« 2017年11月 | トップページ | 2018年1月 »

2017年12月の19件の記事

2017年12月31日 (日)

観劇感想精選(226) 「この熱き私の激情 ―それは誰にも触れることができないほど激しく燃える あるいは、失われた七つの歌―」

2017年12月5日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて観劇

午後7時から、ロームシアター京都サウスホールで、「この熱き私の激情 -それは誰にも触れることができないほど激しく燃える あるいは、失われた七つの歌-」を観る。原作:ネリー・アルカン、翻案・演出:マリー・ブラッサール。翻訳:岩切正一郎。出演:松雪泰子、小島聖、初音映莉子、宮本裕子、芦那すみれ、奥野美和、霧矢大夢。音楽:アレクサンダー・マクスウィーン。



ネリー・アルカンは、1973年、カナダ・ケベック州生まれ。モントリオールの大学に通いながら生活のために高級娼婦のアルバイトをし、その経験を生かしたセクシャルな内容の小説『ピュタン -偽りのセックスにまみれながら真の愛を求め続けた彼女の告白-』を発表。ケベック州のみならずフランス文壇の寵児となるも、2009年に36歳の若さで首つり自殺している。
セクシャルな作風、若くして自殺という点で、サラ・ケインを彷彿とさせる人物である。


物語は6人の女優の詩的にして内省的なモノローグと歌、ダンサーの奥野美和によるダンスによって進められていく。

アクリルによって隔てられたオランダの飾り窓のような7つの部屋。この7という数字は、松雪泰子演じる影の部屋の女の独白により、7つの大罪と明白にリンクしたものであることがわかる。

暗闇の中で複数の女の声がする。父親と幼い娘の話だ。父親は娘に、「やがてお前にも安らぎがやってくるだろう」と告げる。娘、つまり幼き日の主人公は安らぎについて考えるのだが、成人して死を目前に控えた今では安らぎについての明白な答えなどどうでも良くなっていた。

最初の女(芦那すみれ)のモノローグ。「幻想の部屋」。7つの時から母親(この物語では一貫して母親の存在は希薄であるか、悪意を持ったものとして登場する)に勧められてフィギュアスケートをしていた女。だが、その演技は誰よりも稚拙であり、フィギュアスケートを勧めた母親に憎しみのような感情を抱く。やがて娼婦となった女は、「上空から見下ろした私」はクレーターや南極や北極の氷や高山の頂のようなものだと感じるようになり、周りのみなは皮膚の下の本当の自分を見ようとしないと嘆く。「自分は醜くはないが美しくもない」と感じている女だったが、こうも語る。「女は美によって革命からも守られているが、革命を起こすことは出来ない」
女は「年だけは取ってはいけない」と独りごちる。

「天空の部屋」の女(小島聖)が現れる。天空の部屋は公衆トイレの個室である。女は南極やクレバスの裂け目といった荒涼とした風景に至高の美を感じ、それらが人間が容易に立ち入れない場所にあることを嘆く。美は人々から遠く離れた場所か、望遠レンズの向こうにしか存在しない。
彼女の友人の父親は天体観測が好きだった。そして惑星が死んで爆発する瞬間の輝き(超新星=スーパーノヴァである)こそがこの世で最も美しいものだと考えていた。死と同居した美しさを語る友人の父親を、彼女は「詩人だ」と感じていた。

「血の部屋」。女(霧矢大夢)は、幼くして死んだ彼女の姉の幻影と共に生きていた。そして彼女は夢見る。美しく生きている姉の姿を(ダンサーの奥野美和が姉の幻影をアクロバットな身のこなしで演じる)。そして男が男の娘と結婚し、子供を産み、その娘達(つまり男の子供にして孫)が男を新たな関係を結ぶ「理想郷」を夢想する。

「神秘の部屋」。女(初音映莉子)は、「自分が男だったなら」と思っている。彼女が生まれたとき、母親は男の子が生まれることを希望していた。産婦人科の先生から「男の子だろう」と告げられ、セバスチャンという名前まで授かっていた。だから女は自分が生まれたとき、母親が怒りで自分を床へと叩きつけないようしっかりとその手を握っていた。
女は娼婦になった今でも「男のように愛せたら」と強く感じており、自分の中の男を意識している。女はもう一人の自分かも知れない男(やはり奥野美和が演じている)と部屋にいて、幼い頃、叔母がやってくれたタロット占いの結果を思い出すのだった。

「影の部屋」。女(松雪泰子)は、死後の世界に怯えていた。幼い頃、女は父親に問うた。「死んだらどうなるの? 私も塩の柱になってしまうの? 神様に試されるの?」。父親は、「優しい子でなければいけない。そして許しを乞うんだ」と答えた。
父親は、「ソドムの市と塩の柱」の話をするのが好きだった。燃えさかるソドムの市を振り返ったがために、ある女は神によって塩の柱にされてしまった。だが女はその後の塩の柱が気になっていた。父親は話してくれなかったことだ。ソドムの市と共に塩の柱も燃えてしまったのだろか? あるいは塩の柱はそのまま残り、朽ちるに任されたのか。
女は地獄を厭い、輪廻転生もまた恐れる。自殺した女の魂が転生したとして、また辛い生涯を過ごさねばならないのではないか。女はそうした夢想さえも嫌になり、首を吊る。

「蛇の部屋」。女(宮本裕子)は、10歳の時に過ちを犯した。同級生の男の子と性的行為に及んだのだ。それを父親に見られた。あれほど好きだった父親の関係がそれから変化してしまう。娼婦になった今、女は小学校時代の夢を見る。レンガ造りの校舎の中で、ピアノの発表を行うのだ。なんで自分が小学校にいるのかと疑問に思うが、とにかくピアノを弾こうとする。だが楽譜にはページがない。そこで女は「自分がピアニストになるのは無理なのだ」と小学生の時にすでに気づいていたことを思い返す。
女が小学生だった頃、絵を描いた。子供らしい可愛い絵だ。青い空が拡がる。だがその絵を見た父親は青い空の中に何匹もの黒蛇がいると語っていた。

「失われた部屋」。女(奥野美加)は、死を目前にしたこの時に、自分がとても美しくなっていることを感じた。観客までもが自らの想像の産物である映画館の中で、自分が主演女優を演じる映画が上演される。だが、やがて全ては崩壊し、孤独だけが残るのだった。


魂を乗せたような独特の歌によって、一人の女の孤独な姿が浮かび上がる。望み、愛し、感じ、燃え上がり、悩み、報われない。絶えず居場所のない女の魂の経歴が披瀝されていく。
強度且つ高度に芸術的な作品であり、見応えは十分であった。こうした芸術性の高い演劇は、日本では行おうと思ってもなかなか行えない。日本という国の土壌がこうしたものを生み出しにくいということもあるし、やろうと思っても観客がついてこない可能性が高い。

翻案と演出を手がけたマリー・ブラッサールは、実は日本では中谷美紀が主演した「猟銃」のカナダプロダクションで主役である三人の女を演じた人であるという。「猟銃」、「アンデルセン・プロジェクト」などと共にカナダ演劇のレベルの高さを思い知らされた上演であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月30日 (土)

コンサートの記(336) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 「第9シンフォニーの夕べ」2017

2017年12月29日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団「第9シンフォニーの夕べ」を聴く。指揮は大阪フィルハーモニー交響楽団ミュージック・アドヴァイザーの尾高忠明。

私が初めて第九の実演に接したのは1992年の12月、千葉市の亥鼻という場所にある千葉県文化会館においてだった。その時の指揮者が尾高忠明である。演奏は読売日本交響楽団。
それ以来、丁度、四半世紀ぶりとなる尾高指揮の第九である。

今日のコンサートマスターは、田野倉雅秋。独唱者は、森麻季(ソプラノ)、小川明子(アルト)、福井敬(テノール)、須藤慎吾(バリトン)。森麻季は裾を大きく引きずるグリーンのやたらと派手なドレスで登場。紅白の小林幸子みたいである。合唱は大阪フィルハーモニー合唱団。


尾高はノンタクトで指揮。テンポ設定はやや速めであるが、弦楽器がたまにノンビブラートの音を出す以外は完全なモダンスタイルによる演奏である。細部を丁寧に積み上げて全体を作り上げるという、尾高らしい堅固な構築が際立つ。

第1楽章は厳しい表情のまま展開され、やがて阿鼻叫喚の地獄絵図となる。ベートーヴェンの苦悩を前面に出した解釈だ。

第2楽章もアポロ芸術的な演奏となるが、ホルンのソロが絶不調。よちよち歩きが続き、結局1フレーズもまともに吹けないまま終わってしまった。思わず苦笑しそうになってしまう。

第3楽章も美しい演奏だったが、平均点は高いものの傑出した部分もないように思われる。大フィルの演奏は立体感が見事だった。

第4楽章。大阪フィルハーモニー合唱団は、やや粗めながら力強い合唱を披露する。女声独唱者は声の通りが今ひとつ。特に森麻季は声の美しさは確認出来たものの、フェスティバルホールのような大きな空間で歌うには声量が足りないように思われた。大フィルの演奏が力強く、音像が巨大だったということもあるのかも知れないが。

井上道義、尾高忠明という桐朋学園時代からの盟友が指揮する第九を2日連続で聴ける機会は、東京ならともかく関西ではそうないが、今年は味わうことが出来た。尾高指揮の第九の方が一般的なベートーヴェン像により近いように感じたが、共に個性的で面白い第九演奏だったように思う。また京響の煌びやかな音色と大フィルの渋い響きの対比が楽しめたのも大きい。


