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2017年5月 6日 (土)

「京都文化力プロジェクト推進フォーラム」@ロームシアター京都サウスホール

2017年4月26日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後1時から、ロームシアター京都サウスホールで、「京都文化力プロジェクト推進フォーラム」を観る。ネットで申し込んで、葉書が届いた人が参加出来るというシステムになっている。
 
まず、茂山千五郎家による狂言「千鳥」が上演される。先日、フェスティバルホールでも茂山千五郎家によって上演されたばかりの演目であるが、演者が異なる。出演は、茂山千三郎、茂山逸平、鈴木実。背景なしでの上演である。
主人(鈴木実)が、金がないのに「お前、酒屋の主と顔見知りだからなんとかしろ」と太郎冠者(茂山千三郎)を酒屋に使いに出す。酒屋の主(茂山逸平)相手になんとか酒樽をものにしようと、酒樽を千鳥に見立てたり山鉾に見立てたりとあらゆる手を使い……。

終演後、茂山千三郎が司会のイワサキマキ(漢字は不明)に呼ばれて登場。イワサキの「なぜ『千鳥』を選ばれたんですか?」という問いに「なんででしょうね?」と答えるが、「この作品は京都が舞台で、京都から見た地方(尾張国津島神社)の姿が描かれているから」というようなことを語っていた。


続いて、主催者あいさつ。山田啓二京都府知事、門川大作京都市長、立石義雄京都商工会議所会頭の3人が挨拶を行った。


リレー対談「京都の文化力」。京都大学総長である山極壽一(やまぎわ・じゅいち)が進行役を担当して、大蔵流狂言師の茂山千三郎、料理研究家の杉本節子、京都国立博物館長である佐々木丞平の3人と、1対1でリレー形式で対談していく。

まず一人目の茂山千五郎と山極壽一の対談。山極壽一はゴリラ研究の専門家なのだが、狂言方の腰を落とした姿勢がゴリラを連想させると述べる。山極は、「西洋人は背筋を伸ばして胸を張ってという感じですが、日本人はお辞儀もこうやって(背をかがめて)しますし、なんかこう、縮まった感じ」と言う。茂山千三郎によると、西洋人相手に狂言のワークショップを行ったりもしているのだが、西洋人は足が長すぎて、日本人狂言方と同じような姿勢を取ることは「物理的に不可能」だそうである。実はチェコのプラハには白人のみによる狂言のプロ団体もあるそうだが、「腰が全体的に高い」そうである。茂山は、日本人は床に座り、部屋の中でも裸足になるということから、床の文化に着目しているという。
日本文化研究で知られるドナルド・キーンが1952年から2年ほど京都に滞在して狂言に入れ込み、「青い目の太郎冠者」と呼ばれたことなども話題として登場した。


二人目である杉本節子。四条室町にある重要文化財・杉本家住宅の出身である。町屋は軒が低いのだが、これは太陽の光が直接差さないようにということを山極が話して始まる。京都は夏暑く、冬寒いのだが、町屋は夏向けに特化した構造で、夏には涼しい風が家の中を抜けるようになっているそうである。京都の場合、夏は熱中症対策をしないと死に至るが、冬は寒くても凍死するほどではないということで、「冬は寒いけど我慢してくれ」ということなのだろう。北海道などの場合はこれとは真逆になる。
杉本家住宅の先代のご当主は、井上章一の『京都ぎらい』に登場するのだが、杉本節子の感覚だと、「京都」というと、「祇園祭で山鉾を出す山鉾町」というイメージだそうである。山極壽一は、「いろんな京都があっていい」と語った。


最後となる佐々木丞平。京都は人口約147万人であるが、首都のあった街としては人口が少ないという話から入る。ただ、これは悪いことではなくて丁度良いサイズだという風に話は進む。
自然も多くあり、山もあって車で30分も走ると山奥に着いてしまう。それでいて中心部は都会的である。そうした様々な要素が詰まっているのが京都というものなのだという。
休憩を挟んで、俳優の近藤正臣を招いてのトークステージ「わたしが想う京都の文化力」。司会のイワサキマキが進行役を担い、近藤正臣がトークを行う。近藤はピンク色のジャケットで登場する。
「なにを話すか決めてないんですけど」と近藤。京都市文化功労者表彰を受けたのだが、「祇園に生まれ、鴨川の水で産湯に浸かり、27~8の頃まで京都にいたのですが、『東京の方に金が転がっているらしい』というので」東京に向かい、以来、ずっと東京で京都はご無沙汰だったため、京都市功労表彰といわれて戸惑ったという話をする。ちなみに歴代の京都市文化功労者には近藤姓がもう一人いるのだが、その近藤悠三は近藤正臣の実の叔父だそうである。その後、人間国宝にまでなった清水焼の陶芸家であったが、人間国宝になった途端に作品の値打ちが上がり、その結果、売れなくなってしまったそうで、「名誉は得たがお金は……」という状態だったそうだ。
 
