« 2017年3月 | トップページ | 2017年5月 »

2017年4月の19件の記事

2017年4月29日 (土)

史の流れに(3) 京都文化博物館 「戦後時代展」

2017年4月11日 京都文化博物館にて

三条高倉にある京都文化博物館へ。
    
京都文化博物館で現在行われているのは、「戦国時代展」。文書、日記、刀剣、鎧、絵図、屏風絵、肖像画などが展示されている。

まずは江戸城主であり、歌人としても知られる太田道灌の書状から展示は始まる。

足利将軍家が細川氏と六角氏に命令をしたことがわかる文書が展示されているのだが、本文には「六角」ではなく、「佐々木」と記されており、苗字ではなく氏(本姓)が用いられていたことがわかる(六角氏は佐々木源氏の流れである)。

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という天下人三人の発した文も展示されている。

昨年の大河ドラマは「真田丸」だったということで、真田氏の六文銭の旗や真田昌幸が使ったといわれる法螺貝などが展示されているほか、真田家の城として有名になった岩櫃城の絵図(珍しいことに立体図になっている)などもある。

城の図は他に、小谷城、吉田郡山城、そして大内氏の城下町である山口と後北条氏の城下町である小田原の絵図もある。

剣豪将軍としても知られる足利義輝の肖像画も展示されている。桐の紋が入った短刀を差しているのが確認出来た。

武田信玄の肖像画もあり、よく見かけるものとは異なるのだが、信玄の弟の筆によるものだそうである。こちらの肖像画の信玄は容姿は余りパッとしない。

武田信玄と上杉謙信が戦った川中島合戦図屏風も複数ある。いずれの絵でも穴山梅雪は目立っている。


小田原北条氏(後北条氏、北条氏)五代の肖像もある。後北条氏の初代である北条早雲(伊勢新九郎守時。早雲本人は北条を名乗ったことはないそうだ)は、伊勢氏の出だが、この伊勢氏は足利将軍の政所執事であった伊勢氏の流れであることが有力視されるようになっており、そうだとすると相当な名門の出ということになる。


上杉家文書が展示されているのも興味深く、上杉輝虎、武田晴信(信玄)、今川氏真、北条氏康・氏政連署、伊達輝宗、佐竹義重などの筆跡を知ることも出来る。


私自身が、「ひょっとしたらこの人が戦国最強なのではないか」とも思っている尼子経久の肖像画を見ることが出来たのも嬉しかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月28日 (金)

祇園甲部歌舞練場「祇園・花の宴」

2017年4月11日 祇園甲部歌舞練場玄関棟・別館&八坂倶楽部にて

祇園甲部歌舞練場へ。

祇園甲部歌舞練場本館(劇場棟)は現在、耐震対策工事中だが、玄関棟と別館、南にある八坂倶楽部では特別公開「祇園・花の宴」が行われており、玄関棟で行われてる土産物展やNHKによる都をどりの映像上映には出入り自由。また今年は京都芸術劇場春秋座で行われている都をどりの本番を観た人は、春秋座で配られたチラシ(無料券)を見せれば八坂倶楽部や別館にもただで中に入ることが出来る。

八坂倶楽部内では、八坂女紅場に通う舞妓の卵達の手による書や短歌などが見られる他、茶室が設けられており、庭園にも降りることが出来る。

日に数度、別館座敷のミニステージで芸舞妓による舞の披露と、ツーショットが撮れる撮影会が行われている(撮影会に参加するには500円を払う必要がある。私は撮影会には参加しなかった)。
午後4時からの公演を観る。舞の時も写真撮影はOKである。
祇園甲部の芸舞妓は都をどりに総出演しているが、都をどりはローテーション制であり、降り番の人が祇園甲部歌舞練場の座敷で舞を披露する。

今日の出演は、芸妓が紗月、舞妓が紫乃。紗月が「君に扇」を紫乃が「花笠」を舞い、最後は二人で「祇園小唄」を披露する。
舞妓さんの踊りは可愛いが、芸妓さんの舞は凄い。芸妓・紗月の舞は動きにも表情にも無駄が全くなく(常に魅力的な顔つきと仕草なのである)、流石としか言いようがない。

2階建ての建物である八坂倶楽部の2階からは、庭園で咲き誇る桜の木数本が眺められて、実に気分が良い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月27日 (木)

「都をどり in 春秋座」2017年4月3日

2017年4月3日 京都芸術劇場春秋座にて

午後4時30分から、京都芸術劇場春秋座で、「都をどり in 春秋座」を観る。
祇園甲部の都をどりは、その名の通り祇園甲部歌舞練場で毎年行われているのだが、今年は祇園甲部歌舞練場が耐震対策工事で使えないため、井上八千代が教授を務める京都造形芸術大学内にある、京都芸術劇場春秋座で行われることになった。
1日3回公演で、午後4時30分開演の回が、その日の最終公演になる。

これまで、先斗町の鴨川をどり、祇園東の祇園をどり、宮川町の京おどりは観ているが、一番の老舗である都をどりは観ていなかった。何故といっても大した理由があるわけではなく、たまたま観る機会がなかったのである。
ただ、場所を変えての都をどりは今後いつまたあるかわからないし、春秋座には歩いて行けるということで、観に行くことにした。

毎年テーマを決めて行われる都をどりであるが、今年は春秋座が洛北にあるということで、「洛北名所逍遙(そぞろあるき)」という題で、「置歌」(今年はこれから演じられる洛北の光景が歌われる)、「貴船川床納涼」、「鞍馬山牛若丸兵(いくさ)修行」、一乗寺にある「圓光寺錦紅葉」、大原の「寂光院懐旧雪」といった演目が上演される。最後は洛北ではなく、「甲部歌舞練場盛桜」である。
今日は2階席の下手側バルコニー席。ということで、残念ながら花道が見えない。ただ、踊り手が花道にいる時間は比較的短いため、贅沢を言わなければ楽しめる席である。
2階下手側バルコニー席には白人の観客が多く陣取っている。

「置歌」、「貴船川床納涼」と純粋な踊りが続くが(「貴船川床納涼」では蛍が舞うという演出がある)、「鞍馬山義経兵修行」には筋書きがある。鞍馬山で修行している牛若丸(里美)を母である常盤御前(孝鶴)が訪ね、「父親の義朝の敵を必ず討つように」と告げる。常盤御前が去ると、鞍馬の天狗がやって来て、牛若丸に勝負を挑む。牛若丸の腕に感心した天狗達は牛若丸に秘伝の兵法を授けるというものである。

「圓光寺錦紅葉」の舞台となる圓光寺は、春秋座から徒歩15分ほどのところにある臨済宗の名刹。開山は徳川家康であり、家康公の名前は謡に登場する。

「寂光院懐旧雪」は、建礼門院徳子が主人公。大原寂光院に閑居している建礼門院徳子(まめ鶴)が、高倉天皇(そ乃美)と過ごした日々(懐旧の平徳子を舞うのは豆千鶴)を懐かしむというものである。

ラストの「甲部歌舞練場盛桜」は、人海戦術で華やかに決めた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

観劇感想精選(209) 「それいゆ」(再演)

2017年4月19日 新神戸オリエンタル劇場にて観劇

午後7時から、新神戸オリエンタル劇場で、画家・ファッションデザイナー・イラストレーター・人形作家の中原淳一(1913-1983)の青春を描く舞台「それいゆ」を観る。脚本:古家和尚(ふるや・かずなお)、演出:木村淳(関西テレビ)。出演:中山優馬(座長)、桜井日奈子、佐戸井けん太、愛原実花、施鐘泰、辰巳雄大(ふぉ~ゆ~)、金井勇太ほか。
昨年5月に初演された「それいゆ」。約1年ぶりの再演となる。観る予定はなかったのだが、今日4月19日が中原淳一の命日だということを「ピーコ&兵動のピーチケパーチケ」で中山優馬本人の口から聞いて観ることに決めた。
昨年の「それいゆ」で女優デビューした「岡山の奇跡」こと桜井日奈子が今回も出演する。
中原淳一夫人は元宝塚女優であったが、今回の公演には宝塚出身の愛原実花が参加する。
まず中原淳一の書いた詩の冒頭を中原を演じる中山優馬が読み上げ、詩の続きを主要キャスト達がリレーしていくというスタイルから入る。

戦中の東京。クラシック歌手志望の天沢(施鐘泰)が宝塚女優志望の舞子(桜井日奈子)に連れられて中原淳一(中山優馬)のアトリエを訪れるところから物語は始まる。戦中ということで英語は敵性言語として排除され、新たに作られた日本語に置き換えられていたのだが、中原のアトリエでは英語やフランス語が普通に使われており、中原の助手である桜木(辰巳雄大)も英語をそのまま使っている。天沢も桜木もカーキ色の国民服を着ているのだが、中原は服の上下も白で統一された洒脱なスタイルだ。
雑誌「少女の友」の専属イラストレーターとして活躍している中原は芸術への造詣が深く(中原本人は自身が芸術家だという意識はなく、職人だと思っている)、天沢の歌を聴いて、「君の歌はクラシックではなくポピュラーに向いている」と断言する。後年、天沢はポピュラー歌手として大成するため、中原の耳は確かだった。
舞子と中原は、河原で舞子が歌の練習をしている時にたまたま出会ったのだが、中原は舞子に「顔を上げ、自信を持って歌うよう」指導したことで知己を得た。舞子は元々「少女の友」の読者であり、中原のファンであった。
中原は舞子が今日はもんぺを履いていることを気にするが、戦時統制が厳しくなり、もんぺが強要されるようになっていたのである。少女達に夢を与えるためにお洒落な少女像を描き続けてきたのだが、「少女の友」編集長の山崎(佐戸井けん太)は、中原に「)もんぺ姿の少女を描いて欲しい」と注文する。しかし理想主義者である中原はこれを拒否。「そんな戦争なら負けてもいい」と発言し、「少女の友」専属イラストレーターから降りることを決める。
女優を夢見る舞子だったが、父親が借金を抱えており、詐欺師の五味(金井勇太)に弱みを握られていた。五味が借金の肩代わりを行っており、その見返りとして舞子は強制的に五味と結婚させられることが決まっていた。

中原は、「究極の造形美」を追求し、人形創作に打ち込んでいた。中原は「美に絶対はない」としながらも「それ故に美は誤魔化される」と断言する。誰かの決めた美に流されないよう天沢に警告する。

戦争が終わり、大量消費・大量生産の時代になる。中原は自らが演出と美術を手掛けたミュージカル(日本初のミュージカルである)を上演するが評判は芳しくない。
五味は「本物よりもそれらしい偽物の方を喜ばれる人がいる」と事前から話していた。中原のミュージカルの感想を記者達に求められた山崎もまた大量消費の時流にあっては中原の時代は終わったと言う。ただ、山崎は中原の一緒に仕事をしていた頃から中原に嫉妬を抱いていた。

舞子が新宿でステージに立っているという噂を聞いた中原と天沢は新宿に出向くのであるが、そこは五味が経営する劇場であり……。


中原は「美」を追求する理由を「世界を変えることが出来るから」と語る。そして「美」とは置物的なものではなく、「人生」であり、「生きるということなのだ」と明かしていく。美に絶対はないように人生にも絶対はないが、個々の人生を追い求めることは出来る。誰かに教えられた人生ではなく、自分自身で選んだ人生を生きることの尊さをこの劇は観る者に訴えかけてくる。

セットには鏡が多用されているが、蜷川幸雄的な意味での用い方ではなく、キャスト達を多方面から映すことで「美」の多様なあり方と、鏡に映った像を観客がどう見るかによって決められる独自の「美的」視点の獲得が促されているように思われる。


理想主義者である中原とは対照的なその日暮らしの五味を演じる金井勇太が実に良い芝居をする。ある意味、金井勇太が影の主役でもある。金井勇太が五味でなく中原を演じることは可能だが、中山優馬が五味を演じることは無理であろう。中山の演技スタイルがそれだけ中原に合っているということでもあるのだが。
金井の実力を改めて知ることになる舞台であった。

「岡山の奇跡」と呼ばれる桜井日奈子。正直「奇跡」というのは褒めすぎのように思われたのだが(橋本環奈が「1000年に一人の逸材」と呼ばれていた頃に桜井も登場している)、女優としての資質にはかなり高いものが感じられ、将来が楽しみな存在である。

演技スタイルは基本的に新劇のものが用いられていたが、夢の遊眠社出身の佐戸井けん太が新劇のスタイルで演技すると実に巧み。セリフよりも仕草で語らせる細やかな演技が見事であった。


中原淳一の命日ということで、抽選で6名の方にひまわりの花がプレゼントされる。なんでも、6というのは美を象徴する数字だそうだ。更に来場者全員にひまわりの種がプレゼントされた。

「それいゆ」(再演)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月25日 (火)

コンサートの記(295) 「畑中明香 マリンバ&打楽器リサイタル」@ロームシアター京都ノースホール

2017年3月28日 左京区岡崎のロームシアター京都ノースホールにて

午後7時から、ロームシアター京都ノースホールで、「畑中明香(あすか)マリンバ&打楽器リサイタル」を聴く。畑中明香自身が主催した公演であるが、同志社女子大学音楽学会〈頌啓会〉が助成しており、ヤマハミュージックの協賛。相愛大学、滋賀県立石山高等学校音楽科〈湖声会〉、関西打楽器協会が後援を行っている。

