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2017年6月の11件の記事

2017年6月27日 (火)

観劇感想精選(218) ミュージカル「パレード」

2017年6月8日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後6時から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、ミュージカル「パレード」を観る。1913年にアメリカ・ジョージア州アトランタで起こったレオ・フランク事件に基づく作品である。1998年にアメリカで初演され、1999年度のトニー賞最優秀作詞・作曲賞、最優秀脚本賞を受賞している。

作:アルフレッド・ウーリー、作詞・作曲:ジェイソン・ロバート・ブラウン、共同構想およびブロードウェイ版演出:ハロルド・プリンス、演出:森新太郎。出演:石丸幹二、堀内敬子、武田真治、新納慎也、坂元健児、藤木孝、石川禅、岡本健一ほか。

1913年、アトランタ。南軍戦没者記念日。南北戦争終結から半世紀が過ぎたが、南北戦争従軍者や南部の男達はパレードに参加して南部の誇りを歌い上げていた。
ニューヨーク出身のユダヤ人であるレオ・フランク(石丸幹二)は、アトランタ生まれのユダヤ人であるルシール(堀内敬子)と結婚し、アトランタに住んでいる。アトランタの鉛筆工場に工場長として就職したためで、工場長の職は妻のツテを伝って得たものだった。北部出身のレオはアトランタの街に馴染めないものを感じていた。

南軍戦没者記念日にも仕事に出掛けたレオは、訪ねてきた13歳の少女、メアリー・フェイガンに給料を渡す。

だが、その日、メアリーは家に帰らず、黒人のニュート・リーがメアリーの遺体を発見する。第1発見者のニュート・リーと、工場長であるレオ・フランクが容疑者として逮捕される。逮捕されたのが黒人だとユダヤ人だと知ったジョージア州検事のヒュー(石川禅)は、差別の問題なども絡めてレオ・フランクを裁判に掛けるよう命令する。裁判では反ユダヤ反北部の気風により偽証が相次ぎ、レオには死刑が宣告される……。

レオ・フランク事件は、その後、完全な冤罪であるとされ、真犯人と思われる人物もわかっているのだが、レオはレイシズムの犠牲者のなったことがわかっている。ただ、今もレオが真犯人だと思い込んでいる人達がいるそうである。

偏見によるでっち上げが真実とされ、犠牲者が出ていく。冤罪が生まれる過程は、海の向こうのよそ事ではない。


ストリートプレーでなくミュージカルとして制作されたのは、音楽が物語の陰鬱さを中和するとともに物語を強く推し進める役割を果たしているからだと思われる。スネアが鳴るなど、南部特有の荒っぽく、リズミカルな伴奏に乗ってメロディーが紡がれていく。オーケストラピットが用いられており、上手と下とに橋が渡してあって、出演者がそこに乗って歌や演技を行うこともあり、またキャストがオーケストラピットから入退場を行うこともある。

重苦しくて嫌な話だが、出演者の好演と音楽や歌の充実もあり、骨太の上演となった。

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2017年6月24日 (土)

コンサートの記(305)  「FM802 ヒトリの夕べ in OKAZAKI LOOPS」

2017年6月11日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後5時30分から、左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールで、「FM802 ヒトリの夕べ in OKAZAKI LOOPS」を聴く。昨日今日と左京区岡崎周辺で行われる音楽の祭典「OKAZAKI LOOPS 岡崎京都音楽祭2017」公演内の1つである。音楽の祭典とはいえ、小説家の平野啓一郎がギター演奏に乗せて自作の朗読を行ったり、ヨーロッパ企画のメンバーによる「源氏物語」の再構成朗読公演があってテレビ局のアナウンサーが出演したりと、バラエティに富んでいる。
「FM802 ヒトリの夕べ in OKAZAKI LOOPS」は、シンリズム、尾崎裕哉、山内総一郎(フジファブリック)の3人がそれぞれギター弾き語りによるヒトリ公演を行うというもの。MCは、FM802の土井コマキが務める。シンリズムが十代、尾崎裕哉が二十代、山内総一郎が三十代という構成である。


トップバッターのシンリズム。神戸市生まれのシンガーソングライターで、現在は東京の大学に通っており、現在2年生だという。MCで、「シンリズムは本名です」と明かしていたが、「説明が面倒なので後でググってみて下さい」とのことだった。検索すると漢字では「新理澄」と書くようである。お父さんが音楽好きで、息子の名前を「リズム」にするか「音太郎」にするかで悩んだという話も後にしていた。

MCの時と歌っている時では声の印象が異なる。歌声は、昨今の男性歌手のほとんどはそうだが、高い。フリッパーズギター時代の小沢健二の声にちょっと似ているかも知れない。

FM802とは本当に若い頃からの関係があり、土井コマキはシンリズムのことを、「FM802の甥っ子、日本のはとこ」と呼んでいたが、シンリズムは眼鏡を掛けており、土井コマキも眼鏡っ子であるため、後で山内総一郎に「土井さんと姉弟だろ!」と言われていた。


尾崎裕哉。尾崎豊の息子であるが、こうした肩書きはもういらないほどに活躍している。尾崎豊も青山学院高等部中退(欠席日数が多く留年が決まっていたので中退して卒業式の日にライブデビューした)と学業優秀であったが、尾崎裕哉も慶應義塾大学大学院修了と高学歴である。

澄んだ声の持ち主である。声が澄んでいるという点では尾崎豊と共通点があるが、声自体は尾崎裕哉の色が濃い。ただ歌い回しは尾崎豊によく似ている。意図的に似せているのではなく、似てしまうのであろう。私も知らず知らずのうちに父親と同じようなしゃべり方をしていて驚くことがある。
顔自体は尾崎豊には似ていないが、眼差しやちょっとした表情がそっくりな時がある。遺伝子というのは侮れない。

MCで尾崎は、「最近、キックボクシングを始めた」という話をし、握手会ではなくローキック会をしょうかなどと冗談も言っていた。
尾崎が京都でライブを行うのは今日が初めてだが、京都には何度か来ているそうで、「いつも同志社大学に用があって、京都駅の宝屋ラーメンを食べて帰る」と言って、土井コマキに「他に沢山いいところあるのに」と突っ込まれていた。


山内総一郎。オリジナル曲を歌うが、「京都を感じる曲をカバーします」と言って、くるりの「宿はなし」を歌う。「宿はなし」は歌詞に「夕凪」という言葉が出てくるため、海のある場所が舞台であり、京都市ではないようである。
山内は、高校時代によく岡崎に遊びに来ていたそうで、「どうしたの? この辺、こんなにお洒落になっちゃって?」と語っていた。前がボロすぎただけなんだけどね。
その後、山内は京都の思い出を話すが、「鞍馬って知ってます? って知ってますよね。出町柳から叡山電車に乗って行く」と語っていた。鞍馬が好きだそうだが、京都の人なら一度は鞍馬に行ったことがあろうだろう。多分。京都に住んでても名所旧跡に興味がない人は本当にどこにも行ったことがないので。前、うちにいたYなんか北白川に住んでたのに銀閣寺に行ったことがない(徒歩で10分ほどなのだが)って言ってからなあ。


ラストは3人が揃って、フジファブリックの「若者のすべて」を歌った。

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2017年6月18日 (日)