第九の演奏が終了し大フィルの楽団員が退場した後、照明が暗くなり、福島章恭の指揮の大阪フィルハーモニー合唱団による「蛍の光」が歌われる。福島章恭は緑に光るペンライトで指揮。大阪フィルハーモニー合唱団のメンバーも同様のペンライトを手に歌う。ステージの上に緑の明かりが蛍のように浮かび、印象的な合唱となった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月29日 (金)

コンサートの記(335) 井上道義指揮 京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」2017

2017年12月28日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」を聴く。指揮は元京都市交響楽団音楽監督兼常任指揮者の井上道義。
井上は今年の3月をもって大阪フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者を辞したばかりだが、年内に同じ関西の楽団の指揮台に登場するということになる。普通はしばらくは遠慮しそうなものだが、それをしないのがいかにも井上らしい。大フィルのシェフだと京響を振れないのが嫌だったのかも知れない。

オーケストラ・アンサンブル金沢の音楽監督からも離れることを発表した井上。「地方創生の役割は果たし終えた」というようなことを話していたが、案外、NHK交響楽団の正指揮者の話があったりするのかも知れない。N響の定期演奏会からはしばらく遠ざかっていた井上だが、久しぶりに客演するや大好評。更にN響と密接関係を持つ指揮者が登用されるNHK大河ドラマテーマ音楽の指揮も「篤姫」と「平清盛」で担っており、N響からの信頼の高さが窺える。


今日は、第九の前にショスタコーヴィチのジャズ組曲第1番が演奏される。バンド編成での演奏である。今日の井上は全編ノンタクトでの指揮。
井上が楽団の方を振り返った時に照明が入れ替わり、ピンクと紫を基調とした絞った明かりになる。笑い声が起こり、井上も客席を振り返って「どうでしょう?」という仕草を見せる。
まず、テナーサックスを吹く井上ハルカの顔がなかなか可愛く……、じゃなかった。まず、メリハリをきちんとつけたブラスセッションの音が輝かしく、井上も外連に富んだ指揮を見せる。第3曲フォックストロットで増井一友によるハワイアンギターの演奏が始まると、井上道義は客席の方を振り返ってムード歌謡でよくあるような振り付けで踊って笑いを誘っていた。

場面転換の間、井上道義がマイクを手にトークを行う。「第九の前にこの曲をやるとは、なんとも……、悪趣味とかいわないでね」と語りだし、ショスタコーヴィチへの思いを語る。1990年代に井上は京都市交響楽団の音楽監督兼常任指揮者を務めていたのだが、「(当時、京響が本拠地にしていた)京都会館が響かなかった。全然ダメだった」。しかし、ショスタコーヴィチの交響曲をやると「オーケストレーションが素晴らしいので」京都会館が鳴り響いたそうで、それからショスタコーヴィチの交響曲に真剣に取り組むようになり、やはり響きが悪いことで知られる日比谷公会堂で、サンクトペテルブルク交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、広島交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団、千葉県少年少女オーケストラを振り分けたショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏会を行うことになる。
「ショスタコーヴィチは、暗い曲も書いていますが、全て本音を書いています。よく誤解されますが、社会主義におもねったとか、そういうことはありません」と井上は断言した。


ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」。弦楽の配置は独特であり、舞台下手手前から時計回りに、第1ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、第2ヴァイオリンである。トランペットはヴィオラの後方に配される。
今日のコンサートマスターは客演の須山暢大(すやま・のぶひろ)。フォアシュピーラーに泉原隆志。

独唱者は、菅英三子(すが・えみこ。ソプラノ)、林美智子(メゾソプラノ)、笛田博明(ふえだ・ひろあき。テノール)、ジョン・ハオ(バス)。合唱は京響コーラス。

第4楽章に焦点を当てた演奏で、それまでの3つの楽章のスケールはおそらく意図的に小さく抑えられている。弦楽器などはピリオドを意識した音を出しているが、テンポ自体は速くはなく、中庸を行く演奏である。
京響は第2楽章の弦の音が洗練度不足のきらいがあり、今日はホルンにもミスがあったがそれ以外は堅調。
第4楽章では井上はテンポを大きく揺らす。なお、合唱が立ち上がるところでホール内の照明が増えるという演出があったが逆効果だったようにも思う。
合唱のラスト付近で井上は音を思いっきり伸ばす。一音一音を引き延ばすような歌わせ方であり、かなり個性的である。そのため、全編を通すと端正な演奏だったにも関わらず、「変な第九だったな」という印象が強くなった。とはいえ京響コーラスの出来も素晴らしく、第九の魅力を堪能できる演奏であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月25日 (月)

美術回廊(11) 京都市立芸術大学退任記念「西田眞人展 ー絵事循環ー」

2017年12月21日 堀川御池の京都市立芸術大学@KCUAにて

堀川御池にある京都市立芸術大学@KCUA(KYOTO CITY UNIVERSITY OF ART GALLERY)で、京都市立芸術大学退任記念「西田眞人展 ―絵事循環(えごとじゅんかん)―」を観る。地下鉄の駅でポスターを見かけたので観に行ってみた。

西田眞人は、昭和27年(1952)神戸市生まれ。京都市立芸術大学日本画科卒業後、青塔社に入塾、池田道夫に師事し、平成20年(2008)に京都市立大学芸術大学美術学部教授に就任。これまでに山種美術館賞展優秀賞、兵庫県芸術奨励賞、神戸市文化奨励賞、菅盾彦大賞展大賞、兵庫県文化賞、神戸市文化賞などを受賞している。

香港三題「彩」、「活」、「麗」や、神戸を題材にした「染まる街」では、赤の使い方に特徴を感じる。日本全国の神社・一の宮を題材に描かれた「一の宮」シリーズの中からは、「鹽竃(鹽竃神社)」、「白山さん(白山比咩神社)」が出展されているが、「白山さん」の山木の緻密な描写が見ものである。

2階での「英国の旅」と題されたシリーズの中に、「北の都」と題された作品がある。「英国で北の都といったらエジンバラかな?」と思ったが、後で画像検索したところ、やはりエジンバラであることがわかった。
「海潮音」というタイトルの海辺の映画館を描いた作品からは、人々の声が伝わってくるかのようであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月24日 (日)

コンサートの記(334) 夏川りみ&京フィル クリスマスコンサート2017岐阜羽島

2017年12月22日 岐阜県羽島市の不二羽島文化センタースカイホールにて

岐阜県羽島市へ。不二羽島文化センタースカイホールで行われる「夏川りみ&京フィル クリスマスコンサート」を聴くためである。京フィルこと京都フィルハーモニー室内合奏団のコンサートなので、京都市内でやって欲しかったのだが、夏川りみは長いこと京都市内での公演を行っていない。2年前に京都府城陽市では京フィルとコンサートを行っており、その後も京都府内では舞鶴市などでは公演を行っているのだが、京都市にはやはり来ないということで、羽島市まで出掛ける。「いつも通過する岐阜羽島とはどんな街なのか知りたい」という思いもあった。


不二羽島文化センターは、元の羽島市文化センター。1998年に開館し、昨年、羽島市に本社を置く不二商事がネーミングライツを獲得して現在の名前に改まっている。愛称使用期間は5年間の予定。


「夏川りみ&京フィル クリスマスコンサート」は、午後6時30分開演。ちなみにコンサートスタッフの大半はお爺ちゃんとお婆ちゃんで、「羽島市は大丈夫なのか?」と思うが、多分、大丈夫ではない。若者が少ないということは容易に想像できる。

今日はアンケート用紙にも記入したのだが、住所の欄に「 県」としか記入されていない。北海道から来る人は流石にいないかも知れないが、都や府からの来場者も想定されていないようだった。

指揮とMCを担当するのは井村誠貴(いむら・まさき)。後半では公募で集まった小中学生57名からなる児童合唱団と羽村市文化センター合唱団29名が共演する。

曲目は、まず井村指揮京フィルのみで、歌劇「カルメン」より前奏曲、パッヘルベルの「カノン」、ケーニッヒの「ポストホルン・ギャロップ」、マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲の4曲が演奏され、夏川りみの歌唱で「童神(わらびがみ)」、「島人(しまんちゅ)ぬ宝」、「さとうきび畑」(ショートバージョン)、「あしたの子守歌」の4曲。後半は、映画「風と共に去りぬ」よりタラのテーマが京フィルによって演奏された後で夏川が登場し、「芭蕉布」、「涙そうそう」、「安里屋ユンタ」が歌われた後で、京フィルと羽村市の合唱団によるクリスマスメロディーと「上を向いて歩こう」の演奏があり、最後は夏川と羽村市の合唱団、京フィルによる「見上げてごらん夜の星を」の共演となる。

指揮の井村誠貴であるが、今日もセカセカとしてテンポを取りがちで、オーケストラのみによる演奏では聴かせどころもあっさりと通過。これでは味わいが出ない。
キビキビとした指揮姿で、ジャンプなども繰り出すが、京フィルの編成を差し引いても、見た目から想像するほどには鳴っていない。京フィルとはオールディーズの新譜なども出している井村であるが、壁に当たっているという印象を受ける。

京フィルは、ケーニッヒの「ポストホルン・ギャロップ」では、女性ポストホルン奏者が、竹箒を使ったポストホルンを使用して、掃除のおばちゃんが舞台に闖入したかのような演出を行うなど、遊び心に満ちている。

