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2017年7月の11件の記事

2017年7月29日 (土)

コンサートの記(313) 広上淳一指揮京都市交響楽団第614回定期演奏会

2017年7月15日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第614回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。

チラシなどには「広上淳一のブラームス讃 第1弾」と銘打たれたコンサート。曲目は、ブラームスの大学祝典序曲、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:ピンカス・ズーカーマン)、ブラームスの交響曲第3番。


開演20分前からプレトークがある。お昼の公演なのだが、広上淳一は「こんばんはー」と言ってステージに登場。京都市交響楽団第2ヴァイオリン奏者の後藤良平と京都市交響楽団シニアマネージャー兼チーフマネージャーの柴田智靖も広上に続いて現れる。

まずベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のソリストを務めるピンカス・ズーカーマンの話。後藤良平は、イツァーク・パールマンなどの優れた弦楽奏者と共演したことがあるという話をし、広上と二人で、ズーカーマンは、パールマンやアイザック・スターンと同じユダヤ系ヴァイオリニストだという話になる。ズーカーマンが京響と共演するのは今日が初めてだそうである。

続いて、広上がブラームスの交響曲第3番を指揮するのは今日が3回目だという話をする。難しい曲なので取り上げにくいらしい。広上がまだ駆け出しの頃、受けた指揮者コンクールでブラームスの交響曲第3番が課題曲だったのだが、「ロマンの塊」のようで、「これは難しいぞ」と感じた思い出などを語る。

ブラームスの大学祝典序曲。広上や後藤は「旺文社の大学受験ラジオ講座」のテーマ曲として知ったそうで、広上は大学浪人時代にずっと「旺文社の大学受験ラジオ講座」を聞いていたのだが、テーマ曲がブラームスの大学祝典序曲であるということは知らず、大学に入ってから曲名を知ったそうである。
後藤は、「京都は大学生の比率が日本一多い街、だいたい10人に1人で京都市の人口が150万弱だから14万人」と語り、この曲が京都で演奏するのに相応しい曲だと述べた。
その他、祇園祭の話も出たのだが、広上は幼い頃に父親に連れられて祇園祭を見たものの(山矛巡行だと思われる)人ばかりで何も見えなかったという思い出があるそうだ。


今日のコンサートマスターは客演の豊嶋泰嗣、フォアシュピーラーに泉原隆志。今日はソロ首席ヴィオラ奏者の店村眞積も出演する。管は多くの首席奏者がブラームスの交響曲第3番のみ登場した。


ブラームスの大学祝典序曲。最近では演奏が良くても心揺すられることは余りないのだが、広上のブラームスには感心させられた。明晰で美しく、繊細で上品な演奏。特筆すべきは日本人ならではの細やかな感性が十全に生きていることで、日本人指揮者と日本のオーケストラがなし得るものとしては最上レベルの演奏と書いて間違いないと思う。


ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。
ソリストのピンカス・ズーカーマンはユダヤ系のヴァイオリニストらしく磨き抜かれた美音と高度なメカニックを披露。音に張りがあり、明るい。ステージ上が明るくなったかのように錯覚するほどだ。ポルタメントの使い方も味わい深い。
広上指揮の京都市交響楽団も充実した伴奏を聴かせる。丁寧で構築感抜群の演奏であり、第3楽章のオーケストラのみの演奏場面ではズーカーマンはオーケストラの方を振り向いて満足げな表情を見せる。ズーカーマンは京響のことが大分気に入ってしまったようだ。

大曲であるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲ということでアンコール演奏はなし、最後はズーカーマンは手ぶらで現れ、アンコールを演奏しないことを示した。


ブラームスの交響曲第3番。大学祝典序曲同様、日本人の美質が十全に発揮された演奏である。立体感もあり、音色は澄んで、旋律の歌い方にも日本人好みの小粋さがある。各楽器の奏者達の技術も高く、世界中でこのコンビだけが再現できるブラームスであったと思わせる快演であった。

なお、今日と明日の演奏会はハイレゾによる収録が行われ、後日配信される予定である。

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2017年7月27日 (木)

コンサートの記(312) レナード・スラットキン指揮デトロイト交響楽団来日公演2017大阪

2017年7月16日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、デトロイト交響楽団の来日演奏会に接する。指揮はデトロイト交響楽団音楽監督のレナード・スラットキン。

デトロイト交響楽団は、アメリカを代表する工業都市で「自動車の街」としても知られるデトロイトを本拠地とするオーケストラ。1914年の創設。ポール・パレーとのフランスものやアンタル・ドラティとのストラヴィンスキーなどの名盤で日本でもよく知られている。来日は19年ぶりだが、関西で公演を行うのは初となるようである。

レナード・スラットキンは、「史上最もアメリカ的な指揮者」とも呼ばれるアメリカ出身の名匠(ただしWASPではなく、ウクライナ系ユダヤ人の血筋である)。日本でもNHK交響楽団への客演で知られており、NHK交響楽団の初代常任指揮者候補のラスト3人の中の1人となっている(最終的にはシャルル・デュトワに決定。もう一人の候補であるガリー・ベルティーニはその後、東京都交響楽団の指揮者となった)。父親はポップスオーケストラであるハリウッド・ボウルの指揮者であったフェリックス・スラットキン。
1980年代に、音楽監督を務めていたセントルイス交響楽団を全米ランキングの第2位に押し上げて注目される。ワシントンD.C.のナショナル交響楽団やロンドンのBBC交響楽団の音楽監督時代にはレコーディングがなくなったということもあって低迷したと見られていたが、2008年にデトロイト交響楽団の音楽監督に就任するや復活。「全米の音楽監督」との名声を得ている。NAXOSレーベルへの録音も継続中。

MLBの大ファンであり、セントルイス交響楽団音楽監督時代には同地を本拠地とするカージナルスの大ファンであったことで知られる。スラットキンがナショナル交響楽団の音楽監督に転任する際には、「問題はただ一つ、彼がセントルイス・カージナルスのファンからボルチモア・オリオールズのファンに乗り換われるかどうかだ」という記事が書かれたこともある(当時まだワシントン・ナショナルズは存在せず、D.C.最寄りの球団はボルチモア・オリオールズだった)。現在ではデトロイト・タイガースのファンのようである。


曲目は、レナード・バーンスタインの「キャンディード」序曲、シンディ・マクティーの「ダブルプレー」、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」(ピアノ独奏:小曽根真)、チャイコフスキーの交響曲第4番。