観劇感想精選(217) ミュージカル「王家の紋章」2017大阪

2017年5月24日 梅田芸術劇場メインホールにて観劇
 

午後6時から、梅田芸術劇場メインホールで、ミュージカル「王家の紋章」を観る。細川智栄子あんど芙~みんによる同名少女アニメのミュージカル化。原作マンガは1976年に連載開始で、現在も連載中という、41年の歴史を誇るロングヒット作である。エジプトで考古学を学ぶアメリカ人の少女・キャロルと古代エジプトの王・メンフィスとのロマンが描かれる。
脚本・作詞・演出は、荻田浩一。作曲・編曲は、シルヴェスター・リーヴァイ。音楽監督:鎮西めぐみ。東宝の製作。
出演は、浦井健治、新妻聖子、平方元基(ひらかた・げんき)、伊礼彼方(いれい・かなた)、愛加あゆ、出雲綾、矢田悠祐、木暮真一郎、濱田めぐみ、山口祐一郎ほか。

古代エジプトが舞台の上に、日本人役の人がいないということもあり、説明ゼリフが多用される。現代日本と地続きの作品ではないので、説明がないとわからないのだ(例えば姉弟で夫婦というのは古代エジプト王朝ではごくごく当たり前だが、現代日本ではありえないので、王の姉であるアイシスがメンフィス王に恋しているということは第三者によって仄めかされる)。傍白や、録音を用いた心情吐露のセリフも比較的多めである。


まず古代エジプト人達によるデモストレーションがあり、本編に入る。考古学を学ぶためにエジプトに留学しているアメリカ人少女のキャロル(新妻聖子)が、兄のライアン(伊礼彼方)と電話をしている。ライアンはリード・コンツェルンの総帥であり、キャロルがエジプトに留学出来ているのもリード家に生まれたおかげだ。キャロルは新たに発掘されたメンフィス王の墓の見学が叶ったことをライアンに告げる。
だが、メンフィス王の棺内に備えられていた花束を見たキャロルは、「古代のロマンス!」とばかりにその花束に手を伸ばし、それが王墓を犯した罪と古代エジプト人達(アイシスら)の霊に見なされ、断罪のために古代にタイムスリップさせられてしまう。妹の失踪を知ったライアンは動揺する。

古代エジプト。メンフィス王(浦井健治)がまさに即位したところだ。メンフィスはエジプト全体の王と上エジプトの王を兼ね、下エジプトを治めるのはメンフィスの異母姉のアイシス(濱田めぐみ)。彼女は祭礼の長でもある。エジプトの宰相を務めるのは賢人・イムホテプ(山口祐一郎)。
ヒッタイトからの来賓としてメンフィスの即位式に参加したミタムン(愛加あゆ)は、ヒッタイトの王女である自分がメンフィスと結ばれることで、ヒッタイトが繁栄することを夢見ている。

ナイルの川岸で失神しているところを奴隷の青年に保護されたキャロルは、金髪であるため異国人であると見抜かれる。異国人であるとわかったら処罰されるかも知れないということで、マントをかぶって出歩くようキャロルは注意される。
だが、やがてメンフィス王と巡り会ったキャロルは、古代エジプト人がまだ持っていない知識(水の濾過や鉄の知識、解毒の方法)などを駆使し、伝説として伝わるナイルの神が生んだ金色に輝く少女「ナイルの少女」として崇められるようになる。しかし、キャロルは歴史を変えてしまうことに罪悪感を抱いており……。

世界史上、初めて鉄器の鋳造に成功したといわれるヒッタイトと、エジプトの闘争のドラマでもある。キャロルは己一人が原因となって戦争が起ころうとしていることにも苦しむ。

「俺様」を絵に描いたようなメンフィスと、現代からタイムスリップしたキャロルの時代を超えたロマンスであり、客席には当然ながら女性の姿が多い。私もいくらシルヴェスター・リーヴァイが作曲した作品だからといっても、新妻聖子が出演していなかったら観に行ってはいない。ちなみにキャロルはWキャストで、新妻聖子の他に元AKB48の宮澤佐江が出演している。宮澤佐江のキャロルだったら、観に行っていないはずである。

新妻聖子もそこそこいい年なのであるが、喋り方が少女のそれであり、流石の演技力を見せている。なぜ、そうした演技が出来るのかというと、「頭が良い」からという身も蓋もない結論になるのだが、更に書くと、おそらくであるが、二十歳前後の知り合い(何人もいるはずである)の喋り方を観察して参考にしているのだと思われる。新妻聖子は頭で組み立てて考えるタイプの女優である。

新妻聖子の他にも、浦井健治、濱田めぐみ、山口祐一郎といった各世代の日本ミュージカル界のエースを注ぎ込んでいるため、演技や歌唱は文句なしに楽しめる。単純にエンターテインメントとしても充実した作品である。


えーっと、ところで、歴史を変えることになんのためらいも恥じらいも感じない方々がいらっしゃるようで。

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2017年6月16日 (金)

観劇感想精選(216) 白井晃演出 「春のめざめ」

2017年5月27日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて観劇

午後6時からロームシアター京都サウスホールで「春のめざめ」を観る。今日のロームシアター京都はメインホールで槇原敬之のコンサートがあるようで、賑わっている。
ドイツの作家、フランク・ヴェデキントの出世作である戯曲「春のめざめ」。ドイツのギムナジウムに通う、今年14歳を迎える少年少女を軸に展開される物語である。
ドイツの中等教育というと、ヘルマン・ヘッセの小説『車輪の下』を連想する方が多いかも知れないが、「春のめざめ」の初演と『車輪の下』の発表は同じ1906年である。「春のめざめ」の戯曲の方が出来たのは先で、1891年に書かれた戯曲であるが、その過激な内容ゆえ15年の間、発禁とされていたのだった。

KAAT 神奈川芸術劇場の製作。演出:白井晃。出演は、志尊淳(しそん・じゅん)、大野いと、栗原類、あめくみちこ、河内大和(こうち・やまと)、那須佐代子、大鷹明良(おおたか・あきら)ほか。音楽:降谷建志。

演出の白井晃に取って、京都は挫折と再生の地である。大阪生まれの白井晃は大阪府立天王寺高校時代には京都大学を目指していたが、入試に失敗。立命館大学には合格し、入学金と学費は払うが通うことはほとんどなく、京大のそばに下宿して翌年の京大受験に備えて勉強を続けていた。そんなある日、早稲田大学の演劇サークルが京都公演を行うこと知った白井は観に行って感激。「彼らと共に演劇がしたい!」と志望校を早稲田に切り替えて今に至るまで演劇活動を続けている。
だから京都公演を行うということではないかも知れないが、京都で上演を行ってくれるのはありがたいことである。


開場時からすでに客席通路には男性のアンサンブルキャストが立っており、劇場内全てがギムナジウムの中という設定であることがわかる。中央通路の上手側入り口(今日は一般客には閉鎖されている)付近には白井晃が立っているのも確認出来た。開演時間が近づくと、栗原類など主役クラスの俳優も客席通路に現れ、女子生徒役の女優も姿を見せる。

舞台は2階建て。背面にはアクリル板が立てられており、照明の当て方によって鏡の役割を果たしたり、透明になったりする。

出演者が横一列に並び、照明が変わると一様に激しく暴れ出す。青春期の疾風怒濤を表しているかのようだ。
なお、アクリル板には白い液体が塗りつけられるが、それがなんのメタファーかはすぐにわかるようになっている。
ポストトークで白井晃は舞台美術について、生徒達がガラスケースに閉じ込められた実験動物をモチーフにしたと明かしていたが、私にはそこは「出口のない戦いの場所」のように見えた。

ギムナジウムの女子部に通うヴェントラ(大野いと)は、「こんな丈の長いスカートはけない!」と母親(あめくみちこが演じている)に文句を言っている。ヴェントラは女に生まれた喜びを噛みしめているが、どうして子供が生まれるのかはまだ知らない。

