事があるそうで、お見送りのハイタッチには参加せずに帰った。

持ち時間10分の藤崎マーケット。イラッとする物真似をやる。レストランで、やたら長い名前を持つメニューが並び、田崎がそれを読み上げて注文しようとすると、トキが途中で「サラダですね」、「唐揚げですね」とショーカットしてオーダーを取ってしまう。

次いで、トキが芸能界を引退し、田崎が再び漫才を一緒にやろうと呼びかけに行くという設定のコント。トキは何故かアメリカのテキサス州でトウモロコシ農園を営んでおり、ヘリコプターを運転して農薬を撒いたりしている。現実味のない設定にしてトキが演じるトキの妻やトキの使用人などのセリフを散りばめ、現在のトキとの落差で笑わせようとするネタであった。

コーナー。今回は純粋なクイズである。参加者は、ヘンダーソン、kento fukaya、ヒューマン中村、バターぬりえ、ガンバレルーヤ、カバと爆ノ介、ゆりやんレトリィバァ、藤崎マーケット。今日は団体戦ではなく個人戦である。

1問目。「up」の下に「on」とあり、右端に「↑」が書かれている。「この文字が表しているのは何屋さんでしょうか」という問題。英語やローマ字は縦読みにしないのでちょっと苦しいのだが、逆から読むと「udon」になるので、「うどん屋」が正解である。トキが「冗談で答えた」つもりが正解で一抜け。だが、その後、正解が出ない。仕方がないので、最後の方は私もカーブを投げる時の手つきをして「チェンジチェンジ」とジェスチャーを送る(私は今日は前から4列目)。

2問目は、様々な言葉が書かれた帯が配置された中で、空白になっている帯がある。「その帯の中に入る山の名前を答えなさい」という問題。ボード上に描かれた帯はバラバラに配置されているのだが、順番通りに並べると「海老」「CD」「良い絵」「??」「英知」「愛」「自営」と、アルファベットを当て字にしたものである。正解は当然ながら「富士」となる。「山の名前」といっても、知られている山の名前は限られているので、正解は出やすい。ヒューマン中村は、「K2(世界で二番目に高い山)」と答えるも、たむらけんじはK2を知らず、私の横にいた吉本の関係者に「K2ってあるの?」と聞く。吉本の関係者の方も、横にいた私も「あります」と答え、更に私は「カラコルム2です」と補足をしてしまう。いつも説明掛かりになっているので、つい補足が出てしまうのである。

チケットよしもとでチケットを買ったお客さんには、くじ引きで当たった整理番号を持つ5名の方に、出演者全員のサインの入った色紙がプレゼントされるのだが、ラスト一人に私は選ばれる(整理番号39)。好きな芸人さんから色紙が貰えるのだが、1番目の方が早希ちゃんを指名したため、私も本当は早希ちゃんが良かったのだが「散らそう」と画策。ヒューマン中村さんが「自分が指名されることはないな」と油断しているのを確認したので、当たったらヒューマンさんで行こうと決め、実際に指名する。常連でない芸人さんは気付かなかったが、少なくともたむけんさん、早希ちゃん、ヒューマンさんは私が早希ちゃんのファンだと確認していたはずで、ヒューマンさんも、「え!? 僕?!」と驚いていたし、たむけんさんも「絶対早希ちゃんやと思ってた」と意外そうであった。ヒューマンさんは、「早希ちゃんにも(色紙を)触らせますので」と言い、早希ちゃんも実際に色紙を撫でる。私は右手を上げて、二人に「すんません」と示す。ヒューマンさんは私に色紙を手渡すときに「どうして僕なんでしょう?」と聞く。私は「トークライブにも行っていますので(これは本当である。「猫町通り通信」にも「鴨東記」にもアップしてある)」と答えた。実際は、早希ちゃんだけ特別ということにはしたくなかったので一人一枚になるよう散らしたのであり、野球に例えると、みんなが私はストレートを投げる思っていたため、裏を掻いてフォークで落としたのである。勿論、全員空振りである。

お見送りのハイタッチの時もヒューマンさんは依然として不思議そうであり(これは気配でわかった)、早希ちゃんの前では私はちょっと微笑んで、「悟ってね」というポーズを作る。早希ちゃんに通じたかどうかはわからないが。

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2017年3月18日 (土)

笑いの林(83) 「コントグランド花月」2017年2月17日

2017年2月17日 なんばグランド花月にて

午後7時から、なんばグランド花月(NGK)で、「コントグランド花月」を観る。とにかくコントだけを上演するという試み。といってもこの試み、今回が18回目だそうである。もう試みではなくて企画の範疇だ。
MC&出演はテンダラー。その他の出演者は、セルライトスパ、シソンヌ、タイムマシーン3号(太田プロダクション。ゲスト出演)、ビーフケーキ、桜 稲垣早希、野性爆弾、ロックンロールブラザーズ、蛙亭、ビスケットブラザーズ、おたまじゃくし、大自然、アキナ、スマイル、かまいたち(登場順)。

まずはMCであるテンダラーの二人が登場し、浜本が「コントグランド花月」が18回目であることを告げたのだが、「1度でも観に来たことがあるという人」と聞くと、数名が手を挙げただけで、テンダラーの二人は共に「すくな!」「リピート率低い」と口にしていた。浜本が「なんばグランド花月に来るのは今日が初めてという方」と聞くと、結構、多くの人が手を挙げる。浜本は「初のNGKがコントグランド花月。お前らもう二度と観に来んやろ!」と客席に突っ込む。
コントだけ立て続けに観るというのは飽きが来やすい上に、体力や集中力も必要だったりするため、常連客が生まれにくいのかも知れない。


セルライトスパ。今日は舞台奥に巨大モニターが用意されており、セルライトスパの出番の時は、バーの店内の写真が映し出されていた。
カウンターがあり、大須賀健剛がバーのマスター役である。肥後裕之が客としてやってくるのだが、肥後が席に着いた瞬間に、大須賀が「あちらのお客様からです」と言ってグラスを出す。「はや!」と驚く肥後。今日が初の来店なのに、なぜ奢られるのか不思議に思う肥後だったが、大須賀は「座り方がよろしかったんじゃないですか」
しかし、出されたのはただの水であった。「向こうのお客様からも」と言って水が出され、外国人のお客様からもというところで肥後が「どうせ水でしょ」というも大須賀は「いいえ、Waterです」、肥後「水やん!」
肥後はビールを注文するも大須賀が出したのはミニサイズの缶(70円)である。肥後は先程の3人にビールを奢るとするが、大須賀は今度は普通サイズの缶ビール(150円)を出して3人に渡そうとする。肥後は「そのサイズの缶あるの?」「ここ、ぼったくりじゃないでしょうね?」と聞く。ただ、缶ビールの値段は普通か安めの設定である。ちなみにビールは3人が3人とも「いらない」と断ったそうだ。
面白くないので肥後が店を出ようとすると、大須賀は「8万6千円になります」と言い、肥後に「どこが?」と聞かれた。


シソンヌ。長谷川忍が父親、じろうが息子という設定でコントは進む。じろうは引きこもりで、もう何年も家から出ていないのであるが、ひょうきん者であるため暗い感じは全くしない。
じろうがリビングから出て行ったときに、忍がテレビをつけるとドキュメンタリー番組が流れている。部屋に籠城してもう2年半になる息子を、専門のスタッフがやくざまがいの恫喝で無理矢理連れ出すというものである。じろうが戻ってきたので忍はテレビを消す。忍はじろうに「引きこもりじゃないよな」と聞き、じろうは否定するも「内面は明るい外からは引きこもり」などと変な理屈がついている。
じろうは、「いっそのこと、引きこもりを極めようか」と自室から出ない引きこもりに深化することを提案するのだが……。


タイムマシーン3号。中仕切り幕が降りている。山本浩司と関太(せき・ふとし。芸名である)がエレベーターに閉じ込められたという設定。山本がエレベーターの非常用ボタンを押して文句を言っている。山本は紫色の背広、水色のカッターシャツ、黄緑のネクタイという姿だが、関に「ひょっとして(エヴァンゲリオン)初号機さんですか?」と聞かれる。山本は「テレビに出ている」というも、関はアーティストかと思い、「back numberの」と言って、山本に「back numberのボーカルちゃう!」と言われる。山本は関に「あんたこそテレビ出てそうや」と言う。関は外見が六角精児に似ているのだが、山本が「『相棒』の」と言うと、「水谷豊か」と照れ気味に言って、山本に「そっち行く?」と突っ込まれる。
関は、マヨネーズのキャップを開けると貼ってある銀紙を手作業で付けるという仕事をしているそうだが、「銀紙を5枚集めて送ると」→「送り返される」、「100枚ためて送ると」→「達成感がある」という調子で鬱陶しい。
山本は、「山本浩司や」と言い、関は「あの俳優の?」「ファンなんです」「身長173cm」と身長まで知っているファンであることが判明する。ただ関が「新潟の」と言い、山本が「そう新潟市出身で」と答えると関も「自分もだ」と示し、関に「新潟のどの辺りですか?」と聞かれた山本が「(新潟)駅からは大分歩くんだけど」と語り始めると、関も「僕も大分歩くんですけど」と言った上で「群馬」と隣の県を言ってしまい、山本に「ずいぶん歩いたなあ」と呆れられる。
関は、副業もしていて、映画館で本編上演前に流れる映画泥棒の広告で、映画泥棒を演じているのが自分だという。映画泥棒のツイッターのフォローをしている2人とうちの1人が自分だと山本は打ち明けるのだが、もう1人の女性を名乗っているフォロワーの正体は実は関本人だった。ファンが少ないので自分でフォローし、女を装えば女性がフォローしてくれるかなと思ったそうである。
最後は奇遇にも二人はある有名着ぐるみコンビの中の人達だったということで感激で抱き合って終わる。


ここでテンダラーによるMCが入る。シソンヌとタイムマシーン3号も参加。事前アンケートで出演者に聞きたいことを募集したのだが、シソンヌには「大阪を避けていませんか? 大阪で単独公演をやって欲しい」という要望がある。東京吉本所属のシソンヌであるが、大阪を避けているわけではなく、経済的理由で大阪公演が打てないそうだ。


コント第2部。ビーフケーキ、桜 稲垣早希、テンダラー、野性爆弾が登場する。

ビーフケーキはゴミの分別ネタ。新しいマンションに引っ越してきた松尾充駿(まつお・みつとし)が、先輩住人の近藤貴嗣(こんどう・あつし)に「今日が燃えるゴミの日かどうか」を聞き、「ゴミの分別が正しいかどうか」も見て貰う。近藤によると今日は「燃えそうなゴミの日」であり、確実に燃える衣服を出してはいけないそうである。また、車のナビゲーターは「話すゴミの日」に捨てるそうで、ナビゲーターのアンテナは「伸びるゴミの日」に、伸びた状態で出す場合は「伸びたゴミの日」に出さなければいけないとややこしい。またポッキーは「ポッキーの日」である11月11日に出さなければいけないそうだ。


桜 稲垣早希。早希ちゃんもコントネタは持っているのだが、一人だけピンで、ピンのコントネタをするよりもということなのか、フリップ芸の「キスから始めよう」のロングバージョンを行う。フリップは背後の巨大モニターに映る。
「バカシンジ! あんたなんか大嫌い!」と怒るアスカにシンジがいきなりキスをして、アスカが顔を赤らめながら、「あんた……、バカ……」になるところから始まり、「ドラゴンボール」の孫悟空が、「みんな、おらに元気を分けてくれ」と両手を挙げている絵が描かれているが、「折角、手を挙げたんだからそのまま壁ドンして」と、孫悟空がチチに壁ドンして、「チチ、おらに元気を分けてくれ」となり、キス。だが孫悟空は「チチ、お前ほかの男のこと考えてたろ?」と聞き、チチが曖昧な態度を取ったので、「クリリンのことか!」と本当は別の場面のセリフを持ってくる。
ゲーム「ドラゴンクエスト」のボスは、「世界の半分はお前のもの」と言うそうであるが、これを「私の世界の半分はお前のもの」と自身の世界からのプレゼントに変えてしまう。
「ドラえもん」からは、壁ドンして、しずかちゃんに迫り、「俺のものは俺のもの、お前のものは……」と言って、しずかちゃんに「あなたのもの」と言わせるジャイアン(キスする時の絵はイケメン風に変わっている)。早希ちゃんは、「ジャイアンもキスできる時代になりました」と言う。
バタコさんに婚約指輪を贈るアンパンマン、「見ろ人がゴミのようだ」というムスカのセリフが「見ろお前の美しさの前では人がゴミのようだ」とシータの美貌を讃えるものに変わるなど、R-1の時に入れたネタも入っている。
「天空の城ラピュタ」からもう一組。パズーが「ドーラおばさん、僕はあなたを愛しています」と謎の告白をする。ドーラは「40秒で支度しな」とキスを迫るが、パズーは「バルス」という滅びの呪文を言ってしまう。
「タッチ」では、上杉和也が亡くなったときに、上杉達也(達也役の声優をしていた三ツ矢雄二が、最近になってゲイであることを告白したが(以前から「グレーゾーン」とは言っていた)、隠していた理由は「企業に勤めている兄に迷惑が掛かるから」であり、兄が定年退職したためカミングアウトに踏み切ったそうだ。「逆に男らしいじゃないか」と思ったのだが、今もまだ同性愛者に対する差別が根強いのだということも実感した)が霊安室に横たわる和也の死に顔を見て泣いている浅倉南に向かって「綺麗な顔してるだろう」と語る場面で、南は自分の顔を褒められたのだと勘違いして、「いい子だぞ!」と言って達也にキスしてしまう。
「北斗の拳」のケンシロウのように、少年マンガの主人公は怒ると筋肉で服が破れることが多いのであるが、少女マンガの場合は胸がはだけるというケースになるので、ケンシロウが女だと発覚して、「お前はもう死んでいる」「アベシ」と言い合いながらキスする流れとなった。
今日は若い人が比較的多くて、アニメの意味が伝わりやすいためか、ドッカンドッカン受ける。


テンダラー。単独公演でも観た「仲居の窓」。おんぼろ旅館の一室に通された白川悟実。だが、部屋に浴衣がない。そこでフロントに電話を入れるのだが、「担当の仲居に繋ぎますので」と言われる。待ち時間の音楽は氷室京介の「Kiss Me」。氷室が好きな白川は、受話器を握りながら「Kiss Me」を歌って踊るのだが、「キス」と言ったところで電話が繋がる。「キス? 鱚の天ぷらですか?」と言われ、白川が否定すると「担当の仲居に繋ぎます」、待っている間の音楽は今度は布袋寅泰の「Poison」。
突然、背後に飾られた絵が引き戸になって開き、仲居の浜子(浜本広晃)が顔を覗かせる。迅速なサービスが可能なように、客室の横に仲居の部屋があり、客席に向かって開く仲居の窓があるのだそうだ。白川は浴衣を頼むが、浜子はなぜかレザーの上下を用意してしまう。

テレビをつけようとした白川。だがテレビはウンともスンともいわない。浜子を呼ぶと、「お客様、申し訳ありません。当旅館、まだ地デジ対応しておりません。分配器をお持ちでしょうか?」と聞かれる。「持ってるわけないやろ!」とキレる白川。仕方なくラジオで我慢することにしたが、浜子の部屋からは「探偵ナイトスクープ」のオープニング音楽が聞こえる。浜子は分配器を持っているのでテレビを見ることが可能なのだそうだ。