畑中明香は、埼玉県川口市生まれ、滋賀県大津市育ちのマリンバ&打楽器奏者。明日香ではなく明香と書いて「あすか」と読む。大津市立瀬田中学校吹奏楽部所属中に打楽器を始め、滋賀県立石山高校音楽科(京都市立堀川音楽高校などと共に関西では一大派閥を形成してる)を卒業。同志社女子大学学芸学部音楽科卒業および専修生修了。2000年に関西打楽器協会代表として日本打楽器協会新人演奏会に出演し、最優秀賞を受賞。朝日現代音楽コンクール〈競演Ⅳ〉第2位入賞。渡独してカールスルーエ音楽大学を最優秀にて卒業し、フランクフルト・アム・マインのアンサンブル・モデルンのアカデミー研修生となる。2006年にはダルムシュタット国際現代音楽祭にてクラーニヒシュタイナー音楽賞を受賞している。現在、相愛大学音楽学部非常勤講師。

全曲、現代音楽という。意欲溢れるプログラム(もっとも、マリンバ自体が比較的新しい楽器であるため、オリジナル曲を演奏しようとすれば自然に現代音楽ばかりになる。ただ、経歴から現代ものを得意としていることもうかがわれる。

曲目は、ペーター・クラッツォ(1945- )の「大地と火の踊り」(1987)、ジョン・ケージ(1912-1992)の「ONE4」(1990)、石井眞木(1936-2003)の「サーティーン・ドラムス」(1985)、小出稚子(こいで・のりこ。1982- )の「花街ギミック」(2010)、細川俊夫(1955- )の「さくら」(2008)、八村義夫(はちむら・よしお。1938-1985)の「星辰譜(せいいしんふ)」(ヴァイオリン、ヴィヴラフォン、チューブラベル、ピアノのための。1969)。
ジョン・ケージ、石井眞木、細川俊夫など、現代音楽好きにはたまらない名前も入っている。

ブラックボックス状のノースホール。四方にテラス部分があり、前半はテラスが赤に、後半はピンクにライティングされる。今日は基本的にステージは用いず(「花街ギミック」では小さなものが用意された)、客席も平台を用いず、素舞台での上演である。畑中明香の知り合いの人も多いようだ。


まずは、クラッツォの「大地と火の踊り」。マリンバ独奏である。アフリカを起源とするマリンバであるが、クラッツォは南アフリカ出身である。19歳の時に渡英し、王立音楽院で作曲を学ぶ。その後、パリで名教師として知られるナディア・ブーランジェに師事。その後、南アフリカに戻り、現在はケープタウンにある南アフリカ音楽大学の学長と作曲科教授を務めているという。
畑中は、左右2本ずつ、計4本のマレットを持って演奏。現代音楽の難点は高度なことをやっているはずなのに、「出鱈目にやってもこんな風になるんじゃないか」と思えてしまうことである。勿論、ある程度音楽を聴き慣れていれば一定の法則に従って音が進行していることはわかる。
畑中の技術はかなり高度なものであることがうかがわれる。

ジョン・ケージの「ONE4」。ホワイエに譜面が置いてあったが、オタマジャクシは用いられておらず、指示だけが書かれたものであった。演奏前に畑中がスピーチを行い、演奏時間は6分55秒と決められており、その中で14の音と出すことが決められているということを紹介する。「偶然の音楽」を提唱したジョン・ケージらしく、かなりの部分を演奏家に任せた作品である。楽器は10しか使ってはならないそうだ。
「風の音や波の音を表したい」と演奏前に語った畑中。ほぼ全て特殊技法による演奏である。シンバルを刷毛で撫でたり、ヴァイオリンの弓で擦ったり、大太鼓をスネアドラムのスティックでローリングしたりする。ローリングしている間はそれで1音と数えて良いようである。スティックの片方をもう片方で叩き、それで大太鼓に打ち付けたり、鈴(りん)を弓で擦ったりと、ユニークな音響が展開される。

日本の現代音楽を代表する作曲家の一人である石井眞木の「サーティーン・ドラムス」。その名の通り、13のドラムスを叩く音楽である。結構、ノリノリの音楽であり、演奏であった。


休憩を挟んで、小出稚子の「花街ギミック」。小出稚子は、東京音楽大学を卒業、同大学院修了。オランダに渡り、デンハーグ王立音楽院とアムステルダム音楽院を修了。ユニークなのは、その後、インドネシア国立芸術大学スラカルタ校でジャワ・ガムランの演奏と理論を学んでいることである。「ケサランパサラン」で芥川作曲賞を受賞。その後、第76回日本音楽コンクール作曲部門で2位を獲得し、聴衆賞も得る。第18回出光音楽賞やアリオン賞も受賞している。
「花街ギミック」は、架空の花街でのお座敷遊びをイメージした作品である。
溶暗すると、会場下手後方からハーモニカの音が聞こえ、歩くたびに「ペタペタ」と音のするシューズを履いた畑中が下手から上手へ歩み、その後前に回って、小型のステージに上がって演奏を行う。打楽器の他に先に書いたハーモニカも使用。足で打つ形の木魚も二つ利用している(舞妓さんのぽっくりをイメージしたもの)。
森見登美彦の小説で、舞台化もされ、星野源らが声優を務めたアニメ映画の公開も迫っている『夜は短し歩けよ乙女』もイメージに取り入れた作品だそうで愛らしさと幻想味を兼ね備えているのが特徴。アサランというカスタネットとシェイカーを一緒にしたアフリカのおもちゃが演奏に取り入れられているのも音のみならず視覚的にも面白い。

武満徹や黛敏郎亡き後、吉松隆や西村朗などと並んで最も有名な日本人作曲家の一人となった細川俊夫の「さくら」。ペンタトニックを使ったマリンバによる作品で、そこはかとない日本情緒が漂い、「傑作」と断言しても間違いない作品であった。

八村義夫の「星辰譜」(ヴァイオリン、ヴィヴラフォン、チューブラベル、ピアノのための)。この作品では、畑中はチューブラベル(チューブラーベルズ。チャイム)を演奏、長岡京室内アンサンブルのメンバーとしてお馴染みの石上真由子(いしがみ・まゆこ。ヴァイオリン)、八村義夫の高校と大学の後輩で、八村に実の弟のように可愛がられたという山口恭範(やまぐち・やすのり。ヴィヴラフォン)、作曲家でもある稲垣聡(ピアノ)が参加する。
八村義夫は東京に生まれ、東京藝術大学を卒業し、同大学院を修了。62年のローマ国際作曲コンクールに「一息ごとに一時間」で入賞を果たし、文化庁海外研修員としてパリやニューヨークに滞在。80年にISCM世界音楽祭でピアノとオーケストラのための「錯乱の論理」で入賞を果たすなどしたが、1985年に47歳で早世した。寡作であり、残された作品は20に満たないという。

場転の間に山口恭範が八村の思い出を語り、「星辰譜」では、毎回チューブラーベルズ」を演奏していたのだが、今回は初めてヴィヴラフォンに回ることになったと述べる。
畑中によると、「チャイム(チューブラーベルズ)は大きな音で長時間練習出来ない楽器」だそうだ。音が大きくて高いため、そんなことをすると耳がやられてしまい、しばらく何も聞こえない状態になってしまうそうである。なので、詰め込んで練習することが不可能で、じっくり時間を掛けて練習する必要があり、「大変だった」そうである。またそうした特性のためか、「チューブラーベルズをソロにした曲は世界広しといえどこの曲だけ」(山口談)だそうである。
現代音楽好きにとってはかなり面白いと思える曲である。響きがまず現代音楽の王道的美しさを持っている。チューブラーベルズやヴィヴラフォンのグリッサンド奏法もかなり効果的だ。
チューブラーベルズ、ヴァイオリン、ヴィヴラフォンの三重奏の時は、ピアノの稲垣聡が指揮者というほどではないが4拍子の音型を刻んでリードを行っていた。
ロームシアター京都ノースホールは音楽専用ではないため、音響設計は行われていないと思われるが、このサイズの音楽を行うのには適した会場だということが確認出来た。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月23日 (日)

美術回廊(10) ビアトリクス・ポター生誕150年「ピーターラビット展」大阪

2017年3月24日 グランフロント大阪北館ナレッジキャピタル地下1階イベントラボにて

グランフロント大阪北館ナレッジキャピタル地下1階にあるイベントラボで、ビアトリクス・ポター生誕150年「ピーターラビット展」を観る。
「ピーターラビット」でお馴染みのビアトリクス・ポター、というより私はピーターラビットしか知らなかったりするのだが、実はピーターラビットが脇役に回った絵本なども書いている。
裕福な家に生まれたビアトリクス・ポター。当時は、お金持ちの家の子は庶民のいる学校には通わず、家庭教師から全てを教わることになっており、ポターもまたそうして育った。それゆえ、友達に囲まれて育つという経験がなく、兎などのペットを飼って可愛がる時間が長かった。このことがポターがピーターラビットを生み出す契機にもなっている。

ビアトリクス・ポターのタッチは緻密でありながら柔らかく、「これだけの絵が描けたらそれは売れるわな」と思うのだが、実はポターは持ち込みを行った全ての出版社から書籍化を断られており、最初の作品は自費出版で出している。ピーターラビットを書くきっかけになったのは、病気になったノエル少年(ポターの元家庭教師であるアニー・ムーアの息子)を励ますために兎の絵入りで出した手紙だというが、今回の展覧会でもその写しもまた展示されている。アニー・ムーアがポターに兎の物語を書くことを勧めたようだ。
自費出版された私家版『ピーターラビットのおはなし』は口絵のみカラーで他は表紙も含めて着色はされていない。そこまでのお金がなかったのと、着色は余計と思われたという二つの理由があったようだ。

裕福な家に生まれたことはアドバンテージだけではない。有閑階級出身のポターは出版社の創業家出身で同社に勤務していたノーマン・ウォーンと恋に落ちるが、両親から「格下の男との結婚は認めない」と断られている。

ポターの少女時代の作品も展示されているが、すでに優れた描写力が見られる。なお、ポターの父親や弟の描いた絵も展示されているがいずれもデッサン力が高く、画才に恵まれた一族であったことが確認出来る。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月20日 (木)

コンサートの記(294) 下野竜也指揮広島交響楽団第369回定期演奏会大阪公演「下野竜也音楽総監督就任披露 シーズン開幕 下野×広響《始動》」

2017年4月14日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、広島交響楽団の第369回定期演奏会大阪公演「下野竜也音楽総監督就任披露 シーズン開幕 下野×広響《始動》」を聴く。
この4月から広島交響楽団(広響)の音楽総監督に下野竜也が就任したことを記念して行われる大阪公演。広島交響楽団が大阪で演奏会を行うのは実に24年ぶりになるという。

音楽総監督というポストは、ドイツのオペラ劇場などではよく用いられるが、日本のオーケストラに設けられるのはかなり珍しいことである。就任時から音楽総監督というケースはあるいは初めてかも知れず、下野に対する広響の期待が窺える。

曲目は、ブルックナーの交響曲第8番(ハース版)1曲勝負。

以前は、記念演奏会のプログラムというと、ベートーヴェンの第九が定番であったが、最近ではマーラーの交響曲第2番「復活」や、ブルックナーの交響曲第8番がプログラミングされることも多い。大植英次が大阪フィルハーモニー交響楽団音楽監督としてのラストのコンサートで取り上げたのもブルックナーの交響曲第8番であった。


ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏。コントラバスがステージの一番後ろに横一列に並ぶタイプの配置である。ティンパニは舞台上手に陣取る。

今日のコンサートマスターは佐久間聡一。フォアシュピーラーは日本センチュリー交響楽団のアシスタントコンサートミストレスから広響のコンサートミストレスに転身した蔵川瑠美。
広島出身で現在は読売日本交響楽団のコンサートマスターを務める長原幸太が第2ヴァイオリンのトップとして特別に参加していた。コンサートマスター以外のポジションに長原幸太が座ることは最近では珍しい。

今日は3階席は使用していないようで、ポディウムに陣取る人も少なめ。1階席はほぼ満席である。私は今日は1階席の上手寄り後方の席で聴く。


冒頭は少しずれる。ザ・シンフォニーホールでの演奏にしては響きが豊かでないように感じられるが、演奏し慣れていない故なのであろう。第1楽章では弦がやや薄く感じられ、管はパワーはあるが音色がやや硬い。

第2楽章にはアタッカで入る。弦の音は少しずつ豊かになってきたように感じられるが、下野の悪い癖で、金管を思いっきり吹かせるため、ややうるさく感じられる。
この第2楽章と第4楽章は、スケールも大きく、響きも済んでいて、ブルックナーの良さが感じられる演奏になった。

第3楽章では弦が健闘するも、音色がやや熱すぎで美観を欠く場面もあった。

第4楽章は、迫力はあったが、やはり木管も金管も音色が硬い。広島にはクラシック音楽専用のホールはなく、広響の本拠地も多目的ホールであるため、ザ・シンフォニーホールでの演奏に適応出来なかったのだろう。
また、下野の実力をもってしても、ブルックナーの交響曲第8番をきちんと聴かせられるようになるにはまだ早いということなのだと思われる。下野は今年48歳。一般に指揮者として一人前と認められるのは50歳になってからだといわれている。

下野と広響のコンビの初顔合わせとしては成功だと思えるが、演奏会としての出来は少なくとも「万全」とはいかなかったように思う。


下野は、喝采に答え、最後はブルックナーの交響曲第8番の総譜にお辞儀をしてから、「広島にも来て下さい」と客席に言って、コンサートはお開きとなった。

広島交響楽団は、今年の10月にもハンヌ・リントゥの指揮で大阪公演を行う予定である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月18日 (火)

コンサートの記(293) 下野竜也指揮京都市交響楽団スプリング・コンサート2017

2017年4月9日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団スプリング・コンサートを聴く。今日の指揮者は、この4月から京都市交響楽団の常任首席客演指揮者に昇格した下野竜也。
下野竜也は2014年4月から京都市交響楽団の常任客演指揮者を3年間務めていた。2014年といえば、大植英次が大阪フィルハーモニー交響楽団の音楽監督監督を辞任した年で、下野は当時も大フィルに定期的に客演していたばかりでなく、「吹奏楽meetsクラシック」というオリジナル企画も指揮していた。ということで、そういうことだったのかも知れないが、真相は明かされないだろう。