夏川りみの調子はホールの音響もあってそれほど良くないようにも感じたが、やはり声が持つイメージ喚起力は抜群。声に映像が宿っているかのようであり、あたかも映画を観ているかのような楽しみ方も出来る。

「島人ぬ宝」では、夏川は「指笛なども出来る人はやって欲しい」とリクエストしたが、「出来たらでいいよ。ちなみに私も出来ないからさあ」と言っていた。当然ながら沖縄人なら誰もが指笛を吹けるというわけではないため、指笛の音がする縦笛やホイッスルが売られており、今日は井村が指笛ホイッスルを吹いていた。

「あしたの子守歌」は、宮沢和史の作詞・作曲。夏川によると「本当は作詞・作曲出来たらいいんだけど、私、出来ないからさあ。人に頼むしかなくて、誰がいいかなと思ったら宮沢和史さんが浮かんで、ダメ元で頼んだら『いいよ』ということで」書いて貰ったそうである。

「島人ぬ宝」と「涙そうそう」では、三線を弾いていた夏川だが、三線を弾き始めたのは「涙そうそう」がヒットした後だそうで、沖縄にいた頃は三線のことを「おじいおばあの弾くもの」だと思っていたが、「涙そうそう」に出てくる三線の旋律を自分で弾いてみたいと思い、そこから練習を始めたそうである。

「安里屋ユンタ」では、お馴染みとなった客席とのジョイントがある。「サーユイユイ」という合いの手と、「マタハリヌツンダラカヌシャマヨ」というサビは聴衆も一緒に歌い、サビの部分ではカチャーシをつけて聴衆も踊る。

「クリスマスメドレー」演奏前に、井村が児童合唱団の8歳の女の子に話を聞いたのだが、将来の夢に「ネイリスト」と今時の子供らしい答えをして客席の笑いを誘っていた。
その「クリスマスメドレー」であるが、臨時編成の児童合唱団ということで、クオリティの高さは望むべくもない。ただ元気が良いので微笑ましい。井村がもっと遅めのテンポを取っていたら子供達の美質がもっと生きたようにも思えたのだが。


アンコールは、喜納昌吉の「花」。夏川は1番をマイクなしのアカペラで歌唱。クラシックの歌手ほどの声量は当然ながらないが、情報量豊かな歌声によって聴き手の集中力を引きつけていく。ラストが転調するバージョンでの歌唱であり、ダイナミックで感動的な音空間が築き上げられる。やはり夏川りみは特別な才能を持った歌手だと実感せずにはいられない夜となった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

シベリウス 「クリスマス讃歌」より“権力も栄誉も求めず”

| | コメント (0) | トラックバック (0)

コンサートの記(333) 速海ちひろ&ヤンネ舘野 クリスマスコンサート2017京都

2017年12月16日 河原町五条下ルの日本聖公会京都ヨハネ教会にて

午後5時30分から、河原町五条下ルの日本聖公会京都聖ヨハネ教会で、速海(はやみ)ちひろとヤンネ舘野のクリスマスコンサートを聴く。

速海ちひろはハープ奏者、ソプラノ歌手。三重県伊勢市出身で、現在は京都市在住である。日本聖公会の大学である立教大学文学部仏文科卒業後、奨学金を得てイギリスとフランスに留学。ハープを声楽を専攻し、パリUFAM国際コンクールで1位を獲得している。

ヤンネ舘野は、現在は左手のピアニストとして活躍する舘野泉の息子である。フィンランド・ヘルシンキ生まれ。ヘルシンキ音楽院とシカゴ芸術音楽学院でヴァイオリンを学ぶ。シカゴ芸術音楽学院では森悠子に師事した。現在はヘルシンキのラ・テンペスタ室内管弦楽団のコンサートマスター兼音楽監督、山形交響楽団の第2ヴァイオリン奏者を務めており、長岡京室内アンサンブルのメンバーでもある。


曲目は、「きよしこの夜」、「柊飾ろう」(ウェールズ地方の古いキャロル)、「彷徨いながら不思議に思う」(アパラチアの古いキャロル)、「この幼子は誰?」(グリーンスリーブス)、「松明手に手に」(南フランスのキャロル)、「クリスマスキャロルメドレー」(もろびとこぞりて~ジングルベル~まきびとひつじを)、マスネの「タイスの瞑想曲」、シベリウスの「ノヴェレッテ」、バッハ=グノーの「アヴェ・マリア」、伝カッチーニ作曲(実作者はウラディーミル・ヴァヴィロフ)の「アヴェ・マリア」、武満徹の「死んだ男の残したものは」、シベリウスの「フィンランディア賛歌」(平和の歌。交響詩「フィンランディア」より)、シベリウスの「権力も栄誉も求めず」、オーベルチュアの「処女マリア」、J・S・バッハの「ラルゴ」(無伴奏パルティータより)、なかにしあかねの「愛されている」、久石譲の「Stand Alone」(NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」主題歌)、「アメイジング・グレイス」


ヤンネ舘野がシベリウスを弾くというので聴きに行ったコンサートで、速海ちひろのことはよく知らなかったのだが、顔というよりも雰囲気が女優の清水美沙に似ている。

谷川俊太郎作詞の「死んだ男の残したものは」を聴きながら、1990年代半ばに明治大学駿河台キャンパスのそばで、清水美沙(当時は清水美砂)や谷川俊太郎とすれ違ったことを思い出した。

速海のハープと歌声は温か。教会の演奏ということで音響が抜群というわけではないのだが、ヤンネ舘野のヴァイオリンもスケールが大きく、艶やかな音を奏でる。良いヴァイオリニストは、弦の表面を撫でるのではなく、芯の部分を確実にとらえていくような弾き方をする。

シベリウスの「ノヴェレッテ」は、清澄という言葉がぴったりくるような音楽である。

「死んだ男の残したものは」は、寺嶋陸也によって3年前にハープ弾き語りとヴァイオリン伴奏用に編曲されたものなのだが、これまで演奏する機会がなく、今日がこのバージョンに初演になるそうだ。ハープが不吉な和音を奏で、ヴァイオリンが不協和音を発する独自の編曲で、強く印象に残った。

シベリウスの「権力も栄誉も求めず」は、ヤンネ舘野によるとフィンランドではとてもポピュラーな曲なのだそうである。サカリ・トペリウスによるフィンランド語原詩による歌唱。速海は、フィンランド語原語での歌唱を当初はためらったそうだが、詩の内容が素晴らしいため、原語で歌うことにしたのだという。


アンコール演奏は3曲。まずは高橋晴美の「ありがとう」。2曲目がヴィヴァルディの「冬」より第2楽章、ラストは聴衆と共に「きよしこの夜」をもう一度歌った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月23日 (土)

観劇感想精選(225) タクフェス第5弾 「ひみつ」

2017年12月9日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後6時から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、タクフェス(TAKUMA FESTIVAL JAPAN)第5弾「ひみつ」を観る。作・演出・出演:宅間孝行。宅間孝行4年ぶりの新作である。出演は、宅間孝行の他に、戸田恵子、松本利夫(EXILE)、福田沙紀、武田航平、赤澤燈(あかざわ・ともる)、岡本あずさ、山崎静代(南海キャンディーズ)、東風万智子、越村友一、益田恵梨菜、松本純青(子役)、ベンガル。

冤罪がテーマとなっており、パンフレットには記されていないが、松本サリン事件が重要なモチーフになっている。そのことは、主人公である本橋家の人々が松本市出身であるということからもうかがわれる。参考にされた冤罪事件にはその他に、布川事件、恵庭OL殺人事件、志布志事件、袴田事件などが挙げられている。

舞台は群馬県館林市の郊外にある本橋家の別荘兼保養所。本橋家の長女である渚(戸田恵子)と長男のゴロー(宅間孝行)は、姉弟漫才師として売れっ子になっている。ネタを書いたり二人のマネージャーを務めているのは二人の弟である本橋八郎(松本利夫)である。

物語の主な舞台となっているのは、1992年だが、作品はその25年後、つまり今現在からスタートする。ゴローの息子の京太郎(宅間孝行。二役)は弁護士になっている。伯母の渚の余命がわずかとなっているため、京太郎は渚と渚の実の娘である山之内夢(福田沙紀)の再会を画策していた。夢は幼い頃に里子に出されており、その家が実家だと思い込んでいて、実の母親が渚であるということは今の今まで知らない。八平と元警官の碑文谷(越村友一)が夢を迎えに行ったのだが、夢が全く取り合わなかったそうで、仕方なく二人は夢を拉致して群馬県の別荘まで連れてくる。実の母親が別にいるということを夢は信じなかったが、チューリップの「青春の影」を夢が大好きなことを京太郎は言い当てる。「青春の影」は、渚が子守唄としてずっと歌っていた曲だった。京太郎が夢に、本橋家の出来事について語り始める。本橋家には人には決して言えない「ひみつ」があった……。

まずは京太郎が狂言回しとして話を進めていき、夢は解き明かされる真実に立ち会うために常に舞台上にいるという設定である。

ゴローは、京都出身で京都に深い思い入れのある元子(山崎静代)と結婚しており、その息子が京太郎だ(子役時代の京太郎はダブルキャストで、今日は松本純青君が演じている)。一方、姉の渚は48歳になる今日まで独身を貫いていたが、突然、結婚を発表する。相手はイタリアンレストラン見習いで元ホストのレイジ(武田航平)。いかにもジゴロといった雰囲気のレイジであるが、彼が後に問題を起こすことになる。渚のおなかの中には赤ちゃんがいた。夢である。