アメリカのオーケストラらしく、黒人の奏者が何人もいる。
基本的にドイツ式の現代配置での演奏だが、第2ヴァイオリンとチェロの副首席奏者は指揮者の正面に回り込むという独自の配置。金管はホルンは管楽の最後列に陣取るが、他の楽器は少し離れて、舞台上手奥に斜めに陣取るというロシア式の配置に近いものを採用していた。


レナード・バーンスタインの「キャンディード」序曲。デトロイト交響楽団の音色は美しく、輝きと軽やかさもある。日本のオーケストラも90年代からは考えられないほど成長したが、デトロイト交響楽団に一日の長があるように思う。


シンディ・マクティーの「ダブルプレー」。
シンディ・マクティーは、現代アメリカを代表する女性作曲家であり、レナード・スラットキン夫人でもある人物。
「ダブルプレーは」、チャールズ・アイヴズの「答えのない質問」にインスパイアされた作品で、現代音楽的側面と伝統に基づくそれの両方が上手く息づいているように思う。
演奏終了後、作者のシンディ・マクティーがステージに上がり、夫君でもあるスラットキンと共に喝采を浴びた。


ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」。スラットキン指揮のデトロイト交響楽団はお国ものということもあり、万全の演奏を聴かせる。ノリもリズムも日本のオーケストラとは桁違いで、本場であることの強さが感じられる。
小曽根真のピアノは色彩感豊か。アドリブの場面では、印象派的な響きやエスパニッシュスタイルの旋律を奏でるなど表現が巧みである。

小曽根はアンコールとして自作の「Home」を演奏した。


チャイコフスキーの交響曲第4番。デトロイト交響楽団の弦は合奏を徹底的に整えることで生まれる透明で冷たい響きを発し、チャイコフスキーの楽曲に相応しい雰囲気を作り出す。スラットキンは適度に客観的なアプローチを行い、そのことでチャイコフスキーの苦悩がより把握しやすいようになっていた。管楽器奏者達の腕も達者であり、力強さも万全に発揮されている。
第2楽章と第3楽章はアタッカで繋がれ、曲調のコントラストが強調されている。第4楽章ではスラットキンはそれほどペシミスティックな解釈は行っていないように感じられた。


アンコール演奏。まずは、「悪魔の夢」。演奏前にスラットキンは1階席の方を振り返り、「ファースト、アメリカン・ナンバー(中略)アレンジド バイ マイ ファーザー」と語ってから演奏を始めた。煌びやかなオーケストレーションが印象的である。スラットキンは聴衆に手拍子を求め、手拍子も指揮する。

アンコール2曲目、スラットキンは「サプライズ!」と語り、「六甲おろし(阪神タイガースの歌)」が演奏される。デトロイトにもTIGERSがあるための特別演奏。スラットキンは阪神タイガースのキャップ(黄色のつばに縦縞の入ったウル虎の夏仕様のもの)をかぶっての指揮である。
別の曲のように美しい「六甲おろし」であった。

レナード・スラットキン指揮デトロイト交響楽団大阪公演アンコール

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2017年7月26日 (水)

これまでに観た映画より(94) 「デルシネ エル・シュリケンVS新昆虫デスキート」

2017年6月5日 大阪・玉江橋のABCホールにて

午後7時から、大阪・玉江橋のABCホールで、後藤ひろひと監督の「デルシネ エル・シュリケンVS新昆虫デスキート」に参加する。

デルシネは、観客にエキストラとして参加して貰い、撮影を行った後で編集し、上映を行うというもの。つまり「出るシネマ」である。今月1日から、「エル・シュリケンVS新昆虫デスキート」の大阪上映は始まっており、今日は5日目、7回目の上映ととなる。

今日のゲストは、桜 稲垣早希、ゆりやんレトリィバァ、NMB48より川上礼奈(愛称は「れなぴょん」)、林萌々香(愛称は「モカ」)、古賀成美(愛称は「なる」)。
後藤ひろひとも今は吉本所属で、NMBもそうであるためオールよしもとなのであるが、やはりNMB48はアイドルということで、NMBのファンはノリが違うようだ。


まず後藤ひろひと監督の挨拶があり、ゲスト陣が登場して、早速撮影に入る。観客が3組に分けられ、ホール内、ホールロビー、屋外(ABCテラス)で撮影が行われる。私は屋外組で、後藤ひろひと監督自らの演出が行われる。といっても演技らしい演技をする必要はない。屋外組の撮影には早希ちゃんと古賀成美、そして主演のエル・シュリケン(若手漫才コンビの片割れである)が参加した。

早希ちゃんは今日は清楚な水色ワンピース姿である。ゆりやんレトリィバァも白いワンピースだったが、キャラ的に清楚にはならない。ゆりやんはそういう人ではないので。

ヒーローであるエル・シュリケンを励ますシーンで、後藤監督が、「早希ちゃん、そこでキスしてみようか」と提案。早希ちゃんも「30を過ぎたので大丈夫です」と快諾して、後藤監督に、「お、開き直ったな」と言われていた。

早希ちゃんと古賀成美は「売れない芸能人」という設定で路上ライブのシーンも撮った。

エンドクレジットタイトル用の撮影も行う(早希ちゃんの動きを全員が真似るというもの)。


編集を行っている間、ステージでは、ゆりやん、早希ちゃんによるお笑いネタと、NMB48のメンバー3人によるトークが行われる。


ゆりやんが行ったのは、淀川長治の物真似。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」、「シザーハンド」、「ターミネーター」を日曜洋画劇場で放送する時の解説の物真似である。「シザーハンド」は全てのネタバレを語ってしまうという設定である。ゆりやんが本当に映画好きで観察熱心だということがわかるネタであった。

早希ちゃんはアスカのコスプレで、「関西弁でアニメ」をやる。ちなみに、早希ちゃんが「関西以外の人」と聞くと、3人が手を挙げる。一人は岡山県の人、二人は共に愛知県から来ていたのだが(面識はない)、早希ちゃんが「愛知県。ということは名古屋弁ですか?」と聞くと一人は首肯し、一人は「三河弁」と答える。早希ちゃんは「どちらかが嘘を付いてますね」と言うが、名古屋弁(尾張弁)も三河弁も愛知県の方言である。愛知県内では尾張の人が三河の人を見下すという傾向があるようである。