今日のコンサートマスターは渡邊穣、フォアシュピーラーは尾﨑平。

今回のスプリング・コンサートは、例年とは少し違い、各楽器奏者をフィーチャーしたもので、各楽器毎のアンサンブルや、ソロを務める曲目を選んでいる。ということで、90名程の楽団員全員の名前が下野によって読み上げられた。下野は全員の顔と名前をそらんじており、「流石、指揮者」の記憶力である。
また、楽団に親しみを持って貰うには、楽団員の顔と名前を聴衆に覚えて貰うのが一番なので、そうした意図も勿論あっただろう(NHK交響楽団はNHKホールでの定期演奏前に、基本的に降り番の楽団員によって室内楽の演奏会がある。常連さんは室内楽演奏が終わった後で、楽団員と話したり出来るということもあり、N響の定期会員は楽団員全員の名前を知っている人が多いと思われる)。


まずは、ワーグナーの「ローエングリン」第3幕への前奏曲。下野は京響から透明感溢れる響を引き出す。また強弱の付け方も緻密だ。

場転があるため、その間は下野がマイクを片手にスピーチを行う。下野が「言いにくいのですが」と言った後で、「常任首席客演指揮者」と新しいポスト名を噛まずに言うと拍手が起こる。


最初にヴァイオリン奏者の紹介。オーケストラ団員全員がいったんはけて、必要な人だけがステージに登場するというスタイルである。曲目はパッヘルベルの「カノン」。ヴァイオリン奏者全員の名前が下野によって読み上げられる。チェロやコントラバスの奏者もいるが、彼らの名前が呼ばれるのは、それぞれの楽器が主役になってからである。
この曲ではパイプオルガンの桑山彩子がステージ上のリモート鍵盤を使って演奏に参加した。

ヴァイオリン、ヴィオラ、コントラバスの演奏者は、全員、立ったままで演奏をした。下野は弦楽器の曲目の時は編成が小さいということもあって、ノンタクトで指揮する。


ヴィオラ奏者達による演奏。ブルッフの「ヴィオラと管弦楽のためのロマンス」が演奏される。飯田香織編曲の「SDA48版」での変奏である。
ヴィオラのことを、下野は「渋いけれどそれだけじゃない、野球でいうとショートのような」と例え、「人間の声に一番近い楽器」と紹介した。


ちなみに、下野は各パートのトップ奏者に好きな女優や俳優、芸能人を聴いており、小泉今日子、本上まなみ、竹内結子、新垣結衣、きゃりーぱみゅぱみゅ、渡辺謙、松坂桃李らの名前が挙がっていた。渡辺謙は「だった」と過去形で、愛人疑惑がマイナスに作用したようである。後ろの席のお客さんが、「本上まなみって誰?」と言っていたが、本上まなみは四条室町にある池坊短期大学卒、東京での芸能活動を経て現在は京都市在住なので、京都に住む人なら知っておいて欲しい人である。今度アニメ映画化される『夜は短し歩けよ乙女』の原作者、森見登美彦が本上まなみのファンであることもよく知られている。
好きな芸能人と音楽とは余り関係がないが、映画音楽作曲のヘンリー・マンシーには、「主演女優の顔を思い浮かべると良いメロディーが浮かぶ」と答えているため、完全に無関係というわけでもない。

下野は、ステージマネージャーの日高さんにも好きな女優を聞いたのだが、日高さんの答えは「堀内敬子」で、下野は「仕事も渋いが女優の好みも渋い」と述べる。
堀内敬子は、劇団四季出身の女優さんで、テレビに出ることはそう多くはないが、舞台ファンで彼女の名前を知らない人はモグリと断定しても良いほど演劇界では活躍している女優である。三谷幸喜作品の常連で、舞台「コンフィダント・絆」では、中井貴一、生瀬勝久、寺脇康文、相島一之を抑えて、ポスターではセンターポジションを獲得し、第33回菊田一夫演劇賞と第15回読売演劇賞優秀女優賞を受賞している。


チェロ奏者達によるヴィラ=ロボスの「ブラジル風バッハ第1番」より「序奏」。下野によると、チェロ奏者達というのはどのオーケストラに行ってもとても仲が良いそうである。飲み会参加率も高いそうだ。無料パンフレットには京響団員全員の顔写真が載っているのだが、チェロ団員だけは歯を見せて笑っている人が一人もいないため、下野は「硬派な人達」とも述べる。
ブラジル人作曲家であるヴィラ=ロボスの作品だけに、熱い曲と演奏であった。
ちなみに古典配置であろうが現代配置であろうが、ヴィオラは一貫して上手側から出てくるのだが、今日は下手側からの登場となるため、下野から「あちら(下手側)から出慣れていないので(ヴィオラ奏者達は)緊張しています」と言われていた。


前半最後は、コントラバス陣。フィッツェンハーゲンの「アヴェ・マリア」を演奏。(中原達彦編曲)。首席奏者の黒川冬貴のみならず、副首席奏者の石丸美佳も主旋律を受け持つことが多い編曲である。コントラバス陣が舞台手前側に横一列になって弾くという余り見かけないスタイル。椅子を使わないで弾くため、かなり猫背になることが多かった。


後半。ハープ、打楽器と管楽器の登場である。

まずはハープ。京響ハープ奏者の松村衣里と実姉でハープ奏者の松村多嘉代がステージ前方に向かい合わせになる形で陣取り、2台のハープのための古典様式のコンチェルティーノより第3楽章が演奏される。結構、面白い曲である。秘曲・珍曲を好んで取り上げる下野であるが、流石にハープ2台による協奏曲を指揮するのは初めてだそうである。

演奏終了後、下野が松村姉妹にインタビュー。「ハープ奏者は、僕とはお育ちが違うように思うのですが」と下野はいう。そういえば三谷幸喜の「オケピ!」でもハープ奏者(初演では松たか子が、再演では天海祐希が演じた。役名は異なり、松たか子の時は東雲さんという苗字、天海祐希の時は如月さんという苗字であった)がお金持ちのお嬢様というイメージを勝手に持たれて困るということを歌っていたが、下野が「家にハープが何台あるか?」と聞くと、松村衣里はいきなり「数えたことないんですけど」と相当数あることがわかる。松村衣里が「8台ぐらい」と答え、松村多嘉代も「だいたいそれぐらい」と答える。下野は「8台もハープを持ってるなんて大阪城に住んでるとしか思えない」と語っていた。
ちなみに松村衣里は小学校3年生から本格的にハープを習いだしたが、松村多嘉代は音大卒業まではピアノを専攻しており、その後、ハーピストに転向したそうで、ハープを始めたのは妹の衣里の方が先なのだそうである。


続いて、打楽器の3人(中山航介、福山直子、宅間斉)が登場。「ハスケルのあばれ小僧」(野本洋介編曲)が演奏される。下野は演奏前に、曲目を「暴れ太鼓」と間違えて紹介して打楽器奏者達に突っ込まれていた。
3人とも打楽器を始めたきっかけは、中学1年の時に吹奏楽部に入部してだそうである。
複数人が協力して、バチで矢印を作るなど遊び心に満ちた演奏である。
NHK交響楽団首席オーボエ奏者の茂木大輔のエッセイによると、打楽器奏者はひたすら等間隔に打つ練習をするのだそうで、茂木も大学生の時に打楽器にチャレンジしたもののなにが面白いのか結局わからず止めてしまったそうだが、ひたすら打つ練習をしないと、今日のような演奏は無理だなということは想像出来る。


フルートパート。今年の2月に京響首席フルート奏者に就任した上野博昭(髪型といい、口ひげといい、眼鏡といい、藤田嗣治を想起させるが、おそらく意図的に真似たものではないと思われる)の自己紹介の時間が演奏終了後に設けられたが、上野はトークは得意ではないようだ。
ラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲より「パントマイム」の部分を中心に纏めたものが演奏される。副首席奏者の中川佳子は、比較的珍しいアルトフルートを演奏した。
瑞々しい出来である。


オーボエパート。ベートーヴェン作曲のモーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」より「お手をどうぞ」の主題による変奏曲(中原達彦編曲)。ややこしいタイトルで、下野も「ベートーヴェンだかモーツァルトだかわからない」と言っていたが、モーツァルトが作曲した主題を基にベートーヴェンが変奏曲として作曲したものである。土井恵美はイングリッシュホルン(コーラングレ)を演奏する。
オーボエの音色が上手く生きた演奏である。


クラリネット。ルロイ・アンダーソンの「クラリネット・キャンディ」というポップな曲が選択されている。片足を上げながら吹くという振り付きでの演奏。首席クラリネット奏者の小谷口直子はノリノリでやっていたが、他の奏者はどこかこそばゆそうで、後で下野に突っ込まれていた。


ファゴット。C・L・ディーッターの2本のファゴットのための協奏曲より第1番が演奏される。ファゴット協奏曲というと、モーツァルトなどが有名だが、それほど多くはなく、2台のファゴットによる協奏曲は新鮮に聞こえる。


ホルン。下野は、「ロベルト・シューマンは『ホルンはオーケストラの心だ』と表現しました」と語る。曲は、ウェーバーの歌劇「魔弾の射手」より「狩人の合唱」。京響の金管パートは広上淳一が常任指揮者に就任する以前から関西トップレベルにあったため、今日も輝かしい演奏が展開される。


トランペット。下野は「子供の頃、トランペットを吹いていた」という話をする。
早坂宏明は京響に入ってから今年で29年になるそうで大ベテランだ。稲垣路子は普段は眼鏡を掛けていることが多いのだが、ワーグナーとこの曲では眼鏡なしで登場。コンタクトレンズも持っているのだろう。稲垣はラストの曲でも登場したが、その時は眼鏡を掛けていた。
曲目は、ルロイ・アンダーソンの「トランペット吹きの休日」。運動会の音楽としてもお馴染みの曲である。普通は3管編成で演奏されるのだが、今日は首席トランペット奏者のハラルド・ナエスがピッコロトランペットとして加わったバージョンで演奏される。サードトランペットは西馬健志。
ハラルド・ナエスのピッコロトランペットは装飾音的に加わる。軽快な演奏である。


トロンボーンパート。下野は、「天使の楽器と呼ばれるトロンボーン。どう見ても妖精には見えないおじさん達が演奏しますが、見た目が天使ではなく心が天使」と語り、現れた首席トロンボーン奏者の岡本哲に仕草で、「冗談はやめてよ」と突っ込まれる。
曲は、「星に願いを」(宮川彬良編曲)。説明不要なほど有名な曲だが、トロンボーン合奏版を聴くのは初めてである。トロンボーンは宗教的な側面がある楽器であり、この曲にはよく合っていた。


テューバ。京響歴最長となる武貞茂夫の独奏である。下野は武貞が出てくる前に、「ミスター京響をお迎えする」「とても緊張する」と語る。
曲目は、ドミトルのルーマニアン・ダンス第2番。編曲は京響トランペット奏者の早坂宏明が行っている。テューバをソリストにした曲を聴く機会はまずないので貴重である。京響のテューバを一人で担う武貞は伸び伸びとした演奏を行う。


最後は、フル編成によるレスピーギの交響詩「ローマの松」より「アッピア街道の松」。
下野は吹奏楽出身ということも影響しているのか、ショーピースではブラスをバリバリと鳴らした虚仮威しの演奏を行うことがあるのだが、今日は管と弦のバランスも良く、細部まで目の行き届いた見事な演奏を聴かせる。
このコンサートではポディウム席は販売されておらず、可動式の座席は取り外されていて、そこにバンダが陣取って演奏した。
パイプオルガンの桑山彩子もこの曲ではポディウム後方の本来の位置で演奏するが、オルガンの音はラスト以外はそれほど明確には聞き取れなかったように思う。


下野は、「この4月から京都市立芸術大学の教員になった」と語り、京都の歴史や芸術などに関しての本を読んでいるということも明かした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月15日 (土)

コンサートの記(292) 小泉和裕指揮日本センチュリー交響楽団 「センチュリー豊中名曲シリーズ Vol.1」

2017年3月26日 豊中市立文化芸術センター大ホールにて

午後3時から、阪急曽根駅の南東にある豊中市立文化芸術センター大ホールで、小泉和裕指揮日本センチュリー交響楽団による「センチュリー豊中名曲シリーズ Vol.1」というコンサートを聴く。
日本センチュリー交響楽団は、大阪センチュリー交響楽団時代から、事務局と練習所、野外音楽堂を豊中市の服部緑地内に置いていたのだが、定期演奏会は大阪市内のザ・シンフォニーホールといずみホールで行っており、豊中からは阪急を使えば十三や梅田まですぐに出ることが出来る上に、豊中市内にはクラシック演奏に適当なホールがないというということもあって、学校巡りや街角コンサートを行っていた程度であった。だが豊中市立文化芸術センターの完成により、豊中市内に新たな演奏拠点を持つことになった。
豊中市立文化芸術センター大ホールの杮落とし公演でも飯森範親の指揮で日本センチュリー響は演奏しているが、定期的に行われる演奏シリーズは今日が初回ということになる。