さて、夢が生まれたものの、レイジの素行の悪さが目立つ。浮気はしまくり。その上、渚の口座から多額の金を引き出すようになる。
ゴローの怒りを買うレイジだったが、少年院上がりのゴローにレイジは「蛙の子は蛙」と言う。実は本橋家の父親は神経ガスを作って6人を殺害したという容疑で、死刑の判決を受けていたのだ。だが、父親の所有物からは神経ガスを作ることは不可能であり、製造する技術も持ち合わせていない。渚もゴローも八平も「冤罪である」と確信していた。

そして事件が起こる。離れでレイジの遺体が発見されたのだ。容疑者として渚が浮上。渚が犯人でないことは明らかだったのだが、死刑囚の娘であるということから警察は渚以外の容疑者の捜査を早々に打ち切っており、なんとしてでも渚を犯人に仕立て上げようとしていたのだった。

起訴された場合、有罪になる可能性は極めて高いという事実がある(有罪率は実に99.9%)。警察も検察も威信を賭けて有罪に持って行くのである。
有罪への持って行き方については、『冲方丁のこち留 こちら渋谷警察署留置場』に詳しいので読まれたし。

渚は、冤罪の犠牲者になるという運命を受け入れ、娘の夢に自分たちのような「犯罪者の子供」という経験を味わわせたくないと、里子に出すことを決意する。


いつもながらの泣かせる作品であり、女性客の泣き声が響いていた。


終演後に、出演者が宅間孝行作詞・作曲の「泣かないで」に乗せて踊るのだが、拍手が鳴り止まず、結局、出演者は3回もアンコールに応えた。ちなみに、ソロダンスの場面があるのだが、1回目では子役の松本純青が華麗なブレークダンスを披露。ただ、子役は午後9時までしか舞台に出られないため、1回目のダンスが終わったところで退場した。2回目はダンスが本業のEXILE・松本利夫がソロを取り、客席が大いに沸く。3回目はベンガルがソロを取ったのだが、横綱土俵入りのようなダンスで、みんなずっこけていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月21日 (木)

「一杯のコーヒーから」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月20日 (水)

観劇感想精選(224) 「當る戌歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」夜の部

2017年12月17日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて観劇

午後4時から、ロームシアター京都メインホールで、「當る戌歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」夜の部を観る。
南座が耐震強化工事中のため、顔見世は昨年はキャパの狭い先斗町歌舞連場で行われたが、今年は南座よりも大きいロームシアター京都メインホールで行われることになった。ただし4階席は使用しておらず、2階席3階席バルコニーのハイチェアシート(通常よりも高い場所に椅子があり、足かけも下にあるのだが長時間座ると疲れる)も前に衝立状の壁を置くことで隠してある。

夜の部の演目は、「良弁杉由来(ろうべんすぎのゆらい)」、「俄獅子」、「人情噺文七元結(にんじょうばなしぶんしちもっとい)」、「大江山酒呑童子」
「人情噺文七元結」の途中で、八代目中村芝翫襲名口上がある。


「良弁杉由来」。通称の「二月堂」でも知られる演目。坂田藤十郎、中村鴈治郎の親子共演がある。東大寺の大僧正良弁(ろうべん。中村鴈治郎)と母親の渚の方(坂田藤十郎)の再会の物語。
良弁は幼い頃、大鷲に攫われ、東大寺の杉に落とされ、命を落とすところを師の僧正に助けられた。一方、滋賀の里に住んでいた良弁の母・渚の方は、息子がどうなったのかを知るために諸国を放浪、東大寺の大僧正が幼い頃に大鷲に攫われたという噂を聞き、「もしや我が子では?」と東大寺にやって来た。

藤十郎の細やかな心理表現が見物であるが、今日は3階席の最後部ということもあり、藤十郎の抑えた声が聞き取りにくかったりした。


「俄獅子」。中村時蔵が演じる芸者・お蝶と片岡孝太郎扮する芸者・お松のを中心とした俄舞である。中村芝翫と共に襲名した橋之助(国生改め)、福之助(宗生改め)、歌之助(宜生改め)の3兄弟が鳶頭3人を務める。
時蔵の舞は華やかで、孝太郎の舞は艶やかである。


「人情噺文七元結」。24年前に当時16歳の松たか子が初舞台を踏んだ演目でもある。今日は中村壱太郎(かずたろう)が演じたお久は女優が演じても問題ない役なのだそうである。番付によると、松たか子がお久を演じたのは、平成5年(1993)10月の歌舞伎座での公演である。主役の長兵衛を演じたのは中村勘九郎(のちの中村勘三郎)であった。記録によるとお久を演じた女優は波野久里子(波乃久里子)を始めとして、光本幸子、黒木悦子らがいる。

出演:中村芝翫、中村扇雀、中村亀鶴、中村壱太郎、中村魁春、中村梅玉、中村七之助、片岡仁左衛門ほか。

左官の棟梁である長兵衛(中村芝翫)は、腕は良いのだが酒と博打が大好きであるため常に金に困っている状態。今夜も博打で負けて身ぐるみ剥がれて本所達磨横町の家に帰ってきた。妻のお兼(中村扇雀)が長兵衛に娘のお久が出掛けたまま帰ってこないと告げる。長兵衛に愛想を尽かしたからではないかとお兼は考えていた。
そこに吉原の遊女屋・角海老の手代である藤助(中村亀鶴)がやって来て、お久が角海老にやって来ていると告げる。お久は自分が働いて金を拵え、長兵衛に心を入れ替えて貰いたいと思っていたのだった。
社会性は破綻しているが、鯔背なところのある長兵衛役は芝翫に良く合っている。中村扇雀はお兼はオーバーアクションで演じて客席から大いに笑いを引き出した。


「大江山酒呑童子」。中村勘九郎、七之助の兄弟共演がある。
丹波国大江山。鬼が出るといわれている場所である。この頃、都では大江山の鬼神が夜な夜な現れて女の肉を喰らうなどしていたため源頼光(中村七之助)は、「鬼を退治するように」との勅命を受けて、渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武の四天王と独武者として名高い平井左衛門保昌(中村橋之助)を連れて大江山にやって来た。
鬼は酒を好み、童の格好をしているため酒呑童子(中村勘九郎が演じる)と呼ばれている。頼光一行は、八幡神、住吉明神、熊野権現から賜った酒を持参しており、これで酒呑童子を酔わせて討ち取ろうと図っていた。

中村勘九郎の鮮やかな舞と茶目っ気のある演技が見物である。勘九郎の声が父親の勘三郎にどんどん似てきているのも面白い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月19日 (火)

コンサートの記(332) 秋山和慶指揮 京都市立芸術大学音楽学部・大学院音楽研究科第156回定期演奏会

2017年12月11日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、京都市立芸術大学音楽学部・大学院音楽研究科第156回定期演奏会を聴く。京都市立芸術大学音楽学部・大学院管弦楽団、京都市立芸術大学音楽学部・大学院合唱団の演奏。指揮は、京都市立芸術大学客員教授の秋山和慶。

曲目は、メンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」、シューベルトのミサ曲第2番、シベリウスの交響曲第2番。


秋山和慶指揮のシベリウスは、10月に日本センチュリー交響楽団の定期演奏会で交響曲第1番を聴く予定だったのだが、風邪のために参加出来なかったので、代わりに今日の演奏会を聴くことにしたのだ。


秋山和慶は、日本指揮者界の重鎮的存在である。桐朋学園大学で齋藤秀雄に指揮を学び、齋藤メソッドの第一人者ともいわれている。東京交響楽団音楽監督・常任指揮者を40年に渡って務め、レオポルド・ストコフスキーの後任としてアメリカ交響楽団音楽監督に就任。バンクーバー交響楽団音楽監督(現在は桂冠指揮者の称号を得ている)、シラキュース交響楽団音楽監督なども務めており、国際的なキャリアも十分である。この4月まで広島交響楽団の音楽監督を務めており、現在は同楽団の終身名誉指揮者。中部フィルハーモニー交響楽団の初代芸術監督・首席指揮者の座にもある。

京都市立芸術大学音楽学部・大学院管弦楽団であるが、日本の音楽教育の現状からいっても当然なのだがメンバーの大半が女性である。


メンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」。細部が雑然とした感じなのは学生オーケストラなので仕方ない。余りドイツ的な感じのしない演奏であるが、弦楽の波などは一定のレベルに達していたように思う。

場面転換の間に京都市立芸大教授の下野竜也が登場。繋ぎのトークを行う。ちなみに下野は秋山の後任として広島交響楽団の音楽総監督に就任しており、また下野が鹿児島大学教育学部卒業間近になって指揮者を志したときに、秋山が主演のような形で出演している齋藤メソッドのビデオを何度も見て自己鍛錬を繰り返し、間接的ながら齋藤メソッドの継承者に名を連ねているという経緯がある。
「不審者ではありません」と下野はトークをスタート。シューベルトのミサ曲第2番について、「ベネディクトゥスは、ベートーヴェンの「フィデリオ」の4つめの曲と瓜二つ」と語り、18歳のシューベルトがいかにベートーヴェンを尊敬し、参考にしていたかがわかると話す。またラストの「アニュス・デイ」を短調で書いていることを初めて知ったときには、「やるな!」と感嘆したそうである。
シベリウスの交響曲第2番については、「寒い時期に聴くシベリウスは格別。明日は寒波が押し寄せるようですが、今夜はシベリウス日和、日和じゃないか、シベリウス・ナイト」と語っていた。
「今日は私は当然ながら指揮はいたしません」と言って下野は帰って行った。


