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2017年4月 6日 (木)

コンサートの記(290) 木下牧子作曲 オペラ「不思議の国のアリス」(演奏会形式)

2017年3月25日 びわ湖ホール中ホールにて

午後2時から、びわ湖ホール中ホールで、びわ湖ホール声楽アンサンブル第63回定期公演 木下牧子作曲 オペラ「不思議の国のアリス」を観る。原作:ルイス・キャロル、台本:高橋英郎&木下牧子。
 
2015年に岐阜のサマランカホールの委嘱によって作曲家自身が編曲した八重奏編成による演奏会形式の上演であるが、指揮者とオーケストラが舞台の上に上がっているというだけで、他は、衣装、セット、小道具、照明、映像などを用いた本格的な上演である。指揮は大井剛史(おおい・たけし)、演出は岩田達宗(いわた・たつじ)。演奏はザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団のメンバーで、ヴァイオリン・赤松由夏、ヴィオラ・上野亮子、チェロ・山岸孝教、フルート・江戸聖一郞、クラリネット・松尾依子、ホルン・西陽子、打楽器・安永早絵子、ピアノ・岡本佐紀子。
出演は、びわ湖ホール声楽アンサンブルのメンバーで、飯嶋幸子(いいじま・ゆきこ)、平尾悠(ひらお・はるか)、藤村江李奈、砂場拓也、林隆史、船越亜弥、山際きみ佳、古屋彰久、増田貴寛、五島真澄(男性)、川野貴之、内山建人、鈴木望(すずき・のぞみ)、本田華奈子、島影聖人(しまかげ・きよひと)、吉川秋穂ほか。

指揮者の大井剛史は、私と同じ1974年生まれ。昨年まで私の故郷にあるニューフィルハーモニーオーケストラ千葉(現・千葉交響楽団)の音楽監督を務めていたが、私はずっと京都にいたので、大井の実演に接するのは初めてである。
大井は17歳の時から松尾葉子に指揮を師事し、東京藝術大学、同大学院を修了。若杉弘と岩城宏之にも師事した。2008年にアントニオ・ペドロッティ国際指揮者コンクールで2位入賞。現在は山形交響楽団の正指揮者と東京佼成ウインドオーケストラの正指揮者を務めている。
オペラ「不思議の国のアリス」の初演でタクトを執ったのも大井である。


木下牧子は、日本作曲家界の中堅世代を代表する作曲家の一人。このオペラ「不思議の国のアリス」で2003年に三菱UFJ信託音楽賞奨励賞を受賞している。
東京藝術大学、同大学院を首席で修了。現代音楽の作曲家でも、映画音楽などの劇伴やポピュラー音楽を手掛ける人は多いが、木下はクラシック系の音楽のみで勝負するという、今では珍しいタイプの作曲家である。
ホワイエで開場を待っている時にも木下は姿を見せていたが、カーテンコールでは客席(私の席のすぐそばに座っていた)からステージ上に呼ばれて喝采を受けた。


舞台は2段になっているが、2段目は平台程度の奥行きしかなく(実際に平台を重ねたものだと思われる)、後ろ側にも降りられるようになっている。平台舞台の上手と下手に3段の階段がある。背後にはホリゾント幕(スクリーン)が下りていて、ここに日本語字幕や映像が投影される。投影される映像は、写真、CGなど多岐にわたる。


指揮者が立つと視覚的に問題が発生するため、大井は常に椅子に腰掛けての指揮である。端正で拍をきちんと刻むタイプの動きをする。

木下の音楽は、「大人から子供まで楽しめる、遊び心に満ちた日本語オペラ」を作るというテーマを掲げていた高橋英郎の委嘱で描かれた作品ということもあり、メロディアスで明快であるが、やはり現代音楽の作曲家であるため、時折、不協和音や鋭い響きが飛び出す。三拍子系の音楽が要所要所で用いられているのも特徴。


びわ湖ホール中ホールは基本的に演劇向けのホールであり、室内楽編成のオーケストラ演奏にもオペラにも適した音響とはいえない。八重奏の編成では音が小さく聞こえるのに、合唱が大音声を発すると、天井や壁がガタガタいう。