豊中市立文化芸術センター大ホールであるが、思ったよりも小さく、このキャパだと施設によっては中ホールに分類されるところもあるだろう。兵庫芸術文化センターKOBELCO大ホールのサイド席をなくして、2回りほど小さくしたような内観である。ステージ背後と、ホール側面の壁には木材がイレギュラーな形で突き出しているが、これは音の適度な分散を図ったものだと思われる(同様の趣向は京都コンサートホールの天井にも施されている)。
音であるが、ナチュラル且つスマートで、残響は1秒前後と短め。残響というより自然な形で客席後方へと飛んでいくという印象を受ける。大きめのライブハウス(大阪でいうと、なんばHatch)のような音響であり、クラシックよりもポピュラー音楽に適しているのではないかとも思われる。
クラシック専用ホールの音響設計は、永田音響設計が手掛けることが多く、日本国内にあるあのホールもこのホールも音響設計は永田という状態なのだが、豊中市立文化芸術センター大ホールは多目的ホールということもあり、AGK建築音響株式会社が手掛けている。AGK建築音響株式会社は映画館の音響設計なども多く手掛けているようだ。

豊中市立文化芸術センターは、閉館して取り壊された豊中市民会館の跡地に建てられたものだが、大小のホールに練習室や展示室、カフェなど多くの施設を詰め込んだため、共通ロビーやホワイエなどは狭い。また大ホール内のビュッフェは、ホール自体がオープンしたばかりということもあって、まだ稼働していない。

日本センチュリー交響楽団の豊中での定期演奏の第1回となる「センチュリー豊中名曲シリーズ Vol.1」の演目は、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番(ピアノ独奏:小山実稚恵)とブラームスの交響曲第1番という、第1番を並べたもの。まさに第1回に相応しい選曲である。

小泉和裕は、2003年から2008年まで日本センチュリー交響楽団の前身である大阪センチュリー交響楽団の首席指揮者を務め、2008年からはセンチュリー響の音楽監督に昇進。2014年まで務めている。

ピアノ独奏者の小山実稚恵は現在、日本センチュリー交響楽団のアーティスト・イン・レジデンスとして企画に携わっている。


今日のコンサートマスターは、センチュリー響首席客演コンサートマスターの荒井英治。ドイツ式の現代配置だが、指揮者の正面にはティンパニではなくトランペットが配され、ティンパニはやや下手寄りに陣する。


チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。豊中市の花は薔薇だそうで、市内には豊中ローズ球場という名の野球場まである。それを意識したのかどうかはわからないが、ソリストの小山実稚恵は、ローズレッドのドレスで登場。

記念すべき第1音、ホルンによる序奏は残念ながら少し音がずれた。まだこのホールで演奏し慣れていないので仕方ないだろう。
小山は例によって情熱を叩きつけるような堂々としたピアノ演奏を展開する。このホールではピアノの高音がかなりクリアに響くようだ。
最近のピアニストは個性的な人が多いが、小山は正真正銘の正統派。野球に例えると剛速球エースというタイプである。
有無を言わさぬ圧倒的な技巧による演奏を展開した小山。第3楽章のコーダでは、新ホールでの第1曲ということもあってか、「ピアノの弦も切れよ」とばかりの激烈な演奏を展開。聴衆を熱狂させた。小泉指揮のセンチュリー響も冴え冴えとした伴奏を行った。

小山のアンコールは、ショパンのマズルカ作品67の4イ短調。仄暗さを生かしつつ、センチメンタルには陥らない演奏であった。小山はそもそもセンチメンタリズムを嫌う傾向があるように思われる。


後半、ブラームスの交響曲第1番。小泉和裕は暗譜での指揮である。
小泉はまずスケールを固めてから細部を詰めていくというタイプの指揮者であり、それゆえブルックナーなどは得意として、センチュリー響でもよく取り上げていた。
豊中市立文化芸術センター大ホールの音響と、中規模編成で立体感のある演奏を特徴とするセンチュリーの個性は、小泉の作り出す音楽に上手くマッチしている。
どちらかというとシャープなブラームスであり、雄々しさや威圧感のようなものは余り感じられない。小泉の指揮からは閃きも煌めきも感じられないが、その代わり確かな造形力がある。大風呂敷を広げることのない、ある意味日本人指揮者の王道を行くブラームスである。
小泉は基本的に真っ正面を向いて拍を刻むことが多い。時折、左右を向くが、「あれ? 次、ホルンのはずなのに逆を向いたぞ」という場面もあって、ある程度奏者の自発性に任せているところもあるようだ。

アンコールは、シューベルトの「ロザムンデ」より間奏曲第3番。中編成のオーケストラによる演奏ということで、愛らしい出来となった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月12日 (水)

NDRユーゲント交響楽団 「ハンズフリー」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

コンサートの記(291) クシシュトフ・ウルバンスキ指揮NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2017大阪

2017年3月15日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、「東芝グランドコンサート2017」 NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団来日演奏会を聴く。

NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団は、ギュンター・ヴァントとのコンビで親しまれた北ドイツ放送交響楽団(NDR交響楽団)が、新本拠地ホールであるエルプフィルハーモニーの落成と共に改名した団体である。
一昨年に、北ドイツ放送交響楽団名義で、首席指揮者であるトーマス・ヘンゲルブロックと共に来日し、大阪のザ・シンフォニーホールでも演奏会を行っていて私も聴いているが、新しい名称になってからは初来日である。
今日の指揮者は、ポーランド生まれの俊英、クシシュトフ・ウルバンスキ。NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者である。昨年まで東京交響楽団首席客演指揮者を務めており、大阪フィルハーモニー交響楽団も数度客演していて、日本でもお馴染みの存在になりつつある。ワルシャワのショパン音楽アカデミーでは指揮をNAXOSの看板指揮者として知られるアントニ・ヴィトに師事。2007年にプラハの春国際音楽コンクールで優勝に輝いている。
シャープな指揮姿であるが、時折、ダンスのようなステップも踏む。


曲目は、ベートーヴェンのレオノーレ序曲第3番、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:アリス=紗良・オット)、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」。オール・ドイツ・プログラムである。

ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏。フェスティバルホールにはパイプオルガンはないので、「ツァラトゥストラはかく語りき」では、電子オルガンが用いられる。

一度楽譜を見ただけで全て覚えてしまう「フォトグラフメモリー」という特殊能力を持つウルバンスキ。今日も指揮台の前には譜面台はなく、協奏曲も含めて全て暗譜で指揮する。

ウルバンスキ登場。どことなくGACKTに雰囲気が似ている。もっとも、GACKTを生で見たことはないのだけれど。


ベートーヴェンのレオノーレ序曲第3番。ウルバンスキは情熱を持っているのだろうが、それを表に出すことの少ない指揮をする。
全編、ピリオド・アプローチによる演奏だが、特筆すべきは弱音の美しさ。本当に息を飲むほどに美しい超絶ピアニシモである。そしてラストに向けて盛り上がっていく弦楽のエネルギーの豊かさ。爽快なベートーヴェンである。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番。ソリストは日本でもお馴染みになったアリス=紗良・オット。日独のハーフであり、「美しすぎる」という奇妙な形容詞が流行った時には「美しすぎるピアニスト」などと言われた。ピアニストのモナ=飛鳥・オットは実妹。
個性的なピアニストであり、ウルバンスキとは異なって情熱を剥き出しにするタイプである。
「裸足のピアニスト」としても知られているアリス。今日は黒いロングドレスの裾を引きずりながらチョコマカ早歩きで登場したため足下は見えなかったが、ピアノを弾くときは素足でペダルを踏んでいるのが確認出来た。

アリスのピアノは、浮遊感、透明度ともに高く、冒頭ではちょっとした歌い崩しを行うなど、今日も個性がフルに発揮されている。
第1楽章終了後、第2楽章終了後とも、ウルバンスキは腕を下げず、アリスがピアノを弾くことで楽章が始まるというスタイルを採っていた。
第2楽章のリリシズム、第3楽章のパワーなどいずれも感心する水準に達している。アリスは右手片手弾きの場面では左手の掌を上に向けて左肩の付近で止めていた。科を作っていたわけではなく、単に癖なのだろう。

演奏終了後、喝采を浴びたアリス。聴衆からお花も貰う(許可がない場合は聴衆としてのマナー違反になりますので、真似しない方がいいです)。

ウルバンスキ指揮のNDRエルプフィルハーモニー管弦楽団もピリオド・アプローチながら力強い伴奏を奏でた。

アンコールは2曲。まずは、昨年、「ピーコ&兵動のピーチケ・パーチケ」でも演奏していた、グリーグの抒情小曲集より「こびとの行進」。
20年近く前に、砧(きぬた)にある世田谷美術館講堂で、グリーグのピアノ曲演奏会(世田谷美術館の「ムンク展」関連事業)を聴いたことがある。演奏を行ったのは、グリーグ演奏の大家でNAXOSレーベルに「グリーグ ピアノ曲全集」も録音していたアイナル・ステーン=ノックレベルグ。「グリーグ本人の演奏にそっくり」といわれたピアノを弾く人だ。来日前に交通事故に遭ったそうで万全の体調ではなかったそうだが、ステーン=ノックレベルグは、「抒情の極み」とでもいうべき演奏を披露していた。
アリスの弾く「こびとの行進」は、ステーン=ノックレベルグのそれと比べると若々しいのは当たり前だが、リズム感の良さが際立っている。アリスは普段はクラシックは余り聴かず、ポピュラー音楽の方を好んで聴くそうだが、ポピュラーは「リズムが命」という面があるため、クラシック演奏にもプラスに働くのだろう。
メカニックが抜群なのは今更書くまでもない。

拍手を受けて椅子に腰掛けたアリスは、「皆様、今夜はお越し下さってありがとうございます。もうピアノが伸びてきてしまっていますので、最後にオーケストラのメンバーと皆様のためにショパンのワルツ遺作を弾きたいと思います」と言ってから、ショパンのワルツ19番(遺作)を弾く。テンポの伸縮自在の演奏だが、それが効果的であった。


後半、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」。ウルバンスキはやや遅めのテンポでスタートする。冒頭に出てくる3つの音が全曲を支配する「ツァラトゥストラはかく語りき」。ウルバンスキの表現は見通しが良く、リヒャルト・シュトラウスの意図もウルバンスキ自身の意思もよく伝わってくる。
「ツァラトゥストラはかく語りき」は有名曲なので、コンサートで取り上げられることも比較的多いが、これほど楽曲構成の把握がわかりやすく示された演奏を聴くのは初めてである。
NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団であるが、弦も管も技術は極めて高い。この曲は弦楽のトップ奏者がソロを取る場面が何度もあるのだが、全体がそうした室内楽的な緻密さに溢れた好演となっていた。弦の音色は透明度が高く、明るい。輝きに関しては昨日聴いたプラハ交響楽団とは真逆である。管楽器も力強く、音楽性も高かった。
なお、舞台袖での鐘は、グロッケンシュピール奏者が自身のパートを演奏し終えた後で上手袖に下がり、兼任して叩いていた。


アンコール演奏は、ワーグナーの歌劇「ローエングリン」より第3幕への前奏曲。非常に洗練されたワーグナーであり、ドイツの楽団でありながら「ドイツ的」といわれる濃厚な演奏とは一戦を画したものになっていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月10日 (月)

「やたらカッコ良い“市の名前”ランキング」私見

gooランキングで「やたらカッコ良い“市の名前”ランキング」が発表されたようですが、個人的に「カッコ良い名前の市」と聞いて真っ先に思いつくのは、東京都にある武蔵野市です。gooランキングでは28位に入っているようです。漢字も良いし、武蔵野という言葉からイメージされる原生林や広がりのある景色がプラスに作用してます。
 
次に思いつくのは岡山県の総社市(ランキング外)。備中国総社に由来する市名が歴史と威厳を感じさせます。
神道系では、和歌山県の新宮市(第36位)にも良い印象があります。
 
京都市なども漢字の形や響きが良いと思いますが、メジャーすぎる地名はランクインしていないようです。京都府内では、長岡京市(ランキング外)などが個人的にカッコ良いと思いますね。三文字地名なのもプラスです。
 
京都由来の地名としては、千葉県の鴨川市(ランキング外)なども好きです。
 
スワローズファンということで、新潟県の燕市も素敵な地名だと思いますし、お隣の三条市も雅やかな印象を受けます(いずれもランキング外)。
 
北海道の都市名は、元々アイヌ語の土地の名前に漢字を振って日本語風にしたものですが、やはり内地とは違うためカッコ良い印象を受けます。札幌市、旭川市、函館市、富良野市、釧路市なども良いと思いますが、いずれもよく知られた地名であるため、ランキングには入っていないようです。
 
東北も格好良い地名が多く、仙台市や会津若松市が好きですが、いずれも有名過ぎて却ってランクインしづらいという結果になったのでしょう。
山形県の天童市(第18位)もいい線を行ってると思います。
 
出身地である千葉県からは、鴨川市の他に、全てランキング外ながら佐倉市、君津市、袖ケ浦市、流山市などが、カッコ良いとは別かも知れませんが、日本情緒があって素敵だと思います。
 
高知県にも、阪神タイガースのキャンプ地として知られる安芸市、土佐国府のあった南国(なんこく)市などがありますが、残念ながらランキングしていません。
 
比較的新しい地名で好きなのは、沖縄県の、うるま市(ランキング外)。「うるま」というのは沖縄の雅語で、日本の「大和」に相当する言葉です。
沖縄は、コザ市が今も存在していたらランキング上位に来たかも知れません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月 9日 (日)

真の敵なるもの

真の敵なるものは得てして捏造されるものである。そして虚像を生み出すものとそれを許すものが本当の敵なのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月 8日 (土)

京都大学フィールド科学教育研究センター主催 公開シンポジウム「ひろげよう、フィールドの世界」

2017年3月19日 京都大学 益川ホールにて

午後2時から、京都大学吉田キャンパス北部構内にある京都大学益川ホールで、京都大学フィールド科学教育研究センター主催による公開シンポジウム「ひろげよう、フィールドの世界」に参加する。「自然」「芸術」「文系」「理系」などの融合を図るシンポジウム。