そうこうしていると、浜子の部屋に料理長がやって来て……。

白川は、「一昔前のイケメン」「ぽっちゃりイケメン」などと言われていた。


野性爆弾。
UMAのビッグフットを捕まえるために木を掻き分けて森の奥へとやって来たロッシー。だが、待ち合わせ時間に相方の川島(今は「くっきー」という芸名だが、今回は本名で呼ばれる)が来ない。やっと来たと思ったら、全身に熊よけの鈴をつけていてジャラジャラとうるさい。「熊は怖いっしょ」という川島。今回は川島は語尾が「~っしょ」になる北海道方言で喋る。
着替えてきた川島だが、モンゴルの民族衣装のようなものに変わっており、ロッシーから「なんやそのアジアンテイスト」と言われる。川島はジーンという酒をやたらとロッシーに薦める。
川島はビッグフットを捕まえるための巨大な鈴を持ってきたのだが、音も巨大で二人とも気絶してしまう。


MCのテンダラーが登場。早希ちゃんと野性爆弾の二人も呼ばれる。早希ちゃんへの質問は「ペットを飼っているそうですが、仕事で部屋を空けている間も大人しくしていますか?」。ロンギヌスという猫と量産型というインコを飼っているという早希ちゃん。ちなみに早希ちゃんは、「インコ一匹」と言っていたが正確にはインコも鳥なので「一羽」である。
野性爆弾への質問は、「どうやったらロザンの菅ちゃんと友達になれますか?」。ちなみに「見に来た芸人は」の欄には「アキナ」と書いている人からの質問である。くっきーは、「特にロザンと親しいというわけでもないのに、なんでこんな質問が来たんでしょ?」と訝る。「僕に聞くよりもその辺のクイズ公演行った方が良いんじゃないですか?」

ロザンは京都市交響楽団オーケストラ・ディスカヴァリーのナビゲーター(進行役)の常連なので、その時に多分、会えます。


若手芸人達によるミニコント。

ロックンロールブラザーズは、ビニール袋を捨てられた猫だと勘違いした二人の話。木本悠斗(きもと・ゆうと)は近づいてすぐにビニール袋だと気づいたのだが、学生服を着た重本卓也の方がずっと気がつかず、餌を与えようとしてから持ち上げてやっとビニール袋だと気づく。木本に見られていたと知った重本は誤魔化すために更に猫だと思い込んでいる男を続けてしまった。


蛙亭は、中野周平が、「時間を止められる装置を発明しました」と言い、「同じクラスの岩倉さんが好きなのですが、告白する勇気がないので、これで時間を止めて、岩倉さんに好きなことをやりたいだけやろうと思います」「いけないことだとはわかっているんです。でも一線を越えちゃいました」。だが、そこに現れた岩倉美里は中野に対してとってもフレンドリーに接してくれるため、装置が使えない。そして「これだけ優しくしてくれるなら」と「岩倉さん、つきあって下さい」と告白するも、岩倉は、「ごめんなさい。私、彼氏いるんです」、とここで中野は時間を止めてしまう。そこで岩倉に近づくも、結局、「上を向いて歩こう」を歌って、悲しみを伝達しただけで装置の機能を解除して去る。岩倉は、「でもこれからも……あれ、私、なんで泣いてるんだろう?」

蛙亭というのはとても演技力の高いコンビであり、ネタを作る岩倉美里が不思議ちゃんキャラということもあって、かなり個性的なネタで仕掛けてくる。要注目のコンビである。


ビスケットブラザーズ。一児の母と、その友達の夫の話。本当は友達が来る予定だったのだが、都合により、夫だけが来ることになった。彼は仕事が忙しく、家事や育児に割く時間もなくて幼児とどう接すればいいのかわからない。そこで、赤ちゃんのあやし方を教えることになるのだが……。


おたまじゃくしは、中西亮太が「ちまたのそれっぽい人」の物真似をする。「酒も煙草もがんがんやってるのに80まで生きてるお婆ちゃん」、「インドネシア料理店アパアパの店長」、「イオンにたびたび服を買いに行く若者」、「スーパー玉手でお総菜が半額になるのを待っているおじさん」などに扮した。


大自然は、「子供の悩みをヨットに乗りながらさりげなく聞くアメリカ人の父親」。ヨットに乗り、「鴎だ」と指さして見上げながら「Facebookやめたんだって?」と聞いたり、ダツという危険な魚に襲撃された後で、「この頃、チャイナタウンに頻繁に通ってるんだって?」と聞いたりする。


テンダラーによるMC。浜本は「ブラザーズってコンビ名、流行ってんの?」という。ビスケットブラザーズの方が先輩だそうだ。ロックンロールブラザーズの二人は年齢不詳系だが、23歳とまだとても若いことが判明する。
浜本は、蛙亭の二人に「どっちがネタ作ってるの?」と聞く。中野が「ほぼ全て岩倉さん」と答えると浜本は中野に「え? じゃあ、(中野は)何もやってへんの?」と更に聞く。中野は「僕はサポートを。小道具持ってきたり」と話していた。浜本は「稽古どこでしてんの? 自分の部屋で?」と聞くと、岩倉は「中野君ち彼女いるし」と言う。中野は現在、自宅で彼女と共に過ごしているそうで、「部屋で(蛙亭の二人で)稽古をすることはない」そうである。


コント第3部。アキナ、スマイル、かまいたちが出演する。

アキナ。舞台は料亭である。仕事でミスをした秋山が調理場担当から掃除係に降格されそうになっている。秋山は料理長の山名に何度も謝罪するのだが、山名は「帰れ!」、「はよ帰れ!」としか言わない。秋山がようやく帰ると、それを確認した山名は服を脱ぎ、エロ本を取り出し、だがそこに秋山が……。


スマイル。ジョン・ウィリアムズ作曲の「E.T.」のテーマが流れ、ウーイェイよしたかがE.T.の扮装で下手から現れる。よしたかは、「E.T.家に帰った。ママただいま」と何度も繰り返す。だが家に母の姿はない。そこへ、上手からE.T.のぬいぐるみが投げ込まれる。ぬいぐるみを見てよしたかは、「ママ! 死んでる!」と驚く。「カルミナ・ブラーナ」より“運命の女神の歌”が流れ、上手から全身銀色タイツで、目と口の部分を黒く輝かせた宇宙人(中は瀬戸)が登場。よしたかは、「種類、違う!」と言いながら後ずさり。瀬戸が演じるリアルな宇宙人(本物のリアルな宇宙人がどんなものかはわからないが)は、E.T.を一撃で伸す、かと思いきやE.T.は案外強く、リアルな宇宙人に蹴りを入れ、最後は自転車に乗ってリアル宇宙人を追いかけ回す。


かまいたちのコントが始まるが、スマイルが小道具として使ったE.T.のぬいぐるみが舞台上に落ちたままである。それに気づいた観客が笑い始める。
濱家がスーパーの店長、山内が万引き犯という設定である。店長室で万引き犯のおばちゃん(山内)が店長に説教されている。おばちゃんは「もう二度としません」と言うが、店長は「盗ったもん全部出して」という。おばちゃんは、ミニトマトなどを出すが、「まだあるでしょう」と言われて、大根を出す。だがまだあって、調味料3箱、別の味のものを3箱盗もうとしていた。「味比べしようとするのやめて」と店長は言う。だが、おばちゃんは、事務所に忍び込んで金庫から現金を盗み出していたそうで、店長も「もう窃盗じゃなくて強盗でしょ」と呆れる。店長は「全部出して」と続ける。買い物袋からしてその場で盗んだものだったのだ。だが実は衣服もカツラも店で盗んだもので、実際はおばさんではなくておじさん。「そんな格好で店入ってきたらアルバイトの初日の子だって怪しむわ」と店長は更に呆れた。

E.T.のぬいぐるみは、途中で濱家が気づいて、二度見してしばらく眺め続けてから上手に放り投げたのだが(山内はアドリブで「それは私のではありません」と言っていた)、濱家は、「そこが笑い声MAXやったよな」と言う。ぬいぐるみが落ちていることに気がつかないで演技していた時は、「普通のことしか言ってないのに思いっきり笑いが来るので、笑いの天才になったんちゃうんかと思った」そうである。

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2017年3月17日 (金)

観劇感想精選(203) 第3回勘緑文楽劇場公演「エディット・ピアフ物語」

2017年3月5日 大阪・日本橋の国立文楽劇場にて観劇

午後4時30分から、大阪・日本橋(にっぽんばし)にある国立文楽劇場で、第3回勘緑文楽劇場公演「エディット・ピアフ物語」を観る。


勘緑文楽劇場は、元文楽協会技芸員で、現在は人形座「木偶舎(もくぐしゃ)」主宰である勘緑が人形浄瑠璃の新しい可能性を求めて、2012年1月に33年在籍した文楽座を辞して始めた新文楽である。勘緑は、現在、人形浄瑠璃とくしま座芸術監督、筑前艶恋座代表でもある。

洋服を着た人形が行う文楽を観るのは、今回が初めてである。シャンソン歌手の代名詞であるエディット・ピアフ(本名:エディット・ジョヴァンナ・ガション)の生涯を文楽で描こうという試み、文楽だけでなく、講談、シャンソン、フレンチジャズ、マジック、アクロバットなどあらゆる要素を取り入れたSHOWになっている。

講談師を務めるのは、4代目・玉田玉秀斎(たまだ・ぎょくしゅうさい)。2000年に大阪市立大学法学部を卒業後、司法浪人をしていたが、「講談師も弁護士も最後に“し”がついてるから一緒や」と旭堂南陵に言われて講談師になったという変わり種。日本語の他に英語、スウェーデン語をこなす。1993年から翌年にかけてスウェーデンへ交換留学に行っており、ストックホルムで行われたノーベル賞の授賞式にも参加しているという。昨年11月に4代目・玉田玉秀斎を襲名したばかりである。

今回の公演では、義太夫の代わりに玉田玉秀斎が全ての語りをこなす。

玉秀斎は舞台下手に陣取り、舞台上手がバンドスペースとなっている。演奏者は、川瀬眞司(ギター、音楽プロデューサー)、山本佳史(ギター)、中村尚美(ウッドベース)、かとうかなこ(クロマチックアコーディオン)、高橋誠(ヴァイオリン)。シャンソン歌手のZaZaがヴォーカリストとして参加し、パフォーマーのKAMIYAMAがマジックとパントマイム、吉田亜希がアクロバティックダンスを行う。

開演5分前に、勘緑が人形を使いながら舞台から客席に降りてくる。KAMIYAMAらパフォーマーもそれに従う。


まず、バンド陣が「シャレード」のテーマを引いてスタート。客席後方から、子供の人形が現れる。声は玉田玉秀斎が担当する。「おかーさん、もうすぐ会えるんだね! 色々歌って欲しいな」と子供は言いつつ舞台上に上がり、退場する。この人形は後にエディット・ピアフの娘、マルセルであることがわかる。

ラジオのチューニングの音が流れ、「歌手のエディット・ピアフさんが亡くなりました。享年47歳でした」と伝える。

そして、舞台上に今度現れたのはモヒカン刈の男。ピアフの父親であるルイスである。ルイスは己の惨めな境遇を全部人のせいにする。
ピアフは生まれてすぐに母親が逃げ出し、父親のルイスに育てられるのだが、ルイスも元々人間が悪く、実の娘を母親が営業する売春宿に売る。ルイスの母親も「娘を売るなんて、ろくでなし!」と言うが、結局、高値で引き取る。売春宿には仕事のしすぎでもう子供が産めない体になってしまった娼婦のティティーヌがいた。ティティーヌはピアフを実の子供のように可愛がる。ピアフが歌を覚えることが得意なのに気づいたティティーヌはピアフに歌を教える。フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」などを歌った。
だが、ピアフは目を病み、視力を失ってしまう。ティティーヌは様々な薬を試すが効果はなく、後は神頼みしかなくなる。聖地に巡礼するティティーヌとピアフ。すると不思議なことにピアフの目が見えるようになった。
だが、目が見えるなら役に立つということで、ルイスが自分が経営している見世物小屋にピアフを入れようと迎えに来る。ルイスの手下役のKAMIYAMAと吉田亜希もそれに従い、人形と人間が争うという珍しい場面が演じられる。

見世物小屋の場面。KAMIYAMAがブリーフケースを使ったパントマイムを行い、その後、マジックも披露する。そして舞台上から赤い布が2枚降りてきて、吉田亜希がそれを伝って上にあがり、サーカスのようなアクロバット芸を披露する。

そして、ピアフの初舞台。ピアフは「ラ・マルセイエーズ」を歌い(歌はZaZaが担当)、大反響を呼んで、歌手、エディット・ピアフが誕生するのだった。

パリの劇場で歌ったピアフは、小柄な体から放たれる圧倒的な歌で大成功。フランス語で雀を意味する俗語の「ピアフ」の名で呼ばれるようになる。


有名ナンバーは、「パリの空の下」、「バラ色の人生」、「愛の賛歌」、「パダム・パダム」、「群衆」、「水に流して」などが歌われる。

16歳になったピアフは、プティルイという男性と結婚。女の子が生まれ、マルセルとピアフは名付ける。だが、マルセルは病に倒れ、早世してしまう。嘆くピアフ(この場面ではアコーディオン奏者のかとうかなこが舞台の中央まで進み出てクロマチックアコーディオン(ボタン式アコーディオン)を弾き、ピアフがアコーディオンにすがろうとする。その後、マルセルは天国からピアフを見つめる役をする。

戦争が始まり、ピアフはパリを占領したドイツ将校のために歌うが、それでフランス人捕虜収容所に慰問に行く権利を手に入れる。ピアフは収容所に入っては、捕虜を逃がす作戦を決行した。

戦後、ピアフはボクサーのマルセル・セルダンと出会い、恋に落ちる。「なぜあなたは悲しい歌ばかり歌うのですか?」というセルダンにピアフは「本当に悲しいからよ」と答える。だが、歌うことが自分に出来ることと考えるピアフは歌い続ける覚悟もしていた。
ピアフとセルダンは、フランス民謡「月夜(月の光に)」のメロディーに合わせて踊る。

多忙ゆえに会えなくなったピアフとセルダンであるが、ピアフがニューヨークでコンサートを行う時期に、セルダンもニューヨークでタイトルマッチを戦うことになった。
ピアフはセルダンのために「愛の賛歌」を用意して待っていたが、セルダンを乗せた飛行機が墜落。ピアフは最愛の人を失った。関係者は当日のコンサートを中止にしようとしたが、ピアフは決行を決意し、全身を振り絞るようにして「愛の賛歌」を歌う。

セルダンの死によって抜け殻のようになってしまったピアフは、酒、煙草、ドラッグに溺れ、40代とは思えないほどに老け込んでしまった。そんなある日、ピアフはテオ・サポラという青年と出会う。「みんな自分を利用して金儲けをしているだけだ」と言うピアフに、テオはピアフの歌の素晴らしさを語る。復活したピアフはオランピア劇場でコンサートを行い、大成功。1時間半の本編が終わった後で、ピアフはアンコールとして「水に流して」を歌うのだった。