シューベルトのミサ曲第2番。下野の話にもあった通り、シューベルトが18歳の時に書いた曲である。ソプラノ独唱は講殿由紀奈(こうどの・ゆきな。大学院音楽研究科声楽専攻2回生)、テノール独唱は木下紀章(大学院音楽研究科声楽専攻1回生)、バス独唱は廣田雅亮(大学院研究科声楽専攻1回生)。
京都市立芸術大学音楽学部・大学院合唱団はなかなかのハイレベルである。ソプラノ独唱の講殿由紀奈は可憐な声をしているが、呼吸が浅いようで、そのためか歌声に説得力を欠くように感じられた。テノールと木下紀章とバスの廣田雅亮は声量がもう一つのようである。


シベリウスの交響曲第2番。弦の音が素晴らしい。シベリウスの神秘性やリリシズム、透明感を余すところなく描き出している。一方で、管はホルン(5人全員が女性である)が冒頭で躓いたり、他の楽器も音程を間違えないようにと意識しすぎたためか、最初のうちは硬さが目立ったが、徐々に調子を上げていく。
秋山の指揮はところによりドラマティックに過ぎる箇所があるように感じられたが、全般的には語り上手で耽美的なシベリウス演奏を展開する。
第4楽章では歓喜のメロディーと内省的なパッセージが交互に訪れるのだが、秋山の生み出す音楽はとにかく美しいので、内省的な部分も暗さや懊悩がほとんど感じられない。作曲者の意図に沿ったものかというと微妙だが、磨き抜かれた聴き応えのある演奏に仕上がっており、聴き応え十分であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月17日 (日)

観劇感想精選(223) 「24番地の桜の園」

2017年12月8日 大阪の森ノ宮ピロティホールにて

午後7時から、森ノ宮ピロティホールで、「24番地の桜の園」を観る。
24番地というのは、東京・渋谷にあるシアターコクーンの住所だそうで、演出を担当した串田和美による日本独自の「桜の園」を作り上げたいという心意気が込められているようだ。
 
原作:アントン・チェーホフ、演出・脚色・美術・出演:串田和美、翻訳・脚色:木内宏昌。出演:高橋克典、風間杜夫、八嶋智人、松井玲奈、美波、大堀こういち、池谷のぶえ、尾上寛之(おのうえ・ひろゆき)、北浦愛(きたうら・あゆ)、菅裕輔(すが・ゆうすけ)、新田祐里子、大森博史、久世星佳、小林聡美。楽士としての出演:太田惠資、大熊ワタル、関島種彦、アラン・パットン、飯塚直、ギデオン・ジュークス。

本来の「桜の園」ではクライマックスに近い、ロパーヒン(高橋克典)とレオニード(風間杜夫)が競売から戻ってくる場面から始まる。ただ競売の結果は知らされることなく、物語は桜の園の思い出へと移っていく。

百科事典にも載っているという桜の園。だが地主のリューバ(小林聡美)と兄のレオニードは没落しており、桜の園を手放さざるを得ない状態にある。農奴の階級から成り上がったロパーヒンは桜の園を貸して別荘地にすることを提案するが、リューバは承知しない。お金がない状態でありながらリューバは浪費癖を治すことが出来ず、レオニードの頭の中はビリヤードのことばかり。
リューバの娘であるアーニャ(松井玲奈)は、亡き弟の家庭教師であったペーチャ(八嶋智人)に気がある。ペーチャは高邁な理想を抱いており、「ロシアのインテリ達は何もしていない。労働こそが人間の歩みべき道だ」と説いているが、いい年をしてまだ大学生、それも卒業できる見込みもない万年大学生で当然ながら労働もしておらず、そのことをロパーヒンにからかわれている。

時代が変わっていく。貴族や大地主の時代が終わる。実力の時代が、ロパーヒンのように身分を己の腕で勝ち取るがやってくる。だが、リューバとレオニードも時代の波に乗ることが出来ない。その悲哀が惻々と伝わってくる。

チェーホフが書いた部分の他に、銀行の支配人(頭取)になったレオニードの、想像の中でのドタバタ劇が足されていたり、ピーシチク(串田和美)とピーシチクの夫人となる女性(池谷のぶえ)との恋愛劇(「熊」)が挿入されていたりと、様々な要素が散りばめられている。レオニードの三輪車に乗りながらのモノローグは、太宰治の「斜陽」からの引用のようである。また桜の園を追われる人々の姿にイスラム圏の難民の姿(もしくはカナンの地を追われたアシュケナージ)が重ね合わされている部分もある。

テレビではコミカルなおばちゃんというイメージの強い小林聡美だが、舞台では流石の演技力を発揮して魅力十分。リューバの可憐さを存分に描き出していた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月12日 (火)

コンサートの記(331) フィリップ・ジョルダン指揮ウィーン交響楽団来日公演2017名古屋

2017年11月28日 名古屋・金山の日本特殊陶業市民会館フォレストホールにて

午後6時45分から、名古屋・金山の日本特殊陶業市民会館フォレストホールで、フィリップ・ジョルダン指揮ウィーン交響楽団の来日演奏会を聴く。

日本特殊陶業市民会館は、JR金山駅(名鉄と名古屋市営地下鉄も乗り入れており、金山総合駅の総称もある)で降りて北へすぐの所にある。

日本特殊陶業市民会館フォレストホールは、以前の名古屋市民会館大ホール。ネーミングライツによる中京大学文化市民会館オーロラホールを経て現在の名称になっている。1972年竣工というもあって、翌年完成した渋谷のNHKホールに内装がよく似ている。
ということで音響が不安だったのだが、良く聞こえるホールであった。


ベートーヴェンの交響曲第5番とブラームスの交響曲第1番という王道プログラムでの演奏会である。


フィリップ・ジョルダンは、私と同じ1974年生まれの指揮者。父親は名指揮者として知られたアルミン・ジョルダンである。チューリッヒに生まれ、同地で学んだ後、歌劇場のコレペティートル(下稽古のピアニスト)から音楽キャリアをスタートさせるという、叩き上げの王道を経て、若き日のヘルベルト・フォン・カラヤンが君臨したことで知られるウルム市立歌劇場のカペルマイスターに就任。1998年から2001年まではベルリン国立歌劇場でダニエル・バレンボイムの助手を務めている。2001年にグラーツ歌劇場とグラーツ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者となり、2004年まで務める。2006年から2010年まではベルリン国立歌劇場の首席客演指揮者。現在はパリ・オペラ座の音楽監督とウィーン交響楽団の首席指揮者の座にある。2020年からはウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任することがすでに決まっている。

ウィーン交響楽団は、ウィーン・フィルハーモニーに次ぐ、ウィーンの第2オーケストラ的団体として知られている。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団はウィーン国立歌劇場管弦楽団のメンバーからなるオーケストラであり、定期演奏会の数が少ない。「もっと恒常的にオーケストラコンサートを聴きたい」というウィーン市民の声に応える形で結成されたのがウィーン交響楽団である。1900年創設。歴代のシェフには、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ヘルベルト・フォン・カラヤン、ウォルフガング・サヴァリッシュ、ヨーゼフ・クリップス、カルロ・マリア・ジュリーニ、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー、ウラディーミル・フェドセーエフ、ファビオ・ルイージというビッグネームが並ぶ。近年では最晩年のジョルジュ・プレートルとの名盤が評判を呼んだ。
一方で、「暴れ馬のようなオーケストラ」という評価もついて回っている。

ヴァイオリン両翼だが、弦楽の配置は下手から時計回りに、第1ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、第2ヴァイオリンで、一般的な古典配置のヴィオラとチェロを逆にしたスタイルである。コントラバスは舞台最後部に横一列に並ぶ。ティンパニは舞台下手奥に陣取る。

フィリップは全曲暗譜での指揮。いかにも才人といった風の身のこなしである。


ベートーヴェンの交響曲第5番。
冒頭の運命動機のフェルマータは自然な感じで伸ばす。ピリオド・アプローチを採用しており、弦楽器よりも管楽器において古楽風スタイルが顕著である。旋律のラストは伸ばさずにサッと引っ込む感じで刈り上げる。ティンパニが硬い音を出しているのも特徴。
ウィーン交響楽団は各楽器の音色が濃く、音の情報量が豊かである。
フィリップは、管楽器、特に金管、就中ホルンの浮かび上がらせ方が巧みであり、立体的な音響を生んでいる。
楽章間はほとんど開けず、4楽章を通して1曲という解釈による演奏。ベーレンライター版の譜面をかなり忠実に再現しており、第4楽章の掛け合いでは、通常の「タッター、ジャジャジャジャン、タッター、ジャジャジャジャン」ではなく「タッター、タッター、タッター、タッター」と同音反復を採用。ピッコロの活躍も目立っていた。
フィリップが手を差し伸べた楽器群が光度を増す様は、あたかも手品を見ているかのようである。
一方で、細部は結構粗めで、ウィーン交響楽団の個性が出ている。