無料公演で、予約多数による抽選となったようだが、なんとか突破出来た。

益川ホールは、2008年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英を記念して北部構内総合教育研究棟1階に作られた中規模講堂であり、当然ながらまだ新しい。
私が京都に来た頃は、京都大学はまだ「日本一のオンボロ大学」と呼ばれていたが、その後、何年にも渡って増改築を繰り返し、今では「その辺の私大より豪華」な大学に変わっている。

京都大学北部構内は、理系の学部のためのキャンパスであり、私も入るのは初めて。益川ホールの場所を確認して、受付を済ませてから、缶ジュースを買いに、いったん、総合教育研究棟を出る。歩いていると、上品そうなおばさんから、「すみません、京大の先生ですか?」と聞かれる。先生どころか関係者ですらないので、否定したが、私と同じく益川ホールに向かうとわかったため(京大関係者以外で今日、北部構内を歩いているお年の方はシンポジウム参加者しかいない)場所は教えた。
顔も格好も京大の先生っぽかったのだろう(京都国立博物館上席研究員で、京都大学出身の宮川禎一先生とは知り合いだが、「よく似ている」と言われる)。


公開シンポジウム「ひろげよう、フィールドの世界」。司会を務めるのは、京都大学海里森連環学教育ユニット特定准教授の清水夏樹(女性)。着物姿での登場である。

まず、京都大学総長である山極壽一(やまぎわ・じゅいち)が開会の言葉を述べてスタート。

最初に発表を行うのは、京都大学フィールド科学教育センター教授兼センター長の吉岡崇仁。「和と洋が出会う場所」というタイトルである。スクリーンに映像が映され、レーザーポインターを使って進められる。
まず、京都大学の芦生研究林(京都市左京区、京都市右京区、京都府南丹市、福井県、滋賀県にまたがる広大な森林。本部は京都府南丹市芦生にある)には鹿がいるのだが、鹿によって植物が食い荒らされるという食害が発生している。ただ、鹿は天然記念物なので殺害することも出来ない。そのため、「鳥獣保護VS植生保護」という二律背反が起こっているという報告を行う。
芦生研究林では、檜皮を作っており、本来なら結構な値段になるのだが、これらは神社の檜皮葺等に無償で提供されているという。吉岡は、「こころ」と「ふところ」という言葉を用いて、「こころ=文系=非経済」、「ふところ=理系=経済」という図式を作り、どちらも大切であることを述べる。吉岡は「和魂洋才」という言葉を出す。客席に「ご存じの方?」と聞くが、手を挙げたのは私を含めて5人前後。だが吉岡は、「全員ですね」「私には心の中で挙げてる人も見えます」と続ける。京大でのシンポジウムであるが、みなユーモアを持ち合わせていてお堅くもなんともない。
吉岡は「和魂洋才」の説明をしてから、文系は和でこころに近く、理系は洋でふところに近いという話をする。
そして、森林伐採が行われた場合、何が心配かをアンケート調査したところ、「水質」という答えが多かったということを語り、森と水とが繋がっていることを人々が認識していると同時に、森自体は水よりも生活に密接に結びついているとは取られていないことを告げた。


続いて登壇したのは、京都大学フィールド科学教育研究センター准教授で芦生研究林長でもある伊勢武史。テーマは「人はなぜ、森で感動するのか」。芦生研究林は研究林あると同時に観光名所でもあるそうで、ハイキングやピクニックに訪れる人も多いという。だが、当然ながら人間が増えると生態系が破壊されるため、「観光客を制限してはどうか」という意見が上がる一方で、「観光客を減らすのではなく、より生態系を守る活動をしよう」という見解もあるそうだ。
さて、「人はなぜ、森で感動するのか」というテーマの仮説であるが、旧石器時代以前は自然淘汰が激しかったため、森を愛した人の方がそうでない人よりも生き残りやすく、我々はその生き残った人々の子孫であるため、森に安らぎを感じるのではないかと考えられるそうである。
また、「なぜ人は森に行くのか?」という疑義が呈され、森はアミューズメントだという仮説が発表される。森には多様性があり、美しいものも醜いものも両方ある。「美」というものは生物進化の中で生まれた観念であるが、これは白紙の状態(「タブララサ」ということだろう)から生まれたものではなく、人が恣意的に作り上げたものだという。ハゲタカは死肉を食するので、死肉が美だが、人間にとっては(佐川君のような例外はあるが)そうではない。ということで、伊勢は、「芸術家がたやすく美を語るな」という心情を持っているそうである。ただ、伊勢も芸術には関心を持っており、この後登場する髙林佑丞(たかばやし・ゆうすけ)と組んで、外来種による生け花を作っているという。外来種の植物というと嫌がられ、駆除するのが人間であるが、外来種を連れてきたのも人間であり、恣意的に退けてはならないという考えを持っているようである。


続いて登場したのは、京都大学こころの未来研究センター教授の広井良典。ドイツの新聞に載った「Japan's burden」という記事をスクリーンに映し、英語に直すと「ジャパン・シンドローム」となり、人口減少と高齢化が同時に進行していることを示していると語る。日本は少子高齢化の最先端にあるが、他の先進国も同傾向にある。
さて、幸福指標であるが、日本は世界全体で53番目。日本人には控えめな人が多いので、割り引いて考える必要がある(ちなみに1位はデンマーク)が、高くはない。
一方で、世界的な幸福指数に疑問を感じ、自主的な幸福指数を作っている自治体がある。東京都荒川区と高知県である。「皆さん、荒川区といってもピンとこないかも知れませんが」と断った上で話が進み(私は関東出身者なので荒川区の様子はわかる)、荒川区はGAH(Global Arakawa Happines)という独自の指標で幸福度を追求していると語る。更に高知県もGKH(Global Kochi Happines)なるものを作り、高知県は47都道府県の中で所得最低(最近、沖縄県を抜いたそうである)であるが、逆に森林面積率は全国1位であり、これを幸福の指標の一基準にしたそうである。
さて、広井が挙げたタイトルは「鎮守の森とコミュニティづくり」であるが、秩父神社は武甲山という山を御神体(神奈備山)にした神社であるが、武甲山は石灰岩が採れるというので、採掘が進み、自然と資源の調和が取れなくなっているそうだ。工業と自然の対立と有効利用の構図が出来ているそうである。
日本には神社は約8万1千、寺院は約8万6千あるそうだが、岐阜県郡上市の白鳥町では、小水力発電を行う一方で、「白山信仰の聖地」であるとして、エネルギー関連の人が訪れた場合は、必ず長老白山神社に参拝して貰うなど、鎮守がコミュニティの中心になる文化を築いているという。また「鎮守の森セラピー」というものを行っている地方もあるそうで、そこでは森林浴ならぬ「神林浴」という言葉が使われているそうだ。神との繋がりが心身の健康に繋がり、それが自然との繋がりにもなるという。
現代日本では、ピラミッドの頂上に「個人」がおり、その下に「コミュニティ」があって、一番下に「自然」が来るのだが、自然が礎になっていることはもっと意識されて良いという。


最後に、この4月から池坊短期大学の非常勤講師に就任するという華道家の髙林佑丞が登壇。「専心口伝」という池坊の美学を語る。植物の命を見つめ、「木物」「草物」「通用物」に分ける。「通用物」というのは木なのか植物なのかわからないもので、藤や竹や牡丹などが入るそうだ。
「花は足で生けよ」という言葉があるそうだが、実際に足を使うのではなく、花の根本を学んで生けるという意味である。
ここで、生け花の実演。「立花新風体」という、1999年に始まった新しい手法による生け花。八重桜や胡蝶蘭を使うが、ミモザやユーカリなどの洋花も使用。更には松の枝や檜の皮なども用いる。
最後は余計なところを剪定。生け花には「引き算の美学」があるという。


休憩を挟んでパネルディスカッション。休憩中に聴衆からのアンケートを取り、それにも答えるという形式。私の書いたものもそのままではないが読み上げられた。

まず、京大総長の山極壽一が話す。皆の話を聞いていて「感性の問題」を感じたそうで。「今はIT社会で、イメージが先行して生身のものが取り残されていく」ように思われるそうだ。
そして、生け花が「引き算」で出来ていることに興味を持ったという。華道家の髙林によると生け花は引き算で、フラワーアレンジメントは足し算だそうである。

私は、日本人と西洋人とでは自然に対する姿勢が違うのではないかと思えたのだが、伊勢は私の意見も纏めた清水からの紹介に「日本人と砂漠に住む人とでは、自然に対する印象は勿論違うと思います。ただ、自然に対する気持ちには万国共通のものがあるように思います」と述べた。

吉岡は、和魂洋才ならぬ洋魂和裁でも日本人は最先端にあると思われるというようなことを述べ、「風景という言葉がありますが、風景というのはそこで自分が何をしたかを読み込むこと」と定義し、自然や環境の中で自己を定義するのが風景であり、生きるということだと述べる。

広井は、文系だが科学史科学哲学専攻という理系に近い文系の人である。「日本人は高度成長期に寺社を忘れてしまった」として、一方で「今の若者達にはローカル指向があり、寺社を中心とした文化に帰る可能性もある」という。

髙林は、「時間を生ける」という言葉を使い、作品を生ける時間と同時に植物が育つ時間も感じるのが生け花だと話した。伊勢が、「(洋花を生けて)怒られない?」と髙林に聞くが、髙林は、「昔は家に必ず床の間があって、そこに生け花を飾っていたわけですが、今は洋間しかない家も多いので、それに合わせて変わっていくのも生け花」だと述べる。


山極は、京都市立芸術大学学長である鷲田清一と話したときに、日本の新興住宅に足りないものが三つあると言われたという。「神木」「神社・仏閣」「場末」に三つで、それ故に新興住宅地は薄っぺらいのだそうである。

吉岡は、パネルディスカッションの冒頭で山極が挙げた「感性」という言葉に触れ、「自然に触れることが感性を育む」とし、このシンポジウムのテーマである文理融合を京都大学で進めているのだが、実際はなかなか上手くいかないという。ただ、「人間とは何か?」を問う上で文理融合は有効だとして、これからも進めていく予定であるという。

伊勢も文理融合を進めているのだが、一意専心が良しとされる現状では文理融合をやっていると、「遊んでいる」と勘違いされるそうである。

最後は、山極がまとめという形で話す。「文明は言葉から、哲学から。それから数学が分かれていくわけですが、数学も哲学のため。だから数学者達も自分は数学者だとは思っていないはず」と語り、その後、哲学よりも技術が主役とされる世の中になったが、例えば社会学を築いたオーギュスト・コントのような立場に戻る必要があるのではないかとする。
山極は「20世紀はコンクリートの時代」と言われたことがあるそうだが、そのためにコミュニティも変わってしまったという。宮大工などの地元に密着した大工などはいらなくなり、建築家さえいればコンクリートを流してどんな建物でも出来てしまう。そして「機能こそ美しい」という考えが出来てしまい、同じような建築が増えてしまった。また高層住宅では上にいくほど立場も高いということになっており、建物が人間を定義するようになってしまったと述べる。
その上で衣食住の再定義から始める必要があるのではないかと語り、「まとまっていないけれど良いですか?」と司会の清水に聞いて、シンポジウムはお開きとなった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月 6日 (木)

コンサートの記(290) 木下牧子作曲 オペラ「不思議の国のアリス」(演奏会形式)

2017年3月25日 びわ湖ホール中ホールにて

午後2時から、びわ湖ホール中ホールで、びわ湖ホール声楽アンサンブル第63回定期公演 木下牧子作曲 オペラ「不思議の国のアリス」を観る。原作:ルイス・キャロル、台本:高橋英郎&木下牧子。
 
2015年に岐阜のサマランカホールの委嘱によって作曲家自身が編曲した八重奏編成による演奏会形式の上演であるが、指揮者とオーケストラが舞台の上に上がっているというだけで、他は、衣装、セット、小道具、照明、映像などを用いた本格的な上演である。指揮は大井剛史(おおい・たけし)、演出は岩田達宗(いわた・たつじ)。演奏はザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団のメンバーで、ヴァイオリン・赤松由夏、ヴィオラ・上野亮子、チェロ・山岸孝教、フルート・江戸聖一郞、クラリネット・松尾依子、ホルン・西陽子、打楽器・安永早絵子、ピアノ・岡本佐紀子。
出演は、びわ湖ホール声楽アンサンブルのメンバーで、飯嶋幸子(いいじま・ゆきこ)、平尾悠(ひらお・はるか)、藤村江李奈、砂場拓也、林隆史、船越亜弥、山際きみ佳、古屋彰久、増田貴寛、五島真澄(男性)、川野貴之、内山建人、鈴木望(すずき・のぞみ)、本田華奈子、島影聖人(しまかげ・きよひと)、吉川秋穂ほか。

指揮者の大井剛史は、私と同じ1974年生まれ。昨年まで私の故郷にあるニューフィルハーモニーオーケストラ千葉(現・千葉交響楽団)の音楽監督を務めていたが、私はずっと京都にいたので、大井の実演に接するのは初めてである。
大井は17歳の時から松尾葉子に指揮を師事し、東京藝術大学、同大学院を修了。若杉弘と岩城宏之にも師事した。2008年にアントニオ・ペドロッティ国際指揮者コンクールで2位入賞。現在は山形交響楽団の正指揮者と東京佼成ウインドオーケストラの正指揮者を務めている。
オペラ「不思議の国のアリス」の初演でタクトを執ったのも大井である。