一方、ギムナジウムの男子部に通うメルヒオール(志尊淳)は頭脳明晰でありながらそのエネルギーをどこに向ければいいのかわからず、悩んでいた。メルヒオールの親友であるモーリッツ(栗原類)は成績不振であり、進級できるかどうか微妙である。ギムナジウムは全員が進級できるわけではなく、落第者が一人は出る仕組みになっているようだ。モーリッツは競争に耐えられず、アメリカに渡ろうと考えている。
そんなモーリッツにメルヒオールは「子供の作り方」を教えるのだった。


青春の身もだえるような日々が、直截な表現で叩きつけるように描かれている。

若い出演者達の演技は十分とはいえないも知れないがエネルギーがあり、ベテラン陣には安定感がある。


私はもう、青春の日々からは大分遠ざかってしまったため、痛切さという意味では若い人達に比べると感じにくくなっているのかも知れないが(なんといっても14歳の子供がいてもおかしくない年であり、彼らを抑圧する親や社会の側に立つような年齢である)、第2次ベビーブーマーという抑制が多い世代を生きた者として、往時を思い返すとその「痛み」に胸が苦しくなるのをまだ思い出すことも出来る。

ラストには機械仕掛けの神を模したと思われる謎の人物が登場し、未来への希望と怖れを含みつつ芝居は終わる。

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2017年6月15日 (木)

笑いの林(91) よしもと祇園花月 「祇園ネタ」&吉本新喜劇「1万回のお手伝い」2017年6月2日

2017年6月2日 よしもと祇園花月にて

12時30分から、よしもと祇園花月で「祇園ネタ」と吉本新喜劇「1万回のお手伝い」を観る。
今日は1回公演で、団体客がいないため、客席には合計でも30名ほどしかいない。

「祇園ネタ」の出演者は、祇園、桜 稲垣早希、笑福亭鶴笑、シャンプーハット、ザ・ぼんち(登場順)

祇園。木﨑がやはり自分のことを「男前」と称する。ちなみに木﨑は身長が163cmしかないのだが、相方の桜井によると中学校2年生の男子の平均身長だそうである。
子供の頃の遊びをやるというので、グーチョキパーでは、木﨑がチョキを「ずっと保管してたよ君に貰ったチョコレート」と長くしてしまう。にらめっこでは木﨑は、「にらめっこしましょ。木﨑に惚れるなよ! アップトゥーデート!」と謎の遊びに変えてしまっていた。


桜 稲垣早希。「関西弁でアニメ」をやる。早希ちゃんが「標準語の人」と聞いたので、仕方がないので挙手。「今から標準語を悪く言いますけど大丈夫ですか?」と聞かれたが、別に標準語であることに誇りを持っているわけではないので(関西弁に誇りを持っている人はいそうだが)問題はない。
今日は、「天空の城ラピュタ」の「見ろ、人がゴミのようだ」を「見ろ、おばはんがおっさんのようだ」で止めていた。


笑福亭鶴笑。関西落語の定番の一つである「動物園」をやる。今回は主人公の男は「着ぐるみのバイト」とだけ聞いていて、移動動物園に来て虎の皮を着るのだと初めて知ることになる。
園長の名前はやはり池田で(池田は「動物園」を得意とした桂文蝶の本名である)、ラストに登場するのも「園長の池田」である。
今回の移動動物園は、虎とライオン以外は、リス、狸など地味な動物しかいないというのが特徴である。

シャンプーハット。客席に30名ほどしかいないため、てつじが「団体さんですか?」と聞く。
これ以降はいつもと同じ展開で、決定的なネタバレになるので書けない。


ザ・ぼんち。おさむがサッカー日本代表の香川の話をするのだが、他の海外で活躍する選手の名前を「徳島、高知、愛媛」と言って四国の香川にしてしまう。
サッカー日本代表の本田の名前を挙げるのだが、その他のヨーロッパで活躍するする日本人選手の名前を「ヤマハ、カワサキ」と言ってバイクメーカーのホンダにしてしまっていた。


吉本新喜劇「1万回のお手伝い」。出演は、川畑泰史(座長)、末成由美、島田珠代、新名徹郎、今井成美、今別府直之、山田花子、諸見里大介、Mr.オクレ、小寺真理、もじゃ吉田、清水啓之、吉田ヒロ。

末成物産社長の末成由美の豪邸が舞台。末成由美の養女の真理は、「1万回のお手伝い」が済んだら実父と実母が現れると由美から言われている。高校生になった真理は、あと1回お手伝いが済んだら1万回というところもまで来ていた。勿論、由美の言っていたことは出鱈目。どうしようかと焦る由美だったが、由美宅に盗みに入った川畑泰史と島田珠代を見かけた真理は川畑と島田を両親だと勘違いしてしまい……。
1万回のお手伝いが住んだら実の両親が現れると本気で思い込んでいる女子高生が今時いるのかという話だが、まあ新喜劇なのでよしとするか。

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2017年6月13日 (火)

観劇感想精選(215) 大阪松竹座「五月花形歌舞伎」 「野崎村」&「怪談乳房榎」

2017年5月17日 大阪・道頓堀の大阪松竹座にて観劇

大阪・道頓堀にある大阪松竹座で、「五月花形歌舞伎」を観る。午後4時開演の会で、演目は、新版歌祭文「野崎村」と「怪談乳房榎」

大阪松竹座の「五月花形歌舞伎」には、中村勘九郎、中村七之助の兄弟が出演。市川猿之助も出る。「怪談乳房榎」は、勘九郎・七之助兄弟がニューヨークで行われた平成中村座で大当たりを取った演目でもある。


「野崎村」は、近松半二が人形浄瑠璃のための書いた本を基にした世話物の義太夫狂言である。「心中」がキーワードになっている。
大坂の野崎村が舞台。百姓の久作(板東彌十郎)には一男一女があったが、息子の久松(中村歌昇)は実子ではなく、武士の家の出。訳あって実家が断絶し、久作に引き取られたのだ。久作には実の娘であるお光(中村七之助)がいて、久松とお光は将来を約束した仲だった。
久松は大坂の油屋に奉公に出ていたが、実家に戻ってくる。
冒頭に、久松の男っぷりとお光の容色を村人が褒めるセリフが加わっている。
七之助演じるお光は、久松が戻ってきて結婚も間近ということで浮き浮きとした様子。何度も鏡を見て、自らの容姿におかしなところはないかと確かめるが、どうやら少しナルシストの傾向があるようでもある。
大坂で久松と恋仲だった、油屋の娘・お染が久作の家を訪ねてくる。訪ねて来た人が噂に聞くお染だと悟ったお光は、つれなくして家に入れようとしない。

色々あって、久松とお染は心中しようとして久作に止められ、お光は身をひくため仏門に入る決意をするのだが、「身をひくために仏門に入る」という感覚は、正直、今ひとつピンとこない。現代では「身をひくために仏門に入る」ということはまずないということもあるのだが、身をひくような状況であるのかどうか。お光が幼かったとすればそれまでになるのだが。

七之助のお光は色気があってとても良い。


「怪談乳房榎」。三遊亭円朝の落語が原作である。中村勘九郎は、菱川重信、下男の正助、うわばみ三次の3役を早替りで演じる。

隅田川河畔の隅田堤。絵師の菱川重信の妻であるお関(七之助)が、桜の名所である堤の茶屋で休んでいると、従兄弟の松井三郎(市川猿弥)がやってくる。松井の主家である谷家で、金蔵に盗賊が押し入り、二千両が盗まれるという事件が発生。佐々繁(さっさ・しげる)という侍の羽振りが急に良くなったという話を聞いた松井の父親は佐々を捉えようとするが、佐々は逐電。事件を解決できないまま亡くなった父親の無念を晴らすため、松井は佐々の行方を追っていたのである。