ピアフが亡くなり、ピアフの霊はマルセルの霊と再会する。ZaZaの「愛の賛歌」日本語版が歌われて劇は終わる。


大竹しのぶが舞台「ピアフ」にライフワークのように取り組んでおり、遂には紅白歌合戦にまで出場してしまったということで、観に来ていたおばあちゃんの多くが、「大竹しのぶ」の名を口にしていた。勘緑が終演後に、「勘緑文楽劇場公演は3回目にしてようやく満員になった」と言っていたが、多分、大竹しのぶ効果はあったと思われる。

人形と人形とがダンスを踊ったり、セリが頻繁に使われたり(「これでもか」というほど高くせり上がる場面もある)、回り舞台まで使うなど、国立文楽劇場で出来ることは全てやったという感じである。
構想から今日の舞台まで5年掛かったというが、まあ、色々な要素を取り入れているので時間は掛かるだろう。
木偶舎の座員は、全員、勘緑から「緑」の字を貰っているが、12人中10人が女性という、浄瑠璃上演集団としてはかなり異色のグループである。この後、木偶舎は、東北地方支援公演に向かうという。

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2017年3月16日 (木)

コンサートの記(283) 通崎睦美木琴リサイタル「平岡養一物語」

2017年3月2日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後7時から、ロームシアター京都サウスホールで、通崎睦美木琴リサイタル「平岡養一物語」を聴く。エッセイ『天使突抜一丁目』などでも知られる木琴&マリンバ奏者の通崎睦美(つうざき・むつみ)。実際に、天使突抜一丁目出身である。今でこそ「京都にある珍しい地名の一つ」として知られる天使突抜であるが、以前は京都の人でも実際にそういう地名があるということを知らない場合が多く、学生時代に通崎が「天使突抜一丁目」という住所を書いたところ、担任の教師からふざけているのだと思われ、「いいから本当の住所を書け!」などと言われたそうである。

木琴奏者として日本では第一人者である通崎だが、今日のトークで語ったところ、「日本木琴協会というのがあるんですけれど、木琴奏者で登録しているのは私だけで後は全員マリンバ」だそうである。
これもトークで語られたのだが、木琴(シロフォン)はヨーロッパ発祥の楽器、一方のマリンバはアフリカが発祥の地で、黒人奴隷達が連れられていった先の南米で普及させたものだという。1935年に行われたサンフランシスコ万博でマリンバが紹介され、以後はマリンバの方が主流になっていったそうである。
木琴は江戸時代からすでに日本に入っていたそうで、平岡養一などの名奏者を生んだが、戦後すぐに日本に入ってきた宣教師達がマリンバ奏者だったそうで、日本の布教先各地でマリンバを演奏した結果、木琴奏者が音色に魅せられて次々とマリンバに転向してしまい、日本にいる木琴奏者は平岡養一ただ一人という状態になってしまったそうである。平岡は、「絶対にあの楽器に転向はしない」と宣言し、終生木琴奏者で通した。

平岡養一は1907年生まれ。子供の頃に通っていた映画館はまだ弁士と楽士がおり、楽士が演奏していた木琴に惹かれて独学で木琴を習得し、慶應義塾大学在学中にプロ木琴奏者としてデビュー。その後、レコード録音なども行い、その資金を元に渡米。NBCの木琴奏者選抜オーディションを勝ち抜いて、毎朝、NBCラジオ番組で木琴の生演奏を行うようになる。この頃には、「アメリカ全土の子供達は、ヨーイチ・ヒラオカの木琴で目を覚ます」と言われるようになっていた。当時のニューヨークには夜勤の労働者も多くいたそうで、「子供達が目を覚ます一方で、大人達はヨーイチ・ヒラオカの木琴を聴きながら眠りに就く」とも言われたそうだ。名門であるDECCAレーベルとも契約し、レコーディングを行っている。
ただ、日米開戦により平岡は日本に帰国せざるを得なくなる。当時は手荷物が制限されていたが、平岡ファンのアメリカ人の尽力により、特別に木琴と楽譜を日本に持ち帰ることが出来たという。
戦中は慰問演奏にもたびたび出かけたそうだが、北海道に行ったはいいが、青函連絡船が撃沈されたため本州に戻れなくなったり、仙台にいた際には空襲に遭い、木琴を空いている防空壕に入れて自分は別の防空壕に入って共に生きながらえるなど、波瀾万丈の旅だったそうだ。
1962年にニューヨークのカーネギーホールに日本人として初出演。翌年にグリーンカードを取得してカリフォルニア州に移住。その後、アメリカの市民権も得ている。

平岡は1977年に自身の「木琴人生50年」を祝うコンサートを日本全国93ヶ所で行っており、京都ではロームシアター京都サウスホールの前身である京都会館第2ホールでコンサートを行っているという。その時、出演した児童合唱団のメンバーにマリンバを弾ける子がいるというので、そのマリンバが弾ける子=通崎睦美と共演したそうである。
その後、京都会館のステージに通崎が立つことはなく、同じ場所に出来たロームシアター京都サウスホールに今日立ったことで、40年ぶりに同じ場所で演奏することになるのだそうだ。

通崎が現在使用している木琴というのが、その平岡養一が愛用していた楽器なのである。平岡本人から通崎に譲られた木琴であり、側面に「Yoichi Hiraoka」という署名が入っている。

なお、通崎は木琴のみならず楽譜や音盤なども平岡から譲渡されており、サウスホールのホワイエではそれらが展示されていた(通崎曰く「頼まれもしないのに持ってきた」そうである)。


曲目は、モンティの「チャールダシュ」、モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、クライスラーの「ベートーヴェンの主題によるロンディーノ」、ハイドンのチェロ協奏曲第1番より第3楽章、ポンセ作曲/ラ・フォルジュ編曲の「エストレリータ」、ビゼー作曲/松園洋二編曲の「カルメン綺想曲」、休憩を挟んで、ストビーのモッキングバード幻想曲、山田耕筰の「日本組曲」より“お江戸日本橋”と“かっぽれ”、ロドリゲス作曲/野田雅巳編曲の「ラ・クンパルシータ」、野田雅巳の「五〇年」、海沼實作曲/野田雅巳編曲の「みかんの花咲く丘」、貴志康一作曲による「日本狂詩曲」より(H・スピアレク&平岡養一編曲)。

ピアノ伴奏を務めるのは松園洋二。松園の本業は作曲家だそうである。


通崎は数種類のマレットを使い分けることで音色の硬軟を変える。第1曲のモンティの「チャールダシュ」(最近、聴く機会が多い)は、40年前に平岡養一と共演した思い出の曲だそうである。
今日は平岡養一関連のプログラムを並べたのだが、最初の3曲の楽譜はボロボロになるまで使い込まれていたのに対して、ハイドンのチェロ協奏曲第1番第3楽章は「楽譜を買ってはみたものの弾いたのかどうかもよくわからない」そうである。おそらくほとんど手を触れたことがないので色が変わっていないのだろう。
平岡はクラシックの楽曲を演奏することを至上命題としてきたそうだが、「エストレリータ」はプロポーズする際に演奏した曲だという。「エストレリータ」はトレモロが多用されているが、ピアノのトレモロが別の音を交互に演奏すること(トリル、バッテリー)なのに対して、打楽器のそれは同音反復になるという。

平岡がレコーディングを行っていたSP盤は、表が収録時間3分、裏も同じく3分の両面で6分であり、「カルメン」の良いところを6分で収められるように纏めたのだが、「今日はSPではないので6分より少し長く」と言って通崎は「カルメン綺想曲」の演奏を開始。超絶技巧のオンパレードに、演奏終了後、客席からはどよめきが起こった。


第2部の1曲目である「モッキングバード幻想曲」では通崎は小型の木琴を使用し、椅子に腰掛けながら演奏する。平岡養一が、1928年に帝国ホテルの演芸室で行い、大成功したコンサートで演奏していたのは、この小さな木琴と同スタイルの楽器だったという。その時は、平岡はまだ、より大きな木琴というものがあるということを知らず、木琴というのは小さな楽器だと思っていたという。だが、大型の木琴の存在を知り、平岡はそれを手に入れるために伝家の家宝を売り払うなど金策に奔走したそうである。

今日の演目の中で、唯一、木琴のために作曲されたのが野田雅巳の「五〇年」である。元々は、通崎が両親の金婚式を祝うための曲として野田に作曲を依頼したそうだが、平岡養一が「木琴人生50年」を祝うコンサートツアーを行い、通崎自身も今年で生誕50年ということで、他の50年にも掛けた50年として演奏を行う。ちなみに野田は会場に来ており、通崎に紹介されて立ち上がり、拍手を受けた。

「みかんの花咲く丘」。戦後すぐの曲というとなんといっても「リンゴの唄」が有名であるが、それとセットで語られるのが「みかんの花咲く丘」だという。今日も客席にはお年寄りの姿が目立つが、「聴くと焼け跡を思い出す」と言われることもあるそうだ。


貴志康一の「日本狂詩曲」より。日本人として初めてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮した人物としても知られる作曲家の貴志康一。わずか28歳で病没しているが、残された作品は、今なおコンサートで取り上げられるなど、長命を誇っている。
貴志はペンタトニックを盛んに用いているが、今現在の日本音楽ではペンタトニック(日本の場合は、ファとシの音がない「四七抜き音階」)を採用する方がまれということもあって、「日本ではないアジアのどこか」の音楽のように響く。


アンコールは2曲。まずは木琴独奏で、アール・ハッチの「人力車」。通崎は片手に2本ずつ、計4本のマレットを使って演奏した。

ラストは、ピアノの松園洋二も呼ばれて、平岡養一作曲の「おやすみなさい」が演奏された。

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2346月日(1) 「JUNPA設立5周年記念国際詩祭」@ロームシアター京都ノースホール

2017年2月14日 ロームシアター京都ノースホールにて
 
午後2時から、ロームシアター京都ノースホールで、「JUNPA設立5周年記念国際詩祭」に参加する。メインホールやサウスホールには何度も来ているロームシアター京都だが、ノースホールには入るのは初めてである。実は、一度、ノースホールで行われるマレーシアの演劇を観る予定があり、チケットを取ってロームシアター京都まで行ったのだが、痰が喉に絡まって仕方なく、上演中に「ウンウン」やるわけにもいかないし、集中力も持続しないし、というわけで諦めている。

ノースホールはロームシアター京都の地下2階にあるブラックボックス状の空間である。
JUNPAというのは、日本国際詩人協会の略。2014年に京都で設立されている。委員長は上村多恵子。

ベルギー生まれで現在はスペイン在住のジャーメイン・ドルーゲンブロート、日本国際詩人協会創立者の有馬敲(ありま・たかし。今日は体調不良を押しての参加だそうである)、イタリアの詩人であるダンテ・マッフィア、日本国際詩人協会変種顧問の村田辰夫、フランス人の哲学者で詩人であるイグ・ラブリュス、イタリアの詩人で「コモ詩の館」館長でもあるラウラ・ガラヴァリア、日本国際詩人協会代表のすみくらまりこ、2013年の日本国際詩人協会最優秀賞を受賞した下田喜久美、更に新進詩人であるタニウチヒロシ、加納由将、浜田千秋の3人が参加する。京都には来ていないがイタリアの詩人のドナテッラ・ビズッティの作品も読まれた。また、アイルランド出身のガブリエル・ローゼンストックは体調不良のために不参加で、ジャーメイン・ドルーゲンブロートが詩を代読した。

まず、上村多恵子による開会の挨拶。自然災害や国際紛争、SNSの普及による情報の洪水の中にあって、「言葉で世界とどう切り結ぶか」を模索したい旨を述べる。

続いて、特別後援である関西・大阪21世紀協会の理事長・堀井良殷(ほりい・よしたね)の挨拶。奈良に住んでいるということで、柿本人麻呂の「敷島の倭(やまと)の国は言霊の佐(たす)くる国ぞ真幸(まさき)くあれこそ」と紀貫之の筆による『古今和歌集』の仮名序「やまとうたは人の心を種として万の言の葉とぞなりにける」を紹介し、日本の詩の元をたどる。
ちなみに、『古今和歌集』の仮名序には「(やまとうたは)天地(あめつち)をも動かし」という言葉があるのだが、江戸時代にこれに対して詠まれた宿屋飯盛の「歌よみは下手こそよけれ天地の動き出してたまるものかは」という狂歌が有名であり、私などはこの狂歌が頭に浮かんでしまった。

読まれるテキスト(京都だけのものではなく、関西各地で行われるABCD4つのプログラム用の作品全てを収録)は日本語版と英語版が共に1000円で売られている。対訳本はないようである。

山田啓二京都府知事は参加されなかったが、代わりに山田府知事夫人(流石、府知事夫人というか、かなり綺麗な方である)が参加し、JUNPAへの祝辞を述べる。
門川大作京都市長からも祝電が届いた。


現代詩の朗読であるが、私も詩は一応専門であるため(そもそも私は高校時代に田村隆一の後輩になりたくて進学先を選んでおり、詩に関しては早熟であった)、おおよその内容は分かる。100%分かるということはないが、そもそも作者ですら100%理解出来ているわけではない。100%分かる詩というのはつまらない詩である。

第一部 詩の朗読 「時の二重奏」「存の二重奏」では、ジャーメイン・ドルーゲンブロートが英語で自作を朗読した後、武西良和が日本語訳のテキストを読み上げた。
有馬敲の詩も武西良和が朗読。その後、ダンテ・マッフィアの詩を稲葉妙恵が日本語朗読した。「滝の二重奏」では、先に書いたとおり、体調不良で欠席のガブリエル・ローゼンストックの詩はジャーメイン・ドルーゲンブロートが英語で代読した。その訳詞はすみくらまりこが朗読。そして村田辰夫の詩は村田本人が朗読。村田は日本語で朗読した後で英訳したテキストも読み上げた。


休憩を挟み、音楽会が行われる。未来へ贈る歌 創作童謡の会「黄金(おうごん)のあみ」ミニコンサート。ノースホールには四方にテラスがあるのだが、曲ごとにテラスに青や赤、オレンジなど電飾が点る演出があった。
黄金のあみは、大阪音楽大学の教員と日本国際詩人協会の協働によって生まれた創作童謡を発表していく会である。
今日の演目は、「ちいさなちきゅう」(詩:有馬敲、作曲:中澤道子)、「影子の楽しいハロウィンナイト」(詩:すみくらまりこ、作曲:中澤道子)、「実がころろ」(詩:上村多恵子、作曲:岡田正昭)、「わたしたちのオーロラ」(詩:ラウラ・ガラヴァリア、作曲:南川弥生)、「宇宙の蝶」(詩:下田喜久実、作曲:南川弥生)の5曲。

ピアノは全曲、織部温子が担当。「ちいさなちきゅう」と「実がころろ」は谷口耕平(テノール)が歌い、「影子の楽しいハロウィン」、「わたしたちのオーロラ」と「宇宙の蝶」は堀口梨絵(ソプラノ)が歌い上げる。「わたしたちのオーロラ」と「宇宙の蝶」では、平田英治のサキソフォンが加わった。
中澤道子の作風は一番童謡的。「影子のハロウィンナイト」はNHK「みんなのうた」に出てきそうな曲である。
南川弥生(みなみかわ・みお。「やよい」ではない)の作風は現代音楽の影響も受けており、ピアノやサキソフォンが不協和音も奏でていた。