木下牧子は、日本作曲家界の中堅世代を代表する作曲家の一人。このオペラ「不思議の国のアリス」で2003年に三菱UFJ信託音楽賞奨励賞を受賞している。
東京藝術大学、同大学院を首席で修了。現代音楽の作曲家でも、映画音楽などの劇伴やポピュラー音楽を手掛ける人は多いが、木下はクラシック系の音楽のみで勝負するという、今では珍しいタイプの作曲家である。
ホワイエで開場を待っている時にも木下は姿を見せていたが、カーテンコールでは客席(私の席のすぐそばに座っていた)からステージ上に呼ばれて喝采を受けた。


舞台は2段になっているが、2段目は平台程度の奥行きしかなく(実際に平台を重ねたものだと思われる)、後ろ側にも降りられるようになっている。平台舞台の上手と下手に3段の階段がある。背後にはホリゾント幕(スクリーン)が下りていて、ここに日本語字幕や映像が投影される。投影される映像は、写真、CGなど多岐にわたる。


指揮者が立つと視覚的に問題が発生するため、大井は常に椅子に腰掛けての指揮である。端正で拍をきちんと刻むタイプの動きをする。

木下の音楽は、「大人から子供まで楽しめる、遊び心に満ちた日本語オペラ」を作るというテーマを掲げていた高橋英郎の委嘱で描かれた作品ということもあり、メロディアスで明快であるが、やはり現代音楽の作曲家であるため、時折、不協和音や鋭い響きが飛び出す。三拍子系の音楽が要所要所で用いられているのも特徴。


びわ湖ホール中ホールは基本的に演劇向けのホールであり、室内楽編成のオーケストラ演奏にもオペラにも適した音響とはいえない。八重奏の編成では音が小さく聞こえるのに、合唱が大音声を発すると、天井や壁がガタガタいう。


序曲に続き、舞台下手からアリス役の飯嶋幸子が飛び出してきてスタート。舞台前方からは客席に下りられるようになっていて、下手の階段を飯嶋幸子と、ウサギ役の藤村江李奈が用いて、中央通路を通って入退場を行った。

ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」であるが、かなりカオスな物語である上に、ラストは夢オチということで、知名度は高いが内容は余り知られていなかったりする。木下牧子も、ディズニー映画などでわかったつもりになっていたが、作曲のために文庫本で「不思議の国のアリス」を読んでみても良さがサッパリわからなかったそうで、3~4種類の日本語訳を読み比べたり、イギリス史や哲学などで背景を探ろうとしても無理だったのであるが、英語の原文で読んだら「すぐに理解でき」たそうである。英語で読まないと本当の良さがわからない本なのかも知れない。一応、日本語訳テキストでもメタレベルにまで落とし込んで、「マジックリアリズム」として解釈すれば面白いのだが、それは知的な面白さであり、ファンタジーとしての面白さとは別だと思われる。
背が高くなったり低くなったりを人間の成長の隠喩と取ったり、暴君そのものの女王を他のものに見立てたりは出来る。今は丁度、トランプという人が出てきているし。
ドードーの指示で行う体を乾かすための「ぐるぐる競争」や女王主催のクロッケー大会も、村上春樹が「回転木馬のデッドヒート」と表現した現代社会の模写のようにも見える。現代は、物語の中よりもリアルな世界の方が「不思議の国」に近くなっている。

オペラで「不思議の国のアリス」をやろうというのも困難である。アリスの体が大きくなったり小さくなったりを表現するのは舞台では難しいし(今回は写真を投影することで処理していた)、人間でないものが多く登場するので色物になりやすい。また、意味のわからないセリフが沢山出てくるため、観ている方の混乱を誘う可能性がある。

原作とは違い、青虫を百合の花(百合の花の演じるのは平尾悠。アリスの姉との二役である)に変えたり、容疑者として登場して一言しか発しないジャック(演じるのは古屋彰久)をアリスを誘う色男に変えたりして、物語を進めやすくしている。青虫が出てきたら本当に色物になってしまう。
帽子屋(増田貴寛)の歌は、「キラキラ星」のメロディーを意図的に崩して音痴に聞こえるようにしたもので、これは帽子屋の主題にもなっている。
鳥は複数のキャストが演じるのだが、団扇を両手に持って羽ばたくことで処理し、クロッケー大会の時には、原作にあるフラミンゴではなく掃除用具などを手にすることで過度にはみ出さないよう注意が払われている。

岩田達宗は、歌劇「ラ・ボエーム」や新作オペラ「夜叉ヶ池」で歌舞伎の手法を用いており、「意図してやっているのかどうか」を以前、岩田さんに聞いたことがあるのだが、どうも岩田さんが奥さんの影響で無意識にやっているようである。今回の「不思議の国のアリス」でも涙で起こった洪水を幕で表すという、歌舞伎でよく用いられる手法が取り込まれていた。

言葉遊びの場面は、原作を舞台に置き換えるのは難しいため、公爵夫人の茶会で「歌遊び」をするという設定で、公爵夫人が自身の「公」という頭文字に掛けて「コートダジュールに住みたい」と歌い、ジャックが「ジャマイカに住みたい」と歌い、アリスが「アイルランドに住みたい」と歌った後で、帽子屋が「ボートに住みたい」と歌って大滑りするという愉快なシーンになっている。帽子屋はこのオペラでは道化的存在として扱われているようだ。


日本人が日本語のオペラを上演する場合にネックとなるのはやはり演技力である。外国語で歌ったり演技をしている場合は、こちらが外国語に詳しくないということもあり、演技のレベルはわからない。ただ、日本語による歌唱や演技は当然ながらよくわかるのである。そもそも日本語オペラの場合は歴史が浅いため、指針がまだ定まっていないということもある。
日本の一流の舞台俳優と比べるのは酷だろうが、「酷」と思ってしまうのが現状でもある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月 5日 (水)

コンサートの記(289) ペトル・アルトリヒテル指揮プラハ交響楽団来日演奏会2017京都 スメタナ 「わが祖国」全曲

2017年3月14日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都・プラハ姉妹都市提携20年記念事業であるプラハ交響楽団の来日演奏会を聴く。指揮者は2度に渡ってプラハ交響楽団の首席指揮者を務めたことのあるペトル・アルトリヒテル(Webでは「アルトリフテル」表記の方が情報が多いようだ)。
プラハ交響楽団はプラハ市営のオーケストラである。
なお、入場者には、「京都・プラハ姉妹都市提携20周年」を記念して、京都洛中ロータリークラブからチョコレートが送られた。

スメタナの連作交響詩「わが祖国」全曲の演奏。

1996年4月に姉妹都市となった京都市とプラハ市。共に市営のオーケストラがあるということで(京都市交響楽団はその後、市直営から市の外郭団体による運営に切り替わった)、12年前となる2005年に京都市交響楽団とプラハ交響楽団は姉妹オーケストラの提携を結び、合同演奏会も行ったが、その後は少なくとも「密接な関係」にはなっていない。
プラハ交響楽団は、晩年のサー・チャールズ・マッケラスと名盤を多く残しているが、それ以前には「チェコのカラヤン」と呼ばれたヴァーツラフ・スメターチェクが育てたオーケストラとして知られていた。

指揮者のペトル・アルトリヒテルは、1951年生まれ。生地はモラヴィアにあるフレンシュタード・ポト・ラドシュチェムという長い名前の街である。フレンシュタード・ポト・ラドシュチェムの隣町にあるオストラヴァ音楽院で指揮法とホルンを学び、ブルノにあるヤナーチェク音楽院在学中の1976年にブザンソン指揮者コンクールで2位入賞及び特別賞受賞。チェコ・フィルハーモニー管弦楽団でヴァーツラフ・ノイマンの助手を務め、1990年にプラハ交響楽団の首席指揮者に就任。この時は1年で退任している。1997年から2001年まではロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者として活躍。1993年に南西ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督に就任(2004年まで)。2002年から2009年まではチェコ国立ブルノ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者の職にあった。この時期、ブルノ・フィルとレコーディングを行っており、以前、ザ・シンフォニーホールでブルノ・フィルハーモニー管弦楽団が来日演奏会を行ったとき(指揮者は若手のアレクサンダー・マルコヴィッチであった)にペトル・アルトリヒテル指揮ブルノ・フィルのCD(「新世界」交響曲ほかを収録)を買ったことがある。
というわけで、CDでは聴いたことのあるアルトリヒテルだが、実演に接するのは初めてだ。
アルトリヒテルは、2003年から2006年に掛けて、再度、プラハ交響楽団の首席指揮者を務めている。

ドイツ式の現代配置での演奏。白人は体格がいいため、ウレタン仕様の椅子は二つ重ねて少し高くなるように調整されている。ステージはすり鉢状にしているが、上手下手出入り口付近は邪魔になるために上げずにフラットにしている。そのためなのかどうかはわからないが、最近の京都コンサートホールでの演奏にしては残響は短めであった。

日本人かどうかはわからないが、フォアシュピーラーの女性と、トライアングルを鳴らす打楽器奏者の女性は少なくとも東アジア系であるのは確実と思われ、国際的な面々が揃っているようだ。


演奏が始まる前に、駐日チェコ大使のスピーチがある。「皆様、こんばんは」「ようこそお越し下さいました」「ここからチェコ語に変わってもいいですか」と日本語で挨拶した後で、チェコ語でのスピーチを始める(日本語通訳も多分、チェコ人の女性)。「京都とプラハは姉妹都市であるが、文化のみならず経済なども含めてあらゆる面で姉妹都市である」ということ、「門川大作京都市長とアドリアーナ・クルナーチョバー・プラハ市長(女性である。現在、入洛中)に挨拶に行き、歓迎された」こと、「モルダウ」が日本でもお馴染みの曲になっていることなどを語り、「本当にありがとうございました」と日本語で言って締めた。


スメタナの連作交響詩「わが祖国」全曲。前半に「ヴィシェフラド(高い城)」、「ヴルタヴァ(モルダウ)」、「シャールカ」の3曲が演奏され、休憩を挟んで後半に「ボヘミアの森と草原から」、「ターボル」、「ブラニーク」が演奏される。

アルトリヒテルの指揮は拍を刻むオーソドックスなスタイルだが、かなり情熱的な指揮であり、身振り手振りは大きく、時には唸り声を上げながら指揮をする。膝を曲げて中腰になって指揮したり、片方の足でリズムを踏むもあるが、一番の癖は前髪を息で吹き上げながら指揮することである。

なお、総譜は、「わが祖国」全6曲を纏めたものではなく、交響詩1曲を収めた総譜6冊を利用していた。


第1曲「ヴィシェフラド(高い城)」では、出だしのハープ序奏を二人の奏者(共に金髪の女性である)に任せ、その後、指揮を始める。
プラハ交響楽団は、12年前に聴いたときには、「技術はまあまあ高く、音色は京響よりも豊か」という印象だったが、今日は弦の音は美しいものの、京響のように燦燦と光り輝くというタイプではなく、「渋い音」の部類に入る。勿論、音のパレットは豊かなのだが、基本的には「いかにも東欧のオーケストラらしい」玄人好みの音色である。一方の管は、思い切り吹いてもまろやかな音が出ており、美観は十分である。「やはり日本人とは肺活量が違うな」と思われるところもあった。
アルトリヒテルは音のブレンドに長けているようで、弦と管の音を上手く組み合わせて音楽を作る。

第2曲「ヴルタヴァ(モルダウ)」は、一昨日、高関健指揮京都市交響楽団の演奏で聴いたばかりなので比較が可能である。といっても今日はポディウム席の1列目なので、1階席の18列目真ん中だった一昨日とはコンディションは異なる。
チェコのオーケストラが「モルダウ」の第1主題を演奏すると、どこがどうと詳しく説明することは出来ないのだが、「郷愁(ノスタルジア)」のようなものが強く感じられる。やはり祖国が誇る作曲家の作品であるため、思い入れが違うのだと思われる。
イメージ喚起力に長けた秀演である。

第3曲「シャールカ」は切れ味の鋭さが印象的な演奏であった。

第4曲「ボヘミアの森と草原から」。「わが祖国」の中では「モルダウ」の次に知名度の高い曲である。アルトリヒテルとプラハ響はスケールの大きな演奏を行う。

第5曲「ターボル」では、ホルンが吹き始める音型が、その後、各楽器に移っていくのだが、仄暗い情熱を感じさせつつもとても丁寧な仕上がりとなった。

ラストの「ブラニーク」。この曲には、とても美しいオーボエソロがあるのだが、プラハ響のオーボエ首席奏者のソロもとても美しい。またオーボエソロを受ける形となる首席クラリネット奏者と首席ホルン奏者(彼だけは燕尾服ではなく、ジーンズにジャンパーというラフな格好であった)の技術も極めて高度で、プラハ響の質の高さがまざまざと伝わってくる。まだ若いと思われるティンパニ奏者のノリとリズム感も抜群であった。


アルトリヒテルは、最後に6冊の総譜を掲げて、曲への敬意を表した。


プラハ交響楽団の知名度は日本全国ではそれほど高いとはいえないだろが、実質はともかくとして京都市交響楽団の姉妹オーケストラということもあり、京都コンサートホールは3階席正面の上手下手端、1階席後方の上手下手端を除けば席は埋まっていて、入りも上々といえるだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月 4日 (火)

観劇感想精選(208) 中華人民共和国建国60周年記念事業・京劇「覇王別姫~漢楚の戦い~」

2009年6月19日 大阪・谷町のNHK大阪ホールにて観劇

午後7時からNHK大阪ホールで、中華人民共和国建国60周年記念事業・京劇「覇王別姫~漢楚の戦い~」日本公演を観る。日本語字幕と数カ所の日本語ナレーションを加えての上演。演じるのは天津青年京劇団。