NMBの3人によるトーク。まずは好きな映画の発表。川上礼奈は「ホームアローン」、林萌々香は「プラダを来た悪魔」、古賀成美は「時をかける少女」(アニメ版)を挙げる。
ただ、川上礼奈も林萌々香もテレビで放送されるたびに観てはいるものの、録画をして何遍も観るということはしていないようである。

続いて、「出てみたい映画のジャンル」。川上玲奈は「学園もの」、林萌々香は「青春ストーリー」、古賀成美は「時代劇」。
川上礼奈は、自称「うどんの国のお姫様」で、香川県丸亀市出身なのだが、NMBのメンバーから「つり目なのでいじめっ子っぽい」と言われるそうで、「いじめっ子役をやってみたい」そうである。私は丸亀には去年(2016年)、行ったのだが、つり目の女性が顕著に多いということは確認済みである。川上礼奈も典型的な丸亀女子の顔なのだと思われる。
林萌々香は「チアダン」を観たそうで、運動部や運動部のマネージャーの青春を描いた映画に出たいそうだ。
古賀成美は最初はどんな役をやりたいのか説明できなかったが、町娘役をやりたいそうである。


ゲストの二人(早希ちゃんは再びワンピースに着替えていた)も再び登場し、NMBのメンバーと共に客席2階席に移動して映画を鑑賞する。


第1作では正義のヒーローとだけしか知らされていなかったエル・シュリケンだが、この映画では普段はプロレスラーとして活躍していることがわかる。
脚本・監督:後藤ひろひと。出演:宮﨑香蓮、久保田悠来、板尾創路、エル・シュリケン、木村祐一、蛍原徹(雨上がり決死隊)、ほんこん、原西孝幸(FUJIWARA)、武藤敬司、辻よしなり、兵動大樹、ケンドーコバヤシ、桂三度、トータルテンボス、山崎静代(南海キャンディーズ)、藤崎マーケット、トレンディエンジェル、シソンヌ、森次晃嗣ほか。

西ゆりこ(宮﨑香蓮)は、幼い頃、テミス研究主任である父親の西博士(蛍原徹)と共に謎の怪物に襲われ、西博士は絶命するもゆりこはエル・シュリケンに助けられた。成長したゆりこは、テミス研究所に入り、東爽太(久保田悠来)と二人で運営を行っている。しかし、テミス研究所にはろくな仕事は入ってこず、お金がないので水まで止められそうになっている。
そんなある日、ゆりこは、子供の頃に助けて貰ったエル・シュリケンがプロレスの試合に出ていることを知る。
依頼人がやって来た。木村祐一(本人役で出演)である。最近、吉本の芸人のネタがつまらなくなってきているという。それには蜥蜴沢博士(板尾創路)が発明した脳の活動を制限する成分を持つ新昆虫デスキートの影響があり……。

沖縄国際映画祭のために作られた作品であり、堅苦しさは全くない純然たる娯楽映画である。観客参加の場面はなくても成立するようにはなっているが、「スクリーンに映ってみたい」という希望のある人にとっては良い思い出になるだろう。

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2017年7月25日 (火)

コンサートの記(311) 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2017「魔法のオーケストラ」第1回「踊るリズム」

2017年6月18日 京都コンサートホールにて

午後2時から京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2017 「魔法のオーケストラ」第1回「踊るリズム」を聴く。

新年度のオーケストラ・ディスカバリーの第1回公演である。指揮は京都市常任首席客演指揮者の下野竜也。ナビゲーターを務めるのはロザン。


曲目は、三木稔の「阿波ラプソディー」、チャイコフスキーの歌劇「エフゲニー・オネーギン」から“ポロネーズ”、ビゼーの「カルメン」第1組曲から「アラゴネーズ」、ハチャトゥリアンの組曲「仮面舞踏会」から“ワルツ”、リチャード・ハイマンの「ポップス・ホウダウン」、シャーマン兄弟(中川英二郎編曲)の「メリー・ポピンズ」から“チム・チム・チェリー”、モンティ(中川英二郎編曲)の「チャルダッシュ」、レナード・バーンスタインの「ウエスト・サイド・ストーリー」からシンフォニック・ダンス。

今日のコンサートマスターは客演の長原幸太(読売日本交響楽団コンサートマスター)。フォアシュピーラーは泉原隆志。


まずは三木稔の「阿波ラプソディー」。三木の出身地である徳島の阿波踊りを管弦楽曲に仕上げたものである。下野は日本的情感を上手く生み出し、ラストに向けての盛り上げも巧みだった。

演奏終了後、下野は、「6月18日、今日はお父さんの日ですね。今日の働くお父さん、下野竜也です」と自己紹介する。

ロザンの二人が呼ばれる。菅広文は、「阿波踊りって、チャンカチャンカってこんな踊りですね」と適当に振りをつけたのだが、下野が「その通りです」と言ったためそれ良いということになってしまった。

拍(拍子)について下野は語る。「阿波ラプソディー」は二拍である。「拍は、周期的に……、そう、周期的ですよ」という風に説明したが二人に伝わったようだ。菅ちゃんが「チャンカチャンカ」は二拍子ですね」と聞き、下野が「そうです」、菅ちゃんが「チャンカチャンカチャンだと三拍子になるわけですか?」、下野「それは違います」
ということで、続くチャイコフスキーの歌劇「エフゲニー・オネーギン」から“ポロネーズ”。ポーランドの三拍子の楽曲である「ポロネーズ」(4分の3拍子では、8分音符、16分音符2つ、8分音符4つが基本の音型となる)の説明を下野は行った。「エフゲニー・オネーギン」というロシア人の名前はやはり発音が難しいようで、下野は噛み噛みで苦笑いであった。
下野らしい、きちんと組み上げられた演奏。低弦から高音を担う金管まで全ての音が丹念に仕上げられている。

演奏終了後に、ロザンの二人は、モニターに映る下野の指揮姿を見ていると三拍子がよくわかるというようなことを口々に述べる。下野は鹿児島から上京する際に、齋藤秀雄が監修した「指揮法」の映像(秋山和慶が出演しているもの)を何度も見て自己レッスンに励んでいる。言ってみれば齋藤流指揮法の継承者でもあり、指揮はとてもわかりやすい。


ビゼーの「カルメン」第1組曲より“アラゴネーズ”。下野は「少し速めの三拍子」と語る。演奏はフランスの地方のオーケストラのような色彩の濃さを引き出したものであった。