ノースホールは音響設計はされていないはずである。この広さで残響があったらうるさくなってしまう。


続いて第二部 詩の朗読。「命の二重奏」として、ドナテッラ・ビズッティの「誘惑」という短編詩を上村多恵子が日本語訳を朗読し、ラウラ・ガラヴァリアが英語で朗読した。

「海の二重奏」では、イグ・ラブリュスが、自作をフランス語で朗読。タニウチヒロシが日本語訳と2016年に亡くなった飛鳥聖羅の詩を朗読した。イグ・ラブリュスの作品には飛鳥聖羅への追悼詩が含まれていた。

「星の二重奏」では、ラウラ・ガラヴァリアと下田喜久美が自作を朗読。

ラストは新人賞過去受賞者の朗読。
タニウチヒロシが自作を朗読。その後、加納由将がステージに上がるが、加納は車椅子の上に心身不自由ということで、浜田千秋とタニウチヒロシが加納の作品を朗読し、加納は自作を英語でなんとか読み上げた。浜田千秋の革命を題材にした詩で、詩の朗読は終わる。


上村多恵子が国際詩祭京都会場プログラムが無事終了したことの謝辞を述べ、最後は、ジャーメイン・ドルーゲンブロートが挨拶し、「タエコに日本のハイクのように短い挨拶をするよう言われている」と冗談を言った後で、「美しい京都」「素晴らしい聴衆」と賛辞を贈った上で、「ありがとうございました」と日本語で言って締めた。

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2017年3月15日 (水)

礼儀とは

礼儀とは想像力である。

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2017年3月14日 (火)

コンサートの記(282) 大友直人指揮京都市交響楽団第477回定期演奏会 京都市交響楽団&プラハ交響楽団合同演奏会

2005年6月19日 京都コンサートホールにて
 
京都コンサートホールで、14時30分から京都市交響楽団(京響)の第477回定期演奏会が催される。今回は特別に今年(2005年)5月に京響と姉妹オーケストラ契約を結んだプラハ交響楽団の単独演奏がプログラムに挟まれ、また京響とプラハ響による合同演奏がある。
 
前半の指揮者は京響の常任指揮者・大友直人。演目は芥川也寸志の「交響管弦楽のための音楽」とチャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」。日本音楽とロマンチックな音楽を得意とする大友らしいプログラミングだ。
今日は2階上手後方の席での鑑賞。視覚的には今一つの席だが、音はまずまずだ。前回は前の方に座ったのだが、音が頭の上を素通りするような感じだった。それに比べると遥かに良い音がする。
芥川の「交響管弦楽のための音楽」で大友は見事なオケ捌きを見せる。京響も鋭い音で応える。
チャイコフスキーの「ロメオとジュリエット」はロマンチックな曲だが音同様構成力もやや甘いためか演奏される回数は意外に少ない。京響はこの曲を演奏するには音の色彩感が不足している。もっともっと音の煌めきが必要だ。

休憩を挟んで後半はまずプラハ交響楽団の単独演奏。35歳の若手指揮者トーマス・ハヌスの指揮でモーツァルトの交響曲第38番「プラハ」が演奏される。中編成での演奏なので、天井が高く音が上に行ってしまいがちな京都コンサートホールでは音量不足は否めない。プラハ交響楽団は一流とは目されていないオーケストラだが音は京響よりも美しい。弦とクラリネットが特に魅力的だ。ハヌスの指揮姿はギクシャクとして機械仕掛けの人形を思わせるところがある。若々しい演奏だが、1925年生まれのサー・チャールズ・マッケラスは60代で録音した「モーツァルト交響曲全集」において更に更に若々しい演奏を繰り広げている。表現に年はあまり関係ないようだ。
 
最後は京響とプラハ響の合同演奏によるレスピーギの「ローマの松」。1996年12月のN響定期公演でデュトワ指揮で聴き、大興奮した曲だ。
大友の表現もデュトワほどではないが色彩感に富み、語り上手である。京都コンサートホールのパイプオルガンも威力抜群だ。
この曲は最後の「アッピア街道の松」で金管のバンダ(舞台以外で演奏する別働隊のようなもの)が活躍する。デュトワの時はバンダはNHKホールの上手にあるパイプオルガンの前で演奏した。今日はどこに登場するのだろうと興味津々だったが普通に2階席後方で演奏していた。あまり心躍る演出ではない。「アッピア街道の松」は迫力抜群ではあるが、舞台とバンダの間の距離が相当あったためにどうしても音にズレが生じてしまい、アンサンブルが崩れたように聞こえてしまっていた。それだけが残念である。

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2017年3月13日 (月)

コンサートの記(281) 爆クラ!presents「ジェフ・ミルズ×東京フィルハーモニー交響楽団×アンドレア・バッティストーニ クラシック体感系Ⅱ -宇宙と時間編-」

2017年2月22日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、爆クラ!presents「ジェフ・ミルズ×東京フィルハーモニー交響楽団×アンドレア・バッティストーニ クラシック体感系Ⅱ -宇宙と時間編-」というコンサートを聴く。

東京フィルハーニー交響楽団首席指揮者を務めるアンドレア・バッティストーニは主要指揮者としては現役最年少。1987年生まれでまだ誕生日を迎えていないため29歳という若い指揮者である。「ロミオとジュリエット」の舞台として有名なイタリア・ヴェローナ出身。2015年4月より東京フィルハーモニー交響楽団の首席客演指揮者に抜擢され、2016年10月に同楽団の首席指揮者に就任している。東フィルとのCDの他、パルマ・レッジョ劇場でのオペラ「ファルスタッフ」の映像が出ており、2017年3月にはRAI国立交響楽団を指揮したチャイコフスキーの交響曲第5番のCDがリリースされる予定。キャッチフレーズは「未来のトスカニーニ」である。
現役最高齢主要指揮者であるスタニスラフ・スクロヴァチェフスキの訃報を聞いた日に、現役最年少主要指揮者の演奏会を聴くというのは何かの因縁なのかどうか。

米・デトロイト出身で、パリとマイアミを本拠地とする、DJ、ミュージシャンのジェフ・ミルズがクラシック音楽用に書いた曲の日本初演と、現代音楽の演奏が行われる。

曲目は、ジョン・アダムスの「Short Ride in a Fast Machine」、ドビュッシーの「月の光」の管弦楽編曲、リゲティの「ポエム・サンフォニック(100台のメトロノームのための)」、黛敏郎の「BUGAKU(舞楽)」より第二部、ジェフ・ミルズの「The Bells」、20分の休憩を挟んで、上演時間約1時間というジェフ・ミルズの大曲「Planets」


フェスティバルホールで初めて聴いたオーケストラが東京フィルハーモニー交響楽団だったと思うが(純粋なクラシック音楽演奏会ではなく、「坂本龍一 プレイング・ジ・オーケストラ」)、東京フィルは昔から、セミクラシックや新曲の演奏会などによく出演する。NHKとのパイプがあるため、名曲アルバムや他のNHKの番組でも劇伴演奏を行ったりしているのだが、新星日本交響楽団を吸収合併して後は、編成が倍になったということもあり、かつてのレニングラード・フィルハーモニー交響楽団のように別働隊として同日に別の場所で演奏することも可能である(約半分のメンバーは、東京で指揮者のミハイル・プレトニョフと共に別の公演のリハーサルを行っているようである)。
ポピュラーでの演奏が多いということは、フェスティバルホールのような大型ホールでの経験も豊富ということで、上手く鳴っていたように思う。またバッティストーニはオーケストラを鳴らす術に長けており、バランス感覚も優秀である。


まずは、ジョン・アダムスの「Short Ride in a Fast Machine」。ミニマル・ミュージックである。切れ味鋭い爽快な音楽。バッティストーニは若いだけに機敏な動きによる指揮を行う。ただ、若さに任せて音を振り回すという感じはほとんどせず、丁寧な仕上がりが印象的である。


爆クラ!プロデューサーの湯山玲子がマイク片手に登場し、「爆クラ!」と楽曲について紹介する。湯山は日本のホールの中ではフェスティバルホールの響きが一番好きだそうである。湯山が「爆クラ!」の企画を思いついたのは、ニューヨークのクラブにいた時だそうで、クラブで流れていたグルーブなミュージックが、クラシックのミニマルミュージックと相性が良いのではないかという発想が浮かんだそうである。現在では東京・代官山の〈晴れたら空に豆まいて〉というライブハウスを本拠地に、月1ペースで爆クラ!の公演を行っているという。これまでのゲストには、坂本龍一、冨田勲、岡村靖幸、島田雅彦、西本智実、岩井俊二、菊地成孔、小西康陽、コシミハルらが名を連ねている。

湯山は、ジョン・アダムズの「Short Ride in a Fast Machine」について、「『湘南爆走族』のような、もっと笑いが来るかと思ったんですけど。あるいは『ビー・バップ・ハイスクール』のような」と語り、「ジョン・アダムスが高級スーパーカーに試乗して、気分が良いんだか悪いんだか分からなくなった状況を作曲したもの」と解説する。

「月の光」。今回はフィラデルフィア管弦楽団のライブラリアンの方による編曲だそうである。

リゲティの「ポエム・サンフォニック(100台のメトロノームのための)」。爆クラ!では毎回、聴く者を驚嘆させるような音楽を演奏するそうで、ジョン・ケージの「4分33秒」もやったことがあるという。リゲティの音楽がどのようなものなのかは聴いてお楽しみとのこと。

黛敏郎の「BUGAKU(舞楽)」より第二部。以前から、黛の涅槃交響曲をやってみたいという希望を湯山は持っていたそうである。黛は鐘の音を解析して、それをオーケストラに置き換えて演奏させ、初演は大成功している。
なお、小野光子の『武満徹 ある作曲家の肖像』(音楽之友社)によると、武満は黛からピアノを借りたお礼に、天台声明の譜面と音源を渡したそうで、武満によると「それであの人(黛)はね、《涅槃交響曲》を書いたんです、と思いますよ。僕の記憶に間違いがなければ(笑)」だそうである。


ドビュッシーの「月の光」。まずクラリネットが主題を奏で、それが弦楽へと移り、フルートに受け渡されてラストを迎える。ハープの使い方も効果的。非常に美しいオーケストラ編曲である。


リゲティの「ポエム・サンフォニック(100台のメトロノームのための)」。バッティストーニがメトロノームを持って登場。譜面台の上に置いて、楽団員に促すと、全員が椅子の下からメトロノームを取り出し、いっせいに鳴らし始める。最初はテンポはバラバラで、ガタガタいう音が間断なく続く。雨音のようにも聞こえるが、私は昔の映写機がカタカタいう音を連想した。バッティストーニはずっと腕組みをして待機している。やがて、譜面台の上にあるものからテンポが離れたメトロノームから先に電気が落ちてゆき、拍子は「カツカツ」という二拍子に近くなる。指揮台の上を同じテンポのメトロノームだけが残り、やがてそれらも止まって譜面台上のものだけが生き続ける。譜面台上のメトロノームも息絶えて曲は終わる。

ホワイエでは、演奏で使われたセイコーインスツル株式会社製のメトロノームが売られていた。


黛敏郎の「BUGAKU(舞楽)」より第二部。「雅楽をオーケストラ用に置き換えたクラシック音楽」として真っ先に思い浮かぶのがこの「BUGAKU」である。木管や弦が笙や篳篥の響きを模し、フルートが龍笛のように鳴り渡る。
バッティストーニはダイナミックな音楽を東フィルから引き出す。「BUGAKU」を日本人以外の指揮者で聴くのは録音も含めて初めてだが、音楽は国境や言葉の違いを超えて指揮者にも聴衆にも届くのだということがわかる。


ジェフ・ミルズの「The Bells」。作曲者であるジェフ・ミルズがステージ上に呼ばれ、湯山からのインタビューを受ける。通訳が湯山のいうことを上手く伝えられなかったようだが、ミルズは、「まずエレキ音で全曲を作ってからオーケストラに置き換えます」と言っていた。バッティストーニはジェフ・ミルズの音楽について、「ポピュラーやジャズのミュージシャンがクラシック音楽に挑戦した場合、素人っぽいものになりやすいんですけど、この曲は大変充実した作品だと思います」と述べる。

その「The Bells」。まずチューブラーベルズが鳴らされるのだが、その後、ジェフ・ミルズ(ステージ上手端に陣取る)のDJが入り、ノリノリのダンス音楽が始まる。舞台の両端ではミラーボールが回り、ダンサブルな雰囲気を作っていた。


メインのジェフ・ミルズの「Planets」。演奏開始前に湯山玲子が登場し、「オランダのアムステルダム・コンサルトヘボウでのこの曲の演奏も聴いたのですが、さっきリハーサルでチェックした限りではフェスティバルホールの方が上です」と断言する。世界三大コンサートホールの一つであるアムステルダム・コンセルトヘボウであるがクラシック専用であるため、今日の電子音の大きさだと、壁や天井などが軋んでしまうだろう。フェスティバルホールはポピュラー対応なのでその点は万全である。

ジェフ・ミルズはやはり舞台上手でDJを行う。

ダンサブルなミニマルミュージックであるが、「The Bells」よりは描写的な音楽である。ホルストの組曲「惑星」とは違い、具体的にどこかの星を描いているということはなく、あたかも宇宙衛星から眺めた惑星群の印象を音にまとめているかのような趣が感じられる。曲が進むにつれて照明も赤からオレンジ、緑、青へと変わっていく。

途中で金管奏者達が集団で下手へと退場。続いて、フルート奏者とバスクラリネット奏者も下手へとはけていく。彼らは客席に現れ、バンダとして演奏する。

金管奏者達がバンダの役目を終えてステージへと戻ったところで、バッティストーニは指揮棒を譜面台に起き、片手または両手で数字を示して演奏させる。何らかの特殊奏法の指示であるのは確かだが、具体的にどう違うのかまではわからなかった。

変拍子の多い曲であるが、ラストは3拍子系から4拍子系という馴染みのあるリズムへと戻って終わる。

バッティストーニの指揮はジャンプを繰り出すなど、躍動感溢れるものだったが、強引な音運びは行わず、最後まで端正な造形美を守った。
良い曲ではあるが、もう一度聴きたいかというとそうでもないような。面白かったのだが記憶には残りにくい。


考えてみれば、黒人の作曲したフルオーケストラのための作品を聴くのは、今日が生まれて初めてなのだった。

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笑いの林(82) 「祇園ネタ」&吉本新喜劇「偽物にフリマわされるな」2016年12月8日

2016年12月8日 よしもと祇園花月にて

午後12時30分から、よしもと祇園花月で、「祇園ネタ」と吉本新喜劇「偽物にフリマわされるな」を観る。


「祇園ネタ」の出演は、ダイアン、桜 稲垣早希、スマイル、おかけんた・ゆうた、西川のりお・上方よしお(登場順)


ダイアンは、西澤がダイアンについて、「幼なじみでやってるんです。僕はアホでして、勉強も全然出来なかったんですが、相方の津田は」と津田について紹介。「名門私立大学の、同志社大学の、法学部の、そばにあるコンビニで働いてました」といういつもの振りをやり、「津田は第一志望の高校に落ちまして」といつものネタをやる。西澤は西澤で、今日はやらなかったが、「男なのに短大卒」という学歴ネタを持っている。短大といっても美術界では名門の一つである嵯峨美術短大(「嵯峨美」の愛称で親しまれていた。現在は京都嵯峨芸術大学短期大学部になっている。2017年4月から嵯峨美術大学短期大学部に名称変更し、「嵯峨美」が本格的に復活する)なので、別に男が行っていてもおかしくはない。