陳凱歌監督の映画「覇王別姫」(日本語タイトル「さらば我が愛 覇王別姫」)を観た人の中には、京劇というものには女形がいるのだと思っていらっしゃる方がいるかも知れないが、それは文革時代までの話で、今は女役は女優が演じている。今回の公演も虞姫(虞美人)を演じていたのは趙秀君という女優だった。

「覇王別姫」は映画の題材になったということもあり、京劇の中でも最も有名な演目である。覇王とは楚の項羽のことで、項羽と漢の劉邦との戦い、特に垓下の戦いが描かれている。

形勢は項羽にとって圧倒的に不利。漢の劉邦と参謀の韓信は項羽をおびき出して野戦に持ち込み、伏兵をしかけて一気に勝負を決しようとする。

漢の罠に嵌った項羽は垓下の砦に立て籠もるが、漢は砦を囲んで四方から楚の歌を兵士に唄わせ(四面楚歌である)、楚がすでに劉邦の手に落ちたと錯覚させる作戦に出る。「虞よ虞よ汝を如何せん」と項羽は嘆き、それをみた虞姫は項羽の剣を引き抜いて自害する。

予想していたよりも見応えのある公演であった。

京劇は日本の歌舞伎とよく比較されるが、立ち居振る舞いなどはむしろ狂言を思わせるところがある。虞姫の剣の舞の見事さや、二胡や銅鑼、太鼓などによる独特の音楽など見せ場も多く、虞姫の最期の場面などは感動的である。

京劇というと日本では余り馴染みがないためか、ホールは、特に私が座った2階席はガラガラであった。それだけが残念である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月 2日 (日)

笑いの林(86) 「テンダラーNGKライブ ~vol.9~」

2017年3月20日 なんばグランド花月(NGK)にて

午後7時から、なんばグランド花月(NGK)で、「テンダラーNGKライブ ~vol.9~」を観る。テンダラーが毎年春にNGKで行っている単独ライブの9回目。わかりやすいタイトルである。

「オペラ座の怪人」のテーマのエレキバージョンが流れて開幕。NGKの舞台後方にはSHARP製の巨大モニターがあるのだが、ギターとキーボードを弾く浜本広晃と、ドラムスとパーカッションを叩く白川悟実の映像が映る。浜本は楽器の演奏は出来ないのだが(私もピアノは弾くので、キーボードの手が出鱈目であることは見て分かる)、白川は実際にジ・白川バンドというバンドを組んでドラムを担当しているそうである。母音でもないのに何故「ジ」になるのかは不明。白川は高校を留年した挙げ句中退しているので、単純に英語についての知識がないのかも知れない(相方の浜本も高校中退である。早希ちゃんが2011年に「桜 稲垣早希のセンパイと遊ぼう!」というライブをやった時に、「結婚相手の望むこと」と聞かれた早希ちゃんが、「自分はアホなので、頭の悪い人は駄目ですね」と言ったところ、浜本がイラッとした声で、「早希ちゃん、俺ら二人とも中卒なんやけど」と言ったことがあった)。

能舞台をイメージした、大きな松の描かれた木目調の背景が下りてきて、下手から白川が、上手から浜本が登場する。
浜本がキーボードを弾く仕草をして、「僕はこれ出鱈目ですけどね」と言うと、高い声で大笑いする女性がいたので、浜本は「そんなにいけます?」と言って、弾く真似を繰り返す。

多くの劇場がそうであるように、NGKも下手列、中央列、上手列の3つに分かれているのだが、今日の私の席は上手列中央付近の真ん中辺り。最初は下手にいる舞台監督が出すカンペが見えていたが、その後、舞台監督は引っ込んだ場所に移る(それでもカンペの一部が見えることもあったが)。

まずは漫才。「カッコ悪いこと」について語る。白川は、「おなかの鳴る音がするとカッコ悪い」と言うが、浜本は、「大食い大会でホットドッグ28個目食べた後に腹鳴ったら格好いいやん。え? まだ余裕あるのって」とよく分からない反論をする。向こうで手を挙げている人を見て、自分に向かって挙げているのだと思って自分も手を挙げたら、自分の後ろにいる人に向かってだった時はカッコ悪い」となるが、浜本は、「挙げた手をかっこよく下ろす方法がある」という。実際にやってみようとするが、白川が手を挙げると、浜本もすぐに手を挙げて、白川が「早い早い!」と駄目出しする。
今度は白川が手を挙げても、浜本は延々と確認して手を挙げない。白川が手を挙げて、浜本がそれに応えるように手を挙げ、白川が浜本の後ろにいる人に話しかけるという設定の演技を行うと、浜本はさりげなく会話に加わろうとしていた。

白川が、「自分の息子が芸人になろとしたら嫌だよね」という話をするが、浜本は、「その前に結婚せえよ」と駄目出し。「子供作るのは結婚した後や、その前の結婚の話せんと」
白川は、「俺がお前の子供だったとして、芸人になることに賛成するか?」と聞くが、浜本は、「その前にお前が俺の子供なのが嫌やわ」と返す。
白川が浜本の子供(18歳)という設定で、浜本に「芸人になりたい」と打ち明ける演技。浜本はあっさり「ええよ」と言ったり、「そういうことはお母さんに相談しなさい」と頼りないのか関心がないのか面倒くさいのか、とにかく無責任な父親を演じてしまう。
浜本は、「小さい頃はお母さんと結婚するって言ってたじゃないか。果たしなさい」「プロ野球選手になるのが夢だって言ってたじゃないか。叶えなさい」と無茶苦茶を言う。だが、「お前みたいな奴は芸人になっても、給料が安い、水着にさせられたと言って出家して辞める」と別の人のことを言ってしまったり、「クスリをやっていると週刊誌に書かれて、ゲイだとバラされて、海外に逃亡する」とこれまた別の人の話を始めてしまう。
白川がやる芸が面白ければ芸人になってもいいということになる。白川は両手で顔を覆い、「いないいない(手を開いて)バーミヤン」とやる。思いっきり滑っているが、浜本は「いいだろう」と言ってしまう。

「テレビ番組に出たいよね」という話になり、浜本はゴルフ番組の司会をしたいと夢を語って、白川は料理番組をやりたいという希望を述べる。3分間クッキングで、シチューを作ることになり、浜本が実演してみせるのだが、料理中に鼻を拭ったり、髪を触ったり、股間に触れたりと不衛生なことばかりする。かと思えばシチューではなく鮪の解体ショーを始めてしまったり、イエッセル作曲のメロディーに、「どうして人は争いや諍いばかりするのだろう。肌の色や考え方で」とやたらシリアスな歌詞をつけて歌ってしまったりする。浜本は、「トランプさん、見てますか!?」と言う。

CMに出たいという話になり、浜本が、「でも他のものが売れたりするよね。アイフルのCMでチワワが売れたり、auのCMで桐谷健太君の歌が売れたり」という言うが、「マクドナルドのCMでハンバーガーが売れたり」と続けて、白川に「そりゃそうやろ!」と突っ込まれる。
ハンドルを握って、レーシングカーのCMをやっているのかと思いきや、実は阪神高速のCMで、「28日から工事のため通行止めになります」というナレーションが入ってしまう。
更に、「スマホがあるとき」(白川がスマホで喋るふりをする)、「ないとき」(白川があたふたする仕草をする)と551蓬莱の豚まんのCMのパクりが始まってしまう。

先のネタに続いて、ケータイやスマホがなくなると不安になるという話。スマホを落としたら、公衆電話から自分の電話番号に電話すれば良いという話になるのだが、スマホを落とした白川が自分の番号に電話を掛けると、浜本はおかしな声をした「怪物」がスマホを拾ったという話にしてしまう。もう一度やるが、浜本は今度は「はい、森○学園です」と言う。「○友学園の校庭のゴミの中に(スマホが)混ざってました」「籠○に100万円払えば返します」
今度は浜本は、「兄貴に変わります」「おじきに変わります」「組長に変わります」「総帥に変わります」と、その手の人の間をリレーする設定にしてしまう。

任侠に憧れるというので、組長が刑務所から出てきた時の様子を演じるのだが、手下に扮した浜本は組長役の白川を電車に乗せようとしてしまう。もう一度やるが、今度は自転車に乗せてしまう。もう一度。今度はセグウェイ、その次は人力車である。白川は、「ここ京都か?」と言う(京都の観光地には人力車が沢山走っている)。更にボートに乗せてしまったりと、なかなか高級車にたどり着かない。ようやく車に乗ったと思ったら、「阪神高速は28日から工事のため通行止めになります」

白川が運動不足で太ってきたというので、浜本がヨガを勧める。浜本が、「チャクラを感じて」と専門用語を使いながら、両手を拡げて、「GLAYのTERUチャクラ」「『HOWEVER』チャクラ」と訳のわからないことをやる。浜本は、「これ1日5時間やれば痩せる」と言うが、白川は、「1日5時間やれば何やっても痩せる」

WBCの話。白川が侍ジャパンの4番をやることになるのだが(立ち位置の関係上、白川は左打ちの構えをする)、「白川、ホームラン! 日本、1点を返しました。68-1」と敗色濃厚の中での焼け石に水の一発だったりする。
小久保監督が白川よりも年下だというので、白川が侍ジャパンの監督という設定でアンパイアに抗議をすることになる。浜本が「セーフ!」とやって、白川が詰め寄るが、浜本は途端に「退場!」。かと思えば、浜本は白川から逃げまくり、最後は欽ちゃん走りで逃げたりする。そして判定を覆したいなら金をくれと要求。白川が渡すと「逮捕!」になる。VTR検証をすることになるのだが、VTRの様子を演じる浜本は、「退場! から欽ちゃん走りで逃げ回り、金を要求」というこれまでの流れを再現して、白川に「そこじゃなくて!」と駄目出しされる。


コント「カラオケボックス」。暗転の間、白川が歌う「2億4千万の瞳(エキゾチック・ジャパン)」が流れるのだが、微妙に音痴なので客席から笑いが起こる。
カラオケボックスに一人カラオケをしにやってきた白川。電話でメロンソーダを注文するのだが、フロントの浜本から「メロンソーダでございますか? 本当にメロンソーダでございますか?」と聞かれ、更に白川の部屋(7号室)にフロントから電話が掛かってきて、「本当にメロンソーダですか? 厨房がざわついております」と言われる。46歳の男性がメロンソーダを注文することはまずないかららしい。フロントは「上のチェリーは乗せなくてもよろしいですよね?」と聞いて、白川に「乗せて!」と言われる。

白川が使う予定のハンドマイクがないというアクシデントがあったが、とにかく白川は歌い始める。B'zの「ウルトラソウル」。白川が「ウルトラソウル! ハイ!」と歌った時に、後ろのメニューの絵の部分がガラッと緒開いて、カツラを被って女性に扮した浜本が現れ、メロンソーダを置いていく。
採点モードがあるので、白川は「鏡の中のマリオネット」でやってみるのだが、採点するのは浜本扮する女性で、しかも「24点」と異様に低い点。選曲もマイナスだったらしい。
ライブモードで白川はX JAPANの歌を歌い始めるのだが、サビで浜本が両手でバッテンを作って現れ、「X」と仕草と声がけを行うというモードであった(そういえば、連続ドラマ「カルテット」で、松田龍平演じる別府司がカラオケで「紅」を歌っている時に、他のカルテットのメンバーが、「X! X!」とやり、別府が「それこの歌じゃない」と言うシーンがあったが、アドリブっぽかったな)。

白川は、「レッスンモード」というものを試してみる。歌うのは久保田利伸の「LA・LA・LA・LOVE SONG」。「土砂降りの午後を待って」と歌ったところで、舞台下手から、ちゃらんぽらん・冨好真がゲストとして登場。マンツーマンでレッスンを行う。冨好は、「スラーでは駄目。スタッカートで歌わないと」と言い、久保田利伸はスタッカートで歌っているとして久保田利伸本人の歌が流れるが、肝心なところで音を切ってしまうため、真相がわからない(冨好が言っていることは一応は正しい)。
レッスン料は7500円と高い。白川は1万円札を出すが、冨好はおつりを渡さずに帰ってしまう。

ここで、白川は相席を頼まれる。やって来たのは、今別府直之と岡田直子(共に吉本新喜劇)。岡田が、「40代で一人カラオケですか? 独身で?」と聞き、今別府が「見ればわかるだろ。彼女いる顔してない」と言ったため、白川が怒る。今別府が歌うのだがかなりの音痴である。今別府は、「歌で大切なのは上手さじゃない。ここだ」と言って、自分の胸を叩くのだが、途端に、「ピュ!」と例のネタが飛び出し、ネタをやって帰って行った。

灰皿がないので、白川はフロントに電話。すると、カツラを変えた浜本が登場する。白川が、「あれ? さっきの人ですよね?」と聞くが、浜本は首を横に振り、メニューの絵を指しながらデンモクを操作して、「妹よ」と歌を流して応える。喉が痛くて声が出ないようだ。白川が2杯目からのドリンクバーの場所を聞くが、「急行待ちの踏切辺り」(山崎まさよし 「One more time,One more chance」)ととんでもないところを答える。
隣の部屋では妹が店長に言い寄られているが、浜本は「何も聞こえない」(徳永英明 「壊れかけのRadio」)と流してしまう。「でも妹さんでしょ?」と白川が聞くと、「私以外私じゃないの」(ゲスの極み乙女。)。
浜本が白川に気がある素振りをするので、白川が「いつから好きなの?」と聞くと、浜本は、「君の前前前世から」(RADWIMPS)と答えて、白川に「そんな訳あるか!」と突っ込まれる。
ちなみに二人が一緒になると、「ゆっくりゆっくり下ってく」(ゆず「夏色」)そうである。