三拍子の王道であるワルツの曲をということで、といってもウィンナ・ワルツではなくハチャトゥリアンのワルツであるところが下野らしい。組曲「仮面舞踏会」から“ワルツ”。
下野は、楽曲について、「自分が死ぬということをまだ知らないで踊るワルツ」と説明する。京響の機能美が十分に発揮された演奏。
演奏終了後、宇治原が「重厚でしたね」、菅ちゃんが「悲劇的な感じ」と感想を述べる。ハチャトゥリアンの曲は硬質であり、ウィンナ・ワルツのような優美さだけを前面に押し出したものではない。

ハイマンの「ポップス・ホウダウン」。リチャード・ハイマン(1920-2014)は、ボストン・ポップス・オーケストラのアレンジャーとして活躍した人であり、ハーモニカ奏者、指揮者としても活躍した。NAXOSレーベルにはルロイ・アンダーソンの楽曲を指揮してレコーディングしている。
2拍子の曲。様々な楽器が登場するのも特徴である。
演奏中に、下手袖から背の低いおじさん(広上淳一)がピアニカを手にひょこひょこと現れ、「わらの中の七面鳥」を吹いて帰って行った。客席からも笑いが起こる。

コンサート本編が終わってから広上はステージ上に呼ばれた(ロザンの二人からは「謎のピアニカおじさん」と呼ばれていた)。また今日は、高関健も京都コンサートホールに来ていて、「ウエスト・サイド・ストーリー」演奏の時には、ステージ下手後方に広上と高関が並んで腰掛けて、譜に目をやりながら音楽を聴いていた。


トロンボーン奏者の中川英二郎をソリストに迎えての「メリー・ポピンズ」から「チム・チム・チェリー」。
中川英二郎は5歳からトロンボーンを始め、6歳の時にはもうステージに上がっていたという、音楽の申し子のような人。トロンボーンに転向以前(5歳の子供に「転向」という言葉を使うのも変だが)は、ピアノやトランペットを習っていたが、トロンボーン奏者が「スウィング・スウィング・スウィング」を吹くのを「かっこいい!」と思い、トロンボーンを選んだそうである。


モンティの「チャルダッシュ」。ヴァイオリンのための曲を中川がトロンボーンソロ用に編曲したものである。ヴァイオリンでも超絶技巧曲であるが、トロンボーンで演奏するにはどれだけの技量が必要とされるのか想像も及ばない。軽々吹いているように見えるが怖ろしく難しいはずである。

中川は、「練習は嫌いな子供だった」そうである。サッカーがやりたいので、トロンボーンの練習には余り重きを置いていなかったそうだが、親から「これだけはするように」と言われた音階練習をなるべく早めに終わらせるためにテンポアップして吹いていたそうで、これが演奏技術をプラスに導く働きをしたという。


レナード・バーンスタインの「ウエスト・サイド・ストーリー」からシンフォニック・ダンス。下野は「ロミオとジュリエット」の世界をウエスト・サイドのギャングに置き換えたものと解説。
「マンボ」の場面では、「お客さんにも言ってもらいたい」というので練習。「振り返ったら“マンボ!”」とのことだったが、下野はふざけて何度も振り返る。宇治原が「前のお客さん(ここではポディウム席に座っている人のこと)はどうしましょうか?」と聞くと、下野は「薄いのが見えたら」と自身の頭頂部をネタに用いていた。
洗練された都会的な演奏である。
先に書いたとおり、広上と高関が下手後方で聴いており、高関さんはマラカスパートも演奏。楽しそうであった。


アンコールは、外山雄三の「管弦楽のためのラプソディー」より“八木節”。広上と高関も小さめの拍子木を手に演奏に参加。ということで、一般的なものよりも打楽器の数が多い演奏である。
下野は指揮台の上でステップを踏み、楽しい演奏となった。

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2017年7月21日 (金)

コンサートの記(310) 「アルディッティ弦楽四重奏団×白井剛」

2017年6月23日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

ロームシアター京都サウスホールで、午後7時から「アルディッティ弦楽四重奏団×白井剛」を聴く。現代音楽のスペシャリストとして知られるアルディッティ弦楽四重奏団とコンテンポラリーダンスの白井剛(しらい・つよし)のコラボレーション。
アルディッティ弦楽四重奏団の演奏を聴くのは初めて。白井剛のダンスを見るのは約12年ぶりである。

前半は、アルディッティ弦楽四重奏団のみの演奏で、クルタークの「ミハーイ・アンドラーシュへのオマージュ~弦楽四重奏のための12のミクロリュード~」、細川俊夫の「沈黙の花」、リゲティの弦楽四重奏曲第2番。後半がアルディッティSQと白井剛のジョイントで、クセナキスの「ST4」、「Ikhoor for torio」、「Terras」。


今日は前から4列目のほぼ真ん中。音はよく聞こえるが、魅力的な響きというほどではない。今日はダンスとのコラボであるが、弦楽四重奏のみの演奏をするには、京都だとアンサンブルホール・ムラタやALTIの方が良いように思う。

アルディッティ弦楽四重奏団のメンバーは眼鏡率が高い。第2ヴァイオリンのアショット・サルキシャン、ヴィオラのラルフ・エーラース、チェロのルーカス・フェルスが眼鏡を掛けており、第1ヴァイオリンのアーヴィン・アルディッティも演奏時には老眼鏡を掛けるので、全員が眼鏡だ。
そんなアルディッティ弦楽四重奏団の演奏であるが、流石の切れ味を聴かせる。


クルターク・ジェルジ(ジェルジ・クルターク)の「ミハーイ・アンドラーシュへのオマージュ~弦楽四重奏のための12のミクロリュード」。細切れの和音が続く。12の短い音楽が紡ぎ出され、1編1編があたかも俳句を聴くような趣がある。


細川俊夫の「沈黙の花」。生け花と能楽にインスピレーションを受けた作品である。弦の歌が能楽の謡のように聞こえ、ピッチカートが鼓のように響く。日本的な「好み」を聞き取るという上ではわかりやすい作品である。


リゲティ・ジェルジ(ジェルジ・リゲティ)の弦楽四重奏曲第2番。
今日演奏された作品の中で最も絶対的な作品である。そのため「見立て」や「直喩」が出来ないのであるが、響きの重なりの中に美を見いだすことは可能である。


クセナキスの楽曲によるアルディッティ弦楽四重奏団とコンテンポラリーダンサーの白井剛によるセッション。幕が上がると、舞台の奥には譜面台が並ぶ。中央やや上手より奥には譜面台がごちゃごちゃに固まった場所もある。