松井が去った後、器量よしであるお関は、通りがかりの者に絡まれるが、深編み笠の浪人がお関を助ける。浪人の名は磯谷浪江(市川猿之助)。磯谷は、「絵師になりたい」ということで、菱川重信に弟子入りする運びとなったのだが、磯谷の正体こそ佐々繁であり……。

中村勘三郎は、正助役として下手に去ったかと思えば、うわばみ三次としてすぐに現れたり、うわばみ三次と正助が階段ですれ違う場面で、三次から正助へ瞬く間に化けたりする。
花道で他の役者と入れ替わるのだが、これがまた実に巧みで、どうなっているのかやはりわからない。勘九郎が早替りを行うたびに、客席から感嘆の声がもれる。歌舞伎の外連の極みである。

今回は、角筈十二社大滝の場では、本水が使用される。勘九郎は水を思いっきりはね飛ばして、客席から笑いが起こる(一階席前から5列目までの人には水よけ用のシートが予め配られていた)。
角筈という地名は現在では消滅しているが、西新宿の一帯であり、東京都庁の辺りである。角筈一二社(じゅうにそう)大滝は、現在の新宿中央公園内にあった人工の滝。淀橋浄水場建設の際に埋めたてられ、現在では影も形もない。

勘九郎は正助の剽軽ぶりがよくはまっている。勘九郎も七之助も実にいい役者である。実いい役者なのだが、二人合わせてもまだ父親の勘三郎には遠く及ばない。勘三郎は不世出の名優であり、超えるのは至難の業であると思われる。

猿之助が出演ということで、勘九郎は猿之助がテレビCMに出ているソルマックの話をしたり(「CMに出ているのがまたいい男」と言っていた)、キーになる印籠に「澤瀉」の家紋が入っているという設定にして笑いを取っていた。

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2017年6月12日 (月)

コンサートの記(304) サントゥ=マティアス・ロウヴァリ指揮フィンランド・タンペレ・フィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2017大阪

2017年5月25日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、フィンランド・タンペレ・フィルハーモニー管弦楽団の来日演奏会を聴く。

フィンランド独立100年を記念してのタンペレ・フィルハーモニー管弦楽団の日本ツアー。今日の大阪での公演がトリとなる。
フィンランド人も客席に多く詰めかけており、第2部演奏前と演奏終了後にはフィンランド国旗の小旗が4本ほど振られていた。
フィンランドのタンペレはムーミン美術館があるところだそうで、ホワイエではトーベ・ヤンソン直筆のムーミンシリーズの絵が展示されていた。
日本のクラシックの聴衆はブランド志向であるため、タンペレ・フィルハーモニー管弦楽団のような有名とはいえないオーケストラでは入りが良くない。今日の入りは大体6割程度といったところ。3階席のチケットはそもそも発売していないようだ。

指揮者は、タンペレ・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督兼首席指揮者を務めるサントゥ=マティアス・ロウヴァリ。1985年生まれのフィンランドの若手である。現在は、コペンハーゲン・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者も務め、今年の秋からはスウェーデンのエーテボリ交響楽団の首席指揮者に就任する予定である。シベリウス音楽院で指揮をレイフ・セーゲルスタム、ヨルマ・パヌラ、ハンヌ・リントゥに師事している。

オール・シベリウス・プログラム。交響詩「フィンランディア」、ヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:堀米ゆず子)、交響曲第2番。

ドイツ式の現代配置での演奏。首席ティンパニ奏者は女性である。

カーリーヘアの持ち主であるサントゥ=マティアス・ロウヴァリ。頭が膨張して見える上に痩身なので、頭と体のバランスが不思議に見える。手首から先をクルクル回したり、スナップを利かせて振ったりするのが特徴である。
また、見た目だけでなく音楽もかなり個性的だ。


交響詩「フィンランディア」。「フィンランディア」の冒頭は金管を思いっきり咆哮させる演奏が多いのだが、ロウヴァリは冒頭の金管を抑える。急激な加速と減速が特徴であり、一音一音ずつ切って演奏させる部分もある。各パート毎に浮かび上がらせるなど、オーケストラコントロール能力も高い。
弦は北欧のオーケストラらしくウエットで、立体感にも富んでいる。


ヴァイオリン協奏曲。ソリストの堀米ゆず子は白髪頭で登場。1980年のエリーザベト王妃国際音楽コンクールで優勝して注目されてから長い歳月が流れ、見た目はすっかりお婆ちゃんである。
堀米のヴァイオリンは美音だがタイトで広がりはそれほど大きくはない。ただシベリウスのコンチェルトには合っている。
ロウヴァリ指揮のタンペレ・フィルハーモニー管弦楽団は思いの外、豪快なところのある伴奏を聴かせる。ロウヴァリという指揮者は一筋縄ではいかないようだ。

堀米のアンコール演奏は、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタより“ガヴォット”。軽快な演奏であり、バッハの深遠さはそれほど強くは感じられなかった。


交響曲第2番。ロウヴァリの生み出す音楽は緩急・強弱ともに変幻自在。かなり速いテンポを採ることもある。最終楽章のトランペットによる合いの手には急激なディミヌエンドが用いられる。
第2楽章は、シベリウス本人が「ドン・ファンと死との対決」をイメージしたと語ったとされているようだが、この「ドン・ファン」とは、若い頃は放蕩児だったというシベリウス本人のメタファーなのかも知れない。
交響曲第2番は、「フィンランドの民族的高揚を描いた」と解釈されているが、実際は案外プライベートな内容の交響曲なのかも知れない。第4楽章も凱歌ではなく、苦しみと希望の狭間にあるシベリウスが希望へと手を伸ばそうとする過程なのかも知れない。ロウヴァリは最終楽章で速めのテンポを取ったため、凱歌には聞こえなかったということもある。


アンコールは2曲。まずは「悲しきワルツ」。テンポと強弱を大きく動かす演奏である。ラストの弦楽による3つの音はノンビブラートで1音ずつ音を切って演奏された。
2曲目は、組曲「カレワラ」より“行進曲”。弦の刻み方に特徴があり、迸らんばかりの活気と春の喜びがホールを満たしていた。

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2017年6月11日 (日)

コンサートの記(303) 本名徹次指揮 日本センチュリー交響楽団 「センチュリー豊中名曲シリーズ Vol.2」

2017年5月7日 豊中市立文化芸術センター大ホールにて

豊中へ。曽根駅の近くにある豊中市立文化芸術センター大ホールで、「センチュリー豊中名曲コンサート Vol.2」を聴く。本名徹次指揮日本センチュリー交響楽団の演奏。児玉麻里と児玉桃の児玉姉妹が2台のピアノのための作品を演奏する。


「センチュリー豊中名曲コンサート Vol.2」の曲目は、ベートーヴェンの交響曲第1番、プーランクの2台のピアノのための協奏曲(ピアノ:児玉麻里&児玉桃)、サン=サーンスの「動物たちの謝肉祭」(管弦楽版)。「センチュリー豊中名曲コンサート」では今後、ベートーヴェンの交響曲を全曲取り上げる予定である(今年度は延原武春の指揮で「田園」が、小泉和裕の指揮で「英雄」が演奏される予定)。