序曲に続き、舞台下手からアリス役の飯嶋幸子が飛び出してきてスタート。舞台前方からは客席に下りられるようになっていて、下手の階段を飯嶋幸子と、ウサギ役の藤村江李奈が用いて、中央通路を通って入退場を行った。

ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」であるが、かなりカオスな物語である上に、ラストは夢オチということで、知名度は高いが内容は余り知られていなかったりする。木下牧子も、ディズニー映画などでわかったつもりになっていたが、作曲のために文庫本で「不思議の国のアリス」を読んでみても良さがサッパリわからなかったそうで、3~4種類の日本語訳を読み比べたり、イギリス史や哲学などで背景を探ろうとしても無理だったのであるが、英語の原文で読んだら「すぐに理解でき」たそうである。英語で読まないと本当の良さがわからない本なのかも知れない。一応、日本語訳テキストでもメタレベルにまで落とし込んで、「マジックリアリズム」として解釈すれば面白いのだが、それは知的な面白さであり、ファンタジーとしての面白さとは別だと思われる。
背が高くなったり低くなったりを人間の成長の隠喩と取ったり、暴君そのものの女王を他のものに見立てたりは出来る。今は丁度、トランプという人が出てきているし。
ドードーの指示で行う体を乾かすための「ぐるぐる競争」や女王主催のクロッケー大会も、村上春樹が「回転木馬のデッドヒート」と表現した現代社会の模写のようにも見える。現代は、物語の中よりもリアルな世界の方が「不思議の国」に近くなっている。

オペラで「不思議の国のアリス」をやろうというのも困難である。アリスの体が大きくなったり小さくなったりを表現するのは舞台では難しいし(今回は写真を投影することで処理していた)、人間でないものが多く登場するので色物になりやすい。また、意味のわからないセリフが沢山出てくるため、観ている方の混乱を誘う可能性がある。

原作とは違い、青虫を百合の花(百合の花の演じるのは平尾悠。アリスの姉との二役である)に変えたり、容疑者として登場して一言しか発しないジャック(演じるのは古屋彰久)をアリスを誘う色男に変えたりして、物語を進めやすくしている。青虫が出てきたら本当に色物になってしまう。
帽子屋(増田貴寛)の歌は、「キラキラ星」のメロディーを意図的に崩して音痴に聞こえるようにしたもので、これは帽子屋の主題にもなっている。
鳥は複数のキャストが演じるのだが、団扇を両手に持って羽ばたくことで処理し、クロッケー大会の時には、原作にあるフラミンゴではなく掃除用具などを手にすることで過度にはみ出さないよう注意が払われている。

岩田達宗は、歌劇「ラ・ボエーム」や新作オペラ「夜叉ヶ池」で歌舞伎の手法を用いており、「意図してやっているのかどうか」を以前、岩田さんに聞いたことがあるのだが、どうも岩田さんが奥さんの影響で無意識にやっているようである。今回の「不思議の国のアリス」でも涙で起こった洪水を幕で表すという、歌舞伎でよく用いられる手法が取り込まれていた。

言葉遊びの場面は、原作を舞台に置き換えるのは難しいため、公爵夫人の茶会で「歌遊び」をするという設定で、公爵夫人が自身の「公」という頭文字に掛けて「コートダジュールに住みたい」と歌い、ジャックが「ジャマイカに住みたい」と歌い、アリスが「アイルランドに住みたい」と歌った後で、帽子屋が「ボートに住みたい」と歌って大滑りするという愉快なシーンになっている。帽子屋はこのオペラでは道化的存在として扱われているようだ。


日本人が日本語のオペラを上演する場合にネックとなるのはやはり演技力である。外国語で歌ったり演技をしている場合は、こちらが外国語に詳しくないということもあり、演技のレベルはわからない。ただ、日本語による歌唱や演技は当然ながらよくわかるのである。そもそも日本語オペラの場合は歴史が浅いため、指針がまだ定まっていないということもある。
日本の一流の舞台俳優と比べるのは酷だろうが、「酷」と思ってしまうのが現状でもある。

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