音楽史上、最も厳格に数学理論を音楽に持ち込んだクセナキス。建築にも詳しく、パリ時代には建築家のル・コルビジェの助手を務めたこともある。
坂本龍一がクセナキスに憧れ、東京芸大在学中に、クセナキスの理論に独学でものにしようとしたが果たせず、ポピュラーミュージックへ転向したという話は比較的知られている。

数学的発想から生まれたのかどうかはわからないが、クセナキスの音楽からはミニマル・ミュージックへの萌芽やロックの先駆けともいうべきリズム要素が聴かれ、ポピュラーミュージシャンにクセナキス好きが比較的多いということも、こうした要素から見れば納得出来る。


現代音楽とコンテンポラリーダンスというと、ともに「絶対」指向のものであるため、互いが互いを隔て合うような、独特の感じになりやすい。そこに調和はないし、安易な調和は音楽と肉体のお互いのパフォーマンスを低下させるだろう。

白井剛は、基本的には音楽に合わせて踊る。ピッチカートが続けば細かく手を動かすし、長めの歌にはそれに合うようなゆったりとしたテンポで踊り、音楽の中にあってより遠くを目指すような仕草をする。

ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラの3台の楽器のために書かれた「Ikhoor」は、冒頭はストラヴィンスキーの「春の祭典」にもよく似たバーバリズムの横溢である。ただ白井はそれとはまた別の要素を見いだしたようで、野性味爆発というより、死の目の前であがく何かの姿を丹念に演じているように見えた。


「Tetras」。この曲では白井がアルディッティSQの前に出て踊り、よりコラボレーション色が強く出る。わかりやすい音楽ではないが、リズムはノリがあり、激しい変拍子の応酬というわけでもないので、踊りやすい曲ではあると思う。

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2017年7月20日 (木)

コンサートの記(309) 第55回大阪国際フェスティバル 井上道義指揮大阪フィルハーモニー交響楽団ほか レナード・バーンスタイン シアターピース「ミサ」

2017年7月14日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、第55回大阪国際フェスティバル2017 レナード・バーンスタイン作曲のシアターピース「ミサ」を聴く。

レナード・バーンスタインの「ミサ」は、1971年に、ワシントンD.C.に完成したジョン・F・ケネディ・センターの杮落とし演目として初演されたものであり、宗教曲でありながら反キリスト教的要素が濃く、音楽的にもロック、ミュージカルナンバー風、ジャズ、現代音楽を取り入れたアマルガム的なものになっている。

今回の上演は、日本初演以来23年ぶりの舞台上演。フェスティバルホールでの2公演のみであり、関西のみならず、日本中からファンが駆けつけたと思われる。

指揮は、「ミサ」の日本初演も手がけた井上道義。井上は、総監督、演出、日本語字幕訳も手がける。
演奏は大阪フィルハーモニー交響楽団。オーケストラピットに入っての演奏である。合唱は大阪フィルハーモニー合唱団。出演は、大山大輔(バリトン)、小川里美、小林沙羅、鷲尾麻衣(以上ソプラノ)、野田千恵子、弊真千子(へい・まちこ)、森山京子(以上メゾソプラノ)、後藤万有美(アルト)、藤木大地(カウンターテナー)、古橋郷平、鈴木俊介、又吉秀樹、村上公太(以上テノール)、加耒徹(かく・とおる)、久保和範、与那城敬(以上バリトン)、ジョン・ハオ(バス)、込山直樹(ボーイソプラノ)、ファルセットコーラスを担当するのは奥村泰徳、福島章恭、藤木大地の3人。
ボーイソプラノコーラスは、キッズコールOSAKA。
従者役は、孫高宏と三坂賢二郎の二人(ともに兵庫県立ピッコロ劇団)。
バレエダンサーは、堀内充バレエプロジェクト所属のバレエダンサー9人と大阪芸術大学舞台芸術学科舞踏コースの学生6人。
副指揮者は角田鋼亮(つのだ・こうすけ)。
ミュージックパートナーは佐渡裕(本番には出演せず)。

従者達が運んだジュークボックスから声が響き、エレキギターを奏でていた男(大山大輔。今回はレナード・バーンスタイン本人を演じるという設定である)が、祭服を纏い、司祭となることからストーリーは始まる。
司祭は、「神に祈ろう」、「神の言葉は絶対だ」と歌うのだが、神の存在をどうしても信じられないという人や、神の言葉の矛盾を突く人などが次々と現れ、司祭がついには信仰を投げ出してしまうという筋書きである。

ラストは、言葉のない歌(スキャット)や簡単な歌詞(「ラウダ、ラウデ」という言葉が繰り返される)による歌が歌われることになる。このラストの部分はとても美しいのだが、レナード・バーンスタインがそうなるように仕掛けたのだと思われる。

「はじめに言葉ありき」という聖書の言葉がある。この「ミサ」にも登場する有名な言葉なのであるが、音楽家としてはこの言葉に簡単には首肯できないのではないだろか。「音楽はともかくとして、音より先に言葉があるとはどういうことなのか?」
レナード・バーンスタインはここで音楽の言葉に対する優位性を唱えたように思う。言葉による神をめぐる思想は矛盾や争いを生み、地上に地獄をもたらす。一方、言葉のない音楽の世界は天上のように美しい。つまり音楽こそがレナード・バーンスタンの求める平和を体現するものだということだろう。こうした意思の表明は極めてわかりやすく提示されている。

日本初演も手がけた井上道義の指揮はノリが良く、大阪フィルハーモニー交響楽団の音色も鮮やかで、この曲を再現するのに最適の演奏となった。一方で井上の演出は余計なことが多いような。やはり音楽家が演出も兼務するには限界があるのだろう。

今日は3階席の後ろの方、ほぼ真ん真ん中で聴いたのだが、この席で聴くフェスティバルホールの音響は優れたものであった。

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2017年7月17日 (月)

笑いの林(92) 「祇園ネタ」&吉本新喜劇「嘘つき男と高い皿」2017年7月8日

2017年7月8日 よしもと祇園花月にて

12時30分から、よしもと祇園花月で、「祇園ネタ」と吉本新喜劇「嘘つき男と高い皿」を観る。


「祇園ネタ」の出演者は、プリマ旦那、桜 稲垣早希、平和ラッパ・梅乃ハッパ、テンダラー、西川のりお・上方よしお(登場順)