まずは、二人とも大阪に住んでいて、大阪は治安が悪い、学校でもイジメが酷いというので、西澤が、「あだ名も付けたら駄目らしいですよ。イジメになるって」
西澤が、「昔、小学生の頃、田中正一君っておってな。あだ名が『田中君六票』」、津田「別に生徒会に立候補もしてないのに」、西澤「で、田中正一君に弟おってな。田中正二君っていう。あだ名は、『しょうちゃん』」、津田「『田中君七票』じゃないんかい!」(七票だったら、田中君正Tになるけれども)

津田が、「年なので健康が気になる」と言い、「手術とかよくするやん」ということで(よくはしないと思うが)、西澤が医師、津田が患者という設定でコントをやる。
西澤が診察室に入るポーズをしながら、「大失敗やったな!」「座薬出します。効きませんけどなんかあった方が良いかなあと」と言ってしまったり、「(結果を)婦長に聞いてくる」ということで、下手に向かって歩き、部屋を出る仕草をして、「婦長さん! 婦長さん! 津田さんの手術どうやったっけ? 大成功? 嘘やん、大成功やったの田中さんやん。津田さんはみんなで爆笑するほどの失敗やったやん。で、キャンプいつにする? え? 来週?」と言って診察に戻り、「来週です」と言って、津田に「それキャンプやん!」と突っ込まれていた。


桜 稲垣早希。「関西弁でアニメ」をやる。今日は、「あんたバカぁ~?!」の掛け合いはやらず、「あんたバカぁ~!?」と一人で言えた人に、早希ちゃんのバルーンアートがプレゼントされる。バルーンアートといっても「第五の使徒ラミエル」で青風船を4つに束ねただけである。
今日は客席にお爺ちゃんお婆ちゃんの団体が多かったので、アニメネタが通じたのかどうかは不明である。お爺ちゃんお婆ちゃんでも見ていそうなアニメは、「サザエさん」と「ちびまる子ちゃん」ぐらいではないだろうか。
「私は、『エヴァンゲリオン』のアスカというキャラクターをやっています。この間、二回目逮捕された人(後日、証拠不十分で釈放ということになった)じゃないです。私は、ちゃんとしたアスカです(ちゃんとしたアスカ?)。こう見えて、この格好で大麻撲滅のキャンペーンガールをやったことがあります。アスカが大麻撲滅キャンペーンをやった途端にASKAが逮捕されて、大阪大爆笑」


スマイル。瀬戸が相方のウーイェイよしたかのことを「アホというか天然」と評するのだが、よしたかは「頭にきた! (唐突に)整いました。『相方と掛けまして、言い過ぎと説く』、その心は『殺してやりたい!』」、瀬戸「全然整ってないやん」
よしたかが、下手にはけて、上手に向かって全力で走りながら瀬戸に「死ね!」と言い、更に「瀬戸のファーストキスの場所教えてやる!」と言って、同じ要領で、「イオン!」と叫ぶ。

よしたかは滑舌が悪いというので、早口をやることにする。瀬戸が、「赤巻紙青巻紙黄巻紙」、「隣の客はよく柿食う客だ」、「この立垣は竹垣に立てかけたかったらから立てかけたのです」(残念ながら拍手なし。お年寄りの方は聞き取れなかったのかも知れない)と言った後でよしたかに繰り返させるが、よしたかは言えない。
よしたかは、「僕は独自の早口言葉をやるんだ」と言って、「立ち漕ぎしている舘ひろし」、複数形になって「立ち漕ぎしている舘ひろし達」、「西川ヘレンのキープしたボトル、全然減らん」とやる。最後は早口言葉にすらなっておらず、瀬戸に突っ込まれる。よしたかは反論するが、「僕は、きゃつぜちゅが良い」


おかけんた・ゆうた。けんたが、「今は立派な名前でやっておりますが、昔は違うコンビ名でした。『きつね・たぬき』。それも普通のきつねとたぬきじゃなくて、『北きつね南たぬき』。師匠の岡八郎が、『それはあんまりだ』というので、付けた名前が『きつね・うどん』。あんまり変わらん。『うどん兄さん、そば届きました』じゃ意味わからん。そば食べられない」という話をした後で、ゆうたが、「最近、脂っこいもん食べられへんねん」という話をする。ゆうたがスタンドマイクに手を置いているため、けんたは、「段々、それ(スタンドマイク)が点滴に見えてきたわ」

頭文字を取って明るく行こうという、けんた。「大きな夢を持って 必ず叶うんだと思って 懸命に頑張って 何事にも挫けずにやれば 大成する」とやるが、ゆうたは、「親父は飲んだくれ 母ちゃん家庭を顧みず ゆうてもゆうても聞かへんねん 運命なのか 他界したい」と言って、けんたに「他界したらあかんよ!」と止められる。

けんたが歌って明るくいこうというので、「ヤングマン」、「チューチュートレイン」、「世界に一つだけの花」を歌って「明るい明るい!」と言うが、ゆうたは、「みちにたおれて誰かの名を呼び続けたことがありますか」(中島みゆき「わかれうた」)、「もう、終わりだね」(オフコース「さよなら」)、「死んでしまおう」(島倉千代子「人生いろいろ」)と歌って、けんたに「死んだらあかんよ!」とまた止められる。


西川のりお・上方よしお。のりおが時事ネタをやる。まず「津川雅彦です」と自己紹介した後で、よしおのことを「石原慎太郎です」と紹介し、豊洲市場の地下空間問題に触れる。更に舛添要一前都知事の公私混同問題について語るも途中で、「STAP細胞はあります!」と別の人になったりする。

オバマ米国大統領がオババ大統領に、トランプ次期米国大統領がトランポリン次期大統領に、プーチン露大統領がプッチーニ大統領に言い間違えられる。

2020年の東京オリンピックについては、「お・も・て・な・し、じゃなくて、お・金・な・し。あれ2兆か3兆かかる」、「ろ・く・で・な・し。ベッ×ーと不倫したゲスの極みの川×!」

病院ネタ。のりおが医師に扮し、よしおが患者になるのだが、「先生、もう私、奥さんに言います!」と一人で不倫芝居をした後で、よしおのことを、「渡辺謙さん」と呼ぶ。よしおが近づくと、「お前、渡辺謙ちゃう!」
ということで、よしおは、「清原和博さん」「宮崎ことASKAさん」「高畑裕太さん」と、逮捕歴ありの人で呼ばれてしまう。

よしおが北朝鮮の貨客船・万景峰号の話をすると、ボンという音を耳にしたのりおが、「ボン、ボンじゃありませんか」と別の話にしてしまう。


吉本新喜劇「偽物にフリマわされるな」。出演:川畑泰史(座長)、清水ケンジ、帯谷隆史、浅香あき恵、諸見里大介、鵜川耕一、今別府直之、中條健一、森田まりこ、金原早苗、今井成美、吉田ヒロ、チャーリー浜。

花月旅館と、向かいのお土産物屋が舞台。老舗旅館である花月旅館の経営者である川畑泰史。泰史には婚約者の金原早苗がいるのだが、泰史に300万円の借金があるとわかった早苗は怒って帰ってしまう。お土産物屋を営む諸見里大介も300万円の借金があるのだが、毎月1000円ずつ返すだけというプランだそうである。あんた、調所広郷か?
今すぐに300万円と作りたい泰史は、家宝の黒の皿などをフリーマーケットに出すことにするのだが……。

諸見里大介は滑舌が悪いことで有名なのだが、今日はわざと言語不明瞭にして、そうは見えないが川畑泰史の大学の同期だという清水けんじから「何を言っているのかわからない」と言われる。あいうえお順に発音して滑舌が悪くないことを示そうとする諸見里だったが、「あいうえお かきくけこ たちつてと」と言って苦手なサ行を飛ばして清水に突っ込まれる。

フリーマーケットには、川畑と共に諸見里も出店するのだが、諸見里が売りに出した自称「レディーガガが愛用したヒョウ柄のシャツ」は通りがかった若い女・今井成美が100万円で、しかも現金払いで売れ、自称「レディーガガのファンの人が愛用したTシャツ(つまり一般人のもの)」は通りがかりの女装した男性・今別府直之がこれまた現金払いで200万円で買い取る。
一方、川畑が出した、名工・吉本清流が作った黒の皿は一向に売れず……。
 
落ちは、吉本清流の作った皿を別のものと勘違いしていたというものであった。

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2017年3月11日 (土)

須藤千晴(ピアノ独奏) 「花は咲く」

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コンサートの記(280) いずみシンフォニエッタ大阪第38回定期演奏会「満喫!楽聖ベートーヴェン」

2017年2月11日 大阪・京橋のいずみホールにて

午後4時から、京橋にあるいずみホールで、いずみシンフォニエッタ大阪の第38回定期演奏会を聴く。今回は、「満喫!楽聖ベートーヴェン」と題して、ベートーヴェンを題材にした現代曲と、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」が演奏される。指揮は、いずみシンフォニエッタ大阪常任指揮者の飯森範親。

曲目は、シュネーベルの「ベートーヴェン・シンフォニー」(1985年作曲)、ベートーヴェンの「大フーガ変ロ長調」(川島素晴編曲弦楽合奏版。2003/2016)、西村朗(にしむら・あきら)の「ベートーヴェンの8つの交響曲による小交響曲」(2007年作曲)、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」(ピアノ:若林顕。川島素晴編曲いずみシンフォニエッタ大阪2017年版)

開演30分前からロビーで室内楽のミニコンサートがあり、開演15分前からステージ上でいずみシンフォニエッタ大阪音楽監督の西村朗がプレトークを行う。
西村は、指揮者の飯盛範親と、作曲家でいずみシンフォニエッタ大阪プログラム・アドバイザーの川島素晴もステージに呼び、3人でプレトークを行う。

まず、シュネーベルという作曲家についての紹介。ドイツのシュヴァルツヴァルト地方のバーデン=ヴュルテンベルク州出身であり、飯森は以前、ヴュルテンベルク・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督をしていたため、「親しみがあると言いたいのですが」と口ごもる。理由を西村朗が明らかにする、「シュネーベルという人はかなり変な人」だそうである。

「ベートーヴェン・シンフォニー」は、緻密に積み上げられたベートーヴェンの交響曲第5番第1楽章を骨抜きにしてしまおうという妙な意図によって作曲された曲だそうである。


ベートーヴェンの「大フーガ変ロ長調」は、元々は弦楽四重奏曲として書かれたものである。その後、名指揮者であったワインガルトナーによって弦楽合奏のための編曲がなされ、レナード・バーンスタインなども指揮して録音しているが、今回は川島素晴が新たに編曲したものを用いる。川島は、2003年にも同曲を編曲しているが、今回は更に手を加えた譜面での演奏となる。ヴァイオリンの高音を極限まで追求したものだそうである。

なお、オーケストラの調はピアノの平均律などとは違い、高めの音がより高く聞こえてしまうため、調整していると飯森と川島は語る。


西村朗の「ベートーヴェンの8つの交響曲による小交響曲」。日本では年末になるとどこもかしこも第九一色になるが、第九演奏前にベートーヴェンの序曲などを前座として演奏すると、定時に遅れてきたお客さんも、「ああ、本編には間に合った」と思ってくれるそうである。そこで第九のための「究極の前座音楽を書いて欲しい」という依頼を受けて、西村が作曲したのが「ベートーヴェンの8つの交響曲による小交響曲」である。飯森によると「思いの外、好評」だそうである。4つの楽章からなり、第1楽章はベートーヴェンの交響曲第1番から第8番までの要素を順番に出し、その後は、8つの交響曲の中でも有名な曲を優先して出していくという構成である。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」。川島素晴がシンフォニエッタ用にオーケストレーションを変更しており、原譜にはないトロンボーンを加えているという。飯森はソリストの若林顕(わかばやし・あきら)について、「以前も共演したことがあるのですが、大分、貫禄がついた」と述べた。

なお、いずみシンフォニエッタ大阪のコンサートミストレスである小栗まち絵が、昨年7月に行われたいずみシンフォニエッタ大阪のジャック・ボディの「ミケランジェロによる瞑想曲」の独奏が評価され、大阪文化祭賞最優秀賞を受賞したということで、ステージ上に呼ばれ、西村から花束が手渡された。受賞の連絡が来た時に、小栗は新大阪駅のホームにいたそうで、電話の内容が良く聞こえず、いずみシンフォニエッタ全体が賞を受けたものだと勘違いしたという。
小栗は、亡くなった主人(京都市交響楽団のコンサートマスターだった工藤千博)や、相愛大学(大阪にある浄土真宗本願寺派の大学。音楽学部がある)での教育も含めて評価されたのだと思うと述べた。


まずは、シュネーベルの「ベートーヴェン・シンフォニー」。コンサートマスターは佐藤一紀。ベートーヴェンの交響曲第5番は、「タタタターン」という4つの音で積み上げられるが、シュネーベルは、これは「ターター」という音に変え、迫力を殺いでしまう。伊藤朱美子と細江真弓による木琴や鉄琴、マリンバなどは運命動機による演奏を行うが、サン=サーンスの「死の舞踏」のように響く。打楽器の山本毅が特殊な楽器を使ってノイジーな音を出し、ハープの内田奈織も不気味な音を発していた。


川島素晴の編曲によるベートーヴェンの「大フーガ変ロ長調」。この曲では小栗まち絵がコンサートミストレスを務める。飯森範親は、この曲だけはノンタクトで振った。
第1ヴァイオリンの高音が特徴だとプレトークで語られていたが、全体的に第1ヴァイオリンは一番高い弦を主体に奏でる。やがて小栗まち絵がソロを取った時に、第1ヴァイオリンのアンサンブル群が現代音楽で聴かれるような超高音を出し始める。最後は小栗まち絵も含めて第1ヴァイオリンが痛烈な高音を発していた。


西村朗の「ベートーヴェンの8つの交響曲による小交響曲」。コンサートマスターは高木和弘に変わる。
ベートーヴェンの交響曲第1番の冒頭が奏でられるが、そこから曲調はめまぐるしく変わる。交響曲第5番は第3楽章など様々な部分が採用され、「田園」では鳥の鳴き声を真似る場面や第5楽章、第8番はメトロノームの動きを真似た第2楽章、第7番はダイナミックな第3楽章などの要素がちりばめられる。第3番「英雄」はプロメテウス主題などが取られていた。

飯森範親といずみシンフォニエッタ大阪の演奏であるが、やはり現代音楽の演奏を長年続けているため、「手慣れた」という印象を受ける。聴き手を圧倒するだけのものはないかも知れないが、レベルは高く、巧い。


休憩を挟んで、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」。ピアノ独奏の若林顕は、東京芸術大学、ザルツブルク・モーツァルティウム音楽院、ベルリン芸術大学などで学んだピアニスト。メカニック抜群のヴィルトゥオーゾ・ピアニストとして知られており、大阪でも難曲として知られるリスト編曲の第九を年末に演奏するなどの催しを行ってきたため知名度は高い。1985年にブゾーニ国際ピアノコンクールで2位、1987年のエリザベート国際コンクールでも第2位となっている。