今日の日本センチュリー交響楽団のコンサートミストレスは松浦奈々。古典配置での演奏である。

今日の指揮者である本名徹次は1957年、福島県郡山市生まれ(そもそも本名姓は福島県発祥の苗字である)。現在はベトナム国立交響楽団の音楽監督兼首席指揮者を務めていることで知られる。東京芸術大学器楽科中退。元々、「大学中退」という肩書きに憧れていたそうだが、指揮者志望であったものの芸大の指揮科は定員2名程度と難関であるため、器楽科に進んで指揮のプライベートレッスンを受けられる環境を自分で整えたかったのかも知れない。指揮を山田一雄と井上道義に師事。アルトゥーロ・トスカニーニ国際指揮者コンクールで2位に入り、ブダペスト国際指揮者コンクールでは優勝に輝く。
日本国内では大阪シンフォニカー(現・大阪交響楽団)の常任指揮者や名古屋フィルハーモニー交響楽団の客演常任指揮者なども務めている。日本人作曲家作品演奏専門のアマチュア・オーケストラであるオーケストラ・ニッポニカの指揮者としても活躍した。


ベートーヴェンの交響曲第1番。ピリオド・アプローチでの演奏。バロック・ティンパニを使用する。
弦楽器はビブラートは適宜掛けているが(中編成のセンチュリー響がこのホールで徹底したノンビブラート奏法を行うと音が小さくて聞こえにくくなるかも知れない)、ボウイングがかなり大きいという古楽奏法である。ヴァイオリンなどは弓の端から端まで用いる。
センチュリー響は元々ピリオドでの演奏に長けていた上に、近年ではハイドンの交響曲のピリオドでの演奏を続けているので、古楽奏法は手慣れている。
本名徹次の指揮姿はエレガントで音運びも達者である。
なお、本名徹次が指揮棒を使用したのはこの曲だけで、続く2曲はノンタクトで指揮した。


プーランクの2台のピアノのための協奏曲。ピアノの児玉姉妹は実は豊中市生まれである。育ちはパリで、今も本拠地はヨーロッパに置いているため、国籍も見た目も日本人であるが、内面が何人なのかはちょっとわからない。児玉麻里は指揮者のケント・ナガノ夫人でもある。
プーランクの2台のピアノのための協奏曲は、ストラヴィンスキーの影響を受けているといわれているが、聴くとそれはすぐにわかる。
姉妹ではあるが、児玉麻里の生み出すピアノの音と児玉桃のそれは少し異なり、児玉麻里の方がよりまろやかで、児玉桃の弾くピアノはエッジが立っている。どの音をどちらが出しているのははっきりわかるレベルで異なるのが面白い。
ピアノ協奏曲では普通はピアノがステージの一番手前側に来るのだが、今日は2台のピアノのための協奏曲ということもあって、舞台一番手前に指揮台があり、その奥にピアノ2台が向かい合う形で置かれている。下手側のピアニストが児玉麻里、上手側が児玉桃である。
第2楽章はモーツァルトを模したといわれる(プーランクは「パリのモーツァルト」という異名でも知られた)チャーミングな旋律が登場するのだが、児玉姉妹は比較的スマートな演奏に仕上げていた。


休憩を挟んで、サン=サーンスの「動物たちの謝肉祭」(管弦楽曲版)。管弦楽版による「動物たちの謝肉祭」のCDはシャルル・デュトワ指揮ロンドン・シンフォニエッタ盤などいくつか出ている。
プーランクの2台のピアノのための協奏曲の時は違い、この曲では2台のピアノが舞台の一番手前に置かれ、指揮者がその奥に布陣する。
「象」や有名な「白鳥」など、ソロによる曲があるのだが、いずれも本名徹次は指揮をせず、ソリストに全てを任せていた。
「ピアニスト」のスケールの練習は「下手であれば下手であるほど良い」とされており、思いっきり砕けた演奏をするピアニストもいるのだが、児玉姉妹は特に受けを狙うこともなく、普通に演奏していた。
児玉姉妹、本名指揮のセンチュリー響ともに洒脱な演奏を展開した。


アンコール演奏は児玉姉妹が受け持つ。本編とは逆に、児玉麻里が上手側、児玉桃が下手側とピアノを交換。だが、やはりというかなんというか、別のピアノを弾いてもそれぞれのピアニズムに変化はない。
最近、姉妹でリリースした2台のピアノのよる作品のCDに収められたチャイコフスキーの「くるみ割り人形」から、「こんぺいとうの踊り」と「トレパック」(ともにアレンスキー編曲)。いずれも息の合った見事な演奏であった。


豊中市立文化芸術センター大ホールの音であるが、前回と同じような席であったため、どこの席で聴いてもそうだとは言い切れないのだが、残響は短めであるものの、キャパがそれほど大きくないということもあって、音の通りが良い。
ステージが小さめであり、おそらく前の方の椅子を動かしてステージをせり出すことも可能だとは思うのだが、そもそもキャパ1300ちょっとと大ホールにしては小さいため、今後もフルサイズのオーケストラの公演が行われることは少ないと思われる。

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2017年6月 6日 (火)

観劇感想精選(214) ジョン・ケアード演出 内野聖陽主演 「ハムレット」

2017年5月6日 兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後7時から兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで「ハムレット」を観る。作:ウィリアム・シェイクスピア、テキスト日本語訳:松岡和子、上演台本:ジョン・ケアード&今井麻緒子、演出:ジョン・ケアード。出演:内野聖陽、貫地谷しほり、北村有起哉、加藤和樹、山口馬木也、今拓哉、大重わたる、村岡哲至、内堀律子、深見由真、壌晴彦、村井國夫、浅野ゆう子、國村隼。
ホレイショー役の北村有起哉以外は全員が複数の役をこなすという演出。クローディアスと先王ハムレットの亡霊は同一の役者が務めることが多いが、その他の役を複数という上演は珍しい。

舞台下手に客席が設けられており、舞台上特設席となっている。舞台は八百屋飾りであり、上手奥から下手手前に向かって傾斜がついている。舞台上手にも椅子があり、出番を待つ俳優が座っていたりする。音楽と尺八演奏担当の藤原道山もここで演奏を行う。
一般の客席からは舞台を観るというよりも、「ハムレット」の上演が行われている劇場を別の角度から観るという趣になる。新たなる視座からの「ハムレット」だ。劇中劇があることで有名な「ハムレット」であるが、ジョン・ケアードの演出により、更なる入れ子構造となった。

まずホレイショー役の北村有起哉が登場する。舞台中央に進んでしばし佇み、舞台床へと手をやる。他の俳優が全員登場。北村有起哉演じるホレイショーが手を置いたところから光が溢れ、「あるか、あらざるか」という声が聞こえる。「To be,or not to be」が今回の松岡和子訳ではこの言葉になっている。「To be,or not to be」がハムレットのセリフのみでなく、劇全体への問い掛けとして響くのである。
その後、これまた自己への問い掛けのような「誰か?」という通常の「ハムレット」の最初がセリフが発せられる。

内野聖陽のハムレットということで、男くさいものを予想していたのだが、それとは大きく異なる、若々しくてナイーブだが線が細いわけではないという独特のハムレット像を生み出している。

貫地谷しほりも早いものでもう三十路を越えたが、可憐さがオフィーリア役に良く合っている。ただ時折、「演じすぎなのでは」と思える場面もあった。狂気のオフィーリアの場面では良い演技をしてくれたように思う。

國村隼のクローディアスは悪役的でも怜悧な雰囲気でもないが、人間臭さを感じられるところが魅力的である。

舞台上で俳優が羽織っているものを取ったり、仮面を被るなどして別人に変わるため、「演じる」という行為に、より注視することが出来る。ハムレットは「復讐」という役割を与えられた男だ。そして役者というのは皆、役割を与えられた者でもある。ハムレットが役者を丁重にもてなすのも、そう考えれば納得出来る。


「ハムレット」の謎の一つとして、「ハムレットは何故いつまで経っても復讐を行わないのか」というものがある。「臆病だから」「悩む性格(ハムレット型性格)だから」という考えもあるが、ポローニアスをなんの躊躇もなく刺し殺しているところから、これは当たっていないと思われる。ならば復讐できない理由があるのではないかと思うのが自然である。