プリマ旦那。
今日は土曜日ということでちびっ子が沢山来ている。下手列の1列目(あ列)と2列目(い列)は子供達が陣取っており、子供達がステージに向かってよく叫ぶ。
まず立ち位置向かって右のプリマ旦那・河野が自分が何歳だと思うか客席に聞き(子供の一人が、「40歳! 40歳!」と叫んでいた)、「31歳です」と正解を言う。
続いて、立ち位置向かって左の野村が自分が何歳に見えるか聞くが、「29歳」ということで、「29・8歳!」と小数点ありの謎の答えを叫んでいた男の子が、「正解! 正解!」と言っていた。

河野が漫才師になっていなかったら何になりたかったかを語る。教師になりたかったそうだが、野村に「おまえみたいなひげそり後の濃いやつには無理じゃ」と言われる。
河野はヤンキーの生徒を更生させる熱血教師になりたかったということで、野村を生徒役にしてシミュレーションしてみる。
河野は野村に、「おい、こんなところで何してんのや!」というが、野村は「先生こそ何してんですか?! ここ女子更衣室ですよ!」と野村は女子で河野は変態ということになってしまう。
野村が人差し指と中指の間に何か挟んでいるので、河野が注意するが、野村は挟んでいるものを「タラコです」、「タバスコです」とタバコではないものにしてしまう。
タバコを吸っているという設定にするが野村は「留年しまくって今24歳」
河野は「ちゃんとした不良やれ!」というが、野村は、「おまえ何いっとんじゃ?! 不良やぞ? 良でないっていう。ちゃんとした不良ってなんじゃ?」


桜 稲垣早希。「あんたバカぁ~?!」をやる。
「私、福山(雅治)とかキムタクとか無理やねん」→「あんたバカぁ~?! 向こうはもっと無理よ!」という風に「あんたバカぁ~?!」で進めていく。
「私、和式トイレ無理な人だから」→「あんたバカぁ~?! 漏らせ!」。実際に和式トイレは使えないという人はどうやらいるようだ。
「サイズ? Bカップ? でもCよりのBだから」→「あんたバカぁ~?! それは紛れもなくBよ!」とやるが、「私はHよりのAです」と言う。ここで小学生の男の子が「Dカップがいい!」と言ったため、早希ちゃんは「は?」という表情を浮かべて「将来ろくな大人にならない」と言っていた。
ちなみに早希ちゃんは最前列の「あんたバカぁ~?!」と一人で言ってくれた子供に飴、「なんか欲しい!」と言った子供にカリカリ梅をあげていた。


平和ラッパ・梅乃ハッパ。ギターネタをやる。
平和ラッパはギターを背中に担いで「上を向いて歩こう」を弾く。
梅乃ハッパは技巧が必要な曲で「拍手がこないから」という理由で止める。再会するとお客さんはすぐの拍手するので「今度は早すぎる!」。そこで右脚をあげたら拍手をするようお願いするのだが、今度はみんな右脚ばかり見る。結局、13小節目で脚を上げて拍手を貰った。


テンダラー。
浜本広晃が、「今日は先輩に当たるお客様が多いようなのでそれにあった話題を」とやるが、「最近、安楽死がね」と縁起でもない話を始めてしまって白川に突っ込まれる。
出会いの場面で、書店で同じ本を取ろうとした二人の手が触れるもどちらが男女か決めていないので変になる。犬の散歩をしているときに出会うという設定なのに浜本が犬を連れているのではなくキャリーバッグを引いているということにしてしまうなどおなじみの展開がある。
どっきりの「コラおじさん」をやることになり、まずは白川悟実がコラおじさんに扮することになるのだが、白川に「コラ!」と言われた浜本は「なんだとコラ!」と喧嘩を売ってしまう。
今度は浜本がコラおじさんに扮することになる。まず遠くにいるのに「コラ!」と言って白川にダメ出しされる浜本。こんどはなかなか白川に近づかないコラおじさんをやるのだが、子供達が「コラ! コラ!」とずっと叫んでいるので、浜本は子供達を指さしながら「コラ!」と言って白川に「正式なコラはやらんでいい!」とダメを出される。

「暴れん坊将軍」。暴れん坊将軍に扮した浜本は「暴れん坊将軍」のテーマを口ずさみながら悪代官役の白川と対決しようとするが、まず刀を忘れる、次いで白川をだまし討ちにしようとする。チャンバラをやると弱いとダメダメの暴れん将軍。最後は暴れん坊将軍ではなく何故かコラおじさんになってしまう。


西川のりお・上方よしお。
西川のりおが、「私が正真正銘の本物の津川雅彦です」と自己紹介し、相方の上方よしおのことを「噛みつき猿です」と紹介する。
のりおは今日も時事ネタを行う。豊田真由子の「このハゲー!!!」をやり、「そんなことなかったんですー」に節をつけて歌うが、やはり芸人だからなのか本人よりメロディーの付け方が上手い。少なくとも聞けるものになっていた。
「STAP細胞はあります!」(小保方晴子)だの「部屋に歯ブラシを持ってきてください」(高畑裕太)もネタとして取り上げていた。



吉本新喜劇「嘘つき男と高い皿」。出演は、信濃岳夫、若井みどり、高井俊彦、安尾信之助、山田花子、岡田直子、中條健一、瀧見信行、太田芳信、服部ひで子、中田はじめ、小西武蔵、吉田ヒロ。

花月旅館が舞台である。
花月旅館の女将である若井みどりは、陶芸家の花月斎のファンであり、作品を集めている。そんな折り、骨董・吉本屋の二人(中條健一と瀧見信行)が花月斎の作品である皿を安値でリースすることを勧めてきて……。

今回は座長がおらず、若手の信濃岳夫をリーダーとした公演。吉本新喜劇の場合、座長が強力に引っ張ることで面白さが増すことが多いのだが、若手の、それも主役でない座員がリーダーになると、全員が同身分となり、その良さはあるものの、決定打を欠くことにはなる。
安尾信之助は、「なんなんだ君は?」と聞かれて、「次男です」と答えるということを何度も繰り返していた。

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2017年7月15日 (土)