若林はタッチも技術も極めて堅固。音には独特の煌めきがあり、明るさを感じさせる部分でも燦々とした輝きではなく、漆器のようなどこか渋みのある光を放っている。
飯森指揮のいずみシンフォニエッタ大阪(コンサートマスターは釋伸司)も溌剌とした演奏を披露。ベートーヴェンの指定では木管とトランペットが2管編成なのだが、いずみシンフォニエッタ大阪は単管であるため、代わりに川島が加えたトロンボーン(トロンボーン演奏:呉信一)は低音部を支えるのに効果的であった。なお、ピリオド・アプローチは採用されていなかった。

喝采を浴びた若林に飯森が、「なんかアンコール弾く?」と聞くような仕草をし、若林が「いや、もう勘弁」という風に首を振ってコンサートはお開きとなった。

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2017年3月10日 (金)

コンサートの記(279) ザ・カレッジ・オペラハウス 歌劇「鬼嫁恋首引」&「カーリュー・リヴァー」

2014年10月11日 ザ・カレッジオペラハウスにて

午後5時から、大阪府豊中市にあるザ・カレッジ・オペラハウスで、歌劇「鬼娘恋首引」と「カーリュー・リヴァー」を観る。

歌劇「鬼娘恋首引」は、鈴木英明の作曲により1980年に初演された比較的新しいオペラである。台本を書いたのは茂山千之丞であり、茂山は狂言「首引」を基にオペラのための本を書いている。上演時間約45分一幕物という短編である。

歌劇「カーリュー・リヴァー」はベンジャミン・ブリテン作曲のオペラ。能「隅田川」がベースとなっているということもあって日本でも知られている作品である。私がザ・カレッジ・オペラハウスまでやって来たのも「カーリュー・リヴァー」の実演を観たいという思いからだった。

ザ・カレッジ・オペラハウスは、大阪音楽大学のオペラハウスで、カレッジというのは大阪音楽大学の英語名が、Osaka College Of Musicであることに由来する。日本の大学の場合、単科大学であってもUniversityを名乗る場合が多いが、大阪音大は単科大学を意味するCollegeを使用している。

ザ・カレッジ・オペラハウスは専属のプロオーケストラ(ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団)と、専属のコーラスを持つ本格的な劇場であるが、キャパが狭いこと、オペラ公演数がそれほど多くないことに加え、京都造形芸術大学の京都芸術劇場もそうだが、日本では大学が持つ劇場はあくまで大学の施設として捉えられ、劇場として認められない傾向が強いため(京都芸術劇場の渡邊守章氏が語っていた)日本のオペラハウスにはカウントされていない。

ザ・カレッジ・オペラハウスは近年、ベンジャミン・ブリテンのオペラをたびたび取り上げており、2011年の歌劇「ねじの回転」(十束尚宏指揮、岩田達宗演出)では優れた出来を示していた。また、昨年の歌劇「ピーター・グライムズ」は私は高知に行っていたため観ることが出来なかったが高い評価を得ている。

大阪音楽大学とザ・カレッジ・オペラハウスがあるのは、豊中市の庄内という場所であるが、伊丹空港(大阪国際空港)が近いため、旅客機が低空飛行をしていて騒音も凄い。ただ流石というべきか、ザ・カレッジ・オペラハウスの中では旅客機の音は一切聞こえなかった。

 

歌劇「鬼娘恋首引」と歌劇「カーリュー・リヴァー」は、共に山下一史の指揮、井原広樹の演出で上演される。

「鬼娘恋首引」の出演は、川口りな(番茶姫役)、中川正崇(なかがわ・まさたか。伊呂波匂之助役)、田中勉(素天童子役)、木澤佐江子、福島紀子、柏原保典、木村孝夫(以上4人は地謠となる)

井原広樹の演出は、舞台の三方をスクリーンにし、そこに様々な映像を投影するのが特徴である。「鬼娘恋首引」では、狂言というよりも歌舞伎の手法を取り入れた演出法。少し型にはまった感じで、「折角、地謠が4人なのだから四天王にすればいいのに」と不満もあったが、映像の使い方は効果的。ラストでは、今(2014年)、京都国立博物館で公開が行われている「鳥獣戯画図」からの引用が用いられている。

ストーリーは、鬼の素天童子(すってんどうじ。田中勉)の支配する鬼面山に、京都一のモテ男である伊呂波匂之助(いろはにおうのすけ。中川正崇)が迷い込んだことに始まる。鬼は人を喰らうので、素天童子も伊呂波匂之助を喰おうとするが、娘の番茶姫(川口りな)がまだ人を食べたことがないのを思いだし、色男である伊呂波匂之助を食い初めとすれば目出度いということで、番茶姫を呼ぶ。ところが、番茶姫が伊呂波匂之助に惚れてしまい……、というものである。

伊呂波匂之助は、その名の通り、いろは歌に掛けた自己紹介のアリアを歌う。

伊呂波匂之助と番茶姫による腕相撲や、首引(首に縄を掛けて引っ張り合い、相手を寄り切ったり倒した方が勝ちとなる)の場面などはユーモラスだ。

怖ろしい鬼の素天童子が親バカというのもギャップで笑わせるところだと思われるのだが、田中勉演じる素天童子は隈取りをしているだけでさして怖ろしくは見えない。ここももう一工夫欲しかった。歌舞伎の手法を取り入れていたが、歌舞伎の場合、悪役はもっと身振り手振りのメリハリがくっきりしている。

歌手達はまずまずの歌唱を聴かせ、山下指揮のザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団も上手かった。

鈴木英明の音楽は完全な調性音楽でわかりやすく、上演終了後に登場した鈴木は客席からの喝采を浴びた。

 

ブリテンの歌劇「カーリュー・リヴァー」。原作の能「隅田川」は、世阿弥(観世元清)の子である観世元雅の作である(その後、世阿弥と観世元雅の親子は足利将軍家から嫌われて流罪となり、世阿弥の血統は絶えてしまっている)。歌舞伎にもなっており、私も京都四條南座で坂田藤十郎と中村翫雀(現・中村鴈治郎)の親子共演による「隅田川」を観ている。
能「隅田川」はいかにも能らしく幽霊が出てくるが、歌舞伎版「隅田川」には幽霊は出てこない。ちなみに観世元雅は幽霊を登場させているが、父親である世阿弥は幽霊が出てくることに反対していたという。

ブリテンは、舞台をイギリスに置き換え、キリスト教の話として「隅田川」を脚色。狂女の役も男性歌手が担当する(これは狂言や歌舞伎に則っているともいえる)。

オーケストラの編成は室内楽規模であり、ヴィオラ(上野亮子)、フルート(江戸聖一郞)、パーカッション(安永早絵子)、オルガン(岡本佐紀子)、コントラバス(増田友男)、ホルン(伏見浩子)、ハープ(山根祐美)のみである。

井原広樹の演出は工夫を凝らしており、まず、歌手、演奏者、指揮者の山下一史を含めて全員が、客席後方から、客席通路を通って登場する。全員、黒いコートを纏い、歌手達はキリスト教のコラールを歌っていて、そのまま舞台に上がる。山下一史とザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団のメンバーはせり上がって客席とほぼ同じ高さにあるピットに入る。とても効果的な演出である。歌手達が通路を通ってくるのはそれほど珍しくないが、指揮者や演奏者まで歩いて来るのは余り例がない。ちなみに「カーリュー・リヴァー」はブリテンの指示によると指揮者なしでの上演が正式ではあるようだ。

シテである狂女を歌うのは西垣俊朗(にしがき・としろう)、ワキの渡し守には桝貴志、同じくワキの旅人に西村圭市、ストーリーテラーでもある修道院長には西尾岳史、少年の霊は榎並晴生(西宮少年合唱団)が演じ、少年の声は老田裕子が袖で歌う。その他の人物はザ・カレッジ・オペラハウス合唱団の団員である。一応、狂女役のアンダースタディとして角地正直が控えている。

井原は、「カーリュー・リヴァー」でも映像を多用しており、十字架がマストに変わったりする。

ザ・カレッジオペラハウス合唱団の団員はおどろおどろしい仕草をする。狂女よりも一般民衆の方が狂っているという解釈なのかも知れないが、これだと狂女の演技が生きないという結果になってしまう。

出だしでオルガンが奏でるのは笙を模した音だ。ブリテンは来日経験があり、NHK交響楽団を指揮したほか、ピーター・ピアーズの歌う歌曲のピアノ伴奏を務めたり(ピーター・ピアーズもベンジャミン・ブリテンも同性愛者であり、二人は恋人でもあった)、笙を買い求めたりもしている。そして、能「隅田川」を観て衝撃を受け、「カーリュー・リヴァー」の作曲を思いついたという。カーリューというのはダイシャクシギのことだという。在原業平がモデルである「伊勢物語」の主人公が隅田川まで来たときに、「名にし負はばいざ言問はむ都鳥 我が思ふ人はありやなしやと」と詠んだ都鳥(別名:ゆりかもめ)がダイシャクシギに置き換えられている。

ただ筋書き自体は換骨奪胎がなされており、日本的な要素は余り残さず、イギリスの話として通るように仕上げている。

ただ、オペラとしての面白さはまた別として、能「隅田川」とオペラ「カーリュー・リヴァー」のどちらがより感銘深いかというと、断然、能「隅田川」である。やはり無常観ということに関しては日本人の方が優れた感受性を発揮しているように思う。「カーリュー・リヴァー」で描かれているのは、死生観であるが無常観までは達していない。両者は似ているが差は大きい。

ラストは、歌手、ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団の団員、山下一史らが黒いコートを纏い、客席通路を通って退場する。歌手達はコラールを歌う。やはり効果的な演出であった。

ブリテンの音楽は優れてはいるものの、彼のベストではないように思う。

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2017年3月 8日 (水)

観劇感想精選(202) ミュージカル「フランケンシュタイン」2017大阪

2017年2月2日 梅田芸術劇場メインホールにて観劇
 
午後6時から、梅田芸術劇場メインホールで、ミュージカル「フランケンシュタイン」を観る。韓国で制作されたミュージカルの日本版である。潤色は中谷まゆみとのコンビで知られる板垣恭一。今日が大阪初日である。
ビクター・フランケンシュタイン&ジャックとアンリ・デュプレのちのフランケンシュタインの怪物はWキャストで、今日はビクターを中川晃教が、アンリ・デュプレを小西遼生が演じる。
原作:メアリー・シェリー、脚本&歌詞:ワン・ヨンボム、音楽:イ・ソンジュン、訳詞:森雪之丞、音楽監督:島健、潤色&演出:板垣恭一、振付:森川次郎&黒田育世。出演:中川晃教、小西遼生、音月桂、鈴木壮麻、相島一之、濱田めぐみ他。子役も出ていたが、ビクターの少年時代を演じてた少年(石橋陽彩)はえらく芸達者である。

今回は、主要キャストの全員が一人二役を演じる。


まず、ビクター・フランケンシュタイン(中川晃教)が怪物(小西遼生)を生み出そうとしているシーンから始まる。ビクターの姉であるエレン(濱田めぐみ)の「ビクター! やめて、あなたのしようとしていることは間違ってるわ!」と言う声と、執事のルンゲ(鈴木壮麻)の「坊ちゃま!」と呼ぶ声が聞こえる。怪物が目を覚ましたところで時は遡る。

ナポレオン戦争の最中。怪我人の手当をしていた優秀なフランス人医師であるアンリ・デュプレ(小西遼生)にビクターが話し掛ける。ビクターはアンリが何者か知っていた。
アンリは生物の再生と創造の可能性を探っていたのだが、諦めていた。それを知ってビクターは助手としてアンリを雇おうとしたのだ。ビクターも生物の再生方法を試していた。「人間はそのうちに滅びる」ので、遺体再生そして「生命そのものの創造」の手段を考えていたのだ。「命の創造を神はお許しにならない」とアンリは反対する。「あなたは神を信じないのですか?」というアンリに、ビクターは、「信じている。だが、神は至福ではなく呪いをもたらすものだ」と答える。生物の創造に反対していたアンリだが、ビクターの信念と希望を信じる心に惹かれ、助手となる。ビクターは著名人のようで、ウォルターという医学生の若者はビクターのファンである。

ビクターの幼なじみであるジュリア(音月桂)は、ビクターのことをずっと恋い慕っていた。ビクターがアンリを連れて留学から戻ってきた。ビクターとは今も両思いのはずだとジュリアは思っている。

しかし、ビクターに嫌がらせをする人達もいる。エレンはジュリアに「ビクターの呪い」について話す。ビクターの父親も医師であったが、妻(ビクターの母)をペストで亡くしていた。しかし、ビクターが母親を生き返らせたという話が広がる。ジュリアは幼い頃にビクターがジュリアの飼っていた犬を生き返らせ、自分が噛まれて怪我をしたことを思い出した。

ジュリアの父で町の名士であるステファン(相島一之)もビクターの才能を買っている。

人間を創造するのには、死んだばかりの人間の脳がいる。それが手に入らないことを悩んでいるビクター。執事のルンゲが「葬儀屋に行ってはどうか」と提案し、ビクターは「どうしてそれに気がつかなかったんだ!」と早速、ルンゲに手配を頼む。だが、葬儀屋はふざけた真似を行った。ビクターを慕っているウォルターを殺してその首を提供したのだ。激怒したビクターは葬儀屋を殴り殺してしまう。
ビクターの成功を信じているアンリは自分が身代わりとなって名乗り出て逮捕される。姉のエレンにアンリを実験道具にしたいのかと問われたビクターは、法廷で「自分がやった」と告白するが、ステファンがそれを妨害。かくしてアンリは断頭台の露と消えた。

しかし、ビクターはアンリを生き返らせようとする。「人間は愚かでテロや戦争をする。それを乗り越えるための創造を」
冒頭のシーンが繰り返され、アンリはフランケンシュタインの怪物として再生した。しかし、怪物はもはやアンリではなく、ビクターの言うことを聞かない。ルンゲを殺した怪物をビクターは狙撃するが、怪物は窓から飛び降りて逃げ出す。


3年後。ビクターとジュリアは結婚している。だが、ジュリアの父親で市長になっていたステファンが森で行方不明になったという報告があり、皆で捜索に向かう。そこでビクターの前に紳士の格好をした怪物が現れる。あたかも「嵐が丘」のヒースクリフのように。怪物は、これまでの「血と涙」の3年間を語り、「創造主よ。なぜ俺を生んだ」となじる(怪物はビクターを常に「創造主」と呼ぶ)。

3年前、怪物は、森で熊に襲われていたカトリーヌ(音月桂二役)を助けた。怪物は熊を返り討ちにした上に食べてしまったらしい。「熊、美味しい」と語る怪物。カトリーヌは闘技場で下女として働く貧しい女性。幼い頃に父親から性的虐待を受け、他人から唾を吐きかけられるなど蔑まれて生きてきた。人間が嫌いなカトリーヌは怪物に「北極に行きましょう。あなたが好きな熊もホッキョクグマがたくさんいるわ」と夢を語る。「誰からも傷つけられない国」へ行きたいと語り、怪物と踊るカトリーヌ。そこへ現れた闘技場の主の妻エヴァ(濱田めぐみ二役)は、怪物を見て、「怪物じゃない。金よ」と言う。闘技場に怪物を出して儲けようと考えたのだ。エヴァは怪物を牢に閉じ込め、邪険に扱う。