ハムレットはガートルード(浅野ゆう子)の貞操観念の欠如に失望を覚えている。そのため愛するオフィーリアには「母親のような淫らな女になって欲しくない」ということで「尼寺(今回の上演では「尼僧院」)へ行け!」と語る。つまり母親のガートルードもハムレットの目にはクローディアスと同様、罪深き存在と映っているようである。また、ハムレットのセリフに「夫婦は一心同体」というものがある。ハムレットにとってはガートルードも先王ハムレットを卑しめる存在であり、クローディアスと同罪なのだろう。ということはハムレットはガートルードも殺害しなければならないのだが、実母を殺すことは心情的にも倫理的にも不可能である。ということで、ガートルードが死ぬことでようやく「母親殺し」のスティグマ回避がなされてクローディアスを討つことが可能になるのだ。この「母親殺し」をハムレットが無意識では感じているものの、はっきりとは自覚していないため、「謎」を生んだのだと予想される。自覚されていないとため、「復讐者」の役を上手く演じられない自身をハムレットが嘆くシーンにおいてもハムレットはその原因を己の演技力の不足としか捉えられていない。


ハムレットとレアティーズ(加藤和樹)の決闘は、フェンシングや剣術で行われることが多かったのだが、今回は棒術で行われる。内野聖陽と加藤和樹の殺陣も見事だった。

内野聖陽はハムレットの他にノルウェーの王・フォーティンブラスも演じるのだが、フォーティンブラスの父親もフォーティンブラスという名前であることから、二世という意味でハムレットとフォーティンブラスは重なっており、その重なりが意図的に見えるように演出されているように思われる。

ホレイショーはデンマーク王室で起こった物語を伝えるために生きることを決めるのだが、今回の舞台の内容を人に伝えるのは今日客席にいる人々ということで、ホレイショーは観客の代理人という役割を担っているのだと思われる。一番最初に舞台に現れ(この舞台が「ホレイショーの語る『ハムレット』であることを示唆していると思われる)、最後に一人で舞台を去るのは「全てを観て語るため」なのだろう。ホレイショーを演じる北村有起哉だけ一役なのは「単一の視座の確保」のためだと思われる。


カーテンコールは3回。3回目はオールスタンディングとなり、10年前の大河ドラマ「風林火山」のコンビである内野聖陽と貫地谷しほりが喝采を浴びた

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2017年6月 2日 (金)

笑いの林(90) 桜 稲垣早希単独ライブ「【閲覧歓迎】 桜 稲垣早希売れる気まんまん補完計画 【R12】」

2017年4月30日 新宿シアターモリエールにて

午後7時30分から、新宿シアター・モリエールで、「【閲覧歓迎】 桜 稲垣早希売れる気まんまん補完計画 【R12】」を観る。桜 稲垣早希の約3年ぶりとなる単独ライブである。今回は東京公演1回のみで、他の地域での上演はない。
乗り打ちであるため、開場時間が10分ほど押す。

上手と下手に垂れ幕。下手の垂れ幕には、Wikipediaから拾ってきた早希ちゃんのプロフィールが書かれている。実はそのうちのいくつかは私がWikipediaに記載したものだったりする。どうでもいいことだけれど。

まずはオープニング。今日の出演者は全員、舞台上手から登場する。早希ちゃんはオーバーオール姿で登場。「約3年ぶりの単独公演ということで、3年前はまだ十代だったんですけど」と嘘を言い、「ヨシモト∞ホールで、ドラゴゲリオンという二人のコントをやっているんですけれど、今日は一人でやりたいことを全部詰め込んだライブにしたいと思います」と抱負を語る。そして、オープニングの曲を作詞・作曲してプロの編曲家にアレンジして貰ったものを映像で流すと伝える。
だが、機械トラブルで映像も音も流れない。ということで、コーナーのMC担当である宮戸洋行(GAG少年楽団)が登場して繋ぐ。
OKが出たのでオープニング「ミラクル芸人サキラブリー」。アニメ映像付き。歌詞は戦隊ものをイメージしたもの。メロディーはアニソン風だがメロディーラインに不自然なところはある。早希ちゃんはミュージシャンではないので、それは仕方ないだろう。歌は結構上手い。


最初のネタは、コント「YouTuberサキキンのYouTuber計画」。早希ちゃんの妹という設定のサキキン(早希ちゃんは長女ではあるが、お兄さんが一人いるだけの末っ子であり、妹も弟もいない)がYouTuberになって楽して儲けようと図っている。はじめしゃちょーのYouTubeサイトが炎上しているというので、サキキンも駆けつけてみる、ただ罵詈雑言ばかり書かれているため、「自分だけ応援のメッセージを書いたら、はじめしゃちょーと縁が出来るかも知れない」と考えたサキキンはその通りにする。
さて、サキキンのYouTubeであるが、トータルの再生回数は16回だけ。メッセージも、「なにがやりたいのかわからない」「ブス、死ね!」という悪口ばかり。「これが『死ね!』じゃなくて『殺してやる!』なら脅迫罪で訴えられるのに」と言うサキキンだがそうしていても仕方がないので、新たにアップするYouTubeネタのプレゼンをして、生放送を行う。「ペヤングとペヨングを混ぜて食べてみた」、「力士と結婚してみた」(早希ちゃんの親友で、今は佐ノ山親方夫人である小泉エリにちなむネタ)、「シルク姉さん厚着させてみた」、「浅田真央をスケートに戻らせてみた」、「北方領土取り戻してみた」。サキキンはハローページでプーチン大統領を探すが、当然ながら見つからない。
そこでお風呂が沸いたと機械の声がする。サキキンが先に入るつもりなのだが、母親が入ろうとしたようで、サキキンは母親を罵り始める。だがまだ生放送を終了させていなかった。
「こんな私が気に入った人はチャンネル登録お願いしまーす!」
村上春樹の小説に「おがみどり」さんという方が出てくるものがあるのだが、それを思わせる内容だった(早希ちゃんは「おがみどり」さんは知らないだろう)。
かなり説明ゼリフが多いのだが、3分の2ぐらい減らしても観客は着いて来られると思う。本当にR12の子達には内容がわからなくなるかも知れないけれど。


映像。早希ちゃんが綾波レイのコスプレをして、綾波レイがYouTuberになったら、というネタ。綾波レイは、「パックマン」、「スーパーマリオ」、「ストリートファイター」などに挑戦。「エヴァ」の名台詞を入れながら、無表情でプレーしていく。やり方がわかっていないという設定だったり、急に上手くなったりする。
無表情な綾波レイだが、ラストでは早希ちゃんも少しだけ顔が笑っていた。無表情に徹するのは難しいだろう。


宮戸洋行をMCに迎えてのコーナー。有名YouTuberであるデカキンとはいじぃがゲストとして登場。ちなみにデカキンは、昨日、足を滑らせて靱帯損傷の怪我をしたそうで、一応、松葉杖を持って舞台に登場した。
お題が書かれたカード2枚を引いて、その2枚に書かれたとおりの映像作品を製作したYouTubeにアップするというもの。

まずは早希ちゃん。「北朝鮮ニュースキャスター」と「カレー」と書かれたカードを引くが、スタッフが出て来て宮戸に耳打ち。ゴールデンウィークということでカレーの出前が不可能になったとのこと。そこで1枚引き直し。「バルーンアート」と書かれたカードである。バルーンアートは早希ちゃんの特技の一つなのだが、宮戸もゲストの二人もそれを知らないようで、早希ちゃんの手際が良いことに驚いていた。
青いバルーンでキャベツ頭のようなものを作った早希ちゃんは、赤いバルーンをそれに絡ませる。作りながらインチキ朝鮮語も喋るのだが、最初こそ北朝鮮のニュースキャスターらしい喋り方だったが、段々、片言の日本語で喋る中国人のようになってしまった。
青い風船は北朝鮮のニュースキャスター(そうは見えないのだが)、赤い風船は抱えた爆弾だそうだが、過激すぎるのでアウトということになった。