75歳になったので、後期高齢者医療制度による告知が来たそうである。近藤は「この年になるまで生きるとは思ってなかった」。かつての同級生と電話で話をしたところ、後期高齢者の話になり、同級生は「こうき高齢者なんて凄いことだよ。京都でいうとお公家さんだよ」と、「こうき」は「こうき」でも「高貴」の方の「高貴高齢者だ」ということになったそうである。
背後のスクリーンに近藤の子供の頃の写真や若き日の写真が投影される。近藤は子供の頃、母親に、「中学を出たら板前の修行に出なさい」と言われ、「だから勉強はしなくていいわよ」ということになったらしい。だが、時代が「高校ぐらいは行っていないと」という風になったため、近藤が中学生になった時に母親から「高校に行ってもいいわよ」と言われたそうである。だが、勉強をしていなかったために不安になったそうだ。「私立は駄目よ」ということで、山科にある洛東高校を受験。当時、洛東高校はまだ校舎が落成したばかりでピカピカだったそうで、受験した日も「こんな綺麗なところ受からないんだろな」と思っていたが合格してしまい、今でもなぜ合格出来たのか不思議だそうだ。イワサキさんが、「その後、板前の修行を経て俳優へ」と語るも近藤は、「いや、板前の修行が上手くいかなくて俳優へ。そんなことどうでもいいんですが」
 
京都でテアトロ・ドグマというアマチュア劇団に所属していた当時(現在は解散した新劇の劇団であるくるみ座が当時は偉そうにしていたそうだ)、主に京都会館第2ホールで公演を行っていたそうだが、京都会館が建て替えになる際に電話が掛かってきたそうで、「『大変、大変、京都会館が新しくなるって!』『え? 新しくなるならいいことじゃねえか?』『駄目駄目、反対活動に署名して』」というやり取りがあり、近藤は反対に署名したそうだが、実際に今日来てみると、「こっちの方がええなあ」
ということで、「『古いものは守らなあかん』ばっかりではあかんのかも知れません」と語った。
イワサキさんに、「京都弁」といお題を貰った近藤は、「プロバスケットボールのリーグが出来たんですが、京都のチームはチーム名がハンナリーズ。弱い。はんなりしていて勝てるわけない」と京都人の感覚を話題にしていたが、「京都は都だったが、軍事力はないということで、源氏から平氏から、軍事力を持った色々な奴が千年間ずっと入ってきて乱暴していったということ。幕末には新選組も来ていたし。ただ、どんな奴が来ても、『おいでやす』『おおきに』。これが京都弁の奥深さ」と語る。
また戦後すぐの頃、近藤は三条木屋町に住んでいたそうだが、当時、東京も大阪も焼け野原ということで、進駐軍達がよく京都の遊びに来ていたそうである。三条通には旅籠が並んでいたのだが、進駐軍が来るとアメリカのスタイルに合わせて、窓枠を緑に塗り、絨毯を敷いて土足で出入り出来るように改装したそうである。旅籠屋がホテルになったのだ。だが、米軍による占領が終わり、アメリカ人達が京都から去った途端に、ホテル風にしていた旅館が旅籠屋に戻ったそうで、近藤は「京都の再建力、復元力は凄い」と感じたそうである。
京都は大規模爆撃がなく(「いくつかありましたが」と近藤は語る。西陣空襲と東山馬町空襲は比較的有名である)、「第3の原爆が京都に落ちる予定だったという説もありますが」とした上で、「『こういう街を爆撃したらあかん』という話がアメリカの将校の間にあったという話も聞いております。京都の歴史、伝統、文化が街を守ったということではないかと私は考えます」という考えを披露した。
また文化庁の京都移転については、近藤は「(文化庁があるのは)そもそもここ(京都)じゃないと駄目だろう」とも語っていた。

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