コント「淋しい夜」。シャ乱Qの「いいわけ」が流れ、巨大モニターに映像が映る。会社員役の白川が、同僚の井上安世(吉本新喜劇)と親しげにしている映像。
居酒屋が舞台。会社員の白川が、学生時代の友人である浜本と待ち合わせをしている。白川は井上安世に恋しており、告白しようと思っているのだが、フラれた時に誤魔化すために浜本を呼んだのだった。
浜本がトイレに行っている間に井上安世が登場。しかし、戻ってきた浜本と井上が顔を合わせた途端にシャ乱Qの「いいわけ」が流れて、二人の間に気まずい空気が流れる。明らかに元彼と元カノである。
浜本も井上も互いに、久しぶりに出会った知り合いを装うが、注文した飲み物が二人とも「焼酎ソーダ割り、芋で」の上に、おつまみまで一緒。乾杯も白川を飛ばして二人でする。白川がビールの一気飲みをすることになるのだが、一気コールが、「百姓一揆、小堺一機(「いっき」と読んでいた)」独特のもので、白川は怪しむ。浜本が酒を自分のズボンにこぼすと、井上は自分のハンカチを取り出して拭うのだが、白川がビールをズボンにこぼしても井上は、「すみませーん! おしぼり下さい!」と店の人に頼んでしまう(吉本新喜劇の清水啓之が店員を演じていた)。

遂には、互いの浮気を責める内容に発展してしまい、浜本は「安世!」と呼び捨て、安世は浜本のことを「広くん!」とあだ名で呼ぶ。そしてかつて二人は同棲していたことまでわかる。更には、浜本は井上の体や年齢を気遣うも、それは以前、井上が浜本の子供を堕ろしたことがあったからであることがわかり……。


コント「警察官」。「踊る大捜査線」のテーマが流れ、溶明すると、黄色と黒のロープの前に警官の制服を着た白川が立っているのが見える。無線の声が響き、どうやらこの場所で殺人事件が起こったらしいということがわかる。そこに通り掛かった小学生の浜本。黄色い通学帽をかぶり、ランドセルを背負っている。ロープの向こうにある同級生の家にノートを渡しに行かねばならないのだが、ロープが邪魔して行かれない。そこで、あらゆる手を使ってロープを潜ろうとする。リンボーダンスを行ったり、警察が敬礼をしてロープを潜るのを見て自分も敬礼をしたり、警察手帳の代わりに昆布を見せて通ろうとしたり。
「居酒屋」を歌いながら居酒屋の暖簾をロープにぶら下げて潜ろうとしたり、同じく「神田川」を歌いながら風呂屋の暖簾を潜ろうとする浜本。いずれも止められると、今度は赤い布を垂らして、牛のかぶり物をして闘牛として突っ込もうとする。止められると、バンビーノの「ダンソン」をして、白川にニーブラを決めるも、「逆やろ!」と突っ込まれる。

「凄腕の探偵が知り合いにいるので連れてくる」と言って、いったん上手にはける浜本。だが、「名探偵コナン」の江戸川コナンの格好に化けた浜本本人であり(スケートボードで出てくるが下手で、白川に「それ乗るの初めてやろ」と突っ込まれる)、白川に拒否される。「名刑事」がいるので連れてくる」と言って再びはける浜本。「古畑任三郎」のテーマが流れ、浜本は黒のコートを羽織って登場するが、「えー、えー」と言うだけ。セリフの物真似は出来ないそうで、白川に追い返される。
その後も、「太陽にほえろ!」の山さんのふりをしたり、「隣の人間国宝」の円広志に扮したり、ダンスで強引に突破しようとする浜本だが、通れずに諦めて帰ってしまう。だが、唯一の目撃者が、「小学生。背が高く、玉置浩二似、ただし安全地帯時代の」であることが判明し……。


ここで映像のコーナー。なんばグランド花月の楽屋から出るときの白川の服装を隠し撮りした映像を、ファッションチェックとして流す。月曜日、Tシャツ、ジーンズ、ジャンパー。火曜日、月曜日と同じ、水曜日も前日と同じ。木曜日も前日と同じかと思いきや靴が微妙に違う。金曜日は水曜日までと一緒の格好に戻る。土曜日、いきなり全てブランドものに変わる。日曜日、また戻る。
まあ、これを読んでも何が面白いのかわからないだろうな。画が勝負のコーナーなので、実際に映像を見ないと面白さは伝わらない。


「もう一度漫才」。過去の単独公演でやったものの埋もれてしまっている漫才作品の中から良いと思われるもの構成作家の人に選んでもらい、もう一度やってみるという試み。
若い頃に作った、「ホウ・レン・ソウ」。サラリーマンやOLの「ホウ・レン・ソウ(報告・連絡・相談)」を題材に、浜本は「『チャーシューメン』」も大事だよね」と言う。「チャレンジ・習得・メンタル」の略だという。「チンゲンサイ」も大事だというが、「チンチン・元気・最高!」という下ネタであった。

「白男と浜子」というネタもあり、白川と浜本がカップルでデートに出かけるというものなのだが、ゲームセンターで白川が「太鼓の達人」をやると、浜本がギターで入ってこようとし、ストラックアウトに挑戦した白川が2球連続で外すと浜本が、「なにやってんのよ! 死んでしまえばいいのに」と突然毒づいたりする。浜本演じる浜子はストラックアウトをやったことがないという設定なのだが、いきなりサブマリンで見事な投球を行ったりする。

浜本は、「次に(もう一度漫才を)やるときは、『いないいないバーミヤン』も入るんやろな」と言う。


ラストは漫才。浜本が子供の頃、よく転校していたといい、転校する日には独特の雰囲気があるというので、白川が転校する児童、浜本が担任教師という設定でやってみる。
浜本が、「残念なお知らせがあります。白川君が今日で転校します」と言うと、白川は、「今日ちゃう! 今月いっぱいや」と駄目出し。浜本が言い直すが、「残念ながら今月いっぱいまでいる」
白川がお別れの挨拶を始めるのだが、浜本は退屈そうで、時計を見たり、貧乏揺すりをしたり、鼻をほじったりと白川にとっては目障りなことを続ける。
更には、白川がお別れを言っている間に授業を始めてしまったり、黒板消しの掃除を始めて騒音を立てたり、「あ! 犬入ってきた。あ! ジャスティン・ビーバー入ってきた!」と言って、白川に、「それ、ソフトバンクのCMや!」と突っ込まれたりしていた。

カーテンコール。浜本によると、「テンダラーNGKライブ ~vol.9」の正規のチラシではなく、白紙に情報と吉本の公式サイトに載っているテンダラーのプロフィール写真を載せた簡易チラシが勝手に作られて電柱に貼られるという謎の現象が起こっているという。更にはポスティングまで始まったそうで、誰がなんのためにやっているのかはわからないが、「勝手に張ると違反になるので、見かけたら剥がしておいて下さい」と浜本は言う。
緞帳が下りる時には、白川が「いないいないバーミヤン」をやって、観客を笑わせていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月 1日 (土)

観劇感想精選(207) UMEDA BUNRAKU うめだ文楽2017「義経千本桜」河連法眼館の場

2017年3月24日 グランフロント大阪北館4階のナレッジシアターにて観劇

午後7時から、グランフロント大阪北館ナレッジキャピタル4階にあるナレッジシアターで、うめだ文楽2017 「義経千本桜」より河連法眼館の段を観る。二代目竹田出雲ほかによる合作。
「仮名手本忠臣蔵」、「菅原伝授手習鑑」と共に三大傑作の一つに数えられる「義経千本桜」。歌舞伎でも有名だが、人形浄瑠璃としての方が先で、歌舞伎はいわゆる義太夫狂言として行われたものである。
「河連法眼館の段」は歌舞伎では四段目の切りであることから「四の切」という通称でも知られているが、文楽ではそういう表現はしないようである。歌舞伎の四の切は市川猿之助の先代と当代の十八番であり、私も京都四條南座などで歌舞伎版の「河連法眼館の段」を観ている。猿之助がラストで宙乗りを行うことで有名だ。

うめだ文楽は、大阪にある民放テレビ局5局の共同で制作されており、今回は読売テレビの担当で、司会は読売テレビアナウンサーの諸國沙代子(しょこく・さよこ)が務める。
毎回ゲストが招かれており、開演前のトークショーが行われる。今日のゲストはシンガーソングライターの嘉門達夫。替え歌でお馴染みの嘉門達夫だが、今日も新作替え歌である「森友の籠さん(原曲:「森のクマさん」)」を披露する。嘉門は、ナレッジシアターに来る前は、ラジオの仕事をしてきたそうで、「森友の籠さん」はすでにラジオで発表済みで、YouTubeにもすでにアップしたという。嘉門は「今日やれて良かったわ。明後日ぐらいになったらもうみんな忘れている」

嘉門は、歌舞伎は勘三郎と友人だったためよく観ていたが、文楽は3回ほど観たことがあるものの、いずれも居眠りしてしまったそうである。司会の諸國も1回観たことがあるだけだそうだ。うめだ文楽は文楽に馴染みのない人にも文楽をアピールするという目的もある公演であるが、嘉門が客席に「文楽を観るのは今日が初めてという人」と聞くと、手を挙げる人はまばらで、嘉門は、「今日はベテランばかりですね」と言う。文楽を観に来ない人は立地が良かろうが値段が安かろうが観に来ないので、まあ、当然といえば当然の結果である。うめだ文楽は国立文楽劇場と違って字幕は出ないので、わかりにくいという一面もある。

その後、静御前の人形を操りながら吉田簑紫郎、吉田簑太郎、桐竹勘次郎が登場し、トークを行う。吉田簑紫郎は今年42歳にして芸歴30年だそうだが、13歳の時に文楽を観たのがきっかけで人形に興味を持ち、楽屋に遊びに行くようになって、そのまま弟子入りとなったそうだ。吉田簑太郎は父も祖父も文楽の人形遣いであったため、高校生の頃には「自分もそうなるんだろう」と思っていたそうである。桐竹勘次郎は比較的遅く、大学生の時に授業の単位欲しさに観に行った文楽に惹かれてしまい、そのまま学生生活と平行して文楽の技芸員になるための見習いを始め、大学卒業後に本格的に文楽技芸員の世界に飛び込んだという。
国立文楽劇場には研修所があるため、そこ経由で来る人と弟子入りで来る人の二通りがあるそうだ。嘉門達夫は、「吉本でいってみれば、巨人師匠に弟子入りするか、NSC入るか」と例えていた。研修所に入ると、2年ある課程のうちの1年は、太夫、三味線、人形遣いの全てを学ぶ必要があるが、弟子入りだと一本で行けるそうである。ただどちらが良いかは人によるという。

人形遣いは、まず足遣いから始めて10年、左遣いに10年から15年掛かるそうである。だが簑紫郎は、「入門から21年間ずっと足遣いで、これは騙されたと。ただ自分は中学しか卒業していないので、潰しが利かない。だからこれをやるしかない」と腹をくくったそうである。また全員が主遣いになれるわけではなく、うだつが上がらないままに終わる人もいるそうである。

諸國沙代子が、「笑いたくなるときなんてないんですか?」と聞くと、簑紫郎は、「聞かないで下さい」と言う。実は下で介錯をしている人が、笑わせようとして変なものを出してくる場合があるそうだ。だが、人形遣いは何があっても動じてはいけないため、笑った方が悪いということになるそうである。

トークのラストでは、嘉門の代表曲である「鼻から牛乳」に合わせて、静御前の人形に動いて貰った。
なお、昨年、関西テレビの回のうめだ文楽トークゲストとして登場した兵動大樹は演目は観ずに帰ってしまったそうだが、嘉門達夫はちゃんと観劇していた。


「義経千本桜」より河連法眼館の段。字幕はないがその代わり、河連法眼館の段に至るまでの「義経千本桜」のあらすじがCG映像で説明された。
太夫は豊竹希太夫。三味線は鶴澤寛太郎と鶴澤燕二郎。出演は、吉田幸助(佐藤忠信、狐、狐忠信)、吉田簑紫郎(静御前)、吉田玉勢(源義経)、吉田簑太郎、桐竹勘介、吉田玉誉(よしだ・たまよ)、吉田簑之、吉田玉路(よしだ・たまみち)、桐竹紋吉(きりたけ・もんよし)、吉田玉延(よしだ・たまのぶ)、桐竹勘次郎、吉田玉彦ほか。

歌舞伎の河連法眼館の場は、狐忠信(源九郎狐。大和郡山市の源九郎稲荷神社に祀られている)の早替わりが見物であるが、文楽で狐忠信の主遣いを担当する吉田幸助も歌舞伎俳優と同等か、それ以上の早替わりを行う。人形を変えたり衣装を着脱させたりするだけでなく、自身の衣装の早替えも行う。主遣いの衣装の早替えは、春秋座で観た淡路文楽で観たことがあるが、それ以来である。
吉田幸助は顔を赤くしながらの熱演。障子を破ったり戸板返しを行うなど、想像力豊かな展開を見せる。

歌舞伎では猿之助の狐忠信が宙乗りで去るのだが、今回の文楽上演では、狐忠信が客席に降りてきて、中央通路を下手から上手へと移動し、ドライアイスの煙が漂う上手通路口から退場していった。

今回の公演ではカーテンコールがあり、狐忠信の主遣いを務めた吉田幸助がスピーチを行う。「ああ、しんど」と吉田幸助。歌舞伎の狐忠信も大変だが、文楽の狐忠信も激しく動きっぱなしの上に、移動距離も他の演目の人形より長く、早替えもあるということで、体力がないと務まらない役である。
吉田幸助は、「来月も国立文楽劇場の方で公演がございますが、19日だけお休みとさせて頂いております。19日にお越しになってもご覧いただけませんので、それだけはよろしくお願いいたします」とユーモアを込めて語っていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2017年3月 | トップページ | 2017年5月 »