はいじぃが引いたのは、「超カワイイ猫」と「タバスコ飲み」。撮影は早希ちゃんが担当する。
はいじぃは自身が猫になって、デカキンと戯れたりしていたが、当然、タバスコを発見し、コップに注いで一気飲み。はいじぃはむせたが、なんとかなった。

デカキンのネタであるが、これは本人が「表に出せない」ということなので、書かないでおく。


映像。サキキンが、姉がやった「関西縦断ブログ旅」を真似て、「関西横断ブログ旅」を行う。ただ移動は車、サイコロは1の目が100円だが、2が1000円、3が3000円、4が4000円、5が5000円、6が1万円と大甘のルール。しかもサイコロはサキキンが振りたいときに振れる。
サキキンは性格最悪で、「関西縦断ブログ旅」を弄びまくるが、これは早希ちゃん本人だから出来ることでもある。結局、単にUSJに遊びに行くだけになってしまう。


続いては早希ちゃん初挑戦となる落語。落語家は羽織を羽織って登場するが、早希ちゃんは羽織の代わりにカーディガンを羽織っている。アスカ、シンジ、レイの3役を演じ分ける落語。「エヴァンゲリオン」シリーズの概要を述べて、映画が2012年を最後に制作が止まっているということを語ってからカーディガンを脱いで、エヴァの3人のセリフに入る。
アスカは使徒を倒す毎にお金が入ってくる歩合制だそうで、使徒がやって来ないのでお金にならないと嘆いている。そこで、振り込め詐欺を行おうと提案、シンジは、「駄目だよ、そんなの! そんなことをするぐらいなら死んだ方がましだよ」と言ったところでレイが「あなたは死なないわ。私が守るもの」。アスカはシンジに電話を掛けさせる。シンジが「なんて言えばいいの?」と聞くのでアスカは「同じこと繰り返すあれよ」と言うがシンジは「逃げちゃ駄目だ! 逃げちゃ駄目だ! 逃げちゃ駄目だ!」、アスカ「あんたバカぁ~?!」
そこでレイが電話を掛けることにするのだが、哲学風ポエムを朗読し始めて、アスカに「気持ち悪いじゃない! なにそれ? 宗教?」と言われる。


サキキンの「関西横断ブログ旅」2。ミナミに出たサキキンは、パチンコで全額すってしまったり、ルイヴィトンのバッグを買うのでお金が揃うまでサイコロを振り続けたりする。そしてグルメ三昧と、徹底した駄目女が演じられていた。


石出奈々子をゲストに迎えてのコーナー、「声優っぽい選手権」。MCは引き続き宮戸洋行が務める。「ジブリに出てきそうな少女」を演じることでR-1ぐらんぷりの決勝に進出した石出奈々子。早希ちゃんは、「その手があったか!」と悔しがる。
お題が出て、宮戸がそれを読み上げるので、早希ちゃんと石出奈々子の二人は引き当てたカードに書かれたアニメのキャラになりきってそれに答えるというゲーム。

まずは早希ちゃんが「タツノコプロ」を引く。石出はなんと「エヴァ」を引き当てて、早希ちゃんを悔しがらせる。
お題は背後のスクリーンに投影される。まずは、「こんなところに突然呼び出して何?」というセリフがスクリーンに映る。早希ちゃんが手を挙げたので、宮戸がスクリーンに映し出されたセリフを読み上げるが早希ちゃんは「お仕置きだべー」でアウトになる。
「お客様、レジを通られていらっしゃいませんよね」というセリフにも早希ちゃんは「お仕置きだべー」でアウトになるが、店員が言うセリフと勘違いしてしまったようだ。石出はシンジの真似で「逃げちゃ駄目だ! 逃げちゃ駄目だ! 逃げちゃ駄目だ! もう駄目だ! 僕がやりました!」でOK。宮戸も、「皆様、石出奈々子単独ライブへようこそお越し下さいました!」と言い始めてしまう。

キャラ替え。早希ちゃんは「アニメ名作劇場」という幅広く選べるもの。石出奈々子も「藤子不二雄」でしかもFでもAでもOKという緩めの設定である。
宮戸が読むセリフは、「それでは、中継先からお知らせします」。石出奈々子は、「22世紀から21世紀にお返しします」や、しずかちゃんの真似で「キャー! のび太さんのエッチ!」でOKとなるが、早希ちゃんは、「パトラッシュ、もうすぐ死ぬよ」というお知らせしてもあんまり意味がないものでアウト。二つ目は、アルプスの少女ハイジの「クララが立った!」でなんとかセーフになった。

石出が「やなせたかし」を引き、早希ちゃんは「けものアニマル」。「このたびは、ご愁傷様でございました」というセリフに答える。石出奈々子は、「アンパンマン、きれいな顔だよ」という比較的ひねりを利かせたものだが、早希ちゃんは、「君は~アニマルなんだね」で通して、最初はOKとなるが、二度目はアウトになる。
お題は、「諦めたらそこで試合終了ですよ」。「ディズニー」を引いた早希ちゃん。哀願するような目つきをするため、宮戸もついついOKを出してしまったりする。
ラストで早希ちゃんは「ディズニーランドは閉鎖させない」と言って、説明が必要だというので宮戸が話を聞く。演じているキャラクターはミッキーで、「諦めたらそこで試合終了ですよ」と言っているのはウォルト・ディズニー。なんとなくわかりそうでいて結局わからないということでアウトであった。
早希ちゃんは、「(石出の所属事務所である)浅井企画にポンコツだってバレる」と言うが、宮戸に「え? 今までバレてないと思ってたの?」と突っ込まれていた。


「奇跡体験アンビリーバブル」が大好きだという早希ちゃん。そこで、テレビ朝日に売り込むための映像「早希ビリーバブル」が流れる。まずは、マーガレット・ベイカーという金髪の白人女性(早希ちゃんが演じている)の映像。ブラジルの雪山に墜落したセスナから一人生還したのがマーガレットである。なぜが菓子パンを20個持ってセスナに乗っていたりする。
エヤ・ウイダースという老女(これも早希ちゃんが演じている)の愛猫であるアメリカンショートヘアのキャロラインが井戸に落ちてしまう。キャロラインは助け出されたが顔が潰れてしまう(早希ちゃんの愛猫であるエキゾチックショートヘアのロンギヌスくんが登場する)。
ゾイ・ベイカーという黒髪の白人女性(マーガレット・ベイカーとの関係は不明)は、UFOの話をするのだが、UFOはUFOでも日清焼そばU.F.O.(うまい、太い、美味しい)で、後乗せスープを先に入れるという失敗をしてしまい、湯切りの際にスープごと流してしまってパサパサの味になったというものであった。
稲垣早希本人も登場するのだが、開き直った貧乳ネタであった。


続くコント。今度は早希ちゃんは白人の女性に扮する。金髪のカツラを被り、黄色のドレスを着ている。
女性はパチンコ、パチスロ狂い。寝坊してしまって焦るのだが、それは朝一からパチンコやパチスロの通うためなのだった。パチンコ店に着いた女性は「良く出る」という角の台を占拠するために嘘を付いておじさんにどいて貰う。それでもなかなかお金が貯まらないので、ブレスレットを高額で売りつけたりもしている。COWCOWファイナンスの牛嶋馨社長(「闇金ウシジマくん」)にも借金しているらしい。更にホスト狂いでもあり、15年も通い続けけている店があったりする。
女性はホストにブレスレットを売りつけようとして断れるのだが、「わかった。じゃあホテルで撮った写真をSNS上にばらまくから、止めて欲しかったら3万円頂戴」と坂口杏里ネタで終わる。