ブラームスの交響曲第1番。冒頭は情熱を抑えて、悲哀を強調した解釈。音もブルートーンである。この曲は、ベートーヴェンの運命動機と同じ「ジャジャジャジャン」という音型が何度も出てくるのだが、フィリップはそれを強調することはなかった。ウィーン交響楽団の音の密度はベートーヴェンの時よりも更に濃い。
ウエットな音がラストに向けて輝きを増していくという演奏であり、第4楽章は晴れがましくも輝かしい名演となる。


アンコールとして、まずブラームスの「ハンガリー舞曲」第5番が演奏される。ウィーン的な情趣とハンガリーの民族音楽的味わいが上手くミックスされた演奏である。

フィリップが、「ウィーンからのご挨拶(Greeting from Wien)」と言って、ヨハン・シュトラウス2世の「トリッチ・トラッチ・ポルカ」が演奏され、更に「雷鳴と電光」も続く。両曲とも日本のオーケストラが演奏する機会も多い曲だが、本場・ウィーンの演奏であるだけに、音の切れも輝きも密度も段違いの出来である。ウィーン交響楽団のメンバー全員がオーストリア人というわけではないはずだが、やはり子供の時からウィンナワルツに触れ、誇りとしてきた楽団員が多いだけに、他国のオーケストラの追随を許さないだけのレベルに達することが可能なのだろう。
なお、シンバルと大太鼓は、本編ではティンパニを叩いていた奏者が一人で演奏。かなり楽しそうであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月11日 (月)

コンサートの記(330) 宮川彬良指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2017「魔法のオーケストラ」第3回“歌うメロディ”

2017年11月12日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2017 「魔法のオーケストラ」第3回“歌うメロディ”を聴く。今日の指揮者は作曲家でもある宮川彬良。宮川は、ピアノ、ピアニカ(鍵盤ハーモニカ)、アコーディオンも演奏する。ナビゲーターはガレッジセールの二人。

曲目は、シャーマン兄弟のシンフォニック!「メリー・ポピンズ」、ロジャースの「シャル・ウィ・ダンス?」、ミシェル・ルグランの「シェルブールの雨傘」、ヘンリー・マンシーニの「ハタリ!」より“仔象の行進”、いずみたく作曲の「見上げてごらん夜の星を」、モーツァルト作曲・宮川彬良編曲の「アイネ・クライネ・タンゴ・ムジーク」、ベートーヴェン作曲・宮川彬良編曲のソナタ№14「月光」、宮川彬良が編んだ「オーケストラの為のソドレミ・メドレー」(初演)、チャーチル作曲のファンタジック!「白雪姫」
今日はポップスオーケストラのようなプログラムである。

今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。第2ヴァイオリン首席は今日も客演で、ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団コンサートミストレスの赤松由夏が務める。


宮川彬良は、スカーレットのベストで登場。手首から先を動かす振り幅の小さい指揮である。たまにおどけた仕草を見せる。
お姉口調で有名な宮川だが、「メリー・ポピンズ」を演奏し終えてから1階席の方に向き直り、マイクを手にして意図的にねっとりとした口調で「みなすぁまぁ」と言って笑いを取る。

ナビゲーターのガレッジセールが登場。川田が「表情がユニークですね!」と言う。ゴリが「僕らモニターで見てたんですけど、楽しくて早く(ステージに)出たくなった」と続ける。
ガレッジセールの二人がポディウム席(今日は自由席)の人たちに「面白い顔見た人」と聞き、大勢が手を挙げた。
宮川は、「今日は、ガレッジセールのお二人に、作曲が出来るようになったかのような体験をしていただきます。更にヒット曲の作り方などもお教えします」と言う。ガレッジセールの二人は「夢の印税生活」と嬉しそうに顔を見合わせるも宮川は「そう上手くはいかないんですけどね」

開演8分ほど前に、京響ステージマネージャーの日高さんが、指揮台の横にフリップを仕込むのを見たのだが、ここでフリップを使う。フリップには「半音の誘惑」と書かれている。半音には誘惑の要素があるということで、宮川がピアノでウエーバーの「舞踏への勧誘」を弾きながら「誘惑、誘惑」と歌いつつ顔芸をする。ゴリが「宮川さん、顔面白すぎ。宮川さん見ちゃう」と言う。
半音を誘惑に使った例として、宮川はフルートにベートーヴェンの「エリーゼのために」を演奏して貰い、続いてトランペットに山口百恵の「ひと夏の経験」を吹いて貰う。そして「人間だけじゃないのよ」ということで、「JAWS」のテーマも演奏させた。

「シャル・ウィ・ダンス?」は、「舞踏への勧誘」、ジャズナンバーの「レッツ・ダンス」、「マイ・フェア・レディー」より「踊り明かそう」を加えた編曲である。

「シェルブールの雨傘」。分散和音をなぞる形でメロディーが紡がれている作品である。分散和音で作られた曲は売れるのが長い、つまりロングセラーになりやすいと宮川は解説する。宮川は「分散和音がキャッチー」と書かれたフリップを四方の客席に見せて回り、がレッジセールの二人から口々に、「もう芸人に見えてきた」、「R-1に出てそう」と言われる。
演奏終了後、ゴリは「シェルブールの雨傘」の感動のラストシーンのことを語り、宮川と二人で夢中になる。
「仔象の行進」。宮川はピアノを弾きながら、意図的に間違えたような音を奏でることでショックを与えるという解説を行った後で、既成の楽器では理想とする音が出ないので、コカコーラの瓶を吹いて音を出したというパートのある曲だと紹介。今日は、特別にコカコーラの瓶を吹いて活躍するザ・ボトラーズに来て貰ったと宮川が説明する。
ザ・ボトラーズの二人が登場。男女のコンビで、男の方はサングラスを、女の方はドミノマスクをつけている。ゴリが「トランペットの早坂さんと稲垣さんのお二人じゃないですよね?」と聞き、宮川は「の、ようなものです」と答える。瓶にはコーラが入っていて、量でチューニングをするようである。女性の方がチューニングを始める時に宮川は「じゃ、稲垣さん、あ、ザ・ボトラーズ……」と言って、ゴリに「稲垣さんって言っちゃったじゃない」と突っ込まれていた。
演奏であるが、コーラのボトルを何本も使うため、かなり忙しそうである。

「見上げてごらん空の星を」。宮川とゴリが指揮台の上に座ってだべるような形で解説。宮川は「距離と角度」と書かれたフリップを出して、「見上げてごらん」のメロディーが飛躍するということを話す。
「見上げてごらん夜の星を」であるが、ジョン・ウィリアムズの「E.T.」や、「ピノキオ」の「星に願いを」のメロディーを加えたファンタジックなものになっていた。


後半。宮川はベストを青色のものに変えて登場する。
「アイネ・クライネ・タンゴ・ムジーク」。モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」にタンゴの要素を加えて編曲したものである。いうほどタンゴタンゴしてはいない。

ソナタ№14「月光」。分散和音が続く曲として宮川が紹介する。宮川がピアノ独奏を行い、それを管弦楽が彩っていくというバージョン。宮川はこの編曲ではそれほど自分の色を出していない。

「オーケストラの為のソドレミ・メドレー」。書き上げたばかりの曲で今日が初演である。クラシックに限らず、ヒットした曲は「ソドレミ」で始まる曲が多い、ということで、「高校三年生」や「蠍座の女」を宮川は例としてピアノで弾いた。
演奏されるのは全部で27曲。「千の風になって」「この道」「五木の子守唄」「ピクニック」「白鳥の湖」「ユー・アー・マイ・サンシャイン」「モルダウ」「ドナドナ」「峠の我が家」「山の音楽家」「ツィゴイネルワイゼン」「メリー・ウィドウ」「ハバネラ」「七夕さま」「しゃぼん玉」「赤とんぼ」「浦島太郎」「ドラゴンクエスト」「サザエさん」「日立の樹」「松竹梅」「哀しみのソレアード」「さようならみなさま」「地上の星」「世界に一つだけの花」「もみの木」「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」
京響ファゴット奏者の村中宏がフリップめくり係をユーモラスに務めた。
宮川は、「私の父親も作曲家だったのですが(「宇宙戦艦ヤマト」などでお馴染みの宮川泰)、口癖でよく「メロディーがもうなくなった」と言っておりました。ただ私はソドレミでこれだけ多様な表現が出来るのだから、そうではないんじゃないか」と作曲の可能性について言及する。ピアノを弾きながら、「音はただの音でしょう。こっちもただの音でしょう。でも音と音とを繋ぐとメロディーになる。繋ぐのは、それは愛でしょう?」

ラストのファンタジック!「白雪姫」。愛らしい演奏となった。

京響は透明感溢れる音を生かした好演を展開。音の通りが良く、チャーミングな表情を生み出している。

ゴリが、「今日のこれで、宮川さんに憧れて作曲家になりたい!と思う人が出てくるかも知れませんね」と言うが、宮川は、「責任は持てません」と答えていた。


アンコールとして宮川彬良の作品が2曲、「風のオリヴァストロ」と朝の連続テレビ小説「ひよっこ」より“がんばっぺ みね子”が演奏される。いずれもメロディアスで美しい曲であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月 9日 (土)

コンサートの記(329) 下野竜也指揮京都市交響楽団第618回定期演奏会

2017年11月26日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第618回定期演奏会を聴く。この公演をもって「京都の秋音楽祭」2017は終了する。今日の指揮は京都市交響楽団常任首席客演指揮者の下野竜也。