観劇感想精選(219) 下鴨車窓 「渇いた蜃気楼」2017大阪

2017年7月7日 大阪・周防町のウイングフィールドにて観劇

午後8時から、大阪・周防町のウイングフィールドで、下鴨車窓の公演「渇いた蜃気楼」を観る。
「渇いた蜃気楼」は、2014年に「わたしの焦げた眼球/遠視」というタイトルでOFT名義で初演され、翌年に現在のタイトルに変わっての下鴨車窓での再演が行われ、その後毎年上演が行われている。今年は先に札幌での公演が行われ、今日から3日間、大阪での上演がある。
作・演出:田辺剛。出演:大沢めぐみ、藤原大介、高杉征司(三人のローマ字表記の頭文字を採ったOFTというユニットを組んでいる)。

「渇いた蜃気楼」は電子版の台本が発売されている。私も台本は読んでいるのだが、上演を観る上では本を読まずにフラットな状態で臨んだ方が良かったように思う。


とある田舎町が舞台である。酷暑。内陸にあるこの町では水が不足しており、亮と真澄の夫妻が暮らす高台のアパートには水が回らなくなっている。仕方がないので、亮がポリタンクを手に、スーパーに設置された給水所から水を運んでいる。亮は自転車にポリタンクを乗せて運んでいたのだが、その自転車が盗まれるという出来事が発生、舞台はその直後から始まる。

亮はこの町の工場で働いていたのだが、クビになり、現在は退職金と真澄のパート代で暮らしている。亮と真澄は高校の同級生。東京で出会い、出身地に近いこの町に戻ってきて入籍した。
どことなく「隘路」のようなこの場所に高校時代の同級生である雄二が訪ねてきたことで、過去の記憶により現在が波立つという物語である。

過去も現在も不安定である三人の、バランスの不確かさが明らかになっていく。現在は過去に束縛され、過去は現在によって歪む。平穏な日常に「何か」が黒い口を開けて潜んでいるようにも見える。
ホラーではないので、追求を行うことはなく、舞台は日常へと戻っていくのだが、それ故に起きたさざ波が印象深くなるようになっている。

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2017年7月 9日 (日)

コンサートの記(308) シュテファン・ザンデルリンク指揮 ハンブルク交響楽団来日演奏会2017京都

2017年7月3日 京都コンサートホールにて

午後7時から京都コンサートホールで、シュテファン・ザンデルリンク指揮ハンブルク交響楽団の来日演奏会を聴く。

ハンブルク交響楽団が来日するのは今回が初めて。

ザンデルリンクファミリーの一人で若い頃からレコーディングなども行っているシュテファン・ザンデルリンク。以前に大阪センチュリー交響楽団(現・日本センチュリー交響楽団)を指揮した演奏会を聴いたことがある。

演目は、ベートーヴェンの「エグモント」序曲、ベートーヴェンの交響曲第5番、ブラームスの交響曲第1番。


チェロを前面に出したアメリカ式の現代配置での演奏。今日のザンデルリンクは全編ノンタクトで指揮する。


今日はステージをすり鉢状にはしていないが、残響は長い。昨日、一昨日とロームシアター京都メインホールでの京都市交響楽団の演奏を聴いたが、残響が短かったため、残響長めのホールで聴くとホッとする。京都コンサートホールがやはり私のホームなのだと確認した。


「エグモント」序曲。ハンブルク交響楽団は渋めの響き。弦は琥珀のような独自の輝きを持っている。
ベーレンライター版の楽譜を使っていたと思われるのだが、ピッコロはさほど目立つ活躍はしていなかった。譜面を改変したのかも知れない。
熱気をそれほど表には出さない端正な演奏である。


ベートーヴェンの交響曲第5番。運命動機のフェルマータは長く伸ばすが、フォルムを自在に変える演奏であり、復古的なスタイルではない。ピリオド・アプローチを援用しており、弦楽はビブラートを控えめにしてボウイングもモダンスタイルとは異なるものだったが、ピリオドスタイルを前面に出したものではない。
ゲネラルパウゼを長めに取ったかと思えば繰り返しでは間を詰めたりと、即興性を重視しているようである。
第4楽章ではベーレンライター版の音型反復を採用(ブライトコプフ版では、「タッター ジャジャジャジャン タッター ジャジャジャジャン)と運命動機の音型で返すところを「タッター タッター タッター タッター」と同音型で返す)。ピッコロの浮かび上がりはラストのみ採用と、様々な版から取捨選択を行っていることが窺える。


ブラームスの交響曲第1番。強靱なフォルムを彫刻することに心を砕いた演奏である。
テンポは中庸であり、ピリオド的な要素もほぼない。渋い音色を生かしたロマン的な演奏だが、作品にのめり込み過ぎることはなく、音像そのものの美しさを生かしたものとなっている。


アンコールはモーツァルトの「フィガロの結婚」序曲。ティンパニの音が硬めであり、弦楽のビブラートも押さえた演奏。ロココ的な良さが十分に出た演奏だった。

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2017年7月 4日 (火)

コンサートの記(307) 「長富彩 ピアノ・リサイタル ベートーヴェンからリストへ -古典派からロマン派への転遷-」

2017年6月17日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、「長富彩 ピアノ・リサイタル ベートーヴェンからリストへ ―古典派からロマン派への転遷―」を聴く。

今日のザ・シンフォニーホールは1階席のみの販売のようで、1000人前後に聴衆を絞っての演奏である。ザ・シンフォニーホールで1階席のみのピアノ公演だと残響が長すぎるようにも感じられ、最初のうちは音に馴染めなかったが、プログラムが後半に入る頃には慣れていた。

曲目は、前半がオール・ベートーヴェンで、ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」、「エリーゼのために」、ピアノ・ソナタ第30番。
後半がオール・リストで、「愛の夢」第3番、「ハンガリー狂詩曲第2番」、「詩的で宗教的な調べ」より第3番“孤独のなかの神の祝福”

青のドレスで登場した長富綾は「小柄で華奢な女性」という印象。そうした女性がベートーヴェンやリストの楽曲を弾くというのは余りリアリティを感じないのだが、感じようが感じなかろうが演奏会は始まる。


ベートーヴェンの「悲愴」では音の立体感の巧みな生み出し方が最も印象的である。

「エリーゼのために」ではやや遅めのテンポを取り、ベートーヴェンがこの曲に込めた情念を炙り出していく。なお「エリーゼ」というのはベートーヴェンの筆跡が荒かったために生まれた誤読で、実際は「テレーゼ」なのだという説が有力視されていたが、「エリザベート・レッケルという女性のために書かれた楽曲」という新説も生まれており、詳細不詳である。ただエリーゼの正体が誰かというのは、音楽史的には重要であっても、演奏するにも鑑賞する上でも大した事象ではないと思われるのも事実である。