歌もそうだが、早希ちゃんは演技も良い線を行っているので(高校生の時に芸能事務所のオーディションに受かっているのだから素質はあるのだろう)、お笑い以外のことにも生かせそうだ。


単独ライブでピアノ演奏をするとTwitterで告知した早希ちゃん。曲目に「魂のルフラン」を選んでから、練習に励むまでの映像が流れる(これらの一部はYouTubeにアップされている)。


そしてラストのピアノ演奏。早希ちゃんは先程と同じ黄色のドレス姿である。宮戸洋行、デカキン、はいじぃ、石出奈々子もステージ上に出て、早希ちゃんのピアノ演奏を見守る。
ちなみにミスを1回する毎に劇まずドリンクを飲むことになる(最大5回まで)。
早希ちゃんが弾く「魂のルフラン」はハ調の編曲による比較的易しいものではある。途中、演奏が何度も停止したり、テンポが滅茶苦茶だったり、曲調を描く余裕も意思もなかったりしたが、予想していたよりは楽しめる演奏である。もっと練習してから聴きたかったな。
ミスは3回(テンポ等は含めずミスタッチのみ)。焼き鳥入りヤクルトを飲むことになる。「ヤクルトの乳成分と焼き鳥の脂が絡み合って変な感じ」らしい。

石出奈々子は、「早希ちゃんって、本当に変な人」と言いつつ、「ピアノ弾くときも手が震えながら真剣にやっていたりして、ファンになりそう」と述べていた。

久しぶりの単独公演ということもあり、楽しい時間を過ごすことが出来た。
 


即興○○やってみた対決!(「桜 稲垣早希チャンネル 早希TUBE」より)

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2017年6月 1日 (木)

コンサートの記(302) ウラディーミル・フェドセーエフ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第508回定期演奏会

2017年5月12日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第508回定期演奏会を聴く。今日の指揮はロシアの名匠、ウラディーミル・フェドセーエフ。

フェドセーエフは、1932年生まれ。ロシア指揮者界の中で現役最長老である。1974年にモスクワ放送交響楽団(現在のチャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラ)の芸術監督兼首席指揮者に就任。以後、現在に至るまで同職にあり、40年以上の長期政権を誇る(もっとも、ロシアのオーケストラは基本的に長期政権を敷く傾向があり、人々もオーケストラの正式名称ではなく、「○○(指揮者の名前)のオーケストラ」と呼ぶケースが多い。チャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラは「フェドセーエフのオーケストラ」である)。
1997年から2004年まではウィーン交響楽団の首席指揮者も務めており、ウィーンでも名声を高めている。

フェドセーエフは他のロシア人有名指揮者、例えば、ムラヴィンスキー、スヴェトラーノフ、ゲルギエフなどとは違って、力で押し切るタイプではなく、ロシアの指揮者としては最も西欧的なスマートな音楽作りを旨としている。といっても、「ベートーヴェン交響曲全集」などはロシアの香り濃厚だったりするのだが。

フェドセーエフの実演に接するのは今日が3回目だが、前2回はザ・シンフォニーホールでの演奏だったため、フェスティバルホールでフェドセーエフを聴くのは初めてになる。


曲目は、ウェーバーの歌劇「オベロン」序曲、ウェーバーの交響曲第1番、チャイコフスキーの交響曲第5番。

ウェーバーの交響曲第1番はとても珍しい曲である。実演で聴くのはおそらく初めて。CDも1種類しか持っておらず、長く聴いていないため、実質的には初めて耳にする曲となる。

今日のコンサートマスターは田野倉雅秋。ドイツ式の現代配置での演奏である。

今日のフェドセーエフは全編ノンタクトでの指揮である。


ウェーバーの歌劇「オベロン」序曲。ボリューム豊かな音による演奏である。広いフェスティバルホールであるが、今日は残響が長めに感じられる。弦楽器がノンビブラート奏法を行っているように思えたのだが、この曲でははっきりしなかった。


ウェーバーの交響曲第1番。歌劇「魔弾の射手」などで知られるカール・マリア・フォン・ウェーバー(1786-1826)。オペラの作曲家として知られるが、歌劇以外にも交響曲やクラリネット協奏曲などを書いている。世代的には古典派からドイツ・ロマン派初期に掛けての作曲家であり、シューベルトより10歳年上である。
時代背景というのは音楽に関してはかなり重要であり、ウェーバーの交響曲第1番にはシューベルトの交響曲に相通じるものがある。ウェーバーは二十歳の頃に交響曲第1番と第2番を書いたのだが、その出来に不満であり、「いつか改訂しよう」と思いつつ、思いがけずも40歳の若さで亡くなってしまったため、果たされることはなかった。
そのため若書きであり、シューベルトの交響曲に似ている。また、良い意味でも悪い意味でも端正ではみ出しがないという部分もシューベルトの初期の交響曲にそっくりだ。こういう交響曲を書いていたとすれば、ベートーヴェンの交響曲第7番の初演を聴いたウェーバーが、「ベートーヴェンもついに気が触れたか」と日記に記したということも納得できる。例えは悪いかも知れないがムード歌謡しか知らない人が初めてロックを耳にしたようなものだろう。
第1楽章には、グリーグの「ペール・ギュント」の“山の魔王の宮殿にて”の旋律によく似た音型が現れる。

フェドセーエフがピリオド・アプローチを採用していることは、このウェーバーの交響曲第1番でよくわかった。各楽章のクライマックス以外はビブラートを控えめにし、音を短く切って歌う。
ロシアではピリオド奏法がまだ普及していないと聞いてきたが、フェドセーエフは取り入れたようだ。
大フィルは第2楽章の冒頭でトランペットが揃わなかったが後は堅調。造形バランス見事な演奏である。


フェドセーエフの十八番であるチャイコフスキーの交響曲第5番。
クラリネットによる「運命の主題」が終わると音の密度と輝きが増し、聴き手の耳に鋭く切り込むチャイコフスキー演奏が展開される。比較的速めのテンポによる演奏だが、緩急自在であり、ゆっくりとした部分ではテンポをグッと落として、徹底して甘美な演奏を展開する。
第2楽章冒頭では、フェドセーエフが大フィルからヒンヤリとした音を引き出す。この楽章ではホルンによる長くて美しいソロ(難度Sとされる)があるのだが、今日はソロの部分は見事な出来であった。オーボエとの掛け合いの部分では若干、引っかかり気味であったが。

フェドセーエフは、第2楽章と第3楽章をアタッカで繋ぐ。甘美な楽章を繋げることで、よりメリハリを付けようという意図だろう。美しくはあるが、どこか儚さを感じさせる演奏である。

以前は「凱歌」として演奏されることの多かった第4楽章。だが、21世紀になってからチャイコフスキー研究が進んだということもあり、別の解釈が取られることが増えた。フェドセーエフも最近の学説を取り入れた演奏を行う。
凱歌のようでありながら、届かぬところにある夢を歌うかのような趣。寂しさが音色に滲んでいる。疑似ラストを経てからもやはり聞いていて切なくなる演奏が繰り広げられる。チャイコフスキーの葛藤が公にされる。
そしてラストではテンポを思いっきり落として、「ジャジャジャジャーン」とベートーヴェンの運命動機の転用だとはっきりわかるよう、一音一音演奏された。

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