曲目は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」(ピアノ独奏:アンナ・フェドロヴァ)とジョン・アダムズの「ハルモニーレーレ」

京都市交響楽団のTwitterの載せられた映像で、「チケットが売れていません。買って下さい」と語っていた下野は、プレトークでもまずそのことに触れ、「空席が目立ちますが、空席以外は満席ということで」と吉本芸人のようなことを言う。ただ今日は当日券売り場に長蛇の列が出来ていたため、開演前にはなかなかの入りとなった。定期演奏会は昨日もあったため、あるいは評判を聞いて駆けつけた人がいたのかも知れない。
下野はプレトークでは調性について語り、調性が持つ色彩感についても述べていた。「ピアノを弾こうかと思ったのですが、上手く弾けないので」とピアノを弾きながらの解説を行うことはなかった(下野は音楽一家に育ったわけでもなく、子供の頃からピアノを習うということもなかったため、他の指揮者のようにピアノが抜群というわけではない)。
ジョン・アダムズの作品については、「100年後にはベートーヴェンの「皇帝」のようなお馴染みの作品になっているかも知れない」と語り、初演ではないが初演に立ち会うような、同時性を感じられる面白さについても述べていた。


今日のコンサートマスターは客演の西江辰郎、フォアシュピーラーは泉原隆志。第2ヴァイオリン首席は今日も客演で、直江智沙子が入る。管楽器は、オーボエの髙山郁子とクラリネットの小谷口直子が全編に出演。他のパートの首席は「ハルモニーレーレ」のみの出演である。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」。
ピアノ独奏のアンナ・フェドロヴァはウクライナ出身の若手ピアニスト。キエフ音楽院、イタリアのイモラ国際アカデミー、ロンドンの王立音楽院に学び、2009年のルービンシュタイン記念国際ピアノコンクールで優勝。その他のコンクールでも優勝や入賞歴があるという。

フェドロヴァのピアノは、音の粒立ちが良く、透明感がある。メカニックは高度なのだが、バリバリ弾くというよりも適切なタイミングで適切な鍵盤の上に指を置いていくというスタイルであり、押しつけがましさのないしなやかな演奏を展開する。

下野指揮の京都市交響楽団は、下野の体型とは正反対の(?)引き締まったフォルムで、バネのある力強い伴奏を行った。ティンパニが硬めの音を出していたが、それ以外は完全にモダンスタイルの演奏である。

アンコールとしてフェドロヴァはショパンの「子犬のワルツ」を演奏。涼しげな演奏であった。


後半、ジョン・アダムズの「ハルモニーレーレ」。
ジョン・アダムズは、1947年生まれのアメリカの作曲家。ハーバード大学音楽学部で作曲を学び、大学卒業後はサンフランシスコに移住し、同地の音楽院で作曲などを教えながら作曲と指揮活動を行っている。反復を特徴とするポスト・ミニマルの代表的な作曲家であり、「中国のニクソン」や「ドクター・アトミック」など社会的な題材によるオペラの作曲家としても知られている。管弦楽曲作品としては、「ショート・ライド・イン・ア・ファースト・マシーン」が比較的有名である。 
「ハルモニーレーレ」は、1984年から1985年に掛けて書かれた作品で、下野のプレトークによると、「約20年前に、約ですよ(正確には1986年)。に、サントリーホールで、ケント・ナガノ指揮の新日本フィルハーモニー交響楽団によって」日本初演が行われ、その後、日本では演奏される機会がなかったのだが、2年前に下野が東京で同曲を取り上げ、この京都での演奏が日本で3度目の上演になるという。

3つのパートからなる曲で、パート1はタイトルなし、パート2のタイトルは「アンフォルタスの傷」、パート3が「マイスター・エックハルトとクエッキー」である。
大編成での演奏であり、ステージ上にオーケストラ奏者が所狭しと並ぶ。ティンパニ以外の打楽器奏者は複数の楽器を掛け持ちするため打楽器の数も多く、テューバは珍しく2管編成。ピアノにチェレスタという鍵盤楽器も加わる。

ミニマル・ミュージックということで、同じパートの繰り返しが音の波が押し寄せる様に聞こえたり、心地のよいリズム感を生んだりする。
パート1ではジョン・ウィリアムズの映画音楽のように聞こえる部分があったり、パート2はホルストの組曲「惑星」の「天王星」を連想する曲想だったりと、宇宙的な拡がりを感じさせる作品である。
パート3「マイスター・エックハルトとクエッキー」は、強烈なリズムの反復によってスケールがどんどん拡がっていき、熱狂のうちに「皇帝」と同じ変ホ長調で曲は閉じられる。

楽しい現代音楽であり、演奏終了後、客席は大いに沸いた。


終演後のレセプションに参加し、下野とフェドロヴァの挨拶を聞いて帰る。下野は「ハルモニーレーレ」について、「初めて聴いた時は大きなプラネタリウムの中にいるような感じがした」と述べ、「来年のプログラムが近く発表になると思いますが、来年も『下野の奴、またこんな曲取り上げやがって』と言われるような曲をやることを予告しておきます」と語った。
フェドロヴァは下野のことを、「ファンタスティック・マエストロ」と呼び、「大きなオーケストラとやったけれど、まるで室内楽の演奏をしているかのようだった」と感想を述べ、また京都コンサートホールの音響を素晴らしいと評していた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月 6日 (水)

コンサートの記(328) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第513回定期演奏会 モーツァルト 後期三大交響曲

2017年11月22日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、フェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第513回定期演奏会を聴く。指揮者は、大阪フィルハーモニー交響楽団ミュージック・アドヴァイザーの尾高忠明。尾高は来年4月から大阪フィルの第3代音楽監督に就任予定であり、ミュージック・アドヴァイザーという肩書きでは最初で最後の定期演奏会登場となる。

1947年、神奈川県鎌倉市に生まれた尾高忠明。実父は指揮者で作曲家の尾高尚忠(ひさただ)、実兄は作曲家の尾高惇忠(あつただ)という音楽一家の出身である。
桐朋学園大学で指揮を齋藤秀雄に師事。学生時代は盟友の井上道義と共に「悪ガキ・イノチュウ」と呼ばれるほどやんちゃだった(今は尾高はジェントルな感じだが、井上は相変わらずの悪ガキぶりである)。
長く東京フィルハーモニー交響楽団の常任指揮者を務め、BBCウェールズ交響楽団首席指揮者時代にはレコーディングでも高い評価を得る。読売日本交響楽団常任指揮者、紀尾井シンフォニエッタ東京首席指揮者、札幌交響楽団常任指揮者を歴任。現在では日本におけるシベリウス演奏の泰斗として知られ、札幌交響楽団との「シベリウス交響曲全集」やサントリーホールでの3年越しの「シベリウス交響曲チクルス」は絶賛されている。

大阪フィルハーモニー交響楽団の来年度のプログラムが今日発表になったが、目玉は尾高指揮のベートーヴェン交響曲全曲演奏会である。5月から12月にかけて、作曲された順に5度のべ6回の演奏会が予定されている。その分、尾高の定期登場は2度に限られ、1年を通して他の古典派のプログラムは控えめである。海外の指揮者のビッグネームはレナード・スラットキンのみ。その他の外国人指揮者の顔ぶれは若手ばかりで、あたかも大阪交響楽団の定期のようになっている。NHK交響楽団を指揮した京都での演奏会で好演を聴かせたパスカル・ロフェが登場する10月の定期演奏会が意外に聞き物かも知れない。


曲目は、モーツァルトの後期三大交響曲(交響曲第39番、第40番、第41番「ジュピター」)の一挙上演という意欲的なものである。

今日のコンサートマスターは崔文洙。古典の演奏であるが、今日もいつも通ドイツ式の現代配置での演奏。「ジュピター」では編成も大きめであった。

尾高は全曲ノンタクトで指揮する。たまにピリオドの影響が聞こえる部分もあるが、基本的にはモダンスタイルによる演奏を行う。


交響曲第39番。この曲の演奏は、20年ほど前にNHKホールで聴いた、アンドレ・プレヴィン指揮NHK交響楽団のまろやかな音による演奏が今も印象に強く残っているが、尾高の指揮する39番はシャープで現代的である。速度はやや速め。第3楽章では明るい響きの中にクラリネットの孤独で不安に満ちた旋律を浮かび上がらせるなど、モーツァルトの陰を見事に炙り出す。


交響曲第40番。クラリネットを入れた第2版での演奏である。速度は速めで、第2楽章以降はかなり速くなる。硬質な音による大ト短調で、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団の同曲演奏に少しだけ似ている。
尾高は各楽章のラストに重きを置いているようで、演奏は終結部から逆算されているようにも思う。


交響曲第41番「ジュピター」。輝かしい出来となった。大フィルの弦には張りと透明感があり、管は瑞々しい音で鳴る。弦が主役の部分でも尾高は管を強く吹かせることで立体感を生んでいた。以前は大フィルの弱点であったホルンも今はかなり改善され、全ての楽器が高いレベルで統合された好演に仕上がっていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月 5日 (火)

KAC pafoming Arts Program 2017/contemporary Dance 共同制作「RE/PLAY Dance Edit」

2017年11月25日 京都芸術センター講堂にて

午後7時から、京都芸術センター講堂で、KAC Pafoming Arts Program 2017/contemporary Dance 共同制作「RE/PLAY Dance Edit」というダンス公演を観る。演出:多田淳之介。出演:きたまり、今村達紀、Sheriden Newman、Narim Nam、Chanborey Soy、Aokid、斉藤綾子、吉田燦。