ピアノ・ソナタ第30番では、瑞々しい感性が生きた快演。ラストの祈りの表現も見事であった。


リストの「愛の夢」第3番。
長富はこの曲でも遅めのテンポを採用して、浮遊感のあるロマンティックな演奏を繰り広げる。やや音が軽いと思われる場所もあるが傷ではない。


「ハンガリー狂詩曲第2番」。出だしの雄々しさの表出も巧みであり、ラストに迎えての情熱的な盛り上げ方も上手い。

「詩的で宗教的な調べ」より第3番“孤独のなかの神の祝祭”。煌めきのある音で計算のきちんと行き届いた演奏を聴かせる。


かなり良いピアニストである。
 


アンコール演奏は2曲。ラフマニノフの前奏曲「鐘」でスケール豊かな音像を描いた後は、モーツァルトの「トルコ行進曲」(編曲版)。編曲者が誰なのかはわからないが、左右各々の手が別々の展開をするという凝ったものである。長富彩の演奏も優れていた。

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2017年7月 2日 (日)

コンサートの記(306) 成田達輝&萩原麻未デュオリサイタル

2017年6月3日 京都コンサートホール小ホールアンサンブルホール・ムラタにて

午後2時から、京都コンサートホール小ホール・アンサンブルホールムラタで、成田達輝&萩原麻未デュオリサイタルを聴く。

開場前に、チケットカウンターで別の公演のチケット受け取ろうと待っていた時に、前にいた、いかにも「おずおず」といった雰囲気の女性が、「あの、萩原麻未の母親なんですけれど、娘のチケットは」と言うのが聞こえたので少し驚く。萩原麻未は、おずおずと登場してバリバリとピアノを弾き、また腰を低くして去って行くという、自信があるのかないのかよくわからないピアニストだが、「この母親にしてこの子ありか」と妙に納得してしまった。

成田達輝(なりた・たつき)は札幌出身のヴァイオリニスト。2010年のロン=ティボー国際コンクール・ヴァイオリン部門で2位入賞。合わせてリサイタルで優秀な演奏を行った音楽家に与えられるサセム賞を受賞。2012年にエリザベート国際コンクール・ヴァイオリン部門でも第2位に入り、イザイ賞も受賞している。

萩原麻未は広島出身のピアニスト。私立広島音楽高校(現在は生徒数及び受験者数減少のため廃校)卒業後、パリ国立高等音楽院(コンセールバトワール・パリ)と同音楽院修士課程を修了。パリ地方音楽院室内楽科とザルツブルクのモーツァルティウム音楽院も卒業している。2010年にジュネーヴ国際コンクール・ピアノ部門で優勝に輝いている。


曲目は、前半がバッハ=グノーの「アヴェ・マリア」(萩原麻未独奏)、ストラヴィンスキーの「デュオ・コンチェルタンテ」、ラヴェルのヴァイオリンとピアノのためのソナタ第2番、後半がイザイのヴァイオリン・ソナタ第3番「バラード」(成田達輝独奏)、フランクのヴァイオリン・ソナタ。
無料プログラムの楽曲解説は、成田達輝と萩原麻未の二人が手掛けており、詳細な楽曲分析ではなく、その曲が生み出すイメージや作曲者のエピソードなどを記したものになている。


まずは萩原麻未の独奏による、バッハ=グノーの「アヴェ・マリア」。J・S・バッハの平均律クラーヴィア曲集第1巻前奏曲にグノーがメロディーを乗せたもの。元々は歌曲だが、ピアノソロ版で演奏される。
紫がかった青のドレスで登場した萩原麻未。まろやか且つ粒立ちの良い音でたおやかな音楽を奏でる。やはりピアノを弾くからにはこうした音で弾きたいと思う。私は才能不足だから無理だけれど。


ストラヴィンスキーの「デュオ・コンチェルタンテ」。作風を次々と変え、「カメレオン作曲家」とも呼ばれたストラヴィンスキーが書いたフレンチテイストの音楽。成田達輝のヴァイオリンは音に張りがあり、萩原麻未のピアノもフランス音楽にピッタリで、エスプリ・クルトワを感じさせる演奏となった。


ラヴェルのヴァイオリンとピアノのためのソナタ第2番。
演奏開始前に萩原麻未と成田達輝がマイクを持ってのスピーチを入れる。萩原麻未は、「京都の皆さん、こんにちは」と挨拶をし、成田達輝とのデュオは2013年から行っているのだが、京都で本格的なデュオリサイタルを行うのは初めてであることを告げる。
成田達輝は、ラヴェルのヴァイオリンとピアノのためのソナタ第2番は、成田がエリザベート国際コンクールの時に弾いた曲で、その模様を収めたYouTube映像を見た萩原麻未が「一緒にこの曲をやりたい」と言ってきたそうで、萩原の提案で実現した演奏であるということを説明する。

成田も萩原も巧みな演奏を聴かせる。萩原のピアノはとにかく指が良く回り、こうしたピアノをバックにヴァイオリンを演奏出来たら気持ちが良いだろなと、ヴァイオリンを弾いたことのない私でも思う。成田はピッチカートの表現などにも卓越したものがある。


後半。成田達輝の独奏によるイザイのヴァイオリン・ソナタ第3番「バラード」。超絶技巧が要求される曲だが、成田は難なく弾きこなしていく。演奏を終えた成田は客席からの喝采を浴びた。


フランクのヴァイオリン・ソナタ。萩原麻未は若緑色のドレスに着替えて登場。
ヴァイオリン・ソナタの中でも屈指の名作とされているフランクのヴァイオリン・ソナタだが、成田のヴァイオリンは艶がありスケールも大きく、萩原のピアノは硬軟強弱多彩で、とても洒落たフランク演奏となった。


カーテンコールでスタッフからお花を受け取った萩原と成田。萩原は「アンコール演奏をしてもいいですか?」とやはり控え目な発言をする。そしてお花をピアノの上に置いたのだが、演奏開始前にお花が床に落ちて、置き直すというアクシデントがあった。

アンコール1曲目は、マスネの「タイスの瞑想曲」。成田のヴァイオリンの歌い方は洒落ており、萩原のピアノも温かだ。

アンコール2曲目は、アメリカの作曲家であるクロールの「バンジョーとフィドル」。成田は「ジャズのような曲」と事前に語っていたが、軽やかな曲であった。

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