闘技場(COLISEUMと電飾がついている)の主であるジャック(中川晃教二役)は金貸しのフェルナンド(相島一之二役)に多額の借金をしている。フェルナンドは自分の部下であるチューバヤという屈強な青年に勝てる者がジャックの身内にいたら借金を帳消しにすると提案。エヴァもジャックも怪物を出そうとするが、フェルナンドも怪物の存在は知っており、カトリーヌに、「これを怪物に飲ませれば自由にしてやる」と薬を渡す。「生きる意味がない。生きていても辛いだけ」と考えているカトリーヌは、「それでも自分が必要とされる時が来るなら」と希望は捨てておらず、「自由にしてやる」という言葉を信じて怪物に薬を与えてしまう。

怪物はビクターに復讐心を抱いていた。「俺と同じ目に遭わせてやる」と。まず、ステファンが殺され、エレンが犯人に仕立て上げられる。そして妻のジュリアが……。


望んでいない怪物として蘇った男の悲哀は、不幸なカトリーヌの姿に繋がる。二人とも蔑まれた存在だ。だが、最初から蔑まれた存在だった訳ではない。蔑まれた存在は生み出されたのだ。人間によって。人間の「心」が差別や蔑まれる存在を生み出しているのである。社会から捨てられた者の悲哀と孤独。それは当事者だけでなく人間であることの悲しみであり、他者を隔てることで生まれた孤独である。
そして人間は生み出す。己のために己の信念を貫くために悲劇を、戦争やテロといった「怪物」を。己の正義は誰かを踏みにじることによって生きる。「正義」と「悪」はあたかも一人二役のように背中合わせの「怪物」だ。敵の死を願い、実行してしまう人間はフランケンシュタインの怪物よりもずっと凶暴な怪物なのである。
「神のご意思」というものがあるのかどうかはわからない。だが、信念といった美化されやすいものは、「許されざる領域」に安易に踏み込めてしまう。「生み出せる」という「奢り」は、生み出されるものの思いも生み出した結果も想像することすらない。

人間に出来る最高の救済はあるいは孤独の分かち合いなのだろか。
今日は3階席の上の方。いわゆる天井桟敷での鑑賞。オーケストラピットからの音の方が通りやすく、またスピーカーの関係で、歌詞が聞き取りにくいことがあったが、許容範囲ではある。
ミュージカルのトップスターの一人である中川晃教は歌も演技も圧倒的。存在感もある。小西遼生も優れた演技と歌を披露する。何度も上演に接している濱田めぐみも圧巻の出来。
元宝塚歌劇団男役トップの音月桂は、昨年、「十二夜」のヴァイオラとシザーリオ役で主演した舞台を観ているが、歌声を聴くのはこれが初めて。ジュリアとカトリーヌの演技のみでなく歌声の違いも聴かせるなど、実力の高さが窺える。
東京サンシャインボーイズ出身の相島一之だけは、ミュージカル畑の人でないため、歌は余り上手くなく、演技のスタイルも微妙に違うのだが、お得意の悪役では流石の演技を見せていた。


イ・ソンジュンの音楽は要所要所で3拍子の楽曲を用いるのだが特徴である。かなりの高音が要求される部分もあるのだが、出演者達は楽々クリアしていた。やはりトップスターはものが違う。

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2017年3月 6日 (月)

観劇感想精選(201) 大竹しのぶ主演「ピアフ」2013大阪

2013年2月22日 森ノ宮ピロティホールにて観劇

午後1時から、大阪の森ノ宮ピロティホールで、大竹しのぶ主演公演「ピアフ」を観る。演出は栗山民也。作:パム・ジェイムス、テキスト日本語訳:常田景子。出演は、大竹しのぶの他に、梅沢昌代、彩輝なお、藤岡正明、小西遼生、碓井将大、谷田歩、横田栄司、畠山洋、岡村さやか、辻萬長。20分の休憩時間を含めて上演時間約2時間50分の大作である。

世界史上最も有名にして悲劇的なシャンソン歌手、エディット・ピアフの生涯を描いた作品。初演の際、私はチケットを手に入れているが、観に行くことは出来なかった。今回が初の観劇となる。大竹しのぶはこの作品をライフワークにしたいと語っている。

森ノ宮ピロティホールの音響は良いとは言えず、マイク音のキンキンした音量が小さめながら常に響いており、気にはなった。

赤いカーテンを背後にしたステージ。まず、司会者が登場し、スタンドマイクをセットして、ピアフが登場して歌うことを告げる。しかし前奏が終わってもピアフは現れず、前奏がもう一度繰り返される、今度はピアフ(大竹しのぶ)はカーテンの向こうから現れるが、80過ぎの老女のように足元はおぼつかなく、マイクに寄りかかるようにして歌い始めるが、気を失って倒れそうになる。舞台袖から人が出てきて、ピアフを支えるが、ピアフは口汚い言葉を浴びさえ、カーテンの背後へと消える。

その後、一転して、ピアフの若い時代が描かれる。大竹しのぶの一瞬にして若返る演技の業はいつもながら感心させられる。貧しい家に生まれ、貧しい家で育ったピアフ(本名:エディット・ジョヴァンナ・ガション)から、「ピアフ(フランス語の俗語で「雀」という意味)」という愛称を貰い、才能を認められてデビュー。しかし、ピアフの素行は良くなく、売春婦と付き合うなどしていた。

第二次大戦でナチスドイツに占領されたフランスが、一転して勝利し、フランス愛を歌うピアフ。しかし、恋人であるボクシングのミドル級チャンピオン、マルセル・セルダンが飛行機事故で亡くなるという悲劇に見舞われる。

その後、ピアノはアメリカに渡り、ニューヨークで、コミカルな歌を歌っていたイヴ・モンタンにシリアスな「帰れソレントへ」を歌わせて、本格的歌手としてデビューさせたり、マレーネ・ディートリヒと「バラ色の人生を歌ったりと、大西洋を股にかける活躍をする。

しかし、ピアフは酒、煙草、睡眠薬、自動車事故後に嵌まったモルヒネ中毒、自傷行為などにより徐々に病んでいく。

シャルル・アズブナールの才能を見出したピアフは、彼の全国ツアーの成功を喜ぶが、自身のステージでは、声が出なかったり、歌い始めてすぐに倒れてしまったり(冒頭のシーンの回帰)、奇声を発するなど、もはや歌手としての活動は限界に来ていた。

そうした場面が続いた後で、大竹は堂々と「愛の賛歌」を歌う。聞きものである。

精神病院に入院し、車いす生活となったピアフをテオファニス・ランボウカスという青年が訪ねてくる。ピアフは彼をテオ・サラポ(サラポはギリシャ語で「愛」という意味)と名付け、最後の恋人とする。

そして、1963年10月10日13時10分、ピアフは帰らぬ人となるのだった(ピアフの命日は公式には10月11日とされているが、10月10日が正確な日付のようだ)。

溶暗した後、再びライトが照る中で、大竹は「水の流れに」を熱唱。歌い終えて両手を広げた大竹に、「ブラボー」と喝采が起こる。それにふさわしい、名演技であった。

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コンサートの記(278) 小菅優ピアノ・リサイタル@びわ湖ホール大ホール2017

2017年2月4日 びわ湖ホール大ホールにて

午後2時から、びわ湖ホール大ホールで、小菅優のピアノ・リサイタルを聴く。


びわ湖ホールのロビーからは、雪を頂いた比良山系が見えた。

びわ湖ホール名曲コンサートの一環として行われた「小菅優 ピアノ・リサイタル」であるが、曲目はある程度クラシック通でないと内容がわからないものが多く、いわゆる通俗名曲によるコンサートではない。


プログラムは、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第14番「月光」、同じくピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」、武満徹の「雨の樹 素描」と「雨の樹 素描Ⅱ~オリヴィエ・メシアンの追悼に」、リストの「巡礼の年 第3年」より“エステの噴水”、リストのバラード第2番、ワーグナー作曲・リスト編曲の「イゾルデの愛の死」

びわ湖ホール大ホールはキャパが大きいので、3階席と4階席は今日は使用されていなかった。入りは、プログラムが渋いことを考えればまずまずである。

小菅優は翡翠色のドレスで登場する。

日本を代表する若手女性ピアニストである小菅優は、1983年東京生まれ。東京音楽大学付属音楽教室で学んだ後、10歳の時にドイツに渡り、以後はドイツで音楽教育を受けている。
コンクール歴が一切ないピアニストとしても知られているが、今は札幌交響楽団の首席指揮者を務めているマックス・パンマーが京都市交響楽団に客演し、小菅優と共演したときに、プレトークで、「小菅優が子供だった頃に優勝したピアノ・コンクールで伴奏を務めていたことがある。成長した姿を見て嬉しく思う」と発言していたので、青少年のためのピアノ・コンクールで優勝したことがあるのかも知れない。
コンクール歴なしとされるヴァイオリニストのアンネ=ゾフィー・ムターも西ドイツ青少年音楽コンクールでは優勝経験がある。
小菅は同世代で共に東京音楽大学ピアノ科特任講師を務める河村尚子と親しいようで、東京では河村と二人でピアノ・デュオ・コンサートも行っている。
超絶技巧の持ち主であり、特にベートーヴェンやリストなどには定評がある。

グレン・グールドのように猫背になって弾くことも多い演奏スタイル。


ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第14番「月光」。一音たりとも蔑ろにしない、極めて集中力の高い演奏を展開する。
日本人女性ピアニストというと、音の線が細いことが多いのだが、小菅はそうした悪い意味での「細さ」や「軽さ」とは無縁である。音にボリュームがあり、情報がぎっしり詰まっている。
やや遅めのテンポで開始した第1楽章。幻想的(ドイツ語の場合は「即興的」というニュアンスも含むようである)というより悲しみを堪えつつもそっと語りかけてくるような趣がある。
立体感のある第2楽章の演奏に続く第2楽章は情熱の奔流。第一級のベートーヴェンである。

ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」。軽快さと推進力のある第1楽章も優れていたが、一番凄かったのは第3楽章。小川のせせらぎのように清らかな音が、巨大な流れとなり、最後は浮遊感のある演奏に変わる。マジカルである。

構造力と情熱と強靱なタッチ。良い例えなのかどうかわからないが、小菅は「女版エミール・ギレリス」のようなベートーヴェン弾きである。


休憩を挟んで、武満徹の「雨の樹 素描」と「雨の樹 素描Ⅱ~オリヴィエ・メシアンの追悼に」。繊細にして緻密な設計士の技による優れた演奏である。透明感のある音で、武満の神秘的な音楽を解き明かし、再構成してゆく。

リストの「巡礼の年 第3年」より“エステ荘の噴水”。村上春樹の小説『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』で知名度を上げたリストの「巡礼の年」だが、“エステ荘の噴水”は映画で用いられるなど、以前から有名であった。
清潔感と生命感に溢れるピアノである。

リストのバラード第2番。多彩な音のパレットが生かされる。仄暗い響きから、輝きを放つ音、官能的な音色まで自由自在である。メカニックも驚くほど高度である。

ワーグナー作曲・リスト編曲「イゾルデの愛の死」。びわ湖ホール大ホールは天井が高いのだが、その天井まで貫くような強烈な音がここぞという時に飛び出す。原曲が持つうねりをピアノで極限まで追求したような演奏。まだ30代前半のピアニストとは思えないほどの成熟した音楽であった。


アンコールはメシアンの「プレリュード第1番 鳩」。鳥の鳴き声に惹かれていたメシアンだが、それを不思議な音楽に仕上げている。この曲を聴くと、武満徹がメシアンから多大な影響を受けていることがわかる。
小菅は、ミステリアスにして美しい和音を巧みに紡ぎ出してみせた。


ブラーヴァ! 文句なしのコンサートであった。

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2017年3月 5日 (日)

これまでに観た映画より(93) ヒッチコック9「快楽の園」

2017年2月27日 新京極のMOVIX京都にて

午後7時から、MOVIX京都で、ヒッチコック9「快楽の園」を観る。

「快楽の園」はアルフレッド・ヒッチコックの監督デビュー作である。1925年(大正14年。日本ではラジオの放送が始まった年である)制作、1926年(大正15年=昭和元年)公開の作品。オリヴァー・サンディスの同名小説を翻案したものである。イギリス映画であるが、当時のイギリス映画界は不振が続いており、制作費が見込めないため、すでに映画大国であったドイツのミュンヘンに本社を置くエメルカ社と提携し、ドイツとイタリアで撮影が行われた。映画黄金期にあったドイツの映画資本は英国の実に10倍ほどはあったという。
ただ、映画が完成したのは良いが、制作会社が出来に難色を示したため、公開は1年ほど遅れている。

今日も古後公隆のキーボードとチェロによる即興生演奏付きでの上映。字幕の日本語訳は大野裕之ではなく、別の男性が読み上げた。


「快楽の園」というのは劇場の名前である。若い女性ダンサーを目当てに、多くの男性が「快楽の園」に通っている。タイトルバックではすでにダンサー1人が踊っており、妖艶な雰囲気を出している。
ヒッチコック映画というと螺旋階段が多く登場することで有名だが、最初の映画の最初のシーンが螺旋階段を駆け下りる女性ダンサー達を撮ったものである。

パッツィ(ヴァージニア・ヴァリ)は「快楽の園」で働くダンサーの一人。パッツィの美貌に惚れて言い寄る男性もいるほどだ。パッツィはウィットに富んだ話で言い寄ってきた男性を退ける。
本番が終わった後、若い女性が「快楽の園」を訪ねてくる。女の名はジル(カルメリータ・ゲラティ)。田舎での生活が耐えられなくなってロンドンに出てきたのだが、お金がない。そこで「快楽の園」の支配人であるハミルトン(ジョージ・スネル)への紹介状を持って「快楽の園」を訪れたのだ。だが紹介状は劇場に入る前にスリの男性に奪われてしまい、バッグを引っ繰り返しても出てこない。見かねたパッツィは、ジルを自分の下宿先に泊まらせる。ジルはパッツィに婚約者の写真を見せる。ヒュー(ジョン・スチュアート)というハンサムな男性だ。

翌日、ジルはハミルトンの前でダンスを披露。「何でも踊れる」と豪語するジルは言葉通り見事な身のこなしを示し、ハミルトンに気に入られる。「週給5ポンドでどうだ」と誘うハミルトンに、ジルは「20ポンドがいいわ」と強気に出て認められた。
ヒューがパッツィとジルの下宿を訪ねてくる。ヒューは東洋へ海外転勤するのだと告げる。同僚のレヴェット(マイルス・マンダー)も少し遅れてから海外に赴任するそうだ。

ハミルトンは、ジルを王子であるアイヴァン(イヴァン。演じるのはC・ファルケンブルク)と娶せることを画策。望み通りアイヴァンとジルは恋仲となり、上流階級の人々に囲まれることに慣れたジルはヒューの転勤先に向かうこともなく、パッツィとの部屋も「狭すぎる」という理由で出て行ってしまい、アイヴァン王子の屋敷で贅沢な暮らしを送るようになる。