日本、シンガポール、カンボジアのダンサーによるコラボレーション。まずダンサー達が登場し、横一列になった後で、一人ずつ歩み出てポージングを取るところからスタートする。基本的にダンサー達は倒れてはまた起き上がって舞うを繰り返す。

最初の音楽は、「We are the World」。これが2回繰り返された後に、ビートルズの「オブラディ・オブラダ」が流れるのだが、これが何度も繰り返される。ダンサー達の動きも、多少の異動はあるが基本的に同じことを繰り返しているようである。音楽でいえばラヴェルの「ボレロ」やミニマルミュージックの例が挙げられるが(お笑いでは西川のりおが意識しているのかどうかはわからないがミニマルの手法を取り入れている)繰り返しは案外癖になる面白さを持つものである。カラフルな衣装を着た若者達の佇まいが思いのほか様になっている。

「オブラディ・オブラダ」が終わった後で、ダンサー達が日本語や英語で会話を始める。「Re/PLAY Dance Edit」の京都公演が終わった後の楽屋での会話という設定である。彼らによると、京都は「アカデミックでインテリジェンスな場所」だそうで客席から笑いが起こっていた。「(木屋町の)アバンギルドはシンガポールにもカンボジアにもない」や「京都に、京都芸術センターがあってよかった(元ネタは「日本に、京都があってよかった」)といった京都ネタが展開される。

「We are the World」も「オブラディ・オブラダ」も音楽に乗ったダンスではなかったが、私は「コンテンポラリーダンスは音楽から独立すべき」と考えているので、むしろ望ましい。

その後、「今夜はブギーバック」(小沢健二&スチャダラパーのものではなく、女声によるカバー)、「ラストダンスは私に」(これも越路吹雪のバージョンではない)、Perfumeの「GLITTER」が流れる。「GLITTER」は3回繰り返される。この3曲では一転して音楽に良く合ったダンスが繰り広げられた。

「GLITTER」では、8ビート、4分の4拍子、裏打ちによる2拍、表打ちの2拍のいずれかでダンサーが踊っていたが、せっかくPerfume=中田ヤスタカの楽曲を使っているのだから、8分の3拍子、8分の5拍子、8分の6拍子などを使ったポリリズムのダンスに挑戦してくれればもっと良かったように思う。

歌詞とダンスに特に相関性はないと思われるが、ラストシーン(ダンサー達は全員倒れたまま)には「ラストダンスは私に」がもう一度流れた。

一言でいうと、「ポップ」なダンス公演であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月 4日 (月)

コンサートの記(327) アンサンブル九条山コンサート Vol.4 酒井健治個展「Borders」

2017年11月24日 京都府立府民ホールALTIにて

午後7時から、京都府立府民ホールALTI(アルティ)で、アンサンブル九条山(くじょうやま)コンサート Vol.4 酒井健治個展「Borders」を聴く。若手作曲家、酒井健治の個展演奏会。

酒井健治は、1977年、大阪府池田市生まれ。兵庫県で育ち、京都市立芸術大学作曲科卒業後に渡欧。パリ国立高等音楽院、ジュネーヴ音楽院に学び、いずれも最優秀の成績で卒業。Ircam(フランス国立音響音楽研究所)で研究員を務め、2012年には、マドリッド・フランスアカデミー芸術部門の会員に選出されている。2009年に武満徹作曲賞第1位を獲得。2012年にはエリザベート王妃国際音楽コンクール作曲部門でグランプリに輝き、2013年には芥川音楽賞も受賞している。現在はパリ在住。これまで弟子などは取らず、作曲家一本で仕事をしてきたが、来年4月より、母校である京都市立芸大の教員になる予定であるという。


演奏を行うアンサンブル九条山は、ヴィラ九条山のレジデントであったヴァレリオ・サニカンドロによって設立された現代音楽アンサンブル。メンバーには、長岡京室内アンサンブルの石上真由子(いしがみ・まゆこ。ヴァイオリン)、いずみシンフォニエッタ大阪のメンバーでもある上田希(クラリネット&バスクラリネット)、ロームシアター京都ノースホールでソロリサイタルを行った畑中明香(はたなか・あすか。パーカッション)らがいる。


曲目は、「カスム」(ヴァイオリンとピアノのための)、「リフレクティング・スペース-鐘、雲と幽体離脱-ピアノのための」、「私は他人である Ⅰ」(ソプラノのための)、「私は他人である      Ⅱ」(ソプラノとピアノのための)、「オスモシス Ⅱ」(5人の音楽家によるアンサンブルのための)、「モノポリフォニー/デフィギュラシオン」(独奏チェロのための)、「ボーダーズ」(ソプラノと5人の音楽家のための。Music      From Japanとの共同委嘱。日本初演)


「カスム」は、成田達輝からの「オーロラを題材にした作品を」という依頼によって書かれたものだそうで、「カスム」というのは英語だと「亀裂」を意味するものだが、古代ローマでは「オーロラ」を指した言葉だったという。石上真由子のヴァイオリンと森本ゆりのピアノによる演奏。英語の意味である「亀裂」と取ったほうが把握しやすい作品である。演奏は相当な技術が要求されるであろうことが見て取れる。

演奏終了後に作曲者である酒井健治がステージに上がって、マイクを片手にスピーチ。顔がというわけではないのだが、雰囲気がどことなく堺雅人を連想させるものがある。喋りは余り得意ではないように見受けられた。


「リフレクティング・スペース-鐘、雲と幽体離脱-ピアノのための」。森本ゆりによるピアノ独奏。低音を強く叩いた後でダンパーペダルを踏み続け、残響を残したままで高音を紡いだり、低い音の雲を空間に漂わせたりする。


「私は個人である」ⅠとⅢ。ソプラノ独唱は太田真紀。Ⅰは、声を打楽器的に扱った作品で、細切れの声の合間にタンギング、更に指を鳴らしたりと、ボディパーカッションの要素が散りばめられている。後半に、太田真紀がトークゲストとして登場し、酒井と語った内容によると、ソプラノパートなのに譜面が二段になっているという。初演時は三段になっていたそうで、ボディパーカッションが二段目や三段目に書かれているそうだ。
森本ゆりのピアノ伴奏によるⅢはⅠよりはメロディアスな楽曲である。ちなみに「私は他人である」という言葉はアルテュール・ランボーの詩の一節から取られているそうだが、ボーダーズもランボーの「永遠」という詩の内容を音楽にした部分があるそうで、ランボーにはかなり影響を受けているようである。
「オスモシス Ⅱ」。石川星太郎が指揮を務め、石上真由子、福富祥子(ふくとみ・しょうこ。チェロ)、上田希、若林かをり(フルート&ピッコロ)、森本ゆりが演奏を行う。
石川星太郞は、1985年生まれの若手指揮者。東京藝術大学指揮科とロベルト・シューマン音楽大学指揮科に学び、昨年行われた第1回フェリックス・メンデルスゾーン国際指揮者コンクールで2位を獲得している。
やはりフランスで学んだ作曲家であるということが感じられる作品である。ドビュッシーやラヴェル、メシアン、ブーレーズなどの響きをこの作品の中に見いだすことが出来る。


チェロ独奏のための「モノポリフォニー/デフィギュラシオン」。福富祥子のチェロ。
この曲も、見るからに聴くからに難しそうな曲である。難度はSであろう。バッハの無伴奏チェロ組曲第5番より「サラバンド」を換骨奪胎した作品だそうだが、現代色が強いため、バッハ風という感じではない。


日本初演となる「ボーダーズ」。コンサートのタイトルにもなっている曲である。世界初演は今年の2月にニューヨークで行われたという。
この曲も石川星太郎が指揮。尺八独奏として田嶋謙一が客演し、石上真由子、福富祥子、上田希、畑中明香とのアンサンブルで演奏。太田真紀がソプラノ独唱を受け持つ。
邦楽器と西洋楽器の境界や、ノイズと音楽の境界などを描いた作品である。
演奏前に行われたトークによると、京都市立芸大時代の酒井は邦楽関係の授業は一切取っておらず、邦楽器を格下と見なしていて西洋音楽のエクリチュールばかり研究していたそうだが、海外に行ってから日本の伝統音楽の良さにも気づいたそうで、Music From Japan Festivalからの委嘱を受けたときに、尺八を用いることを思いついたそうである。

尺八は構造が西洋の楽器に比べると単純であるため(そのため熟練するのが難しい)、音がより自然に近いように思える。自然と芸術の対比が浮かび上がる(日本では余り意識されないが、西洋では「自然」の反義語は「芸術」である)。ソプラノ太田真紀がヘリコプターのプロペラ音のような音を出すが、これもまた自然との対比のように取ることが出来る。


結構、面白い演奏会であった。

客席には、酒井の身内と思われる人も多数。2階席にいた若者達は、来年から酒井に教わる予定の京都市芸の学生だと思われる。白人が多いのも特徴。名前は浮かばないが顔は見覚えがあるという人も何人かいて、皆、音楽家だと思われる。休憩時間にホワイエに出た時に、「背の低い白髪のおばあちゃんがいるなあ」と思ったら、長岡京室内アンサンブルの森悠子であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月 3日 (日)

恐怖音楽ではなくてただのポップナンバー 「Feels Like Heaven」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2017年11月 | トップページ | 2018年1月 »