一方、レヴェットはパッツィにプロポーズして成功。二人は結婚することになる。イタリアのコモ湖畔に新婚旅行に行った後で、「資金が出来たら迎えに来る」と言い残して出港したレヴェットだが、現地に着くなり現地妻(演じるのはニタ・ナルディ)を作り、パッツィが出した手紙にも返事を書かない。
やがて、レヴェットは「病気になったので返事が書けない」という手紙を寄こす。心配したパッツィは渡航しようと思い立つがお金がない。パッツィの様子を見かねた大家夫婦が棚の上からへそくりを取り出し……。

かくして海を渡ったパッツィ。だが、病気になったのは本当だったが、現地妻といちゃついているレヴェットを目撃したパッツィは失望する。レヴェットは現地妻を追い出そうとするが、パッツィの方から家を出て行った。
現地妻は、本国に本妻がいたことを知って入水自殺を図る(「蝶々夫人」のような展開である)。現地妻の元へと泳いでたどり着くレヴェット。助けに来てくれたのだと思い、笑顔を見せる現地妻だったが、レヴェットが彼女の顔を海へと沈め……。


監督処女作にしてスリラーの要素を取り込んだロマンスに仕上げており、まだ二十代半ばの映画監督が撮ったものとしては完成度はとても高く、後年のヒッチコックの監督としての大成功を早くも予見させるものとなっている。
モノクロ映画であるが、フィルムは彩色されており、セピア色、グリーン調、パープル調、ピンク調と様々な色が用いられているのも特徴である。

なお、この映画で監督補&スクリプターを務めたアルマ・レヴィとは、これが縁となってヒッチコックは後に結婚することになる。

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2017年3月 3日 (金)

これまでに観た映画より(92) ヒッチコック9「恐喝(ゆすり)」(サイレント版)

2017年2月26日 新京極のMOVIX京都にて

午後5時から、MOVIX京都で、ヒッチコック9「恐喝(ゆすり)」を観る。1929年の作品。この映画はサイレントとトーキーの端境期ということで、サイレント版とトーキー版の両方が作られたという。私もトーキー版の「恐喝(ゆすり)」は観たことがあるのだが、サイレント版を観るのは今日が初めてである。というよりサイレント版「恐喝(ゆすり)」の存在を知らなかった。

この作品もまた舞台作品の映画化である。監督&翻案:アルフレッド・ヒッチコック、原作:チャールズ・ベネット、脚本:ガーネット・ウェストン&チャールズ・ベネット。

今日も、古後公隆によるキーボードとチェロの即興伴奏付きの上演。ディレクターである大野裕之は、作品の紹介と進行役を担当したが、字幕の日本語訳は今日は大野ではなく、劇団とっても便利の女優である佐藤都輝子(さとう・ときこ)が読み上げた。


ロンドンが舞台。スコットランドヤード(ロンドン警視庁)の刑事であるフランク(ジョン・ロングドン)がホシを挙げることに成功。恋人で雑貨店の娘であるアリス・ホワイト(アンディ・オンドラ)と共に映画館に行くデートを楽しむことにするのだが、途中で寄ったレストランで、アリスは画家のクルー(シリル・リッチャード)からの誘いを優先させ、映画を観るのをやめて帰るとフランクに言う。アリスはクルーと共にレストランを後にする。フランクはそれを目撃し、後を追う。
クルーのアトリエに寄っていくことに決めたアリス。そこには悲しげに笑っているようにも見える道化の画があるのだが、それが後々、意味をなしてくる。
クルーが突然本性を露わにし、アリスに襲いかかる。ベッドに連れ込まれたアリスは近くにあったナイフを手に取るとクルーを滅多刺しにして殺してしまう。

クルー殺害事件の担当にはフランクが就くことに決まった。だが、現場でフランクはアリスがつけていたものと同じ指先の破れた手袋を発見する。フランクは手袋をポケットにしまい込み、証拠隠滅を謀る。

人を殺めてしまったショックで一晩中、ロンドンの街をさまよい歩いたアリス。だが、母親に悟られないように自宅(1階でホワイト雑貨店を営む)に帰り、2階の自室のベッドでずっと寝ていたふりをする。
ホワイト一家が朝食を終えた頃にフランクが訪ねてきて、アリスに昨夜何があったのかを聞く。と、そこへ人相の悪い男がホワイト雑貨店に入ってきて、一番上等な葉巻を注文する。男は火を点けて吸い始めるが、金を持っていないのでフランクに立て替えてくれるよう頼む。男の名はトレイシー(ドナルド・キャルスロップ)。昨夜の殺人事件の犯人がアリスだと知っていた。トレイシーは「朝食でも食べよう」と言って、ホワイト雑貨店の居間に上がり込み、アリスとフランクをゆすろうとする。
だが、トレイシーが指名手配されたという情報が電話を通してフランクに伝わる。殺害現場近くにトレイシーは足跡を残しており、トレイシーという名を照合したところ、殺人の前科があることが判明したのだ。今度はフランクが俄然反撃に転じ、トレイシーをゆする番となった。そしてフランクからの話を受けたスコットランドヤードの刑事達がホワイト雑貨店に踏み込んでくる。追い詰められたトレイシーはホワイト雑貨店の窓ガラスを破って逃亡。ロンドン中を逃げ回るが、どこに行っても追っ手は迫る。大英博物館に逃げ込んだトレイシーは大捕物を演じたあげく、ガラス屋根から転落死する。これで死人に口なしとなり、ハッピーエンドを迎えるかと思われたのだが……。

イギリス映画としては、初めて全編に渡ってトーキーが採用された映画となった「恐喝(ゆすり)」。だが、心理サスペンスであるため、サイレント映画にもまた強烈な魅力がある。心の揺れを眼差しや細かな仕草で表現したアリス役のアンディ・オンドラ、ふてぶてしさを表情のみで表現したトレイシー役のドナルド・キャルスロップ、弱気だったのが一転して復讐の鬼と化すフランク役のジョン・ロングドンなど、出演者の演技がとても素晴らしい。今日は字幕によるセリフは比較的多めだったが、しっかりと状況設定と役者の表現力さえあれば、サイレントであったとしてもかなり雄弁な映画となるうることが証明されたかのような作品であった。

のちに「ヒッチコック・シャドー」と呼ばれることになる長く不気味な影、ヒッチコック映画の定番でもある螺旋階段、殺害の瞬間を観客に見せない技法、ロンドンの象徴でもあるビッグベンの使い方や、手の差し出し方によって思い起こされるアリスのトラウマなど、ヒッチコックはサイレント映画の粋を集めたかのような巧みな映画作りを見せている。


ヒッチコックというとカメオ出演が有名であるが、「恐喝(ゆすり)」では、かなりわかりやすい形で登場する。フランクとアリスが地下鉄でレストランへと移動するシーンで、同じ車両に乗り合わせた男がヒッチコックである。車内で暴れ回る子供をにらみつけるという演技まで行っている。
 
 

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2017年3月 2日 (木)

これまでに観た映画より(91) ヒッチコック9「農夫の妻」

2017年2月25日 新京極のMOVIX京都にて

アルフレッド・ヒッチコック監督のサイレント時代の映画全9本をイギリス国営映画協会が2012年に最新デジタルマスターで1コマずつ復元した映像で日本初上映しようというヒッチコック9。ヒッチコックのサイレント映画は日本では映画館で上映されたこと自体が少なく、日本初上映となる作品も多い。
今日観るヒッチコック9は、ラブコメディーである「農夫の妻」。1928年の作品である。
「ふしだらな女」同様、この映画も戯曲が原作であり、イーデン・フィルポッツの大ヒット舞台を映画化したものだという。ヒロイン役は、「リング」でもヒロインを務めたリリアン・ホール=デイヴィス。ミュージカル映画「雨に唄えば」では、サイレント映画のスターがトーキーの時代になって通用しなくなる様が描かれているが、このリリアン・ホール=デイヴィスもトーキーに対応出来ずに精神を病み、この映画が作られたわずか5年後の1933年にガス自殺を遂げている。享年35。

イギリス南西部の農村が舞台。ヒッチコックは実際にイギリス南西部のマインヘッド郊外でロケを行っているが、主人公の家はロンドン市内に作られたセットで撮影されている。
サミュエル・スウィートランド(ジェイムソン・トーマス)の妻が亡くなる。妻は遺言と「早く再婚して」というメッセージを残していた。ただし、結婚相手は誰が良いのかは書かれていない。そこでサミュエルは、家政婦のアラミンタ(リリアン・ホール=デイヴィス)と協力して結婚候補のリストを作る。リストの載ったのは4人。いずれもサミュエルに対してその気があるような気配を見せていた女性達だ。
だが、「一人で生きていける」、「結婚相手には考えられない」、「年齢が離れすぎていて考えられない」などという理由で断ってくる。
ヒットした舞台の映画化であり、求婚される女性の一人、サーザ・タッパーを演じたモード・ジルは舞台版でも同じ役を演じていたそうである。
大傑作というわけにはいかないだろうが、愛らしい作品であり、俳優達の表情の演技も巧みである。リリアン・ホール=デイヴィスだけが飛び抜けた美女で、他は普通のおばさんであり、最初から結末はわかってしまうのであるが、納得出来る終わり方をするため、予定調和であるがハッピーエンドと感じられる。
気が変わってサミュエルと結婚する気満々でいたメアリー・ハーン役のオルガ・スレイドの錯乱を表す演技も面白い。

今日も英語の字幕の日本語訳を大野裕之が読み上げ、古後公隆がキーボードとチェロによる即興伴奏を生演奏した。


今日は映画監督を迎えたアフタートークがある。ゲストは映画「淵に立つ」で、第69回カンヌ国際映画祭・ある視点部門審査員賞を受賞した深田晃司(ふかだ・こうじ)監督。ヒッチコック9のディレクターである大野裕之と二人でトークを進める。深田は、ヒッチコック監督の「裏窓」という映画にサイレント映画の要素が見られると指摘する。「裏窓」では、足を骨折した主人公(ジェームズ・スチュアートが演じている)が裏窓から双眼鏡を使って向かいのアパートを眺めているうちに事件に巻き込まれるという展開をするのだが、向かいのアパートの住人達の仕草は見えるのに、声や音が聞こえてこないところがサイレント的であるという。
大野によるとヒッチコックはサイレント映画について、「最もピュアな映画の形」と形容していたそうで、サイレント映画こそが映像作品の究極形態の一つと考えていた節がある。
大野はチャップリン研究の専門家であるが、チャップリンもよく知られている通りトーキー映画に敵愾心のようなものを抱いており、「モダンタイムス」ではチャップリンは意味不明の言葉で歌ったことを挙げる。チャップリンがトーキーに本格的に乗り出すのは「自分の声でメッセージを伝えたかった」という理由で長大な演説シーンを盛り込んだ「独裁者」からである。
深田監督は、サイレント映画の中では、「イントレランス」、「裁かれたジャンヌ」、「ファウスト」が好きだそうである。サイレント時代には、英国には実は映画予算がなく、ドイツやアメリカの映画会社が資金潤沢だったそうで、ヒッチコックもアメリカの映画会社(のちのパラマウント)のロンドン撮影所に入社し、ドイツで最初の映画を撮っている。
チャップリンもバスター・キートンも喋る表情をしないサイレント映画を作っているが、「農夫の妻」では、声は聞こえないものの口は動いており、そこが他のサイレント映画の作家と違うところだと深田は指摘した。
また深田は、階段が効果的に使われていることについて述べ、左右だけでなく上下を有効に生かしていると語った。

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2017年3月 1日 (水)

これまでに観た映画より(90) ヒッチコック9「ふしだらな女」

2017年2月24日 新京極のMOVIX京都にて

午後7時からMOVIX京都で、ヒッチコック9「ふしだらな女」を観る。1928年の映画。今日が日本における劇場初上映となる。「私生活(プライベート・ライヴズ)」などで知られる劇作家、サー・ノエル・カワードの戯曲の映画化。ただサイレント映画であるため、戯曲通りに映画を制作することは不可能であり、脚本のエリオット・スタナードがサイレント映画用に再構成を行って完成させている。

1928年というと、日本の年号に直すと昭和3年。日本国憲法第9条の元となるパリ不戦条約が結ばれた年でもある。

今回は生演奏付きでの上演となる。作曲家でピアニスト、チェリストでもある古後公隆がキーボードとチェロの演奏を行った。
「ふしだらな女」も字幕によるセリフは比較的多めで、ディレクターの大野裕之が日本語訳を読み上げる。

まずは裁判所の場面から始まる。被告人はラリータ・フェルトン(イザベル・ジーンズ)。ラリータは画家のクロード(エリック・クランズビー・ウィリアムス)に肖像画を依頼してたのだが、ラリータの夫のオーブリー(フランクリン・ダイアル)はアル中で癇癪持ちであり、酔ってはラリータを殴りつけるなどのDVを行っていた。クロードがラリータの肖像画を描いている時も、様子を見に来たオーブリーは堂々と酒を飲んでいる。オーブリーの不在時、二人きりで絵を描いていた時にラリータがDVを受けていることを知ったクロードは打撲痕のある腕を取ってラリータを慰めるのだが、折悪しく、丁度そこへオーブリーが帰ってきてしまう。ラリータとクロードの浮気の現場を押さえたと勘違いしたオーブリーは二人をなじる。激怒したクロードはピストルを発砲。オーブリーはクロードを散々に殴りつけるが、最後は倒れる。急所は逸れていて命に別状はなかったのだが、発砲音を聞きつけた警察が駆けつけてくる。追い詰められたクロードは自殺する(自殺のシーンはなく、法廷での証言のセリフでクロードの死が語られる)。
姦通罪で、有罪となったラリータは南仏へと移り、傷心を癒やそうとする。ある日、ラリータがテニスの試合を見ていた時に、テニスボールが逸れてラリータの顔に当たってしまう。ミスショットをしたのはジョンという青年(ロビン・アーヴィン)。これがきっかけとなり、ラリータとジョンは急接近。瞬く間に結婚に漕ぎ着けた二人はイギリスに帰ることになる。
しかしジョンの母親(ヴィオレット・フェアブラザー)はラリータに不審を抱いている。ジョンの母親は元々はジョンの幼なじみであるサラ(イーニッド・スタンプ=テイラー)を義理の娘として迎えるつもりでいた上に、何故か見覚えのあるラリータの顔から不穏なものを感じていた。サラはラリータに優しかったが、ジョンの母親はラリータには冷たく当たり……。

特に誤ったことはしていないのに、勘違いされたり間違われることで不幸になるという、ヒッチコック映画ではお馴染みのパターンが見られる映画である。
実は元のフィルムはすでに消滅しており、残っていたのは家庭用の16ミリフィルムに転写されたものだけだったという。なお、元々は94分の作品だったそうだが、今現在残っているのは69分のみであり、今回はそれが上映された。元々が粗悪な映像であったわけだが、イギリスが国費を注ぎ込んでデジタルリマスターしたというだけあって、予想よりも良い画像で観ることが出来た。

以前にも京都会館第2ホール(現・ロームシアター京都サウスホール)で、齊藤一郎指揮京都市交響楽団の伴奏によるチャップリンのサイレント映画を観たことがあるが、やはり生演奏による音楽の力には大きなものがある。その分、十分に注意しないと物語が音楽に飲み込まれてしまう可能性が高くなるということでもある。

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